国際経済のダイナミズム 1
国際経済のダイナミズム
―ナショナリズム・グローバリズム・リージョナリズム―
村
上
敦
!.はじめに いうまでもなく国際経済情勢は日々変化しているが,その変化の大きさはわ れわれの予測を遥かに超えている場合が多い。第二次世界大戦後少なくとも 1970年代中葉まで国際政治や国際経済の分析に携わってきた者の誰がその後生 じた国際経済環境の激変を予想することができたであろうか。ソ連邦の解体, 東西冷戦の終結,中国を始めとするアジア社会主義諸国の相継ぐ市場経済化, ヨーロッパ経済統合の拡大と深化,統一通貨ユーロの出現,「欧州連合(EU)」 での大統領制の実現等々,これらは国際経済に関心をもつ総ての人々にとって ありえる筈のない出来事であり,イデオロギー上の対立の持続,国民主権国家 体制の存続こそが国際経済分析上の所謂「与件」であったのである。その「与 件」そのものが今日根本的に「変化」した。今やわれわれは変化しないものは ないという前提で国際経済社会の現実に立ち向わなければならない。 しかしながら,それにも拘わらず,世紀をまたぐ長期的かつダイナミックな 国際経済変化の波動を捉える一つの視点が存在するように思われる。それはナ ショナリズム→グローバリズム→リージョナリズム,そして再びナショナリズ ム(とくにリージョン域内での)へと回帰するサイクルに着目することである。 世界大恐慌から立ち直るために各国がこぞって採用したナショナリスティック な「近隣窮乏化政策 beggar-my-neighbour-policy」が第二次世界大戦を招く契機 となったことはよく知られている。このことに対する深刻な反省から戦後模索 されたものが「ブレトンウッズ体制」に象徴されるグローバリズムであった。2 堂本健二教授追悼号(第372号) 平成20(2008)年4月 一方,ヨーロッパの経済復興を急ぐ意図から,また発展途上諸国の開発(工業 化)を促進する目的からリージョナリズムが各地で台頭した。そして今日,グ ローバリズムがいくつかの理由で一種の行詰まり状態に陥入りつゝある現状を 反映して,各国は一層強く地域的経済統合の形成と強化を志向するようになっ ている。われわれの身近で喧伝されている「東アジア共同体」構想もその一つ である。 小論ではこうした長期波動といってもよい国際経済のダイナミズムを辿るこ ととしたい。併せて東アジアにあってグローバリズムとリージョナリズムの狭 間で苦悩するわが国の立場に関説し,これからの進路について検討する1)。 !.ナショナリズムからグローバリズムへ 上述のように第二次世界大戦の導火線の一つは各国のナショナリズムであっ た。大戦終結後暫時持続していた戦争ブームは1929年10月24日(暗黒の木曜日), ニューヨーク証券市場での株価大暴落に象徴される米国の不況とそれの主要各 国への伝播という世界大恐慌によって完全に消滅した。深刻な不況2)から脱出 すべく各国の採用した通商政策が「近隣窮乏化政策」である。まず米国は1930 年悪名高い「ホーレイ・スムート関税法」を制定し,高関税3)によって輸入を 制限することにより国内雇用を拡大しようとした。これに対抗して英,独,仏 各国は相継いで関税の引上げ,輸入割当制や為替管理制の導入といった報復的 措置に出た。一方,輸入を制限すると同時に輸出を促進しそこに雇用機会を見 出す方策としては通貨価値の引下げ,為替の切下げといった手段がある。各国 1)こうしたストーリーのオリジナル版としては拙稿『アジアにおける日本の選択―「東ア ジア共同体」か「脱亜入欧」か―』(1),(2),(3),社団法人神戸貿易協会「神戸貿易」 2005年7月,同年11月,06年1月参照。 2)1929年から不況の谷とみられる1933年までに米国の株価指数は85%下落,実質 GDP は 30%縮少した。その1933年においても米国の失業率は25%(4人に1人が失業)であった。 3)1931年全有税品目の平均税率は53%という高率であった。もっともこの強力な保護政策 に対しては国の内外からの反対の声が大きく米国は1934年に互恵通商協定法を制定して大 統領に対し互恵的に関税を引下げる権限を与え通商政策を大きく転換することとなる。そ れが GATT の成立とそれを通しての貿易自由化推進の端緒となったといわれている。藤井 茂「貿易政策」(改訂版)1977年,千倉書房,第6章,第9章。
国際経済のダイナミズム 3 は不況の打開策としてこの方法に訴え,こぞって為替相場の競合的引下げを実 施した。所謂「関税戦争」「為替ダンピング」といわれるものがこれである。 更に,植民地や保護領,同盟国等を囲い込みその範囲内での有無相通じる交易 に活路を見出すという排他的経済ブロックの形成に狂奔した。1932年オタワ会 議を経て創設された英連邦特恵関税制度がその代表的なものであるが,他にド ルブロック,金ブロック,マルクブロック,わが国が関与した円ブロック等が ある4)。 さて,こうしたナショナリズムの嵐が第二次世界大戦を惹起したことへの反 省として戦後の国際経済秩序の基調はグローバリズム,国際協調主義へと一変 する。1944年米国ニューハンプシャー州ブレトンウッズで44ヶ国の参加の下開 催された「連合国通貨金融会議」は「国際通貨基金(IMF)」と「国際復興開 発銀行(IBRD―今日では世界銀行=世銀の名前で知られている)」の設立を決 定する。いうまでもなく,前者は為替ダンピングを防止し各国通貨価値の安定 化を目的とするものであり,後者は戦場となったヨーロッパの復興と発展途上 国の経済開発に資金を投入しようとするものであった。さらに1947年には紆余 曲折を経て「関税と貿易に関する一般協定(GATT)」が発足した。これが関 税引上げとは対極にある貿易の自由化を企図するものであったことはいうまで もないが,これにより国際通貨,国際金融,国際貿易という三分野においてナ ショナリズムを克服し,国際協調と国際協力を重視する戦後体制,所謂「ブレ トンウッズ体制」が構築されることとなったのである5)。 4)わが国の場合,第一次世界大戦によって「戦時景気」を謳歌するという漁夫の利を得た が,1920年には早くも「戦後不況」を経験し,1927年には激しい「金融恐慌」に見舞われ た。更に1930年には世界大恐慌の余波を受け所謂「昭和恐慌」に突入する。これを契機に 1931年金本位制(30年に一旦復帰していた)を離脱し,円価値の下落,輸出の伸張,輸入 の縮減を通して不況からの脱出を図ろうとした。同時に同年の満州事変,翌32年の満州国 の建国を経て37年に中国侵略を開始,世にいう「15年戦争」に至るのである。このプロセ スで満州や華北(占領地)に各種中央銀行を設立し,その発行する通貨を円とリンクさせ ることによりそれら地域を独占的にわが国経済に包摂しようとしたものが円ブロックであ る。 5)「ブレトンウッズ体制」がグローバリズムの発現であるといっても,当初は東西対立の 結果,西側自由主義経済圏内での国際協調体制にとどまっていた。その後冷戦の終結によ り中国やロシア等旧社会主義国が市場経済化するに伴いこの体制への加入ないしは加入希!
