一
堀 江 邑
清洲寄欒、上海事件の勃教以衆、支部に於ける反帝国主義違勤乃至共産主義疲動は、帝国主義諸国にとつて益 々危険なる硯寛の問題となりつ1ある。山般正は、反帝固主義運動、特別には、反日嘩勤蛛、最初軍閥の持味に よるものと云はれたが、寄態の推移と共に、これらの運動が支那民衆自身の運動であり、諸軍閥や閥民政府は寧 ろ之を輝塵しっ1あるにも拘らず、これが銭座の効なきことが明瞭となりつ1ある。すなはち、上海等件の勃敢 前、かの緊迫せる事態を前にして、本年仙月二十二日、隋m澤司令官によつてなされたる饗明のうちには、この間 の拘息を薪ふに足るぺき次の如き文句がある。﹃⋮⋮:不法なる排日貸運動を絶域せしむるため忙必要なる行動を とる蝉愈が釆たのである。この不法の困鰭に封し報復手段をとるに世界が何等反封するものではなく、贋く慣例 ヽ ヽ ヽ ヽ ︳ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ︳ ヽ ヽ ヽ ヽ ︳ ︳ ︳ ヽ ︳ ヽ t ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ t t ︳ ヽ ヽ ヽ ヽ ︳ ︳ ヒ認められたものである。我等はむしろ支部の中央政府が碩弱なるために、行はんとしてなし得ざる排日図解撲 ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ︳ヽヽヽtヽヽヽヽtヽ 滅を支部政府のために代ってしてやり度いと思ふので、そのため平時における我海軍故大局限の最大活動を行は んとするのだ⋮⋮⋮。﹄︵大阪朝日新聞本年二月二十二百︶︵傍鮎は引用者︶愈々上海事件勃敬し、南京政府が危横 に直面し、洛陽移樽を決するやV政府の〓箪人は次の如く述べてゐる。﹃中央は中華民族生存のため最後まで戦ふ 発七巻 第 二 妨支那におりろ農業経臍の崩壊ヾJその影響︵〓
︵九四︶ ご一決心をした。政府の移柑は閉交の断絶であり洒介石の通電は宣戦の布督だ。中央は隠忍の出来る限りをつくした ヽヽヽヽヽヽヽ のだ。日本が萎廷楷をして上海事件を起さしめず、中央をして困難合議まで漕ぎつけさすれば、満洲は日本のも ヽ ヽ ヽ t ヽ ヽ ヽ ヽ ’ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ▼ ヽ ヽ ︳ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ’ ヽ ヽ l ヽ ︳ ヽ ︳ ︳ ヽ ヽ ︳ ヽ ヽ ヽ ’ ヽ ヽ ヽ ヽ ’ ︳ ▼ のとなつたのだ。愈議は決して強硬論に行かす、自盈論に落ちついたのだ。串今日となつては、支那の赤化呈世 ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ 界第二大磯あるのみだ。⋮⋮⋮﹄︵大阪朝日新聞本年二月∵日︶︵傍鮎は引用着︶更に上洛義仲の進行中、かの第十 九路軍の頑強なる抵抗のうちには﹁申図共産某フラクションの活動の目覚しきものがあつたことは周知の事資で あり、国民政府が封日軍事行動のために非常なる危地に隋りつゝあつた間に、江躇、摘建、湖南、湖北等の従来 のソヴュート地域における中国共産真の勢力は抜くべからざるほどに艶化した由である。現に本年二月十四日の 大阪朝日新聞に掲載された﹃陸軍雷局の談﹄のうちには、次の如き叫箇がある。すなはち﹃中囲共産箆は上海事 件を契機として長江叫帯の赤化実の素志を貫徹せんとしてゐる形勢あり、事件が患化すれぼするほど彼等のエ作 は容易となり、第十九路軍を繰従して抗日鞘の環大を貸するのは、けだし常然である。現に数百名の賞員は第十 九路軍中に沖入し、赤化宜博をやつて屠り、茸に紅軍の集閲は漠口を日精して武力宣侍に進頚し、南員を陥落し てゐる。⋮⋮⋮﹄更に滴洲における謂ゆる兵鮎の反抗なるものも、放融喧俸せられた如く、敗残兵の叫時的掠蛮 行為に基くものではなく、侍一隊民衆の聞に基礎を置く上ころの反日運動、或は一般的に反帝国主義運動による ものなることは、最近同地方において跳梁しっ1ある大刀禽や紅槍合の活動並びに間島共産露の活動によつて嘉 はる1であらう。すなはち、事態の推移と共に、今回の事攣の眞因が最近支那における共産尭義運動乃至反帝国 寛那における農薬踵渉の崩壊とその影響 ︵九五︶ 州三
