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マルクス主義理論史研究の課題(Ⅸ)―ウォーラーステイン『アフター・リベラリズム』によせて―

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岡山大学経済学会雑誌

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マルクス主義理論史研究 の課題 (

Ⅸ)

- ウ ォー ラ ー ス テ イ ン 『ア フ タ ー ・ リベ ラ リズ ム』 に よせ て-.一・一」 1)

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年 の秋に松岡利道氏に よって,イマニ ュ-ル ・ウォーラーステイ ンの 著書 『アフター ・.)ベ ラ リズム』が翻訳 出版 されたO(2)ゥォ-ラーステイ ンの 仕事は,日本ではすでに広 く知 られている。主著 『近代世界 システム』の翻 訳は川北稔氏に よって次 々に公刊 されている し,(3)論文集 ともい うべ き,そ の他の諸著作 の 日本語訳 も

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冊以上になるはずである。私 も 『反 システム運 動』を

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年に訳 出 している。(4) 今回の松 岡氏に よる翻訳 も,論文集の一つであ り,その初 出は

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年か ら

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年 にかけてであるo序 「「アフター ・リベ ラ リズム」とは何か」お よび第 4章 「三つのイデオ ロギーか一つのイデオ ロギーか :近代性をめ ぐる似非論 争」は書 き下ろ しの ようで

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年当時の彼の見解であると推定 され る。 こ の著作に よって,われわれは

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年代中頃 までの,近代世界についての彼 の了解を知 ることができる。彼の論文集は どの本 もそ うだが ,博覧強記に圧 倒 され るが,同 じことの繰 り返 しが多 く,また逆説に富み,相互に関連をつ けがたい文言 も見出され るので,彼 の見解を正確かつ体系的に理解す ること はなかなかに困難である。 また ,彼の論文集は体系的に理解 され ることを求 めるものでもない ようである。 1

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143-366 本稿では,思想史 ・イデオ ロギー史研究お よびマル クス主義研究の観点か らみて,彼の議論の中で興味深い ものを と りあげて検討 してみる。彼 の著書 の面 白さは挑発的であるところにあるので,あえて挑発に乗 ってみ ようとい うことであるQ

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ウォーラーステインの 「世界 システ ム論」 のなか で私 が評価 してい るの は,国民国家を歴史分析の完結 した単位 とす ることを拒否 した ことにある0 この ことは,国民国家や国民経済を抜 きに した ,平板な世界資本主義 とい う 世界像を もた らす ものではない。 近代世界分析において,国民国家 あるいは国民経済を完結 した分析単位 と す るアプローチを とれば,その社会 の発展は内発的なもの と捉えられ ,多様 な形態の国民国家や国民経済 として出現す る諸社会の独 自性を分析す ること は非常に困難になる。国民国家を単位 とす る資本主義発展の普遍性が前提 さ れ る場合 ,分析対象 となる社会の独 自性は,①その社会の資本主義発展の段 階差に起因す るもの として処理 され るか ,発展の多様な ヴァリアン トが認識 され る場合でも,②その独 自性は当該社会の資本主義化以前の事物 の残存に 帰せ られ るか,③世界資本主義 の発展段階の特異性に よって当該社会の独 自 な性格が形成 され る,とい う把握になるかである

。W・

W ・ロス 下ウな どの アメ リカ近代化諭が①であることはい うまで もないが ,わが国のマル クス主 義的社会科学の歴史においてほ,労農派理論に① ,講座派理論に② ,宇野派 に③の傾 向を見て とることがで きる。 これ ら三つの傾 向は,いずれ もレーニ ンの初期か ら第一次世界大戦 の時期におけ る資本主義認識 の方法か らアイデ アを得た ものである. レーニンは,国民経済の内在的発展 とい うロジ ックで は現実の世界を理解す ることは困難だ と感 じなが らも,その枠を方法論的に 突破す ることはできなか ったのである。(5)

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マルクス主義理論史研究の課題 (Ⅸ) 367 ウォーラーステイ ンの 「世界 システム論」は,「再版農奴制」の ような一地 域における問題 も,システムとしての世界資本主義 とい う観点を導入す るこ とで,その歴史的意味を解 明できることを示 した。その点で,パルブスや ト ロッキーの世界資本主義認識 ,さらには ローザ ・ル クセ ンブル クの世界資本 主義論 とは異なった ものである。 ウォーラーステイ ンの 「世界 システム論」 ち,国民国家や国民経済の分析を軽視 しているかのごとくうけ とられ ること があったが,「世界 システム論」の強みはむ しろ,国民国家や国民経済がそれ ぞれに個性的なあ り様を示す ものであることの根拠を解明す るのに適 したア プ ローチであるとい うところにある。 資本主義の発展は,世界の諸地域を同質化す るものではな く,中心 ・半周 辺 ・周辺の三層構造をなす。 しか も,各地域がその三層 の何処に属す るかは 固定的な ものではな く,コン ドラチ ェフ波動 とともに三層構造そのものも変 動 してい くC各地域は資本主義 システム参入以前にもっていた社会構造上の 特殊性を継泉 しつつ ,ダイナ ミックに変 動す る三層構 造 のなか に引 き込 ま れ ,イ ンターステイ ト・システムのなかに一定 の位置を しめる。近代世界に おけ る各地域の独 自性は このなかで規定 されてい く。 この ような 「世界 シス テム論」は,②や③の理論 よりも数段す ぐれた国民国家分析 ・国民経済分析 を可能にす るようにおもわれ る。 しか し,ウォーラーステイ ン自身が実際に その ような分析を しているか否かは別である。 いまの ところ私にはその 「可 能性」が感 じられ るにす ぎない。 松岡氏の訳になる本書は,世界 システムの うち実体経済にかかわ るもので はな く,いわば上部構造に属す るイデオ ロギーを分析 した ものである。イデ オ ロギー分析において 「世界 システム論」 の強みが発揮 されているのか否か が ,この著作 の評価 のポイ ン トになるであろ うQ -

