• 検索結果がありません。

一 金 録 晨 夜 十 方 懺 残 巻 WB32 1 ( 3 ) マ マ 32(3) 321(3) (3) マ マ

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "一 金 録 晨 夜 十 方 懺 残 巻 WB32 1 ( 3 ) マ マ 32(3) 321(3) (3) マ マ"

Copied!
30
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

国立国会図書館所蔵の敦煌道教写本 ︵神塚︶ はじめに 日本の国立国会図書館︵東京︶には、道教関係の敦煌写本を二 点 所 蔵 し て い る。 ﹃ 国 立 国 会 図 書 館 漢 籍目 ︶1 ︵ 録 ﹄ に﹁ 敦 煌 等 経 文 ﹂ のタイトルのもと、四十八点の写本が挙げられているが、その第 三﹁ 金 録 晨 夜 十 方 懺 残 巻 ﹂︵ 請 求 番 号 WB 32 ‒ 1( 3) ︶ と 第 三 十﹁ 道 教叢書残巻﹂ ︵請求番号 WB 32 ‒ 1( 30 ) ︶がそれである。 このうち前者の﹁金録晨夜十方懺残巻﹂については、本稿第一 章 で 述 べ る よ う に、 中 国 社 会 科 学 院 世 界 宗 教 研 究 所 の 王 卡 氏 に よって紹介がなされ、 ﹃中華道蔵﹄の中にも、 ﹁敦煌本霊宝金籙斎 儀︵ 擬 ︶﹂ の 一 部 分 と し て、 す で に 収 録 さ れ て い る︵ 第 四 十 三 冊 001 号︶ 。 一方、後者の﹁道教叢書残巻﹂なるものについては、その存在 は知られていたが、これまでその内容について紹介されたことは な か っ た。 筆 者 は 近 年、 道 教 関 係 の 敦 煌 写 本 の 研 究 を 進 め て お ︶2 ︵ り、その一環として、平成二十四年三月下旬に王卡氏を日本に 招聘して名古屋大学で小規模のシンポジウ ︶3 ︵ ムを開催する一方、王 卡氏とともに国立国会図書館、京都国立博物館、龍谷大学図書館 を訪問し、各館に所蔵する敦煌トルファン写本の閲覧調査を行っ た。国立国会図書館においては、この﹁道教叢書残巻﹂なる写本 を実見することができた。長年にわたって敦煌道教写本の研究に 従事してこられた王卡氏は、この写本を見て、ただちに、これが フランス国立図書館に所蔵する敦煌写本道教類書、ペリオ二四四 三︵王卡﹃敦煌道教文献研究│綜述・目録・索引﹄二二七頁。王 卡氏はこれを﹁失題道教類書﹂八件のうちの一つとして挙げてい る ︶ と 同 一 の 書 物 を 書 写 し た も の と 考 え ら れ る こ と を 指 摘 さ れ た。筆者は、その場では判断できず、帰宅後、ペリオ二四四三の 写真と比べたところ、王卡氏が指摘されたとおり、ペリオ二四四 三 と 同 一 書 物 を 書 写 し た も の で あ る 可 能 性 が 高 い こ と が わ か っ た。王卡氏の炯眼には まことに敬服するばかりである。 国 立国会図書館所蔵の二点の写本は、その内容から見て、それ ぞれに注目すべき重要な性格を持っている。本稿では、これらの 写本について概観し、若干の考察を行うことにしたい。 なお、国立国会図書館所蔵の二点の写本の名称は、本稿では、

国立国会図書館所蔵の敦煌道教写本

(2)

名古屋大学文学部研究論集 ︵哲学︶ ﹃ 国 立 国 会 図 書 館 漢 籍 目 録 ﹄ の 記 載 に そ の ま ま 従 い、 前 者 を﹁ 金 録 晨 夜 十 方 懺 残 巻 ﹂、 後 者 を﹁ 道 教 叢 書 残 巻 ﹂ と 呼 ぶ こ と に す る。ただし、本稿第二章で述べるように、後者は、実は﹁叢書﹂ ではなく ﹁類書﹂ であるので、 正しくは ﹁道教類書残巻﹂ である。 金録晨夜十方懺残巻 WB32–1 3‌ ) ﹃ 国 立 国 会 図 書 館 漢 籍 目 録 ﹄ が こ の 写 本 の 名 称 を﹁ 金 録 晨 夜 十 方懺残巻﹂としているのは、写本の首行に﹁金録晨夜十方懺﹂と いう標題が記載されていることに拠っている。この写本は大淵忍 爾氏の﹃敦煌道経﹄には著録されておらず、王卡氏の論文﹁敦煌 本霊宝金録斎儀校読 ︶4 ︵ 記﹂で初めて紹介され、その後、同氏の﹃敦 煌 道 教 文 献 研 究 │ 綜 述・ 目 録・ 索 引 ﹄ に も 載 せ ら れ た。 ﹃ 敦 煌 道 教文献研究│綜述・目録・索引﹄では、王卡氏はこの写本を﹁洞 玄霊宝部上﹂に分類して、 ﹁霊宝金録斎懺方儀︵擬︶ ﹂という名称 で著録しており、そこには、次のような説明文が書かれてい ︶5 ︵ る。 霊宝金録斎懺方儀︵擬︶ 撰 人未詳、唐代前期頃のもの。 ﹃正統道蔵﹄未収。 ︵中華道 蔵四十三冊/ 001 号︶ W マ マ B 32 (3 ) 日 本 国 会 図 書 館 蔵 本。 巻 首 は 基 本 的 に 完 備 す るが、引き裂かれた痕跡がある。巻尾はそろえて裁断され て い る。 縦 二 五 ・ 五 セ ン チ メ ー ト ル、 工 筆 楷 書。 首 行 に ﹁ 金 録 晨 夜 十 方 懺 ﹂ の 小 標 題 あ り、 以 下 五 十 三 行 の 経 文 を 存 す。 内 容 は、 霊 宝 金 録 斎 儀 の 懺 悔 文。 ﹁ 大 唐 皇 帝 ﹂ の た めに斎醮を建立し、罪を懺悔し福を祈ることを宣称してい る。第二十五行目以下の文字は、写本ペリオ二九八九の第 一行目から第二十九行目に見える。背面には仏経目録が書 写 さ れ て い る。 ︵ こ の 写 本 は、 大 淵 氏 は 見 て い な い。 方 広 氏から提供された複印本によって著録︶ 以 上 が、 国 立 国 会 図 書 館 所 蔵 の 敦 煌 写 本 WB 32 ‒ 1( 3) つ い て の王卡氏の説明文である。この説明文の最後にあるように、王卡 氏は方広氏から提供された複印本によってこの写本の形状と内 容を知り、ここに著 録されたようである。 ま ず 、 こ の 写 本 の 写 真 を 掲 載 し︵ 図 1 ︶、 そ の 録 文 を 載 せ て お こ ︶6 ︵ う。 ︻ WB 32 ‒ 1( 3) 録文︼ 1 金録晨夜十方懺 2 伏聞三録開図、元陽敷七品之格、五老啓 3 運、真人演八帝之儀。是知太上宣 ママ 遊 ︶7 ︵ 、必佇 4 齋而晏駕、天尊説教、亦資供而迴鸞。伏惟 5 齋功、無乎不被。謹有大唐 皇帝、纂慶 6 紫微、祥雲浮帝座之色、継明皇極、真星朗 7 金鏡之輝。垂衣装而天下安、抱道徳而乾坤 二

(3)

国立国会図書館所蔵の敦煌道教写本

︵神塚︶

図1–‌②

(4)

名古屋大学文学部研究論集 ︵哲学︶ 8 静。猶恐万邦失化、一物有違。迺粛神儀、帰 ︶8 ︵ □ 9 至道、設河図之大醮、建金録之清齋。臣等謹 10為 皇帝、依上元金録簡文明真上宮科 11品、建立黄壇、法天象地、敢披玄蘊、敷露真文、 12并龍璧紋繒、帰命東方無極太上霊宝 13天尊・九気天君・東郷諸霊官。今故立齋、焼 14香燃燈、朗耀諸天。願以是功徳、帰流皇帝七 15廟尊霊、九祖照穆、即得開度、身入光明。願皇 16帝緝成天地、弾壓山川、演道徳而為経、敷 17仁義而成緯。亀龍効祉、鸞鳳呈祥、歳阜 18瓊儲、時和玉燭。胡塵北静、廓鴈海而澄 19波、蛮南清、偃鳶郊而巻霧。三光調理、 20五緯順常、帝道興隆、万姓安楽。今故 云々 21伏聞朱陵渺邈、三気以疑真、丹峙依 俙 ︶9 ︵ 、 22道九炎而演聖。莫不功包六極、開六度以 23延祥、道冠三微、掩三元而薦福。天子修之以 24致化、国祚享之以太平。謹有大唐皇帝、稟 25大道之神器、挺至徳之霊符、系伯陽之仙 26蹤、扇無為以育物、仰慮徳沢 猶闕、政教 27未敷、罔以自寧。恭修斎醮、式憑景、庶獲 28冥扶。臣等謹為 皇帝、依上元金録簡文明 29真陽宮科品、建立黄壇、法天象地、敢披玄蘊、 四 図1–‌③

(5)

国立国会図書館所蔵の敦煌道教写本 ︵神塚︶ 30敷露真文、并龍璧紋繒、帰命南方無極 31太上霊宝天尊・三気天君・南郷諸霊官。今 32故立齋、焼香然燈、朗耀諸天。願以是功徳、帰 33流皇帝七廟尊霊、九祖昭穆、即得開度、身入 34光明。願皇帝承天理地、応聖通神、風雨以時、 35候三農而表、陰陽不爽、順四序以調年。君 36臣叶同徳之誠、遐迩獲乂安之福、日含五色、月 37吐十枝、尉候長消、干戈永、三光調理、五緯 38順常、道興隆、万姓安楽。今故 云々 39伏聞琅玕境内、金門開七気之儀、鬱察山中、 40玉相湛三玄之座。金台王母、高臨太素之庭、 41玉闕真妃、宴衍少陰之府、引含生於浄域、延 42妙祉於都、安国寧家、莫尚金録。謹有大 43唐 皇帝、負図大宝、纂承丕業、則天地而 44育群生、法日月而臨万、猶恐無為之風 45淩替、道徳之化未、不以尊極自高、毎以 46帰依在命。臣等謹為皇帝、依上元金録簡 47文、明真右宮科品、建立黄壇、法天象地、敢披 48玄蘊、敷露真文、并龍 璧紋繒、帰命西 49方無極太上霊宝天尊・七気天君・西郷 50諸霊官。今故立齋、焼香然燈、朗耀諸天。 51願以是功徳、帰流 皇帝七廟尊霊、九祖昭 52穆、即得開度、身入光明。願 皇帝至道格 53於乾坤、深仁冠於上聖、固水幽陵之北、並慕 54淳風、浮石炎火之南、無思不服。国冨千箱︵以下欠︶ こ の 写 本 は、 王 卡 氏 の 説 明 文 に あ る よ う に、 ﹃ 正 統 道 蔵 ﹄ に は これに相当するものは収められていない。しかし、同じく敦煌写 本のスタイン三○七一、ペリオ二九八九と深い関連があることが わかっている。 国会図書館所蔵 WB 32 ‒ 1( 3)とスタイン三○七一、 ペリオ二九八九の三者の関係について、これまでの研究によって 明らかになっていることの要点を箇条書きにすると、次のように なる。 ① WB 32 ‒ 1( 3)は、 ス タ イ ン 三 ○ 七 一 と﹁ 同 一 巻 子 の 両 截 ﹂︵ も ともと同一の巻物であったものが二つに分かれたもの︶であ る。このことは、紙幅、筆跡、紙背に書かれた事 柄などが共 通 する点から言える。ただし、両者は直接連続してはいな ︶10 ︵ い ︵図 2 、図 3 参照︶ 。 ②スタイン三○七一は、ペリオ二九八九︵全部で一九八行の文 が残っている︶の第一一四行目から第一四一行目までに相当 す ︶11 ︵ る。 ③ペリオ二九八九は、 WB 32 ‒ 1( 3)の第二十六行目から始まる。 ペ リ オ 二 九 八 九 の 第 一 六 五 行 目 に は、 ﹁ 金 録 斎 十 方 懺 文 ﹂ と いう標題がある。 五

