技術史教育の教材研究(第2報) : 函館市西部地区における煉瓦建造物に関して
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(2) . 北海道教育大学紀要(教育科学編) 第5 0巻 第2号. 平 成12 年 2 月. Journa lofHokka i do Un i i i i 50 tyofEduca t t ve r s on(Educa on)Vol . .2 ,No. February,2000. 技術史教育の教材研究 (第2報) -函館市西部地区における煉瓦建造物に関して-. 井上. 平 治*. 三浦. *北海道教育大学函館校技術科教育研究室. 1. は. じ. め. 俊 一** **函館市立湯川中学校. に. 「人間が作り上げてきた技術の歴史は, そのまま人類発展の歴史でもある. したがって技術の歴史を知る ことは人類がどのような経過を辿って現在の社会に到達したかを知ることにもなる. 技術・家庭科における 歴史の教育の目的は, 学習者にとって自分の周辺に存在する有用物がどのような技術を介して生産されたか にとどまらず, それら有用物がどのような技術的経過を辿って現在に至っているか, さらに今後どのように 1 ) 2 ) ( 発展 して いく か に思 い がいく よう になる こ と である( 」 . 先 の 第 1 報 で は, イ ギリ ス 産業 革 命 時 に お ける. 繊維産業技術の役割について述べた. 技術遺産として保存されている繊維関連機械について現地見学をする 機会があり, その際に収集した資料に基づいて, 一つ の技術の発展が他の技術の発展に影響を与えることを 具体的に述べたものである. 今回は-地方都市の建造物群の特徴が何によって形成されたか, 換言すれば先 人が遺したもの, すなわち技術遺産が語っ ているものは何かを明らかにすることで,、子どもたちが自分たち の周辺に存在する物を観察する際に, 過去から現在までの技術に関して思いが至るような技術史教育の教材 資料を検討したので報告する‐ 2. 函館における煉瓦建造物の形成過程と関連文献 18 58(安政5) 年, 日米修好通商条約により箱館は開港した. 箱館奉行所は外国居留 民の居留地をまとめ ) また 明治新政府は農業政 3 るつもりであったが, 思惑どおりにはならず数カ所に散在することになった( . , 策のための大規模な北海道開発計画を立て, 1869(明治2) 年箱館 (同年8月函館に改称) に開拓使を置い た. この2件は函館の人口増に影響を与えた時でもあった. 住居は確かな計画のないまま に密集して建てら れ, しかも構造も雑なものであり, また3面が海に囲まれている地形から, 強風の日が多く 一端火災が発 , 生すると大火災につながっ た. 度々の大火災に開拓使は1879(明治12 ) 年, 防火造建築奨励策を設け, 石. 煉瓦・土等の不燃材を利用して建造しようとする者 には資金融資を した. 以上が函館市の西部地区を異国風の建築物や, また不燃材を使用した建造物を多く存在させた理由で 特 , に赤煉瓦の色調が心を和まし, 組積方法が作る装飾性が市街の景観を印象強いものにしている. )がある 世界の煉瓦の歴史や 日本全国の煉瓦と煉瓦建 4 煉瓦や煉瓦建造物については, 水野氏の大著( . , 造物の詳細な調査結 果が記述されており, 勿論函館に関しても記述されている. また これまで函館市西部 , 地区を中心とする建造物の建築学的報告書は, 遠藤氏の函館常備倉に関して諸記録からその構造と配置につ 5 ) その常備倉を開拓使が安田商事に払い下げた経過と地方在住の邦人建築家が煉瓦構造に いて明らかにし( , 6 ) 川島氏の函館市の古建築に関して集大成したもの( 7 ) 函館市の編纂し ついての理解程度を評価したもの( , , 105.
(3) . 井上. 平治・三浦 俊一. 8 ) 越野氏の北海道の初期建築物に関して函館の古建築 た西部地区の特色ある町並みの形成を詳述したもの〔 , ( ) 9 3 ) ) を記述したもの (前掲書( , 角氏の監修になる 美しいカラー写真による歴史的建造物集 等の報告書があ る. それぞれ建築学の碩学の手になるものであるから, 函館の歴史と共に建築学上の専門的知識を興味を持っ て知りうることができる‐ そこには頻繁に発生する火災からの延焼を防ぐ目的で建造された不燃質材建造物 も多く取り上げられている‐ しかし, 職人が赤煉瓦を一個一個積み上げて住宅や倉庫あるいは防火壁を築い た建造物の組積方法や壁厚に関する煉瓦建造物についてまとめられた文献が管見するところない. これら煉 20年も経過した建造物 が多いので, 損傷が激しく, 現に調 査中に解体 瓦建造物に関しては建築後50年から1 さ れる と いう 毎しい場面に接した建造物もあっ た. 現在のように効率優先で, その論理に合致しないものは 価値のないものと見なされるこの時代に, その持つ温かみとその重量感が見る者の心を穏やかにする赤煉瓦 建造物に限定し, 前述の組積方法や壁厚さらに使用 煉瓦の寸法について, 著者らの力量の範囲ではあるが, 函館市西部地区に関する煉瓦建造物の技術的歴史的営みを明らかにしておくことは技術史教育の教材として も意義があると考え調査した. 3. 函館市及 び周辺地域の煉瓦製造の歴史 18 56(安政3) 年に, 諸術調所の教授武田斐三郎が函館近隣の尻岸内に製鉄所を設置するにあたって溶鉱 1 0 ) 1857(安政4) 年 長崎溶鉄所 (後の長崎製鉄所) がオランダ人海軍将校 炉のための煉瓦を製造した( ‐ , ハー・ハルデスの指導のもとに建設された際, 製造された煉瓦が国産初の赤煉瓦とされている. 