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ペスタロッチ-における「立法」の課題について : 「共感的情調」醸成の視点から

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Academic year: 2021

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(1)27. ペ ス タロ ッチ ーにお ける 「 立法 」 の課題 につ いて 一―「共感的情調」醸成 の視点 か ら一一. 小 野 寺 律 夫 は じ. │め. に. ηθ 標題 にあ る 「共感的情調」 とは, ペ ス タ ロ ッチ ーの主著 『 探究 (磁 づ g gθ ηク γαθ Nαε η(θ αη K/orSCん π η わ θ. gθ s― g α η θ s Mcη sc力 θ ε たι πη γNα′ πγづ ηごθ γE■ ′ グ αθ `〃. ε ttJθ θ 力お,1797)』 の主要概念 であ る。 共感的情調 は,『 探究』 に言 う「 道徳性 (Sittlた. hkdt)」. が必然 的 に前提 す る感性 的基礎 であ り, これが市民的 ,社 会. 的生活 を通 して醸成 され るとき, その情調醸成 を「社会的醇化 (gesdに chaf― tlthe Veredlung)」. と言 う。 社会的醇化 の概念 は, 一 見 ,「 社会化」 の概念. との関連 を予想 させ るが, しか し個人 の社会成員化 と して の社会化 か らは明 確 に区別 され る。社会的醇化 は,良 心 の 自由 な 自己決定 によ って成立す る本 来的 自己,す なわ ち道 徳性 を陶冶理念 とす るいわゆ る「 人間」教育 の課題 に 連 な る概念 であ る。 これに対 して社会化 は,い わ ゆ る「市民」 教育 の課題 で あ る。 ちなみ に『 探究』 は「市民」 教育 を「 人間」 教育 か ら区別 して,「 市 民 的人間 の職業陶冶 (Berufsbildung des burgenichen Menschen)」 「市民陶冶 (burgeJた he Bildung)」. あ るい は. と称 す る。 共感的情調 の醸成 =社 会的醇. 化 は,そ う した「市民」教育 の課題 で はな い。 そ もそ も『 探究』 は,そ れを 教育 の課題 とす るので はな く, 国家 の統治行為 , とりわ け 「立法 gebung)」 の課題 とす る。. (Gesetz―.

(2) 28. ペスタロッチーにおける「立法」の課題 について. 以下 , 本稿 で は,「 立法」 の課題 を共感的情調 の醸成 =社 会的醇化 の視点 か ら考察 して ゆ きた い。 tヽ ったい『 探究』思想 の主題 は「共感」思想 にあ る。 『 探究』 は, 近 代市民社会構築 の歴 史 の男頭 にあ って, 市民 の共感能 力 の喪 理 学 的 , 社会学 的 に分析 す る 失状態 を問題 と した。「共感」 を哲学 的,ノ と、. ,. いわ ゆ る「共感 の 人間学」及 び この 人間学 に もとづ いて共感能 力回復 の政治 的,教 育 的処方 を示す,い わ ゆ る「共感 の政治学」及 び「共感 の教育学」 の 思想 を展 開 した。『 探究』 は 「共感」 思想 の展開 と して,近 代 の市民社会理 論 形成 の 歴 史的文脈 の 中 に位 置 づ け られ る著作 で あ る。 本稿 は ここで『 探 究』 にお ける「共感 の政治学」 へ の アプ ロー チであ る。. I.共 感 的情調 の概念 共感的情調 は,社 会的,市 民 的生活 を通 して醸成 され る。 この情調醸成 を 「社 会 的 醇化」 と言 うが, こ こで 言 及 され る共 感 的情 調 と い う語 は,実 は 『探究』 には出 て いない。 私 が本稿 において特 に用 い る語 であ る。 勿論 , そ の概念 は『 探究』 の至 る所 にあ らわれて い る。『 探究』 はその概念 を共感的 情調 とい う名辞 で 表現 す るので はな く,「思 いや りの あ る善良 な好意 的気分. (freundliche,gutmuuge und wohlwdlende Summung)」 や「平和 で善良 な好 意的情調 (freundliche,gutmutige und wohlwolた nde Gemutsstimmung)」. と. い う名辞 その他 で も って表現 して いる。「好意的気分」 あ るい は又 「好意的 情調」 とは, 共感感情 と して の 「 好意 (Wohlwollen)」 とエ ゴイズ ムの情念 と して の 「我欲 (Selbstsucht)」 ng)」. とが「 調和 (Harmonb)」 「 一致 (Verdnigu_. す るところに醸成 す る他者 に対 す る共感的気分 あ るいは情調 であ る。. 共 感 感情 と エ ゴ イズ ムの′ 情念 との調 和 とい う思想 は, シ ャフツベ リな ど. 18世 紀 イギ リス感情 論哲学 の教 え ると ころで あ る。 その教 え ると ころによ れば,如 上の二 大情念 の調和 に道徳性 の本質 があ る。 それ に対 して『 探究』 において は,共 感的情調 はな るほど シ ャフ ツベ リと同 じく二大 情念 の調和 で はあ るが, しか しこれを も って道徳性 とは見 な されない。 ル ター的 な,あ る.

(3) 小 野 寺 律 夫. の 自己決定 に『 探究』 の道徳性 は制約 され るか い は又,バ トラーの言 う良 ′ とヽ らであ る。 しか しここで まさに『 探究』 におけ るこの 自由 な良心 の思想 が. ,. カ ン ト的 な実践理性 との一定 の関係性 にお いて,当 の共感的情調 を感 性 的傾 向性 と して斥 け ることにな るか に思 われ る。 しか し,そ の よ うにはな らな い。 カ ン ト的 な三 分法的 な倫 理 学 の枠組 において は,共 感的情調 によ る意志 に対 す る触発 は排 除 されなければな らな いが,『 探究』思想 の論 理 的基本構造 は. ,. 単 に三 分法的非連続性 の みな らず, これ と併行的 に関連 す る非 カ ン ト的 な連 続性 との二重 構造 で あ るか らであ る。 その とき, 連続性 の枠組 , す なわ ち 「感性 的 な もの」 と「道徳的 な もの」 との結合関係 と して の 「連続性 の原 理 ηπづ raι ψγ グ ttzゎ )6Lは (及)η ι. ,共 感的情調 に『 探究』 の 「共感」 思想 の主要概. 念 の地位 を与 え るのであ る。 そ もそ も,専 ら三 分 法 的 な非連 続性 の枠組 にお いて 措定 され る道 徳性. ,. 『探究』 の表現 によれば 「純粋道徳 (rdne ShJた hkdt)」 は不可能 だ と『 探 究』 は語 る。 道徳性 は, F探 究』 で はな るほど非連 続性 の枠組 にお いて措定 され るが, しか し同時 に共感的情調 を 自 らの 「 感性的基礎」 とす ることに よ って成立す る。共感的情調 は, このよ うな連続性 の枠組 において,良 心 の 自己決定 に もとづ く道徳性 の必然的 な成立要件 をなす。 これを『 探究』 の表 現 に即 して言 えば,「 道徳性―一 す なわ ちわた しの純化 され, 高 め られた好 意 の わた しの我欲 に対 す る優越一一 がそ こにお いて わた しの 自然 に可能 とな る情調」 であ る。 よ り端的 には,「 道徳性 の感性 的基礎 (dnnliche Grundla― gen mdner Sittlた hkdt)9Ъ 「道徳的醇化 の基礎 にな らなければ な らな い情調 (Gemutsstimmung,die seiner sittlichen Veredlung zum Grund liegen muss,)」. 「 内 面 的 醇 化 に と って 本 質 的 で あ る 市 民 の 情 調 (Gemutssummung der Burger,die ihrer inrern Veredlung wesentlich ist,)」. を可育旨 と称 され, 良 ′ とヽ. 根拠 とす る道 徳性 に対 して「 国民 の道徳性 (Nauonakituた hkdt)」 とも言 わ れ る。 私 は先 に別 の論文 で この情調 を 「道徳的情調」 と称 したが,『 探究』 思想 を 「共感」 思想 と把握 させ る概念 には,「 共感的情調」 とい う名辞 の方 がバ、さわ しい と考 え る。.