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145-368

3

ウォーラーステイ ンに よせる私の共感は以上のところまでで,近代世界認 識の個 々の問題については

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「違和感」を感 じる部分が多いOこの著作を読ん で,私が感 じる違和感の中心には ,ウ ォー ラーステイ ンが地政文化 (geo -culture) と呼ぶ ものの捉 え方がある。松岡氏 も 「訳者あ とがき」でい ってい るように,この 『アフター ・リベ ラ リズム』 とい う本は,まさしく地政文化 について語 っているものなので,この著作 の出現に よって,私には彼 との達 いが よ り鮮明にな りつつあるといってもよい。 拙訳 『反 システ ム連動』 の 「訳者 あ とが き」 で ,私 はつ ぎの よ うに , ウォーラーステインのイデオ ロギー把握について不満を述べている。 「共産主義運動 ,社会民主主義運動 ,民族解放運動 とい う近代社会の三 大反 システム運動が ,その成功のゆ えに命脈 をた った とい う本書 の分析 は,と りもなおさず反 システム運動の中軸であったマル クス主義の歴史的 意味の再吟味を要請す るものであろ う。訳者があえて翻訳を試みたのも, その問題意識か らであった。 この点では本書は,やや大ざっばな理解に と どまっているとい う印象を与える。わが国の近年のマル クス主義理論史研 究の蓄積は,修正主義論争か らレーニンまでのマル クス主義理論 の展開に ついての より深い理解に導いて くれるであろ う。訳者の仕事 も含めて,読 者がそれ らの業掛 こ触れ られ るようお勧め したい。」(6) 6年前にいだいた 「やや大ざっぱな理解 に とどま ってい る とい う印象」 が,この著作に よって払拭 され るのではな く

,

「どうも違 うな ぁ・-・・」とい う 印象 (- 「違和感」)へ と深 まっているのであるO 『アフター ・リベ ラ 1)ズ ム』は, l)ベ ラ 1)ズムと保守主義そ して社会主義 (-マル クス主義) とい う近代世界の三大 イデオ ロギーを と りあつか ってお り,資本主義世界 システムと近代 イデオ ロギーとい う問題に関す る総論的叙 述になっているので,ウォーラーステイ ンの考 えが よ り包括 的 に理解 で き

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マルクス主義理論史研究の課題 (咲) 369 る。(7)したが って ,それを知 ることに よ り,「大 ざっぱ」 とい う印象か ら違和 感- と印象が深化 してい ったのであろ う。 「地政文化 としての リベ ラ リズ ム」 とい う概 念 につ いて ,訳 者 の松 岡氏 は,「あ とが き」 で ,つ ぎの よ うに高い評価 を与えてい るo 「リベ ラ リズ ム自体 の歴史を問 うことこそが , リベ ラ リズ ムを理解す る 鍵 なのであるo ウォーラーステイ ンは 『1)ベ ラ リズ ムは ゴムの よ うな概 念』つ ま り変幻 自在 の概念だ とい っているが ,その真意は , リベ ラ リズ ム を歴史 の場 に置 き,その変遷 の中に リベ ラ リズ ムの本質 を探 るべ きだ とい う考 えがあるか らである。その ように理解 しては じめて ,先述 した地政文 化 としての リベ ラ リズ ムの意義 もよく解 明され るのである

」(8) 「リベ ラ リズ ムは ゴムの よ うな概念」 とい うのは, リベ ラ リズ ムとい うこ とばを ,人び とが様 々な意味 内容を こめて使 ってい るので,歴史的 コンテキ ス tを踏 まえなければな らない とい う意味な らばそ うであろ う。 しか し リベ ラ リズ ムとい う言葉 で ,ウォーラーステイ ン自身ががつか まえてい るものが 何なのかが明確 でなければ ,意味をな さない。 ウォーラーステイ ンの リベ ラ リズ ム把鐘 の特徴 は ,何が リベ ラ リズ ムな のか ,そ の思想 内容 は ど うな の か ,とい う議論が どこに もない ことである。 彼 の リベ ラ リズ ム概念 は ,保守主義 と社会主義 とい う概念 とセ ッ トにな っ ている。保守主義 , リベ ラ リズ ム,社会主義 とい う言葉 を ,彼 が用 いる仕方 は単純 である。右翼 ・中道 (中間) ・左翼 とい う政治勢力の三分割 とイデオ ロギーの三区分 とが対応 してい るので あ るD近 代 世 界 に おけ る政 治 的対 抗 紘 ,保守主義 , リベ ラ リズ ム,社会主義に よって表現 され , しか も近代世界 に対 し大 きな距離を置 いて鳥撤す るな らば,この三者は対抗 ではな く,相互 に補完関係にある。 これが ウォーラーステイ ンのい う1)ベ ラ 1)ズ ムの-元支 配 とい う見方 の意味であるC この際に ,ウォーラーステイ ンは これ らの思想 の内容を確定す ることにをせず に ,政治勢 力 と して の三 勢 力 を イ メー ジ し - 147

