束京歯科大学
同 窓 会 会 報
東 京 歯 科 大 学 同 窓 会 会 報 第
1
82
号 目 次 巻 頭 言・ お知らせ・・・・・・・…・・・・・・・・ー…・・・……… ....一一 2 校 旗 ・ 校 歌 制 定5
0
周 年 記 念 式 典 , 祝 賀 会 案 内…3
同 窓 会 学 術 講 演 会 案 内……・・...・H ・H ・H ・-………3 同窓会各種委員会委員決定・..… …・- ・・・・・4 本部短信・……・・…・…・…・……・・… … …..5 逝去会員……・……・ …・…一…・…・…… 6~7 日歯会長に山崎氏,副会長に正岡氏当選…ー….8 井上裕氏国会だより・…・一一...・ ...一一...9 第83
回母校卒業式…・…………・・…・一 ・・・'1O~1l 母 校 だ よ り … 一 ...…・・・・ " 12~13 支部のうどき- …・… ……・・・・ー……一 一....
1
4
クラス会だよ り・・・・・・ー・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ '15~17 会 員 ト ピ ッ ク ス … … …・………・………..・.H ・1
8
すいどうばし....・H ・..…...・ H ・..……・………・ 19~24 会員住所変更・・・・・・...…・………・…...一一… 24~25 よろず告知板… 一・・・…… 一・…・…・一 …....26 へんしゅうこき・………・…ー・…・・・…・・……・・一一..26 (表紙・カット 菊 池 豊 )同窓各位殿
同窓会会員名簿に先生の正確な記録を/
一
新しい東京歯科大学同窓会会員名簿の編集に着手しました
-現在の同窓会会員名簿は昭和4
7
年に編集発行されたものですが,発行当時からみま すと新たな会員も加わり,また住所変更をされた方も多数あります。1
日も半く正確なものを発行するために巌じ込みの「会員名簿資料」ハガキに御記 入のうえ切手を貼らずに御投画下さい。今すぐ
正
確に御記入下さい!
5
月末日までに必
着
す
る
よ
うに
御投画下さい!
なお,より一層の充実したものとするために各支部長および各クラス の代表にも名簿の確認をお願し、しでありますが,同窓各位におかれまし ては個人としての「会員名簿資料」は必ず御返送下さいますようお願い 致します。昭和5
3
年4
月 東京歯科大学同窓会 同窓会名簿編集委員会一
一
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士 口 健 木 守主 『司 副 会 長母
校
発 展 の 槌
音
と同窓会
すまいとの決定がされていると聞いております。 誠に達見であり,喜ばしいことと思います。 稲毛校舎建設の実際的な基礎作業が,昭和5
2
年 7月19日第417団法人理事会の決定で母校に設け られた学内稲毛校舎建設調査委員会によって開始 されてから社会環境の変遷は目まぐるしし した がってこの難事業の完成を期することは,母校と 共に同窓会全会員の一大決意と奮起を要するもの と思われますが,この際法人,大 学 当 局,同 窓 会,一丸となってその解決をはかりたいもので す。 何と申しましでも,稲毛校舎の建設はわが同 窓のメッカ水道橋は勿論,さらには市川を含めて の一大構想、の下に有機的に目下進められており, 私どもは大きな関心と期待とを表わすと同時に, 同窓会としても母校愛に燃えたで、きうる限りの協 力と援助の熱意を示そうではありませんか。 又,日本歯科医師会の3月8日 の 代 議 員 会 で は,山崎会長の再選,正岡健夫君の第一副会長当 選,日歯執行部における同窓両君の就任を心から 御慶び申しまして今後の御活 躍 を お 祈 り 致 しま す。医療制度の披本的改革,税問題等重大問題の 山積せる今日,並々ならぬ辛苦の程,日歯会員と して,はた又,同窓として心からの御支持と協力 を申し上けγ
こし、と存じます。 最後になりましたが,去る 3月東京歯科大学を めでたく卒業された154名の新入会員を迎えたこ とは本会として大きな喜びであり,新らしい力と して協力を賜わり,母校の発展と歯科医学の進展 の原動力となって頂く事をお願します。 1 桜の季節も過ぎて陽春の到来を思わせながら, 不順な気候の連続の今日この頃,不況の世情を反 映してか歯科界もすっきりと晴れ上ってくれない ように思し、ます。しかし,母 校 東 京 歯 科 大 学 で は,いよいよ稲毛の新キャンパス建設のための諸 準備も着々と進捗し,近くその全容が私どもの前 に公表されるでありましょう。新しい構想の下で の歯科大学の理想が間近かに実現されようとして います。このことは我々同窓会員一同大いに期待 するところであり,心からの祝福を送るものであ ります。と同時に,私どもとしてもこれに応える ものがなければならないと思います。 本会としては,最初に稲毛校地の緑化運動を推 進し,全国よりすでに多額の浄財が集められ,大 学法人の方へ贈呈されております。 次いで, 昭和5
0
年の本会評議員会・総会では,東京歯科大学同 窓会創立80周年記念募金の件が協議され,さらに 昨秋の評議員会 ・総会で‘万場一致の議決を見た次 第です。この募金の方法等については,鋭意本会 理事会において検討中でありますが,いずれ関係 各位とも協議される運びとなっております。 ところで,われわれ同窓8,∞0名の誕生の地, 水道橋に対する熱烈なる愛着心は,今更申し上げ るまでもありません。やがて1
0
0
年を迎える郷土 としての水道橋畔は,永遠に離れ去ることのでき ない日本における近代的歯科医学の発祥の聖地と もいうべきでありましょう。私ども同窓は水道橋 の地に限りない執着をもっているのです。本学法 人理事会においても,水道橋の土地は絶対に放棄し一一一
司開興事
お 知 ら せ
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校旗・校歌制定50周年記念式典祝賀会 と き 昭 和53年5月23日(火〉午前11時 午後3時 ところ 品川スポーツランド・ゴールドホール0同
窓会学術講演会 とき昭和53年 6 月 11 日(日〉午後 1 時~3 時30分 と こ ろ 母 校 第4教室 演 題 「変革を迫られる健保制度」 講 師 石 本 忠 義 氏 ( 健 保 連 社 会 保 障 制 度 研 究 室 長 〉 O第204回東京歯科大学学会例会 と き 昭 和53年6月17日(土〕午前9時 午後4時30分 ところ 東京歯科大学 一般講演(午前〉 特別講演(午後)i
海外生活で学んだこと」住井俊夫助教授(理工) 「口腔領域における末分化間葉細胞の分化と誘導」山村武夫教授(病理][) 。 第5回 〔昭和53年5月20日(土)) 9 : 30~ 11: 30 1. 辺縁の適合性と歯肉縁下の実態 12: 30~14 : 30 2. 支台歯形成と歯周組織 14: 50~17∞
:
3. マージンの処理と間接法のかんどころ0
第6回 〔昭和53年6月24日 (土))9 :
30~12 : 00 一般臨床のベリオの処置を含めたマネージメント 川 崎 仁(東京都・開業) 13 : OO~17 : 00 -一症例を中心として一一ー 鈴 木 文 雄 ( 千 葉 県・開業〕0
