白 樺 派 研 究(2)
一一武者小路実篤の「桃色の室」を中心にー
永 田 哲 夫 (文理学部国語学国文学研究室)A STUDY
ON
SIRAKABA-HA
(2)
Tetuo Nagata
1 武者小路実篤,志賀直哉の日記,書簡を中心にして,彼等の漱石への接近について拙論を発表 したが1),今回はそれを継続しながら武者小路実寫の「桃色の室」について考察してみることにす る. 武者小路を主宰とする「白樺」のグループか,手紙の交換や作品原稿の依頼を契機として,夏目 漱石に接近していった経緯については,上記の小論2)で述べておヽいた.しかし,「白樺」一派と漱石 の関係は,文学上の師弟関係としてでは痙く,当代における最も尊敬し得る文学者,将来の新しい 文学のにない手たり得る青年文学者という相互関係においてであったと考えられる. 漱石は「それから」につづいて「門」を明治43年3月1日から6月12日まで朝日新聞紙上に連哉 した.前年,「それから」脱稿後あたりから胃痛をかこし,9月はじめから10月半ばにかけて,いわ ゆる満韓旅行中にしばしば胃病に悩まされた.それが43年「門」執筆中の漱石の肉体をむしばみ, 5月11日の皆川正禧宛の書簡には,「゛門」御愛読被下候よし難有存候,近頃身体の具合あしく書く のか退儀にて困り候早く片付けて休養致し度,今度は或る胃腸病院にでも入って充分療治せんかと 存候四十を越すと元気が痙くなり申候」としるしている.漱石の生活に肉体上の危機がかとずれた のである. 一方,当時の漱石の芸術上の問題として,「それから」の主題としてとりあげた人間の自然性と 社会的道義,個人と社会の矛盾対立をいかに解決すべきかが残されていた.「門」の主題は「それか ら」の継承として考究されるべきであろう.「それから」の代助は若気の義侠心から愛する女を友人 に譲った.自己の真実を棄てた人間の苦悩である.一方「門」の宗助は,友人の安井からお米を奪 い去る.自己の真実を守って晒巷に不幸に生きる人間の悲劇である.自我を貫き,真実を守ること が他人に対する罪悪を惹起し,他人を不幸にかとしいれる結果となると知った時,人の子はいかに 生きるべきか.「門」の宗助はその救済を宗教に求めようとして挫折する. 漱石の「門」は「白樺」の作家達によって早速読まれた.志賀直哉は43年6月23日の日記に「T「`門」 を読む」と書いている.武者小路のこの作品に対する反応は「或る男」(127章)の感想で明確にさ れている. 「門」のじめじめしてゐるのを彼がよろこばなかったので.(略)「門」は自然派の人達がよろこ んだ.それだけ若かった彼には不快だったのかも知れ痙い.(略)そしてそれはもっと燃えてゐ るもの,もっと生々としたものを,若さの力を生かしてくれるものを求めてゐたのは事実であ らう. ‘I 佐藤春夫のことばによれば「個性の尊重と主観の跳梁」(「秋風一タ話」)の実現を指向ナる武者小路 にとっては,漱石の「門」は余りに暗く,漱石の人生観は閉鎖されたそれと映ったのであろう. 「個性の尊重」は漱石の思想でもあった.漱石は,自己の個性の発展を希求するが故に他人の価2 高 学学術研究報告 第20巻、人文科学 第1号
値と自由の存在を平等に認め,自己と他人との不可侵の領域においてそれぞれの人格の自立をはか
ろうとした.このようなイギリス流の近代個人主義め確立は,人間相互の道義の遵守と結びついて
考えられなければならない.それは経済的自立を必須条件とし近代市民としての教養と人格の陶冶
を必要とする.「それから」の代助も「門」の宗助もい.わゆる「高等遊民」としての知識人であっ
た.食うに困らず,食うために創作する必要のなかった白樺派の作家達は,ある意味ではこの範時
に属する.個々人の複雑な含みを別にすれば彼等が共有し得る精神基盤は個性の尊重であった.そ
の点で漱石と軌を一にする.武者小路の「個人主義の道徳」には,次のようなことばがみられる.
