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本化的文化生活 (宗祖御入山六百五十年紀念號)

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Academic year: 2021

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(1)

戚謝、報思、成徳、報徳日何んぞ観念の美なる、 するを知るのである O 今や文化一の藷展は日進月歩、共の反影乏しでか思潮の流姿は千態高肢で、而も其の善的坂趨を知らない、 天下の会人迷惑の暗雲に閉覆されて、其の前途の光明を失ひ、前まんに遣な︿、住らんに慮な︿、匹夫野人 て雌人事の不群生活の不安を梯枕せきるはない

o

鼓に於レてか聖人制世の仁人は嘆して之れが救援の道を英 不時雄、未だ其の常を得ない耳なら今、反って赤斑の巷は益々赤趨荒化し思潮の混濁は日夜に托物を混入し て、日肱しい文化開明の裏面には、精神的人生の進路愈々錯雑し、宇宙の会人は皆徳薄垢重の極に達して居 るo惟ふに之れ、外ご文化開進り物克に幅られ、内も紳其悌陀の慈治を失仏、人情自然の美は陰れて、人事 の凡て赤化の泥池に陥れるのでは無かみうか

o

約言すれば人間相互に戚謝戚徳或は報思報徳の観念は地に落 も、人開通有の私欲私情に捕らはれて、天間人道の本源を忘れて居るのでゐる O 所前宗敬的に之れを謂へば 信仰ご云ふ美的念慮は皆無ご云ってよい位である O ﹁伝道源功徳母 L ご傭陀は説化し孔夫子も五常の中じ信を加っしある凡ぺての人が此の五常の信は、怖が勅 むる所の信仰、即ち紳備の前に額いて合掌

L

.祈願し誓願するものご具 h J 、早︿云へば世同的のもの信義信 用なざご云って、決して花や線香の薫りのしないもの

r

ご考へて借るが、之れは大なる誤解でゐる O 備の示 又人生の霊上ごして脂又異人さしての債航、 金︿此慮じ存 一一(叫)一一

(2)

した信仰さて、世聞を離れた信仰で無︵、叉孔子が云ふ所

ω

信ごて、悌道紳道の云ふ信仰を離れた信ではな い、凡べてものを信するの観念即も一信念営名けて宗教的意味を加味して信仰さ云ったのである

o

故に人聞 の言行動作が、必す一信念に依って左右されて居る百其蕗で信道源ご云ったのである

o

彼のグリイクの哲人 フ 4 ロ

1y

の如きも﹁信より智は来り智よ b 徳は来る L Z 云って、人事の凡ぺて信が根本なる事を極言して 居 る で は な い か 。 然し只信仰の二字を以て、高血中を解決せんさするご或は窮屈かも知れないが、三思九考の後には必令此 の信念、即も信仰さ云ふもの仁依って解決されるのである

o

今其の信仰は、然らば何に依って起るかさ云ふ 事を知らなければならぬ。云ふ迄もない、怠ふした美的観念たる信仰は本よち地情幽倣の切なる認議観念よ り起らなりればならない、所謂信仰の出接結、否其の原質は即ち戚恩の情である、静に考慮した時、而して 高有の上じ働いた時、此の戚恩の情程、人間味のゐる而も異善美の三者ぞ悶満に具備した神秘的なものはゐ る ま い

o

其蕗で古来の事賢は此の情味の表現なる四徳を説き、車者悌陀は四恩ごてて父母、二閥玉、三衆生、阿三 賓の四思を垂訓された、此の四恩の中、一二及四の思徳は人間ごして趨切に甑し、叉報謝ご云ふ事も可なり に知って居るらしい、蕗が祉・曾十中の入九の人が、此の節コ二切衆生恩即も枇合的人類相互に蒙って居る思 寵ご云ふものは殆

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r

知らない様である。然も方今世界人類ごして、最も痛切じ要求する世界的卒和は他の 三思は勿論であるが、此の人類相互の戚思ご云ふものが、最も有数の要素をなすものである

o

例せば物憤暴 騰に際し、紳悌には済まないが、一儲 A りして一躍千金の成金の風を吹かしてやらう、ご云ふ人間的な所有欲 じ献はれ、自己さ云ふものに腫られて、他を省みない是れ即ち寧貴勢じ封しでは似て非なる戚謝の念もゐる が同等人類に向ては、更に戚嵐の念がない、自分のみの存在を認めて自己保存、自己満足の主我的快難波の 官者ごなるのでゐる。其慮で他人は此の非を鳴らし邪を結責して、其蕗に静岡不和、喧轟修羅の巷じ化する のである

o

而も人間各自は、此の主我的乃至愛己的の官者さしての同行者でゐる

o

っ人を見たら泥棒さ思へ﹂ 一一(品)一一

(3)

