212 日本教育行政学会年報…No.…45(2019)
雪丸 武彦
本書は,学齢超過者の教育を受ける権利をめぐる問題に焦点をあて,それらの 人々を受け入れてきた夜間中学校(以下,「夜間中」と略す。)が公教育制度,とり わけ義務教育制度のなかで「いかなるものとして成立しているのか,その歴史的経 緯と存立のメカニズムを考察するもの」(20頁)である。本書は夜間中を通して義 務教育制度からもれ出た人々の本来享受すべき権利はいかにして保障され,あるい は保障されないままにきたのか,を問うており,教育行政に対して鋭い刃を突きつ けている。この点,著者の問題意識は「はじめに」で明確にされている。すなわち, 「義務教育段階の学びは基礎的教育として人びとの社会参加の基盤」であり,制度 からもれ出る人びとが存在してはならず,実質的に義務教育課程の学力を備えて修 了できるよう「国の責任として何らかの対策が制度として立てられてしかるべき」 (9頁)である。著者は制度原理として課程主義ないし修得主義の立場から義務教育 制度を批判的に考察する素材として夜間中に注目し,その原理的課題を抉り出そう としており,非常に魅力的で挑戦的な方法を採用していると言えよう。この問題意 識の上で,本書では夜間中の歴史的経緯と存立のメカニズムを,教育対象の変化,中 央・地方政府や開設運動を担った個人・団体の動向に注目し,①制度的特質,②教 育現場の動き,の観点から明らかにしている。以下,観点に沿って概要を説明する。 夜間中は1950年代の開設以来,法制度的矛盾のある制度的特質を有し,にもかか わらず存立し続けた。矛盾とは,学校教育法上の学齢児童生徒の昼間の就学の建前 からは夜間中なる制度は存在しないが,同法施行規則の校長の授業終始の時刻設定 権限を根拠に夜間課程として位置付けている法の拡大解釈を指す(70頁)。この矛 盾のまま存立したメカニズムを「第一部…夜間中学校の制度をめぐる戦後史」で明 らかにしている。具体的には,夜間中教員による教育条件改善のための法制化運動 (1章),1950,60年代の行政監察(2章),国会議事録に示される文部省の方針(3●書評〈1〉
大多和雅絵著
『戦後夜間中学校の歴史
――学齢超過者の教育を受ける権利をめぐって』
(六花出版,2017年,368頁)日本教育行政学会年報…No.…45(2019) 213 書評 章),東京都の夜間中の対象の変化(4章)が検討対象となっている。この結果, 学齢生徒を主対象とした1950年代,矛盾のもとでも法的整合性を高めるよう地方政 府が夜間中を開設したこと,中央政府は法制の建前では反対であるが趣旨は認める との消極的姿勢であったことや,財政的課題のある夜間中の1960年代での淘汰が示 される。また,主対象を学齢超過者とした1960年代後半から80年代,生涯教育政策 のもと,中央政府は存続を容認するが,矛盾解消の制度化はなさず,「お助けして」 夜間中存立の施策を講ずる姿勢となったこと(164頁),学齢生徒は昼間の学校,学 齢超過者は夜間中との原則が立てられたこと,1980年代以降の中央政府の不登校対 策の影響による夜間中における学齢生徒の解消の可能性等が明らかになる。 法制上の曖昧さを残す中,教育現場の動きが夜間中の存立を支えた。これを示す のが「第二部…1970年代における夜間中学校の開設」である。具体的には,開設運 動の「義務教育=生存権」の理念の概観ののち,高野雅夫という一個人に先導され た京都府,大阪府での開設,その後の東京都での1970年代の運動の開始の経緯が示 され(5章),その上で川崎市の開設(6章),引揚・帰国者を対象とする東京都の 夜間中の日本語学級開設(7章)の経緯が,豊富な夜間中学校研究会資料,行政資 料,議会・教育委員会議事録,夜間中教員へのインタビュー記録等を通じて記述さ れる。これらの事例を通じ,上記理念のもと各地域の状況に応じた開設運動が起こ り,市・都教育委員会との間で交渉がなされ,開設に至ったことが明らかになる。 終章では分析の結果を整理した上で,夜間中の存立が孕む問題点を,①法制度的 根拠の曖昧さの継続,②教育対象の学齢超過者への移行により,教育を受ける権利 を学齢により制限する矛盾が隠されること,③公教育において法制度的矛盾が国民 全体に及んでいること,の3点にまとめている。著者は夜間中の存立について学齢 という根本的矛盾を温存させるものとして批判的に捉えている。 教育行政学に対する本書の貢献について述べたい。第1に,夜間中という曖昧な 制度に関する知を広げたという点である。教育対象の変化,中央・地方政府の方針 や動向,開設運動の動きの全体像を描き,準公式的制度としての夜間中が不安定な 存在であり,一方それがゆえに多様なアクターによってそれぞれ意味づけされ存立 したことを明確にした。曖昧さゆえ多様なアクターの利益に適う制度であり,それ ゆえ存立が可能になった,ということが本書の重要な知見であると思われる。 第2に,夜間中を通し教育を受ける権利の保障の二元性を示したという点である。 権利を保障し得ていない現実が存在するのであれば,変えるべきは柔軟さに欠ける 建前(制度)である。しかし中央政府は就学の建前を優先し,それにより生じる課 題は地方政府の自律的判断により解消されることになった。本書は戦後の教育制度