4 堂本健二教授追悼号(第372号) 平成20(2008)年4月 !.グローバリズムの進展とその限界 以下では「ブレトンウッズ体制」の主柱であった「関税と貿易に関する一般 協定(GATT)」(1995年以降は「世界貿易機関」(WTO)と改称)を対象とし てグローバリズムの進展とその限界を論じていくこととしよう。 GATT-WTOは「多角的かつ無差別な自由貿易の推進」をその精神とし,1947 年の第1回以降現在進行中のドーハ・ラウンドまで9回にわたって関税引下げ 交渉を実施してきた。第二次世界大戦後の国際貿易の飛躍的拡大とそれに基づ く多くの国々での急速な経済成長がこうした貿易自由化の賜物であることに疑 いはない。9回のラウンドのうち特に有名なものは第6回目のケネディ・ラウ ンド(1962∼67年)である。当時の米国大統領ケネディは後に述べるヨーロッ パでのリージョナリズムの高まり6)とそれがもたらす地域的閉鎖性を懸念し, 自らが議会に提出した「通商拡大法」の成立をまって画期的な関税引下げ交渉 に乗り出した。これ以前の交渉は互恵原則に立脚した二国間交渉の結果を最恵 国主義の適用によって多国間に均霑させることにより無差別性を保障するとい うものであったが,「通商拡大法」の指向したものは交渉参加国が一括して関 税を一率50%引下げるという新しい方式であった7)。この方式のもと5ヶ年 (「通商拡大法」の有効期間は5年であった)に及ぶ極めて困難な各国間の利 害調整の結果約3万品目,輸入額にして約400億ドル(世界の輸入総額の22%) に関し平均35%の関税引下げが実現したのである8)。 その後,東京ラウンド(1973∼79年),ウルグアイ・ラウンド(1986∼93年) 望を表明するに至って文字通り地球規模のものへと近づきつゝある。 6)「ヨーロッパ経済共同体(EEC)」が1958年6ヶ国をメンバーとして発足し,この地域内 での貿易と為替の自由化が現実のものとなった。 7)この法律が大統領に与えた交渉権限には二種類あり,50%引下げは「一般権限」といわ れたものである。いま一つは「特別権限」で米国と EEC を合計して世界輸出額の80%を 超えるものについては関税を全廃する―この意味で EEC の閉鎖性を牽制する―ことを意 図していた。しかし,当時の予測に反して英国の EEC 加盟が頓挫したので対象品目数が 激減し,実際には機能しなかった。 8)関税引下げにとどまらずダンピング・コードの作成など関税以外の貿易障壁(非関税障 壁)が議論の対象とされた点でもケネディ・ラウンドは画期的なものであった。 !
国際経済のダイナミズム 5 と関税引下げ交渉は進展し,2001年以後今日までまがりなりにもドーハ・ラウ ンドが進行中である9)。 こうした度重なる貿易自由化へのグローバルな努力が国際貿易の伸張と各国 の経済成長の加速化に貢献してきたことは前述の通りであるが,このプロセス において最大の恩恵を受けたものが他ならぬわが国であったことは如何に強調 しても強調しすぎることはないであろう。周知の如く,わが国は第二次大戦後, まず,1950年代労働集約的な纎維や雑貨といった軽工業品の主として米国市場 に対する輸出の拡大によって経済復興と経済発展の端緒をつかみ,60年代には 鉄鋼,船舶,自動車,石油化学品等所謂物的資本集約的な重化学工業品の世界 市場を対象とする輸出急伸によって高度成長を実現した。更に80年代にはマイ クロエレクトニクス,バイオケミカル,新素材といった人的資本集約的な先端 技術商品の開発と対世界輸出の成功によって GDP において世界第二位という 経済大国としての不動の地位を獲得したのである。1985年には米国が純債務国 に転落したのに対しわが国は世界最大の純債権国となることによって明治維新 以来の悲願であった先進列強に「追いつき追い越す」という夢が現実のものと なった10)。もとよりこのことの背景には,次々と新しい比較優位産業を生み 出していった技術の進歩,生産性の向上というわが国側での不断の努力があっ たことは事実である。しかし,貿易の自由化という国際環境の好転がなければ わが国独自の努力は現実化し得なかったであろう。この意味においてわが国は グローバリズムの最大の受益者(beneficiary)であったわけである。 わが国に続いて輸出指向的工業化に成功し雁行形態的発展の戦列に加わった アジア新興経済群(韓国,台湾,香港,シンガポール)や「東南アジア諸国連 合(ASEAN)」の先発組(タイ,マレーシア,フィリピン,インドネシア)も 明らかにこの体制の受益者であった。中国(中国は2001年 WTO に加盟した) の驚異的な急成長もこれまた驚異的な輸出の急増があってのことである11)。 9)東京ラウンド以後は交渉開始を決定した GATT-WTO 閣僚会議の開催地(国)名がラウ ンドの名称となっている。 10)こうした経緯については経済発展段階モデルに依拠する拙稿「国際経済政策」『経済政 策入門(1)理論』第6章,1999年,有斐閣を参照されたい。
6 堂本健二教授追悼号(第372号) 平成20(2008)年4月 このように通商政策上の世界大での自由化の進展が各国に絶えず活力を注入 してきたことの意義は極めて大きいが,それにも拘らず,グローバリズムは昨 今いくつかの点においてその限界を露呈しつゝある。 まず第1に,時期を経るにつれ関税引下げ交渉に参加する国の数が増加し, そこで取上げられる交渉項目も多様化した。ケネディ・ラウンドには46ヶ国が 参加したに過ぎなかったが,東京ラウンドには99ヶ国,ウルグアイ・ラウンド には123ヶ国が参加し,現在のドーハ・ラウンドへの参加国は発展途上国を中 心に実に151ヶ国に達している。また交渉のテーマは当初の関税引下げからよ り広範な非関税障壁の撤廃やサービス分野(金融・流通・通信等)での市場開 放,投資ルールの設定,通関手続きの国際的統一と円滑化,さらには知的所有 権,環境問題,労働条件にまで拡大(拡散)した。経済発展段階を異にし,相 互に利害の対立する151の国の間で全会一致方式を採る交渉が妥結に至ること は将に至難の業といわなければならない。現にドーハ・ラウンドは以下に述べ るようにいたずらに日時を重ねるのみで全く先行きの読めぬ膠着状態に陥入っ ている。 第2に,貿易の自由化は市場の拡大とその拡大した市場での競争の激化を意 味しており,その結果国際的にまた国内の異なったグループ間で「勝ち組」と 「負け組み」を生み出すことになる。