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-370 て,そのイデオ ロギーを,保守主義 , リベ ラ リズム,社会主義 と呼んでいる のにす ぎない。すなわち,右翼勢力 ・中道勢力 ・左翼勢力 とい う,一定の政 治的配置に対応す るイデオ ロギーとして しか ,それぞれの思想は捉 えられて いないのであるO磯能 としてのイデオ ロギーの把纏があるのみで,その内容 の分析がない。 これは通例の思想史的アプローチか ら見 ると決定的な欠落で ある。 イデオ ロギーや思想の分析においては ,そ の思想 の中心命題 はなにであ り,それを補完す るサブ命題群は中心命題 とどの ような関連にあ り,サブ命 題相互は どの ような論理的な関連 をもっているのか,この ような思想内容の 構造の解明こそが第一 の課題である。 リベ ラ リズムを取 り上げ るな ら, リベ ラ リズムと呼ばれ る諸思想か らその特質を帰納的に再構成 し,他の諸思想 と の比較において′その思想を類型化 して把撞す る。 この ように して リベ ラ リ ズムの思想的内容が解明され ,つ ぎの段階で,そのイデオ ロギーの歴史的 ・ 現実的磯能について も語 ることができるのであ る。私 は思想史 ,イデ オ ロ ギー史の研究は この ような ものであるべ きだ と考 え る。 しか し,イデオ ロ ギーをその思想的内容の分析に よって把握す るのでな く,政治的機能のみで 捉えるとい うや り方を,ウォーラーステイ ンは意識的に用 いていると思われ る。そ して松岡氏は,それを彼 のアプローチの長所だ といっている。 私にいわせ ると,イデオ ロギーの思想的内容 と論理構造を分析 しないイデ オ ロギー分析は,その歴史的機能 も分析できないo ウォーラーステイ ンは こ の思想史 ,イデオ ロギー史分析に とって不可欠な課題を意識的にパス してい るので, リベ ラ リズムその ものの意味内容の変化が捉えられていない し,保 守主義や社会主義 との内容上の差異 も捉えられていない。近代世界の特有の 地政文化が出現 して くるのは,フランス革命以後であるとい う見方は妥当で あるが, リベラ リズムが フランス革命以前の啓蒙思想のなかに思想的淵源を もっ こと,その中心には個人の人格的権利 の思想があることが見逃 されてい る。

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マルクス主義理論史研究の課題 (Ⅸ) 371 リベ ラ リズムと呼ばれ る思想は,その内容を歴史的に変化 させている.今 世紀初頭に登場す る 「新 リベ ラ リズム」は,「結果 としての平等」が資本主義 の現実 のなかでは重要な意味を もつ と考 える思想であ り,本来の意味の リベ ラ リズ ムか らは,大 きな内容変換をお こな ってい る。 この新 リベ ラ リズ ム は,アメ リカでは,1930年代か ら1960年代にいたる,民主党のニューデ ィー ル連合の指導理念であ り,共和党のニクソンの 「今 日ではだれ もがケイ ンジ アン」であるとい う言葉は,彼 さえも 「結 果 と しての平等」 を無視 で きな か った ことを表 している。 ウォーラーステイ ンは, リベ ラ リズ ムの綱領のな かに 「普通選挙権」 と 「福祉国家」を入れ込んでいるが ,福祉国家は古典的 リベ ラ リズムのなかか らは出て こなか った ことを見落 とすべ きではない。そ うでなければ,1980年代を席巻 した 「新 ・新 リベ ラ リズム」が市場万能論を 内容 として登場 し,「おまえは リベ ラルだ」 とい うけな し言葉 で新 リベ ラ リ ズムを排撃す ることになる歴史的経緯は理解できないのである。ついでにい えば この新 ・新 リベ ラ リズ ムは 「新保守主義」 とい う別名を もっているが, 彼 らの思想 内容は ヨー ロッパで19世紀に活動 していた 「保守主義」 とはまっ た く別の内容を意味 している。本来の 「保守主義」は市場万能論 の対極に位 置す るものであろ う。家族 の復権 ,信仰心の重視な ど共通面はあるがそれは 副次的な ものにす ぎない。 ウォーラーステイ ンのい う 「地政文化 としての リベ ラ リズム」論は,古典 的 リベ ラ リズム,新 リベ ラ リズム,新 ・新 リベ ラ リズムの思想内容を吟味せ ず ,ひ としなみに リベ ラ リズ ムとい うタームで括 っているために,彼 の意図 とは逆に,19世紀,1970年頃まで,1970年代以降,とい う三つの時代の特徴 を とらえそ こなっている。 リベ ラ リズ ムは個人の 自由を基礎にお く思想であるが,経済的側面か ら見 れば 「営業の 自由」を意味す る。 したが って,資本の 自由な運動を根本原理 とす る近代資本主義 システムにふ さわ しい思想であった。 しか し,市場経済 あるいは資本主義の 自由な展開は人間相互 の社会的粋 の分断であ り,社会の -14

