岡山大学経済学会雑誌32(1),2000,135-143
近代化 と地域環境 の変貌 に関す る一考察
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神立春樹著 『明治文学 におけ る
明治 の時代性』 をめ
ぐって-大
塚
利
昭
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は じ め に
近年 ,いわゆ る社会の成熟度の進展に伴い,現代人の心の よりどころとし ての景観をは じめ とす る地域環境 のあ り方が問われている。それは,建築物 や土木構造物のデザインを どう処理す るか とか ,都市計画の用途地域を どう 設定す るか といった技術上の問題だけでな く,歴史や文化を含めた人文的景 観や地域の 自然環境の果たす役割を どの よ うに認識 し,それ らをいかに守 り,育ててゆ くか とい った文化政策 ,社会政策上の課題を も含んでいる。 社会 とそれを取 り巻 く環境 との間の一連の関係を地理学者の A.ベル クは l卜 次の ように分穀 したO (彰生態学的関係 (呼吸す る空気 ,等) ②技術的関係 (農業に よる居住域の整備 ,等) ③感覚的関係 (環境の認知 と表象) ④価値論的 ・認識論的関係 (環境に関連す る諸価値 ,諸概念) ⑤政治的関係 (整備 ・開発におけ る社会の選択を決定す る権力の働 き) この分頬に従 えば,人文的景観保全の問題は① ,②でい う人の生存 ,生活 を可能 とす るような環境条件 の水準を超え,③か ら⑤に至 る人間の精神活動及び社会行動上の課題であることに思い至 るO このほ ど岡山大学経済学研究叢書 として神立春樹教授の諭著 『明治文学に おけ る明治の時代性』が出版 された。 日本経済 史 の研究者 として神立教授 (以下 ,著者 と称す る。)は 日本の産業革命期研究を,「産業編成論上 「地域 編成論上 「生活編成論」 の三部構成に よって構想 し,それ らのいずれかに分 類 され る多 くの研究成果を発表 して こられた。今回の書物は,産業革命期研 究で対象 とした明治 とい う時代を文学作品を利用 して把握を試み ようとす る 新 しい形の研究である。著者の言に よれば,「研究の別 の面 か らの と りま と め といえる」 ものであ り,前記三部構成 の中では,地域編成論 ,生活編成論 の両方の性格を帯びた書であろ うか と思 うo かつて,『戦後村落景観 の変貌』(1991年)を著 した際に著者は ,木村鍵氏 の村落史研究におけ る村落景観論 ,勝原文夫氏の景観論者 としての生活的風 景諭を踏 まえ,近代史研究者 としての 自身の景観研究の意味について次の よ うに記 した。 「現下に進行 している村落景観の変貌は ,それが農業生産者 ,農民の生産 と生活の場である農業集落の変貌であ り,農民の生産 と生活が大 き く変化 し ていることの反映である。(中略)当面す る村落景観研究は,この ような歴史
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) 的転換を見極め る作業である。」
今回の書物は序章を含め全8章か らな り,各章で徳富産花 ,島崎藤村ほか の小説 ・随筆集 と詩人の宮崎湖処子 らに よる詩集の計8作 の文学作品を題材 として,明治期の都市や農村に生 きた人 々の生活 とそれを取 り巻 く地域環境 の有 り様を個 々の作品の具体的な表現を用いて描 き出す試みがなされ ろo も とより本書は経済史に基本的な視点を置いた書物 であるが,歴史や文化を包 含 した人文的景観や 自然環境を含めた 「地域環境」 のあ りかたに関心を抱 く 私 としては,著者が描 こうとした明治の時代性の中でも,都市及び農村にお ける地域環境の面か らこの書の特徴や意義を探 ってみたい と考 える。以下 , まず内容を概観 した後に私見を述べ ,本書の紹介 とさせていただ く。 -136-近代化と地域環境の変貌に関する一考察 137
2 内容 の概観
本書の章立ては以下の とお りである。 序 章 第 1章 産花徳富健次郎 『み ゝずのたは こと』における東京近郊農村 第2幸 田山花袋 『田舎教師』におけ る北埼玉地方の農村 第3章 島崎藤村 『千曲川のスケッチ』 と佐久の村 々 第 4章 宮崎湖処子 『拝情詩』 -その時代性 第5幸 田山花袋 『東京の三十年』におけ る明治の東京 第6章 尾崎紅葉 『金色夜叉』 -その時代性 第7章 徳富意花 『不如帰』におけ る時代描写 あとがき 序章では,本研究の著者 自身の研究史上の位置付け と本書の内容の概観が な され るとともに,幾つかの先行研究の成果が簡潔に紹介 され るOなお,本 書で取 り上げた作品はいずれ も明治末期か ら大正初期に書かれた ものである こと,各作品の著者がそ こに住むな どその地を熟知 していること,そ して , 著者の神立教授 自身がそ こに住んでいた ことがある,あるいは調査な どでそ の地を よく知 っていることを条件に選定 した との説明がなされ る。 第1
