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職業探索段階の留学生によるアイデンティティ変容 : -日本企業でのインターンシップ参加者の事例から-

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職業探索段階の留学生によるアイデンティティ変容

―日本企業でのインターンシップ参加者の事例から―

横須賀柳子

キーワード

インターンシップ,外国人留学生,職業探索,予備職業的アイデンティティ,多様性・多層性

はじめに

青年期の職業選択は,人間の生涯における一つの重要な課題である。「将来どのように生き るべきか」の問いは「自分が何者であるか」という根源的な問いにつながる。就職活動過程 で自己分析の重要性が強調されるのも,自身のアイデンティティを見つめなおすことが先行 く人生のための準備の第一歩となるためだ。職業決定のための自己探索には葛藤がつきまと う。日本人の大卒者による未就職率や離職率の増加などの諸問題は,職業選択の困難さを如 実に物語っているが,日本での就職を希望する外国人留学生にとっては,就職にまつわる意 思決定がより一層の難題となることは想像に難くない。企業のグローバル化や少子高齢化に よる労働人口減少が進展しつつある日本社会において,外国人の労働市場への参入は,個人 の問題のみならず社会全体のあり方の問い直しを迫る大きな課題ともなるだろう。 そこで本稿では,日本の大学に在籍する外国人留学生の職業探索の一手段として,日本企 業でのインターンシップ参加という社会実践に着目し,その研修過程においてアイデンティ ティがどのように変容するのかを質的に明らかにする。 まず,本研究の鍵概念となる「アイデンティティ」について先行研究による知見を概観する。 次に,一留学生の事例からインターンシップという職業実習の場で自己をどのように捉えて いるのかを検討し,企業内外で接触する他者との関係性を通したアイデンティティについて 詳細に考察していく。

1. 「アイデンティティ」を捉える視座

本章では「アイデンティティ」に関する先行研究を概観し,本研究が援用する理論につい て検討する。「アイデンティティ」の概念を広く知らしめたのは,心理社会的発達理論を提唱 したエリクソン(Erikson)である。心理学,哲学,教育学,社会学,経営学などさまざまな 領域でなされてきたアイデンティティ研究の中でも,ライフサイクルの漸成原理に立脚した 人間発達理論と職業発達理論(1)とは重なるところが大きいが,両者の関係づけが十分に進 んでいないという指摘もある(鑪・宮下・岡本 1995:101,渡辺 2007)。そこで,職業という 特定の文脈でのアイデンティティを検討するための視座として,まず社会心理学領域でのア イデンティティ研究を概観してみることにする。

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1.1 社会心理学的見地からの「アイデンティティ」

エリクソン(1959=2011)は人間の発達を社会との関係性の中で捉えようとし,アイデンティ ティを「自我同一性(ego identity)」と「自己同一性(self identity)」とに区別した。この 自我と自己の違いはジェームズ(James 1890=1940)による「知る自己(self as knower)」 と「知られる自己(self as known)」の客我論に遡り,また,後に象徴的相互作用論の源流となっ たミード(G. H. Mead 1934=1995)が指摘した「I(主我)」と「me(客我)」に対応する。 前者は人間が主体としてもつ能動的な「自我」であり,後者は他者の目を通して自分の外見 や内面を客体視する「自己」である。クーリー(Cooley 1902)は,他者を鏡と見立ててそこ に映し出された自身の姿を「鏡映的自己 looking glass self)」と表現し,他者の自分に対する 「認識」と,自分に対して下した「評価」についての自身の想像,それによって起こる感情か ら自我が成り立つと考えた。 他者の中でも家族,友人,教師など,主体のアイデンティティ形成に大きな影響を及ぼす 人は「重要な他者」と称され(2),他者との関係性がアイデンティティ発達に深く関係するこ とは数多くの研究によって立証されている(ジョセルソン Josselson 1995,長谷川・浦 1999, 杉村 2005,岡本 2010 など)。杉浦(2012)は「反映的自己」(「鏡映的自己」と同義)に関す る諸研究を包括し,従来の研究は対象となる他者の特定に焦点を当てるものが多かったが, 今後は個別の他者がもつ多様な機能と主体の自己概念形成との関係についてさらに検討する 余地があると主張している。 個人のアイデンティティの統合については,自他の観念が一致した状態が望ましいとし たエリクソンの時代とは異なり,社会規範や価値が複雑化した現代においては,もはやそ れを不変的,一元的に捉えることが難しくなってきており,社会構築主義者(ガーゲン Gergen1999=2004 など)を中心として,アイデンティティは多様であるとする見解が主流と なっている。また,アイデンティティの多様性は,相互行為の象徴的記号としての言語の社 会化に注目した諸研究においても着目され,個人が文化社会的集団の同一化群へ一方的に統 合することを是とした従来の適応の在り方について批判的な議論が展開されている(オーク ス Ochs 1996,ダフ&ターミー Duff & Talmy 2011 など)。

現代の青年の特徴を,リフトン(Lifton1967=1971)が変幻自在な自己をもつ「プロテウ ス的人間(Proteus man)」(3)と言い表したように,アイデンティティは多面的で流動性が あり,暫定的,一時的に表出することが可能なものと捉えられる。常に形成/再形成され 得る動態的なアイデンティティの特徴は,グローテヴァント(Grotevant1987)による課題 探求のプロセスモデルでも示唆されており,また,多層的に構成されるといったズィママン (Zimmerman1998)(4)の解釈によっても支持されている。 1.2 職業領域内での「アイデンティティ」 職業領域内での他者との関係性に関しては,文化人類学者のレーヴ&ウェンガ-(Lave & Wenger1991=1993)が実践共同体(community of practice)への参加という状況的認知の中

