アボリジニ社会から構造主義へ3
─土地と親族をめぐるアボリジニ社会の構造─
門 口 充 徳
1.レヴィ=ストロースの構造主義への道のり 2.社会が生んだとされる力による変換 3.集合的沸騰の社会的機能にかんする議論 4.アボリジニ社会における時間の不在 5.精霊の教義による宗教とその破壊 6.アボリジニ社会の構造をめぐる存在と認識 (以上、前々号・前号)7.土地のネットワークにかんする民族誌
モースとの共著による「分類の未開形態」論文とは異なって、『宗教生活の原初形態』の研究素 材は、本稿の冒頭で述べたように、徹頭徹尾、アボリジニ社会である。しかしながらアボリジニ社 会の具体的な様相についての記述は、「分類の未開形態」論文よりも少ない。「分類の未開形態」論 文で描かれたところの地域集団にしても親族集団にしても、あるいは『社会学年報』に発表された 家族・親族にかんする論文で分析された親族構造についても、現在のアボリジニ研究の成果に準拠 して眺めると、ほとんどが不十分で間違った認識といわざるをえないだろう。すでに別稿で明らか にしたように1、デュルケムのトーテミズム論にはアボリジニ社会の基本的な認識にかんして大き な問題があった。すなわち地域集団が不明確であり、母系社会からの進化論は根拠が薄弱であり、 半族を重要な集団原理としたのは間違いであった。さらにはデュルケムのトーテミズム論を批判し たレヴィ=ストロースの見解ですら、仲間内を称揚する議論になっており、デュルケムとモースの 着想を超えていないことを指摘した。このような状況のもとで『宗教生活の原初形態』では、本稿 第1節で指摘したように、研究者目線でのアボリジニ社会の発展水準から、未開・原始・原初・基 本といった特性が付与され、社会の祖型として社会学的思考実験に適切であることが力説されてい た。こうして社会の祖型として抽象化されたアボリジニ社会から、宗教現象の未開形態を説明する 要因が潜在的にも顕在的にも取り出しうるようになり、アボリジの社会と宗教とがトートロジカルに往復運動することになった。つまりデュルケムにおいてはアボリジニ社会の構造が精確に把握さ れてはおらず、それ故に構造主義的な理解を目指すには不十分な議論になっているといえる。ただ かれが事実を捏造したわけではなく、当時の民族誌に限界があったのも一因であろう2。かれが参 照しえた当時の文献ではアボリジニ社会はどのように描写されていたのかを確認するという、やや 迂遠なところから本節を始めることにしたい。 A・W・ハウイットは、ロリマー・ファイソンとともに、民族誌『カミラロイとクルナイ』を 1880 年に発表し3、1904 年にオーストラリア南東部の諸部族を通観する研究書を出版しているの で、多少長い引用になるが、後者の著作から社会組織の全体像を確認したい。ハウイットによれば、 「部族 tribe」とは、一定の拡がりのあるカントリーを占める一群の人びとであって、かれらは共通 の関係を認識し、共通の言語ないしは方言をもつ。部族の人びとは、通常は「人間 man」といっ た意味合いの部族の名称によって、自分たちを他の部族の人びとから区別するような共通の結びつ きを認識している。また他の諸部族にたいしては、軽蔑や恐怖の念をこめた用語が適用されている。 しかしこのように個々の部族が区別されていても、人間という言葉が近隣の諸部族でも共通になっ ている事例がかなりあるので、これらの諸部族の集合を、あまり適切な言葉ではないが「国民 nation」と呼ぶことにしたい。例えば、人間を意味するクリン kulin という言葉は、海岸地域に位 置するギプスランド地方を除いたヴィクトリア州のほぼ東半分に相当する諸部族で共通に使用され ている4。かれが提唱する国民概念であるが、大規模な儀礼が開催される場合には関係諸部族の参 集がみられるとされており、第5節で取り上げたように、デュルケムが部族間連合として語ってい たものと同様である。 部族の内部については、以下のように説明されている。すべての部族においてコミュニティには 地域で規定された地理的な区分があるとともに、婚姻規則にもとづいた部族内での区分がある。前 者は、特定の地域名で区別され、後者は、クラス名かトーテム、あるいはクラス名とトーテムの双 方で区別されている。前者の区分を「地域 local」組織、後者の区分を「社会 social」組織と名づけ る。コミュニティ全体として、これら2種類の区分による境界は一致している。ただしある特定の 地域で区別された人びと、すなわち特定の地域組織に所属する人びとが、女系出自をとる場合、複 数の異なったクラス名やトーテムの人びとから構成され、男系出自をとる場合、同一のクラス名や トーテムの人びとだけで構成されている。混同を避けるために、女系出自では「ホルド horde」、 男系出自では「クラン clan」と区別するが、いずれも部族の地理的な下位区分ということになる。 どの部族においても、社会組織としては外婚をおこなう通婚半族に2分割されているが、オースト ラリアの若干の地方では、半族ないしクラスがさらにそれぞれのサブクラスに分割されており、中 央部や北部地方では、サブクラスがさらに分割されて8つのサブクラスが生じている。クラスには 名称がないこともあるが、サブクラスには具体的な物の名称がつけられており、これには「トーテ ム totem」という用語が適切である5。ハウイットが地域組織と社会組織にわけて考えていること は、一般的な地域集団と親族集団、あるいは地縁の共同体と血縁の共同体といった二分法に相当す
るように思われる。さらに地理的な重なり方が大いに異なる点を重視して、地域組織をクランとホ ルドとに区別したものである。なお社会組織については、婚姻クラスの概念によって、半族以下、 4サブクラスと8サブクラスに言及しているが、社会組織と称されている親族集団については次節 で詳しく扱いたい。 地域組織と社会組織との具体的な関係については、以下のように説明されている。地域組織を X・Y・Zなどで、社会組織の半族をAとBで表記すれば、Xホルドの男性の子どもたちはXホル ドに属するが、A半族の男性はB半族の女性と結婚せねばならないので、女系出自によって息子は XB となる。つまり地域的な区分としては父親のホルドや部族に所属し、社会的な区分としては母 親のトーテムやクラスに所属する。しかし出自が男系になってきたところでは、社会的区分と同様 に、地域的区分のホルドやクランが外婚的になっており、外婚規制は社会的区分から地域的区分に 代わってきたようである。この社会的発展の系列における両極に位置する例として、ホルドのディ エリ Dieri 族とクランのクルナイ Kurnai 族とを挙げることができる6。ハウイット自身の定義から すれば、男系出自ではクランとなるはずであるが、ホルドも含まれているのは、女系出自から男系 出自への遷移過程を主張したもので、アメリカのルイス・H・モーガンの進化論の影響があろう。 人類の始源の時代には女系・母系が優勢であるといった進化論を、デュルケムも忠実に受け継いで いたが、イレギュラーな事例を憶測で解釈する場面で登場していたので、警戒して扱われるべき議 論であり、何よりも外婚規制は婚姻の交換単位にかかわるので、社会組織から地域組織へ変更され るということは、革命的な事態を想定しない限り無理な推論であるように思われる。 さて両極とされる2部族であるが、サウス・オーストラリア州のエアー湖東方に居住するディエ リ族には、牧場を営む白人が占拠する 40 年前の状態として7、名前のある5つのホルドがあった。 ホルドは地理的に再分割されているが、一定の狩猟・採集地をもち、息子は誕生の権利として父親 の土地で狩猟をおこなう。女系出自をともなった典型的な2クラスによる部族の社会組織である8。 クルナイ族が居住するギプスランド地方は、南の海岸と北の山脈にはさまれて、南北 70 マイル、 東西 200 マイルに広がっている。ここに名前のある5つのクランがあり、3つのクランは共通の方 言を、また残りの2つのクランはそれぞれ異なった方言を使用しており、方言間では相互に通じな いことがある。クランは、分割や再分割を経てより小規模な地域集団となり、最終的には親族の小 集団にまで分割される。地域集団にはみずからの狩猟・採集地がある。小集団は、高齢の男性と、 かれの未婚・既婚の息子たちと、それぞれの妻や子どもたちから構成されているのが普通である。 高齢の男性が、成員にたいして権威をもつが、各男性には成人に際して同一の名前があたえられて いる9。 以上のハウイットの説明からは、地域組織がどの段階まで分割されるのか、狩猟・採集地はどの 段階の地域組織に割り当てられているのか、親族組織であるはずのクランだけでなく地域組織一般 は婚姻規則のもとで社会組織とどのように関連づけられているのかなどは、依然として不明であ る。上述の引用箇所でも散見されたように、かれは一般的な用語として、特段の定義なしに地域集
