2017 年 7 月 12 日受理 連絡責任者:奥山誠義([email protected])
考古資料からみた植物性繊維の利用実態の解明
奥山誠義
奈良県立橿原考古学研究所(〒 634-0065 奈良県橿原市畝傍町 1 番地) 要旨:我々人間が,日々の生活を送るために重要な要素を『衣食住』という言葉でまとめることができる.その 中の「衣」は着飾る装いや寒さなどから身を守るため重要な役割を果たす「衣服」を指している.人類が衣服を 身につけ始めた時期は明らかではないが,日本においては,遺跡の発掘出土品から少なくとも縄文時代には衣服 を身につけていたと考えられる.衣服など繊維製品に用いられる材料は様々あるが,中でも植物性繊維はその歴 史が深く縄文時代の遺跡からも出土している.発掘出土品は,考古学における「歴史の物的証拠」であるばかり でなく貴重な文化財でもある.これらから材料に関する情報を引き出しつつ,姿・形を変えずに将来へ伝え遺す 必要がある.出土品の損傷を控えながら材料を読み解く研究は最重要課題の一つである.繊維製品の材料調査では, 赤外分光分析法も材料調査のための有効な手段の一つである.筆者らは SPring-8 におけるシンクロトロン放射光 赤外分光分析や光音響赤外分光分析などに取り組み,植物性繊維をはじめとする出土繊維製品の材料調査法の研 究を行ってきた.本稿では,微量サンプルあるいは非破壊による繊維製品の材料調査研究の一例を紹介する. キーワード:植物性繊維,赤外分光分析,偏光 IR,光音響1. はじめに
人々が生活する上で必要な要素は,衣食住という言葉で まとめることができる.「衣」は装いあるいは身を守るた めの衣服である.また,「食」は生命維持に欠かせない栄 養摂取のための食事,「住」は風雨を避け安寧に暮らすた めの住環境である.人類が衣服を身につけた起源には諸説 あり,未だその明確な答えは得られていない.日本におけ る織物あるいは衣服の存在を裏付けるのは,縄文時代の遺 跡から発見された土偶の装飾である(松沢 1993).衣服を 構成する素となる繊維に的を絞れば,縄文時代草創期の遺 跡から縄状製品が発見されている(福井県立若狭歴史民俗 資料館 2002).2. 文化財としての織物に用いられる繊維
繊維には大別すると,天然繊維と化学繊維がある(第 1 図).天然繊維には,植物性繊維と動物性繊維,鉱物性繊 維がある(石川 1998).考古学および歴史学の中で扱われ る繊維は,人工合成繊維が誕生する以前のいわゆる天然繊 維である.天然繊維も偶発的な変異や人工的な改質を経て 様々な品種が存在している.考古学および歴史学において は,多くの場合,絹糸製品の素材は単に「絹」と表現され る.また,麻類についても,「大麻(たいま)」や「苧麻(ちょ ま)」,「赤麻(あかそ)」,「蕁麻(いらくさ)」など「麻」 と名のつく様々な「麻」があるが,考古学および歴史学の 中ではひとくくりに「麻」と表現されてきた.しかし,「大 麻」や「苧麻」,「赤麻」,「蕁麻」は,それぞれが明らかに 異なる生物であり,その性質も大きく異なる. 大麻はアサ科の 1 年草であるのに対し,「苧麻」,「赤麻」, 「蕁麻」はイラクサ科の多年草である.この違いは取り出 される繊維の違いにも大きく影響しており,色合いや光沢, 弾性的性質などが異なる(セルロース学会 2000).大麻(hemp: Cannabis sativa L)は,単にアサと呼ばれ るアサ科に属する一年草の草本である.繊維は 1~3m あり, 単繊維の長さは 5~55mm(平均 22mm),幅 10~50 μ m(平 均 22 μ m),である.繊維は円筒状で繊維端が丸く分岐が 見える.横断面は丸みを帯びた多角形で,細胞同士が互い に密着し,内腔(lumen)は星状である.繊維の表面には 長さ方向に多数の条線があり,節や条痕(cross mark)が 認められ,透明度は低い(セルロース学会 2000).
