はじめに
「瓢空しく夜は 静 にして高楼に上り、酒を買ひ、簾を巻き、月を邀へて酔ひ、 酔 中 剣を払へば 光 月を射る」 彼は節をかしく微吟を放ちて、行く行く且 楽 むに似たり。打晴れたる空は琉璃 色に夕栄えて、 俄 に冴え勝る 颰 の目口に沁みて磨錻を打つらんやうなるに、 烈火の如き酔顔を差付けては太息嘘いて、右に一歩 左 に一歩と 踽 きつつ、 「往々悲歌して独り流涕す、君山を剗 却 さして 湘 水 平 に桂樹を 砍 却 して 月更に 明 ならんを、 丈 夫 志 有りて……」(引用に際して表記を改めた。) これは、尾崎紅葉『金色夜叉 続編』(春陽堂、1903 年)の一節である。冒頭の 彼とは法学士荒尾譲介であり、胸まで垂らした長い鬚を持つ彼が、酔っぱらって高 吟しているのは南宋の詩人陸游の「楼上酔歌」詩である。小説の中では、漢詩を朗 詠する荒尾譲介は、間貫一にも鴫沢宮にも明快に意見を述べる好男児として描かれ ている。小栗風葉『荒尾譲介』(新潮社、1912 年)や、黒法師(渡辺霞亭)『荒尾 譲介』(万宇堂、1912 年)などのスピンオフ小説が作られたことも、このキャラク ターの人気を物語っているだろう。 合山氏の『幕末・明治期における日本漢詩文の研究』を読みながら想起したの は、荒尾譲介のことである。誠実で思慮深く、同級生から尊敬され、いったん酔え ば漢詩を吟詠する鬚の男が、愛すべきキャラクターとして認められていたことがこ の上なく腑に落ちたのである。 「あとがき」によれば、合山林太郎氏は大学 4 年生の頃に、幕末・明治期の漢文 学という領域の研究に着手したという。氏はこの時代の漢文学に真っ向勝負を挑 み、新たな地平を示して来られた。2012 年東京大学に博士論文「幕末・明治期の合山林太郎『幕末・明治期における日本漢詩文の研究』
(和泉書院、2014 年 2 月 28 日発行)
森 岡 ゆかり
漢文学の研究」を提出され、加筆修正した後、2014 年 2 月上梓されたのが本書で ある。2002 年から 2012 年までの十年間、陸続と発表された研究論文を、博士論文 として編集し、出版に当たってさらに検討を重ねられた。準備が行き届いており、 研究成果公開促進費の交付による出版に値する研究書といえる。 浅学菲才な筆者が本書について言及できることは限られているが、この場を借り て、本書の紹介をし、いささか私見を付け加えたいと思う。まずは章題等によって 本書の構成を示しておく。
1 本書の構成
凡例/序章 第一部 幕末・明治期の社会と漢詩文文化 第一章 漢文による歴史人物批評―幕末昌平黌関係者の作品を中心に―/第二章 明治初期の漢詩と結社―旧雨社をめぐって―/第三章 青少年期の森鷗外と近世 日本漢文学/第四章 漢詩改良論―詩歌の近代化と漢詩―/第五章 明治期の時 事批評漢詩―国分青厓「評林」と野口寧斎「韻語陽秋」―/第六章 『しがらみ 草紙』の「詩月旦」―森鷗外と文壇批評漢詩― 第二部 幕末・明治初期における漢詩の潮流と漢詩壇の動向 第一章 性霊論以降の漢詩世界―近世後期の日本漢詩をどう捉えるか―/第二章 幕末京坂の漢詩壇―広瀬旭荘・柴秋村・河野鉄兜―/第三章 幕末・明治初期の 遊仙詩―森春濤とその周辺―/第四章 幕末・明治初期の詠物詩―大沼枕山一派 の詩風をめぐって 第三部 森槐南と新世代の漢詩人たち 第一章 幕末・明治初期の艶体詩―森春濤・槐南一派の詩風をめぐって―/第二 章 漢詩における明治調―森槐南と国分厓/第三章 森槐南の読書歴―青少年期 を中心に―/第四章 森槐南と呉汝綸―明治三○年代における日中漢詩唱和― 第四部 野口寧斎の生涯と文学 第一章 野口家一族と幕末の文人社会―寧斎の祖父良陽・父松陽について―/第 二章 野口寧斎の前半生/第三章 野口寧斎の後半生資料『漁洋山人精華録訓纂』への森槐南自筆書入れ/初出一覧/あとがき/主要人 名・書名・作品名索引
2 本書が解明したこと
