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野辺陽子・松木洋人・日比野由利・和泉広恵・土屋敦著『〈ハイブリッドな親子〉 の社会学―血縁・家族へのこだわりを解きほぐす』 青弓社、2016年、四六判、204頁、2000円+税

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Academic year: 2021

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(1)69. 《書  評》. 野辺陽子・松木洋人・日比野由利・和泉広恵・土屋敦著. 『 〈ハイブリッドな親子〉の社会学 ― 血縁・家族へのこだわりを解きほぐす』 (青弓社、2016 年、四六判、204 頁、2000 円+税). 藤間 公太 * 本書は、「ハイブリッドな親子関係」を主題とし、婚姻や血縁によらない家族の「新 しい」実践と従来の制度との間でいかなる事態が起こっているのか、「ハイブリッドな 親子関係」のさまざまなあり方は社会で等しく認められていくのか、という問題に取り 組むものである。「ハイブリッドな親子関係」とは、出産・子育てに生みの親以外の担 い手が関わる親子関係を指す。この概念により、生みの親と「第三者」(「育ての親」や ドナー、保育者)とが、子どもを結節点として組み合わさる場合に生じる事態に着目す ることで、さまざまな「ハイブリッドな親子関係」において、家族や血縁がどのように 立ち現れてくるのかを描き出すことが、本書全体で取り組まれる課題である(p.11)。 まずは、各章の概要を確認しておこう。序章「『育児の社会化』を再構成する」 (松木 洋人)では、家族主義という位相のみで「育児の社会化」が論じられることが批判さ れ、実子主義という軸を導入した上で、子どものケアへの諸制度が整理される。 「育児 の社会化」とは、子どものケアに関するオプションは縦断的かつ横断的に利用する可能 性を切り開くものであるが、他方で、非実子主義的あるいは非家族主義的なオプション は、実子主義的かつ家族主義的な子育ての引力にさらされている。こうしたなかで親の 排他性を相対化することが「育児の社会化」の重要な一側面であり、「ハイブリッドな 親子関係」という言葉はその可能性を表現するものにほかならないと主張される。 (日比野由利)では、代理出産が、母子関係や 第 1 章「代理出産における親子・血縁」 依頼者、被依頼者にとってもつ意味が論じられる。依頼者にとっての最大の関心事は、 生まれた子どもの引き渡しが確実に行われるかどうかである。そのため、商業的代理出 産では、子どもは依頼者のものであることが、出産者である代理母に繰り返し教え込ま れる。他方、代理母からすると、自分が産んだのだから自分の子どもだ、という意識が ある。また、代理母を子どもと引き離すという原則が必ずしも守られないこともある し、子どもの障害などを理由に依頼者が引き取りを拒否する場合もある。さらに、代理 母との距離の取り方は、男女カップルとゲイカップルでも違いがある。親の多元性と排 他性が交錯する様子が、代理母を通して描かれる。 (野辺陽子)では、特別養子制度の 第 2 章「特別養子制度の立法過程から見る親子観」 *とうま こうた  国立社会保障・人口問題研究所. 『家族研究年報』No. 42 2017.

(2) 70 親子観を検討し、 「血縁を超える」新しい親子というイメージの影で見えなくなってい る論点が明らかにされる。特別養子の立法に際しては、戸籍の記載と生みの親との法的 関係とが論点となったが、いずれについても、排他的な一組の親子関係を形成すること が「血縁」よりも重要であると判断された。このように生殖と養育が分離される過程 で、 「血縁」は「子どものアイデンティティ」と結びついたが、こうした親子の要素の 組み替えこそが、 「血縁を超える」新しい親子というイメージの影で不可視化されてい る論点だと指摘される。 『家族』のリスクと里親養育」 (和泉広恵)では、里親制度を対象に、「子ども 第 3 章「 の最善の利益」の追求と「家族」との関係が明らかにされる。2002 年以降の一貫した里 親制度拡充政策の背景には、 「里親」の位置づけの変化があった。1980 年代には「望ま しい養育者像」に沿って「指導」、「育成」される存在だった里親は、1990 年代から 2000 年代を通じて被支援者として再定位される。このことは、「普通の家庭」における「親」 であることを理由に、里親が「特定の大人との愛着」を確保する上で重要な存在とみな されることを意味する。このような構図が「里親への支援不足」という語りと結びつく ことで、里親養育が抱える課題を追求することが困難になることが指摘される。 『施設養護』での育児規範の『理想形の上昇』 」 (土屋敦)では、戦後から 第 4 章「 1970 年代後半までの「捨児問題」や「施設養護」の育児規範の変遷が検討される。ホ スピタリズム論が「実子家族」からの隔たりを根拠として施設養護を逸脱化した 1950 年代まで、施設養護のあくまでも関心は「親がない子ども」におかれていた。これに対 し、1960 年代後半から 1970 年代前半にかけての「施設養護必要論」の形成課程では、 「実子家族」にあっても、子どもに保護の必要性が生じた場合は、施設が「避難場所」 として機能することが前面に押し出された。この変遷の背後に、ただ「家庭」において 「実親」に育てられるだけでは不十分だとする、育児規範の「理想形の上昇」があった ことが指摘される。 終章「〈ハイブリッド性〉からみる『ハイブリッドな親子』のゆくえ」 (野辺陽子)で は、 「ハイブリッドな親子」とは異なり、「親子・子育てに関する新種の混合、相矛盾す る価値観が存在していること」を意味する〈ハイブリッド〉という視角が導入される。 それにより、「融合」 (親子の要素の分節、接合) 、 「反転」、「競合」という 3 つの論点が 見いだされ、血縁、家族、近代家族を「超える/超えない」という二分法にもとづく解 釈の超克が試みられる。結論部では、「血縁からの自由/血縁への自由」という相反す ることを意識する時代に入ってきている可能性や、「子どものため」という理念のもと にいかなる事態が発生しつつあるのかを注視する必要性が示唆される。 、〈ハイブリッド〉 以上の本書の意義は以下の 3 点にある。第 1 に、「ハイブリッド」 という概念を導入したことで、生みの親を「第三者」と等価なものと位置づけたことで ある。序章でも述べられていたとおり、これまでいわれてきた「育児の社会化」は多く の場合に実子主義の範疇にあり、あくまでも生みの親による子育てを支援することが目 指されてきた。もちろん、これまで生みの親に過度の負担が集中していたことに鑑みれ ば、支援の必要性が認識されたことの意義は否定されるべきものではない。しかしなが.