団 local group という言葉も使っているが、ここがわからない限り、社会の構造は未解明であると いわざるをえないだろう。デュルケムが大いに期待したスペンサーとギランの 1899 年と 1904 年の 民族誌は、ハウイットのいう社会組織に関連した親族名称と婚姻規則、および儀礼や神話、慣習や 生活については非常に詳しいが、地域集団にかんする記述はほとんどなかった10。地域集団は解体 されて存在していなかったものと思われる。後述する土地の原理がみえにくくなっているのであ る。 『宗教生活の原初形態』以後においても、アボリジニ社会の構造の解明にはまだまだ長い時間を 必要としたのであるが、その出版の翌年にあたる 1913 年に発表されたラドクリフ=ブラウンによ るカリエラ Kariera 族の研究論文は、地域組織にかんして先進的な内容を含んでいた11。ウェスタ ン・オーストラリア州北西部のピルバラ地方のカリエラ族の居住地は、インド洋に面した南西から 北東方向の海岸部に河口をもついくつかの河川の流域にあった。河川は南から北の海へと流れてお り、掲載されている地図を参考に測定をこころみれば、居住地の領域はほぼ台形の形をしており、 内陸部の南端で東西約 70 マイル、西端で海岸まで南北約 40 マイル、東端で海岸まで南北約 60 マ イル、そして海岸部が北東方向に約 80 マイルとなる。かれらのカントリーは、1910 年の調査時点 で 50 年も前から白人の牧場に占拠され、ほぼ全員が牧羊のステーションに暮らしており、その数 はラドクリフ=ブラウンによれば 80 名から 90 名である。この地図に所在地が図示された地域集団 の数は 19 であるが、南部で十分な調査ができなかったところも含めれば、20 ~ 25 の地域集団が ありそうで、信頼性の低い粗い概算と断りながら、最低でも 30 人ほどが各集団を構成するとすれ ば、カリエラ族全体で 750 名ほどではなかったかとかれは推計している12。また個々の地域集団の 領地は規定されているとして、海岸地帯の地域集団で 100 平方マイル以上、内陸部の地域集団で 150 から 200 平方マイルと試算されているが、相互の境界線までは表示されていない。 地域集団は固有の名称をもたないが、それぞれを構成する人びとのクラス名は明確である13。ク ラス名は、言葉としては固有の意味をもたない、バナカ Banaka、ブルング Burung、パリエリ Palyeri、カリメラ Karimera の4種類で、後にカリエラ体系として人類学の世界に定着する婚姻規 則を構成している。ラドクリフ=ブラウンの知見の素晴らしさは、地域集団が2つのクラス名の人 びとから構成され、それぞれの地域集団が地図にマッピングされたことである14。すなわち地域集 団には2種類があり、バナカとパリエリがカップルになった集団とカリメラとブルングのカップル による集団であって、判明した 19 集団のうち、前者が 10 集団、後者が9集団であった。こうして 地域集団と親族集団との関連が初めて明確になり、地域集団の外婚制と親族集団の外婚制が統一的 に理解されるようになったのであるが、各カップル・グループ内で異なった若干の地域集団には共 通のトーテムが存在することに着目しつつも15、その意味は解明されないままに、地域集団間関係 の具体的な様相は難問として残っていった。 ラドクリフ=ブラウンは、カリエラ族研究を経て 1930 年代にオーストラリア全体のアボリジニ 社会にかんする総合的な研究を発表しているので16、この著作に依拠しながらハウイットの議論が
どのように修正されていったのかを以下でみていきたい。まず指摘できることは、進化論的な扱い が影を潜めていることである。オーストラリアにおける社会組織の形態がいかに多様であっても、 単一の一般型が存在しているという考えから、かれは一般型を明らかにした後に、その変異型の記 述をしていくという方針で著述している17。一般型と変異型とのあいだの時間的前後関係は議論の 対象となっていないのである。次に国民概念に関連しては、部族を言語・方言と慣習の同質性にか んして相対的に定義することで、部族的な再分割や、部族的な連合があったとしても、部族の概念 で括られると考えられている。部族名は言語名と同一であること、部族はどのような政体ももたな いこと、領地と戦いの主体は部族ではなくホルドであること、また親族が異なった部族にも存在し ていることから、部族にとって言語が第一の準拠点とされている18。 こうしてラドクリフ=ブラウンによれば、オーストラリアの地域集団でもっとも重要なものがホ ルドだということになった。ホルドの定義自体はハウイットのものと大きく変わらないが、みずか らの事柄を運営し、他のホルドとの関係では一体となって行為する独立した自律的集団と認識され たことは画期的であった。狩猟・採集地の権利を保有するホルドの内部では、子どもは父親のホル ドに所属し、男性は誕生から死までそのホルドに居住し、女性は他のホルドの夫のもとに外婚的に 婚出している19。それでは、かれはクランをどのように扱っているのだろうか。ホルドの全男性成 員にかんする限り厳密に父系出自となっており、父親の兄弟などの近しい父系親族も同じホルドに 所属しているので、ホルドに結びついてホルドで誕生したすべての人びとから構成されるものがク ランだとされている。しかも父系出自による地域的なクランの体系は、全オーストラリアでほぼ普 遍的であるという証拠が蓄積されつつあるという20。ハウイットは、同じ地域組織として、女系の ホルドから男系のクランへの移行を説いていたが、ラドクリフ=ブラウンにおいては、地域組織の ホルドの中核に親族組織としてのクランが存在することになった。ここまでくればホルド概念の解 消も近いように思われるが、かれはホルド概念をもとに、ハウイットのいう「社会組織」に関連す る婚姻クラス・婚姻規則・親族名称についてのアボリジニ研究の壮大な蓄積をもって、地域組織と 親族組織との関係を論じることに、その著書の大部分をあてている。 執筆されている分量も少なく、知識の確度も高いものではないが、ラドクリフ=ブラウンがトー テミズム論を整理している部分は21、地域組織と親族組織に加えて、儀礼と神話がかかわってくる 宗教組織がアボリジニの社会構造にとって重要な構成要素であることを明示したものとして重要で あった。かれは4つの側面が相互に連関しているとみていた。第1に、多くはウォーターホール、 時には岩や木や茂みなどの自然物が、トーテム・センターと称される聖地となっている。第2に、 トーテム・センターは、トーテムと称される特定の動植物などの棲み処とされている。第3に、世 界の始源の時代に遡る特定の神話的祖先がトーテム・センターの形成に関与しているとされる。第 4に、個々のホルドの領地にはいくつかのトーテム・センターが存在し、ホルドの成員とトーテム との間には特殊な関係がある。クランの成員は22、トーテム・センターにおいてトーテムの繁殖を 祈念する儀礼をおこなったり、とくに神話の形でトーテムの祖先たちの行為を再現したりする。ま
