Title
岐阜大学教育学部郷土博物館収蔵村絵図 (岐阜大学教育学部
郷土博物館収蔵史料目録 ; 別冊1)( 本文(Fulltext) )
Author(s)
岐阜大学地域資料・情報センター
Publisher
岐阜大学地域資料・情報センター
Issue Date
2009-03
Type
Book
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Version
publisher
URL
http://hdl.handle.net/20.500.12099/35916
※この資料の著作権は、各資料の著者・学協会・出版社等に帰属します。
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岐阜大学教育学部郷土博物館収蔵史料目録別冊(1)
岐阜大学教育学部郷土博物館収蔵
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図録の刊行にあたって
岐阜大学地域資料・情報センター運営委員(地域科学部准教授)朴澤直秀
岐阜大学地域資料・情報センターでは、地域に関する資料・情報を収集するとともに、そのデータを 広く発信して、学内外の利用に供すべく、鋭意事業を進めている。 その一環として、学内に所在する貴重な地域資料の情報整理・発信を行っている。岐阜大学教育学部 郷土博物館には、1万点をこえる規模の美濃国大野郡高屋村(現本巣市)の古田家文書を筆頭に、3万 点に及ぶ近世・近代文書がある。これらの多くは長良川水系流域を中心とした地域の村々の庄屋家の文 書であり、当該地域の近世・近代を知る上でたいへん貴重かつ内容豊富な史料である。 これらの史料については既に粗々の整理がなされ、岐阜大学教養部教授であった日置弥三郎氏の監修 のもと、『岐阜大学教育学部庶民史料目録』(1)∼(3)(1967年∼1968年)として目録が刊行されて いる。しかしながら、人員・経費の不足のもとで行われた事情もあり、それらの目録は現在からみると 不備が多い。また、史料自体の保存状況も良好ではなく、早急の手当が必要である。よって、これらの 貴重な史料をより広汎な利用に供し、かっ喫緊の課題である劣化防止の措置を講ずべく、2005年度より、 再整理と新規の目録作成とを行ってきた。 その成果として、2006年度には、岐阜大学大学院教育学研究科における2004年度現代的教育ニーズ取 組支援プログラム「教師のための遠隔大学院カリキュラムの開発」との連携のもと、『岐阜大学教育学 部郷土博物館収蔵史料目録』(1)として『美濃国方県郡河渡村村木家文書目録』を刊行した。 本年度は、幸いにして平成20(2008)年度岐阜大学活性化経費(地域連携:一般)として、「岐阜大 学所蔵濃飛地域古地図(村絵図)の公開事業」が採択された。本図録の刊行は、同事業の主要な部分を 占めるものである。同事業は、地域科学部と教育学部との共同事業(申請者:朴澤直秀、共同事業者: 伊東久之〈教育学部教授〉、中尾喜代美〈地域資料・情報センター及び教育学部教務補佐員〉)であり、 遂行にあたっては教育学部より多大なご協力を賜った。なお、本図録の刊行と並行して、岐阜大学図書 館の協力のもとに、岐阜大学機関リボジトリ(http://repository.1ib.gifu-u.aC.jp/)において絵図類 の画像データを公開するので、併せ利用されたい。 本図録で紹介する「村絵図」は、村落景観をはじめとした、地域の過去の歴史的・地理的情報を得る うえで、必要不可欠な資料である。地域研究・自治体史編纂・学校教育・生涯学習など、広汎なご活用 に期待したい。また、本学が収蔵する村絵図は、多数には及ぶが、県内関係の村絵図の一部に過ぎない。 村絵図に留まらず、史料所蔵者・機関など各位と、史料の総合的把握・保存・活用をめぐる情報交換を 進めていければと考えている。そしてそのための学内の基盤整備が一層進められんことを、引き続き希 うものである。次
図録の刊行にあたって 目 次 凡 例 図 版 解 説 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥・‥ 美濃国多芸郡絵図(養老町、大垣市)‥t・‥‥・ 美濃国山県郡絵図(岐阜市、山県市、関市)‥・ 美濃国可児郡絵図(可児市、多治見市、御嵩町) 美濃国武儀郡絵図(美濃市、関市)‥‥・‥‥‥ 飛騨国吉城郡絵図(飛騨市、高山市)……‥・ その他絵図 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥・‥・‥・ 絵図分布図 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥・ 解 題 岐阜大学教育学部郷土博物館収蔵村絵図について 現状記録 村絵図の構成と伝来 村絵図の作成目的 関連史料 参考文献 目 録 7 15 21 30 36 46 64 74 76 82 考察編 村絵図における宗教施設の記載様式 ………・106凡
例
1本図録は、岐阜大学教育学部郷土博物館が収蔵する村絵図のうち、1968年発行『岐阜大学教育学部 庶民史料目録(3)』に収載された「村絵図」の図録である。 2 絵図番号は、上記の『岐阜大学教育学部庶民史料目録(3)』の通りで、この目録に関してほ解題 にまとめたので、参照されたい。絵図の中で、この目録に明記されていないものは、絵図に記載さ れていた番号を追加した。 3 図版の配列は、美濃国多芸・山県・可児・武儀、飛騨国吉城郡の村絵図、その他の絵図の順とした が、絵図番号順にはなっていない。村絵図ほ、郡ごとで村の現在地も考慮し、見開き頁ごとにおお よそ方角を決めて配置している。このうち吉城郡の村絵図は、絵図の作成者が同一であると考えら れるものをまとめている。村絵図以外の絵図は、写真の大きさにもよるが、大体番号順となってい る。 4 図版のキャプションは「番号」、「表題」、「年代」(西暦含む)、「現在地」の順に記載した。年代に は、算用数字を使用し、干支などは省略した(詳細は、凡例6∼8参照)。 5 目録は「写真」(図版掲載頁)、「番号」、「表題」、「現在地」、「年代」、「西暦」、「形態」、「数」、「作 成」、「受取」、「備考」、「石高」の順に記載した(詳細は、凡例6∼14参照)。 6 絵図中の旧字体や異体字は常用漢字などに改めた。破損などで判読不明の部分は□(字数が推定で きるもの)や[](字数が推定できないもの)で表現した。 7 表題は史料に記載されたものを採用し、補足が必要なものは()を付け、その内容を示した。