(6)

名古屋大学文学部研究論集

︵哲学︶

図2 WB32‒1(3) 紙背(国立国会図書館蔵)

(7)

国立国会図書館所蔵の敦煌道教写本 ︵神塚︶ つまり、この三点の写本は、金籙斎儀のうちの﹁十方懺﹂に関 わ る こ と を 記 し た 一 連 の 文 書 の 残 巻 で あ る と 考 え ら れ、 WB 32 ‒ 1( 3)は、 この三点の中では最も初めの部分に当たる。 ﹃中華道蔵﹄ 第 四 十 三 冊 001 号 で は、 WB 32 ‒ 1( 3) ・ ス タ イ ン 三 ○ 七 一・ ペ リ オ 二 九 八 九 の 三 点 の 写 本 の 文 を つ な ぎ 合 わ せ て 合 校 し、 ﹁ 敦 煌 本 霊 宝金籙斎儀書之一﹂という題で収録している。この三点の写本の 関係を図で表すと、図 4 のようになる。 金籙 ︶12 ︵ 斎 と い う の は、 宋 文 明﹁ 通 門 論 ﹂︵ ペ リ オ 二 二 五 六 ︶ に ﹁ 第 七 威 儀 は、 玄 聖 の 述 ぶ る 所 の 法 憲 儀 序、 斎 謝 品 格。 凡 そ 六 条。 第 一 に 金 録 斎。 陰 陽 を 調 和 し、 災 を 消 し 異 を 伏 し、 帝 王 国 主、 福 を 請 い 祚 を 延 ぶ ﹂ と あ り、 ま た、 ﹃ 大 唐 六 典 ﹄ 巻 四 に も ﹁ 金 籙 大 斎。 陰 陽 を 調 和 し、 災 を 消 し 害 を 伏 し、 帝 王 国 土 の 為 に 祚を延べ福を降す﹂とあるように、国家と皇帝の招福を祈願する 目 的 で 行 わ れ る も の で あ る。 道 教 が 重 ん じ ら れ た 唐 代 に お い て は、この金籙斎が盛んに行われ ︶13 ︵ た。 WB 32 ‒ 1( 3) 書 か れ て い る の は、 そ の 金 籙 斎 の 中 の、 晨 夜 に 行われる十方礼拝の一部分で、東方と南方の全文、および西方の 途中までである。以下、スタイン三○七一・ペリオ二九八九を見 る と、 十 方 そ れ ぞ れ に つ い て、 同 じ 形 式 の 文 章 に な っ て い る。 今、 WB 32 ‒ 1( 3)の冒頭の東方の箇所︵二行目から二十行目まで︶ についてだけ、やや詳しく見ておこう。 まず、二行目の﹁伏聞﹂から、五行目の﹁無乎不被﹂までは、 七 図4 WB32‒1(3)・スタイン3071・ペリオ2989の相互関係

(8)

名古屋大学文学部研究論集 ︵哲学︶ 道教の世界観とその中における斎の重要性が述べられており、こ こには、 ﹁三録﹂ ﹁元陽﹂ ﹁七品﹂ ﹁五老﹂ ﹁太上﹂ ﹁天尊﹂など、六 朝時代に道教の教理・儀礼が形成される中で生まれた語彙が用い られている。 続いて、五行目の﹁謹有大唐皇帝﹂から、九行目の﹁建金録之 清 齋 ﹂ ま で は、 ﹁ 大 唐 皇 帝 ﹂ が﹁ 衣 装 を 垂 れ て 天 下 安 ら か に、 道 徳を抱きて乾坤静かなる﹂理想的な治世を行いつつも、なおも教 化が行き届かないことを恐れて、 ﹁至道﹂に帰依し、 ﹁河図の大醮 を 設 け、 金 録 の 清 齋 を 建 ﹂ て る こ と を 述 べ る。 唐 代 に お い て、 ﹁ 河 図 大 醮 ﹂ と あ わ せ て 金 籙 斎 が 行 わ れ た 例 と し て は、 た と え ば、聖暦元年︵六九八︶蠟月二日に、大弘道観主桓道彦らが泰山 で行ったものがある︵ ﹃金石萃編﹄巻五 ︶14 ︵ 三︶ 。 その後、九行目の﹁臣等謹為皇帝﹂から、十五行目の﹁身入光 明﹂までは、 ﹁上元金録簡文明真上宮科品﹂に依って、 ﹁黄壇を建 立 ﹂ し、 ﹁ 真 文 ﹂︵ 霊 宝 五 篇 真 文 ︶ を 敷 き 広 げ 、﹁ 龍 璧 紋 繒 ﹂ な ど 斎 に 必 要 な も の を 整 え た 上 で、 ﹁ 東 方 無 極 太 上 霊 宝 天 尊・ 九 気 天 君・ 東 郷 諸 霊 官 に 帰 命 ﹂ す る こ と が 記 さ れ、 ﹁ 願 わ く は 是 の 功 徳 を以て、皇帝七廟の尊霊に帰流し、九祖照穆、即ちに開度さるる を得、身は光明に入らんことを﹂とあるように、皇帝の亡き祖先 の霊が済度されることを祈る願文が記される。 ついで、十五行目の﹁願皇帝緝成天地﹂から、二十行目の﹁万 姓 安 楽 ﹂ ま で は、 や は り 願 文 で あ る が、 こ こ で は、 ﹁ 道 徳 ﹂﹁ 仁 義﹂を敷き広める皇帝の優れた治世によって、 ﹁亀龍﹂ ﹁鸞鳳﹂が 祥瑞を呈し、南北の果てまで国土全体に平和がもたらされ、自然 の 陰 陽 の 気 が 調 和 し て、 天 体 の 運 行 も 順 調 で、 ﹁ 帝 道 興 隆 し、 万 姓安楽﹂であるようにと祈る内容となっている。これは上述した よ う な 金 籙 斎 の 趣 旨 に 即 し た 内 容 の 願 文 で あ る と 言 え る。 ︵ 二 十 行目の最後の﹁今故 云々 ﹂については後述する︶ と こ ろ で、 WB 32 ‒ 1( 3) 九 行 目 以 下 の 文 は、 よ く 似 た も の が ﹃ 無 上 秘 要 ﹄ 巻 五 三﹁ 金 籙 斎 品 ﹂ に 見 え る。 そ れ は 次 の よ う な 文 である︵傍点は WB 32 ‒ 1( 3)と同じ箇所︶ 。 東 向 九 拝、 言 曰、 天 地 否 激、 陰 陽 相 刑、 四 節 失 和、 祅 災 流 生、星宿錯綜、以告不祥、国土不静、兵病並行。帝王憂惕、 兆民無寧。謹依大法、披露真文 0 0 0 、帰命東方無極天尊 0 0 0 0 0 0 0 0 、已得道 大聖衆、至真諸君丈人、九気天君 0 0 0 0 、東郷諸霊官 0 0 0 0 0 。今故立齋 0 0 0 0 、 披心露形、叩頭自剋、為国謝殃、焼香然燈 0 0 0 0 、照曜諸天 0 0 0 、下映 無極長夜之中九幽之府、開諸光明。以是功徳 0 0 0 0 、為帝王国主、 君臣吏民、解災却患、三 0 景復位、五 0 行順常 0 0 、兵止病癒、国祚 興隆 0 0 、兆民懽泰、人神安 0 寧。今故 0 0 披心、帰命師尊大聖衆、至 真之徳。得道之後、昇入無形、与道合真。 ︵﹃無上秘要﹄巻五 三、六a∼b︶ ﹃ 無 上 秘 要 ﹄ 巻 五 三 に は、 ﹁ 発 炉 ﹂﹁ 上 啓 ﹂﹁ 三 上 香 ﹂﹁ 礼 謝 十 方 ﹂﹁ 復 炉 ﹂ と 続 く 金 籙 斎 の 儀 式 が 記 さ れ て お り、 全 文 が﹁ 洞 玄 明 真 科 経 に 出 づ ﹂ と あ る。 こ れ は、 ﹃ 洞 玄 霊 宝 長 夜 之 府 九 幽 玉 匱 八

(9)

国立国会図書館所蔵の敦煌道教写本 ︵神塚︶ 明真科﹄ ︵﹃正統道蔵﹄第一○五二冊︶の二四b∼三七aに相当し てい ︶15 ︵ る。 言 う ま で も な く、 ﹃ 無 上 秘 要 ﹄ は 六 世 紀 後 半 に 北 周 の 武 帝 の 命 に よ っ て 編 纂 さ れ た 道 教 の 類 書 で あ る。 ﹃ 洞 玄 霊 宝 長 夜 之 府 九 幽 玉 匱 明 真 科 ﹄ は、 陸 修 静 の﹁ 霊 宝 経 目 ﹂︵ ペ リ オ 二 八 六 一 の二、およびペリオ二二五六︶の中にその名が見える、いわゆる 古 霊 宝 経 の 一 つ で あ り、 五 世 紀 頃 に は 成 立 し て い た と 考 え ら れ ︶16 ︵ る。 右 に 挙 げ た﹃ 無 上 秘 要 ﹄ の 文 は、 ﹁ 礼 謝 十 方 ﹂ の 最 初 の﹁ 東 方 ﹂ の 部 分 で あ る。 若 干 の 文 字 の 異 同 は あ る も の の、 ﹃ 洞 玄 霊 宝 長夜之府九幽玉匱明真科﹄三○a∼bにも、これと同じ文が見え る。 右 の 文 中 に 傍 点 で 示 し た よ う に、 WB 32 ‒ 1( 3) 文 は、 ﹃ 無 上 秘 要 ﹄ 巻 五 三﹁ 金 籙 斎 品 ﹂︵ お よ び﹃ 洞 玄 霊 宝 長 夜 之 府 九 幽 玉 匱 明 真 科 ﹄︶ の 文 と 重 な る 所 が 多 い。 WB 32 ‒ 1( 3) 書 か れ た の は 唐 代 の い ず れ か の 時 期 で あ る と 考 え られ ︶17 ︵ る が、 こ れ は 基 本 的 に、 ﹃ 無 上 秘 要 ﹄ 巻 五 三 ﹁ 金 籙 斎 品 ﹂ に 見 え る﹁ 礼 謝 十 方 ﹂ の 願 文 の 様式に沿って書かれていると言え ︶18 ︵ る。 し た が っ て、 WB 32 ‒ 1( 3) 二 十 行 目 の 最 後 に﹁ 今 故 云 々 ﹂ と あ るのは、右に挙げた﹃無上秘要﹄巻五三の最後の﹁今故披心、帰 命師尊大聖衆、至真之徳。得道之後、昇入無形、与道合真﹂と同 じ 内 容 の 文 が 省 略 さ れ た も の と 見 て よ い で あ ろ う。 た だ し、 ﹁ 礼 謝十方﹂の冒頭の﹁東方﹂からいきなり省略形が出るのは、いさ さか不自然な感がある。ちなみに、ペリオ二九八九の後半に記載 さ れ て い る﹁ 金 録 斎 十 方 懺 文 ﹂ は、 最 初 の﹁ 東 方 ﹂ の 末 尾 は、 ﹁ 今 故 焼 香、 自 帰 君 大 聖 至 真 之 徳、 得 道 之 後、 与 真 合 同 ﹂ と あ り、 次 の﹁ 南 方 ﹂ の 末 尾 は、 ﹁ 今 故 云 々 ﹂ と 省 略 形 に な っ て い る。 ま た、 上 記 の 王 卡 氏 の 説 明 文 に も 言 っ て い る よ う に、 WB 32 ‒ 1( 3) の巻首︵一行目の﹁金録晨夜十方懺﹂という標題︶には引き裂か れ た 痕 跡 が あ り︵ 図 1 参 照 ︶、 こ の こ と も、 こ れ に 関 連 し て 気 に か かる。 以 上 の こ と か ら 考 え る と、 WB 32 ‒ 1( 3)は、 も と も と は、 現 存 す る﹁ 東 方 ﹂ の 文 の 前 に も っ と 別 の 文 が あ っ て、 そ こ で は﹁ 今 故﹂以下が省略形ではない形で書かれていた可能性がある。ちな み に、 唐 末 五 代 の 杜 光 庭 が 編 纂 し た﹃ 金 籙 斎 懺 方 儀 ﹄︵ ﹃ 正 統 道 蔵 ﹄ 第 二 六 六 冊 ︶ に は、 ﹁ 東 方 ﹂ よ り も 前 に﹁ 都 懺 ﹂ が 置 か れ て いる。このことから推測すると、 WB 32 ‒ 1( 3)はもともと﹁東方﹂ の文よりも前に﹁都懺﹂に相当する文が書かれていて、そこには ﹁ 今 故 ﹂ 以 下 の 文 が 省 略 形 で は な く 全 部 書 か れ て い た が、 何 ら か の 事 情 で そ の 部 分 が 無 く な り、 の ち に、 ﹁ 金 録 晨 夜 十 方 懺 ﹂ と い う 標 題 が﹁ 東 方 ﹂ の 直 前 に 貼 り 合 わ さ れ た の か も し れ な い。 ﹁ 東 方 ﹂ の 末 尾 が﹁ 今 故 云 々 ﹂ と い う 省 略 形 に な っ て い る 理 由 に つ い て、一つの可能性としてこのようなことが考えられるのである。 王卡氏は、この杜光庭編﹃金籙斎懺方儀﹄と敦煌本﹁霊宝金録 斎 懺 方 儀 ﹂︵ WB 32 ‒ 1( 3) ・ ス タ イ ン 三 ○ 七 一・ ペ リ オ 二 九 八 九 ︶ とは、語彙や文体の面で類似していて、後者は前者の﹁淵源﹂で 九

