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視野・知識・思考

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Academic year: 2021

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要旨  参照基準問題は,広い視野から見るほど,私たちに科学観,経済学方法論に深く関わる問題を投げかけ ていることがわかる。一方で,科学哲学を理解せず,経済学をデータに基づいた実証科学だと考える信仰 が,経済学教育の視野を狭くしている。本報告では,経済学を理解するための科学モデルを提示し,認識 のフレームワークがいかに具体的な経済問題の理解に直接影響するかを教材例を用いて示し,さいごに経 済学史をベースにした導入的経済学教育の提案を行う。あわせて,標準的な経済学がそれほど論理的でも ないことを比較優位の原理を題材にした教材例で示し,また,マルクス経済学=悪という誤解についても 言及する。 キーワード:参照基準,三層モデル,失業,比較優位の原理,マルクス経済学

Ⅰ.視野によって見えてくる問題群の違い

 参照基準問題をどう捉えるかはこの問題をどのよう な視野から眺めるかによってずいぶん違ってくること を最初に指摘したい。狭い方から順に次の 3 つのレン ジを考えてみよう。 レンジ 1  経済学検定・就職試験など制度化された経 済学の範囲内で成果を上げること レンジ 2  経済にかかわることがらの理解,思考のサ ポート レンジ 3  経済にかかわる思考の明日を支える土壌づ くりとしての教育  品質保証を求められたときのもっとも「安全」な対 応は教育の「成果」を示すことであるから,すぐ思い つくのはたとえば経済学検定等で一定の結果を出すこ とであろう。この場合,課題と評価基準が明確に定義 されていること自体が大切になり,どう定義されるか についてはあまり問題ではない。たとえ,定義のされ 方に問題があったとしても,この視野から見れば,経 済学そのものの在り方についての議論は,ただ現場に 混乱をもたらすだけで迷惑なことと映るはずである。 そして,基準外の経済学はおのずと排除されることに なる。  しかし少し視野を拡げて,試験対策を超えて,生 徒・学生たちの経済にかかわる経験をどう理解すれば よいのか,経済社会をどう捉えればよいのか,という 学びに正面から取り組もうとするならば,事情は変わ り始める。ここで,対応は 2 つに分かれる。1 つは, 経済学の練習問題の延長線上に,どのような事態も 「経済学的に」考えるトレーニングを行うことである。 基本的に合理的な選択の結果として社会のモデリング を推進してきた経済学からすれば,そのようなモデリ ングの作法に生徒・学生を習熟させようということで あるから,これはレンジ 1 の対応とも連携がとりやす く,入門から応用へ,という流れで授業が展開でき, スムーズな対応にみえる。しかしながら,こうした作 法に習熟することは,経済にかかわる経験に対するも のの考え方自体をあらかじめ縛ってしまうことになる。 つまり,希少性・効率的選択という観点からしか世界 を解釈することができなくなるからである。  そこに文句をつけたら何も始まらないではないかと 思われるかもしれないが,もし少しの経済学史の知識 があれば,それとは異なった基礎体系を持つ経済学が

視野・知識・思考

-参照基準問題が問いかけている

ものたち-

The Journal of Economic Education No.35, September, 2016

View, Knowledge and Thought: What Should We Learn from the Reference Standard Problem?

