夏目漱石と英学修業 : 金之助の学んだ英語カリキュラムについて
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(2) 井. 22. 好. 田. 治. だった成立学舎の学科課程と使用教科書の考証。 ④. 大学予備門の入学試験科目の検討。成立学舎の英学との関係。予備門入学後第一学 期末における塩原金之助の学業成績と級友たち。 金之助の入学直前に改正された大学予備門の学科課程の明細。. ⑤. 「英語学」の教授細. 目の点検と評価。使用教科書の考証。この際明らかになった,このころからのドイツ 学術重視の風潮について。. 当時の教育機関で使用された英語教科書名の考証についてほ,池田哲郎「南部の英学 (「日本英学史研究会研究報告」 17号),池田・下平「日本 -盛岡一高蔵英学資料-」 「山口県立山口図書 87号, 105号), 見在英語教科書書志」 (上) (中) (下) (同63号, 館蔵洋書目録」九州大学文学部蔵「日本英学筑紫文庫目録」等を参照し,原書名を推定 した。. 〔〕を用いたものほ大部分そうした推定の書名である。上掲の諸目録・書志の編さ. ん老のご労苦に深謝する。 1. 明治12年3去月,数え年13歳の塩原金之助ほ,東京府第一中学校の正則科第七級乙に入 学したo 「其頃東京には中学と云ふものが一つしか無かった。学校の名もよくほ覚えて居 ないが,今の高等商業の横辺りに在って,僕の入ったのほ十二三の頃か知ら。何でも今の 中学生などよりは余剰、さかった様な気がする.」. (「落第」-「名士」の中学時代」-)1'. 東京府第一中学校と称するものほ,もちろん,のちの東京府立第一中学校,いまの東京都 立日比谷高等学校の前身であり,明治12年9月29日公布の「教育令」によって,形式 的には規制される性格のものであったが,創立は「教育令」より一年前すなわち,明治 11年9月26日,本郷区元町旧玉藻小学校を仮校舎として設けられ,同年10月,神田 区表神保町に移転し,当時の生徒数は百余名,校長は村上珍休といった2'o 激石の回顧談は続いて「学校は正則と変則とに別れて居て,正則の方ほ一般の普通学を (中略)で大学予備門(今の高等学校) -入るに やり,変則の方では英語を重にやった。 ほ変則の方だと英語を余計やって居たから容易に入れたけれど,正則の方では英語をやら なかったから卒業して後更に英語を勉強しなければ予備門-ほ入れなかったのである3).」 というo大学予備門の沿革ほ,なかなか複雑で,明治6年5月に設置された「東京外国 語学校」の英語科が,翌7年12月に分離独立して「東京英語学校」と改称し,それが さらに明治10年4月東京大学の成立とともに,その附属として「東京大学予備門」と 称したものを指す。当弘大学(法理文三学部)も予備門も修業年限4ケ年であった(た だし医学部ほ予科,本科ともに修業年限5ケ年)。淑石が引用の文中で「正則」といい「変 則」といっている意味であるが,これについて「私の経過した学生時代」で彼ほこう説明 している-「正則といふのは日本語許りで,普通学の総てを教授されたものであるが,そ. の代り英語ほ更にやらなかった。変則の方はこれと異って,たゞ英語のみを教-るといふ に止ってゐた。それで,私は何れに居たかと云-ば,此の正則の方であったから'英語は 些しも習ほなかったのである。英語を修めてゐぬから,当時の予備門に入ることが六ケ敷.
(3) 夏目淑石と英学修業. 23. い4)。」 「正則英語」とか,. 「変則英語」とかいう場合は,. 「-正則生-教師二従ヒ韻学会話ヨリ. 始メ,変則生-訓読解意ヲ主トシ教官ノ教授ヲ受ク-キ事」 規則第七条古)). (明治3年10月「大学南校. ,あるいほ「正則とは外国教師に従ひて語学及諸学科を修むるものを謂ひ,. 変則とほ邦人教官に従ひて語学及諸学科を修むる老を謂ひ8)といった文脈における「正則」 「変則」の使い方と,淑石が「既に中学が前いふ如く,正則,変則の二科に分れて居り,正 則の方を修めた老にほ更に語学の力がないから,予備門の試験に応じられない。此等の老 は,それが為め,大抵ほ或る私塾など-入って入学試験の準備をしてゐたものであるア)。」 といっているものとほ,相当な意味のちがいがありそうである。ここで,明治12年の 「教育令」をふりかえってみると,その第四条に「中学校-高等ナル普通学科ヲ授クル所. トス」とあるのみで,したがって,東京府第一中学校の学科課程の実質を規定するもの 「学制」でほ「中学ほ小学を経たる生徒 ほ,明治5年の「学制」に在ったと考えられる。 「その教科を上下の二等とし,修業年限を各三箇 に普通の学科を教ふる所」と規定され,. 年として,更に各年を二級に区分し十二級とした8)」というo下等中学の教科は,次の20 科目である一国語学・算術・習字・地学・史学・外国語学・窮理学・図画・古言学・幾何 学・代数学・記簿学・博物学・化学・修身学・生理学・国体学・政体大意・国勢大意・奏 楽。 すでに述べた通り,塩原金之助が「正則科第七級乙」に入学した,とすれば,下等中学. 科は修限年限3ケ年,. 6扱から成り立っているのであるから,金之助の入ったのほ本科で. ほなく,すなわち語学予習のために附設されていた予科(1ケ年,初級・上級に分れる) だったのであろうか。ただしこの予科なるものは,上記に列挙した科目を教えるのに,過. 当なる邦人教師が少なく,かつ叉,邦文で書かれた適当な教科書も乏しかったため,明治 5年10月「外国教師ニテ教授スル中学教則」が定められた際,英・仏・独の-外国語を もって,中学の課程を履修することができるようにと設けられたものである。いわば外国. 語習得のための短期集中コ-スなので,外国語の授業時数も下表のとおりであった9)o 字. 習. 字. 綴. 読. 方. 論. 詩. 初. 級. 6. 6. 6. 6. 上. 級. 4. 3. 6. 5. 会. 話. 2. 書. 取. 文. 2. 法. 2. 明治25年12月,淑石が文科大学数青学論文として提出した『中学改良策10)』の「第 二編. 維新以来中学校の沿革」は,教育制度,教師,生徒,教授法等の改良を説く前提とし. て,まず中学制度の史的な通観をこころみたものといってよいが,淑石は彼一流の論理的 明解さで,明治初年以来の朝令暮改式な教育政策の変転を叙述するとともに,その無定見 な学制改革の少なからぬ犠牲となった彼自身の苦い体験を物語っている。. 13歳で中学校. に入った塩原金之助が,明治26年7月,帝国大学文科大学英文学科第二回生として卒 業したときはすでに27歳で,たとえ中途で浪人生活があり,留年があったとしても, ケ年の修業年限を必要としたわけで,. 「・-計算すれば学士となるにほ少なくとも廿六歳多. 14.
