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韋應物「松子落」考

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Academic year: 2021

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葺魔物 ﹁松子落﹂ 考

. 中 庸 の 詩 人 葺 應 物   ︵ 七 三 七 t 七 九 一 ︶ ︵ 註 1 ︶ に 、 次 の 詩 が あ る 。 秋 夜 寄 丘 二 十 二 員 外     唐 、 葦 應 物 懐君展秋夜 散歩詠涼天 山空松子落 幽人應未眠 君を懐ふは秋夜に属し 散歩して涼天を詠ず 山空しくして松子落ち 幽人応に未だ眠らざるべし この詩は、﹁丘丹君、秋の夜ともなれば君のことが思われてならない。そこ で、散歩に出、秋を詠んだ詩を作り、君に贈ろうと思うのだが、君の隠棲する 山では松ぼっくりが落ちる音がし、君はまだ眠られないでいるだろうね。︵僕 もそうだよ。︶﹂ という意に解せられるように思われる。 ところで、この詩に井伏鱒二 ︵一八九八二九九三︶ の邦訳の有ることはよ く知られている。 ケンチコヒシャヨサムノバンニ アチラコチラデブンガクカタル サビシイ庭ニマツカサオチテ

ト テ モ オ マ へ ハ 寝 ニ ク ウ ゴ ザ ロ ︵﹃井伏鱒二全集﹄第二十八巻、筑摩書房、一九九九年︶ 原詩の ﹁涼天を詠む﹂ を ﹁ブンガクカタル﹂、﹁未だ眠らず﹂ を ﹁寝ニクシ﹂ 等と邦訳した訳語は注目に値し、井伏がどのような解釈のもとで訳語を決めた のかが甚だ興味の持たれるところである。この葺應物 ﹁秋夜、丘二十二員外に 寄す﹂詩に関する翻訳や鑑賞は、恐らくは枚挙に蓮がないであろうが、井伏の 訳が ﹁寝ニクシし の理由を ﹁サビシイ⋮=・﹂ と言って明らかにしている点は、 注視しておく必要があるように思われる。 ところで昨今、邦訳というのではなく、次のような鑑賞を目にする機会があ っ た 。 君のことを懐っているこの秋の夜、涼しくなった空の下を散歩しっつ、 わたしは詩を詠じる。人っけのない山の中に松かさの落ちる音がする。山 中に静かに暮らす君も、きっとまだ眠らないでこの夜を味わっていること だ ろ う 。 禅味のあるいかにも澄んだ詩だ。 ︵中野孝次﹃わたしの唐詩選﹄作品社、二〇〇〇年︶ ここに言う ﹁この夜を味わっている﹂ ﹁禅味のある﹂ という鑑賞感覚は、昨 今の我々現代日本人が右掲の葦應物の詩に対し、むしろ一般的に持ち得るもの 頁

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であるように思われる。もしもそうであるならば、そのような趣きは、果たし て葦應物の当初から付与されていたものなのだろうか。少なくとも前掲の井伏 には無いものと考えられ、﹁サビシイ﹂ が故に ﹁寝ニクシ﹂ であるという捉え 方と、その ﹁まだ眠らないでこの夜を味わっている﹂ という昨今の我々が首肯 できる捉え方との差異が気になるところである。味わいのある秋の夜、禅味の ある秋の夜といった趣きを葦應物が詠み込んでいるのかどうか、本稿では、そ の点を問題にしたい。 そもそも葦應物の当時、不眠を導く秋の夜は ﹁健ち恋しや﹂ と邦訳し得る感 覚をもたらすものであったのか、それとも ﹁味わっている﹂、更には ﹁禅味の ある﹂という趣きをもたらすものであったのか。