教師教育における数学者の役割
-RIMS
共同研究の目標と現状
-三重大学教育学部 蟹江幸博 (Yukihiro Kanie)
Faculty
of
Education,Mie University
目次
1
はじめに1
1.1
数学者が数学教育にどう関わるか. .
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2
1.2
教師になる (免許取得の) ために課される数学力 ..
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5
1.3
今できる提言 .. .
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9
2 共同研究の目標と進行状況10
2.1
5月の集会..
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11
22
12月の集会.
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13
23
講究録とチームとの関係 ..
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15
3
チーム$0$ の守備範囲 (数学者の関わりの歴史)15
3.1
クラインの場合.
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. 16
3.2
フロイデンタールの場合.
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16
3.3
バスの場合.
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17
4
終わりに18
1
はじめに
本講究録は,RIMS
共同研究「数学教師に必要な数学能力形成に関する研究」の
一年間の成果をまとめたものである. 数理解析研究所の研究テーマとして, これまで数学教育に関するものは取り上 げられたことはなかった. であるならば, 何であるにしても, 数理解析研究所に おいて数学教育に関する研究を行なうのであれば, どういう立場に立って行なうかということを考えなければならない. 問題とすべきことが何で, それにどう取 り組むかということを考える必要がある. それも, 理念的なことと現実的なこと の両面から考える必要があるだろう.
1.1
数学者が数学教育にどう関わるか
数学者が数学教育に関ることができるのか, 関るべきなのか, 関ってもよいの か, 関った方がよいのか? 問われた瞬間から, 肯定の立場からも否定の立場から もさまざまな議論が起こるだろう. そして恐らくは, 矛盾する結論に導く, どの議 論も正しいということが起こりそうである. 実際, これまでになされた多くの議 論はそうであった. 問題は, その際, 何を目的として, 何にとって, という前提が 語られないままの議論になることが多かったことだ. だから議論が錯綜したまま, 何の結論も方向性も見いだせないまま, 議論そのものが沙汰止みになってしまう. また, 何はともあれ, 関わることになったとして, その関わり方の可能性や現 実性や有効性についても考える必要があるだろう. 原理から説き起こし, 行動す ると決まった後で, さらにさまざまな手段と立場によって, 現実の行動までに至 らないことも, 数学者の集団にはありがちなことである. 数学者には分かりやすい立場で論じている人にHWu
がいる. 精力的に主張を 繰り返しているが (例えば[33], [34]),
例えば97 年の論文[34]
のタイトルは 「数 学教育改革:
なぜ数学者が関わらねばならないか, そして何をなし得るか」 とい うものであり, その中でWu
は「上流が濁れば下流が濁る」 という比喩を使い, 初 等中等教育のレベルが下がると大学生のレベルが下がるので, 大学の教師といえ ども, 初等中等教育に対しても何かしらのことをしなければならないという使命 感を訴えている. 2006 年のマドリッドICM
でもどう貢献できるかということを論 じ, 呼びかけている([35]).
Wu
はまた色々なレベルの教科書を自分で書いて, 教 育の改善に力を注いでいる. 日本でも, こういう意識を持った数学者は何人もお られ, いろいろな努力がなされている. しかし, 初等中等教育での算数数学教育の質の向上のためには, それだけ でよいであろうか. できることではないが, 大学に勤める数学者が, すべての小 学校, 中学校, 高等学校に直接に, 教えに出向くことができればそれでいいのか, ということを考えれば, 量的に実現不可能だというだけでなく, 質としても現場 で役に立っとは思えない. 数学者の考える数学を, 児童生徒に語っても役に立 たないどころか, 弊害の方が多いだろう. 例えば, 我々の論考[19]
の付録を見て 欲しい. 近年アメリカで精力的に活動を続けているデボラボール(Ball)
の, 児 童に対する授業の実践記録である. 彼女は小学校の教師をしていて, 低学年から高学年に担当が変わったとき
,
教え込み型の授業では駄目なことと,
授業に必要な数学の知識が自分に不足していることに気づき
,
大学に入り直して数学の勉強 をした後, ミシガン大学教育学部に勤めるようになり,
その後も小学校の教壇に 立ちっづけている. 上記の記録は後者の時の実践の1
つである.
その中で, 彼女は,
算数の授業を進めていく際に
our
working
definition
という手法をキー. ツールとして用いている.
数学的知識に裏打ちされた教育実践者でなくては手に余る
ツールかも知れないが,そのような資質を持っ教師の育成には数学者が関わるこ
とはできるし,意識的に関わる必要があるだろう
.
そこには数学者が関与できる状況が見えはする.
しかし, 数学者がボールの立場を代わりに務めることができるだろうか
?
上の付録は多少は読みやすく書き 直してあるが, 児童の発言が論理的でないだけでなく, 文章としてもまとまりのあるものでないことに気づくだろう
.
その一端を理解してもらうために, 敢えて 元の記録に近い形に整理してあるのである (元の記録はさらに読みにくいもので あることは, もちろんである). まとまりを与え, 数学的知識を与えるだけでは, 児童にはほとんど伝達されないし,
児童の中に育って行くものを阻害することが 起こりやすい. 数学者には無理だといって,
手を扶いているしかないのだろうか. 代数的 $K$理論などで知られるバス (H.Bass) を例に見よう. 彼は積極的に数学教 育に関わり, ボールと共同研究をしている. 教師教育をメインテーマとする彼ら の道は平坦なものではなかった. これらに関してバスが語ることは多くないが[28]
や[30]
によって概略は知ることができる. 彼の取り組みの経緯と立場について[19]
で取り上げておいた. ただ一つ, 上のボールの実践記録への関わりで言えば, 大切 なこととしてバスが述べているのは, 小学校の教室の中で行われるこのようなや り取りが, 教授者や児童の数学能力の高低や深浅によって論ずべきではなく, そ こに確かに (別の) 数学が行われていることを知るべきだし, 尊重すべきである ということである. さて, 日本の実情に照らして一言で言うなら, 実際に児童生徒を教えること より, 彼らを教える教師の数学的資質を向上させること, つまりは教師教育こそ, 数学者が関わるべき側面であるということであり, そこにこそ, 数学者がどのよ うに関わることができるか, また関わるべきかという問題を考えるフィールドが ある. この共同研究が採択されたのは, そういう意識が顕在化してきたからでもある. 数学教育に関する研究を申請することを考えることさえできなかった中で, 申請 に踏み切った背景というものがある. 今年から初等中等教育の教師に対する免許 更新制が施行されることになり, そのことに教員養成系に所属しない数学者も関 わりを持たなければならない場合が起きたことである. これには大学によってかなり対応の違いがあるが, それでも,
数学者養成系の教室に属する数学者もまっ
たくの他人ごととは言ってはいられなくなった.
