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文学教材におけるテクストとイメージ : 『一つの花』をめぐって

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(1)Title. 文学教材におけるテクストとイメージ : 『一つの花』をめぐって. Author(s). 鈴木, 信義. Citation. 北海道教育大学紀要. 第一部. C, 教育科学編, 37(1): 83-97. Issue Date. 1986-10. URL. http://s-ir.sap.hokkyodai.ac.jp/dspace/handle/123456789/5012. Rights. Hokkaido University of Education.

(2)    . 文学教材 にお ける テク ス トとイメ ー ソ ‐ 一つの花』 をめぐっ て −− −− 『. 鈴. 木. 信. 義. はじめに 昭和60年8月, 月刊 『教育科学 国語教育』 主催の 「第一回国語教育改革会議 −− 文学教材を なぜ国語科授業で扱うの か −−」 に参加, 全国大学の国語科教育に関 わる教官18名と7時間にわ 〉 現在の国語教科書における文学教材の扱いについて根本から考える機会を得た. たる討論をし,く注1 本論は, そこでの自分の立場を更に発展させ, 実証するために試みるものである, 私見によれ ば, 小学校国語教科書に, すぐれた児童文学作品をあくまで原作の芸術性を損わずに 忠実に取り入れ, どんな低学年においてもそれなりに文学の教育というべきものが行われうる条件 注2 〉 問題は 現在の教科書を飾るすぐれた児童文 が整っ たのは昭和5 0年代に入ってからであっ た.〈 , 学を扱うのに, 従来のような単な る読解指導では処しきれないことは確かで, 教材の文学性・文芸 性をよく見据 え, その言語作品としての多義的な美性にいかに迫って行くか, また, 学習者=児童 読者という観点から, 子 どもたちをいかに意欲的で活発な言語活動へと向かわせるべきか, その授 業のあり方・方法を慎重に探って行かなけれ ばなるま い. こうした意昧で, ここでは, 文学教材と しての 「テクス ト」 と読者のイメージを中心に, 小学四年生の教材 『一つの花』 を例にして考察を 進 める こ と に す る.. 1 テクス トとイメージ 1. テクスト言語学の知見 文学教材を考えて行く場合, 従来無意識に使っ ていた 「テキスト」 という言葉とは違 っ て, 意識 的に 「テクス ト」 として論 じて行きたい一 それは, 最近のフランス, ドイツを中心とする 「テクス ト」 論の立場を支持したい からである. そもそも, 人間の言語活動とその対象という面から, 単な る 「作品」 と 「テクス ト」 を区別し, 「テクス ト」 の意味に新しい光を投げかけたの はロラン・ バ ルトであっ たと思われる. 彼は, 「作品は物質の断片であって (たとえばある図書館の) 書物の 空 間の一部を占める. 『テクス ト』 はといえ ば, 方法論的な場である.」 とし, 「『テクス ト』 は, ある 作業, ある生産行為の なかでしか経験されない.」 のであって, それは読者に実践的な協力 を要請 するとする. 即 ち, 読者はテクス トを生産し, もてあそ び (演奏し) , 解体し, 行かせるものであ 注 3 〉 く また, バルトによれば, テクス トは記号表現による 「織物」 と見なされ, 「こ るべきだという. の不断の編み合わせを通してテクス トが作られ加工されるという, 生成的な観念」 をもつものであ 83.

(3)  . 鈴. 木. 信. 義. 〉 る と い う,〈注4. バ ル トのテクス トに関する論は読者の立場を強く 前面に出していて衝撃的であるが 一方 こう , , した読者による受容作用の 面を重視しながら, テクス トの産出や構造との関係にまで及んで精微に 理論化し, テクス トの意味を一層深く問い直そうとする立場に, 最近の ドイツを中心とするテクス ト言語学の立場 があるようだ. たとえば, W ・イーザーの 『行為としての読書 −−美的作用の理 論一−』 も, こう した中から生み出されたもの であり, 私も既にこのイーザーの考えに基いて教材 〉 の 分 析 を 試 み た こ と が あ る.く注5. と こ ろ で, 今, S ,J , シ ュ ミ ッ トの 論 を こ こ に 述 べ れ ば, 彼 は作 品 テ ク ス トを 「美 的 コ ミ ュ ニ ケ −. ショ ンの客体」 と見なし, それは多価性・多義性・多機能性をもっとする. その際 特徴的な条件 , と しては, 一つには構文的・形式的なテクス トの戦略の強調ということがあり 今一つは 通常の , , 情報的なコミュニケーショ ンでは支配的である受容の仕方を 指示する部門を縮小することであると いう, したがっ て,・ こう した作品テクス トの美性を実現しようとする受容者は, みずからも意識し て 生 産 的 にな ら な け れ ばな ら な い. 即 ち, 自 発 的 に テ ク ス トに か か わ り 作 品 テ ク ス トが テク ス ト ,. 特徴に由来する有意味な役割を 演じうるような, 適切な 「コミュニケーション ゲーム」 を創出しな 〉 け れ ばな ら な い と す る の で あ る.〈注6. こう して文学作品を 「美的コミュ ニケーショ ンの客体」 とみなし, その有意味な 「コミュニケ− ショ ンゲーム」 を成就するにあたっ て, テクス ト構造についての有効 で示唆的な分析を試みようと す る 人 に ハ ラ ル ド・ ヴ ァ イ ンリ ヒ が い る. 彼 は コ ミ ュ ニ ケ ー シ ョ ン過 程 を 考 え る の に コ ミ ュ ニ ケ − , シ ョ ン (C) .指 示 (1) , , テクス ト (T) , という言語学上の三つの基礎概念をもとに C −1−. , 〉 文学コミュニケーシ ンの場合 まず作者が作品を作り出す様々な間主体 T 言語学を唱える.く注7 ョ ,. 的行為が読者に対して実用的な諸 条件をつけるのであり, また, 印刷上の特徴や, 空白, 符号 見 , 出 し等にいたるまでテクス ト要素と して働く, テクス ト中では, .言語記号がそれぞれ相互に限定し 合 っ て テ ク ス トを 作 り, 錯 綜 し た 編 み も の ・ 織 物 と な っ て い る の で, こ れ を と き ほ ぐす に は 単 に ,. 語のもつコー ド的意味とテクス ト意味 (意義) が区別されねばならな い. その際, テクス、 ト意味論 にと って有効と思われる方法に, テーマにそ って, 特定の意味上の集合体毎にまとめ られた語藁素 , 単語の網, イ ゾトピ− {語野) に注目することがあるとするが, 私は既に, この観点から教材 『 1 一 1 〉 と ノ リ オ』 の テク ス ト論 的 分 析 を 試 み た こ と が あ る.く注8. ヴァイ ンリヒに従え ば, 作品テクス トでは, 話者 (作者) が当該コミュニケーショ ン状況の中で 聞き手 (読者) に伝えようとする 「指示」 は複雑であり, それを捉えるには, 個人と対象との多層 な間主体的行為を伴っ た入り組んだ状況の中 で, まず, 感覚的な知覚・記憶・想像などのデーター の集積 が第一次データーとして容認されることになる. そ して, こうした第一次資料の集積の 看 , 過できないが見通し困難な複合体 である当面するコミュ ニケーション状況の中で, 聞き手(読み手) を導き, 方向づけ,.有意味な対応と行動を可能にするのが言 語記号による 「指示作用」 である. そ の際, テクス トのすべ ての要素が, 指示, より正確には意義指示に際しての指示のひとつひとつ と して把握できるとする, 読者はまず, 「表題」 を, マ クロ言語的な期待への指示と みなす. これらの 期待を背景と して, テクス トの線的なつながりのなか で語のひとつひとつをうけとり, 特定の構造 (イ ゾトピー, 範列) に従っ て分類する. それらの語を指示, たとえば自分の記憶ある いは想像を 働かせるようにと, 新しく態度を決定させるような指示としてうけとるのである, こう して読者は , 彼自身のもつさま ざまなもの, 学校の授業や自ら観察の結果獲得した知識の集積, 異なる人生体験 の貯え, そして最後には限りなく拡がる想像力の産物等から, 作者の指示に従 って 彼にとってこ , の世界の一部を意味しうるなん らかの構造と秩序組織を作り出しながら読み進む, その際, 表題が 84.