作詩時点では蘇州刺史︵知事︶ であった葦應物は、その時の蘇州の秋夜の ﹁涼天﹂ に触発され、友人の丘丹が 恋しくなり、その趣きを詩に詠もうとしている。そして散歩に出、その丘丹の 隠棲する山 ︵一説に杭州の臨平山︶ で今まさに ﹁松子﹂ の落ちているであろう ことに想い至り、その為に丘丹は眠られなくなっているに違いないと推測する。 詰まるところ、丘丹の ﹁未眠﹂ の原因は偏えに ﹁松子落﹂ にあることになる。 ではその﹁松子落﹂は、どのような趣きをもたらすが故に﹁未眠﹂を導くのか。 それはこの詩のテーマが、友人同士に於ける秋夜のもの寂しさ故の人恋しさの 共有に在るのか、それとも秋夜の味わいの共有に在るのかを決定する要素にも 成りうると考えられる。 そこで以下には、この詩で ﹁サビシイ﹂ が故に ﹁寝ニクシ﹂ なのではないか という捉え方と、﹁まだ眠らないでこの夜を味わっている﹂ が故に ﹁まだ眠ら ない﹂のではないかというそれぞれの問題に大きく関わっている詩語﹁松子落﹂ について、それが如何なる趣きをもたらすのかを見て行きたい。 二 重應物のこの﹁秋夜、丘二十二員外に寄す﹂詩の主たる特徴となっている﹁松 子落﹂ という語は、当時としては新出の詩語である。この語は應物よりもやや 二頁 先輩の杜甫に始まるが、まだ熟してはいない︵註2︶。後世に頻用されることに なる ﹁松子落﹂ を定着させたのは、後に触れるように、葦應物自身であると言 ってよい。すなわち、鷹物のこの ﹁秋夜寄丘二十二員外﹂詩全体の醸し出す主 たる情感は、その ﹁松子落﹂ という語のもたらす趣きに托されていたことにな ろ う 。 先ず魔物の先輩の杜甫に見られる先行例であるが、二つある。一つは隠退者 としての詠、他の一つは僧侶に関する詠である。 秋野五首 ︵其三︶  盛唐、杜甫 ︵七一二l七七〇︶ 祓欒攻吾短、山林引興長。挿頭紗帽側、曝背竹書光。 風落収松子、天寒割蜜房。稀疎小紅翠、駐展近微香。 杜甫のこの詩は、前半四句で、平素から守っている儒家的な礼教による攻め を、この時ばかりは秋の山野の興で慰めるべく、否定のポーズをとって隠者の 頭巾を斜にかぶり、腹中の書も虫干しするのだと言う。そしてそれを承ける五 旬日六旬日の ﹁風の落とせば松子を収め、天の寒ければ蜜房を割く﹂ は、山野 が秋枯れの状態に向かっていても、秋の実りはまだ残っていることを言う。そ の場合の秋風の吹き落とす﹁松子﹂は、﹁蜜房﹂︵蜂蜜︶および結句の秋の花﹁小 紅翠﹂ の微香とともに、最晩秋にまだ微かに山野に残る、情緒ある一興と成り 得ている。すなわちここでの ﹁松子﹂ は、﹃列仙博﹄侭俊の ﹁優位好食松賓、 能飛行、逐走馬。以松子遼東、尭不暇服。⋮⋮﹂ ︵催俊好んで松実を食し、能 おく く飛行し、走馬を逐ふ。松子を以って尭に遣るも、尭服する暇あらず。⋮⊥ を踏まえる山野の実り、隠退者に滋養を与える味覚であって、そのもたらす趣 きは文字通り味わいのあるものであり、もの寂しさではない。 杜甫のもう一つの﹁松子落﹂の用例は、若き画家葦値の画いた二本の﹁古松﹂ に関して戯れに詠んだ、後に ﹁老杜双松図歌﹂ と称される一篇に見られる。画 かれた ﹁古松﹂ の曲がりくねった状態を、詩の前半で奇怪だと捉え、最後に、 自ら用意した絹のカンバスにも松を画いて欲しい、ただし直幹のをねと頼み戯

