263
生体脳 微小循 環観察 法 を用 いた逆行 性脳灌 流法 の検討
齊 藤 力 蘇 原 泰 則 布 施 勝 生
逆 行性 脳灌 流 法の 至適 灌流 条件 を, 生体 脳 微小 循環 観察 法 を用 い て検 討 した. 実 験 動物 は Wistar 系 ラ ッ トを用 い, 右 頭頂 部 に closed cranial window を作 成 し, 頭蓋 内圧, 逆 行性 灌流 圧 を調節 可能 と し, 落 射 型蛍 光顕 微鏡 下 に中 大脳動 脈 の分 枝 か ら上 大脳 静脈 の 分枝 を生 体観 察 した. 逆行 性灌 流 を行 うと, 灌流 圧5∼15mmHgで は, 静脈 間 シ ャ ン ト血 流 を認 め る ものの, 脳 細 動脈 へ の逆 流 は認 め ら れず, 灌流 圧15∼30mmHgで は, 細静 脈 か ら細動 脈 への灌 流 が最 も良 好 に認 め られ た. また その際 の逆行 性脳 灌 流量 は静 脈間 シ ャ ン トによ り一定 しなか った. 一方 灌流 圧30∼50mmHgで は, 脳 が膨 隆 し微 小循 環 は停 止 した. 逆行 性脳 灌流 時 の脳微 小 循環 は, ラ ッ トの場 合頭 蓋 内圧3±2cmH2O (正 常頭蓋 内圧 範 囲 内), 逆行 性 灌流 圧15∼30mmHgで 観 察 され, これ ら を至 適 灌流 条 件 と判 断 した. また その血 流速 度 は非 常 に緩 やか であ り, 逆 行性 脳 灌流 法 で は灌 流時 間 の遷延 によ り脳 虚血 に陥 る可 能 性 があ る こ とが示 唆 され た. 日心 外会 誌27巻5号: 263-269 (1998) Keywords: 逆 行性 脳灌 流 法, 脳微 小循 環観 察 法
Cerebral Microcirculation in Retrograde Cerebral Perfusion
Tsutomu Saito, Yasunori Sohara and Katsuo Fuse (Department of Thoracic and Cardiovascular Surgery, Jichi Medical School, Tochigi, Japan)
Retrograde cerebral perfusion has been a useful technique for preventing brain damage during hypothermic circulatory arrest. To determine the optimum conditions for retrograde cerebral perfusion utilizing a fluorescence vital microscope, male Wistar rats weighing 100 to 300g were used for infusing saline with contrast medium (0.01% FITC-albumin) through the external jugular vein. A closed cranial window was prepared over the pial surface of the brain at the medial part of the right parietal cortex in order to observe the blood flow of tributaries from the middle cerebral artery to the superior cerebral vein. Intracranial pressure was controlled at 3±2cmH2O
for comfortable visualization. The observation of retrograde cerebral perfusion was performed under hypothermic conditions. Cerebral blood flow could not be observed under retrograde pressure of 5-15mmHg, mainly due to venovenous shunt flow. But retrograde cerebral perfusion was observed with a driving pressure of 15-30mmHg, and flow velocity measured by the video
tracing method (n=5) in arterioles (mean diameter 37±10μm) was -12±5μm/sec, in venules (mean diameter 64±17μm) was -14±9μm/sec, which was 405±92μm/sec and 220±150μm/
sec under hypothermic beating heart conditions respectively. Under retrograde pressure of 30-50 mmHg, cerebral microcirculation was deteriorated with increasing cerebral volume, and cerebral blood flow was consequently interrupted. In conclusion, the optimal condition for retrograde cerebral perfusion was determined under retrograde perfusion pressure of 15-30mmHg and
intracranial pressure of 3±2cmH2O, whenever cerebral microcirculation from venule to arte-rioles was best. Retrograde cerebral perfusion has some advantage for cerebral protection compared with hypothermic circulatory arrest, but might not supply sufficient cerebral blood flow to prevent brain damage. Jpn. J. Cardiovasc. Surg. 27: 263-269 (1998)
逆 行 性 脳 灌 流 法 は体 外 循 環 下 低 体 温 循 環 停 止 に 脳 保 護 効 果 を付 加 す る有 用 な 手 段 と考 え られ 臨 床 応 用 され て きた. 逆 行 性脳 灌 流 下 の脳 循 環 に 関 す る研 究 は数 多 くみ られ る が1,2,7∼11), これ を脳 微 小 循 環 レベ ル で 蛍 光 顕 微 鏡 直 視 化 に観 察, 評 価 した 報 告 は み ら れ な い. わ れ わ れ は closed cranial window 法 ラ ッ ト実 験 モ デ ル に お い て, 生 体 脳 微 小 循 環 観 察 法, 蛍 光 血 管 造 影 法 を用 い て逆 行 性脳 灌流 時 の 脳 表 微 小 循 環 を 可 視 化 し, 頭 蓋 内 圧
(closed cranial window 内 圧, 以 下 頭 蓋 内圧 と表
記), 灌 流 圧 を人 工 的 に 調 節 す る こ と に よ り逆 行
1997年11月19日 受 付, 1998年3月31日 採 用
自 治 医 科 大 学 胸 部 外 科 〒329-0498栃 木 県 河 内 郡 南 河 内 町 薬 師 寺3311-1
264 日本 心臓 血管 外 科学 会雑 誌 27巻5号 (1998) 性 脳 灌 流 時 の脳 微 小 循 環 に関 す る検 討 を行 っ た の
で 報 告 す る.