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9-372 存立 は危横に さらされ る。そ こで提起 され るのが ,伝統的価値への回帰をめ ざす保守主義や ,人間同志 の社会的粋を理性 に よって再構築 しようとす る社 会主義 であった。 ウォーラーステイ ンは これ らの三つ の イデ オ ロギ ーにつ い て ,反 国家 的 ポーズを と りなが ら国家重視であった と指摘 し,これをパ ラ ドックスの よう にい うが ,三つのイデオ ロギ ーは ,それ 自身反 国家 であ った ことはな く,そ れぞれの理想を実現す るために国家を道具 とみな していた。保守主義 は ,市 場 とい うシステ ムに よって ,個人主義に解体 されてい く社会をつな ぎ止 める 役割を国家に期待 した。 リベ ラ リズ ムは ,アダム ・ス ミスの 『国富論』 が示 す ように ,国民 として結集 した人び との福利 向上をめざす思想であ り,国家 の存在は前捷 され た ものであ ったC マル クス主義 は,国家死滅 とい うアナー キステ ィックなス ローガンを掲げていたが ,近未来 に国家 が死滅す ることな ど考 えたマル クス主義者は一人 もいない。 リベ ラ リズ ムは封 建 国家 の廃 絶 を ,マル クス主義 は封建 国家 あるいはブル ジ ョア国家 の廃絶 を 目指 したが , 自分たちの国家樹立 に よってそれにかえ ようとしたのである。彼 らが 「反 国 家」その ものを 目標 に した ことはない。パ ラ ドックスは ウォーラーステイ ン の レ tl)ックのなかに しかないO リベ ラ リズ ムはそれ 自身矛盾 を内包 してい るが ,その矛盾は近代社会その ものの矛盾 である。その意味 で リベ ラ リズ ムは近代社会を代表す るイデオ ロ ギーであるとい って よい。 しか し,矛盾 の内包 とい うことは ,思想や システ ムとしての弱 さを示す ものではない。む しろそれは強靭 さを示 しているので ある。その矛盾 とは ,個人 の人格的な権利 を追求 していけば ,資本主義社会 の現実に対 して変革 を求めざるをえない ところに あ る。資 本 主 義社 会 は , 様 々な レベルで ヒエ ラルキー的なシステムであ り,下位 の者 に とっては抑圧 的な システムである。市場 において,自由な諸個人が 自由に競争すれば ,そ こに現 出す る世界 は ,力のない者 (システムの下位 の者) に とっては ,自由 のない世界にはかな らない。 システムの上位 の者 の 自由を制限 しな くてほ ,

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マルクス主義理論史研究の課題 (Ⅸ) 373 下位 の者はわずかな 自由さえ享受す ることはできない。平等原理に よって補 完 されなければ,自由の実現は絵空事である。 自由と平等 との間に矛盾が と 言われ ることが多いが,資本主義社会では,自由そのものが矛盾を内包 し, 平等そのものが矛盾を内包 している。社会主義は,その ような 「欺瞳的」 な システムを批判 し,真の 自由,真の平等 をめ ざす運動 で あ った ともいえ よ う。その運動 もまた ,現実態 としてあらわれた ものは,よりいっそ う欺満的 なシステムであったのだがO リベ ラ リズムの理想は,この ように現実態 とな る とただ ちに欺 臓的 とな り,それを克服す る運動は よ り欺満的になる。 これは ウォーラーステイ ン的 にいえば,矛盾か もしれないが ,近代社会の強靭 さは ここにある。現実態 と してのシステムに対す る反抗そのものが ,理念 としての 「自由と平等」を決 して こえることができないのであるO ウォーラーステイ ンが旧左翼崩壊後 あ らわれた といっている 「新 しい社会運動上 すなわちフェミニズ ム運動 ,マイ ノ リテ ィ運動 ,エ コロジー運動な どのいわゆる 「シングル ・イシュー ・ムー ブメン ト」 は, リベ ラ リズ ムが約束 した ものが ,一部の人間に しか保障 され なか った ことにたいす る抗議であ り,保障か ら漏れた者に対す る再保障の要 求であ り,思想的に近代を こえるものではない。 リベ ラ リズ ムに内包 されて いた理想が繰 り返 されているにす ぎないのであるO マル クス主義は,イデオ ロギーとしては リベ ラ リズ ムとは異質である。な に よりもそれは,普遍的解放

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-「千年王国」)が人類史において可能である と考えるユー トピア思想であ り,それが特権的な主体に よってな しとげ られ る

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-

「選民に よる革命」) とい う,特権的主体に よる普遍的解放論である。 現実政治において この二つの側面が薄め られ ることはあっても,マル クス主 義運動やマル クス主義体制を正当化す る際には この論理は不可欠であった。 それは近代社会の矛盾が最終的に消滅す る事態を想定す る点で, リベ ラ リズ ムの 目指す世界 とは本質的に異質である。 フェミニズムに しても,マイノ リテ ィ運動に して も,エ コロジー運動に し - 1 5 1

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-374 ても, リベラ リズムの枠 内での反 システム運動は,近代資本主義 システムに よって,換骨奪胎 され ,飲み込 まれてい く。マル クス主義運動 も現実政治に おいて有効な政策を提起す るときは,実際には 「自由と平等」の適用範 囲の 拡大 と実質化 とい う内容の政策にな っている。 この意味でマル クス主義 も リ ベ ラル化 した とい うウォーラーステイン言い方は妥当す る場合 もあるが,し か し,マル クス主義の核心については妥当 しないのである。 マル クス主義 とリベ ラ リズムとは本質的に収赦 しない。マル クス主義 の支 配す る体制では, リベ ラルな価値は 「ブルジ ァ的」 とい う修飾語をつけて, 公然 とお としめ られ る。 リベ ラル勢力の支配す る体制では,実質的には,ヒ エラルキーの下部の人び とはそ こか ら排除 されているが ,公式には リベ ラル な価値 は称揚 され る。マル クス主義支配 と リベ ラル勢力 の支配 は異質 であ る。 この点を見落 とす点に ウォーラーステイ ンの重大な欠陥がある。 ウォー ラーステインは,パ クス ・ル ソ ・アメ 1)カーナ体制を本質的にパ クス ・アメ リカーナ ととらえ,ソ連の存在を補完的なもの としか見ない。 ソ連がアメ 1) カの支配を補完 していた とい うのはその とお りであるが ,ソ連の体制が リベ ラリズム支配であった とい うような見方は,ソ連圏で生活 していた人び との 現実感覚 とは,ずれ るものであろ う。