主義遊動の異常なる章展にあることは次第に明瞭となりつ1ある。共産真義運動は先づ資本主義の最も敬達し、 爛熟したるところに起ることを原則とするにも拗らす、資本主義的に後進の支那において典儒の磯展をなしつゝ あるのは、叫方には世界資本主壷の行詰りに基くものとして世界経済的に訟明さるべきことは勿論であるが、他 方において、支部に封する帝圃主義の痙迫と同閥における農業経済の崩壊とに基くものと云はなければなぁぬ。 故に最近における支郷の共産主並進勤および反帝開基義運動を正しく理解するがためには、支那の農業経済の崩 壊状態と貞民選勤の特性とを把捉することが極めて肝宴であると思ふ。鼓に紹介するところのものは、朱新繁著 ﹃中国資本主魂の畿艮﹄︵山九二九年、上海聯合書店印行︶の第国賓﹁農業経済の崩壊とその影響﹂の抄詳である。 朱氏は詳細なる統計的基礎に立って、支部の農柴経済の崩壊原因をば、帝国主義の傑人と封建密閉の搾取とに蹄 L、しかも前者を以て主要なるものとなし、後者はその崩壊速度を促進せしむる動力となれる副次的のものとな してゐる。彼はこの立場から、太平天国運動および義和国軍欒をも詮明し、今日各地方における反貰閥的、反帝 国主義的農民暴動を詳細に訟明してゐる。けだし、今日の情勢下において顧みるに足るペき叫文であると思ふ。 侍これが繹出に貰っては、痕村隔七署の助力に負ふこと大である。こ1に附託して謝意を表する。 一一帝国主義の侵入と農菜経済の崩壊 二 軍閥の搾取と農米経済の崩壊 環七巻 第こ 蟹 三 農業経済の崩壊過程 ︵以上本鶉︶ ︵九六︺ −四
叫 帝観主義の侵入ざ農業経済の崩壊
周知の如く、帝国主義の中国への侵入は、∴八凶○年鵠片戦寧以後の事であるが、嘗際に於ては帝観主諒の勢
力は十九世紀の初期において眈に中国へ侵入してゐたのである。英人モース菅﹁東印度禽敢の封支貿易史﹂に載
せられてゐるところに依れば、一六八蒜に英胎閃菱が中開に輸入した貨物の姐胡は些∵五九九諺に達しを
﹂八丁七年には単に贋東叫省のみにて、痕片の輸入慣格は既に凶百八十常克に達し、輸出絶叡は年銀三百九十二
萬元であつた。碑片戦争以前における中図と外囲との貿易中蔑も主要なるものは阿片の輸入であつた。なほ、之
は次の数字の如く年々増加してゐる。
支那における農業経済の崩壊とその影響 劇入〓ハ︵嘉慶二十馴年︶ T八二〇 一入二五︵逆光五年︶ 一入三〇 山八三五 一.八ニェハ 四 農染経済の崩壊とそあ影響 ︵以上吹娯︶輸 入 箱数
ニて一二〇 四、七七〇 九、六l・山○ 劇八、七五〇 ニ三、六七〇 二七、山 劇○ ︵九七︶一五第七啓 発こ渋
︵九八︶ 二ハ 旦覇の鵜片の輸入の結果は、園内財淑の園外流出を来し、配合経済の動揺を惹き起した。叫八三八年︵清の追 究十八年︶滑の沌膿寺郷︵宮中御宴等を司る満の役所の長官︶黄静滋の密輸入を駿禁し、富岡策を講すべき卜奏 文中には攻め劇箇がある。 ﹁純帝の世のことを考ふるに、通暁の軍事費、帝王の巡章費、宮殿の修築費等は如何にも大きかったにも的確ら す、′而も人民は上下共に富裕にして、極富と稲せられた。買慶以来も絢富裕にして、官吏より大商人に至るまで 審移の風〓仮にみなぎり、現在と比餃すれぼ雲泥の差があつた。まことに、愈々替れば愈々富み、愈々倹なれぼ 空曹るか。苦かに思ふに、露銀低次第に質し、銀叫両に勤し制餞︵卵礪詣徹㌶駅.晶鮎凱︶〓工ハ 百と交易せらる。銀は内地に於て使用せらるゝのではなく、驚際は外囲に・逃亡するのである。阿片が中図に輸入 せられてより、わが賢明なる仁宗皇帝はその必らず有害なるべきを知られてゐた。思ふに例へば外囲胎の廣東に 承るや、必らず先づ外囲商人を取調べ、必らす阿片を携帯せざる事を誓約せしめた後、その胎の入港を許した。 阿片は最初貴族の子弟が服用するに過ぎず、習憤浮薄となるの故に、彼等はそのやむべき串を知ってゐた。︰⋮・ 然るに近時この風習叉仙般的となり、外国人の阿片を携帯し釆るもの漸次多くなり、特に貨物胎を以て之を積み 釆少、炭東港内に入り来らずして払外の老高山、大倶山等に停泊し、∵万、痍東の好商は海上監祓兵と結托し、 シャン。ハンを以て銀む泡外に選び出し、その代りに阿片を港内にもち込むのである。故に道光≡年より十山年に 至る間に、毎年銀の園外に流出するもの∵千七八百萬両、何十両年より十四年に至る問には鉄血千萬両、同十四第二の原因は、王朝の輸入麗過である。・・⋮⋮・︵年々の外囲貿易の状態を見るに、天六五年より今日に至る
まで、山年として輸出超過を生じたことはなく、毎年莫大なる輸入超過をつゞけて釆た。こゝにはこの間の貿易
⋮︰・u﹂が如きものである。閲読を草する愛、日一日、年叫年、大とな少、臣、その極るところを知らぬ状態である⋮⋮
数千萬両に及んでゐる。これ、中開内における有用なる財を以て、海外の千尋の給底に投じ、無用の物と化する
年より今日まではこ事飴萬耐に上ってゐる。この外隋建、折江、山東、天津等の各港より入るものを合計すれぽ
鵜片我等以前伝おける帝観主義の侵略の程度が眈にかくの如くであつたとすれぼ、鵜片範寧以後における状態