苧麻(ramie: Boehmeria nivea (L.) Gaud. var. tenacicima (Gaud.) Miq.)は,ラミー,マオ(真苧),カラムシなどと呼ばれ るイラクサ科に属する多年生の宿根草である(第 2 図). その繊維は靱皮繊維中最大で,長さが 1.5 ∼ 2.4m,単繊維
第 1 図 繊維の分類(石川 1998)
の長さは 50 ∼ 250mm(平均 150mm),幅 10 ∼ 90 μ m(平 均 40 μ m)である.長さと幅の比は 2,400 以上と他の麻 類と比較して著しく長くて太い.繊維は幅広のリボン状で 繊維端は丸く大麻のような分岐は見られない.横断面は楕 円形に近く壁は厚く内腔中に粒状物が認められる.繊維の 表面は平滑で整っているため紡糸は困難である.色調は白 く天然色素を含まず,絹様の光沢を持つ(セルロース学会 2000). 第 2 図 栽培された苧麻(宮古島にて.筆者撮影)
3. 繊維製品の歴史
日本における繊維製品の歴史をたどると,先述の通り繊 維を用いた実資料として残っている最も古い例は,縄文時 代草創期の縄状製品である.さらに土偶に施されている装 束的な装飾が衣服であるとするならば,縄文早期には衣服 を纏っていた可能性が考えられる. 縄文時代に主に用いられた繊維は,大麻(たいま・おお あさ)と苧麻(ちょま・からむし),赤麻(あかそ)とい われている(布目 1999). 国内に現存する最古の繊維製品は,福井県鳥浜貝塚出土 の大麻製の縄(縄文時代草創期・約 1 万年前)である(布 目 1999).さらに時代が下ると苧麻(ちょま)が中山遺跡(秋 田県五城目町)で出土している(布目 1999).弥生時代に なると絹繊維が利用されるようになり最古のものは有田遺 跡(福岡市;弥生時代前期)出土の細形銅戈付着平絹とさ れている(佐藤 1996).北九州地方を中心にその出土例が 豊富である.古墳時代に入ると近畿圏でも絹繊維が出土す るようになり,本州への養蚕等の伝播が確認できる.飛鳥・ 奈良時代以降になると,国家的事業として織物の生産・製 作が行われるようになり,全国各地の工房で絹織物に限ら ず様々な種類の繊維を使って織物が織られるようになった (藤井 1986). また,租・庸・調といわれる納税方式の一 環として,庸や調の役務の代わりに織物が国家へ貢納され る制度が設けられたのもこの頃である.そして平安時代に なるとこの制度は全国的に普及し,927 年には儀式行事の 諸法規ならびに服飾品製作法の基準を定めた「延喜式」が 制定され,全国各地から生糸や絹織物等が上納されるよう になり,繊維や織物の種類がより一層豊富になってきた(藤 井 1986). 第 1 表 日本における絹以外の繊維製品の初出時期(布 目 1992) ⲡᮇ 㯞〇⦖ ๓ᮇ 䝍䝚䜻䝷䞁ᵝ䠈䜰䜹䝋〇䜰䞁䜼䞁ᵝ⦅ᕸ䠈䜰䜹䝋㻔㻫㻕〇⦖䠈㯞〇⦅≀䠈䝠䝜䜻〇⦅≀ ᚋᮇ ⱟ㯞〇䜰䞁䜼䞁ᵝ⦅ᕸ䠈䜸䝠䝵䜴〇䜰䞁䜼䞁ᵝ⦅ᕸ ๓ᮇ ⸨ᕸ䛺䛹䛾ᶞ⓶〇ᕸ䠄䜎䛯䛿㯞ᕸ䠅 ୰ᮇ 㯞ᕸ ᚋᮇ ᮌ⥥䠄ᴘ䜎䛯䛿✐䜢ᮦᩱ䛸䛩䜛䠅 ๓ᮇ ⴱᕸ䠈⤱䛾ⱟ㯞䛾⧊≀ ୰ᮇ ⱟ㯞〇⣣ ዉⰋ௦ 䜒䜑䜣䠈⨺ẟ䠈䝷䜽䝎ẟ䠄⯧㍕ရ䠅 ⦖ᩥ௦ ᘺ⏕௦ ྂቡ௦4.『魏志』倭人伝にみる日本(倭)と中国(魏)の織物