た部族によっては、クランの個々人は、トーテム祖先の輪廻、あるいはトーテム・センターに由来 した化身と考えられている。ラドクリフ=ブラウンによれば、トーテミズムの詳細な研究は、スペ ンサーとギランによってアランダ族で始まり、その後、オーストラリア全土でこのようなトーテミ ズムの体系が確認されてきており、オーストラリアの文化において極めて重要なものだとされてい る。 以上のラドクリフ=ブラウンの見解を少し拡大解釈したうえで強調も加えるならば、次のように 主張できるのでないか。第1に、アボリジニ社会の基本原理は、領地やカントリーといわれる土地 である。第2に、便宜的に地域組織・親族組織・宗教組織として区別されてきたが、共通の基礎集 団は父系出自をとって土地と結合したクランである。第3に、クランが親族組織として外婚制をと る以上、地域組織も宗教組織も相互依存の関係をもっているはずである。 このような考え方は、モーガンの影響を背景に親族の関係名称の蒐集から始めて、婚姻規則を半 族・セクション・サブセクションといった婚姻クラスで分析することで、親族体系の研究をすると いった従来からあった基本方針を大転換するものである。簡単にいえば、親族の原理よりも土地の 原理をアボリジニ社会の根本的なものとして措定するということである。その第一歩が、土地の精 霊による受胎と土地からの子どもの誕生という教義の理解である。スウェインによれば、土地が 個々人のアイデンティティを形成しているという説を最初に唱えたのはA・P・エルキンだとい う23。たしかにエルキンは、ウェスタン・オーストラリア州北部のキンバリー地方に暮らすカラジェ リ Karadjeri 族のトーテミズムを評して、社会集団を名づけ統制する機能をもつ社会的トーテミズ ムというより、部族の儀礼的・神話的・「霊的」生活に個人を位置づけ参与させる「カルト・トー テミズム」だと強調している24。トーテムが明確にホルドに関係している以上、地域的なトーテミ ズムに違いないのだろうが、かれによれば婚姻も親族も関係しておらず、妻が産むはずの子どもを 父親が夢で悟り、父親がその時にいた場所のトーテムが、その子のトーテムとなり、その地が子ど ものホルドになるというのは、カルト・トーテミズムだというのである。かれの報告によれば、カ ラジェリ族には父系出自で夫方居住のホルドが 42 あるとされ、それぞれのホルドのおおよその布 置状況が地図に示されている。また各ホルドには、ひとつか複数の外婚的トーテムが結びついてい るとされ、延 143 件のトーテム名が一覧表で列挙されている。そして同一のトーテム名が隣接した ような異なったホルドにも存在していることにかんして、60 年にわたる白人の進出で混じりあっ たためではないかと推定している25。エルキンは、人間の誕生をたしかに土地の原理で記述したの であるが、ホルドとトーテムとの間にどのような土地の原理が存在しているかといったことの解明 に着手することはなかった。 土地の原理を強調しつつ地域組織の具体的な様相を明らかにしたのは 1965 年に出版されたスト レーロウの論文である26。これは、かれの青年時代にあたる 1930 年代のフィールドワークでの知 見を中心に、過去時制の文章を使って理論的な整備をした論考となっている。以下では、かれが作 図した図2を補足も加えながら説明するという流れで、地域集団にかかわるかれの見解を検討して
いきたい。図2の中心よりやや下にハーマンスバーグとあるが、ここが 1877 年に創立されたルー テル派のミッションの所在地で、東に位置するアリス・スプリングズまで約 80 マイルの距離にあ る。ヒゲのような線は山地を示しており、独立した円形で描かれたものと、東西方向に4本の線状 に描かれたものとがある。線状のものについては、ややわかりにくいが南から北へみていって1番 目と2番目の線の間がクリシャフ・レインジの山地で、3番目と4番目の間がマクドネル・レイン ジの山地であるので、ハーマンスバーグは両レインジに挟まれた比較的平板な地形の上にある。屈 曲したり枝分かれしたりする実線が河川を示しており、多数の小さなクリークともあいまって、こ の地には豊富な水資源があり動植物に恵まれているとされる27。 図2 西アランダ語地域におけるフクロネコの経路
注: T. G. H. Strehlow, Culture, Social Structure, and Environment in Aboriginal Central Australia, Ronald M. Berndt & Catherine H. Berndt eds., Aboriginal Man in Australia: Essays in Honour of Emeritus Professor
北西から南東にたどれる太い実線が、西側の砂漠地帯の諸集団と東側のアランダ語の地域とをわ けている。すべて大文字で記されている名称がいわゆる部族名であって、西のクカチャKukatja、 南のマツンタラ Matuntara、北のウンマチェラ Unmatjera が記載されている。地図にはないが、 東側で接するのは、北から南へ、北アランダ、中央アランダ、南アランダで、南アランダは、地図 にあるように北端部分のみが西アランダに接している。またアリス・スプリングズを西端に含む東 アランダは、北アランダと中央アランダの東側に広がっている。部族の概念であるが、ストレーロ ウによれば、少なくともアランダにおいては言語集団のことであって、部族を意味するアランダ語 の言葉も、政治的もしくは社会的な統一体や協議体といったものもアランダには一切存在しないと 強調されている28。したがって図2で、その内部が詳細に描かれている太い実線の内側は、西アラ ンダ族ではなく、西アランダ語という方言を共通に話す人びとの居住地ということになる。ハーマ ンスバーグのすぐ西にヌタレア Ntarea とあるが、このような先頭の文字だけが大文字になってい る数多くの地名は、プマラ・クタタ pmara kutata と呼ばれる聖地(トーテム・センター)である。 ハーマンスバーグから、ヌタレアを経てラマ Rama 手前のフィンケ川と、地図に名称はないがラッ ドールズ川との合流点まで、直線距離で約 12 マイルあり、破線で仕切られたそれぞれの地域面積 はかなり広い。西アランダ語地域内で数えると 10 地域あり、ストレーロウはアランダの人びとの
言葉からこれらを「ヌチナンガ・セクション領域 njinanga section area」と命名している29。かれ