(4) 30. ペスタロッチーにおける「立法」の課題について. 共感的情調 へ の注 目 は,お そ らく先 行研究 には欠 ける。先行 す る研究 は. ,. たいて い この概念 を考察 の対象 か ら外 して きた。 考察 の対 象 とな るためには. ,. この概念 につ いて議論 す る枠組 が 設定 され る必 要 が あ るが,先 行研究 には. ,. この枠組 が欠如 して いた。 ここで枠組 とは,前 述 した『 探究』思想 の論理構 造 の二 重性 であ る。 この二 重構造 につ いて は, 私 は先 に別 の機会 に,「 感性 的 な もの」 と「道徳的 な もの」 との連続性 とは,「 道徳的 な もの」 (道 徳性) の感性 的基礎. )が 「感性 的 な もの」 によ って媒介 され るとい う. (共 感的情調. 意味 にお ける「道徳的 な もの」 と「感性 的 な もの」 との一 定 の結合関係 であ ることを明 らか に した。 そ うす ることによ って「道徳的 な もの」 が「 感性 的 な もの」 によ って 直接媒介 され る ものでない ことを指摘 し,連 続性 の構造 を 不 当拡張す る一 方 で,非 連続性 の構造 につ いて は これを副次的 な もの と して 相対化 して しま うか に思 われ る Ed。. シュプ ラ ンガーの 見解 を批半1し た。 連. 続性 の構造 を不当 に拡張す るので はな く,非 連続性 との二重 構造 を認 め る枠 組 にお いて は じめて,共 感的情調 は考察 の対象 と して浮上 す る。否 な,正 確 に言 えば,共 感的情調 の概念 の論理 的考察 が『 探究』思想 の二 重 構造 の認識 を導 か ざるを得 ない。論 理 の順序 か らすれば,二 重構造 の枠組 において共感 的情調 は考察 の対象 となるが,認 識 の順序 か ら言 えば,共 感的情調 の概念 的 吟味 が思想構造 の二 重性 の認識 へ と導 くと言 って よい。 シュプ ラ ンガーが連 続性 の構造 の一 方的強調 の誤 りをお か した の は,思 うに この共感的情調 の概 念 の無視 に起因す るの で はなか ったか。 連続性 の構造 の強調 は, シュプ ラ ンガーの み にみ られ る傾 向 で はない。 た とえば P。 ナ トル プが 「人間 の道徳的醇化 は決 して法 と真理 の純粋 な概念 に 由来す るの で はな く,必 然 的 に最 も身近 な感性 的 な諸関係 ,す なわ ち母子間 の感覚 的 な愛 な らびに普通 の 肉体的労働 に由来す る。」 と指摘 し, 又,. A.. ブ ッヘ ナ ウが「動物 か ら市民 を経 て人 間 へ と至 る道 , これ は発展 の連続性 の 思想 と呼 んで よか ろ う。」 と語 るとき, ここに も又 シュプ ラ ンガー と同一 の 立場 が あ る。故 に,共 感的情調 の概念 は考察 の対象外 とな る。 「 共感的情調」 の概念 に言及す る研究 と して は,た とえば B.ト ル ケ ッター.

(5) 小 野 寺 律 夫. の ものがある。彼 は,「 感覚的本能 との関係 の故 に決 して道徳性ではないが. ,. しか し一人一人を道徳性 へ と活気 づ け刺激す る情調」 だ と指摘す ることに よって,共 感的情調 の概念 を道徳性 の概念 との連関 において措定す る。 その 上で,な るほど道徳性 の形成 に作用す るものではないが,道 徳性 へ と活気 づ け,刺 激す る共感的情調 の醸成 に作用す る陶冶 として「職業陶冶」 を挙 げ. ,. 職業陶冶 を もって道徳性形成 の「横lT」 ない し「培養基」 だと規定 して いる。 トルケ ッターの分析 には,確 かに「 感性的 な もの」 と「道徳的 な もの」 との 関係 について,連 続性 と非連続性 との二重性 の認識を認 めることができる。 二重性 の枠組 があっては じめて,共 感的情調 は道徳性 へ と刺激す る道徳性 の 感性的基礎 として,考 察 の対象 に措定 しうるか らである。 しか し トルケ ッターは,そ の所論 において大 きな誤 りをおか した。 『探究』 の思想構造 の二重性 の認識 によ って共感的情調 を概念的 に措定 す るまでは全 く正 しい。 しか しここか ら論 を進めて,「 職業陶冶」 は共感的情調醸成 に作 用 し,故 にそれは道徳性形成 の 「槙粁」「培養基」 であると分析 す るな ら ,. それは誤 っている。「 職業陶冶」 は原理的には共感的情調醸成 に作用 しない か ら, 道徳性形成 の 「積粁」 で も「培養基」 で もない。 ここには「職業陶 冶」 と「 道徳陶冶」 との関係 についての トルケ ッターの誤 った理解がある。 もっと も彼 自身「職業陶冶 と道徳陶冶 の関係,労 働過程 と道徳的 なもの との 関係 …… これ らの問題 はペスタロ ッチーの思想世界の最 もむずか しい問題 で ある。」 と率直 に告白 して い る。 「職業陶冶」 が共感的情調醸成 に作用 しないのは,『 探究』 の以下 のよ うな 文脈 によ って明 らか となる。 トルケ ッターが「 社会的陶冶」 あるいはその中 核 としての「職業陶冶」 と表現す る概念 は,『 探究』 では「市民 的人間 の職 業陶冶」 あるいは「市民陶冶」 と表現 されて いる。 「 市民的人間 の職業陶冶」 あるいは「市民陶冶」 は,個 人 の社会成員化 を課題 とす る。 いわゆる「社会 化」 がその陶冶課題 である。 社会化 を課題 とす る「市民陶冶」 は,『探究』 の語 るところによれば,人 間 の「動物心 (Tierdnn)」 すなわち「安楽を求 め る傾向性 (Ndgung zur Behaglた hkdt)」 という利己的傾向性 を市民社会 の法.

(6) 32. ペスタロッチーにおける「立法」の課題 について. や秩序 の維持・ 安定 のために「 抑制 (hemmen)」 し,「 毀 1員 (Verstummein)」. し,「 変調 (umstimmen)」. す ると言 う。 しか るに, この 「毀損」 等 は. ,. 「安楽 を求 め る傾向性」 を欺 くことによ って可能 であ る。 政治 的, 経済的 な 市民社会秩序 に馴化す れば,「 安 楽」 な生 活 が保障 され ると欺 くことによ っ て可能 であ る。 これを傾向性 の側 か ら言 えば,利 己的傾 向性 が 自 らそ のよ う に錯覚 し,幻 想 す る ことによ って 自 らを「毀損」す る。要 す るに市民陶冶 と は,「 安 楽 を求 め る傾 向性」 を いわば逆 手 に取 って 「毀損」 し, も って恣意 的 な架空 の約束事 や制度 と して の市民社会秩序 へ個人 を社 会化 して ゆ こうと す る陶冶 なのであ る。 勿論 , た とえ毀損 で も市民 陶冶 は必 然 であ る。「 そ うでなければ人 間 は社 会的存在 とはな らず,市 民社会 の 中 で悲惨 で堕 落 した役 に立 たない 自然 人 と して生 きる。」 か らだ。 しか し『 探究』 は,「 人間 は彼 の市民陶冶 と彼 の社会 的法 との帰結 によ って心 の奥底 で満足 しな い」又「最善 の社会状態 もわ が 人 類 を満足 させ ない。」 と も語 る。 な るほど市民陶冶 によ って社会化 はな るが. ,. それ はいわば利 己的傾 向性 を逆 手 に取 った社会化 なので,傾 向性 その もの は 生 きつづ け,社 会的 に有為 な市民 の行動原理 と して の エ ゴイズ ムを支 え続 け るか らであ る。 こ う して『 探究』 は,「 市民 的人間 の職業陶冶」 ない し「市 民 陶冶」 とい う「市民」 教育 の レベ ルを超 えて,「 人間」 教育 の レベ ル にお いて人間 の我欲 の情念 ない しエ ゴイズ ム に対決 しなければ な らな い。 ここで 「人間」教育 とい う場合 の「人間」 とは,「 市民」 とい う日常 的 な現 存在 に対 す る本来的実存 であ る。『 探究』 にお いて は,本 来的実存 とは 「純化 された 好意 が我欲 に優越 す る」 ところの存在 や行為 の あ り方 と して の本来的 自己. ,. す なわ ち 「道徳性」 を言 う。 しか るに 『 探究』 は我欲 に優越 す るこの 「純. )化 された好意」 を 自由 な良心 に もとづ く「道徳力 ιιιづεんθKraft)」 の 自己決定 に もとづ く本来的 自 と考 えて い るか ら,「 人間」 教育 とはJ良 ′ とヽ. (醇. (sづ. 己,す なわ ち道徳性 を陶冶理念 とす る教育 であ ると言 う ことがで きる。 「市民」 教育 の位相 か ら「 人間」 教育 の位相 に レベ ル を移 す ことによ って 利 己的傾 向性 の問題性 に 『 探究』 は立 ち向 って ゆ く。 そ して ここで, この.

