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1 15 章 पञ चदश ऽध य य: パンチャダシャハアッディヤーハ प र ष त तमय ग: プルショーッタマヨーガハ プルシャ ( 人間の ) ウッタマ ( 究極の真実 ) についての章 ॐ オーム श र परम त मन नम シュリーパラマートマネー ナマハ 偉大なるアートマー

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15 章 पञ्चदशोऽध्याय: パンチャダシャハ アッディヤーハ पुरुषोत्तमयोग: プルショーッタマヨーガハ プルシャ(人間の)ウッタマ(究極の真実)についての章 ॐ オーム श्रीपरमात्मने नमः シュリー パラマートマネー ナマハ 偉大なるアートマー(真我)、イーシュヴァラ(自然の摂理)に自分を明け渡します。 अथ पञ्चदशोऽध्यायः アタ パンチャダショーディヤーヤハ これから『バガヴァッドギーター』15 章を始めます。

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15-1 サンサーラ(輪廻)の木 【サンスクリット語原文】 श्रीभगवानुवाच ऊध्ववमूलमधःशाखमश्वत्थं प्राहुरव्ययम् । छनदांसि यस्य पर्ावनन यस्तं वेद ि वेदववत ् ॥१५- १॥ 【読み方と意味】 श्रीभगवानुवाच シュリーバガヴァーン ウヴァーチャー バガヴァーン(大いなる存在)はいいました。 ऊध्ववमूलमधःशाखम् ウールドヴァムーラン アダシャーカン 根が上にあり、枝が下に伸びてゆく、 ऊध्वव मूलम्ウールドヴァムーラン 根が上にあり、 अधःशाखम ् アダシャーカン 枝が下に伸びてゆく、 अश्वत्थं प्राहुरव्ययम् ।アシュヴァッタン プラーフラウッヴャヤン アシュヴァッターの木は、始まりも終わりもないサムサーラ(輪廻)の木だと賢者はいいます。 अश्वत्थंアシュヴァッタン アシュヴァッターの木は प्राहु:プラーフ 彼らは(賢者たちは)言います。 अव्ययम ्アウッヴャヤン 始まりも終わりもないサンサーラ(生死の繰り返し)の木だと、 छनदांसि यस्य पर्ावनन チャンダーンシ ヤッシャ パルナーニ カルマ(行い)を教える『ヴェーダ(聖典)』が、その木の葉である。 छनदांसिチャンダーンシ 『ヴェーダ(聖典)』であり、 यस्य पर्ावननヤッシャ パルナーニ その木の葉は、 यस्तं वेद ि वेदववत ्ヤスタン ヴェーダ サ ヴェーダヴィト その木の真実を知る者は、『ヴェーダ(聖典)』のすべてを知る者だという。 य: तं वेदヤハ タン ヴェーダ この木を知る人は、 ि:サハ 彼は、 वेदववत ् ヴェーダヴィト 『ヴェーダ(聖典)』を知る人です。

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15-2 サンサーラ(生死の輪廻)の木について 【サンスクリット語原文】 अधश्चोध्वं प्रिृतास्तस्य शाखा: गुर्प्रवृद्धा ववषयप्रवालाः । अधश्च मूलानयनुिंततानन कमावनुबनधीनन मनुष्यलोके ॥१५- २॥ 【読み方と意味】 अधश्चोध्वं प्रिृतास्तस्य शाखा:アダシュチョールドヴァン プラスルター タッシャ シャーカーハ 下と上に、広がりながら伸びてゆく。その木の枝は、 अध: アダス 下に、(人間から下に生まれ変わること、動物や植物) च チャ また、 ऊध्वं ウールドヴァン 上に、(人間から上に生まれること、天使や神々) प्रिृता: プラスルター 伸びてゆく तस्य शाखा:タッシャ シャーカーハ その木の枝は、 गुर्प्रवृद्धा ववषयप्रवालाः । グナプラヴルッダー ヴィシャヤプラヴァーラーハ गुर् प्रवृद्धाグナプラヴルッダー 3 つのグナ(質)がベースになる行いによって枝は広がり、 ववषयप्रवालाःヴィシャヤプラヴァーラーハ 五感で味わう対象物に向かって伸びてゆくのが枝の節です。 अधश्च मूलानयनुिंतताननアダシュチャ ムーラーン アヌサンタターニ अध च アダシュチャ そして下にある मूलान्ムーラーン 木の根は अनुिंतताननアヌサンタターニ 地に根付き、その木(輪廻)を深く支えます。 कमावनुबनधीनन मनुष्यलोके カルマーヌバンディーニ マヌッシャローケー कमावनुबनधीननカルマ アヌバンディーニ 行いが、人を輪廻に縛り付けます。 मनुष्यलोकेマヌッシャローケー (人を)この世界や、人間の体に *カルマ(行い)を積むことで人は、 何度も生死の輪廻を繰り返し生まれ変 わります。 木の枝は、次の根となり、輪廻のベー スとなります。枝が上に下に広がると は、人間から上にも下にも生まれ変わ る可能性があるということを示してい ます。

