• 検索結果がありません。

森鴎外論雑記(二)

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "森鴎外論雑記(二)"

Copied!
9
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

﹁ 元 禄 七 年 ﹂ ( 日 本 古 典 全 3 ﹂の句の制作年次については、 オミ

るる、 再開

﹁舞姫﹂において、太田豊太郎に関わる﹁学問﹂とはどうい うものであったのか。すでに 一 部が谷沢永 一 氏によって夙にく わしく論じ主犯、また藤本千鶴子氏も論じてい ( 足 。 どちらもく わしく検討され、なかなかユニークな論であるが、この二論を 以てしでも、必ずしもすべてが明らかにな っ た とは言い難い 。 まだまだ不透明な部分が残っているのである。そこで、谷沢、 藤本両氏の論を手がかりに、筆者なりの読み方を示してみたい 。 ﹁舞姫﹂中、﹁学問﹂という語は六箇所出て来る 。 初出でい えば、﹃国民之友﹄第六十九号附録﹁藻塩草﹂のぺ!ジで、① 3 ページ下段本文凶行目、② 4 ページ下段ロ行目、③ 7 ページ 下段印行目、④

9

ページ下段 2 行目、⑤同日行目、⑥日ぺ l ジ 上段目

1

口行自である。﹁学問﹂ということばは使われていな くても、学問を意味する部分は、何箇所かに見られる。ここで はコ一子問﹂ということばにこだわりながら、他の箇所をも併せ 与えて 、 豊太郎にとって﹁学問﹂とはいったいどういうもので

)

π

<x. i竺主 あったかを検討してみたい 。 ﹁舞姫﹂中の六箇所の﹁学問﹂は概ね 三 種類に分けられ る の ではないかと思う 。 まず、故も単純な意味を待っているのが② であり、豊太郎の以も欲している学聞は①ぬ⑤であり、①⑥は その中間にあると言えよう 。 そして、①⑤は豊太郎自身の口か らではなく、他人を通じての豊太郎の﹁学問﹂の把握という側 面を持っている 。 谷沢氏は命⑤を中心にして論じ、藤本氏は②をやや軽く、他 をほぼ均等に検討しているように思われる 。 筆者は、まず③から取り上げて行くことにする 。 豊太郎は次 のように述べている 。 その名を斥さんは仰あれど同郷人の中に事を好む人ありて 余が様々芝居に出入して女優と交るといふ

E

を官長の許に 報じぬ、さらぬだに余が頗る慰問の岐路に走るを知りて憎 み思ひし官長は遂に旨を公使館に仰へて我官を免じ我職を - 85

(2)

きにき ここは 、 太田豊太郎が免官を言いわたされる場面である。そ して、その免官の理由は、この文章で判断を下す限り、エリス との交際をスキャンダルと判定した官長の決定である。﹁余が 頗る撃聞の岐路に走るを知りて憎み思ひし﹂とは、豊太郎の憶 測に過ぎない。一人称小説において 、他 人の心の中などわかる 筈はないのである。その上、この憶測は多少見当外れの感を免 れない。というのも 、 官長が豊太郎の学問の﹁岐路に走る﹂の を見て憎む必然性はないからである。豊太郎の学問は、あくま で私的なものである。⑧分(院には﹁さて故郷を出でしとき公け の許しをば兼ねて得たれば公事の暇あるごとにところの大撃に 入りて政治与を修めんと名を簿冊に記させたり﹂とあるように、 あくまで﹁公事の暇﹂を利用しての学問であった。それがかり に洋行の目的の﹁一課の事務を取調べよ﹂という命令を補強す るものであったとしても、﹁公けの許し﹂を得た私的行動に過 ぎない 。 官長とは直接何の関わりもないことである 。 しかし 、ここで太田豊太郎が免官の理由の裏面を﹁頗る事聞 の岐路に走るを知りて憎み思ひし官長﹂と憶測したことは、太 田豊太郎に、そのように憶測させる理由があったと考えなけれ ばなるまい 。 その理由は