(7) 小 野 寺 律 夫. 「人間」 教育 に社会的 , 市民的生活 の レベ ル にお いて関与 す るのが 「立法」 なのであ る。 それ は決 して 「職業陶冶」 で はない。『 探究』 は道 徳性 の感性 的基礎 と して の共感的情調 を醸成 す る作用 を「教育」 で はな く「 立法」 =政 治 に求 めた。 勿論 , 共感的情調醸成 につ いて は,「 教育」 が無縁 だ とい うわ けで はな い。『 探究』 はそ の情調醸成 を立法 と共 に「 宗教」 に求 め,宗 教教 育 が「教育」 と して情調醸成 に作用 す ることを認 め る。 この宗教教育 につ い て は稿 を改 めて論 じるつ もりであ る。 以上 によ って, 共感的情調醸成 =社 会的醇化 を 「社会化」 と して の 「 市 民」教育 に結 びつ けた トル ケ ッターの誤 りは明 白 であ る。彼 は『 探究』 を読 み違 えた。 とは い え,共 感的情調 を考察 の対象 と しな い先行研究 の中 にあ っ て,た とえ主題 的 で はないに しろ,思 想構造 の二 重性 の認識 に立 って それを 考察 の対象 に した彼 の分析 は正 しい。 共感的情調 の概念 は,『 探究』 の各所 に比 較的多 く散見 され る。 に もかかわ らず,明 示的定義 もなければ,概 念 の 文脈 へ の あ らわれ方 も唐突 なので,そ の概念 を含 む脈絡 の理解 が 困難 であ る。 だか らとか くす れば,触 れ られ じま い とな る。 い ったい,'概 念 的 ,論 理 的記 述 の稀 薄 さは, ペ ス タ ロ ッチ ニ の文章表現 の ス タイ ル だ と言 う。『 探究』 は 煩雑 な比喩 的表現 や用語 の不統一 に満 ち;「 読 む ことが最 も難 しく, 厄介 こ の上 ない」「 18世 紀 中 の最 も難解 な著作 の一 つ」 と評 され, い まだおそ らく ,. そ の思想 内容 の論 理 的 な内的連関 も意図 も十分 には解釈 されて いない と指摘 されて い るな これを「 共感的情調」 の場合 にひ きつ けて語 れば, この概念 は 論 理 的 に明解 に記述 されな いので端折 られ る。認識 の順序 か ら言 えば,そ う す ることによ うて思想全体 の論 理 的連関 の基本構造 と して の連続性 と非連続 性 の二 重性 の認識 に達 せ ず,故 に,そ の思想 の意図 も正 しく捉 え る ことがで きなか った。共感的情調 の概念 は『 探究』 思想 の 内的連関 の基本構造 を認 識 させ るとと もに, その基 本構造 の理 解 を介 して 『 探究』 思想 の意図 が 「 共 感」思想 の分析 にあ ることを理 解 させ る鍵概念 であ るに もかかわ らず,先 行 研究 はその よ うに して これ まで この概念 を取 りあげて こなか ったのであ る。 さて, こうして共感的情調 の醸成 ,す なわ ち社会的醇化 は立法 の課題 とな.

(8) 34. ペスタロッチーにおける「立法」の課題 について. るが,『 探究』 は当 の 「立法」 が したが うべ き「社会的 醇化 の規準」 につ い て語 る。次 は, この規準 につ いて 考察 してみた い。. Ⅱ.社 会 的醇化 の 規準. 社会的醇化 とは,社 会的 ,市 民 的生活 によ る共感 的情調 の醸成 であ る。 し か しここで勿 論 ,社 会 的醇 化 =共 感 的情 調 の醸 成 は,あ らゆ る社 会生 活 に よ って可能 なので はない。 な るほど『 探究』 は,市 民社 会 の形成 に言及 して. ,. 前社会的状態 にお ける いわ ゆ る「堕落 した 自然 人」 が 自然権 の相互譲渡 に も とづ く政治・ 経済社会 と して の市民社会 を形成 し,社 会状態 ,国 家状態 へ と 移 行 す る第一 の 目的 は,「 動物 的幸福 の あ とに続 く動物 的堕落 の継続 を緩和 す ること」 だ と1旨 摘 して い る。 ここで「動物 的堕落」 とは,ホ ッブスの言 う「万人闘争」 の状態 であ る。 この万人闘争 を緩和 す るために, 財 産 (Eigentum), 所得 (Erwerb), 職業 (Beruf)と い う経済的秩序 お よび法 (Gesetz),政 府 (Obngkeit)と い う政治 的秩序 が構築 され るが,こ れ らの経 済的政治 的秩 序 は 「安 楽 (Behaglichkeit)」 を調達 す る人為的努力 であ る。 しか るに この安楽 とい う「欲求 の容易 な る充 足状態」 は好意 =共 感感情 の生成基盤 であ る。故 に,経 済的政治的市民 社会 秩序 の構築 は,共 感感情 の回復 によ る万人闘争 の継続 の緩和 を企 図す る もの と『探 究』 で は考 え られて い る。「社会生活 は全 く,一 般的 か つ相互 的 な共 感 を求 め る欲求 の帰結 であ る」 と語 られ るゆえんであ る。 しか し同時 に『 探究』 は,「 社 会生活 の制度 は, わた しの好意 の感情 とわ た しの我欲 の感情 とをかわ るがわ る際限 もな く結 びつ けた り分離 した りす る 一連 の諸観念 であ る。」 と も語 る。 す なわ ち社会状態 へ と移行 した社会的人 間 が営 む社会的市民 的生活 は,共 感感情 の回復 を企 図 し,エ ゴイズ ムの感情 を緩和 ,中 和 しよ うとす るが,そ うな るとはか ぎ らな い。共感感情 は,エ ゴ イズ ムの情念 に結合 す ることな く, したが って 又 この情念 を中和す る原 理 と して機能 す る ことな く,「 自己 の安 楽 を求 め るわ た しの渇望 の ためにわ た し.