(4)    . 文学教材におけるテクストとイメ ージ. 読者に作り出した情報の期待が裏切られるのを常とするが, これこそテクス トの周到な策略なので あ る.. ヴァイ ンリヒによれ ば, 「物語ること」 とは, 「特定の言語的法則に従って構造をつくり上 げてい る.」 ことであり, また, 「これらの構造がこのテクス トのテクス ト性を形成し読者に働きかけてい る,」 ことなのである, 一方, 読者はそれに応 じ, 「語の連鎖を自分の対応によって有意義な指示の 総体としてつくり上げる」 のであり, また, 「この指示の総体に応じて自己の新 しい立場を定める」 と い う こ と に な る,. 2, 文学教育とイメージ 文学教材をテクス トとしてとらえ, 読者としてのその受容の仕方, 構造分析のあり方, 国語科教 育への応用等について考察を進めて行こうと するわけだが, その前に, 従来ともいわれている文学 教育の立場からこの問題への接点を求めたい. 国語科教育に常 に鋭い問題提起をし続けている田近淘一氏は, 近著 『文学教育の構想』 の中で, 文学教材において は感動体験を第一にあ げている, 即ち, 「文学教材は感動体験そのものと して, それとともにある,」 とし, 「感動体験はいかにして成立するかを問うことは, 文学教育はいかにし て成立するかを問うことでもある.」 とまで極言 しているが, 基本的に は全くその通りであろう. 更に氏は, 学習としての文学 の読みを考える場合, 「言語形象とのかかわり方 を学習させる」 こと は可能である と し, それは, 「言語形象の知的な読みほ ぐしによっ て感動が触発される」 ようなあ 〉 り方, 即ち, 「知的な読みの学習が, 文学性を啓蒙・陶冶して行く」 ようなあり方だとする.〈注9 氏は, 文学教材における学力にまで言及し, それを 「感動体験を成立せしめる形象的言語表現に 2 )イメー ジを 描く力 言語感覚,( 1 )リ ズム や語感を と らえる力 関する能力」 と してと らえ,( 4 )視点をとらえる力 −− 視座 3 )関係 をとらえる力 −− 虚構を再構成する力,( −− 表象化の力,( を転換する力, の四点をあげている. 氏の強調するのは, 「ことばを手がかりとして虚構世界を創 造する読みであり, 作品世界への転生を可能にする読み」 であるとして, 従来のあらすじや主題の 読み取りを中心とする文学的文章の読解力とは発想を異にし , , あくまで・「イメージ体験と しての虚 注o 〉 構世界への転生や参加, そこでの感動体験といっ た文学の読み」 を成立させようとする.〈 l こうして見ると, 田近氏が文学教材における学力としてあげる四点の中でも, 最も重要で基底を 2 )イメージを描く力 であるらしい. 氏はこれを, 別の著では 「像的認識力」 と なしているのは,( 「文学の言語は, 像 (イメージ) としてとらえられねばならないし, また, 呼び, 説明するのに,. そのことが, ものを像 (イメージ) としてとらえていく力を育てるのだと思われる, 文学の学習は, 1 く注1 > 言語のイメージ生成の側面を学 び, 像的認識力 を高めることでもあるのだ.」 としている. ところで, 田近氏なども当然のこととして使っているイメ 「ジという言葉について異論をさし挟 み, これを 「像」 といえるほどの全体的なまとまりをなすものとしてとらえてはいけないと主張す るのは, 教育学者宇佐見寛氏である. 氏によれ ば, イメージと は, 「ことばが学習者の直接経験 と 結 びつけて解釈されるという状態のこと」 , いいかえれば, 「ことばが, 学習者の内部に蓄積されて いる経験のどの部分に対応するかを学習者自身 が知 っている状態」 のことであり, 「こと ばと経験 との関係の様々なあり 方を一括してとらえるための語」 であるとする. 氏は, 「イメージを描く」 と称される場合について, これは 「像というような 全部分が具体的なものよりも, いくつかの特 徴 のみをきわ立 たせた論理的加工物になぞられた方が近いし, 心理的過程の中でいっ描かれたかを指 摘することはできないよう な 『準備のできている体制』 だという方が近い,」 という. したがって, 「イメー ジ」 は 「その 場 につ い て描く の で はなく, 文章につ いて確かめる べき もの」 で あり, 85.

(5)    . 鈴. 木. 信. 義. 「文一経 験の関係 の重要な 特徴を 次々 と発見 し組 み合わせて構造化 して いく思考」 であるとす 〉 る.〈注12. 宇佐見氏の論は, 従来文学教育の側において常識のように使用 してきた, イメージを文章中の語 によって作り出される 「像」 とする 見方からすれ ば, いささか奇異な思いがしないではない. しか し, 先に見た ヴァイ ンリヒの説のように, テクス トにおける言葉の指示作用と読む過程に思いを到 せば, むしろ首肯される面が多く, 学習の場にあて はめる際にも示唆に富む論といえよう. この間 の 事 情 につ い て, 以 下, 更 に 考 察 を 進 め る こ と に した い,. 3, イメージと経験, 先行知識 小説の読書過程におけるイメ ージのはたらきについて, 精細に分析し論じているのは, W ・イー ザー著 『行為としての読書』 である. イーザーは, 読書行為を受動的総合の過程として捉え, その 際の中核となるのがイメージであっ て, それは, テクス トの 「図式化された見解」 がひき起こす表 象行為の中心として, 「非在ないし欠如を対象とし, それを現前化する」 ものであるとする, なぜ なら, テクス トに示された準拠枠・図式は 「明示するところが少ないために空白形式をとり, 読者 はそこに自分の知識を好きなだけ配合して注ぎこむことができる」 ようになっているからである. 一方, テクス トの図式は読者の想像力に一つの形式を与え, 「読者のうちに喚起された記憶な いし は知識の蓄積に枠をはめる」 という 関係になっている. つまり, 読者の知識・経験からなされるイ メージ作用のありよう はテクス ト図式によっ て規制されるということであり, イーザーの言によれ ば, 「テクス トは, その図式を通 じて, 個々の読者の経験史に呼びかけているが, それをテクス ト 独自の条件に合わせようとする」のであって, しかもその図式は,(読者の知識の蓄積による連想の) 否定, 棚 上げ (保留) , 部分的ないしは全面的な抹殺を目的とするところ が多いとするのは, 後の 3 〉 私の作品分析とも関わり注目してよい.く注1 イーザーの論に関連して考えられるのは, 教育の場における読解指導について, 最近認知心理学 者達が 「個人の経験」 と 「先行知識」 を重要なものとして取り上げようとする試み である, たとえ . 波多野誼余夫氏が第19回児童言語研究会夏期アカ デミー で講演した 『読解における個人の先行 ば, 知識と相互交渉』 など, 示唆に富む論である, 氏は, 生徒各自の経験の 中から, スキーマと呼ぶ− 般性をもっ た先行知識を授業の中 でうまく引 っ ぱり出してやることが, 読解指導にとって重要なこ ととする. スキーマとは, イメ ージをまとめ, 行間の意味や話の展開を生き生きと想像したり, 推 論や予想をし, より深く理解する手がかりとなるもの である, ただし, 文学作品の場合にはスキー マ が÷つ と は限らず, からみ合って複雑な全体をな しているのが特徴であって, スキーマと部分的 な ズ レがある場合や, いくつかのスキーマが同時に呼び出される場合にこそ高次のおもしろさがあ るのだといえるらしい, また, 教室の授業では, 複数の子どもたちの相互交渉によって, 視点の違 〉 4 い が明 ら か に さ れ, こ れ が 刺 激 と な っ て 知 る 喜 び が増 幅 す る の だ と い う. 鑑1. そもそも, 認知心理学者達の論は, ピア ジェ理論を読解過程へ適用 しようとするものであ り, 久 原恵子氏によれば, そこでの読解と は, 「読み手が自分のもっ ている知識を使って, 文章材料に働 きかけ, 知識と材料との相互交渉を行い, その結果, その文章内容に関する解釈を構成する過程で ある,」 ということになる, 氏によれば, ピア ジェ 理論は更に, 読解の際に読み手が使う先行知識を, 文章内容に関連する特殊な先行知識による同 化と調節の過程と考える修正 ピアジェ派理論, あるい は, この文章内容に関連する特殊な先行知識をスキーマ として扱うスキーマ理論等になり, 心理学 者達による実験的研究が続けられているようだ.そこで明らかにされる読解指導への示唆としては, 「適切なスキーマ を使っ て, 推論したり, チェック したりしな がら, 解釈を構成する過程を充分に 86. ..

