氏 名 鈴 木 沙 理 学位(専攻分野の名称) 博 士(生物産業学) 学 位 記 番 号 甲 第 684 号 学 位 授 与 の 日 付 平成 27 年 3 月 17 日 学 位 論 文 題 目 マウスモデルを用いた多因子性難聴発症に関する遺伝学的研 究 論 文 審 査 委 員 主査 教 授・農 学 博 士 横 濵 道 成 教 授・博士(生物産業学) 亀 山 祐 一 助 教・博士(生物産業学) 和 田 健 太 博士(畜産学) 吉 川 欣 亮* 論 文 内 容 の 要 旨 ヒト集団において難聴は先天性の感覚器疾患のうち最 も発症頻度が高く,新生児の約 500 人に一人が聴覚に異 常を有することが報告されている。また,進行性および 突発性難聴の有病率は成人においても高く,聴覚機能と 言語機能との深い関わりから難聴患者はコミュニケー ション能力が低下し,難聴は QOL(quality of life)に 支障をきたすこととなる。一方,難聴は騒音,耳毒性薬 物,他の疾患発症による 2 次的障害などの環境要因と遺 伝子異常による遺伝的要因により発症するが,新生児難 聴では 70%,進行性難聴では 50% が遺伝的要因によっ て発症することが知られている。最近の 20 年の研究に よってそれら遺伝性難聴の発症原因となる突然変異は多 くの遺伝子において同定されてきた。しかし,これまで 遺伝的な発症原因が明らかになった難聴のほとんどは単 一遺伝子に生じた突然変異によるものであり,複数の遺 伝的影響によって発症する難聴についてはその原因は未 解決であり,環境からの様々な危険因子の影響を受け, 遺伝的にヘテロ集団であるヒトにおいてその同定は極め て困難である。そこで本研究では,複数の遺伝的影響に よって早発性・進行性難聴および先天性難聴を発症する 2 系統の近交系マウスをモデルとし,順遺伝学的解析に よって遺伝要因の特定を目的に研究を実施した。 1. DBA/2J マウスの早発性・進行性難聴の遺伝要因 の同定 DBA/2J は,マ ウ ス に お い て 最 初 に 近 交 化 さ れ た DBA 系統の亜型であり,てんかん発作,アルコール・ モルヒネ低嗜好性,緑内障など様々な疾患のモデルマウ スであるが,早発性難聴のモデルであることも知られて おり,生後 7ヶ月齢までに重度難聴を発症する。その早 発性および進行性難聴の遺伝的原因としては,cadherin 23 遺伝子の ahl アレル(Cdh23ahl)および fascin 2 遺
伝子の ahl8 アレル(Fscn2ahl8)の効果が報告されてお り,さらに,低周波数領域(4kHz)特異的な ahl9 遺 伝子座の効果も報告されている。本研究では中周波数 (8kHz),高周波数(16kHz)および超音波周波数(32 kHz)領域の音刺激の受容および難聴発症に関与する遺 伝的要因を特定するため,順遺伝学的解析を行った。 DBA/2J の難聴に対して感受性効果を持つ遺伝的要因 を特定するため,17 頭の B6J,43 頭の D2J, 14 頭の (DBA/2J×C57BL/6J)F1およびその F1に DBA/2J を 交配した 90 個体の戻し交配分離個体を作製し,8-, 16-お よ び 32-kHz の 音 刺 激 に 対 す る 聴 性 脳 幹 反 応 (Auditory brainstem response : ABR)閾値を測定し た。次に,本研究ではマウス全染色体上に設置した 103 種 の マ ー カ ー の 遺 伝 子 型 を PCR-Simple Sequence Length Polymorphism(SSLP)法により判定し,それ らの表現型および遺伝子型データを用いて Quantita-tive Trait Locus(QTL)連鎖解析を行った。
(DBA/2J×C57BL/6J)F1マウスの ABR 閾値を測定 した結果,その閾値は 8-および 16-kHz において B6J と,32-kHz において D2J と類似していた。また,戻し 交配個体において 8-および 16-kHz の ABR 閾値は正規 分布に近く,32-kHz においては,すべての個体が高度 および重度難聴を発症していた。この結果から,D2J の 8-および 16-kHz における早発性難聴は QTL によっ て支配されており,さらに 32kHz においては優性の QTL の効果が示唆された。次に QTL 連鎖解析を実施し た結果,D2J の難聴発症にはこれまで報告されている ように第 11 番染色体上の Fscn2ahl8領域に Logarithm ─ 8 ─ *公益財団法人東京都医学総合研究所・哺乳類遺伝プロジェクト プロジェクトリーダー