(9) 小 野 寺律 夫. 35. の最 も奥深 い ところで 自 らを失 な う危険」 の 中 にあ る。共感感情 との こう し た分離状 況 にお いて は,「 自己 の安楽 を求 め る渇望」 と して の エ ゴイズ ムの 情念 が社会的人間 の行動原 理 であ りつづ け る。単 に主 観的 な恣意 の産物 にす ぎな い約束事 や制度 ,『 探究』 の表現 によれば 「本来 全 く存在 しな い事柄 の 諸観念」 が「 わた したちの生活 を重 苦 しい稼 ぎに,骨 の折 れ る生活 に縛 りつ け…… た とえそれ らがわた したち の快楽 を倍加す るにせ よ,わ た したちの重 荷 を増 し,わ た したちが 自然状態 の 中 で ほとん ど気 づ か なか った不平等 を痛 切 に感 じさせ る」 な らば, これ ら人 為的 な社会制度 の上 に成立 す る社会的市 民 的生活 は, 共感感情 の生成基盤 と して の 「安 楽」 で はな く, 逆 に 「不快 (Unbehaglichkeit)」. を再生 産 し, 故 に エ ゴイズ ムの'情 念 を増殖 しつづ ける. ので あ る。 それ故 ここに,『 探究』 は 「社会状 態 を通 してわた しの真 の醇化 に向 うた めに本質的 に必要 な情調 を確 保 す る立法 の調停」 を必然 的 に要請 す る。立法 によ って社会的市民 的生活 その ものが営 まれ る市民社会 を改 革 し,社 会的醇 化 =共 感的情調醸成 が可能 とな る社会的環境 を創造 して ゆ く。「環境 が人 間 を つ くるな」 とい う『 探究』 の第一命題 は, ここに立法 によ る社会改革 を要 「社会 的醇化 の規準 (Ma3stab)」 請 す る。そ して この立法行為 を規定 す るのが なのであ る。 立法 は この規準 に準拠 して人民 の権利・ 義務 を規定 す る。『 探 究』 は言 う。「社 会状態 にお け る道 徳性 は, 自然 みずか らがわた したちに示 す この社会的醇化 の規準 に国 の法律 や規 則 が純粋 に,又 確 か に結 びつ いて い れば い るだ け生起 す るな」又社会的醇化 の規準 につ いて は,「 社会状態 におい てわ た したちに課 せ られ る義務 9な らびにわた したちが要求 す る権利 が この よ うなわた したちに動物的 , 感覚 的 に近 い道徳的対象 (sdche uns ue五 sch und sinnlich nahe stehende sittliche Gegenstande)に 基 づ き, 活気 づ け られ る. だ け,・ … 00わ た した ちはそれだ けわ た したちの 自然 の最 も本質的 な醇化手段 を社会状態 にお いて享受 す るのだな」 と。 ここで は権利・ 義務規定 が準拠 す べ き社会的醇化 の規準 を「 道徳 的対象」 が「 わた したちに動物 的,感 覚 的 に 近 い」 ことに求 めて い る。法律 が この規準 に準拠 す る権利・ 義務規定 と して.

(10) 36. ペスタロッチーにおける「立法」の課題について. 制定 されるとき,そ こに構築 される社会状態 は,共 感的情調 の醸成 三社会的 醇化 を可能 にする。 これは端的 には,「 社会状態 は, 社会状態 の権利 と義務 とが個人 としてのわた したちに動物的 に近 い道徳的対象 (dttliche Gegenst― ande,die unserer lndividualitat tierisch nahe stehen。. )に 基づ くだけ, それだ. けわた したちの真実 の醇化 の手段 である。」 と表現 される。 こうして社会的醇化 の規準 は,「 道徳的対象」 が 「われわれに動物的, 感 覚的 に近 い」 ことであるが, この規準 を説明す る表現 は一様 ではない。上掲 の二通 りの表現, すなわち 「 わた したちに動物的, 感覚的 に近 い道徳的対 象」「個人 としてのわた したちに動物的 に近 い道徳的対象」 という表現以外 に,「 個人 としてのわた しに動物的に近 い対象 (Gegenstande,dね dividualitat tた nsch nahe stehen.)」. meiner ln―. 「個人 としてのわた しに感覚的,動 物的. に近 い対象 (Gegenstande,db mdner lndividualitat dnnlich und densch nahe stehen。. )」 「 わた しに動物的 に近 い道徳的対象 (dn mir tbnsch nahe stehe―. nder dttlicher Gegenstand)」 という表現 がみ られ る。. 社会的醇化 の規準 は,以 上五通 りに表現 されるが,で はこれ らの表現 が意 味す る内容 は何か ど問 われれば, それは難問 である。 その難 しさは,「 道徳 的対象」 あるいは「対象」 の理解 にある。「道徳的対象」 あるいは「対象」 の理 解 については,私 は既 に別 の論文 で明 らかに した。 その場合手掛 りと な ったのは『 探究草稿. αθ η"Jttε K/o寄 ε 加 電 ")』 の対応箇所 の “ 吟味 である。『 探究草稿』 には次 のよ うな表現―一 「個人 としての私 に最 も (Eη 初甕 学7 zπ. 近 くにある諸関係 (Bettehungen,die mdner lndividualitat am mdsten nahe 44). dnd,)」 に. 45). のよ うな身近 な動物的諸関係 (sdch nahe densche BeJehungen)」. 「個 人 と して の 彼 の最 も近 い諸 関 係 (das nachste verhaltnisse sdner ln‐ dividualitat)」. ―― が見 られるところか ら,「 道徳的対象」 あるいは「対象」. とは,「 諸関係 (BeJehungen,Verhaltnisse)」. すなわち「社会的諸関係」 を. 意味す ると考 えてよい。 ではなぜ「社会的諸関係」 が「道徳的対象」 と表現 されたかである。「社会的諸関係」 が 「社会的醇化 の規準」 と連関する点を 指示 して 「道徳的対象」 と呼んだと考 え られるが, しか しこの 「道徳的対.

(11) 小 野 寺 律 夫. 象」 とい う名辞 も一貫 して用 い られてお らず,単 に「対象」 と表現 されて い るところか ら考 えれば,「 道徳 的」 とい う規定 にひ きづ られて, これを深読 み し, も って混沌 の渦 に巻 き こまれ るの は賢明 で はな い。 さて,先 に列挙 した五通 りの表現 を見 ると,「 道徳 的対象」 す なわ ち 「 社 会的諸関係」 は,い ずれ も二 通 りの条件 によ って規定 されて いる。 す なわ ち. ,. (1)「 わた し (わ たしたち)に 近 い」 ない し「 個人 と して の わた し (個 人 として. のわたしたち)に 近 い」,(2)「 動物 的 に近 い」 ない し「動物 的 , 感覚 的 に近 い」 とい う条件 であ る。 社会的諸 関係 =道 徳 的対象 が,(1)わ た し ち)な い し個人 と して の わた し (2)動 物 的 ない し動物 的. (わ. たした. )に 近 い とい う条件. (個 人 としてのわたしたち. ,感 覚 的 に近 い とい う条件 が,. ,. こ う して社会的醇化 の. 二 つ の規準 とな る。 私 は, ここで(1)の 規準 を 「 私事性 の原則」,(2)の 規準 を 「共 感性 の原則」 と称 した い。 まず,社 会的醇化 の第一 の規準 と して の 「私 事性 の原則」 であ る。「 わ た し. (わ. たしたち)に 近 い」 ない し「 個人 と して の わた し. (個 人 としてのわたした. ち)に 近 い」 とい う意味 に関 して は, ペ ス タ ロ ッチ ー全集校訂版 の注釈 は. ,. これを 「道徳性 は全 く個人的 であ る。 それ は二人 の間 で は成 り立 たな い。」 とい う道徳 の主観性 につ いての『 探究』 の言及 と関連 させて, この主観性 と は必 ず しも一致 しな い との べ るが, しか し私事性 を意味す るとも語 らな い。 これ に対 して M.ボ ー ンは,「 わた し (個 人としてのわたしたち)」. (わ. たしたち)」 「個人 と して の わた し. の意味 を明 らか に主観 性 と して把握 して い る。 し. か しそ うで はない。 それ は私事性 を意味す るので あ る。権利規 定 が準拠 す べ き「 わた し (わ. (わ. たしたち)に 近 い」 とい う規準 に関 して,『 探究』 が 「 わた し. たしたち)に 近 い」 ところの道徳 的対象 =社 会的諸 関係 と して 「 家屋敷. ,. Ёヾ 清 に と ってか けがえ の 妻子 ,友 人 や 隣人 ,祖 国」 を挙 げ, これを「 個人 のノ ない一 切 の もの」 と指摘す るな ら,「 わた し. (わ. たしたち)に 近 い」 とい う条. 『 探究』 にお いて 件 が意味す るの は,「 主観性」 で はな く「 私事性」 であ る。 は「祖国 (VateJand)」 す ら,「 国家 事的 なのであ る。. (Staat)」. が公共的 であ るのに対 して私.