の里諺的現賞界である、故に不儀非遣の名翠を欲し地位を顧み財賀を苔へて得々ごしておるのである怠ふし て荒涼無味更に戚恩なざご云ふ高向幽深の念な︿、所講更に人間味の無い我利々々官者の集合に依りて築れ た人間岡鯉::::如何して平和の神が宿るであらふか? 吾々人聞は無心の内に、有情非情を向はす宇宙大自然高物の思惑を受げて居るのである

o

況や人間相互に 於てをやである、悌陀叫先づ此の観念を助長せしめて、卒和の都を創造せんごした

o

故に伝解品には、側陀 自ら此の大自然を以て自我ごし、而して天地の庚ょを主観的に一信仰の杭範に依って、人生各自に此の恩徳 を示された。所調﹁世併一大恩在乃至不能報 L の四十余字を以て一不された、世一口ごは此の賞在界である、貰際 吾人が此の大我から受得する所、叉人間相互の思恵さ云ふものは、測量する事は不可能でめる O 故仁先此の 戚思の念が人間進路の第一歩を局して居るものである O 其慮で日蓮聖者も亦此の範を指示された、宗姐の船守捕三郎許御書を拝すれば判るが、御自分の化一帯に依 ち而も記別を奥へられた、一信者一行者の捕三郎じ針し其の供養法師の衆生息に戚銘せられて、彼等夫妻を 悶て、我が父母の恩徳 J﹂問視せられ戚謝の意を表示し玉ふた、怠ふした観念に住した時、自己に針する凡ぺ ての物は法性の妙用ごて更に呪岨憤怒の情は起るぺきでない﹁渡る世間に鬼はないこさ里諺仁王っても諒解 されるのである

o

故に日連聖人は樫迦に提婆的、逝悪非道の東保左工門景信に封する態度は、﹁我れ先づ長信 を成偽させんご﹂の大抱擁性金持って、即も敵に報するに徳を似て仕ヘ玉ふたのである。 如期して一信仰の許に戚恩の情操乞養はれ、一大安心を獲得し玉へる日連事人の身謹には、名器‘地枚、財 産は勿論自己の存在するも認められなかった︵本よ

h

惜無上道故愛身命ご云ふ事は云ふ迄も無った﹂故に寸世 間を以て論すれば日連は閥浮の第一貧乏人である然れざも精神的安定を以て諭すれば世界第一に市める者な り L J ﹂、大言吐語せられたのである o 此

ω

軌範を去て、吾人の進路、な︿目的も無い従って安住所も無い只一つの戚恩の念慮に因て獲る所の結 果は窓ふした絶待的人間相互の存在を計 h y、叉一つの信仰に因つては人生最善の極裡に達して大安心を得、 一一(46)一一

(4)

異の平和を喚起するのである。 天地問最下の動物乃至非情物に到る迄、戚恩ピ云ム美的行錯がゐる、況や一謀長さし

τ

の吾人に此の戚凪の 情無らんやである、此の戚息の情、紳備に劃しては慈悲

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表れ、人類に劃しては信仰さ現はるのである此の 慈悲さ信仰の接鯛する所に、高物の債値亡、人間味を計る事が出来るのでめる O 二三世紀の昔から改革改造の韓は、五日人の耳采を叩いて居た然かし未だ共の賀引を見ない故に此等の文字 否叫ぴは、草なる時代的流言さしか思はれなかった o 怠ふして遅々たる枇合歩調の中にも徴少ながらじ其の 改革改造の花は咲き、方今文化生活さて、ゃ、人間味を帯び人生に幾分の満足を山県へるかの様に思はれる o 然し本化的見地から之れを見花時、只現在賀行されんさしっ、ある文化生活は、人生を容れる外穀のみでゐ る。賞際其の主人公たる人間の文化的生活は奈謹に存するか、疑はなりればならない此虞である、ムん業 J ﹂

L

て否本化的見地の趨勝なる所以は上越の如︿、一戚思の情に活き、一信仰の念に住して、所謂報恩生活に安 住した時始めて、人生ざして異の文化的生活を替むものさ見倣す挙が出来るのでゐる O 要するじ物質文化の上に精神文化、即も本化的信仰に活きる所、異質生活

ω

安定亡、真の平和さを把取す るのである O i −−:紙上有限の事故概略を記して本化的文化生活の骨白金樹示した梓でゐる O 一一(訂)一一

j

入者し、九州の地闘を聞かんか、鏡同唯一の大都曾、玄海難怒講の濁一叫に嘗

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て、松録翠を重ね、白砂砂

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