は毅早諭するまでもないであらう。鵠片親寧以後、帝国主量の経済的侵略は中国の農薬経済をして、極めて急速
に崩壊せしめた。その主要原因の藤一は、点覇の賠償金である。浪片戦争より義和囲の役に至る迄に、中囲を邸
迫して列国の支彿はしめた頗償金の主なるものは次の教程である。
支那における農発揮臍の崩壊とその影響 0 0 0 0 0 ︵九九︶ 脚七統計の繹出を略す。⋮⋮⋮澤者︶
右の苫叡の賠償金の支出が、嘗際には人民より取られた一員民より取られると云ひ得やうーことは勿論で
あり、右の宜額の入超叡も亦、直接間接に農民の搾取忙よりて支彿はる1ことば疑ひを容れない。帝圃主義の中開に封する経臍的侵略は、何れも農民の上に加へらるゝが故に、帝閲主義勢力の中国への侵入以
来、中開の日給自足的農菜経済は極めて急速に崩壊し始め、農民の破産果菜するものは次第に増加し、その結果、
感度の祀禽的混乱を迫り出し冤中固の近世史上に見らる∼数多の膵始的武生暴動、例へば太平天園運動、贋東頓徳の排英国の運動、義和団の運動等は、何れも直接帝園至菰勢力の侵入後、農民経臍の崩壊によつて惹き起さ
れた農民暴動である。農柴社費朋嘘のこの現象は、現在なほ益々軍旗しっ1ある。次に掲ぐる数個の統計は、何れも農業経済崩壊の情勢を詮明するものである。
第仙は荒地面碩の年々増加することでぁる。近年における荒地増加の趨勢は次女の如くである。
第七怨 第 二 渋 九九九れ九 八 七 六 五 四荒 地 面 税
三五入、〓≡五、八大七畝 四〇四、t三ハ九、九四人 言九〇、≡六て〇ニー 九二四、五入≡﹁入九九 八四入、九三五、七四八 〓00︶ 仰八荒地の増加は、決して血般人の想像するが如く、中尉の荒地所穣の過剰なるがためではなく、葡凶卓法の経済 的勢力の侵入後、農業経済の破産による、農民の土地からの集困的遊離に基くものである。 第二は農産物の減少である。中開は嘲偶の農業観であり、農発生産は園民紋所の基礎である。農発生産の減少 の敢 命経臍に到する影響の如何に大なるかは、青ばすと知れたことである。 米は主妥生産物の山つである。山九一国年より仙丸山八年に至る迄の茄ケ年間における米産融の減少は次の如 くである。 至るまでの六ケ年間の主要食料品の輸出は次の如くである。 産額の減少のため、その後輸出も亦著しく減少し、輸入は却って増加してゐる。一九二〇年より山九二五年に 支那陀おける農梁経済の崩壊とその膨替 ︵叫○こ 鮒九
この六ケ年における主要食料品の輸入は次の如くである。︵単位は前表に同じ︶ ︵叫〇二︶ 二〇
第七春 希二浪
∴ ■ 一 十 言ま 四 :岩t亡 四 ≡ま 三ま ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ⊂:)⊂⊃ ⊂⊃ ⊂:)⊂⊃ ⊂:⊃ ⊂:つ ⊂⊃ ⊂⊃ ⊂=〉 ⊂⊃ n ⊂⊃ ⊂⊃ ⊂⊃ ⊂:⊃ ⊂⊃ ⊂⊃ ⊂⊃ ⊂:⊃ ⊂⊃ ⊂⊃ ⊂)⊂⊃ ⊂⊃ ⊂:⊃ ⊂⊃ ⊂:⊃ ⊂:⊃ ⊂:⊃ く=〉 ⊂⊃ ⊂:⊃ ⊂⊃ ⊂⊃ ⊂⊃ ⊂:)⊂:⊃ ⊂=)⊂⊃ ⊂:⊃ ⊂⊃ ⊂=) ⊂つ ⊂⊃ ⊂つ ⊂⊃ ⊂:⊃ ⊂⊃ ⊂⊃ ⊂⊃ ⊂⊃ ⊂⊃ ⊂)農糞経済崩痙の主要原因は、勿論帝圃主義の侵略であり、この崩壊の速度を促進しっ1あるものは、封建軍閥
の搾取である。長年の絶えざる内乱、陪旬の苛酷なる租税による搾取等、これらは絶て農紫綬臍の崩壊を促進せ
しめる主要原因である。
民団以来、殆んど叫年として内乱の絶えた年はない。そのケち汲も有名なものは安直哉寧、前後二回の率直戟
る○ が、この寄はたゞ年々郡市人口の集中の趨勢及び突発音数の増加を以てしても、容易に知り得らるゝことであ 第≡の現象は農米人口の減少である。この際埋念ながら昏々は正確なる統計を以て詮明することを得ない。だ なるが故に義には省略する。⋮⋮評者︶ っいて、その生産畳並びに輸出盈が年々減少してゐることを詳細な統計を掲げて論評してゐるが、あまりに繁雑 る。︵即ち著者は、中開における主要県産物であり、封外貿易に於て最も主姿なる地位を占めてゐる生糸及び茶に 柴経済の豪君の状態を想像する事が出来るであらう。その他の主要物産の減少も亦毎年益々甚だしくなりつlあ 農業を以て経済の基礎となす申園が、主賓食料品をすら外囲から仰がねぼならぬほどである。之によつて、盈 支那における農染経済の崩壊とその影響 こ 軍閥の搾取ビ農業経済の崩壊 ︵仙〇三︶ こ山︵血〇四︶ こ二
環七巻 第二就
