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日本の城下町起源都市の地域構造

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(1)Title. 日本の城下町起源都市の地域構造. Author(s). 横尾, 実. Citation. 北海道教育大学紀要, 人文科学・社会科学編, 59(2): 17-29. Issue Date. 2009-02. URL. http://s-ir.sap.hokkyodai.ac.jp/dspace/handle/123456789/973. Rights. Hokkaido University of Education.

(2) 北海道教育大学紀要(人文科学・社会科学編)第59巻 第2号 JournalofHokkaidoUniversityofEducation(HumanitiesandSocialSciences)Vol.59,No.2. 平成21年2月 February,2009. 日本の城下町起源都市の地域構造. 横 尾. 実. 北海道教育大学旭川校地理学研究室. TheArealStructureofJapaneseCitiesOriginatedfromCastleTowns. YOKOO Minoru. DepartmentofGeography,AsahikawaCampus,HokkaidoUniversityofEducation. 概 要 全国131の城下町起源都市を取り上げ,城下町との連続関係に着目して日本都市の地域構造を帰納的に捉 える。今日の都市内土地利用パターンと城下町との関係を確かめると,対象都市は4つの型に分類される。 旧構造残存型,新旧構造競合型,新構造成熟型,そして新旧構造併存型である。類型間の比較を通して得ら れた一般的な都市構造の形成様式に従い,都市構造をモデル化した。それを欧米都市に立脚した古典的都市 構造論に対照するなら,日本都市の固有性を指摘することができる。. Ⅰ.序. 地理学の研究は個別事例に十分な価値を認めるべきだという考え方がある(Ackerman,1958,p16; Wirth,1978,1984など)。James(1963),Luckerman(1965)やWirth(1969,1979,p158)によれば, 地理学では抽象度の高い一般法則はめったに構築されず,一定の幅を持たせた一般化が有効となる。このよ うな見方を進めるならWirth(1969)やHantschelandTharum(1978)そしてArcher(1993)が主張す るように,帰納的立場に立脚した地誌学的アプローチが意味を持ってくる。法則定立と経験的調査の結合の 必要性を説くSch611er(1977)やSayer(1991)の議論も同一線上にあると言えよう。 いま,都市を研究対象に取り上げた時,HoIzner(1981)は文化発生的な相違を無視して都市構造を一 般化する態度に反駁した。それはSjoberg(1959,1965),Robson(1969),藤出(1982,p394),および Ford(1995)らによるシカゴ学派の都市理論の普遍性を疑問視する見解にも通ずる。日本の都市の地域構 造に関しても,Hofmeister(1979)やHoIzner(1981)らの比較文化的見地に立てば,欧米都市と異なる 側面があると考えることに不合理はない。. わが国では主要都市の多くは江戸時代の城下町に起源を持ち,現代都市と異質の前近代都市を歴史的母体 としている。そのことを重視するなら,今日の都市の地域構造を理解するための手続きとして,城下町との. 17.

(3) 横 尾. 実. 連続関係に焦点をあてることは1つの有意義な研究課題となる。このような観点から筆者はこれまで東北地 方の諸都市を例に研究を重ねてきた(横尾,1971,1987,1993,2000,2002;Yokoo,1972)。今回は対象 を全国に広げ,経験的アプローチから城下町構造と関連した都市の地域構造の一般化を試みる。そのために はHouston(1953,p191)や倉沢(1968,p126)らが言及したとおり,対象都市を類型化することから始 める。. 本論が対象としたのは江戸時代の城下町を起源とし,1953年までに市制を施行した131の都市である。市 制施行時期の限定は行政的合併で生じる実質的な都市との尭離を避けるためである。都市名もこの時点のも のによった。城下町起源の都市には,領主が直接在住しない町や,廃城後に本港支配あるいは幕府直轄となっ. た30例が含まれる。それらにおいても一度確立した城下町構造は現代都市の歴史的基盤となっているからで ある。また,城下町は既存の港町や宿場町などと連結していることもある。 都市の地域構造は地区別機能すなわち土地利用に着目して捉えた。都市地域研究における土地利用の有用. 性はすでに多くの研究者によって支持されている(Dickinson,1947,p147;Schwarz,1966,p447;Bourne, 1976;木内,1979,p131;Pacione,2001,p131)。まず,対象都市の江戸時代に関しては,原則として町の 規模が最大時の絵図から城下町の地区別機能を復原した。