自分は個人主義者である.さうして自己も他人も同じく一個の人と見る.自分は自分を一個の
人間として尊重するやうに他人をもまた一個の人間として尊重する.自分は他人の犠牲になる
ことを欲しない,同時に他人を自己の犠牲にしようとは思はない.(略)
自分は自分の個性を他の個性のためにまげようとは思はない.そのかはり自分の個性のために
他の個性をまげさせようとはしない.(略)
自分には領土かある,その領土を他人に揉嗣されたくない.そのかはり,他人の領土を自分は
揉朋しようとは思はない.自分の領土といふのは自我の支配する範囲内である,自分の所有
品,自分の身体,自分の意志,自分の気分,自分の一生等である.
自己と他者の価値を平等に認め,相互に不侵犯の頓域におヽいておのおヽのの自由と独立を確保しよう
という点,漱石と白樺一派は共有圏をもつ.しかしながら,武者小路の「自己を最高に生かすた
め」に他者の思惑にとらわれず,他者に同情をせず,自己以外の存在から超然たる態度をとる論理
において漱石とは異なっていた.その意味で有島武郎の白樺における存在もまた異質であったが.
要するに白樺の作家達は戸自己を生かす」ことを人間至上の生き方とみた.すく友くとも武者小路
にあっては,文筆の業は手段であって目的ではなかった.彼にとって「第一なものは自我であり,
自我の発展であり, ● ●● ● 自我の拡大であり,真の意味におヽりての自己の一生を充実させる3)」ことであ ● ●● ● ● ● ● ● ● ● ● つた.彼の自己はかく作られているの論理である. 2 武者小路が自我拡充の進路を明示したものとして,明治44年5丿12日に作詩した「誕生日に際し ての妄想」がある.詩作の経緯は彼の自伝小説「或る男」の131章に書いてある.なすわち44年5 月,札幌に有島武郎を訪れた際,小樽に住む初恋の女性であったふヽ貞さんを尋ねる前に,満26才の 誕生日を迎えた自分の心境を一気に書いたものである.詩には,作者の深い自己反省,芸術的天才 賛美(天才主義)個性尊重,自我の確立とその伸張への意志が簡勁な表現で表明されている.「師よ 師よ」(5月26日),「バン・ゴッホ」(5月28日)「泉の欺き」(5月30日)「百里歩く人と,千里歩く人」 (6月12日)などは同時期の短詩である.これらの詩は,度重なる失恋の打撃という逆境の中にあ って作られたものである.この一連の詩から感じられ・るものは負け犬の悲しみでなく,淋しさの中 にあって,淋しさの根源をみつめ自己を鼓舞激励し,自らを高きに誘わんとする不屈の意志力であ る.自らを頼む独往の精神がみなぎっている.かかる個人主義の主張は,44年6月28日に措かれた 「個人主義者の感謝」(「白樺」明治44年8月号発表)で一層の集約をみせる.すなわち. 他人に嫌はれようが,罵倒されようが,我は我が道を歩く.ここに自分は誇りをおくことを努 力した.かくて自分は他人を軽蔑し,社会を軽蔑することに力を尽した.孤独なるものの行く 一道である. といっている.ここから「自己のため」までは一直線につながる,ところで,武者小路の「自己の ため」を考察するためには,本論の中心テーマである「桃色の室」にふれておヽかなければならない. 実篤がトルストイの影響を受けて「この世の不合郡のこ.とを打破するために,一生を献ぜざるべか らざること」4)を痛感した20代のはじめから,自我の発展拡大と,それが完成への道程に自己の文 学的使命を定着させたのか,明治44年前後と考えられる.ここで,「こ4世の不合理のことのため」白 樺 派 研 究(2)(永田) 3
から「自己のため」に方向決定した武者小路のいわば自己確認ともいえる一幕物の戯曲「桃色の
室」について考えてみることにする.