雫、前後二回の紅潮取替、川抑︵四川と湖南︶敬寧、鞘郡︵湖南と湖北︶難事、反奉職寧、図直裁寧等である。囲民 鼠の北伐以後も幾度か北伐酉征が行はれ、庶路軍、暦生菅野の討伐等、騒然として00日も安らかな日はなかった 経である。.鞘軍の起る度に寮費を徴収するため、畢卑′︵よ琴民毅搾取したのみならす、人夫を募集し、∧家畜を緻 賛し、耕地を践捕し、農柴稚螢を完全に停止せしめ、これむ完全に荒廃せしめた。兵欒、焼排ひ、固城、屠殺等 は日常茶飯寄であつた。 租税の繁雑な寄は、財政常局でさへもその項目をすら知らぬほどである。これら雷ね′1の搾取に止まらす、 偽多数の地方駐屯軍は独片栽培を強制したが、これは農地を破壊し、農村の荒戯を促進せしめた最も恐ろしき兜 鬼であつた。甥誰碑片栽増院域の贋さは驚くべきほどである。関川、雲南、畏州等が有名なろ鵠片栽招区域であ ることは云ふまでもない。たゞ叫地方について見ても、人をして驚かしめるに足るものがある.。仙九二七年番、 吾々の河南における調杏の結果と﹁経葦禽﹂の統計とに基いて計辞すれば、河南の⋮〇八願中六三楳が鳴片を栽 増してゐる。四部河南の各解は更に常用の規則により、汀畝の土地につき、少くとも三十畝には聴片を栽増せし められてゐる。この常時の四部河南の駐屯軍、撰鰊竣、張馬借等は、殆んど重く鵜片税のみを以てその軍隊を養 ってゐたほどである。﹁痘寿命﹂の統計によれぼ、次の川顆の鵠片栽培の畝教は次の如くである。陳酉省も亦官既によつて鳩片の栽培を統制してゐる。即ち解の大小に梶ひ、各麻、八百畝から二千畝までの栽 増を規定してゐる。甘粛省の産額の莫大なることは更に澱くべきほどである。﹁蹟轟愈﹂の報普忙よれば、鵜片の 産額は、殆んど農産物紙叡の九〇%を占めてゐる。各省の四分の三の土地には、施片が栽増されてゐる。現泰西 北常局では栽培室版禁Lてゐるとのことであるが、それが所謂お役人二死の出鱈日でないと保詳し得るものがあ らうか? 折江省は栽増禁止の痕も放しい地方だと富はれてゐるが、しかも産額は決して少くない。﹁押出嘩愈﹂の報督によ れば、一九二七年鳩片栽培区域として知られてゐるものは台州八千畝、永第二千畝、臨海六宵畝である。又﹁揺 寿命﹂の調査月報忙よれば、奉天省も亦各願の栽培高を規定してゐる。即ち上等解比二二筒畝、中等顆は二萬畝、 下等願は二掲畝と計上されてゐる。だが賓際にはこの数にとゞまらない。奉天金省五十六解のうちにて、栽培地 域はほゞ二百萬畝である。仙九二八年五月、安徽省北部農薬笛検案骨長、京樽明は合肥︵地名︶に各院の合議を召 支那における農業経済の崩壊とその影響 夢路項路 寧城 陽城 願 螺 麻 原 面 積 ︵畝︶ 叫○、000 仙、000 ∴000 劇○、000 ︵州〇五︶ 二三
四川省における猿片栽培の状態をぼ或る文革者の描需したもの1中に次の如き一節がある。 ﹃本年は二十六願、何れも骨大飢鮮に遭遇した。陳親方の言ふところ忙よれぼ、その第一原因は阿片栽培地方が 多過ぎたことである。阿片の栽増は勿論営利事菜であるから、従来官鮭はその栽培を許さず、栽培してゐる者を 蔑見すれは、放橙偶に至つて之を板塀し去ったほどである。しかも佃多くの人はひそかにこれを栽増してゐたも のである。況んや最近七八年釆は、骨臆自らその栽培を許すのみならす、飼駐屯軍は人を況してその栽培新興励 倉﹂の調香月報によれば、安徽省北部の鴇片栽増の状況は次の如くである。 集し、本年度合肥における栽曙狼片に封する財政部の注文は、少くとも十二萬畝であると報告してゐる。﹁挺毒 解七巻 発二渋 ︵仙〇六︶ 二四
したのである。即ち﹁お前は阿片栽培の元手を席ってゐないのか?・▲軍前が持ってゐ稚けれぼ、自分が持ってゐ るから利相したがい1。後で十倍にして返してくれ1ぽい1のだ。お前は他人から妨害される事を恐れなくても い1。もし必要とあれば自分咋軍隊を以てお前を保障してやらう。あんな犬の様なもの∼音ふことには梼はす、 自分の云ふことに捉へよ﹂と。こんな有様であり、何人とても金儲けを望まないものはないのだから、誰も彼も が劇様に大急ぎで土地を排し、普通の農産物の代りに阿片を栽培し、大いに傾けやうと思ったのである。ところ が、囲らすも鵜年間かの栽培の後漸く、そんな夢のやうな好い事は決してあるものではない寄がわかった。即ち 第側に播種別には第叫回の税金をとられ、第二忙、格付親には叉謂ゆる﹁蕎捕﹂といふ税金をとられる。即ち蟹釆 一株毎に税金を課せられ、少しもどまかす事を許されない。第lニに、牧橙現には叉辟金が課せられる。第凶には 市場に遅速される時保険料をとられ、第五、第六と、この外にも若干の鏡を出さねばならぬ暗がある。しかも多 くの阿片を栽培して、大勢の者が何れも金儲けをしやうと思ってゐたのに、阿片の慣格が暴落したゝめに、一年 の間刻苦精励して土嘩を耕した事は全く骨折り損の草臥れ儲けと計つてしまつた。では最早再び・栽培しないでも よいかといふに、さうはゆかない。地方の役人や駐屯軍は督知を出して倣然として富ふのである。阿片を栽増せ んと欲する者は速かに税金を納入せよ、栽培する事を欲しない着からは、規則通りに税金を、例へぼ第山犬の﹁憐 情税﹂履徴収するぞと。﹁あ1! これでは二網打壷だ!反封! 反封!﹂と多くの人民は反封して立つた。だ が反勤したとて重く無駄な事である。城内の紳士らも承知してゐるのだ。即ち﹁軍隊の糧食の供給は緊要であり、 支那における投光経済の崩壊とその影響 ︵山〇七︶ 二五