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で捉え,初めは周辺に位置する新参者が熟達者から知識や技術が伝承されていくうちに,漸 進的に「十全参加(full participation)」に移行する過程を明らかにした。このレーヴらの「正 統的周辺参加(legitimate peripheral participation)」理論は,インターン留学生が熟達者か らの学びを得ながら実践共同体の中で十全化していく様態を検証する本研究の観点と一致す るため,フレームワークとして援用する。 しかしながら,Lave らの職業領域に関する研究は,単一の徒弟制的な実践共同体を対象と しており,物の製造に関する専門知識と技巧の獲得の側面が強調されているため,新参者の 学びの軌跡が直線的でシンプルに映る。個人の信念,理想,価値観などを反映したアイデン ティティは,先述したとおり純一無難なものではない。また,一個人が大学,職場,家庭な ど複数の実践共同体に同時に存在することで多様なアイデンティティが形成されることは, Wenger(1998)も「多重成員性(multi-membership)」と名付けて明らかにしたとおりである。 大学と職業訓練機関の 2 つの実践共同体間を行き来する大学生の職業的アイデンティティ に関しては,これまで主に教育実習や看護介護・医療実習などの専門的職業分野での研究が 多くなされてきている。実習生の動機の高さや未来像の明確さが職業的アイデンティティ形 成に関連すること,メンターやモデルとしての専門家や現場の患者・生徒などの対象者が重 要な他者としての役割を負うこと,専門的技能の獲得が職業的アイデンティティを強化す ることなどが明らかにされてきている(本郷・舟島・杉森 1999,藤井ら 2002,香川・茂呂 2006,関根・奥山 2006,松井・柴田 2008 など)。 1.3 本研究の位置付け 一方,本研究が対象とする社会科学専攻のインターン生は,明確な専門家としての職業能 力の獲得を標榜してビジネス研修に参加したわけではない。大卒者の職種別労働市場が主流 でない日本では,卒業時も職種が未定のまま企業に採用されることが多く,また特殊技能が 求められる分野以外の文系・社会系を専攻する学生は,個人の職務能力に分散があるにもか かわらず,一括一律採用がなされることが一般的であるため(矢野 1993:20),大学在籍者 対象のインターンシップも通常それと同様の方針で運営される。また,留学生は,主要な大 学と企業という二つの実践共同体のほか家庭やアルバイト先機関などの実践共同体に属する という多重成員性をもつばかりでなく,それらを取り込む大きな共同体として異なる社会文 化的文脈の中に存在するという視点も加味されなければならない。 ところが,これまでに日本企業のインターンシップに参加した留学生によるアイデンティ ティに関する研究はなされておらず,管見するところ横須賀(2013a)のみである。横須賀(前 掲書)では留学生が企業実践共同体内の周辺と十全を往還しながら,言語,社会言語,社会 文化レベルの「インターアクション能力」(ネウストプニー 1995)を身に付けていく様態が 明らかにされているものの,十全化を促進・後退させた他者との関係性によって導かれるア イデンティティについては探究されていない。 これらの知見を踏まえ,本研究では人間を社会的存在として位置づけて,他者との相互行

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為が個人のアイデンティティ形成に影響を及ぼすといった捉え方を根幹的な概念として用い ることにする。そして,インターンシップ先の企業組織内外の実践共同体に関連する成員た ちを,偶発的な遭遇を含めて接触する「重要な他者」として定義づける。彼らは具体化・特 殊化された時間的・空間的・社会的文脈下で,インターンシップ生個人と企業組織文化・日 本社会を媒介する鏡として重要な役割を果たすと考えられるためである。自身がみつめる自 己と他者の目を通して見た自己との交差に「鏡映的自己」が形成され,その鏡映的自己が個 人のアイデンティティに影響する。そうした相互作用を反復しながら人は発達していく,つ まり十全化していくと捉える。 次節では,研修期間において,インターン生がどのような他者とのどのような相互作用を 通して,どのような鏡映的自己を形成するのか,それがどのようにアイデンティティを変容 させるのかについて検証する。

2. 日本企業でのインターンシップに参加した一留学生の事例

2.1 調査概要 本研究は全体で 10 名のインターン留学生を対象とした調査に基づいている。調査協力者た ちは,それぞれ異なる企業での異なる研修形態および内容のインターンシップに参加し,そ れに伴って個々人のアイデンティティの変容の仕方も多様な様態を示した。本研究では紙幅 の関係上,複数名の協力者の中から 1 名の事例を取り上げ,他の事例に関する論考は別稿に 譲る。個人に内在化された複雑な自己概念の実態を可能な限り微細に記述するためである。 本事例として取り上げた一留学生の実名特定を避けるため,仮名「オウ」として呼称する。 オウは調査実施当時,日本国内私立大学社会科学系の学部所属の 2 年生で,中国出身の女性 である。中国語を母語とし,日本語は上級レベルで,滞日期間は 2 年 7 か月である。来日以来, 日本での就職を希望しており,将来は公認会計士を志望する。インターンシップ先企業の業 界とオウの卒業後に希望する業界や職種とは一致していない。当インターンシップは大学外 の団体が外国人留学生を対象として主催する個人自由応募制のプログラムであった。インター ンシップ参加に際しての目的として,オウは「ビジネス日本語の能力を身に付けること」と「日 本の会社の環境はどんな環境か,自分はその環境には入れるのかをみること」を挙げていた。 2.2 分析方法 従来の大学生を対象とした発達心理学的なアイデンティティ研究では,尺度を用いて数量 的に分析するものが多かった。しかしながら,個人に内在するアイデンティティが社会文化 的文脈に密着したものであるとすれば,多様な言語,文化・教育背景をもつ留学生個人の個 別性,特殊性の差異は大きく,統計的に社会広範の傾向と一般性を求めるだけでは十分に実 証することは容易ではない。社会歴史的に構築されてきた「当たり前」と思える現象の可変 性を捉えるためには,ノートン&マッキニー(Norton & Mckinney2011)が主張するとおり, 日常的場面での質的かつ多様な種類のデータを使用した分析が必要である。よって,本調査

