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秋篠月清集考

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Academic year: 2021

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(1)秋 篠 月 清 集 考 片. は. じ. め. 山. に. 藤原良経 の家集 “ 秋篠月 清集 "に つ いて は定家本系統 と教家本 系統 の あ る こ とが早 く松 田武夫 博士 によ って指摘 され,諸 本 の形 態 ,内 容 か ら教家本系 の 旧大 島氏蔵本 (常 縁筆本 ,古 典文庫 に翻刻 されてい る)が ,定 家本 よ りも 純粋 に原形 を発発 せ しめてい る もので あ る こ とを考証 され,1)松 沢智里氏 も 古典文庫解説 において教家本 の本文 の優位性 を論 じてい られ る。 こ う して月 清集 に 関 して は教家本 の優位 性 が確 定 したかのよ うで あ るが,果 して そ うで あろ うか,疑 問 な しとしないので あ る。 そ こで本稿 で は定家本 と教家本 を比 較 す ることによ って両 本 の性格 を 明 らか に し,二 系統本 に別 れ た経緯 と両本 の 限界 を考察 し, この両本 が後世 どのよ うに受容 されて きたか とい う伝本受 容 の 問題 を 考 えてみたい。. 1。. 定 家 本 ・教 家 本 の 相 違 点. 定家本 と教家本 は果 して 同一祖 本 か ら出た ものであろ うか。考察 の手懸 り と して定家 自筆本. 2)と. 教家本 (古 典文庫本 )の 相違 の大要 を纏 めて 示す と次. の様 にな る。. (1)集 組織 の相違 定家本が「 百首 愚草」 と して花月百首以下旬題五 十首 にいた る百首歌 ・五. 1) 2). 「秋篠清月集成立年代致」 (国 語 と国文学昭10012) 「定家珠芳」 (昭 42年 印行 ).

(2) 34. 秋 篠 月 清 集 考. よ り冬部 まで て 十首歌 を収 めて一巻 とし,「 式部 史生秋篠 月清集 」 とし 春部 を もつ の 四季部 を上 とし,祝 部 よ り釈教 部 までを下 として一 巻 とす る集組織 に のに対 して,教 家本 は書名 を「式部史 生秋篠月清 集」 に統 一 し,上 定家本 に よ の百 首 愚草 の 内容 に あた る百首歌 ・五十 首歌 を収 め,下 に春部 り釈教部 至 る歌を部類 して収 めてい る。. (2)合 点 の有無 には勝負 教家本 には定家本 にない慈 円 ・釈 阿 の朱墨点 を付 し,ま た歌合歌 付が な されて い る。. (3)本 文異 同. 国歌 の 出入 り. によ る) 次 の 歌 は定家本 にな く教家本 のみ に あ る。 (歌 番号 は古典文庫 野. 1. へ つ (306) みや こ人 や とをかす みの よそにみ て きのS、 もけふ もの に暮 し 夏. 2. 遊. 研. うき枕夏 の くれを やす ゝむ らむ そま山川 を おろす いかた し. (1091). 旅月 聞鹿. 3. わすれす よか りね に月 をみ や きの ゝ枕 にちか きさを しかの声 (1131) 寄歳暮 恋. 4. へ わすれす はあふ よを またん涙河 なか る ゝとしの す ゑをか そ て (1294) 北野宮丹合時雨. 5. む ら雲 にを くれ さきたつ 夜 はの月 し らす時雨 のい くめ くり とも (1340) 北野宮耳合久 恋. 6. いそのかみふ るの神杉 ふ りぬれ と色 にはいてす露 も時雨 も 夕. 7. (1417). 恋. な にゆへ とお もひ もいれぬゆふ へ たに待 いて し物を 山 の はの月 (1444) 北野宮 訂合 忍恋. 8. も らしわ ひ こほ りま とへ る谷川 の くむ人 な しにゆ きなや み つ 次 の歌 は定家本 のみ に あ り,教 家本 にはない。 秋 の くれ に. ゝ (1464).

(3) 片 山. 1. 享. θ 5. なか月 の す ゑ はの ゝへ は う らかれ て くさの は らよ りか は るいろかな (1266の 次). 春 のは じめに. 2. あ らた まの としやかみ よにかへ る らむみ もす そか はのは るのはつ かせ (1584の 前 に). に)歌 の排列順 序 の異 同. 1 2. 教家本 82「 ひ とりねの」 の歌 は定家本 で は92の 次 に くる。 教家本 1075「 き く人 の」 の歌 は定家本 で は1076「 わ きてな け」 の歌 と順 序が逆 にな ってい る。. 3. 教 家本 1488「 わす るな と」 の歌 は定家本 で は「 わすれ じと」 として1484 の次 に くる。 (ウ. )重 出歌. 秋部 1205の 次 に定家本で は教家本 にない次 の贈答歌 二 首 が あ る。 内大 臣 の事侍 ける ころ無動寺法 印 の もとへ つ かは じけ る とへ か しなか けを な らへ てむか し見 し人 な きよはの月 はいか に と かへ し い に しへ のか けな きや とにすむ月 は心 をや りて とふ と し らす や 上 の二 首 は無常 部 に 八 月十 五 夜 山法 印 の もとへ つ か は じける. 1570 とへ か しなか けをな らへ て昔 み し人 もな き世 の月 はいか に と 返し. 1571 い に しへ のか けな きや とにす む月 は心をや りて とふ と しらすや とあ り,良 経 の歌 の第 四句 が異 な るだけで慈 円 の返歌 は全 く同一 であ り,重 出歌 と認 め られ る。 に)詞 書 の異 同. 1.定 家本 には1255「 返事 につ けて詩 をを くるとて」 の詞書 の下 に教家本 に ない作 者名 「 中宮大夫」 を記 す。 2。. 定家本 には祝部 の終 りに教家本 にない「 森書会高陽院初度御会 に」 の詞書.

(4) θ δ. 秋 篠 月 清 集 考. が あ る。 3。. 定家本 には雑部「夢 中述懐」 の二 首 目の後 に教家本 にない「 述懐」 の詞 書 が あ る。. 4。. 定家本 で は哀 傷部 1567の 詞書 が 「 なを あ りしか とも忘 るおな しころ三位 入道 の もとよ り」 とな ってい るが,教 家本 で は この 詞書 は 「 権 中納言道家母 うせ た ま ひての ちおな しころ三位入道 の もとよ り」 とな ってい る。. 5。. 定家本 には神祇部 の「伊勢 にて」 の二 首 の後 に教家本 にない「述懐 の 中 に」 の 詞書 が あ る。. 6.定 家本 には神祇 部 の「 日吉七社」 の詞書 の 下に「本地」 と記 され,ま た 教家本 には歌題「大宮萩逸」「 二 宮素命」「 聖 真子向赤た」 な どのよ うに定家本 にない注記 が あ る。 (傍 点筆者以下 同 じ) 両本 の詞書 の字句 の異 同 は処 々に あ るが ,例 えば 定. 家. 本. 院 の撰歌合十首 内霞隔遠樹. 教. 1. 院撰歌合十首内霞続樹. 賭 oに ・る ・牛 ・る ・け. け ・ 花 ・ み 中 ・ み ・ よ 覇 o よ た に  首 う ・ ・ 射 ・ 合   五  の 歌 歌   ひ ・ ・ 同 月 こ 賭 ・. (実 際 の歌題 は霞隔遠樹である). 弓. 薦 中花 詠月五首 恋. 歌. の よ うに概 して定家本 の方 が丁寧 な詞 書 とな って い る。. (5)題 詞 の異 同 および歌 数注記 教家本 には百首題 に次 のよ うな注記 があ る。 冊 合百首共音暮 院初度御百首土落三準 院第 三l度 百首キ主音轟桑並. 家. 本.