第7回 〔昭和53年7月15日(土))9 :
30~ 11: 30 1. 外科的暁合改善の進歩 12 : 30~14 : 00 2. 臨床家の活用できるM.T.M. 14: 20~17 : 00 3. 顎関節のメインテナンスのための修復処置 。 第8回 〔昭和53年9月 9日(土)) ミーシャルデンチャーの床をめぐる問題点と対9
:
30~ 12: 30 1・ 策 関 根 13 : 30~ 17: 00 2. パーシャルデンチャーと暁合のプランニング 山 下O第
7回全国ゴルフ大会 と き 昭 和53年10月20日〈金〉 ところ レークウッドゴルフ場(神奈川県中郡大磯町黒岩169) ・詳細は次号でご案内いたします0
第205回東京歯科大学学会総会 と き 昭 和53年10月21日(土), 22日(日〉 ところ 東京歯科大学0東京歯科大学同窓会評議員会総会
と き 昭 和53年11月19日(日〉 ところ 東京プリンスホテルOTDC
卒後研修セミナー (第3
年次) 〔主題〕 総合的な視点にたった歯科診療一一口腔機能の維持と回復一 一E
メインテナンスとレストレーションの調和を求めて 。 第9回 〔昭和53年10月7日(土))9 :
30~ 12 : 00 1. 症例からみたプランニングの問題点 13 : OO~16 : 30 ー ノ 、 ノ 、 ノ 綴 綴 業 補 補 聞 大 大 都 歯 歯 京 医 東 東 幸 夫 夫 昌 通 信 上 賀 坂 井 羽 真 高 橋 庄 二 郎 ( 東 歯 大・口外〉 栗 田 春 海 ( 静 岡 県・開業) 藍 稔(医歯大・補綴〕 弘(東歯大・補綴〉 敦(大歯大・補顔) 金 子 一 芳・他(東京都・開業〉校旗・校歌制定5
0
周年記念式典,祝賀会ご案内
昭和2年に母校の校旗・校歌が正式に制定発表されてから,本年は満50年に当ります。この期を トして大学主催のもとに,同窓会・父兄会がこれに協賛し,品川スポーツランドで盛大な記念行事 が開催されることになりました。 会員各位には奮ってご参加のうえ,意義ある祭典を一層高めるべく格段のご協力をお願い致し, ここにご案内申し上げます。 本学の校旗・校歌が制定されましてより,早くも満50年を迎えました。校旗・校歌は大学の顔と 心であり,本学の伝統を継承してきた貴重な象徴で‘あります。その制定を記念し,ここに本学同窓 会および父兄会の協讃のもとに下記の記会式典ならびに祝賀会を開催いたすことになりました。 万障お繰合わせの上,ご光臨の栄を賜わりたくご案内申し上げます。 昭和53
年4
月O
と き :昭 和53
年5
月2
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日 ( 火 )受 付
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式 典
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祝賀会1
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ところ :品 川 ス ポーツ ラ ン ド ・ゴール ド ホ ー ル (国電 ・京 浜 急 行 品 川 駅 前 , 徒 歩3
分, T E L (0
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0 当日ご出席の会員は,準備の都合がありますので同窓会事務局 (TE L(
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月1
3
日(土〉までにご一報下さL。、同 窓 会 学 術 講 演 会 の ご 案 内
難航していた健康保険法抜本改正案要綱が明らかにされ,各界の論議を換起しています。なぜ, 健保制度は変らざるを得ないのか。どのようになる可能性が高いのか。私たちの明日へとつながる 問題だけに,積極的に問題の本質を把握する必要がありそうで、す。 医療保険問題を国際的な視野で捉え,豊富なデータを駆使してのご講演は,この問題の背景と問 題点を考えるうえに,かならずや有力な手掛りを与えてくれるでしょう。同窓諸兄多数のご聴講を 期待しご案内いたします。0
演 題 :I
変革を迫られる健保制度」 講 師 :健保連社会保障研究室長 石 本 忠 義 氏 。 と き :昭 和5
3
年8
月1
1
日 ( 日 ) 午 後1 :
00
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30
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と こ ろ :母 校 第4
教 室 講師略歴 昭和39年法政大学大学院卒業(経済学専攻), 昭和39年~48年厚生省事務官, 昭和4
8
年 健保連社会保障研究室長,国際的な医療保険問題の権威。本 部 短 信
1
)
行 事,役 員 出 張 , そ の 他1
月3
0
日 元 理 事 饗 庭 格 太 郎 氏 葬 儀 井 上 会 長 参列 2月5日 広報部委員会〈会報編集〕 12日 会員宝田清重郎氏葬儀 井上会長 参列 13日 総務担当理事打合会 16日 総務,会計,学術担当理事打合会 16日 顧 問 故 荒 谷 龍 氏 葬 儀 井 上 会 長 参 列 18日 卒後研修セミナー〈第2回〉 19日 山形 県 支 部 総 会 井 上 会 長,宮田理 事出張 20日 学術部委員会(進学セミナー担当〉 23日 理 事 会 2月25日 秋 田 県 支 部 総 会 板 垣 副 会 長出張 26日 三重県支部総会 井上会長出張 27日 同窓会報第181号発送 3月2日 顧 問 大 塚 豊 美 氏 葬 儀 井 上 会 長 他 役 員参列 8日 東歯関係日歯役員代議員都道府県歯 科医師会 長 懇 談 会 井上会長他役員 出席 9日 山 崎 数 男 , 正 岡 健 夫 先 生 激 励 会 井 上会長他役員出席 11日 80周 年 記 念 行 事 ( 募 金 〉 打 合 会 井 上会長他関係役員出席 16日 広報部委員会(会報編集〉 18日 卒後研修セミナー(第3回〉 18日 名 誉 会 員 榊 原 勇 吉 氏 葬 儀 井 上 会 長 参列 〔訂正〕 3月22日 新入会員オリエンテーション(153 名) (午前11時~12時於第4教室) 22日 常任理事会 2) 支 部 長 交 替 :: 板 橋 支 部 村 上 忠 正 (昭24.3卒) 53. 1. 1 南 信 支 部 植 野 忠 道 (昭20.9卒) 53. 1. 1 西三河 支 部 奥 平 茂 一 (昭17.9卒) 53. 1. 1 岡 山 県 支 部 山 脇 弘 (昭10
.
3卒) 53.1.15 武 蔵 野 支 部 樋 口 梓 (昭9.3卒) 53.1. 1 大 阪 府 支 部 伊 藤 嵩 (昭16.12卒) 53.1. 1 3) 擢 災 会 員 兵 庫 県 支 部 田 村 利 威 ( 大9卒〉 家屋全焼 (52.12.27) 4) 会 員,共 済 負 担 金 納 入 延 期 (長 期 に 亘 る病気療養中のため) 岡 山 県 支 部 柳 田 武(昭16.3卒〉 会費・共済負担金延期 栃 木 県 支 部 斉 藤 信(大7
.