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では社会実践場面での生の現象を複合的なデータを用いてありのままに捉え,個人の語りか ら深い理解を追求する方法をとる。 本研究の分析に使用した主なデータは,インターンシップ・プログラムの課題として出さ れた研修日誌,報告書,研究者が研修前に実施した質問紙調査(属性,研修の参加理由,達 成目標,気がかりなことなどに関する質問)の記述データと,それらを基に研修後に実施し た半構造化面接(一人当たり約 90 分)での口述データの文字化資料である。この他,研修業 務で使用した関連資料や研究者による事前オリエンテーションや事後報告会への参与観察, 企業経営者および研修担当者へのインタビューを補助資料として用いる。これらのパーソナ ル・ドキュメントから,オウが接触した重要な他者を特定し,彼らとの相互関係で表出,形成, 再形成されたと思われるアイデンティティを分析・考察した。 2.3 オウのインターンシップ概要 オウの受け入れ先企業は,日本に居住する外国人を専門とする不動産関連会社(以下「X 社」 とする)であり,社員数約 50 名のうち 6 割が外国人(主に中国,韓国,ベトナム出身者),4 割は日本人社員で構成される複言語複文化型の実践共同体である。当企業でのインターンシッ プは同業界の協同組織により運営されたプログラムの一環であり,2013 年度に初めてオウの ほかに他大学所属の留学生 2 名(別部署に配属)が受け入れられた。研修業務は一般社員と ほぼ同様の業務に携わる「中核業務型」(5)であり,表1は 2013 年 8 月 5 日から 30 日までの 実質労働 20 日間のスケジュールを示している。

表1 オウの研修スケジュール

1 日目 2 日目 3 日目 4 日目 5 日目 6 日目 7 日目 8 日目 9 日目 10 日目 11 日目 12 日目 13 日目 16 日目 17 日目 20 日目 日付 (月)8/5 (火)8/6 (水)8/7 (木)8/8 (金)8/9 (月)8/12 (火)8/13 (水)8/14 (木)8/15 (土)8/17 (月)8/19 (火)8/20 (水)8/21 (月)8/26 (火)8/27 (金)8/30 配属 A 部署 B 部署 A 部署 業務 朝礼   業務説明 新規取引の PC 入力 PC 入力 PC 入力 [繁忙] (少数スタッフ) PC 入力 電話対応(入居者に電話) (入居者家族への国際電話) 電話対応 電話対応 [お盆閑散期] お茶出し、名刺交換練習 [閑散] 電話対応 電話対応 PC 初日 入力・資料スキャン 電話対応 [繁忙]電話対応 午後 A 部署に戻る 電話対応 電話対応 電話対応 社長インタビュー 業務外 歓迎会 ←昼食→ 業務内容は,受け入れ企業の配慮で易から難へと進展するよう企図されていた。まずは簡 単な PC 入力から始まり,徐々に難易度の高い顧客との直接の電話対応へと移行する。対応 する顧客の種別も使用言語に合わせて,始めはオウと同属性であり中国語の話せる中国出身

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留学生から,やがて相互の共通言語である日本語で会話する他国出身の外国人へとステップ アップした。また,配属部署も,顧客の身元確認という比較的容易な電話対応に携わる A 部 署から,より難しい債権回収業務を担う B 部署へと異動した。これは企業全体の業務の流れ と一致する。つまり,全体的な業務遂行において新人オウは,研修開始時に実践共同体の最 周辺に位置していたが,徐々に向心して十全化に向かっていったといえる。ただ,A 部署か ら B 部署へ異動したときには,A 部署内で向心していた位置取りが,また B 部署の周辺に振 り戻されることになった。そしてまた,A 部署に再異動したときには若干向心した地点に布 置され,そこからさらに向心化するという具合に,周辺と十全の往還が繰り返されていた。 業務外での同僚たちとの関係性もアイデンティティ構築に影響を与えると考えられるが(6) オウは 1 日目退社後に歓迎会を開いてもらったほか,昼食は毎日社外の飲食店で社員と一緒 にとるという非公式的な接触も多かった。 3.1 アイデンティティ構築の自己認識 オウは自身のアイデンティティが全体としてどのような変容を遂げたのかということを次 のように語る。(これ以降,日誌およびインタビューによる言説を斜体で示し,インタビュー は「I」,日誌は「第~日日誌」と記す。日本語の誤用は正さずにそのまま記述する。) 「うーん,前より成熟した…(略),前は自分も日本語もちゃんとできるし中国語も出 来るし,まだ簿記を勉強してるし自分は完璧な人だと思っていました。前は自分はその ぐらいで足りました,それぐらいで十分だと思って,今から見るとそれって全然十分で はない。でも今はまた本当社会の色々な人材を見るとやっぱり自分はこれからだと思い ますので。・・・ また知識は勉強してまた勉強しなきゃいけないものだから終わらない, 勉強しても終わらないものなので。」(I)(下線は筆者による) オウが所属する大学の実践共同体においては,日本人学生が二言語に精通していることは 稀であるが,自分は日本語と中国語の二言語能力と,会計分野の専門知識の証明として簿記 の資格をもつことから,大多数の学生と比べると秀でた「完璧な」人間であると自負していた。 しかしながら,企業の実践共同体に参加してみると,そこには優れた社会人が大勢おり,自 身の言語能力を含んだインターアクション能力,専門知識がいかに不十分かを思い知らされ ることになる。「未熟さ」の自覚から研修中は自己向上を目指して努力し,研修後もさらなる 研鑽の必要性を痛感した。学生という同質の成員で構成される実践共同体(大学)では見え なかった自己が,実社会(X 社)の他者たちとの接触によって投影され,社会人との差異を 明確に実感することでさらなる向上への意欲を高めたいという意識の変容をみせたのである。 この「社会の色々な人材を見た」ことこそがオウの向上意欲を促した重要な要因であり, 企業の実践共同体での「重要な他者」との接触の影響を示唆している。では,オウのアイデ ンティティ変容に関わった「色々な人材」とはどのような人々だったのだろうか。

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図 1 はオウが研修中に接触した主な他者である。社内では日本企業で働く外国人としての ロール・モデル,業務支援・精神支援をしてくれるメンターやサポーター,経営者のビジョ ンとしての社長,社外では顧客が「重要な他者」としての役割を担っていた(7) 次節では,これらの重要な他者たちとの接触がオウのアイデンティティ変容にどのように かかわったのかをより微視的にみていく。