尻岸内のは 溶鉱炉のいわゆる耐火煉瓦ではあるが, 日本人の力でしかもその製造技術は旧富士鉄室蘭研究所 (現新日鉄) u )とある優れた技術であっ た に依頼した分析結果によれば近代煉瓦製造技術に劣らないことが証明された( . 2(明治5) 年, 開拓使は当時米を生産できない北海道の 食糧米を備蓄しておく さらに時代は下って187 1 2 )によれ ば 「常備倉」 の建築材料のために 「茂辺地練化石製造所」 を設け, 煉瓦の製造を行った. 上磯町史( 「茂辺地村の粘土と戸切地村の砂とを原料として試製せしに, その質良好なりしを以て事業を継続した」 と 5 )によると常備倉について 「明治6年暮れには3棟のレンガ積みが終了する ところま ある. しかし, 前掲書( で進捗したが, 同年冬にレン ガ面が凍害を受けたため, 工事を中断, レンガの焼成方法を改善して良質のレ ンガを得, それをもって明治7年7月, 残り1棟の工事を再開して, 同年9月に完成, さらに, 翌8年に, 1 3 )とある ところが1876(明治9) 年末には原 前記3棟のレン ガを積みなおして, 全部の工事を完了した」( . を東京本使物産取扱所建築に 「 ) 年 茂辺地煉瓦石製造所 1 1 たが 1 8 7 8( 明治 価の問題もあり操業中止になっ , )とあるので1年余の休業期間をは 1 4 付, 東京より職工を呼 び再び製造にかかり, 其製品を東京に送っ た. 」( 88 0(明治13) 年閉鎖された後は翌年茂辺地の民間人である森兵五郎に貸し下げ さんで再開した‐ しかし, 1 ら れた‐. また 「函館では, 明治20年10月に有江金太郎が, 函館区東川町に煉瓦場を創設‐ この後, 平一が函館区大 1 5 )とある 煉瓦 字亀田村大川通りに煉瓦場を創設し, 明治39年9月に函館製瓦合資会社と組織を改めた. 」( . の需要が増加していたことと同時に良質の土に恵まれていたことを知りうる‐ さらに高杉氏によれば, 大正 初期に現北海道銀行函館支店付近に高杉煉瓦工場が創設され, その焼成釜は登り釜であっ た. 規模の大きな ものであったことが掲載の写真等からうかがわれる. なお筆者の一人が2・3年前, 北海道銀行函館支店裏 0 通りを通行中, 地表から2 m程も掘り下げている工事の現場に出会ったが, 地表からl m弱の黒土の下が7 煉瓦 工場 と 関 わり のあ る も の で はな か っ た か‐ cm程の 粘 土層 をな してい た の を 見 ている. 今思う に高杉」. 106.
(4) . 技術史教育の教材研究 (第2報). 4. 煉瓦の寸法と組積方法 煉瓦の寸法は, 長手寸法×小口幅寸法×厚さ寸法の順で示されるが, j 工S で は210×100×60mmであ り, 耐 火 煉瓦 の寸 法 は230×114×65mmと 決め られて いる. 前 掲 書( )によ れ ば, 明 治5 (1872) 年 の 太 政官布 告 で 4 は251×121×64mmで 現 在 の も のよ り 大 き か っ た. 図1 に煉瓦 の 形と そ の名 称 を示 す. 煉瓦 はモ ルタ ル によ っ. . - \ I . 普通煉瓦 (おなま). .. 11 1 迫持煉瓦. \ \\. \ \\ ///「 ー \/. 図4-1 6 煉瓦の形状と種類 ( 2 1 I S規格寸法) 0×1 0 0×6 0mm はJ. (水野信太郎著 「日本煉瓦史の研究」 より) 図1. 煉瓦の形状と種類. て接着するがこれが目地である. 積み上げるには目地が垂 直にならないよう破 (やぶり) 目地にする. 圧縮 一 . 」 荷重が個々の煉瓦に分散することで, 構造体を保つよう にしている. ここ に図2 (原図は水野信太郎著 「日 本煉瓦史の研究」 による) のような様々な組積方法が各国で推奨されたのであろう‐ 組積方法の日本への導入は, 1857(安政4) 年に長崎溶鉄所 (後の長崎製鉄所) 建設の際に指導的役割を 果 た した, オ ラ ン ダ人の 海 軍 将校 ハ ー ・ ハ ル デス がも た ら した オ ラ ン ダ積 が初 め て 導 入 さ れた 組積 方 法 と さ. れる. その後, 1866(慶応2) 年横須賀製鉄所 (後の横須賀造船所) 建設のためにヴェルニーを長とする フ ラ ンス 人チ ーム が指導 し, フラ ンス 積 が導 入 さ れた. さ ら に1868 (明治元) 年 イ ギリス積がT . J . ウ オ ー ,. トルスにより大阪造幣寮や銀座煉瓦街建設時にもたらされた. と ころ で フラ ンス 積 の 壁 面 は小 口・ 長 手 の 繰り 返 しで そ の装 飾 性 は他 の 組積 方 法 と比 較 して優 れている .. しかし図3(原図は文献( 4 )による) のように上下の煉瓦において一定間隔で目地が揃う箇 所が出てくる こ ‐ のような目地を 「芋目地」 と称している‐ これは圧縮荷重を下方の数多くの煉瓦に分散させることを妨げる から, 構造体としては力学的に不利であるので, フランス積は他の組積方法に比較して積極的には利用され なく な っ た.. 5. 函館市西部地区の煉瓦建造物の多い理由 1‐ 章 で はその 理 由 を簡 略 的 に述 べ て いる が ここ で もう 少 し詳細 に記 述 する , ‐. 6 一つの理由は経済力にあっ た. その経済力は交易からもたらされている 曾田氏( 1 )によれば 室町時代 . , は主に越前 国敦賀や若狭国小浜との交易があり, 18 02(享和2) 年には, 幕府は北辺防備策のため東蝦夷地 を幕府直轄地にした‐ そして箱館を幕府の手で堀割 防波堤 造船場の構築がなされた このよう にして蝦 , , . 107.