表 題がない史料は〔〕を付け、仮表題を作成した。 8 現在地は、現地名を表記したが、利用者の便宜をはかるため市町村合併前の地名を()に入れた。 9 年代は史料に記載されたものをとり、推定・参考年代は()で記した。 10 形態は、一紙物は一紙とし、料紙が複数継いであるものは続紙とした。冊子物では縦とした。 11数は基本的に1点である。 12 作成・受取は史料に記載された地名・肩書き・人名などすべて記載した。 13 備考には絵図の大きさ(縦×横cm)、彩色の有無、表書・裏書・朱書(「」内に表記)など、以 前の所蔵番号など必要と思われる様々な情報を記した。 14 石高は、木村礎校訂『旧高旧領取調帳』(近藤出版社、1977年)に記載の明治元年取調旧高を記載 した。相給村の場合、幕領(笠松郡代支配所・高山郡代支配所)以外の旧領名は記載した。 15 本図録の中には、身分的差別に基づく名称が記載されているものもあるが、人権尊重に資する目的 で身分的差別の実態を歴史的に研究し、その根絶を期する一助とするため、そのまま掲載した。 16 史料の閲覧の際の連絡先は下記の通りである。 〒501-1193 岐阜市柳戸1番1 岐阜大学教育学部(本館)5階 m O58-293-2223 または058-293-2209 *史料などの閲覧には、事前予約で対応。詳細は、上記連絡先まで。図
版
解説 岐阜大学教育学部郷土博物館収蔵村絵図とは、江戸時代から明治時代にかけての絵図で、総点数は 183点に及ぶ。その内の157点は、美濃国多芸・山県・可児・武儀、飛騨国吉城郡の村絵図で、現在の養老町・ 大垣市・岐阜市・山県市・関市・可児市・多治見市・御嵩町・美濃市・飛騨市・高山市の範囲にわたる。他 に中山道河渡宿図・美江寺宿図や野論・水論・境争論など裁許絵図の写、屋敷図面、木版印刷の美濃国大絵 図・大日本輿地便覧などが含まれている。 上記の村絵図の内、そのほとんどが幕領(天領)の村であるが、一部尾張藩領の村もある。この村絵図の 作成年代は、不明なものもあるが、おおよそ1700年代末から1800年代にかけてのものが中JL、となっている。 主として措かれているものは、村の田畑、川・用水、道、山林などで、現在の地図とは違い、景観のすべて を図示している訳ではない。村絵図の多くは、検地や領主・代官の交代、村境や用水の訴訟、河川工事、役 人の巡検など、さまざまな目的によって作成されたため、その目的に必要な情報のみが描かれている場合が 多いのではあるが、当時の景観の一端を理解するためには欠かせない資料である。村絵図以外の史料では、 村の概況を記した村明細帳(現在でいう市勢要覧のようなもの)も村の景観を知るための参考となる。多く の自治体史に収録されており、岐阜県歴史資料館にも多くの明細帳が収蔵されている。 このような村絵図の多くは、彩色がほどこされ、田や畑、川・用水路、道、山林などが色で区分されてい る。田は黄色、川・用水路は青や水色、道は赤色、山林は緑や黄緑色など、ある程度決まった配色がなされ ているが、そうでないものもある。ほとんどの絵図面には、色分けの凡例が示されているので、何をどのよ うな色としたのかは確認することができる。また、現在の地図とは異なり、必ずしも北を上にして描いてい る訳ではない。絵図に記載された文字の向きも統一されておらず、どの方向からも読み取れる文字がある場 合が多い。縮尺に関しても、中には正確な絵図もあるが一定しておらず、建物などは強調して描いているこ ともある。 本図録では、破損のため撮影が不可能であった絵図(47塩河村)を除き、絵図の写真はすべて掲載してい る。絵図の写真は、頁数の都合もあり、大きさは一定してないが、村絵図の画像データは岐阜大学図書館の 協力のもと、岐阜大学機関リボジトリ(http://repository.1ib.gifu-u.aC.jp/)にて公開を予定している。 図録では、美濃国多芸・山県・可児・武儀、飛騨国吉城郡の村絵図、その他の絵図の順で配置したが、目録 番号順にはなっていない。村絵図の場合、郡ごとで村の現在地も考慮し、絵図の東を上にしたり、西を上に して配置するなど、見開き頁で東西南北の方角をおおよそ固定している。このうち吉城郡の村絵図は、絵図 の作成者が同一であると考えられるものが多かったので、それらの絵図をまとめて、配置している。村絵図 以外の絵図は、写真の大きさにもよるが、大体番号順となっている。 村絵図ごとに解説は付していないが、まず郡ごとの特色、現在の地形図との比較を記し、「耕地(田・佃)」 「川・用水」「道・境界」「山林・原野」「集落・建物(神社・寺院・高札場・郷蔵など)」など、項目をたて 関連する絵図を取り上げた。絵図の分布図については、おおよその位置を20万分の1地勢図に図示し、図版 の最後に載せた。絵図に記された年代、その作成者や受取先などは、すべて目録に掲載している。関連資料・ 参考文献などは、解題末尾にまとめたので、参照されたい。 美濃国多芸郡(養老町、大垣市)の村々は、輪中地域であり、堤防や堀田がはっきり描かれているものが 多い。尾張藩領の村が、4か村ある。美濃国山県郡(岐阜市・山県市・関市)は、年代が判明する絵図では 天保期以降(1830年代以降)のものが多く、田・畑の位置を中心とした村の概略を描いたものが主となって いる。可児郡(可児市・多治見市・御嵩町)の村絵図の中には、村の景観を一番詳細に描いた絵図が数点残 されている。美濃国武儀郡(美濃市・関市)では、一か村で4、5点以上の絵図が残っており、年代不明なキ賂灯軋ト ・・・、_-∴ 左上:34〔美濃国山県郡赤尾村境切所・砂人絵図〕、右上:26〔美濃国山県郡伊佐美村絵図〕 左下:40〔美濃国山県郡西探瀬村絵図〕、右下:42(美濃国山県郡東深観相)耕地絵図 ものもあるが、村の景観の変遷を考える辛がかりとなると思われる。飛騨国吉城郡(飛騨市・高山」市)の絵 図は、同一年代のものがまとまっており、先にも述べたが絵図の作成者が同一と思われる絵図が多数残され ている。その他の絵図の中には、裁許絵図の写や、場所などが特定できない村絵図や屋敷図面、岐阜県師範 学校の時に収集された絵図なども含まれている。 村絵図と現在の地形図とを比較してみると、その地域の変遷の一端をたどることができる。一例として、 26伊左実相・34赤酎寸・40西深瀬村・42東深瀬村(現在の山県市域)の村絵図と、2万5000分の1.地形図 (岩佐)を取りとげたが、まず川筋の変化が読みとれる。図の北西から流れてくる川が鳥羽川で、北東から 流れてくる川が椎倉川である。村絵図にも両河川が描かれているが、34赤尾村の絵図を見ると、鳥羽川が蛇 行して流れているが、地形図では直線的になっていることが確認できる。集落(居村)は、4か村の村絵図 を見ると、丘陵に沿って点在しているが、現在の地形図でも、それは同様である。また、耕地も村絵図と同 様に田地が中心となっている。最後に、この4か村の、村の描かれ方に注目したい。一般的に村絵図は、縮 尺は統一されておらず、現在のような正確な測量に基づいて作成されたものではないと言われるが、ここで 取り上げた村絵図は、村々の概略を的確に捉え、山々の描かれ方などは実感に富んだものと思われる。