(4) 24. 井. 好. 田. 治. くて廿八歳の順なり当今の如き粗末なる学士を製造するに日本の青年をして前後二十余年 を費やしむ塞に浩嘆の至りなり11)」といっているのは,彼の嘗めた苦汁から発した正直な 声であろうo淑石の修学年限の不幸な長さについてほ,のちに再び触れたいと思うo 東京府第一中学校の正則科を,金之助が退学したのほ明治14年の春ごろというo荒正 「前年か,この年の春頃までに,東京府第一中学校を中退するo 人氏はこう書いている。 (中退の原因はよく分らぬo. 実母の死が原因だとも想像される。この場合は,恐らく一月. 中か二月と推定されよう12).)」実母ちゑの死ほこの年1月21日であるo 一方この年7 中学校-高等ノ普通学科ヲ授クル所 月,文部省は「中学校教則大綱」を定めて「第一条 ニシテ中人以上ノ業務二就カソガ為メ又-高等ノ学校二入ルガ為メ必須ノ学科ヲ授クル所 『中学改良策』のなかで,淑石は「大綱は十三条よりなり中学沿革史 トス」と規定した。 上頗る緊要の老なれば之を左に掲載せんとす」と記して,十三条のすべてを転写してい る18).そればかりではない,第一条に但し書を加えて日く「(中学教育の目的にこある事は 全く此時より生ずといふべし)」。つまり従来の中学は,単に高等の普通学を修めるべき所 であって,必ずしも大学-の進学を目的とするものでほなかったo. ことに金之助の学んで. いる正則科こそほ,ミドル・クラスの実務に就くべき子弟の養成境閑であって,けっして 大学進学を期待されるコースではなかったo進学のためには別コースすなわち変則科が設. けられていたのであって,淑石が「現に東京府の中学校杯にては正則変則の二科ありて正 則は邦語にて普通科を教授し変則ほ大学予備門に入る便宜の為め其楢梯を教授せり14)」と [まま] いっているのほ,この辺の事情を如実に語るとともに,当時の塩原金之助の不満をおのず と表わしているのである。 「私は何れに居たかと云-ば,此の正則の方であったから,英語は些しも習ほなかった のである。英語を修めてゐぬから,当時の予備門に入ることが六ケ敷い。これでほつまら. ぬ,今まで自分の抱いてゐた,志望が達せられぬことになるから,是非廃さうといふ考を 起したのであるが,却々親が承知して呉れぬ。そこで,拠なく毎日々々弁当を吊して家は 出るが,学校にほ往かずに,その儀途中で道草を食って遊んで居た。その中に,親にも私 が学校を退きたいといふ考が解ったのだらう,間もなく正則の方ほ退くことになったとい ふわけである1さ)o」牛込馬場下町の実家に帰っていた金之助が,ここで「親」といってい るのはおそらく実父の夏目直克であろうが,すでに65歳,警視庁警視属がその職業であ った。学問修業して将来有用の人たらんとねがっていた金之助が,その第一歩として大学 予備門を志したわけだが,それならば当然変則科の課程に転ずべき筈で,そこで外国語学 一特に英語の習得に務めるべき道理なのにもかかわらず,金之助ほ何に感じたか,かえっ て漢学の勉強に方向を転じ,明治14年4月ごろ,三島中洲の経営する漢学塾二松学舎 に移ってしまうのである。 2. 「元来僕ほ漢学が好で随分興味を有って漢籍ほ沢山読んだものである。今は英文学など をやって居るが,其頃は英語と釆たら大嫌ひで手に取るのも厭な様な気がした。兄が英語.