(10)

名古屋大学文学部研究論集 ︵哲学︶ あると指摘してい ︶19 ︵ る。今、比較のために、杜光庭編﹃金籙斎懺方 儀 ﹄ の﹁ 東 方 ﹂ の 部 分 だ け 挙 げ て お こ う︵ 傍 点 は WB 32 ‒ 1( 3) 同じ箇所。傍線は ﹃無上秘要﹄ 巻五三 ﹁金籙斎品﹂ と同じ箇所︶ 。 臣等伏聞 0 0 、勾芒律応、分淑気於瑶台、青帝令行、扇和風於玉 樹。三光 0 0 煦嫗、九野氤氳。羽皆翔、鱗潜尽躍。凝輝六合、 蠢類昭蘇。流八宏、群生咸泰。有皇帝 0 0 0 0 齎持法信、虔設道 場、披露真文 0 0 0 、奉修斎直。帰命東方無極太上霊宝天尊 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 、九気 0 0 天 君 0 0 、 東 郷 0 0 神 仙 諸 霊 官 0 0 0 。 伏 冀 社 稷 尊 霊 0 0 、 宗 先 聖、 雲 升 三 境、 質 蛻 九 清。 謁 群 帝 於 星 関、 携 列 位 於 天 路。 皇 帝 四 皇 接 軫、六帝斉猷。沢濬東溟、寿隆北極。寰中海外、沐玄休。 有識含生、長承道化。兵戈息、風雨以時。五 0 緯 0 順常 0 0 、兆人 康泰。得道之後、升入無形、与道合真。 ︵﹃金籙斎懺方儀﹄二 a∼b︶ 傍点で示した箇所からわかるように、確かに王卡氏の指摘どお り、 杜 光 庭 編﹃ 金 籙 斎 懺 方 儀 ﹄ の 文 は 、 WB 32 ‒ 1( 3) 類 似 し て い る。 右 に 挙 げ た 部 分 の 外 に も、 ﹃ 金 籙 斎 懺 方 儀 ﹄ の﹁ 都 懺 ﹂ の 冒 頭 に 出 て く る﹁ 伏 聞 元 始 開 図 ﹂︵ 1a ︶ と い う 語 句 は、 WB 32 ‒ 1( 3) 二 行 目 の﹁ 伏 聞 三 録 開 図 ﹂ と い う 語 句 と 似 て い る し、 ﹃ 金 籙 斎 懺 方 儀 ﹄ の﹁ 西 方 ﹂ に 出 て く る﹁ 引 含 生 於 浄 域 ﹂︵ 3 b ︶ と い う 語 句 は、 WB 32 ‒ 1( 3) 四 十 一 行 目 に そ の ま ま 見 え る。 杜 光 庭 編﹃ 金 籙 斎 懺 方 儀 ﹄ が WB 32 ‒ 1( 3) 承 け て 書 か れ た も の で あ ることは十分に考えられよう。それとともに、右の文中に傍線で 示したように、これは、遡れば﹃無上秘要﹄巻五三﹁金籙斎品﹂ の文とも儀礼の枠組みや神名等の面で重なっていることに注目す べきであろう。 以上に述べてきたように、国立国会図書館所蔵の敦煌道教写本 ﹁ 金 録 晨 夜 十 方 懺 残 巻 ﹂ WB 32 ‒ 1( 3)は、 金 籙 斎 儀 の う ち の﹁ 十 方 懺﹂に関わることを記した一連の文書の一部分であり、その内容 は唐代に行われた金籙斎の姿を 伝えている。時代的には、六朝時 代 の﹃無上秘要﹄巻五三﹁金籙斎品﹂ ︵﹃洞玄霊宝長夜之府九幽玉 匱 明 真 科 ﹄︶ と、 唐 末 五 代 の 杜 光 庭 編﹃ 金 籙 斎 懺 方 儀 ﹄ の 中 間 に 位置しており、この時代の同類の文書がほとんど残っていない状 況の中において、この写本の存在は貴重である。 道教叢 マ マ 書残巻 WB32–1 3‌0 この写本については、上述したように、筆者は平成二十四年三 月下旬に王卡氏とともに、国会図書館においてこれを閲覧調査し た。その時には、まだ、そのデジタル画像はネット上に公開され ていなかったが、その二ヶ月余りのちの五月二十八日から、国会 図 書 館 の ウ ェ ブ サ イ ト︵ https://www.ndl.go.jp ︶ で 公 開 が 始 ま っ た。 まず、この写本の形態について記しておく。 写 本 の 大 き さ は、 縦 二 十 三 ・ 五 セ ン チ メ ー ト ル、 横 一 五 五 セ ン 十

(11)

国立国会図書館所蔵の敦煌道教写本 ︵神塚︶ チメートル。黒ずんだ黄紙。首尾残欠。巻尾はそろえて裁断され ている。九十四行にわたって項目別に道経からの引用文が書かれ ている。紙背には、上下逆に、仏教の願文が書かれているが、そ の上端・下端は裁断され、文字が欠けている。 こ の 写 本 を 収 め る 箱 の 蓋 の 表 に は、 ﹁ 六 朝 人 写 道 教 叢 書 残 巻 宝宋室﹂とあり、蓋の裏には次のような文が書かれている。 是巻出自燉煌。北平估人云、再三考究、係脩文御覧残編。 然質諸吾友神田喜一郎君、云所引均道書、恐是当時道 教叢書之一種。且所引書中、有今亡佚、唯存目者、殊可宝 貴也。今題匣従其説焉。 癸酉夏日 宝宋室主人得此於江戸並誌。 箱 書 の 日 付 の﹁ 癸 酉 ﹂ は 一 九 三 三 年、 ﹁ 宝 宋 室 主 人 ﹂ と は 台 湾 の実業家であり骨董収集でも知られる林熊光氏︵一八九七∼一九 七一︶であ ︶20 ︵ る。箱書によれば、この写本は敦煌から出土したもの で、北京の商人はこれを﹁脩文御覧残編﹂と言っていたが、林氏 が 友人の神田喜一郎氏︵一八九七∼一九八四︶に質したところ、 神田氏は﹁引く所は均しく道書、恐らくは是れ当時の道教叢書の 一種なり。且つ引く所の書中、今は亡佚し、唯だ存目するのみな る者有り、殊に宝貴すべきなり﹂と言ったので、その説に従った という。後述するように、この写本は内容から見て、道教の類書 の 一 つ で あ る か ら、 ﹁ 道 教 叢 書 ﹂ と い う 題 は あ ま り 適 切 で は な い と思われるが、神田氏がこの写本について評した言葉は、正しく 的を射ている。国会図書館古典籍資料室の話では、この写本を国 会図書館が受け入れたのは、昭和三十八年三月二十九日とのこと である。 それでは、国会図書館のウェブサイトから、この写本の画像を 転載し︵図 5 ︶、その録文を載せておく。 ︻ WB 32 ‒ 1( 30 ) 録文︼ 1 □□□□□□□属以龍為君長 2 □□□□□□□□?人日入海則有神王 3 居焉又龍王鬼神治其清淵矣。並由人生時 4 学業深浅、功徳大小、計品受、今之報矣 。 5 五符経云、爾乃龍眄虚空、変︵鸞の誤りか?︶翔雲端。 6 又云、白龍銜芝草而啓騰、雲︵霊の誤りか?︶真降素醴而沾 7 濡。 8 老子歷蔵中経云、道君時乗六龍以御天。 9 太上説玉京山経云、飛龍躑躅鳴、神鳳応節 10吟。 11老子道徳経云、静為躁君。河上公注曰、龍静 12故能化、虎躁故夭虧。 13霊宝衆篇序経云、天真皇人曰、壬子之初、乙 14卯之年、至甲子之旬、当有青帝九種仙人乗 15九色之龍、出遊太山、此真経、以掃不祥。 十一

(12)

名古屋大学文学部研究論集

︵哲学︶

十二

図5–‌① WB32‒1(30) 道教叢マ マ書残巻箱書(国立国会図書館蔵)

(13)

国立国会図書館所蔵の敦煌道教写本

︵神塚︶

十三

図5–‌③

(14)

名古屋大学文学部研究論集

︵哲学︶

十四

図5–‌⑤

(15)

国立国会図書館所蔵の敦煌道教写本 ︵神塚︶ 16仙公内伝云、老子乗金輪宝車、明光華蓋、驂 17駕九龍。 18霊宝赤書経云、欲使東郷安鎮、当赤書青石 19上 今釈書青 帝真符 、鎮於東方、災自消滅。一方仁人蒼龍 20来翔、善瑞自至、国土太平。 21大洞真経云、太上道君高詠玉清、蒼龍仰 㘁 22叢雲鬱生。 23外国放品経云、皇上耀霊、玉華匡龍、六轡超 24虚、逍遙太空、携契八真、合懽天王、流眄紫霄、 25歴運无窮。 26元始変化亀山元録経云、九光神龍。 27後聖九玄道君列紀云、玄龍。 28元始変化亀山元録経云、九色蒼龍。 29本行経云、五色飛龍。 30廿四生図経云、九色玄龍。 31虬 32金録簡文経云、前嘯九鳳、後吹八鸞、白虬啓 33道、太極参軒。 34金真玉光経云、太上道君位登至上、洞遊玉 35清、金仙輔翼、五帝侍霊、啓命事悉、雲輪騁蓋、 36飛虬整駕、龍超霄際、倏頃之間、億仙立会、瓊 37輿碧輦、流精蓊藹、衆吹雲歌、鳳鳴鸞邁、交烟 38互集、俳玄泰、蕭蕭太霞之上、放浪无崖之 39外、 各反玉虚之館、豁若霊風之運炁。 40五符経云、爾乃虬歩八域、上昇雲路、超群華以 41淩眄、挹天炁以自渡。 42蛟 43太平経云、愚民竭水而漁、蛟龍為不見。 44五符経云、但抱霊宝符入水赴淵、則北帝開 45路、蛟龍衛従、水精震怖、長生久視、永享天祚。 46蠄 47智慧罪根経云、元始天尊、是時当授太上道 48君 智 慧 罪 根 上 品 妙 経、 三 景 斉 照、 諸 天 光 明、 阿︵ 河 の 誤 り か?︶海静嘿、 49山岳蔵烟、龍 蠄 踊躍、人神歓欣、生死同休、福慶普隆。 50亀 51太平経云、有甲者以神亀為君長。 52又云、太陰之精為亀、匿於淵源之中也。 53昇玄経云、太上大道君坐宝蓮華神亀。 54老君歷蔵中経云、大海中有神亀、上有八星、北 55斗在中、其亀黄色、状如黄金。 56 57老子西昇経云、老子曰、道以无為上、徳以仁 58為主、礼以義為謙、施以恩為久、恵以利為先、 十五