がいうところの「親族集団クラス kin-group class」が狩猟・採集のために占有している領地のこと である。ヌチナンガ・セクションは、ハウイットからラドクリフ=ブラウンやエルキンまでの地域 組織としてのホルドに相当していようが、セクションとかクラスといった婚姻にかかわる社会組織 の用語が含まれているので、地域組織かつ親族組織である。そしてヌチナンガ・セクションの概念 は、アボリジニ社会で自律性・一体性をもつ最重要の社会集団としてのホルドといったラドクリフ =ブラウンによる示唆を乗り越えるものであり、またその領地間の境界もが地図に示されたこと は、ラドクリフ=ブラウンのカリエラ族やエルキンのカラジェリ族のホルドの配置図よりもあきら かに優れているといえる。 図2の個々のヌチナンガ・セクション領域には、すべて大文字で記されたサブセクション名のペ アが記されている。西アランダでは、サブセクション体系をとるので8種類のサブセクション名が あり、サブセクション間の婚姻規則にかんして特定の4種類のペアができる。サブセクション名は、 地名や固有名詞ではなく、ヌチナンガ・セクション領域で生活する人びとの属性を表わす言葉とし て、挨拶や呼び掛けの時などで使用されている名称であり、西アランダではアンバネリンチャ anbanerintja と総称されている。初対面の場面では、まずアンバネリンチャで挨拶が始まり、親族 関係に少し詳しくなったら親族呼称が使用されるという。ストレーロウは、「部族」の2分割を3 回繰り返して登場する8分割があたかも社会的に実在するかのようなサブセクションという用語の 含意を避けて30、かれ独特の用語法で、これに代えて「親族集団クラス」あるいは簡略化して「ク ラス」と呼んでいるので、親族集団クラスのペアがヌチナンガ・セクションを構成しているという
ことになる。例えばハーマンスバーグのあるヌチナンガ・セクション領域での親族集団クラスとし ては、プルラ Purula である父親世代の男性たちからみて、かれらとカマラ Kamara である息子世 代の男性たちが、父系出自と父方居住をとって婚入した女性親族や子どもたちと暮らしており、ま た外婚制のもとで、プルラの男性はパナンカ Panangka の女性と、カマラの男性はパルタラ Paltara の女性と結婚するので、いくつかの近隣のヌチナンガ・セクションと婚姻関係が維持され ている。なお同一の親族集団クラスのペアからなるヌチナンガ・セクションが別にも存在している が、これらとの間にとくに関係があるわけではなく、異なった親族集団クラスからなるヌチナン ガ・セクションとの関係と変わりがないとされている31。このように社会的な行為主体であるヌチ ナンガ・セクションは、他のいくつかのヌチナンガ・セクションとの間で婚姻の慣行による平等な 関係をもつので、西アランダ全体としてはフラットな婚姻によるネットワークが形成されることは 容易に推測できる。レヴィ=ストロースのいう婚姻連帯であるが、ストレーロウによれば、婚姻の 結果として共通の言語の範域が形成されることにもなる32。 もうひとつの種類のネットワークは、第4節や第5節で言及したような、各聖地をめぐったとさ れる神話上の祖先の旅路のことであるが、図2の南から北に向かって伸びる波線と点を組み合わせ た太い線で示されたフクロネコ tjilpa の経路がその具体例であり、この地図の価値を高めているも のである。そのネットワークの構成単位は、ヌチナンガ・セクションの中核であって、ラドクリフ =ブラウンがいうところの父系出自をとるクランに相当するものである。これをストレーロウは 「トーテムクラン totem clan」と呼ぶ。トーテムクランの成人男性たちは、自分たちのトーテム・ 儀礼・神話・唄・美術といった宗教的な事柄の一切を占有して取り仕切っている33。第1に、狩猟・ 採集にかかわるヌチナンガ・セクション領域の範囲を確定している。旅をするトーテムの祖先にか んする神話が語るエピソードは、つねに境界に言及しており、この境界をもって神話・唄・儀礼も 隣接の領域とは異なったものとなる。第2に、トーテムとの結合を確定している。地図にあるよう に各ヌチナンガ・セクション領域内には1つ以上のプマラ・クタタが存在し、これらの聖地での豊 穣の儀礼は非常に重要なものとなっている。神話での人物たちは、プマラ・クタタ間を旅したり、 プマラ・クタタで暫しの眠りについていたりするが、上演される儀礼はトーテムにかかわる動物種 が地中から這い出してプマラ・クタタ周辺に繁殖することをなぞっている。フクロネコ、ハト、ミ ツアリ、ポッサム、イモムシなどがトーテム種になっている。大きな儀礼では同一種のトーテムを 共有する関連のクランなども招待されるが、儀礼の主催者はあくまでもその領域を占有するクラン である。第3に、クラン成員のアイデンティティを確定している。人間は、旅をするトーテムの祖 先の本性 being から化身したものと考えられており、クランの各成員は集団としてのトーテム名で しばしば呼ばれる。ただ個人としては、やや複雑なようである。女性はプマラ・クタタにはまった く近づけないので、化身にかかわる母親の懐妊の地はプマラ・クタタを離れた場所になる。そのた めあまり重要でないトーテム祖先や、旅の途上で聖なるチュルンガ tjurunga(なおスペンサーと ギランでは、既出のチュリンガ)を失ったような祖先の本性から化身するとされる。
以上のようにストレーロウの論説においては、地域組織がヌチナンガ・セクション、親族組織が 親族集団クラス、宗教組織がトーテムクランということになったが、宗教的な儀礼にかんして各ク ランは、土地を原理とした自主平等の主体であるという点で、地域組織と親族組織に加えて宗教組 織もそこに重なりあう。そのような独立した各クランのヌチナンガ・セクション領域を縦断してい る南北の線が、前述のフクロネコの経路である。ストレーロウが説明する地域の神話によれば、か れらの伝説上の祖先であるフクロネコのホルドがアデレード近くのポートオーガスタから出発して 北上し、アカウア Akaua などを経由して、西アランダのルタラルツマ Lutalaltuma に入ったとこ ろで、フクロネコのチーフがそれまでの旅の領域にはなかったサブセクション名のアンバネリン チャで呼び掛け始めるとともに、通過してきた領域が夜の闇で覆われていくことを告げるという。 すなわちフクロネコのチーフのアンバネリンチャはンガラ Ngala で、このホルドに加わっている かれの息子たちのそれはムビチャナ Mbitjana である。いずれも4セクション体系には存在せず8 サブセクション体系であらたに登場するサブセクション名による親族集団クラスのペアになってい る34。このような神話を共有することで、ヌチナンガ・セクション間には婚姻交換とは別種のもう ひとつのネットワークが存在することがわかる。この他にもアランダ語地域を通過する2つの神話 上の経路が指摘されている。ひとつは「踊る女たち」の経路で、アランダ語地域の西隣にあたるリー ビッグ山から東アランダ地域のアールタンガへと続いており、もうひとつは「ミツアリ」の経路で、 同じく西方のピントゥビ Pintubi 族のイルビリから、クカチャ族・西アランダ・北アランダ・ウン マチェラ族の地域を経て、イリアウラ Iliaura 族の地域に達する。これらのネットワークは、スト レーロウによれば、神話上の祖先が歩いた経路であって、神話・唄・儀礼で表現されており、経路 に連なる各トーテムクランを相互に意識させ、遠くに離れた地域集団を連結しているとされる35。 本節のまとめをすべき段階でようやく本節のタイトルが示す内容に到達したが、まとめとして は、クランが領地を占有しており、各領地はトーテムのネットワークで連結されているということ である。この2つめの種類のネットワークは明らかに宗教組織と地域組織にかかわるものである が、モースの全体的社会的事実であるかのように、アボリジニ社会では諸現象が畳み掛けるように 表現されるようなので、親族組織との関連も解明されるべきであろう。これは次節のテーマとした い。ところでハウイットが女系出自の地域組織として定義したホルドは、その後の研究でも存在を 確認できず、地域組織の中核には父系出自をとる地域的なクランが存在していることが判明した。 ハイアットによれば、結局、ホルドは幽霊概念であったが36、この言葉は、ストレーロウからの引 用にあったように、旅をする祖先の一団を指すものとして使用されていた。旅をする神話上の祖先 は、領地内で狩猟・採集生活をして移動する自分たちの姿を象徴化したものとも思われるが、この ような意味での一団は、土地こそがアボリジニ社会の基本原理あるいは哲学であることを主張した 1972 年のK・マドックの著作では、バンド band と称されるようになっている37。いずれにしても 白人による土地の収奪は狩猟・採集の人びとの生存を即座に脅かすものであり、まっさきに社会体 系が解体されたところでの地域集団の民族誌・研究史になっていることを再確認しておきたい。