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れるものであって、次のように詠む。 戯 葦 候 痛 撃 松 園 歌     盛 唐 、 杜 甫 ︵ 七 一 二 l 七 七 〇 ︶ 天 下 幾 人 書 古 松 、 南棟惨裂苔辞皮、 松根胡僧憩寂某、 葦侯葦侯敷相見、 請公放筆鳥直幹。 畢 宏 巳 老 葦 催 少 。 屈 繊 交 錯 過 高 枝 。 旭 眉 轄 首 無 住 著 。 我 有 一 匹 好 東 絹 、 絶 筆 長 風 起 繊 末 、 自 推 朽 骨 龍 虎 死 、 偏 祖 右 肩 露 隻 脚 、 重 之 不 滅 錦 繍 段 。 満 堂 動 色 嗟 神 妙 。 黒 人 太 陰 雷 雨 垂 。 菓 裏 松 子 僧 前 落 。 巳 令 彿 拭 光 凌 乱 、 前半八句では、画かれた二本の曲がりくねった ﹁古松﹂ について、白松の方 は竜虎の死骸のよう、黒松の方は雷雨が天から垂れ込めているかのようだと品 ぽ う び 評し、ついで後半に入り、﹁松根の胡僧は寂実に憩ひ、旭眉轄首は住著する無 か た ぬ し。偏へに右肩を担ぎて双脚を露はにすれば、菓裏の松子僧前に落つ﹂ と詠 んで、松の根元に画かれた胡僧の、心静かに安定し、聞達で執着が無い姿を捉 え る 。 ﹁ 松 子 落 ﹂ は そ の 際 、 胡 僧 の 得 て い る ﹁ 憩 寂 入 定 ﹂ ︵ 註 3 ︶ の 境 地 を 反 映 し 、 後に頻見する僧との関係に於いて詠まれる﹁松子落﹂ の先鞭となっている。そ して、その ﹁寂実に憩ふ﹂ はやがて ﹁禅味のある﹂ と言われる表現を導くこと に な る 。 今はその ﹁松子落﹂と関連し、詠まれる際に多く﹁寂実﹂ の語を伴っている 点に注意したい。この、秋の情緒を捉えた場合の ﹁寂実﹂ という語は、一概に もの寂しさを言うのではなく、例えば﹃漢語大詞典﹄ の解説に反映されたこれ までの研究成果に拠れば ︵拙訳で示したい︶、代々 ﹁①空虚で物が無い。②音 がせず静寂。③悟淡として閑か。④稀少。⑤冷たく孤独。﹂等の意を含有し、 味わいをも意味し得ることを確認しておく。 では、以上のように杜甫を基盤として始まった ﹁松子落﹂ という語は、どの ように熟して行くのか。杜甫を承けて次に来るのが冒頭の葦應物 ︵七三七1七 九一︶ の用例である。そしてその後、﹁松子落﹂ は葦應物の信奉者である白居 易によって承け継がれるが、その前に應物に最も近い、その僚友でもあった顧 況 に 一 例 が 見 え る 。 憶都陽啓遊  中庸、顧況 ︵至徳二年、西暦七五七年の進士︶ 悠悠南囲思、夜向江南階。楚客断腸時、月明松子落。 顧祝が華陽真逸と称し、隠退して南帰する際の詠であろう。帰途に於ける﹁月 明るくして松子落つ﹂ という光景は、﹁楚客﹂ すなわち南方出身者である顧況 自身の ﹁断腸﹂ の思いを増幅させるようにも見えるが、確かにもの寂しさは付 きまとうものの、この時の顧況は帰郷するというに近い感覚を持っているので、 寧ろかつての都陽湖での遊びの光景を再び思い出させるような趣きを醸してい るのではないだろうか。心を静かにさせる↓松子落﹂ であると思われる。 そして次に来るのが自居易の例である。 夏夜宿直  中庸、自居易 ︵七七二l八四六︶ 人少庭宇噴、夜涼風露清。塊花満院気、松子落階聾。 寂真挑燈坐、沈吟踏月行。年衰自無趣、不是厭承明。 季節は夏の終わりであろう、白居易は宿直室の承明度で夜の当直中、人気の ない瞭然とした庭に﹁松子落つ﹂の音を聞き、年老いて楽しみの無い自らの﹁寂 実﹂感を増長させている。ここの ﹁松子落﹂ のもたらす趣きは、僧侶の禅味と は些か異なり、﹁沈吟﹂ の語と対で提示されているように、閑散としたもの寂 しさを醸しているものと考えられる。もの寂しい ﹁松子落﹂ であり、それはこ の白居易から明確化する。 次の李群玉の詩に見られる用例も、右掲の白居易 ﹁宿直﹂ 詩の醸す詩情とよ く 似 て い る 。 題龍渾西斎  晩唐、李翠玉 ︵八一三l八六〇?︶ 寂箕幽賓瞑姻起、浦樫松風落松子。遠公一去兜率宮、唯有門前虎薪水。 三百