(16)

名古屋大学文学部研究論集 ︵哲学︶ 59信以効為首、偽世亦有之、雖有以相誘。是以 60知世薄華飾以相拊、言出飛龍前、行跛後。 61又云、深淵河海、非欲於魚鮫龍、魚鮫 62龍自来帰之。人虚空无為、非欲於道、道自帰 63之。魚。 64老子西昇経云、老子曰、人在道中、道在人中。 65魚在水中、水在魚中。道去身人死、水乾魚終。 66三元真一経云、仙人涓子授蘇林守三元真 67一之道、告林曰、吾少餌朮、接食其精、精思感 68虚、多獲霊応、曽撫綸河川、放釣睪沢、忽見東 69海小童、乗雲龍之車、浮水而来、告我曰、子懃 70心至道、外假戈釣餌而不懸養生全也。若後 71獲鯉魚者、可試剖之也。後果得鯉魚而剖之、 72乃於腹中得一青玉函、発開視之、乃是金闕 73帝君所守三元真一之法。於是我奉而修行 74能興雲起雨、乗虚上清。 75三皇経云、海中有大魚甚多。第一者身長四 76千里。第二者身長八千里。第三者身長九千 77里。第四者身長万里。第五者身長一万六千里。 78第六者身長二万里 。第七者身長二万八千里。 79蚌 80老子道徳経云、名可名、非常名。河上公注曰、非 81自然常在之名、常名当如孾児之未言、鶏子未 82之分、明珠在蚌中、美玉處石間、内雖照照、外如 83愚頑也 出上 巻 。 84幽対玄司品 85捴序幽対 86明真科経云、上智童子前進作礼、上白天尊、 87不審今所普見无極世界、地獄悉何因縁所 88従而来、生世何縁、死受鎖械、幽閉三光。今見 89地獄之中、有如此輩、生何所犯而受斯対、魂 90神苦痛、乃至如此。天尊於是命召十方飛天 91神人、披長夜之府九幽玉匱、出明真科律以度 92童子。是時諸天大聖、无極尊神、神仙玉女、无鞅 93数衆、不可勝計、同時詣坐、天灑香華、神龍 94妓楽、飛歌四暢、瓊音流逸、天炁清、澄無 この写本は全部で九十四行の文が見えるが、最初から八十三行 目までの部分と、八十四行目以下の部分に大きく分かれる。八十 三行目までの部分では、 ﹁虬﹂ ﹁蛟﹂ ﹁ 蠄 ﹂﹁亀﹂ ﹁﹂ ﹁蚌﹂などの 項目が立て られて、道経の中から各項目に見合った文が引用され て いる。巻首は残欠して、何の項目であるかを記した部分は残っ ていないが、その内容から見て、三十行目までは﹁龍﹂の項目で あっただろうと推測できる。また、六十三行目の﹁魚﹂の字は項 十六

(17)

国立国会図書館所蔵の敦煌道教写本 ︵神塚︶ 目 を 表 し て い て、 正 し く は 改 行 す べ き も の で あ っ た と 考 え ら れ る。 し た が っ て、 最 初 か ら 八 十 三 行 目 ま で は、 ﹁ 龍 ﹂﹁ 虬 ﹂﹁ 蛟 ﹂ ﹁ 蠄 ﹂﹁ 亀 ﹂﹁ ﹂﹁ 魚 ﹂﹁ 蚌 ﹂ の 順 で 項 目 が 立 て ら れ、 道 経 の 中 か らその用例を取り出した類書であることがわかる。 この項目の順序は、一般の類書のそれとよく似ている。たとえ ば、唐代初めに編纂された﹃芸文類聚﹄では、巻九十六﹁鱗介部 上 ﹂ に﹁ 龍 ﹂﹁ 蛟 ﹂﹁ ﹂﹁ 亀 ﹂﹁ ﹂﹁ 魚 ﹂ の 項 目、 巻 九 十 七﹁ 鱗 介 部 下 ﹂ に﹁ 螺 ﹂﹁ 蚌 ﹂﹁ 蛤 ﹂﹁ 蛤 蜊 ﹂﹁ 烏 賊 ﹂﹁ 石 劫 ﹂ の 項 目 が 立 てられ、この順序で並べられている。のちの﹃太平御覧﹄でも、 巻 九 二 九 か ら 巻 九 四 三 の﹁ 鱗 介 部 ﹂ は、 ﹁ 龍 ﹂﹁ 蛟 ﹂﹁ 蠄 ﹂﹁ 亀 ﹂ ﹁﹂の項目順で始まり、 ﹁魚﹂の項目の中にはさらに多数の小項 目 が 立 て ら れ、 そ の あ と、 ﹁ 蚌 ﹂ の 項 目 が 出 て く る。 つ ま り、 八 十 三 行 目 ま で の 形 式 に 限 っ て 言 え ば、 WB 32 ‒ 1( 30 ) は、 ﹃ 芸 文 類 聚﹄など一般の類書と同じ方式で項目 が立てられた類書であった と 言える。箱書にあったように、これを﹁脩文御覧残編﹂と見る 人がいたのはそのためであろう。しかし、神田喜一郎氏の指摘ど おり、ここに記されているのは道教関係の書物からの引用文ばか りであり、明らかに道教の類書として編纂されたものである。 六朝隋唐時代の道教類書としては、現在、完全ではないがほぼ その姿をうかがうことのできるものとして、北周の武帝の命で編 纂 さ れ た﹃ 無 上 秘 要 ﹄、 唐 の 高 宗・ 武 后 期 に 王 懸 河 に よ っ て 編 纂 さ れ た﹃ 三 洞 珠 嚢 ﹄﹃ 上 清 道 類 事 相 ﹄ な ど が あ る。 ま た、 唐 の 玄 宗 期 編 纂 の﹃ 大 道 通 玄 要 ﹄ も、 ﹃ 正 統 道 蔵 ﹄ に は 収 め ら れ て い な いが、敦煌写本によって部分的に残ってい ︶21 ︵ る。これらはいずれも ﹁ ○ ○ 品 ﹂ と い う 形 で 編 成 さ れ、 そ の 項 目 の 配 列 順 に は、 麥 谷 邦 夫氏が指摘されたように、道教独自の宇宙観と教理体系が色濃く 反映されてい ︶22 ︵ る。 これら六朝隋唐時代の道教類書と比べると、少なくとも八十三 行 目 ま で を 見 る 限 り で は 、 WB 32 ‒ 1( 30 ) は、 道 教 以 外 の 一 般 の 類 書の構成に近いという点で、道教の類書としてはやや異例である と言えよう。しかし、八十三行目までは、いわゆる鱗介類につい ての記載だけであり、もともとこの書物が全体としてどのような 構成になっていたのかは、これだけではよくわからない。 この書物の全体の構成について考える手がかりを与えてくれる のが、八十四行目と八十五行目である。八十四行目の﹁幽対玄司 品﹂と八十五行目の﹁捴序幽対﹂という文字は、この写本がペリ オ二四四三ともともと同一の書物を書写したものであったことを 示唆している。このことについては、後に詳しく述べることにし たい。 さ て、 WB 32 ‒ 1( 30 ) に は、 経 典 名 を 明 記 す る も の と し て 二 十 二 種三十二件、道経からの引用文が見え、その他に、経典名は欠け て い る が、 引 用 文 の 内 容 か ら 経 典 名 が 推 測 で き る も の が 二 件 あ り、 引 用 文 は の べ 三 十 四 件 に な る 。 こ こ に 引 用 さ れ た 文 は、 ﹃ 正 統道蔵﹄本等と比べてどのようなことが言えるのであろうか。そ 十七

(18)

名古屋大学文学部研究論集 ︵哲学︶ れ を 確 認 す る た め に、 ﹃ 正 統 道 蔵 ﹄ 本 等 の 対 応 す る 箇 所 を 書 き 出 しておきたい。 ﹃ 正 統 道 蔵 ﹄ 本 等 と の 対 照︵ WB 32 ‒ 1( 30 ) と 比 べ て 異 同 の あ る 文 字には○印をつけた︶ ①︵ 1 行目︶経典名欠 ﹃太平経﹄巻九十三︵ ﹃太平経合校﹄ 384頁︶ ﹁︵有鱗之︶属以龍為 君長﹂ ②︵ 2 行目∼ 4 行目︶経典名欠 ﹃太上洞玄霊宝本行宿縁経﹄ 15a∼b ︵﹃正統道蔵﹄ 第七五八冊︶ ﹁ 水 亦 有 神 8 8 8 8 。 入 海 則 有 神 王 居 焉。 ⋮⋮ 又 龍 王 鬼 神 治 其 清 淵 矣。 ⋮⋮並由人生時而 8 学行 8 業深浅、功徳大小、計品受今之報也 8 ﹂ ③︵ 5 行目︶五符経云 ﹃ 太 上 霊 宝 五 符 序 ﹄ 巻 上 12b︵ ﹃ 正 統 道 蔵 ﹄ 第 一 八 三 冊 ︶﹁ 爾 乃 龍盻 8 虚空、鸞 8 翔雲端﹂ ④︵ 6 行目∼ 7 行目︶又云 ﹃ 太 上 霊 宝 五 符 序 ﹄ 巻 上 13b︵ ﹃ 正 統 道 蔵 ﹄ 第 一 八 三 冊 ︶﹁ 白 龍 銜芝草而啓騰、霊真降素醴而霑 ﹂ ⑤︵ 8 行目︶老子歴蔵中経云 ﹃太上老君中経﹄巻上 4 a︵ ﹃正統道蔵﹄第八三四冊︶ ﹁︵道君︶ ⋮⋮時乗六龍以御天﹂ ⑥︵ 9 行目∼ 10行目︶太上説玉京山経云 ﹃ 洞 玄 霊 宝 玉 京 山 歩 虚 経 ﹄ 4 b︵ ﹃ 正 統 道 蔵 ﹄ 第 一 ○ 五 九 冊 ︶ ﹁飛龍躑躅鳴、神鳳応節吟﹂ ⑦︵ 11行目∼ 12行目︶老子道徳経云および河上公注 ﹃ 老 子 道 徳 経 ﹄ 第 二 十 六 章﹁ 静 為 躁 君 ﹂。 河 上 公 注﹁ 龍 静 故 能 化、虎躁故夭虧﹂ ⑧︵ 13行目∼ 15行目︶霊宝衆篇序経云 ﹃ 太 上 洞 玄 霊 宝 諸 天 内 音 玉 字 ﹄ 巻 四 24b︵ ﹃ 正 統 道 蔵 ﹄ 第 四 九 冊︶ ﹁︵天真皇人曰︶⋮⋮壬子之初、乙卯之年、至甲子之旬、当 有青帝九種仙人乗九色之龍、出遊泰山、此真経、以掃不祥﹂ ⑨︵ 16行目∼ 17行目︶仙公内伝 未詳 ⑩︵ 18行目∼ 20行目︶霊宝赤書経云 ﹃元始五老赤書玉篇真文天書経﹄巻上 39b∼ 40a︵ ﹃正統道蔵﹄ 第 二 六 冊 ︶﹁ 欲 使 東 郷 安 鎮、 当 赤 書 青 石 上、 鎮 東 方 九 日 8 8 、 災 自 滅、凶逆 8 8 自消。一方仁人蒼龍来翔、善瑞自至、国土太平﹂ ⑪︵ 21行目∼ 22行目︶大洞真経云 ﹃上清高聖太上大道君洞真金元八素玉録﹄ 7 b∼ 8 a︵ ﹃正統道 蔵﹄ 第一○四五冊︶ ﹁高詠玉清、⋮⋮蒼龍仰 嗥 、叢雲鬱生﹂ ⑫︵ 23行目∼ 25行目︶外国放品経云 ﹃ 上 清 外 国 放 品 青 童 内 文 ﹄ 巻 下 15b︵ ﹃ 正 統 道 蔵 ﹄ 第 一 ○ 四 一 冊 ︶﹁ 皇 上 耀 霊、 玉 華 匡 龍、 六 轡 超 虚、 逍 遙 太 空、 携 契 八 真、 合懽天王、流眄紫霄、歴運无窮﹂ 十八