(12) 38. ペスタロッチーにおける「立法」の課題 について. 又,義 務規定 が準拠 す べ き「 個人 と してのわ た しに近 い」 とい う規 準 に関 して は,義 務 が この規準 に準拠 づ け られ る. (動 機づけられる)こ. とを「個人 と. して の わ た しに全 く固 有 な (eigen)義 務動機」 と言 い, 又 これ に対応 して 「個人 と して の わ た しか ら遠 い (von mdner lndi宙 dualitat entfernt stehen)52b とい う条件 に義務 が動機 づ け られ ることを「 わ た しが他者 と共有 す る義務動 機」 と言 うな らば,「 個人 と してのわ た しに近 い」 とは,「個人 と して の私 に 全 く固 有 な」 とい う意 味 で 「 私事性」 を意 味 し,「 個人 と して の わた しか ら 遠 い」 とは「 わ た しが他者 と共有 す る」 とい う意 味 で,「 公共性」 を意 味 す るのであ る。『 探究』 において は,権 利・ 義務 が「 わ た し い」 ない し「個人 と して の わ た し. (わ. たしたち)に 近. )に 近 い」 とい う. (個 人としてのわたしたち. 社会的諸関係 の私事性 に準拠 して法 制化 され るとき,そ の法秩序 の下 に組織 され る市民的,社 会的生活 によ って共感的情調 の醸成 が可能 にな ると考 え ら れて い る。「私事性 の原則」 は, こう して社会的醇化 の第一 の規準 であ る。 次 に「共感性 の原則」 であ る。共感性 の原則 とは,社 会的諸関係 が「動物 的,感 覚的 に近 い」 とい う「 社会的醇化 の基準」 で あ る。 で は ここで「共感 性 の原則」 と称 す るの は何故 か。「動物的 , 感覚 的 に近 い」 とい う文言 にお け る「近 い (nahe stehend,nahestehend)」 estehend)」. とい う意味 であ る。「 わた し. とは「 親密 な (nahe stehend,nah― (わ. たしたち)に 近 い」 とい う文 言 に. お け る「 近 い」 が社会的役割 の「近接性」 す なわ ち私事性 を意 味す るの に対 し,「 動物 的, 感覚的 に近 い」 とは感 覚的. ),感 情 的親密 さと しての. (動 物的. 「 近接性」 であ る。 私 は, この意味 での 「近接性」 が社会的醇化 の規準 で あ るとき, これ を「共感性 の原則」 と称 して いる。 この「 共感性 の原則」 に準 拠 して権利 ,義 務 が規定 され るとき, この法秩序下 に組織 され る市民的 ,社 会的生活 の 中 で社会的醇化 が生 起 す る。 「共感性 の原則」 は,権 利・ 義務 が有 す る「 抽象性」 「観念性」 を克服 す る 原則 であ る。 この抽象性 の克服 に関 して は,『 探究』 は「権利. (自. 由)」 の場. 合 につ いて は明確 に説明 して いない。 しか し社会的役割 と して個 々の市民 に 課 せ られ る「義務」 の場 合 につ いて は,抽 象的 ,観 念的義務 の社会的醇化 に.

(13) 小 野 寺 律 夫. 対す る不可能性 を問題 に し, その抽象性, 観念性 を克服す る 「共感性 の原 則」 に関 して次 のよ うに指摘す る。「社会的義務 は, 単 に社会的関係 におけ る法や権力 の結果 としての義務動機,す なわち君主 や伍長 や村長 としての義 務動機 のみな らず,む しろ私 の本性 の単純 な好意的関係 の結果 としての義務 動機,す なわち伍長 で も村長で も君主 で もない人間 としての義務動機 が私 に 働 きかけるだけ,そ れだけす ぐれてわた しの道徳性 を助成 す る。」 いったい役割関係 における社会的義務 の抽象性,観 念性 は,そ の義務 がた とえ私事性 に動機 づ けられて いるとして も免れ ることはで きない。 たとえば. ,. 父 としての義務 は,な るほど私事性 の原則 に基 づいてはいるが,そ れで もな お観念的 0抽 象的 な義務 なのである。 故 に,「 わた しの父 としての義務 の観 念 さえ,私 の近 くにいるわた しの子 どもの笑顔 あるいは涙がそ うす るほどに は,わ た しの道徳性 の感性的基礎 を助長 しないな」 と言 われる。又,「 祖国」 へ の義務 も,「 国家」 への義務 に比 べて, なるほど私事的である。 しか し ,. 「 祖国」 への義務 も,「 民主主義者 として,貴 族主義者 として,要 す るに何か ある原則を もつ ものとしてのわた し」 が表象す る政治上 の抽象的観念 に動機 づ けられるな ら,そ こには社会的醇化 は生起 しない。故 にここに共感性 の原 則 を もちだ して『探究』 は次 のよ うに言 うのである。「祖国 の苦悩 や祖国 の 喜 びへの共感 は,わ た しの祖国へ の義務 の何 かある観念がな しうるよりもよ りよ くわた しの道徳性 の基礎を助長す る。 もしも純粋 な社会的喜 びや重苦 し い社会的苦悩 に感覚的 に近 くにあることによ つて人間的 に支 え られないな ら Ёヾ 情の社会的硬化 を防がな よ しんばどんな純粋 な政治原則 であ って も人間的ノ ,. い。」 しか し共感性 の原則 が義務 の観念性 あるいは理想主義的抽象 を克服す るだ けであるな ら,そ れを克服す る原則 は,必 ず しも「共感性」 である必要 はな い。身体性 の抽象 に対 しては身体性 の措定 であればよい。 にもかかわ らず. ,. 共感性 の原則 であるのは, この原則 が単 に義務動機 の理想主義的抽象 を克服 す る原則 のみな らず,よ り根底的 には社会的役割関係 に生 きる市民 0社 会的 人間 の行動 を基本的 に規定す るエゴイズムの原理を中和する原則 であるか ら.

(14) 40. ペスタロッチーにおける「立法」の課題について. であ る。 そ して この ことか ら,な ぜ私事性 の原則 が社会的醇化 の規準 と して 設定 され るかの理 由 も明 らか とな る。『 探究』 は社会的諸関係 す なわ ち社会 的役割関係 にお ける市 民 0社 会的人間 を 「公人. ∬entliche Menschen)」. と. に分 け,共 感感情 を この「 私 人」 の胸底 に存在す. 「私人 (PHvatmenschen)」. る 「私的 な徳 (PHvattugend)」 (ё. (ё. であ るとす る一 方 ,「 この 人間的徳 は公的. rentlich)に は愚 さに化 す る。」 とのべ ることによ って,「 公人」 の′ と、 胸に. は共感感情 が 不在 であ ることを指摘 す る。 しか るに私事性 とは「私人」 の事 柄 であ るか ら,私 事性 の原則 は,共 感感情 の存在領域 と して の私人間 の社会 的諸関係 へ と役割関係 を限定 す る。 この限定 された領域 にお いて共感性 の原 則 が定立 しうるな らば,私 事性 の原則 は共感性 の原則 の前提条件 をな して い るので あ る。 社会的醇化 の規準 は, こう した関係 にあ る二 つの原則 の一 体 であ る。 で は. ,. この一 体的 な原則 は,い かな るメカ ニ ズ ムを通 して共感的情調醸成 に作用す るの か。. Ⅲ.情 調醸成 のメカ ニ ズム. 社会的醇化 の規準 の認識 につ いて,本 稿 の見解 と認識 を異 にす るのが シュ プ ラ ンガーの分析 であ る。「 個人 と してのわた しに動物 的 に近 い対象」 とい う社会的醇 化 の規準 をあ らわす文 言 につ いて, これを私 は「個人 と してのわ た しに近 い」 とい う要素 と「動物的 に近 い」 とい う要素 の二 つ に分解 して理 解 した。 これ に対 して シュプ ラ ンガー は,前 者 の要素 につ いて は これ を無 視 し, 後者 の 「動物 的 に近 い対象」 の みを取 りあげ, 次 の よ うに説明す る。 「 それ はペ ス タ ロ ッチ ーが以前 に個人的境遇 (Indi宙 duallage)や 人間 自然 の 現実諸関係 (RealvelЫ ndungen)と 称 した もの, つ ま り最 も近 い特殊 な生活 諸関係 (Lebensbezuge)《 環境 Milieu)を 意味す る。 最 も近 い特殊 な生 活諸 関係 は,『 道徳性 へ と導 く手段』 す なわ ち人間 の 内面的 自立 を覚醒す る心理 的 に有効 な手段 であ る。」.