O

X

節 の 官長はもと心のま、に用ゆベき器械をこそ作らんとしたれ 濁立の思想を懐きて人なみならぬ面もちしたる男をいかで か喜ぶべき危きは余が嘗時の地位なりけり、されどこれの みにては向ほ我地位を覆へすには足らさりけんを日比伯林 の留事生の中にで或る勢ひある一群と余との間に面白から ぬ関係ありて彼人々は余を猪疑し、又た遂に余を議するま でに至りぬ あたりにあるだろう 。官長の 本音は、ここで豊太郎を免官にし たかったのだろう 。 そして、免官としてはその方が筋が通ると さえ言い得る 。﹁女 優と交る﹂ということは、あくまで私的ス キャンダルに過ぎない 。 だが﹁ 一 課の事務を取調べ﹂ることを 目的として派遣された官吏が﹁連りに法制の細目に拘づらふべ きにあらぬを論じて一たび法の精神をだに得たらんには紛々た る諸事は破竹の如くなるべし﹂などと広言したのでは、明らか に命令違反である 。 なぜ﹁これのみにては向ほ我地位を覆へす るは足ら﹂ないのだろうか 。 そして単に﹁女優と交るしとい うことだけが免官の理由となるのだろうか 。 免官にスキャンダ ルが理由となるならば、むしろ﹁赤く臼く面を塗りて赫然たる 色の衣を縛ひ蜘俳屈に座して客を延く女を見ては往きてこれ に 就﹂いたり﹁貴族めきたる ι 鉢音にでものい ふ﹃ レ i ベマン ﹄ を 見てはこれと遊 ﹂んでいるよ うな同郷の人々も免官にな ってよ い筈である 。﹃舞 姫 ﹄における太 田豊太郎の免官の理由が薄弱 だといわれる所以である 。 話がわきみちにそれてしま ったが、そ れはともかく、豊太郎 が憶測した﹁事問の岐路 ﹂とはどういうもの だ ったの であろう か 。 豊太郎は次のように述べてい る 。

(3)

時前米たれば裏みても裏みがたきは人の好向なるらん(中略) 唯だ被働的、器械的の人物となりて自ら悟らざりしが今、 二十五となりて既に久しくこの自由の大撃の風にあたりた ればにや心の中、何となく穏かならず、奥深く潜みし異の ﹁我﹂は次第々々に表てに頼れて昨日までの我ならぬ我を 攻撃するに似たり(略) 今までは績々たる問題にも丁寧を極めていらへしたる余が この頃より官長に寄するには、連なりに法制の細目に拘づら ふべきにあらぬを論じて一たび法の精神をだに得たらんに は紛々たる首門事は破竹の如くなるべしなど、臨明言しぬ叉た 大撃にては法科の講症を絵所にして歴史文撃に心を寄せ漸 く熊を幌む境に入りぬ この思考過程も、﹁学問﹂という観点からすれば筋道は変らな い 。 法学は実学であり、歴史・文学は虚学という相違はあるだ ろうが、大学において学問として講じられているという点では 同じである。ここに引用した豊太郎の内面の変化は、要するに 豊太郎の本来の好尚が歴史・文学にあって、法学になかっただ けだけだというに過、ぎないのであって、法学と歴史・文学との 本質的な価値の差を述べたり、どちらが学問の本道で、どちら が岐路かなどと差別をしているのではないのである 。で なけれ ば⑨⑤の﹁我撃問は荒みぬ﹂というリフレインは無意味なもの となってしまう。問題は学問を身につけることによって得た批 判精神である。官長から見れば法学を学ぶことによって得られ た知識は貴重であったであ ろうが、批 判精神は余計なも のであ った。しかし、学問を身につけることによって得た批判精神を ﹁岐路﹂とは言 ャ 7 まい 。豊太 郎が﹁事問の岐路に走る﹂と憶測 したのは、本来の好みである歴史・文学に心を移してしまった ことではなく、本来の任務である﹁ 一課の事務の 取調べ﹂を、 法学を学び批判精神を身につけることによ って怠るようになっ てしまったうしろめたさの表現であったのではなかろうか。 それにしても、太田豊太郎の免官の理由はいかにも薄弱であ る。某省が高い費用を出してヨーロッパに派遣した官吏をこん なに簡単に上司の感情に、ちょっと理由づけしただけで免官に していいものなのだろうか。﹁浮雲一﹂の内海文三も、あっさり免 官にされている。しかし、内海文三の場合は、最高のエリート ・ コ 1 スを歩んでいたわけでもなければ、ヨーロッ パ留学中だ ったわけでもない。役所にとっては、ただ多過、ぎる官吏の一人 だったに過ぎない 。しかし、豊太郎は全く立場が異なる。彼は 大学始まって以来最年少で首席で卒業し、期待されて某省に入 りヨーロッパに派遣される 。いずれ帰 国すれば、某省の幹部とし て、某省を盛り立ててゆくような存在であった筈である。豊太 ( 4 ) 郎のモデルとして、よく武島務が擬せられるが、武島務とて豊 太郎と立場がちがう。武島務は私費留学生であり、武島務が免 官になっても、陸軍省医務局は大して困 らなかっ たであろう 。 しかし、鴎外の立場であったなら、陸軍省はそう簡単に免官に - 87