出土品以外に織物の利用がうかがえるのは,文字記録と して中国で記された魏志倭人伝である.そこには弥生時代 の日本の様子が描かれている.口語訳された書物[石原 1985]を参考に読み解いてみる. 4-1 『魏志』倭人伝(1) ・・・・・・・・・・・・・・・・ 【原文】 其風俗不淫男子皆露䞠以木緜招頭其衣横幅但結束相連略無 縫婦人被髮屈䞠作衣如單被穿其中央貫頭衣之種禾稻紵麻蠶 桑緝績出細紵縑緜・・・・ 【現代語訳】 その風俗は淫らではない.男子は皆,髪はみずら,木綿 を頭にかけ,きものは横幅の広いものただ束ねて連ね,縫 いつけることはない.婦人は髪は束髪のたぐいで,単衣の ようなきものを作り,その中央に穴をあけ,頭を突込んで 着ている. いね・いちび,麻をうえ,蚕を飼い,糸をつむぎ,細紵 (いちび・ほそあさの布)・縑(かとりぎぬ・きぬ),綿を 生産する. ・・・・・・・・・・・・・・・・ この時代日本には「木綿(もめん):cotton」はまだ存在 しない(石川 1998).これは,コウゾやカジノキの樹皮繊 維あるいは大麻や苧麻などの繊維による製品と考えられ る. この記述から,当時の日本では布の中央部に穴を穿ち, 頭を通して着衣するいわゆる貫頭衣を作り,麻の栽培や養 蚕をおこなっていたことがわかる.麻の栽培や養蚕は,単 に育てることだけを意味するのではなく,糸を取り出し織 物を織ることを示していると考えられる.4-2 『魏志』倭人伝(2) ・・・・・・・・・・・・・・・・ 【原文】 正始元年太守弓遵遣建中校尉梯儁等奉詔書印綬詣倭國拜假 倭王并齎詔賜金帛錦䟖刀鏡采物倭王因使上表答謝詔恩 其四年倭王復遣使大夫伊聲耆掖邪拘等八人上獻生口倭錦絳 青縑緜衣帛布丹木付短弓矢掖邪狗等壹拜率善中郎將印綬 【現代語訳】 正始元年(240),太守弓遵は,建中校尉梯儁らを遣わし, 詔書・印綬を奉じて倭国にいき,倭王に拝仮して詔をもた らし,金帛(黄金と絹帛,金繒)・刀,鏡,采物(采色文 章を施した物,旌旗衣服などに品級によって異なる彩色を 施す)を賜った.倭王は,使に因って上表文をたてまつり, 詔恩(天子からの恩典)を答謝した. その四年(245),倭王はまた使者の太夫伊声耆・掖邪狗 (伊佐我・伊佐波・伊佐賀・伊蘇志・少子か)ら八人の使 節を遣わし,生口・倭錦・絳青縑・綿衣・帛布(きぬとぬ の)・丹・木付(ゆずか)・短弓矢を献上した.掖邪狗らは 率善中郎将の印綬を拝受した. ・・・・・・・・・・・・・・・・ 倭錦とは文字通り「倭(ヤマト)の錦」と読むことができ, おそらくは日本製の織物を指すと考えられる.このことか ら先の項の文も併せて考えると,弥生時代には,布を利用 したばかりでなく,糸を作り,その糸を用いて日本独自の 織物を作り始めていたと考えられる.