(6)    . 文学教材におけるテクストとイメ ージ. 蓬験させる」 ようにすることであり, その際, 適切なスキーマを呼び出すような働きかけを工夫す ることが必要なのであっ て, 題, 見出し, さし絵, 要約, 解説などがその手がかりになる. また, 采い読みには, スキーマを使って文章内容を整理し, スキーマによる推論をし, 構成された表象と 注1 5 〉 文章内容とのチェックをし, 修正した解釈を作り上げるという活動が含まれるのだとする,〈 認知心理学者達による, ピアジェ理論からヒン トを得てそれを読解指導という学習の場に生かそ うとする方法は, 文学テクス トのイメージと個人の経験・先行知識を一層効率的に結 びつけようと するため, もっ と一般的普遍的なスキーマという考え方をもちだしていて注目すべきである, しか し, 波多野氏も指摘する如く, 文学作品の場合にはスキーマ が複雑にからみ合って全体をなしてい るのが特徴であって, 未だ普遍化されない個人の経験・先行知識も入り込む余地があり, それ故に 園性的で一層深いイメージ構成行為・言語活動へと誘うことも可能なのであろう.. 1 1. 「一つの花」 のテクストとイメー ジ∼学生の意識を手がかりにして∼. 1. 『一つの花』 のテクスト構造分析 今, 小学校四年生の教材 『一つの花』 (今西祐行作) を取り上げて, 前章で問題にしたことを具 本的に考察して行きたい, またその際, 末尾に付 したこの教材に対する学生の意識調査を適宜参考 に す る こ と に す る, 一 つ は テ ク ス トと 読 者 の 関 係 を 立 証 し た い か ら で あ り, 今 一 つ に は 教 材 と し て. の授業展開のあり方を探 っ て行きたいからである. 教師をめざす学生達は, 未熟だがその発想は自 主で, 読者と して子どもと大人の間を自由に行き来でき, しかも, 物事の根本原理に触れることを 頼っている存在であると信ずる, 『一つの花』 は, 教材にとられることの多い今西作品の中でも特に純度の高いもので, 子どもの C ・をとらえる暖かな精神が, 彫琢された文体のうちに語られていて, 児童文学としての一つの完成 体をなしているといってよかろう. 昭和26年 『教育技術』 誌に発表され, 昭和31年4月処女作品集 『空のひつじかい』(泰光堂) に収録されたものである. ●を見ると, 1 ところで, 今手に入れることの できる借成社文庫版 『空のひつじかい』 (昭和5 . 4) 途中に一行アキがあっ て, 戦中と戦後の二段構成にな っている, しかし, 現在広く行きわたってい る他のテクス ト, 実業之日本社版 『太郎コオロギ』(昭和44) , 講談社文庫版 『ヒロシマの歌ほか』 (昭和51 . 3) 所載のものでは, いずれも, 戦中の部 . 6) , ポプラ社文庫版 『一つの花』(昭和58 分に更に一行アキを設けて, 三段として構成されている. 昭和58年度版教科書の, 教育出版社, 光 村図書, 日本書籍3社のものでも全て三段構成になっており, これが子どもが教室で読む際のテク ス トの実用的条件を規定しているといえよう. その内容上の構成を要約してみると, 次の通りである, L 戦時下における食糧欠乏の生活ぶりと, 「一つだけ」 が口ぐせになってしま ったゆみ子. 1 n( ) , 一 つ だ けの 喜 び し か 知 ら な い ゆ み 子 へ の, 母 と 父 の い と し み の 情.. 2 ( ) , 父の出征の見送り に, 何も知らないでむずかるゆみ子と, 母の気づか い, 又, 一本のコスモ スに思いを託す父. m, 十年後の母と娘だけの家庭と, コスモスに包まれたゆみ子の明るい姿, 以 下, ヴ ァ イ リ ン ヒ の C −1− T 言語学にならい, テクス トにおける言葉の指示作用 を通して 87.

(7)  . 鈴. 木. 信. 義. テクス トの意味・意義に近づく方法を 考察してみることにしよう. それにはまず 上述の三段構成 , の各場面をおさえる言葉と して, 1 「まだ, 戦争のはげしかっ たころのこと です,」 「そのころ」 , 虹( 1 )「ある時」 2 )「それからまもなく」 , n( , 皿 「それから, 十年の年月 がすぎま した.」 と, 時に 関係する副詞や接続詞に気をつける必要がある. 次に, このテクス トでは文末表現に注目すべき特徴があり, エ段 では 「でした.」 ,(1−6, n− 1, 皿−0) 1一16, 皿 − 5) I段では 「ます.」(エー0, ロー , 江段 では 「ま した.」{エー3, 1 ,D 0, 田−4) が多い, このことについて, 甲斐睦朗氏は, 「でした,」 は 「事態を反省し 概括して , 提示する働き」 とし, 「ま した.」 は 「進行する事態がそれと して表現される.」 ものであり 「事態 , の展開を 具体的に語ることと関係している」 とする. 一方 「ます,」 は 「この作品の世界が<いま , , , 6 〉妥 当 な 見 方 と い え る こ こ > を 基 点 と し て 語 ら れ て い る こ と と 関 係 して い る」 と 述 べ て い る が く注1 , . 7 〉 こ の 物 語 は ま ず 「で し た 」 こ の こ と は, ヴ ァ イ ン リ ヒ が 述 べ る 時 制 の 「移 行」 と 見 て よ く 〈注1 , ,. として事態の概括的・回想的陳述から始まり, それがテクス トの 「テーマ性」 を形作 っていたのが , 亘段目か らは 「ました.」 に移行 し, 「レーマ性」(情報の新しさ) を提示 することによっ て切迫し た事態の進行を語り, 読者をひきこん で行く. m段では文末が 「ます,」 となって 語り手が読者 , に 話 しか け て い る < い ま, こ こ > か ら の 情 報, つ ま り 新 し い レー マ性 で あ る こ と を 明 ら か に す る .. 更に注意されるのは, こう した時制の移行の中に挟み込まれて 「です,」{エー 2 江 − 2 l , , n【 1) があり, それは 「こと です.」 「の です,」 として語り手の特別な思いを託す言葉となっている 又 . , 「でしょうか.」 も各場面に均等に挟み込まれ (1÷1, ロー1, l n−1) , 客観的で抑制のきいた 描写を思わせるとともに, 読者に問いかけて いて効果的である. 更に, n段では, 「……,」 で終る 文末が三度出ており, 余韻を残し, 切迫した事態に深い思いをこめている. これら文末表現の時制 の テ ー マ 性 か ら レー マ 性 へ の 移 行, そ し て 様 々 な 効 果 を 与 え る 表 現 が, 全 体 と して こ の テ ク ス トの テク ス ト性 を 作 っ て い る と い え よう.. 更に, 状況を転換させ深いテク ス ト意味へと誘うものとして, 注意すべきもの に逆接の接続詞が あ る, 即 ち, 江 段 に お い て は 駅 の ホ ー ム で の 「と こ ろ が」 が そ れ で あ り む ず か っ て いたゆみ子の ,. 心がしばらくな ごんだ後, 父の出征する汽車が入ってきたぎり ぎりの所 で 「一つだけち ょうだい 」 , , を再び発したために,父が一つだけのものとしてコスモスの花を残そうとする重 要な転換点である . また . , m段で戦後のゆみ子が母と二人だけの生活を説 明する際の 「でも」 は, 西郷竹彦氏が 「否定 8 〉 で あ り 「ゆ み 子 は お 父 さ ん の 顔 も お ぼえ て ま せ ん 態」 と 称 して い る も のく注1 い , . … … で も … …」. の構文は, 書かれてはいないが父の戦死を 暗示し, しかもその顔も覚えて いないという二重の否定 的表現効果を受け, <でも>, 父の願い, あるいは父の心は母を通して生きており そんな母の愛 , に包まれて幸せそうだなあというような つながりが考えられるとする, こうした 「矛盾する二つの イメ ージが読者の胸 の中で葛藤する」 という 「劇的なイメ ージ」 を惹き起こすのがこの<でも>で あ り, そ こ に ふ く み ・ ふ く ら み ・ 厚 み を も つ 芸 術 と し て の 独 得 の イ メ ー ジ世 界 を 作 り 出 し て い る ,. とする 西郷氏の説は全く妥当なもの であろう. 最後に, テクス トの全体構造と言葉の指示 作用による読者の構成行為のありようについて考察し たい, ヴァイ ンリヒによれば, まず表題を 「マクロ言語的な期待への指示」 とみなすが この作品 , の題名「一つの花」は殊に象徴的 であり, それぞれの読者がもつ花のイメージと内容への期待も様々 だと思われる, そして, 文学テクス トにおいては その題名 への期待が 物語の進行につれ 語り , , , のス トラテジィ (計略) によっていかに否定され, 意外性が露呈され 美と真実が発見されて行く , か に 注 意 しな け れ ばな ら な い. そ の た め に は こ の 物 語 の 中 で 読 者 の 心 を と ら え る い く つ か の 関 , , ・. 連するセリフや叙述を押さえ, これを手がかりに構成 行為を行ってみることだ. 88.