章では,大正2
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年)刊行の随筆集 『み ゝずのたは こと』で徳 富塵花が措いた東京府北多摩郡千歳村粕谷 (現在の世 田谷区粕谷)の明治末 期の田園風景 ,生活の描写に より当時の農村事情を把握す る試みがなされ , 第2章では徹底 した現地踏査に よる 「小説地理」的手法で小説を書いた田山 花袋が明治4
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年)に刊行 した小説 『田舎教師』を題材 として明治期 の北関東の 自然や農村の状況が描出され る。『田舎教師』 が描 く北埼玉地方 はかつて著者が農村織物業を対象 とす る研究のフィール ドワークを行 った場 所で もあ り,役場資料等の調査 の結果 ,花袋の小説の描写の的確性を強 く印象づけ られた との付記が 「あとがき」にある。花袋の作品は第5葦の分析に も用いられ ,こちらは, 9才か らの丁稚奉公を端緒に東京の30年間の変化を 子細 に見 て きた経験 を ま とめた回想録 『東京 の三十年』 とい う大正 6午 (1917年)刊行の書物である。 第3章では,信州小諸を舞台に した島崎藤村の紀行文集 『千曲川のスケッ チ』の叙述を引用 しつつ ,養蚕業を柱 とした当時の佐久地方の産業構成 と農 村の有 り様が紹介 され る。第 4章では国木 田独歩 ,松岡 (柳 田)国男 ,田山 花袋 ら計
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人の文筆を志す若者の創作詩で編んだ詩集 『拝情詩』か ら明治2
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年代の東京に暮 らす青年 の心理を読み とる試みがなされ る。 第6章 ,第 7章では 「近代 日本の二大大衆小説」 と称 され る紅葉 の 『金色 夜叉』 と唐花の 『不如帰』を題材に時代や社会の描写の状況が検討 され ,一 般的には家庭の出来事を描いた 「家庭小説」 と言われ るこの両作品が,実は 日露戦争の勝利に浮かれた 日本の,まさに当時確立 した資本主義 ・官僚制度 -高等教育に対す る文士的批判であ り,と りわけ後者は家族制度 ,軍部 ・政 商に対す る批判の書 としての性格を有す ることが指摘 され る。3
当時の地域環境 と現代か らのパ ースペ クテ ィブ
まず ,地域環境を論ず る際の基本的な語句である,「風景」と 「景観」とい
う言菜について整理 しておきたいO勝原文夫氏は,「風景」も 「景観」もとも に主体 と客体の作 り出す関係概念であ り,厳密に言えば 「風景」の場合は主 体に重心があ り,「景観」 の場合は客体に重心があるとす る. それ を踏 まえ て,「景観」の方は視覚に よる享受を もっぱ らとす るが,「風景」の方は歴史 的 ,社会的存在である人間が,視覚のみな らず他 の四感 (聴 覚 ,嘆覚 ,触 覚 ,味覚)すべてを動員 し,その社会の歴史 ,コ ミュニテ ィの雰囲気 までも 包み込んだ形で心身全体を もって,全包囲的に客体を享受すべ きものと考 え (3) られ ることを指摘す るO以下 ,この整理 に基づ いて これ らの用語 を用 い る -138-近代化と地域環境の変貌に関する一考察 139 が ,著者が本書 で扱 ってい る景物 の描写 の性質 は,依拠す る資料が文学書 と い うこともあ り,主には知覚す る主体 の人間の精神性が投影 された 「風景」 (4) としての描写が多い と私 には感 じられた。 次に ,本書の中か ら具体 的な地域環境 の描写 の例を引用 してみたい。紙面 の制約か ら代表 的な一例 に とどめ るが ,徳富産花が 『み ゝず のたは こと』 の 中で描 いた明治末期 の東京郊外 ,東京市 の西約三里にある千歳村 の情景は以 下 の とお りである。 秋の田園詩人の百舌鳥が,高い乗の梢から声高々と鳴きちぎる。乗が笑む。豆の 葉が黄ばむ.階来紅が染むを相図に,夜は空高 く鮭の音がするO林の中,道草の中, 家の中まで入 り込んで,虫と云 う虫が鳴き立てる.早稲が黄ろくなりそめるo蕎麦 の花は雪の様だ.