of Odds(LOD)スコア 5.02 および 8.84 と強い感受性 効果が検出されたが,16-kHz の聴力においては,第 5 番染色体上の 50.3∼54.5, 64.6∼119.9 および 119.9∼137 Mb の 3 領域に統計学的に有意な 2.80∼3.91 の LOD ス コアが検出され,高周波特異的な聴力に作用する新規 QTL(s)の存在が示唆された。また,32-kHz の聴力 においては Fscn2ahl8の効果は検出されず,超音波周波 数においては Cdh23ahlに加えて優性効果をもつ QTL (s)の効果が予想された。これらの解析から,DBA/2J マウスの早発性難聴は,その遺伝的背景に存在する周波 数特異的な聴力機能に作用する遺伝子群,およびそれら 遺伝子における系統特異的な変異によって支配されてい ることが示唆された。 2. NOD/Shi マウス系統の先天性難聴の遺伝要因の同 定 NOD/ShiLtJ 系統はヒト I 型糖尿病モデルマウスとし て知られているが,早発性重度難聴発症のモデルであ り,生後 3ヶ月齢で聴力はほぼ欠損する。また,その主 要な遺伝的要因としては,Cdh23ahlおよび第 5 番染色 体上の 79.5Mb の領域の ahl2 遺伝子座が報告されてい るが,ahl2 遺伝子座の責任遺伝子の実体は明らかと なっていない。特に,本研究で実施した DBA/2J マウ スの遺伝学的解析によって同定された第 5 番染色体上の 難聴感受性 QTLs のうち,一つの遺伝子座は ahl2 遺伝 子座とオーバーラップしていた。このデータは両系統の 難聴発症が第 5 番染色体上の共通した QTL によって支 配されていることを示唆している。そこで,本研究では NOD/ShiLtJ 系統の起源である NOD/Shi 系統を用いて 聴覚機能の表現型および遺伝学的解析によって ahl2 領 域の詳細な位置決定を目的に研究を実施した。 第一に,本研究では 4-, 8-, 16-および 32-kHz におい て 25 頭の NOD/Shi の ABR 閾値を測定し,その聴力を 検討した。4-, 8-, 16-および 32-kHz の生後 1ヶ月齢の NOD/Shi の聴力を野生型の C57BL/6J 系統と比較した 結果,C57BL/6J は 39.3dB±6.1, 18.3dB±3.7, 20.5dB ±5.8 および 38.8dB±10.4 の平均聴力閾値を示したが, NOD/Shi は 95.0dB±11.09, 93.8dB±11.8, 97.6dB±5.0 および 99.4dB±2.2 と閾値は最大値(100dB)近傍であ り,全ての周波数領域においてほぼ完全に聴力が欠損し ていた。また,この結果から,NOD/Shi は NOD/ShiLtJ と比較しより重度な難聴を先天的に発症することが明ら かとなった。 次に,NOD/Shi の先天性難聴の遺伝解析を実施する ため,24 頭の(NOD/Shi×C57BL/6J)F1個体および その F1に NOD/Shi を交配した 179 個体の戻し交配分 離個体を作製した。生後 1ヶ月齢の F1 マウスの聴力測 定を行った結果,F1マウスは 4-および 8-kHz において C57BL/6J と類似した聴力閾値を示したが,16-kHz に おいては C57BL/6J と NOD/Shi の両系統と有意差が認 められ,さらに,32-kHz においては NOD/Shi と類似 した聴力閾値を示した。また,N2個体を用いて聴力測 定を行った結果,4-kHz において二項分布に近い分布, 8-kHz においては低∼高レベルの ABR 閾値に渡った分 布を示し,16-kHz においては正常聴力個体が存在する ものの 52.0% の個体重度難聴を発症しており,さらに, 32-kHz においては 80.4% の個体が NOD/Shi に重度難 聴を発症していた。これらの結果から,NOD/Shi マウ スの難聴発症は,周波数ごとに効果の大きさが異なるな QTL が周波数特異的に存在し,さらに 16-および 32-kHz の難聴発症には優性効果をもつ QTL が関与するこ とが強く示唆された。