現代に関しては1970年代後半の国土地理院発行2 万5千分の1土地利用国によった。同国を欠く少数の都市については,現在のゼンリン住宅地図で補った。 その場合,現況把握の時期に違いが生ずるのは避けられない。また,同士地利用図刊行後に都市内で起こっ た主要公共施設の移転と大規模な都市計画事業による土地利用変化については,別途発行されている都市地 図,郷土資料や筆者の現地調査により確認した。なお,本論では都市内の機能地区の設定自体が研究目的で はないので,地区設定は定性的な卓越原理に基づいており,厳格な基準によるものでない。. Ⅰ.城下町の地域構造 その一般モデルは第1図のように表わされ る。これは全対象都市に基づいた帰納的産物で ある。城下町は封建領主の居城の防御を主目的 として計画的に建設されており,その地域構造 の一般型は城を都心とする圏構造として捉える. ことができる。これには城下町規模による違い はなく,城下町はSjoberg(1960,plOO)や Handlin(1963,plO)によって指摘された前 産業都市の性格を具有する。それについてはす でに論じたので(横尾,1991,2000),ここで は次章の立論の前提として,実際的見地から城 下町を構成する各部分地域,すなわち城郭,士. 卒地区,町人町および寺社地について述べる。 現実の城下町は城を中心に国状の形をとると. は限らない。対象事例の約60%の城下範囲は城 の大手側に偏在する。城の背後がしばしば天然 の要害となっているためである。 城は通常,内堀と外堀で囲まれる。ただ城地. 18. 第=図 城下町構造の一般モデル.

(4) 日本の城下町起源都市の地域構造. が十分な比高を持つ場合には,宇和島のように内堀はない。外堀は防御ばかりでなく,しばしば水路にも利 用された。江戸,和歌山,高知や柳川などにおいてである。郭内は内堀と外堀に挟まれた区域で,藩の施設 や上級武士の屋敷で占められた。. 郭外,すなわち外堀の外側には中・下級武士と足軽の居住地区が広がる。足軽地区がさらに細長く突出す る例も鹿児島をはじめ多い。また,諏訪のように低湿地が城郭(城と郭内を合わせた区域)と城下を分断す ることもある。. 町人町は原則として部外に配される。それは通常士卒地区より小面積で,城郭を迂回するように街道沿い に発達する。さらに主街道から分岐して士卒地区を横断したり,城下周辺の宿場や港町と連結することもあ る。例外的に旧首里では町人町は成立せず,町人は外港の那覇に集住した。 一般に商業中心は城の大手前に位置する。ここは交通の中心にあたり,街道に面して富商街が形成された。. 少例ながら大手前以外に経済活動の枢要地があると,商業中心はそれを指向する。水戸,徳島,桧山などの 河岸,小田原の街道分岐点,津の門前町,そして福岡の港町がその例である。. 町人町は郭内にもまたがることがある。1つは断片的なもので,高松の河岸街や徳島の初期特権商人街な どがあげられる。それに対し注意を要するのは,商業中心を含む町人町の主要部が郭内に存在する場合であ る。金沢,岡崎,彦根,岡山,福岡そして唐津がそうである。しかし,それは城下町モデルに反映させるに は及ばない。なぜなら宮本(1994)も論じたように,近世城下町の建設理念に照らすなら,郭内の町人町に 特別な意義は認められないからである。例えば,岡山では,はじめ郭外につくられた富商街が城下拡大後, 新設された堀に囲まれてしまったにすぎない。. 寺社地は城下周縁に配置され,有力寺社の門前には歓楽街が付着することもある。岡山と高松では一部の 寺社地は士庶地区内に混在する。これらも城下建設期の寺社地がその後拡大した城下に取り巻かれた結果起 こった。 前述の発生上城下町とした町30に関しては,次のような結果を得た。. ①18の町では廃城があった場合でも城郭部は新たに役所や藩蔵などで占められ,もとの城下町構造は維持 された。ただ,士卒地区は縮小し,大阪と米子では郭内にも町人町が入り込んだ。. ②残り12の町は実質的に士卒地区を欠く。廃城後,城郭跡に設けられた役所などにわずかに士卒屋敷が付 随するだけである。したがって,町全体の構造は城下町モデルから士卒地区を除いたものとなる。高岡と大 津では郭内も全て町人地化し,また栃木,足利と高山では城地は遺棄されて,役所などはそれとは別の町縁 辺に設けられた。. Ⅱ.現在の都市構造と城下町構造との関係 江戸時代終結とともに城は都心の地位を喪失し,城下町構造は崩壊する。しかし,それを構成した部分地 域の配列自体はすぐには消滅せず,今日でも少なからず伝統的な土地利用パターンとして残り,都市の地域 構造を制約している。このような城下町構造が残した土地利用パターンを以下では城下町パターンと言う。. したがって本章の課題は,厳密に言えば,現在の都市構造を城卜町パターンとの関係から解明することであ る。この関係を実際に確認するために全対象都市について第2図に例示したような作業を行い,類別化した 結果を第3図以下にモデルとして示した。. まず第2図では現在の都市と城下町の関係を示すために,現在の都市内部の機能地区を次のように区別し た。. ①城下町の⊥地利用と関係して成立した地区。これは城下町の⊥地利用を継承するか,あるいはそれに誘. 19.