(5) 25. 夏目淑石と英学修業. をやって居たから家でほ少し宛教-られたけれど,教-る兄は府癌持,教ほる僕は大嫌ひ と釆て屠るから到底長く続く筈もなく,ナショナルの二位でお終ひになって了った16)」長 兄大助ほ,このころ警視庁翻訳掛から陸軍省に転じていたoこの11歳年長の兄から英語 を教わったらしいが,嫌いな英語とちがって,好きで始めた漢学塾二松学舎は,麹町区一 番町に在って,寺小星をそのままに学校にしたような汚ない校舎であったo金之助は家か ら,朝の6時か7時頃から始まる講義に通ったといっているが,なるほど「二松学舎舎 則」にほ「教授時間」として「一 休日ヲ除ク外毎日午前六時ヨリ午後六時迄講釈輪講会 議或-質問素読等ノ諸会ヲ設ケ教授ス-シ1ア)」とあって,激石の記憶のとおりである。ま た「毎月五ノ日. 詩文会」が開かれ,その席上で詩文を作成するか,あるいはかねて作成. しておいた詩文を提出して,前回添削済みの詩文と引き替えることを生徒の義務としたo 「第三級第一課に入学したものとおもわれる」と荒正人氏は推定しているが18',約1年 有余在学することとなった二松学舎の漢学修業カリキュラムは次のとおりである。ここで の漢学的教養が,澱石文学の特色一特に文体や文学批評・鑑賞に関連なしとは思われない ので,少なからず興味の対象となろうo明治16年3月発行のものによるo 第一級. 第四級. 八家文ヲ以テ. 之二代ルモ妨 ケナシ. 第. 1. 課. 史略記略略文. 第二 課. 外史政史史復. 第三 課. 日十日元満席. 書素読 五経素読 或-日本外史 四. 本八木明清上. 第二課 第一課. 第三 課. 正文章規範. 第三課. 第二 課. 孟. 史 第. 一. 課. 論 左. 子 略 語. 唐宋八大家文 大 大. 通鑑集要 第二課. 伝. 席上記事文 第一課. 学. 本史 子 韓 非 資治 通鑑 中 庸 詩 経 日. 宋元 書 易. 通鑑 経 経 子. 荘 席上議論文並こ詩. 漢書の内容からも察せられるように,級も課も数字の若い方-向って進級して行く仕組 みであるから,. 「明治14年11月二松学舎第二級第三課を修了19)」を正しいとすれば,. 金之助ほ約7ケ月でふたつの課程を修了したこととなる。二松学舎の進級試験は4月中旬 2月中旬と と11月中旬を原則とし,中途入学の生徒および特別進学の生徒に対しては, 7月中旬に試験を行なった。この規定に従えば,金之助ほ7月と11月の2回の試験を 受けて,第三級第一課と第二級第三課を卒業したとみなすべきであろうか。しかしながら' 読書欲旺盛な漢学好きのこの少年ほ,級課のわくを飛びこえて,孟子,史略,左伝,韓非 千,資治通鑑,荘子等々の講義を聴いたと想像してもよいであろうo 文明開化の世に背を向けて,漢学塾独得の世界に浸っていた金之助にやがて冷静な反省 の時期がおとずれる。 「考-て見ると漢籍許り読んでこの文明開化の世の中に漢学者にな った処が仕方なし,別に之と云ふ目的があった訳でもなかったけれど,此儀で過ごすのは.
(6) 26. 井. 治. 好. 田. つま. 充らないと思ふ処から,兎に角大学-入って何か勉強しようと決心した乞0)o大学予備門に 入るためにほ,好きな漢学を一時捨てて,嫌いな英語を学ばねばならぬo ぢつ. 「英語の必要-. と. 英語を修めなければ静止してゐられぬといふ必要が,日一目と迫って釆た21).」将来の進路. に対する危倶と切迫感に襲われていたと思われる金之助は,明治15年夏ごろまでには二 松学舎を退学してしまったらしい。その後1年間の金之助の動静はよく分らないままで あるが,ともかくも翌16年7月ごろには神田駿河台の成立学舎に入学して,英学修業 に熱中することとなったo 3. 成立学舎は,共立学舎や進文学舎などとならんで,東京大学予備門受験準備を目的とす る予備校のひとつであり,英語によって数学,英語学,史学,理学などを教授するところ であった。その意味で文字通り英学塾だった。同級に,橋本左五郎,太田達人,中川小十 郎,佐藤友熊,先輩に,新渡戸稲造,本多光太郎,井上準之助等がいた。この学舎の学則 第一条は,設立の趣旨を述べて「本舎-大学予備門ノ受験料及英学変則ヲ修ムルヲ以テ目. 的トス22)」とうたっているo入学後の金之助ほ「殆んど一年許り一生懸命に英語を勉強し くらす. た。ナショナルの二位しか読めないのが急に上の級-入って,頭からスウヰソトソの万国 史などを読んだので,初めの中ほ少しも分らなかったが,共時ほ好な漢籍さ-一冊残らず 売って了ひ夢中になって勉強したから,終にほだんだん分る様になって,其年(明治17 午)の夏は運よく大学予備門-入ることが出来た28)。」 この学舎における英語学習の体験を,淑石はのちに次のようにも語っている。 「又,英語ほ斯ういふ夙にやったらよからうといふ自覚もなし,唯早く,一日も早くど んな書物を見ても,それに何が書いてあるかといふことを知りたくて堪らなかったoそれ. で謂はゞ矢掛こ読んで見た方であるが,それとて矢張り一定の時期が釆なければ,幾ら何 と思っても解らぬものほ解る道理がない。又,今のやうに比較的書物が完備してゐたわけ ではないから,多く読むと云っても,自然と書物が限られてゐる。先づ自分で苦労して, 読み得るだけの力を養ふ外ないと思って,何でも矢鱈に読んだやうであるが,その読んだ ものも重にどいふものか,今判然と覚えてゐない24)。」 淑石がやみぐもに猛烈な勉強をしたように述懐している英語の授業の内容ほ,いったい どのようなものだったのであろうか。. 「今判然と覚えてゐない」という彼の読んだものほ,. いったいどのような種類の本であったか。この点に関して報告することが本稿の目的であ るし,この方面について紹介した研究は割に少ないように思われるので,やや詳細に成立 学舎の学科課程に触れてみようと思う。 成立学舎は三学科から成る-すなわち,正則本科,変則本科,予科の3種類である。 ①. 予科課程は,綴字ウェブスター氏[Noah. Webster:. Elementary. Spelling. Book.. -可能なかぎり角括弧内に原書名を推定して割注するo以下同様]第一読本ウヰルソン The First Reader 氏【Marcius Wilson: Series.]第二読本 of the School and Family ウヰルソン氏. 万国史パーレイ氏【Peter. Parley's. Universal. History. on. the Basis. of.