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この詩の ﹁松子を落とす﹂ は、兜率寺から僧恵遠が去ってしまった後の ﹁寂 実﹂感を詠んでいる。僧侶の詠とは言え、禅味はそれほど生ぜず、人気の無く なったもの寂しさが醸し出されている。 次の張喬の詩に見られる用例は ﹁小松﹂ を詠んでいるが、やはり白居易らの 用 例 と 似 て い る 。 移小松  晩唐、張喬 ︵威適中、西暦八六〇l八七四年の間の進士︶ 松子落何年、繊枝長水連。析開新澗雪、移出遠林煙。 祥月棲幽烏、兼花濯冷泉。微風動浦駒、聞聴罷琴眠。 人知れず深林の中の川辺で松が年々生長することを ﹁松子落つること何年﹂ と詠んでいる。この松はやがては移植されて世に出るものの、それまでの ﹁小 松﹂の時はまだ枝も細く、ひっそりとしたもの寂しさを漂わせている。やはり、 もの寂しい ﹁松子落﹂ である。 さて他方、自居易︵七七二l八四六︶とほぼ同時期の貫島︵七七九l八四三︶ は、得道や隠退の場の閑散とした様子を詠む際に ﹁松子落﹂ を用いるが、幾分 禅味を帯びさせて詠んでいるようである。 送羅少府蹄牛渚  中庸、賛島 ︵七七九1八四三︶ 作尉長安始三日、忽思牛渚夢天台。楚山遠色濁紆去、清水空流相送回。 霜覆鶴身松子落、月分螢影石房開。白雲多虞應頻到、寒潤冷冷漱古苔。 秋の初めであろう、都長安を去る同僚の羅少府の牛渚 ︵安徽省︶ での今後の 隠退生活を推測し、﹁霜は鶴の身を覆ひて松子落ち、月は蛍の影を分けて石房 開く﹂ と詠む。得道者、隠遁者となって白雲郷 ︵楚山の天台︶ の石房でひっそ りと暮らすことになる羅少府の姿を讃えている。牛渚の秋は ﹁寒澗冷々として 古 苔 に 漱 ぐ ﹂ と 詠 ま れ る が 、 ﹁ 霜 降 れ ば 則 ち 鶴 の 声 清 し ﹂ ︵ 註 。 ︶ と な る 頃 で あ り 、 四頁 冷々と澄んで清らかな道場を想像しているのではないか。そこは世俗の者から 見れば、当然のことながら孤独でもの寂しい場所ではある。ひっそりとした趣 きのある ﹁松子落﹂ である。 このように ﹁松子落﹂ は、僧侶をはじめ、得道者、隠遁者の居る場所を詠む 際に、味わいが加わって用いられる例も少なくない。次の李神の例は、それが 顕 著 に 見 ら れ る 。 萱玄影堂  中庸、李紳 ︵?l八四六︶ 香燈寂実綱塵中、煩悩身須色界空。龍鉢巳傾無法雨、虎床猶在有悲風。 定心地上浮泡没、招手厳達夢幻通。深夜月明松子落、僚然療法侍生公。 ﹁寂実﹂ たる俗界で煩悩に苦しんでいても、心定まりさえすれば、幻と化す る浮泡のような世俗やその影でしかない夢幻は消え失せ、晋末の竺道生のごと き禅師のもとに侍って ﹁法を聴く﹂ という境地に至ると詠む。その、心定まる に際しての ﹁月明るくして松子落つ﹂ という情景は、前掲の顧況の用例を踏ま えつつ、寂実とした、しかし静かさを醸成し、傭然として法を聴くという心構 えを導く唯一の禅機となっている。ここでは、定心三昧=入定=禅定を想起さ せられ、﹁松子落﹂ は禅味を生じていると言えるのではないか。次の辞能の例 も 同 様 で あ る 。 山中尋僧  晩唐、辞能 ︵合昌六年、西暦八四六年の進士︶ 姦日行方到、何年濁此林。客蹄唯鶴伴、人少似師心。 坐石落松子、渾床揺竹陰。山憂伯驚定、不遣夜猿吟。 ﹁山霊伯れ驚かすこと定まり、夜猿をして吟ぜしめず﹂、すなわち山中の僧 は山霊が山猿を押し黙らせるほどの静寂さを得て独り座禅修行していると詠 み、その静寂さを、﹁竹陰﹂ の影の揺らぎと ﹁松子﹂ の落ちる音とで逆に際立 たせている。詩は、禅定する様を具現する。そこにもの寂しさは無い。この醇