(5) 横 尾. 実. 500m. 500m m藩施設所在地区. ー旧城下範囲 ▲−一一鉄道. Eヨ武士居住地区. 城下町の土地利用と関係する地区. [:コ町人町. 図南業・業務中心 国商工住混合地区. 田商業中心. Eヨ住宅地区 ⅢⅢ公共施設所在地区. 医囲寺社地. 団寺社地 爪城址. 一主要街道. 城下町の土地利用と関係しない地区. 図南業■業務中心 国商工住混合地区. ⊂=コ掘と川. E∃住宅地区【Ⅲコ公共施設所在地区. ロ工場 第2図 江戸期と現代の津(三重県) 江戸期は「享保4(1719)年津御城下分間絵図」による。 現代は「2万5千分の1土地利用国」(1976年調査)と筆者の現地調査(2005年)による。. 導されて成立した地区である。前者は士卒居住地区を受け継ぐ住宅地区,そして町人町を起源とし商工住の 混合する商店街などである。後者はかつての城地や上級家臣の大区画宅地を利用して創設された官公署や学 校などの公共施設が所在する地区である。. ②城下町の土地利用と関係なく成立した地区。旧城下外に位置する諸地区はもちろん,旧城下内であって も住宅地区内部で新しく成長した商工住混合地区などがこれに該当する。. 次に第3図以下のモデル図では,現在の都市と城下町をそれぞれ都心を中心とする圏構造として捉え,重 ね合わせて表現した。. 現在の都市構造は機能と家屋密度を異にする3地帯から成る。 ①都心。都心の成分はHofmeister(1980,p67)に従い,商業中心と行政中心に分けた。前者は専門品・ 買回品店,飲食娯楽施設,そして各種業務施設などが集積する地区である。業務街が商店街から分化してい る場合は業務中心として区別した。他方,後者は県庁,市役所などの官公署から成る地区である。. ②中間地帯。都心を取り巻き,家屋が密集する地帯である。主に商工住混合地区と住宅地区から成り,城 址,寺社そして各種公共施設の所在する地区をも含む。. 20.