(7) 27. 夏目淑石と英学修菜 Geography.] ②. 正則本科課程は,第三級,第二級,第一級から成り立つ。. 第三級. 読方サンダー氏第四読本[Charles. W・. Sanders:. 綴文文法ブラヲン氏小文典[Goold. Brown:. The. Fourth. Union. Lines. First. Swinton:. Grammar.]釈解スウヰソトソ氏万国史【William. Reader・] English. of. Outlines. of. world'sHi8tOry.]算術ロビンソソ氏プラクチカルアリスメチック[Horatio N.. A. Robinson:. Geometry. Elementary. New. 【M.F. Maury:. English. for. Language. 国史. of. the. Trigonometry]政園地理モーレ-氏. and. 作文. Japanese. Use. of. Schools. and. AGrammarof. Co∑:. 文典コックス[W・D・. Siudent8・]釈解サンダー氏第四読 ElementsofPlane. 幾何ライト氏[R・P・Wright:. 本,代数ト-ド-ソタ-氏 Geometry. Robinson:. of Geography・]. Manual. 読方サンダー氏第四読本 the. Arithmetic.]代数トード-ソクー氏[Isaac. for Beginners.]幾何ロビンソソ氏[H・N・. Algebra. Todhunter:. 第二級. Practical. Colleges・]史学スウヰソトソ氏万 L・. 自然地理モ-レ-氏[前出と同じか】生理書--マン氏[Edward. Youmans著,書名不明] 第一級. Composition. 修辞クヱツケソボス氏【G・P・. Quackenbos:. 釈解マコ-レー氏ウオーレン,. -スチソグ[Thomas. 氏万国史【M.. Wilson:. Outlines. youmans]植物学グレー氏【Asa. Macaulay:. Warren. 史学ウヰルソン. 幾何学ライト氏. 代数トド-ソタ-氏. Hastings.]作文. B・. Rhetoric・]. and. of Hi8tOry・]性理学ユーマン氏【E・L・ Gray:. Gray's. School. Field. and. Book. of Botany]簿記 ⑨ 変則本科課程ほ,英書を使用せずもっぱら講義によるものらしく,次のとおりo 政体書 経済書 第三級 米国史 第二級. 文明史. 第一級. 代議政体. 法律原論. 学則第四条によれば,. 経済書. 立法論綱 経世学. 1年を3分して三学期制を取り,第一学期ほ1月5日から3. 月10日まで,第二学瓢ま3月11日から6月20日まで,第三学期ほ7月11日から. 12月25日までとなっているから,塩原金之助ほおそらく明治16年の7月初旬に入学 し,凡そ1年程通って,翌17年9月にほ大学予備門に合格し,第一年すなわち第四級 に英学生徒として入学することとなる。東京大学予備門は,明治14年7月一度修業年限 を3ケ年に短縮したが(ただし医学部予科は4ケ年),同17年6月に至って再び修業 年限を4ケ年と改め,医学部に入るべき老にも,法理文三学部に入るべき老にも,一律 に同じ課程を履修させることとなったoたまたま金之助が入学した年がその改定の年に合 致してしまった。 「始め予備門の方の年数が四ケ年,大学の方が四ケ年,都合大学を出る までにほ八年間を要することになってゐた25'」というのが,その入学時期の実状を正確に 述べているのであって,続けて「私の入学する前後ほその規定ほ変じて,大学三年,予備.
(8) 28. 井. 田. 好. 治. 門五年と云ふことになった。. --その予備門五年をも亦二つに分ち,予科三年,本科二年 という順序でした。」というのほ,淑石の記憶ちがいであって,このように改編されたの. は,明治19年3月「帝国大学令」の公布に伴ない,東京大学予備門が東京大学の管轄 から文部省の管理下に移され(すでに明治18年8月に実施ずみ), 「第一高等中学校」 と改称された際の措置である。したがって,繰り返していうが,明治17年9月現在の 塩原金之助は,修業年限4ケ年の予備門の最下級学年生徒,すなわち第一年次第四級の クラスに属することとなる。. 4. 成立学舎の学科課程ほすでに紹介したが,これが大学予備門の入学試験の科目と範囲に 深い関係をもっていたことほただちに判明する。東京大学予備門学則第七条に「第一年級 二入ルヲ望ム者-少クモ次二掲クル科目ヲ予修シ其試業二合格スルニ非サレ-入学ヲ許サ スー」と前置きして,次のとおり科目と内容を指定する26)-. (1)釈解(訳読・反訳. スウ. ソトン氏万国史. グードリッチ氏英国史2T). サンダル氏. 第四読本之類) (2)文法(字学. 解剖). (3)算術(終り迄) (4)代数(トド-ソタ-氏小一次方程式終り迄) (5)幾何(ロビンソソ氏第三ノ巻終り迄) (6)地理(総体大意) (7)和漢支(日本外史講義) 指定参考書ほおおむね成立学舎で学修したものと一致するばかりでなく,要求される学 習の範囲ほむしろ内輪というべきだ。今日の神経質すぎる入試をめぐる諸状況からかえり みれば,いかに受験生が少ないとはいえ,まことにおおらかな`Good たo. Old. Days'であっ. ところで金之助の受けた試験科目はこれとは違ったようであるoすでに触れた予備門. 「入学試業科目」も少なからず変更されていた。 の修業年限を4ケ年に改めたついでに, 「明治十七年四月廿六日」付で,東京大学総理加藤弘之から,文部郷大木喬任あての「伺 害」が出されている。. 「-・右改革ノ儀-新入学望ノ者ニ-ー日モ早ク広告不致侯テ不都合. 卜存候条可成至急仰裁可侯也28)」.入学試験に関する改正の要点ほ,外国語の受験は英語 またはドイツ語とすること,作文を入れ,身体検査を必要としたこと。加藤弘之を中心と するドイツ学術重視の風潮の勃興と,学士に対する国家観念昂揚の要請とが,入試科馴こ も反映してきた証跡と評せよう。塩原金之助をそのひとりとする9月の新入学生に適用さ れた「入学試業科目」ほ次のとおりである29)-. 凡ソ日本外史皇朝史略等卜其程度ヲ同フスル書類ヲ用フ但シ上二 (1)和漢支. 名ヲ掲ケタル書-之ヲ【用】ヒス 仮名雑文.