方 法
実 験 動 物 は Wistar 系 ラ ッ ト (100∼300g) と
し, diazepam と pentobarbital sodium で 腹 腔 内
麻 酔 し, 気 管 切 開 の う え 挿 管 し, 人 工 呼 吸 器
(Harvard MODEL 683) に て 動 脈 血PCO2が
35∼40mmHgに な る よ う に換 気 させ た. ま ず仰 臥 位 と し, 右 側 外 頸 静 脈 に脳 に 向 け逆 行 性 脳 灌 流 用 お よ び 心 臓 方 向 に 向 け薬 物 投 与 用 の細 管 (内径0.5mm) を挿 入 し, 左 側 の 外 頸 静 脈 か ら脳 静 脈 へ 向 け て 静 脈 圧 測 定 用 細 管 を挿 入 した. 胸 骨 縦 切 開 に て上 行 大 動 脈 を ナ イ ロ ン糸 に て 確 保 (テ ー ピ ン グ) し, 逆 行 性 脳 灌 流 時 に 顕 微 鏡 下 に 観 察 した状 態 (腹 臥 位) の ま ま で上 行 大 動 脈 を切 離 開 放 し, 大 動 脈 弓 部 に還 流 して きた 灌 流 液 を排 出 させ, 左 側 外 頸 静 脈 か ら挿 入 した 細 管 に よ り逆 行 性 脳 灌 流 時 の脳 静 脈 圧 を測 定 可 能 な よ う に した (図1a). 次 に腹 臥 位 と して Morii ら3)の 方 法 を応 用 し,
closed cranial window を作 成 した. 即 ち, 頭 部
を台 に 固 定 し た後, 後 頭 部 か ら前 頭 部 に か け て皮 膚 縦 切 開 を お き頭 蓋 骨 を露 出 させ 約1cm径 に右 頭 頂 骨 を 切 除 し, 独 自 に工 夫 し た5ml注 射 器 と 内 径1.3mmの 輸 液 管, カ バ ー グ ラ ス を 利 用 し た 灌 流 用 天 蓋 を合 成 樹 脂 を用 い て 固 定 した. この 時, 頭 蓋 内 圧 を人 工 髄 液 の 灌 流 に よ り静 水 圧 と し て 随 時 調 節 で き る よ う に工 夫 し, 人 工 髄 液 は混 合 気 体 (95%O2+5%CO2) で 飽 和 し37℃に 加 温 し (冷 却 時 に は 加 温 せ ず) window 内 を 灌 流 し, window を介 して 中大 脳 動 脈 か ら上 大 脳 静 脈 に か けて の徹 小 循 環 を 生 体 観 察 可 能 に した. 脳 微 小 循 環 の 観 察 は window を 介 し, 落 射 型 蛍 光 顕 微 鏡 下 に行 った. まず 心 拍 動 下 順 行 性 循 環 を観 察 した の ち, 上 行 大 動 脈 を切 離 開 放 し循 環 停 止 と し, 同 一 視 野 で 逆 行 性 脳 灌 流 を行 っ た. 灌 流 液 は0.01%FITC-albumin を 蛍 光 標 識 物 質 と し て 生 理 的 食 塩 水 に混 和 し, 10倍 お よ び20倍 の 長 焦 点 対 物 レ ン ズ を 用 い て観 察 した. ま た, 血 流 速 度 計 測 時 の 観 察 対 象 血 管 は, 中大 脳 動 脈 の 分 枝 細 動 脈 (血 管 径25∼50μm) か ら上 大 脳 静 脈 の 分 枝 細 静 脈 (血 管 径50∼90μm) と し た (図1b, c). 実 験 は 次 の 手 順 で 行 っ た. 実 験1. 常 温 条 件 下 でFITC-albumin を 投 与 し, 人 工 髄 液 の 灌 流 調 節 に よ り頭 蓋 内 圧 を 変 化 さ 図1 実 験 系 の 模 式 図: 仰 臥 位 で の 実 験 動 物 (a),
closed cranial window の 作 成 (b), 生 体 観 察 シ ス テ ム の 簡 略 図 (c) A: 脳 静 脈 圧 測 定, B: 体 温 測 定 (心 嚢 内 に 留 置), C: 薬 物 投 与 経 路, D: 逆 行 性 脳 灌 流 経 路, E: 上 行 大 動 脈 テ ー ピ ン グ, F: 人 工 髄 液, G: 人 工 呼 吸 器, H: 落 射 型 蛍 光 顕 微 鏡-TVシ ス テ ム, 1: ビ デ オ 画 像 記 録 装 置. a
b
c齊藤 力 ほか: 逆 行 性脳 灌流 法 の脳微 小循 環 265 せ, 心 拍 動 下, 逆 行 性 脳 灌 流 下 で の脳 微 小 循 環 を