1
0
卒)
1
高令会員f
共済負担 同 上 宮 原 章 吾 ( 大12.3卒J
)
金延期 第181号の新役員紹介の中で副会長名を下記のとおり訂正させていただきます。 河辺→河透 坂垣→板垣逝 去 会 員
下記の会
員が逝
去されました
。
ここに謹んで哀悼の意を表し
心からご
冥福をお
祈り申し上げます
く敬称略・届出1)原〉 -昭11卒 大久保 ー (63才〉 心筋硬塞 53.1.30 函 館 支 部 干040 函館市万代町7-17 ・医学校 大 塚 豊 美 (84才〉 脳 血 栓 53. 2. 3 品 川 支 部 〒141 品川区西五反田5-1-10 -大8卒 濡 崎 信 之 (81才〉 脳軟化症 53.2.2 山口県支部 干751 山口県下関市田中町8-10 ・推 薦 古 江 源 一 (75才〉 脳 溢 血 52.1. 7 鹿児島県支部 干890 鹿児島市下荒田3ー32-3 ・大6卒 宝 田 清 重 郎 (84才〉 胃 癌 53.2.10 江戸川支部 干133 江戸川区東小岩3-16-19 ・昭22卒 松 田 正 男 (52才〉 心筋硬塞 53. 2.11 富山県支部 干930 富山市常盤町5-12 ・推 薦 山 崎 仙 蔵 (84才) 老 衰 53.2. 4 山梨県支部 干400 甲府市中央5-2-13 -大14卒 荒 谷 龍 (76才〉 腎 不 全 53. 2.14 広島県支部 〒730広島市大手町2-5-6 ・医学校 山 口 信 義 (78才〉 脳軟化症 53. 2.14 北多摩支部 干189 東村山市野口町1-17 ・大13卒 袋 博 (79才〉 心 不 全 53. 2. 9 群馬県支部 干371 前橋市千代田町3-6-6 ・昭16卒 花 岡 贋 (59才) 53.2.25 板 橋 支 部 干173 板橋区板橋3-2- 6 -大7卒 庚 田 種 夫 (82才〉 肺 癌 53.2.22 福岡県支部 〒804 北九州市戸畑区新池1-11-12 ・大12卒 鈴 木 英 二 (78才〉 53. 3. 8 西三河支部 干471 豊田市桜町1-49 ・医学校 榊 原 勇 吉 (88才〉 脳 出 血 53. 3.11 横浜北部支部 干222横浜市港北区篠原町1841 ・昭13卒 津 島 邦 俊 (62才〉 腎 不 全 53. 3.19 石川県支部 干920 金沢市本町2-5-8 ・昭22卒 迫 二 六 (52才〉 肝 硬 変 53. 3.17 埼玉県支部 干350-13狭山市水野357-22-推 薦 本 田 古
(
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才〉 胃 癌5
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福島県支部 干9
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福島県安達郡本宮町南町裏8
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卒 下 川 憲 久(
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才〉 老 表5
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直 属 香 港 香港麦当奴道5
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卒 荒 井 真 三 郎(
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才〉 老 震5
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南 信 支 部 干3
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長野県岡谷市小井川7
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-昭5
卒 毛 利 寛5
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広島県支部 干7
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三原市宗郷町6
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-昭3
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卒 松 原 和 生(
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才〉 脳 出 血5
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中 信 支 部 干3
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松本市寿豊岡2
2
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大 塚 豊 美 君 の 霊 前 に 捧 げ る 井 上 真 東京歯科大学同窓会顧問,元監事,品川支部元 支部長,医学博士,大塚豊美君は病気療養中のと ころ,去る2
月3
日午前4
時2
5
分遂に逝去され, 享年8
4
才でありました。生者必滅,会者常離の理 とは申せ,今君の霊は天に在り,幽明境を異にし 馨咳に接することは出来ません。奥様始めご遺族 の皆様のご愁傷L、かばかりかと拝察いたします。 君は大正元年7月東京歯科医学校を卒業せられ, 翌大正2年10月歯科医術開業試験に合格し,歯科 医業につかれ,爾来6
0
有余年の長きに亘り,東京歯 科大学同窓会会員としてその聖業にたずさわり, この聞に品川支部長を実に3
0
年間,また同窓会監 事と して2期 4カ年間,更に評議員等を歴任さ れ,本会発展のために尽湾せられました。後に同 窓会顧問として多くの同窓より慈父のように親し まれ,また良き相談役として尊敬されておりまし た。また君は青年歯科医時代に我国の歯科医学, 医術では満足せず,昭和2年欧州に留学せられ, ドイツのベルリン大学,スイスのベルン大学にお いて歯科補綴学,歯科生理学を学び「ウイプラメ タル」の権利を獲得せられ,昭和4年6月我国に 最初にこれを導入されたのも君でありました。そ の後直ちに大日本歯科医術研究所を創設,歯科金 属材料の研究,開発に貢献せられ,また品川歯科 医師会会長,東京都歯科医師会学術委員長,日本 歯科医師会器材常任委員,日本歯科金属協会理事 長,他に数々の要職にあって,歯科医療の興隆に, 後輩の指導に力を傾注されるとともに歯科医政面 においても勢力的に活躍せられた業績は誠に大な るものがありました。しかし今,吾々は歯科界の 偉大なる先覚者,そして人間性の溢れた良き指導 者であった君と永遠のお別れをしなければなりま せん。けれど私ども八千有余の同窓は君の残され た業績を体し,歯科医業に,歯科医政に,また本 会を発展せしめることに努力することにより,君 のお心を慰めいたしたいと思っております。 葉わくばご尊霊の余光,本会のみならず歯科界 を照し賜わりますよう,ままに同窓会一向に代っ て,謹しみて君のご冥福をお祈り申し上げます。 7日歯会長に山崎数男氏再選
副会長に正岡健夫氏当選
昨年1
月2
8
日,川崎日歯会長辞任に伴い,残任 期聞を引継いだ山崎執行部は本年3月31日をもっ て任期満了となった。従って次期執行部を選出す ることも含めて第76回日本歯科医師会代議員会が3
月9
日,日本歯科医師会館講堂において開催さ れた。 当日は先に中医協において諮問,答申がなされ た直後,胆石症のため東大病院に入院加療してい た山崎会長が1カ月ぶりに退院し,元気な様子で 次のような挨拶をされた。 「時局多難ななかでの,日歯会長就任後1
カ年 間,会員の協力と,執行部一体,懸命の努力によ り,各方面の御理解のもと,特に三師会の協調が 得られ,総てが満足といえないまでも,歯科問題 の初歩的な解決の糸口はできたと思う。今後は医 療保険制度の抜本改正,租税特別措置法の改廃, 歯科医師数と適正配置,日歯の機構改革等の諸問 題に対し,日歯会員の要望に応え,解決のために 精心したし、。 尚一層医道の高揚に務め,国民福祉の向上をは 8 かり,国民に愛される歯科医師会にするための努 力をしたい。」 その後,代議員会日程に従い,来賓挨拶,一般 会務,会計報告,日歯政連顧問,衆議院議員井上 裕代議士の国会報告が行われ,議案の審議に入り 第1号議案より(第17号議案を除き〉第18号議案 まで賛成多数で可決承認された。 最終に変更された注目の第17号議案の役員選挙 については,無投票で山崎数男氏が当選,監事に ついても候補者定員 (3名)共に同数のため当選 が承認された,副会長は定員3名に対し,4名が 立候補したため,日歯選挙管理委員会のもとで立 会人の選出,各候補の推薦演説があった後選挙が 行われた。その結果正岡健夫氏,武石信治氏,矢 吹水男氏が当選し,加藤久二氏は次点となった。 また地区推薦理事4氏も承認され,以後届け出 されたものについてもあらかじめ承認することを 決め,尚会長指名の理事についても事前承認とな り,会長の所信表明の後,代議員会は閉会された。国 会 だ よ り
衆 議 院 議 員 井 上 裕 ( 昭 和
2
4
年卒)
振り返りますと,この1
年はまことに慌しい1
年でした。ということは,私にとって充実した1
年であったということがL、えると思います。衆議 院の社会労働委員会で、初質問に立ったのが,昨年 の3月16日。それまでは院内を歩いていても,な にか足が地につかない感じでしたが,質問内容の 評判もまあまあのできで自信がつき,5月25日ま でに矢継ぎ早に合計5
回におよぶ質問に立ちまし た。 そして,あの11月15日,鹿島俊雄理事長,山崎 数男日歯会長をはじめ諸先生のご参集のもとに私 の育てる会が予想以上の成果で聞かれました。安 倍晋太郎先生(現官房長官〉を会長にいただいた お蔭でしょうが,福田総理大臣からも望外のお言 葉をいただきましたが,なんと申しましでも,こ の会が聞けましたのは,遠く北海道から沖縄にい たる東歯の先輩諸先生をはじめとする同窓諸先生 のご支援とご厚情の賜物があればこそでございま す。本誌上をお借りいたしましてお礼を申し上げ ます。 この4月,新東京国際空港の開港が予定されて いましたが国民注視のもとでの開港だけに,話題 にこと欠かないほど開港にいたるまでの経緯はま さに粁余曲折です。この空港が私の選挙区で、す。 福田総理の大号令のもと開港を阻んで、いた諸問題 が続々と解決されていきましたが,地元の問題だ けに,昨年はこの開港問題にかなり忙殺されたこ とも事実で、す。 まだ,¥,、くつかの間題を残してはいるものの, ともかく開港の陽の目をみようとしている今日, 昨年のように二言自には.
u空港"とか"騒音"と.
.