(9) 29. 夏目淑石と英学修業 (2)独逸諮. 独逸語学-凡ソ -ステル第四読本ウェルテル氏歴史等,莱 語学-凡ソ スウヰソトソ万国史,グ-ドリツチ英国史等ト. 解[釈】解. 或ヒ-. 其程度ヲ同フスル書類ヲ用フ但シ上二名ヲ掲ゲクル書-之. L:士皇]. ヲ用ヒス 語学. 英数. 3. Eihu. n川■u. 文. 法. 終迄. 二∴ 初歩一次方程式. (4)身体検査. 新規定による入学試験をうまく及第して約4ケ月後,つまり第1学期の終りに発表さ れた成績表が存在する。. 「明治十七年十二月(第一学期)東京大学予備門前本費第一,二,. 三級及ヒ第四級生徒試業優劣蓑」というのがその正式の標題で,その時点での在籍生徒 475名の成績を各科目にわたって記録した菊判22真の小冊子である。江藤淳氏も触れて 106),昭和十年版淑石全集の月報第 いるところであるが(『淑石とその時代』第一部p. 十号(昭和11年8月)に,鎌倉幸光氏が「予備門の生徒試業優劣表」という題目で,成 績表の重要部分の写真版とともに,発表しているので,さいわいに子細に参照する便宜を 与えられている。 標題に「前本費」とあるのほ,この年7月8日東京大学予備門は「分柴学科」と称した 医学部予科を合併したので,従前の予備門本来の生徒を「前本費」なる名称で呼んだもの であろう。学年ほ三学期制で,第一学期ほ9月11月から12月24日,第二学期は1月 8日から3月31日,第三学期は4月10日から7月10日,となっていた。塩原金之. 助の属するクラスは,前述のとおり,. 「第四級(英学生徒)」であり,これはドイツ語で受. けて入学した「第四級(独逸学生徒)」に対応する。金之助の成績は十五頁に載っており, 72・6の祝辰己(山形)を末尾とする 平均点83・4の伊東幸次郎(京都)を首位とし, 26名中の22位,平均点73・5である。この真に見出される級友に,立花銑三郎,正木 故意【直彦】,水野錬太郎,福原鐙次郎,中川栄次郎【小十郎】,太田達人,大幸勇吉,小城 斎などの名がある。 「私の経過した学生時代」に「予科入学当時ほ,今の芳賀矢-氏などと同じ位のところ で,可成一所にゐた老であるが,私の方ほ不勉強の為め,下-下-と下ってゆく許り80)。」 と語っているが,まさしくこの言葉通り両人ほ肩をならべている。彼等の学んでいる学料 (ただし横書きに変える) 目もわかるので,すべての欄を転写してみよう。. 85.5. 53.5. 67.0. 57.5. 84.4. 81.9. 80.8. 80.4. 817.0. 69.5. 80.0. 72.0. 63.0. 62.0. 69.0. 77.4. 82.8. 77.3. 816.5. 77.5. 59.0. 66.0. 75.5. 75.0. 68.0. 70.5. 78.986.5. 73.0. 78.1. 808.0. 75.0. 59.0. 81.0. 81.0. 63.5. 67.0. 64.5. 67.4. 85.8. 92.5. 69.6. 806.3. 70.0. 57.0. 61.0. 67.5. 86.5. 83.5. 60.0. 93.4. 92.8. 74.2. 79.1. 805.2. 文 学. 操. 点. 平均点. 幾何学. 代数学. 70.0. 75.0. 和漢支 71.0. 92.5. 修身学. 和漢作文. 総. 支那歴史. 体. 日本歴史. 地. 85.0. 解. 文法作文. 釈. 欠 効. 74.3及 74.2及 73.5及1 73.3及 73.2及. 姓. 府. 名. 県. 罰 課. 太田達人岩手 大草勇吉石川 塩原金之助東京 芳賀矢-福井 小城 斎鹿児島.
(10) 井. 30. 好. 田. 治. 塩原金之助を中心に前後ふたりずつ挙げたわけである。小数第1位までの評価であっ て,その厳密さにいささか驚かされるが,. 5人とも平均点においてたいした差ほない。し. かし科目ごとの内容についてほそれぞれの長短が出ていて,興味深いものがある。のちの 英文学老淑石の英語の成績はさして良からず,釈解[-英文解釈】は66・0,英文法・英 作文は75・5というありさま,そうかといって和漢文や和漢作文が時に優れているとい うわけでもない。. 「矢張り,此の頃も学科に就て格別得意といふものほなかった。中にも. 数学,英語と釆てほ最も苦しめられた方であるが,と云って勉強もせずに毎日々々自由な 方針で遊び暮してゐた31)o」夏目淑石の天才ほ深く蔵されたままであって,教師にも級友 にも凡庸なる-少年としか映っていなかったのであろうo彼自身ほ不得意といっても,敬 学は比較的良く,金之助がまもなく工科方面,特に建築家を志すようになったのも,この 辺に端緒があるような気がする。金之助にくらぶれば,次位の芳賀矢-の英語ほほるかに 良い成績で,かえって将来の国文学者が和漢文,作文,日本歴史に貧弱な成績を示してい ることも皮肉といえよう。. 5. 第四級英学生徒塩原金之助の成績表を取りあげたついでに,彼の履修している学科目が 自然に紹介されることとなり,金之助が東京大学予備門において修業しようとしている学 科課程の最初の手がかりが与えられた。さいわいここに,彼が第四扱から第一級まで,順 序に履修していかなければならない筈の4ケ年の学科課程が,加藤弘之総理によって明示 されている。本稿の視点ほ,淑石の学んだ英語力リキュラムをあきらかにする,というと ころに向けられているのであるから,次にこの好個の資料82)を呈示することとしたい. 改正予備門学科課程 第一年(第四級) 課. 本郡 歴歴. 運 軽 歩 兵 操. 4. 動 練. 2. 3. 4時. 同. 上. 同. 上. 1. 時時. 同 同. 上 上. 同. 上. 4. 同. 上. 3時. 大 同. 意. 3時. 上. 4時. 2. 時時時. 幾. 時. 31. ●. 1. 423. 教. 上. 31. **. 3時. **釈解作文及文法12時. 同. 時時時. *. 筆者注. 1時. ノ道ヲ教諭ス 読 書・作 文. 何文史史. 学 操. 論語ニヨリ修身. 代地目支. 漢逸英 簿. 文語語学学学. 和独或数地史 記 体. 理. 学. 上上. 身. 第≡詞. 嘉謂 同同. 修. 第一期. 目. 4時. 「同上」とはこの場合横書きにしたためで「同左」の意味。 入試に英語(ドイツ語)で受けたものほ入学後最初2ケ年ほ英語(ドイツ語)を履修 し,その後2ケ年英独両語を兼修することになった。. 時 時時. 2. 時.