序章は、幕末・明治の漢詩文研究の欠を指摘して本書の課題を明示し、本書全体 の見取り図として簡潔にして要を得ている。 言うなれば、本書は水平軸と垂直軸の 2 つの方向性を持って研究対象を見据えた 論著である。用意周到な研究であれば当然のことと言えるが、実行するのは容易な ことではない。水平軸は、合山氏が漢詩文文化と称する、社会的なレベルでの漢詩 文愛好の広がりに対する探究である。垂直軸は、史的な探求である。幕末・明治の 漢詩はそれ以前の――特に近世漢詩の系譜上に位置するが、何を継承し、何を遠ざ けたかという点についての再検討である。また、幕末から明治へと大きく転換する 時代の中での漢詩が果たした役割についての研究である。 本書は、近世漢詩史の先にある存在として近代漢詩史を把握するとともに、近代 漢詩史が複雑に重なり合う近代文学史、さらに大きく言ってしまえば近代精神史を 射程に入れていると言うことができる。 以下、筆者の理解し得た第一部から第四部までの内容を紹介し、本書が解明した ことを指摘しておきたい。 第一部は五章から成る。明治初頭の漢詩文創作や近世漢詩の受容について、同時 代の教育・文化状況を意識しつつ論じた論考群である。 第一章は、昌平黌の儒官や学徒たちの史論について分析し、楠正行、正成の早す ぎる死と、南朝の勢力回復の機会を逸したことが数多く指摘されていることを明ら かにし、吉田松陰の「七生説」に代表されるような、忠誠心への讃美だけにはとど まらない幕末の知識人の時代思潮を指摘している。第二章は阪谷朗廬の文章「旧雨 社記」の分析。朗廬が用いた「自由自主」には、「freedom」「liberty」の翻訳語と しての「自由」の意と、もともとの漢語の「自由」が有していた我儘、自分勝手と いう負の意味の「自由」の意との、二つの意味があると指摘し、翻訳語と本来の漢 語の間を往還しつつ作詩がなされる点に明治初期の特色を見る。さらに、結社の旧雨社そのものが、世俗の価値観や西洋渡来の新知識のせめぎ合うような集団だった ことを指摘した。第三章は、青少年期の森鷗外が近世日本漢文学の書物を読むこと で、医学、博物学から歴史にまで至る幅広い知識を集積し、教訓・人生訓を求めて いたことを、東京大学鷗外文庫所蔵の漢籍の書入れから明らかにした。先行研究で は近世日本漢文学の抒情性や個性の豊かさが評価されてきた。幕末・明治の当時の 人々は近世日本漢文学に教訓や処世訓を求めていたのではないかと、新たな知見を 提示している。第四章は、詩歌の近代化を研究する際看過されてきた、漢詩をめぐ る議論や論争に着目した論考である。論争の内容の変遷、発言者の立場や身分を丹 念に調べて、漢詩創作称揚の時代から、漢詩否定の時代への変化を、議論内容の変 化から読み解いている。第五章は、漢詩が時事批評を扱うことによって人気を博 し、時代の文芸として命脈を保ったことを、国分青厓「評林」と野口寧斎「韻語陽 秋」を取り上げ分析する中で明らかにしている。第六章は、『しがらみ草紙』「詩月 旦」に掲載された、文芸批評を内容とする漢詩についての分析。小説批評が絶句で 表現され軽妙な趣を持つという、同時代の文芸批評とは違う特色を指摘した。ま た、「未曾醒」詩が『舞姫』の批評である可能性を探り、「未曾醒」詩の新たな解釈 を提示した。 第二部「幕末・明治初期における漢詩の潮流と漢詩壇の動向」は四章から成る。 近世漢詩や中国古典詩からの継承、地域による差異などを、専門漢詩人たちの創作 と言説から明らかにし、幕末・明治初期の従来の文学史では見過ごされてきた点を 明らかにした論考群である。 第一章は、自らの個性や実感に即した詩を重んじる性霊論が、近世漢詩を論じる 指標として取り上げられてきたことに疑問を呈し、当時の儒者や詩人たちの批評を 読み解いたもの。性霊論浸透以後に流行した宋元風の詩風への嫌悪、唐詩尊重の意 識を見出し、写実や抒情といった概念での後代の評価は、近世漢詩の一面を捉えた に過ぎず、その延長上に、写実よりも表現の洗練を大事にする森春濤一派が台頭し てくることを鮮やかに示した。第二章は、幕末の京摂の漢詩壇における三人の詩人 たち――広瀬旭荘、柴秋村、河野鉄兜の詩の特徴を踏まえ、旭荘と秋村、旭荘と鉄 兜の言説を読み解くことで、三人の詩風と詩観を明らかにした。さらに、江戸詩壇 の大沼枕山、森春濤との比較に及び、京摂の漢詩人三者それぞれが独自の詩観を有