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15-3 サンサーラ(輪廻)の木は真実の知恵でのみ、打ち倒すことができる 【サンスクリット語原文】 न रूपमस्येह तथोपलभ्यते नानतो न चाददनव च िंप्रनतष्ठा । अश्वत्थमेनं िुववरूढमूल-मिङ्गशस्रेर् दृढेन नछत्त्वा ॥१५- ३॥ 【読み方と意味】 न रूपमस्येह तथोपलभ्यते ナ ルーパマシェーハ タトーパラッビャテー この木の上にある本当の根は、目で見ることができない。 रूपम् अस्य ルーパ アシャ 木の根(世界が現れているベース)は、 इह तथा イハ タター (根が上にある)木はここにあるからこそ(根があることは確かなのだが、) न ナ उपलभ्यते ウパラッビャテー 目で見ることができない。 नानतो न चाददनव च िंप्रनतष्ठा । ナーントー ナチャーディル ナ チャ サンプラティシュター न अनत: ナ アンタハ 終わりもなく、 न च आदद: ナ チャ アーディヒ始まりもなく、 न च िंप्रनतष्ठा ナ チャ サンプラティシュター その間も同じ形であることがない。 अश्वत्थमेनं िुववरूढमूल-アシュヴァッタメーナン スヴィルーダムーラン अश्वत्थम् एनं アシュヴァッタン エーナン このアシュヴァッター(菩提樹)の木は、 िुववरूढमूल スヴィルーダムーラン– 根がしっかりと深く大地に入り込んでいる。 अिङ्गशस्रेर् दृढेन नछत्त्वा アサンガシャーストレーナ ドゥルデーナ チットヴァー अिङ्गशस्रेर् アサンガ シャーストレーナ 執着を放つ知恵に磨かれた斧によって दृढेन ドゥルデーナ すっぱりと確実に नछत्त्वा チットヴァー切り倒すことができる。

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15-4 YOGA のゴール(パダン)を達する人は輪廻に戻らない 【サンスクリット語原文】 ततः पदं तत्पररमार्गवतव्यं यस्स्मनगता न ननवतवस्नत भूयः । तमेव चाद्यं पुरुषं प्रपद्ये यतः प्रवृवत्तः प्रिृता पुरार्ी ॥१५- ४॥ 【読み方と意味】 ततः पदं तत्पररमार्गवतव्यं タタッ パダン タッ・パリマールギタウヴャン サンサーラ(生死の繰り返し)の木を執着から切り離して、この世で知るべき世界の真実を知り、 ततः タタッ(サンサーラ(生死の繰り返し)の木を、執着から離れる知恵の斧で切り倒した)その後、 पदं तत ्パダン タット 行くべき最終地点へ、すべての源であるゴール पररमार्गवतव्यं パリマールギタウヴャン 探されるべき、探究されるべき यस्स्मनगता न ननवतवस्नत भूयः । ヤスミンガター ナ ニヴァルタンティ ブーヤハ 知るべき知恵を得て、最終的な境地に達することで、人は二度と輪廻に戻ることがない。 ヤスミン・ガター その最終的に達したとき、 ナ・ニヴァルタンティ・ブーヤハ その人はサンサーラ(苦楽が繰り返す世界に)2 度と戻ることはない。 तमेव चाद्यं पुरुषं प्रपद्ये タメーヴァ チャーディヤン プルシャン プラパッディエー 世界の源プルシャ(真実)だけを、知恵ある人は探し求める。 タン エーヴァ チャ それのみを、そして、 アーディヤン 世界の始まりがある プルシャン プラパッディエー その源、すべてのベースであるプルシャ(真実)を探し求める。 यतः प्रवृवत्तः प्रिृता पुरार्ी ヤタッ プラヴルッティ プラスルター プラーニー プルシャ(真実)から遠い昔、世界のすべてが現れた。その真実だけを、見極めある人は求めるのだ。 ヤタッ プラヴルッティ この世のすべてがそこから現れたプルシャ(真実)だけを、 プラスルター プラーニー 現れた。遠い太古の昔