(5) 片. 山. θ7. 享. 定 家本 で は傍 点 を 付 けた注 記 は な く,た だ 院第 二 度 百 首 の み が次 の よ うに な って い る。 院第 二 度 百 首 千 五百番. また定 家本 には「治承題百首を進主き」 の注 記が あ り, また伊1え ば「南海漁 夫百首」 を例 に とれ ば次 の よ うな歌数注記 が あ る。 春+圭 音 夏キ音 秋キ圭音 冬― 卜占 恋+圭 音 罫旅+音. 山家キ音 述懐+書. ただ し述 懐十首 は実数 は十五 首 で 定家本 の あや ま りで ,松 平文庫 本 で は十 五 首 と注 してい る。 以上 が定家 本 0教 家本両本 の異 同 の大要 で あ る。 これを手懸 りに両本 の性 格 を検討 したい。. 2。. 定 家 本 の性 格. 定家 自筆本奥書 には 是御平生之時所被注置之本也 ,夢 後書留 之 ,粗 一 見 了 ,御 本 恋返上之間 不見 中書之草 ,字 誤無極不 晴覚 事不能直付. ,. 安貞 二 年 五 月 二 日 とあ り,定 家本 の成立経緯 を知 る こ とがで きる。す なわ ち石 田吉貞博 士 ,有 わ 吉保氏 が推定 されてい るよ うに, 定家 は建 永元年 3月 7日 の良経 の死後 ま もな く,良 経手沢 の 自筆本「百首 愚草」 「秋篠月清集 」 を借 りうけて書写 し た。安貞 2年 5月 2日 の 日付 は後 年読 みかえ し,上 の識語 を書 き付 けた とき の もので,奥 書 の 内容か らみ て書写 した ときの もので はない。書写 の年次 は 不 明 で あ るが,「 夢後書留之」 とい う語気 か らみ て 良経 の死後間 もな い時期 で ,建 永元年 中 とみて よいで あろ う。. 3)石 田吉貞著「藤原定家 の研究J附 載年譜。 有吉保著 「新古今和歌集 の研究」附 載年譜 および和歌文学辞典年譜,ま た直接 の御教示 による。.

(6) 38. 秋. 篠 月 清. 集 考. 定家本 の性格を考 え る うえで ,ま ず注 目した いの は(3171に 記 した両本 の歌 の 出入 りで あ る。定家本 は教 家本 に あ る八首 の歌を欠 いで い るので あ るが. ,. この うち野遊 は六百番歌合春六首 目の歌 で ,教 家本 で は釈 阿 の朱点 が ついて お り,良 経 が釈 阿 に点 を乞 うた本 には あ ったわ けで ,定 家書写 の 際 の脱 落歌 と認 め られ る。 また旅月 聞鹿 の歌 は建 仁元年 8月 3日 和歌所初度影供歌合 六 首 の三 首 目の歌 で 歌題 および排列 は後鳥羽院御集 ・ 明 日香井集 によ って確 か め うるが,教 家本 で もその歌題 および排列 は同様で あ って秋暁露 ・ 関路秋風 ・旅月 聞鹿 ・故郷虫 と並 んで お り,六 首 中他 の二 首 は恋部 に初恋 ・久恋 とも 入 って い るか ら定家本 の脱落 とす べ きで あ る。 同様 に寄歳暮恋 は正治元年冬 左大 臣家冬十首歌合 の歌 で歌題 は壬 二 集 ,拾 遺 愚草 によ って確 かめ られ ,教 家 本 で は寒 樹交 松以下寄歳暮恋 に至 る十首 を排列 して お り,或 いは冬部 に恋 歌 が交 って い る こ とか ら故意 に除外 した と も考 え られ な くもないが,罫 旅部 「 院 よ り八幡若宮 にて丹合 あ り しに六首 内需 中恋 を」 (教 家本「院 よ り八幡. )の 詞書 があ り,こ れ は実 際 には「署 中暮」 の題 なの 若宮可合六首 内覇 中恋」 で あ るが,両 本 とも恋 とな って いて 良経原本 の誤 記 と考 え られ るが,定 家 は その まま筆写 してい るわ けで あ るか ら寄歳暮恋 も故意 に除外 した もので はな く脱落 と考 え られ る。 夕恋 は建仁 2年 9月 十 三 夜水無瀬殿恋十 五 首歌合六首 目 の歌 で 後鳥羽院御集 ・ 明 日香井集 (但 し両 書 とも「暮 恋」 で あ る)に あ り. ,. か つ この歌 は慈円 ・釈 阿両点 を もつ 歌 で あ り,定 家本 の脱 落 と考 え られ る。 次 に北野宮可合久恋 は新 古今集入集歌 で ,新 古今集巻十一 恋歌一で は詞書 が 「 和歌所歌 合 に久 忍恋 といふ ことを」 とあ るもので ,事 実元久元年 11月 11 日の北野宮歌合 の歌 で はな く,ま た歌 の 内容 か らも久恋 で はな くて 久忍恋 の 4)詠 歌年次 は不 明 で あ るが,月 清 歌 で あ り,新 古今集 の詞 書 の方 が正 しい。 集 には新 古今集入集歌 は全て収 めて あ り,慈 円 ・釈 阿両点 を もつ と ころか ら も定家本 の脱 落 とす べ きで あ る。. 4). 「 新 古今和歌 集全註解」 で北 野宮歌 合に作者 は列 な って いない とす る誤 りは山 崎敏夫氏 が「 藤原良経」 (日 本歌人講 座 中世 の歌人 I)で 正 され, 北野官歌 合 の歌 と され たが , この歌 は北野宮歌合 の歌 で はない。.

(7) 片. θθ. 山. 夏書 は教家本 で は. や思ふらんいはほなつなるあまのは衣 1090γ ち春をそれもをもく 1091 うき枕夏 の くれ をやす ゝむ らむ そま山川 を おろす いかた し と二 首 にな って い るものが定家本 で は なつ はなを それ もを そ くや お もふ らむ そまや まか はを おろす いかた し と一首 にな ってい る もので ,定 家本系統静嘉 堂文庫本 で は なつ は猶 それ もを そ くや お もふ らん岩尾夏 な るあまのは衣 うき枕夏 の 暮 をやす ゝむ らん柚 や ま川を おろす いかた し とあ り,定 家本 は教家本 二 首 で はな く明 らか に静嘉 堂文庫本 の二 首 の上三句 と下旬 を合せ て一 首 と して誤 写 した もの と思 われ る。 とす るな らば静嘉 堂文 庫本 が定家 自筆本 の原本 の姿を示 して い るといえ るわ けで ,実 は静嘉堂文庫 本 には前 述 の定家本脱落歌 の うち野 遊 ・夕 恋 を も含 んで い るのであ る。 ここで 問題 にな るのは静嘉堂文庫本 の性格 で あ る。 同本 は室町中期写 ,そ の 奥書 には 本云是御平生 之時所被注置之本 也 , 夢後書留 之 ,粗 一見 了 ,御 本 恋返上之 間不見 中書 之草 ,字 誤 無極不晴覚 事不能直付 安貞 二 年 五 月 二 日 押紙 日 此一冊加 愚見候 之処 ,京 極 中納言 定家卿真筆勿論候 也 左 羽林藤原為広. 在判. とあ って定家 自筆本 奥書 の次 に冷泉 為広 の極 めを もつ もので ,本 文 内容 か ら み て も忠実 な定家 自筆本 の転写本 で あ るが,右 にあげた外 に もう一 カ所 ,西 洞隠士百首 ,春 廿首 の歌 か り人 のい るのの つ ゆを いの ち にて ち りかふ花 にき ゝす な くな り で 定家 自筆本 が 下第 五句 の 「 き ゝす な くな り」 を欠 いで い るのを 補 って お り,あ るいは静嘉 堂文庫本 はその転写 の過程で定家本原本 た る良経 自筆本 を ・ 見 て補 ったか もしれな い。 しか しもしそ う とす るな ら前 述 の旅 月間鹿 寄歳 に 暮 恋 ・久恋 三 首 も含 んで いて然 るべ きだが ,不 審 とい う外 な い。松 田博士.