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一コ■ 「 「 几 二■r■ヂ∵∵ ヽ∴ .・ノ ィ 、\′ノ 一--‥ ■-・・一 国土地理院発行の2万5千分の1地形図(岩佐):絵図の描かれたおおよその範囲を色線で囲んだ。 ピンク色:赤尾木 、水色=西深瀬村、緑色:伊佐実相、オレンジ色=東深淵村 -、 ∴ ■lノ 、ぅ′耕地(田・畑) 田は黄色や、色分けしないで「田」と善かれているものが多い。数は少ないが、オレンジ色やピンク色、 茶色、薄茶色、緑色で表現されているものもある。また「水田」、畑も含め「田畑」「耕地」と文字で記され ているものもある。爛は、田や居屋敷と同じ色となっている場合もあるが、色分けせず「畑」「畑方」と記 載したり、緑色や黄色、ピンク色、オレンジ色で表されているものもある。村絵図を見ると、佃は集落の周 りに所在し、その周囲に田が広がっている場合が多い。 多芸郡の耕地の特徴としては堀田(水田の植え付け面を高くするため、田の一部の土を掘り下げ、その土 を隣接する田に盛って積み上げたもの)があり、4横曾根村、5江月村、10蛇持村、13根古地新田の絵図で は、上を掘り下げた場所(掘潰れ)と土を積み上げた場所(瀬上げ田)がよく表現されている。 吉城郡の村絵図の中には、焼畑の場所が描かれているものがある(118保木村、121上ヶ島村、122森安村、 123羽根村、125高牧村、126月ヶ瀬村、128西忍村、129三川原村など)。それは山の東から南斜面にかけての、 日当たりの良い場所に描かれているものが多いが、そうでないものもある。 71・72・75小屋名村の絵図からは、現在の区画整理以前の江戸時代の田の形が確認できる。71小屋名村絵 図の田では、無地の田と黄色の田があるが、無地の田が幕府領で、黄色の田は旗本領の田である。 参 考:岐阜県博物館編集・発行『輪中と治水』(1990年)、溝口常俊「飛騨白川郷の焼畑」(『日本近世・ 近代の畑作地域史研究』名古屋大学出版会、2002年) 川・用水 川は、青色や水色で描かれる場合が多いが、うすい茶色などで表現されているものもある。絵図には、川 に作られた色々な施設をみることができる。川の堤防は、黒色で太い線で描かれている(3明徳村∼16大坪
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60(美磯国武儀郡八幡村)耕地絵図:田は黄色、居屋敷と畑はピンク色、ため池と用水路は青色、堤防は黒色、道は 赤色、荒地は灰色で表現されている。小字も記されているコ71〔美濃国武儀郡小屋名村絵剛:田は無地と黄色、畑は灰色、川は薄茶色、道は赤色で表現されている亡絵即〕一辞 下に流れているのは郡上川(長良川)で、中央に流れているのは捧保川である。津保川の左矧こは井堰が見えるし. 村、22掛村、29十ヶ村絵図、39藤倉村、60八幡村、92∼96下有知村、97四日市場・′卜倉村など)。多芸郡の 村々は輪中地帯であるので、村を取り囲むように堤防が描かれている。また24加野村絵図では、郡上川(長 良川)に沿って、3つの堤防が築かれているのが見える。川の水勢を弱めるため、岸から川に突き出L.た小 堤防の猿尾が描かれているものもある(4横曾根村、5江月村、49可児川、154河渡宿など)。これらの堤防 が切れ、水害にあった箇所を明示した絵図ら多い(3-2明徳村、15金屋村、22掛村、24加野村、34赤尾村、 38戸田村、41西深瀬村、43東深瀬村、54長瀬村、55野中村、57北村、66横越村、67′ト崖名村、81・83極楽寺 村、88笠神村、96 F有知村、97四【]市場村・小倉村など)。そこでは堤防の切れた場所や、「石砂人」「水圏」 などの水害による被害状況などか表示されている。また、堤の境界をめぐる訴訟が発生し、その判決文を記 した絵図もある(166今ヶ淵村)。 田畑の農作物の生産のために水は不可欠なものであり、村絵図の中にも多くの用水路・排水路が描かれて いる。例をあげると、25三輪村絵図では、用水の水(薄い緑色)が水田に引かれていることが見える。76∼ 79山田村絵図では、村の西を流れる津保川の上流部から水を引き、その用水路は田をめぐり、悪水は村の南 へ流れこむ谷川へ排水していることが確認できる。水を取水したり、要水を排水するための施設(堰や玖、 樋など)も描かれている場合が多い(6大跡村、7大跡新田村、8飯木村、10蛇持村、11祖父江村、12飯積 村、13根古池新田、15金屋村、16大坪村、48比衣村、49可児川、58・61八幡村、67∼73・75小屋名村、80・ 82・84∼86極楽寺村など)。用水の取水口をめぐっては、絶え間なく争論が起こることもあった(164金谷井 論裁許絵図写・165番水所争論裁許絵図写など)。また、用水の水源としてのため池が描かれているものもあ る(3ト2佐賀村、44船岡村、45-1・45-2野市場村、・46宮瀬村、52大針村、58∼61/し幡村、82・84∼86極楽
寺村、92-95下有知村など)。吉城郡の村絵図では、用水は小谷の水を引いている場合が主で、その小谷が 描かれているものが多い。 絵図を見ると、その当時の川筋が措かれているものもあり、71∼75小屋名村絵図からは、今川の変遷を確 認することができる。127・145杉原村絵図には、安政5年(1858)の大地震によって崩壊した滝、「鱒川御 運上場所」の川筋が描かれている。 参 考:塚本学「用水普請」(永原慶二・山口啓二編『講座・日本技術の社会史6 土木』日本評論社、 1984年) 道・境界 道は、例外もあるが赤色で表現されることがほとんどで、絵図からは村の 中を道がどのように走っていたのかが見える。道と水路の交差する箇所では、 橋が表現されている場合も多い。川を渡る時も、橋が措かれていたり、「渡 舟」「渡船場」「船渡」と記されていたり、船の絵が描かれていたりする所も ある(24加野村、29十ヶ相通合絵図、80・82・85極楽寺村、129三川原絵図、
ー154河渡宿絵図など)0但し、何も描かれていない所もあり、絵図からはそこ
