長 野大学紀要 第13巻 第2I3号合併号 220頁 1991
〔
書 評〕
後藤允著『尾瀬―山小屋三代の記』岩波新書1984.Ⅴ+189pp.
この本は著者が、尾瀬の 自動車道建設 を阻止す
る闘いの途上 で遭難死 した 「高校以来の友人だっ
た」平野長靖 を弔 う鎮魂の書 といえるにだろう。
なぜ なら、友人 として、長靖が職場 をやめて尾瀬
に帰 り、建設阻止に立 ち向か うまでの苦悩が理解
できなかったこ とにたいす る悔恨の気拝 を、 この
書 を上梓 して初めて償 うことができたか らである。
後記によれば、毎 日新聞に58年8月か ら3か月
にわたって連載 された 「尾瀬 ひ とと自然」に修
正 ・加筆 した ものだ という。尾瀬 を守 る平野家三
代の90余年の歴史が、著者の 自然にたいす る畏れ
と優 しさとをとお して語 られ、友の遺志への共感
が示 され る。
その尾瀬 を、筆者は前に高校に勤めていた頃、
全校登 山の尾瀬 ・熔姓引率者の一人 として大清水
と鳩待峠の両方か ら数 回にわたって訪れたことが
ある。 8月の尾瀬 ヶ原一面にそよ ぐニ ッコウキス
ゲの群生図は忘れ られない風景の- コマだが、筆
者たちが尾瀬に入 ったのは登 山や、湿原植物 をめ
でる目的以外に、 自然保護の実情 を体験す るため
で もあった。第1ⅠⅠ章に記されているように、尾瀬
に とって最大の難問が尿尿 とゴ ミの処理 だったこ
とが、二泊す る間に、一人一人にゴ ミの持 ち帰 り
が義務づ け られていることなどの生活ルールをと
お して筆者たちに理解 できた と思 う。
第 Ⅰ章は、初代長蔵が19歳の ときの明治
2
2
年、
熔岳-の登 山道 を拓いて、のち、神官の資格 をと
り、山頂に石岡 を建てたが、そのため村人 と乱棟
をひき起す ことになったこと、今 も尾 を引 く尾瀬
の水利権 と発電所問題がすでに大正11年に始 まっ
たこと、尾瀬の水利権 をめ ぐり巨額の資産 を得 る
政治家 と企業 とにたい して反対運動 を貫いたこと
を記す尾瀬開発 の草創期。第 ⅠⅠ章は、父の希望 を
素直に受け入れて長蔵小屋の経営 を継 ぐことにな
った心優 しい二代 目長英が昭和9年に現在ある小
一
168-岩
崎 正
也
Masaya lwasaki
屋 を造 り、第二次大戦中、山守 りとして貧困 と労
働 に明け暮れた生活 を綴 る尾瀬開拓の発展期。第
ⅠⅠⅠ章は、三代 日長靖が職場の仲 間を裏切 って尾瀬
を選 んだ苦悩 と、 自然破壊 との闘いに至 るまでの
三代 をとりま く村人や政治権力 との対立 ・交渉 を
描 いた現在 までの開発 を検討す る時期。 この歳月
を新聞記者 である著者が、平野家の人々 とその反
対者の どちらに も加担せず、抑制 をきかせ て過不
足な く叙述 しているに もかかわ らず、尾瀬 をめ ぐ
り、観光 と保全の間をゆれ る現在の諸問題が読者
の心に重 くの しかかって くる。 その書 く態度は、
た とえば、 グレアム ・グ リー ンの Fお とな しいア
メ リカ人』に登場す る特派員のファウラーの場合
に似ている。 ファウラーが戦争当事者の どちらに
も味方せず リポー ター として視 るこ とに徹 したよ
うに。本書 を読み進むに したがって、読者は、 ち
ょうど、尾瀬 ヶ原の木造 を歩 きなが ら、周囲の池
塘 に ヒツジグサ を見つけた ときのよ うに、 さまざ
まなエ ピソー ドに心 を洗われ る思いを抱 くだろ う。
長蔵が馬に くくりつけるほ ど大量の高山植物 を採
取 した牧野富太郎 を一喝す る場面、李王殿下入山
の さいの楽屋風景、大石環境庁長官 と長靖 との会
見 を実現 させ た意外 な人物のことなど。第ⅠⅠⅠ章の
長靖の死に よ り、-篇の ドキュメン トは小説の よ
うに劇的な結末 を迎 える。 そ して遺志 を継 ぐ妻 ・
紀子の献身ぶ り。
この一書に余分 な望みを言えば、人名 ・事項索
引 と尾瀬に関す る書誌 をつけ ると、 さらに尾瀬に
たい し理解 と共感 をか きたて る本になっただろ う。
(いわきき まさや 教授)
(1991.10. 3受理)