(8)    . 文学教材におけるテクストとイメ ージ. [ ① 「一つだけちょうだい.」 /これが, ゆみ子のはっきり覚えた, 最初の言葉でした. ② 「一 つ だ け … …. 一 つ だ け … …,」 ∼ ゆ み 子 は し ら ず し ら ず の う ち に, お 母 さ ん の, こ の 口 ぐせ を 覚 え て しま っ た の で す,. 1 )③「なんてかわいそうな子でしょうね, 一つだけちょうだいと言えば, なんでももらえると思っ 1 ( て い る の ね,」 / あ る 時, お 母 さ ん が 言 い ま した, ④ 「∼ み ん な 一 つ だ け. 一 つ だ けの 喜 びさ, い や, 喜 び な ん て, 一 つ だ っ て も ら え な い か も し れ な い ん だね. ∼」 / そ ん な 時, お 父 さ ん はき ま っ て, ゆ み 子 を め ち ゃ く ち ゃ に 高 い 高 い す る の で し た, ( 2 )⑤ お 父 さ ん は, ∼ わ す れ ら れ た よ う に さ い て い た コ ス モ ス の 花 を 見 つ け た の で す, ∼ お 父 さ ん の 手 に は, 一 輪 の コ ス モス の 花 が あ り ま し た, / 「ゆ み, さ あ, 一 つ だ け あ げよ う, 一 つ だ け. のお花, 大事にするんだよう……,」 ⑥お父さん は, それを見て, にっ こりわらうと, 何も言わずに汽車に乗っていってしまいまし n. た, ゆ み子 の に ぎ っ て い る 一 つ の 花 を 見 つ め な が ら… …. ⑦ で も, 今, ゆ み子 の と ん と ん ぶ き の 小 さ な 家 は, コ ス モ ス の 花 で い っ ぱ い に 包 ま れ て い ま す. ⑧ ∼ ゆ み子 が, ス キ ッ プを し な が ら コ ス モ ス の トン ネ ル を く ぐっ て 出 て き ま した,. 上のように抜き出してみると, 題名 「一つの花」 への期待とは違って, 戦後の豊かな生活 に慣れ ヒ子ども読者にとって全く異様な 「一つ だけちょうだい,」 という幼いゆみ子の言葉からはじまっ ごおり, 戦中の苦しい生活を物語る中, それがゆみ子の口癖になった事情を知る (①②) , 続いて, そう した家族の破局, 出征 ;の 「一つ だけ」 をめぐって, 父と母の娘への思い が強まり (③④ する父との離別の場面で初めて一本のコスモス が姿を現わす (⑤⑥) . 十年たっ た戦後, 成長した ゆみ子のコスモスの花に包まれて幸せそうな姿 (⑦⑧) は, 父の残した一本のコスモスと映り合い, 夏雑で, まぎれもない美と真実の姿を作り出している, ヴ ァ イ ン リ ヒ に よ れ ば, 文 学 テ ク ス ト は 複 雑 に 入 り く ん だ コ ミ ュ ニ ケ ー シ ョ ン 状 況 を 呈 して い る. Dであって, 読者は, テクス トを構成する言葉の複合体の中から, 特定の構造をもった指示作用に 志じ, 各自の対応によって有意義な指示の総体を作り上げ, 自己の立場を定め, いわゆる 「作者が 与える文学的指示 を遂行する」 のである, その際, 読者は, それぞれ 「異なる人生体験の貯え」 や 「限りなく拡 がる想像力の産物」 をも含んで, 記憶・想像を働かせながら作者の指示に従うのであ り, それによっ て, 「この世界の一部を意味しうるなんらかの構造と秩序組織をつくり出 せる」 の 9 〉 『一つの花』 において は 各自の体験から来る記憶や想像力の働きとかかわらせて である,〈注1 , , コスモスのイメー ジをいかに深く とらえるかが, この作品と世界の構造, なんらかの秩序組織を作 り出す鍵となるのであろう, 少なくとも, どんな荒地にもすく っとさわやかに立ち, 長い茎の先端 ∼, 一 つ の 花 び ら が中 心 か ら 放 射 状 に, ま る で 子 ど も の純 粋 さ そ の も の を 思 わ せ て 咲く コ ス モ ス の. 形象と, 父の願いや戦後のゆみ子の姿をかかわらせることは容易であろう, 2, テクストと感動のしくみ −− 学生の意識を手がかりに −− 「文学教育は感動体験そのものとして, それとともにある.」 としたのは田近淘一氏であっ たが, すぐれた作品を教材として取り扱い, しかも作品個有の美性を壊すことなく与えようとするのであ るならば, 田近氏の言も当然のこととして首肯される, しかし, それがあくまで国語科学習の中で 行われるものであるか ぎり, 単に感動体験を与 えるだけではなく, 言語による深い認識 と, 更には 生徒各自の表現活動へと誘うものでなければなるまい. 89.

(9)  . 鈴. 木. 信. 義. と こ ろ で, 今 取 り 上 げ て い る 『一 つ の 花』−は, 小学校国語教科書の中で子どもたちの印象に強く. 残る作品であることは確かで, たとえば, 教科書研究センターの 「私と教科書」 応募作品の分析で 0 > も, 『かわいそうなぞう』 についで 『一つの花』 が主題題材として多く取り上 げられている.〈注2 問題は, それが入選作品とはなりにくいように, どの教室においても, す ぐれた表現活動へと誘う ような深い認識を与える扱いには困難が伴う らしいことである. 末尾に付した 「学生の意識調査」 でも, 小学校で習 っ たもの20名中で, 2① 「はじめて習っ た時の印象」 を聞いたところ, 「悲しく 暗い話で戦争はいやだ」 , 「優しいお父さんとお母さんだ」 等, 未だ浅いも , 「ゆみ子がかわいそう」 の に 留 ま っ て い る, 中 で も, 「特 に 印 象 を も た な か っ た. 忘 れ た,」 が20% も い る こ と は問 題 で あ る.. 北海道教育大学国語教育学会では, 現場の実践を通 しての教材研究を著書にしているが, その中 で, この作品を読み通した段階での子どもたちの感想に二つの片寄りが見られることを指摘してい る. 即 ち, 「『一つ だけちょうだい.』 といつも言っ ているゆみ子が育っ た状況に対する同情を示す もの.」 と 「『コスモスがたくさん咲いている家でしあわせに育っ てよかっ た,』 という安堵感をも つもの.」 の二つで, これらの感想 は表面的であり, 前半の部分や後半の部分に片寄っ た読みをし 注2 1 〉 まことにもっ ともな指摘であり 私の直接見聞した範囲でもそ ている子どもが多 いとする.く , の通りの反応が見られ, しかもその後の授業でいかに深められるか覚つかないのが現状らしい. 「学生の意識調査」 2②では, 大学生として, 「現在, これを読んでどう感じるか, 端的に記せ.」 と し て 記 述 さ せ て み た. ま と め て み る と, 「『一 つ だ け ち ょ う だ い,』 と い う 言 葉 し か い え な い ゆ み. 子の姿に, 戦争中の悲惨な生活が思われ, 複雑な思いがする.」 「父親の娘に対する思い (希望のよ うなもの) がコスモスの花に託されていることを痛いほど感 じた,」 「優しい父を失ったが, 戦後の 母子家庭には, 成長したゆみ子の姿に希望が見い出され, さびしさの中のあたたかさが救いとなっ て い る.」 と い う 順 に 多 い. 先 に あ げ た, 子 ど も の 感 想 に 見 ら れ る 二 つ の 傾 り が, 大 学 生 で は,. 戦. 時の悲惨な生活を思いやっての複雑な思いや, 成長 したゆみ子の姿をさ びしさの中のあたたかさが 救 い だ と して, 背 後 関 係 と 結 び つ け て 深 く 考 え ら れ て お り, ま た, こ れ を 結 ぶ も の と して, コ ス モ. スの花に託さ れた父親の娘に対する思いを痛いほど感 じているのは正鵠を得ているとすべきだろ う, 学生は更に, 「戦争中の悲惨さと現在の平和が対比され, 戦争への憤りを感ずる.」 , 「戦争中, 満足なことはできないが精一杯の愛情を注ぐ父と母, また, 親の心を知らない無邪気なゆみ子, こ う した家庭のあり方を しみ じみとかわいそう に思っ た,」 というふうに述べる が, こう した戦争と 平和や, 父母の愛情と無邪気な子どもの姿を, ありありと思い浮べ認識することによってこそ深い 感動へと導かれるのであり, 小学生にもこの道筋を何とか理解させてやらねばなるまい, しかも, この感動のよってくるところが, ′「さりげなく見事な文体」 や 「たんたんと語ることによってか えっ て戦争の 悲しさを強調」するところにあり,「大学生が読んでも考えさせられ, 印象に残る文学作品」 と な っ て い る か ら な の で あ る.. この作品における感動のしくみを考察するために, 読者がテクス トの網の目の中から, どの語句 や文に反応するものなのかを見ることにする. 「学生の意識調査」 3では, 「この作品を読んで, E P 象に残ることば (語句・文) を三点」 あげさせてみた. 結果は 「一つだけちょうだい.」(工段) が 49人, 「ゆ み. さ あ, 一 つ だ け あ げ よ う, 一 つ だ け の お 花, 大 事 に す る ん だ よう … ….」 46人 と, こ の 二 つ が他 を ひき 離 し て 圧 倒 的 に 多 い. こ の こ と は, こ の テ ク ス トに お け る 感 動 が, 最 も 直載 に,. 題名 『一つの花』 → 「一つ だけち ょう だい.」 → 「一つだけあ げよう. 一つだけのお花, 大事にす るんだよう…….」 という稜線上につながることを明らかにする. 今少し枠を広 げ, 印象に残るこ とばとして指摘の多いものを段落別に次にあげるが, 前の私のテクス ト構造分析と対応していてお もしろい. (以下, 数字は人数である,) 90.