4

フランス革命の 「自由」 とか 「平等」 とかい うス ローガンは市場経済の表 層か ら絶えず生ず るもので,資本主義社会の 日常生活に根 ざす ものであるo Lか しそのシステムに満足 している人はそれほ ど多 くない。 「自由 とい って も金持ちの 自由 じゃないか」 とか 「平等 とい って もタテマエだけ じゃない か」 と下層の人び とはい う。19世紀 ヨー ロッパ社会では,この ような感情が 容易に社会主義 と結 びついた。 ここでい う社会主義 とは,商品交換 と私的所 有そのものを否定す るような共同体的社会-の志向を意味 している。 ここで

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マルクス主義理論史研究の課題 (Ⅸ) 375 は リベ ラ リズムと社会主義は対立 している。 ロシア革命の衝撃は,古典的 リ ベ ラ リズムの是正を余儀 な くさせ ,中心部資本 主義 に福祉社会 を生み 出 し た。新 リベラ 1)ズムの支配である.新 リづ ラ 1)ズムにたい しては,上層側か ら 「機会の平等を認めるべ きで,結果の平等な どとい うのは怠け者の言い ぐ さだ」 とい う不満がでて くる. こうして新 ・新 1)ベ ラ リズ ムが登場す る。 新 ・薪 リベ ラ リズ ムは新保守主義 といわれ るが,市場万能論を思想的中核 と している限 り,家族の価値 な どを強調 しよ うとも,19世紀 の保 守主義 とは まった く異質である。 イデオ ロギーとしての リベ ラ リズ ムの歴史を振 り返 ると,新 リベ ラ リズム は,平等主義-の偏 向をつ よくもつ 「逸脱」 であ り,古典的 リベ ラ リズムと 新 ・新 リベ ラ リズムとが,経済活動 の自由を重視す るとい う意味では, リベ ラ リズ ムの本流であることがわか る。ただ し,社会的機能は異なる。新 ・新 リベ ラ リズ ムには,「市場 ゲームにおける強者 の倣慢」 とい う以上 の内容 は 感 じられない (-イ-ク 『自由の条件』など)。 リベ ラ リズムは市場経済 ・資 本主義社会の本来のイデオ ロギーであるといえるが ,市場経済 ・資本主義経 済は社会的分極化を必然化 し, リベ ラ リズムの個人主義は社会的秤を分断 し てい く傾 向がある。そ こで リベ ラルな支配層は伝統的価値や社会主義 の要求 を部分的に と りいれてい くことになる{ ゥォ-ラーステイ ンは これを保守主 義や社会主義の リベラル化 と呼んでいるが ,問題は保守主義や社会主義の変 質ではない。 リベ ラ リズムその ものが,社会的統合力の弱いイデオ ロギーで あるとい うことが問題なのである。 リベ ラ リズ ムは,個 々人の人権 を掲げる思想 でもあるが ,この権利 のカタ ログは際限な く増やす ことが可能である。一方 ,資本主義社会 の現実は この 権利が実際に保障 され る社会層をせ ま くす る傾 向があるのである。人権思想 としての リベ ラ リズムはその徹底を 目指すな らば,資本主義 システムに対す る反 システム運動 とな りうるのである。 ウォーラーステイ ンのい う 「新 しい 左翼」は,「新 しい社会運動」 と呼ばれ るもので,フェ ミニズ ム,マイ ノ リ ー 1

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53-376 テ ィ運動 ,エ コロジー運動 な どであるが ,フ ェ ミニズ ムに典型的にみ られ る ように ,その主張は旧来の リベ ラ リズ ム支配体制が ,自分たちを排除 してい た ことを告発 し, リベ ラ リズ ム原理を 自分たちにおいて も実質化す るよう要 求す るものに他な らない。そ こにはマル クス主義に見 られた千年王国論 的普 遍的解放論 はない。 フランシス ・フクヤマを批判 して ,「旧左 翼解 体後 の世 界 は ,「歴 史 の終 蔦」ではな く, リベ ラ リズ ムの終鳶 である」 とい ってみて も,現実を説 明す ることはで きない。 もはや ,現実的な反 システ ム運動 の 目指す ものは リベ ラ ルな価値 の枠を超 えるものではない。 非 リベ ラル な反 シス テ ム ・イデ オ ロ ギーは,その担い手を見 出 しえな くな っているのである。古典的保守主義は 今世紀初頭にすでに世界の地政文化にその位置を しめていない。1968年か ら 1991年 の過程は ,特権的主体 に よる普遍的解放 とい うイデオ ロギ ー (マル ク ス主義)が磯能す る場 の喪失であ った (1975年 の 「ベ トナム解放」 と 「ベ ト ナム ・カンボジア戦争」がその メル クマールであろ う)。現在 ,リベ ラ リズ ム の枠外か らオール タナテ ィヴな世界を構想で きるのはイスラム主義 な どの宗 教思想 くらいであろ う。 しか しこの ことは 「歴史の終蔦」 を意味す るもので はない。資本主義 システ ムと リベ ラ リズ ムの支配は ,よ うや く本来 の姿をあ らわ し始めた とい うべ きであろ う