いう言葉からある程度解放されることは間違いあ りません。そこで,昨年の私の育てる会等のお礼 を兼ねながら今国会終了前後を利用して,全国を 行脚し親しく諸先生のお声を拝聴し,今後の国政 に反映していきたし、と考えています。 昨年の場合,健保改正案は一度流産するという 苦い経験を味わいましたが,本年は制度全体を基 本的に見直す年にあたります。このため本年は社 会労働委員会の常任委員として,また自民党の歯 科医療問題議員懇談会の幹事として,精一杯の努 力をする所存です。 今回提出の医療法が改正されると,歯科医業に ついては,矯正歯科と小児歯科が加えられます。 医学の進歩が著しい今日,診療技術が専門分化さ れているだけに,この医療法の改正は業界にとっ て重大なニュースで、す。懸案の歯科診療報酬は 12.7%の引き上げのメドもつきましたが,一方, 28%の租税特別措置法の期限等,問題は山積して います。現在,党内では医政研究会を組織して, 今後の対応策を講じている状態です。議員立法と して制定された当時の事情を踏まえ,具体的な解 決等を世話人の一人として責任を痛感していま す。5
3
年度の厚生省予算は6
兆7
千億円ですが,こ のうち歯科関係予算は診療報酬を除くと,歯科健 康検査費等を含めても,わずか4億円にすぎない 実状で、す。念願の歯科衛生局の設置をはじめ地位 の向上をはかることは業界の急務ですが,それだ けに本年は至難の年と覚悟しています。 昨年は空港問題を抱え,諸先生のお芦を十分国 政に反映できない憾みがありましたので,本年は 鹿島俊雄理事長をはじめ先輩諸先生のご指導よろ しきを得て,国政に励む所存ですので,一層のご 支援とご鞭撞をお願いする次第です。第
8
3
回東京歯科大
学
卒業証
書
授与式挙行さる
母校東京歯科大学第83回卒業証書授与式は,去 る3月23日午後1時30分より,学校法人,大学当 局,同窓会,卒業生,在校生の多数が参列して, 市川の進学課程の体育館において挙行された。 式は恒例によって関根弘学生部長の司会で始ま り,i
君が代」ー唱のあと,高木圭二郎副学長の 学事報告,次いで卒業生は一人ずつ金竹哲也学監 の呼名に従って登壇し,松宮誠一学長より親しく 卒業証書を授与された。学長告辞に引き続いて鹿 島俊雄理事長,井上真同窓会長より祝辞が述べら れ,さらに在校生代表堀田宏己君が送辞を,新卒 業生153名を代表し北川徹君が答辞を述べ,校歌 斉唱を最後に厳粛裡に式を了えた。 式の終了後,引続いて記念品の贈呈が行われ, 本会からは会長が同窓会員章と金一封を,父兄会 からは愛知正晴副会長が記念品と金一封を夫々卒 業生代表に贈られた。また卒業生からは,母校へ 記念品として花器1
基が贈られた。 なお学事報告によると,当日現在の母校在籍学 生は進学課程332名,専門課程666名,計998名 で,そのうち今回の卒業生は 153名である。 これ を大学設置以来の卒業生と合せると3,697名,専門 学校設置以来の卒業生と合せると 9,710名,高山 歯科医学院創立以来の卒業生を通算すると10,001 名となる。また専任教員は教授46名,助教授26名, 講師57名,助手116名,副手6名,計251名で, この他に186名の非常勤講師が在職している。 式典終了後,新卒業生は恩師を囲み記念写真を 撮影した後,6台のパスを連ね,一路謝恩会々場 である帝国ホテルへと向った。 謝恩会は帝国ホテル孔雀東の聞において来賓, 教職員,卒業生,父兄多数が一堂に会し,盛大な ξーティ ーが8時すぎまで続けられた。 なお会場において,今回卒業生のクラス会名が 『八実会』と命名され,またクラス代表評議員に は姥谷剛文君が推薦されたことが披露された。(氏名〉 西 井 和 彦 西 村 啓 二 根 津 泰 野田 修 萩 原 雄 吉 橋 本 雅 範 旗 持 州 雄 八回さと子 原島 晃 平 野 和 夫 福 嶋 史 郎 藤 原 卿 子 布 施 絵 理 子 飽 光 星 律 子 福 島 程 塚 譲 治 埼 玉 堀 部 員 知 子 秋 田 真 木 吉 信 山 形 '正 村 一 人 岐 阜 増 田 裕 幸 千 葉 ,松崎 e正 信 v 句三 重 松 田 公
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二>-::‘愛 媛 松 本 貴 三子 葉 見 明 康 機 東 京‘ 茂 木 元 介 群 馬 森 田 欣 吾 福 島 ,百 瀬 芳 子 個長 、野 諸 星 裕 夫 神奈川 森 田 勉 東 京 安 原 孝 由 静 岡 築 瀬 正 栃 木 山 口 修 一 北海道 山 崎 一 夫 和歌山 山 田 素 子 静 岡 山 本 明 彦 東,京 吉 田 繁 樹 千 葉 横 山 洋 行 愛 媛 和 京 庫 梨 山 京 知 梨 知 玉 京 本 田 川 奈 体 東 兵 山 富 東 愛 山 愛 埼 東 熊 秋 神 和 倒 木 岡 野 馬 川 京 葉 知 野 形 山 賀 京 川 京 森 京 葉 知 玉 取 京 島 取 京 知 重 田 根 葉 道 分 本 京 潟 島 開 業 奈 海 体 ね 栃 静 長 群 香 東 千 愛 長 山 ・岡 , 佐 東 神 東 青 東 千 愛 埼 鳥 東 福 鳥 東 愛 三 秋 島 千 北 大 熊 東 新 鹿 福 千第
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回 卒 業 者 名 簿
(氏名〉 津 田 敦 子 椎 貝 達 夫 塩 田 雅 朗 雫田 和 成 篠 原 正 憲 塩 田 康 博 鈴木伊知郎 柴 博 孝 柴 田 恭 典 清水洋一郎 鈴 木 啓 介 末 森 二 郎 副 島 洋 二 鈴 木 司 郎 関野 員 高久 悟 清 藤 勝 郎 鈴木千枝子 高 原 利 幸 竹内 智 田 崎 雅 和 田本 晃 田 中 宏 美 玉 手 収 田 本 裕 二 丹 沢 朝 彦 辻川 孝昭 辻 村 育 郎 土 谷 正 光 手 銭 盛 隆 東 城 博 之 戸 田 康 夫 中 田 征 男 中 西 園 人 中 村 正 延 永 井 謙 中摩伊都子 永 江 健 一 中 村 光 夫 (本籍〉 栃 木 千 葉 北海道 千 葉 東 京 愛 媛 広 島 愛 知 群 馬 愛 知 埼 玉 神奈川 石 川 千 葉 北海道 北海道 静 岡 北海道 神奈川 山 梨 岐 阜 青 森 神奈川 広 島 愛 知 群 馬 富 山 広 島 島 根 東 京 千 葉 千 葉 東 京 長 野 東 京 宮 城 東 京 静 岡 秋 田 (氏名〉 大 塚 憲 夫 .大 野 裕 久 大 原 英 徳 大 塚 和 樹 岡 規子 岡本多美子 沖 泰治 奥平久美子 小 倉 勢 子 尾 崎 佳 孝 小柳津昭代 片 野 好 正 角 邦 人 金子 紳 川上まり子 米 津 久 明 亀 井 正 仁 菊 地 厚 志 北川 徹 希 代 忠 男 園 島 美 尋 黒 田 勇 一 弦 間 丈 士 河 野 公 賛 小 林 正 義 小 島 慎 也 小 杉 宗 弘 小林万里恵 驚 藤 文 明 坂 茂 酒井田京子 坂倉 寛 坂 順子 棲 井 蒸 佐 々 木 良 紀 佐 藤 博 之 棲 井 正 治 佐塚仁一郎 佐 藤 裕 子 和 玉 京 野 岡 葉 崎 葉 梨 島 玉 葉 馬 島 京 京 岡 形 岡 阜 山 阪 潟 潟 口 賀 京 川 京 知 山 潟 山 川 葉 玉 岡 葉 知 重 児 奈 歌 奈 体 埼 東 長 静 千 宮 千 山 鹿 埼 千 群 福 東 東 静 山 静 岐 富 大 新 新 山 佐 東 神 東 愛 富 新 和 神 千 埼 静 千 愛 三 (氏名〉 相 田 孝 彦 愛 知 徹 也 青 木 篤 敬 朝波 修 熱 田 瑞 恵 安 部 喜 郎 天 羽 正 仁 有 泉 秀 記 佐 藤 正 矢 飯島 敏 飯 島 俊 一 石岡 豪一 石 田 政 宏 板 谷 雅 一, 市 井 久 隆 市 野 立 太 郎 伊 藤 正 伊 藤 雅 訓 井 戸 寛 次 稲 田 次 郎 稲 野 教 一 井 上 重 利 井比 陽 井 上 信 義 岩 永 節 生 井上 孝 岩 本 正 克 上 回 祥 土 臼田 準 内 田 昌 宏 内山 聡 梅 田 恭 子 大 野 友 秀 提 谷 剛 文 大 井 誠 一 大石えり子 大 津 有 輝 大 須 賀 豊 大 谷 久 次 11053年度入学試験終る 昭和53年度東京歯科大学入学試験第1次は,2 月1日と2日の両日に亘って市川 ・進学課程校舎 で、行われた。