モデル

Kさん A部署社員 韓国人女性

モデル

Cさん B部署社員 中国人男性 メンター・ サポーター Aさん A部署社員 日本人女性 元日本語教師 サポーター Sさん IS生 他大学 中国人男子 留学生 サポーター B部署社員 サポーター A部署社員

顧客

在日本居住 外国人

顧客

居住者の 在海外家族 ビジョン 社長 若手起業家

図 1 オウが関わった主な「重要な他者」

3.2 重要な他者たちとの接触とアイデンティティ変容 a)「完璧な私」から「未熟な私」へ X 社の社員の多くは最低でも 2 言語に精通し,通常 3 言語以上で円滑なコミュニケーショ ンをとることができる。そのような実践共同体に参入した研修第一日に,オウは彼らの複言 語運用力の高さに圧倒される。中でも A 部署の韓国人女性社員の K さんについては「日本 語,韓国語はもちろん,英語もできるすごい人間」(第 1 日日誌)と評価した。また,K さん は入社 3 年目でありながらも創立 7 年目の X 社の中では既に古参者としてのポジションにお り,新参者であるオウに対して的確かつ親切に業務を説明する。K さんの仕事のこなし方を 観察し,支援を直接受けるにつれ,オウにとって K さんは日本企業で働く外国人社員のロー

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ル・モデルとなっていく。B 部署所属の中国人男性社員で複言語話者である C さんもまた, オウにとってモデル的な存在であった。難しい業務とされる債権回収の電話でも,C さんは いずれの言語でも顧客が納得するような熟達した対応で臨めるという。オウにはこの業務が C さんの天職ではないかとさえ思えた。C さんは「相手と戦う感じの人,でも優しくて何マも いえない人,でも相手に・・・厳しさもそういう言い方が出来る人。すごく尊敬します。」(I)マ と感服する。 オウが以前に抱いていた根拠のない自信は,K さんや C さんを鏡として映し出され,見 事に打ち砕かれていった。大学生活においてあれだけ自信のあった日本語は,研修第一日で 通常の 1 週間分の使用量にしか相当せず,顧客対応は母語の中国語でさえ稚拙で,日本語と なれば敬語を駆使することもできない質の低いものだった(「お客様にひどい言葉言うのは ちょっと怖かった」(I))ことに気付く。オウの大学実践共同体内でのネットワークはほぼ同 国出身の学生に限定され,日常で日本語を話す機会はほとんどない。飲食店でのアルバイト で使う敬語はルーティン化された表現でしかなかったのだ。 b)社会人の厳しさ 真正な職場の日常業務において,オウはさらに多くの「社会人」像を目にしていく。研修 2 日目の会議中には,オウのメンターとなり業務の詳細を丁寧に教えてくれる元日本語教員 女性の A さんが泣き出すという衝撃的な場面に遭遇する。それは精一杯努力しているのに業 績が上げられない自身のふがいなさを悔しんでの涙だったとオウは理解する。また,社員の T さんが 1 日約 300 件の電話をするため,退社時には声が嗄れてしまうほど喉を痛める様子 をしばしば観察したこともあった。「社会人とは何か」を無言で語る社員たちの姿から,オウ は「真の社会人」像を帰納的に定義づけていく。 「何の仕事にしても絶対に容易ではない,その仕事をやる途中に,苦しいことがあっ たり,大マ間違いがあったりして,何回も諦めようと思うのは当然だと思います。ただし,マ その思いを抑えながらやりつマづくということができたら社会人になれます。この一ヶ月マ に私はすマごしでもこの社会人の心構えが身に付けたいです。明日もやる気マンマンの一マ 日です!」(第 4 日日誌) 企業の実践共同体にいる優れた他者と自己の落差を自覚したオウは,その差を少しでも埋 めようと努力を重ねていく。次の日誌中で記述された「~が/ても,まだ~」という表現には, 技術・能力の向上を自覚しつつも十分ではないことを謙虚に認識し,少しずつ実現可能な目 標設定をしながら漸進的に十全化している様子が語られている。 「A 部署業務の中に一番簡単な仕事をやっていてもわからないどマころ,迷いどころはマ まだいっぱいありまして」(第 2 日日誌)

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「対応力,うまくビジネス用語を使う力など,この短期間で急速に上がってきました。 …でもこれからまだ学ぶべきなママことはたくさんあると思います。」(第 4 日日誌) 「その長い時間に居ても自分はまだまだ全部の仕事を覚えてないという気がして ・・・」 (第 18 日日誌) c)業務・精神的支援を受けて 社長や人事研修担当者を始め,各部署の社員から随時,業務支援を受けることで,オウは 業務内容,組織構造と業務の流れ,社内外のウチ・ソト関係などを理解し,自己の役割を明 確化していく。次の日誌からは,研修 2 日目にして既に,新参者でありながらも X 社の一社 員として業務の一端を担うことへの責任感が醸成されていることが読み取れる。 「(A 部署の業務内容)はうちの会社の仕事の始まりのどマこマろですから,・・・ そこから うまくやらないとその後の仕事は絶対にうまく回すことはできないです。そうすると他 の部門の人に余計な迷惑をかけてしまいます。私はインターン生とマしてもマこの会社の負 担になりたくないんだと思っています。」(第 2 日日誌) しかしながら,短い研修期間内に正規社員のごとく技能の熟達がなされるわけではない。 時には業務遂行上の失敗を犯し,困難な業務にあたっては精神的ストレスを覚える出来事が 繰り返される。不明な点を尋ねては説明してもらい,電話で言い間違えがあった時には隣で それを聴いていた A さんから即座にメモで指摘をもらうなど,社員自身も多忙な中での親切 で丁寧な業務支援をオウはありがたく思う。 電話対応がうまくいかず落ち込んでいる時は「大丈夫,頑張りましょう」と声をかけられ, 顧客の態度に怒りを感じるときは「ストレスは上手く開放しないと」と秘訣を教えられる。 対外的には X 社の社員として親切にサービスを提供したつもりでも,顧客からクレームを受 けることもあった。「私それ(クレームのメール)見たらむかつくって思って,それは何?そ んな優しく対応したのに。・・・(債権を取り立てられるのは)元々自分悪いのではないか 」(I) という言説は,社員としてではなく,市民として当然の道徳心の表れであろう。その本音を 理解してくれ,同様の体験を経てきた社員による助言はオウの強い精神支援となる。インター ン生の S さんとも毎日一緒に帰宅する際に,顧客対応でストレスが溜まることを共感し合う ことで精神的安定を得ていた。 d)信頼されることの喜び 社員たちは多忙ながらも新参者の業務を支えてくれるものの,オウとしては「何回も M さ ん聞マこえてすごく恥ずかしかったです。」(第 2 日日誌)マ と,先輩たちの業務の支障となるこ とを躊躇するようになる。それを避ける術は自立的意識をもつことだと自覚し,次の記述の ように自主的,能動的な行動に移していく。