8.限定交換といわれた即時と等価の親族構造
ある人類学事典によれば、ラドクリフ=ブラウンによるアボリジニの親族研究は、社会的要因を 重視したデュルケムの影響を受けており、ラドクリフ=ブラウンの親族体系の分類枠組みはレヴィ =ストロースの親族研究に影響をあたえたとされる38。このようにデュルケムからラドクリフ=ブ ラウンを経由してレヴィ=ストロースへという学説史的な展開を示すことも可能であろうが、本稿 は第1節で述べたように構造主義の流れを追っているので、機能主義的な色彩の強いラドクリフ= ブラウンはその流れからは除外している。本節では、膨大な研究蓄積のあるアボリジニの親族研究 の歴史をたどるのではなく、演繹的な論理を使用して婚姻連帯を構造主義的に研究していると思わ れるR・フォックスとD・H・ターナーの研究を中心にアボリジニの親族論を検討していきた い39。前節からの課題は、研究の便宜的な区分として使用されてきた地域組織・親族組織・宗教組 織を統一的に理解できるような理論が必要であることである。また構造主義的な理論を構築しよう とするならば、親族組織について何が根本的な原理になっているかの解明が最終目標になろうが、 そのためには社会的な行為主体と行為間の連関に焦点を合わせることになろう。構造を理解するた めに行為主体に準拠するということは、ある種の投企であるが、とりあえず最善の方法と思われる。 それではまずアボリジニの親族研究の世界では非常に有名なカリエラ体系とアランダ体系をみてお きたい。 図3は、前節で言及したラドクリフ=ブラウンの研究からカリエラ体系を整理したものであ る40。記号と線はフォックスの文献から借用しており、△印が男性で○印が女性、これらの人物を 上部でつなぐ線はキョウダイ関係、下部でつなぐ線は結婚関係、斜めにつなぐ線は親子関係を表わ している。男性が親子関係をもとに縦一列ならんでいるので父系出自であることを示している。女 性も縦にならんでいるが、この図では表現されていないものの、婚出して夫方居住になることを前 提としている。父系Aとか父系Bとかあるのはフォックスの用語ではないが、かれの説明よれば、 ホルド、バンド、クラン、リネージといった婚姻の交換単位であって、図にあるように女性はキョ ウダイの男性にとっての厳密な姉妹である必要はなく、出自集団のなかの血縁のある女性といった 程度の意味でよいとされている41。カリエラ体系の根本原則は単純であり、これらの父系Aと父系 Bが各世代において女性を交換するというもので、男性は、父がかつて結婚した女性の出身集団に 所属する、自分と同等の世代の女性と結婚するということであり、生まれてくる子どもはその男性 の集団に帰属する。これまでの人類学ではややもすれば複雑な議論が続けられてきたが、この根本 原則から、複雑にみえるすべての現象が演繹できるというのが、フォックスの主張である42。 ラドクリフ=ブラウンによる婚姻規則の説明によれば、図3で第1世代と表示してあるバナカの 男性がブルングの女性と結婚して、その子どもはパリエリとなる。第2世代のパリエリの男性は、 ブルングの女性と結婚することはなく、カリメラの女性と結婚して、その子どもはバナカとなる。逆に第1世代のブルングの男性はバナカの女性と結婚して、その子どもはカリメラになるといった 具合である。つまり各集団は2つの異なったセクションから構成され、集団内のセクションは2世 代目で同一になる。このようなセクションがあたかも婚姻規則を規定しているような婚姻クラス論 について、第1世代のバナカの男性が第3世代のブルングの女性と結婚しないことや、過去に結婚 がなかった集団とは適切なセクションであっても結婚しないことをあげて、フォックスは批判して いる。かれはセクションが原因で婚姻体系が構成されているのではなく、セクションはたんに2集 団間の継続的な婚姻交換の現実的結果であり論理的帰結にすぎないとしている43。ラドクリフ=ブ ラウンも、そのような規則外のことには最初から気づいていたので、慎重な表現がなされていたが、 ここではフォックスの見解を重視しておきたい。 次に系譜関係であるが、図3の第2世代のパリエリの男性 Ego を基準にした場合、パリエリの 内部に兄弟Bと姉妹Zがいる。かれらの父親Fはバナカで、母親Mはブルングである。父親の兄弟 FB と母親の姉妹 MZ が結婚し、また父親の姉妹 FZ と母親の兄弟 MB とが結婚して、4種類のイ トコが登場する。前者の結婚からは、FBS と MZS、FBD と MZD で、後者の結婚からは、FZS と MBS、FZD と MBD である。なぜ4種類であるかというと、例えば FBS と MZS は、系譜の辿り 方が違うだけで、図にあるように同一の人物になるからである。イトコ関係の場合、それぞれの親 であるキョウダイ同士の性別が同じであれば平行イトコ、性別が異なっていれば交叉イトコという ので、FBS や FBD などは平行イトコで、FZS や FZD などは交叉イトコである。この平行・交叉 の区別と男女の区別とで、イトコは4種類ということである。Ego からみると、パリエリの男女の イトコは平行イトコであり、同世代のカリメラの男女のイトコは交叉イトコになっており、かれが 結婚相手とする女性は、図3から MBD や FZD である交叉イトコであることがわかる。そこでカ 図3 カリエラ体系の4セクションと系譜関係 ༵ኒ 0 0= 0%' )=' =' =6 0% 0%6 )=6 ) )% (JR% )%60=6 6%6 )= =)%' 0=' '%' $CPCMC $CPCMC 2CN[GTK $WTWPI -CTKOGTC $WTWPI ➨㸯 ୡ௦ ➨㸰 ୡ௦ ➨㸱 ୡ௦ ༵ኒ ẕ⣔㹁 ẕ⣔㹂 ẕ⣔㹂 ẕ⣔㹁 ẕ⣔㹂 ẕ⣔㹁
リエラ体系は、交叉イトコ婚だということになり、しかも MBD と FZD が同一、すなわち母方か らの系譜関係と父方からの系譜関係とが一致する女性が配偶者ということになるので、限定交換と されたのである。つまりレヴィ=ストロースの分類では44、FZD のみとの結婚による父方交叉イ トコ婚と MBD のみとの結婚による母方交叉イトコ婚とが一般交換で、カリエラ体系のような FZD = MBD による交叉イトコ婚は限定交換と分類されている。一般交換では3集団間以上での 婚姻連帯を形成しうるが、限定交換では2集団間のみの婚姻連帯しか形成しえないというのが、か れの分類の趣旨である。まとめると、カリエラ体系は、交叉イトコ婚で、限定交換といわれるもの である。たしかに理論的にはそうであるが、アボリジニの親族としては厳密な姉妹の交換ではない ので、系譜上で同等の位置にある類別的な交叉イトコという概念を使用して、理論的な典型例から は交叉イトコ婚だということになる。なお以上の説明でセクション名を使用したが、セクションが なくても系譜関係が導けるのはいうまでもないであろう。 さらに半族の議論がでてくる。カリエラ体系をとる部族社会は、父系Aのタイプの諸集団と父系 Bのタイプの諸集団に2分割されているという見方で、半族とか胞族と称されてきた。デュルケム も影響されて半族こそが有力な集団構成と考えてきたが、これは婚姻交換の2つの当事者の違いの みで、実体的な2分割の構成原理は存在していないし、もし存在するなら社会的・文化的な双分制 にかかわる現象が看取されるはずであるが、そのようなものはどこにもみられない。