(11) 31. 夏目淑石と英学修業 第二年(第≡披) 課. 第一期. 目. 修. 身. 妄晋罵. 第三期. 同. 上. 1時. 同. 上. 3時 釈解文法及作文12時. 同 同. 上 上. 3時 12時. 同 同. 上. 同 同. 上 上. 4時 3時 2時. 同. 上. 同. 上. 身ノ道ヲ教義ス 読 書・作 文. 操. 2. 時時時. 総各面 運. 兵. 4. 何史論論法動練. 数 ・国 幾 理理在. 代万生生白軽歩. 学操. 画体. 第二期. 1時. 論語ニヨリテ修. 文語語学学学. 漢逸英. 和独或数史生. 理. 学. 嘉謂. 2. 時時. 3. 生理各論. 2時. 4. 4時. 嘉諜諾. 上. 健全法 同 同. 上 上. 第三年(第二級) 課. 第一期. 目. 文 語*. 3. 語*. 語. 46. 解・作. 代動 数物 幾総 何論. 学学学学学操. 4 2. 上. 86. 46. 同. 上. 46. 4. 同. 上. 4. 植物各論. 2. 時. 用器画法 同 上. 2時. 2 2. 2. 画 運. 兵. 操. 2. 4. 時時時. 在. 意法動練. 書筆者注. 大自軽歩. 物物財. 数動植理画体. 3. 3. 86. 文. ●. 同 同. 上. (さ6. 時或時或時時. 英. 上. 時或時或時時時時. 漢 逸. 身ノ道ヲ教義ス 読 書・作 文 語 解・作 文. 一過授 業時間. 同. 1時. 論語ニヨリテ修. 上上上1編船. 和 独. 学. 第三期. 第二期. 岡同同同納蜘. 身. 時或時或時時時. 修. 表詣. 同 同. 上. 2. 上. 4. 時時. 4時. *第三年から英独両語兼修となるが,英学生徒は独8英4,計12時,独逸学生徒は英6 独6,計12時の授業を受けるものと考えられる。. 第四年(第一級) 目. 課. 第一期. 一過授 業時間 1時. 逸. 語. 英. 語. 語. 数物. 法 学学 三遷 角 動学,勢論,疏. 理. 解・作. 文. 体力学,静電気学. 3 75 35. 同. 3 3. 1. 時. 3. 同. 上. 1. 同. 3. 時. 75. 同. 上 上. 上. 35. 同. 上. 35. 同. 上. 3. 同 上 熱学,波動論, 者響学,光学. 3. 射出勢論 流動電気学. 時或時或時時時. 文. 上. Cy3. 漢. 岡. 時或時或時時時. 和 独. 論語ニヨリテ修 身ノ道ヲ教籍ス 書 取・顧篭 訳 語 解・作 文. 週時 授問 一業. 上上. 学. 同同. 身. 時或時或時時時. 修. 第三期. 75. 3.
(12) 井. 32. 目. 第三期 壊. 9】. 時. 4. 時時時. り一3. 兵. 4. 同同同. 運. 3. 時時時. 法訳動練. 2 器法 ';I:...i.柑. 用文軽歩. 旬. 第一期 無. 及学学語操. 化金画羅体. 学石. 袷. (つづく). 第四年(第一級) 課. 好. 田. 哀調. 石. 野. 2時. 同 同 同. 上 上. 2時. 上. 4時. 3時. 第四年級ノ商学及羅匂語-随意英一ヲ遷ム事ヲ得. 第一年の1週給授業時間は29-30時間,この中でドイツ語あるいほ英語の授業時間 は12時,第二年でほ31時間中12時,第三年では第2外国語の兼修をふくめて3028時間中12時,第四年でほ31時間中10時,第四年を除いて2分の1に近く,. 3′分. の1を越える授業時間が外国語学習に当てられ,この比重はのちの旧制高等学校の学科. 課程に受けつがれていく。そういった条件がすでにここにつくられているとみてよかろ う。. 明治16年3月発行の『東京語学校学則一覧』. (小田勝太郎編,英蘭堂刊)に収録され た「東京大学予備門」学則には,改正前の修業年限3ケ年制の学科課程を挙げたのち一 外国語科目は「英語学」のみで,. 「ドイツ語」ほなく一週総授業時間に対する割合ほ%,. -k,一告となっていり,また「体操」ほ寄宿生を除いては正課の余暇で「演習」すること と定められている一第四条で「教授細目」を各科目にわたって使用教科書名とともに示. している。これは今日ならば「指導要録」ともいうべきもので,興味深いものがあり,金 之助入学後といっても大変化はなかったものと思われるので,取りあげてみる。彼が実際 に受けた英語教育の内容を察知できようと思うo まず第一年の「英語学」は, Union. Fourth. 【前出,. 2時間を「読法」に当て「サンダル氏第四読本」. Reader]を用いる。第一学期にほ「文法上ノ句読ヲ充分二解釈シ又修辞上. (くとう)というのほPunctuationをいいうの ノ句読ヲモ略会得セシム」ここで「句読」 でほなく Reading (読み方)を意味する。 「句読師」という場合の用法である.ただし,. 「句読を切る」ことはReadingの要訣にはちがいないが。第二学期では「特に声音ノ調 和ヲ練習セシム」第三学期でほ「生徒ヲシテ意ヲ読法姿勢動作二用ヒシメ後日講演ヲ学ブ 「読法」ほ,. ノ階梯タラシム」とあるから, ulation,. Elocution,. ースでもあるわけだo. Grammar,. Rhetoric,. Gestureをふくむ,総合的学習であり,将来のSpeech. Bk5か,. Artic-. -の準備コ. 「英語解釈」にほ3時間を当て,教科書ほ第一,二学期に「サンダ. Chambers'English. Readers.. Reading. 【Chambers'Standard. ル氏第四読本」を,第三学期に「チャンプル氏第五読本」 Books,. Pronunciation,. V.]を用いる。授業法は「教員自ラ邦. 語ヲ以テ講義シ或-生徒ヲシテ訳読セシメ以テ意義ヲ解スルノカヲ進達セシム」とあり, 講読・演習の折衷法である。. 「英作文及文法,書取」にほ残った4時間を当て,教科書は. 「クエッケンボス氏作文階梯書」 and. 【G.P. Quackenbos:. Rhetoric.]ならびに「コックス氏第一文法書」. Advanced. [前出W.D.. Course Cox:. of A. Composition Grammar. of.