また資源の乱獲,環境の破壊といった外 部不経済の発生が避けられない。競争に敗れ職を失った人々,環境の劣化に苦 しむ人々が反グローバリズムの旗の下国際的連帯を強めていくことは当然の成 行きである12)。 第3に,最近では1997年に発生した「アジア通貨・金融・経済危機」がグロー バリズムへの疑念と不信を高めたことが忘れられてはならない。これは同年2 11)中国の輸出額は WTO 加盟から6年間で5倍に拡大し,07年にドイツに次ぐ世界第二位 となった。 12)ウルグアイ・ラウンド終了後新しいラウンドを立上げる目的で1994年に米国シアトルで 開催された WTO 閣僚会議が会場を取巻く発展途上国の労働条件を問題とする先進国の労 働組合や環境を重視する NGO グループの激しいデモによって文字通り粉砕されたことは この象徴的な出来事である。このため新ラウンドの開始は2001年のドーハによる閣僚会議 まで持ち越された。
国際経済のダイナミズム 7 月タイ通貨バーツと同国の株価が暴落し,これがたちまち相互依存関係を強め ていたアジア各国に伝播した結果,タイ,インドネシア,韓国が IMF に救済 融資を求め,その対価として課された厳しい条件の下で経済復興を強いられた (この過程でインドネシアのスハルト政権は崩壊した)というものであるが, 危機発生の原因として,タイが不安定な投機的短期資本を大量に取入れてまで 経済発展を急ぎ過ぎたという事情とともに,各国にモノ(貿易)の自由化のみ ならず,カネ(資本)の国際的移動の早急な自由化をも迫るグローバルスタン ダードにタイが安易に応じたという事実が指摘されている。IMF が課した厳 しい条件も,また,政府の介入を極小化し,総てを自由な市場メカニズムに委 ねるべきであるという新古典派経済学の教義に基礎を置くグローバルスタン ダードに従うものであった13)。この危機はこれまで述べてきた貿易の自由化 とは次元を異にする資本移動の自由化に由来するものではあるが,これがそれ までモノ作りを中心に営々として築き上げてきたアジアの経済発展を一朝にし て破壊しかねなかったという点においてグローバリズム不信に拍車したことに は疑いがない。 第4に,グローバリズムの進展とその限界は「世界経済の異質化と同質化」 の理論14)に関連づけてみることができる。貿易の自由化は世界経済の構造が 異質的(一国が卓越した経済力をもちそれに遅れた爾余の国々との間に自己に 有利な補完関係を構築しうる)である場合には進展するが,爾余の国々が産業 構造の高度化に成功しその結果それまでヘゲモニーを保持してきた先導国との 13)よく知られているように,こうしたスタンダードは IMF と IBRD(世銀)の立地に即し て「ワシントン・コンセンサス」といわれている。 14)これは赤松理論として周知のものである。赤松要「世界経済の異質化と同質化」初出「商 業経済論集」1932年7月号。池本清教授もグローバリゼーションを貿易や海外投資,資金 移動の量的増大といった表層的現象で捉えるのは誤りであり,イノベーションに成功した 経済強国による国益追求の発露であるというその本質において理解すべきであるとされて いる。池本清「経済グローバリゼーションの新仮説」本山美彦編『グローバリズムの衝撃』 東洋経済新報社,2001年。なお同教授は「パクス・アメリカーナ」をモノの自由貿易とそ の後の金融や資金移動の自由化という二層で捉え,後者が実現したのは情報・通信分野で の米国のイノベーションに由来するとみられているが,これは前述の「アジア通貨・金融・ 経済危機」との関連で興味深い視点である。
8 堂本健二教授追悼号(第372号) 平成20(2008)年4月 関係が同質的になるにつれ相剋的競争関係が生じ貿易の自由化は行詰ることと なる。1860年代から70年代にかけての自由貿易の黄金時代が「パックス・ブリ タニカ」を背景にしていたのと同様,第二次世界大戦後の「ブレトンウッズ体 制」は「パクス・アメリカーナ」があればこそ大きな成果を挙げることができ たのである。ところがその体制下でヨーロッパやわが国,さらには東アジアの 国々が力を蓄え,中国,インド,ラテンアメリカではブラジルまでもが台頭す るに及んで世界経済は同質化の途を歩み始めることとなった。かくして各国間 での相剋が顕在化し15),グローバリズムはその限界を露呈するに至ったので ある。 それでは今日深刻な行詰まり状態にあるドーハ・ラウンドはこれまでどのよ うな経緯を辿ってきたのであろうか。2001年に開始されたこのラウンドは03年 カンクン閣僚会議での交渉の枠組み作りの段階で合意に達することができず一 旦決裂する。04年に再開後枠組みについては一定の合意に漕ぎ着け,05年の香 港閣僚会議16)で農産品と鉱工業品の主要二分野で市場開放の細目合意に至る 予定であった。しかしこれは結実せず,合意達成期日は次々と先送りされ,一 時ラウンドの凍結までが議せられるに至った。その後凍結は解除されたもの の,07年6月にそれまで会議をリードしてきた主要4ヶ国・地域(米国,EU, インド,ブラジル)の閣僚会議が決裂し,同時に同月末米国ブッシュ大統領が 議会から与えられていた「貿易促進権限」が失効するに至って交渉は完全にデッ ドロックに乗り上げる。それ以降も WTO 事務局長や主要二分野の交渉議長に よる局面打開の努力が続けられたが,07年中の一括合意の夢は消え,08年2月 現在,今後何らかの劇的な変化が生じぬ限りこのラウンドは09年1月の米新政 権誕生後まで「冬眠状態」に入るであろうとみられている。 ところでドーハ・ラウンドをかくも混乱に陥し入れている原因は,(1)米 国の農業補助金をめぐる米国対その他諸国の対立,(2)農産品の市場アクセ 15)このことは日米間で繊維,鉄鋼,テレビ,自動車,半導体をめぐり相継いで生じた貿易 摩擦をみれば明らかである。 16)香港でも「WTO は世界を滅ぼす」というスローガンで大規模なグローバル化反対のデ モがあった。
