レンチウイルスベクターを用いた
脊髄小脳変性症の遺伝子治療
平
井
宏
和
は じ め に 脊髄小脳変性症は, 未だ根治療法が発見されていない 難病である. 脊髄小脳変性症の患者は日本に約 2万人い るが, そのうち約 3 の 1が遺伝性である. 遺伝性の大 部 は神経細胞内に毒性をもつたんぱく質が蓄積するこ とで引き起こされる. 毒性たんぱく質が蓄積すると, 神 経細胞は次第にダメージを受け, 十 に働けなくなりや がて死滅する. 遺伝性脊髄小脳変性症がどうして発症す るのかということがわかってくると, 治療法もおのずと 見えてくる. 大きく けて三つの戦略がある. 一つ目は 毒性のたんぱく質の産生を抑えることである. 二つ目は 毒性のたんぱく質を無毒化することで, 三つ目は毒性の たんぱく質を 解除去する能力を高めることである. 毒 性のたんぱく質の産生を抑える方法は RNAi法と呼ば れている. 脊髄小脳変性症 1型モデルマウスを用いた実 験である程度うまくいくことが報告されており, 患者へ の応用について研究が進んでいる. 私たちが研究してい るのは二つ目と三つ目の方法であり, 今回, 三つ目の方 法, すなわち, 毒性のたんぱく質を 解除去する能力を 高めることで, 脊髄小脳変性症モデルマウスの運動障害 を大きく改善させることに成功した. 脊髄小脳変性症モデルマウス 遺伝性脊髄小脳変性症 3型 (マシャド・ジョセフ病) は, 遺伝性の中で最も患者数の多いタイプである. 原因 たんぱく質はアタキシン 3と呼ばれており, すべての人 がもっている. アタキシン 3のアミノ酸の並びをよく見 てみると, グルタミンというアミノ酸がたくさんつな がった領域があることに気づく. 普通ではグルタミンの 繰り返しは 10回∼35回程度であるのに対し, 患者では 55回以上と著しく多くなっている. グルタミンの繰り返 しを 55回以上もつアタキシン 3はそのままでは毒性を もたないが, プロテアーゼにより切断されると毒性をも つようになる. 私たちは, 69 回のグルタミンの繰り返し をもつアタキシン 3断片 (変異アタキシン 3) を小脳プ ルキンエ細胞だけに発現するトランスジェニックマウス (モデルマウス) を作製した. モデルマウスは, 生後 20日 以降, よろよろと歩き, 時にバランスを失って転がると いう小脳失調の症状を示した. 小脳は著しく萎縮してお り, プルキンエ細胞の中には変異アタキシン 3が凝集塊 を形成して蓄積していた. 小脳プルキンエ細胞は, 桜の 木のようにたくさんの枝別れをもつ突起を伸ばしている が, モデルマウスではその突起の伸びは悪く枝別れも著 しく少なかった. 脊髄小脳変性症モデルマウスの遺伝子治療 私たちは 6年前から, レンチウイルスベクターを用い て小脳皮質のさまざまな細胞に特異的かつ効率的に遺伝 子発現させる方法を開発してきた. この手法を用いてモ デルマウスのプルキンエ細胞に, 変異アタキシン 3 解 を促進する 子を発現させると死にかけているプルキン エ細胞が回復し, 運動失調も改善するのではないかと えた. 変異アタキシン 3 解を促進する 子として CRAG と い う た ん ぱ く 質 を 発 現 さ せ る こ と に し た. 325 Kitakanto Med J 2008;58:325∼326 1 群馬県前橋市昭和町3-39-22 群馬大学大学院医学系研究科・神経生理学 野 平成20年4月9日 受付 論文別刷請求先 〒371-8511 群馬県前橋市昭和町3-39-22 群馬大学大学院医学系研究科・神経生理学 野 平井宏和CRAG は東京薬科大学の柳茂教授らが発見し, 私も著者 の一人となり 2006年に国際誌に報告した. 培養細胞を った実験で CRAG は変異アタキシン 3と結合し, 解を促進することが明らかとなっている. CRAG はヒト の脳神経細胞の中に存在するたんぱく質で, とくに若い 時に豊富で年をとるにつれてその量は減少する. 脊髄小脳変性症モデルマウスの小脳に, CRAG を発現 するレンチウイルスを接種した. すると, 接種後 2週間 でふらふらとした歩行が改善した. 歩行は時間が経過す るにつれてさらに改善した (図). 接種 8週間後にマウス の小脳プルキンエ細胞を観察したところ, CRAG が発現 している領域の変異アタキシン 3凝集塊はほとんど消失 していた. また縮んでいたプルキンエ細胞の樹状突起も 再び伸びはじめていた. 歩行の状態は正常のマウスと比 較するとかなり差があり, 回復は十 ではなかったが, 小脳が著しく小さく, 多くの神経細胞が死滅した状態で 治療を開始したことを えると予想以上の改善と えら れた. 症状の軽い段階で治療を開始すれば, 野生型と変 わらないレベルにまで回復する可能性があり現在, 研究 を行っている. 今 後 の 展 開 本研究成果をさらに発展させ, サルを用いた前臨床試 験を経てヒトへの臨床応用を目指している. 脊髄小脳変 性症は国内登録患者だけで約 2万人, 他の国でも同じ頻 度とすると世界中で 100万人以上の患者がいることにな る. そのうち 3割∼ 4割が遺伝性であるため, 変異を受 け継いだ子供や孫も将来, ほぼ確実に発症する. 本法は, このような多くの患者に対する有効な治療となることが 期待される. 最初は, 小脳虫部の限局した皮質領域に遺 伝子発現が留まるかもしれない. しかし, 小脳虫部は歩 行に重要な役割をもつため, 手の器用な動きなどの回復 は望めないかもしれないが, 歩行障害など基本的な動作 の改善が期待される. 将来的には, 小脳以外の脳脊髄領 域にもウイルスベクターを到達させる方法を 案し, 脊 髄を含む中枢神経系の障害領域全てに治療用遺伝子を供 給することで, 疾患を完治させることも夢ではないかも しれない. レンチウイルスベクターを用いた脊髄小脳変性症の遺伝子治療 図 脊髄小脳変性症モデルマウスのフットプリント (足跡) (A) と小脳皮質内の変異アタキシン 3の凝 集塊 (B). CRAG 発現レンチウイルスベクターを接種したマウス (CRAG-treated) と接種していな いマウス (Un-treated) を示す. 326