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能の詩の ﹁松子落﹂ は、まさしく禅味を醸すものとして詠まれている。 その他、味わいのある ﹁松子落﹂ の例は少なくない。 過野里居  晩唐、李洞︵昭宗の時、西暦八八九l九〇四年以降に卒す︶ 野人居止虞、竹色輿山光。留客羞兢飯、渾泉開草堂。 雨徐松子落、風過ボ苗香。志目無炎暑、眠君青石休。 ド し ゆ つ び ょ う 夏の昼下がりの雨上がり、﹁両線松子落ち、風過ぎてポ 苗香る﹂ は、野人 の居の野趣が感じられるように詠まれているとは言え、もの寂しさは無く、禅 味とは言わないまでも、涼しい明るい光景が醸し出される。味わいを覚える︵こ こは杜甫の ﹁秋野﹂詩を踏まえ、味覚とも言える︶ ﹁松子落﹂ である。 訪道士  晩唐、襲説 ︵天祐三年、西暦九〇六年の進士︶ 高岡微雨後、木脱草堂新。惟有疎傭者、爽看淡薄人。 竹芽生碍路、松子落敲巾。粗得玄中趣、常期宿話頻。 道士の道場の情景を詠んだこの詩でも、もの寂しさは詠み込まれていない。 ﹁松子﹂ は ﹁竹芽﹂ とともにあらまし淡白な ﹁玄中の趣き﹂ を醸成するものと して詠み込まれ、やはり禅味を生ぜしめている。 以上、盛唐から中庸期にかけて登場した秋の風物詩としての ﹁松子落﹂ は、 概ね人気がなく閑散として ﹁寂莫﹂ としたもの寂しい趣きを喚起させると同時 に、僧や得道者の修行や生活の場を詠む場合は、味わいのある趣きおよび ﹁禅 味﹂ を醸すことも少なくないことが分かる。隠退中の士人の場合も、或いはこ れに準ずると言えるのではないか。 應物と親交のあった丘丹は蘇州 ︵一説に隣の杭州臨平山︶ に隠退しており、 得道者と同等であると見ることもできる。別の葦應物丘丹両者の唱和詩では、 お互いを ﹁撃仙侶﹂ ﹁煙霞侶﹂と認め合っている︵註5︶。そういった二人の関係 が背景となり、詩に禅味を添える可能性はあながち否定できないように思える。 なお、その ﹁禅味﹂︵註6︶は、杜甫の ﹁老杜双松図歌﹂ が先蹟となっている であろうことを繰り返しておきたい。 また、﹁山空しくして松子落つ﹂ という光景は、当時としては人気のないも の寂しさ故に愁いを誘い、実際に人を眠らせないだけの孤独感、寂蓼感、ある いは人恋しさを増長させた可能性も否定できないものと考える。 三 さて、﹁二 で挙げた ﹁秋夜寄丘一一十二員外﹂ 詩の井伏の邦訳であるが、井 伏は ﹁夜寒の晩﹂ には友の中島健戒と文学を語り合い寂しさを紛らわしたいと ころを、それが出来ずに寂しさを持ち続け、﹁松かさ落ちて﹂ が切っ掛けで、 その人恋しさ故に中島も眠るに眠られないでいるであろうと推測しているので あって、﹁松かさ落ちて﹂ に禅味のある味わいは捉えてはいない。その時の井 伏にとっては、あくまでも ﹁ヨサム﹂ の中のことであり、﹁サビシイ﹂ に連続 している。葦應物とその親友の丘丹とが共有しようとした ﹁松子落つ﹂ の趣き も、人恋しさ故のもの寂しさを醸すものであったとすると、井伏はそれをかな り正確に捉えていたことになる。 しかし、それが現代日本人の鑑賞感覚によれば、味わいのある禅味のあるも のであったことになる。それは丘丹を ﹁山中に静かに暮らす君﹂ すなわち隠遁 者と見、僧侶や得道者と同等に扱おうとする志向が手伝っていると思われるが、 伝統的には、杜甫の ﹁老杜双松図歌﹂ にすでに見られたように、もともと ﹁松 子落﹂ にはそのような感覚を引き起こす要素が皆無ではなかったことにも起因 しよう。少なくとも伝統的にはその方向性の有ることは、﹁二﹂ で見てきた通 り で あ る 。 近代日本でも、たとえば井伏よりもやや年長の会津八一︵一八八一l一九五 六︶ は、当該の應物の詩を次のように捉えている。 あ き や ま   の 五頁