観 察 し, 本 closed cranial window で 良 好 な血 流
が 観 察 され る頭 蓋 内圧 を決 定 した. 実 験2. 実 験1で, 最 も良 好 な 循 環 が 観 察 さ れ た 頭 蓋 内 圧 下 で, 灌 流 液 に よ る逆 行 性 灌 流 量 を調 節 す る こ と に よ り 逆 行 性 脳 灌 流 圧 を5∼15, 15∼30, 30∼50mmHgの3段 階 に 変 化 さ せ, そ の時 の脳 微 小 循 環 を観 察 した. 実 験3. 実 験1で 至 適 と考 え られ る頭 蓋 内 圧 を 用 い, 頭 部 お よ び体 幹 を ethanol 加 氷 片 浸 漬 に よ る表 面 冷 却 に よ り心 嚢 内 に先 端 を留 置 した 温 度 計 に よ り中 枢 温20℃ま で 冷 却 し, 観 察 対 象 血 管 で の血 流 速 度 を測 定, そ の 後 実 験2で 至 適 と考 え ら れ る逆 行 性 脳 灌 流 圧 を 用 い 逆 行 性 脳 灌 流 を行 い, 同 一 視 野, 同一 部 位 で の 血 流 を観 察 した. 血 流 速 度 は観 察 対 象 血 管 の流 れ を肉 眼 的 に確 認 しつ つ, frame by frame 法 に て 計 測 を行 っ た. 血 流 速 度 の 有 意 差 検 定 は, 速 度 を 絶 対 値 で 表 現 し て Mann-Whitney U検 定 を 用 い て 行 いp<0.01を 有 意 と して 評 価 した. な お, 実 験 に あ た っ て は 動 物 実 験 に関 す る指 針 (日 本 動 物 実 験 学 会 Exp. Anim. 36, 285-288, 1987) に 基 づ い て 実 験 を遂 行 した. 結 果 1. 頭 蓋 内 圧 の 影 響 常 温 順 行 性 脳 灌 流 下 で の 観 察 で は, 頭 蓋 内 圧 3∼5cmH2Oで 最 も良 好 な脳 微 小 循 環 が 認 め られ た. 頭 蓋 内 圧 を1cmH2O以 下 に設 定 す る と win-dow 内 に 脳 が 膨 隆 し, 観 察 周 囲 部 の 微 小 血 管 が 圧 迫 さ れ 血 流 が 低 下 し た. 一 方 頭 蓋 内 圧 を20 cmH2O以 上 に上 昇 させ る と, 静 脈 系 が 圧 迫 扁 平 化 さ れ, 血 流 が 低 下 し た (図2a, b, c). こ れ らの 観 察 よ り, 本 実験 系 で の 至 適 頭 蓋 内 圧 を ラ ッ トにお け る正 常 の頭 蓋 内 圧 で もあ る3±2cmH2O と した. 2. 逆 行 性 脳 灌 流 圧 の 影 響 頭 蓋 内 圧 を3±2cmH2Oに 調 節 し, 逆 行 性 脳 灌 流 圧 を5∼15mmHgに 低 下 さ せ る と, 脳 静 脈 系 へ の 血 流 が 激 減 し毛 細 血 管 血 流 は停 止 し た. こ の 時, 頭 蓋 外 に あ る頸 筋 内静 脈, 皮 下 小 静 脈, 椎 骨 静 脈 系 な どか ら灌 流 液 の体 静 脈 系 へ の 流 れ 込 み (静脈 間 シ ャ ン ト) が 認 め られ た. 逆 行 性 脳 灌 流 圧 を15∼30mmHgと す る と脳 細 静 脈 か ら細 動 脈 へ の 逆 行 性 血 流 が, 静 脈 間 シ ャ ン トと と もに認 め ら れ た. ま た, こ の 条 件 下 で は window 内 へ の 脳 の 膨 隆 は認 め られ ず, 脳 微 小 血 管 系 に縮 小 拡 張 な どの 変 化 は み ら れ な か っ た (図3). 逆 行 性 脳 灌 流 圧 を30∼50mmHgと す る と, window 内 に 脳 が 膨 隆 し脳 微 小 循 環 は停 止 した. この 際 に は静 脈 間 シ ャ ン トの み な らず い っ た ん 止 血 され て い た 創 部 か らの再 出 血 が認 め られ た. また, 逆 行 性 の灌 流 圧15∼30mmHgが 維 持 さ れ るた め の逆 行 性 脳 灌 流 量 は,個 体 に よ る ば らつ
図2 頭 蓋 内 圧 (closed cranial window 内 圧) の 変 化 に 伴 う脳 表 の 変 化
A: カ バ ー グ ラ ス, B: 人 工 髄 液, C: 合 成 樹 脂, D: 頭 蓋 骨, E: 硬 膜, F: 脳 組 織.