(8) 秋 篠. ζθ. 月 清. 集 考. よ ると,定 家本系統 には他 に嵐行斎 自筆本 ・ 大 島氏袋綴本 があ るよ しで あ る が所在不 明 で あ り,私 家集 伝本書 目によれ ば東大 研究室本 もあ るよ しだが喝 目の機を 得 ないので 後考 に倹 つ こ とに したい。 と もあれ 、定家本 か らの転写 本 で あ る静嘉堂文庫本 が 内容的 にはか え って良 経原本 に近 い もので あ ること は注 目す べ きで あ る。 と ころで一 番重要 な歌 の異 同は元久元年 11月 11日 の北野宮歌合 の歌 ,時 雨 ・忍恋 二 首 を定 家本 が欠 いで い ることで あ る。 い ったい月清集 の部類 をみ るに,そ の排列 は極 めて ルーズで あ る。 この こ とは前述 の恋歌 が冬 部 に入 ってい る一事 を もって して も明 らかで あ るが, し か し詠 歌年次順 に書 きとめてい った もので はな く,明 らか に家集編纂 の意 図 を もって 部類 し排列 してい るので あ る。す なわ ち春部 は「 は るた つ 日ゆ きの ふ りけれ ば」一 首 に始 ま り,「 三 月尽 日」一 首 に終 る。秋 部 は「立 秋」 二 首 に始 ま り「九 月尽 日」 二 首 に終 るとい った ご と く部類排列 にな ってい るので あ る。 もっと も同 じ部立 内で は同時詠 の歌 は凡 て一 括 して排 列す ることを原 則 と してお り,そ のために歌題排 列 に不調和 が起 って くる場合 もでて くるわ けで あ るが ,詠 歌年次順 に排列 された もので はな く,一 応部類排列 とな って い るので あ る。 ところが月清集成立 の上 限を なす元久元 年 11月 10日 の春 日社歌合 三 首 およ び 同11日 の北野宮 歌合 三 首 の歌 の排列 をみ ると明 らか に これ らの原則を無視 して凡 て各部 の巻軸 に排 列 されてい る。今両歌合 歌 のおかれた場所 を示す と 次頁 の表 の如 くで あ る。 次表 の うち雑部 のみ は巻 の 中途 に あ るが後 が述 懐歌群 を収 め るので右 に準 じて考 えて よい と思 われ るが,こ うして両歌合歌 はすべ て巻 軸 に位置 して い る。特 に冬部 と神祇部 は部類 が一 応終 った後 に書 き加 え られた こ とが 明瞭 に 観取 され るので あ る。 この こ とは月清集 が元久元年 11月 10日 以前 に一 応 の部 類 を終 っていた こ とを示す もので あ る。 そ うす ると良 経 が部類 を行 な った 時 期 は いつ 頃か とい うと,春 日社 歌合以前で詠可 年次 の最 も近 い ものは元久元 年 「 八 月十 五 日夜五首五辻殿初度御 会 に」 な らび に「 八 月十 五 夜翫月 同当座.

(9) 片 教. 家. 山. 本. 享. 1定. 家. 木. 冬部 (巻 軸 ). 1337 歳暮 1338 家撰可合冬述懐. 01339 01340. 院春 日御社可合三首 内落葉 北野宮吾合時雨 恋部 (巻 軸 ) 1463 宇治 にて院御会五首中夜恋. 麒 1464 北野宮可合忍恋 繋旅部 (巻 軸 ) 1487 院 よ り八幡若宮可合六首 内壽 中恋 1488 院影供当座 に月前旅 拶 1489 院 にて当座御会旅 雑部 1524 院 よ り八幡若宮可合六首 内山 家松 01525 院 よ り春 日秋可合三首内松風. 1526 夢中述懐. (十 首 ). 歳暮 に 家撰可合 に冬述懐 院於春 日御社 可合 の三 首 内落葉 を (欠 ). 宇 治 にて 院御会五首 中夜 恋 (欠 ). 院 よ り八幡若 宮 にて可合 あ り し六首 内 覇中恋 を (定 家本 この位置 にな し). 院 にて 当座旅心 を. 山家松. 院 よ り八幡若 宮可合後奉六首内. 松風 院 よ り春 日社にて可合 の三首内 夢中述懐 (十 首 ). 神祇部 (巻 軸 ) 1588∼ 1594 日吉社 (七 首 ). 01595. 院春 日社歌合暁月. 日吉社本地 (七 首 ) 院春 日社可合 に暁月恋を. 吾 合」一首 で ,こ れ らは秋 部 の 中 ど ころに一括 して排 列 されてい ることか ら みて ,部 類 は元 久元年 8月 15日 以後 ,同 年 11月 10日 以前 とい う ことにな る。 そ して11月 10日 春 日社歌合終 了後 にその三 首 を書 き加 え るので あ るが ,こ こ で 問題 なのは北 野宮歌合三首 中 ,定 家本 で は時雨 ・忍恋 二 首 を欠 き,覇 旅 一 首 の みを「院 にて 当座旅心 を」 (教 家本 「院 にて 当座御会旅」 )と い う 詞書 で 載 せ てい ることで あ る。教家本 では北 野宮歌合時雨 ・忍恋 が載 って お り. ,. ここで は詞書 に「 北野宮 丹合」 と明示 してい る。 これ は どのよ うな事情 によ る ものであろ うか。 明月記 ,元 久元年十一月十 日の条 に 十 日,天 晴 ,末 時参殿 ,即 御共参 院 ,不 終程 出御 ,依 召参和歌所 ,予 依 召.

(10) 秋. 42. 篠 月. 清 集 考. 出勤仕講 師 ,又 付勝負字 ,如 形書判 詞 ,愁 右筆注付 之 ,四 十 五番評定 了退. 支主音逸墾産謀之,庇 商童虐,直 作著苓藉蕃,轟 参之後支荻者参上,義 芝 符藤負,夫 気森llit熱 ,若 人典獅負色,通 具・有家・保季・雅経・丹後,以 別 御教書 被感仰 云 々,面 々捧 之 ,自 愛堪能 之歌仙得境之秋 也 ,深 更御 退 出 窮屈失度. ,. とあ り,10日 に行 われた春 日社歌合 の模様 を叙 して い るので あ るが,こ の歌 こ 合後 に当座三 首 題 が出され ,隠 名歌合 として結番 し歌合 が行 われ て い る。 れ が北野宮歌合 で あ る。「天気 殊快然 ,有 入興御気 色」 は春 日社研合 で秀歌 が 多 くでて ,そ れ に引 き続 いた この 当座歌合 に も院 の御機嫌 並 々でなか った 様子 が叙 されてい るわ けで ,こ の歌合 の席 上通具以下 の人 々に春 日社腎合歌 の御教書 が与 え られ たのであ る。 これ が春 日社歌合 に対す る御教書 であ った こ とは家長 日記 によ って 明 らか で ,も っとも家長 日記で は御教書 は後 日与 え べ られ た こ とにな って い るが, 日記 の性質 上 明月 記 の記事 を信ず きであ る。 北野宮歌合 は一般 には11月 11日 とされ るが,そ れ は「 北野宮歌合」 に「 元久 11月 11日 の 元年十 一月十一 日当座」 とあ るの によ る。 しか し,同 じく明月記 多Lに は 十 一 日,天 晴 ,蒸 凸櫨 ま ,桑 娩 以後参 J姜 ,藻 黄 遠十 ,明 後 日持歌合可参春 日由有催 ,軽 服 日数之 由申了 ,層 尋薦,今 日一 品宮渡御 院御所 ,献 出車 ,. とあ って 定家 は終 日家 に臥せ っていて夜 にな って 良経邸 に伺候 した のみで和 歌所 へ 出仕 した様子 もな く,和 歌行事 の行 われた形跡 もな い。 後鳥羽院御集 には 北野社歌合 之 由被注尤 不審 同 (元 久元年)十 月 日当座歌合 として 時雨 ・ 忍恋 ・薯旅 三 首 を収 めて お り, 日付 に異 同 があ るが (明 日香 井 集 で は北野宮歌合建 久元年十月 とあ る)「 当座歌合」 とあ るのが注 目 され. ,. 北野宮歌合 に「 当座」 とあ るの に合致 し,ま た同歌合 に衆議判 とあ り,(和 こと 歌合 略 目録 に も衆議判 とあ る)北 野宮歌合 は当座歌合 で 衆議判 で あ った が知 られ る。 とすれ ば明月記 の記事 か ら11日 の蓋然 性 はな いわ けで ,北 野宮.