ところが父系 半族どころか母系半族の存在さえも主張されてきた。図3では、小さく母系Cと母系Dと表示して いるが、第1世代のバナカの母親の子どもはカリメラであって、第2世代のカリメラの母親の子ど もはバナカであるように、母系Cの系譜をたどることができる。こうしてバナカ・カリメラとブル ング・パリエリの2つの母系半族が出現することになる。実際には、母系半族の存在が認知される こともあれば、そうでないこともあり、認知されている場合でも、母系半族が社会的に使用される こともあれば、そうでないということもあるという。フォックスによれば、半族説はここでとどま らず、セクションに言及せずとも父系・母系の2重半族によって婚姻規則が定式化できるという説 まであるとう45。Ego は、自分が所属する父系半族Aと母系半族Dとに関係のない集団、すなわち 外婚となる集団の女性と結婚するというのがその規則で、たしかに配偶の可能性がある第2世代の 女性は、父系Bかつ母系Cに所属している。だが部族が統合的な行為主体でない以上、半族も行為 主体ではない。 図4は、ストレーロウの研究から46、アランダ体系を整理したものであり、ここでも記号と線は フォックスのものを借用している。ストレーロウの用語法に従えば、ひとつのヌチナンガ・セク ション領域は、2つの親族集団クラスのペアで構成されており、父系A1でみると、第1世代のパ ナンカの父の子はバンガタ Bangata で、バンガタの男性の子はパナンカというように、父と息子 の世代関係で2分されて繰り返されるのはカリエラ体系と変わらないし、父系出自と夫方居住も同 様である。サブセクションによる婚姻規則は、第1世代のパナンカの男性がプルラの女性と結婚し、 その子はバンガタとなるが、第2世代の成人したバンガタの男性は、カリエラ体系のように父と同
じ父系B1にいる同世代の女性と結婚するのではなく、別の集団である父系B2のムビチャナの女 性と結婚して、その子はパナンカとなり、第3世代の成人したパナンカの男性は、第1世代と同様 に、プルラの女性と結婚し、その子はバンガタになるというように表わされる。カリエラ体系との 違いは、父子の世代が代わるごとに2つの異なった集団との間で結婚をしていることであり、男性 は、祖父がかつて結婚した女性の出身集団にいる、自分と同等の世代の女性と結婚するということ である。 系譜関係を辿るのはやや面倒であり、あまり関係のない第3世代のプルラとクングアレアの男性 の系譜関係については記載を省略している。Ego が配偶可能な女性は、プルラの FMBSD、 FFZSD、MMBDD、MFZDD で、キョウダイの子ども同士が第1イトコ、イトコの子ども同士が 第2イトコといわれるので、かのじょは第2イトコということになる。このイトコには4つの表記 があるが、すでに述べたように図からして同一の人物であり、カリエラ体系の MBD と対照させて MMBDD を代表させている。クングアレアの第2イトコや、ンガラの第1交叉イトコ、パナンカ の第1平行イトコは配偶可能ではない。第1世代をみると、Ego の4人の祖父母である、FF、 FM、MF、MM がそれぞれ4つの父系集団にいるのもアランダ体系の特色となっている。FF の父 図4 アランダ体系の8サブセクションと系譜関係 2CPCPIMC 2CPCPIMC 2CPCPIMC $CPICVC -COCTC 2WTWNC 0ICNC -PIWCTGC /DKVLCPC 2CNVCTC -PIWCTGC 2CNVCTC -PIWCTGC 2WTWNC -COCTC 2WTWNC 0ICNC /DKVLCPC $CPICVC 0ICNC ༵ኒᲫ ༵ኒᲫ ༵ኒᲬ ༵ኒᲬ )0%6)0%' ))=6))=' 00%6'0)=6' )0%''))='' 0%60%' )=6)=' (JR)%' %=0=' )0%6'))=6' 00%''0)='' 00%600%' 0)=60)=' ) )% ))))= )0%)0 0)0)= 0% 0 00%00 6 %6 ' =6=' ➨㸯 ୡ௦ ➨㸰 ୡ௦ ➨㸱 ୡ௦ ➨㸲 ୡ௦ ➨㸳 ୡ௦
系A1が婚姻交換をするのは、FM の父系B1と MF の父系B2であって、もし半族を想定するな ら、ここがひとつの半族を構成しているといえる。MM の父系A2とは結婚しないので、完全な 内婚になる父系A1とともにもうひとつの半族を構成することになる。半族が実在しないことを強 調するストレーロウは、消極的なニュアンスをこめて、プルラ、カマラ、ンガラ、ムビチャナがひ とつの大きな社会単位をつくり、パルタラ、クングアレア、バンガタ、パナンカがもうひとつの社 会単位をつくることを報告している。地元では、前者に属する話者は、前者のことを「自分たちの 父系クラン」、後者のことを「自分たちの義理の親族」という意味合いをもった言葉で呼んでいる という47。図4では、前者が父系B1・B2に、後者が父系A2・A1にそれぞれ対応している。 以上のようにアランダ体系では、4種類の父系集団が必要で、それぞれが父系半半族と呼ばれるこ ともある。そして婚姻連帯から2種類の父系半族が登場しうる。なお図4でフォックスによって黒 く塗られた男女は、Ego の母系出自にかかわる親族である48。 カリエラ体系とアランダ体系にかんするフォックスの演繹的な推論は説得力をもっているのだ が、いくつか解明されていない部分がある。図3と図4を作図していて気づくのだが、個々のセク ション名やサブセクション名をどこに書けばよいのかわからないという問題がある。ラドクリフ= ブラウンは、2セクションのカップルとして、バナカ・パリエリとカリメラ・ブルングと記述して いる。各カップルの構成を表記するときに、前にくるべきセクション名、後にくるべきセクション 名というのがあるのだろうか。図3では、このような事態をわかりやすくするために、比較の基準 になるセクション名に網掛けをしておいた。そうすると両方の父系親族で1世代ずれていることが わかり、なぜバナカとカリメラとが、またパリエリとブルングとが結婚しないのかといったあらた な疑問がわく。前述したようにかれは、バナカの男性がブルングの女性と結婚し、云々と述べてい るので、これに従ってセクション名を記入したまでである。ストレーロウのアランダ体系について も同様で、サブセクションのペアは、バンガタ・パナンカ、プルラ・カマラ、ンガラ・ムビチャナ、 パルタラ・クングアレアと組み合わされており、図4で比較のために第3世代から第5世代を使っ てサブセクション名を網掛けにした。配偶者を探す例として、プルラの男性はパナンカの女性を、 カマラの男性はパルタラの女性を、バンガタの男性はムビチャナの女性をといった記述があったの で49、どのサブセクション同士が同期するのかは判明した。そして、この記述だけから、どの父系 集団にどのサブセクションのペアを割り当てるのかも推定できるので、図4の各部分にサブセク ション名を割り当てることができた。これで完成したサブセクションによる婚姻規則は、本節の表 4にある個人ベースの各事例でも完全に合致しているので、このような類推による割当に問題はな かったのであろう。 サブセクションの問題は、婚姻交換の構造が、その変換の帰結としての人びとを分類するための 属性的カテゴリーを、潜在的な可能性のままにとどめるのか、あるいは顕在化させて表現するのか を判別する端的な研究テーマともいえよう。神話上の祖先であるフクロネコのチーフは、アンバネ リンチャを使ってサブセクション体系の地域に入ったことを宣明していた。サブセクション体系は