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15-5 どういう人が YOGA のゴール(パダン)に、プルシャ(真実)の知恵に至るのか? 【サンスクリット語原文】 ननमावनमोहा स्ितिङ्गदोषा अध्यात्मननत्या ववननवृत्तकामाः । द्वनद्वैवववमुकताः िुखदुःखिंज्ञै- गवच्छनत्यमूढाः पदमव्ययं तत् ॥१५- ५॥ 【読み方と意味】 ननमावनमोहा स्ितिङ्गदोषा ニル・マーナ・モーハー ジタ・サンガドーシャーハ 自分をひけらかすこと(マーナ)も、無知に迷うこと(モーハ)も、感情の奴隷となることに(サンガドーシ ャ)打ち勝った人は(ジタ) अध्यात्मननत्या ववननवृत्तकामाः । アッディヤートマ・ニッティヤー ヴィニヴルッタ・カーマーハ 真実の知識を自分の知恵にし、欲望の囚われから解放された人は、 アッディヤートマ・ニッティヤー 真実の知識を自分のものにし、 ヴィニヴルッタ・カーマーハ 欲望の囚われから、解放された人は द्वनद्वैवववमुकताः िुखदुःखिंज्ञै- ドヴァンドヴァイルヴィムクヴァーハ スカドゥッカサンニャイヒ 苦楽、快不快という裏表のあることに心を忙しくすることがなく、 ドヴァンドヴァイヒ あらゆる表裏あることから ヴィムクヴァーハ 完全に自由で スカドゥッカサンニャイヒ 苦楽、快楽不快ということで知られる 2 つに分かれた物から、 गच्छनत्यमूढाः पदमव्ययं तत ् ガッチャンティムーダーハ パダマゥヴャヤン タト 真実に対する混乱が無い人々は、けして変わることない唯一の知るべき事実にたどり着く。 アムーダーハ 混乱がない者たちは、 パダン 最終的にたどり着く真実 アゥヴャヤン けして壊れることがない タト その

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15-6 知るべき真実_プルシャ(人間の真実)、パダン(ゴール)について 【サンスクリット語原文】 न तद्भाियते िूयो न शशाङ्को न पावकः । यद्गत्वा न ननवतवनते तद्धाम परमं मम ॥१५- ६॥ 【読み方と意味】 न तद्भाियते िूयो ナ タッドバーサヤテー スールヤーハ (私自身の真実である存在、アートマー、プルシャ)は、太陽の輝きでも輝かすことができない。 न शशाङ्को न पावकः । ナ シャシャーンコーナ パーヴァカハ 月の光によっても輝かすことはできない。 (なぜなら、私の真実アートマー(真我)はそれ自ら輝いているから。) यद्गत्वा न ननवतवनते ヤッガトヴァー ナ ニヴァルタンテー 自分自身と世界のただ1つの真実にたどり着いたものは、(生と死が繰り返す世界に)戻ることはない。 तद्धाम परमं मम タッダーマ パラマン ママ それこそがすべてを輝かす光の源、意識の根源、人々が至るべき限りない境地、それが人の真実である。

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15-7 “個人、私”という考え 【サンスクリット語原文】 ममैवांशो िीवलोके िीवभूतः िनातनः । मनःषष्ठानीस्नियाणर् प्रकृनतस्थानन कषवनत ॥१५- ७॥ 【読み方と意味】 ममैवांशो िीवलोके ママイヴァーンショー ジーヴァローケー “個人”の世界は、アートマー(真実)のほんの一部の現れである。 ママ 私=アートマー(真実)に エーヴァ アムシャ ほんの一部 ジーヴァローケー 個人という世界に िीवभूतः िनातनः । ジーヴァブータ サナータナハ それは、永遠なる存在である命の源である。 ジーヴァブータ 行い手、経験者という個人が、 サナータナハ 永遠のアートマー(真我)、 मनःषष्ठानीस्नियाणर् マナッ・シャシュターニーンドリヤーニ 個人は、5 つの感覚と 6 つ目の道具である心のある体に宿り、 マナス シャシュターニ 6 つ目の道具である心と、 インドリヤーニ 5 つの感覚器官は、 प्रकृनतस्थानन कषवनत プラクルティスターニ カルシャティ 体を手放すときに 6 つの器官を体から引き離す。 プラクルティスターニ 肉体の中に(宿っていた 5 つの感覚と、心の 6 つの道具を) カルシャティ (個人は体を捨て、6 つの内なる道具を)引き離す。