(13) 33. 夏目淑石と英学修業 English. the. Language. Japanese. for. Students,. Pt.. Ⅰ.】を併用する。その授業の進. め方ほ,作文と文法とを融合一体化したようなもので,次のような手順である(1)日常普通の課題を与え,日常普通の語詞を用いて簡単な文章を黒板上に書かせるo (2)別に宿題を与えて英文を作らせる。 (3) (1)また(2)の結果できあがった生徒の英作文を,教員みずから生徒の面前で校 正した上,その誤りをクラス全体に知らせる。. 「文章論」 【Syn(4)文章の組み立て,転換法,連続法,文章の初まりに用いる語句類, 【Parsing】を教え,これを生徒のノートブックに記入させてお tax],および「解剖」 き,毎月1回復諭させる。 (5)毎週2回書取を課する。. 第二学期も授業法ほ大差なく,内容をくわしくし程度をたかめる。誤りにもとづく「語 詞」 [Words. [Narrationを指すのでほなく,. とPhrases】と「話法」. Mode. Expres-. of. sionまたほUsageを意味する]をノートに取らせ,一方,口間口答法(OralComposition) も加える。第三学期ほさらに程度をたかめる。. 第二年の「英語学」ほ, [Quackenbos:. 4時間を「修辞」に当て「クエッケンボス氏英作文及修辞書」. Composition. and. Rhetoric.】を教科書に用いる.教授細目についてほ原. 文を引く一 第一学期二於テ-修辞学ノ範囲及ヒ目的,雅致,響愉,文体等ヲ教-作文-第一年卜 同シ叉毎週一回快滑読方ヲナサシム第二学期二於テ普通作文法及ヒ詩律篇ヲ教-且ツ商 業及ヒ交誼上等ノ諸題二就テ通信文ヲ作ラシメ教員自カラ教場二臨ミ閲読添肌ヲ加フ叉 毎週一回講演ヲナサシム第三学期二於テ-英語沿革ノ略史及ヒ句点法ノ用法ヲ教-且ツ 第二期ノ課業ヨリー層高尚二進マシム 今日の英語英文学教育にはRhetorieが全くといっていいほど欠如しているが,明治の 初中期はど「修辞」の重んじられたときはなかったのではあるまいか。激石文学のレトリ ックを解くのに,彼の愛読した漢詩文のみならず,学生時代に受けた修辞学の内容を検討 することが大いに役立つように思われる。文中の「快滑読方」とは妙な表現であるが,た ぶんFast Reading, Rapid ReadingあるいはExtensive Readingと今日称せられる 読書方法を指すものであろう。 「英語釈解」にほ3時間が当てられ,教科書は「東京大学文学部出板欧洲諸大家論文」. stitu舌ional. Co附. Has舌ings評伝とHallam'8. を用いるとあるが,この中にMacaulayのWarren. Historyの2篇のエッセイがふくまれていたらしく,. -二学期に前者を, 三学期にほ後者を読むとしてある。授業法は「生徒ヲシテ互二講義問難セシメテ其終二解 釈シ能-サル所ヲ教員自ラ訳読シテ意義ヲ明カニス」とあり,演習形式といっていい。 第三年の「英語学」は, 文学書」. 【Francis H.. ア氏英文学書」. 「英読語解」に4時間を当て,教科書は「アンダーウード氏英 Underwood:. 【William F.. Collier:. A. Hand-book A. History. of of. English. English. Literature.]. 「クーリ. Litera舌ure.]および前年.