(11) 片. 43. 山. 歌合 は11月 10日 春 日社歌 合後 に行 われた衆議判 の当座 歌合 で あ った こ とが明 らかであ る。. 5)そ. れでは北野宮歌合 に11月 11日 とあ るのは何故 か。 春 日社歌. 合 は 明月 記11日 の記 事 に あ るごと く11月 13日 に春 日社 に奉納 された。 これ に つ いて 後鳥羽院御集 に 同十一月十 三 日春 日社御 歌合 とあ り,こ れか ら推 して異例 で はあ るが ,院 は11日 にな って昨夜 の当座 歌合 を北野官 に奉納 せ しめ られ た と推定す るので あ る。 か くて北野宮歌合 は10日 当座三首題 として給題 され ,後 隠名 当座歌合 とな り,翌 11日 に北 野宮 に奉納 されて北 野宮歌合 とな った。月清集 に「院 にて当 座御会旅」(定 家本 に「院 にて当座旅心を」 とす るのは定家筆写 の際 の恣意 に よ る変更 で あ ると考 え られ る)と 書 いたのは上 記 の事情 によ る。す なわ ち良 経 は当座御 会 として給題 された三 首 を詠 み ,何 かの事 情 で退 下 し,歌 合 には 参列 しなか った。 そ して春 日社歌合三首 と共 に「院 にて 当座御会旅」 と月清 集 に書 き入 れたので はな いか と推定す るので あ る。 ただ ど うい うわけか三首 中上 の一 首 のみを記 入 し,題 も「薯旅」 を「旅」 と不確 かな書 きかた で入 れ てい るので あ る。 そ して良経 が北 野宮歌合時雨 ・忍恋 二 首 を書 き加 えたのは 11月 11日 以後 の こ とであ るが,定 家 が書写 した良経原 本 には この二 首 は もと. もとなか った と考 え られ る。 とい うのは第一 に以上 のよ うに北 野宮歌合 三 首 は凡 て巻 軸 に位置 し,一 首 のみが「 北野宮歌合」 の詞書 を もたず「 院 にて 当 座御会 に」 とあ り,定 家本 に「 院 にて 当座」 と して入 ってい る こ とか ら他 の 二 首 とは書入 れ の時期」 が異 り,他 の二 首 は北野宮歌 合成 立 の11月 11日 以後 の 書入 れであ る こ と。第 二 に も し仮 に他 の二 首 が定 家本原本 た る良経 自筆本 に. 5)愚 秘抄 には「元 久 ,北 野奉納 の御披講 には,. 御製講師 は通具卿 , 読 師 は摂政殿. 勤仕 あ りき。」 とあ り, これが元久元年 11月 11日 の北 野宮歌合 を さす とすれ ば 当 日良経 は読 師 を勤 めた こ と にな るが, 後鳥 羽院御集 に元 久 2年 7月 18日 北野 御歌合 (祈雨 当 日出題 摂政判有序 )と あ って愚秘抄 の記事 が 同歌合 を さす とは 確定 で きず ,寧 ろ祈雨北野歌合 の方 が可能性 が強 い。.

(12) 44. あ った と仮定 して ,巻 軸 二 首 を共 に脱落す ることは書写 心理 か ら考 え られ な い こ と。第 三 に定家本祖本 は教家本祖本 と同一 で はなか った と考 え られ るこ と。 それ は定家本 に亡 父俊成 の合点 につ いて 何 らの注記 もな い こ とおよび定 家本 に欠 く七首 (夏 歌 は二 首 を一首 に誤記 していたのであ るか ら除外す ると して)中 四首 が合点歌 で (野 遊 ・時雨 ・久恋 ・夕恋)四 首 もの合点歌を脱落 す る こ とはあ りえず ,特 に北 野宮歌合時雨 の歌 は巻軸 に あ って しか も合点歌 で あ り,こ の歌 を書 き落す ことは不可能 に近 い といえ る。 以上 の こ とか ら定 家本原本 と教家本原本 とは別 の ものであ った と考 え るのであ るが,定 家 が書 写 した良経 自筆原本 は元久元年 11月 10日 書 き入 れの草 稿本 で あ った と推定 さ れ るのであ る。定家本奥 書 に「是 御平生之時所被注置之本 也」 とあ るが,こ れ は定家 が良経 の月清集 を完全 に家集 として編纂 された もの として受 け とめ て いない ことを 示す ものであ ると考 え られ るが ,同 時 に書 き入 れな どの あ る 草 稿本 で あ った ことを 示す とも考 え られな くもな い。 もっとも定家本 は定家 自身 が「字 誤無極 ,不 晴覚事不能直付」 と認めて い るよ うに,後 にな って 多 くの疑点 を感 じる ご とき不完全 な写 本 で あ った。 そ れ は既 にみて きた ごとき五 首 (北 野宮歌 合二 首 を 除外す ると純 粋 の脱落歌 と 認 め られ るのは五首 にな る)の 脱落 によ って も窺 われ る ものであ るが,そ れ 以外 に も定家の恣意 によ って適宜書 き加 え られた と思 われ る箇所 があ る。 そ れ は(5)に 示 したよ うに定家本 は教家本 にない歌数注記を もってい るが,こ れ は定家 が筆写 の 際歌数 を数 えて記入 した もの と思 われ ,ま た14)に 示 した よ う に定家本 の詞 書 は教家本 に比 して精 しくな って い る。例 えば1487の 詞書 を あ げ ると教家本 では「院 よ り八 幡若宮吾合六首 内罫 中恋」 とあ るものは,定 家 本 で は「院 よ り八 幡若宮 にて腎合 あ り し六 首 内薯 中恋 を」 とな ってい るが. ,. これ は定家 が意味 が通 りやす いよ うに書 き改 めた もの と思 われ ,定 家 は手 控 え風 の原本 の詞 書 に手 を加 え,家 集 の詞書 にメ、さわ しいよ うに書 き改めてい るので あ る。 そのために例 えば前述 の北 野宮歌合 の 「院 にて当座旅心を」(教. )の よ うに原題 の「轟旅」 か ら離 れ る場合 もあ り 家 本「院 にて当座 御l会 旅」. ,. 春 日社歌合 の「松風. 院 よ り春 日社 にて腎合 の三 首 内」 (教 家本 「 院 よ り春.

(13) 片. 山. どJ/. 日社吾合三首 内松風」 )の よ うに事実 と異 った 叙述 に もな る場合 も出て くる わ けで あ る。以上 の よ うに誤脱 や必ず しも原本 に忠実 とは云 えない と思 われ る箇所 もあ るが,後 述 の教家本 に比 して良経 自筆草稿本 の面影 を伝 えて い る 面 も多 いので あ る。. 3。. 教家本 の性格. 定家本 と教家 本 の最 も大 きな相違 は教家本 が定家 本 にない慈 円 ・釈 阿 の両 点 を もつ こ とで あ る。 この こ とか ら良経 は元久元年 11月 11日 以後 ,両 人 に合 点 を 乞 うこ とを思 い立 ち,百 首 愚草 ・月清集 を書写 し,北 野宮歌合時雨 ・忍 6). 恋 二 首 を加 えた と考 え られ る。 それ は久徳高文氏 が指摘 されて い る ごと く. 釈 阿発病 の11月 25日 朝以前 ,す なわ ち24日 には釈 阿 は加点 を終 ってい るわ け で ,慈 円 に点 を乞 うた時期 は不 明 で あ るが,加 点 の状況 か らみ て釈 阿加点以 後 と思 われ るが ,と もか くも教家本祖木本文 の成立 は元久元 年 11月 11日 以後 同月24日 以前 とい うこ とにな る。 この 際良経 自身 によ って手 が加 え られ たか 否 か は今 日明瞭 で はないが ,少 くも大 きな手 は加 え られ ていない ことは確 か で あ る。 と ころで現存教家本 (常 縁筆本古典文庫)に は これ以後整理 の手 が加 わ っ た跡 が歴然 とみ られ る。 まず百 首 および五十 首歌 題 につ いて巻頭 に掲 げ られ た 目次題 と各 内題 の異 同 の状況 を示す と次 頁 の表 の ご と くで あ る。 す なわち教家 本 には傍点 を付 したよ うな注記 が加 え られ ,冊 合 の文字 が加 わ ってい るので あ るが,定 家本 で はそれ がない。 ただ千 五百 番歌合 につ いて だ け,内 題 に 院第 三 度百首 とあ り,左 肩 に注記を もち三 を墨 で 消 して 右 に二 と訂正 してい るが ,こ れ は 事情 を しらない後人 の さか し らで あ って定家 自身 の注記及 び訂 正 で はなか っ 「秋篠月清集 の成立年代」(国 語 と国文学昭1502).