(10)    . 文学教材におけるテクストとイメージ 工, 「一 つ だ け ち ょ う だ い.」 49 , 「一つ だ け … …. 一つ だ け … …,」 16. n①. 「この子は一生, みんなち ょうだい, 山ほどちょうだいと言っ て, 両手を出すこと を知らず に す ご す か も し れ な い ね,」 19, 「み ん な 一 つ だ け, 一 つ だ け の 喜 び さ. (い や, 喜 び な ん て, 一 つ だ っ て も ら え な い か も し れ な い ん だ ね.)」 18, 「そ ん な 時, お 父 さ ん は き ま っ て ゆ み 子 を め ち ゃ く ち ゃ に 高 い 高 い す る の で した,」 12. (あわてて帰っ てきたお父さ んの手には) 1 1②, 「 , 「ゆみ. , 一輪のコスモスの花がありました,」10 さ あ, 一 つ だ け あ げ よう. 一 つ だ け の お 花, 大 事 に す る ん だ よ う … ….」 46, 「ゆ み 子 の に ぎ っ て い る 一 つ の 花 を 見 つ め な が ら … …,」 19 m, 「で も, 今, ゆ み 子 の と ん と ん ぶ き の 小 さ な 家 は, コ ス モ ス の 花 で い っ ぱ い に 包 ま れ て い ま す,」 15. ところで, 高森邦明氏はこの作品における感動のしくみを論じ, 読者は作品の展開に従って四つ 注2 2 > 即ち ① 「一つ だけ」 を口 ぐせにするゆみ子 の感動のま とまりを経験して行くのだとする.く , をかわいそうと思う同情, ②ゆみ子を高い高いする父親の気持ちに対する 悲しみの共感, ③ゆみ子 と別れて出征する父親の悲しみへの同情と戦争への怒り, ④小さなお母さんにな って手伝う明るい ゆみ子への共鳴と満足, の四つである. この指摘は, 私の段落分けと, 上に見た 「学生の意識調査」 の印象に残ること ばとも符合するところ多く興味深い, 中でも, 氏の言う②③は, 私の段階虹①② に相当し, 学生の反応も最も多く大事なところである, しかし, 高森氏はこの部分のおさえを, 「父 親の気持ちに対する悲 しみの共感」 , 「父親の悲しみへの同情と戦争への怒り」 としているのは, 父 親の立場=大人読者の 立場に立っ た断定でありいささか気になる. テクストの全体構造に素直に反 応した時, こうした父親の悲しみの情はあくまでもゆみ子の無心な姿と等位であり, 緊張関係にあ る の で あ っ て, そ の 間 を 媒 介 す る も の と し て 一 本 の コ ス モ ス がク ロ ー ズ ア ッ プ さ れ, そ こ に 美 的 表. 現体としての文学テクス トの面目があるといっ てよい, 高森氏の言による と, ごみすて場のような所に 「わすれられたように」 咲いていたコスモスの形 容 に 深 い 意 味 がく み と ら れ る と し, そ れ は こ の 花 のイ メ ー ジを さ び し い も の に す る こ と に よ っ て,. 「その花を摘んだ父親自身の姿をさびしいものにしたのである,」という.確かに鋭い指摘であるが, 続けて, 「作者が父親 に, 貧弱なものさ びしげなコスモスを選ばせた意図 は, 一言でいえば, その コスモスの花に自分自 身の姿を象徴させよう としたというふうに見なくてはならない,」 とまで言 う時, 果たしてそんなにまで一義的にきめてかかっていいものか疑問である, 学生の反応は,「ゆみ, さあ, 一つだけ あげよう, 一つだけのお花, 大事にするんだよう…・ヤ,」 の部分において圧倒的に 高いが, それは, このこと ばに含まれる様々に複雑な美性に感動するからと思われ, 読者一人一人 がコスモスに対してもつ既成のイメ ージとも重なり, 活発な構成行為へとむかわせる要素を含んで い よう.. 3. コスモスのイメー ジと先行知識 −− 学生の意識を手がかりに −− こ こ で コ ス モ ス のイ メ ー ジ に つ い て 考 え を 進 め て み よう, テク ス トと イ メ ー ジ につ い て 前 章 で 考. 察したところをふり返れ ば, 宇佐見寛氏は, 「文一経験の関係の重要な特徴を次々と発見 し組み合 わせて構造化し ‐ていく思考」としていたし, 波多野誼余夫氏によれば, スキーマと呼ぶ一般性をもっ た先行知識 (ただし, 文学作品の場合は, それが複雑にからみ合った全体をなしている) がイメ ー ジをまとめ, 行間の意味や展開を生き生きと想像したり, 推論や予想をし, より深く理解する手 が かりとなるとしていた, 今, 作品 『一つの花』 に当てはめれ ば, まず題名が読者の経験に働きかけ 91.