(4)

は出来なかったであろう。鴎外は陸軍の公費でもって、当時、 世 界の最高水準を誇るドイツの衛生学を学ぶべく派遣されてい たからである 。 陸軍の急務は軍陣衛生の整備であり、そのため に最も期待のできる鴎外をドイツに派遣しているのである 。 従 って、仮に谷口謙が、どのような策謀をめぐらしたとしても、 鴎外は免官されることはまずなか っ たであろう 。 帰国後のエリ ーゼ問題に石黒忠恵が陸軍省内部を押えたのも、帰国から数年 間、鴎外が石黒批判をできたのも、結局鴎外に代る衛生学者が 居なかったからにほかなるまい 。 ﹁ 舞 姫 L における太田豊太郎は、鴎外ほど強固な立場にはな かったとしても、内海文三や武島務とは、だいぶ立場を異にし ているように思われる 。 も っ とも、太田豊太郎の場合、 ﹁ 急ぐ

E

をば報告書に作りで送り、さらぬをば察し留めて幾巻をゃなし け ん ﹂ ﹁ 今までは頭々たる問題にも丁寧を極めていらへし﹂てい るのだから、某省としては必要な知識はすでに吸収してしまっ ているとも 丑 一 守 え る 。 従 っ て鴎外のように強固な立場にあったと も言えない 。 と は 一 吉田え、国費を多額にかけて送っている留学生 である 。 代りを容易に得難い人材であることも事実である。こ のように考えても、豊太郎の免官は理由薄弱との批判が出て釆 るのも当然であろう。 ⑥の ﹁ 学問 ﹂ ということばは、次のような文脈で出て来る 。 魯西

E

行の努を問ひ慰めて後われと共に東に鋳へる心はな きか君が撃問こそわが測り知る所ならね語撃のみにで世の 用をばなすべし この部分について藤本千鶴子氏が極めて示唆に富む発言をし て い る 。 大臣は官長とちが っ て﹁我学問 ﹂ を尊敬しているのではあ るまいか 。 帰国して当分は語学だけ利用されるとしても、 これだけの信任があれば、そのうちには天方内閣の外交問 題の相談役として、﹁見識﹂を生かすことができるのではな いか(これは、日本の近代化路線の内側からのレ l ルの訂 正者として生きることであり、身は束縛されても精神の自 由を保つ生き方である)、(後略) とはいえ、天方伯のことばは、人をあやつる術に長けた、 二通りに受けとれる玉虫色の表現である 。 天方伯は、真底 太田のの学問を尊敬しているのだろうか 。( 中略 ) 語学力だ け必要なのだと釘をきしたのかもしれない 。 ( 後 略 ) 非常に興味深い読み方だが (ただし、﹁尊敬﹂というより﹁尊 重﹂と言った方がよいようにも思う ) 、ここはやはり天方伯のこ とば通り、﹁測り知る所ならね﹂と受け取 っ た方がよいのではな ( 5 ) かろうか 。 福本彰氏は﹁ ﹃ 魯西亜行 ﹄ の期間及 、 び﹃翻訳 ﹄ 程度で ﹃測り知る﹄ことのできる ﹃ 学問﹄の程度など、常識的に言 っ て高が知れている 。 だから ﹃ 学問﹄と内容など吟味できないの は 当 然 で 、 ﹃ それは要するにどうでも良い、最終的にはそこを 問うのではないということ﹄ではなくて、 ﹃ そこを問う ﹄ て も 、

(5)