(

「資本主義 の歴史 のは じま り」)。 この社 会 は,ヒエ ラルキー的で ,下層 の者には抑圧的な社会であるが ,下層者 の反 抗は リベ ラ リズ ムの実質化 とい う要求に よってお こなわれ る。人間の普遍的 解放 とか解放 闘争におけ る特権的な主体 とかを構想 しない反抗は ,その よ う な形で しかお こなわれないのである。 「自由と平等」 とい うフランス革命 のス ローガ ンを掲げ る反抗運動 を 自ら の うちに抱 えつつ ,その運動 をつねに懐柔 し飲み込みつつ ヒエ ラルキー的で 抑圧的な構造を維持 し続け るシステム,それが近代世界 システムではないだ ろ うか。 とすれば,1789年か ら1991年 はその よ うな システムが本来の姿を見 せ る過渡期で しかない。 アフター ・リベ ラ リズ ムではな く, リベ ラ リズ ムの

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マルクス主義理論史研究の課題 (Ⅸ) 377 支配は ようや く開始 された といわねばな らない。人類その ものの死滅 とい う 事態を別 にすれば,す くな くとも

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世紀 中に この ような システ ムが終 了す る 気配 はない。反 システム運動 は,シス テ ムに巻 き込 まれ る ことを東知 の上 で ,人権 の実質化 を掲げて進むほかに道はない。む しろ,ウォーラーステイ ンの次の発言は ,彼 自身が この ことを 自覚 していることを示 しているのでは ないだろ うか。 「わた したちは想像上 の原子的個人にではな く,無数 の集団に基礎 をお く,新 しい普遍主義 の構築方法 を探求す る必要 がある。 しか しそれにはわ た したちが受け入れ るのを渋 っている,一種 の グ ローバル ・ソーシ ャル ・

リベ ラ リズ ムakindofglobalsocialliberalism thatwearereluctantto acceptが必要である。」(9) グローバル ・ソーシ ャル ・リベ ラ リズ ムの内容が問われ るであろ う。 しか しグローバルだろ うが ,ソーシャルだ ろ うが ,ウォーラーステイ ンも リベ ラ リズ ムか らぬけ られないのだ。だ とすれ ば,松 岡氏の ように

,

「アフター ・リ ベ ラ リズ ム」 とい う看板 を簡単 に真に受け ることはで きないであろ う0

5

ウォーラーステイ ンのマル クス主義論を検討す るまえに,彼 の民主主義論 を リベ ラ リズ ム論 との比較 で見てみ よ う。 ウ ォー ラーステ イ ンは 「よ り公 正」 と 「よ り民主主義的」 とい う言葉が好 きである。 「われわれが関心を もつ のは ,歴史具体的な システムとしての社会主義 だけである。 この よ うな意味での社会主義は ,少 な くとも次 の ような特徴 を もった史的 システムでなければな らないだ ろ う。すなわち平等や公正 の 度合いを最大限に高め ,また人間 自身 に よる人 間生活 の管 理 能 力 を高 め (すなわち民主主義 をすすめ),創造力を解放す る ような史 的 システ ムで なければな らないであろ う

」(10) - 1 5 5

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-378 この ような民主主義に対す る態度 とリベ ラ リズムに対す る態度はまった く 異質である。 ウォーラーステインに とっては,民主主義 とは歴史的に存在す る一つの統治様式ではな く,好 ま しい将来社会につけ る形容詞にはかな らな い。他方 , リベ ラ リズムについては,地政文化的な支配様式 としてのみ処理 されていた。すなわち過去におけるSein としてのみ リベ ラ リズムを捉 えて いるのにたい し,民主主義は人頬が完成すべ きSollenとして取 り扱われてい るO この ような民主主義把握は,人類史上における民主主義の意義を捉 えた もの とは言えない。現実の民主主義が,多数者に よる少数者の抑圧 とい う機 能を果た した り,フ ァシズ ムを招来 した こともあった ことは,問題に されて いない。歴史上の一つの制度 として民主主義 が実存 してい る ことを考 え る と,この ような取 り扱い方は疑問である。 マル クス主義 とマル クスの扱い方に もこれ に似 た疑 問が生ず る。 ウ ォー ラーステインのマル クス主義の処理は,マル クス主義 とマル クスの切 り離 し である。彼は,歴史的に実在 していたマル クス主義運動やマル クス主義体制 を, レーニン主義 と呼ぶ ことで,マル クスその人 とは切 り離 している (エ ン ゲルスや カウツキーについては言及することがあま りない)。 この著作 では, 特に第

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章 「共産主義崩壊後 のマル クス主義」 で,マル クス とマル クス主義 について論 じている。支配的マル クス主義 (マル クス ・レーニン主義)は次 の五つの命題に基礎を置いていた と言 う。(ll) ① 人類の究極の 目標である共産主義社会を達成す るために,必要な第一 歩は国家権力をできるだけ早 くとることであった。 これは革命をお こな うことでのみ可能であった。 ② 国家権力を保持す るためには,いわゆ る進歩的勢力 と/ あるいは労働 者階級が範織 された普遍的な党を作 ることが不可欠であった。 ③ 資本主義か ら共産主義に移行するためには,プ ロレタ リア独裁 と呼ば れる一段階を,つ ま り権力をもっぱ らそ してそ っ くり労働者階級に引 き 渡す段階を通 ることが必要である。