より現場の教師たちの能力, 環境,履歴を知っている教員養成系に属する数学
者たちは大きな危惧を抱いた.
現場の教師と懸け離れた感覚で,
上からものを教 えるように免許更新のための講習をされると,
受講生からそっぽを向かれ, そのことが更新講習で数学を選択しない教師が増えることに繋がり
,
結局は教師の数学的能力が上がらなくてもよいというような風潮を助長してしまわないだろうか
.
と言って,小学校や中学校の教師の数は圧倒的に多く
,
彼らの分の講習を自分 たちが担わなければならないなら, 考えたくもないほどの量の講習が必要となっ
て, とてもすべて自分たちがするとは言えない状況にある.
さらに, 近年の大学 の環境の変化により,教員養成系の大学・学部における数学者のポスト数は少な
からず減少している. 教員養成系の学部や大学に所属する数学者は, そういう事柄よりさらに踏み込 んで考える必要に駆られている上に, 現場のさまざまな欲求や需要に対応するの に手一杯なありさまである. これまで日本では, 数学に関する教師教育については主に,
教員養成系と呼ば れる教育学部や教育大学に所属する数学者が担ってきた.
十分な質と量の数学者 がそこに関与しているのであれば, もしかすると研究を主業務とする数学者が心 を振り向ける必要もないことなのかもしれない. しかし, 問題がいくつかある. 第一に, 近年の大学の機構改革により, それらのポストが大幅に縮小されてい る. 教員定員の削減もあるし, 教育学部自体が存続を止めた場合すらある.
一言 で言えば, 人手不足で手が回らない. さらに, 入学する学生の数学 (だけではな いのだが) の能力が低下しており, それにつれて卒業するまでに培うことのでき る学生の数学能力も低下し, その教師たちが教えることにより, さらに能力の低 下した生徒が大学に進学してくる.デフレスパイラルに似た状況がここにある.
そこで端的に, もっと沢山の, 質の良い数学を教えればよいではないかという,
いささか乱暴ではあるが, しごく尤もな意見がカを持つ理由もないではない. 少 数の良質な教師を作ればよいのならそれでもよい. しかし, 児童・生徒数や教員 数は圧倒的ともいうべきものである. 文部科学省の統計[26]
によれば, 平成 20 年 度については, 小学校の総児童数 712 万人, 教員 (本務者) 41万9千人 (非常勤 教員を除いた数), 中学校の総生徒数359万人, 教員 (本務者) 25 万人, 高等学校 (全日制と定時制を合わせたもの) の総生徒数 336 万 7 千人, 教員 (本務者) 24 万 1 千人, 通信制高等学校の総生徒数18万3 千人, 教員 (本務者) 3 千 5 百人, (兼務 者$)$ 6千4百人, 中等教育学校 (中高一貫校のこと) の総生徒数 1万1千人, 教員 (本務者) 1千4百人, 専修学校の総生徒数65万8千人, 教員 (本務者) 5万2千人, (兼務者) 11 万人である.
上記はすべての教員数ではあるが
, 小学校においてはほとんどの教員が算数の
授業を担当することになる
.
免許更新制が教員の教授資質の向上に資するべきもので
,
多くの教員が算数・数学に関する講習を受けようとすれば
,
どのような遣り繰りをしても不可能な数字
である. しかし,教科に関する講習を受けないでも済む道が開かれており
,
実際 の講習の申し込み状況を見てみると, 何とか実行できそうなのが実情である.
そ れを喜んでいいのか,
悲しむべきなの力$\searrow$ コメントすることすら揮られる.
1.2
教師になる
(
免許取得の
)
ために課される数学力
次ページの表1
は,
各種免許を取得する際にどれだけの数学に関する単位を取
ればよいかを示す, 現行の教育職員免許法の別表第1(第5条, 第 5 条の 2 関係) である. さらに免許の種類にもいろいろあり,
前年度のデータを細かくまとめ直した調 査報告[25]
によると,公立中学校の場合に数学の免許を持つ教師の割合は
155%
で あり,公立高等学校の場合に数学の免許を持つ教師の割合は 133%
である. また, 免許にも等級があり,
小学校, 中学校の免許には, 専修免許, 1種免許, 2種免許 の3等級があり, 高等学校の免許には,
専修免許, 1種免許の2等級がある. 小学 校では,専修免許 32%, 1
種免許802%, 2
種免許147%
であり,
さらに臨時免許 の人が 0.2%, 何の免許も持たない人が17%いる. 中学校では, 数学の1種免取得者が教員総数に対して
144%,
2種免取得者が1.1%である. 高等学校では, 数学の
1
種免取得者が教員総数に対して
94%,
専修免取得者が39%である. 先ず, 表 の中の 「教科に関する科目」 は, 数学なら算数・数学の教科内容に関係する内容 を持つ科目のことである.「教科専門 (科目) 」 という言い方をすることもある. そ の内容に関して, 教育職員免許法の施行規則,
第4 条の付表があって, その中に は, 代数学, 幾何学, 解析学,「確率論, 統計学」, コンピュータが挙げられてい る. さらに, 備考として, 「ここに掲げる教科に関する科目は, 一般的包括的な内容を含むものでなければならない
.