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(6) . 技術史教育の教材研究 (第2報). 61(文久元) 夷地の海運の拠点が箱館に形成された. 18 年には黒竜江沿岸, カムチャッカ半島との交易もなされ. フランス積. た. 輸出品は絹布・米・醤油・馬鈴薯等であったという. 1 861(元治元) 年には上海との交易があり, 1 877(明治 1 0) 年には清国に直輸出が許可された. 187 8(明治11) 年には開拓使はウラジオストックに直輸試売を計画し, 函館丸に道産品を積み, 渡辺熊四郎, 平田文右衛門等が 実地見分している‐ 19 07(明治40) 年には, 大坂商船が 逓信省命令航路として函館寄港の小樽・ウラジオス トッ ク間の航路を開設した. 大正から昭和10年代初期におけ る海産物荷造方法記載事項をもとにして, 函館からの積 幽 図3. 芋 目 地 の 生 じる 部 分. み 出 し品を あ げる と, 塩 鮭 ・ 塩 蔵鱈 ‐ス ケ ソウ タ ラ ・ ス ルメ ・ 身欠 ニ シ ン. 乾 ア ワ ビ .干 ナ マ コ . フカ ヒ レ. 帆. フ ラ ンス 積 の芋 目地. 立貝 柱 ・魚 粕 ・ 昆布 等 である. 海運業 の 進 展 は回 漕 店 や. 酵屋や倉庫業といった関連業者を増加させ, それらに従事する人間が増加 していった‐ 当然のことながら商 店や倉庫さらに彼らの住居と して家屋が建てられ市街化形成に拍車がかかっ たのである. 次の表1は明治44 年の営業用倉庫について示して (一部省略) いる. 所在地の仲浜町は現在の大町の海岸線岸壁寄りであるが , この地域周辺が当時の物流の集散地であった. 欄外の注意書きによれば計82棟 13279坪のうち 不燃質本建 , 築の煉瓦造り・石造りは合わせて8 997坪で総坪数の約68%になる. 荷への信頼度を重視する倉庫業者の気概 表1. 明治44年の営業用倉庫 氏. 倉庫名 弁天倉庫. 所在地 仲浜町. 棟数. 総坪数. 8. 2547. 備. 文献. 16. より 考. 明治34年8月、 柳田藤吉. 弁天町に煉瓦造りの建造物 函館倉庫. 仲浜町. 安田倉庫. 仲浜町 (居留地内). 金森倉庫 藤野倉庫 龍紋倉庫. ! ′. 葛西倉庫. 〃. 15. 〃. 25. 〃. 5 11 3 6. 共栄倉庫 計. 9. 8 2棟. (7 5 6坪) を建てて倉庫 業を始める。. 1731 辻倉庫を中村宗三郎が明治 38年に買収。 2081 2262 467. 1375 535 2272 明治38年 築前善次郎ら 、 13279坪. 設立。. 注-煉瓦造り8852坪、 石造り145坪 板倉10棟17 30坪 上屋 、 、 19棟2552坪で不燃質本建築が増加している 。 と函館の海運業の隆盛を物 語っ ている. もう一つの理由は大火であっ た. 上述のように北海道の物流の拠点港としての発展は当然のことながら人 を集中させる. 人口の増加は住居の増加に結びつくが その家屋は密集していて 不燃質材料ではない急造 , , 1 7 )か ら も推 察 できる また 地 形 が 半 島 状 に な て の も の であ り 火 災 に は弱 か っ た であ ろう こ と が古 い 写 真( っ . 109.
(7) . 井上. 平治・三浦 俊一. おり風が起きやすい. ひとたび火災が発生すると大火につながることが多かったのである. 安政時代から昭 00戸以上消失の火災をあげると次のようになる‐ 和9年の大火まで1 105-10 8より) (「函館消防沿革史」 . , 函館市消防本部, 平成元年, pp 1 0 5戸消失 1 7 79 (安永 8) 年 弁 天 町よ り 出火 1 80 6 (文化. 3) 年. 18 44 (天保 1 5) 年. 弁 天 町よ り 出火. 3 5 0戸消失. 現 末広 町. 45 0戸消失 8 7 2戸消失. 18 6 9 (明治. 2) 年. 弁 天 町よ り 出火. 1 8 71 (明 治. 4) 年. 現 弥生 町よ り 出 火. 1 12 3戸消失. 1 8 73 (明治. 6) 年. 豊川 町よ り 出火. 13 14 戸消 失. 1 8 75 (明 治. 8) 年. 現宝 莱 町よ り 出火. 4 3 4戸消失. 1 87 8 (明治 11) 年. 現入 船 町よ り 出火. 9 5 4戸消失. 1 8 79 (明治12) 年. 現末広町より出火. 2 32 6戸消失. 開拓使は防火対策奨励策として建築費の3分の1の奨励 金を出した 1 8 85 (明治18) 年. 現末広町より出火. 132戸消失. 1 8 8 7 (明治2 0) 年. 豊川 町より 出 火. 4 8 2戸消失. 1 89 5 (明治2 8) 年. 現栄 町 町より 出火. 1 1 7戸消 失. 1 89 6 (明治2 9) 年. 弁 天 町よ り 出 火. 2 2 80戸消失. 1 89 9 (明治3 3) 年. 現旭 町よ り 出火. 14 2戸消失. 1 9 0 0 (明治3 4) 年. 若 松 町よ り 出火. 19 9戸消失. 1 9 01 (明治3 5) 年. 現旭 町よ り 出 火. 1 0 8戸消失. 19 01 (明治3 5) 年. 現 大 手 町より 出火. 3 9 6戸消失. 19 0 7 (明治40) 年. 東川町より出火. 12390戸消失. 19 0 8 (明治4 5) 年. 若 松 町よ り 出 火. 73 3戸消失. 1 91 3 (大 正. 2) 年. 若松 町よ り 出 火. 1 5 3 2戸消失. 19 1 3 (大 正. 2) 年. 東雲 町より 出 火. 2 7 7戸消失. 19 1 4 (大正. 3) 年. 宝 来 町より 出火. 84 9戸消失. 1 9 14 (大正. 3) 年. 入 船 町よ り 出火. 6 7 3戸消失. 1 9 16 (大正. 5) 年. 旭 町よ り 出 火. 1 76 3戸消失. 1 9 21 (大正10) 年. 東川町より出火. 2141戸消失. 9) 年. 住吉町より出火. 22667世帯消失. 1 93 4 (昭和. 「函館消防沿革史」 では旧町名を使用しているが, 町名改称しているところは理解しやすいように 「現○ ○町」 にした‐ 上述のように頻繁に発生する火災に対して開拓使が防火対策奨励策を出したり, その後函館としても明治 20年代に函館消防組を組織して消化設備を整えていくが, 当時はいずれも手引きか馬引きでしかも高圧の蒸 気を発生させるまでの時間がかかることなど, 火事への初期対応が遅れがちで大火につながることが多かっ たの である. 自 走式 のい わゆる ポ ン プ自動 車 を, 函 館 が 区民 の寄付 をもとにして米国製のアー レンス・フ ォッ ) 1 8 クス 号 を購 入 したの は1919 (大 正 8) 年 であ っ た( .. 以上のように度重なる大火に, 函館としての営業の信頼度を高めるために不燃質材の建造物を建てること に官民 が努力をした‐ またそれらを可能にする経済的ポテンシャルが高かったのである. 110.