(19)

国立国会図書館所蔵の敦煌道教写本 ︵神塚︶ ⑬︵ 26行目︶元始変化亀山元録経云 ﹃上清元始変化宝真上経九霊太妙亀山玄籙﹄巻下 50b︵ ﹃正統道 蔵﹄第一○四八冊︶ ﹁九光神龍﹂ ⑭︵ 27行目︶後聖九玄道君列紀云 ﹃上清後聖道君列紀﹄ 3 a︵ ﹃正統道蔵﹄第一九八冊︶ ﹁玄龍﹂ ⑮︵ 28行目︶元始変化亀山元録経云 ﹃上清元始変化宝真上経九霊太妙亀山玄籙﹄巻上 29b︵ ﹃正統道 蔵﹄第一○四七冊︶ ﹁九色蒼龍﹂ ⑯︵ 29行目︶本行経云 ﹃雲笈七籖﹄巻一○一 10b洞玄本行経﹁五色飛龍﹂ ⑰︵ 30行目︶廿四生図経云 ﹃ 洞 玄 霊 宝 二 十 四 図 経 ﹄ 3 a︵ ﹃ 正 統 道 蔵 ﹄ 第 一 ○ 五 一 冊 ︶﹁ 九 色玄龍﹂ ⑱︵ 32行目∼ 33行目︶金録簡文経云 ﹃ 上 清 太 上 八 素 真 経 ﹄ 5 b︵ ﹃ 正 統 道 蔵 ﹄ 第 一 九 四 冊 ︶﹁ 前 嘯 九 鳳、後吹八鸞、白虬啓道、太極驂 8 軒﹂ ⑲︵ 34行目∼ 39行目︶金真玉光経云 ﹃上清金真玉光八景飛経﹄ 2 b∼ 3 a︵ ﹃正統道蔵﹄第一○四二 冊 ︶﹁ 太 上 大 道 君 ⋮⋮ 位 登 至 上、 洞 遊 玉 清、 金 仙 輔 翼、 五 帝 衛 8 霊、啓命事悉、雲輪騁蓋、飛虬整駕、龍超霄際、倏頃之間、億 仙 立 会、 瓊 輪 8 碧 輦、 流 精 蓊 藹、 衆 吹 雲 歌、 鳳 鳴 鸞 邁、 交 煙 互 集、俳玄太、蕭蕭非 8 太霞之上、放浪於 8 无涯之外、各返 8 玉虚之 館、豁若霊風之運炁﹂ ⑳︵ 40行目∼ 41行目︶五符経云 ﹃ 太 上 霊 宝 五 符 序 ﹄ 巻 上 13b︵ ﹃ 正 統 道 蔵 ﹄ 第 一 八 三 冊 ︶﹁ 爾 乃 虬歩八域、上昇雲路、超群萃 8 以淩眄、挹天気以自度﹂ ︵ 43行目︶太平経云 ﹃ 太 平 経 ﹄ 巻 八 六︵ ﹃ 太 平 経 合 校 ﹄ 322頁 ︶﹁ 比 若 愚 民 竭 水 而 漁、 蛟龍為不見﹂ ︵ 44行目∼ 45行目︶五符経云 ﹃太上霊宝五符序﹄巻下 2 b∼ 3 a︵ ﹃正統道蔵﹄第一八三冊︶ ﹁ 但 抱 霊 宝 符 入 水 赴 淵、 則 北 帝 開 路、 蛟 龍 衛 従、 水 精 震 怖、 長 生久視、永享天祚﹂ ︵ 47行目∼ 49行目︶智慧罪根経云 ﹃太上洞玄霊宝智慧罪根上品大戒経﹄巻上 1 b∼ 2 a︵ ﹃正統道 蔵 ﹄ 第 二 ○ 二 冊 ︶﹁ 元 始 天 尊、 是 時 当 授 太 上 道 君 智 慧 罪 根 上 品 戒経、⋮⋮照諸天光明、河海静黙、山嶽蔵煙、龍 蠄 踊躍 、人神 歓 欣、生死同休、福慶普隆﹂ ︵ 51行目︶太平経云 ﹃太平経﹄ 巻九三 ︵﹃太平経合校﹄ 384頁︶ ﹁有甲者以神亀為君長﹂ ︵ 52行目︶又云 未詳 ︵ 53行目︶昇玄経云 未詳 十九

(20)

名古屋大学文学部研究論集 ︵哲学︶ ︵ 54行目∼ 55行目︶老君歷蔵中経云 ﹃ 太 上 老 君 中 経 ﹄ 巻 上 15a︵ ﹃ 正 統 道 蔵 ﹄ 第 八 三 九 冊 ︶﹁ 大 海 中 有神亀、神亀 8 8 上有七 8 星、北斗正 8 在中央 8 、其亀黄色、状如黄金﹂ ︵ 57行目∼ 61行目︶老子西昇経云 ﹃ 西 昇 経 ﹄ 巻 中 1 a ∼ 2 a︵ ﹃ 正 統 道 蔵 ﹄ 第 三 四 六 冊 ︶﹁ 老 君 8 曰、⋮⋮道以無為上、徳以仁為主、礼以義為謙、施以恩為友、 恵以利為先、信以効為首、偽世亦有之、雖有以相誘。是以知世 薄華飾以相拊。言出飛龍前、行在 8 跛後﹂ ︵ 61行目∼ 63行目︶又云 ﹃ 西 昇 経 ﹄ 巻 下 18b︵ ﹃ 正 統 道 蔵 ﹄ 第 三 四 七 冊 ︶﹁ 深 淵 河 海、 非 欲於魚蛟 8 龍、魚蛟龍自来帰之。人能 8 虚空無為、非欲於道、 道自帰之﹂ ︵ 64行目︶老子西昇経云 ﹃ 西 昇 経 ﹄ 巻 下 12a︵ ﹃ 正 統 道 蔵 ﹄ 第 三 四 七 冊 ︶﹁ 老 君 8 曰、 人 在 道中、道在人中。魚在水中、水在魚中。道去人死、水乾魚終﹂ ︵ 66行目∼ 74行目︶三元真一経云 未詳 *﹃ 紫 陽 真 人 内 伝 ﹄ 13a︵ ﹃ 正 統 道 蔵 ﹄ 第 一 五 二 冊 ︶﹁ 涓 子 ⋮ ⋮ 少 好 8 餌朮、接食其精、精思感天 8 、後釣於河沢 8 8 8 8 8 、見東海小童、語之 8 8 曰 8 、釣 8 得鯉者、剖之、後果得而剖魚腹、獲金闕帝君守三元真一 之法。於是⋮⋮﹂ ︵ 75行目∼ 78行目︶三皇経云 未詳 ︵ 80行目∼ 83行目︶老子道徳経云 ﹃老子道徳経﹄第一章﹁名可名、非常名﹂ 。河上公注﹁非自然常 在之名。常名当如嬰児之未言、鶏子之未 8 8 分、明珠在蚌中、美玉 處石間、内雖昭昭、外如愚頑﹂ ︵ 86行目∼ 94行目︶明真科経云 ﹃洞玄霊宝長夜之府九幽玉匱明真科﹄ 2 a∼ 3 b︵ ﹃正統道蔵﹄ 第 一 ○ 五 二 冊 ︶﹁ 上 智 童 子 前 進 作 礼、 長 跪 稽 首 8 8 8 8 、 上 白 天 尊 言 8 、 不審今所普見諸天福堂及 8 8 8 8 8 无極世界、地獄之中善悪報応 8 8 8 8 8 8 、悉何因 縁 所 従 而 来、 生 世 何 修 而 得 飛 行 逍 遙 8 8 8 8 8 8 8 ⋮⋮、 死 受 鎖 械、 幽 閉 三 光。⋮⋮今見地獄之中、有如此輩。生何所犯而受斯対、魂神苦 痛、乃至如此。⋮⋮天尊於是命召十方飛天神人、披長夜之府九 幽玉匱、出明真科律、以度童子。是時諸 天大聖、无極尊神、神 仙 玉 女 、 無 鞅 数 衆、 不 可 勝 計、 同 時 詣 座 8 、 天 洒 香 華、 神 龍 伎 8 楽、飛歌四暢、瓊音流逸、天気清、澄無⋮⋮﹂ 以 上、 WB 32 ‒ 1( 30 ) に 書 か れ た 道 経 の 引 用 文 と﹃ 正 統 道 蔵 ﹄ 本 等との対応関係を記した。対応関係が未詳のものも数件あるが、 対 応 が 確 認 で き る も の に つ い て 言 え ば、 WB 32 ‒ 1( 30 ) の 引 用 文 は、若干の文字の相異があったり、省略の部分があったりはする も の の、 ﹃ 正 統 道 蔵 ﹄ 本 等 の テ キ ス ト と 総 じ て よ く 合 っ て い る。 ここに引用された、のべ三十四件の道経の内訳は、上清経に分類 二十

(21)