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15-8 人が体を手放す時 【サンスクリット語原文】 शरीरं यदवाप्नोनत यच्चाप्युत्रामतीश्वरः । गृदहत्वैतानन िंयानत वायुगवनधाननवाशयात् ॥१५- ८॥ 【読み方と意味】 शरीरं यदवाप्नोनत シャリーラン ヤダヴァープノーティ そしてまた、新しい体を手に入れる。 शरीरं 体を यदा वा そしてまた、 आप्नोनत(新しい体を)手に入れる यच्चाप्युत्रामतीश्वरः । ヤッチャーピュックラーマティーシュヴァラハ この体に宿っている者は、体を去る時、 यदा च अवप ヤダー チャ アピ そしてまた(体を去る)時、その時、 उत्रामनत ウックラーマティ(この体に宿る者は)体を去る。 ईश्वरः イーシュヴァラハ この体を司る者、17 の体を構成するものを司る者、ジーヴァ(個人) *この詩でのイーシュヴァラは“体に宿る個人”という意味です。 गृदहत्वैतानन िंयानत वायुगवनधाननवाशयात् グルヒトヴァイターニ サンヤーティ ヴァーユルガンダーニヴァーシャヤーット 感覚と心をもって何も残さずにそっと去る。まるで風が香りを運ぶように。 गृदहत्वा एतानन グルヒトヴァー これらの集められた感覚と心の 6 つの内なる道具を伴って िंयानत サンヤーティ(個人は)動く、何も残さずにさる वायु: ヴァーユフ 風が、 गनधा ननवाशयात ्ガンダーニヴァーシャヤーット 香りを運ぶように、

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15-9 ブランマン(普遍の存在)が、すべての経験の中心にいます。 【サンスクリット語原文】 श्रोरं चक्ुः स्पशवनं च रिनं घ्रार्मेव च । अर्धष्ठाय मनश्चायं ववषयानुपिेवते ॥१५- ९॥ 【読み方と意味】 श्रोरं चक्ुः स्पशवनं च シュロートラン チャクシュ スパルシャナン チャ 聞くこと、みること、そして、触れること श्रोरं シュロートラン聞くこと、そして、触れること चक्ुः チャクシュみること स्पशवनं च スパルシャナン チャ そして、触れること रिनं घ्रार्मेव च । ラサナン グラーナメーヴァ チャ रिनं ラサナン味わい、 घ्रार्मेव च グラーナメーヴァ チャ 匂いをかぐこと अर्धष्ठाय मनश्चायं アディシュターヤ マナシュチャーヤン (それぞれの五感とマナス(心)を支える存在が、私イーシュヴァラ(自然の摂理、全体)であり、 ジーヴァ(個人)の本当の姿である。 アディシュターヤ すべてを支える者 マナハ チャ (感覚と)そして、心 アヤン この(真実の存在が) ववषयानुपिेवते ヴィシャヤーヌパセーヴァテー 感覚の対象を、経験します。 ヴィシャヤー 感覚の対象を アヌパセーヴァテー 経験する。

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15-10 心の準備ができ、知恵の目を持つ人は真実を理解します。 【サンスクリット語原文】 उत्रामनतं स्स्थतं वावप भुञ्िानं वा गुर्ास्नवतम् । ववमूढा नानुपश्यस्नत पश्यस्नत ज्ञानचक्ुषः ॥१५- १०॥ 【読み方と意味】 उत्रामनतं स्स्थतं वावप ウックラーマンタン スティタン ヴァーピ 個人は、前に宿っていた体を出た後、同じように別の体にとどまり、 उत्रामनतं ウックラーマンタン (前に宿っていた体を)出た後、(体に宿っていた個人は) स्स्थतं スティタン (別の体に)とどまり、 वा अवप ヴァーピ そしてまた、 भुञ्िानं वा गुर्ास्नवतम् । ブンジャーナン ヴァー グナーンヴィタン 体において、快不快、好き・嫌いなど様々な経験をする。 भुञ्िानं ブンジャーナン (体の中に宿り)様々な経験をして、 वा ヴァー もしくは、また、 गुर्ास्नवतम्グナーンヴィタン 快不快、苦楽など様々な特徴を伴う(経験をとおして) ववमूढा नानुपश्यस्नत ヴィムーダー ナーヌパッシャンティ 真実を見極めない人は、(聖典の教える人間の真実を)理解することがない。 ववमूढा ヴィムーダー 真実を見極めない人は न अनुपश्यस्नत ナ アヌパッシャンティ (聖典が告げる自分自身の真実を)理解することがない。 *『ヴェーダ(聖典)』の教えが告げる人間の真実を見ない。पश्यस्नत ज्ञानचक्ुषः パッシャンティ ニャーナチ ャクシュシャハ पश्यस्नत パッシャンティ(真実を)理解します。 ज्ञानचक्ुषः(しかし、)知恵の目を持つ人は