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「わからない点もなるべく他人に聞かずに自分はネットで調べようになりました。」(第 3 日日誌) 「・・・ なんとかしよう,このままじゃいけないと思ってネットで調べてみようかと 決マまりました。そしたら,知りたい情報をすぐ手に入れました。・・・ 自分は方法を考える,マ 自分は答えを探すのも大マ勉強になれるとわかってきました。」(第 10 日日誌)マ オウは,出身国の中国で家族と同居していた時は,経済面,生活面において親に依存しきっ ていた。「普通の一人っ子でもする」(I)家事を一切せず,喉が渇けばコップの水が目の前に 運ばれてくるのが当然な生活で,留学中の今も父親から,「何も一人で海外で苦労することは ない,苦しいことがあったらいつでも親元に帰ってくるように」と言われているという。そ れほど依存心の強かったオウに,人に頼らずに業務をこなそうとする自立心を創出させたの は,厳しい職場環境の中で多忙な業務に取り組む社員たちの態度・行動だったのだ。 一方で,オウがある社員に与えた印象は,オウの方が年下ながらも「他の 2 人のインター ン生よりいろいろと考えている,冷静」だというものだった。この評価と自己認識とにはギャッ プがあるとオウは感じたが,やがて,社員から業務を依頼されることも多くなり,他者から の信頼を獲得したことに喜びを覚えるようになる。 「ここのみんなとの付き合いも深くなってきました。仕事中わからないことを親切に 教えてくれるし,一緒に食事をする時も冗マ談したり話をかけたりしました。特に仕事しマ ている時に,みんなさんにいろいろなことを頼まれて『オウさん,これをやってくマれてマ いいですか』『オウさん,通知書類のチェックお願いしていいですか』『オウさん,この 方の家族と国内の電話をお願いします』,すごく嬉しかったです。皆さんは私に安心し て信頼していることを感じました。」(第 8 日日誌) A 部署構成員との間に構築された協調関係はオウに A 部署実践共同体への愛着を湧かせる が,11 日目には別の B 部署に配属となる。B 部署の業務は A 部署のものより難易度が高かっ たが,オウは 3 日後に難しいと思われた債権回収に成功する。その小さな業績を社員から褒 められ,オウはさらに他者の信頼感を得られたことを認識するとともに,B 所属部署への貢 献意識を高めていく。 「U さんは ・・・『オウさん,昨日オウさん頑張ったから,・・・ 一件回収できましたよ』 と言ってくれました。それを聞いてすごく嬉しかったです。・・・ 貢献できるのはすごく 嬉しいです。」(第 13 日日誌) B 部署での業務内容は A 部署のものより難易度を増したばかりではなく,作業量としても A 部署の多さをしのぐほどだった。オウは自身が戦力としていなくなった後に他の社員に残

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された業務量を心配していた。 電話で対応すべき案件数の多さはオウの日本語力の向上にもつながっていた。初めは中国 語話者のみの対応をしていたのだが,こなしきれそうにない業務量を見て,日本語での対応 も余儀なくされる。初めは迷いのあった日本語での電話も,その量の多さに圧倒されながら 考える余裕もなくかけ続けた後は,「なんとなく自分はもっと日本語を話せるようになりまし た。」(第 16 日日誌)と上達を認識できるまでになっていた。 e)他人のためにできること 他者から恩恵を受けるばかりだった自分が他者のために貢献できることの喜びは,社内に とどまることはなかった。X 社の顧客は多様な属性の外国人居住者であったが,オウは来日 して間もない留学生と出身国にいるその留学生の家族と電話対応する機会が多く,業務内容 に直接的には関わらないが彼らの抱える不安や悩みを聴くことで,自身が来日した当初の追 体験をすることとなる。 「やっぱり留学生の両親は心配します。留学生大体子供だし私より年下の人はたくさ んいますし,たまに両親と話すとその両親の気持ちもよく分かっていますから出来るだ け答えてあげますし」(I) 社外の顧客との接触時にも,自身の留学生としての体験を活かして顧客の個人的な不安を 解消してあげたいという意識が表れている。 X 社の業種がサービス業であることもさることながら,若手起業家である社長の経営理念 も X 社の構成員の顧客に対する貢献意識に反映されているのかもしれない。研修プログラム の中にインターン生が知りたいことを社長にインタビューをして報告書にまとめるという課 題があったが,オウは社長が「外国の人が日本に来て良かったと思われるような社会を作り たい」という思いで X 社を立ち上げたことに「貴重なことを学びました。・・・ わたしはその 小さい思いでそんなに素晴らしい会社を作ったのママ社長を尊敬しています。(第 18 日日誌)」と 述べる。将来は自身でも起業を考えているオウには,市場経済原理としての利潤追求だけで なく,社会貢献という倫理的価値観も思慮に入れて会社経営に臨む社長の理念がビジョンと して映ったのである。このような企業経営者の経営理念や展望は,X 社の構成員によって共 有された価値観となって浸透し,そうした組織文化がオウの X 社疑似社員としてのアイデン ティティ形成を支えたといえるだろう。 f)研修での気づきから 20 日の研修期間に,社長や社員から多くの学びを得たと同時に,自身も戦力となり X 社に 貢献できることに快然たる思いを抱いたオウは,研修終了後は当社において別の雇用形態(ア ルバイト)での業務継続を希望し,認められた。X 社の業界はオウが将来希望する業界とは