国立国会図書館所蔵の敦煌道教写本 ︵神塚︶ さ れ る も の が 八 件︵ ⑪ ⑫ ⑬ ⑭ ⑮ ⑱ ⑲ ︶、 陸 修 静 の﹁ 霊 宝 経 目 ﹂ に名前が見える、いわゆる古霊宝経が五符経の四件︵③④⑳︶ 以外に六件︵②⑥⑩⑰︶の合計十件、太平経が四件︵① ︶ 、老子西昇経が三件︵︶ 、老子歴蔵中経︵⑤︶と老子 道 徳 経︵ ⑦ ︶ が そ れ ぞ れ 二 件、 霊 宝 衆 篇 序 経︵ ⑧ ︶ 仙 公 内 伝 ︵ ⑨ ︶ 本 行 経︵ ⑯ ︶ 昇 玄 経︵ ︶ 三 皇 経︵ ︶ が そ れ ぞ れ 一 件 で ある。いずれも六朝時代末までには成立していたと考えられる道 経である。上清経と古霊宝経がほぼ同じ件数、引用されているこ と、 ま た、 太 平 経 の 引 用 が 比 較 的 多 い こ と、 ﹁ 老 子 ﹂ を 冠 す る 道 経が少なくないことなどが注目される。 な お、 霊 宝 衆 篇 序 経︵ ⑧ ︶ は、 ﹁ 霊 宝 中 盟 経 目 ﹂︵ ﹃ 洞 玄 霊 宝 三 洞奉道科戒営始﹄巻四 9 b︶に﹁衆経序一巻﹂と見えるもので、 ﹃ 正 統 道 蔵 ﹄ に は 収 め ら れ て い な い が、 敦 煌 写 本 に 数 点 こ れ を 書 写したものが見つかっており、三種の霊宝経の序文を抜粋したも のである ことがわかってい ︶23 ︵ る。三種の霊宝経のうちの一つが﹁霊 宝諸天内音玉字﹂で、これは﹃正統道蔵﹄所収の﹃太上洞玄霊宝 諸天内音玉字﹄巻三・巻四に相当する。右には、⑧︵ 13行目∼ 15 行 目 ︶ 霊 宝 衆 篇 序 経 の 対 応 箇 所 と し て、 ﹃ 太 上 洞 玄 霊 宝 諸 天 内 音 玉字﹄巻四の文を挙げたが、敦煌写本﹁霊宝衆篇序経﹂では、ス タイン六六五九︵その三五六行目から三五八行目︶と京都国立博 物館所蔵本二五三にも同じ文が見え ︶24 ︵ る。 上 述 の よ う に、 WB 32 ‒ 1( 30 ) は、 道 教 の 類 書 と し て は や や 異 例 の、 一 般 の 類 書 の 構 成 に 近 い 面 を 持 っ て い る。 WB 32 ‒ 1( 30 ) が 一 体、どのような道教類書の一部分であるのか、それを考える手が かりになるのが、敦煌写本ペリオ二四四三である。本稿の冒頭に 述 べ た よ う に、 王 卡 氏 は WB 32 ‒ 1( 30 ) を 見 て、 こ れ が ペ リ オ 二 四 四三と同一の書物からの書写である可能性が高いことを指摘され た。 ペリオ二四四三については、 すでに大淵忍爾氏の﹃敦煌道経﹄ に ﹁経名未詳道経類書其二﹂として収録され、その写真も紹介さ れてい ︶25 ︵ る。また、これも冒頭に述べたように、王卡氏の﹃敦煌道 教 文 献 研 究 │ 綜 述・ 目 録・ 索 引 ﹄ で は、 ﹁ 失 題 道 教 類 書 ﹂ 八 件 の う ち の 一 つ と し て 挙 げ ら れ て お り、 そ の 録 文 は す で に、 ﹃ 中 華 道 蔵 ﹄ 第 二 十 八 冊 003 号﹁ 敦 煌 失 題 道 教 類 書 七 種 ﹂ の 第 七 に 掲 載 さ れ て い る︵ 蒋 力 生 点 校 ︶。 今、 WB 32 ‒ 1( 30 ) と 比 較 す る た め に、 その写真︵図 6 ︶と録文を挙げておこう。 ︻ペリオ二四四三 録文︼ 1 延人主、行合此戒、天虎出現、現則天下太平。 2 天馬 3 太極真人飛仙宝剣上経云、天馬者、吉光騰 4 黄之獣也。 5 空洞霊章経云、大明玉完天帝章曰、天馬運 6 東井、長源無巨沙。 二十一

(22)

名古屋大学文学部研究論集

︵哲学︶

二十二

(23)

国立国会図書館所蔵の敦煌道教写本 ︵神塚︶ 7 太元真人茅君内伝云、南岳上真人、西城王君、 8 亀山王母、方諸青童、並乗緑景之輿、轡神虎 9 之 軿 、天馬万騎、飛龍千群、金蓋雲渟、紫旗儛 10空、天光赫、冥景煥繁、同造盈於句曲之山。 11太一帝君天魂内変経云、駿馬者、乃神龍之祖 12也。 13霊書紫文経云、上清金闕中有四天帝君、其 14後聖君処其左。飛馬奔雀、大翅之鳥、叩喙□ 15爪、陣于広庭。 16五符経云、帝既執中而尸天下、日月所照、 17風雨所至、莫不従助、捴得天地之心、其時有 18天人神真之官降之、乗宝蓋玄車而御九龍、 19策雲馬而発天窓。 20太上揮神詩云、運璣漢道、煥煥動華瓊、万 21神騰朱馬、千魔無暇生。 22老子道徳経云、天下有道、却走馬以糞、天下无 23道、戎馬生於郊。 24畜生水族品 25序水族 26老子本生経云、老子曰、水族衆雑類、倶生波 27埿中、而其受宿行、坐法各不同。或 ︶26 ︵ 因潤湿炁 28胎化无限窮、臣身居大海、七宝厳荘宮、神 29龍自在力、輪駕太虚中、鯨鯢舟航、鼇冠山峯、 30聖智具 ︶27 ︵ 成□、現作亀魚容、引導漯生輩、白日 31遊九重。 ペリオ二四四三は三十一行にわたるが、その二行目の﹁天馬﹂ と 二 十 四 行 目 の﹁ 畜 生 水 族 品 ﹂、 お よ び、 二 十 五 行 目 の﹁ 序 水 族﹂が、類書の項目名にあたる。大淵忍爾氏と王卡氏がともに指 摘しているように、一行目以前の部分の項目は﹁天虎﹂であった と 推 測 で き る。 引 用 文 で 経 典 名 が 挙 が っ て い る の は 九 件 あ る。 WB 32 ‒ 1( 30 ) と 同 様 に、 ペ リ オ 二 四 四 三 に つ い て も﹃ 正 統 道 蔵 ﹄ 本等の対応する箇所を書き出しおこう。 ﹃正統道蔵﹄本等との対照 ①︵ 1 行目︶経典名欠 未詳 ②︵ 3 行目∼ 4行目︶太極真人飛仙宝剣上経云 ﹃雲笈七籖﹄巻八四 7 b﹁尸解次第事迹法度﹂ ﹁天馬者、吉光騰 黄之獣也﹂ ③︵ 5行目∼ 7行目︶空洞霊章経云 ﹃ 無 上 秘 要 ﹄巻 二 九 2 a︵ ﹃ 正 統 道 蔵 ﹄ 第 七 七 一 冊 ︶﹁ 大 明 玉 完 天 頌 8 、⋮⋮天馬運東井、長源无巨沙。⋮⋮右出洞玄空洞霊章経﹂ ④︵ 7行目∼ 10行目︶太元真人茅君内伝云 二十三

(24)

名古屋大学文学部研究論集 ︵哲学︶ 未詳 *﹃ 茅 山 志 ﹄ 巻 五 10b︵ ﹃ 正 統 道 蔵 ﹄ 第 一 五 三 冊 ︶﹁ 南 岳 赤 8 真 人、 西城王君、亀山王母、方諸青童君 8 、同造君于 8 8 山中 8 ﹂ *﹃雲笈七籖﹄巻一一四 14a﹁西王母伝﹂ ﹁南岳真人赤君 8 8 、西城王 君、方諸青童、並従王母降於茅盈之室 8 8 8 8 8 8 8 8 8 ﹂ ⑤︵ 11行目∼ 12行目︶太一帝君天魂内変経云 未詳 ⑥︵ 13行目∼ 15行目︶霊書紫文経云 ﹃皇天上清金闕帝君霊書紫文上経﹄ 1 a︵ ﹃正統道蔵﹄第三四二 冊 ︶﹁ 金 闕 中 有 四 帝 君 8 8 8 、 其 後 聖 君 処 其 左。 ⋮⋮ 飛 馬 奔 雀、 大 翅 之鳥、叩喙奮 8 爪、陣于広庭﹂ ⑦︵ 16行目∼ 19行目︶五符経云 ﹃ 太 上 霊 宝 五 符 序 ﹄ 巻 上 3 a ∼ b︵ ﹃ 正 統 道 蔵 ﹄ 第 一 八 三 冊 ︶ ﹁ 帝 既 執 中 而 尸 天 下、 日 月 所 照、 風 雨 所 至、 莫 不 従 助、 総 得 天地之心、其時有天人神真之官降之、乗宝蓋玄車而御九龍、策 雲馬而発天窓﹂ ⑧︵ 20行目∼ 21行目︶太上揮神詩云 ﹃ 洞 真 太 上 神 虎 隠 文 ﹄ 3 a︵ ﹃ 正 統 道 蔵 ﹄ 第 一 ○ 三 一 冊 ︶﹁ 運 機 8 漢道、煥煥動華瓊、万神騰朱馬、千魔无暇生﹂ ⑨︵ 22行目∼ 23行目︶老子道徳経云 ﹃ 老 子 道 徳 経 ﹄ 第 四 十 六 章﹁ 天 下 有 道、 却 走 馬 以 糞、 天 下 無 道、戎馬生於郊﹂ ⑩︵ 26行目∼ 31行目︶老子本生経云 未詳 こ の ペ リ オ 二 四 四 三 と WB 32 ‒ 1( 30 ) は、 王 卡 氏 の 指 摘 ど お り、 同一の書物からの書写である可能性が高い。その理由の第一とし て、両者は類書としての構成が同じであることが挙げられる。ペ リ オ 二 四 四 三 の 二 十 四 行 目﹁ 畜 生 水 族 品 ﹂ と 二 十 五 行 目﹁ 序 水 族 ﹂ は、 WB 32 ‒ 1( 30 ) の 八 十 四 行 目﹁ 幽 対 玄 司 品 ﹂、 八 十 五 行 目 ﹁ 捴 序 幽 対 ﹂ と 同 じ 形 式 で あ る。 つ ま り、 こ の 書 物 は﹁ ○ ○ 品 ﹂ と い う 大 項 目 が あ り、 各 大 項 目 の 冒 頭 に は、 ﹁ 序 ○ ○ ﹂ も し く は ﹁ 総 序 ○ ○ ﹂ と い う 形 で、 そ の 大 項 目 全 体 の 序 文 が 書 か れ、 そ の 大項目のもとに、 ﹁龍﹂ ﹁虬﹂ ﹁蛟﹂ ﹁ 蠄 ﹂﹁亀﹂ ﹁﹂ ﹁魚﹂ ﹁蚌﹂や ﹁天虎﹂ ﹁天馬﹂など、道教以外の一般の類書と同じような方式で 項目が立てられている。 理 由 の 第 二 と し て 、 ペ リ オ 二 四 四 三 と WB 32 ‒ 1( 30 ) に 引 用 さ れ ている道経が、同じ傾向を示していることがある。ペリオ二四四 三に引用された道経の数は少ないが、その内容は、上清経や古霊 宝 経、 あ る い は 太 平 経 や 内 伝 類 な ど で あ っ て、 こ れ は WB 32 ‒ 1( 30 ) に 引 用 さ れ た も の と 傾 向 と し て は 類 似 し て い る。 こ れ も、 両者が同一の書物からの書写である可能性が高いことの理由にな りうるであろう。 こ の よ う に、 ペ リ オ 二 四 四 三 と WB 32 ‒ 1( 30 ) は、 同 一 の 書 物 か 二十四

(25)