5. 考古学における繊維製品の調査
繊維製品の調査は,構造調査と材質調査が主な調査ポイ ントである.構造調査は織り方や糸の組み合わせ,糸の太 さ,織りの密度を調べる調査となる.糸の撚り方には右撚 り・左撚りがあり,製作者のクセやこだわりといったもの を読み取ることが可能である.織密度は 1cm あたりの経 糸と緯糸の本数を表し,織りの緻密さを評価する情報であ る.平織り,綾織り,朱子織りなどと呼ばれる織りの種類 は,織物の製作意図を推し量る情報になる.これらの情報 は,織物が織られた時代の織り手の技術や織物を求めた 人々の嗜好性など当時の特性を探る貴重な情報である. 材質調査は,織るために用いられた糸の原材料や染料を 調べる調査である.糸の原材料や染料の主成分は,その多 くが天然有機物である.したがって,出土繊維製品の場合, 地下埋蔵環境中で微生物活動等によって腐朽していること がほとんどであり,糸や染料の本来の成分は分解している. 特に染料は,糸に染着している濃度が極めて低いため,地 下埋蔵環境の影響によってそのほとんどが分解消失してい ると言っても過言ではない.出土繊維製品の場合,染料を 知ることは,なかなかの困難を伴う. 一方,繊維製品に用いられている糸の原材料である「繊 維」の種類を調べる方法にはいくつかあり,1)表面を観 察する,2) 断面形状を観察する, 3) 化学成分を分析する, などが挙げられる. 先述の通り,植物性繊維は当然ながら天然繊維の一種で ある.天然繊維にはこの植物性繊維と動物性繊維があり, 前者は文字通り植物が原料となり,その化学的な主成分は セルロースである.一方,後者は動物の吐出物(絹糸等) や体毛(羽毛・羊毛等)が原料となり,その化学的な主成 分はタンパク質である.化学的な主成分の違いからも,植 物性と動物性の分別が可能である. 繊維はその種類毎に特有の断面形状を有しており,それ らを比較検討することによって,繊維の種類を特定するこ とが可能である. この断面形状の調査には観察のための試料が必要であ り,少なからずサンプリングが必要となる.しかし,文化 財という貴重な資料を扱う上では非破壊で調査することが 理想的である.したがって,サンプリング量を必要最小限 に抑制しつつ材料調査を行わなければならない.より微量 な試料で材料調査が出来るよう工夫することも自然科学の 重要な役割でもある.筆者らはほんのわずか,縫い針の針 先ほどの微量でも材料調査が可能な手法を用いて,出土繊 維製品の繊維材料調査をおこなっている. 第 3 図 植物性繊維の表面と断面の SEM 画像.上か ら苧麻,大麻,蕁麻.左は表面,右は断面6. 赤外分光分析でみた植物性繊維
赤外分光法は,物質の構造研究・同定・定量を行ううえ で極めて有用な測定法であり,その特長は応用範囲が広い ことである.物質による赤外光の吸収が波長によって変わ ることを定量的に示すものが赤外吸収スペクトルである. 赤外分光法では一般的に波長 2.5 μ m ∼ 25 μ m の普通赤 外または中赤外と呼ばれる領域が用いられる.波数で表すと,約 4,000 ∼ 400cm-1 の領域となる.赤外吸収は,主と して分子振動のエネルギー準位間の遷移(結晶では格子振 動のエネルギー準位間の遷移)に基づいて起こる.したがっ て,赤外吸収スペクトルは振動スペクトルの一種と考える ことができる(田隅 2010). 