に橋があったのか、渡船であったのか不明なものもある。 五街道の一つである中山道が可児郡の絵図に描かれており、45-1野市場 村・46宮潮村絵図では赤の太い線で、48比衣村絵図は彩色では無いが、一里 塚や街道筋の木々が植えられているのが確認できる。45-1の絵図で、中山 道の西端から南西に向かって伸びているのは名古屋へ向かう街道である。 15′壬河渡宿絵図、177美江寺宿絵図では、中山道の宿並みが丁寧に描かれてお り、一里塚も見える。吉城郡の絵図には、飛騨国と越中国(富山県)や信濃 国(長野県)とを結ぶ街道が描かれており、越中国との国境には、ロ留番所 (高山御役所より地役人が交代で出張する小規模な関所。主要道の国境に置 かれ、通行人改めや通行税の徴収などが行われた)が置かれた。この口留番F
114〔飛騨国吉城郡谷村絵図〕: 宮川を越える駕籠渡しが 見える。 所が123・134羽根村、124小豆沢村、138加賀沢村、143ニッ屋村の村絵図に描かれ、124小豆沢村の口留番所 には抜荷を防ぐための柵が設けられている。114谷村絵図には、谷村と越中国(富山県)蟹寺村を結ぶ駕籠 の渡しが描かれている。この付近の宮川の両岸は切りたった崖であったため、両尉こ命綱を張り、それに駕 籠をつり下げて、人や物を運んだ。なお99中尾村にも、天保6年(1835)になると口留番所が設置され、飛 騨と信州とを結ぷ新たな道が開かれた。村と村との境界は、明確に境界線を描いている絵図もあれば、隣村 の村名を記してあるだけのものもある。44舟岡村・45-1野市場村絵図は、他村との境界線を黒く太い練で 記している。124小豆沢村では、越中国加賀沢村との境目に、墳塚(石を積み上げたもの)があったことが 見てとれる。 参 考:岐阜県博物館編集・発行『川に生きる一水運と漁労-』1994年 山林・原野 山林は、緑色や黄緑色、灰色などで表現され、美濃国の絵図の山林には、「御林」や「御林山」と記され ている箇所がある(1・2白石村、3→2明徳村、26伊佐美村、27-1門屋村、27-2世保・溝口村、3ト1佐賀村、 32福富村、35梅原村、36高木村、37石原村、39藤倉村、45-1・45-2野市場村、50沢渡柑、52大針村、58∼61 八幡村、77∼79山田村、80・82・85・86極楽寺村、90笠神村、92∼94下有知村など)。これは、幕府が管轄124(飛騨国)吉城郡小豆沢村絵図:絵図の中央部に御番所(口留番所)と柵、木戸などが描かれている亡番所の前を 通る赤く太い線が越中西街道で、他の赤い線は村の道である。越中国加賀沢村との境界には境壕が築かれていた.。 絵凶下の薄茶色で措かれているのは、宮川である。 する山林のことであり、その箇所の木々が丁寧に描かれている場合も散見する。また、御林があることを明 示するための高札が描かれていることもある(31-2佐賀村、35梅原村、36高木村など)。1白石村絵図は幕 府の御林改めに際して描かれたもので、御林の面積なども記載されている。御林は、各村の明細帳を見ると 多くは松林であった。 また、「百姓持山」や「百姓林」、「抹場」と記載さ れた場所(45-1野市場村、56野中村、83極楽寺村な ど)は、村人が共同利用する山林・原野を指す。そこ は、村人らによって牛馬の飼料や田畑の肥やしとなる 草木、燃料とするための薪などを採るために利用され ていた。このような原野をめぐって、村同士の訴訟も 多く発生し、その裁決を示すため絵図も描かれている (153矢道村・榎戸村と綾戸村絵図)。御林でも許可を 得れば、村人は肥料や燃料となる落葉や下草を採るこ とが可能であった。 39藤倉村絵図では、山の土砂がくずれてくるのを防 ぐための「砂石留」が黒の太い線で描かれている。こ の砂石留は、藤倉村にしか描かれていないが、村々の 村明細帳を見ると、多芸郡や山県郡の各村で砂石留が あったことが確認できる。山林・原野は、牛馬の飼料 や田畑の肥料、薪などの燃料などを得るために利用さ れていたが、過度な採取は土砂災害を発生させ、その 56〔美濃国可児郡野中村絵図〕:居村の北から西にか けて株場、百姓林、御林が表現されている。居村の 北の、大原川を越えた所に県大明神があり、居村の 北端に寿教寺、南端に御高札(場)が見える。
土砂が河川の川底の上昇を招き、洪水被害の大きな原因の一つとなっていった。 参 考:千葉徳爾「近世中末期美濃地方の丘陵地における林野の荒廃について」(『近世の山間村落』名著 出版、1986年)、水本邦彦『日本史リブレット52 草山の語る近世』山川出版社(2003年) 集落・建物(神社・寺院・高札場・郷蔵など) 美濃国の絵図では、集落は白地で「屠村」や「屋敷」・「居屋敷」と記載されていたり、畑と同じ色で区 分けされていたりする。家屋の絵が描かれていても、家の戸数を表していることはないが、集落がどの辺り にあったのかを、判断する材料となる。飛騨国では、家屋を○や□で表現したり、人名を明記していたりし て、村の戸数を読み取ることが可能な村も多い。寺社に関しては、考察編(pp.106-138)を参照されたい か、美濃国では、村にあるすべての寺社が描かれている絵図は多くはない。92∼95下有知村の龍泰寺は朱印 寺であり、他の村絵図と比較すると、寺院が強調されて表現されているように思われる。飛騨国では、表現 は様々ではあるが、村にある寺社を描いている場合が多い。 村内には、キリシタン禁止などの重要な法令を板札に記した高札場や、年貢米などを一時的に保管する郷 蔵があり、それが表現されている絵図もある(36高木村、37石原村、44舟岡村、46宮瀬村、50沢渡村、52、 大針村、53石森村、56野中村、58八幡村、88笠神村、102信包村、112稲越村、114谷村など)。 36高木村絵図に描かれていた灯籠は、現在も確認でき、天保5年(1834)の銘があった。 36〔美濃国Ill県郡高木村絵図〕:村の中心部に御高札(場)があり、その隣の建物は郷戯と思われる.=.絵図の右端の 川は、戸羽川(鳥羽川)である[.川沿いに描かれている灯籠や寺(多福寺)、「】山杜・天王社は現在も確認できる。 絵図の Fに御林が見えるが、御林の高札も描かれている。
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1〔美濃国多芸郡白石村御杯改絵図〕文政4年(1821)4月 養老町・-も
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3-2 美濃国多芸郡明徳村七月十八日谷川切入水損場図 養老町 吋妙-1き√二一ナ∴よ.