それがためには人民は背痛を忍ばねばならぬ﹂と。各郷の院長らも亦承知してゐるのだ。即ち﹁吾々に何の力が あつて軍隊に抵抗出爽やうぞ。まして各郷何れも税金を納めて阿片を栽増してゐるのだ。もし吾々叫地方のみが 他の地方と特別に興ってゐるとすれば、− お前達考へても見よ − 凡ての人民が唐劃様に蔑畝かづ1を栽培し たゞ幾千囲もの患い税金をやめて貿ふに若くはないではないか。さうすれば、あの礪惰梯などの免除も希望する ことが出来やう。まLて人民連も亦、結局いくらかの元手を回収する寄が出釆るだらう。この方がもともと合理 的だよ。お前凄も二様に何畝かの阿片を栽増せよ。自分も同じく幾畝かを栽培しやう﹂と。かくの如くして自然 に阿片栽増地方が遷化し、攣か経過する問芸第に多くなつねわやある。﹄︵繁盛粕謂㌍針脚巻︶ これは仙篇の文革的捕需であるが、賛際の情況も亦確かにかうであつたのである。反動的軍閥官僚は農民を強 迫した。これに封して農民は如何なる手段方法をとつたであらうか?。 軍閥政清の下に於ては、土豪蛮紳の専横はたゞに飽くなき搾取に止まらす、尚また膠辛気値に人を殺しさへも したのである。この軍も亦、直接に農民を振って集困的に土鞄より遊離せしめ、農薬紅臍の崩壊を急速ならしめ たものである。湖南、贋東等に放ては、この郡の現象は一般的であつた。 以上胡察した如く、農業控臍の崩痕に些一つの原因がある。その第叫は帝囲主義の保略であり、その第二は封 建政治的搾取である。だが賢際は主要なものはやはり前者であつて、後者はたゞその崩壊速度を促進せしめた〓 秤の動力にすぎない。のみならす、封建政治的搾取と帝因主義との闘には賛按な関係がある。− 史に一隊具腰 菟七巻 第 二 戟 ︵血〇八︶ 二六
的にいへば、申図の封建軍閥の存在は帝観主轟虹依存して悟り、軍閥相互間の内乱は、簡閲主義問の利昏の衝突 の表現である。政忙吾々が農柴経済崩壊の原因を追求するならば、それは雷然帝囲重義の俊略であると云ふこと が出来る。 三 農業繹臍の崩嶺過程 帝観主義の経済的侵略は、農業経臍を破壊し始めると同時に、農村のうちに一種の特殊階級を形成した。それ は即ち﹁掩蓋月餅階級﹂である。との階級の利益は、帝囲主轟の商品鬱略に依存してゐる。従ってこの階級は、 帝団主義の農相俊略の掠奪的ブローカーである。帝国童童の農村に劉する原料搾取及び商品版資は、すべてこの 階級の争を経る必要があった。故にこの階毅の勢力は、帝囲主義の侵略の肇展に従つて敬展したのであるぐ静観 主義の経済的俊略の過程に於て、一面には農業経済の破産と農民の土地よりの英国的遊離と、他所には地主質耕 階級勢力の餞展とに件ひ、土地所有は益々集中化Lた。故に、吾々は豊栄紋所の崩壊といふのは、中小農民の破 産であり、決して農業全館の没落ではない、ことを知らねぼならぬっ 帝図案義の経済的俵略が日叫日と磯展するや、農紫綬臍の崩壊も亦日鵬日と激甚となり、破産火薬農民も亦日 両日と増加した。敢命はてれらの項困的失輩農民を受け入れる串を柑ない。1四欺の資本黄鶉的先進因家に於 ては、農紫経済の褒頸は他翫に於てはエ業の教法であるが散正、農艮は土地から遊解しても直ちに都市のエ坂に 支邦Kおける愚弟経済の崩壊とその影響 鵬〇九 ︵二七︶
第七忽 弟二坑
︵ニ﹂○︶ こ人集中する事が出来た。之に反して中国に於ては、一方には農業経済が崩壊するにも拘はらす、他方、郡市二葉も
亦獲展不能の状態にあるのである。故に先発島民は﹁頗るに家なき農民﹂となり、かくて農民感動は勃敬し始め
たのである。
農民暴動は、最初地方の和税反封の形式を以て出現し、漸次地方的暴動となり、郡市に集つて蒜の金牌的暴
動となつたのである。−又日常の経済的嗣寧より進んで盲犬なる政治闘寧と化したのである。けだし、最近幾十年釆の中歯偲、農柴紅臍崩壊の過程申にあつたからである。鴇片職寧以後、農民暴動は普遍的に畿展し始めた。
これは極めて明白なことで奉る。けだし、鳩片我等以後帝国主義の勢刀が大螢して中翰に侵入し、盈柴経済を破
壊し始めたからである。
最初は贋魔の四空常において、蒜の貧弱な局部的暴動として規はれはじめた。これらの暴動の最初の形式
は何れも和税反封運動であり、高三、二人の願知事を虐殺したに過ぎモ決トて何等の政治的日梗をも有する