」
とある. また, 「 」 内に表示された教科に関 する科目の単位の修得は, 当該教科に関する科目の1以上にわたって行うものと する, となっている. 法律用語は分かりにくいが, この場合, 確率論だけでも, 統 計学だけでもいいし, 両方あってもよいという意味にとればよい. この表を見て目を引くことは 「教職に関する科目」 の多さだろう. 実は 10 年ほ ど前に, 免許法が改訂され,「教科に関する科目」 と「教職に関する科目」 の比重 が逆転した. 例えば, 中学校1種免許では, 以前の規則では教科に関する科目は第
1
欄 教職に関する科目 左項の 小学校教諭 中学校教諭 高等学 各科目 校教諭 に含め 専 $=$ $=$ 専 $=$ $=$ 専 ること修種種修種種修種
が必要免免免免免免免免
な事項 許許許許許許許許状状状状状状状状
第教職の意義等に関する 下欄※2222
22
2
最2
科目 1を参低欄照
修第教育の基礎理論に関す
下欄※66466466
得3
る科目 2を参 (5)(5) (3) (4) (4)
単欄照
位第教育課程及び指導法に
下欄※22
22
14
12
12
4
6
6
数4
関する科目 3 を参(6)(6)
(3)(4) (4)
欄照 生徒指導、 教育相談及 下欄※44444444
び進路指導等に関する 4 を参 (2) (2) (2) (2) (2) 科目 照 第 総合演習2
2
2
2
2
2
2
2
5
欄 第 教育実習55555533
6
(3) (3) (3)
(2)(2)
欄 ※ 1 教職の意義及び教員の役割、教員の職務内容 (研修、服務及び身分保障等を含 む。) 、 進路選択に資する各種の機会の提供等、 に三区分される。 ※ 2 教育の理念並びに教育に関する歴史及び思想、幼児・児童及び生徒の心身の発 達及び学習の過程 (障害のある幼児、児童及び生徒の心身の発達及び学習の過程を含 む。) 、 教育に関する社会的制度的又は経営的事項、に三区分される。 ※ 3 教育課程の意義及び編成の方法、各教科の指導法、道徳の指導法、特別活動の指 導法、教育の方法及び技術 (情報機器及び教材の活用を含む。)、 に五区分される。 ※ 4 生徒指導の理論及び方法、教育相談 (カウンセリングに関する基礎的な知識を 含む。) の理論及び方法、 進路指導の理論及び方法、 に三区分される。 表2: 教育職員免許法施行規則 第6条 付表 (表部分)40単位が必要であった. 現在では,「教科または教職に関する科目」 の単位数を, 教育機関の裁量により, どのように定めてもよいことになっている. 旧国立系の 教員養成学部では, ここの部分はすべて 「教科に関する科目」 に振り向けている ことが多い. 全数調査はまだないが, 数校の教員養成系学部での 「中等数学」 の 教科に関する必修単位数を調査した結果が
[22]
の6に掲載されている. この 「教科に関する科目」の単位数がどれだけ少ないものか, 理学部, 工学部, 農学部, 医学部などで教員免許を取得する学生の, (卒業のための必要上取得する 最低限の) 単位数と比べてみれば, 教員養成系で実際に学生に課すことができる 講義時間が如何に少ないものにしかならないかが分かるだろう. 教員養成系学部 の学生は, 教員免許に必要な単位を取得すれば, それで卒業可能なように卒業要 件は定められている. 旧国立系でない大学の場合, 施設や手間と専門能力のある教員が必要な 「教科 に関する科目」 を極力少なくした教育を行なうことが少なくない. 極端なことを $\equiv$ えば, 小学校2種免許を持ちさえすれば, そしてもちろん各都道府県や市の教 員採用試験に合格すれば, 現実に教師になることができる1.
教育現場におけるそ のような教師の割合も, 上記の統計報告にあるように, 決して少なくない. その ような場合, 大学4 年間に一度も, 数学の (香りが多少ともする) 講義を受けず に, 卒業し, 免許を受け, 教員になっていくことになる. 分数のできない大学生 が少なくない現状で, 分数の出来ない教師が, 公的に, つまり法律的に許されて, 堂々と公立小学校で児童を教えているのである. そして今, 教員の資質の低下を 憂えた文部科学省は, 全国の大学教員に, 彼らの免許更新のために, 彼らの授業 する能力が保証できるように免許更新のための講習を行なうように指示してきて いるのである. 「教職に関する科目」 とは, 授業内容以外の教員の知識, 技能に関するもので あり, 参考までに教育職員免許法施行規則, 第6条の付表を, 表 2として前ペー ジに挙げておいた. 用語の説明や解説が必要でもあろうが, 本稿では省略させて いただく. 現在, 教員養成系大学・学部で教育を担当している数学者は, 学生に課すこと のできる少ない授業時間数の中で, 如何にして有効な資質を積み上げるかという ことに日夜腐心している.
絶望的とも言える状況の中で, 何が出来るか, また何 をすべきかという試みが, 本RIMS
共同研究の実質的な内容であると言ってよい.
それらの報告の中にある, 数学者には聞き慣れない 「教材研究」 という用語は, 1さらに, 教員採用試験では, 大学での専門教科の内容には一切触れないことになっている. 採 点しなくてもいいから, 大学で学んだことを問うているようにみえる問題を, 一題でもいいから出 してくれないかと, 折りに触れて頼んでみてはいるのだが, 一顧だにされているようには思われな $V^{a}$.
ある意味でキーワードである
.
数学の知識を浴びることで教師の資質が上がるだ
ろうか. 浴びる量が多ければ, それも悪くはないかも知れないが, 上に述べた単 位数では, それは許されることではない. となれば, 質である. しかし, その質とはどんな質であるべきなのだろうか
.
どんな質なら, その少ない時間数で一定 の効果をあげ得るのだろうか.
しかも, その訓練を受ける, 未来の教師である学 生の意欲は, 必ずしも旺盛ではない. それを克服する努力も教材研究ではある.
また, 彼らが教師になったとき, 彼らが児童・生徒を指導・教育出来る時間数
も限られている (学習指導要領の問題). 少ない時間で効果的な教育が出来る能カ を培う必要もある.同じ教科内容を如何に効果的に教えることができるかを研究
するというのが, ここでいう教材研究である. 「教科書を教えるのではなく, 教科 書で教えるのだ」 というスローガンがあるが, そういうことが (数学的に) でき るだけでなく, ノウハウも学んでもらわねばならない. しかし, それを教えるこ とができる,大学の教員がどれだけいるだろうか
?
この講究録は, 進退ここに窮まった集団の, 最後の悲鳴に似ているかも知れない.1.3
今できる提言
与えられた状況の中で何が出来るかを模索することが我々に課されている課題
ではあるが, 状況を変えるための方法を模索し,
実行する努力をすることも大切 なことであろう. 教員養成系の数学者の間で, この種の問題が話し合われるとき, 無駄と知りつ つ, 必ずといっていいほど毎回繰り返される愚痴がある.