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マルクス主義理論史研究の課題(Ⅸ) 379 ④ 社会主義国家は共産主義的ユー トピアに至 る普遍的で正 しい進歩の道 筋におけ る必然的な段階であった。 ⑤ 社会主義 (権力にある党) の段階か ら共産主義の段階-の移行のため には,「社会主義建設」が,つ ま り国民的発展の追求が不可欠である。 ウォーラーステインに よれば,これ らのマル クス ・レーニ ン主義 (reall y-existingMarxism)の五命題 は,次 々に懐疑的に考察 され るようになった と の ことである。彼 自身 もこの五命題が妥当 しない と考 えているようである。 一方 ,マル クス ・レーニン主義 と区別 されたマル クスの思想の うち,近代世 界 システムの分析に とって,なお有益 で不 可欠 で さえあ る と思 え る四つ の キー ・アイデアとい うものを列挙 している。(12) ① 階級闘争 :階級闘争は不可避的 ,根本的であるとい う命題は,他の形 態の闘争に よっては少 しも論駁 され る ことはないので あ る。 なぜ な ら ば,後者は前者の仮面をかぶ った形であると論 じることはいつで も可能 だか らである。実際マル クスの命題は大いに強化 されているので,多 く の階級闘争が 「諸民族 peoples」 の間の闘争 とい うレッテルでお こなわ れ るとい う主張は,説得的なのである。 ② 両極化 :分析 の単位 として資本主義世界経済を取 り上げれば,二つの ことがわかる.第-に ,窮乏化は世界経済の水準では不変である。--第二に,工業化諸国の労働者階級の実質的収入の上昇に関す る観察は, あま りにも狭い観点に よってゆがめ られている。 (診 イデオ ロギー :イデオ ロギー (マル クス主義を含む)の分析 の重要 さ か ,あるいは この分析に対す るマル クス主義の貢献の重要 さかの,どち らか一つを過小評価すべ きなんの理 由もない。 ④ 疎外 :ある分析者たちは,この概念を 「若 きマル クス」だけのせいに し,それゆえこれを放棄す ることになる。 これは残念 なことだ といえ よ う。 とい うのは,それはわた しにはマル クスの思想の本質的な概念に思 えるか らであるO・・-・疎外 と戦 うことは,人 々peopleを してその尊厳を

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157-380 回復せ しめるため戦 うことである。 ウォーラーステイ ンがマル クスか ら受け継 ぐものだ と考 えるのは,上記の 四点である。 先に ウォーラーステインにおけ る リベ ラ 1)ズムとい う概念 と民主主義 とい う概念を比較 した ところで も見た ように ,彼 は リベ ラ リズ ムは分析 の対象 (Sein) として取 り扱 っているが,民主主義については継承す る (発展 させ る)べ き理念 (Sollen)として取 り扱 っている。ここでのマル クス ・レーニン 主義 とマル クスの思想 との取 り扱いも,同様 の区別がなされている。マル ク ス ・レーニン主義の五命題は過去に展開 された歴史的存在 (Sein) としての マル クス主義運動あるいはマル クス主義体制 のなかか ら抽 出された諸命題 で あ り,ウォーラーステイ ンは現在ではそれは妥当 しない と考 えている。マル クスの思想の四命題は継東 (発展)させ るべ き理念 (Sollen)として取 り扱わ れている。取 り扱いがまった く異な っていているのである。 したが ってマル クスの思想 とマル クス主義 との関連 (継寮 ,発展 ,批判 ,歪 曲,etc.)につい ては問われ ることがないのである。 こうい う慈意的な取 り扱いは,しば しば 思想史の研究者が陥 りがちな陥葬である. このシ リーズで何度 も指摘 されて きた

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「活学活用主義」的な態度ゆえの陥葬 といえ よう。この ように歴史的に 存在 した諸思想のなかか ら自分の気に入 った要素 と,自分が賛成 できない要 素 とを区分 して,並べ立てるとい う行為は,ナマの 自分の思想の表 出にす ぎ ず ,自己満足 としては意味があるか もしれないが,その思想の内容 と機能を 解明 し,さらにその時代の意味を解明す るとい う学問的営為 とはほ ど遠いも のである。 ウォーラーステイ ンは,すでに学者ではな く思想家なのだか らそれで もい いのだ ,とい う言い方 もできるか もしれない。 しか し,マル クス主義のなか か ら四命題だけを継承 した 「思想」 とい うもの も貧 弱 な ものではなか ろ う か。 マル クス主義についてのその ような処理 の仕方が ,マル クスを含めたマ ル クス主義の思想 内容の理解を妨げるものにな っているし,マル クス主義の

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マルクス主義理論史研究の課題 (班) 381 社会的機能の分析を通 じての近代世界の理解について も障碍になっているの である。 た とえば,ウォーラーステイ ンは 「プロレタ リア独裁」概念の妥当性を否 定 していると思われ る。 (歴史的過去においては妥当性を もつ局面 が あ った ことを否定 しているのか否かは不分明だが,現時点におけ る妥当性を否定 し ているのは明白である。)他方で,階級闘争概念の有効性を主張 しているoL か し,『フランスの内乱』をは じめ とす るマル クスの諸テキス トにおいては, 階級闘争概念 とプロレタ リア独裁概念は密接に関連 している。 プ ロレタ リア 独裁を導かない ような階級闘争概念は,マル クス的なものではな く,すでに ウォーラーステイ ン的な ものにその意味内容を変容 させ られているはずであ る。 ウォーラーステイ ンは,プロレタ リア独裁 と無縁 の,自分な りの階級闘 争概念を展開す るべ きではなか っただろ うか。両極化 ,イデオ ロギー,疎外 についてもウォーラーステイ ンは,マルクスに よって語 るのではな く,自分 の概念の意味内容を展開 し,マル クスのそれ との差異を明確化すべ きであろ うo ウォーラーステイ ンのマル クスにたいす る態度は,マル クス ・レーニン 主義か らマル クスを救いだそ うとす る意図に起因す る 「逃げ腰」が感 じられ る。マル クス とマル クス主義 の思想 内容を検討すれば,後者は前者の思想の 核心を継東 し,現実適用性を増加 させたものであることがわか る。(13)ゥ ォ-ラーステイ ンは思想内容の検討を避けているか ら,両者が異質な思想である かの ような議論をな しうるのである。 また,マル クス とマル クス主義 の思想内容の検討の回避は,その社会的機 鰭 (これを地政文化 とい って もよいであろ う)の分析を深みのないものに し ている。世界 システムにおけ る地政文化的 な状況 は地域 に よ り時代 に よ り 種 々様 々である。類似 の志向性を もつイデオ ロギーがある状況では支配の強 化 とな り,ある状況では支配に対す る抵抗 となる。1848年以降を全体 として リベ ラ リズムの支配す る時代であるとい うことは超鳥取的な見方 としては妥 当だ として も,個 々の時期 ,個 々の地域には妥当 しない。 -