上空5,000米には-500Cの寒気団が 覆い,肌寒い冬の日であったが,幸い両日とも絶 好の天気に恵まれた。志願者数は昨年よりもやや 多く 576名(当日欠席16名)であり,少数激戦の様 相を呈した。試験科目は従来に加えて,小論文が 加味され,受験生達は2日目最後の時間に, 吠私 の社会的使命を考える"とし、う課題に取組んだ。 第1次は2月6日に発表,その合格者3∞ 名 が 2 月 8~ 1O日の第 2 次の面接,身体,適正の各試 験を受けた後,最終的に2月14日午後 4時,160名 の合格者が発表された。これをもって大学最大の 行事の一つである入試はつつがなく終了したが, 本年度はいろいろな面から剖目すべき要素を含ん でし、る入試といえよう。
O
本学延世大学校と姉妹校締結 鹿島理事長,松宮学長,高木副学長は,本学と 韓国ソウル特別市の延世大学校歯科大学との学術 交 流 を 協 議 す る た め に , 昨 年6月に渡韓して以 来,両大学問で種々の検討を重ねられてきたが, 此度姉妹校としての締結協定書がまとまり発表さ れた。O
学位記授与 第232回(52.11.14)合 格 第233回(52.12.12)授与 平 尾 文 昭 ( 補 綴 E 第496号 甲 235号) 米沢 徹(補綴 E 第497号 甲 236号〉 杉 本 幸 基 ( 解 剖 第498号 乙262号〉 第233回(52.12.12)合 格 第234回(53.1.9)授与 峯 村 隆 一 ( 解 剖 第499号 乙263号〉 川口 徹 ( 生 理 第500号 乙264号〉0
能美光房技官本学社会歯科学教授に就任 第369回専程教授会 (52年12月13日〉において 厚生省歯科衛生課長能美光房技官を社会歯科学教 授に推薦するための選考委員会が設けられ,慎重 に審議した結果適格と認め,第370回専程教授会 (1月10日〕に報告,全員の賛成を得て, 1月16 日付をもって教授に就任した。 能 美 光 房 教 授 略 歴 大正13年5月 9日生 本 籍 青 森 県 弘 前 市 富 田 二 丁 目 7-9 現 住 所 東 京 都 板 橋 区 坂 下3-7-10-506 学 歴 昭和22年4月 東京歯科医学専門学校卒業 昭和23年 5月 歯科医籍登録(第37,937号) 昭和23年4月 弘前大学医学部入学 昭和27年3月 弘前大学医学部卒業 昭和28年3月 弘前大学医学部付属病院実地修練 修了 昭和28年 8月 医籍登録(第149,703号〉 昭和35年1月 医学博士学位記受領(東北大学医 学部〕 職 歴 昭和28年3月以降 青森県教育委員会学校保健技師, 青森県鯵ケ沢保健所長,福島大学 助教授を歴任 昭和34年10月以降 厚生省医務局技官(各課々長補佐〉 文部省体育局教科調査官,文部省 体育局体育官を歴任 昭和50年 8月 厚生省医務局歯科衛生課長 昭和53年1月 東京歯科大学教授〈現在に至る〉0
カリキュラム委員会発足 第369回専程教授会 (52年12月13日〉において, 現行のカリキュラムが適切であるか,改正の必要 はないかなど,教育に関する問題を検討する委員 会の設置が学長より提案,了承され,下記の通り委員が委嘱された。 顧 問 松 宮 学 長,高木副学長,上篠大学院研 究科長 委 員 長 金 竹 学 監 副 委 員 長 田 熊 教 授 関 根 教 授 委 員 高 添 教 授 坂 田 教 授 堤 教 授 見 明 教 授 羽 賀 教 授 石 川 教 授 町 田 教 授 高 橋 ( 庄 〉 教 授 川 島 教 授 河 合 教 授 山本(文〉教授
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西別館名誉教授室 (第2会議室〉理事長室 に改装 西別館7階の名誉教授室は,第2会議室として 論文審査のほか諸会議に利用されていたが,この 室は理事長室として改装され使用されることにな り,このため名誉教授室は新館3階に移転した。O
稲毛歯科診療所現況について 稲毛歯科診療所の最近の様子は次の通りである母 校 だ よ り
二二二二
52年4月から12月末迄をみると,一日平均外来患 者は93人(平日104人,土曜日47人〉であるが9月 以降は平均1
∞人を超えている。患者の平均通院 回数は6.2回,外来新居、率は16.2%となってい る。次いで初診患者を年齢別にみると6歳未満が 約27%を占め, 12歳未満で全体の40%,35歳 ま で で80%を占めている。つまり母親とその子供が大 部分の患者という次第である。従って診療科別の 受診割合も小児歯科が28%強,矯正科とで30%の 割合となる。因に41歳以上の患者数は全体の11% にあたるが,補綴科受診患者の割合は10.5%であ り,概ね年齢に比例してし、る。保存科46%,口腔 外科は13.5%の受診率となっている。なお延患者 数の97.3%が保険患者であるが,うち保険本人は 14%である。 総武線の複々線工事も進行中で稲毛駅からの京 成パスの便も昨年から校地の前にパス停が新設さ れ た 為,徐々に便利になっている。 .,・v・d〆・",_"p.?"?".,.,.,.,.,.,,、J、/喝J、/〆ー、,/."、〆唱'.N司/・/・〆'〆・-___ "?d'.'.'、r‘,.,.,・,/~".",.・〆・''''~''~''.''''-'''-'''.'''','''.I".'"",,,.,,.,,・',",-"砂F・I・,円',-,.,0
人 事 採 用 助 手 荒 野 実(補綴][) 定 年 退 職 教 授木村吉太郎(保存][) 52.11.10 11 非 常 勤 講 師 竹 中 正 一 郎 ( 進 課 体 育 〉 52.10.22 山 本 義 茂 ( 矯 正 〉 52.10.1~53. 3.31 11 11 1/ I! 永 野 肇(進課化学〉 52.10.31 52. 10. 1~53. 3.31 辞 職 講 師 作 間 敏 信 ( 口 外1) 11 I! 作 間 敏 信 ( 口 外1) 52. 10.31 師 秋 草 裕 民 歯 専 科 衛 校生士 52.11.1 復 職 講 I! 非 常 勤 助 手 古 井 瞭(病理工〉 門 学 昇 任 52.11.16 議 師 ( 助 手 〉 市 川 徹(病理][) 休 職 講 師 中 川 淳 夫 ( 解 剖 〉 22.10. 16 52.10.1~53. 3.31 I! I! 吉 田 畏 哲 ( 小 児 歯 科 〉 昇 任 52. 10.16 講 師 ( 助 手 〉 草 柳 英 二 ( 保 存ill) 歯科放射線部長交代 医局長交代 53. 1.1付 新 任 教 授 黒 柳 錦 也 52.10. 1 保 存 学 教 室 新 任 大 野 誠 講 師 旧任教授 山本 義 茂 52. 9. 30 旧 任 磯 泰巳講 師 教室幹事交代 採 用 助 手 平 尾 文 昭 ( 補 綴][) 新 任 助 手 富 田 美 佐 子 52.10. 1 52. 12.16 旧 任 講 師 坂 間 久 之 祐 52. 10.1 〈東京歯科大学広報60号,61号より〉 133
支部のうごき
東 京 地 域 支 部 連 合 会