(11)  . 鈴. 木. 信 義. て ス キ ー マ を 形 づ く り, そ れ が テ ク ス トを 読 み 進 む に つ れ て 「一 つ だ け」 と い う ゆ み 子 と 父 母 の ,. 思いによっ て変形され, 訣別の場, プラ ッ トホームで, 父 が娘に手渡 した一本の花 「わすれられ , た よ う に さ い て い た」 コ ス モ ス の イ メ ー ジ が 重 要 な 意 味 を も っ て ク ロ ー ズ ア ッ プさ れ る こ の コ ス .. モスのイメージ化は, 文=テクス トという網の目の中で, 各自の経験・知識と照 らし合わせながら 構造化されて行く, そのメカニ ズムのあ りようは, W,イ ーザーがいうように テクス ト図式に規 , 制され, 「テクス トは, その図式を通 じて, 個々の読者の経験史に 呼びかけて それをテクス ト独 , 自の条件に合わそうとする,」 のである, ところ で, 読者の先行知識を確か めるために, 「学生の意識調査」 4① 「一般に 『コスモスの花』 について, 君自身どの ようなイメー ジをもっ ているか記せ,」 と したものを見よう. 学生の記述は , 「弱々 しく頼りな げではある が, 一方, 清潔・清楚な感じがする,」 というように プラス面と マ ,. イ ナ ス 面 の 両 方 に わ た るイ メ ー ジ を あ げる も の が多 い, そ こ で ”ど ち ら か と い え ば マ イ ナ ス イ メ ー , ジ の も の” と “ど ち らか と い え ば プラ ス イ メ ー ジの も の” に 分 割 して 表 示 し た マイ ナ スイ メ ー ジ .. としては, 「弱々 しく頼りな げ」 「寂しげでわびしい」 「秋を感 じさせる花」 「めだたず ひかえ目 で , 地味な花」 「風に揺れ動く」 「もの悲しい」 「繊細ではかな げ」 「平凡で 珍 しくない花」 「忘れられ , たように咲く」 等々である. プラスイメージのものは, 「可憐」 「かわいらしい」 「美しい きれい」 , 「清潔・清楚」「やさしい感じ」「華やかさ, 華麗」「ほのぼのと暖か」「野原や荒地でも生きる」「風 に負けないしんの強さ」 等々と続・ く, 実は, 作者今西祐行自身が作品 『一つの花』 を書く動機となっ たコスモスのイメー ジについて記 3 〉 これと学生の意識を つき合わせてみると面白い 録 しており,〈注2 , 即ち, 今西は戦後焼け 野原の 東京で, 人々 が防空壕に トタン屋根をつけたような家に住んでいるのを 目にし 「ときたまそんな , み す ぼ ら し い 家 の ま わ り が, コ ス モ ス や オ シ ロイ 花 に つ つ ま れ て い る こ と があ り ま した、 .それは ,. どんな見事な 庭園よりも, 美しく見えま した, 私はそんな家を見ると 遠くから どんな人が住ん , , で い る の だろ う か, こ の 家 に 住 む 人 は, ど の よ う に して あ の 戦 争 の 中 を く ぐ っ て き た 人 な の だ ろ う. か, そんなことを思いながら, 誰か が出て来るま で, じっ と停ん で眺めたものです,」 と そ の 時 の 状 況 を 述 べ, 「一 輪 の コ ス モ ス の 幻 想 は そ ん な と こ ろ に あ り ま した,」 と して い る こ こ か ら 創 作 . ,. 契機となった作者のコスモスへのイメージは, 戦後のみすぼらしい家にふさわしい花だがどんな見 事な庭園よりも美しく 見え, 戦争の中をく ぐり抜けてきたけな げな人々をしのばせるものであり , 高森氏が言う ような, 単に 「貧弱な, ものさ びしげな」 ものではなく むしろ学生の意識の プラス , 面の: イメージと通い合うものだとわかる, とにかく, 読者の経験から来る多層なイメージが テク , ス トの図式の中 で焦点化され, この作品の独 自な美性を明らかにして行くものであろう, 4. テクス ト図式とコスモスのイメージ −− 学生の意識を手がかりに −− 読者の先行知識が, テクス ト図式の中でいかなるイメージを 喚起し テクス トにおける美性を実 , 現していくものなのか, それを見るには, 「学生の意識調査」 4② 「この物語において, 題名になっ て い る 『一 つ の 花』 と して の コ ス モ ス の イ メ ー ジに つ い て 記 せ,」 が 参 考 に な る. 学 生 の 指 摘 を 筆. 者がまとめたもの であるが, 最も多いのは 「父(や母)の娘への思いが託されている,(一つの喜 び , 平 和 や 幸 福 へ の 願 い ・ 祈 り ・ 愛)」で あ る, こ こ で 注 目 して よ い の は 各 自 が も つ コ ス モ ス へ の イ メ ー ,. ジをこのテクス ト図式・物語構造の中 で結 びつけ, 父 (や母) が娘へと伝えたい何らかの 「思い」 , 具体的な姿では 「喜び」「平和」「幸福」「愛」 のようなものとしてとらえている点である. ・同類 の も の では, その意味するものにもっと詳細に迫って,「一輪の花が後に一杯に咲き乱れるというように, 父の命, 希望や願いの姿を思わせる.」 「十年の苦しみの後 ささやかな幸福・平和が訪れることを , , 92.

(12)    . 文学教材におけるテクス トとイメージ. べき姿 (内にひめた強さ, 明るさ) を 表す.」 , 「父の願いの具体的な内容を暗示し, ゆみ子のある 示している,」 というように, 微細だが多様なイメージ化を試みる. 一方, コスモス を父の分身やかたみとして指摘する類のものがあり, 「父の分身で, ゆみ子がか たみのよう に受け取り, 美しい思い出となって, 未来 を見守っ てくれる大事 な花,」 がその代表で ある. この指摘で注意すべき は, コスモスを 「父の分身」 「かたみ」 としつつも, それはあくまで もゆみ子の 立場から 「美しい思い出となって見守ってくれる」 としている点である, ここで思い合 わされる の は, 前記高森邦明氏の父の立場からの指摘で, 「作者が父親に, 貧弱な, ものさ びしげ なコスモスを選 ばせた意図は, 一言で言えば, そのコスモスの花に自分自身の姿を象徴させよう と く注2 4 〉 とまで言 て っ し た」 と し, 「死 ぬ に 決 ま っ て い る 自 分 の, わ が 子 へ の 形 身 と し よ う と し た,」. いるの は, 確かに一面からの鋭い指摘ではあっても, このことを強調しす ぎるのは作品の全一性か ろく育っ た戦後のゆ ら考えると疑問に思う. この作品テクス トの図式に則 れば, 読者としては, 明・ み子の記憶に残る父のイメー ジとコスモスを ダブらせてとらえるのが自然であろう, あるいはむし ろ, これも学 生達が指摘するように, 「人から離れて忘れられたよう に咲き, わずかな希望・平和 −根を下ろした ような存在感をもつ.」 と を願いな がら戦時にもた え, さ びしさの中にもしっかりと コスモスのイメージをとらえることによって, 高森氏の指摘を含みながら, もっとこの花の本質と 物語の深い意味に近づき得るように思える. と に か く, こ の テク ス トに お い て はコ ス モ ス のイ メ ー ジ を い か に と ら え る か が重 要 で あ り, 又,. 多様な美の姿を唆起するような図式 を呈しているともい えよう. 学生の指摘が, 「か弱く可憐で, また同時に素朴さ ・けな げさも感 じられ, ものさ びしく はあるがやさしさ・あたたかさの象徴でも ことは, 学生の指摘にある通り, ある,」と複雑な様態をそのままにあげていて も無理はない, 確かな・ 戦後の, 「ゆみ子の成長した姿 (まずしい中でも, けなげで明るい) を表す,」 として, どんな荒地 にもすく っとさわやかに立つコスモスの形姿, 放射状に子 どもの純粋さそのものを思わせるような 花の形状とゆみ子 を重ね合わせ, 救われたような気持ちになることだ, いずれにせよ, 授業におい テクス ト図式の中で関係づ け, ても‘子ども読者一人一人の先行知識から来るコスモスのイメ 」 ジを・ 深いテクスト意味を求めてできる限り 遠くまで行かせることであろう, 5. 構成行為とテクスト意味 −− 学生の意識を手 がかりに −− 読者論の立場から鋭い分析を試みて話題の W, イーザーに従 えば, 文学作品は, 「読書過程にお いてのみ独自な姿を示す」 のであり, 「テクス トから呼 びかけられた読者が遂行する構成過程を念 頭においている,」 という, そして, 美的作用の特徴 は, 「どのように規定しても規定しきれない空 所が存在する」 ところにあり, 従って, 「解釈はテクス トの意味の解明 (限定) にあるのではなく, 5 〉 こう く注2 テクス トが内包す る意味の可能性を明らかにするのでなけれ ばならない」 ことになる. −いては, 必要なのは, テクス トの 「空所」 をおさえることによっ て, 「テク して, 文学の授業にお ス トが内包する 意味の可能性」 を求めて活発な 「構成過程」 を遂行して行くことであり, そうする ことによってはじめて深いテクスト意味を発見しう ると言 ってもよかろう, 作品 『一つの花』 のm段において は, 戦後のゆみ子とその母の生活を, 前に見た如く, 逆接の 「で も」 で起こす否定態の描出を中心とし, 読者に様々な思いに誘い, 構成行為へと向かわせる 「空所」 を抱えもつ個所 となっ ている. その中でも, 今, 「買い物か ごをさ げたゆみ子 が, スキ ッ プをしな がらコスモスの トンネルをく ぐっ てきました,」 という表現をとらえ, そこからこの物語 の美性を 構成して行く ことが可能と思い, 「学生の意識調査」 4③のように, 「読者として思うところ」 を記 させ て み た, 93.