(a) 頭 蓋 内 圧 を 生 理 的 範 囲 内 に 調 節 し た 場 合: 良 好 な 脳 微 小 循 環 が 認 め られ た. (b) 頭 蓋 内 圧 を 低 く し た 場 合 (1cmH2O以 下): closed cranial window 内 に 脳 が 膨 隆 し, 観 察 周 囲 部 の 血 管 が 圧 迫 さ れ, 脳 微 小 循 環 の 障 害 は 悪 化 し た. (c) 頭 蓋 内 圧 を 高 く し た 場 合 (20cmH2O以 上): 静 脈 系 が 圧 迫 さ れ 血 流 が 低 下 した. a b c
266 日本 心 臓 血 管 外 科 学 会 雑 誌 27巻5号 (1998) き が 大 き く, 逆 行 性 灌 流 量 を 一 定 と し た 場 合 に は, 静 脈 間 シ ャ ン ト量 の 個 体 差 に よ り灌 流 圧 が 一 定 しな い た め, 必 ず し も細 動 脈 の 血 流 が 観 察 で き な か った. 3. 低 体 温 下 で の 観 察 頭 蓋 内 圧 を3±2cmH2O, 逆 行 性 灌 流 圧 を 15∼30mmHgに 固 定 し, 低 体 温 下 (20℃) で の 脳 微 小 循 環 状 態 の 観 察 を行 っ た. 心 拍 動 下 脳 循 環 で は, 常 温 か ら低 体 温 に移 行 す る に つ れ て徐 脈 と な り脳 微 小 血 管 血 流 は減 少 した. 逆 行 性 脳 灌 流 時 に は 常 温 下 と低 体 温 下 で 灌 流 圧 に よ る灌 流 状 態 に 変 化 は認 め られ な か っ た. 低 体 温 下 で 測 定 した 脳 微 小 血 管 血 流 速 度 は, 血 管 径25∼50μm (mean 37±10μm) の 月菌細 動 脈 を み る と, 心 拍 動 下 の も の が405±92μm/secで あ り, 逆 行 性 脳 灌 流 時 の もの が-12±5μm/sec で あ っ た. 血 管 径50∼90μm (64±17μm) の 脳 細 静 脈 を み る と, 心 拍 動 下 の も の が220±150 μm/secで あ り, 逆 行 性 灌 流 時 の もの が-14±9 μm/secで あ り, 細 動 脈, 細 静 脈 と も に絶 対 値 で の 血 流 速 度 に有 意 差 (p<0.01) を認 め た (図4). 考 察 逆 行 性 脳 灌 流 法 は, 脳 循 環 系 へ 静 脈 側 か ら動 脈 側 へ と非 生 理 的 灌 流 を行 う こ と に よ り脳 虚 血 を 防 止 し よ う とす る もの で, 大 動 脈 弓 部 手 術 な どの 際 に簡 便 な 方 法 と し て 臨 床 応 用 され て き た4∼6). し か し逆 行 性 灌 流 法 の 至 適 条 件 は未 だ に 確 立 さ れ て い る とは い え な い. 半 ば閉 鎖 され た頭 蓋 内 で行 わ れ る脳 循 環 は, 脳 血 管 容 積 の 変 化 に伴 う頭 蓋 内 圧 の 変 化 お よ び逆 行 性 脳 灌 流圧 の変 化 に よ っ て 大 き な影 響 を受 け る こ とが 考 え られ る. そ こ で 至 適 頭 蓋 内 圧 を決 定 し, 逆 行 性 灌 流 圧 を 変 化 させ, それ に よ る脳 循 環 の 変 化 を微 小 循 環 レ ベ ル で捉 え, 逆 行 性 脳 灌 流 の至 適 環 境 を 明 らか に し よ う と した の が この 実 験 で あ る. 本 実験 で は脳 灌 流 状 態 を評 価 す る手 段 と して 生 体 脳 微 小 循 環 観 察 法 を用 い た. 従 来, 逆 行 性 脳 灌 流 法 を評 価 す る手 段 と して, 脳 組 織 代 謝 を計 測 す る 方 法7∼9), microsphere を 用 い て 脳 血 流 量 を 計 測 す る方 法10,11), 脳 組 織 標 本 よ り脳 障 害 の程 度 を 評 価 す る 方 法12)な どが 用 い られ て き た. 