Yoshida, Masaaki

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先に展開されてきたことや,経済学が現在の主流派に 向かって収束する様子もないことは容易に観て取れる。 したがって,生徒・学生に対して,先に経済学を学ん だ先達として,彼らが経済的経験に向き合うことを正 面からサポートしたいならば,世界を理解するための 経済学の作法は複数あること,それによって経験の見 え方が変わってくることを正しく伝えなければならな い。これが,もう一つの対応としての,経験に意味を 持たせる体系ごと伝える教育である。このような教育 が実を結んだ時には,生徒・学生は,異文化理解のた めの社会科学的ベースを獲得することになる。  しかしながら,さらに視野を拡げて,そもそもなぜ 教育が必要なのかを考えてみれば,それは単に次の世 代にこれまでの世代が知りえたことを伝えるだけでな く,その知識を発展させたり,刷新させたりしていく ための土壌ごと引き継ぐためでもある。すでに明確に 知られた一定の環境に対する最適な解として経済学が あるのではなく,経済学それ自体が我々の社会の中で の我々自身の自画像であることまで思いを来せば,経 済学教育はそもそもパターン練習で終わってよいはず がないのである。  経済学教育に関する参照基準に対して,十数の学会 から意見表明が行われたのは,このレンジ 2 ないし 3 の観点から問題を捉えたからに他ならない。本稿は広 い視野から参照基準問題を捉えたとき,そこには経済 学とは,さらには科学とは何かという問題も密接に関 連してくることを論じたうえで,それは教育現場を離 れた極めて抽象的な話ではなく,日々の暮らしに密接 にかかわっていることを,高校教育にも適用可能な教 材を示しつつ論じようとするものである。  ただ本論に進む前に,レンジ 1 から 2 へのスムーズ な展開をとってどこが悪いのかと思われる向きもある かもしれないので,やはり教材例をとりながら,そこ にどのような問題があるのか示しておこう。

Ⅱ.「経済学」は論理的か,そして,マルク

ス経済学は悪か

1.「経済学」は本当に論理的か-教材「比較優 位の原理」をめぐって  TPP を是とする根拠としても,人生訓としても言 及されるのが比較優位の原理である。これは通常次の ように教えられるだろう。  2 国 2 財生産,生産資源一定とし,収穫不変の生 産技術を想定して,それぞれの国について生産可能 性フロンティアを描けば,直角三角形の領域となる。 一方の国の生産可能性フロンティア(直角三角形の 斜辺)上にもう一方の国の原点をとり,スライドさ せれば,2 国合わせての生産可能性フロンティアを 作図できる。すると,各国それぞれが生産可能性フ ロンティア上の点を適当に選んだ場合には,2 国合 わせての生産可能量の組合せは,2 国合わせての生 産可能性フロンティアの内側にくることがわかる。 そこで,そのフロンティア上に移動するにはどうす ればよいかと問いかけ,双方の国でそれぞれの比較 優位財に生産比重を移し,少なくとも一方の国が完 全特化すれば,フロンティア上に到達できることを 確認させる。その上で,すべての財を国内需要に合 わせて各国で生産するよりも,各国が比較優位財の 生産に特化して,余った生産物を交易(貿易)すれ ば,いずれの国も貿易をしない状態よりもより多く の財を手に入れることができることを説明し,それ が貿易の利益であると結論付ける。  さて,教科書一通りの説明を教え込めば,生徒・学 生は自由貿易を良いことと考えるようになるだろうし, 関税撤廃によって廃業に追い込まれる産業従事者の抵 抗は,一国全体としての利益を理解しないものと感じ るようになるだろう。ではこれは彼らが「論理的な思 考」を身につけた結果といえるかといえば,残念なが らそうともいえない。1 つの産業を比較劣位産業と考 えて廃業させてしまうと,当然ながらその産業従事者 は所得を失い,これは他の産業への需要を減らすこと になるから,比較優位産業といえども急速に輸出が伸 びるのでなければ業績を悪化させてしまい,GDP は 低下するという推論は適切だからである。一方,比較 優位の原理は,経済は生産可能性フロンティア上にあ ること,つまり,失業も遊休設備もない状態を前提に しているため,それ以外の状態で生じる問題を扱うこ とができない。つまり,比較優位の原理の認識のフ レームワークを得ることによって,その枠外で生じる 問題を正面から受け止めることができず,適切な推論 を行うことができなくなったために,「抵抗者は一国 全体の利益を理解していない」と非論理的に思考した 結果なのである。  では,自由貿易は悪いことかといえるかと,過度の 保護貿易でいがみ合っている状態よりは政治的に望ま しい状態であろうから,自由貿易を擁護するための適 切な推論は十分にありうることである。しかしながら, 比較優位の原理は,自由貿易擁護のための推論として は筋が悪いのである。