(13)    . 鈴. 木 信. 義. 最も多い指摘は, 「ゆみ子は父を知 らないが, 父の願いのこもっ たコスモスに囲まれ, 父の期待 通り, 平和な世の中で素直で明るく元気な ・子どもに成長 した.」 と, 父の戦死という不幸がこの家 庭を襲っても, ゆみ子の姿に父の期待がかなえられたことを見い出 し, 素直に喜ぶものである. こ れに関連 して, コスモスのイメ ージを更に具体的に追う中 でゆみ子の姿を思い描き, 「父の託した 一 本 の コ ス モ ス が ト ンネ ル に な る ほ ど ふ え た と い う こ と で, 生 活 に も や や ゆ と り が で き 喜 び も 多 , く な っ た こ と, ま た, ゆ み 子 が 父 の 期 待 通 り 母 思 い の 子 に な っ て い る こ と を 表 し て い る.」 と す る. ものがある. あるいは, 「平和な時代 となり, 母と娘の懸命な努力でどうにか幸せに暮らすことが でき, 希望が見えてきたことを表す.」 と言う如く, 「平和な時代」 や 「希望」 の背後に 「母と娘の 懸命な努力」 という現実の苦労があるの であっ て, これに目をやるのも当然のこと であろう, ところで, 数の上で二番目に 多い指摘は,「父のいない悲 しみも, 戦争のもたらした不幸も知らず, 元気に育っ たゆみ子の無邪気さを見るにつ け, その裏にある悲しさ .・ふびんさ, ひいては戦争の恐 ろしさを思わずにいられない● .」 である. これは, 現実の生活に希望が見え, 明るくなればなるほど, 過去の暗い戦争という悲劇 が浮かび上がっ てくるところに, この物語の複雑な美と真実の姿がある ことを如実に示している. 他 に, 数 は さ し て 多 く は な い が, コ ス モ ス の トン ネ ル を く ぐ っ た ゆ み 子 の 姿 か ら, 「無 意 識 の う. ちに患い出と して残り, いつまでもゆみ子を見守っ てくれているような父の姿が思いやられる.」 と しているものもいる. 前記高森邦明氏も, 「その一つ一つ の花には, 『一つの花』 に寄せた父の, ゆ み 子 の 幸 せ へ の 願 い が こ も っ て い る, そ れ ら は, 『一 つ の 花』 が そ う で あ っ た よ う に 父 の 分 身 な 6 〉 と す る が 父 の 分 身 と ま で と る か ど う か は 別 と して 読 者 の 意 識 の 中 で ま た の で あ る.」く注2 , , , ,. ゆみ子と母の生活の中では, 父の願いのこもっ たコスモスがいつまでもゆみ子を見守り, 苦しい現 実の中の希望, 生きる力となっ て働きかけてくるのは確かであろう. 以上, 学生の意識をもとに, 作品 『一つの花』 における読者の構成行為のあり方と, より深いテ クス ト意味に到る可能性について論 じたつもりである. 実際の授業でも, 同 じテクス ト図式・構造 の中で, 同じように言葉の指示作用 によってなされるのであるから, その教室の子どもなりのレベ ルでという相違はあるにしろ, これまで考察 したものに近い言語活動は可能なものと信ずる. 「ーつの花」 についての学生の意識調査 1 小学校の時、 「一つの花」 を習ったことがあるか。. o″ぐ //北海道教育大学函館分校 十 「国語教材研究」 受講生 /00人 イ、 ある 之0. 口、 ない β0. 2① 習ったことのある人は、 はじめて習った時の印象はどうだったか。 ○ お父さんが一本のコスモスを残して去るところなど、 悲しく暗い話で、 戦争はいやにと思った。 6 (30.0%) ○ 特に印象をもたなかった。 忘れた。 学 (ZO.0%) 0 あまり詳しく覚えていないけれど、 何でも一つだけしか与えられないゆみ子がかわいそうに思った。           ○ 優しいお父さんとお母さんだと思った。 之 は,0%) ○ ゆみ子が立派に成長したことに感動した。 Z Q,0%) 2の 現在、 これを読んでどのように感じるか、 端的に記せ。 ○ 「一つだけちょうだい。」 という言葉しかいえないゆみ子の姿に、 数争中の悲惨な生活が思われ、 複雑な思いが する。 /9 0 父親の娘に対する思い (希望のようなもの) がコスモスの花に託されていることを厩いる まと感じた。 /『 0 優しい父を失ったが、 戦後の母子家庭には、 成長したゆみ子の姿に希望が見い出され、 きびしさの中のあたたか さが救いとなっている。 /ぶ ○ 戦争中の悲惨さと現在の平和が対比され、 戦争への憤りを撤する。. //. 0 戦争中、 筒足なことはできないが精ー杯の愛情を注ぐ父と母、 また、 親の心を知らない無邪気なゆみ子、 こうし た家庭のあり方をしみじみとかわいそうに思った。 /0 0 さりげなく見事な文体で描いているが、 戦争中の子どもの姿にはふびんさを感じ、 しみじみと胸に迫るものが ある。 ず. 94.

(14)    .  . 文学教材におけるテクストとイメー ジ ○ 純粋なゆみ子を主人公にして、 たんたんと語ることによってかえって戟争の悲しさを強調し・ すぐれた作品とな っている。 β ○ 戦争は単なる人の殺し合いではなく、 小さな子どもの人格にまで関わってくる悲しいものだ。 学 掌. ○ 小学校の国語教材であるが、 大学生が読んでも考えさせられ、 印象に残る文学作品である。. ○ 戦争とゆみ子との関係が、 コスモスだけというのでは・ 生徒にとってはよく理解できないのではないか。 ○ 子どもの勝手さ、 親の甘さを感じる。. /. この作品を読んで、 印象に残ることは (語句・文) を三点あげよ。 r一つだけちようたい。一. 0. 挙?. 「ゆみ。 さあ、 ーつだけあげよう。 一つだけのお花・ 大事にするんたよう …・ 。」 学6 両手を出すことを知らずにすごすかもしれな まとちょうたいと言って・ 0 「この子は一生、 みんなちょうだい、 山る 、 両手を出すことを知らずにすごすか いね。 ∼」 /?. ○. ○ ゆみ子のにぎっている一つの花を見つめながら …・ 。. /?. ○ みんな−つだけ。 −つだけの喜びさ。 (いや、 喜びなんて、 一つだってもらえないかもしれないんたね。). ○ 「ーつたけ …. …。一つたけ … …。」 (と、 これが、 お母さんの□ぐせになってしまいました。). 0 でも、 今、 ゆみ子のとんとんぶさの小さな家は、 コスモスの花でいっぱいに包まれています。. /6. /ぶ. ○ そんな時、 お父さんはさまって、 ゆみ子をめちゃくちゃに高い高いするのでした。 /Z 0 (あわてて帰ってきたお父さんの手には、)、一輪のコスモスの花がありました。 /0 0 まるで戦争になんか行く人ではないかのように … ○ ゆみ子はお父さんの顔を覚えていません。. …。. ?. ず. 0 自分にお父さんがあったことも、 あるいは知らないのかもしれません。 ‐ 一つだけちょうだい。 おじぎら一つたけちょうたい。」 r. o. 「 「みんなおやりよ、 母さん。 おにぎりを …. …。」. g. 7. 7. 0 ∼買い物かごをさけたゆみ子が、 スキップしながらコスモスのトンネルをくぐって出てきました。 0 お父さんは、 それを見て、 にっこりわらうと、 何も言わずに汽車に乗っていってしまいました。 0 お父さんは、 ∼わすれられたようにさいていたコスモスの花を見つけたのです。 ○. 「じやあね、 一つたけよ。」. 7 6. ぶ. 学. 0. rなんてかわいそうな子でしょうね。 一つだけちょうだいと言えは、 なんでももらえると思ってるのね。」. 0. r∼一つだけのいも、 一つたけのにぎり飯、 一つたけのかぼちゃのにつけ …. …。 ∼一. ○ お母さんは、 戦争に行くお父さんに、 ゆみ子のなき顔を見せたくなかったのでしょう。 0 今日は日曜日、 ゆみ子が、 小さなお母さんになってお昼を作る日です。 i. 三 i. (之以下は省略). 4① 一般に 「コスモスの花」 について、 君自身はどのようなイメージをもっているか、 記せ。 (どちらかといえはマイナスイメージのもの). (どちらかといえはブラスイメージ どちらかといえはブラスイメージのもの). ○ 弱々しく頼りなけ /. ○ 可憐 ZZ. O 寂しげでわびしい /J. O かわいらしい /之. ○ 秋を感じさせる花 //. ○ 美しい、 きれい //. ○ めたたず、 ひかえ目で地味な花 // ○ 風に揺れ動く、β●. ○ 清潔、 清楚 //. ○ もの悲しい β. ○ 秋の桜 7. ○ やさしい感じ ?. ○ 華やかさ、 草園 7. 0 繊細ではかなけ 6. 0 群れをなし、 咲き乱れる 6. 0 細い茎 ぶ. ○ ほのぼのと暖か ぶ. ○ 平凡で、 珍しくない花 ざ. ○ 野原や荒地でも生える , 学. 0 道端に咲く 掌. ○ 風に負けないしんの強さ 学. ○ 花壇や庭先に咲く i. 0 故郷を感じさせるなつかしさ J O すがすがしさ. ○ 忘れられたように咲く 之. ○・やわらかい j. ′ ′. 0 飾り気なく素朴 『. O 素直 /. 95.