(14) 井. 34. 田. 好. 治. 度使用の「欧洲諸大家論文」の3冊である。三学期を通じて,教科書中の有名文章家の名 論文を講読し,英文学の意義を十分に生徒に理解させることをねらいとする。また「毎月 一回学術上及通常ノ設題二就キ論文ヲ作ラシメ又毎週一回英語講演ヲ習-シム」とある。 以上みてきたように,予備門の「英語学」はその内容をわけて「読法・釈解・書取・綴 文・文法・修辞・作文・語解・講演」といったやや耳なれぬ表現を与えているが,目指す ところは英文学の鑑賞と批評にまでおよび,実用面としては Writing,. Speech,. Elocution. Letter. Writing,. Essay. までふくんでいる広範囲な総合的英語教育であった.テキ. ストもこの目標に好適のものというべきで,たとえばUnderⅦoodの英文学文集は札幌農 学校でも同志社でも使用され,当時の青年に非常な影響と感銘を与えたという33)o 「改正予備門学科課程」に従えば,明治17年9月入学の淑石ほ, (第二年次). 18年9月に第三級. 19年9月にほ第二級(第三年次)と進級すべき管であり,一週12時 間の英語授業を前述のような教授細目による方法で学習していたものに相違ない。ところ -,. が,明治19年3月1日の「南国大学令」の公布に伴なう措置で,東京大学予備門は東 京大学の管理をほなれ,. 4月29日新しい「中学校令」に規定された「第一高等中学校」. と改編され,本科2年,予科3年,修業年限5ケ年の課程となった。このことは先に触れ たが,塩原金之助に降りかかった転変きわまりない学制上の不運と考えねばなるまい。実 父直克ほすでに70歳の高齢で,明治18年末か,この年明けてからか,警視庁警視属を やめている。長兄大助が家督を相続しているけれども病弱の身である0. (翌20年3月死. 義)o. こうした状況におかれていれば,修業年限の延長は少なからぬ経済的, ・[J理的打撃 にちがいない。塩原金之助の学籍ほ,予備門第三扱から第一高等中学校予科二級(第二 午) -と移され,あと2年で終えるべき修業年限を3年-といやおうなしに引きのばされ てしまった。. なおさら不幸なことにほ,この年7月予科二級から一級-の進級試験に,腹膜炎にかか 「落第」にこの辺の事情がくわ ったため出席できず,成続不良で留年を余儀なくされる. しく書かれている。. 9月(推定)の新学年度から江東義塾の住みこみ教師となり,自活を. 決意するのも,こうしたこみあった種々の事由に発したのであろう。帝国大学文科大学に 入るためには,数え年20歳の金之助がまだ4年の長い道程を経ねばならない。おそら くむだな道草を食っていることに,彼ほたまらない焦焼を感じたことであろう。制度の変 遷のためいつも損な目にばかり遇っている淑石であった。. 以下年表的に淑石の学生生活の経過を示しておく明治20年7月 同年9月 21年1月. 第一高等中学校予科第二級を修了。 同. 予科第一級に進級。. 夏目家に復籍し, 「夏目金之助」となる。. 同年7月. 第一高等中学校予科第一級を卒業o. 同年9月. 岡. 本科第一部(文科)に進学。. 岡. 本科第一部を卒業。. 23年7月 同年9月. 帝国大学文科大学英文学科に入学。. (数え年22歳).
(15) 夏目淑石と英学修業. 26年7月. 同. 35. 英文学科を卒業。. (英文学専攻の第2回生). 帝国大学大学院(分科大学研究科)に入る。 お. わ. (数え年27歳). に. り. 淑石の英学修業に関して,本稿に欠けているのほ,彼の在学した教育機関に教鞭取った 教師の研究である。また,上出の英語教科書の内容と程度についても,細かく検討すれ ば,それぞれ激石研究一人格形成期の若き日の夏目金之助について-のひとつのアプ ローチとなりえよう。明治21年9月からの第一高等中学校本科第一部文科の教育課程 についても,本稿でほ扱えなかったが,さらに文科大学-進学してからの3年間の,英文 学専門課程の実証的な調査ほ,いっそう有意義な作業であろう。一方,本稿で明らかとな ったような英学教育を受けた淑石の英語教育論にほ傾聴に償いする多くのものがある。た とえば「中学改良案」中に,英文学科大学生としての,外国語授業改良案が述べられてお り,直読直解や両国語比較対照研究の必要を説いているのは,卓見というべきだろう。 「語学養成法」84) (明治44年)には,学問ほ普遍的なものであるから,必ずしも外国語の 書物を用いないでも,日本人の頭と言語で教えられる筈だといい,語学力の衰えたのは日 本の教育の進んだ証拠で,正当な現象であり,竃も不思議がる訳ほないとはいいながら ち,教授時間,教授法,教師の三つについての淑石の改良策ほ,いずれも論理的で妥当な ものである。 注. 1)岩波書店版『淑石全集』第16巻, p. 499.以下激石からの引用ほ昭和49年版同全集による. 『全集』と略記する. 2)藤原喜代蔵『明治大正昭和教育思想学説人物史』第一巻(東亜政経社,昭和18年), p. 347. 3) 『全集』前掲書,同頁. 635-636. 4)同書, pp. 5) 『東京帝国大学五十年史』上冊(昭和7年), p. 134. 6)同書, p.131. 7) 『全集』前掲書, p. 636. 8)桜井 役『日本英語教育史稿』 (散文館,昭和11年),. 9)同書, p.87. 10) 『全集』第12巻, ll)同書, p.130.. pp.. 16)同書,. p.. 500.. pp.. 86-87.. 111-148.. 12)荒 正人『淑石研究年表』 (集英社,昭和49年), 13) 『全集』前掲書, pp. 117-118. p.117. 14)同書, 15) 『全集』第16巻,. pp.. pp.. 46-47.. 635-636.. 「ナショナルの二」とほBarnes'New. National. 17)小田勝太郎『東京諸学校学則一覧』 (英蘭堂,明治16年),下府, 18)荒,前掲書, p.47. 19)同書, p.48. 20) 『全集』前掲書, p. 500. 21)同書, p.636. pp. 22)小田,前掲書, 657-661に「成立学舎」の学則を収録.. Reader, p.. 637.. ⅠⅠ。.
(16) 36. 井. 田. 好. 治. 23) 『全集』前掲書, p. 501. pp. 637-638. 24)同書, p. 638. 25)同書, pp. 57-82に「東京大学予備門」の学則を収録. 26)小田,前掲書,上編, A Pictorial m8tOry G. Goodrich: 27) Samuel Of Englandを指す. 28) 『東京帝国大学五十年史』上冊, p. 910. p.914. 29)同書, 30) 『全集』,前掲書, p. 639. 81)同書,同貢. 32) 『東京帝国大学五十年史』前掲書, pp. 910-914. (鹿島出版会,昭和43年)・ 33)重久篤太郎『お雇い外国人5一教育・宗教』 34) 『全集』前掲書, pp. 688-695.. p・. 168・.
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