3 武者小路には明治42年10月に書かれた三幕物の「或る家庭」という脚本かある.これについて作 者は,「脚本の処女作とも云ふべきもの」6)であり,「二号(「白樺」‐永田注)に彼ばある家庭J と云ふ三幕ものの脚本を出したが,元より反響はなかった.楠山正雄氏に軽蔑されただけであっ た.」7)と書いている.モチーフとしては「おヽ目出たき人」「ある日の夢」「初恋」と共通した失恋を描 いたものといえる.再び作者のことばを借りれば,「ある家庭」は「主人公次郎が自分の恋人なる女 を,その女と相愛の間にある兄と結婚出来るやうに骨折り,自分か失恋する淋しさをかいた」8)も のである.「ある家庭の<次郎>「おヽ目出たき人」の<自分>「或る日の夢」の<乙>「初恋」の <自分>はそれぞれ作者の分身と考えてよかろう.周知の通り,作者か<第二の母>と呼ぶ初恋 の女性(貞)に対する傾愛の深さは,伝記的作品「或る男」や,上述の創作,戯曲,あるいは長詩 「誕生日に際しての妄想」から察知される.武者小路はその女性について,自分の人生観をすべて かえ,自分を新たな人間として生み鍛えた人とのべている.(「初恋」)彼の一連の失恋物語は,自 己の青春の痛ましい傷口を直視しながら失意の悲しみと淋しさを描いたともいえる.しかしながら, これらの作品は,いずれも愛の挫折にうちひしがれない精神の牢平に支えられている. 若い木は親木に圧へ附けられて黙ってはゐません.親木の為に日光を蔽はれ,風を遮られるの を喜びません/昔の人はこの世を苦しむのを得意にしてゐました.今の人はこの世を楽しむの を得意にしてゐます.自分の幸福,自分の喜び,あいなんと美しい言葉ぢゃありませんか. お父さん犠牲と云ふことは知ってゐます.私は自ら好んで自分を犠牲にすることならします, しかし,親から犠牲を強ひられるのはたまりません いずれも「或る家庭」の主人公,次郎のことばであるが,<自・然主義前派>の嘲笑と非難を受けて 立つ作者の個性が注目される.この作品にみられる身分,社会的地位,世間の思惑をこえて真実の 愛に生きる人間を賛美する精神は,小説「お目出たき人」にも充溢している.これは,現在26才の 青年か,鶴という名の女性に対する愛の告白と,それが失恋に終わるいきさつを描いたものである. 作者はこの中で,個人の自我確立への指向,現実に屈従しない強固な意志,理想実現への努力.青 春の健康な恋愛を新鮮な文章で創造した. I● ところで,「お目出応き人」を刊行し,「桃色の室」を発表した同じ年の1ヵ月前.明治44年1月24 日には,大逆事件に連繋した幸徳秋水以下n名の被告に死刑が執行された.この事件か惹起した さまざまな社会的反響の中で,文学上の反応に限定しても,森鴎外,木下杢太郎,平出修,石川啄 木,永井荷風,田山,花袋をはじめとして22篇の作品があげられている9).「桃色の室.の発表には, このような社会的背景があった.「武者小路の「桃色の室Jは,おヽそらく幸徳事件を意識してかかれ たものである」1o)との本多秋五氏の指摘もある.もっとも,この社会事件と「桃色の室」の関係に ついて武者小路は三好行雄氏との対談11)の中で次のように説明している. i 武者小路 当時は無政府主義が一番盛んな頃で,その連中のことが,いくらか頭にあって書い たのは事実だと思うんだが,しかしそれはまあ,あの程度の意識で,少しは意識的に抱泥し ていたので,それに自分を本当に生かしていくという気持が一方にあって,渦倦に巻き込まれ デモノ て自分を見失うということを恐れて書いたもんだ‘と思うんです.あの戯曲は半熟みたいな出物 で,あんまりこっちは好きじゃないので,ほかにはあんまり載せなかった. 三好 とくに大逆事件を意識しておヽ書きになったものではないわけですね. ; 武者小路 そう.もっと漠然としたものです. : この部分から「桃色の室」の執筆動機もふヽおよそ理解できる.しかしながら,作者の自解にもかか わらず,作品を読む限りにおヽいては「すくなくとも,大逆事件の背景である無政府主義運動を視野4 高知大学学術研究報告 第20巻 ’人文科学 第1号 のかたはしにふヽいていたこIとは否定できない」12)とされる三好氏の説を肯定せざるを得ない.武者 小路の無政府主義,ないしは社会主義思潮への関心は,有島武郎と比較すれば問題外になろうが, さりとて,志賀直哉のように「武者と違って自分には此ドラマ(「桃色の室」永田注)に取扱はれた 問題は痛切な問題ではない13)」と突放すだけの無関心事ではなかった. 