今 回 わ れ わ れ が 用 い た 生 体 脳 微 小 循 環 観 察 法 は脳 細 動 脈 か ら脳 毛 細 血 管, そ して 脳 細 静 脈 に至 る脳 微 小 循 環 の 流 れ を生 体 内 で 直 視 下 に観 察 す る もの で, 微 小 血 管 血 流 の 変 化, 即 ち シ ャ ン ト血 流 の有 無 や 毛 細 血 管 血 流 分 布 の 異 常 な どを解 析 す る こ とが 可 能 で あ り, 脳 循 環 を評 価 す る上 で信 頼 性 の 高 い 手 段 と考 え られ て い る3,13). 実 験1か ら, 頭 蓋 内圧 が 脳 微 小 循 環 に与 え る影 響 を み る と, 生 理 的 な 範 囲 付 近 で の頭 蓋 内 圧 で は 脳 微 小 循 環 が 保 た れ て い た が, 異 常 な 低 圧 や 高 圧 下 で は脳 微 小 循 環 は停 止 した. 異 常 低 圧 時 の 循 環 停 止 は window 内 へ の 脳 突 出 に よ る も の で, 実 図3 逆 行 性 脳 灌 流 時 の 脳 微 小 循 環 像: 頭 蓋 内 圧 を3 cmH2O, 逆 行 性 脳 灌 流 圧 を25mmHgと し た 際 の脳 微 小 循 環 像 (×10) 図4 低 体 温 下 に お け る 脳 微 小 血 管 血 流 速 度 (μm/sec) (頭 蓋 内 圧3cmH2O) (n=5) NA: 心 拍 動 下, 血 管 径25∼50μmの 脳 細 動 脈; NV: 心 拍 動 下, 血 管 径50∼90μmの 脳 細 静 脈; RA: 逆 行 性 灌 流 圧25mmHg, 血 管 径25∼50μmの 脳 細 動 脈; RV: 逆 行 性 灌 流 圧25mmHg, 血 管 径 50∼90μmの 脳 細 動 脈. *NA, RA間 に有 意 差 (p<0.01) を 認 め る. **NV, RV間 に 有 意 差 (p<0.01) を 認 め る. I 標準偏差 μm/sec
齊 藤 力 ほか: 逆行 性脳 灌 流法 の脳 微小 循 環 267 験法 そ の も の の もつ 欠 点 で あ る. 通 常, 頭 蓋 内 圧 の 急 激 低 下 は, 脳 脊 髄 液 の 流 出 な ど に よ っ て 発 生 す る と思 わ れ る が, 大 動 脈 弓 部 手 術 に際 し, こ の よ うな病 態 が 突 発 的 に発 生 す る と は考 え に く く, 研 究 対 象 よ り除 外 し て よ い と考 え る. 異 常 高 圧 は, 脳 浮 腫 や 脳 血 管 容 積 の 急 激 な増 大 に よ り生 じ る こ とが 予 想 さ れ る14). 頭 蓋 内容 の 増 加 は逆 行 性 脳 灌 流 施 行 時 に も発 生 す る と考 え られ, 逆 行 性脳 灌 流 へ の 重 要 な 阻 害 因 子 の 一 つ と して 考 慮 に 入 れ る必 要 が あ る. 以 上 よ り, 生 理 的 な 頭 蓋 内圧 は良 好 な脳 循 環 を得 るた め の基 本 的 要 件 と考 え 至 適 頭 蓋 内圧 を設 定 した. 実 験2で は, 正 常 の 頭 蓋 内 圧 下 で 逆 行 性 脳 灌 流 を 行 い, 脳 微 小 循 環 を 観 察 す る と, 灌 流 圧 15∼30mmHgで 最 も良 好 な脳 微 小 循 環 が 認 め ら れ た. この とき脳 細 静 脈 に 虚 脱 や 怒 張 は認 め られ な か っ た. こ の こ と か ら逆 行 性 の 灌 流 圧15∼30 mmHgで は, 脳 容 量 増 加 が 正 常 頭 蓋 内 圧 で 維 持 され る範 囲 を逸 脱 しな い こ と よ り逆 行 性 脳 微 小 循 環 が 発 生 す る と考 え られ た. 古 く よ り, 頭 蓋 腔 は硬 い骨 で 囲 まれ, そ の容 積 は一 定 で あ る と さ れ て き た (Monro-Kellie doc-trine). それ に よ る と, 脳 脊 髄 液, 頭 蓋 内血 液 を ふ くめ た脳 組 織 の体 積 は頭 蓋 内 容 積 で 規 定 さ れ て お り, 静 脈 圧 が 上 昇 す る と脳 脊 髄 液 圧 な らび に頭 蓋 内 圧 が上 昇 し, これ が 脳 血 管 を圧 迫 し脳 血 流 量 を減 少 さ せ る と考 え られ て い る. 