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■ヽ申隻-3-1〔美濃国多芸郡明徳村絵図〕 文久元年(1861)9月 養老町 」二・1予 8〔美濃国多芸郡飯木村絵図〕養老町℡
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6〔美濃国多芸郡大跡村絵図〕蓉老町 七∴・こ▼ ・一・-● 【・-じ-■-■■-4〔美濃国多芸郡横曾根村絵図〕 明治5年(1872)2月 大垣市・-・J・・・ -卜し・、、圭、、-∴ ・戴叔
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10〔美濃国多芸郡蛇持村絵図〕 壬申(1872)3月 養老町 11〔美濃国多芸郡祖父江村絵図〕養老町←__哀
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..こ■コ■● 9旧 ・ご警 9〔美濃国多芸郡飯田村絵図〕明治5年(1872)養老町ヽ;h喝卑 む
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五 っr 小叫 卸 下 ■戸 --・ト 1■ I折 専 仙 ■ ∴ ∵・● い 「ノ 16(美濃国) 多芸郡大坪村新地絵図面 養老町 12〔美濃国多芸郡飯墳村絵図〕 養老町 15〔美濃国多芸郡金屋村凝切所ー…ト■----1rLhlLrl り王.首
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小、・・け・ド・・㌧八・.㌣トいぃ{≠・-封媒 5〔乗浪国多芸郡石津庄江月村絵図〕明治5年(1872)2月 養老町連
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▲■、 一r・良市 け上層∴!.一・
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14〔美濃国多芸郡有尾新田・津屋新田絵図〕 養老町・■.=ろ也-「■座 _ サーセノ ー盲叶. Y オー賀J ヽ・ミ.r ■ ■ ず 一叫 ご又・. 一労`;・ 〉.コ 竃 .1へー、 ∴サ′′いヾ 上トナァト一 ・⊥▲⊥▲
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√一‥■n) 18〔美濃国山県郡干疋村絵図〕 天保9年(1838)8.目 関市 ・ヽ・・∴ 卜 山 可 可 Jヽり→ L ヴ ■、■ l ・.■Jヽ . .,・・、・u\、
り▼一▼ 喀芯 、\ ノ\ 喀 † 季■■」マ 咤笛 三・・¢ て′ 噂写 こ■′ ふ ▼、1【チノ鷺l】「・′、
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17〔美濃国山県郡干疋村耕地鹿絵図〕 天保7年(1836)9日 間市 †し 38 濃州山県郡戸田村人水切所現地絵図 閲市●¶弓わ三
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--h:トーぺ、 七夕 一勇一捜 峨 27-2〔美濃国山県郡世保村・港口村絵図〕 嘉永6年(1853)9月 岐阜市一′●
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37〔美濃国山県郡石原村絵図〕 春永6年(1853)9月口 岐阜市亨写撃
欄上貞・半 ●●0 つ-28〔美濃国山県郡落村絵図〕 嘉永7年(1854)8月 岐阜市 ふ吏讃・、‥・症甘
29十ヶ相川適合絵図(美濃国山県郡宮上村、三輪柑、植野 村、千匹村、茂地相、古市場村、中屋村、世保柑、溝口村、 加野村)明治4年(1871)11月 岐阜市・関市 24〔美濃国山県那加野村荒地成絵図〕嘉永3年(1850)8月 岐阜市野
20〔美濃国山県郡北野村耕地絵図〕天保9年(柑38)8月 岐阜市 32〔美濃国山県郡福富村絵図〕岐阜市讐
27-1〔美濃閲11_】県郡門屋付絵図〕 嘉永6年(1853)9月 岐臣市ノ/ 42(美濃国山県郡東探瀬村)耕地絵図 山県市(高富町) ■▲れ
押」分
一‥∵... ・Jヽ・‥捕…‥ヰ郎.
ンノそ■て さニ◆こす・-43〔美濃国山県郡東探瀬村水腐り地絵図〕 山県市(高富町) 叶▲†
亡・ 19〔美濃国山県郡高富村耕地絵図〕天保7年(1836)9月 山県市(高富町)34〔美濃国山県郡赤尾村堤切所・砂人絵図〕 山県市(高富町)
40〔美濃国山県郡西深磯村絵図〕山県市(高富町) 41〔美濃国山県郡西探瀬村水腐り地絵図〕 山県市(高富町)
23〔美濃国山県郡大桑村絵図〕 森永2年(1849)9月 山県市(高富町) 33〔美濃国山県郡椎倉村絵図〕 山県市(高富町)
ノ′・イ・れ
26〔美濃国山県郡伊佐美村絵図〕嘉永4年(1851)9月 山県市(高富町)21〔美濃国山県郡小倉村周辺絵図〕 天保9年(183S)9月 山県市(伊自良村)
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か㌢サ 97(美濃国山県郡)耕地四日市場村=小倉村人交絵図面 (堤切所絵図)山県市(伊自良付) 39(美濃国山県郡藤倉村)耕地絵図 山県市(伊白良村) ザ糾攣■し-31-2〔美濃国山県郡佐賀村絵l靴 LLl県市(高富町)35〔美濃国山県郡梅原村絵図〕 山県市(高富町)
36〔美濃国山県郡高木村絵図〕 山県市(高富町)
45-1〔美濃国可児郡野市場村絵図〕 孝和2年(1802)5月 可児市 q予壷一丁≠旬1市 †●●●■心1▼】 \t11 -1■11. √◆
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● 22〔美濃国山県郡樹村石砂人・川欠絵図〕 天保14年(1843)9月 山県市(伊自良付)UUγ甲 ・・Y与Y7 「…竜年貢=三言 -・-:・ -・-一---ノ/二 l一Y一. ▼ノ▼1 -・
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44〔美濃国可児郡舟岡村絵図〕 宇和2年(1802)5月 可児市 49 可児川絵図 嘉永2年(1849)12月 可児市53〔美濃国可児布石森村絵図〕 明治2年(1869)9月 可児市
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52〔美漁国可児郡大針村絵図〕文久元年(1861)9月 多治見市 }iヰ・l▲r月・・rミヾ● .■言●i 心・山£ く・甘ト■・ ■ミiもぐ一首由う
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48〔美濃国可児郡此衣村絵図〕 嘉永2年(1849)12月6日 御嵩町 、・. 飢 一 ■ ヽ 砿■噂J三=其 ¶・ぺやヰ」⊂ 憧tl、〔 「 二こ1 _ノ ぺ-〕恕 ・】■■-ノ/(\、\ノ
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†芸づ‥竹折
56〔美濃国可児郡野中村絵図〕多治見市 55【美濃国可児郡野中村荒地・川欠絵図〕多治見市 54〔美濃国可児郡長瀬村川欠・石砂人絵図〕多治見市 57〔美濃国可児郡北村荒地絵図〕多治見市ーフ こ.′ ゝ′ \た:. 、 ◆∵ \∴き・■■ `げ ヴー≠ニ「ニこ、-,
打・‥き.