しているが、江戸漢詩人とは違って、宋詩風の繊細で平明な詩風を高く評価しな かったという点で一致を見ることを指摘している。第三章は幕末・明治初期の漢詩 世界において神仙表現が多用されていたことを指摘し、清の王漁洋の詩観を支持し た森春濤と河野鉄兜の遊仙詩、春濤の息子森槐南が詠じた「反遊仙詩」を例として 分析を試みている。吉原火災で亡くなった遊女たちへの鎮魂、十四歳で亡くなった 長男への追悼の思いで詠じる春濤、あたかもペリー来航への反発を示唆するかのよ うに、強風が蒸気船を吹き払ったと詠じた鉄兜、父春濤が多用した神仙表現を技巧 的に乗り越えようとしながら、遊仙に反対するという詩を書く槐南。三者の遊仙詩 を丹念に読み解き、中国古典詩に対する造詣の深さを背景としつつ博学を駆使して 想像の世界を構築するという詩作傾向を見出した。第四章は、従来、守旧と進取、 反維新政府と親維新政府という二項対立で図式的に捉えられがちな、大沼枕山一派 と森春濤・槐南一派との関係を、詠物詩の創作や詠物詩についての言説を切り口と して捉えなおそうとする試みである。幕末・明治初期の流行は詠史詩にあり、詠物 詩は看過されてきた。しかし本章は大沼枕山一派の多作が、菊池五山の流れを汲ん で、詠物詩を肯定的に捉えたことに起因すると論じている。さらに、枕山たちの詠 物を優質と捉えた春濤は、枕山とは異なる独自の方向性を模索し、槐南は中国の伝 統的な詠物詩批判言説を踏まえながら、枕山たちへの批判を試みたことを指摘して いる。 第三部「森槐南と新世代の漢詩人たち」は四章から成る。第一章は森春濤・槐南 一派が盛んに制作し爆発的な流行となった艶体詩について、近世漢詩との差異に留 意しながら、流行の実態を解明し、表現の特色について考察を加えたもの。春濤を 領袖と仰ぐ人々や春濤の友人たちなど二十歳代から三十歳代の青年たちが実作者と して艶体詩流行を支えたこと、悼亡詩や無題詩、はては挨拶の詩でも恋愛の詩句を 挟んだりする場合があるという流行の実態を明らかにした。近世の艶体表現には無 い、この時期の新しい艶体の特色として、仏教的色彩を帯びた艶体表現、不遇な女 性への関心を指摘し、その源泉として陳碧城(1771-1843)の詩歌に言及してい る。陳碧城という新たな光源から春濤・槐南一派の艶体詩に光が当てられた結果、 成功譚の要素を含め持つ才子佳人小説からの影響よりも、陳碧城の詠じた薄命の美 女のイメージの影響が、春濤たちに色濃く伺えることが明瞭となった。それによっ
て、中国の才子佳人小説との関係から艶体詩を捉え、その佳人描写に同質性を見出 そうとした先行研究への疑義を提示し、最後に、薄命の美女のイメージと艶体詩が 醸し出した幻想性、神秘性、悲劇性、感傷性などの情緒が、女性や恋愛を巡る小説 作品や他の漢詩文芸に影響を及ぼしたことに言及し、さらにその背景的理由とし て、精神性に重きを置く明治的な恋愛思潮につながる新しさを艶体詩が持っていた からではないかと推察している。 第二章は明治十年以降の新しい世代の漢詩人たちを文学史的に位置づけ、果たし た役割を明らかにすべく、森槐南と国分青厓を取りあげて考察を加えている。槐南 と青厓は漢詩人として立つまでの経緯も異なり、詩風も違うが、悲憤慷慨への志向 及び文化文政年間の詩風への反発という点で一致を見ていると指摘している。ま た、青厓と正岡子規、槐南と井上鉄次郎との比較を通して、青厓と槐南が、当時の 詩歌革新の動きとどのような関係にあるか考察している。槐南と青厓の作風や詩歌 への態度は、同時代の文学者たちが新たな詩歌の潮流を起こす下地となった可能性 はあるが、伝統的な漢詩世界の中で新たな表現力を獲得するにとどまり、自ら伝統 の枠組みを乗り越えて姿を変えて新しい時代思潮に適応していった和歌、俳諧、新 体詩といった日本語の詩歌と異なっていたことを指摘した。 