(6) 日本の城下町起源都市の地域構造. ③周縁地帯。中間地帯の外側に広がる家屋密度の低い地帯である。その範囲は上記2地帯を大きく上回る。 住宅地区が卓越すると同時に各種公共施設や小工場も散在し,主要交通路沿いには商工住混合地区が突出す る。さらに大都市や工業都市ではそれぞれ固有の機能配置が加わる。 各モデル図ではこれら3地帯の輪郭の縮小形を記した。なお,各地帯の面積および土地利用強度に関する 都市間の違いは本論の目的と直接関係しないので,考慮には入れない。 上述のような観点と方法で調査した結果,131の対象都市は4つの類型に分けることができた。これらの 類型は当然ながら今日の都市のなかで旧城下町と重なり合う都心および中間地帯に着目して設定したもので ある。以下では便宜上,現代の都市構造を新構造,また城下町構造を旧構造と称する。. ①旧構造残存型。現在も依然として城下町の土地利用パターンが支配的である。 ②新旧構造競合型。城下町の土地利用と関係なく成立した地区が拡大し,残留する城下町の土地利用パ ターンと競合している。. ③新構造成熟型。城下町の土地利用と関係なく成立した地区が優勢となり,旧城下範囲のほとんどを被い つくす。. ④新旧構造併存型。上記3型と異なり,新しい都市形成は旧城下外から起こり,旧城下部分に波及する。 これらの類型はさらにa,b,Cの3群に細分される。これは旧城周囲の郭内の今日における土地利用に 着目した区分である。かつて城を取り囲み要塞化された部分の現状は城下町パターンの変化を知る上で最も. 有効だからである。その変化は発展系列上,a,b,Cと順次進展する。なお,かつて郭内を縁取った堀は 開城とともに漸次埋め立てられた。今日の堀の残存状況について言えば,全対象都市の約5剥が内堀を有し, 同じく約3剥が外堀を有している。. a.旧郭内は全て城下町と関係ある地区,すなわち住宅地区と公共施設所在地区によって占められる。 b.旧郭内は城下町と関係ある地区のほか,城下町と関係しない新興の商工住混合地区によって占められ る。. C.旧部内は城下町と関係ある地区のほか,城下町と関係しない新興の商工住混合地区および商業・業務 中JLりこよって占められる。. 対象都市をこれらの類型と群に従って示すと,第1表のとおりとなる。なお,モデル図としては第3図と 第4図のように各類型につき1群だけを示した∩. 1.旧構造残存型(第3図) これに属する都市は16あり,それらのほとんどは人口10万人未満である(第1表)。. ①都心。一般に都心を構成するのは商業中心のみで,行政中心は都心外に位置する。商業中心は全都市で 旧城下町の富商街を継承し,明治以降新しい拡大はない。金融・保険などの会社は商店街中に混在し,業務 中心は分化していない。都心外の行政中心は7都市では中間地帯にあって,かつての城地や郭内外の士屋敷 を利用しているのに対し,8都市では周縁地帯にあり,旧城下町と関係を断っている。. ②中間地帯。旧城下町との関係から見た時,商業中心に続く商工住混合地区は2つに分かれる。1つは旧 町人町をそのまま継承する部分であり,もう1つは旧城卜町の土地利用を修正し新しく成長した部分である。 後者はかつての士卒地区や寺社地を蚕食しながら,原則として旧城下外にも溢れ出し,b群の都市では旧 郭内にも侵入する。とくに倉吉の旧郭内は幹線道路によって貫通され,官公署所在地を除いて全て商工住混 合地区化した。他方,a群の都市では旧郭内は新興の商工住混合地区の侵入を拒んで,旧城下町の土地利用 との関係を保っている(第3図)。. 住宅地区は大部分が旧士卒居住地区であり,これに商勢後退した旧町人町の一部分が加わる。旧城下外に. 21.