214 日本教育行政学会年報…No.…45(2019) の二元的な権利保障の仕組みを明らかにしており,それゆえ「公教育のほころびや 未だ対応できていない領域を照らし出す」(4頁)ことに成功したと言えよう。 第3に,正系の義務教育と見なされない教育機関の開設や整備に関する知を広げ た点である。戦後教育政策の主眼は全国の教育条件格差の縮小にあり,就学人口の 増加にあわせた資源配分の制度が整備され,それにより全国一律の標準の世界が作 られた。学齢を前提としたこのメカニズムの脇にある教育機関の開設や整備のメカ ニズムを本書は明らかにした。特に重要と思われる知見は,①義務教育を受けられ なかった人々の権利の主張の正当性,②地方政府の自律性,が開設の要因となった ことである。中央政府が夜間中の存在を否定しきれず,地方政府が開設に舵を切っ たのは,①の伏在にあろう。また,②なしには開設や整備は進まなかった。夜間中 という周辺的存在を対象にしたからこそ,これらの発見が可能であったと思われる。 以上の点を踏まえると,本書は教育行政学の幅を広げ,周辺的就学の教育行政学 ともいうべき分野を開拓したと高く評価できよう。 以下,特に「存立のメカニズム」に関する物足りなさや疑問点を3点述べる。本 書ではメカニズムの定義が明確に記述されていないが,筆者なりの理解に基づけば, ①1960年代以降の主対象の変化,②夜間中存立に関する中央政府の消極的スタンス から,主対象の変化を踏まえた1970年代の生涯教育政策採用に伴う肯定的スタンス への転換,③1960年代後半の革新指向の政治的・社会的環境と開設運動の展開,④ 運動を受けた地方政府による開設,という4点と,「学校現場および開設自治体の 対応,そして政府の方針」の相互作用(320頁)を示すものと思われる。このメカ ニズムをより精緻に描くために以下の点の考慮が必要であったと感じる。 第1は,文部省の方針転換に伴う施策の記述である。これに関しては,例えば1 章では夜間中教員が1970年前後に定数措置された可能性があるとの指摘(98-99頁) や,3章の1974年の国会議事録で「国も義務教育と同じような対応策で」経費負担 をするとの大臣発言がある(155頁)。これに関連し,本書での記述はないが,1971 年のいわゆる四六答申では「これまで特別な事情によって義務教育を修了できな かった者に対しては,特例的な措置によってその履修を奨励すべき」としている。 その後,1985年の首相の答弁書には夜間中の教職員給与,建築費の国庫負担が行わ れていることが記されており(161頁),これらを踏まえれば,1970年前後に省内で 何らかの検討や取組がなされ,1980年代まで継続された可能性が高いと考えられる。 学校現場,運動団体及び地方政府への影響を念頭に,文部省の方針(考え方)のみ ならず,具体的な施策やその変化の記述まで踏み込んでほしかった。 第2は,上記の点と関わり,夜間中の経費負担に関する政府間関係の変化及び教
日本教育行政学会年報…No.…45(2019) 215 書評 育財政に関する記述である。地方政府が設置義務のない学校を開設する上で経費負 担は大きなネックとなる。この点,1950年代半ばから60年代の学校数の減少につい て「学校予算や教員配置などの教育条件いかんがその存廃を左右した」(96頁)と 推察しており,著者も同様の認識であると思われる。一方,1970年代から80年代ま でのこの課題の変化は本書で看過されており,2つの事例においても記述がなされ ていない。本書では学校開設の要因に関して開設運動や市民運動団体の影響に力点 を置いた記述となっているが,上記の点の重要性に鑑みると,よりリアルな存立の メカニズムを示すために,地方政府の資源調達が容易になる中央―地方政府間,地 方政府間(都道府県―市町村)関係の変化の有無や,学校予算や教員配置等の経費 負担に関わる予算面での変化の記述が必要であったように思われる。… 第3に,事例選択についてである。4章を中心に本書では1950年代から80年代ま での東京都の調査資料を多用しており,資料の多さと実証性の高さは本書の大きな 魅力でもある。2つの事例が川崎市と東京都であったのも,それらが関東地域に位 置しており,上記調査資料の分析と重ね合わせられるからであろう。この点を理解 しつつも,気にかかったのは,関西地域の夜間中の動向がほとんど記述されていな い点である。関西地域を選択しなかった理由について,関東地域と比較した場合, ①1950年代からの連続性に欠けること,②教育対象の属性に偏りがあること,の2 点が指摘されている(55頁)。確かに連続的な歴史的経緯を明らかにする上で事例 選択に誤りはないが,教育対象によって分析範囲が制限されており,それゆえ夜間 中の存立メカニズムが関東地域限定のものになっていることは否めない。本書が目 的とした学齢超過者の権利保障の態様を夜間中の存在を通じて明らかにする上で, 1960年代後半以降に開設する夜間中約10校の中で,本書で扱う2事例や関西地域の 夜間中がどのように位置付くのか,補助線が必要であったように思う。それでこそ 著者の夜間中存立の問題点の指摘である「公教育において法制度的矛盾が国民全体 に及んでいること」がより説得力をもって読者に響いたのではないかと思われる。 以上,課題を指摘したが,これは本書が新たな分野の基礎の構築に成功したこと の証左に他ならない。本書を通じて読者は義務教育の曖昧な領域に足を踏み入れ, 多くの問いを見つけ出すに違いない。そしてまた,同時に,制度の規定に人の状況 を変えることが優先され,人の状況にあわせて制度を変えるという選択が考慮され てこなかったことに違和感や疑問,恐れさえも感じることになろう。これらを可能 とした著者に敬意を表するとともに,本書を一人でも多くの教育行政研究者に手に 取ってもらうことを願う。 … (大分大学)