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異なることや,アルバイトで残留してもなお正規社員と同程度の技術・知識の習得まで及ば ないことは自覚していたが,「まだ全部の仕事を覚えてないという気がして。そしたら自分今 まで勉強したことはもし会社から出るともう使えなくなるかもだからもったいないなと思っ て」(I)願い出たという。 研修終了後,オウは研修中の自己についての内省を活かすため,まずは英語力を高めよう と英語学校に通い始めた。将来へ向けて大学在学中に何ができるかを計画し始めたとも語る。 企業での就業経験の価値を見出したオウは,翌年もう一度別の業界でインターンシップをし たいという希望を抱いていた。

4. 考察

4.1 アイデンティティの多様性 個別事例として取り上げたオウの分析からは,大学の実践共同体内ではほぼ均質的な属性 をもつ他者によって構成される狭小なネットワークが,実社会の職業実践共同体への参加に よって拡大し,異なる年代,国籍,言語,職種の他者たちを鏡として投影された自己を認識 することで,それまで気付かなかった新たな自己の役割や位置付けを自覚しつつ,予備職業 的アイデンティティを構築していったことが明らかになった。すなわち,企業内外の「重要 な他者」との接触が,多様なアイデンティティを出現させた主因となったといえる。オウが 参加した実践共同体には,日本企業で働く外国人社員としてのロール・モデルや,業務的・ 精神的支援を与えてくれるメンターやサポーター,社会貢献を視野に入れた経営理念をもつ ビジョン,社外の顧客などが存在し,そのような他者を観察,評価する一方,彼らから観察, 評価されながら結節を構成する中で,新しいアイデンティティが喚起されたり,既に獲得し ているアイデンティティが促進あるいは抑制されたりする様相がみられた。 インターンシップ開始時,熟達者たちの技術・複言語能力の高さに圧倒されたオウが,社 会人の厳しさや責任の重さを目の当たりにしたり,他者からの支援を受けたりすることで, 短期間ながらも少しでも予備職業人として成長したいと奮起し,X 社の戦力になろうと努力 した過程の中で,多種多様なアイデンティティが発現したのである。 社会的アイデンティティ理論を提唱した一人のターナー(Turner1982)は,個人の自己意 識は,性別,国籍,職業,宗教などの集団成員性による社会的カテゴリーで捉えられる「社 会的アイデンティティ」と,性格や能力など個人の内的属性から捉えられる「個人的アイデ ンティティ」との二側面から構成されると指摘している。オウが研修過程で意識した「社会 的アイデンティティ」としては「外国人留学生」「インターン生」「X 社疑似社員」「X 部署成員」 「中国人」「女性」「末娘」など,「個人的アイデンティティ」としては「二言語話者」「未熟な 新参者」「顧客対応力不足者」「自立心保持者」「親に依存する娘」「道徳心のある正論主張者 」「異 文化能力保持者」などがあった。 アイデンティティが多様化する大きな要因として,異なる実践共同体間の移動が挙げられ る。「インターン生」「X 社社員」「X 部署成員」「未熟な新参者」「顧客対応力不足者」「自立

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心保持者」などは,企業実践共同体に参画したことで新たに形成されたアイデンティティで ある。社会人である重要な他者たちの行動や能力の中に自己指針としての理想自己像を投影 し,現実自己との差異を縮小するためにポジティブな方向へ自己を調整しようとする動機に よって生起したものだ(8)。職業領域内で新たに形成されたアイデンティティが自己確証によっ てルーティン化され,強化されていく過程もみられた。例えば,依存心の強かった自己を反 省することで形成された「自立心保持者」のアイデンティティは,より高みの活動形態を反 復することによって強化され,加えて自己効力感を生むとともに他者からの信頼感を獲得し ていくことになる。信頼感に基づく協働作業を通じて悲喜交々の感情を共有した重要な他者 からの受容は,オウの自己内に部署/会社全体に対する「帰属意識」を生起し,さらには社 の内外を問わない他者への「貢献意識」へと発展させた。 実践共同体内の集団的成員の属性の相違が,個人の同一のアイデンティティがもつ相反的 な意味を表出させることで多様性をもたらすこともあった。たとえば,「二言語話者」という 一つのアイデンティティは,大学では「二言語も話せる優れた学生」という肯定的な表象と して認識されていたが,実践共同体が変わり,複言語環境の職場では「二言語しか話せない 未熟な社員」という否定的なアイデンティティへと反転する。これはそれぞれの集団構成員 がもつ特性の違いによるもので,大学では日本語一言語のみの話者である学生が大多数を占 め,企業では複言語話者である社員が実践共同体の大半を占めていたことから,同一のアイ デンティティ内の多義性が浮き彫りになった現象である。しかし,企業実践共同体の業務と して,膨大な数の電話対応をこなすうちに日本語能力の向上が自覚され,オウのアイデンティ ティは再度,肯定的な意を含んだ「二言語話者」へと転換する。さらには,多数の三言語話 者社員を観察したことで,オウ自身も英語を身に付けたいと「三言語話者」を希求し,英語 学校の通学という行動に結びつけて,将来に向けての自己投入をしていた。「言語話者」とい うアイデンティティにさらに付加的な要素形成がなされたといえる。 このように実践共同体という空間の移動が,同じ語で表現されるアイデンティティに多義性 をもたらすことが判明したが,上の例はまた,個人の内的な歴史から未来への通時的な移動が アイデンティティの多義性を生む要因として内包されていることを示唆している。時間軸に沿っ た視点からみると,オウの「二言語話者」のアイデンティティは肯定的な意味から否定的な意 味へ,しかし再び肯定的な意味へ,さらに肯定的な「三言語話者」へと,その軌跡は常に直線 的な上昇の方向性だけではなく,ときには後退しながら進むプロセスであったことがわかる。 4.2 アイデンティティの多層性 アイデンティティの多様性は,単線的な時間軸上に形成されただけではなかった。同時点 に起こった所与の行為の中に複数のアイデンティティが意識され,その時点での場面や状況, 個人の欲求や動機に応じて一方が他方より強く顕在化するといった場面がみられた。他者に よって下される自身に対する評価は,時に自身による自己評価との間に不一致を生ずること がある。また,自身が下す自己評価にもズレを感じることもあり,このような評価の不一致