(14) 秋. 集 考 定. 家. 南海漁夫百首 西洞隠士百首 院初度御百首i落 土準 千 五 百番 歌合 也. 院第二度百首. 首 十 五 題 句 同. 老若可合五十首. 合 首 首    ・ 可 百  百         ・ → 合 首 首 首 ・ 調 百 百 十 調 ・ ・ 首 夫 士 度 度 五 百 漁 隠 初 三 題 合 海 洞 皇 第 無 調 南 西 上 同 同. 吾合百首共音暮. 本. 目 次 題. 目 次 題. 題. 句題 五十首. 月 清. 本. 家. 教. 篠. 可合百首. 可合百首. 南海漁夫百首. 南海漁夫百首. 西洞隠士百首. 西洞隠士百首. 院初度百首. 上皇初度百首. 院第三度百首 千五百番 院無題五十首. 同第二度百首 同無題 五十首. 院句題五十首. 同句題 五十首. 千五百. た と考 え られ る。 目次題 に も二 とあ るが,こ れ も三 とあ るものを墨 でなぞ っ て三 に改 めてい るので ,定 家本 の原 の形 は注記訂正 を もたな い もので あ った と思 われ る。 もっとも この注記訂 正 は比較的早 い時期 と思 われ ,静 嘉 堂文庫 本 で は右 の注記訂 正 を本文 化 してい る。定 家本 に「院句題 五十 首」 とあ る院 を加 えたのは定家 自身 と考え て よい。 ここで 注 目 したいのは教家本 の歌合 につ いての訂 正 で あ る。特 に院無題 五 十首 を老若腎合五十首 とす るのは,建 仁元年 2月 5日 に院 か ら五十首歌 を召 され ,後 鳥羽院御集 によ ると同月 16・ 18日 両 日評定 あ り勝負付 がな された も ので新 古今入集歌 の 多 い極 めて 重要 な歌合 で あ るが,拾 遺 愚草 (中 )に も 院五十首. 建仁元年春. 春 日応太上皇製和歌五十首 とあ り,定 家本 の題 が良経原本 の形 で あ った と考 え られ る。何故 この よ うに 改 めたか と云 うと, それ は教家本 の 歌合歌 の勝負付 に 関係 があ ると 思 われ る。 この勝負付 を記 したのは教家本奥書 に 承久 三 年十 一月廿六 日書写早 此合点者前大僧 正 釈阿入道両人之点 也 不可有他見敦. 権大納言藤原御判. とあ って 次 に歌合勝 負数 の合計 を記 してい ると ころか らみ て 当時 の権大納言.

(15) 片. 47. 山. 藤原 ,つ ま り教家 で あ った と考 え られ る。 (教 家 は建保 6年 12月 9日 権大納 言 正三 位 とな り嘉禄元年 9月 3日 出家 によ り辞任 してい る)教 家 は父良経 の '. 家集 を整理 す る意 識 を もって詳 細 に歌合 な どを見合せ勝 負付 を記 した もの と 思 われ ,日 次題 の南 海漁夫訂合百首 ,西 洞 隠士訂合百首 を付 したの も同様 の 意 図 か らと思 われ る。 こ うして集 を解 りやす い もの に しよ うと した教家 の意 図 は哀傷部 1567の 記 書 に もあ らわれ て い る。す なわち定家本 で は なを あ り しか とも忘 るおな しころ三位入道 の もとよ り とあ って極 めて主観性 の 強 い詞書 であ るが,教 家本 では 権 中納言道家母 うせ た まひてのちおな し ころ三位 入道 の もとよ り とな って い る。 この歌 は正 治 2年 7月 13日 の良経 の妻 であ った入道権 中納言 能保女 の死後 の俊成 との贈 答歌 で これ は新 古今集巻八哀傷部 の 権 中納言道家母 か くれ侍 りに け る秋 ,摂 政太政大 臣 の もとへ つ か は じけ る 皇太后宮大夫俊成 の 詞書 によ った もので,教 家 は道 家 と同腹 の兄弟 で あ り (公 卿補任)亡 き母. :. へ のお もいが「 うせ た まひての ち」 の尊敬表現 を と らせ た もの といえ る。 詞書 の異 同 につ い ていえ ば神祇部 「伊勢 にて」 の二 首 の後 に 定家本 で は 「 述懐 の 中 に」 の詞書 が あ るが教家 本 にはみえ ない。 この歌 は 伊勢嶋や しほひ もし らす袖 ぬれてい け るかひな きよ に もふ る哉 で 伊勢 にて三 首 に続 いて お り,整 理 の意味で削除 した可能性 も考 え られ る。 続後撰集巻十七雑 中 には「 述懐 の歌 の 中 に」 とあ る。 同様 に「夢 中述懐」 の 二 首 目に「 述懐」 とあ るの も削除 の可能性 が 強 い。 異 同 の(3(ウ )に 掲 げ た定家本 にお け る重 出歌 二 首 も教家 によ って削除 された ので はないか と思 われ る。 この歌 は定家本 によ って建 久 6年 作 とな るが,慈. :. 円 は建久 3年 権大僧 正 に任ぜ られ ,座 主 および護持僧 に補 せ られ た後 の こ と で 多忙 で絶 えて会 う機会 もない こ とを嘆 いた定家本秋部 の歌 の方 が贈答 の も との歌 と考 え られ るが,第 四句 が「 人 もな き世 の」 とかえ られて無 常部 に入 れ られた こ と によ って 歌意 は 複雑 とな り, 慈 円 ・釈 阿共 に合点 を付 けてい.

(16) 48. る。 教家 は重 出歌 に気 づ き両点 を もつ 無常部 の歌 を残 し,秋 部 の歌 を削除 し たので はないか と考 え るのであ る。 もっとも四詞書1の 異 同 2に 掲 げ た定家本祝部 の巻 莉││に あ る 書 茶 会高陽院初度御会 に が教家本 にないのは,定 家本 社本 に もともと歌 は記 されていなか った ので は ないか と思 われ ,こ の詞書 を削除 したのは教家 で はな く良経 自身 で あ った可 能性 が考 え られ る。 現 存教家本 には134カ 所 に亙 って 校異 が記 されてい る。 この うち定家本 に 一 致す る箇所 が67あ り,他 の52カ 所 は定家木 その他 どの伝本 とも完全 に一 致 す るものがない。従 って定家本 との校合 とは考 え られ ないわ けで ,い かな る 異本 によ る校」lか 不明 で あ るが ,或 いは教家 が前述 の如 く歌合 を詳細 にみて い ると思 われ ると ころか らその 際 の校異 の可能性 も考 え られ るが ,未 調 であ るので 可能性 の指摘 に とどめて お きた い。 ` 以上 のよ うにみて くるとき,定 家本 にお け る「百 首愚草」 「式部史生秋篠 月清集」 とい う集名 を 「式部史 生秋篠月清集」上下 と統一 したのは良経 自身 で はな く教 家 で あ った と推定 して も よろ しい ので はな いか と考 え るの で あ る。勿論良経 が慈 円釈 阿 に合点 を乞 うために書写 した 際 に集名 を統一 した可 能性 もな いで はないが ,良 経 に整理 の意 識 は殆 どな く,教 家 の整理 の意識 は 明 白で あ る。 も っとも教家 の整理 は集組織 や歌 の部類 を変更す るとい った抜 本 的な ものではな く,集 を理解 しやす く注記 を施 し,勝 負 付 を記 し,不 合 理 の 箇所 を正す とい った方針 によ って 貰 ぬか れてい る点 は注意 しな けれ ばな ら ないが , ともあれ ,教 家 の整理 によ ってかえ って良経原本 の形 がゆがめ られ てい る こ とは明 らかで ,こ の点 で は定家本 が良経草稿本 の面影 を とどめて い るといえ よ う。 ただ定家本 は定家 自身 が識語 で 認 めて い るよ うに誤 りが 多 く,こ の点 で教 家本 の優 位性 は認 めな けれ ばな らぬが,そ れで は教家本 が本文 の面 で絶 対 的 優位性 を もち得 るか とい うに必ず しもそ うは云 えない。例 え ば句題五十 首 97 .5山. 家月 は教家 本 で は.