彼岸花と云 う鼻珠妙筆は,此辺に少ないO此あた りの彼岸花は, 萩,女郎花,嫁菜の花,何よりも初秋の栄を見せるのが,紅 く白く沢々と縮総を廓か す様な花薄であるO子供が其れを勢って来て,十五夜の名月様に上げるO (p.37) ここには経済活動 に直接かかわ る意味 での生産的な要素はほ とん ど書かれ ていない。そのかわ りに ,当時の都市近郊 の生物相 の豊か さと,そ うした環 境 と交感 しつつ営 まれていた人 々の生活ぶ りが描写 されている。すなわち, ク リの実がほ じけ ,畦畔 に栽培 したダイズ等 の豆 の菜が枯れ始める頃 ,都市 郊外 の代表 的な野鳥であるモズが 自らの冬季 のテ リ トリー (なわぼ り)宣言 がん らいこう である 「高鳴 き」 を開始 し,雁来紅 と称 され る-ゲイ トウが葉を赤や黄色に 染め上げ ると時を同 じくして,かつては 日本中で見 られたが ,今は激減 して 天然記念物 の指定 を受けているマガ ン (あるいは ヒシクイ)が北方か ら群 で か りがね 渡来 し,彼 らの甲高い鳴 き声 「雁音」が夜空に響 く。 コオ ロギや カネ タタキ とい った直週 目の昆虫は家屋 の中にまで入 り込 んで秋 の夜長を情緒 のある金 属的な音 で鳴 き通す。稲が色づ く頃 ,白い ソバの花 は雪景色を紡沸 させ ,秩 の七草 の中の-辛 ,オ ミナ-シ (野生種 としては現在 の人里では希 な種),ヨ
メナ,ススキが咲 き乱れ ,これ らの野花を子供達が摘み ,十五夜の月見の献 花に用いる・-。若干言葉を補 って解釈すれば,概略 この ような明治末期の秋 の農村風景が描写 されている。 この箇所に限 らず
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『み ゝずのたは こと』には随所に当時 の都市近 郊農村 の地域環境が描かれている。それは,ヨーロッ,,,O的教養に よって研がれた眼 で豊かな 自然の文学スケ ッチを よくす る塵花のこの作品が後年,「自然 との 対話の到達点」 と評 された所以であろ う。そ して,ここに措かれたのは明ら かに 日本におけ る産業革命の発端か ら現代 にいた るまでの ,百年 に及ぶ都 市 ・農村の改変 と変貌のスター トに当たる時期の都市郊外の地域環境 と人の かかわ りでもある。人間 と自然環境の関係 とい う点で言 うと,明治期の産業 革命は水稲農耕に よる農耕社会 の出現 と並んで2つの変化点 として画期を成 (5) す ものであ り,近代的な産業社会に突入 したばか りの,いまだ前代の雰囲気 を色濃 く残す 日本の風土や 自然環境を把捉す ることは,その後 の激流の如 き 産業化の流れが何を生み出 し,何を消 し去 ってい ったかを考える上で非常に 重要であると思われ る。 著者の記述にもあるとお り,この書は,大都市膨張 と自然破壊に警告を発 した鋭い文明批評 としての性格を もってお り(p.18),こうした観点か ら都市 郊外の地域環境を とらえた視点は,現代の環境に対す る視点に も通 じるもの がある。 こうした意味で,この作品には現代か ら明治を見た ときのパースペ クテ ィブ ・遠近感を よ り正確なもの- と高める機能が内包 されているように 思 う。 また ,この意花の一節が措出 した ような人為 と自然が共存的な関係を保 っ ていた平穏な世界は,いわゆ る農業の機械化 ・化学化 ,耕地整理や圃場宴備 が行 き渡 る前の,たおやかな 日本の農村や都市近郊の地域環境を知 るための 貴重な歴史資料で もある。 この ような近郊農村に対 し,「東京 が大分攻 め寄 せて釆」て,東京の人 口 「二百万の人の海にさす潮ひ く汐の余波が村に響い て来 る」 ようにな り(p.40-41),やがては電鉄会社が墓地用地買収のため, -140-近代化と地域環境の変貌に関する一考察 141 す さま じい土地買収攻勢をかけ始め,都市郊外の農村は次第に姿を変 えてい く様子を本書は 『み ゝずのたは こと』を用いて紹介 している。 本書の巻末で著者が述べ る 「1934年生 まれの私が記憶にある (昭和)30年 代半ば頃の東京は意外に明治時代 と連な る東京 で あ った と思わ れ る
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」 (p. 252)とい う述懐 と,同 じく著者の,「1950年代半ば頃か らの都市化の波は, 慶花が描いた当時のそれ とは比較 にな らないほ ど,大 きく,高 く,激 しか っ た」(p.52)とい う指摘を合わせてみれば,近代か ら現代への地域環境の変貌 のス ピー ドは-様でな く,昭和30年以後の東京の都市化が明治 ・大正期に も 増 して急激です さま じいものであった ことを思い知 らされる。4