(8) . 技術史教育の教材研究(第2報). 査. 6. 調. 6.1. 結. 果. 調 査期 間 と結 果 の 一 覧 表. 調査期間は1 996(平成8) 年1 0月から翌年1月 と1 99 9(平成11 ) 7月の2回である. 調査地域と対象は函 館市西部地区の範囲 (図4) で, 煉瓦建造物である. 図中の数字は調査順路に従って対象番号を付した.. 24 入船町. 25 . 23 21 弁天町. 3 塁. 33. 34. 需. 緑の島. 弥生町 大町. 船見町. 1 36 3. 9 ムo. 巻 参 4,5 ,3. 大手町 87 65 11109. 1 ム. 元町 函. 館. ム3 42. 山. ー 2. 豊川 町 4. 末広町 ,. ムム ム6. 宝来町. 青柳町. 谷地頭町. 図4. 函館市西部地区調査範囲. 表2は調査結果を示す. なお煉瓦寸法については同一建造物で寸法に違いがあった. 数個測定し多い数値 の ものを 示 したもので, 確度 の高いものではないことを付言 しておく 表につ いての説明 は以下 の とお りである . .. 1) 建造年は, 角幸博監修 「函館の建築探訪」 による (整理番号9も含む) . 表示で年号で示している のは聞き取りによる. またMは明治, Tは大正, Sは昭和を表す. 2) 組積方法の 「枚」 は, 壁の厚さを示すもので一個の煉瓦の長手寸法が 「1枚」 である‐ 3)「-」 は実測不能を示す. 111.
(9) . 井上. 平治・三浦 俊一. 表2 函館市西部地区煉瓦建造物一覧 No .I. 繋. 所在地. 建造物名. 建造年. 煉瓦寸法. 組積方法. *厚 *小 )mm ( ) (国名・枚) ( 幅 さ 長 手 口 号 西 暦 ,年. 1 日本トレーディ ング株式. 2 大手町5-. o* 50 30 *1l 1 908・M41 オランダ ‐1 ,5 2. 2 丸源函館鉄工所. 大手町5‐1 9. 91 2・T元 1. 3 函館倉庫株式会社. 0 大手町5‐1. o* 60 20*1l 1 905・M 38 オランダ ‐1 ,5 2. 4 明治館 (旧函館郵便局). 44 オランダ ‐2 豊川 町11 911・M 7 1 ‐1. o* 55 220*1l. 5 BAY函館1号館. 豊川町11 ‐5. 1 912・M45 フランス ‐2. 55 5* 2 20*1 0. 6 BAY函館2号館. 豊川町11 ‐5. 19 09・M 42 フランス ‐2. o 220 *50 *1l. 7. 3‐ 8 末広町1 、 1909・M42 オランダ .2. 5* 60 220*10. 9 09・M42 オランダ ‐2 6 1 4‐1 末広町1. *60 2 20 *105. 会社函館出張所. 50 20 oo* *l 長 手 ・0 ,5 2. (旧日本郵船倉庫). (旧日本郵船倉庫). 函館ヒストリープラザ. (金森洋物館、 旧金森倉庫 16. 1、 2号) 8. 函館ヒストリープラザ (金 森ホール 森 亭 館ビアホール 、 旧 、金 、函. 金森倉庫3・4・5号) 9 旧茶屋亭袖壁. 7 明治末期 末広町14‐2. 5*55 0 20 *1 オランダ ‐1 ,5 2 oo 21 0 *55 *l. 10 ザ・グラス イン函館1号 スタジオ. 4‐2 末広町1. 1 91 0.M43. オランダ ‐2. 11 ザ・ゲラススタジオ イン函館2号. ‐2 末広町14. 1 908・M41. o*55 1 0 o *l オランダ ‐1 ,5 2. 12 LOFT. 末広町4‐11. 05 *55 タ ‐ ー 225:1 1 91 5・T4頃 オラン. (旧宝興業). 袖壁(旧轟工業). (旧日本製網船具倉庫) 9‐1 5 1880・M13 13 市立函館博物館郷土資料館 末広町1. (旧金森洋物店). 14 函館市文学館. イギリス‐ IF-2. o* 50 5 *1l 21. 2F‐1 ,5. 末広町22‐5. o 1 921.T1. ドイツ.. (旧第一銀行函館支店). 911・M44 漆喰塗り・‐ 7 1 15 金森美術館(旧金森船具店) 末広町22‐1 16 コ ー ヒ ーハ ウス J O E. 大町9‐14. 2 1 885・M18 漆喰塗り・. (旧遠藤吉平商店) 17 太刀川家住宅店舗. 112. 01・M34 漆喰塗り・2 5‐1 5 19 弁天町1. ー*105*60.