(17) 片. 本. 1定. 山. 家. 1黎 │〒. 741秋 の夜 に. 秋 の夜 の. ″1松 の祭Yか な. まつ のかせ かな 松 の風 かな. 書 陵部 本 傍墨「 ケ カ」み せ け ち朱 1ミ. き:. かせ になかめて 風 にながめて. ナカメ イ 書 陵部本「 風 に まかせ て 」. ◎ │○. 秋 の夜 の. 298 風 にまかせ て まさイ 337 かは る らん. か は る らむ. 340 いまはの心. い まはの ころ の いまはの比 の. │. かは る らん. ⑥ ⑥. lO lO. き. 7. ⑥. ×. ④. ○│. むす苔 の. ○. ×. はの 待 ける よはの. ④. ○. い まは の ころ の イ 柳瀬 本「 い まは の心 」. 387 うち ぬ るひま も うちぬるよひ も うち ぬ るよひ も 又もこんイ 466 秋 かせ に 秋かせ に 又 も こん. 738 待 ける庭 の. か. し. ×. ⑥. ○. ×. ○. こ. [. ×. ○. ×. ④. ×. ○. ×. ○,. 夜 な 夜 な月 に. ×. ○│. こ ろ│五 ころ のこ 五月 ろ 月雨 F村 の. ⑥. ○. に も あ. 見 よ 雪 とた にみん. 時 しもあれ. みよ貿沢套 雪かとも よ. 雪 とか もみ ん (書 陵部 本 ). い. ほ の と山 の庵 の lこ. の. れ た. 1567 夢 の うちは こそイ 1568 我身哉. ○. 月. 1412 色 はみえ ける. ×. ○ヽ. は の よな よな庭 の. な よ. 1383 五 月雨 の空. ○. 6,. ほ る たえ たえ氷 る. れ. の ま. イ比. ける 野沢 に茂 る. も し. 1212 な くな く月 に. よる舟 の. らに 待 つ 夜 なか らに. と か. 1114 とき しあれ は 1122 と山か いほの. な よ. やイ. え た. 934 たえ たえかか る. の. に は. イ こほ る. 1018 雪 とた に見 よ. な よ. 918 沢 へ に しけ る. `. ゆを 氷れ る霜 を. ね ふ. 774 よる舟 の 夜なからにイ 823 まつ とせ しまに. × ○. ささの葉 は. つ. る れ. 760 こほれ る霜 を. は. は の. 760 ささのは ら. 972 よな よな庭 に. よ. る け. よは イ. よふ 岩 まにまよお、. の. 710 むす苔の. ま. 544 いはまにのこす. ちきりたのむの 秋 をたのむ の. っ鋏 厩 欺 蛙 墨 神 銃 絲 蹴け れ ヽ 魏 ∝ ま. ま よ湾、イ. た に 苔 ま ふ. 秋を イ. 〃 1契 たの む の. 8:il:る 甘. 1色. は こもれる. 1曇. ::l借. わか身 こそ. 1568 とは るる けふ は とはるるけふ も│と はるるけふ も. ○ (俊 成 詠 ). 0. 〇│. ③. ○. × ○.

(18) 秋 篠. づθ. 月 清 集. 考. 新 勅撰集. すまはすむへ き. すまはすむへ き. 727. いまはむ す へ き りなんイ ち きる らん. ちきるらむ. ちきるらん. 727. さみ たれ の ころ. あ りあけのころ. ありあけのころ. 1333. さひ しさは. さひ しきは. さひ しきは. 1363. 関 こえて. やま こえて. せ きこえて. 590. ×. かすみ のそこに. ○. かすみのそこに. ○. かすみの空 に すイ. ○. 415. ○. うき しまのはら. ○. うき しまのはら. ×   ×  〇︶. うき嶋か はら. ×   ×   6︶ 6︶. 220. ○. 古 典 文庫番号. 月見 は といひ しはか りの人 は こてつれ な くとは ぬ 山 のお く哉 と あ り,左 下 に「下旬 不重」右 に「新 古 に まきの戸 た ゝく庭 の 松 かせ」 と注 し,上 に「新 古」 の集付 けを付 して い るが,注 は後人 の付 した もの として 第 二 句 は定家本 に「 みや こ人」 とあ るのが正 しい。新 古今入集歌「月見 ば と」 の 歌 は正治 2年 院初度百首 749の 歌 でかえ って 重 出歌 を作 るとい う混乱を お こ してい るのであ る。 また両本 の異 同(3国 に掲 げ た定家本 に あ って教家本 に 「あ な い「秋 の くれ に」 「 春 のは じめに」 二 首 は教家本 の脱 落 と考 え られ る。 らた まの」 の歌 は後京極殿御 自歌合春 部 一番立春左歌 で あ って 自歌合 三 百首 は 凡 て 月清集 に収 め られ てい る。 また両 本 で異 同あ る歌で新古今 ・新 勅撰両集 に入集 してい るものが新 古今 入 集歌 七九首 中二三 首 (27カ 所)新 勅撰集入集歌 三六 首 中六首 (7カ 所)あ る。 その異 同を表示す ると上記 の表 の ごと くで あ る。 以上 の表 によ って も明 らかな よ うに,新 古今集入集歌 で異 同 あ る歌27カ 所 中 21が 新 古今歌 と一致す るの に対 して教家本 の一 致 は 6,校 異 および異 本 に よ って一 致す るもの10カ 所 で定家本 の方 が圧倒的 に新 古今集歌 に近 いので あ る。 また新勅撰入集歌 につ いて も定家本 の一 致 6に 対 し教家本 の一 致 は 2カ 所 ,校 異 によ る一致 1カ 所 で この傾 向 は更 に顕著 で あ る。 もっ とも新勅撰集 に つ いて は撰歌 に あた って定家 は手許 の定家本月清集 を使用 した こ とも考 え.