ものではなかつた。然るに、農業経済崩底の形勢は旦日と激甚となり、従つてこれらの貧弱なる暴動も漸次畿
展して途にかの偉大なる大平天国運動を形成する忙至ったものである。
この際営々の注意に値するものは、何故にこの騒動が贋凍省において始つたか? といふことである。それは賛際鹿めて容易に知り得ることである。即ち廣東は封外貿易の故も早く牽達した地方であり、帝闘主義の侵略を
受ける事も最も甚だしく、農村の破産状態も亦最も激しかつたからである。
鹿片哉寧は一八〇四年であ骨、太斧天国遊動の開始は山八東〇年である。このことば、太平天賦遊動が、帝国
辛革勢力の寝入によつて惹き起された農業経済の崩壊の産物であることの、好個の詮明である。
太平天国運動は、農民の自然教生的原始暴動である。けだし、これらの破産発覚農民は、飢寒に迫られて自然
的に暴動化したものである。太平天開運動は、表面上政横争奪運動の如くであるが、その嘗、政権寧奪は鵬程の
表面的現象にすぎないCこの運動の中心目梗は土地問題の解決である。眈に述べた如く、帝問主義勢力の俵入後、〓蹴ぬ於ては農民が薬園的に土曜から遊離すると共に、他面に放ては土地集中の傾向が急速に進展した。失柴農
民の蟄求するものは、土地である。故に土地問題の解決は即ち太平天闊退勤の中心目標だづたのである。これは、
決して吾々の想像のみではなく、寧嘗がさうだつたのである。即ち革嘗をあげて琵明すれぼ、太平天開運動の通
過せし地方に放ては、最初は随時に土地を没収し、且つ一位の原始的分配方法五用ひ、共産主義的に土地を農民
に分配し紆のである。その後又﹁天朝問畝制度﹂が公布されたが、この制度は太平天開運勤を研究するための最
も盈要な文献であり、嘗々の睦意すべきものである。こゝにその原文の摘要を抄録すれぼ次の如くである。
﹃凡そ二軍は、土地董撃て㌧刑法埜下金銭穀物原撃て収入原簿二﹁支出原簿二、︵正副各山冊づゝ︶を備へ置き、蘭帥は放帥を粂接する。その任に首る者はその事務を掌り、その事務に常らざる者も亦、その事務を助く。
凡そ一軍の〓別の生死凱捗を行ふには、軍師は監軍に申請t、監軍は欽命徳利に申請し、更に欽命鴇制は将軍、侍衛、指揮、桧鮎、丞相に申請す。盛租は軍師に俺達し、軍師は天王に奏し、天王は旨を降七、軍師はこれを運
支那におげる鹿幾経済の崩壊とその影響 O﹂ こ こ九第七攣 発こ兢
︵ニ二︶ 三〇 行す。功臣は代々天繰を受く。その後踵順するものは、毎年各璽人づ1伍卒となす。事あれぼ、すなはち首領 之を率ひて兵となし、敵を殺し、賊を輔ふ。事なけれぼ、すなはち督餓これを督励して盈をなし1椚を耕して、上に奉る。
凡そ田はこれを九等に分ち、その竺畝につき春秋二季竺千二抒斤をあげ得ペきものを上上田、二王鱒行な
ぁげ得べきものを上中田、⊥千斤をあげ得ペきものを上下田、九官庁をあげ得ぺきものを中上田、八宵斤をあげ
得ペきものを申中田、七百斤をあげ得ペきものを中下田、六百斤臥あげ得べき掲のを下上田、先胃斤をあげ得べ
きものを下中田、凶作斤をあげ得べ凄ものを下下田となす。上上田州畝は上中田の酬畝︼分、上下餌の両畝二分
中上出のー畝三分五雪中中田の〓蹴充分、中下田の−畝七分五璧下上村の二畝、下中田の二畝国分、下下田 の=蔽忠言っ凡そ田は人口に潤し、男女の別なく、家族数の多寡に償って分たる。人多けれぼその分覇も多く、人少なけれぼその分前も少くなる。その分配に於ては、混へるに九等の閏を以てす。即ち例へぼ二璽ハ人なれぼ
三人に糞田を、他の三人に醜組む分元る。美醜各々牛ぼとす。凡そ天下の人の同tく耕すところにして、此鹿不足なれば彼虞に移し、彼虚不足なれぼ此磨に移す。凡そ天下の田は豊凶相通じ、此慶凶なれぼ、彼の農地より移
してこの凶虚を賑はし、彼虚凶なれぼ、この盈地より移してかの凶地を賑はす。努めて、天下をして共に天父、
上主、皇上帝の大福を事けしむ。田あれば等しく排し、飯あれぼ等しく食ひ、衣あれば同じく着、鏡あれぼ同じ
く使ふ。一として均衡なちぎる鹿なく、人として飽暖ならざる者なし。凡そ男女は十六戯以上は何れも田憂受け、
十花戯以下はその半ばを受く、もし十六歳以上のもの上上田叫畝を受くれぼ、十冗談以下のものはその年分む減 じて上上田五分を分け輿へられる。又もし十六戯以上のもの下下田二面を受ぐれば、十粛歳以下のものはその年 分針減じて下下田刷畝五分を分け輿へられる。凡そ天下到る虚、その宅地内に桑を樅へしむ、凡そ婦女をして笠 を餉ひヽ糸をつむぎ、衣を縫はしむ。凡そ天下各家をして雌五羽、雌雉子二羽を餉はしめ、繁殖せしむ。凡そ収 穫硯には、爾司娼、伍長は共に二十五戸につき、各人の食料と探種用穀物とを除き、飴りあれば即ち閉庫に騙せ しむ。凡そ蓼、富、苧肺、布、鵜、犬、其他のもの及び金銭も亦同様である。