「教科専門 (科目) 」 の単 位数をせめて元に戻して欲しい.
そのために具体的に出来ることは何もない. しかし, それさえ実現すれば, 多 くの問題点が一挙に緩和する. 単位数が減らされる前には, 如何にして, 必須単 位で出来る以上に, 数学の知識を与えるかということが課題として語られること が多かった. 単位数を増やしてくれないかなあ, とその頃でさえ考えていた数学 者は多かったものである. それら政策の変更に対して, 働きかけるルートを幾つか用意すること, どのよ うなものが実現可能で, 有効かということを模索するのも大切なことであろう. 最低でも, それらを模索する組織や機構を整備することを, もっと真剣に考えな ければならないのではないだろうか. 大学から文部科学省へというルートは, 実 質的には機能していない. 上から下への流れは強くなったが, 反対方向の流れは 法人化以降, むしろ大学内で留めるカが強く, ほとんど流れていない. 細々とあ る道は, 学術会議や日本数学会などの研究者組織であるが, 特に日本の数学者の場合, これらの問題を実効ある形で行なった例は少なく, またその種のことに慣 れていない. 問題点の認識すら覚束ないものがある
.
むしろ, その種のことを認 識することに,一種の身の汚れを感じているのではないかとすら思われる
.
バークレーの数理科学研究所(MSRI)
で行われた『研究大学における数学教育
の将来』 と題する研究会の基調講演[29]
の中で, バスは 「ほとんどの数学者は主 として数学研究をするための訓練を受けたが,
彼らの職業上の経済的基盤は, 今 や圧倒的に教育的な任務にある」 と語っている. さらに「一握りのエリートのた めの教育が要請されていた時代には,
勉強が出来ないのは学生に資質が欠けてい るせいとしておけばよかった. しかし,高度に競争的で技術的な世界経済の出現
によって, 数学教育への要請は根本的に拡大されることとなった.
今や, 数学の 学習につまずく学生が多数いるような場合,
悪いのは学生ではなく, 教育システ ムの方が機能不全であると判定されるのだ」 と語った後で,「時は来た. 数理科学 者が,教育者としての役割について考え直すべき時が」
と宣言している.
日本の場合, 政治家や官僚にはもちろん, 数学者の間にもこの種の認識が一般 的であるとはいえないが, バスの主張の中の正しさから目を背けることは許され ないのではないだろうか. 教員養成系に属している数学者から, 数学研究者の皆さんに今実現可能な提言 をするとすれば, 取り敢えず 2つのことが考えられる. 日本数学会に教育数学2
分 科会を作ることと, 日本唯一の数理科学の共同利用研究所としてMSRI
に対応す るものと見なされることのあるRIMS
においても, せめてMSRI
がやっているよ うな, 数学者養成ではない大学での数学教育の在り方について, 定期的な研究集 会を開くことの2つである. さらに, 踏み込んだ提案をすべきかもしれないし, 何が最善か分かるわけもな いが, 1つずつ出来ることを実現していくことしかできないだろう. ことの善悪を 問うより,「まず院より始めよ」 である.2
共同研究の目標と進行状況
もちろんこのRIMS
共同研究の目標は 「数学教師に必要な数学能力形成に関す る研究」 であるが, あまりにも多面的で複雑な問題であり, 参加者の間でも意見2教育数学 (Educational Mathematics) については, RIMS での研究集会も視野に入れるとすれ
ば, 狭い意味の教員養成だけでなく, 大学での数学の教育や, さらには研究者養成の場をも包摂し
得るような, 明確な理念を確立していかなければならない.
この理念に基づいて設計されるべき数学の一領域として, 「教育数学」 を提唱できればと思って
も立場も同じでない部分の方が大きい
.
研究という意味合いよりも運動でなけれ ば意味がないし,運動のための指針づくりだとしても人手が足りない.
協カ者を 他に求めようとしても,
一人一人意見が異なるようなものに対して,
実効のある協力体制をとることは難しい
.
それでもなお始めなければならないとなれば,
まず大まかにでも戦略についての意思統一が必要である
.
そこで,年度当初に予備的な集会をもって
,
研究の進め方や共同作業のあり方 についての検討意見交換を行い, 半年後にそれまでの成果を持ち寄って
,
進行状況を確認しながらその後の方針を決めて行くという計画を立て
,
そういう形で 申請をし, それが採択されたのである. このRIMS
共同研究の実際の進行状況の概略を述べておこう
.
以下でも少し詳 しく述べるが,2007
年の秋の数学会での教員養成系大学・学部数学教員懇談会
(以 降, 懇談会と略称する) で,この申請をすることがアクション・プランとして採
択されたことから出発したものであり,
数理解析研究所 (RIMS) に集まったのは 5 月と12
月の2
度だけであるが, 秋と春の数学会での懇談会でも補助的な打ち合わ
せや調整を行なっている.
この講究録が出来上がるためには, 秋, 春, 秋, 春の4度の懇談会と
2
度の研究所での集会
,
メーリング・リスト(ML)
での情報・意見交 換が行われた. チームによっては合宿も行なっている. それでも, この講究録が, スタートラインから足を揚げただけで, まだ第一歩も踏んでいないかに見える状 況を呈していることは, 我々が取り組んでいる問題の大きさ, 深さ, 複雑さ, 困 難さを表わしている. 我々だけでなし得ないことはすべての参加者がよく承知し ていることである.2.1
5
月の集会
まず, 5月27日から5月29日まで,RIMS
で予備的な集会を持って, 研究の進 め方や共同作業のあり方についての検討・意見交換を行った.
前半は, 教師教育を実効あるものとするために参加者がこれまで取り組んでき たことを紹介し合い, 状況の共有とこれからの協同作業の可能性を探った. 正式 参加者以外にもかなりの方がオブザーバー参加された.
後半は, 問題の多様性と多面性とから, 種々のプロジェクトを立ち上げ, それ を推進する責任を持つ担当者を決め, それ以外の人は色々なプロジェクトに多角 的に参加するという方針を採ることになった.