(19) 片. 山. られ,そ れを考慮 に入れ る必要 が あ るが,と もあれ教家本本文 が定家本本文 に 比 して優れて い るとは云 えず ,か え って定家本本文 が教家本 よ りも優 れて い る面 を もつ こ とが 明 らか で あ る。 か くして秋篠月清集 につ いて は教家本 ・定家本 のそれぞれの性格 と限界 を ll■. っき りさせ た上 で祖本 の湖源 と厳密 な本文校訂 がな されな けれ ばな らぬ と. 思 うので あ る。. 4。. 伝 本 受 容 の問 題. 定家本 ・ 教家本 が以上 のよ うに大 きな異 同を内蔵 して月清集 の二大 系統本 を な して きたた めに,そ れ以後 の伝本 はいずれかの系統本 に属す る こ とにな るが,当 然 二 系統校合本 の 出現 を招 き,か な り早 くか ら月清集 には校合本 が 作 られ たで あろ うこ とは推察 にかた くな い。伝本推移 の過程 につ いて例 え ば 松 田博士 の と られた諸本 の組織形態 の状況を みて もは っき りと把握 で きる。 例 を集組織 の面 か らみ ると,既 に述 べ て きた ご と く定家本 は百首 愚草 と式部 史生秋篠月清集 (上 下)と し,教 家本 は全体 を式部史生秋篠月清集 と名 づ け 定 家本 の百首 愚草 に 当 るものを上 とし,式 部史生秋篠月清集 (上 下 )を 下 と した。 宮 内庁書 陵部蔵六 家集御所本 (1冊 ・ 江戸写 ,整 理番 号 501. 511)は 目次. 題 を もたず本文花月百首 か ら始 まるが,南 海漁夫百首 の前 に 式部史生秋篠月清集上下 と あ り,春 部 の前 に 式部史生秋篠月 清集下上 祝 部 の前 に 式部史生秋篠月清集下下 とあ って教家本上下 を さ らに上下 に分 けてい る。 これ と同 じ組織を もつ もの に 陽明文庫蔵月清集 (4冊 ・江戸写)が あ り, 表紙 に 「月 清集上 々」 以下 「上下」「下上」 「下 々」 と記 し,内 題 では第 1冊 に「式部史 生秋篠月清集.

(20) 52. ″ 〃 上 呈」 とあ り, 以下各冊 巻頭 に「式部 史生秋篠月清集 上下」「 下上」「 こ 下下」 の如 く記 して い る。 これ らは定家本 が月清集 を上下 に分 けてい ると ろか ら百首 および五十首歌を収 めた部 を も上下 に分 けてい るわ けであ る。 ・511 ・ 島原 0松 平文庫本 (2冊 ・江戸写)は 書 陵部蔵桂宮本 (2冊 江戸写. 03)の 幽斎校合本 と同 じ系統 の転写本で あ るが,極 めて金 雑 した題 を もっ │ヤ. て い る。題彼 は「月清集上」 「 〃下」 とあ るが ,内 題 は 式部史 生秋篠月清集 上 百首 愚草 と記 し,上 巻 には他 に 内題 はな いが ,下 巻 の春部 の巻 頭 には 式部史生秋篠月清 集 雫 また祝部 の前 に 式部史 生秋篠月清集下 と記 した後 に消す符号 を つ けて い るのであ って ,こ れ は教家本 と定家本 の混 合 で あ る。す なわち教家本 に上 とあ るのに従 って上 と したが,定 家本 が祝部 以下 を下 とす るので春部以下 を中 と し,後 で教家本 に従 って下 と し,祝 部 の 前 の 内題 を消 して い るのであ る。 書 陵部蔵月清集 (2冊 本 ・江戸写. 0151 424)は 題策 に「式部史 生秋篠月. 〃 清集 上」 「 〃下」 とあ るが, 内題 には 「式 部史生秋篠月清集 一」 「 二 」 「 〃三」 「 〃四」 とな って お り,書 陵部御所本 や陽明文庫本 にみ られた「上 「 四」 に整理 した もので 上」「上下」 「下上」「下 下」 とあ るものを「一」一 あ って ,こ れが固定化 してい って六 家集板本 の部類 とな った と思 われ る。 以上 の よ うに集組織 の名称 を と り上 げ て も教家本 ・定家本 以後 の伝本推移 の過程 を想定 しうるので あ るが ,内 容 において も この こ とは確 かめ られ るの で あ る。 もっとも定家本 ・教家本 の校 合 とい って も大体 は教家系統本 を底 本 に して定家系統本 で校合 す るのが一般 であ って ,定 家本 を底本 に教家本 で校 。 合 した ものは極 めて 稀 であ る。 その稀 な一 本 に京大 図書館 蔵六 家集 (1冊 :. 近世写 )が あ る。 この本 の集組織 は特異 で あ って題策 に「月清集 」 とあ り. ,.

(21) 片. 53. 山. 内題 は「式部史生 秋篠月清集」 とあ って春部 以下冬部 まで 四季部 を収 め,次 いで 内題 に 「百首 愚草」 とあ り, 花月百首 以下旬題 五十首 を収 め る。 次 に 「式部史 生秋 篠月清集下祝 恋雑」 とあ って祝部 よ り釈教部 までを収 め る。 つ ま り定家本 の「秋篠月清集 上 Jの 次 に「百首 愚草」 が割 り込 み ,更 に「 下」 が続 くとい う組織 なのであ る。奥書 には 本 云是御平生之時所被注置之本 也 ,夢 後書留 之 ,粗 一見 了 ,御 本 恋返上之 間 ,不 見 中書之草 ,字 誤無極不晴覚事不 能直付 安貞 二 年 五 月 二 日 承久 三 年十 一 月廿六 日書写早 権大納言藤原御判 とあ って定家本奥書 と教家本奥書 を併記 して い る。 この こ とが この本 の性格 を示 してい るが,本 文 は定家本系統本文 に教家本系統本 文 が混 って いて厳密 な校合 本 とは云 い難 い。 ここで後世 の流布本 た る六家集板 本 に大 きな影響 を与 え ,ま た厳密 な校合 を施 し,校 訂本 の性格 を もつ 意味 で 注 目 した いのは書 陵部蔵 1冊 本 (室 町中 期写 ,464029)で あ る。題簸 には 「秋篠月清集 全」 とあ り,伝 足利義政筆 東 山文庫 の 印 があ る。底 本 は教家 本系統 で慈 円 ・釈 阿両点 を もち. (も. ,. っとも. 教家本 と比較す ると朱墨点 を欠 いでい る箇所 22が あ り,逆 に教 家本 にない歌 に点 がつ いてい る箇 所 が12あ って 必ず しも正確 とは云 い難 い)集 付 も教家本 に記 した ものを記入 して い る。本書 は教家系統本 を底本 に して定家本 で校合 し,取 捨 を決 めてい るが ,そ の特色 を纏 め ると い教家本 ・定家本 の歌 の 出入 りの処 理 (ア. )定 家本 に あ って教家本 にない歌. 秋部 1266の 前 の 「なか月 の」 の歌 を小書 き して書 き入 れ て い る。 (書 陵部 本 151・ 424お よび六 家集板本 に あ り) 神祇部 1584の 前 の 「 あ らた ま の」 の歌 は本書 で は1584の 後 に本文化 して い る。但 し歌 頭 に後 イ初 イの 符号 を記 して定家本 の順 序を明示 してい る。 (書 陵部 同本 および板本 同 じ,但 し符号 はな い).

(22) 54. 秋 篠 月 清 集 考. に)重 出歌 の処理 ヘ 秋部 1206の 前 に定家本 に あ る「 内大臣 の事侍 け る ころ無動寺法印 の もと つ かは じける」 の詞書 を もつ 贈答歌 二 首 が書 き入れ られ,次 の注記 を もつ 「 此 二 首定家本 二書入之 ,但 哀傷部 二入 ィニァリ」 これ は松沢氏 が指摘 されて い るよ うに無常部 の間違 いで あ る。 この注記 は書 陵部 1510424お よび板本 に もその まま踏襲 されて い る。 ただ し「 イニ ア リ」 はな い。. u教 家本 にあ って定家本 にない歌 の処理 ■131 旅月 聞鹿「定本 此題可 コ ヽニハ無 シ」 (書 陵部本 1510424,板 本 に も注記 があ る) ■294 寄歳暮恋「 定 家本此題腎 此 所 二無 シイ」 (書 陵部同本 ,板 本 には注記 な し). 1340. 北野宮書合時雨「定本 此題耳不入 也」 (書 陵部 同本 ,板 本 には注記 な し). ■417 北野宮研合久恋「定本 二不入」 (書 陵部同本 ,板 本 には注記 な し). ■464 北野宮可合忍恋「定本 二此 題耳不書 之如 何 イ」 (書 陵部 同本 ,板 本 には注記 な し). の ご と く注記 して い る。 もっとも 静嘉 堂文庫本 に存す る306野 遊 ・1444夕 恋 に は何 の注記 も施 して いない。 これ によ ってみ ると校合 に使用 した定家本 は 或 いは静嘉 堂文庫本系 とも考 え られ るが断定 はで きな い。 それ は1090夏 歌 に つ いて た つ 春 を それ もを もくや お もふ らん巌夏 な る天 のは ころ も イニ ナ シ. L夏 ハ猶それもをそ くや思ふらん柚山川をおろす筏士 イニ如此 此歌可然歎 と小書 き してお り,教 家本 の歌を先 に書 き,次 に定家 自筆本 の歌 を記 して定 家 本 の歌を肯定 し,次 の1091の 「 うき枕」 の歌を除 いてい るのであ る。 そ し て 書 陵部本 1510424お よび六 家集板本 は右 の本文 に従 って 夏 はなを くれ もを そ くや思 ふ らん柚 山川を おろす筏士.