国際経済のダイナミズム 9 スをめぐっての輸出国対輸入国の対立,(3)鉱工業品の同じく市場アクセス に関連する先進国対発展途上国の対立である。米国は議会の意向もあって EU, インド,ブラジル等の農業補助金削減要求をかたくなに拒みつづけており17), 米国,ブラジルを始めとする農産品輸出国はわが国,スイス,韓国等輸入国に 対し関税の大幅引下げを強く要求している18)。一方,米国,EU を中心とする 先進諸国は発展途上国に対し彼らが輸入する鉱工業品の関税引下げを要求し, 発展途上国の猛反発を招いているのである19)。 その上, こうした農業補助金, 農産品貿易,鉱工業品貿易という三つの争点が複雑にからみあっている点も見 逃すわけにはいかない。たとえば鉱工業品の関税引下げに肯んじない発展途上 国の強い姿勢の背後には自らの反対を挺子として米国や農産品輸入国に更なる 譲歩を迫ろうという意図が存在するのである。 もとよりドーハ・ラウンドでは農産品と鉱工業品の貿易以外にもサービス分 野での市場開放,通関手続きの国際的統一と円滑化,発展途上国開発への特段 の配慮といった項目が議題として取上げられている。このうち最後の発展途上 国への配慮についてはわが国を始め米国も EU もそれぞれに資金援助を中心と する支援の手を差伸ばそうとしているが,サービス分野での市場開放に関して は発展途上国の反発が強く,現状では合意文書の素案さえ提示されていない。 そしてこのことがまた農産品,鉱工業品という主要分野での交渉の足枷となっ ているのである。 このようにドーハ・ラウンドの前途は暗雲に覆われており,再び凍結される 恐れがある。今日その責任の大半はかつて圧倒的な経済力を背景に国際経済秩 17)米国に許容されている農業補助金は現在年間約230億ドルであるが,EU 等はこれを150 億ドル以下に削減することを要求し,米国も170億ドル迄に圧縮する用意のあることを示 唆したものの現在の仕組みを維持しようとする議会勢力が強く,米国の譲歩は容易でない。 18)米国やブラジルの要求は総ての品目について70∼100%という上限関税を設定し,これ に従えぬ例外品目(重要品目)は全有税輸入品目の1∼5%(米国や EU は4∼6%にま で歩みよっている)にとどめようとするものである。わが国は上限関税率に反対するとと もに重要品目の割合を10∼15%に拡大するよう求めている。 19)先進国が発展途上国に対し関税率を15%以下に引下げるよう要求しているのに対し,後 者はこれに反対し20∼30%ないしはそれ以上の線を譲る気配がない。インド,ブラジルと ともにアルゼンチンや南アフリカの強硬姿勢が目立っている。
10 堂本健二教授追悼号(第372号) 平成20(2008)年4月 序をリードしてきた(あるいは自由貿易体制を通して国益を追求することが可 能であった)米国の力の凋落とその内向きの姿勢にあるとされている。そのこ との反面には世界経済同質化現象の進化があるのであろう。しかしながら,そ の責任の一端がわが国にあることもまた事実である。かつてウルグアイ・ラウ ンドでは米国,EU,カナダと並んで所謂4極の一翼を担い,交渉の進展にそ れなりの力を発揮してきたわが国は今回比較劣位にある農産物の市場開放に最 後まで抵抗し,その故もあって完全に蚊帳の外に置かれ,時には交渉から排除 されかねない懸念すらあったのである。前述したようにこれまでわが国は貿易 の自由化推進に具現されたグローバリズムの最大の受益者であった。グローバ リズムの進展なくして今日のわが国はなかったといってよい。それにも拘らず ドーハ・ラウンドでは塹壕に閉じこもり,難局の打開に努力しない無責任な態 度を取り続けてきた。こうした行動は一種の背信行為に他ならない。同時にわ が国はラウンドの行詰りによってわが国が比較優位をもつ鉱工業品分野でのグ ローバルな20)関税引下げが実現しておれば得られた筈の大きな利益を失なっ たのである。 さて,グローバリズムの限界が次第に明らかになるにつれ各国は新しい選択 肢を模索するようになった。それが次に論じるリージョナリズムである21)。 従来グローバリズムに固執してきた(それによって利益を得てきた)わが国も その限界に直面し(それにはわが国の責任も大きい),21世紀に入って通商政 策の舵をリージョナリズムの方向にきることを余儀なくされているといってよ い。 !.リージョナリズムの歴史と現状 いうまでもないがリージョナリズム(地域的経済統合)は一方におけるナショ ナリズムと他方におけるグローバリズムの中間項的存在であり,ナショナリズ 20)鉱工業品については発展途上国のみならず先進国もその輸入関税率を10%以下におさえ ることがラウンドの目標とされている。 21)ラウンドの行方に期待をもてぬとみたカナダとブラジルは07年末米国の農業補助金がこ れまでに定められている協定に違反しているとして WTO に提訴した。
国際経済のダイナミズム 11 ムとの対比では部分的であれ貿易「自由」化を指向するものの,グローバリズ ムとの対比では自由化の恩典に浴する地域内と浴せない地域外を「差別」する という二面性をもっている。理論的には前者を「貿易創出効果」,後者を「貿 易転換効果」と呼び,前者が後者を上回るような統合が望ましいとされている が22),この差別性の故にグローバルな GATT-WTO がリージョナリズムを如何 に位置付けるかが常に問題とされてきた。今日では,(1)地域外に対する貿 易障壁が統合以前に比して高くならないこと,(2)地域内での貿易障壁が実 質的に総ての分野で撤廃されること,(3)撤廃完了時を予め定めておくこと を条件としてリージョナリズムをグローバルな自由貿易に向う一つのプロセス として容認するという見解が一般的である。また,経済統合の形態としては統 合の度合いが弱いものから強いものへの順序で「自由貿易地域」「関税同盟」「共 同市場」「経済同盟」「完全経済統合」という5種類が区別されている。さらに 統合の範囲としては3ヶ国以上にまたがる多国間の統合と,最近とみにその数 を増しつゝある2国間での統合(2国間自由貿易協定の締結)の別がある。 ところで,前述した第二次世界大戦前の経済ブロックは別として23),戦後 のリージョナリズムの出現は必ずしも新しいものではない(グローバリズムの 行詰りを反映して近年統合体形成が加速しつつあることは事実であるが)。先 に指摘したように,ヨーロッパでは1958年に EEC が発足している。これには 資源(石炭や鉄鉱石)をめぐる根深い独仏間の対立を解消しヨーロッパに真の 平和をもたらしたいという参加各国の願望が込められているが24),同時に圧 倒的経済力を握る米国に対抗しようとする意図のあったことも否定できな い25)。 22)もっともこれは統合を静態的に評価する基準に過ぎず,総合的には,(1)市場規模拡 大による「規模の経済」の実現,(2)競争の激化による技術の向上や効率の増進,(3) 地域外からの直接投資の増加といった動態的な成長促進効果を含めて判断されなければな らない。 23)戦後の経済統合が戦前の経済ブロックと根本的に異なっているのは後者が宗主国と植民 地といった支配−従属関係を主としたものであったのに対し,前者が先進国間であれ発展 途上国間であれ経済発展段階をほゞ等しくする国々の間の結びつきであるという点にあ る。 24)その原点は1952年に発足した「ヨーロッパ石炭鉄鋼共同体(ECSC)」にある。