参加者の数に限りがあるため, 理想的なプロジェクトの全体像を構築すること は不可能であり, 現実的な枠組みの中で進めていくことになった. 最終日には,6
つのプロジェクトを立ち上げることが合意され, 以下のとおり, 仮のプロジェクト名とチーム構成が決定され, 担当者も決まった. そして, 各チームが互いに連 絡を取り合いながら, 12月に成果を発表するということとした. 連絡は主として, メーリングリスト
(ML)
を使って行い, その管理は筆者が行な うことになった. 元々, このRIMS
共同研究の計画は別のある行動組織を母体と しており, そのML
を筆者が行なっていることによる. その組織とは, 日本数学会 の年会や総合分科会の際に行われている, 教員養成系大学・学部数学教員懇談会
である. 筆者は2007年度春からその世話人を務めているが, 前任者の大学と異な り, 教室で郵送費を負担することができないため,ML
を作って, 懇談会のための 種々の連絡や相談をしていた. 筆者が世話人になるまで, 懇談会は情報交換会の 機能しか果たしていなかったが, 筆者は世話人を引き受けた以上, 単なる情報交 換ではなく, 何かしらの行動をすべきであると考えていた. 2 度目の懇談会が秋, 東北大学で行われ, 懇談会の日の昼, たまたま出逢った数理解析研究所のある執 行部の方とあれこれと話をしている中で,RIMS
共同研究に応募すれば採択される 可能性のあることを教えていただき, 早速懇談会で相談をし, 行動計画として採 択したのが切っ掛けである. 申請書の作成は熊本大学の伊藤氏にお願いして, 急 遽申請にこぎつけ, 幸いにして採択をされたものであった. 研究代表者としての 任は, 参加者の思いを削ぐことなく, さまざまな思いに発散させることがないよ うにという, 調整にあると考えさせていただくことにした. 決定したプロジェクト: 第1 チーム 教員養成学部における教科専門科目各科目の講義内容の現状調 査と理想的モデルの構想 (小学校教科専門も含む) 担当 :(主任) 丹羽 (滋賀大教育), 川崎 (奈良教育大), 松岡 (鳴門教育大) 現 状調査と理想モデル構想は, 並行して行う. 調査は教育大学11校を先行させる. 第2 チーム 大学における教科専門科目の講義内容を, 有機的連携をもって小 学校, 中学校, 高校の数学に生かす事例の研究 担当 :(主任) 青山 (島根大教育),$b/$
中馬
.
(岐阜大名誉教授), 神 (滋賀大教育) 第3 チーム 教科内容の背景にある数学およびその歴史に関する事例研究 第4 チーム 小学校, 中学校, 高校において数学を学ばせる意味および数学が 用いられる社会的, 生活的状況を結びつける事例の研究 3と4は, 同じ担当者が同時並行して行う. かねみつ 担当 :(主任) 安井 (鹿児島大教育), 金光 (中部大現代教育), 伊藤 (熊本大教 育$)$ 種々の事例を収集して, 数学的な観点から再構成する.
第5 チーム 教育学研究科の数学教育専修における教育・研究および数学内容 学分野の修士論文担当
:(
主任)
伊藤 (熊本大教育) 第 6 チーム教員養成の際にあるべき数学リテラシーの現状と目標に関するア
ンケート調査 くろぎ 担当:(
主任)
黒木 (福井大教育地域) もちろん,他のチームからの要請があれば
,
協カし合うことが前提である.
こ の時点では,参加者の熱意と使命感は十分に感じられたものの
,
どのチームの作業も多少とも形になるとは期待しにくい状況にあった
.
それが参加者多くの感想 ではなかっただろうか.
それがその後,ML
を通してや, チーム内での直接の遣り 取り,さらには秋の数学会での上記懇談会で中間報告などを経ながら
,
少しずっ だが着実に進んで行った.
第2 チームにいたっては, 手弁当で合宿までされたよ うであり,実に頭が下がる思いがする.
2.2
12
月の集会
各チームの作業が実際に進むにつれ,
最初のテーマを絞りこんだり, 修正した りする必要が生まれ,ML
での話し合いで, 次のように変更することが承認されて いた. 第 1 チーム教員養成系における学部の教育内容の理想的モデルの構想
第2 チーム教科専門科目の内容を活用する教材研究の指導方法
第3 チーム 学校数学の背景としての数学史:
教師教育における事例研究 第4 チーム 学校数学の社会的意義・活用状況:
教師教育における事例研究 第5 チーム学校教育専修における教育・研究のあり方の検討
第6 チーム教員養成の際にあるべき数学リテラシーの現状と目標に関するア
ンケート調査 12 月 1 日から 12 月 4 日までの集会で, 各チームごとの取り組みの報告が行わ れ,その実際的な実現形態や実現に向けての方法について参加者全員による討論
が行われた. と同時に, チームを超えた協力関係の確立に向けての擦り合わせを 行った. また, 第6 チームのアンケート調査が, 科研費研究 「数学リテラシーを育成す る数学教員養成カリキュラムの研究」 と協力して行なう予定であった関係で, そ の代表者の椙山女学園大学の浪川幸彦氏もオブザーバー参加され,
貴重なコメン トもいただいた. また, 北海道職業能力開発大学校の佐野茂氏には, 工学系の教 育実践者の立場から 「産業革命期に生まれた数学の教育方法」 という講演をして いただいた.それとは別個に,
数学者が数学教育に関わる基本的スタンスや可能性の模索の
ために,過去に行われた数学教育に対する数学者の関与の在り方を検証すべく
,
そ の代表として19
世紀末のドイツのフェリクス・クライン,
20世紀に入ってからの オランダのハンスフロイデンタール, 21 世紀初頭のアメリカのハイマン. バスの事績と思想や方法論を調査・検討して
,
現在の我々のなすべきことやなし得る
ことについての活発な議論が行われた. どのチームの作業にしてもなすべきことは多く, 何かをなし得たとは言えない 状況であり, いかにも中途半端なものであると認識してはいるが, 進むべき道は 少しは見えてきたように感じられて始めてきた. そこで, もう一段の作業をしよ うということになった. つまり, そのような共通理解の下でさらに作業を進めて, 各チームの目標を再設定することや, 取り敢えず実行した例などをまとめたもの を, 講究録としてまとめることになった. 敢えて恥ずかしさを抑え, その段階で の成果を公表することによって, 各チームの目標とするプロジェクトに日本中の 数学者や数学教師の参加を, 広く呼びかけることになればと考えたのである. また,数学者の数学教育への関与のあり方のスタンスや哲学もはっきりしてい
るとは言えなかったものの, この2回の集会の中で漠然とであるが形成されてきた ものがあり, それらを一種の提言として, 講究録の中にまとめることとした. つま り, 今後の活動指針や活動の雛形を提供するものにこの講究録がなればよいと考 えて, 執筆することを確認し合ったのである. 原稿作成の時点で完壁を目指すこ とをしないようにという申し合わせは, この動きを止めてはならないという, こ の共同研究の参加者の決意から来るものだと考えて頂きたいと思っている. 今回のテーマには直接には含まれないが, それらとは別個に, 数学者の関与の 可能性を追及する上で, すべての参加者の共同作業としてなし得るものを考えて いる. 1つは教員養成の現場で実際に使用でき, 教育現場でも有効に活用できるテ キストの作成である. もう1つは, 数学全体の社会における認知度を向上するた めの著作物の製作である. この2つについては, 講究録の作成後, 改めて本格的 な企画をしていくという合意がされた. 幸いにして, 類似の課題の共同研究が採 択されているので, 次年度からの取り組みの中で改めて位置づけを考えることに なると思っている. これまで, この種のことから日本の数学者が余りにも目を背けてきたという反 省を踏まえ, ともかくも一歩を踏み出したところであるとしか言えない. しかし, この一歩を踏み出すこともこれまではなし得なかったことであり, 今年度につい てはそれ自身が最大の成果であると考えていただけると有り難いと考えている.