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き お つ み と ち い な に ぬ き ぼ る る   ま つ   の   み の よ ひ   を べ L   や ︵大岡信﹁こんこん出やれ − 井伏の訳詩について﹂所引。 井伏鱒二﹃厄除け詩集﹄講談社文芸文庫、一九九四年︶ 音無しというのは、松の実の音そのものか、それともその昔によって際立た される秋の宵の静かさの方か、それは暫く措き、歌で詠もうとしているのは、 松ぼっくりの落ちる音の聞こえるほど静かな秋の夜を、君は眠られるのかと友 に問いかけるものであろう。井伏のように感情を表す言葉が無いので、もの寂 しさとも味わいがあるとも、どちらとも解しにくい、いわば原詩に似た邦訳と な っ て い る 。 では、その原詩﹁秋夜、丘二十二員外に寄す﹂ 詩に関するそのような鑑賞感 覚は、近現代の中国にもあるのだろうか。 少し時代を遡ったあたりから見ると、例えば清の呉艇は、 孤懐寂寛、誰輿唱酬。忽憶良朋、正常秋夜散歩庭徐之際、吟詩寄遠、因 念幽居、想亦未眠、以暁吟鳥柴、書去恍如覿面也。情致委曲、句調雅淡。 ︵ 呉 艇 ﹃ 唐 詩 選 勝 直 解 ﹄ ︶ と言い、はじめに ﹁未眠﹂ の原因として ﹁孤﹂ すなわち話相手のいない一人ば っちの寂しさから起こる ﹁寂莫﹂ 感を明確に捉えている。人恋しさ故のもので あろう。そして友と詩を唱和する楽しみを得ることで、それを解消しようとし ているとし、詩全体の ﹁雅淡﹂ な味わいを捉える。﹁松子落﹂ は ﹁寂実﹂感を 生むものとして捉えられている。 また、同じ清の王尭衝は、 懐友而普秋夜、凄然客心臭。離懐無巳、故散歩而成吟於秋天涼夜也。木 六頁 落則山空臭。松子落、山中夜静時也。幽人、指丘員外。應、是造想之詞、 追想其未眠時、富亦有幽興懐秋也。 ︵ 王 尭 衝 ﹃ 古 唐 詩 合 解 ﹄ ︶ と言い、はじめに友人同士離ればなれの巳む無き寂しさを ﹁凄然﹂ という語で 捉えた上で、詩を詠み相手を思い得た後は、呉艇のように楽しみとは言はない までも、秋の夜の ﹁幽興﹂感、すなわち奥深い趣きを共感するに至っていると する。そして松の実の落ちる音が聞こえるほどに静かな秋の夜を捉え、﹁松子 落つるは、山中の夜の静かなる時なり﹂ と指摘する。それは会津八一の捉えた 感覚と類似するのではないか。ただし、﹁松子落﹂ に趣きの有ることを示唆し て は い る 。 ま た 、 清 の 裔 塘 退 士 は 、 前繭句秋夜懐人、後南句推想員外、亦因懐思而未眠。 ︵ 苗 塘 退 士 ﹃ 唐 詩 三 百 首 ﹄ ︶ しょ−フ と言い、﹁未眠﹂ の原因は友を思う気持ちにあるとする。そして清末の章饗は さ ら に そ れ を 補 い 、 應未眠、料其逢秋解景、亦有所懐也。 ︵ 章 壁 ﹃ 唐 詩 三 百 首 注 疏 ﹄ ︶ と言う。﹁末眠﹂ の原因を秋景色であるとするが、その景色の中に ﹁松子落﹂ を含むとすれば、それが人をもの思いに耽らせ、愁いが ﹁未眠﹂ を導くことを 指摘していることになる。近世でも應物の詩の ﹁松子落﹂ は両様の捉え方がな されていることが分かる。 では、現代に入るとどうであろう。陳邦炎氏は、