本書の意義 と継承すべ き研究課題
「日本は,数多 くの公害防除の戦闘を勝ち取 ったが,環境の質を高めるた めの戦争ではまだ勝利をおさめていない」 とい う1977年に OECD が 日本 の 環境政策について論 じた レポー トにおける指摘は,20年を経た今 日でも意味 を失 っていない。現在 までわれわれの社会は環境の質の向上に関 して,と り わけ経済の振興や開発の推進 との関係では劣後の価値 しか置いて こなか った のは事実だろ う。その ことを昨今の都市部の犯罪の多発 ,その内容の凶悪 さ と直接結 びつけ ることは議論 としては早計のそ しりを受け るか もしれない。 しか し,現代人 ,と りわけ青少年の不安定な心の有 り様を考えると,情緒的 とか主観的 とか言 う表現で従来の社会科学の枠外に押 し出されていた ちのの 重要性を再認識すべ き時が来ていることを痛感す るQ物質的な豊か さを過度 に指 向 し,数字や合理性で証 明できないものは非科学的だ と捨象 してきた こ との恐 ろ しさに思いを致す とともに,主観の領域に分類 されてきた事象を学 問の領域に引 き寄せる試みが もっとなされ るべ きだ と思 う。それは,環境哲 学の研究者の次の ような表現か らも妥当す るのではないだろ うか。 「空間の変容が人 々の心の変容に どの ようにかかわ るかは,明 らかに因果的説 明の外にある。少年の凶悪犯罪が殺伐 としたニュータウンを舞台 として起 きた として も,空間の意味 と少年の心 とい う,いずれ も非物理的なもの同士 の関係の因果関係を突 き止めることはできない。それは,空間の意味 とい う 非物理的な もの と,少年の心 とい うやは り非物理的な もの との関係にかかわ るか らである。科学は,この ような空間の 「意味」 と 「心」 の関係を検証で きるようなシステムにな っていない。それに もかかわ らず ,わた したちは, 空間 と心の関係を察知す るO人間の経験 は この身体空間を舞台 とす ることを その成立条件 としているか らである。 この ことは必然的であ り,論証 の余地 (6) のない真理 である。」 本書に話題を戻す と,著者が この書で とった方法は著者本来の統計データ を用 いた分析に よる地域社会の描出の手法 とは異なる。 しか し,文学作品が もつ訴求力を基礎に,数的な分析 とは異なった視点か ら地域環境の歴史的把 握や失われた地域環境 の復元を試み ることに十分現代的な意義があることは 本書か ら十分読み とれ る。 こうした主観 と客観をつな ぐ手法の高度化 ,撤密 化は,今後一層求め られ る手法だろ うと思 うO著者のこの貴重な試みを後に 続 く者が受け継 ぎ,人文的景観はもとより自然生態系の保全 ,そ して,何 よ りそ こに生 きる人間が実感できるような環境の質の回復 ・向上を実現す るよ う研究成果を蓄横 し,現代の環境政策に活用す ることが今求め られているよ うに思 う。 また,本書を読み進めていると,著者の人間-の温かい眼差 し,ヒューマ ニズムが通奏低音のごとく背後に響いているのを感 じる。 「日本 の農村 は貧 しか ったのですOその中で 日本の近代化はスター トしたのです -O」 日本経 済史のゼ ミナールの中で何度か神立教授の問わず語 りのつぶや きを耳に した が ,それは明治の 日本人-の哀情に も似た思いであったろ うと今思 う。最後 に,本年3月末を もって退官 され る神立教授か ら賜 った研究上のご指導 ・ご 厚情の数 々に心か ら感謝 申 し上げ ,本稿を閉 じさせていただ く。 -14
2-近代化 と地域環境 の変貌 に関す る一考察 143 注 (1)オギ ュスタン ・ベル ク 『風土の 日本 自然 と文化の通態』筑摩書房,1988年 ,1 29-130頁 (2)神立春樹 『戦後農村景観の変貌』御茶の水書房,1991年,11真 (3)勝原文夫 「農村の生活風景」 (『暮 らしが景色をつ くる ニッポン型景観形成の源流』 農文協,1995),8-9貢 (4)本稿でい う 「地域環境」は前述のとお り,風景や景観に加えて,生物 と自然環境を体 系的につな ぐ生態系 も包含 した語 として用いている。 (5)板木昭他 『田園の発見 とその再生』晃洋書房 ,1994年,28頁 (6)桑子敏雄 『環境の哲学』講談社学術文庫,1999年,273頁。なお,ここでい う 「身体空 間」 とい う語は,特定の空間に生 きる人々の個別的な経験に裏打ちされた豊か さや愛着 を持つ空間 とい う意味で用いられている。(同書212頁) (岡山市教育委員会文化課) (『明治文学におけ る明治の時代性』岡山大学経済学研究叢書第24冊 ,1999 午 ,岡山大学経済学部 ,御茶の水書房,253頁)