支部長会 開 催 これに対して東京都歯科医師会では各地区別に保険講習 東京支部連合会では1月25日(水〉母校第一講義室に 会を開く予定であるが,これだけでは必ずしも十分とは おいて,第一回支部長会を開き.2月 1日より改正され 云えず,同ぷ会単位での保険講習会を聞いてはどうかと る保険の講習会について協議した。司会には梅田総括が 提案されたのに対し種々,協議した結果,各地区別にこ あたり,清藤会長の挨拶,座長および主旨説明に並木理 れを開くことを決議した。 事があたり,協議に入った。 講師には並木俊雄(都歯保険部長〉岡英男(同国保 この度の保険点数改正は前歯部における材料差額の導 担当理事〉糖信明宏(同理事〕鳴神保雄(社保審査員〉 入に伴う技術料のアップで,それが歯内療法の技術料に 近藤安司(国保審査委員)山内恒徳(社保審査員〉の方 ふり向けられ,この点について大幅な改正が行われた。 々 が そ れ ぞ れ 当 る こ と に な っ た 。 ( 安 藤 記 〉秋
田
去る2月25日,午後3時より「栄太楼旅館」にて,総 会を開催した。本部より板垣間窓会副会長が出席され た。支部会員19名が出席。中村実支部長挨拶の後,板垣 副会長より母校の近況をも含めた挨拶があり。 高橋庶務理事より,会務報告あり。議長選出に入り, 武田一副支部長が選出された。 監事報告が梅津了監事よりあり。 1号議案の役員改選 に入ったが,支部長,監事は満場一致で再選された。役 員は支部長一任となったが, 全役員留任。 本荘市の五味 武一先生が新理事に就任した。 2号議案の年度変更の件 だが,原案通り結局6月1日より始まり5月31日に終る ということに決定。ご存知の如く秋田は雪国。冬期の総 会は交通機関も思うままに動かず,出席率も悪く数年前 より懸案事項となっていた。今後は6月頃が総会時期と なり盛会が予想される。 3号.4号議案の決算,予算に ついて,駒橋会計より説明あり,原案通り可決,決定。 5号議案は東北地域連合会負担金について。本年は当県 が開催地になっている関係上,会員より 1万円也の御援 助を頂くことに決定した。7月15日秋田市にて開催予定県
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その他の事項に入り,秋山理先生を高令会員に推せん 決定。本年はレクレーションを中止し,学会のみを秋頃 に開催予定。 最後に郷部副支部長より閉会の辞があり,無事総会を 終了した。 午後5時より懇親会に入った。r
栄太楼旅館」は御存 知の方もあろうが,大鹿関の奥方の実家。当家自慢の 「チャンコなべ」を舌鼓しながら,夜の更けるのも忘れ 雑談に花の咲いた一夜だっ た 。 ( 高 橋 庶 務 記 〉更
始
AQ一 品 久し振りに同窓会報にて報告労々重ねてお願い致しま す。昨年総会にて決定致しました卒業50周年記念行事の 校旗,校歌をアレンジしたプロンス'製額の贈呈式に御理 解ある御協賛を得,御負担願いましたところ,予定額に 今一歩となり幹事一同感謝いたします。いずれ紙面にて昭和
3年卒
、 ャ ! 式を行い,校旗・校歌制定50周年記念式典を挙行される 事に決定いたしました。会員諸兄におかれましでも,高 齢のため一堂に参集する行事も出来ないと存じますので 出来得る限り万障繰り合せ御参加願います。台湾の張君 御夫妻も御参加の由です。本年度恒例の総会旅行は5月 詳細に御報告いたします。尚,学校当局におきましても 23日に変更いたします。御予定下さい。 この機会に5月23日に全学の教職員,学生参集の上贈呈 (清水記)蜂
口
手
A Q E一 一
饗
庭格太郎君の逝去を悼む
一 一
饗庭格太郎君が去る1 月22日に亡くなった。あ のダンディで,すがすが しい性格を持ち,クラス のスターであった同君を 衷ったことは悲しみに耐 えなし、。 同君は昭和12年母校卒 業後,補綴学教室におい て恩師矢崎先生のご指導を受け,後,京大解剖学教室で 舟岡教授に学び,同19年北支那開発会社北京医院および 北京大学講師を勤めた。戦後は日本医療団静岡中央病 院,京都国立病院の各歯科医長を経て.23年用本橋人形 町に開業した。 歯科医師国家試験が開始されて間もなく,奥村,矢崎 両先生に請われ,母校助教授として,河辺先生と共に補昭和
1
2
年卒
綴実習を担当し,鋭意努力の上,合格率を現在の成績に まで,引き上げた功績は大きかったと思ってし、る。また, 補綴学会では役員として活躍し,各大学の主任教授の方 々のパネノレディスカッションにおける司会振りは実に見 事で,後の日頃の研僚の結実であった。 母校を辞して後は,出身校の如何を問わず,若い人達 のために自分の診療室を開放し,親身になって,生きた 臨床を指導し,夜半過ぎにおよぶことも珍らしくなかっ た。 一昨春,前立腺腫湯発病以来. 2回の手術も一時の小 康をもたらしたに過ぎず,昨年夏,右肺に転位した後 は,入院を拒否し,来るべき余後を真剣に凝視しなが ら,ご家族の看護にゆだねた心情は淘に察するに余りあ るもので-あった。 ご遺族はご母堂,令夫人のほか2男l女あり,ご 2男 が診療所を継ぎ,令嬢は七星会の加藤木先生の令息(東一一一一一 クラス会だより 歯出身〉に嫁ぎ,可愛いいお孫さんも7人おられる。言卜 尚,葬儀は信濃町千日谷会堂で行なわれ,松宮学長, 報を聞いて馳けつけた時の寝顔は,全く安らかで,人と 井上同窓会長両先生以下多数の会葬裡に行なわれ,蜂和 してなすべきことを充分になしとげた,淘に従容とした 会からは名古屋の田島君,静岡の大畑君を始め20数人が 姿であった。 饗庭格太郎君の霊の永遠に安からんことを 参 列 し た 。 ( 榎 本 記 〉 祈 り つ つ 。 (1月30日葬儀の日に,蜂和会榎本記〉 いただきます。
五
十
期
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コ
E 故 松 田 正 男 君 の ご 霊 前 に 捧 ぐ ここに東京歯科医学専 門学校入学以来30年間, 共に戦中の苦労を背負っ て学び,卒業後は相前後 して郷里富山に帰って開 業をし,共に励まし合い 競い合って過して来た同 期生の一人として一言お 訣れの言葉を述べさせて 君は卒業以来臨床家として,また研究者として,さら に富山県歯科医師会運営の要に当る人として,その持て るすべてを傾注されました。殊に県歯科医師会付属技工 士学院,衛生土学院の設立に積極的に参画されてから現 在まで13年,非凡な才能を発揮され,又情熱を傾けてそ の育成に尽くされた結果,地方小県としては過ぎた全国 にも誇れる実績を持つに至ったので、あります。 しかし開業医としての務と2つの学校の経営の責を一 身負われた事は,持前の体力と元気さと負けず嫌いの君 にとっても,非常な負担となったのではなかったで、しょ うか。 われわれ県歯会員は,回を耕作する苦労を君に押しつ け,その収獲は之を享受して来たので、あります。 忘れもしません。昨年11月25日夜,講演のため来寓さ れた同期生本村静一君と市内の料亭で歓談中,君は突然 真顔になって 「俺は本当は学院の仕事を直ぐにでも辞め させてもらいたいのだ。そうなれば富山医科薬科大学の昭和2
2