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15-11 どうして自分の真実を知ることができたのか? 【サンスクリット語原文】 यतनतो योर्गनश्चैनं पश्यनत्यात्मनयवस्स्थतम ् । यतनतोऽप्यकृतात्मानो नैनं पश्यनत्यचेतिः ॥१५- ११॥ 【読み方と意味】 यतनतो योर्गनश्चैनं ヤタントーヨーギナスチャイナン यतनत: ヤタンタハ 努力している人(日々瞑想し心を静めている人)

योर्गन: ヨーギナハ YOGA をする人(日々の行いを YOGA にし、YOGA の知恵を学ぶ人)は、 च एनं チャ エーナン 彼らもまた、この真実であるアートマー(真我)を、 पश्यनत्यात्मनयवस्स्थतम् । パシャンティヤートマーニャヴァスティタン पश्यस्नत パシャンティ 理解します。 अत्मनन アートマーニ 知性において、心に、認識に अवस्स्थतम ् アヴァスィタン 宿っている(真実アートマー、意識の源を) यतनतोऽप्यकृतात्मानो ヤタントーピャクルタートマーナハ しかし、努力していたとしても、まだ真実を理解する心の準備ができていない人は、 यतनत: ヤタンタハ 努力をしている人 अवप アピ ~だとしても、 अकृतात्मान: アクルタートマーナハ 人間の真実を理解するための心の準備、成熟ができていない नैनं पश्यनत्यचेतिः ナイナン パッシャンティヤチェータサハ न एनं पश्यस्नत ナ エーナン パシャンティ アートマー(真我)自分と世界の真実である知恵を理解しない。 अचेतिः アチェータサハ 大事なことは何か?肝心なことを見極めない人々は、

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15-12 世界のすべてが、真実アートマー(真我)でできている! 【サンスクリット語原文】 यदाददत्यगतं तेिो िगद्भाियतेऽणखलम् । यच्चनिमसि यच्चाग्नौ तत्तेिो ववद्र्ध मामकम् ॥१५- १२॥ 【読み方と意味】 यदा आददत्यगतं तेि:ヤダーディッティヤガタン テージャハ 太陽の光が世界を照らすとき、 यदा ヤダー ~する時 आददत्यगतं アーディッティヤガタン 太陽の光が、世界を照らすとき तेि: テージャハ 輝きが िगद्भाियतेऽणखलम ्ジャガッバーサヤテーキラン 世界のすべてが余すことなく、太陽の輝きに照らされます。 िगत ्ジャガット 世界が भाियते バーサヤテー 照らされます。 अणखलम् । アキラン 余すことなく、すべてが यच्चनिमसि यच्चाग्नौ ヤッチャンドラマシ ヤッチャーグナウ 月の輝きも、火の輝きもアートマー(真実)によって輝きます。 यत ् चनिमसि ヤット チャンドラマシ 月における輝きも、 यत ् च अग्नौ ヤット アグナウ 火における輝きも तत्तेिो ववद्र्ध मामकम्タッテージョーヴィッディ マーマカン これらすべての(太陽、月、火)輝く物のなかの輝きそのものは、アートマー(真実)の輝きであると知っ てください。 तत ् तेि: タット テージャハ これら(輝く物のすべての)輝きは、 ववद्र्ध ヴィッディ 知ってください。 मामकम ्マーマカン (このすべてが、)私(アートマー真実の)輝きであると、

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15-13 真実アートマー(真我)がすべての生物に、植物に、命を与え、生かしています。 【サンスクリット語原文】 गामाववश्य च भूतानन धारयाम्यहमोििा । पुष्र्ासम चौषधीः िवावः िोमो भूत्वा रिात्मकः ॥१५- १३॥ 【読み方と意味】 गामाववश्य च भूतानन ガーマーヴィシャチャブーターニ 私アートマー(真実)が大地に入り、すべての生き物の中に宿ります。 गाम् ガーン 大地に、 आववश्य アーヴィシャ 入り、宿り च भूतानन チャ ブーターニ そして、すべての生き物の中に धारयाम्यहमोििा । ダーラヤーミャハモージャサー そして、アートマー(真実)が大地の力(引力、重力)、生き物の強さ(質量や生命力)となり、すべてを生 かします。 धारयासम अहम् ダーラヤーミ アハン 私が生かして、与えています。 ओििा オージャサー 力、強さとともに पुष्र्ासम चौषधीः िवावः プシュナーミ チョウシャディー サルヴァーハ アートマー(真実)がすべての植物に栄養を与え、養います。 पुष्र्ासम च プシュナーミ チャ 私が栄養を与え、養っています。 ओषधीः िवावः アウシャディー サルヴァーハ すべての植物を िोमो भूत्वा रिात्मकः ソーモー ブートヴァー ラサートマカハ アートマー(真実)が植物のみずみずしさやエッセンス、栄養や美味しさとなります。 िोम: भूत्वा ソーマハ (植物の)エッセンスに、みずみずしさ、 ブートヴァー アートマー(真実)はなります。 रि आत्मकः ラサートマカハ (植物の)味になり、