赤外吸収スペクトルを測定するときには近年一般的に は, フ ー リ エ 変 換 赤 外 分 光 光 度 計(Fourier Transform Infrared Spectrometer:FT-IR)を用いる.この装置では赤外 光の干渉波形(インターフェログラム)を測定し,それを フーリエ変換して赤外吸収スペクトルを得る(第 4 図). 通常の FT-IR 分光計では測定領域の広さは数 mm であり, 赤外光を集光させる簡単な付属装置を用いても 1mm ∼ 100 μ m 程度にしかならない.しかし,これよりも小さな サイズの試料や測定ポイントがあるのも現実で,そのよう な試料を測定したい場合は,専用の赤外顕微鏡測定装置が 必要となる(野瀬ら 2006).すなわち顕微 FT-IR 測定装置 である. 第 4 図 赤外分光分析の概念図 6-1 SPring-8 におけるシンクロトロン放射光赤外分光分析に よる植物性繊維の分析 赤外スペクトル測定には SPring-8(第 5 図)の赤外物性 ビームライン BL43IR によるシンクロトロン放射光赤外分 光分析を利用した.この放射光赤外分光分析は,分析径を 10 μ m 前後の微小な試料領域に集光した場合,その領域 の光強度が実験室型の分析装置にくらべ,二桁程度高い. この特徴は微小領域,または微小試料の分光測定に非常に 大きなメリットがある. 筆者らは古墳から出土した植物性繊維製品と,日本国内 で入手可能な現代参照品 3 種(大麻と苧麻,蕁麻)の計 4 点を測定のための試料とした.古墳出土資料は,奈良県桜 井市に所在する赤尾熊ヶ谷古墳群 2 号墳(古墳時代前期築 造)から出土した繊維製品である(桜井市文化財協会 2008).この繊維製品は,2 号墳の 1 号棺から出土した銅 鏡に付着していた赤色平織布と白色平織布の繊維製品 2 種 類である(第 6 図).この繊維製品は出土状況から木棺の 上に鏡を包む状態で置かれていたものと考えられ,木棺の 木材と銅鏡の間に挟まれた状態で出土したことが確認され ている.見かけ上はほとんど劣化しておらず,繊維本来の しなやかさが残るほどの良好な遺存状態であった. 第 5 図 SPring-8 の 全 景[http://www.spring8.or.jp/ ja/about_us/whats_sr/ より]
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第 6 図 赤尾熊ヶ谷古墳出土繊維製品(部分写真) これらの試料は,シンクロトロン放射光を光源とする赤 外分光法(SR-FTIR)により測定・分析を行った.赤外ス ペ ク ト ル 測 定 に は SPring-8 の 赤 外 物 性 ビ ー ム ラ イ ン BL43IR を利用した.測定においては,偏光子を観察視野 に対し上下方向に挿入・固定し,繊維を観察視野に対し縦 向きを 0 度として,回転させ横向きが 90 度となるよう配 置した(第 7 図・8 図). 第 7 図 偏光赤外分光の概念図第 8 図 シンクロトロン放射光赤外分光分析に供した サンプル. 第 9 図に現代参照品(3 種類)の SR-FTIR の結果を示し た.繊維軸の向き(角度)を変えた測定を行うことにより, 角度ごとに異なる IR スペクトルを得た. 3 種類の繊維は, よく似た IR スペクトルを示した.