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 ちなみに,つねに経済社会は生産可能性フロンティ ア上にあるということを信じるという選択を生徒・学 生が行ったとしても,2 国 2 財モデルで生産技術が収 穫逓減であるならば,少なくとも 1 方の国が完全特化 した場合の生産可能性フロンティアは,2 国合わせて の生産可能性フロンティアの内側にくるため,貿易の 利益を享受するためには「特化してはならない」とい う結論は,高校生でも作図によって容易に導くことが できる。なお,収穫逓減の生産技術というのは,高校 生にとってもわれわれにとっても経験に反することが 多いが,供給曲線を導くためには収穫逓減でなければ ならない。経済学は一国全体としてみた生産関数は収 穫不変であることを前提とするが,これは生産者の生 産要素に対する集計的供給曲線は描けないことを意味 する。つまり,推論の前提を受け入れる素直な生徒・ 学生を相手に授業を行う場合であっても,彼らが真面 目に論理的な質問をするならば,それに応えるには授 業遂行上の困難を伴うのである。  これは 1 例にすぎないが,他にも,消費者余剰を説 明するとき,留保価格から需要曲線を導くことができ るように説明するのが通例だが,価格と予算制約の下 での効用最大化需要量の集計量との対応と,1 単位の 効用を貨幣量に置き換える対応とがなぜ同じであるの かを説明するのは難しいだろうし,たとえそこがクリ アできても,所得効果を持たないような財(でないと 消費者余剰が測れない)が政策論争の焦点になるとは 考えにくい。このように,高校生も目にするような話 題に限ってみても,それほど胸を張って論理的である とはいえないのである。また,彼らが就職活動で練習 するであろう公務員試験のマクロ経済学ともなると論 理的な飛躍がかなり目につく。このように,直面する 問題の全体を把握した上で論理的に考える力の涵養に, 主流派の経済学が役立つとは限らないことを,教師は 自覚しておく必要がある。 2.マルクス経済学は悪なのか?  主流派の経済学を選択すべき理由として,マルクス 経済学は破綻した古い経済学だから,と考える向きも あろうから,マルクス経済学は悪いものなのかについ ても触れておこう。よく耳にすることだが,マルクス 経済学は今はなきソ連のような社会主義経済国家の経 済学であって,対象を既に失った時代遅れの誤った経 済学であるという主張をきく。しかしながら,マルク スが『資本論』で展開した経済学は,資本主義社会を 描写したものであって社会主義経済運営の指針を示し たものではない。階級間の分配を全面でとらえた体系 は,生産力の発展の一方で剰余生産物が資本の所有に 帰するような分配を行えば,早晩商品はその販路を見 いだせなくなる構造的な問題を抱えていることを主張 しているが,それは別段的外れな推論ではない。また, 理論の基礎をなしている再生産モデルは,経済社会の 存続の条件を定式化したものであって,これを採用し たのはマルクスに限らない。スラッファの定式化を経 て,現代の経済学として流通している。  では社会主義国家の運営に当たって用いられていた 経済学とはどのようなものかといえば,産業連関論や 線形計画法という技術であってマルクス経済学ではな い。もちろん,国家レベルの巨大組織を制御する上で の情報処理の困難,インセンティブの問題,権力機構 の問題等を歴史は教えてくれるのだが,これらは計画 や情報に対して何が整合的な施策かを示すモデル内部 の問題でもない。そして,こうした問題を私たちに教 えてくれるのが社会主義経済計算論争であり,当初は 社会主義経済が成立しうるとした側もしえないとした 側もいずれも一般均衡理論に基づいて経済社会を捉え, 後に社会主義経済の困難を唱えた側が,市場を捉える 上で一般均衡理論そのものが適切ではないという見解 に至った。つまり,「マルクス経済学の敗北と一般均 衡理論の勝利」という歴史の理解は極めて的外れなの である。

Ⅲ.科学とは,そして経済学とは,どうい

うものだろうか?

 では,話をもとに戻そう。狭い視野からこの参照基 準問題を捉えることになぜ抵抗がないのか考えたとき に気づくのは,その根底にある恐ろしく素朴な科学観 である。すなわち,「経済学は,データにもとづき, 論理的な思考によって構築されている,実証科学であ る」という信念である。すると,「間違った理論は データによって棄却されていくから,現在主流となっ ている理論は,不完全なところもあるかもしれないけ れど,少なくとも過去の理論よりは優れた理論である はずで,教育も現状で主流となっている理論体系に基 づくのが当然だ」と考えてしまうのも不思議ではない。 だが,科学とは残念ながらそういうものではないとい うことを半世紀以上前から人類は認識しているのだか ら,非哲学的な経済学といえどもそろそろ自省しても よい頃である。  理論の中核をなす部分の命題は反証不能であって, 実験・観察を通じて「不都合な事実」が示されたとき