・草.-:・、 ■∴カケ禦・ r■至・ 蒜_・「ユヾ-′ +、ンこ ■・ -・、ヽ 。tこ. ノ 廿里十一旦‥+王___-ノ
㌢ ノーーー■1 一■ - ヽ ■l ヱ・ -■ヰ・さ--■、-・† .'1f
言・-.T ‡ ㌻∵ ▼ !′ ■ 58〔美濃国武儀郡 八幡村絵図〕 ′ 天明2年(1782) 8月 関市(武芸川町) 59〔美濃国武儀郡八幡村絵図〕 嘉永7年(.1854)8月28日 関市(武芸川町) 61〔美濃国武儀郡八幡村絵図〕闇市(武芸川町)76〔美濃国武儀郡山田村絵図〕 嘉永3年(1850)9月 閑市 78〔美濃国武儀郡山田村絵図〕 万延元年(1860)9月 問市 77(美濃国武儀郡山田村)耕地絵図 嘉永5年(1852)9月 関市 ーh・、・: マ,`干 f 79〔美濃国武儀郡山田村絵図〕関市
67〔美濃国武儀郡小匿名村水冠・砂入所等絵図〕 嘉永3年(1850)8月 関市 69〔美濃国武儀郡小屋名村絵図〕 喜永7年(1854)8月 関市 68〔美濃国武儀郡小屋名村絵図〕 嘉永3年(1850)9月 関市
72〔美濃国武儀郡小屋名村絵図〕閏市
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73(美濃国武儀郡小屋名村)耕地絵図薄・ --、一 瑚I脚 0◎●●0 小川ト…}
随鳥イ・/
声地 心ゝ守一ござL>ノソJ..1鞋∵∼
↓転
1J・㌧
′_l二且-⊥、--ニーさ・-ト ー◆--■、t-> 75〔美濃国武儀郡小屋名村絵図〕関市 93〔美濃国武儀郡下有知村絵図〕 慶応元年(1865)関市 .む・ミ3,1 92〔美濃国武儀郡下有知村絵図〕 万延元年(1860)関市笹津も.ニ凧
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・l l・'† ■l l J† ・も 96〔美濃国武儀郡下有知村上知分川成石砂入・古料河原 成絵図〕闇市∠
十も・べてゴ 63-1美濃国武儀郡横越村耕地絵図 嘉永6年(1853)9月 _美濃市63-2 美濃国武儀郡横越村耕地絵図 嘉永7年(1854)日月 美濃市 65 濃州武儀郡横越村耕地絵図 美濃市
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○ ■○ ● ① ●① ′′′∫ 9長ユニ■d・叫γr つ ○耳⑪⑪①① l ・-● 匂 ■ 1宰 椒1だ烏て ⊥⊥ べゝ 公トぞ♪箪 ■t恥l∴・
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66〔美濃国武儀郡横越相川欠絵図〕美濃市82 こ美浪国武儀都極楽寺村絵図〕 嘉永3年(1850)9月 美濃市 84〔美濃国武儀郡極楽寺村絵図〕美濃市
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(美濃国武儀郡極楽寺村)当申耕地絵図面 万延元年(1860)9月 美濃市「1
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F 81〔美濃国武儀郡極楽寺相川成・川欠絵図】 嘉永7年(1854)閏7月 美濃市 83〔美濃国武儀郡極楽寺村御林付近欠所絵図〕 森永7年(1854)6月 美濃市 ノ」.、 ノ弓ゝノ ・′く .γ電嘗
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0〆人∬ ロイ入洲 一・′一 台■∫人パ、 ■一人▲ \ 、 -′′「\\ ,r-鴬Jり 即(美浪国武儀郡笠神村)当申耕地絵図面 万延元年(1860)9月口 美濃市88〔美濃国武儀郡笠神村川欠・芝成所絵図〕美濃市 90〔美濃国武儀郡笠神村絵図〕美濃市 89(美濃国武儀郡笠神村)耕地絵図 美濃市 ぺ▲綱犠 一鴫ミ叫モて 91〔美濃国武儀郡笠神村絵図〕美濃市
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常う
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●水足 ◎かぇ
√.乱数--メ鮮紅、\、∴
\ ノー事ヨl準珠♂等漂珊㌔車
∴魚h 103〔飛騨国吉城郡柏当村絵図〕 文化元年(1804)5月 高山市(上宝村)有嘉智①封
貨諺作ゑ」
ゑ亀璃がふ蛋
葱鰭
、=.一缶・
101〔飛騨国吉城郡福地村絵図〕 文化元年(1804)5月 高山市(上宝杵)憲舶福筆・
鎗ふ電化上蓋工
丈牢番胚}亀
.ト川場」紘一り島
99〔飛騨国吉城郡中尾村絵図〕 文化元年(1804)5月 高山市(卜宝村)多ヰ支署セ
ゑ気摘録儀
毒員み
.-・げ--享人魚乳
マY● 瑠≠● ㌢ュ.1占 l一々せ,○ ヽ .、--一・整
/一癖 頑 棄て=官吏 諒9.ノ0♂▲モノ/へて
匂ゎ0血♂0崩
/ ノヘ(_へ__▼_{/ 軋■ニ㌢/、 ・こ=芦7三鷹王:∴
垣 107〔飛騨国吉城郡蓼俣村絵図〕 文化元年(1804)5月 高山市 しL宅柑)豪農催封
卑風え盈友愛
議解
離苛
106〔飛騨国吉城郡赤稲村絵図〕 文化元年(1804)5月 高山市(上宝村)百恵訝鹿沼
倦風音堂品エ
r、÷肯料去
・ト軒途
獣甘㌧〓・
105〔飛騨国吉城郡笹島村絵図〕 文化元年(1804)5月 高川桁(⊥宝村)・、わ‥耳バが
‰修一屋上鳥エ
・主∴-塗
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ロ専心布 壌∫香川町Nい -芽、か・雪.且「トノ
□●¢●●∴-ご'茂
,・々 机= 督励毘 116〔飛靡国吉城郡野首相墨引絵図〕 文化元年(1804)5月 飛騨市(神岡町)ん乍・倉岳笥
、軒
113〔飛騨国吉城郡東雲村墨引絵図〕 文化元年(1804)5月 飛騨市(神岡町)皇肩〓紺郎
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108〔飛靡国吉城郡阿曽保村墨引絵図〕 文化元年(1804)5月 飛騨市(神岡町)靡領鯛媚
喜好=蒜離
そ普J亨⑳
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115〔飛騨国吉城郡山田村葛引絵図〕 文化元年(1804)5月 飛騒市(神岡町)
逢しi済ハ
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111〔飛騨国吉城郡瀬戸村絵図〕 文化元年(1804)5月 飛掛市(神岡町)餞和
宣L迂升て㌔を苛
々み都農㌣
110〔飛騨国吉城郡打保村絵剛 文化元年(1804)5月 飛騨市(神岡町) 去往-九∼一千1・■-。。七†、
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与。:。.脳風脚
密室暦筈磐笹怠
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109〔飛騨国吉城郡本郷村絵図〕 文化元年(ほ04)5月 高山市(_.ヒ宝村)
仲良鮒
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一_.二才■/ ヽ、 泉・-・▲ l∠∵_
■一「--・ノーーーー 薄雲ニー料 112(飛騨国)吉城郡稲越村・大木村・芦谷村墨引絵図 文化元年(柑04)5月 飛騨市(河合村) 一一て、、、 \ こ 1 .了∴∴、.」・ノ▲†・ノ・轟1融珊綿
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野鶴 -・1・■J 臥ざ 孝急 画 土■肘 104〔飛騨国吉城郡笹ヶ洞村絵図〕 文化元年(1804)5月 飛騨市(古川町) 、一声職.ホ 100〔飛騨国吉城郡寺地村絵図〕 文化元年(1804)5月 飛騨市(古川町) 事モよ・■ 官F・人中イ幣∴・Y
・人化ん▼アナr、--ユ