特に苧麻と蕁麻は大変 よく似た IR スペクトルであった.0°すなわち繊維軸が偏 光方向に対し平行時には,苧麻と蕁麻の IR スペクトルで は 1,110cm-1 の吸収帯が強く,大麻では 1,060cm-1 (グリコ シド結合の C-O-C) の吸収帯が弱くなる.大麻では 620cm-1 (帰属不明)の吸収帯のピークが鋭くなる.一方,3 種類 の現代参照品では共通して,90°すなわち繊維軸が偏光方 向に対し直交する時には,670cm-1 と 560cm-1 の吸収帯(い ずれも帰属不明)が出現した.蕁麻の IR スペクトルでは, 1,160cm-1 (C-O-C の非対称伸縮振動)の吸収帯が確認でき た.この吸収帯は他の大麻や苧麻での同様な配置(90°) のときには確認できなかった.結果的に蕁麻の IR スペク トルは大麻と苧麻の IR スペクトルとは異なっていた.大 麻と苧麻,蕁麻では 90°のときに 1,160cm-1 の吸収帯が弱 くなり,0°のときに 670cm-1 および 560cm-1 の吸収帯が強 くなることが確認できた.このピーク強度の変化は先述の 吸収帯が大麻や苧麻,蕁麻の分子配向の違いによるものと 考えられる.植物性繊維は IR スペクトルが非常によく似 ているので,IR スペクトルのパターンのみでは大麻と苧 麻,蕁麻の判別が困難であった. 第 10 図は出土植物性繊維の SR-FTIR 測定の結果である. すべての試料が靱皮繊維の特徴的なスペクトルパターンを 示している. IR スペクトルから大麻か苧麻であることが 想定されるが,いずれであるか明確な答えを導き出すこと は困難であった. 全試料に共通しているのは,偏光 IR 測定をおこなうこ とによって,特定の吸収帯の強度が変化している点である. これは出土植物性繊維でも赤外二色性が確認できたことを 示唆する結果である.さらにセルロース及びヘミセルロー スに帰属される吸収帯が明確に確認されたことによって, 土中において劣化作用を受けていると想定される出土植物 性繊維製品でも,セルロース及びヘミセルロースの分子配 向が遺存していることを示唆している. 第 9 図 現代産照品の偏光 IR スペクトル.0°は偏光子 と繊維軸方向が平行,90°は偏光子と繊維軸 方向が直交する. 第 10 図 古墳出土繊維の偏光 IR スペクトル.0°は偏 光子と繊維軸方向が平行,90°は偏光子と繊 維軸方向が直交する. 6-2 光音響赤外分光法による植物性繊維の分析
光音響効果は 1880 年,Alexander Graham Bell によって 発見された現象で,連続した光を物質に照射すると,その 光と同じ波数の光が物質から発生する現象である. 光を 物質に当てると,光エネルギーを吸収した分子が同じ波数 のエネルギーを出し,その熱により周りのガスが膨張する. この膨張するときの振動を特殊なマイクロホン等で測定 し,そのエネルギーを放出している物質の組成を分析する. この原理を赤外分光分析に応用したものが,光音響赤外分 光 法(FT-IR Photoacoustic Spectroscopy: PA FT-IR も し く は PAS FT-IR) と 呼 ば れ て い る( 第 11 図 ).PA FT-IR は,一定寸法以下の試料ならば試料容器(サンプル カップ)に試料を入れるだけで,非破壊で IR 測定が可能 である(第 12 図).採取・混合・加圧といった試料の変形 や損傷を伴う前処理作業が何ら必要なく,試料からの情報 を得ることが可能である.