現段階では自分の限で判断の仕様がないから一恥棚上げしてお いて、短期間で判りやすい ﹃ 語学 ﹄ 力の才能を見て、それだけ で十分役立つ者と思 つ ての言葉と理解するのが自然ではないか﹂ ( 6 ) と重松泰雄氏の論を批判している。 ところで筆者の注目したいのは、﹁君が撃問こそわが測り知る 所ならね語学のみにで世の用をばなすべし﹂と天方伯が述べて い る点である 。 天方伯の学問観は、あくまで﹁世の用﹂をなす べきものなのである 。 しかし、太田豊太郎の学問は、﹁歴史文与 などに心を寄せ漸く蕉を鴫む境に入﹂ っ たものである 。 実学的 な法学などから、歴史や文学などの虚学に及んで学聞が佳境に 入るのであるから、この場合、天方伯から﹁学問﹂的に期待さ れたとしても、天方伯と豊太郎とでは学問の意味が異なってい ると 言 えよう。豊太郎が天方伯に期待するのは﹁名替を挽きか へ﹂すことであり、功名の念を満たすことである 。 も ち ろ ん 、 そのためには、かつて身につけた法学も活用できるであろうが、 現在の学問の飢えを満たすものではないであろう 。 もっとも天方伯は、福本氏のいう﹁学問﹂とちが っ た面で 太 田豊太郎を試している 。 それは、⑮分節にも出て来るが、 都謬は一夜になし果てつ﹁カイゼルホ l フ ﹂ へ遁ふ

ε

は こ れより漸く繁くなりもて行く程に初めは伯の言葉も用事の みなりしが後には近比故郷にでありし-となどを懇げて余 が意見を問ひ折に燭れでは遁中にで人々の失策ありし

ε

ど もを告げて打笑ひ玉ひぬ と、﹁近比故郷にでありしさなどを挙げて余が意見を問﹂ふの は、いわば天方伯が豊太郎に対し試験をしているのであり、ま た、﹁遁中にて人々の失策ありし芝どもを告げ﹂るのは、豊太 郎の反応を見て、その人物を判断する材料を集めていると見る こともできる 。 その結果が、ロ シ ア行きへの誘いとなり、ロシ アでの﹁この間、偽蘭西語を最も園滑に使ふものは余なるがゆ ゑに賓主の聞に周旋して事を耕、ずるものもまた多くは余なりき﹂ という活躍につながるのである 。 当然、この間、天方伯は豊太 郎の実力を測 っ ていたにちがいない 。 エリスからの手紙の中に も﹁書きおくり玉ひし如く大臣の君に重く用ゐられ玉はば﹂と、 天方伯 の 反応を豊太郎は敏感に感じ取 っ ているのである 。 従 っ て、⑥ の 場合の﹁学問﹂とは、政治家のブレインとして、 また官僚としてその仕事の実際に役立つ学問であって、あくま で天方伯の考える﹁学問﹂であり、豊太郎の希求する学問とは 別物であったと 言 わなければなるまい。 - 89 -追記 本稿は ﹃ 森鴎外研究 ﹄ 第 三 号(平成元年十 二 月 三 十 一 日、和泉書院)に﹁﹃舞姫 ﹄ についての諸問題( 二 ) ﹂ と して掲載する予定の原稿の 一 部であったが、締切りに 間に合わなか っ たので、本誌に発表した。

(6)