(23) 片 山. 55. 享. と して,1091の 歌 を除 外 して い るので あ る。. 0本 文異 同及 び詞書異 同 の処理 上 の よ うな欠歌 の処理 の仕方 は本文異 同や詞書 の異 同 につ いて も同様 で あ Ⅲ る。歌 の語 句 の異 同 につ いて云 えば例 えば二 夜百首 158の 歌 は ちはかりを. なをか よへ うつ の 山辺 の うつ ゝにはたえ に しなかの夢 の通 ち. と あ る。下第五句 は教家本 は「夢 のか よひち」 定家本 は「 ゆ めちはか りを」 で ,本 書 は定家 本 を よ しと して い るので あ って,書 陵部 1510424お よび六 家 集 板本 は「夢 ちはか りを」 とな るごと くで あ る。 また詞書 につ いて一 ,二 例を あげれば春部 1011の 詞書 は 院撰腎合十首 内霞続樹 て とな って お り, これ は教家本 には「霞続樹 」定家本 は「霞隔遠樹」 で定家本 の 方 を採用 し(歌 合原題 は霞隔遠樹 ),書 陵部 同本 ,板 本 も これ によ って 「霞 隔 遠樹」 とな って い る。 また春部 1017の 詞書 は 「暁霞隔暮 山」 とあ り,こ れ は教家本 「暁霞隔暮 山」定家本「暁霞隔春 山」 で 書 陵部 同本 ・板本 とも「暁霞隔春 山」 とな って い る ご と くで あ る。 また定家本 ・教家本両本 の比較で述 べ た教家本 にな く定家本 のみに あ る詞 書 につ いて は. 1)1255の 作者名「 中宮大夫」 を記入 して い る。 〈 書 (21 祝部 の巻 軸 の「茶 会高 陽院初度御会 に」 .の. 詞書 は恋部 の巻 頭 に移 され 高 陽院初度御会 に恋腎 よみ ける に. と恋部 の最初 の詞書 と合 されて い る。 (書 陵部 同本 ・板本 も同 じ). (3)雑 部 1528の 前 に あ る定 家本 の「 述懐」 の詞書 が記 入 されて い る。 部 同本 ・板本 同 じ). (4)哀 傷部 1567の 詞書 権 中納言道家母 うせ た まひてのちおな し ころ三位入道 の もとよ り に は右肩 に定 家本 の詞書 猶 あ りしか とも忘 る トイニ ア リ. (書 陵.

(24) 秋 篠 月 清 集 考. 5δ. を書 き入 れ,消 す記号 を つ けて い る。 (書 陵部 同本 ・板本 に注記 な し). (5)神 祇部 1582の 前 に あ る定家本 の「 述懐 の 中 に」 の詞書 を右肩 に小書 き し て 述懐 の 中 にイニ此 ア ヒニ題如此 ア リ と記 し,イ 以下の注記を後で墨 で 消 してい る。 (書 陵部 同本 ・板本詞書 あ り. ,. ただ し注言 己な く位置 も1583の 歌 の前 に くる). (6)神 祇部 の「 日吉七社」 の詞書 に あ る定 家本 の「本地」 は本書 では「本 地 イ」 と注記 し,書 陵部 同本 ・板本 で は「 日吉 七社 本地」 とな る。. 0歌 の排列順序 の異 同 の処理 教 家本 と定 家本 は 3カ 所排列順序 を異 に してい る箇所 があ る。 この うち(1) 82「 ひ と りね の」 の歌 が92の 次 に くる 定家本 の異 同 につ いての 注記 はな い が,(2)1075「 き く人 の」 と1076「 わ きてなけ」 の排列順序 の異 同は歌頭 に 「 後 イ」 「初 イ」 と注 し,(3)1488「 わす るな と」 が1084の 次 に入 る異 同 につ いて は傍 線 をひ き「 イ」 の符号 を つ けてい る。. (書. 1陵 部 同本 ・板本 は いずれ. も注記 な し) もっとも本書 が教家系統本 を底 本 と してい るとは云 え,そ の底本 は常 縁筆 教 家本 とは多少異 な った本文 にな って お り,例 え ば花月百首 の巻頭歌 は むか したれか ゝる桜 のたねを うへ て よ し野 を春 の 山 とな しけん とな って お り,こ れ は教家本 ・定家本 とも「花 を うへ て」 で あ って,書 陵部 同本 および板本 で は「桜 の種 を うへ て」 とい う本文 にな るので あ る。 また歌 の排列順序 につ いて も教 家本 とは異 な るものがあ り,二 夜百首 の鹿 五首 ・持衣 五 首 はそ の 位置を逆 に して い る。 もっとも題 の下 には 「後 イ」 「前 イ」 の符号 を記す。 (書 陵部 同本 ,板 本 には注記 はな い)そ の他382と 383` 0754と 75501022と 1023(後 イ・初 イの符号 あ り,書 陵部 同本 ・板 本 な し) 1207と. 1208(後 イ・初 イの符号 あ り,書 陵部 同本 ・板本 な し)の ご と く 5カ. 所 で教家本 ・定家本 とも排列 順序 を異 に して い る。 か くして書 陵部蔵 1冊 本. (464029)は 常縁筆教家本 とは歌 の排列 に若千. の異 同があ り,歌 の字句 に多少 の異 同 があ るとは云 え,教 家系統本 の比較 的. │.

(25) 吉子. 山. 57. 善 本 を底 本 と して 定家系統本 によ ってかな り厳密 に校合 して い るのみな らず 両 本 を比 較 し取捨 す る こ とによ って校訂本 を 目指 して いた こ とが明 らか で あ る。本書 は伝足 利義政筆 の極 めを もつ が ,奥 書 はな く,確 かな こ とは不 明 で あ る。 ただ教家本 と定家 本両本 が 同時 に見得 る立場 に居 た点 を考慮すれ ば. ,. 教家本奥書 に冷泉 為ヂ の名 が見 え,静 嘉 堂文庫本奥書 の極 めに冷泉 為広 の名 が見 え る こ と (為 広 は為ア の孫 に 当 る)か ら考 えて或 い は冷泉 家 の誰人 かの 手 によ ってな され たのではないか と推察 され るが,推 察 の域 を 出るものでは な い。 ともあれ本書 は以 後 の月清集伝本 に大 きな影響 を与 え,そ の本文 を伝 え,慈 円釈阿両点 ・勝 負付 ・巻頭 目録 ・集付等 を除外 し,巻 序 も 1-4と 簡 略化 した書 陵部本 151・ 424の ご とき (た だ しこの本 は欠歌 もあ り,細 部 に若 千 の字句 の異 同 もあ り直 ちに六 家集板本 の底本 にな ったわ けで はな いが)も の を経 て,六 家集板本 「月清集」 が刊行 され,流 布す るに至 るのであ る。 本稿を草するにあたって閲覧を許された宮内庁書陵部その他の各図書館,文 庫な らびに御教示を頂いた有吉保,簗 瀬一雄両氏 に感謝 します。なお本稿の前半 は昭和 44年 11月 23日 の中世文学会で 「秋篠月清集 について定家本と教家本の性格」 として口頭 発表 したものである。.

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