研究者にとっても便利なものであるが、当事者にとっての意味を考える必要がある。一方で、サブ セクション名は、第4節の注で言及したように、オーストラリア全土に普遍的に存在するとされな がらも、他方で、サブセクション体系は白人との接触後に誕生したとされる50。パプアニューギニ ア人やインドネシア人との交流ではみられなかった白人による全面的な収奪が、過酷な人口減少を 招き、各集団メンバーに合流を余儀なくさせたことにより、従来の普遍的な婚姻交換の原則、ある いはかれらの律法を最低限でも遵守して生きていくことに有効であったのだろう。アンバネリン チャは現在のオーストラリアではスキンネームといわれる。かつての社会では、婚姻交換に関連し た所属集団の2世代の区別であったが、サブセクション名として使用される場合には、所属集団の 存在が希薄化しても有効なのである。 次にカリエラ体系とアランダ体系の違いであるが、親族呼称や親族名称から系譜関係を明らかに して親族構造を解明してきた研究では、義母(シュウトメ)を敬遠するためにアランダ体系のほう が有利であると考えられた51。図3のカリエラ体系の Ego にとって義母 FZ は、父の姉妹であって、 父系Aという自分の所属集団の人物である。ところが図4のアランダ体系での義母 MMBD は、母 の母の兄弟の娘であって、遠い親族であり、しかも父系A2出身なので自分の所属集団にはいない し、義母の婚出先も父系B1であって、父系A1とは離れていることになる。このように系譜関係 から人間関係や対人的な態度を解明しようとする研究は多数あった。 しかし婚姻連帯論からすれば、両者は大きく異なる。連帯の相手集団を変えないと想定すると、 カリエラ体系は2つのクランしか結合させないが、アランダ体系は3つのクランを連結する。前者 では、部族内でペアとなったクランが、ばらばらに連立しているだけであるが、後者では、部族内 にクラン間のネットワークが構成されうる。また限定交換では、婚姻連帯のクラン間の男女の数が 揃いにくいので、男性の少ないクランがつねに存在することを前提とすれば、現実の一夫多妻婚は 派生的な結果のように思われる。女性が相対的に多いクランは、相手のクランに多くの女性を輩出 させることになるが、そのことによって相手のクランには人口の増加があり、両方のクランは長期 的には人口のバランスがとれるのかもしれない。ただアランダ体系の場合、婚姻の相手クランが2 つあるので、カリエラ体系と比較して一夫多妻婚への圧力は低下するかもしれない。なお新保によ れば、実際の一夫多妻婚では、高齢男性が複数の女性を妻としており、若い男性には成人するため の長期にわたる訓練期間があり、女性は複数回結婚するという。そして家族に妻が多くいることは、 食料の発見に豊かな経験のある女性が増えるということで、一夫多妻婚は食料確保の確率計算から しても非常に有効であると説明されている52。 少なくともカリエラ体系が2集団、アランダ体系が3集団の結合をもたらすとしても、部族内に 多数ある交換主体としてのクランが、限定交換によって実際にどのような婚姻連帯をしているかは 不明である。父や祖父がかつて結婚した女性の出身集団の女性と結婚するというのは個人を主体に みた場合の言い方である。フォックスのモデルによる説明では、個々の2クラン間の限定交換を組 み合わせて、部族全体としては2つの父系半族間の連帯をイメージしていたようである53。カリエ
ラ族でラドクリフ=ブラウンが発見したようなバナカとパリエリの 10 ホルドと、カリメラとブル ングの9ホルドがそれぞれ父系半族をつくって、半族を構成する各ホルドが、相手の半族に属する 各ホルドと婚姻連帯を結ぶといったものである。カリエラ体系であっても、限定交換の相手集団が 1つではなく複数あることをこのモデルは前提としている。ストレーロウの西アランダでは、図2 のハーマンスバーグのあるヌタレア周辺の各ヌチナンガ・セクション領域間では、男女のアンバネ リンチャが婚姻規則に合致しさえすれば婚姻があるように説明されている54。つまりクラン間の婚 姻連帯の様子は不明なのであるが、当然、このような場合、限定交換の相手集団の数は多くなる。 実際の限定交換の2者関係の連結によるネットワーク構成の様相については55、後でターナーの研 究を参照するが、限定交換の特性にかんして、さらに次のような考察ができると思う。 語弊があるかもしれないが、限定交換における二者二財のみの交換は、財の多寡にかかわらず交 換当事者にとっては必ず等価交換になっている56。さらに自己消費という内婚あるいはインセスト の禁忌は、外婚制へと誘導して、この等価性を保障している。クランの自律性を前提として当事者 として限定交換に登場する2クラン間には極度の相互依存性が存在しているのである。「父親世代 の男性が結婚した相手のいる集団」のみから結婚相手を探すなら、自分が所属する父系集団は、母 親の出身集団である相手の父系集団から一方的に女性をもらい続けるばかりで、母方交叉イトコ婚 になってしまう。相手の集団も自分の集団にたいしてまったく同じことをしなければ限定交換にな らない。また世代にまたがって相手集団に返礼をしたり返礼を期待したりする互酬的な等価交換に よる遅延交換では、父方交叉イトコ婚になってしまい限定交換にならないから、限定交換における 婚姻交換は、ひとつの世代について交換が即時的に実現されたものとみなされねばならない。つま り個々の複数の結婚が、個別の2人のあいだで異なった時期になされようとも、父系集団の2世代 にとっては、相手の父系集団とのあいだで即時かつ等価の婚姻交換をしているのであって、個々の 結婚は予定婚を含めてその一コマにすぎない。アボリジニ社会の根幹にある親族構造は、即時とい う婚姻交換の原則から、社会として時間の不在を要請しているのである。そしてある男性の結婚は、 次の世代の、あるいは次の次の世代の結婚の規則の一部を構成するはずであるが、自分が参照すべ き結婚の規則は、すでに存在していた。結婚の規則はあたかも一挙に誕生したかのように不変性を 獲得した原則として存立している。したがってある行為の結果として生じることが、その行為の前 提となっており、論理的にも相互依存関係が存在している。相手の父系集団の出方次第で、結婚の 規則を変えられるようなものではない。本稿第4節で検討したように、スウェインは、空間の原理 によって人間の生と死が規定されており、生と死にかかわる社会制度をもって時間観念の発生の諸 契機を封じているとしていたが57、限定交換の原理からも時間の不在は推論できるのである。 さて前節に登場したフクロネコの経路が地域組織と宗教組織に関連することは明白であったが、 親族組織とはどのように関連するものなのだろうか。トーテムの経路と親族組織との関連を解明し ようと試みているのがターナーの親族研究である。ターナーの親族研究は、婚姻連帯の様式から演 繹的な論理によって親族体系の類型論を展開しているところに特徴がある58。かれの類型論の概要