J

¥

﹃うたかたの記﹄は、佐藤春夫の評価によれば、鴎外の初期 ( 7 ) 三部作中、最も文学的にすぐれたものだという。たしかに﹃舞 姫﹄に比較すれば矛盾点も少なく、スト ー リーも﹃舞姫﹄以上 に波湖に豊んでいるとも言えるが、﹃舞姫﹄のような人間の生き 方に関わる問題点が﹃舞姫﹄より少なく、﹃舞姫﹄より純粋では あるけれども、やや軽い作品になっていることは否み難い。こ のような単純な感想はさておき、﹃うたかたの記﹄にも、﹃舞姫﹄ に似た矛盾点があることを指摘しておきたい。初出の﹃しがら み草紙 ﹄ では第日ぺ l ジ上段にある。 この時、二黙三黙、粒太き雨は車上の 二 人が衣を打ちしが、 瞬くひまに繁くなりて、湖上よりの横しぶき、あら、かに おとづれ来て、紅を潮したる少女が片頬に打ちつくるを、 さし覗く巨勢が心は、唯そらにのみゃなりゆくらむ。少女 は伸びあがりで、﹁御者、酒手は取らすべし、疾く揺れ、 一 策加へよ、今一策﹂ 。 と叫びて、右手に巨勢が頚を抱き、 己れは項をそらせて仰視たり。巨勢は繁の如き少女が配に、 我頭持たせ、た J 夢のこ、ちして其の姿を見たりしが、彼 凱旋門上の女紳パワリヤまた胸に浮びぬ。 ︻ 。 。 甲 小堀桂一郎氏は、この部分を評して、﹁馬車の上で帽子を脱ぎ すで、金髪を風になびかせながら叫ぶマリイは巨勢の眼にはま たしても獅子にひかせた車の上なる女紳パワリアのように映る 。 たわむれに言えばマリイのモデルはパワリアとでも言うべきか山 ( 9 ) と言う。越智治雄氏は、この引用文の直前を挙げて﹁瞬時の生 の燃焼にすべてを賭けて悔いないマリイの情熱が溢れているか らにほかならない。﹂とも言っている。みな、鴎外の熱っぽい文 章にごまかされて、この文章中の矛盾に気がついていない。そ の矛盾とは何か。鴎外は、﹁少女は伸びあがりで、(中略)右手 に巨勢が頚を抱き(中略)巨勢は紫の如き少女が肩に、我頭持 たせ﹂と書いている。坐 っ ている巨勢が伸び上った少女の肩に、 どうやって頭を持たせかけることができるのか、また次の描写 ﹁少女は(中略)右手に巨勢が頚を抱き、(中略)巨勢は紫の 如き少女が肩に、我頭を持たせ、たゾ夢のこ h ちして其の姿を 見たりしが、彼凱旋門上の女神パワリヤまた胸に浮びぬ。﹂であ るが、こんな器用なことができるだろうか。巨勢はマリイに頚 を抱かれ、マリイの一周に頭を持たせている。肩の上に頭を載せ、 その頚にマリイの腕をまかれて、どうしてマリイの姿が見える のか。この部分の主眼は当然最後の﹁彼凱旋門上の女紳パワリ ヤまた胸に浮びぬ 。 ﹂という文章にある 。 そしてこの文章は、 冒 頭の﹁幾頭の獅子の挽ける車の上に、勢よく突立ちたる、女紳 ﹃パワリヤ﹄の像は、先王ルウドヰヒ第一世が此凱旋門に据ゑ させしなりといふ。﹂という文章と相応じている。

(7)

﹃舞姫﹄が映画化され、二度ほど見てその感想を﹃森鴎外研 究﹄第 三 号に書く予定だったが、結局時間がなかったので、ち ょっとごこに書きつけておきたい 。 本稿の趣旨とはちょっとち がうのだが。 映画﹃舞姫﹄は、映画としての特性上も、原作﹃舞姫 ﹄ と は かなり変えられている。 ﹃ 舞姫﹄の筋そのものがかわっているば かりでなく、実際の鴎外をも取入れ、﹃独逸日記﹄﹃文づかひ ﹄ ﹃ ヰタ・セクスアリス﹄などが混入している 。 問題は、原作が かなり読みづらい作品の上、 一 応読めたとしてもまず正確には 読めない作品だけに、映画だけを見て、鴎外の﹃舞姫 ﹄ とはこ のような作品なのかと誤解する恐れがあることである 。 原作を 読んでから、この映画を見ても、また次に ﹃ 舞姫 ﹄ を 読 む と 、 つい、郷ひろみとリザ・ヴォルフの顔が浮んで来るから厄介であ ヲ 匂 。 だいたい、太田豊太郎を軍医にする必然性がどこにあるのだ ろう。かえってマイナスではないだろうか 。 軍医であれば、仮 に免官になったとしても、世界的な細菌学の権威コッホのもと で研究を続けていた人物である 。 ド イ ツ に お い て 医 者 の 資 格 をとり、ドイツに留まるごとも容易であった筈で、某省の官吏 の免官とは意味が違うのである。副島和 三 郎 ( 福島安正大尉) が、極めて卑小に描かれているが、実際の福島大尉がどうあれ、 陸軍省医務局から派遣された軍医を、わざわざ望遠鏡まで持っ て監視に出かけ、免官に追い込むようなパカな真似をする筈も な い 。 前述のごと く 陸軍にとって衛生制度の整備は急務であ っ たからである 。 また、豊太郎とエリスの出会いの場所もあまり 適当ではない 。 モンビジュ l 橋の上では人通りも多いだろうし、 また、見方によってはエリスが橋の上から投身自殺をしようと ( 叩 ) していたともとれる 。 篠田正浩監督の直話によれば、戦災のた めエリスをもたれて泣かせるような適当な教会が見つからなか ったからだそうだが、教会の円であればこそ、エリスの困惑ぶ りが浮き上って来るのである。本来ならば救いを求める場所、 その教会の門が閉ざされているというところに意味がある 。 リザ・ヴォルフはエリスとイメージがちがうという者が多い。 その上、貧困な筈のエリスの着ている衣裳は豪華に過ぎるので はないか 。 ﹁掌上の舞をもなしえぬべき少女﹂という感じではな い。豊太郎の母は、息子の免官のあと自殺が未遂に終り船中に 祝電を打っている 。 一 方、エリスは流産はしたものの発狂せず、 ﹁ ト ヨ タ ロ l ﹂と叫びながら、豊太郎と相沢謙吉の乗 っ た馬車 を追いかけてゆく 。 概して、原作の雰囲気とはちがったもので あ っ たという感が強い 。 この映画については、篠田監督自身の ( 日 ) 談話や記事がいくつかあり、吉野俊彦氏も﹁映画﹃舞姫 ﹄ と森 ( ロ ) ( 日 ) 鴎外﹂、長谷川泉氏も﹁日独合作映画 ﹃ 舞姫﹄を観て﹂を書いて い る 。 篠田監督の発言は、この映画の製作意図をはっきりと示 している。要約し、推測すれば、本来は一つの東西ベルリンを、 一 つのベルリンとしてもとにもどしたいというドイツの希望を 入れての合作映画だ っ たという 。 そして、この映画が公開され 句 E A n ヨ