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15_14 イーシュヴァラ(自然の摂理)が食べ物をとなり、食べ物からできる体を作り、命を養います。 【サンスクリット語原文】 अहं वैश्वानरो भूत्वा प्राणर्नां देहमार्श्रतः । प्रार्ापानिमायुकतः पचाम्यननं चतुवववधम् ॥१५- १४॥ 【サンスクリット語原文】 अहं वैश्वानरो भूत्वा アハン ヴァイシュヴァーナラン ブートヴァー アートマー(真実)は消化の火となり、 अहं アハン 私は、 वैश्वानर: ヴァイシュヴァーナラハ 消化の火と भूत्वा ブートヴァー なり、 प्राणर्नां देहमार्श्रतः । プラーニナーン デーハマーシュリタハ すべての生き物の体に命として宿っている。 प्राणर्नां देहम्プラーニナーン デーハン生き物の体を आर्श्रतः । アーシリタハ 獲得して、持って प्रार्ापानिमायुकतः プラーナーパーナサマーユクタハ प्रार्ा-अपान 吐く息と、吸う息という呼吸に(呼吸と排泄という力となり) िमायुकतः 宿り、司り पचाम्यननं चतुवववधम्パチャーミャンナン チャトルヴィダン 4 つの種類の食べ物を料理し、消火します。 पचासम パチャーミ 私は料理します。(消化します) अननं चतुवववधम् アンナン チャトルヴィダン *4 種類の食べ物 ①飲むもの(ボウジャン) ②噛むもの(バクシャン) ③舐める物(レーヒャン) ④吸うものチョウシャン) *4 種類の生き物 ①子宮から生まれるもの (ジャラーユジャン) ②卵から生まれるもの (アンダジャン) ③大地から生まれるもの (ウッドビージャン) ④湿気から生まれるもの (シュヴェータジャン)

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15_15 アートマー(真我)がすべての生物の知性に宿ります。 【サンスクリット語原文】 िववस्य चाहं हृदद िंननववष्टोमत्तः स्मृनतज्ञावनमपोहनं च । वेदैश्च िवैरहमेव वेद्योवेदानतकृद्वेदववदेव चाहम् ॥१५- १५॥ 【読み方と意味】 िववस्य चाहं हृदद िंननववष्टो サルヴァッシャ チャーハン フルディ サンニヴィシュタハ そしてアートマー(真我)が、すべての生き物の知性に宿り、生物に意識を与える。 サルヴァッシャ チャ そして、すべての生物の アハン 私(アートマー真実、意識の源)は、 フルディ (すべての生物の)知性に、心に サンニヴィシュタハ 宿っている、 मत्तः स्मृनतज्ञावनमपोहनं च । マッタ スムルティルニャーナマポーハナン チャ そして、アートマー(真実)から記憶も理解も生まれ、忘れっぽさも生まれている。 マッタ 私(アートマー意識の源)から スムルティヒ ニャーナン 記憶も、何かを知り理解することも生まれ、 アポーハナン チャ 忘れっぽさ(記憶を一時的に潜在化する力)もまた、アートマー(意識の源)によって 起こっている。 वेदैश्च िवैरहमेव वेद्यो ヴェーダイシュチャ サルヴァイラハメーヴァ ヴェーディヤハ アートマー(真実)だけが、全『ヴェーダ(聖典)』と『ウパニシャッド』によって知られるべきものであ る。 ヴェーダイヒ チャ サルヴァイヒ 全『ヴェーダ(聖典)』と『ウパニシャッド』によって アハン エーヴァ 私アートマー(真実)、イーシュヴァラ(自然の摂理)だけが、 ヴェーディヤハ 知られるべきことである。