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159-382 マル クス主義 とリベ ラ リズムは

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世紀末以来の百年間の地政文化において 重要な役割を演 じてお り,しか もその役割は地域に より時期に よ り種 々様 々 であるOた とえば, ドイツ社会政策学会やオース トリア学派経済学 と ドイツ 語圏マル クス主義 との思想的交錯 ,ロシアの リベ ラ リズムの合法マル クス主 義 としての登場 (ス トルーヴェな ど),戦前 日本における 1)ベ ラ 1)ズ ムとマ ル クス主義 との協力 と反発 (高橋亀吉な ど)やマル クス研究の隠れ蓑 として のス ミス研究 (大河内一男な ど)。これ らの事実は,マル クス主義が リベ ラ リ ズムに吸収 された とい うような言い方で処理できるものではない。 自由な労働力商品の存在 しない社会 ,専制的で独裁的な政治支配の行われ ている社会が,資本主義以前や近代以前の社会ではな く,近代世界 システム のなかにその位置を占めているか らこそ存立 しうることを,ウォーラーステ インの世界 システム論は明 らかに した。近代世界 システ ムにおけ る,労働 ち,政治 も,多様な形態で出現す ることを解明 した世界 システム論の主唱者 が ,地政文化については,平板なイデオ ロギー論に終始 した とい うことは, 世界 システム論が貫けなか った ことを意味 してい る。世界 システ ム論 は , のっべ らぼ うの超鳥取図を提示す るものでな く,特定の時期の特定の社会の 特徴を説 明できる枠阻みでなければならない。 ウォーラーステインの地政文 化分析は,思想史研究の第一段階である各イデオ ロギーの内容分析を欠落 さ せた うえで,その社会的機能を解 こうとしたために,この課題に答えること ができなか った といえ よう。 註 (1)本稿 は,1998年3月31日,小樽 で開催 された 「ポス ト・マル クス研究会」でお こなっ た報告に,手を加えた ものである。松 岡利道氏をは じめ ,有益な コメン トを下 さった参 加者の皆 さんに感謝 します。 (2) 『アフター・リベラリズム:近代世界システムを支えたイデオロギーの終蔦』 (藤原

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マル クス主義理 論史研 究 の課磨 (Ⅸ) 383

書店,1997年)D原著は,AlterLiberalism,New Press,1995.

(3) 『近代世界 システ ム- 農業資本主義 と 「ヨー ロ ッパ世界経済」 の成立- 』 Ⅰ, Il,(岩波書店,1981年),原著,TheModcTnWorld-System:CapitalistAgriculture andtheOriginsoftheEuropeanWorld-Economy,AcademicPress,1974.『近代世界

システム 1600-1750- 重商主義 と 「ヨー ロッパ世界経済」の凍集- 』(名古屋大学 出版 会,1993年 ),原 著,TheModernWorld-System II:Mercanlilism and the Consolidation of the European World-Economy,1600J 750,Academic Press, 1980.『近代世界 システム 1730-1840■S- 大西洋革命 の時代- 』 (名 古屋 大学 出版 会,1997年 ),原 著,TheModernWorld-System III・TheSecoTuiEraofGreat ExJ,ansionoftheCapitalistWorld-Economy,1730-1840S,AcademicPress,1989. (4) 『反 システ ム運 動 』 (大 村 書 店 ,1992年 )O 原 著 は,AntisystemicMovements, Verso,1989. (5)この点についての私の見解については,拙著 『レーニンの経済学』 (御茶の水書房 , 1989年) の第2部 「帝国主義論 と資本主義発展段階論」を参照。 (6) 『反 システム運動』,164頁. (7)『反 システム運動』 におけ る.マル クス主義 ,ナシ ョナ リズ ム,社会民主主義 とい う 三大反 システム ・イデオ ロギーとの関係については ,明確 に語 ってい るわけ ではない が ,旧左翼 とい ういいかたで社会主義のなかに共産主義運動 ,社会民主主義運動 ,民族 解放運動の三つが含め られているように も思われ る。だが ,それでは,民族解放運動 は 社会主義なのか ,ウォ-ラーステイ ンはイェス ともノーともい って い る よ うに思われ るが ,分明ではない。 (8) 『アフター ・リベ ラ リズ ム』,423頁。 (9) 『アフター ・1)ベ ラ 1)ズ ム』,325頁 ,原著,p.215. (10) 『新版 史的 システムとしての資本主義』(川北稔訳 ,岩波書店,1997年),153-54 頁。原著,HistoricalCapitalism withCapitalistCivilization.Verso,1995,p110. (ll) 『アフター ・I)ベ ラ ])ズ ム』,329-336頁 ,原著,pp220-225. (12) 『アフター ・リベ ラ リズ ム』,341-345頁 ,原著,pp.228-231. (13)この点についての私 の見解については,と りあえず平井俊彦編 『社会史思想史を学ぶ 人のために』 (世界思想社,1994年)所収の拙稿 「マル クス主義の展開 とその歴 史 的意 味」を参照。

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