(8)

て数ヵ月後、実際上ベルリンの壁は消滅した。吉野氏や長谷川 氏の映画評は、原作と の 比較も綴密だが 、 篠田監督の場合は、 鴎外に関する専門家でない上、記憶だけで発言しているところ があり、若干の思いちがいもあるようだが 、こ れはやむを得 な い こ と であろう。むしろ 、そ の製作の舞 台裏 が 明かされ て興味 を 持 て る 。 ただ、繰り返しになるが、いかに映画が名作であろ うと 、映 画 ﹃ 舞姫 ﹄ と原作 ﹃ 舞姫 ﹄ は異 っ た 作品だということであ る 。 映画を見ただけで、原作を読んだなどという勘ちがいを起す者 がいないよう願 う 。

現在まで、筆者は ﹃ 舞姫 ﹄ 論に ついて 、あるいは森鴎外に関 する論考に関して、かなり批判的な意見を書き連ねて 来た。ま だまだ筆者が問題にしたい鴎外論は数 多 い 。し かし、他人のこ とを云々する前に自分自身の失敗も書かないのでは不公平にな るので、今回は自己批判をしておきたい。その代り 、 次回から はまた批判を展開する。 拙著﹁森鴎外 │ │ 初期文芸評論の論理と方法 L に 関 し て は 、 福本彰氏の書評があるが、福本氏が手抜きと批判している部分 は、殆ど当 っ て い る 。 かなり以前の失敗では、﹃評言と構想﹄第五輯に掲載された 、 ﹁ 鴎 外 と 忍 月 ﹂ であるが 、 この中で 筆 者は鴎外の ﹁ レ ツシング が事を記す﹂を﹃月草﹄所収としているが、記憶だけで 書 い た 誤りで 、 実際は﹃かげ草﹄所収である。 最近﹃妨害月刊﹄第

5

6

号に﹁鴎 外と 日本の医界 ﹂ を書い た 。 こ の中で鴎 外は﹁医 学的な活動では決して﹃鴎外 ﹄と は称 していない L と書いた。これも 筆者の 記憶ちがいであ る。こ こ で訂正しておきたい。大阪樟蔭女子大学蔵 ﹃ 文づかひ ﹄原稿 複 製版解説で、貼紙の箇所をはが して書き 直した部 分を抜き 出し た。しかし、手許の、原稿のコピ l に訂正箇所だけを 書き 加え たも の をもと に し てリストを作 っ た の で、脱落がかなりと 若 干 ( M ) の誤りがあった。 山崎 一穎氏に指摘されたが 、 事情やむを得な いとは言え、手抜きにはちがいない 。 、 ぽ ﹁ 鴎 外 ﹃ 舞 姫 ﹄ の 発 想 ﹂ ( 関 西 大 学 ﹃ 国 文 学 ﹄ 一 八号、昭辺 ・ 7 の ち ﹁ 明治期の文 芸 評 論 ﹂ ︿ 昭 必 ・ 5 八 木 書庖﹀に再録) 2 、 ﹁ ﹃ 舞 姫 ﹄ の 構 造と新しさ ﹂ ( ﹃ 日 本 近 代文 品 子 ﹄ 二 六 集 昭 日