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\----一一ノ・- ∼こトト -、 そ・ 102【飛騨国吉城郡信包村絵匡り 文化元年(1804)5月 飛騨市(古川町) ・」u ′■ ▲≠ ヾ lく・さ貫、
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117(飛騨国)吉城郡天生村塾引絵図 文化元年(1804)6月 飛騨市(河合村)㍍首
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■サ ヽ、、-・L・■-■キ・づ附・ ノ■軒
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1く ンl 1Ⅰ9(飛騨国)吉城郡丹原村墨引絵図 文化元年(1804)6月 飛騨市(河合村) e、りr・--・・■∴十、一、I.1八
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132(飛騨国)吉城郡保村墨引絵図 文化元年(1804)6月 飛騨市(河合村)令 133〔飛騨国吉城郡高原郷宮原村絵図〕文化元年(1804) 高山市(上宝村)
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121(飛騨国)吉城郡上ヶ島村墨引絵図 文化元年 r1804)6月 飛騨市(河合村)、
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毎\」ノ迦び竪′、諭
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:1、しミ・ ノ、二ノ 118(飛騨国)吉城郡保木村墨引絵図 文化元年(1804)6月 飛騨市(河合村)/ 、ゝ \ 肇ヒ冬 122(飛騨国)吉城郡森安村絵図 文化元年(1804)6月 飛騨市(宮川柑) ち7肯†宅・ `T一ク轟犠
ゝ.▲丁.豊-与/晋`■喜†ム
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メ†Ⅵ小÷■窄∴℃よ †十 ■㌧櫛呆..-一ク▲リ′・ 123(飛騨国) 吉城郡羽根村絵図 文化元年(180ノ1)6月 飛騨市(河合村) 126(飛騨国) 吉城郡月ヶ瀬村絵図 文化元年(180`・1)6月 飛騨市(河合村)・r 斗 129(飛騨国)吉城郡三川原村絵図 文化元年(1804)6月 飛騨市(富川村) 125(飛騨国)吉城郡高牧村絵図 文化元年(1804)6月 飛騨市(宮川村)
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128(飛騨国)吉城郡西忍村絵図 文化元年(180ノり6月 飛騨市(宮川村)雷管r
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ヽ../ む 岬 一・・ 遜 120〔飛騨国吉城郡小野村絵図〕文化元年(1804)6月 飛騨市(宮川村)恵叶路町一
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127〔飛騨国吉城郡杉原村絵図〕文化元年(1804)6月 飛騨市(宮川付)J汀終
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蒜 も 柚▼園 ∴-ご -、 _ 1「ヽ -、こ仁一 130〔飛騨国吉城郡桑ヶ谷村絵図〕文化元年(1804)6月 飛騨市(宮川村)エー詞郎.勘雫
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134(飛騨国) 吉城郡羽根村絵図 飛騨市(河合村)
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軋宗T?■8 ム夢ヒ 98〔飛騨国吉城郡西村絵図〕寛政12年(1800)5月 飛.曜市(神岡町) 135〔飛騨国吉域郡高原郷岩井戸村絵図〕 高し1_l市(上宝村)恵三長、一
斉屠材質川
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152〔飛騨国吉城郡巣納谷村絵図〕飛輯市(宮川村)
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毎咄職 138〔飛騨国吉城郡加鄭尺村絵図〕飛騨市(宮川村) 触 喀 139〔飛騨国吉城郡中沢上村絵図〕飛騨市(宮川村)t-、
哺 小●・、、、・ t・ ら .一局 \ 考ヽ
ノJ---・■ 師毎虐 148〔飛騨国吉城郡貼飛村絵図〕飛騨市(宮川村)150(飛騨国)吉城郡小鷹利郷打保相国 飛騨市(宮川村)
136(飛騨国)吉城郡戸谷村絵図 飛騨市(宮川村)
137(飛騨国)吉城郡角川村絵図 飛騨市(河合村)
143(飛騨国)吉城郡ニッ屋村図 飛騨市(河合村)
衛
146〔飛騨国吉城郡苧生茂村絵図〕高山市(上宝村)
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141〔飛騨国吉城都下佐谷村絵図〕高山市(上宝村) 一一、てナゝヽ∴ご、・・こ小一・′t. 144〔飛騨国吉城郡葛山村絵図〕高山市(上宝村) 142〔飛騨国吉城郡中山村絵図〕高山市(上宝村)宜仁J
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147〔飛騨l司吉城郡双六村絵図〕高山市(上宝村)攣れ㍉
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145〔飛弱国吉城郡杉原村絵図〕飛騨市(宮川村) 140 飛州吉城郡広瀬郷村山村絵図 高しjl市(国府町)153〔美濃国不破郡矢道村・榎戸村と綾戸村の入会権をめぐる野論裁許絵図写〕(部分) 寛文7年(1667)7月22日 不破郡垂井町、大垣市 -J一ノ:一
干干⊂「
一-1-、、、 155〔岐阜県厚見那 加納町絵図〕 岐阜市 左:1枚目 右:2枚目転
∴バ■凝 r亘叫最チり衷 ・し・・」 1∴一_-ヽ◆■ _ヱーJ′・-、-。T」.で一く小∼ ノニr 1ト∴∵
ヾ笹・}縛 - 1か∠・ざ-=†TJ
、・ヤヽ ■㌧.一■-■-◆ .妬 =一三 ■ 二Fれ 毒血. 叶=㌢ ′二■ヾゝi ノー轄 _こGト′ ・・→ ■- ホ ・・、■ 、一ニ ー二■イト汚■′くこrこ l ㌻≠ -右什■l や 一 極・ サブ■ ー・√-'1モー ・ J ■J・-■≡ J ′・-・`・一 ,■- ■ 石・■ や㌻ノ ・■`フ ヒ▼ヽご∵ →こく一 Jこづ ℃ヾ≡ノー r 〔 ■【 一 _ナプと こ1ミ.桓医・ニ薄卸.・ニー樫--一
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154 濃州方県郡河渡宿之図(写)元禄9年(1696)5月 岐阜市 キ 岩--- ∵J・「 / .、y, 、v・〉 キ 与酎
丘g こ..1-セ ・亡・l.デ ー ■-一 ■ ■ゑえ写呈示子7-・
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姿「婆亘号-山lト融肘 些叶為各L-烏tT引1■
156〔部屋内部設計図面〕 l :__瀾l欝票;
㍗針チ"、㌍㌣■
岬′寸I
lき童こ「叫一概仰い七J 、-■・小■耶Mトむ各町ヅ・、 ヰ∼■J■嶋■・■■.}1▲ 水盛伯-1上!・一寸 訂正豆7 、__、 ∴ノI∴
臣譜
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158〔寺社境内間数・坪数書付囲〕 159〔部屋内部設計岡面〕上:表 F:裏160〔美濃国本巣郡長屋付絵図〕本巣市(糸貫町) !