2.3
講究録とチームとの関係
第1 チーム予備的アンケートと教科専門科目の再構築のための視点が丹羽雅
彦, 松岡隆[22]
に, また私案ではあるが, 具体的な提案が川崎謙一郎[20]
と黒木 哲徳[21]
にある. 第2 チーム 青山陽一, 中馬悟朗, 神直人[1]
は合宿までして練り上げたチーム 2の成果である. 第3 チーム個別のテーマを練り上げるのは容易なことではなく
,
発表できる ものは金光三男 $[$3
$]$ のみであった. ここについては, 来年以降, 広く参加者を募り たいものである. 第 4チーム 安井孜[27]
は長い間関わって来た中での一つの集大成になっている.
第 5 チーム教員養成系の大学院教育の在り方は多くの問題がある
.
現在にお ける成功例と言えるのが,
伊藤仁一[2]
である. 数学者の数学教育への関わり方を,
理念的, 歴史的, 現実的に考察し, 教員養成系と研究数学者とのギャップを埋める作業をするグループをチーム
$0$ と呼ぶこと にしよう. チーム $0$ としての講究録の原稿が[19]
であるが, それについては次節 で述べる.3
チーム
$0$の守備範囲
(
数学者の関わりの歴史
)
チーム $0$ は, 教員養成系の大学・学部に所属する数学者が直面する諸課題と,
研 究を主目的とする大学所属の数学者の間にあるギャップを埋め,
また理論的, 精神 的, 歴史的な裏付けの構築に努め, 下支えすることを目的の1つとすることにし た. 講究録の構成上, そういう作業を行なうグループとして, チーム $0$ を設定す ることとした. さて最初に, 近代の公教育における学校体系に2
つの大きな立場の違いがある ことを注意しておく. 公教育についての種々の議論が, 立場の違いを意識せずに, 異なる立場からなされることから来る誤解を防いでおきたいからである.
1つは, (専制) 君主が政府を支える官僚を作るのに利用するもので, 本質的に 高等教育を目指している. これには古代エジプトの書記官養成学校以来の長い歴 史と伝統がある. 近代になって, その高等教育の準備教育が独立したものとして, ギムナジウム, グラマー. スクール, リセなどの中等教育がある. いわば, 上か ら下へ発達した学校体系である. もう1つは, 良質な労働者や兵士を養成するための普通教育であり (プロイセン の富国強兵やフランス革命後に成立したもの), 初等教育からその高度化としての中等教育と続く, いわば, 下から上への学校体系である. アメリカの
high school
はこの型のものである. ヨーロッパ系では学校教育は複線であり, 主に問題となるのは初等教育と中等 教育の間である.アメリカ系の学校教育で問題となるのは中等教育と高等教育
(
大 学$)$ の間ということになる. 同じような問題を取り上げる際にも, 視線の向きが違 うことに注意しておかなければならない. 日本の現在の公教育は, 大雑把に言えば, 明治維新後導入されたヨーロッパ型 が, 第2
次大戦後アメリカ型に移行したものと言うことができる.
12
月の集会の中で触れた三人の立場について簡単に触れておこう.
3.1
クラインの場合
クライン (FKlein) は, エアランゲン大学教授就任講演3
のときから, 声高に主 張しているが, ドイツにとって, 理工系教育の振興こそが要であるという認識の 下に, 数学教育を捉えている. それは, 数度にわたってアメリカを訪問し, 一時はアメリカの大学に勤めるこ とも考えたクラインが, ひるがえってドイツがアメリカの物量に対抗する道とし て, 工業振興を考えたのである. そして, それまでの大学における数学教育のあ り方 (不備) が, 工業系技術者の養成へ悪影響を及ぼしていたため, 大学の数学 教育改革の前提として, 数学教育改革運動 (関数的思考$+$生徒の精神的発達状況 への顧慮) を組織した. 教育省の高官と互いに認め合う仲であったため, 実際に政策に影響を及ぼすこ とができる立場にいたことは大きかっただろう. 教育そのものについて, 具体的なことは現場の教師がするべきで, 数学者がな すべきことは良い教師を作ることであるという認識の下に作った教科書が, 有名 な『高い立場から見た初等数学』 4である.3.2
フロイデンタールの場合
数学教育に関わるフロイデンタール (H.Freudenthal) の業績は, 1968 年に雑誌TEducational
Studies in
MathematicsS
を創刊したことであり, 1971年にユトレビ3 エアランゲンプログラムは有名であるが, 実際の就任演説はそれとは全く異なるものである.
数学に関心を持たない大学関係者に対し, ドイツの将来のための数学とその教育の重要性を述べて
いるものである. [18] 参照.