12 堂本健二教授追悼号(第372号) 平成20(2008)年4月 周知の如く,EEC はその後1967年「ヨーロッパ原子力共同体(EURATOM)」 と合体して「ヨーロッパ共同体(EC)」となり,マーストリヒト条約を経て1993 年以降今日の「ヨーロッパ連合(EU)」にまで成長した。当初6ヶ国から出発 したヨーロッパのリージョナリズムは15ヶ国→25ヶ国→27ヶ国と加盟国を増 し,かつての西欧中心から中欧,東欧,さらには地中海諸国までをも含む大経 済圏へと「拡大」する一方26),1999年には13ヶ国の参加の下単一通貨「ユー ロ」を創出し,更に2009年の発効を目指して07年末 EU 大統領制の新設をも含 む「基本条約(リスボン条約)」27)に調印するなど統合の「深化」の点でも大 きな成果をおさめてきたのである。この条約によると EU は任期2年半の大統 領と,外相に相当する外務・安全保障担当の上級代表をもつこととなり,外交 政策の共通化を計ることができる。また多数決原理が司法,治安等多くの分野 に適用されることとなり,統一政策決定の効率化が実現する。人口規模や GDP において米国を遥かに凌駕している EU はその統合形態においても「共同市場」 や「経済同盟」の域を越え次第に「完全経済統合」へ近づきつつあるといえる であろう。それだけ国際経済・国際政治の両面におけるヨーロッパ・リージョ ナリズムの存在感は益々高まっていくものと思われる28)29)。 25)EEC の結成にはマーシャル・プランによる巨額な経済援助の受け皿造りという米国の意 向が働いていたといわれている。しかし,これが米国に対抗する閉鎖的地域統合体として 力をつけてくるにつれ(EEC をフランケンシュタインの怪物と呼ぶむきもあった)米国は 上述したケネディ・ラウンドの特別権限を利用してその門戸を開放させグローバルな自由 貿易体制に組込もうとしたのである。 26)この東方拡大の過程でかつての社会主義諸国が雪崩をうって EU に加盟するようになっ たことは国際経済の地殻変動として注目に値する。 27)これに先立って EU では04年「憲法条約」が調印済みであった。しかしながら,これは 一つの国旗,一つの国歌を制定するなどヨーロッパ合衆国を連想させる色彩が強すぎたの で05年フランスとオランダの国民投票で賛成が得られず,発効に至らなかった。 28)事実,EU は2020年までに CO2排出量を1990年比20%削減するという目標を設け,12年 に期限を迎える「京都議定書」以後の地球温暖化対策で主導権を握ろうとしているし,食 品安全,環境,工業規格,会計基準等で厳しい EC 基準をグローバル・スタンダードにし ようと目論んでいる。さらに,10年を目標年次にトルコ,エジプト,モロッコ等地中海を 取り囲む10ヶ国と自由貿易圏を設立する構想をもっている他,韓国,インド,ASEAN 等 に自由貿易協定締結を話しかけている。 29)そうはいっても EU に弱点がないわけではない。領域拡大の過程で発展段階の遅れた, したがって人件費の安い中欧,東欧を包摂していった結果,西欧からこれら地域への企業!
国際経済のダイナミズム 13 第二次世界大戦後一貫してグローバルな自由貿易体制を推進してきた米国は 米国で1994年カナダとメキシコを引き込み「北米自由貿易地域(NAFTA)」の 結成に踏み切った。これが EU の躍進に触発されこれに対抗しようとする意図 に発するものであることは疑いない。更に米国は北米を中米,南米にまで拡大 し,南北アメリカ大陸全体を一つの統合体「アメリカ自由貿易地域(FTAA)」 として纒め上げる構想をもっているといわれている。この手初めとして2005年 中米6ヶ国と自由貿易協定(CAFTA)を締結した30)。一方,06年ハノイで開 催された「アジア太平洋経済協力会議(APEC)」(後述)の首脳会合(サミッ ト)で唐突に APEC 加盟21ヶ国・地域全域を自由貿易地域とする「アジア太 平洋自由貿易協定(FTAAP)」構想を提案した。これは広範かつ異質な環太平 洋諸国からなる緩い経済協力体である APEC 加盟国をとまどわせる提案であ り,07年のシドニーでのサミットでも「長期的展望」として位置づけ今後の研 究課題とするにとどめたが,こうした米国の動きは成長著しいアジアにおいて 米国の存在感が低下しつつあることへの焦りを反映するものとみられている。 さて,リージョナリズムは発展途上国にとってもその工業化を促進する上で 極めて魅力のある選択肢であった。第二次世界大戦後,経済の自立と発展を求 めた多くの発展途上国は工業化戦略を採用したが当初のそれは保護された自国 市場を対象とする輸入代替的工業化であったのである。しかしそれは国内市場 の狭隘性の故に規模の経済性を享受できず非能率な工業部門を簇生するのみで やがて挫折する。その解決策として登場したものが近隣諸国を糾合してより広 範な地域的経済統合体を結成することであった。 この点ラテンアメリカが先進地域であったことは注目に値する。1948年に設 立 さ れ た 国 連 の 地 域 委 員 会 の 一 つ で あ る「ラ テ ン ア メ リ カ 経 済 委 員 会 (ECLA)」31)のイニシアティブの下「中米共同市場(CACM)」が発足したの の流出(西欧における産業の空洞化),これら地域から西欧への労働力の流出(たとえば フランスでの移住労働者を主とする暴動の頻発)といったコストが発生しているのである。 30) しかしながら今の処ブラジルを主軸とする「南米南部共同市場(MERCOSUR)」(後述) との関係がぎくしゃくしており,南米まで触手を延ばすことは困難であるとみられる。 31)1984年「ラテンアメリカ・カリブ経済委員会(ECLAC)」と改称された。 !