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⋮・是一首懐人詩。⋮⋮作者因懐人而在涼秋之夜排桐沈吟⋮⋮。是従自 己正在懐念遠大、排桐不磨、推想封方應也末眠。⋮⋮説明千里紳交、有如 曙封、故人錐遠在天涯、而相恩御近在爬尺。﹂ ︵ ﹃ 唐 詩 鑑 賞 辞 典 ﹄ 上 海 辞 書 出 版 社 、 一 九 八 三 年 ︶ と言い、相思う者同士の心理的な距離の近さ、親密さを詠んだ詩篇であること を指摘する。そして直接﹁松子落﹂には言及しないものの、その場で應物は﹁排 掴沈吟﹂ しているとし、もの寂しさを捉えている。 それが沙垂郁女史になると、次のようになる。 三一四句想像封方也在思念自己長夜難蘇、可見二人的情誼根深。﹁空 山松子落﹂、給出道士所居山林的幽寂、静中有動、極富韻味。詩風古淡清 疏。 ︵ 沙 靂 郷 ﹃ 唐 詩 三 百 首 全 課 ﹄ ︻ 題 解 ︼   ︵ 中 囲 歴 代 名著全課叢書︶貴州人民組版社、一九八三年︶ 互いに恋しく思っているが故に寝にくいという状況を捉え、さらに友人同士 1 1   . 1 の友誼の深さを捉えた後、﹁﹃空山松子落つ﹄は、道士の居る所の山林の幽寂さ を絵がき出だし、静中に動有り、極めて韻味に富む。詩風は古淡にして清疏な り﹂ と言う。すなわち、山中の ﹁幽寂﹂ さ、ひっそりとしたもの寂しさを捉え つつ、それが ﹁韻味に富む﹂ とし、﹁松子落﹂ に味わいを認める方向性を、幾 分 だ が 、 打 ち 出 し て い る 。 また、劉首順氏も次のように言う。 ⋮隠士椚生活痛苦、常以松子岳食。可能丘員外用松子招待過詩人、因 而一見松子墜落、就懐念起封方、想着他在這楕幽的夜晩、也許在散歩、也 許在講書。在這種情況下、寓出這首詩、寄給封方、顛得脱俗不凡。・ ︵ 劉 首 順 ﹃ 唐 詩 三 百 首 全 課 ﹄ ︻ 簡 詩 ︼ 陳西人民教育出版社、一九八六年︶ ﹁隠士たちの生活は清苦にして、常に松子を以って食と為す。・:﹂ 云々は 暫く措き︵註7︶、﹁松子落つ﹂ の秋の夜を ﹁清幽﹂ と捉え、そのような時は隠士 の丘丹にとっても﹁散歩﹂ の時、﹁読書﹂ の時であるとし、﹁俗を脱して凡なら ざるを顕らかにし得たり﹂ と言う。もはや人恋しさは捉えない。彼らの様子を ﹁脱俗不凡﹂ であると指摘する点は、得道者の ﹁禅味﹂と言うに近い鑑賞感覚 を表明していよう。少なくとももの寂しさは無い。因みにこのように秋の夜は 読書するものだという捉え方は、井伏訳の ﹁文学語る﹂ とも相通ずる。 し か し 張 国 栄 氏 は 、 秋夜正是懐人的時候、因自己有這種感覚想像別人也有同感。前二句説自 己秋夜散歩時思念丘丹、後二句寓丘丹空山未眠、滞日松下排梱、也正在想 念自己。語言朴素、相知之深可想而知。 ︵張囲柴﹃唐詩三百首詳解﹄︹簡析︺中国文聯出版公司、一九八七年︶ と言い、もの寂しさとは言わないまでも、秋の夜は友人同士で人恋しい時であ るとする。そして陳邦炎氏と同様、ただし丘丹の方に関して ﹁独り自ら松下に て排禍す﹂ と言い、﹁松子落﹂ をもの寂しさを表すものと捉えている。 郎壁友氏も同様の趣きを捉え、 這是一首秋夜懐人的詩。⋮⋮前両句写作者在秋夜中懐人、因而詠詩寄贈。 後南句、寓友人此時必有同感、恐亦未睡昭。詩意坤淡、然撃情純浮。・ ︵郎壁友﹃新澤唐詩三百首﹄︻作法分析︼茎嘩三民書局、一九八八年︶ と言って、秋の夜は人恋しく友人同士で詩を贈りたくなるような気持ちになる とする。ただし ﹁松子落﹂ には言及しない。 阪 廷 喩 氏 は 、 七頁