現 在 で は, 頭 蓋 腔 は 厳 密 な意 味 で は 閉 鎖 腔 で は な く semiclosed elastic cavity で あ り, 脳 全 体 は visco-elastic な 物 質 で あ る と考 え られ て い る. そ の た め, 容 量 血 管 で あ る静 脈 系 が 怒 張 し脳 圧 が 亢 進 して も, あ る 程 度 ま で は脳 の 柔 軟 性 に よ り循 環 が 保 持 さ れ る が, 異 常 高圧 で 逆 行 性 灌 流 を行 う と, 頭 蓋 内血 液 量 が 増 加 し, 頭 蓋 内圧 の 上 昇, 脳 血 流 の 減 少, 結 果 的 に脳 浮 腫 が 生 ず る と考 え られ て い る. Usui ら7)は, 雑 種 成 犬 を 用 い た 実 験 で, 低 体 温 下 逆 行 性 脳 灌 流 法 で は 外 頸 静 脈 圧 が25mmHg まで は脳 脊 髄 液 圧 は外 頸 静 脈 圧 と等 し く変 化 し, 脳 血 流 量 も これ に平 行 し て増 減 す る が, 外 頸 静 脈 圧 が25mmHgを こ え る と脳 脊 髄 液 圧 が 増 加 して も脳 血 流 量 は それ に対 応 しな くな る こ とか ら, 逆 行 性灌 流 圧 が25mmHg以 上 で は頭 蓋 外 の 血 管 へ の血 流 の 流 出 や脳 浮 腫 が 生 じる もの と考 察 して い る. 野 島 ら8)は雑 種 成 犬 を用 い 逆 行 性 灌 流 時 の 脳 代 謝 を検 討 し, 灌 流 圧20mmHgで は, 脳 の好 気 的 代 謝 が 維 持 され るが, 灌 流 圧 が30mmHgを こ え る と脳 水 分 量 が 増 加 す る こ と よ り, 至 適 灌 流 圧 を20mmHgと して い る. 諸 ら9)は ブ タ を用 い た 実 験で, 内 頸 静 脈 か らの逆 行 性 灌 流 量 を過 度 に増 加 さ せ る と頭 蓋 内 圧 が 上 昇 し, 脳 灌 流 が 不 良 と な る と指 摘 し て い る. 実 験2で は, 逆 行 性灌 流 圧 を30∼50mmHgに す る と, 脳 微 小 循 環 は停 止 した. これ は本 来 容 量 血 管 で あ る静 脈 系 に高 圧 で 血 液 が 流 入 して きた た め, 急 激 に脳 圧 が 亢 進 し脳 毛 細 血 管 や 脳 細 動 脈 が 圧 迫 され 血 液 流 出 不 全 を きた した もの と考 え られ た. ま た, 逆 行 性 灌 流 圧 を10mmHgに す る と, 脳 細 静 脈 に は血 流 を認 め る もの の, 脳 細 動 脈 へ の 逆 流 が 認 め られ な か った. この 時 に は 頸 筋 内静 脈, 皮 下 小 静 脈, 椎 骨 静 脈 系 な どか ら左 右 前 大 静 脈 に 向 か っ て 灌 流 液 が 流 出 して きた. ラ ッ トで は, 脳 を灌 流 し た 血 液 は, 主 に 外 頸 静 脈 系 に流 出 す る が, 他 に脳 底 静 脈 か ら椎 骨 静 脈 を経 て 鎖 骨 下 静 脈 に達 す る経 路 が あ り, 両 者 は頭 蓋 内 で 交 通 して い る. この よ う な こ とか ら低 い 灌 流 圧 に よ る逆 行 性 脳 灌 流 で は, 静 脈 間 シ ャ ン トを通 して 灌 流 液 が体 静 脈 系 に 流 れ 込 む もの が 主 体 とな り, 有 効 な脳 灌 流 が 得 られ な い と考 え られ た. 以 上 よ り, 逆 行 性 脳 灌 流 法 で は灌 流 圧 を15∼30mmHgに す る こ と が 望 ま しい と判 断 した. さ らに, 逆 行 性 脳 灌 流 量 を一 定 に して も, 静 脈 間 シ ャ ン トの 多 少 に よ り灌 流 圧 の 個 体 に よ る ば ら つ きが 大 き く, 灌 流 圧 で は シ ャ ン ト量 の 差 は あ る もの の一 定 の 圧 で逆 行 性 脳 微 小 循 環 が観 察 さ れ る こ とか ら, 逆 行 性 脳 灌 流 法 で は, 灌 流 量 よ り も灌 流 圧 を指 標 と し た 方 が 脳 灌 流 が よ り確 実 に行 わ れ る もの と考 え ら れ た. 低 体 温 下 逆 行 性 脳 灌 流 時 の 脳 血 流 量 に っ い て は, Oohara ら10)は microsphere 法 を 用 い た 雑 種 成 犬 の 実験 で, 逆 行 性 脳 灌 流 に よ り, 脳 は均 一 に 灌 流 さ れ, 逆 行 性 灌 流 圧25mmHgで の脳 血 流 量 は, 体 外 循 環 に よ る 流 量1,000ml/minの と き の順 行 性脳 灌 流 量 の1/3で あ る と し て い る. これ