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ー.・■■ γt い J甲.■J〓・J㍗ 一 . .J下 J 阿・∼ 入√-巨 li!lト
f ,t 十⊥ ●`■-_・.-. ニ鞠「・ 162(美濃国本巣郡長屋村絵図〕本巣市(糸貫町) 161〔美濃国本巣郡長尾村絵図〕本巣市(糸貫町)\、、、
J
JJ 163〔屋敷図面〕 左:全体 右:部分拡大 164〔美濃国西郷三力付・文殊村と同国曽井村・ 中島村・追訴31力付の金谷井諭裁許絵図 写〕元禄8年(1695)10月21日 本巣市(巣南町・糸貫町)、岐阜市 ∴∴・-・・-∼ ご 、. ・..しご ノ1 ■て.11 r 、■・号・-■ く′,・ Il頂
苧草
「評
.亡月
廿-・・・[一丁--ふ-・吏rr-⊥一-1・
」」」⊥」1▲L= 165〔美濃国真桑村・更地村と同国曽井村番水所井桁籠修復の争論 裁許絵図写〕天和2年(Ⅰ682)5月25日 本巣市(巣南町・糸貫町、真正町)、揖斐郡大野町パー
洩㌢噂ケ,叫掌dぺ昆誓着て遷1貰
底・ヤ・、イ小丸竹1■1貰r入†鼻右窒†狙えや冒-血石∵11・古平金言i息首÷孟筈亙与塵見l
托附†在細血トづil■一で,勺-.gL革労せ首長蔓且
・{擾勾引手芸笥畢f艮を且っJ普そヰ
▲里里方♪-亀有九㌔至高イ甘
あ⊥t九 .尭持と畝哺締
▼一t「止J 瀦山九 藤城且-鼠dつ
† 166〔美濃国安八都南今ヶ淵柑旗本奥山領と旗本三淵領 の堤内外境争論裁許絵図写〕 延宝9年(1681)6月14日 安八町 上段左:全体 上段右:裏 下段:部分拡大167〔大日本輿地便覧美濃国〕天保5年(183Jl)岐阜県
だ∵ 169〔大日本輿地便覧信濃国〕天保5年(1834)長野県 炉∵∵「 「Ⅷ ーす..′ t /「ソふ 諌 171〔大日本輿地便覧安房国〕天保5年(】834) _′
」∴上.⊥ふ
J・--173〔大日本輿地便覧上総国〕天保5年(1834)千葉児 170〔大日本輿地便覧近江国〕天保5年(183▲・l)滋賀県 ーl一 〔大口本輿地便覧上野国〕天保5年(183・・l)群馬県 174〔大日本輿地便覧和泉国〕天保5年(1834)大阪府「-■ 「 175〔美濃国石津郡牧田村絵図〕 大垣市(上石津町)
\、、
\1-\
-ulVL■〃‖㌧7▲--F-..、、」・ ・l・し--・、l、二、
\-、\㌧、二.主事
ご・-、こ、 ▲伽r-、-■--ニレー寺
、{→て もー 叫■<-・ †、.ヰこ耳 ゝT ▼__ ■ト、 類・′ノ ノい_ ヤ・t誉.芋′
.▲=1L▼ .V√t†・.. 1■1r .-且亀. 、、 .箋† 」\し▲ ▲⊥ 176〔美濃国市之瀬村絵図〕(部分) 大垣市(上石津町) 178細見美濃国絵図 天保5年(1834)岐阜県 左:全体 右こ表紙「11イ頚・1
一■_・J・ 、.」ト∵、、 研一曳J-㌧、.扉岩‥▲蕗1.
…ト音llい〝錘
璃潜
・チ■濫
一†ふ血
奮揮え堕す虜計
呵鳥r一宇-炎るげへ
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.心ぺW .■▼.-人「l . -..=へ∵.■雪∴"ト草
・..・ ▼ 「軋りこ郎ル㌢.■†こ.、J....■.′1
- --‥・` .‥h`・= れ\・ノ′■い ト ・いIl・ト.」一成
く・点り.い∴ ;丁∴いぃ払l・-もヰFノ隼
二lT壬:l∵中
ざ噸.′=`一三 、.◆昇
・・ T痘華-こ.
↓ t 01ご■・_.叩け
丁.」 ■●■■ も 戸r.} いこ二二T.三 「.…\ト ′匂∴㌣l
177中山道美濃国本巣郡美江寺滴之図 瑞穂市(巣南町) 上:全体 下:部分拡大}■膏 判t■
r■-顎市ノ∴
一、〃 附 l・てL、 」\■= \ィL〉、ノ 、ノ Ⅷ.十1…一」十.⊥転叫P∵」㌣転
ニク■一一1 ′lrJ ■レ つノlL ■割拍 1 ・、・い 伊1-イ■ ら r柵二 ■./ 「 し・1ら1」
‥、⊥ 一 丁」絵図分布図
芳一旭 【人-`二l省こ、--t∼=Tぞ■ナー,、射町村
ノ「〃く淵
t・「し車間
し(甘∴
巨トー.h ‥しヽ一\†ノ
二 噌 劇 りU..「ノ′ J完り、ノー′巨・.‡ 1rll′r al彗1_・・ ′-▼J・ナ ィニl-′ 、只ニノ′:■←廿」 ..-\Jチ∴・:二転7
軸≠†ヽ■り=、・● 11〔小仇叫甜ン;
一ゝ... ノJ虹1 、」一--.--J-J.. 【・供声∫-・少 〆「血相t;て:二・・、、
中一冒T つ・・-「-二_+▼. ,・1つ\・、-∴∵.-∴ト・
■′如干議定自立;
彗艶 ー手写■把 一㌧代
(飛騨国吉城郡の絵図のおおよその位置を示している)
国上地理院発行20万分の1地勢図(高l_1り 使用七/・..ゝ⊥=二三
J蔀綜`▲,和一・】◆仙ノ・ニふ品、?
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'\--._,、
義雄・■__ -∫ど■・・〉萌軋・_-\閲三ぎ㌔ィ警i′ノ
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