をごく簡単にみておきたい。オーストラリアにおける普遍的な事実として以下の3つが前提とされ る。前提1、出自の認識は共系的な様式をとる。前提2、男性の連続性を中心にした、領地で定義 された土地保有集団がある。前提3、婚姻の取り決めでは一般的に互酬性が特質となる。土地保有 集団とは、父系出自のクランや父方集団と同等の用語であり、婚姻で連結される土地保有集団を 「父方集団ファミリー」、例えばカリエラ族のバナカ・パリエリのカップルで構成されるような一群 の土地保有集団を「兄弟関係連合」と定義する。兄弟関係連合の内部にある土地保有集団間には血 縁関係も姻族関係も存在しないが、相互に内部構成が類似しているということで「兄弟」関係とさ れて、機械的連帯に位置づけられ、土地保有集団間が婚姻で義兄弟関係になっている父方集団ファ ミリーが有機的連帯とされる。親族体系の類型は、兄弟関係連合の内婚・外婚と父方集団ファミ リーの内婚・外婚の組み合わせによる。類型1は、前者の内婚と後者の内婚、類型2は、前者の外 婚と後者の外婚、類型3は、前者の内婚と後者の外婚、類型4から類型8までは、前者の外婚と後 者の内婚である。交換世代の違いで、連続的な場合は類型4(カリエラ体系)、交互的な場合は類 型5(アランダ体系)、3世代目の場合は類型6であり、類型7は類型4から類型5への遷移型、 類型8は類型5から類型4への遷移型となっている。 ターナーが 1970 年頃にフィールドワークをおこなったと思われるノーザン・テリトリー北東部 の東アーネムランドはアランダ体系の類型5に分類され、この地域だけにトーテムの経路図が掲載 されている。本稿の関心はトーテムの経路にあるので、この東アーネムランドだけをみていきた い59。かれが作成した東アーネムランドの地図を図5として引用した。地図の西側にアーネムラン ド東端の本土側があり、中央がビッカートン島、東側がオランダ語で大きい島という意味のグルッ トアイラントで、両島はカーペンタリア湾の西端に位置する。この地域は、第4節で引用したス ウェインの研究によれば、白人との遭遇以前からインドネシア人との交流があった地域で、マカサ ン Macassan と呼ばれた人びとの影響を受けている。 ほとんどの人はミッションに暮らしており、本土側に2つあったミッションのうちの1つのミッ ションでの人数は、1953 年の 129 名から 1969 年には 317 名へと、若干の別部族の人たちを含むも のの増加している。また同じ 1969 年時点で、グルットアイラントに設置されたミッションでのビッ カートン島出身者は 417 名中 372 名、この島の反対側に設置されたもう1つのミッションでのグ ルットアイラント出身者は 409 名中 295 人であり、1940 年代の両島の人口が 300 名から 350 名で あったのに比べれば、2倍ほどの人口増加になっている。本土側に7クラン、ビッカートン島に5 クラン、グルットアイラントに9クラン、合計で 21 クランがあったとされるが、現状としてはク ラン単位で生活されてはいない地域ということになる。地図上のアルファベットはクランすなわち 土地保有集団を示しており、トーテムの経路が各種の線で表示されている。凡例の最初にあるのが クラン連合Ⅰとされるもので、トーテムであるホークとレインボー・スネイクの経路で連結されて いる。ホークは、ビッカートン島のMとグルットアイラント北端のごく小さなGと南東のAを連結 し、レインボー・スネイクは、MとグルットアイラントのC、Mと本土側のQとUをそれぞれ連結
している。凡例で2番目のクラン連合Ⅲは、ドーブでビッカートン島のOとグルットアイラントの EとKが、シップでOと本土側のSが結ばれている。帰属が曖昧で本文ではカウントされていない ビッカートン島の北の島にあるIも、この連合のメンバーになっている。凡例の3番目がクラン連 合Ⅳで、凡例の右上がクラン連合Ⅱであるが、同様の説明は省略する。トーテムの経路として、3 つ以上のクランを連結する長めの連結もあれば、2クラン間の短い連結もあるが、クラン連合をま たがった連結はない。またクラン連合ⅠとⅢに属するクランを連結する Blaur の経路があり、図の 南東からビッカートン島を通って、西に抜ける。同様の Gilyirringgilyirring の経路は本土側にあっ て北から南へクラン連合ⅣとⅡに属するクランを連結している。前者は半族1を後者は半族2を構 成するとされる。 ターナーの本文でのクラン連合の仕分けは、ⅠがA・C・G・M・Q・U、ⅢがE・I・K・O・ S、ⅣがB・F・J・P・T、ⅡがD・H・L・N・R・Vである。類型5のアランダ体系は、父 方集団ファミリーの内婚であったが、父の父の相手集団の女性と結婚するのであるから、内婚にな るのは当然である。またアランダ体系には4種類の父方集団が存在して、自分が所属する種類の父 図5 東アーネムランドにおける父方集団間の神話的連結
注:David H. Turner, Australian Aboriginal Social Organization, Humanities Press, 1980, p.39.
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方集団とは結婚できないので、兄弟関係連合の外婚になるのも当然である。ターナーは詳細な親族 名称の分析や、ごく小規模のクランの飛び地にかんする細やかな議論を展開しているのであるが、 婚姻連帯にかんする情報はほとんど提示していない。各クランを構成するサブセクション名のペア が明示さておらず、クラン連合の種別がわからないままに、あるいは存在感の乏しいサブセクショ ンがトーテムに代行されて、トーテムの経路だけで4種のクラン連合に仕分けされているようであ る。Figure 9として、半族2でクラン連合Ⅳに属するB・F・Jの3クランと、半族1でクラン 連合Ⅰに属するA・G・Cの3クランとが、2世代に渡って婚姻交換をする状況が掲載されている。 図に登場するクラン記号からしてほぼグルットアイラントでの内婚になっているのは、過去3世代 分の内婚率が、本土側 84.6%、ビッカートン島 66.7%、グルットアイラント 82.1%であるのと符合 する。ミッションが登場してから交流が始まっており、3者が言語的に異なっていたことや、4世 代前の外婚率は 4.8%にすぎなかったところから、言語圏としても通婚圏としても3者は独自の存 在であったようである60。大きな問題は、Figure 9のタイトルが交互婚姻となっているものの、 世代が変わっても相手クラン連合内の異なったクランとの婚姻であって、別のクラン連合との婚姻 になっていないので、アランダ体系ではなくカリエラ体系的になってしまっていることである。結 局、父方集団ファミリーについての婚姻連帯にかんする知見が提示されていないのが、かれの兄弟 関係連合の説得力も弱めていると思われる。 それにもかかわらずターナーの言い方としては、ストレーロウのフクロネコの経路は、ルタラル ツマで西アランダに入り、そこはパルタラ・クングアレアの領域であり、その後も同じ種類のサブ セクションのペアを経路がつないでいるとしている。かれとしては4種のクラン連合すなわち兄弟 関係連合を連結するのがトーテムの経路だと主張したいようである61。しかしすでに図2でみたよ うに、次に隣接するのはンガラ・ムビチャナの領域で、ここのフクロネコの聖地はパル・エルルチャ である。そしてプルラ・カマラの領域を経て西アランダを抜けており、サブセクションのペアはど れも同じではない。ほかにもストレーロウは、北アランダと中央アランダの境界にあり、大きな成 人儀礼のグラウンドがあったとされるチルパラ Tjilpara(チルパはフクロネコの意味)でのフクロ ネコのチュルンガの所有権争いを報告しており、フクロネコのホルドとして、パルタラ・クングア レア、ンガラ・ムビチャナ(地元集団と旅集団)、プルラ・カマラの4集団が神話に登場しており、 それをどう解釈するかで紛争の決着がついたとしている。したがってフクロネコというトーテムが 特定のサブセクションのペアに固定的に結びついている訳ではない62。実証データをもたないとこ ろで、ストレーロウ文献に全面的に依存しているようであるが、ターナーによるストレーロウ文献 の読解は了解しにくい。 半族1の Blaur の経路は3世代前に登場し、半族2の Gilyirringgilyirring の経路は 1960 年代に 導入されたという。またトーテムとしてレインボー・スネイクが登場したり、シップやセントラル・ ヒルまでトーテムになっていたりする。さらに儀式ではトーテムの経路が唄に織り込まれるが、死 者の霊魂が運ばれたり、秩序が維持されていることを確認するために祖先の精霊が戻ってきたりす