国立国会図書館所蔵の敦煌道教写本 ︵神塚︶ ら の 書 写 で あ る こ と が 考 え ら れ る の で あ る が、 そ れ だ け で は な く、両者は、もともと同一の巻子であったものが二つに分かれた 可 能 性 も 考 え ら れ る。 そ れ は、 両 者 の 文 字 と 紙 質 が 類 似 す る 上 に、それぞれの紙背にはいずれも仏教の願文が書かれているとい う共通点があるからである。筆者は、ペリオ二四四三を実見して いないが、大淵忍爾氏の﹃敦煌道経 目録編﹄によれば、 ﹁黒ずみ た る 黄 紙 ﹂ と い う こ と で あ り、 WB 32 ‒ 1( 30 ) と 同 じ で あ る。 文 字 の形も両者は似ている。 WB 32 ‒ 1( 30 ) の 紙 背 の こ と に つ い て は、 箱 書 で は 何 も 触 れ て い ないが、本章の冒頭で述べたように、紙背には仏教の願文が書か れている。大淵氏によれば、敦煌の石窟寺院では、紙の不足を補 うために、道経が書かれた紙を仏経書写用の料紙として保存して い た よ う であ ︶28 ︵ る。 WB 32 ‒ 1( 30 ) も お そ ら く そ の よ う な 事 情 で、 道 教類書が書かれていた巻子の紙背が、のちに仏教の願文を 書くた め に用いられたということであったと推測できる。その願文の文 字 は 一 百 七 行 に わ た っ て い る。 WB 32 ‒ 1( 30 ) の 紙 背 文 書 も、 現 在 は国会図書館のウェブサイトで公開されているので、容易に見る ことができる。一方、ペリオ二四四三の紙背にもやはり仏教の願 文が三十三行にわたって書かれてい ︶29 ︵ る。 以 上 の こ と か ら 考 え る と、 ペ リ オ 二 四 四 三 と WB 32 ‒ 1( 30 ) は、 同一の書物からの書写であるだけではなく、同一巻子が分かれた ものである可能性もありえよう。 最 後 に、 WB 32 ‒ 1( 30 ) に 書 写 さ れ た 道 教 類 書 が、 一 体 ど う い う 名称の書物であったのか、現時点で考えられることを述べておき たい。王卡氏はペリオ二四四三についての説明文の中で、 ﹁﹃道要 霊祇神鬼品経﹄と似ている。同一書物であるかどうか、なお後考 を 待 つ ﹂ と 言 っ てい ︶30 ︵ る。 ま た、 ﹃ 道 要 霊 祇 神 鬼 品 経 ﹄ に つ い て は、 ﹁ 新・ 旧﹃ 唐 志 ﹄ に﹃ 道 要 ﹄ 三 十 巻 を 著 録 し て い る が、 こ の 書 はその中の一巻である可能性がある﹂と言ってい ︶31 ︵ る。上述のよ う に、 ペ リ オ 二 四 四 三 と WB 32 ‒ 1( 30 ) は 同 一 の 書 物 の 書 写 で あ る 可 能 性 が 高 い の で あ る か ら、 王 卡 氏 の こ の 推 定 が 正 し け れ ば、 WB 32 ‒ 1( 30 ) は ペ リ オ 二 四 四 三 と 同 じ く、 ﹃ 道 要 霊 祇 神 鬼 品 経 ﹄ と 似 て い て、 ﹃ 旧 唐 書 ﹄ 経 籍 志・ ﹃ 新 唐 書 ﹄ 芸 文 志 に 著 録 さ れ た ﹁﹃道要﹄三十巻﹂の一部分ということになる。 王卡氏はペリオ二四四三が﹃道要霊祇神鬼品経﹄と似ていると 考 え た 根 拠 や、 ﹃ 道 要 霊 祇 神 鬼 品 経 ﹄ を﹃ 道 要 ﹄ の 一 巻 と 考 え た 理由について何も述べていないが、結論を先に言うと、筆者は王 卡 氏 の こ の 推 定 は 妥 当 で あ ろ う と 考 え て い る。 以 下 に、 ﹃ 道 要 霊 祇 神 鬼 品 経 ﹄ と ペ リ オ 二 四 四 三・ WB 32 ‒ 1( 30 ) を 比 較 し な が ら、 王卡氏の説を検証してみよう。 ﹃ 道 要 霊 祇 神 鬼 品 経 ﹄︵ ﹃ 正 統 道 蔵 ﹄ 第 八 七 五 冊 ︶ は 全 二 十 七 紙 の短いもので、その内容は、文字どおり﹁霊祇神鬼﹂に 関する道 経 の 引 用 文 を 集 め た 類 書 で あ る 。 最 初 に﹁ 総 序 霊 祇 ﹂ の 文 が あ り、 そ の あ と に﹁ 霊 祇 神 品 ﹂﹁ 魔 正︵ 王 ︶ 品 ﹂﹁ 力 士 品 ﹂﹁ 空 神 二十五

(26)

名古屋大学文学部研究論集 ︵哲学︶ 品﹂ ﹁社神品﹂ ﹁山神品﹂ ﹁水神品﹂ ﹁霊祇鬼品﹂ ﹁善爽鬼品﹂ ﹁苦魂 鬼品﹂ ﹁精魅鬼品﹂ ﹁樹木鬼品﹂ ﹁山鬼品﹂ ﹁水鬼品﹂ ﹁土鬼品﹂ ﹁餓 鬼品﹂ ﹁瘟鬼品﹂ ﹁蠱鬼品﹂の十八品が続き、それぞれに関連する 引 用 文 が 記 載 さ れ て い る。 ﹁ 霊 祇 神 鬼 ﹂ と い う テ ー マ で あ る の で、 ﹃太上女青鬼律﹄ からの引用が非常に多いという特徴があ ︶32 ︵ る。 ﹃道要霊祇神鬼品経﹄は、 ﹃正統道蔵﹄本のほかに、敦煌写本が 十 二 件︵ そ の う ち の 七 件 は 同 一 巻 子。 残 り の 五 件 も 別 の 同 一 巻 子︶残ってお ︶33 ︵ り、それらを総合すると﹃正統道蔵﹄本﹃道要霊祇 神鬼品経﹄の大部分を成している。敦煌写本と﹃正統道蔵﹄本の 大 き な 相 異 点 と し て 注 目 さ れ る の は、 品 名 の 箇 所 が、 ﹃ 正 統 道 蔵 ﹄ 本 で は﹁ ○ ○ 品 ﹂ と な っ て い る の に 対 し て、 敦 煌 写 本 で は ﹁ 魔 王 ﹂﹁ 力 士 ﹂﹁ 空 神 ﹂﹁ 社 神 ﹂﹁ 山 神 ﹂﹁ 水 神 ﹂﹁ 善 爽 鬼 ﹂﹁ 苦 魂 鬼 ﹂﹁ 精 魅 鬼 ﹂﹁ 樹 木 鬼 ﹂﹁ 山 鬼 ﹂﹁ 水 鬼 ﹂﹁ 土 鬼 ﹂﹁ 餓 鬼 ﹂﹁ 温 鬼 ﹂ ﹁蠱鬼﹂ とあって、 ﹁ 品﹂の字がないことである。 敦 煌 写 本 の こ の よ う な 状 況 と、 ﹃ 道 要 霊 祇 神 鬼 品 経 ﹄ と い う 書 名から推測すると、これは、もともとは﹃道要﹄という書物の中 の﹁霊祇神鬼品﹂の部分であって、その中身は、最初に﹁総序霊 祇﹂が置かれ、ついで、敦煌写本のように﹁魔王﹂以下﹁蠱鬼﹂ までの項目が立てられ、道経の引用文を載せるという形であった こ と が 考 え ら れ る。 と こ ろ が、 そ の 後、 ﹃ 道 要 ﹄ の 中 か ら﹁ 霊 祇 神鬼品﹂だけが独立して﹃道要霊祇神鬼品経﹄というタイトルが つけられるに至った。そのように﹁霊祇神鬼品﹂が﹁経﹂に、い わば格上げされたのに合わせて、もともと﹁品﹂の字がついてい な か っ た 各 項 目 が 、﹁ 品 ﹂の 字 を つ け た 形 に 変 え ら れ た の で あ ろ う 。 そ う で あ る と す る と、 ﹃ 道 要 霊 祇 神 鬼 品 経 ﹄ は、 現 在 の﹃ 正 統 道 蔵 ﹄ 本 と は 違 っ て、 も と も と は ペ リ オ 二 四 四 三 や WB 32 ‒ 1( 30 ) と、 類 書 と し て の 体 例 が 同 じ で あ っ た こ と に な る。 つ ま り、 ﹁ ○ ○品﹂という大項目が立てられ、その冒頭に﹁総序○○﹂という 形で、その大項目全体の序文が置かれ、その大項目のもとにいく つかの項目が立てられ、道経の引用文が載せられていたというこ とになるのである。このように、類書としての体例が同じである と い う こ と は、 ﹃ 道 要 霊 祇 神 鬼 品 経 ﹄ と ペ リ オ 二 四 四 三・ WB 32 ‒ 1( 30 ) が同じ書物であることの重要な理由となる。 ま た、 ﹃ 道 要 霊 祇 神 鬼 品 経 ﹄ に 引 用 さ れ た 道 経 に 注 目 す る と、 上述のように、 ﹁霊祇神鬼﹂というテーマと関連して、 ﹃太上女青 鬼律﹄からの引用が多いことが目立つが、 ﹃太平経﹄が五回、 ﹃昇 玄 経 ﹄ が 二 回、 ﹃ 三 皇 経 ﹄ と﹃ 道 徳 経 ﹄ と﹃ 明 真 科 経 ﹄ が 各 一 回 引 用 さ れ る な ど、 WB 32 ‒ 1( 30 ) と 共 通 す る も の も あ る。 こ の こ と も、 ﹃ 道 要 霊 祇 神 鬼 品 経 ﹄ と ペ リ オ 二 四 四 三・ WB 32 ‒ 1( 30 ) が 同 じ書物であることの一つの理由として挙げてよいであろう。 ﹃ 旧 唐 書 ﹄ 経 籍 志・ ﹃ 新 唐 書 ﹄ 芸 文 志 に 著 録 さ れ た ﹁﹃ 道 要 ﹄ 三 十 巻 ﹂ と い う 書 物 に つ い て は、 ﹃ 大 道 通 玄 要 ﹄ の こ と か も 知 れ な いとする見方もあ ︶34 ︵ るが、向群氏や王卡氏が指摘するように、その ように判断するには論拠不十分の感があ ︶35 ︵ る。そもそも書名が異な 二十六

(27)