4 「桃色の室」は明治44年2月の「白樺」に発表された,この戯曲の登場人物は,桃色の女とその 夫である若い男,そして灰色の女,灰色の青年たちである.それぞれの人物が固有名詞をもたない 所にもこの戯曲の観念的傾向かあらわれている.桃色の女とその夫は,岡の上に建てられた洋館に 住み,室内の装飾調度等すべて桃色で配色されている.いわば食うに困らない階層である.他方, 灰色の女や,灰色の青年達は,生活の貧困や,労働強化にあえぐ下層階級の群である.戯曲は矛盾 対立する二つの階層の抗争経過と,最後に若い男が「皆敵にならうとも俺は自我の守護者だ.愛と 美の讃美者だ.俺と共鳴するものの心を桃色にして見せる」と宣言して幕になる.主題は,灰色の 群(社会主義者,ないしは社会正義を唱える人びとの群)の誘惑を拒否し,自己の特権を自認した 立場から,運命の許す限り自己を幸福にする道を選択する主人公の心的過程と決断である.三好氏 の指摘14)されるように,「武者小路の社会主義への関心かぶれの思想構造のいえばアキレス腱とし て,一種のこだわりという感じのものであったとしても,この作品では,作者の自覚はそういうこ だわりをたちきる方向に,はっきり踏みきっていた」といえよう.この戯曲の前半部に描かれてい る若い男の迷いとためらいか,灰色の女達との対決を通じてt自己を生かす信念の確認へと移行す る.自分は他人のために共倒れするのは嫌いだ(「個人主義の道徳」)との認識にうらうちされて. 桃色の女は「世間と生活が人生に勝つ.だれがあけるものですか.この室の内には人生か居なけ ればいけません.室をあけても他人があたたかくはなりません.一人の人の人生が消えるばかりで す」という.桃色の女が切り捨てた世間と生活(現実生活,大衆社会)に背を向けることができな かったのか有島武郎であった.32才の有島は,初夏の河原で,生計のために砂利拾いをする窮民, 疲れ果てた労働者の姿にしみじみした哀感を覚えている15)ここに遠友夜学校への挺身の例を引き 出すまでも座く,彼の下層社会への同情と寄愛と関心は,他の白樺作家とは懸隔を絶していた. 有島か武者小路の「おヽ目出たき人」にふれて書いた文章は17),彼の鋭敏な感受力,誠実さ,個性的 座表現力を賞賛しつつ,武者小路の同情は広汎だとはどうしてもいえないし,自己の建立した堅固 カ:高い城郭の中に閉じこもっていると指摘する.つづけて√「兄は何処までも其の境界に安住する積 りではないのでせう」と書き,「兄が笑って城郭の窓から広い世界を取り入れる時の来るのを待遠し く待ってゐます」と結んでいる. 作者の思想的分身で‘ある桃色の女は16),灰色の女と男とを相手としてあくまで防ぎ戦った.しか し有島は,問いかける.「桃色の女の夫と灰色の男とは何んだか永久の敵の様にも見えるが,若し偶 然に二人の手が握り合はされた事があったら,両方から思ひも設けぬ暖みが通ふのではないだらう か」.18)武者小路は,「武郎さんに」と題し,「「お目出たき人」を読みて」が掲載された「白樺」の 4月号で次のように答えた. 私は何日か「桃色の室」を出たく思ってゐます.しかし出たく思ってゐながら出られ座いで死 ぬかも知れません.その方がありさうなことと思ひます.私の良心かより強くなるか,私の心 がより強くなるかしたら他人の運命のことも.心配することか出来るでせう.しかし今は出来ま せん.さうすると苦しくってやりきれません. 「武者が問題にして,苫しみぬいた,或はコダワリ抜いた所」(志賀日記44.1.12)に良心の痛みを自 覚しながら,なおヽかつそれをたちきる方向に進もうとする決意が示されている.桃色の女の言にあ ひとさま ●・る,一人前にならない内に他人様のことを考えるのは生意気だとする武者小路固有の個人主義の論 理にほか座らない.有島の記述をなぞれば,彼は生れ得て平和な家庭に温くはぐくまれ,貴族的侶
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傲な起居を習慣とし,不足なきまでに富んだ上層階級を出自とした,しかし彼は既得の特権を自明
のものとして受けとることができなかったばかりか,その貴族的生活に不快感を覚え(明治36.1.