(15) 小 野 寺 律 夫. しか しこの説明 には少 な くとも二つの誤 りがある。 まず第一 に,「 個人的 境遇」 「人間 自然 の現実諸関係」 「最 も近 い特殊 な生活諸関係」 などによ って 説明 されるのは,「 動物的 に近 い対象」 ではな く, シュプ ランガーがまさに 無視 した「個人 としてのわた しに近 い対象」 である。 第二 に,「 最 も近 い特 殊 な生活諸関係」 が「道徳性 へ導 く手段」 だと説明 して いるが,そ の本質的 第一義的 な手段 をなす のは「個人 としてのわた しに近 い対象」 ではな く―― もっともシュプ ラ ンガーは「最 も近 い特殊 な生活諸関係」 を もって「動物的 に近 い対象」 だと誤解 しているが――「 動物的 に近 い対象」 である。 『 探究』 は言 う。「道徳的対象 の動物的近 さ. (dね. uenshe Naherung situther Gegenst‐. ande), その際, この近 さが もた らすわた しの我欲 の感情 と好意 の感情 との 一致 (Vereinigung),… … わた しの我欲 とわた しの好意 との こうした調和. (Harmonie)は それ 自体 としては, 道徳性一― すなわちわた しの純化 され. ,. 高 め られた好意 のわた しの我欲 に対す る優越 (Obergewた ht)― ― がそこに おいてわた しの 自然 に可能 となる情調 への感覚的,動 物的 な導 き以外 の何物 で もない。 」 第二の誤 りは, 第一 の誤 りか ら帰結 す る。 第一 の誤 りとは,「 個人 として のわた しに近 い対象」 が示す「私事性 の原則」 の折出の欠如 である。 しか る にシュプラ ンガーにおいては, この原則 を示す「個人 としてのわた しに近 い 対象」 は,奇 妙 なことに,い つの間 にか「最 も近 い特殊 な生活諸関係」 とし て浮上 して くる。 この事実 は, シュプランガーにおいては「私事性 の原則」 は無視 されたのではな く,「 共感性 の原則」 と原理的 に区別 されて いないこ とを意味す る。「動物的 に近 い対象」. )と 「最 も近 い特殊 な. (→ 共感性の原則. 生活諸関係」 (→ 私事性の原則)と が概念上混同 されて い る。 そ して彼 は, こ の概念上 の混同 によって「最 も近 い特殊 な生活諸関係」 が「道徳性 へ導 く手 段」「 人間 の内面的自立 を覚醒す る心理的に有効 な手段」 であることを指摘 す るが, もしこの混同が一貫 して いれば,当 然 の ことなが ら「最 も近 い特殊 な生活諸関係」 と混同 されたところの「動物的 に近 い対象」 が もつ陶冶性 に 言及す る命題,す なわち「道徳的対象 の動物的近 さ」 を主語 に して, これが.

(16) 42. ペスタロッチーにおける「立法」の課題 について. 示す「共感性 の原則」 が作用す る範囲 を「道徳性 が可能 とな る情調」 す なわ ち「共感的情調」 だ と述 語的 に限定 す る如 _11の 命題 に到達 す るはずであ る。 しか し シュプ ラ ンガー にお いて は概念 の混同す ら徹底 して いなか った。故 に この共感的情調 の概念 に論理 的 に逢 着す ることがで きなか った。 もしこの共 感 的情 調 の概念 に逢 着 して いれば, シュプ ラ ンガー にお け る「連 続性 の原 理 」 の不当拡張 は不可能 であ った。 恐 らく シュプ ラ ンガー にお いて は,連 続性 の原 理 へ の思 い込 みがあ って. ,. 共感的情調 の概念 を落 ち こぼ した。 そ して この思 い込 み に拍車 をか けた のが 「動物 的 に近 い対象」. (→ 共感性の原則)と. 「最 も近 い特殊 な生活諸関係」. 私事性の原則)と の概念的 な混同・ 混乱 であ った。 な るほど M。. ,. (→. ボー ンは. ,. シュプ ラ ンガーの概念上 の混同 をそ の まま踏襲 したが,正 当 に も共感的情調 を取 りあげ た。 その点 で は,先 にあげた トル ケ ッター と共 に正 しい。 ボー ン にお いて は, シュプ ラ ンガー に見 られ る連続性 の原 理 の一 方的強調 へ の 自制 が働 いて いた。 連続性 の枠組 にお いて 「感性 的 な もの」 が媒介す るの は. ,. 「道徳性」 の感性 的基礎す なわ ち「共感的情調」 であ り, その とき「 感性 的 な もの」 とは「動物 的 に近 い対象」 (→ 共感性 の原則)な ので あ る。 そ して. ,. 「個人 と して の わた しに近 い対象」「最 も近 い特殊 な生 活諸関係」 (→ 私事性 の 原則)は , すで にの べ たよ うに共感感 情 が存在す る私的役割関係 へ と社会的 諸関係 を限定 す る条件 なのであ る。 立法 は, こ う した二 つの原則 の一 体 であ る社会的醇化 の規準 に準拠 して権 利・ 義務 を規定 し,社 会改革 を実現 す る。 そ して ここに可能 とな る市民的. ,. 社会的生活 によ って共感的情調 の醸成 をめざす。社会的醇化 を実現 しよ うと す る。 『 探究』 はその よ うな機能 を立法 に課 して い るのであ る。故 にいわ く。 「動物 的 な権力作用 の限界 の うちに とどま らず, よ り高 い, わた したちの本 性 の 内面 的醇化 に向 って努力す る賢明 な立法 の調停. (Zwischenkunft)が 社. 会的状態 にお いて は本質的 に必 要 なのであ る。」 と。 立法 の いわ ゆ る「 調停」機能 は,お よそ次 の 3つ に分 けて考 え ることがで きる。 まず第一 に,「 血 の絆 や近 くに存在 す る人 々の好意的関係 の結 合」 で.