第三章は、森槐南が青少年期(十歳代後半から二十歳代前半頃)に読み込んだと 思われる漢籍の書き込みを調査することで、槐南の読書実態に迫り、槐南が竹枝詞 や明末清初の歴史に強い関心を示していることを明らかにした。表現の質、歴史人 物の評価の妥当性など複数の視点から詩歌の評価を考えていたことに注目し、中国 の学問全体への関心の表れと見た。 第四章は、森槐南が清朝文人と交わした唱和詩の性質の変化を時代順に分析したも の。日中文人の漢詩唱和の内容とそれをめぐる環境が明治二十年代後半から明治三十 年代前半にかけて大きく変化し、両国の友好を温雅に唱和する詠作から、清の政治状 況に踏み込んだ詠作へと変貌を遂げることを、作品を読み解くことを通して明らかに している。さらに教育制度近代化のための視察を来日目的とする清朝文人たちを妨害 する存在として、唱和を求める槐南たちが批判されたことを、当時の新聞資料などに よって解き明かした。槐南ら当時の日本漢詩人たちが置かれていた新たな局面―漢 詩文に対する社会的支持が得られない―が抉り出されたのである。
第四部は、明治の文芸ネットワークの結節点として軽視できない人物でありなが ら、これまで十分考究されなかった野口寧斎(1867-1905)についての論考で、三 章から成る。第一章は野口寧斎の祖父良陽と父松陽についての事跡を、彼らの創作 した漢詩とともに探究した論考である。良陽と松陽父子がそれぞれに受け入れ自ら を形成した学問や思想に差があることを、関西大学図書館中村幸彦文庫蔵野口家関 係資料から読み解き、幕末・明治が変革期であって世代間格差が大きかったことを 浮き彫りにして見せた。また、転換期を生き抜いた良陽・松陽父子が築いた人間関 係が、明治維新後の教育を受けた寧斎の文学者としての人生の道筋をつけたことを 指摘した。幕末・明治期の三世代に渡る文人一家の知的継承と展開を物語る典型的 な一例と言えるだろう。第二章は二十七歳頃までの前半生について、父との関係、 漢詩創作、小説批評などの文学活動、交友関係などを調査分析し、道徳的で国家・ 社会のために尽力する人間を好評価した寧斎の人物観が文学にも反映したことを明 らかにした。第三章は、寧斎の日清戦争(1894-1895)以降の足跡と業績について の考証である。漢詩振興に尽力し、戦争漢詩を作り、軍関係者や出版関係者とネッ トワークを築き、国家や社会に自ら貢献すべく文学活動を進めていたことを明らか にした。寧斎は晩年、ハンセン病を患ったが、高雅な境地を漢詩に詠むことを是と した点に、病をも写生の対象とした正岡子規との差異を見出している。野口寧斎の 文学の大きな特質として、終生、国家や社会へのまなざしを捨てなかった点を挙げ ている。
3 漢詩文の伝統と明治の漢詩読者及び明治文芸
筆者は本論の冒頭で、『金色夜叉』の荒尾譲介が想起されると述べた。森槐南も 国分青厓も、剣士の慷慨をテーマとした漢詩を詠じている(188 頁)ことを知れ ば、明治の漢詩から荒尾譲介をイメージすることを、的外れな行為と叱責されるこ とはないのではないか。漢詩の明治文芸における位置づけについての指摘は本書に おいては甚だ控え目であるが、本書によって理解が深まる詩歌や小説は少なくない と思われる。合山氏は本書において、途絶していると思われがちだったいくつもの 要素をつなぎあわせて滑らかに連続させ、関係性を見出した。漢語の文学と日本語の文学はもちろんのこと、断代史的に語られる傾向にあった近世文学と近代文学、 地域間の結びつきが考慮されていなかった京摂漢詩壇と江戸漢詩壇、対立すると見 られていた森春濤一派と大沼枕山一派……それらが緩やかに結びついていたり、影 響関係にあったりと、先行研究が掬いきれなかった幾多の事象を鮮やかに分析し私 たちの前に提示されたのである。