(10) . 技術史教育の教材研究 (第2報). 表2 函館市西部地区煉瓦建造物一覧 No ‐2. 鰯. 建造物名. 所在地. 建造年. . ( ) 西 年 暦 号. 組積方法. 煉瓦寸法. *厚 *小 )mm 幅 さ (国名・枚) ( 長 手 口. 18 大幸機動興業所株式会社. 5 弁天町1. 1916・T5. 30*l oo*60 長 手・0 ,5 2. 19 日東中村製網所. 5‐I 191 6・T5 弁天町1. 30 o*60 *1l オランダ ‐1 ,5 2. 20 橋谷 家袖壁. 大町6 ‐11. ラン タ ‐2 1921・T1 o オ. o* 55 225*1l. 21 前 貝森哲夫家住宅. 弁天町23 ‐4. 明治末期. o 215 *55 *1l. 22 ミートハウス別館袖壁. oo 30 *60 4 19 07・M4 0 長 手・1 *l 弁天町22 ‐1 ,5 2. (旧西浜旅館) 23 大洋エーアンドエフ株式. 会社(食糧庁横浜植物防疫. 弁天町2 7. フランス‐1 ,5. o*55 *lo 8頃、 オランダ ‐ 一 200 昭和1. 所指定倉庫). 24 函館どっく株式会社函館造 弁天町20-3. 船所倉庫. 大正6購入 長 手・ 一. 220 o o*60 *l ・ 、 .. 25 北海道ウシオマリーン. 入船町1‐1 8. 1915・T4. オランダ ‐2. 26 厳島神社社務所防火塀. 入船町9‐9. 191 5・T4. 02 oo 10 *l *50 下部オランタ. 株式会社. ・1 ,5. 上部フ ラン ス・ I. 220 o o*60 *l. - ・ -. 27 森山友吉家倉庫. 弁天町l o. 28 和田礼子家倉庫. 弁天町14 ‐11 明治4 0以前 オランゲ ‐ - 215*loo*55. 29 高龍寺開山堂. 船見町21 ‐11 19 00・M33 漆喰塗リー. 30 高龍寺宝蔵. 船見町21 1 1916・T5 ‐1. 31 高龍寺塀 (右側). 船見町21 l 1910・M43 オラン ‐1 タ ‐2. 210 *lo o*50. 32 高龍寺塀 (左側). 船見町21 1 191 ‐1 0・M43 オランダ ‐2. 21 0 o o*50 *l. 33 外人(中国系)墓地塀. 船見町2 2. 1 918・T8. オランダ ‐1 1 5 05 *1 *55 ,5 2. 34 小山正義家塀. 弥生町8‐ 9. 大正時代. フランス、. 一 部. 0以前 オランダ ‐2 220*loo*60 明治4. オランダ ‐ - 2 1 0 *lo o* 50. 220 oo *l *55. オランダ ‐1 ,5. 35 旧函館市立道南青年の家 (旧ロシア領事館). 船見町17‐3. 1 908・M41 オランダ . - 21 5*lo o*60. 36 山崎陽蔵家倉庫. 弥生町3‐ 6. o年代 T 1 o 年代. イギリス‐ 一 2 ス・ - 20 *l oo *50 113.
(11) . 井上. 表2. 平治・三浦 俊一. 函館市西部地区煉瓦建造物一覧 No .3. 鰯. 建造物名. 37 中華会館. 所在地 大町1 ‐12. 建造年. . ) ( 年 西 号 暦. 煉瓦寸法. 組積方法. *厚 *小 )mm さ 幅 長 (国名・枚) ( 手 口. 5*55 *10 191 0・M43 オランダ・ 一 220 部イギリス・ 1 ,5. 38 加藤弘視家倉庫. 大町1 ‐2. 39 開港記念館. 元町33‐11. (旧イギリス領事館). 昭和元年後 フランス、. 一部. 5*50 225*10. タ ‐一 オラン. 1913・T2. 漆喰塗り 1,5、 付 設. の倉庫オラン. や 夕. 40 旧開拓使函館支庁書籍庫. 2‐I 元町1. 41 旧伊藤家住宅及び袖壁. ‐3 元町31. 0 5*55 *1 220. o *50 *1l 1 880・M13 フランス、 玄関 215 はオランダ .2. 1911・M44 オランダ ‐ -. 漆喰塗り、. 3 ‐1 42 函館ハリストス正教会復活 元町3. 1916・T5. 43 元町カトリック教会聖堂. 909・M42 大火で類焼 1. 聖堂. 5‐30 元町1. 4 、 一部3. ク リ 後鉄筋コ ン. ‐トで補修 5* 55 20 *10 18 89・M22 長 手・1 ,5 2. 44 函館市水道局元町配水場. ‐4 元町1. 45 旧函館麦酒会社醸造所. 4 18980M31 オランダ ‐1,5 215*loo*55 谷地頭町2. 46 美容室あみん. 宝来町23 ‐5. 管理事務所. (旧衛生湯). o 漆喰塗り,‐ 21・Ti 19. ・. o*55 *1l 220 F‐長手 22・TII I 47 サンタが函館へやってきた 末広町8‐11 19 3 F 2 ・ - ドイ ツ ラ ッキーピエロ十字街銀座. 店 (旧対馬理容院). 注:1) 建造年は、 角幸博監修 「函館の建築探訪」 による (整理番号9も含む) 。 表示で 年号で示しているのは聞き取りによる。 またMは明治、Tは大正、Sは昭和を表す。 2) 組積方法の 「枚」 は、 壁 の厚さを示すもので一個 の煉瓦の長手寸法が 「1枚」 で あ る。. 3)「一」 は実測不能を示す。. 114.