(17) 小 野 寺 律 夫. ある。 つ まり肉親間 および隣人間 の好意的,共 感的 な社会的諸関係 の構築 で ある。第二に,如 上 の家族 や近 隣社会 の好意的,共 感的 な社会的諸関係 を分 断・ 解体 し,私 的個人を限 りな く国家公民 へ と抽象化 しようとす る国家権力 の制限 である。 第三に, 我欲 と好意 との調和 である。 ここで調和 とは,「 我 67). 66). 欲 に対 す る好意 の優越」「我欲 の好意 への従属」 によって, すなわち「社会 的好意 の優越」 によ って可能 である。 しかるに この第二 の機能 に関連 して第 一 のそれは,好 意的,共 感的 な社会的諸関係 の育成 であ り,第 二 は,そ の保 護 である。立法 は,好 意的,共 感的 な社会的諸関係 を育成・ 保護 し, もって 社会的好意 の優越 にもとづ く我欲 と好意 の調和 を もた らそ うとす る。 ところで, エゴイズムの情念 としての我欲 と共感感情 としての好意 との調 和 は,『探究』 のいわゆる「共感 の人間学」 によれば,人 間存在 の「 自然状 態」 および「道徳的状態」 において可能 である。「思 いや りのある善良 な好 70). 69). 意的存在」 あ るいは「平和 で善良 な好意的存在」 がそれであ る。『 探究』 は 好意 と我欲 との調和 を「 わ た しの力 とわた しの欲望 との調和」 に帰結 す ると 考 えてお り, これ らの「調和」 を全 体 と して,「 自然状態」 につ いて は「動 73). 72). 物 的調和」,「 道徳 的状態」 につ いて は「 道徳 的醇化 の調和」 とそれぞれ称 し て い る。 ただ し好意 と我欲 の「調和 (Harmonie)」. につ.い て は,「 調和」 とい. う語 と共 に「 均衡 (Gbた hgewた ht)」 あ るいは「 一致 (Verdnigung)」. とい う. 語 が用 い られ,「 わた しの力 とわ た しの欲望 との調和 (Harmonb)」 につ いて は「均衡 (Gleた hgewicht)」 とい う語 が用 い られ ること もあ る。 で は,「 動物 的調和」 お よび 「道徳的調和」 生成 の メカ ニ ズ ム はどのよ う な ものか。 「動物 的調和」 につ いて は,「 わた しの力」 す なわ ち本能 的行動能 力 と「 わ た しの欲望」 す なわ ち動物 的欲求 との調和―一「本能 に導 かれて容 易 に感覚 的快 楽 を見 い出す」 一― とは, F探 究』 の「 共感 の人間学」 によれ ば,「 自然的 自由」 であ り, 本能 的行動能力 によ って実現 され る「 生 の要求 の享受 におけ る 自主独立」 ない し「 安楽」 であ る。 この 自然 的 自由 あ るいは 安 楽 にお いて共感感情 =好 意 が生 成 し,生 成 した共感感情 が,自 らの優越性 にお いて動物 的欲求. )の エ ゴイズ ムの情念 と調和. (欲 望. (均 衡. 0-致 )す ると.

(18) 44. ペスタロッチーにおける「立法」の課題について. き,「 動物的調和」 が生成す る。 要す るに欲求―享受体制を基軸 とす る享受 の容易 さ,自 由さ,す なわち自然的 自由ない し安楽 が「調和」生成 メカニズ ムの生成条件 となっている。「道徳的調和」 についていえば, その生成条件 は 「わた しの我欲 のわた しの道徳力への隷属」「動物的欲望 の醇化 された好 意 へ の隷属」「 わた しの純化 され, 高 め られた好意 のわた しの我欲 に対す る 優越」 「動物的我欲 のあ らゆる要求 を もつ私 をわた しの意志 の 自由 とその意 志 が もつ好意 の 自由に従 わせ ること」 と多様 に表現 される。 ここで 「道徳 力」 とは良心 であ り, 良心 の 自由 な自己決定 において可能 となる 「愛」 ― 『 探究』 の表現 によれば 「純. (醇. )化 された好意」 一 と,. おける「動物的欲望」 ない し「動物 的我欲」 との調和. この愛 の優越性 に. )が 「道徳的調. (均 衡. 和」 である。 以上 が二つの存在 の「調和」 およびその生成 のメカニズムであるが, これ に対 して「社会状態」 では,「 調和」 が欠ける。 「 わた しの力 とわた しの欲望 との不釣合 (Mi3verhaltnisse)」. がその状態 の本質 である。 なるほど 「財. 産」や「国家」 という経済的政治的 な社会的諸制度下 における社会的権利 は. ,. 「 わた しの欲望」 を充足す る「 わた しの力」 =「 社会力」 である。 ここに社 会的権利 による欲求. )充 足 としての「社会的自由」 が実現す るが, し. (欲 望. か しそれは欲望 の容易 な らざる充足であるので,実 現 した社会的 自由 は「安 楽. (Behaglichkeit)」. ではな く「 不快 (Unbehaglichkeit)」. である。 しか るに. 共感感情 は「安楽」 に生成す るとすれば,社 会的 自由においては,共 感感情 は生成 しない。動物的欲求 や我欲的情念 など感性的傾向性 が人間存在 の「社 会状態」 を支配す る行動原理 なのである。「社会状態その ものは, 本質的 に は我欲 か ら自由 な共感 の感情 (Gefuhl einer von Selbstsucht rdnen Teilneh―. mung)を 欠 いている。 社会的人間 それ 自身 は共感的で もなければ公正で も ` 81). ない。」 以上 の「調和」 ない し「 不調和」 の人間的 メカ ニ ズ ムを前提 にす ることに よ って,立 法 の課題 が明確 とな る。 すなわ ち立法 は,社 会的諸制度 お よび社 会的権利 によ る存在 の「調和」 の原 理 的不能 に対 して, この いわば絶対 的 な.

(19) 小 野 寺 律 夫. 「調和」 の生成 メカ ニ ズ ムか らはずれ た回路 で相対的 な 「調和」 の生成 を志 向 しなければな らない。 しか るに相対的「調和」 とは,す でに の べ た「 道徳 的対象 の動物 的 な近 さ」 が導 く好意 と我欲 との調和. )で あ り,. (一 致. この調. 和 にお いて醸成 す るのが,「 共感 的情調」 であ る。 立法 は, この相対的「調 和」―「共感的情調」 の回路 に したが って,共 感的情調 の醸成 =社 会的醇化 の実現 を 自 らの課題 とす る。 い ったい「家庭 的 ,市 民 的義務 は…… わた しの 道徳性 と全 く対立 す るか も しれ ない し,… …権利 の感情 は一 般 に我欲的 で疑 い深 く暴力的 であ る。」 しか し, エ ゴイズ ムを行動原 理 とす る市民 ない し社 会的人間 の権利及 び義務 が,共. '感. 的 な社会的諸関係 に動機 づ け られ る権利. 0. 義務 と して法 制化 され るな らば, す なわ ち 「 共感性 の原則」 に準拠 す る権 利・ 義務 と して法 制化 され るな らば,そ れ らは単 に エ ゴイズ ムの情念 の みな らず,共 感感情 を も基底 とす る権利・ 義務 であ るか ら,そ の権利 の行使及 び 義務 の遂行 は, 我欲 と好意 との調和. (一 致. 0均 衡)に 基 づ き, も って 「 共感. 的情調」 を醸成 せ ず にはおか ない とい うわ けであ る。『 探究』 は共 感的情調 生成 の メカ ニ ズ ムを 自由. (権 和1)の 場合 につ いて,′. 次 の よ うに明確 に語 って. い る。 「 家屋敷 ,妻 子 , 友人及 び隣人 , そ して祖 国 に結 びつ いた 自由, す なわ ち 家屋敷 で,妻 子 の ところで,村 や町 において 父 らしく遮ゝるま い,そ して,賢 明 な法律 の力 によ って父 らしく遮ゝるま う以外 にはで きず,又 そ うす る以 外 に 欲 しな いよ うな自由一― この よ うな 自由 は,わ た しの我欲 の感情 とわ た しの 好意 の感情 との一 致 に基 づ いて お り,… …市民 と して の わ た しに人 間的 な力 を与 え る。 それ故権利 も特権 も自由 も,そ れ らがわた しの我欲 とわた しの好 意 との二 つの感情 をわ た しの うちで一致 させ るか ぎりにお いてのみ,わ た し を共感 的 に,公 正 にす る。」 共感的情調醸成 に作用す る最高 の手段 は,F探 究』 によれば,「宗教」 であ る。 この宗教 に並 置 して挙 げ られ た のが「立法」 であ る。 しか しそ の手段性 の レベ ル は異 な って い る。宗教 の もつ手段性 は,ま さに情調醸成 に直接 的 に 作用 す る当体 と して の手段性 で あ る。 これ に対 して,立 法 の手段性 とは,そ.