(7) 横 尾. 実. 第1表 類型別都市 人口10万人未満. 10万人∼20万人. 20万人∼50万人. 50万人以上. 綾部,萩,直方*,島原,日 a. 南(旧飲肥)(5). 旧構造残存型. 一関,白河,佐野,長浜*,. b 倉吉*,唐津,大村,臼杵(8). 七尾ホ,小浜,赤穂,西条, a. 人吉,中津(6). 和田(4). 新庄,古河、行田,新発田, 敦賀*,諏訪,高山*,西尾,. 新旧構造競合型. 上野*,福知山,田辺*,浜田, 宇和島,柳川,佐伯(15). 大館*,米沢,津山,三原*, 会津若松,長岡,飯田, 盛岡,秋田,山形,平, C. 丸亀(5). 大垣,津,松江,佐賀, 八代*(8). 路,徳島(9) 静岡*,松山(2). a. b 栃木*,二条*,魚津*,洲本(4) 伊勢崎*,今治(2) 武生,新宮(2). 甲府*(1). 新構造成熟型. 仙台,名古屋(2) 鹿児島(1). 福島,宇都宮,前橋,. 富山,金沢,福井,松 本,沼津,岡崎,大津*,. C. 和歌山,福山,高松, 高知,大分(15) a 横手*,館山*,龍野(3). 新旧構造併存型. 舞鶴,豊岡,日田*(3) b. 鈴鹿,岩国*(2). 川越,高槻,尼崎(3). 高岡*,刈谷,桑名, 鳥取,延岡(5). 首里)(3). ()内は都市数。 *は江戸時代、領主が在住しない町および廃城後に本藩支配あるいは幕府直轄となった町。 人口は1998年の市域人口。東京市政調査会(1998):日本都市年鑑 56 による。. おける密集住宅地区の形成は小範囲にとどまり,モデル図には示されない。唯一の例外は直方で起こった。 それは明治後半からの炭田開発と人口急増によるものであった。 住宅地区内には学校など各種公共施設が散在する。それらの主要なものは旧藩施設や有力家臣の広い宅地 跡に設置された。このような城下町と関係した変化を典型的に示すのが旧城郭部である。城址公園は典型的. であり,これは他の類型に属する都市にも共通する。中間地帯末端には城下町の外壁,寺社地が残存する。 それは全類型で見られる。. ③周縁地帯。旧城下外に位置し,土地利用パターンは前述のとおりである。倉吉と旧鉄肥で見られるよう に,既存市街地から鉄道駅が大きく離れて創設されたり,近隣の町との行政合併があると,それらが契機と なって周縁地帯が特定方向に突出する。これも他類型に共通して見られる。. 2.新旧構造競合型(第3図). 59の都市がこれに属し,その数は全類型中最も多い。概して上述の類型に属する都市よりも人口規模は大 きい(第1表)。. ①都心。商業中心が新しく拡大する。17の都市では業務中心が商業中心から分化する。商業中心の拡大の 源は商勢を持続する旧富商街である。ただし,かつて近くの河岸と直接結びついた富商街は交通条件の変化 により衰退し,新しい商業中心の拡大源とならない。これは水戸,長岡と岸和田など13都市でみられた。行 政中心が商業中心と隣り合い都心を構成する都市は20にとどまる。そのため,一般に都心は前類型と同じく. 商業中心のみから成る。. 22.

(8) 日本の城下町起源都市の地域構造. 第3図 旧構造残存型aと新旧構造競合型bの都市構造. 旧富商街からの商業中心の拡大は2つの方向,すなわち旧城下外と旧郭内に向かった。このうち旧城下外 への拡大は全都市で認められる。旧城下のすぐ外側に創設されることの多かった鉄道駅を指向した結果であ. る。駅前再開発事業はさらにその動きを促した。 旧郭内への商業中心の拡大は都市によって異なる。まず,そのような拡大を示したのがc群の都市である。 旧部内にはとくに業務機能が進出した。津の旧部内では戦災復興事業で開かれた大通り沿いに業務機能が集 中する(第2図)。水戸と長岡では通例と異なり,新しい商業・業務中心は旧富商街から全く離れることになっ. た。とくに長岡は特異で,商業・業務中心は旧城郭部に成立する。城址は鉄道駅で占められ,旧郭内も戦災 後街路改修事業の対象となったためである。ここでは城堀も埋め立てられ,旧城郭は全く崩壊した。鉄道駅 の創設による旧城地の破壊は三原でも起こり,駅と都市周縁の工業地区を結ぶ“通り’’が新しい商業中心と して台頭した。. 反対に,aおよびb群の諸都市では旧部内は商業中心の侵入を許さない(第3図)。商業中心の拡大は旧 城郭と反対側の鉄道駅方向に偏っている。彦根や浜出のように商業中心が旧富商街付近と駅前に分断される こともある。 都心に行政中心を含む都市では,行政中心は旧郭内に位置することが多く,城下町との関係が確認できる。. 一方で,松江や徳島のように,一部官庁の旧郭内からの外方移転も無視できない。秋田では県庁と市役所な どが旧城下外へ集団移転し,業務中心も付随した結果,都心の形状は細長くなった。水戸の変化もこれに類 似する。. 23.