年 卒 辞められては県歯科医師会としても,学院としても困惑 を免れまい。又君が育んだ学院の生徒達も可哀相ではな いか。」とし、L、ました。酔の回った顔に淋しそうな笑顔 を浮かべ, rやっぱりそうか,では任期ーばいやる。」 と自分で自分に言いきかせる様につぶやかれたのであり ます。 そして話題を変え 「今度の同期会には高岡の青木進君 と一緒に参加しよう。 3人の中 l人でも都合が悪くなっ たら止そう」と目を輝かせて申されたのであります。 奇しくも君が亡くなる前日, 52期会山崎幹事から封書 が届き,ヨーロッパ旅行の案内が入っておりました。 ああ何ということだ。云い出した君が先に冥土へ旅立 つ と は / 同期生はふだん行き来がなくても元気て・やっていると わかっているだけで何か心の支えになるものだ。私は心 の支えを失って残念で‘なりません。いま君と共に過ごし た数々の思い出が脳裏に去来します。 俗に人生50年といわれた時代はし、ざ知らず, 80才,100 才も夢でなくなった今日, 52才の人生はいかにも短かす ぎるといえましょう。 君は死の直前まで患者さんと学院のために奔走し,不 幸にして業なかばにして倒れましたが,使命に殉じた立 派な人生て、あったと思います。君の人格は吾々の中に生 きつつiV1", そして第2,第3の松田君があらわれて君の 意志を受け継ぎ完成させてくれるでしょう。君はあの世 からしっかり之を見守っていて下さし、。 ここに同期生を代表して心からど冥福を祈りお訣れの 教室に籍を置いて私のやりたし、研究をライフワークとし 言葉といたします。 て之に没頭したい。君はどう思う。」 と洩らされたので 昭和53年 2月13日 あります。 52期 会 代 表 高 橋 日 出 夫 私は思いがけず君の心の中の深い部分を垣間見る気が して吃驚しながらも直ちに 「それは困る,任半ばにして (付記〉 松田正男君は昭和53年 2月 9日夜発病,自宅で安静加クラス会だより一一一一
療中2月11日午後2時40分心筋便塞で死去。 2月13日そ から小森伴雄君がし、ち早く馳けつけ何かとお手伝いして の功績によって富山県歯科医師会立技工土,衛生士学院 下さった事を申し添えます。 葬が富山市西本願寺で盛大に行われた。言卜報に接し東京づ
み
AQ一 品昭和2
3
年卒
昨年11月19日.20日に亘り第30回いづみ会記念総会が 本木へと三々五々席を移された諸兄が多い様子で、した。 東京プリンスホテルにおいて盛大に挙行されました。ー 当夜ホテルへ戻られたのは何人であったか,幹事もそこ 大事業とも云える記念誌の発刊を中心に,市川会長,矢 迄は関知せずー・。 内幹事を軸として(特に市川会長はこの記念誌の完成に 翌日朝食後,有志で東京都内の一部観光に出発,パス 並々ならぬ努力を傾注したことは誠に敬服に値し感謝す にて迎賓館,新宿三井ピノレ,そして目白の椿山荘にて昼 るものです).幹事諸兄並びに中久喜教授は云うに及ば 食,解散となりました。 30回記念総会という事で,どん ず,有志の諸兄の2・3年に亘る努力がこの日に結実し な企画をとかなり頭を悩ました訳ですが,果して諸兄の た総会であったと云えましょ。この日来賓として金竹先 御期待に沿えたかどうか,幹事一同大変気にしていると 生,近藤先生,杉山先生,松井先生,溝上先生(50音順〉 ころです。以上で報告を終りますが,昨年の総会でクラ がお出で下さいました。御年を召したとは云えお元気 ス会役員の改選により,会長として私野村有市が選出さ な,なつかしい恩師先生の温顔を自にして感激一入であ れ,幹事については一任された訳で、すが,幹事として矢 りました。北は北海道より南は熊本まで,相集う者60余 内君,中村(正〉君(再任).三宅君,平野君(新任〉に御協 名,久しくクラス会に出なかった顔も数多く,時を経る 力頂くことになりましたので・紙上をかりて御報告申し上 に従い昔の学生に戻る感がありました。日程に従い無事 げます。 総会も終了,記念パーティーを先ずホテルで‘行い,次い また,本年第31固いづみ会総会は10月21日(土〉に広 で当日のメインエベントたる赤坂のクラブ・コノレドンプ 島において行うことになりました。 30回総会にも増して Jレーへと懇親会場を移しました。福岡君の特別のはから 多数の参加をお待ち致します。現地幹事として原田,黒 いで,酒あり料理あり,そしてショーあり,御招待の先 河の両君に御苦労をおかけすることになると思います 生方も年を忘れて大変御満悦の御様子て、した。しばし時 が,よろしくお願い致します。終りにクラス会便りが大 を忘れてやがて散会,二次三次会へとネオンの赤坂,六 変遅れましたことをお詫び致します。(野村有市記)期
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年卒
陽春の候,一期会の諸兄にはご健勝でご活躍のことと 思います。早いものでこの3月で・卒業後満25年を迎えた ことになります。これを機会に,つつがなく 4分のl世 紀をのりこえたことを記念するべく一堂に集まり,恩師 を交えてささやかながら祝宴の会を催すべく,一期会役 員一同で相談してまいりましたが,日程,場所など次の ように決まりましたのでお報らせいたします。なお本年 度の総会も兼ねたいと思いますので,万障おくりあわせ の上で、ご参加いただき度いと思います。出欠につきまし ては別途ご案内申し上げます。 日時:昭和53年6月10日(土〉午後1時30分より 場所:東京プリンスホテル (地下鉄都営6号線・御成門下車〕 (羽賀記〉 〔訂正〕 第181号の22頁クラス会だよりの写真説明の部分「左から」を「右から」に訂正させていただきます。り
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'-親が子に残す財産は,お金でも家でもなく健康 と教育である。精神分析学者フロイトは,人聞が 此の世に生れて来るのは,より良き種族を保存す る為めだとし、う。 健康な身体に立派な教育をしてこそ親の卒業と なる。すくすくと育てられ,世に出てゆるぎない 働をする子を送り出すには,家庭内での族にある。 精神を生み出す脳細胞神経は,どの様にして出 来るか,それは受胎から出産まで10カ月と10日胎 児は母親の体内で44回の細胞分裂を経て,精神を 生み出す脳神経細胞だけは完成されて生れる。 学問を理解して自分のものにするには,自分に 必要な部分だけ知る事で足りる。而し学聞を教え るには自分に必要としない部分までも知っておか ないと教えられなし、。 著者は次代を担う娘さんに,特に結婚間際の娘 さんと,若くして母親になられた方々に,撲の基 本となる事柄をよく理解し,自分のものにしても らいたいと願って書かれたものである。著者はま さしく84才の高齢,永らく両足の不自由な身であ りながらご家族のあたたかし、庇護のもと,日曜も 祝日も盈も正月もなくひたすら書き続ける事2
カ 年と3カ月,今般自費出版をされたものである。 愛児を持つ親の必読の書。敢えて同窓諸兄姉に 推薦する。 ( 井 上 真 記 〉 三宅直一先生のご紹介 明治27年2月15日福島県会津若松の産でいわゆ る会津魂とでもいうのか曲ったことが嫌いな言わ ば信念の人,実直の人である。大正3
年東京歯科 医学校に入学し大正5年同校卒業,大正6年医術 開業歯科試験に合格する。昭和21年中央区日本橋 歯科医師会々長となる。現在は医療から身をひい て居られるが執筆活動は年を追うごとにさえ,都 歯の「紫煙」の誌上でも毎号活躍されて読まれた 方は多いと思います。今回の「援と雑記」は先生 の集大成ともいえる労作で人間形成の基本となる 「族J
(分解して考えれば身を美しくする〉につい て教えられる点が非常に多く是非一読をおすすめ する次第です。 三宅直一先生 住 所 東 京 都 調 布 市 深 大 寺3420 TE L 自宅 (0424)83-5557 診 療 所 (03) 241-2037 記 雑 と 三宅直一君の著書 接 同窓払
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記 録 の こ と ( そ の
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松 井 隆 弘 ( 昭 和
7
年卒
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東京歯科大学名誉教授)