(12) . 技術史教育の教材研究 (第2報). 6.2 現存する最も古い煉瓦建造物 3の市立函館博物館郷土資料館 80(明治13) 年建造されたもので, 整理番号1 開拓使の奨励策を利用して18 (旧金森洋物店) である (写真1) ‐ 外壁の表面は漆喰モルタル塗りであるが, イギリス積であることが確認 5枚 積 であ る. 隣接 す る壁 には 窓 を 設 け な か っ た り, さ ら に さ れて いる. 1 階部 分 が2 枚積, 2 階 部 分 が1 .. 瓦屋根の下に煉瓦が敷かれていることが後に確認された. 防火対策に万全を期したものであろう. 土蔵風で 9年) は解体修復工事がなされ, 一般公開していな あるが窓上部がアーチ型で和洋折衷型である. 現在 (199 し\. 80年に整理番号40の旧開拓使函館支庁書籍庫も建造されている (写真2) 同じ18 . 書籍庫本体の壁はフラ ンス積であるが, 取り付けられている玄関はオランダ積である. 本体と玄関の組積方法が異なる理由が定か でない. 前掲書( 7 )の平面図から2枚積と判断出来る. これら2つの建造物は外部四隅に隅石が組まれ, 煉瓦は前述の 「茂辺地煉化石製造所」 製のものであり, 写 真 3 の よう に刻 印さ れて いる‐ 今 回の調 査 で刻 印の ある 煉瓦 を 使用 して いる の はこ の 2建 造物 の み で あ っ た. 設 計者 が 同 一 人物 と さ れて いる.. 6.3. 明 治20・30年 代 の建 造物. 整理番号44の函館市水道局元町配水場管理事務所で1889(明治22) 年の建造である (写真4) . 日本で横 浜に次いで2番目に水道が設置された時に建造された. 本調査内では少ない長手積で壁厚1枚半である. 整理番号3の函館倉庫株式会社で1 905(明治38) 年の建造である (写真5) . 表1の函館倉庫ではなく, 共栄倉庫が前身である. 現会社創業の記録に筑前善次郎の創業で共栄倉庫となっている‐ 従って表1の共栄 倉庫の所在地は現在の大手町である. 海岸線に向かって1番倉から10番倉まで, 平行して11番倉から18番倉 まであっ たという. 14番倉と15番倉, それと1番倉・2番倉の扉側の壁面が現存している. オランダ積で, 壁厚1枚半である. 6.4 明治40年代の建造物 1 907(明治40) 年, 1 2390戸も消失するという大火災のあとであるが, 函館の経済的ポテンシ ャ ルの高ま りつつある時期であったのでこの時代は倉庫や店舗それに公機関の建造物が多い. 整理番号4の明治館 (旧函館郵便局) で1911(明治44) 年の建造である (写真6) . 市内の現存煉瓦建造 物では最大のもので堂々たる風格を持っている. 1985(昭和6 0) 年に横浜開港資料館で 「日本の赤煉瓦展」 開催時に作成された 「日本赤煉瓦建築番付」 の中段に記載されているように全国的に評価されている建造物 である. 「新しい建築様式に精通した人の設計であり, 壁体煉瓦は地元製煉瓦が不適当とのことで東京製瓦 会社から求めている. また敷地の地盤が軟弱なため古煉瓦やコンクリートを埋めて建築した」 (前掲書( 7 ) ) とある. オランダ積で壁厚2枚である. 整理番号6のBAY函館2号館 (旧日本郵船倉庫) で190 9(明治42) 年の建造である (写真7) . 堀割を 挟んで191 2年建造の1号館がある. 2建造物とも漆喰モルタル塗りが剥離しているが, この施工が建造当初 に為されたものか否かは不明である. 少し離れて見ると漆喰モルタルが残っているため, 小口・長手と繰り 返しのフランス積の装飾性が明確でないのが惜しい. 壁厚は2枚である. 整理番号37の中華会館で191 0(明治4 3) 年の建造である (写真8) . 「戦災で, 横浜, 神戸の中華会館が 失われており, 建築当初の姿を伝える関帝廟形式の集会所としては, 日本で唯一のもの」 (前掲書7) とあ るように貴重なもので, 異国風の建築物の多い函館においても特異なものである. 煉瓦は地元の業者が納め たことになっている. 1 968(昭和43) 年の十勝沖地震で地上約3m以上の外壁が崩壊したが, 元通り復元さ 115.
(13) . 井上. 平治・三浦 俊一. れて いる. オ ラ ン ダ積 で壁 厚 は1 枚 半 である. なお 正 面 向 か っ て右端 は管 理 人室 にな っ て いる と の こ と だ が この 壁 面 は, 角 か ら2個目に羊美の小口が見えることからイギリス積である. 赤煉瓦の鮮やかさから改修の. 時期が異なるのであろう. 6.5 大正年代の建造物 今回の調査では明治40年代と大正時代の建造物が比較的多かっ た. すなわち函館の経済的なポテンシャ ル が ピー ク に差 し掛 か っ て い た 時期 でも ある‐. 916(大正5) 年の建造である (写真9) 整理番号1 9の日東中村製網所で1 ‐ 製網所は後に譲り受けて使用 して いる も の で, 類似 の 建 造物 が付 近 にある こ と か ら建 造当初 は倉庫 であ っ た と思 わ れる. オラ ン ダ積 で壁. 厚は1枚半である‐ ただしこの建造物は調査期間中に解体された. ) 整理番号20の橋谷家袖壁で1 21(大正1 0) 年の建造である (写真10 9 ‐ この袖壁造り は防火 や目隠しの目 的があるとのことだが, 明治4 0年代にも1・2の建造例がある‐ その中でも全体の形状・煉瓦がはっきりと 確認できるので時代が異なるが整理番号22のミー トハウス別館の袖壁の写真を示す (写真11) ‐ 家屋本体と 接続する部分は余り問題ないが, 外壁から突き出た部分は普通は木造骨組みの表面に煉瓦を積んである‐ ほ と ん どが資 産家 の住 居ま た は 店舗 に施 工 さ れている も の で, 勿 論 防 火 目 的と さ らに 当 時のス テイ タス シン ボ. ルであっ たかもしれない. オランダ積で壁厚は表面の幅は2枚であるが, 木造骨組みの可能性がある. 整理番号36の山崎陽蔵家倉庫で聞き取りでは大正10年代の建造とのことである (写真12) . 煉瓦の色はい わゆる赤煉瓦の色ではなく, 黄赤, 亜麻色, 赤香さらに薄いセ ピアと茶系統色の多彩な色の煉瓦で積み上げ られている. 赤煉瓦の建造物を多く見てこの建造物 を見ると奇異な感じを受けるが周辺の最新洋式の建造物 0年の時間差を忘れる. 四隅に用いている煉瓦 に, 縦長の直線と屋根の斜線が非常に良くマッチしていて約7 の色 を 濃 い色 に統 一 する こ と によ っ て, 前 述 の6.1 の建 造物 に施 さ れて いる 隅石 風 の 効 果 を 考 え た も の で. あろう. 