(9) 横 尾. 実. ②中間地帯。商工住混合地区の形成様式は前類型と同じである。ただし新興の商工住混合地区は一層拡大. し,第1表から明らかなように,大多数の都市で旧郭内にも侵入する。豊田など4都市では旧郭内全域が商 工住混合地区化した。. 反対に,旧士卒地区を受け継ぐ住宅地区は商工住混合地区に蚕食されて縮小する。旧町人町の部分的な住 宅地区化は水戸や上野など7都市で見られた。鉄道開通後,駅の反対側が商勢を失ったためである。 ③周縁地帯。土地利用パターンは前類型と基本的に同じである。姫路と徳山など10都市では工業地区が発 達し,大垣と徳島など11都市では工場が広く分散する。三原を別とすれば,このような工業発展は都心と中 間地帯に特別な影響を及ぼしていない。. 3.新構造成熟型(第4図) 所属する都市は37である。人口規模はさらに大きくなり,大部分の都市が人口20万人以上である(第1表)。. ①都心。都心は全類型中最も成長し,その形状もモデルでは円となる。7都市を除けば,業務中心は商業 中心から分化し,都心拡大を促す第一の成分となる。行政中心も9都市を除き都心に含まれる。. まず,商業・業務中心から見ると,本類型でも通常,旧富商街は存続する。旧富商街の衰退は魚津や福井 など10都市で認められるだけである。このような事例は江戸期の富商街が付近の船着場と強く結びついてい た場合に多い。新しい商業・業務中心は前類型と同じように,旧富商街から2つの方向,すなわち旧城下外 の鉄道駅方向と旧郭内に拡大する。前者への拡大は全都市共通であるのに対し,後者への拡大はそうではな くc群(第4図)とa,b群に分かれる。 c群諸都市のなかで,旧郭内での業務中心拡大が著しいのは東京,岡山と大分である。それらの旧郭内は 公共・行政施設所在地区以外全て業務中心化した。さらに沼津では旧郭内の大部分だけでなく旧城地全域が. 新構造成熟型C. 第4図 新構造成熟型cと新旧構造併存型aの都市構造 凡例は第3図と同じ。. 24.

(10) 日本の城下町起源都市の地域構造. 商業・業務中心化した。ここでは堀も埋め立てられて旧城郭は全く痕跡を残さない。明治以後,旧城郭は鉄 道駅と旧富商街に挟まれた結果である。他方,大阪では旧郭内への商業・業務中心の拡大は弱い。その拡大 は主に旧城下の南北両端に開設された鉄道駅に向かった結果である。そのほか,戦災復興事業による大通り の開設,そして近年の鉄道駅周辺や,公共施設および工場跡地の再開発事業などに刺激されて商業・業務中 心が拡大した例は多い。富山では,戦前の河川切り替えが契機となって,県庁などの官公署が移転し,それ に商業・業務中心の拡大が続いた。. a,b両群に属する都市のなかで,とくに注目すべきはa群の4都市である。これらの都市では明治にな ると旧城郭部は軍隊駐屯地となり,その後長期間経済活動の侵入を拒んだ。第2次世界大戦後,駐屯地は主 に公的利用に開放されたため,その時も商業・業務中心は侵入の機会を失った。これは仙台が代表的である。 そこでは旧城郭部は河川で囲まれ,さらに背後が自然的要害となって都市成長を阻止しているからである。. 次に行政中心は,城下町との関係から見たとき,旧郭内に位置する事例が最も多い。東京をはじめ14の都 市がそうである。東京や大阪など5都市で起こった行政機関の旧部内からの外方移転も部分的なものでしか ない。前橋や福井など4都市の行政中心は旧郭内だけでなく,城二址をも占めている。. ②中間地帯。この地帯の大部分を占めるのが商工住混合地区で,しかも城下町と関係なく成立した地区で ある。この新興の地区は旧城下範囲を被いつくし,さらに外側に溢れ出る。このような商工住混合地区の拡 大は元々城下範囲が小さかった栃木や洲本など7つの小都市でも起こった。東京,大阪と名古屋ではこの商 工住混合地区の中に小規模な工業地区が点在するほか,旧城下部分を取り巻くようにいくつかの副都心が発 達している。/ト倉の商工住混合地区は近隣の八幡,若松,戸畑および門司の既存市街地と連結する。他方, a群諸都市では,前述の理由で旧郭内は依然商工住混合地区化していない。. 商工住混合地区内には各種公共施設が点在する。東京を例にとれば,大学,公園,運動場,御苑,離宮, そして自衛隊駐屯地などである。