次に,N2を用いて全染色体上に 136 種のマーカーの遺伝子型を SSLP 法により判定し, ほとんどの N2マウスが重度難聴を発症した 32kHz を 除き,QTL 連鎖解析を行った。その結果,4kHz にお いて第 5, 9 および 10 番染色体,8kHz において第 1, 5 および 6 番染色体,さらに 16kHz においては第 1, 5, 6 および 7 番染色体に統計学的に有意な LOD スコアが検 出された。特に,第 5 番染色体上の 4.2∼35.6 および 35.6∼64.6Mb の領域にはすべての周波数において LOD スコア 3.40, 5.08 および 4.83 の効果の強い QTL が認め られ,既存の ahl2 遺伝子座が存在する領域において は,8kHz で LOD スコア 4.03 の値が検出された。しか し,4.2∼35.6 および 35.6∼64.6Mb の領域ではそれぞ れ 5.08 および 4.83 とより効果の強い QTL の存在を示 唆する LOD スコアが検出され,NOD/Shi の主要な難 聴発症は ahl2 遺伝子座のみの効果では説明できず,そ の難聴発症の原因は第 5 番染色体上の複数の QTL と他 の染色体上に存在する QTL の相加的効果であることが 予想された。一方,DBA/2J マウスおよび NOD/Shi マ ウスの遺伝解析によって同定された第 5 番染色体上の 50.3∼64.6Mb 領域の QTL はオーバーラップしており, 両系統に共通する早期難聴発症に関与するアレルが存在 することも予想された。DBA/2J の難聴は音のシグナル 変換に重要な内耳有毛細胞の感覚毛の一部が短毛化する ことが原因であることが報告されており,本研究で NOD/Shi 内 耳 蝸 牛 組 織 の 形 態 を 走 査 型 電 子 顕 微 鏡 (Scanning Electron Microscope : SEM)を用いて観察 した結果,NOD/Shi の内耳蝸牛有毛細胞における感覚 毛が DBA/2J 同様に短毛化していることが示され,両 ─ 9 ─
系統間に共通する QTL の変異アレルが感覚毛短毛化に 影響を及ぼす可能性も考えられた。 審 査 報 告 概 要 本論文は,多因子疾患である遺伝性難聴を標的とし, 順遺伝学的解析によって 2 系統の近交系マウスの難聴発 症の遺伝要因の特定を目的に研究を実施したものであ る。その結果,学位申請者は第一に,早発性難聴モデル である DBA/2J マウスの第 5 番染色体上の 50.3∼54.5, 64.6∼119.9 および 119.9∼137Mb の 3 領域に統計学的 に有意な LOD スコア(2.80∼3.91)に裏打ちされた難 聴発症に関与する新規の遺伝子座(Quantitative Trait Locus : QTL)の同定に成功した。さらに申請者は,先 天性難聴発症モデルである NOD/Shi マウスの難聴発症 への関連を示唆する QTL を第 1,5,6,7,9 および 10 番染色体上に統計学的に有意な LOD スコア(2.68∼ 2.72)で QTL を同定し,当該マウスの難聴発症がこれ らの QTL の相加的効果により発症することを明らかに した。また,それらの QTL のうち,第 5 番染色体上の 4.2∼35.6 および 35.6∼64.6Mb の領域には,低∼高周 波数領域(4-, 8-および 16-kHz)に共通する QTLs が存 在することを明らかにし,さらに,50.3∼64.6Mb 領域 の QTL は DBA/2J および NOD/Shi マウスに共通した 難聴発症感受性 QTL であることも明らかにした。加え て,申請者は NOD/Shi マウスの詳細な形態学的表現型 解析を実施し,NOD/Shi マウスが DBA/2J マウスと同 様に内耳蝸牛有毛細胞の感覚毛が短毛化することを明ら かにし,両系統共通の難聴感受性 QTL が両系統の感覚 毛短毛化に影響を及ぼす可能性も見出した。以上のよう に,本研究で特定されたヒト多因子性難聴に関連する多 くの新たな原因遺伝子座は,ヒト難聴患者の QOL 改善 のための基礎的情報を提供し,同時に 2 系統マウスの新 たな遺伝特性を明らかにしたことは実験動物の活用に大 いに資するものと考える。加えて,申請者は両マウスの 抗難聴薬および機能性食品の評価における有用性も示し ており,生物産業への貢献も大きい。 よって,審査員一同は博士(生物産業学)の学位を授 与する価値があると判断した。 ─ 10 ─