(20) 46. ペスタロッチーにおける「立法」の課題 について. れで も って社会 を改革 し,改 革 された市民的社会的生活 を直接的 な手段 と し て情調醸成 を はか ろ うとす る間接 的 な手段性 であ る。立法 は直接 的 には社会 改革 の 手段 であ り,情 調醸成 の直接 的手段 は社会生活 であ る。 これ に対 し ,. 宗教 は,情 調醸成 の 直接的 手段 であ り, ここで宗教 を直接 的 手段 と して情調 醸成 を はか ろ うとす る間接 的 な手段 が「教育」 であ る。 こう して立法 は,社 会改革 によ って外的 に,教 育 は宗教 によ って 内的 に,両 者 は共 に情調醸成 に 作用 す る間接 的手段 なので あ る。「教育 と立法 は, ペ ス タ ロ ッチ ーの一 切 の 実践 にお いて問題 とな る実践 的活動 の二 つの領域 であ る」 といわれ るゆえん であ る。 しか るに B.ト ル ケ ッター は 「教育 と立 法 と宗教 が 人間 を道 徳性 に 導 く」 と,教 育 と立法 と宗教 の三 者 それぞれをそれぞれが位置す る位相 を区 別す ることな く並列 す る。 しか しそれ は不正確 であ る。立法 と教育 との二 者 が,『探究』 が対象 とす る本質的 な実践的領域 であ り,『探究』 は, この二 つ の実践領域 につ いて共感生成 の問題 を主題 化 し,そ れを いわ ゆ る「共感 の政 治学」 な らびに「共感 の教育学」 と して展開 した。 本稿 は,ま さに立法 の課 題 の考察 を通 して「共感 の政治学」 へ の接近 を試 み る もので あ った。. おわ りに. 以上 で,立 法 の課題 を共感的情調醸成 の視点 か ら考察 す る作業 をひ とまず 終了 す る。 なお この共感的情調 =道 徳的情調 は,『 探究草稿』 で は『 探究』 にお ける 「 感性 的基礎」 とい う規定 よ り深 く応、 み こんで,「 道徳性 を感 受 し 87). 88). やす tン 情調」「真理 と法 の動物 的感覚 的感受性」 と規定 されて い る。 こ う し た規定 は, F探 究』 で は, 宗教 につ いての分析 の箇所 で 明確 にな る。 した が って, 情調醸成 の問題 を 「宗教」 に関す る『 探究』 の分析 か ら考察 し ,. も って「共感 の教育学」 へ と接近 してゆ くのが次 の私 の課題 とな る。.

(21) 小 野 寺 律 夫 圧. 1) Pesta10zzi,Sα η ι んθ Ⅳcγたθ,hrs.vo A.Buchnau,Edo Spranger,Ho Stett‐ グ θ bacher(以 下 SWと 略す ), Bd。 12,S.93(玉 川 大学版 『 ペ ス タロ ッチ全 集 6』 虎竹正之訳 『 ペ ス タ ロ ッチ・ 探究』 を参照 した ことを断 ってお きた い。 2ι. 以 下 略 す。). 2) 3) 4) 5). 6). a.a.〇. "S。. 95. a.a.0"S。 101. a.ao O"S.162 田原 善郎 『 ル ターの 良 心 論 とそ の カ ン トヘ の 系 譜』 (金 子武 蔵 編 『 良 心 ― 道 徳 意 識 の 研 究 』 1977年 ) sttι ttzづ s Dθ ηA/"観 θ η,1959,S。 100(玉 川 大 学 版 『 ペ ス タ ロ ッチ全 集 6』 所収 ,虎 竹 正之 訳 『 ペ ス タ ロ ッチ の 探 究― そ の 分析 』 参 照. Edo Spranger,ル. ,. 以下 略 す). 7). SW。 12, S.109f.. 8). a.a.O"S.H8. 9). ao ao O。 ,S。. 10). a.a.〇. H). a.ao O.. 12). a.ao O"S.120. 13). 拙 稿 「 ペ ス タ ロ ッチ にお け る 『 連 続 性 の 原 理 』 につ いて 」 (甲 南 女子 大 学 紀 要第. 14) 15). 16). "So H9. 24号 ,昭 和 62年 ). 同上 Po Natorp,fセ S。. 17). 120. s′. αι Э sノ υθ θηクbθ γИγbθ グ ι απηg aη αsθ zグ αι θFγagc, 1894, 凛づ θγbづ ι. 17f.. A.Buchnau,PbsttJο zzグ sS銘 物妙んグ Jθ S9ρ カ グ θ,1919,S.174 οわι B.TOnkё tter,4γ bθ グム Bづ ι ι θ,“ θ ごπηg Gθ sθ ι sθ ん Qた ,fり ααgο gzsε んθ G22α ργ bθ づfbs′α Jθ zzづ. ηαθγGθ gθ ηωαγぁ1970, S.69 ,Ma7π πηαづ. ○"S。 70. 18). a.a。. 19). ao ao O。. 20). SW。 12,S.92 ff. ○. ,S.69 95. 21). a.a。. 22). a.a.〇. 23). a.ao O。. 24). a.ao O"S。 97f.. 25). Edo Spranger,a.a。 ○。 o22グ s ,S.91, H.Barth,Fbsι αι. "S。. .. ,S.H8. 1954, S.9f。 26). SW。 12,S。 76. 27). a.a。. 28). a.a.0。 ,S。 35f.. 29). a.ao O"S.H5. ○。 ,S.35, S.77. ι グ た θsο ρんづ θαθγPoι づ Phグ ι ,.

(22) ペ スタロ ッチーにおける「立法」 の課題 について 30). a.ao O.. 31). a.a.O。 ,S.8. 32). ao ao O"S。 77. 33). ao ao O"S。 76f.. 34). a.ao O。 ,S。. 35). a.ao O。 ,S.119. 77. 36). a,a.〇 。 ,S.57. 37). ao ao O"So H5. 38). ao ao O.. 39). a.ao O.. 40). a.ao O.. 41). ao ao O。 ,S。. 42). ao a.O。 ,S.120. 43). ao a.〇. 44). a.ao O"S.221. 45). ao ao O。. 113. .. 46). a.ao O.,S.222. 47). ao ao O。. 48). a.a.O。 ,S。 788f.. 49). ,S.106. 一―― たropο ι εセγ M.Born,I)づ θEグ ηんθづ ιυοηFbsι αJo22づ s24η ι ogづ θzη α Paα agOgづ た一 Fγcグ んθ 夕sbagヽt αθγ,,Nαε電QγSCん Zηgθ η"π ηα αθγpα αagOgtsθ んθηSε ttrt∫ tθ η. υοη1799 2η ご 1801, 1977, S。 162 51). SW.12,S.102 ao a.0"S.H3. 52). a.ao O.. 50). 53). ao a.〇. 54). a.ao O"S.120f。. 55). a.ao O"S.120. 56). a.a。 0。. .. 57). ao ao O.. 58). ao ao O。. 59). a.ao O。 ,S.81. 60). a.ao O.. 61). Edo Spranger,a.ao O。 ,S.100. 62). SW。 12,S.118. 63). M.Born,ao ao O。 ,S.149 SW。 12,S。 119. 64). ,S.84. 65). a.a.O。 ,S.119f。. 66). a.ao O。 ,S.118. 67). a.ao O。 ,S。. 120. 68). ao a.0。 ,S。. 103.

(23) 小 野 寺 律 夫. 69)ao a.0"S。 99 70)ao a.O。 ,S.124 71)a.ao O。 ,S。 99,S.124 72)a.ao O。 ,S.96,S.125 73)a.ao O。 ,S。 164. 74)a.a.0"S.70 75)a.ao O"S。 96 76)a.ao O.,S.125 77)a.a。 0。 ,S.103 78)a.ao O。 ,S.118 79)a.ao O。. 80)a.a。. 0。 ,S。. 124. 81)a.ao O。 ,S.100. 82)a.a。. 0。. ,S.119. 83)ao ao O。 ,S。 102. 84)a.ao O。. ,S。. 118. 85) a.ao O。 ,S.789. 86) B.Tonkё tter,ao 87) SW。 12,S.223 88)ao ao O。 ,S.225f.. ao O。 ,S。. 70.

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参照

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