けだし、天下何れも皆、天父、上 べて吻を用ふるには髄約を旨とし、以て兵乱に儲ふっ凡そ天下の婚姻には貧富の別を設けす。凡そ二十五戸のう く用ふることを得ず。もし一家に結婚出産等あれぼ﹂踵竺千と穀物仙甫斤を給し、天下を通じて二様である。す そ二十五戸のうちに結婚出産等の慶事あれぼ、何れも開庫より支出す。たゞし∵元の制限ありて、一銭と雄も多 及び収入支出原籍に緒記すづ凡そ二十五戸のうちに、囲陸側、鰻丼堂一、を設立し、これに丙司馬が住居す。凡 じて牡を救はLむるの意である。たでし爾司馬は、その金銭、穀物の敏蛍を記録しおき、その数を金銀嚢物原籍 運用し、天下の人民は到る盛年均化し、人々は飽唆である。これ即ち天父、上主、皇上帝が特に大平の質主に命 主、畠上帝の一大家族だからである。天下の人、仙人宣して私物を受けす、物はすべて上皇に鐸し、上主は之を ちに.は陶冶、木石等の職ありて、伍長及び伍卒をして農閑親にこれに従事せしむ。凡そ爾司馬は、その二十五戸 内の結婚等の慶事を掌り、すべてを天文、上主、畠上帝に祭骨す。常時代の二切の懇例を打破し、二十五戸のう 支那におけ争毘米経済の崩壊とその影響 ︵r〓ニ︶ 三脚
︵∵血四︶ 三二 第七巻 第 二、兢 ちの兄題は絶て毎日榎挿掌把到り、雨司馬は背約聖書、新約聖書および勅語を教授する。日曜日には伍長は各々男 女を率ひて祀揮堂に到り、男女を甚別して道理を講悲し、天父、上主、皇上帝を讃莫祭典する。凡そ二十風声の うち農を励むもの吟質せられ、農を怠るものは訳せらる。もし各家に訴訟あれば、双方共に弼司馬に赴き、爾司 馬はその曲直を聞く。もし治まらざれば、即ち彼は双方を伴ひ卒長の許に赴き、卒長その曲直を聞く。荷治まらざ れば、即ち卒長はそのことを放帥、師帥、典執緯及び軍帥に上申する。軍帥は典執法乙禽合してこれを判断する。 既に判決書作成さるれば、軍帥は又必らすその事を監軍に上申し、監軍は次に絶制、将軍、侍街、指揮、槍鮎及 び虔相に上申する。盛相は軍師に窮し、軍師は天皇に奏し、天皇は旨を降し、軍師、塵禰、検鮎及び典執法等に 命じて直ちに天皇の主節を仰がしむ。天王はすなはち旨を降して主断す。生殺輿奪は軍師の旨に運ひて虚決する。 凡そ天下の官民はすべて十誠を蓮守し、叉命令に遊ひ、轟忠報観の者は忠となし、卑より高に降し、代々その官に つかしむ。官吏にして十誠にそむく著及び命令に逆ひ、賄賂を受け、貨幣を私消する者はすなはち好となし、高 より至卑に彪し、農民となす。十誠及び命令をよく守り、農に励む者は賢となL、艮となし、或は之を推蓼し、 或はこれを質す。十謙及び命令に簸き、農を怠る者は意となし、頑となし、或は誅し或は罰す。凡そ天下毎年一 回官吏の快員を補ふ。人を推螢してその人を得れば、推薦者も賞を受け、人を推察してその人を得ざれば推薦者 も亦罰を受く。その伍卒にしてよく十誠及び命令を遵守し、農を励む者あれば、雨司馬は行蹄を列挙してその姓 名並びに推薦者の氏名を卒長に上申す。卒長はその人をその百戸の中にて詳細に調査し、もし果して事茸なれば、
すなはちその人及びその推薦者の氏名を旗帥に上申す。旗帥はその人をその五百戸のうちにて詳細に調査し、も し発して革質なれば、すなはちその人及びその推薦者の氏名を師帥に上申す。禰柵は叉その人をその二千五首戸 のうちにて詳細に調査し、もし果して串貰なれば、す訂はちその人とその推薦者の氏名を軍帥に上申す。軍帥は その人をその全軍のうちにて詳細に調教し、もし果して欝管なれぼ、すなはちその人と推薦者の氏名を監軍に上申 す。監軍は級別に上申し、挽制は次に将軍、侍衛、指呼、瞼鮎、盛相に上申す。塵相は軍師に誼し、軍師は天皇 に奏し、天皇は旨を降し、天下各軍の推蓼者を調査し、これを或は旗、或は師帥、或鱒族帥、或は卒長、爾司馬、 伍長等鱒選任す。凡そ濫り控人を推轟する者は却けて農民となす。凡そ、天下の諮甘蛍些二年に剛塵界進、殿下 され、天朝の令を以て公布さる。⋮⋮⋮﹄ この﹁天朝出畝制度﹂の主要意義は、すなはち﹁田あれば等しく排し、飯あれば等しく食ふ﹂﹁各人はその能 するところを壷し、その富むるところを受く﹂とhふことである。 太平天国運動は、封唾的神秘的色彩む帯びてゐるとは云へ、客観的には反膏閲重量、反封建勢力的運動である。 これらの神秘的、封建的色彩は、もと′∼原始的暴動の本質である。一種の大衆遥勤の牽生は、何れもか1る原 始的形式を有するものである。 太平天国運動以後も、依然として各鹿に小暴動が普遍的に蟄展し、遮信二九〇C年に至り、かの偉大なる轟和 国運動として爆聾したのである。 支那における膣基経潜の崩壊とその財響 ︵一岬五︶ ≡三