それらは旧武家屋敷跡を利用して創設されながら,その後拡大した商工住 混合地区によって取り囲まれてしまった。. 中間地帯にはモデルに示されないほどの小領域の住宅地区が存在する場合がある。そのような住宅地区は, 松山と鹿児島を別とすれば,旧城下範囲内に位置する。一つは都市の成長方向と反対側になった旧城下縁辺 の士卒地区である。これは仙台,松本,金沢,高知,福岡など16都市で見られる。もう一つは旧郭内の一角 を占める集団住宅の一群である。これは戦後軍用地開放時に建設されたもので,大阪と広島で見られる。. 城下町時代から続く寺社地に関して言えば,名古屋など4都市で寺院と墓地の計画的移転があった。 ③周縁地帯。前述した土地利用の基本的パターンのほか,和歌山と小倉など7都市では工業地区が加わる。 東京,大阪と名古屋では大都市圏が成立し,仙台,福岡と広島でもその胎動が見られる。. 4.新旧構造併存型(第4図) 所属する都市は19で,これまで見てきたような人口規模との関係はない(第1表)。. ①都心。上述の諸類型との違いは商業中心の成立過程にある。今日の商業中心は旧富商街とは関係なく, 旧城下外に新しく成立した(第4図)。多くの場合,その位置は鉄道駅前の“通り’’に沿っている。旧富商 街は衰退し,もはや都JLりこは含まれず,中間地帯の伝統的商工住混合地区内に埋没する。行政中心が商業中. 心と隣接する都市は5つのみで,一般に,都心は商業中心のみから成る。商業中心からの業務中心の分化も 4都市で見られるにすぎない。 都市の持つ固有の条件が商業中心の位置を決定づける例もある。岩国と延岡では周縁地帯で発達した工業. 地区による影響があった。商業中心は前者では旧城下から2.5km離れた臨海工業地区付近で成長し,後者 では鉄道駅前と有力工場付近に分かれる。他方,都市計画が商業中心の成立を誘導する例もある。那覇から. 25.

(11) 横 尾. 実. 旧首里に通じる回廊部,そして日田の二つに分かれた旧町人町の中間部における商業中心の成立がそれであ る。. 行政中心の位置は,都心以外では,中間地帯と周縁地帯に分かれる。行政中心が中間地帯内のかつての城 地や郭内にある例は川越や鳥取など4都市にすぎず,全類型中最も少ない。. ②中間地帯。新興の商工住混合地区は商業中心に続き,主として旧城下の外側で成長する。それにより岐 阜など3都市では近隣の既存市街との連結が起こった。この新しい混合地区はb群の諸都市では旧城下内 でも十分成長し,豊橋では旧城下全体を被うほどである。対照的にa群の諸都市の旧城下部分を見ると,依 然旧町人町が商工住混合地区の主体をなしている。. 中間地帯を構成する住宅地区はかつての士卒地区と一致し,旧城下外までは溢れ出ない。京阪神大都市圏 に属する尼崎と高槻は特殊である。旧町人町の大部分が商勢後退して住宅地区となると同時に,旧城下外で も住宅密集地区が形成された。他類型の都市と同様,全ての都市で住宅地区内には旧城下町と関係した公共 施設所在地区が点在する。. ③周縁地帯。土地利用パターンは既述の基本的な傾向を持つ。尼崎や岩国など4都市ではそれに工業地区 が加わる。刈谷,高槻と尼崎はそれぞれ大都市圏に位置しており,独自の周縁地帯の境界は不明瞭となる。. Ⅳ.結 び 最後に,一般的見地から日本の城下町起源都市における地域構造を捉える。前章で試みた類型化はその前 段階である。 旧構造残存型,新旧構造競合型,そし て新構造成熟型の3類型を比較すると,. 都市構造は段階的に成長することがわか る。新旧構造併存型は特異なので,ここ. での考察には入れない。それ以外の3つ の類型を順次並べると,今日の都市構造 は旧城下町パターンを解体すると同時 に,それに制約されながら成長する過程 が読み取れる。このような形成様式に注 目して都市構造を一般モデル化したのが 第5図である。. 本国に示されるように,都心は城下町 崩壊後,城から移動したにもかかわらず, その位置は旧城下町パターンによる拘束 から解放されていない。なぜなら,今日 の商業中心は旧城卜町の富商街を源とし. て拡大しているからである。それは3類 型中約83%の都市で確認された。行政中. 心の位置を決定づける条件として,旧郭 内の意義も看過できない。. 城下町の都心であった城は今日では公. 26. 第5図 都市構造の一般型 凡例は第3図と同じ。.