第 11 図 PA 測定の概要(上)と試料室内の概要(下) 第 12 図 PA 測定に用いる試料容器(サンプルカップ) 繊維製品に利用される植物性繊維の中でも特に使用頻度 が高い大麻繊維と苧麻繊維に注目し調査を行った(第 13 図).一般的な赤外分光測定の手法である透過法(TR 法) により得られたスペクトルと PA スペクトルでは,検出さ れるピークに大きな差異はない.しかし,両者を詳細に比 較すると,PA スペクトルでは 1,800-1,200 cm-1 の領域が明 瞭 に 現 れ, ペ ク チ ン の 多 糖 成 分 COOH に 帰 属 さ れ る 1,733cm-1 のピークやセルロースおよびヘミセルロースの CH3変角振動および CH2変角振動に帰属される 1,646cm-1 のピークが顕著に確認できた. さらに,前項で測定した赤尾熊ヶ谷古墳群出土の植物性 繊維を PA 測定した(第 14 図).スペクトルの比較資料と して現代参照品の苧麻の PA スペクトルを併せて示した(第 15 図).測定の結果,概ねスペクトルは一致しているが, 古墳出土試料ではペクチンの多糖成分 COOH に帰属され る 1,733cm-1 のピークが消えていた.この結果からすると 測定ミスか植物性繊維とは異なる試料であるか,との判断 となりそうであるが,前項の測定結果を改めて確認した. 古墳出土試料は SR FT-IR でも PA FT-IR の測定結果と同様 に,1,733cm-1 の ピ ー ク が 存 在 し て い な い こ と か ら,PA FT-IR においても従来の手法と差異なく結果が得られてい ることが明らかになった. 本法によって,植物性繊維からなる試料に対し従来の測 定手法と変わらない結果を得ることができると共に,出土 資料に対し非破壊的に測定可能であることを明らかにする ことができた.本法は文化財に対して利用し始めたばかり の分析法であるため,まだ解決すべき課題は多く存在する. しかし,非破壊的測定が可能である点は非常に大きなメ リットと言える. 第 13 図 植物性繊維の PA 測定(SR FT-IR との比較) 第 14 図 PA 測定に供した古墳出土資料(目盛り間隔 は 0.5mm) 第 15 図 PA 測定における古墳出土植物性繊維と現代 産品との比較
7. おわりに
繊維の利用を考え出した我々の祖先は,その材料として 身近に自生する植物を選択した.そして,文明の発達と共 に自生植物のみならず,自ら栽培して材料を得るようにな る.現代の植物性繊維の利用は,そのほとんどが栽培品を 用いていると言っても過言ではない. 出土繊維製品の調査事例は,極めて少ない.そのため, 織物の構造や材料など織物の変遷は未解明である.また, その地域的な特性や材料栽培の有無,栽培方法の研究等は ほとんどおこなわれていない.実際のところ,原始・古代 における植物性繊維利用の歴史というのは未解明な点が多 く,今後も多分野との共同研究や継続的な研究が欠かせな い状況にある.さらなる研究の進展により新たな歴史の解 明が進むことをご期待いただきたい.謝辞
本研究は,日本学術振興会科学研究費補助金(若手研究 (B):No.25750107, JSPS KAKENHI Grant Number. 25750107)の成果の一部である.本研究を行うにあたり京都工芸繊維 大 学 佐 藤昌憲 名 誉 教 授,高輝度光科学 研究センター (JASRI) 森脇太郎博士ならびに池本夕佳博士に貴重なご 助言をいただきました.また,桜井市教育委員会 橋本輝 彦氏には,貴重な出土繊維製品に対する調査の機会をいた だいた.赤外分光分析には,パーキンエルマージャパンな らびにエス・ティ・ジャパンのご協力をいただいた.これ らの方々にここに記して心より感謝申し上げます.
引用文献
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Masayoshi Okuyama
Archaeological Institute of Kashihara, Nara Prefecture(1, Unebi-cho,Kashihara-city, Nara, 634-0065, Japan)
Summary:Food, Clothing, and shelter are the necessaries of human life. Above all, clothes are important for protection against the cold and for decoration ourselves. We don t know time of initiating the use of clothes. In Japan, clay fi gures of Jomon period (we call them Doguu ) have decoration looks like clothes. People put on clothes since Jomon period. Textiles have used various materials. Plant fiber has a long history. Excavated objects are materials for archaeology and valuable cultural properties for people. We must keep them to the future maintaining their original shape. But we need a minute amount sample for material research. Infrared spectroscopy is useful for the material research of archaeological textiles. We have researched synchrotron infrared spectroscopy using SPring-8, and we started new research about photoacoustic spectroscopy in our laboratory. In this paper, we showed examples for a minute amount sampling analysis and non-destructive analysis about archaeological textile fi bers.
Key Words:Plant fi bers, Synchrotron infrared spectroscopy, Photoacoustic spectroscopy