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詩言松子落地之聾可聞、山中蔚索可想。 ︵阪廷喩﹃葺蘇州詩校注﹄ ︵中華叢書︶ 墓湾華泰文化事業公司、二〇〇〇年︶ と言い、﹁松子落﹂ が ﹁蔚索﹂ 感をもたらす、すなわち秋の閑散とした趣きを もたらすことを指摘している。 以上、現代の中国でも、﹁松子落﹂ に関する鑑賞感覚がもの寂しさだけでな く、﹁禅味のある﹂とは明言していないまでも、沙女史に代表されるように、﹁味 わい﹂を含んでいるであろうことは否定できない。それはやはり、﹁松子落﹂ が当初の杜甫 ﹁老杜双松図歌﹂ 詩において革んだ趣きを潜在的に持ち続けてい る た め で は な い か 。 そこで、以上の考察を踏まえ、﹁秋夜寄丘二十二員外﹂詩のテーマを改めて 考えてみると、葦應物の詠もうとした所は、友人の丘丹に対し、君の所の山は もう秋も終わりで松の実が落ちるだけ、人気は無い、と言い、当初はやはり、 もの寂しいが故の人恋しさを共有しようとする詩想が優先していたのではない か。それが、典故に用いた ﹁松子落﹂ は、先行作品にすでに味わいをもたらす 趣きが潜在し、且つ時代にそれを顕在化させる風潮があったために、両様の鑑 賞に堪えうるように出来ていた葺應物の詩は、ほどなく味わいや或いは禅味を 帯びたものとして鑑賞されるようになったもののように思える。従って、﹁松 子落﹂ の趣きに重きを置いた鑑賞としては、先ずはもの寂しさが捉えられてし かるべきであろうと結論づけたい。﹁松子落﹂ には、当時としては、言下に禅 味や秋の味わいを醸す風物詩であると言い切るよりも、先ずは秋の終わりを告 げる、もの寂しさを醸す風物詩であったものと考えたい。その方が友だち思い の葦應物の詩想とするに相応しい。 八頁 見され、生卒年等が明らかになったとの報告が、﹁中国中世文畢研究﹂第五十四号で山 田和大氏によりなされている。今はそれに拠る。なお、蘇州の人であり應物の友人で もあった丘丹 ︵邸丹︶ が、蘇州で葺應物が亡くなった時、その墓誌銘を書いたとされ て い る 。 註2、杜甫以前の張九齢 ︵六七三l七四〇︶ ﹁送楊道士往天台﹂ 詩に ﹁行應松子落、留輿世 人俸﹂ ︵行けば松子に応じて落ち、留れば世人と与に伝はる︶ の句が見られるが、この 場合の ﹁松子﹂ は仙人﹁赤松子﹂ ではないか。 註3、﹁憩寂入定﹂ は清の腐顎による語で、静かに禅定に入る意。 註4、﹁霜降則鶴聾滴﹂ の語は、﹃古文苑﹄班姥好 ﹁梼素賦﹂ 注に見える。 註5、両者の遣り取りは﹃唐詩紀事﹄巻第四十七に詳しい。﹁丹和云﹃露滴梧葉鳴、秋風桂 花襟。中有撃仙侶、吹箭弄明月。﹄蘇州 ︵應物︶ 又贈丹云﹃跡輿孤雲遠、心絡野鶴倶。 那同石氏子、毎到府門庭。﹄丹和云﹃久作煙霞侶、暫精華組親。還同樽伯玉、入館恭州 人 。 ﹄ ﹂   等 の 紀 事 が 見 ら れ る 。 註6、中村元﹃仏教語大辞典﹄二九八一年︶ によれば、﹁禅味﹂ は、﹁内観による静かな心 の喜び。禅のおもむき、味わい。禅の修行によって体得する高い境地。﹂ とある。 註7、薬餌としての ﹁松子﹂ は、杜甫﹁秋野﹂ 詩を踏まえるものと思われる。 註1、葦應物の伝記については未詳の部分が多いが、二〇〇七年、西安で應物の墓碑銘が発

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