14 堂本健二教授追悼号(第372号) 平成20(2008)年4月 は1960年,「ラテンアメリカ自由貿易連合(LAFTA)」32)が設立されたのは1961 年のことである。1969年には LAFTA の準地域統合として「アンデス共同体(共 同市場 ANCOM)」が発足し,より最近では1991年に前述した(注3 0)MERCO-SUR33)が米国に対抗しうる統合体として登場した。 その他,最近とみに注目を集めている発展途上国のリージョナリズムとして はアフリカ最大の経済統合体である「東部南部アフリカ共同市場(COMESA)」 (20ヶ国で構成) や中近東での 「湾岸協力会議 (GCC)」(6ヶ国がメンバー) があるが,わが国にとって特に関心のあるのがアジアにおけるそれであること はいうまでもない。 この関連で最重要視すべきものは ASEAN の存在と近年におけるその存在感 の急増である。1967年タイ,マレーシア,シンガポール,フィリピン,インド ネシア5ヶ国をオリジナルメンバーとし経済・社会・文化面での相互交流と協 力を目的として設立された ASEAN は当初鳴かず飛ばずの状態にあったが, 1976年のサイゴン(現ホーチミン)陥落とベトナム社会主義共和国の誕生,同 年のベトナムによるカンボジア侵入,さらにはこの地域で拡大しつゝある中国 の脅威の現実化を契機として5ヶ国が一層結束する必要性を痛感し,1976年設 立後10年を経て初めて首脳会議を開催して「東南アジア友好協力条約」を締結, その存在を世に問う段階に至った。その後ブルネイ(1984年)を始めかつて敵 視していたベトナム(1995年),ラオス,ミャンマー(1997年),カンボジア(1999 年)の加盟を承認することによって文字通り東南アジア全域をカバーする所謂 「ASEAN―10」体制を構築し今日に至っている。 この間,域内では1992年「ASEAN 自由貿易地域(AFTA)」を創設し加盟各 国間で着実に関税引下げを実施する34)一方,域外に対しても日本,中国,韓 国の他米国,EC,オーストラリア等を招いての「ASEAN 拡大外相会議」の開 32)1981年に「ラテンアメリカ統合連合(ALADI)」に改組され現在に至っている。 33)当初ブラジル,アルゼンチン,パラグアイ,ウルグアイの4ヶ国がメンバーであったが, その後ベネズエラが加盟することにより一層反米色を強めている。 34)ブルネイを含む先発6ヶ国は農産加工品を含む総ての工業品について関税を5%以下に するという当初の目標を既に達成し,後発のベトナム,ラオス,ミャンマー,カンボジア (時として ASEAN―4と呼ばれる)もほゞこの目標に近づきつゝある。
国際経済のダイナミズム 15 催(1993年 以 降 毎 年),こ れ を 更 に 拡 大 し て の「ASEAN 地 域 フ ォ ー ラ ム (ARF)」35)の結成(1994年以降毎年),「アジア欧州会議(ASEM)」36)への積極 的参加(1996年以降アジアとヨーロッパで交互に毎年),ASEAN―10に日,中, 韓を加えた所謂 ASEAN―10プラス3首脳会議の制度化(1997年以降毎年)等 1990年代に入って極めて積極的に自らの基盤強化に努めてきた。更にいえば21 世紀初頭から中国37),韓国38),日本39)と自由貿易協定(FTA)締結に動いてき たことも注目される。FTA に関しては既に EU と交渉開始を決定し,インド, オーストラリア,ニュージーランドとも交渉中である。将に世界の FTA は ASEANを起点として放射線状に拡大しつつあり,ASEAN はその結節点とし ての役割を担おうとしている感さえある。こうした一連の動きの延長線上にあ るものが ASEAN を2015年に EU に匹敵する「共同体」とする目的で07年11月 にシンガポールで開催された首脳会議において署名・調印された「ASEAN 憲 35)これには2000年北朝鮮も参加した。現在24ヶ国・地域からなるが,特に安全保障問題を 討議する場という特色をもっている。
36)ASEAN―10に日・中・韓,EU27ヶ国,その他5ヶ国,それに EU と ASEAN 事務局を加 えた43ヶ国・地域がメンバーである。 37)中国との FTA は05年に発効したが中国はそれ以前から特定農産物の自由化を前倒しで 実施する等これに意欲的であった。今日この協定はサービス分野の自由化にまで拡大され ている。 38)韓国との FTA は07年に発効したが,コメの自由化で折り合いがつかず,タイはこれに 参加していない。 39)05年から交渉を開始しながら結果として中国と韓国に後れをとったわが国と ASEAN と の「包括的経済連携協定(EPA)」―わが国の場合次に述べる2国間協定もそうであるが, それが単なる FTA を超えてサービス分野への参入,投資の相互自由化,ヒトの交流,技 術支援等より広範な協力を目指しているという意味においてこう呼んでいる―は07年11月 ようやく最終合意に至り,現在調印,発効の手続きが進行中である。その内容は関税引下 げに関し,(1)わが国は鉱工業品を中心に輸入額の90%以上にわたる品目の関税を協定 発効後直ちに撤廃する,(2)その他3%に相当する品目の関税は発効後5∼10年以内に 撤廃する,(3)コメ,砂糖,乳製品,牛肉等1%に当る品目は関税引下げの例外とする, (4)ASEAN6ヶ国(ブルネイを含む先発組)は輸入額の90%相当分について発効後10年 以内,ベトナムは15年以内,ベトナム,ラオス,ミャンマーは85%相当分について18年以 内に関税を撤廃するというものである。わが国が90%以上の品目の関税を即座に撤廃する という点でこれを60%にとどめている韓国や総ての関税を段階的に軽減していくという中 国の FTA に比べより大胆なものといえようが,農畜産セクターを保護する目的で ASEAN の輸出関心品目の多くを例外扱いとしていること,わが国の自動車,鉄鋼,電気・電子産 業等は輸出拡大の利益を享受できようが ASEAN 側の関税が無税になるのは10年乃至18年 後のことであることで双方に不満を残した協定とみられている。
16 堂本健二教授追悼号(第372号) 平成20(2008)年4月 章」であることはいうまでもない。これはそれまである意味で任意団体に過ぎ なかった ASEAN に国際法上の法人格を与えるとともに,今後の各国の行動指 針を規定した最高規範ともいえるものでその意義は極めて大きい40)。 さて,ASEAN が「共同体」実現を間近にする段階にまでリージョナリズム としての存在感を増大させてきた背景にはハード,ソフト両面におけるインフ ラ整備があづかって力のあったことにふれておかなくてはならない。前者は主 として港湾,鉄道,工業団地等に関するものであるが,例えば06年末メコン川 に第2メコン橋が架橋されタイとベトナムを結ぶ通称「東西回廊」が開通した 結果,中国から陸路ベトナム,ラオス,タイ,マレーシアを経由してシンガポー ルに至る全長4,000キロを超える大動脈が完成し,輸送日数が激減した。後者 については例えば上述した1997年の「アジア通貨・金融・経済危機」の後2000 年に通貨価値の急激な下落に備え,2国間で相互に通貨を融通し合うスワップ 協定(所謂チェンマイ・イニシアティブ)が8ヶ国で成立していたが,07年に なって ASEAN―10プラス3の13ヶ国がそれぞれ外貨準備を拠出しこれをプー ルすることによって危機に備えようという新体制作りが合意されている41)。 ところで,アジアにおけるリージョナリズムには他に「南アジア地域協力連 合(SAARC)」,「上海協力機構(SCO)」,また ASEAN と NAFTA を含み更に 広く環太平洋諸国を糾合した前述の APEC がある。