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日記)うしろめたさを常にいだいていた.有島の悲劇の胚胎がここにある.武者小路は大衆の運命
に思いをいたす前に自己の生命を愛し,天与の運命を十全に生かす為の絶対的個性を選択したので
ある.
5
「『自己の為丿及び其他について』は,.「桃色の室」の発表された翌年の明治45年2月号の「白樺」
に発表された論文である.これは木下杢太郎との美術論争に関連して書かれたものであるが19)論
争を離れても,武者小路の思想と芸術をきわめるために重要である.この中で武者小路は,「自己」
のうちに,個人としての欲望,吐会的動物としての欲望,人間としての欲望(個人としての欲望と
区別するために私はよく人類としての欲望,或は人類の血と言ってゐるもの),動物としての欲望,
地球としての欲望,物如としての欲望をあげ,「これ等の欲望を出来るだけ調和させ,その調和さ
れたる欲望を出来るだけ満たす」ことが「自己のために働く」ことであるとする.しかも,調和,
統一は「お互の欲望が遠慮しあって妥協する意味ではない」と述べる.「地球としての欲望」「物如
としての欲望」など,その意味が判然しないものがあるが,それ以外についていえば「自己」の含
む本能的諸要素を言い尽している.
武者小路の行動のすべて,文学活動の全領域がこの「自己のため」理論を基本としていることは
言うまでもない.自然主義の狭隆陰湿な客観主義を排斥し,他律的,奴隷的な日本人の妥協性から
脱皮しようというのである.「自分の主観に矛盾する他人の主観は信用しない」,換言すれば,自分
の納得する主観にのみ真実を見出そうとする絶対主観の立場である.このような武者小路の理論と
その実践は,彼自身が認めているように決して容易にできるものではない.自己の主観に絶対性を
確信するためには「自己の主観を広く深くする」努力と精進が必要であろう.武者小路の大胆不敵
とも思われるこの信念は大胆不敵なるが故に当時の文壇に新風を吹きこんだのである.その信条が
余りに強烈,個性的友るが故に,「白樺」派の統率者としての立場を維持し得たとも考えられる.
武者小路の「自己のため」の思想には,われわれからみると相反するものが矛盾なく統合されて
いるのに気ずく.たとえば,個人としての欲望と社会的動物としての欲望を過不足なく満足させ,
調和させることは至難のわざである.人間としての欲望と動物としての欲望を共に充足させること
についても同様である.武者小路はこの点について同じ文章の中で,
私は「社会的本能」にかられれば社会のために死ぬこともありませう,しかし自分の内の社会
的本能にかられないのに社会に強ひられて自分を殺すのは嫌ひです.さうして私は自分の内の
「社会的本能」にかられる時,私はその本能のままに従ふがいいかわるいかを自分の内の「個
人的本能」や「人類的本能」や「動物的本能」や「地球的本能」や「物如よりくる本能」やに
聞いて見ます.(私は自分が宗教家になる天賦を持ってゐるせゐか聞くことが出来るやうに思ひ
ます,トルストイはこれを理性と申してゐます,もっと深いものと私は思ってをりまナ.)そ
れ等の本能が許してくれなければ私は「社会的本能」にはかられません.
常人にとって不可能事に近いことを可能にする,すくなくとも可能に近ずける武者小路の秘密がの
べられている.本多秋五氏のいわれる「他を左げうって自己完成に専念する個人主義と,自己犠牲
をかえりみず他人のことに赴く人道主義と,この一見反対のものを(時と場合によって)矛盾左く
発動させうる装置2o)」である.この装置の分析と解明は同氏の犀利な論文21)で余す所なくなされて
いる.
武者小路の「自己のため」には絶対的な自我肯定が根底にあり,自我を全的に貫徹するところに
「人類の意志」に叶う普遍的な人間の自己完成の道が通じていると信じている.このような精神や
思想は現実社会に生きる万人に容認される性質のものではない.そのためくお目出たき人>く世間
6 高知大学学術研究報告 第20巻 人文科学 第1号