268 日本 心 臓 血 管 外 科 学 会 雑 誌 27巻5号 (1998) に 対 し, Boeckxstaens ら11)は baboon を 用 い た 実験 で, 逆 行 性脳 灌 流 圧20mmHgで は明 らか な 脳 血 流 は観 察 で きず, 微 量 の 血 液 しか 大 動 脈 弓 部 に戻 っ て こな か っ た と して お り, 動 物 種 だ けで は な く実 験 系 の 相 違 に よ り定 見 は な い. 実 験3で は微 小 循 環 系 の 血 流 速 度 を計 測 した が, 毛 細 血 管 な どの 微 小 血 管 系 は network を 形 成 して お り, 血 流 は圧 の 高 い 方 か ら低 い 方 へ と流 れ必 ず し も一 定 の 方 向 に流 れ る とは 限 らず, 静 脈 灌 流 量 の一 部 は静 脈 間 短 絡 を介 して 灌 流 さ れ る た め脳 血 流 全 体 を表 現 し え な い こ とか ら, 血 流 速 度 の 定 量 的 評 価 は 困 難 で あ る と さ れ て い る. しか し, 実 験3で 計 測 し た 微 小 循 環 系 の 血 管 は
ter-minal arteriole や muscular venule に 相 当 し,
低 体 温 逆 行 性灌 流 圧15∼30mmHgの 条 件 に お け る血 流 速 度 につ い て は, 半 定 量 的 に 血 流 の 目安 に な る と考 え られ る. 実 際 低 体 温 下 逆 行 性 灌 流 時 の 血 流 速 度 は, 心 拍 動 下 灌 流 時 よ り も極 端 に低 く, Astrup ら15)に よれ ば, 常 温 下 で 脳 虚 血 か ら脳 障 害 を引 き起 こす と され る 限界 は, 通 常 脳 血 流 量 の 20%と さ れ て お り, この 限界 が 低 体 温 で さ ら に低 下 す る と考 えて も今 回 の 計 測 値 は大 幅 に少 な い値 と考 え られ, 血 液 と灌 流 液 との 粘 性 の 違 い を考 慮 して も, 低 体 温 時 の脳 代 謝 維 持 を凌 駕 す る脳 血 流 量 と し て充 分 で は な く, 低 体 温 維 持 とい う利 点 は あ る もの の 逆 行 性 脳 灌 流 法 で は灌 流 時 間 の遷 延 に よ り脳 虚 血 に 陥 る可 能 性 が あ る こ とが 示 唆 され た. しか し, 逆 行性 脳 灌 流 法 は頭 蓋 内 圧 と灌 流 圧 に よ る圧 較 差 が 適 正 で あ れ ば, 血 流 速 度 は遅 い もの の静 脈 系 か ら動 脈 系 へ の 血 流 が 認 め られ, 充 分 と は い え な い まで も循 環 停 止 法 に追 加 的 脳 保 護 効 果 を付 与 す る有 効 な脳 保 護 手 段 で あ り, そ の 至 適 逆 行 性灌 流 圧 は15∼30mmHgで あ る と判 断 した. 結 語
ラ ッ ト closed cranial window 法 に よ り, 逆 行
性 脳 灌 流 時 の脳 微 小 循 環 観 察 を行 っ た. そ の 結 果, 頭 蓋 内 圧3±2cmH2O, 逆 行 性 灌 流 圧 15∼30mmHgの 灌 流 条 件 で 最 も良 好 な脳 微 小 循 環 が 観 察 され た. しか し, 微 小 循 環 領 域 に お け る 低 体 温 逆 行 性 脳 灌 流 時 の血 流 速 度 は非 常 に 緩 や か で あ り, 逆行性脳 灌流法 には脳保 護許容 時間が存 在 す るこ とが示唆 された. 文 献
1) Usui, A., Hotta, T., Hiroura, M. et al.: Retro-grade cerebral perfusion through a superior vena caval cannula protects the brain. Ann. Thorac. Surg. 53: 47-53, 1992.