(15)    . 鈴. 木. 信. 義. ○ 心に訴える存在感 Z. ○ 淡い紅色 之. O 紅のあさやかさ Z. 0 手のかからない/. ○ 夏の名残り /. O 平和 之. 0 のどか /. ○ ムダをはぷいた形 /. ○ しあわせ、 幸福 Z. ○ 落着いた /. 0 少女の明るさ Z. ○ 父のイメージ /. ○ メルヘン 之. ○ そっと飾って / おきたい. ○ かわいらしくもない花. ′ ′. 0 華やかではない花. 0 ささえあう /. 4② この物語において、 題名にもなっている 「一つの花」 としてのコスモスのイメージについて記せ。 ○ 父 (や母) の娘への思いが話されている。 (一つの喜び、 平和や幸福への願い・祈り、 愛). 之7. 0 ,父の分身で、 ゆみ子がかたみのように受け取り、 美しい思い出となって、 未来を見守ってくれる大事な花。 Z/ ○ 人から離れて忘れられたように咲き、 わずかな希望・平和を願いながら戦時にもたえ・ さびしさの中にもしっかり と根を下ろしたような存在感をもつ。 /ぶ ○ か弱く可憐で、 また同時に、 素朴さもけなげさも感じられ、 ものさびしくはあるがやさしさ・あたたかさの象徴で でもある。 / .掌 ○ 一輪の花が後に『杯に咲き乱れるというように、 父の命、 希望や願いの姿を思わせる。. ?. 7. 0 父の願いの具体的な内容を暗示し、 ゆみ子のあるべき姿 (内にひめた強さ、 明るさ) を示している。. ′ 6. ○ +年の苦しみの後、 ささやかな幸福・平和が訪れることを表す。. ○ ゆみ子の成長した姿 (まずしい中でも、 けなげで明るい) を表す。, J 4◎ 「買い物かごをさけたゆみ子が、 スキップをしながらコスモスのトンネルをくぐってきました。」 という表現か ら、 読者として思うところを記せ。 ○ ゆみ子は父を知らないが、 父の願いのこもったコスモスに囲まれ、 父の期待通り、 平和な世の中で素直で明る るく元気な子に成長した。 i学 ○ 父のいない悲しみも、 戦争のもたらした不幸も知らず、 元気に育ったゆみ子の無邪気さを見るにつけ、 その裏 にある悲しさ・ふびんさ、 ひいては戦争の恐しきを思わずにいられない。 之学 トンネルになるほどふえたということで、 生活にもややゆとりができ、 喜びも多 ○ 父の託した−本のコスモスが・ くなったこと、 また、 ゆみ子が父の期待通り母思いの子になっていることを表している。 Z/ ○ 平和な時代となり、 母と娘の懸命な努力でどうにか幸せに暮らすことができ、 希望が見えてきたことを哀す。 /ぶ ○ 無意識のうちに思い出として残り、 いつまでもゆみ子を見守ってくれているような父の姿が思いやられる。 6. 〈注〉 1. 田近淘ー他 「文学教材をなぜ国語科授業で扱うか」{明治図書 『教育科学 国語教育 ’8 6 , 1臨時増刊』) 2. 拙稿 「文学の教育と小学校教科書教材−1 9 7 0年代における変貌の相を見据えて−」(北海道教育大学函館 人文学会 『人文論究 第43号』 昭58 . 3) 3, ロラン・ バ ル ト (花輪光訳)『物語の構造分析』{みすず書房, 昭44)「作品からテクス トへ」 4, ロラン・バ ルト (沢崎浩平訳)『テクス トの快楽』(みすず書房, 昭52)122ページ 5, W ・イーザー (轡田収訳)『行為としての読書−美的作用の理論−』{岩波選書, 昭57) 拙稿 「読書論から見た文学教材の扱いと学生の意識−小学二 年・ 『かわいそうなぞう』 を中心に−」(北. 海道教育大学 『北海道教育大学紀要 第一部C教育科学編 第3 5巻第1号』 昭5 9 , 9). 6. S ,j ,シュ ミッ ト (菊池武弘他訳)『テクス ト詩学の原理』(頚草書房, 昭59)「2, 美的コミュニケーショ ンの理論のために」 7. ハラル ト・ ヴァイ ンリヒ {脇阪豊他訳)『言語とテクス ト』{紀伊国屋書店, 昭59)「第工章コミュニケ− ション, 指示, テクス ト」. 8, 拙稿 「文学教材のテクスト論的考察− 『川とノリオ』 を例として−」{函館国語会 『函館国語 第一号』 昭60 , 11) 9. 田近淘一 『文学教育の構想−文学のこと ばと感動体験−』(明治図書, 昭60)90∼92ペ」 ジ 10 , 同上書 98∼100ページ 11 . 田近淘一 『現代国語教育への視角』 {教育出版, 昭57)289ページ 12 , 宇佐見寛 『授業にとって 「理論」 と は何か』{明治図書, 昭53)117∼121ページ 96.

(16)  . 文学教材におけるテクストとイメージ 13 . W ・イーザー (轡田収訳)『行為としての読書』(岩波選書, 昭57)250∼251ページ 』 一光 14 , 54 , 波多野誼余夫 「読解における個人の先行知識と相互交渉』(児童言語研究会 『国語の授業 53 社, 昭57 . 2) . 12 , 昭58. 15 , 久原恵子 「ピアジェ理論と読解指導」(ピアジェ双書第3巻稲垣佳世子編集 『ピアジェ理論と教育』 国土 社, 昭57). 1 6 , 甲斐瞳朗 「文末表現− 『一つの花』 を中心に」(甲斐瞳朗他 『文学教材分析の観点と実際』 明治図書, 昭 54) 17 . ハラルト・ヴァインリヒ (脇阪豊他訳) 『言語とテクス ト』(紀伊国屋書店, 昭59)「第W章言語学におけ る移行』 18 , 西郷竹彦 『西郷竹彦文萎教育著作集第2巻』 (明治図書, 昭50)255∼265ページ 19 , 7 に同じ. 20 , 財団法人教科書研究センター 『子 どもの眼でみた教科書− 「私と教科書」 作文コンクール応募作品の内 容分析−』(教科書研究センター, 昭59). 「生き 2 1 , 吉備律博 「授業に生きる 『一つの花』 小4 (数出) の教材研究」(北海道教育大学国語教育学会 『. た授業」 にする教材研究』 明治図書, 昭60) 』 一光社, 昭53 2 2 , 8) , 高森邦明 「『一つの花』 作品論」(児童言語研究会 『国語の授業 27 』麦 23 . 今西祐行 「『一つの花』 『ヒロシマのうた』 のことなど」(教育科学研究会・国語部会 『教育国語 19 1 2 ) 書房, 昭44 , 24 , 22に 同 じ. 25 , 36ページ , W ・イーザー (轡田収訳)『行為としての読書』(岩波選書, 昭57)34 26 , 22に 同 じ,. (本 学 助 教 授. 函 館 分 校). 97.

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