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に改変されるのは周辺命題だけである,というのがラ カトシュが示した科学のあり方のモデルである。主流 の経済学の中心部分にある命題,たとえば人間は合理 的な選択を行い,それは予算などの制約条件下の目的 関数最大化問題として定式化できる,という命題自体 は,いかなる一見非合理的な状況であっても,効用関 数を工夫すれば「説明」できてしまうから,反証不能 である。また,競争的生産者は収穫逓減の生産技術の 下で利潤最大となる生産量・原料投入量を決定してい る,という命題ならば,企業にヒアリングすれば生産 技術が収穫逓減かどうかチェックして反証できそうな ものであるが,様々な理屈をつけてやはり改変されな い。にもかかわらず,「実証」科学だと胸を張ってい るのは,計量経済学というジャンルがあるからだが, そこで統計データに照らし合わせて改変されるのは, 計量モデルのパラメータどまりであって,モデル自体 を構成する基礎となる理論そのものではない。また, 実験経済学が「実験」するのは,あくまでも極めて限 られたシチュエーション(でなければ実験環境を維持 することができない)における理論的予想の追認ある いは追加的想定の発見のために機能しているように見 えるし,行動経済学は合理的人間の想定に対する「不 都合な事実」を示しているはずなのに,経済学の理論 想定を「補足」する,というマーケティングスタンス を採って,理論を改変する意図はないように見える。  つまり,データによって理論の中核部分が改変され ることはない,ということなのだが,一方で経済学で は理論研究が盛んに行われて,レイヨンフーブッドが かつて揶揄したように理論研究は実証研究よりも高く 評価されるのはどういうことかと思われるだろう。そ こで,経済学(も科学であるとして)のための科学モ デルとして提案したいのが図 1 の三層構造モデルであ る。  この図は,経済学の 1 つの学派の営みをモデル化し たものである。学派をなすような規模の経済理論は, 社会を捉えるヴィジョンを規定する最基底層,その ヴィジョンに則って基本モデルを定める基底層,基本 モデルに基づいて様々な経済的経験に適用するための アプリケーションモデルを提示したり,整備された データに対応する実証モデルを開発する実証・拡張層, の 3 つの層から構成され,上の層が下の層を改変する ことはない。そして,各層で主導的な推論形式は異 なっており,実証・拡張層では帰納的推論,基底層で は演繹的推論,最基底層ではアブダクションやアナロ ジーが主役を占める。したがって,経済学のリアリ ティ,あるいは説得力を支えているものは,「事実に 基づく」ことだけではなく,経済学の場合はむしろ基 底層における「演繹的リアリティ」,つまり演繹的推 論の美しさや徹底の方が大きい,という事情をこのモ デルは示している。そして,経済学史上の大規模な論 争は異なる学派間で基底層をめぐって行われ,異なる 最基底層に立つ以上それが収束することがないことも このモデルは示す。(このような説明を,授業では立 体模型を持ち込んで行っている。)  経済学史の知識があれば,経済学はこのような三層 構造体が多数並立している状況にあることは容易に理 図 1 ラカトシュモデルと三層モデル

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解できるのであり,その上で 1 つの三層構造体の表層 だけ捉えて「実証科学としての経済学」を誇ることが いかに視野の狭い振舞いであるかも了解されるのでは ないだろうか。そして,異なる三層構造体上部の実 証・拡張層といえども,共時的に経験している経済社 会を扱っているところに,かくも激しい見解の相違の 源がある。