羊藁がありイギリス積であるが壁厚は不明である. ) 0) 年の建造である (写真13 整理番号1 4の函館市文学館 (旧第一銀行函館支店) で1921(大正1 . 前掲書 93(平成5) 年, 文学館に生まれ変わる際に 9 ( )によれ ば骨組みは鉄筋コンクリートで壁体は煉瓦である‐ 19 壁 の 表面 をチ ャ コー ル グ レイ のタイ ル に したという‐ 確 かに 光沢 がある‐ 小 口面 の 連 続 は繊 密 さ と 強度 面 の. 7 )の掲載写真からも小口面が連続していることから組積方法は継承されている 確かさを感じさせる. 前掲書( し, また色彩的にも花岡岩の白色と煉瓦の色 (当時も褐色か) から重厚な感じを受ける‐ 信頼度を重視する 金融機関の建造物の要件を満たすものであっ た. 壁体全部を ドイツ積にすると煉瓦の使用個数が増加するの で, 東京駅や岩手銀行中ノ橋支店も ドイ ツ積であるが壁体の組積方法が異なっている. 旧第一銀行函館支店 も建造当初は壁表面は本物の煉瓦の小口面の連続であったに違いない. 今回の調査では唯一の ドイツ積であ る‐ 壁厚 は 不 明 であ る‐. 7. 調査建造物の組積方法と壁厚, 煉瓦寸法について 組積方法は圧倒的にオランダ積が多い. 小口面のみの段と長手面のみの段が交互になる積み方でこれはイ ギリス積においても同様だが, それぞれ隅部に羊葵 (イギリス積) を使用するか七五 (オラン ダ積) を使用 するかで異なる‐ その他の組積方法に比較して簡単で手早く作業ができるし, 羊美よりも七五を作る方が簡 単で積みの作業も簡単であったろうから, 多少装飾 生も加味してオランダ積が必然的に多くなったのだろう. 装 飾 性 では優 れて いる と判 断する フ ラ ンス 積 で は, 全面 同 一 の 積 み方 を している の が整理 番 号 5 ・ 6・21で. 4・38は十勝沖地震後一部オランダ積に改修したよう である‐ 整理番号40について は前述 ある‐ 整理番号3 116.
(14) . 技術史教育の教材研究 (第2報). (6. 2 節) の と おり 玄 関 部 分 の壁 がオ ラ ン ダ積 である. ドイ ツ積 は作 業 の 困難 さ か らか1建造物のみであっ. た‐ この積み方は全国的に見ても多くはないだろう. 次は壁厚であるが, 2枚・1. 5枚が多いのは煉瓦建造物の強度を維持するには最低必要な条件であろう. 中には整理番号42のように下部が4枚, 上部が3枚という例もある‐ 初代の木造の聖堂が1 907(明治4 0) 年 の大火で消失する という災難に遭遇した経験を生かして建造されたものであろう. 逆に半枚 (0 5枚) が整 . 8である. いずれも木造骨組みの倉庫で外壁の板に沿って煉瓦を長手積し, 要所要所を止め金で 理番号2.1 押さえている. 簡易ながら防火建造物と しての使用目的があっ たのだろう. 煉瓦寸法については前記の一覧表を建造年順に並べ替えても傾向が分からない. 前述した如く-建造物の 使用 煉瓦 全部 が必 ず しも 同 一 寸 法 で はな い. 前掲 書( 4 )にお い て も 「昭和 に はい っ て か ら以 降も古 いタイ プの. 大ぶりな煉瓦が製造された可能性もあるため」 と寸法による時代判定の困難さを述べている‐ 加えて函館は中華会館のように十勝沖地震で一部崩壊した建造物が多く修復したことを調査中に何度か聞 い て いる.. 8. お. わ. に. り. 函館市西部地区の5 0に近い煉瓦による建造物に出会っ た. 多くが市の 「歴史的建造物」 等に指定されてい るが, 中には調査期間中に解体された倉庫もあった‐ 調査に多少の困難が伴うことは当然だが 50年から1 2 , 0年近くも経過している対象物 であるから, 現在は持ち主が移住して無人化している住居があっ たり また , 住 人 はい る がそ の住 人 に と っ て は2 ・ 3 世代 前 のこ と だ っ た り 全く 無 関係 の住 人 だ っ た り して 建 造年 を , ,. 確認したり壁厚を測定することができない等のことがあっ た. その点, 公機関や有力な商店等の建造物は複 数の文献に必要事項が記載されていて参考になった. 度重なる大火への備えと脆弱な地盤ゆえに壁厚に充分注意を払っ たことがわかる. また組積方法では作業 が比較的簡単なオランダ積が多いのは経費や施工期 間から考慮して多く採用されたことが分かる しかしそ . の中でも公機関や金融機関また資産家の住居等は, それぞれ権威や信頼それにステイタスシンボルとしての 表 現 と して フラ ンス 積や ドイ ツ 積 が採用 さ れた と 考 え ら れる.. これらを可能にしたのは船による交易, 漁獲の集散地, それに関連する産業が盛況になり その期間に経 , 済力を蓄えたことにあるだろう‐ 身近にある技術遺産は様々なことを語っ ている‐. 引. 用. 文. 献. ( 1 ) 井上平治・川本隆之・後藤信夫, 技術科教育における技術史の展開 (第2報) 一製塩技術史と塩の利用- 北海道教育大 , , 学紀要 (第1部C) 11 1 , 第46巻第1号, p. , 1995年.. ( 2 ) 井上平治, 技術史教育の教材研究-産業革命における繊維産業の役割- 日本産業技術教育学会北海道支部研究論文集 , , 第11号, pp. 26 30 ‐ , 1998年.. 3 ( ) 越野武, 北海道における初期洋風建築の研究, 北海道大学図書刊行会 p 3 0 9 9 3年,「函館区史」 より. , . ,1 ( 4 ) 水野信太郎, 日本煉瓦 史の研究, 法政大学 出版局 19 , 99年.. ( 5 ) 遠藤明久, 函館常備倉考 (第1報) 8号,1 4年. 9 6 , 日本建築学会論文報告集, 第9 ( 6 ) 遠藤明久, 函館常備倉考 (第2報) 9号,1 9 6 4年. , 日本建築学会論文報告集, 第9 ( 7 ) 川島龍司, 函館文化財シリーズ-第3集-はこだての文化財古建築編 函館市文化財保護協会 1 1年. 7 , ,9 8 ( ) 函館市教育委員会, 函館市西部地区の町並 (元町・末広町地区伝統的建造物群調査報告) 函館市 1 8 3年. , ,9 9 ) 角幸博監修, 函館の建築探訪, 北海道新聞社,1 ( 9 9 7年. Q ) 白山友正, 武田斐三郎伝, 北海道経済 史研 究所 p. O 8 1年. , 6 , 197 117.