これが本書の大きな特色であり、合山氏の功績で あることは、粗っぽい筆者の概要からも明らかであろう。 氏の言う「漢詩文文化」のうち、本書は主に漢詩に軸足を置いた議論が大部分を 占めた。中国の詩論を学び、それらを踏まえて詩人たちが漢詩創作に取り組んだこ とを丹念に読み解き、漢詩の明治文芸への影響も見通した。近世日本における中国 の詩論受容を含めての、明清の詩論の理解についての考察は極めて有益である。 蛇足かもしれないが、第一部第六章の「詩月旦」の文芸批評の絶句群は、中国の 「論詩」の伝統を継承していることも含めると、視界がより一層広がったのではな かろうか。「論詩」は本来ただ詩歌の論評を行なう、詩を論じる詩である。後に産 出される、詩以外の文芸も批評対象とする漢詩も「論詩」の系譜上で捉えることが できる。書家や書の作品を論評する「論書詩」もその一例と言えよう。加えて、物 語の感想を詠じた詩を含めれば、文芸批評の漢詩の裾野は広がるだろう。江馬細香 「読源語」詩(源氏物語について詠じた詩)(『湘夢遺稿』巻下、『詩集 日本漢詩』 第 15 巻所収、汲古書院、1989 年)など近世日本漢詩にも見受けられる。明治以降 でも、鈴木錫軒(中国文学者鈴木虎雄の父)の「忠臣庫十二詠」詩(忠臣蔵につい て詠じた詩)がある(『愓軒詩集』巻1、『長善館学塾史料』(上)所収、新潟県教 育委員会、1974 年)。「詩月旦」の存在は、読者も絶句による批評の伝統を理解し、 詠み出された漢詩を楽しむだけの素養があったことを暗示している。単なる暗示に 留めないためには、読者側の伝統理解をも分析することが望ましいだろう。 漢詩の読み解きで言えば、中国古典詩や近世以前の日本漢詩にない新たな表現を どう位置づけるかということも甚だ難しいことである。森槐南の「送井上辰軒学士 游欧羅巴」詩に見えるロンドンとパリの対比は、成島柳北がヨーロッパに赴く際に 作った絶句に見える「右望巴黎城上月。左瞻龍動埠頭雲。(右に望む巴黎城上の 月。左に瞻る龍動埠頭の雲。)などが響いているのかもしれない(『航西日乗』1872 年 9 月 13 日、『海外見聞集』所収、岩波書店、2009 年)。明治になって海外風俗を
詠じる漢詩が盛んに作られたことへも配慮が必要となって来るだろう。 また、「漢詩文文化」の漢文の部分についてもさらに広げて議論を重ねていただ ければありがたく思う。特に、明治における漢文は学校教育の制度との関係、漢文 訓読体の日本語表現との関係で論じられることが多い。夏目漱石の有名な言葉に 「文学は斯くの如き者なりとの定義を漠然と冥々裏に左国史漢より得たり」(『文学 論』序)と言うのがあるが、『春秋左氏伝』、『国語』、『史記』、『漢書』に象徴され る中国古典の文章の、明治文芸との具体的な関係についても、合山氏の専著を俟ち たい。 また、近代における漢字は、従来の意味を内包しつつ、訳語として新たに付与さ れた意味を備えることが多い。第一部第二章で指摘された「自由」はその好例であ ろう。合山氏が注に引く柳父章『翻訳語成立事情』(岩波書店、1982 年)などで考 察された訳語として使われた漢字は一字でも研究対象となりうる大きな存在であ る。しかも、「自由」の語の場合、ガリバルディ(1807-1882)と無縁ではない。『佳 人之奇遇』(1885 ∼ 1897 年刊)では、ガリバルディは「自由の泰斗」と称され、 物語に大きく関与している(北原敦「日本におけるガリバルディ神話」(『幕末・明 治期における日伊交流』所収、日本放送出版協会、1984 年等参照)。合山氏が指摘 された通り、漢字語彙の多重性の問題だけではない含みがあり、単語レベルに内包 された問題への関心は持ち続けて置く必要があるだろう。 西洋の衝撃を受けた近代に於いて日本語そのものの変革を余儀なくされた時代 に、漢語の非母語話者である日本人が使った漢字と、それによって作られた漢詩文 の抱える問題は極めて大きく、合山氏が本書を跳躍台としてさらなる高みへと進ま れることを切に期待している。