SAARC はインドを中心に パキスタン,バングラディシュ,スリランカ等が1985年に結成したもので42), 2006年には「南アジア自由貿易地域(SAFTA)」を発足させ,20年には南アジ 40)そうはいっても ASEAN は政治体制を異にし,経済的格差も大きい国々の統合体である。 これまで「内政不干渉」と「全会一致方式」という原則の下で運営されてきたが現在軍事 独裁体制下にあるミャンマーの存在が統合深化のネックとなっている。そのことを考慮し て憲章では自由と人権を守る「人権機構」が設置されることになっているが,ミャンマー の出方如何によっては批准が困難であるという国もあり発効に至る途は必ずしも容易でな い。 41)これは実質 IMF のアジア版といってよいものであるが,「危機」後わが国が提唱した「ア ジア通貨基金(AMF)」構想にともに反対した米国,中国も異議は唱えておらず,中国は 前向きの姿勢を示している。 42)06年アフガニスタンが加盟してメンバーは8ヶ国になったが,ひとりインドの規模が突 出して大きいこともあって統合体としての動きは必ずしも活発でない。
国際経済のダイナミズム 17 ア経済連合というより高次な統合体へ成長することを目指している。SCO は 01年に設立された中国,ロシア,それに中央アジア4ヶ国を加盟国とする新し い協力機構である。もともとはソ連邦解体後の国境紛争を解決する目的をもつ とされていたが,中央アジアに足場を築いた米国と東方拡大を図る「北大西洋 条約機構(NATO)」への牽制,安全保障と資源エネルギー分野での協力等が 意図されており,07年に実施された加盟国挙げての合同軍事演習もあってわが 国にとっても今後目を離すことのできぬ一つの統合体とみなければならない。 1989年に設立された APEC はつとに有名である。将に太平洋を取巻く21ヶ国・ 地域がメンバーであり「開かれた地域主義」を標榜して貿易・投資の自由化, 開発協力にそれなりの成果を挙げてきた。前述した07年シドニーでのサミット では温暖化ガス排出の抑制に関連してエネルギー効率の改善,森林資源面積の 拡大に関する数値目標の設定で合意したが,APEC が各国の自主性の尊重を原 則としていることに変わりはない。米国が APEC を自由貿易地域とする構想 を提示していることは先に述べた通りである。 リージョナリズムにはこれまでみてきたような3ヶ国以上にまたがる多国間 での統合にとどまらず,2国間での統合という形態がありうること,こうした 形態が近年急増する傾向にあることは先に指摘した。グローバリズムの限界に 直面してわが国の通商政策がリージョナリズムをも重視する方向への転換を余 儀なくされていることも前述した。このことの証が21世紀に入りわが国がシン ガポール(02年発効)を皮切りにメキシコ(05年発効),マレーシア(06年発 効),フィリピン(06年署名),ブルネイ(07年署名),インドネシア(07年署 名),チリ(07年発効),タイ(07年発効)と矢継ぎ早に締結してきた EPA で あることはいうまでもない。こゝでそれぞれの内容について詳述する暇はない が,総じて次のような問題点を指摘することができる。 第1に,WTO ドーハ・ラウンドでもそうであったようにわが国が未だ農業 保護主義を捨てきれぬ故にコメ,小麦,砂糖,デンプン,乳製品,牛肉・豚肉・ 鶏肉等畜産物,バナナ・オレンジ・同果汁・パイナップル缶詰等果物類,一部 水産物の市場開放を渋り,多くを関税撤廃の例外品目としたために交渉が難渋
18 堂本健二教授追悼号(第372号) 平成20(2008)年4月 し,結果として自由化の成果がなお限定的なものにとどまったことである43)。 このことは今後わが国がオーストラリア,ベトナム,インド,韓国などとの EPA 交渉を継続する上で44),また米国や EU との交渉を視野に入れる際での大きな 障害となることであろう。第2に,それにも拘らず,フィリピン,インドネシ アとの合意でわが国が極めて限定的ではあるが45)看護師・介護福祉士の受入 れを決断し,労働市場の開放に踏み切った事実は評価されてよい。医療・福祉 面でそのニーズが高まる折から今後一層の門戸開放が期待される。第3に,イ ンドネシアとブルネイとの交渉の結果液化天然ガスを中心にエネルギー・鉱物 資源のわが国に対する安定供給条項が協定に盛り込まれた点もわが国の安全保 障上評価に値しよう。 さて,2国間の FTA に関し注目すべき事実は韓国が米国との FTA 締結に踏 み切った(07年6月両国で署名)ことである。これによると韓国はコメを例外 扱いとしたものの豚肉,鶏肉等は10年以内に牛肉は15年以内に関税を全廃する 一方,米国は小型乗用車・同部品,繊維品の関税は発効後即時撤廃,大型車, トラックのそれは3∼10年以内に撤廃することとなっている。米国にとって韓 国との FTA は NAFTA に次ぐ規模(アジアとの関係では最大)といわれてい るが,韓国がコメ以外の農畜産物で大胆な市場開放を約束したことの意義は, わが国への警鐘という意味を含めて,極めて大きいといわなくてはならな い46)。 ここまでリージョナリズムの歴史と現状を詳述してきた最後にこれが WTO 43)わが国と競合する分野が殆んどないシンガポールとの交渉でも熱帯魚との競争を恐れた 結果金魚が交渉から除外された。特に問題が大きかったのは農業セクターが大きいメキシ コとの交渉でこれは一旦決裂する。それでも結着が計られたのは米国依存の軽減を意図し たメキシコの思惑と,既にメキシコと FTA を締結している EU との関係で不利な立場に あったわが国がそれを回避したいと再考した結果である。 44)この他わが国は GCC,スイスとも交渉中である。また韓国との交渉はわが国の農業保護 がネックとなって03年以降中断されていたが,08年韓国での政権交替を契機に再開される 見通しである。 45)当面08年から2年間に両国からそれぞれ1,000人の受入れが合意されている。しかし, 受入れ条件の厳しさもあってフィリピンでは EPA そのものの批准が難行している。 46)もっとも米国議会での承認がぎくしゃくしており,発効への目処は今のところたってい ない。
国際経済のダイナミズム 19 が代表するグローバリズムに完全に取って替りうるものではないことを指摘し ておきたい。ある意味で各国の利害関係を背景に恣意的に張りめぐらされた FTAの網の目は相互に整合性を欠く恐れがあり,国別,品目別に歪みを生じ ることが避け難い。たとえばグローバルな原産地規定の制定といったルール造 りや紛争処理手続き(パネルの設定)等 WTO のなすべき役割はなお大きいの である。 !.おわりに 以上,小論では国際経済のダイナミズムをその基調がナショナリズムからグ ローバリズムへ,さらにリージョナリズムへと推移する大きな波動に即して捉 える視点から,特に第二次世界大戦後のグローバリズムとリージョナリズムの 「進展と限界」「歴史と現状」について検討を加えてきた。最後にこれからの わが国の進路に深く関わってくるであろう「東アジア共同体」構想を取上げ, その中に再びナショナリズムへの回帰を予知させる要素が存在することを指摘 しておきたい。 アジアにおいて今日の ASEAN―10プラス3をその範域とする経済的まとま りが必要なことは1990年以来つとに認識されてきた。当時のマレーシア首相マ ハテイルの提唱した「東アジア経済協議体(EAEC)」構想がこれである。こ れはこの地域に自国を排除する形での統合体が出現することを恐れた米国の反 対とリーダー役と期待されたわが国がかつての「大東亜共栄圏」とのからみで 逡巡したがために日の目をみることがなかった。前述した「アジア通貨・金融・ 経済危機」の後わが国が提唱した「アジア通貨基金(AMF)」構想も米国と中 国の反対により実現しなかった47)。しかし「東アジア共同体」形成への動き は2002年の ASEAN による提起と02年のシンガポールで行われた小泉元首相の 政策演説48)を契機として再び現実味を帯びることとなる。この成果が ASEAN― 10プラス3にインド,オーストラリア,ニュージーランドを加えた16ヶ国によ 47)この点については注(41)参照。 48)小泉元首相はこの演説で「共に歩み共に進むコミュニティ造り」の必要性を訴えた。