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がアイデンティティの多面性を生起する要因となっていた。 次の例は,オウが自他間の評価に齟齬を感じた場面である。ここでは,主体自身のアイデ ンティティの交替に伴い,対する相手の顔も変転させていた。企業実践共同体での業務遂行上, 顧客に対しては「X 社(疑似)社員」であることがデフォルトで,本来の「留学生」である 顔の上に重ねた社会的アイデンティティを表出させる社会性が求められる。日本では「社員」 がサービスを提供する相手は上下関係性の上位にいる「お客様」であり,社員が敬った態度 をとることが社会的に期待されている。ところが,オウは一端,顧客である相手からクレー ムを受け,その非難を理不尽で是認できない評価として受け取ると,相手の過失と自身の主 張の正当性を強調するアイデンティティを前景化し,自己を「道徳心のある正論主張者」に, 相手を「仮想的エネミー」へと一転させることがあった。しかしながら,この顧客からのクレー ムを受けて生じた危機的な状況において,結局,表面上は「X 社社員」という社会的アイデ ンティティを保持して対応し,内面的には相手に「仮想的エネミー」というアイデンティティ を付与することで自他評価の認知のズレによって起こった精神的ストレスを低減させていた。 自己評価のズレによる多面的なアイデンティティの発現としては,例えば,第 3.2 節 c)で 前出の「インターン生としても(「だが」の意)会社の負担になりたくない」といった記述が ある。「インターン生」と「X 社社員」との二つのアイデンティティの間に自己内の葛藤があり, 「インターン生」としてある程度の未熟さは許容されるだろうが,自身はそれに甘んじること なく正社員としての責任をもって自立したいという自負が「X 社社員」としてのアイデンティ ティを顕現化させたものと思われる。 このことから,個人内には個人的・社会的要素を含んだ複数のアイデンティティが多層的 に構成されており,所与の状況や場面における内的表象に応じて,いずれか一方が前景化され, 他方が後景化されるのだと考えられる。同時に複数のアイデンティティの表出が可能な場合, 総体的な強さによっていずれかの顔が選択され,その時々の態度や行為が決定されるといえ る。このように社会的場面に応じて適したアイデンティティを選択し前景化させることので きる自己管理調整こそが,予備職業人としてのアイデンティティの確立につながっていくの ではないだろうか。 4.3 「予備」職業的アイデンティティ オウは研修終了時に,X 社でのアルバイトとしての雇用継続を希望していた。しかしながら, この企業において必要とされる不動産関連の知識や技術を完全にマスターし,熟達化すること を望んでいたわけではない。将来は別の業界での就職を希望するオウにとって,X 社でインター ン生として修得した,またアルバイト生として修得しようとするものは,将来の自身の職種に 直結しないのだ。教職や看護・医療系の専門職を目指す大学生が修得すべき職業的アイデンティ ティとは異なり,一般的なビジネス界への就職を目指す留学生が見据える未来自己像は,特化 した専門性によらない,より根本的な汎用性のある「職業人として生きる自己」の姿だといえる。 時間軸の先にある職種が明確ではない時点のインターンシップ留学生として達成すべき課

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題の一つは,「自分は日本で生きるべきか」つまり国境を越えるべきかどうかの選択をするこ とである。それは,空間軸にある日本企業という実践共同体において学ぶべき技能・知識と は何か,日本の商習慣などが自身の能力や興味・関心に合っているか,そこに構築されるべ き人間関係をうまく結べるのかを試し見極めることで結論付けられる。 オウは在学中にもう一度,別の企業でのインターンシップに参加したいと望んでいた。こ のことからも,オウがインターンシップ研修を通して理想自己として求め,時間的金銭的投資 を試みようとしているのは,大学卒業後に特定の業種において即戦力として使えるような専門 的な職業的アイデンティティではなく,今後どのような職業に就こうとも活用できる「『予備』 職業的アイデンティティ」の確立であるといえる。確立すべき「『予備』職業的アイデンティティ」 が何かについてはさらに多くのデータによる検証を待つ必要があるが,おそらくそれは異なる 業界の実践共同体を超越した普遍性のあるもので,例えば,大量の仕事量をさばくための効率 的な時間管理の在り方,異なる価値観をもつ相手と円滑に交渉できるような高い言語能力を含 んだインターアクション能力,時間と空間を共有する実践共同体構成員との協調的な人間関係 の構築の仕方など,社会人としての行動を喚起するアイデンティティだと推測される。 このことから,本研究でのインターンシップ留学生が日本企業での研修期間で形成したア イデンティティはあくまでも予備的な職業人としてのアイデンティティであり,実践共同体 内で果たそうとした「十全性」は,正規社員としての専門性の熟達とは性質の異なる「予備 的な」職業人としての十全性であったといえる。