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15_16 世界と、私たちを創りだす 3 つの原因 【サンスクリット語原文】 द्वाववमौ पुरुषौ लोके क्रश्चाक्र एव च । क्रः िवावणर् भूतानन कूटस्थोऽक्र उच्यते ॥१५- १६॥ 【読み方と意味】 द्वाववमौ पुरुषौ लोके ドゥヴァヴィマウ プルショウ ローケー サンサーラ(輪廻)の世界には 2 つのプルシャ(原理)があります。 क्रश्चाक्र एव च । クシャラシュチャラ エーヴァチャ 目に見える世界クシャラ(形ある現れた世界)と、 目には見えない世界アクシャラ(潜在的な可能性の状態)です。 क्रः िवावणर् भूतानन クシャラ サルヴァーニ ブーターニ 生物の体や形成された世界の形は、クシャラ(変わりゆく物)であり、それはやがて壊れる物です。 クシャラ 変わり、壊れゆく物(形をもって現れた物、物質) サルヴァーニ ブーターニ すべての生き物 कूटस्थोऽक्र उच्यते クータスタークシャラ ウッチャテー しかし、それを支えているのは、アクシャラ(目で見えない物、可能性、エネルギー)であるといわれる。 クータスタ 支えているのは、 アクシャラ 潜在的な可能性としてある力、(目で見える形で現れていない状態、可能性、エネルギー) ウッチャテー ~といわれます。 世界と私を創っている 3 つの原因 ① クシャラプルシャ (目に見える要素、物質) ② アクシャラプルシャ (目には見えない要素、エネル ギーや感覚、可能性) ③ ウッタマプルシャ (目に見える物、見えない物、 そのどちらも支えている絶対的 な存在、知恵)

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15-17 目で見える物、見えない物のどちらも広がる存在ウッタマプルシャ(存在、知恵の源) 【サンスクリット語原文】 उत्तमः पुरुषस्त्वनयः परमात्मेत्युदाहृतः । यो लोकरयमाववश्य बबभत्यवव्यय ईश्वरः ॥१५- १७ 【読み方と意味】 उत्तमः पुरुषस्त्वनयः ウッタマ プルシャ トヴァンニャハ 一方、ウッタマ・プルシャ(最高のプルシャ、真実)は、それら 2 つとは別の根本的な源である。 ウッタマ プルシャ 最高の真実、真実、ブランマン(普遍の存在)=アートマー(真我) トゥ 一方 アンニャハ 別である、別の原因である。 परमात्मेत्युदाहृतः । パラマートメーッテュダーフルタハ それは、パラマ(完全なる、究極の)アートマー(真実)と呼ばれる。 パラマ アートマー 究極のアートマー(真実) イティ ~と、 ウダーフルタハ と呼ばれている。 यो लोकरयमाववश्य ヨーローカットラヤマーヴィシャ それは、3 つの世界(物質世界、天界、下界)すべてに広がり、すべての物に行き渡る。 ヤハ それは、 ローカ トラヤン 3 つの世界に アーヴィッシャ 広がり、満ちて行き渡っている。 बबभत्यवव्यय ईश्वरः ビバルッティヴャヤ イーシュヴァラハ すべてを維持する不滅のイーシュヴァラ(自然の摂理)の真実である。 ビバルッティ 維持する アウヴャヤ 不滅の、壊れることも無くなることもない イーシュヴァラハ イーシュヴァラ(自然の摂理)である。

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15-18 この世界全体イーシュヴァラ(自然の摂理)は、1 つの真実だけがある。 【サンスクリット語原文】 यस्मात्क्रमतीतोऽहमक्रादवप चोत्तमः । अतोऽस्स्म लोके वेदे च प्रर्थतः पुरुषोत्तमः ॥१५- १८॥ 【読み方と意味】 यस्मात्क्रमतीतोऽहम् ヤスマーットクシャラマティートーハン それゆえ、私イーシュヴァラ(自然の摂理、真実)は、この世界のあらゆる物に影響されることなく ヤスマーット それゆえ、 クシャラ アティータハ あらゆる影響を、世界の限りある物を超えている アハン 私イーシュヴァラ(自然の摂理)の本質アートマー(真実)は、 अक्रादवप चोत्तमः । アクシャラーダピ チョーッタマハ そして、潜在的な状態にすら揺らがされることがない、ウッタマ(究極の真実)である。 アクシャラーット アピ 潜在的な可能性(マーヤーの力)にすら アピ チャ そして、 ウッタマハ 揺らがされることがない。 अतोऽस्स्म लोके वेदे च アトースミローケーヴェーデーチャ だから、私イーシュヴァラ(自然の摂理)はこの世界において、また『ヴェーダ(聖典)』においても アタハ だから、 アスミ 私イーシュヴァラ(自然の摂理)は、 ローケー この世界において ヴェーデー 『ヴェーダ(聖典)』においても チャ また、 प्रर्थतः पुरुषोत्तमः プラティタッ プルショーッタマハ プラティタッ として知られている、 プルショーッタマハ プルシャウッタマ(究極の真実)として知られている。