轟和国運動も亦太平天国遊動と同様に、叫柾の農民の原始的暴動であり■.やはり破産失柴農民が生計に迫られ て、自然餞生的に爆敬した﹁種の運動である。ご施すれ、ぱ、拳和国運動と太平天囲運動とは、完全に相違せるこ つのもの.1棟℡ある。けだし太平天閏運動は滞納に反封するものであるに反し、義和団逆潮は﹁扶清滅捧﹂だか らである。だが、蜜際七は南東共に反帝国主義、反封趨勢力的運動であるぐけだし、弼者共に政始的武装暴動な るが故に明確なる旗臓を有せす、太平天開運勤は清朝に反別し、その道勤の領袖はすべて帝位取寧ひ、天下む奪 はんとしたとは云へ、客観的には二榎の反封建勢力的運動である。この番は.なかんづく無健件的に土地を没収 し、これを原始的方法kよつて農民の細に分配した鵬鮎に、特に明白に現はれてゐる。 太平天開運動の領袖は封外親善を饗明してゐるとは云へ、客観的に見れぽ、この道動も亦戊帝囲主養的運動で ある。前述の如く、太平天観運動の木質は、帝飼主並の経済的侵略によつて惹き起された破産失糞農民の暴動で ある。この事は、太平天薗運動の性質酢疑ひもなく反帝闊卓論的であることを、よく詮明し縛るものである。 鵡和国超勤の鱒葡国主量的性質が、太平天観運動に比較して粟忙叫溶明碓であることは勿論である。後者にあ つ▲ては、公然と掲げられた﹁排外的﹂︵反簡閲主義的︶スP−ガンかなかったに刻し、前者にあつて之が主要目標 / となつてゎた。 たゞ義和困は﹁秩掃滅渾﹂を欲した1めに、多ての人は決して溝和開運動が反対趨勢力的運動ではない、と思 ってゐる。だが、この輯の親祭は確かに正しくない﹂兼和国の﹁扶満﹂を欲するの所以は、これ﹁滅洋﹂のため 菟、七▲奄 蒐こ渋 二 〓ハ︶ 三田
であり、決Lて清朝忙息ならんがためではない。即ち次の酬革質即ち義和圃の勢力を占めた地域に於ては、封建 的官僚地主が何れも甚だしき盛迫をうけた寄を傘ぐれぼ、この運動が反封建勢力的であつた事を謹明し得るであ らAノ○ 今や次の如き問題が生する。即ち、義和圃と太平天開運動とが、既に同様に反膏幽素量的、反封趨勢力的運動 だとすれば、何故に二つの異る、否完全に相反する ー 即ち前者は﹁扶清浮城﹂なるに反し後者は﹁祝辞城満﹂で ある1形式を以て現はれたのであるか? といふことである。だがこの事も亦、極めて容易に珊解され得るで あらちノ。 太平天開運動の爆磯は、帝幽主義の経済的侵略によつて惹き起されたものだとは云へ、常時の民衆の意識がま だ極めて漠然たるものであつたのと、他所、帝闊宅義の罪怨も亦義和国運動富時程に願誓ではなく、農民は破屋 失業の危険敲感じながらも、彼等はそれが帝圃主義の経臍的侵略に基くものである等を知らず、たゞ清朝政府の 盈ねくの搾取のみを見かT−1即ち常時清朝政府は定額の賠償金麦沸の必要から、人民に射する搾取を加質せざ るを柑なかったのである ー が焉に自然に目を清朝政府に向けたのである。この道動の用袖が封外親善を表明し たの蜂、全く小粒の策略に過ぎす、運動そのもの1反簡閲主弟的性質を稀薄ならしめるものでは決してない。帝 ﹀、国主義自身は極めてよく太平天闊運動の磯展が、彼らの中国における利益に反する事を知ってゐたから運動の領 租が聴力封外親善を表明したにも的はらず、帝閲主我は直線武力を用ひてこの運動の磯展を妨奪したのである。 支那における農丑経済の崩壊とその影響 ︵二七︶ 三先
殊に上海方面における外囲軍艦からの襲撃による太平天閥軍の損害は非常に大なるものであつた。なほその後、 太平天閉軍討伐の曾閥務の部隊の中には正式の外因密除が硯はれたほどである。 これに反して、義和団運動の時には、帝囲主義の罪意は既に一般人の痛恨する朗となつてゐた。∫即ち民間 に於ても叫様に洋鬼子︵外国人︶の罪悪を深く憎まぬ者はないほどであつた。Lかも宣教帥が帝国主義の勢力に寝 り、地ちにあつて人民を欺瞞したことは、更に人民をして切歯振躍、憤慨せしめたものである。故に轟和国運動 は宣教師を虐恋し、数食堂を焼彿ふ等、原始暴動の形式をとつて勃塗したのである。義和圏が﹁扶満﹂を棟傍し た所以は、たゞ頼朝の⋮租の政治的勢力を利用せんとしたのに過ぎない。−Ⅰ即ち原始的運動にあつては、何が 利用し待ペきであるかを知らなかったのは勿論であるが、たゞ客湖的に見れぼ、大衆が清朝の政治的勢力を利用 して、帝閲主義に反封せんとしたのに過ぎない。 封建的勢力は、規賓に於ては完全に帝閲主義の用具となつた。だがその常時に於ては、彼らも尚帝閣主義の塵 迫を受けて居り、依然とLて横倉だにあれば奮起して報復せんと欲してゐたのである。義和団運動に於て、清朝 政府が依然として大衆の味方となつてゐたのは、これに基くもので■ある。轟和国運動以後、各地に於て小暴動が 絶へす教壇してゐた。けだし、農菓鮭済は絶へざる崩壊の過程中にあつたが故に、農民暴動も亦永く停止し得な かったからである。︵未完︶ 第七容 第 二渋 ︵一一入︶ 三六