ト大学に数学教育開発研究所
(IOWO)
が設立された際に多大な貢献をしたことであ る. 彼が初代所長となったこの研究所は今日,
フロイデンタール研究所と呼ばれて おり,現在の数学教育における二大潮流の一つである
RME(Realistic
Mathematics
Education)
の総本山のように見なされている.
フロイデンタールは上記雑誌の創刊号にその基本的立場を述べている
.
フロイデンタールの立場には反対者もいるが
,
支持者は熱烈であって, フロイデンター ルクレドとでも称すべき理念がある. 以下に, その基本的なものをまとめて, 紹介に代えておこう.
$\bullet$ 数学教育が対象とすべき数学とは,
人間の活動(human activity)
のひとつ としての数学であり, “ リアル” な現象を数学化(mathematize)
する過程(process)
としての数学である. 旧来の, 数学化の結果として得られた 「概念からなる閉じた体系」 としての数 学ではない. $\bullet$ 数学教育の方法は, 学習者が対象とする数学化の過程を再発明(re-invent)
できるよう誘導(guided)
する機会を与えることである. (発展した) 数学の分野に おける過程についても同様である.3.3
バスの場合
クラインはICMI5の前身である IMUK6の初代会長であり, フロイデンタールは 1967年にICMI
の会長に就任, バス自身も1998年から2006年までICMI
の会長を 勤めている. バス(H.Bass)
については本講究録で次に置いた論考[19]
に譲ることにするが, ここではバス自身の言葉でその基本的な立場を述べておくことにする([30]
の序文 から). 1990年にICMI
の会長を引退する際に, ジャンピエールカハネ(Jean
Pierre
Kahane)
は数学と数学教育の間の密接な関係について, 以下の項目を挙げて洞察的な話をしている.
$\bullet$ 数学以外の生気ある科学では, 学問的な知識を教えられるべき形
の知識に変換すること (講義変換) や提示することの部分が, 研
究水準においてこれほど重要なものではない.
5International
Commission on Mathematical Instructionしかし, 数学以外の学問に, 教えられるべき知識と新しい知識の 距離がこれほど大きなものもない. $\bullet$ 数学以外の科学では, 教えることと学ぶことが数学ほど社会的な 重要性を持っていない. $\bullet$ 数学以外の科学には, 教育問題に科学者が関与するということが 数学ほど長い伝統となっていない. 私の講演ではこの最後の点を取り上げてみたい. まず背景となる観察からはじめよう
.
大学での教育がアカデミック な数学者のプロとしての生活の実質的な部分である一方, 学校数学教 育にも関わっている数学研究者が近年多く見受けられるようになって きた. アメリカで造られた不幸な言葉である 「数学戦争 (MathWars)」 に対して多くの関心が払われてきた. それは数学者と教育者の間の, カ リキュラムの内容, 目的, 教授法に関する対立を表わす言葉である. こ の「戦争」 が多くの注意を引いたとはいえ, 数学者の関与は数学では ずっと長い歴史を持っている. 以下では, 大学前の数学教育に対する われわれの関心についてのもっとしっかりしたイメージを与えるよう な歴史的な断片を提供しよう. その伝統は啓発的で鼓舞してくれるよ うなものである. 幾分かは2 つのよくある神話を消し去るために, 特に数学研究者の 関与に焦点を当てることを選んだ. 1つ目は広く信じられていること だが, 数学教育が科学的に衰退した数学者の牧場のようなものとする ものである. 数学分野の大物で, 数学的経歴の高度に生産的な段階に ある学者を例に挙げる.
2 つ目は, 経験と知識が学校数学教育の関心 と現実からあまりにも離れている数学研究者ができる貢献の適切さを,多くの教育者が疑問に思っていることである.
数学研究者の知識, 実 践,考え方の姿勢などが学校数学教育に直接的な関連性を持っている
だけでなく, この数学的な感性や展望が, カリキュラム展開, 教師教 育, 評価などに関する,教育プロセスの数学的なバランスや健全性を
維持するのに本質的であることを論じたい.
4
終わりに
初等中等教育や,教師教育に関することで筆者が行なってきたことを概観させ
ていただいて, 終わりの言葉としたい.筆者は博士課程修了後
, 1975
年に三重大学教育学部に赴任して以来
,
同学部に勤務している
.
しばらくは数学教育にはほとんど関心を持たなかったが
,
卒業生として送り出す現場の教師たちの実状を知るにつけ
,
むしろアフター. ケアのようなことをする責任があることを感じるようになった
.
同志を募ってみたが思ったように集まらず
,
結局は当時岐阜大学におられた中馬
悟朗氏と福井大学の黒木哲徳氏と共に
,
TOSM(Teaching
of School
Mathematics)と呼ぶグループを結成し,
主に岐阜・福井・三重三県下の教員の方々と恒常的な
活動を行なった. 数回はシンポジウムも開き([4]
など),TOSM
と題するサイト を運営して,数学教育相談を公開で受け付け
,
教師の実態調査の研究も行なった
([6], [7]). 高校のカリキュラムに対する提言もしてみたし
([9]),
大学教育と高校数学の接点についても考えてみた
([10]).
教員養成のあり方全般について鼎談の形で世に問うたこともあった
([11]).
数学そのものの勉強に意欲を持たない教師志望者に対して
,
色々な教育の仕方の工 夫もしてみたし, 数学の関わり方について考えてもみた([5], [8]).
TOSM
のことをここに述べたのは,5
月の集会で中馬氏がその活動の報告をさ れたからだが,TOSM
自体は自然に活動を収縮して, 筆者が個人的に行なえる範
囲に留まるようになった. それは文部省の教育現場への, とくに管理面での締めつ けが強くなって, 教師から教材研究をする時間的精神的余裕が奪われていき,
必 然的にTOSM
活動に参加しにくくなっていったことが原因である.
高校生相手の夏の学校での講演も数年にわたって行なって
,
その記録も高校数学教師の会の雑誌に掲載されている
.
近年では, 日本数学会の出前授業プロジェ クトなどに参加し, 特に文部省の 「その道の達人派遣事業」にも登録し, 高校, 中 学校, 小学校への出前授業も40
回以上行なっている.
教育運動としては何も実を結んでいない.