-m

)

3、嘉部嘉隆編﹁森鴎外 ﹃ 舞 姫 ﹄ 諸 本 研 究 と 校 本 ﹂ ( 昭 臼 ・ 1 桜 楓 社 ) 中 の ﹁ 分節の立て方 ﹂ に よ る 。 4、長谷川 泉 ﹁ 森 鴎 外 と 武 島 務 ﹂ ( ﹃ 日 本 近 代 文 学 ﹄ 一 三 集 昭 6 ・ 日 ) 5 、﹁ ﹃ 贋物 ﹄ 横行世界での ﹃ 本 物 ﹄志 向 の 達 成 度 ﹂ ( ﹃ 樟 蔭 国 文 学 ﹄ 十 九 号 、 昭 貯 ・ 2 )

(9)

かなり似翫グ,扶郎て H H 4 2

E

t

相 究 ﹄

2

3

﹂ 車

1

3

1

1

'

﹁﹃舞姫﹄再説││﹃特殊の面白ある才子住人の物語 ﹄ ( ﹃ 文 学 論輯 ﹄ 一 一 六号、昭日 ・ ロ ) 7 、 ﹁ 森鴎外のロマンティシズム﹂(﹃群像 ﹄ 昭

μ

・ 9 、 のち﹁近代 日 本 文 学 の 展 望 ﹂ ︿ 昭 羽 ・ 2 、大日本雄弁会講談社刊﹀所収) 8 、﹁若き日の森鴎外﹂(昭付

- m

、東京大学出版会) 9 、﹁うたかたの跡﹂ ( 文学 ﹄ 昭 U -U ) 日、森鴎外研究会企画﹁鴎外・激石文学の旅﹂ ( 一 九八八 ・ 九 ) で、たまたま西ベルリンのホテルが同じであ っ たため、ガイド を通して、篠田監督の部屋に招かれ、お話を伺った。 口 、 一 例 と し て 、 ﹁ ﹃ 舞姫 ﹄ 雑 感 ﹂ ( ﹃ 文 芸 春 秋 ﹄ 平 1 ・ 5 ) が あ り 、 また郷ひろみも ﹃ 文 芸春秋 ﹄ に書いている 。 ロ 、 ﹁ 映 画 ﹃ 舞姫 ﹄ と森鴎外 ﹂( ﹃ 別冊文芸春秋 ﹄ 平 1 ・

m )

口 、 ﹁ 鴎外﹂(森鴎外記念会)第初号 ( 平 1 ・ 7 ) 所収 M H ﹁ ﹃ 文づかひ ﹄ の複製の意義﹂(﹃森鴎外研究﹄第三号、平 1 ・ ロ ) 6 - 93

参照

関連したドキュメント

存在が軽視されてきたことについては、さまざまな理由が考えられる。何よりも『君主論』に彼の名は全く登場しない。もう一つ

 基本的人権ないし人権とは、それなくしては 人間らしさ (人間の尊厳) が保てないような人間 の基本的ニーズ

されていない「裏マンガ」なるものがやり玉にあげられました。それ以来、同人誌などへ

1 単元について 【単元観】 本単元では,積極的に「好きなもの」につ

しかしながら、世の中には相当情報がはんらんしておりまして、中には怪しいような情 報もあります。先ほど芳住先生からお話があったのは

巣造りから雛が生まれるころの大事な時 期は、深い雪に被われて人が入っていけ

❸今年も『エコノフォーラム 21』第 23 号が発行されました。つまり 23 年 間の長きにわって、みなさん方の多く

 筆記試験は与えられた課題に対して、時間 内に回答 しなければなりません。時間内に答 え を出すことは働 くことと 同様です。 だから分からな い問題は後回しでもいいので