おわりに

本研究では,日本企業でのインターンシップに参加した一留学生の事例から,職業研修の 過程の中でいかにアイデンティティが変容するかについて検討した。職業探索に積極的に関 与する個人が,企業実践共同体内外で接触する重要な他者との相互行為を通して,多様なア イデンティティを形成,再形成させる様相が明らかになった。アイデンティティは多様であ るばかりでなく,多面性があり,多層に構成された複数のアイデンティティの中から,場面 や状況,欲求や動機に応じて一方が他方より強く顕在化する動態性があることが実証された。 アイデンティティの多様性を発現させる要因としては,異なる実践共同体(大学-企業) 間の空間的移動とそこで接触する異なる特性をもった他者との関係性のほかに,過去-現在 -未来を通した時間的移動によるプロセスが関わっていることが示唆された。また自己と他 者間の評価および自身による自己評価の不一致によって,多面的なアイデンティティが同時 に生起する様態もみられた。個人の中で複合的に存在するアイデンティティは,一見統合さ れない状態で拡散しているようにも映るかもしれない。しかしながら,個人主体は自己管理 調整にもとづき社会的に適当とされるものを選択していたことから,時々の状況定義を斟酌 し,それに応じて多面的な顔のうち最適なものを選び取る行為を繰り返すことで,将来いか なる職業に就いたとしても汎用的に有用なポテンシャルとしての「『予備』職業的アイデンティ ティ」が相対化されて確立するのではないかと考えられた。

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インターンシップ実践共同体内での向心的軌跡は直線的一方向ではなく,周辺と十全の往 還を繰り返す様態をみせていた。このことから,アイデンティティ変容のプロセスは一様で はなく,参加者によって個別的であると想像される。どのような参加の軌跡が予備職業人と しての十全化に適切なのかは,実践共同体自体の在り様や個人主体および他者の欲求,新参 者と熟達者の関係性などさまざまな要因によって異なると推測されるが,本研究で取り上げ た一事例のみでは明らかにすることができなかった。今後は残された複数のデータを分析し, 非同一な個別の主体による独自性を尊重すると同時に他の事例と照合して包摂しながら,予 備職業的アイデンティティとはいかなるものかを解明していくことが課題である。 大学と企業の実践共同体間の移動を起因としてアイデンティティが変容することから,イ ンターンシップが自身の過去につながる現在において未来を展望しつつ,自己を問い直す有 効な契機となることが示唆された。訓育的に構造化された大学と実社会とを有機的に連携さ せる学びに関する研究(9)を重ね,職業探索の指針を得る必要があるが,その検討について は稿を改めることにする。

謝辞

本稿の執筆にあたり,調査にご協力いただきました方々,また,ご指導とご助言を賜りま した桜美林大学大学院の宮副ウォン裕子教授および 2 名の査読者の先生方に深く感謝いたし ます。

* 本稿は 2014 年日本語教育国際研究大会での口頭発表を基に加筆,修正したものである。 (1) 職業発達理論を提唱した代表者はスーパー(D.E. Super 1957)である。 (2) ミード(1934=1995)は,人が様々な他者との関係性を積み重ねることで,他者たちが体現する役割 や態度に同一化し,自分に対する役割期待を内在化させると考えた。他者の中でも家族,友人,教師 などの身近な「重要な他者」は人格形成に大きな影響を及ぼす。成長とともに同一化の対象はさらに 「一般的な他者」へと拡大し,社会的成員として制度的規範を学ぶことで,社会化するとした。 (3) 変身能力をもつプロテウスは,魚の尾をした身体をもつが,獅子,鹿,蛇などのさまざまな姿になる ことができる海神である。精神科医であるリフトンが指摘した「プロテウス的人間」は,戦争経験者 の精神分析からの知見による概念であり,社会的な役割や活動の選択の回避,強い自己規定がないた めのアイデンティティ崩壊の危機にといったネガティブな精神状態が発想の根源となっている。 (4) Zimmerman(1998)はアイデンティティのダイナミックスを考慮し,「ディスコース上のアイデンティ

ティ(discourse identity)」,「状況に埋め込まれたアイデンティティ(situated identity)」,「いつで もついてまわるアイデンティティ(transportable identity)」の 3 つに分類した。 (5) 浅海(2007)によると,日本で行われているインターンシップの類型は主に,課題達成型,中核業務 型,アルバイト・パート型の 3 つに分かれるという。 (6) 多言語職場の同僚たちによる昼食時の談話を分析した宮副ウォン(2003)は,仕事関連外の話題でも, 参加者たちが感情,インターアクションのフレーム,談話上の役割,社会的アイデンティティに関す るメタメッセージを伝え合っていたと報告している。 (7) 本研究の重要な他者の機能(役割)については,以下の定義に基づき筆者が命名した。「ロール・モ デル」とは,「自分にとって,具体的な行動や考え方の模範となる人物のこと。人は誰でも無意識の

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うちに『あの人のようになりたい』というロールモデルを選び,その影響を受けながら成長する」(人 事辞典 2010)と定義されている。Bandura(1971=1975)は「他者の行動やその結果をモデル(手本) として観察することにより,観察者の行動に変化が生ずる現象」を「モデリング」という行動として 定義づけた。  「メンター」については Kram(1996)による「より経験豊かな職場の人が未熟な者に対して,挑 戦的な課題や建設的なフィードバックを継続的に与えたり,他の人の注目を得るようにしたり,推薦 したりすることで,職業的アイデンティティの確立,仕事のコツの学習,より大きな地位や責任を持 つポジションにうまく昇進することを支援する」(邦訳:高宮 2014)という「メンタリング」の定義 を参考にした。 (8) 理想自己と現実自己の差異は適応の指標として扱われており,差が小さいほど適応的であるとされる (Higgins1987)。 (9) 横須賀(2013:13)は「大学で根付いた知の状況活動を社会的実践現場での状況行為の中に再配置し, さらに大学において新たな状況を再構成する学びを実現するために,大学―実社会という2つの実践 共同体間の移動(媒介変移)を可能にするインターンシップ・プログラム」を積極的に活用するよう 提言している。

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図 1 はオウが研修中に接触した主な他者である。社内では日本企業で働く外国人としての ロール・モデル,業務支援・精神支援をしてくれるメンターやサポーター,経営者のビジョ ンとしての社長,社外では顧客が「重要な他者」としての役割を担っていた (7) 。 次節では,これらの重要な他者たちとの接触がオウのアイデンティティ変容にどのように かかわったのかをより微視的にみていく。 我 モデルKさん A部署社員 韓国人女性 モデルCさん B部署社員 中国人男性 メンター・サポーター A部署社員Aさん 日本人女性 元日本

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