ならば, 自分一人で出来ることをと 思$A\searrow$ 臨床数学教育を提言し([12]),
そこで使用可能な教材を開発することも試 みている([13], [14], [15], [16], [17]).
第 5 チームとの関わりでは, 修士論文にそ のような教材の深化を取り上げてもいる([23]).
しかし, 何をしてもほとんど反応がない.
社会に何の貢献もできていないので はないかと伍慌たるものがある. 本質的には来年も継続することになった本共同 研究の中でも, どのような役割を果たすべきかに, 確固とした見通しが立ってい るわけではない. 今年の参加者諸氏の努力の結晶である本講究録の読者の中から, 来年度からで も正式にでもまた非公式でもよいので, 参加や叱咤激励や協力などをしていただ ける方が出ていただけると有り難いと考えている.参考文献
[1]
青山陽一, 中馬悟朗, 神直人『教科専門科目の内容を活用する教材研究の指
導方法 (Team2 プロジェクト)』本講究録所収.
[2]
伊藤仁一『教育学研究科における数学の研究
-
直観幾何学的観点からー』本講
究録所収.[3]
金光三男『式の値と文字式の背景および発展的な事例』本講究録所収
.
[4] 蟹江幸博『第1回TOSM
シンポジウム 福井’93』配布資料 (1993-8-8),40
ページ.[5] 蟹江幸博『数学教育における数学者の役割
一試み-
』三重大学教育学部研 究紀要, 第45巻, 教育科学(1994),
15-30.
[6]
蟹江幸博、黒木哲徳,中馬悟朗『数学教育における教師の授業観と意識に関
する調査研究』岐阜大学教育学部研究報告 (自然科学), 第 18-2巻(1994),
75-97.
[7]
蟹江幸博、 黒木哲徳, 中馬悟朗『教師教育への提言 一数学教育に関する教師へのアンケート調査の分析・検討一』、教育工学関連学協会連合・第
4
回全
国大会、 岐阜大学、1994/Oct.8-lO,pp.313-314,
[8]
蟹江幸博『算数綴り方教室の試み』三重大学教育学部紀要、第46巻、教育科 学(1995),
41-49.
[9]
蟹江幸博, 黒木哲徳『大学教育を見通した高校数学教育の問題点 – 数学離れと高校数学カリキュラムー』三重大学教育実践センター紀要
18(1997),
69-79.
[10] 蟹江幸博, 岡本和夫『数学教育T $F$-
高校数学と大学数学の接点』三重大学教 育学部紀要, 第 49 巻, 教育科学 (1998),97-113.
[11]
蟹江幸博, 黒木哲徳, 中馬悟朗『インターネットの立ち話』数学セミナー 4月 号 $(1998)-3$ 月号 (1999).[12]
蟹江幸博『臨床数学教育のすすめ』数学セミナー増刊『数学の教育を作ろう』 日本評論社 (2002.1030),147-163.
[13]
蟹江幸博『10個の数で作る力学グラフー日本数学協会の発足に際してー』, 数学文化, 創刊準備号, 日本数学協会,vol.
$0$,
no.l(2002.12),
75-94.
[14]
蟹江幸博ffClassification
of Dynamical Graphs with Vertex
Number
$\leqq 10$』Bull.of the Fac. of Education, Mie
University(Natural Science),55(2004),
9-43.
[15]
蟹江幸博『力学グラフとその教育的応用』
,
数学部会誌, 第45巻, 愛媛県高等学校教育研究会数学部会
(2004),
pp.2-11.
[16]
蟹江幸博『多面体を編む』特集
/
遊びや生活から数学名人へ
,
数学教育,2008
年
1
月号, No
602, 明治図書, pp.64-69.
[17]
蟹江幸博SStructures
of
Elementary
Dynamical Graphs
』, Bull.of
the
Fac.
of
Education,
Mie
University(Natural Science),59(2008),
1-23.
[18]
蟹江幸博, 佐波学『エアランゲン就任講演にみるクラインの数学観について
-試論
-
』三重大学教育学部研究紀要
,
第60巻, 教育科学(2009),
219-236.
[19]
蟹江幸博, 佐波学『数学と教育の協同-
ハイマン.
バスの挑戦-』本講究録所収.[20]
川崎謙一郎『理数科教員養成の中の数学教員養成カリキュラムの構成の一例
-数学教師に必要な数学能力形成に関する学士課程カリキュラム編成の例
-
』本
講究録所収. $[$21] 黒木哲徳『教育実践の観点から見た教科内容とその課題
-
算数科・数学科の
場合-
』本講究録所収.
$[$22
$]$ 丹羽雅彦, 松岡隆 『教員養成学部の 「数学」教科専門科目カリキュラムの現状把握と理想的モデル案に向けた調査検討の構想』本講究録所収
.
[23] 野波慶矩『立体認識における構造模型の有効性
$\sim$編み上げ多面体と多面体の 組みモデル$\sim$』2007 年 2 月, 三重大学教育学部大学院, 修士論文,92
ページ. $[$24
$]$ 佐波学 『HansFreudenthal
とHyman
Bass
の数学教育について』福井シン ポジウム $($2009.1) $[$
25
$]$文部科学省生涯学習政策局調査企画課
『平成19
年度学校教員統計調査』文 部科学省(20093)
$[$26
$]$ 文部科学省生涯学習政策局調査企画課 『平成20年度学校基本調査』文部科 学省(2008.10)
[27]
安井孜 『初等中等教育において算数・数学を学ばせる意味および社会的,
生活的状況の事例の研究』本講究録所収.
[28] Bass, H.
:A
professional
autobiography, Algebra, K-theory, groups, and
ed-ucation,
Contemp.
Math., 243,
Amer. Math.
Soc., Providence, RI, (1999),
3-13.
[29] –:
Keynote
Address;Mathematicians
as
Educators, Contemporary
Issues
in Mathematics Education,
MSRI Publications
vol.36,Cambridge University
Press
(1999).
[30] –: Mathematics, Mathematicians, and Mathematics Education,
Bulletin
(New Series)of
The
American Mathematical
Society, vol.42 (2005),
No.4,417-430.
[31]
Rowe
D.E.,
:Note:
A
Forgotten Chapter in the
History
of
Felix
Klein’s
Er-langer Programm, Historia Mathematica,
10, (1983)448-457.
[32]