(15) . 井上. 平治・三浦. 俊一. O ) 6 8 ( ) 前掲書Q 1 1 . , p. 210 5年. 2 Q ) 上磯 町史編纂委員 会, 上磯町史, p. , 197 1 5 ) 5 ( 1 3 ) 前掲書( , p. . 85年‐ 6 4 ( 1 4 ) 高杉洋三, 高杉家の歴 史-風雪100年の歩み-, 私家版, p. , 19 6 書 ( の 4 Q 5 ) 前掲 1, p. ‐ 10 90年‐ り 曾田金吾, 北 海道港湾労働 史の一端-主に函館港の荷役 と倉庫 につ いて-, 私家版, p. Q 6 , 19 6 3 8 1 9 1 0 1 0 7 1 1 1 行会 図書刊 昭和函館 ( ) 須藤隆仙編, 5ふる さとの思い出写真集明治大正 1 7 , , p. , , , , 78年. ( 1 8 ) 函館市消防本部編, 函館消防沿革 史, p.9, 1989年‐. (*本学教授. 118. 函館校, **函館市湯川中教諭).
(16) . . 技術史教育の教材研究(第2報) 、 . ・ ● . - 、 . - . ・ ‐ . ・ ▼ . ・ ・ . ・ ‐ . ● . ・ ‐ . ・ ● ‘ . ・ 、 ● . ・ 、 . ‐ ● . ・ ・ ‐. キ鮪群 f キベ綿雪,ナ 瑳 セー謡離縁で喜 ぼぎ .. 澱 館. 鼎 下ル. ー ー蓋. r函館の建築探訪一 卿. 写真1. 滋 議. -, .. .- 3-a. ご. 明治七年’ 明治八年が見える. 写真3. 市立函館博物館郷土資料. ’ .’一; 総 鯛≧ 蔓 “ 3-b. 明治九年が見える. 旧開拓使函館支庁書籍庫刻印煉瓦. 館 (旧金森洋物店). 一 -. 【 三 も ご. ー 甑” .デ リー キ ‐ = - . ・ . . F 誓f # !′. -絹 当 . 4-a. 管理事務所. 写真4. 駁 し , ▼ ▼ ▼ ▼. ,, 議 --「 - w. 2ーb. 長手穣. 函館市水道局配水管理事務所. , { みぬ. 玄関 (手前) オランダ積 書籍庫壁体 (後方) フランス穣. 写真2. 4ーb. . 旧開拓使函館支庁書籍庫. 7ーa. BAY 函 館 館 2 号 館. 7ーb. フ ラ ンス 横. 写真7 BAY函館館2号館 (旧日本郵船倉庫). . --平≠≠* - !’ , 「 ▼ !. 、国. 5-a 14番倉・15番倉. . ・ . 1」 : 1, . . 藷 鮎蟹暇おか 誌で - 11 1 . 1 を ′ , - . . 5ーb 14番倉・15番倉扉側. 写真5. 5-c. オランダ積. 函館倉庫株式会社倉庫 119.
(17) . . 井上. 平治・三浦 俊一. . . ・ . ” ” - ” “ ” ” ” ” “ ” . ”. ・ =● ” ” . ・ ハ . ” . r . “ ” … ● ● … ▼ … ー } \ 、 \ ; : 「 、 \. . . . 、 ミ\ ミ ニ 、ミ ÷ こご: - --. 8-a. 8ーb. 中華会館. 8ーc イギリス積. オランダ積. 写真8 中華会館. . . i 三十 ,重 十 三 - . . L. . ー- ト-. 9-a. 9ーb. 日東中村製鋼所. オランダ積. 写真11 ミー トハウス別館袖壁. 写真9 日東中村製鋼所. ′ - ー - -r ノ 1. ト r L=十十 $ 1 三 . ,. . r ≦ -. !. :. 10-b. lo-a 橋谷家袖壁. オランダ積. . ミ デ ≧- ヂ ー三・ -. キ 三ニ , き『 1艶樗 ま ーに な;情 ~ . 写真10 橋谷家袖壁. 12-a. 」 . 山崎陽蔵家倉庫. -. 耀 き -; : = 間 - 一, -- 悩一… ” , ‐ .. 13-a. . 函館市文学館. 13- b. ドイツ積. 写真13 函館市文学館 (旧第ー銀行函館支店). 120. - ・ ー ▼ ▼{ ” ニデ . ト ー 、 ▲ん . 12-b イギリス積. 写真12 山崎陽蔵家倉庫.
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