Ⅳ.三層モデルを踏まえた教材例-失業と

最低賃金法

 Ⅲで見たようなことは,別段浮世離れした抽象的な 話ではないことを説明しておこう。たとえば,失業問 題と最低賃金法を例にとれば次のような教材が考えら れる。  需要と供給による価格調整のストーリーを教えられ た生徒・学生はおそらく次のような説明を受け入れる ことと思う。  図 2 のように労働市場を考えたとき,失業とは供給 が需要を上回る状態であるから,この失業が解消する ためには価格,すなわち賃金が下がらなければならな い。ところが失業が解消しないのであれば,価格調整 を妨げているなんらかの要因があるはずだ。たとえば, 最低賃金法があれば,賃金が低下して需給均衡に向か う動きは最低賃金のところで止まってしまい,労働市 場の価格調整機能は働かなくなる。すると,最低賃金 法は労働者を保護しているように見えながら,実は 守っているのはすでに雇われている労働者だけであり, 職を得ることができなかった労働者はこの法律のため に失業せざるをえないことになるのではないだろうか。  ここで,失業者数の統計,最低賃金とコンビニの時 給など身近なデータを与えて,どうするのがよいか話 し合わせる。  次に,価格を説明するための別の考え方として,自 然価格,再生産価格を紹介する。  各商品の価格は原材料や賃金などの費用に一定率の マージンを上乗せしてつけられることになる。もし時 間に余裕があれば 2 部門程度で再生産モデルを示せば 高校生にも十分理解可能であろう。2 つの商品が 2 つ の商品によって生産されている社会を考え,それぞれ の商品の価格を P1,P2とすれば,価格は費用にマー ジンを上乗せしてつけられるから,社会の生産がうま く回っていくためにはこれらは次の条件を満たさなけ ればいけない。 P1=(1 +マージン率)・(P1×商品 1 の投入量 + P2×商品 1 生産のための商品 2 の投入量 +賃金率×商品 1 生産部門での雇用量) P2=(1 +マージン率)・(P1×商品 2 生産のための商 品 1 の投入量 + P2×商品 2 生産のための商品 2 の投入量 +賃金率×商品 2 生産部門での雇用量)  もし,この価格を下回る事態が長く続くならば,そ の社会でその商品を供給することは難しくなる。労働 の価格,すなわち賃金率も同様の考え方で理解され, その社会で「健康で文化的な」生活を維持するための 水準を下回る状態が続けば,その社会では人々は労働 報酬によって暮らしていくことが困難になり,このよ うな働き方ではこの社会の再生産は続けていけなくな る。なお,このモデルでは再生産の規模を決めるのは, 最終生産物に対する需要の大きさである。そこに含ま れる政府支出などを手掛かりにどのように再生産シス 図 2 最低賃金法は労働者の敵?

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テムを運営するかが政策的課題となることを説明する。  ここで先ほどの問題に戻って,失業対策としての賃 金切り下げの妥当性について再び話し合わせる。また, なぜ賃金が低すぎると,介護士や保育士が足りなくな るのかについても話し合わせる。そこで,需要と供給 というフレームワークに戻る生徒もいるはずだが,議 論の違いがどこから生じたのか,同じ結論(人手不足 ならば賃金上昇すべし)であっても推論が違うと何が 問題なのかについても話し合わせる。  最後に,失業という 1 つの現象を,別のフレーム ワークから見たとき,なぜ見え方が変わってきたのか 話し合わせてまとめとする。

Ⅴ.経済学教育は何を目指すべきか

 稿を閉じるにあたって,高校や大学初年次における 経済学教育は何を目指すべきかについて,以上のこと から考えられる次の提案を行いたい。  これから社会に出ていく生徒・学生に対して,経済 学の知識を先行して獲得した我々教師が最初にすべき ことは,経済学の歴史の中で生まれてきた,経済社会 を捉える基本的なフレームワークの特徴と具体的な経 済問題に対する理解をセットとし,粗々でも伝えるこ とである。  それによって生徒・学生は,フレームワークによっ て社会の捉え方が変わることを知るであろうし,それ ぞれのフレームワークの先に見えてくることに関心を 持ってくれるならば,社会科学を学ぶ入り口に立つこ とができるはずである。  これは経済学史と現代的な経済問題をセットにした 内容となるが,それを実施する教師のバックグラウン ドが社会学や歴史学であることが多い高等学校教育の 場合には,標準的な経済学の練習問題を教え込むこと に比べ,特段の困難を伴うものではないし,教師自身 のモチベーションも上がると思われる。  教材開発にあたっては,このような観点から,生 徒・学生の反応を踏まえつつ,高校・大学で連携と交 流が行われるべきである。

参照

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