2) Safi, H. J., Iliopoulos, D. C., Gopinath, S. P. et al.: Retrograde cerebral perfusion during pro-found hypothermia and circulatory arrest in pigs. Ann. Thorac. Surg. 59: 1107-1112, 1995. 3) Morii, S., Ngai, A. C. and Winn, H. R.: Reactivity of rat pial arterioles and venules to adenosine and carbon dioxide: With detailed description of the closed cranial window tech-nique in rats. J. Cereb. Blood Flow Metab. 6: 34-41, 1986.
4) Takamoto, S., Matsuda, T., Harada, M. et al.: Simple hypothermic retrograde cerebral per-fusion during aortic arch replacement: A pre-liminary report on two successful cases. J. Thorac. Cardiovasc. Surg. 104: 1106-1109, 1992.
5) Safi, H. J., Letsou, G. V., Iliopoulos, D. C. et al.: Impact of retrograde cerebral perfusion on ascending aortic arch aneurysm repair. Ann. Thorac. Surg. 63: 1601-1607, 1997.
6) Ueda, Y., Miki, S., Kusuhara, K. et al.: Surgi-cal treatment of aneurysm or dissection involv-ing the ascendinvolv-ing aorta and aortic arch, utiliz-ing circulatory arrest and retrograde cerebral perfusion. J. Cardiovasc. Surg. 31: 553-558, 1990.
7) Usui, A., Oohara, K., Liu, T. et al.: Determina-tion of optimum retrograde cerebral perfusion conditions. J. Thorac. Cardiovasc. Surg. 107: 300-308, 1994. 8) 野 島 武 久, 中 嶋 康 彦, 森 渥 視 ほ か: 超 低 体 温 下 逆 行 性 脳 灌 流 法 に お け る 至 適 灌 流 圧 の 実 験 的 検 討. 日胸 外 会 誌 42: 1307-1314, 1994. 9) 諸 久 永, 秦 沢 和 彦, 名 村 理 ほ か: 逆 行 性 灌流 法 の 脳 保 護 効 果 と灌 流 上 の 問 題 に関 す る研 究. 日 胸 外 会 誌 42: 865-873, 1994.
10) Oohara, K., Usui, A., Murase, M. et al.: Regional cerebral tissue blood flow measured by the colored microsphere method during retrograde cerebral perfusion. J. Thorac. Car-diovasc. Surg. 109: 772-779, 1995.
11) Boeckxstaens, C. J. and Flameng, W. J.: Retro-grade cerebral perfusion does not perfuse the brain in nonhuman primates. Ann. Thorac.
齊 藤 力 ほか: 逆 行性 脳 灌流 法 の脳 微 小循 環 269 Surg. 60: 319-328, 1995.
12) Ye, J., Yang, L., Del Bigio, M. R. et al.: Neu-ronal damage after hypothermic circulatory arrest and retrograde cerebral perfusion in the pig. Ann. Thorac. Surg. 61: 1316-1322, 1996. 13) Rosenblum, W. I.: Effects of blood pressure and blood viscocity on fluorescein transit time in the cerebral microcirculation in the mouse. Circ. Res. 27: 825-833, 1970.
14) Marshall, M. F.: Intracranial pressure
monitoring theory and practice. Advance in Neurotraumatology, Vol. 1, Extracerebral Col-lections, Vigouroux, R. P., ed., Springer-Verlag, Wien, 1986, pp. 209-228.
15) Astrup, J., Symon, L., Brastun, N. M. et al.: Cortical evoked potential and extracellular K+ and H+ at critical levels of brain ischemia. Stroke 8: 51-57, 1977.