前号(第181号〉でお約束した通り,今回は, 自分が昭和3年 4月,はじめて,東京歯科医学専 門学校に入学を許可された。その当時の血脇校長 先生のことを先ず書かせて頂きたし、。順次,奥村 先生,花沢先生, 遠藤先生,西村先生などについ てのことを書かせて貰いたし、。昔の同窓の方々が 色々と先覚の先生方の思い出を語って下さると, 若い後輩の方々が,本校の伝統がどのようなもの であるかを知ることができると考える。それぞれ の先生の直(じき〉弟子となっておられる先生方は 多数ある警である。数年前,或若い卒業生が,1"我 が父を讃(たた〉える集L、」を開催されたことがあ る。その親ごさんの満足げな様子は,今でもはっ きり脳裡(のうり〉にやきついており,その方の御 孝養の精神こそ,身をもって,後輩を指導された ものと思う。(この方のお名前はいつでも申し上 げますから,御希望なれば御連絡下さL、。〉 血脇守之助先生思い出の記 或同窓の先輩が申されるには,以前は,血脇先 生の話が出ると,なつかしさに,心をはずませて, 聴き入ったものである。それがどう したことか, 先日,其卒業生が我が家の家宝とも申すべき血脇 先生の筆になる数々の遺墨を展示したところ,特 別の感動も湧かない模様なので,自分達では,あ れ程お慕い申し上げている血脇先生も,今では, 単なる歴史上の先覚としての見方なのであろうか と,歎かれたというのである。それについても思 うのは,血脇先生のことを余り紹介していないと いうことである。口伝えに何か聴く程度では,不 運な場合には何も聴かずに過ぎてしまうであろ う。早く「血脇伝」が世に出,世間にも普〈あま ね)く読まれる日を待ち望んで、いる一人である。 (自分も副委員長の責はある〉 ついては,自分なりに,個人的に色々の思い出 を持っているので,それを御紹介して,血脇先生 の「プロフィ ール」として頂ければ幸である。 私の子供時代の記憶 父が浅草に開業してい.たので,血脇先生が浅草 の家に見えられたこともあった由であるが,自分 には記憶はなし、。大正時代及び昭和初期の浅草の 繁栄ぶりには今でも子供時代のはっきりした記憶 がある。夜は8時から割引き(映画〉時間で,それ から11時頃まで,また大変な人出であった。午前 3時から 4時の間位が多少人通りに間隔ができる 19一一一一一ー す い ど う ば し 程度で,4時を過ぎれば,また早朝の観音詣での 信者が通るし,牛乳配達,新聞配達が走り回ると いうのが普通のことであった。自然会合なども, 浅草で、聞かれたで、あろうとは考えられる。恐ら く,何かの機会に血脇先生,奥村先生,西村先生 などのお立ち寄りがあったのであろうが,親から 将来水道橋(東歯といわないでこういっていた) に子供の教育をお願すいる旨を話していたそうで ある。従って,何の考えることもない東歯受験, 入学であった。 最初の記憶 これは昭和3年,東京府立第7中学校(今の墨 田川高校)を卒業して,三崎町のバラック校舎に 受験に行った時のことである。口頭試問室にはい った時,数名の先生の中で黙って光輝,慈顔の血 脇先生が受験生の自分を見ておられた。これが最 初で,あとは,学生会の集いとか,式典殊に入学 式,卒業式にお話を伺う程度で,卒業式の時,賞 品(昔は色々の授賞があった〕を受けに壇上に上 った時位が,最も身近かに先生の傍へ行った程度 で先生は既に雲上の存在であった。 突然の診療命令 昭和7年に卒業して,直ちに花沢先生の主宰す る病理・組織研究室に副手として採用されたの で,臨床とはおよそ縁のない自分である。なのに ある日,突然,会計の佐藤美三課長さんから,血 脇先生の歯槽膿漏の治療に往診してくれないかと の伝言で,これにはどうしたものか全く返事に困 った。専門の教授はおられるのに何故か? しか し, 自分が臨床にいる者ではないことは充分にご 存知であるとのことで,何か意味があることでも あろうという次第,親のアドバイスもあり,花沢 先生も行くようにとの許可があったので,恐る, 恐る出かけることにした。あとにして思えば,こ うし、う場合の態度を身をもって教育して下さった ものと思うし,大したこともできないのにご馳走 にはなるし,往診料を頂くし,色々の話を伺うと いう始末で,全く恐縮の一語に尽きる。この時代 の先生は既に老境に入っておられた。先生が,孫 20 位の自分にやさしく教育して下さるとし、う状況で あった。こうし、う往診は半年間隔位であり,数回 参上した。玄関までわざわざお出まし下さり帰り にも辞退しても,まあ,まあといわれて玄関まで 送って下さる。その態度は今でも思い出すと恐縮 の外なし、。しかし,あ れ は こ う す る も の だ よ ! とのお教えであったかと思う。父に聴くと,診療 時の物の扱い,方法などはよくみておられるとの ことであった。 これは,医師を招へいした場合のとるべき態度 はこうなければならないということと,他方,往 診はこうすべきであるとの教育でもあったのであ ろう。後日,これは,往診料であるとして,金一 封を車代と共に頂戴したのには,全く恐縮した。 こうして,弟子達を教育される,その深いお考え には只々頭が下る思いである。学校に勤務し,学 校の仕事はしているであろうが,それは,それ, 別の仕事を頼んだ時は,そのように考えなければ いけなし、。とし、う教訓を受けているようなもので あった。二回目の往診時には前回の往診について 何か御注意でもあるかと考えていたが,それもな く,無事合格の判定を頂いたのかも知れない。 否,勝手に研究したがよろしいというのであるの かも知れなし、。三回目からは別にそれ程の記憶も ない。御連絡があれば,参上し,そして後日往診 料と車代を頂くとし、う訳で,これはお小遣(づか しうが足りないだろうから,あげますよ !という ことであったように考える。 創立50周年の祝賀のこと 屋上で祝賀宴ということで,先生の腕を肩にか ついでお連れした。生ビールの乾杯で、ある。酒の お好きな先生であるから,一向に腰をあげそうも ない。会計の佐藤さんは心配して,早く校長室へ おつれするようにとのことで,まるで駄々っ子を なだめすかせるようにして,1階の校長室へおつ れしたのも一つの楽しい思い出である。お酒とな ると,随分お好きなようであったし,それが色々 と逸話を生んでいる。日本全国に多数の同窓がお られ,その同窓先輩は何れも先生のお酒好きをよ く知っておられ,何かというと,地方の銘酒が先
生のところへ届けられた。同窓は先生のことをよ く親父!おやじ !と呼んでいたようである。つ まり,酒好きのおやじに,良い酒を飲んで貰いた いとし、う心情であったように思う。その事の一つ の逸話として天野屋旅館まで,酒を届けにゆくと いう事態が生れてくることになるのである。 湯河原天野屋旅館へお酒を届ける 先生は奥湯河原の天野屋旅館がお好きのよう で,よく滞在しておられた。日本も上海事変,藍 溝橋事件などを経て太平洋戦争へと突入する頃 で,物資も段々と窮迫しつつある頃の或る日,ち ょうど日華事変といっている頃であったが,先生 の好物の日本酒が地方の同窓から東京のお宅の方 に届けられ,それを湯河原まで,持って来てくれ なL、かとの伝言があった。一升びんを抱えて汽 車 に乗り.(当時〉湯河原まで出かけてゆく状態を考 えてみると全く感心しなL、。それなのに何故引受 け た か ? 小使さんか,誰か適当な配達人がL、る 筈である。それを敢えて,自分に命じる血脇校長 さんの意向がさっぱり理解できなかった。佐藤会 計課長さんの説明もあり,父の助言もあり,きっ と何か訳があるに違いなし、から運搬係をお受けし なさいということで,持参できる日を返事した。 いやいやながら,某日出掛けて行った。なかばは 腹立ち気味で。 血脇先生の物の考え方 天野屋旅館の玄関先に到着,女中さんに意を伝 えると,例によって先生の直き,直きのお出まし で.