(12) 日本の城下町起源都市の地域構造. 園などとなり,都市全体に対しかつての支配的な役割を喪失した。欧米都市に基づいた古典的都市構造論に おいては,現在の都心は都市の原初核と一致し,ここからの同心円状の拡大が都市成長の全過程を通して繰 り返されることが指摘されている(たとえばBurgess,1925;Dickinson,1964,p125−162)。しかし,日本 の旧城下都市では,新旧2つの核は一致しない。このことは次に述べる中間地帯の成長をも独特な様式にす る。また,西洋化した東洋都市(T)ettmann,1970;Seger,1979;Ehler,1983,1992)や植民都市(Smailes, 1969;Scargill,1979;KosambiandBrush,1988)では伝統的な都心と新興の都心が並んで二極化が起こっ た。これも日本の都市には見られない。城二址は歴史的遺産として残るだけで,隣接する都心とは好対照を示. す。このような実質的活動の空洞領域が都心とすぐ向かい合っていることはBarthes(1982,p30)らが日 本都市の特徴とした点である。さらに城址を取り囲む旧郭内も,前章で見たように特殊な条件が加われば, 商業・業務機能の侵入を拒み広い範囲が都心と対照的になる。. 中間地帯は旧城下町パターンを修正して成立する。前述のとおり,現在の都市構造が成熟段階に達した都 市では,中間地帯は大部分を新興の商工住混合地区によって占められ,その範囲は旧城下から溢れ出してい る。しかし,類型間の比較から明らかのように,都市成長の途中の段階では中間地帯はおおむね2大成分, すなわち新興の商工住混合地区と旧士卒地区を受け継ぐ住宅地区から成っている。後者は城の周囲に形成さ. れた城下町の遺産であるのに対して,前者は新しい都心となった商業中心の周囲で形成された,城下町とは 没交渉の地区である。2つの地区はモデルに示されるように,互いに形成軸を異にする円環として接合する 結果,中間地帯の形状は現在の都心周囲を構成する1つの同心円環にはならない。これは旧城下町パターン による歪曲にほかならない。しかし,それは都市構造の成長上,過渡的なものでしかない。その成長ととも に新興の商工業混合地区は旧城下町の残留部に侵入し,それと交替する。このような段階に達した時,中間 地帯はその歴史的拘束から脱し,円環としての形状を確立する(第4図の新構造成熟型c)。したがって中 間地帯の形成は古典論が主張するような単純な様式によるものではない。. 中間地帯内には依然旧町人町や寺社地の残揮があり,旧士屋敷を利用した各種公共施設が点在して,旧城 下町との関係が認められる。しかし,上述のようにこれらはもはや都市構造の形成に積極的な役割を果たす 成分ではなくなった。. 以上のようにして成立した都心と中間地帯の外側に城下町とは直接関係しない周縁地帯が加わって,今日 の都市構造が完成する。. 本論で得た結果を古典的都市構造論と関連づけて見るなら,日本都市に対し古典論流の同心円状の成長様 式をそのまま適用することは現実的でない。. 文 献 木内信蔵(1979):都市地理学原理.古今書院. 倉沢 進(1968):日本の都市社会.福村出版. 藤田弘夫(1982):日本都市の社会学的特質.時潮社.. 宮本雅明. (1994):城下町の空間類型.年報都市史研究,2,p3∼15.. 横尾 実. (1971):仙台の都市地域の形成過程.地理学評論,44,p618∼627.. 横尾 実. (1987):弘前の都市構造への歴史的制約.東北地理,39,p302∼315.. 横尾 実. (1991):城下町秋田の地域形成様式.東北地理,43,p19∼29.. 横尾 実. (1993):秋田における都市構造の歴史的再編.人文地理,45,p244∼260.. 横尾 実. (2000):東北地方の城下町起源都市における地域構造の移行一江戸時代から第2次世界大戦時まで−.. 季刊地理学,52,p17∼34. 横尾 実(2002):東北地方の城下町起源都市における地域構造の歴史的形成様式−1945年から1990年代まで−.. 27.

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参照

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