20 堂本健二教授追悼号(第372号) 平成20(2008)年4月 る「東アジアサミット」の開催(第1回05年マレーシアのクアラルンプール, 第2回07年1月フィリピンのセブ,第3回シンガポール)である。ところでこ のサミットの構成国をめぐって日中間に熾烈な主導権争いがあったことは周知 の事実である。中国は ASEAN―10プラス3に固執しその中で覇権を握ろうと した。これに対しわが国は中国の意図を懸念してわが国と価値観(自由・人権・ 民主主義・市場経済・法治主義)を共有しうるインド,オーストラリア,ニュー ジーランドを誘い込むことに努力し,結局サミットは16ヶ国をメンバーとして スタートすることとなった49)。第1回会合ではこれに先立つ ASEAN―10プラ ス3の首脳会議において13ヶ国が「東アジア共同体」形成上「主要な手段(main vehicle)」となると宣言されたのに対し,16ヶ国は「共同体」構想で「重要な 役割(significant role)」を演じうるものとされた。第2回会合では石油価格高 騰に際会してエネルギー安全保障問題が最重要課題として取り上げられ,16ヶ 国統合に向けての研究の開始が決定された。第3回会合では前述した07年の APECの合意内容を踏襲する形で地球温暖化に対応する国際的協調の重要性が 数値目標を設定する方向で決議された。こゝで APEC 未加盟のインドを同じ 路線に巻き込み得たことは評価されるべきであろう。同時に単なる「対話の場」 としてスタートとした「東アジアサミット」が一歩前進して「協力の場」へと 変身しつつあることも評価に値しよう。しかしながら,ASEAN―10プラス3と 「東アジアサミット」との具体的な役割分担,「共同体」発足の目標時期,最 終的な参加国,統合分野(政治・経済・社会・安全保障,文化等)に関しては 総てが未定のまゝ先送りされている状態である。それにも拘らず参加国が13ヶ 国の場合と16ヶ国の場合で貿易自由化の経済効果がどのように異なるかについ ての計測作業が進められており,今の処後者の優位性が明らかにされてい る50)。 49)この16ヶ国は人口で世界の1/2,GDP で世界の1/4を占めている。 50)16ヶ国を主張したわが国の立場を擁護する観点もあろうが,経済産業省は日本の GDP が13ヶ国の場合は年間4.2兆円,16ヶ国の場合は5兆円引上げられ,域内の GDP は前者で 20兆円,後者で25兆円増加すると試算している。アジア開発銀行(ADB)の試算では世界 全体の所得の増加は13ヶ国のケースで年2,139億ドルにとどまるが,16ヶ国のケースでは 2,598億ドルに達するとされている。
国際経済のダイナミズム 21 しかしながら,われわれは「共同体」形成の経済効果如何を論じる以前にこ れが統合体の外部に対し,更により根本的に統合体の内部において如何なる問 題を孕んでいるのかについて真剣に検討しなければならない。 その第1は米国との関係である。米国が東アジア諸国の「まとまり」に異常 な警戒心を示しながら APEC を自由貿易地域とする提案を唐突に持ち出して きたことについては先に指摘した。1962年の「太平洋自由貿易地域(PAFTA)」 提案以来 APEC 結成に至る過程での理論的リーダーとして活躍してこられた 小島清博士は常に自国の輸出,雇用,所得の拡大のみを念頭に他国に貿易の自 由化を強要してくる米国を強く批判し,自ら精緻化された赤松要博士の「雁行 形態的発展論」や自らの「順貿易志向型直接投資論」を背景としてアジア地域 経済圏はあくまでも「経済発展志向共同体」でなくてはならないと主張されて いる51)。 その第2は中国の野望と日中間のナショナリスティックな対立である。中国 の体制が数多くの矛盾を抱えており,その体制維持のためもあって極めて危険 な対外政策を採り続けていることは今更いうまでもないであろう。「社会主義 市場経済」そのものが最大の矛盾である。改革開放路線や WTO 加盟によって 加速された急激な市場経済化は国内において格差の拡大と負け組による不満の 暴発を生み,資源利用効率の改善を伴わない急速な経済発展は各地で石炭の乱 獲,水不足,大気や河川の汚染等の環境破壊52)を深刻化している。それに体 質的ともいえる権力者や一部特権階級による汚職は跡を断たない。これらがイ ンターネットの普及もあって共産党一党独裁という社会主義体制を揺るがしつ つあることは明白である。矛盾の排け口の一つが激烈な反日愛国教育に支えら れた常識を逸する反日運動であろう。国内矛盾の解決のためには更なる経済発 展が必要であるが,これがまた尖閣諸島周辺での一方的なガス田発掘を一例と して資金援助と軍事力を背景とする世界的な資源獲得への狂奔,世界各国への 51)小島清「アジア太平洋地域経済圏の生成」本山美彦編前掲書。 52)環境汚染は酸性雨,光化学スモッグ,黄砂,それに越前くらげのように国境を越えわが 国にまで及んでいる。
22 堂本健二教授追悼号(第372号) 平成20(2008)年4月 有毒製品の輸出という国際的矛盾と対立を引き起している。台湾の香港化とそ れによる太平洋への軍事進出,米国との対峙すら想定内の出来事であるといわ れている。また直近の事件としては所謂毒餃子問題の発生とこれに対する中国 の威圧的な対応がわが国での中国不信と China Free の動きを一層高めることと なった。 要するに中国は誠に厄介な存在であり,わが国にとって最大の脅威である。 もとより徒にナショナリズムを煽ることは本意ではない。しかしこの際「わが 国にとって中国に対する協力の姿勢は不可欠であるが,それが『和解』は所詮 『至難』の業であるという『絶望』を胸に秘めての上のことである」という渡 辺利夫教授の言葉53)の意味は大きい。同時に渡辺教授は「東アジア共同体は 中国主導で進んでいくだろう。そこに日本を招き入れ,日本の外交ベクトルを 共同体に向けさせ,日米間にくさびを打ち込むという長期戦略を中国がもって いないはずがない」とされ,「米国の参加する枠組みが日本にとっての必須条 件」であると結論づけた上 APEC に似た体系の重要性を示唆されている54)。 私も全く同意見である。少なくともわが国と ASEAN との間にはわが国からの 積極的な貿易,投資,援助,技術移転を通して事実上機能的な経済統合関係が 構築ずみである。これを主軸として環太平洋の先進5ヶ国(日本,米国,カナ ダ,オーストラリア,ニュージーランド)が ASEAN の更なる経済発展に関与 するという APEC 設立の本旨55)に立ち戻り,APEC の活性化に貢献しその中で わが国の存在感を高めていくことが今後わが国の進むべき途であると考える。 53)同教授の日本経済新聞書評欄(05年11月27日)よりの引用。 54)同教授の「アジア共同体―私の本音」日本経済新聞(07年10月8日)より引用 55)小島清,前掲論文参照。