国立国会図書館所蔵の敦煌道教写本 ︵神塚︶ るし、現存する敦煌写本﹃大道通玄要﹄による限り、類書として の 体 例 が 異 な る か ら で あ る。 そ れ よ り も、 ﹃ 道 要 霊 祇 神 鬼 品 経 ﹄ が﹃道要﹄の一部分であると見る方が説得力があるように思われ る。 そ し て、 ﹃ 道 要 霊 祇 神 鬼 品 経 ﹄ が﹃ 道 要 ﹄ の 一 部 分 で あ る と す れ ば、 上 に 述 べ て き た よ う に、 ペ リ オ 二 四 四 三 と と も に、 WB 32 ‒ 1( 30 ) もやはり ﹃道要﹄ の一部分であるということになる。 も っ と も、 ﹃ 道 要 霊 祇 神 鬼 品 経 ﹄ と ペ リ オ 二 四 四 三 と WB 32 ‒ 1( 30 ) が﹃ 道 要 ﹄ の 一 部 分 で あ る と い う 推 論 が 正 し か っ た と し て も、この三者あわせても、三十巻あったという﹃道要﹄のごく一 部 分 に す ぎ な い。 ﹃ 道 要 ﹄ と い う 書 物 の 全 体 が ど の よ う な も の で あ っ た か は、 依 然 と し て 謎 で あ る。 し か し、 WB 32 ‒ 1( 30 ) の 内 容 を 検 討 す る こ と に よ っ て、 ﹃ 道 要 ﹄ と い う 道 教 類 書 の 姿 が、 こ れ までよりははっきりとしてきたと言えよう。 以 上、 WB 32 ‒ 1( 30 ) に つ い て 考 察 し て き た。 こ の 写 本 は、 ﹃ 無 上秘要﹄などとは異なる方式で編纂された類書であり、六朝隋唐 時代の道教類書を研究する上で、貴重な資料になりうる。また、 ここに引用された文は、ほかには見られない佚書・佚文も含まれ ている。神田喜一郎氏の言葉どおり、この写本が﹁殊に宝貴すべ き﹂ものであることは間違いない。 ︵ 1︶ ﹃国立国会図書館漢籍目録﹄ ︵国立国会図書館図書部編、一九八七年︶四 八七頁。 ︵ 2︶ 平成 23∼ 25 度 科 学 研 究 費 基 盤 研 究︵ C︶ ﹁ 霊 宝 経 を 中 心 と す る 敦 煌 道 教 文献の研究﹂ ︵研究代表者 神塚淑子︶ ︵ 3︶ 山 田 俊﹁ ︿ 学 界 動 向 ﹀ 敦 煌 道 教 文 献 シ ン ポ ジ ウ ム ﹂︵ ﹃ 東 方 宗 教 ﹄ 第 一 二 ○号、二○一二年︶参照。 ︵ 4︶ 王 卡﹁ 敦 煌 本 霊 宝 金 録 斎 儀 校 読 記 ﹂︵ 台 湾﹃ 道 教 学 探 索 ﹄ 一 九 八 九 年 第 一 一 輯 ︶。 そ の 増 刪 修 訂 版 は、 同 氏﹃ 道 教 経 史 論 叢 敦 煌 篇 ﹄︵ 二 ○ ○ 七 年、四川出版集団巴蜀書社︶所収。 ︵ 5︶ 王 卡﹃ 敦 煌 道 教 文 献 研 究 │ 綜 述・ 目 録・ 索 引 ﹄︵ 中 国 社 会 科 学 出 版 社、 二○○四年︶一○九頁。 ︵ 6︶ 現在、この写本は保存状態があまり良くないとのことで、実物を閲覧す ることはできず、筆者はマイクロフィルムでのみ閲覧した。なお、本写 本 の 録 文 に つ い て は、 す で に 王 卡﹁ 敦 煌 本 霊 宝 金 録 斎 儀 校 読 記 ﹂︵ 注 ︵ 4︶所 掲 ︶ と﹃ 中 華 道 蔵 ﹄ 第 四 十 三 冊 001 号︵ 王 卡 点 校 ︶ に 掲 載 さ れ て いるが、これらは他の写本︵ペリオ二九八九、スタイン三七○一︶との 校合を行った後の形のものであるので、 日本国会図書館蔵本 WB 32 ‒ 1( 3) そのものの形を示すために、本稿においても録文を載せておく。各行冒 頭の数字は、当該写本における行数を表す。 ︵ 7︶ ﹁ 宣 ﹂ は﹁ 宴 ﹂ の 字 の 誤 り で あ ろ う。 ﹁ 敦 煌 本 霊 宝 金 録 斎 儀 校 読 記 ﹂ と ﹃中華道蔵﹄は﹁宴﹂の字に読む。 ︵ 8︶ こ の 箇 所、 一 字 欠 損 し て い る。 残 存 す る 筆 画 か ら、 ﹁ 敦 煌 本 霊 宝 金 録 斎 儀校読記﹂と﹃中華道蔵﹄は、 ﹁誠﹂字と推測している。 ︵ 9︶ ﹁ 俙 ﹂字を、 ﹁敦煌本霊宝金録斎儀校読記﹂と﹃中華道蔵﹄は﹁稀﹂字に 読む。 ︵ 10︶ 王卡 ﹁敦煌本霊宝金録斎儀校読記﹂ 、﹃道教経史論叢 敦煌篇﹄ 三四五頁。 ︵ 11︶ このことはすでに、大淵忍爾﹃敦煌道経 目録編﹄ ︵福武書店、一九七八 二十七

(28)

名古屋大学文学部研究論集 ︵哲学︶ 年︶八二頁に指摘されている。大淵氏は、スタイン三○七一とペリオ二 九八九を、 ﹁霊宝金録斎儀 ︵擬︶ ﹂ の四点のうちの二点として挙げている。 ︵ 12︶ 金 籙 斎 の﹁ 籙 ﹂ は、 ﹁ 録 ﹂ の 字 で 書 か れ る こ と も あ る。 本 稿 で は、 資 料 の原文で﹁録﹂の字に作っている時は﹁録﹂のままで記載している。 ︵ 13︶ 王 卡﹁ 敦 煌 本 霊 宝 金 録 斎 儀 校 読 記 ﹂、 ﹃ 道 教 経 史 論 叢 敦 煌 篇 ﹄ 三 六 二 ∼ 三六四頁参照。 ︵ 14︶ Edouard Chavannes “ Le Jet des Dragons ” (Mémoires concernant l Asie Orientale III, Paris, 1919 ) p. 7 3 , 陳 垣 編 纂、 陳 智 超・ 曾 慶 瑛 校 補﹃ 道 家 金石略﹄ ︵文物出版社、一九八八年︶八三頁参照。 ︵ 15︶ こ の こ と は、 大 淵 忍 爾﹃ 敦 煌 道 経 目 録 編 ﹄ に 指 摘 さ れ て い る。 ま た、 ﹃ 洞 玄 霊 宝 長 夜 之 府 九 幽 玉 匱 明 真 科 ﹄ の 全 体 の 紹 介 と 地 獄 か ら の 救 済 の 思想につい ては、小南一郎﹁道教信仰と死者の救済﹂ ︵﹃ 東洋学術研究﹄ 第二七巻別冊、一九八八年︶を参照。 ︵ 16︶大淵忍爾﹃道教とその経典﹄ ︵創文社、一九九七年︶第二章参照。 ︵ 17︶ 王 卡 氏 は、 ﹃ 敦 煌 道 教 文 献 研 究 │ 綜 述・ 目 録・ 索 引 ﹄ で は、 WB 32 ‒ 1( 3) に つ い て﹁ 撰 人 未 詳、 唐 代 前 期 頃 の も の ﹂ と し て い る が、 ﹁ 敦 煌 本 霊 宝 金録斎儀校読記﹂では、写本中に﹁胡塵北静﹂ ﹁蛮南清﹂ ﹁尉候長消﹂ ﹁ 干 戈 永 ﹂ 等 の 語 句 が 見 え る こ と か ら、 安 史 の 乱 前 後 の 唐 代 中 期 に 作 ら れ た 可 能 性 が あ る と も 言 っ て い る︵ ﹃ 道 教 経 史 論 叢 敦 煌 篇 ﹄ 三 六 一 頁︶ 。 ︵ 18︶ 大 淵 忍 爾 氏 は WB 32 ‒ 1( 3) 写 本 は 見 て お ら れ な い が、 ペ リ オ 二 九 八 九 の 写 本 に つ い て、 ﹁ 特 に P 二 九 八 九 に は﹁ 大 唐 ﹂ の 語 が あ る 外、 内 容 的 には十方の无極太上霊宝天尊以下の諸神に対して立斎焼香燃燈して祈願 するものであって、その点は基本的に明真科に依る金籙斎品の線に沿う ものであるが、无上秘要に引 用されなかった上元金録簡文を表面に出し て いる点が異る﹂ ︵大淵﹃敦煌道経 目録編﹄八三頁︶と指摘している。 この指摘は WB 32 ‒ 1( 3)の写本についてもそのまま通用する。 ︵ 19︶ 王卡 ﹁敦煌本霊宝金録斎儀校読記﹂ 、﹃道教経史論叢 敦煌篇﹄ 三六一頁。 ︵ 20︶ 国家図書館特蔵組編﹃台湾歴史人物小伝│明清曁日拠時期│﹄修訂一版 ︵台北、国家図書館出版、二○○六年︶二七四頁参照。 ︵ 21︶ 大 淵 忍 爾﹃ 敦 煌 道 経 目 録 編 ﹄ 三 四 四 ∼ 三 四 八 頁、 同﹃ 敦 煌 道 経 図 録 編 ﹄︵ 福 武 書 店、 一 九 七 九 年 ︶ 七 七 五 ∼ 七 九 七 頁、 向 群﹁ 敦 煌 本︽ 大 道 通 玄 要 ︾ 研 究 ﹂︵ ﹃ 道 家 文 化 研 究 ﹄ 第 十 三 輯、 一 九 九 八 年 ︶、 王 卡﹃ 敦 煌 道教文献研究│綜述・目録・索引﹄二二七∼二二九頁参照。 ︵ 22︶ 麥 谷 邦 夫﹁ 道 教 類 書 と 教 理 体 系 ﹂︵ 京 都 大 学 人 文 科 学 研 究 所 編﹃ 中 国 宗 教文献研究﹄ 、臨川書店、二○○七年︶参照。 ︵ 23︶ 大淵忍爾﹃敦煌道経 目録編﹄六九∼七七頁、同﹃敦煌道経 図録編﹄九 三∼一○四頁、王卡﹃敦煌道教文献研究│綜述・目録・索引﹄一○六∼ 一○七頁参照。 ︵ 24︶ 大淵忍爾﹃敦煌道経 図録編﹄一○二頁参照。 ︵ 25︶ 大淵忍爾﹃敦煌道経 目録編﹄三五一頁、同﹃敦煌道経 図録編﹄八一一 頁。 ︵ 26︶ ﹁因﹂の字、 ﹃中華道蔵﹄は﹁同﹂字に読む。 ︵ 27︶ ﹁成﹂の字、 ﹃中華道蔵﹄は﹁威﹂字に読む。 ︵ 28︶ 大淵忍爾﹃敦煌道経 目録編﹄七頁。 ︵ 29 “ C at alo gu e de s m an us cr its c hin ois d e T ou en -h ou an g ” I (P ar is , Bibliothèque nationale, 1970 ) p. 276 , 黄征・呉偉﹃敦煌願文集﹄ ︵岳麓書 社、一九九五年︶五三九頁に﹁印沙仏文﹂として、ペリオ二四四三の紙 背の録文︵ただし一部分︶が載っている。 ︵ 30︶ 王卡﹃敦煌道教文献研究│綜述・目録・索引﹄二二七頁。 ︵ 31︶ 王卡﹃敦煌道教文献研究│綜述・目録・索引﹄二二五頁。 ︵ 32︶ ﹃ 道 要 霊 祇 神 鬼 品 経 ﹄ に お け る﹃ 女 青 鬼 律 ﹄ か ら の 引 用 に つ い て は、 菊 地 章 太﹃ 神 呪 経 研 究 │ 六 朝 道 教 に お け る 救 済 思 想 の 形 成 │ ﹄︵ 研 文 出 版、二○○九年︶一五一∼一五三頁参照。 ︵ 33︶ 大 淵 忍 爾﹃ 敦 煌 道 経 目 録 編 ﹄ 三 五 一 ∼ 三 五 七 頁、 同﹃ 敦 煌 道 経 図 録 編﹄八一二∼八二三頁、王卡﹃敦煌道教文献研究│綜述・目録・索引﹄ 二二五∼二二六頁参照。 ︵ 34︶ 大淵忍爾﹃敦煌道経 目録編﹄三四五頁、尾崎正治﹁道教の類書﹂ ︵講座 二十八

参照

関連したドキュメント

カウンセラーの相互作用のビデオ分析から,「マ

By assumption γ is differentiable and has transverse intersections with the critical point spheres of the map from the free configuration space to the workspace. It follows that

In order to present a coherent picture of polytopal linear algebra and to ease references throughout the text, we recall some of the results from [3] and [4] in Section 3; they

2 To introduce the natural and adapted bases in tangent and cotangent spaces of the subspaces H 1 and H 2 of H it is convenient to use the matrix representation of

This set will be important for the computation of an explicit estimate of the infinitesimal Kazhdan constant of Sp (2, R) in Section 3 and for the determination of an

Analogs of this theorem were proved by Roitberg for nonregular elliptic boundary- value problems and for general elliptic systems of differential equations, the mod- ified scale of

Then it follows immediately from a suitable version of “Hensel’s Lemma” [cf., e.g., the argument of [4], Lemma 2.1] that S may be obtained, as the notation suggests, as the m A

Theorem 4.1 Two flocks of a hyperbolic quadric in PG ( 3 , K ) constructed as in Section 3 are isomorphic if and only if there is an isomorphism of the corresponding translation