(3) 71 ら、あくまでも生みの親が中心的に育児を担うことを前提とした範囲に支援が限定され ていたこともまた事実であろう。「ハイブリッド」という概念の導入により、生みの親 が脱中心化され、それ以外のアクターによる育児もひとしく支援の対象となる可能性が 開かれる。このことは、制度上の優先性と表裏にあった、生みの親への育児の負担や責 任の集約を解消する上でも重要である。 「ハイブリッドな親子関係」に着目することで、社会のなかのさまざまな 第 2 に、 ニーズをつなぐ視座を提供したことである。たとえば、望まない妊娠をして出産したも のの諸般の事情で育てられないという女性と、子どもは欲しいが不妊で持てないカップ ルがおり、前者が後者に子どもを託し、その後も交流を継続したとしよう。夫妻が実子 を排他的に育てることを自明視する規範のもとでは、この当事者たちは「逸脱者」とみ なされるかもしれない。しかしながら、「ハイブリッドな親子関係」が一般的なものと なれば、このような選択は何ら問題とならないばかりか、むしろ二人(あるいは一 人)だけで子育てを担うことの困難を乗り越える積極的戦略ともなりうる。この例にと どまらず、これまで一元化されていた親子関係を「ハイブリッド」なものにしていくこ とで、社会におけるさまざまなニーズをつないでいくことが可能になるだろう。 「ハイブリッドな親子関係」に関してのテキストとしてもきわめて優れてい 第 3 に、 ることである。本書が高い学術的意義を持つことはここまで述べたとおりであるが、そ れに加え、制度や歴史的事実について本文や注で丁寧な解説がなされており、初学者に もわかりやすいつくりになっている。本書でも述べられていたように、血縁や婚姻によ らない家族の実践が紹介されつつある他方で、家族主義や実子主義は未だ根強く残って いる。その理由として、そうした新たな家族の実践が十分には知られていないことがあ ると考えられる。本書は、「ハイブリッドな親子」の実践をわかりやすく紹介すること で、家族に対する人々の認識を変革する可能性も持つものであろう。 読了後、一読者として、家族を「超える/超えない」、あるいは「家族/非家族」と いう二分法をいかにして乗り越えられるのだろうかという点を、改めて考えてみたく なった。久保田裕之(2009)は、家族の多様化論が「家族的機能」を果たすものはすべ て「家族」とすることを、〈多様性の家族化〉だと批判する。本書の序章においても、 「ハイブリッドな親子関係」と名指される関係性を、常に「親子」と名指すことの問題 が言及されている。このように特定のラベルを貼ることの問題を乗り越えるには、2 つ の道筋があるだろう。第 1 に、まったく違う概念を当てた上で、それが家族より優先さ れない根拠は何らないことを論証する方法である。第 2 に、あえてその概念を用い続け ながら、その意味内実を攪乱していく方法である(阪井 2014)。おそらく本書は後者に 近い立場をとっているように評者は読んだが、この点に関して、ぜひ著者らの見解を聞 いてみたい。 むろん、この問題は家族研究全体で取り組むべきものであり、本書があったからこそ 導出された発展的な論点である。家族の多様化論への見直しの気運が高まっているな か、本書が家族研究において果たした意義は大きく、今後多くの場面で参照されるべき ものである。さらに、本書は「ハイブリッドな親子関係」を通じて社会全体のあり方を.

(4) 72 問う可能性も秘めている。そのような書を世に送りだした著者らに、心から敬意を表し たい。 文献 『家族の多様化』論再考 ― 家族概念の分節化を通じて」『家族社会 久保田裕之、2009「 学研究』21(1) :78−90 阪井裕一郎、2014「家族主義と個人主義の歴史社会学 ― 近代日本における結婚観の変 遷と民主化のゆくえ」2013年度慶應義塾大学大学院社会学研究科博士論文.

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