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15-19 自分と世界の繋がりを知る人 【サンスクリット語原文】 यो मामेवमिंमूढो िानानत पुरुषोत्तमम् । ि िववववद्भिनत मां िववभावेन भारत ॥१५- १९॥ 【読み方と意味】 यो मामेवमिंमूढ:ヨーマーン エーヴァマサンムーダハ 無知と混乱から自由な真実を知る人は、すでに述べられたこの世の真実(プルシャ)を、 ヤハ その人は、(知ります。) マン 私イーシュヴァラ(自然の摂理)の真実であるウッタマプルシャ(ブランマン、真実)を エーヴァすでに述べた真実を アサンムーダハ 真実の知識に対する無知や混乱から自由な人は、 िानानत पुरुषोत्तमम् । ジャーナーティ プルショーッタマン 彼は、現れた世界のすべてである真実(プルショーッタマ)を知ります。 真実に対する無知と混乱から自由な人は、この世界のすべての真実(プルショーッタマ)と原理を知ります。 िानानत ジャーナーティ 知ります。 पुरुषोत्तमम्プルショーッタマン(究極の真実)とそこから現れた原因と結果を、 ि िववववद्भिनत मां ササルヴァヴィッド バジャティ マーン その人は、すべてのベースである真実(イーシュヴァラ(自然の摂理)の本質、ブランマン)を知り、繋がり ि: サハ その人は、 िववववद् サルヴァヴィッド この世の原理をすべて知る者であり、 भिनत मां バジャティ マーン 私イーシュヴァラ(自然の摂理)を理解し、1つに繋がります。 िववभावेन भारत サルヴァバーヴェーナ バーラタ 知るべきことをすべて知ったもの(すべての知を得た者)となります。アルジュナよ。 िववभावेन サルヴァバーヴェーナ すべてを獲得し भारत バーラタ アルジュナよ。

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15-20 自分を知る人は、為すべきことを果たした人となる。 【サンスクリット語原文】 इनत गुह्यतमं शास्रसमदमुकतं मयानघ । एतद्बुद्ध्वा बुद्र्धमानस्यात्कृतकृत्यश्च भारत ॥१५- २०॥ 【読み方と意味】 इनत गुह्यतमं शास्रम् イティ グッヒャタマン シャーストラン このこと(すべての真実プルショーッタマ)は最も秘密とされるシャーストラ(聖典)の教えです。 *すべての真実_プルショーッタマ(すべての源)と、 そこから現れた原理_クシャラプルシャ(形ある物)とアクシャラプルシャ(潜在的な可能性)、 इदमुकतं मयानघ । イダムクタン マヤーナガ この真実が、私イーシュヴァラ(自然の摂理)によっていわれた。罪なき人アルジュナよ。 イダン ウクタン このことが言われた。 マヤー私によって アナガ 罪なき人よ! तद्बुद्ध्वा बुद्र्धमानस्यात ्タッドブッドヴァー ブッディマーンシャーット तद् बुद्ध्वा タッド ブッドヴァー それを知ったら、 बुद्र्धमान्ブッディマーン 真実を知る者,見極めを持つ者 स्यात ्シャーット ~となる。 कृत्कृत्यश्च भारत クルタクルッティヤシュチャ バーラタ そして、その人は為すべきことを成し遂げた者となる。アルジュナよ。 クルタ・クルッティ 為すべきことを成し遂げた者となる チャ そして バーラタ アルジュナよ!

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15 章の最後のマントラ 【サンスクリット語原文】 ॐ तत्िददनत श्रीमद्भगवद्गीतािूपननषत्िु ब्रह्मववद्यायां योगशास्रे श्रीकृष्र्ािुवन िंवादे पुरुषोत्तमयोगो नाम पञ्चदशोऽध्यायः ॥ १५ ॥ 【読み方と意味】 ॐ तत्िद オーム タット サット オーム それだけが真実 इनत श्रीमद्भगवद्गीतािूपननषत्िु イティ シュリーマッド バガヴァッド ギータース ウパニシャッス 世界のすべての豊かさを持つバガヴァーン(全知全能)によって、『ギーター』と『ウパニシャッド』のエッ センスである ब्रह्मववद्यायां योगशास्रे ブランマヴィッディヤーヤ ヨーガシャーソトレー ブランマン(普遍の存在)の知恵と、ヨーガの教えが श्रीकृष्र्ािुवन िंवादे シュリークリシュナールジュナ サンヴァーデー クリシュナとアルジュナの対話で伝えられました。 पुरुषोत्तमयोगो नाम पञ्चदशोऽध्यायः プルショーッタマヨーゴーナーマ パンチャダショー アッディヤーヤハ これがプルショーッタマ(至高の真実)について書かれた章、ギーター15 章です。

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