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「白羽箭」の成立課程 : 泉鏡花と会津若松 (吉川貫一先生退休記念号)

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Academic year: 2021

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Kobe Shoin Women’s University Repository

Title 「白羽箭」の成立過程 ―泉鏡花と会津若松―

Author(s) 田中 励儀

Citation 文林(BUNRIN),No.18:137-154

Issue Date 1983

Resource Type Bulletin Paper / 紀要論文

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Right

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1

i

「白羽箭」の成立過程 泉 鏡 花 ﹁ 白 羽 箭 ﹂ は 、 明 治 三 十 六 年 十 一 月 、 ﹁ 文 芸 倶 楽 部 ﹂ 第 九 巻 第 十 五 号 に 発 表 さ れ た 。 前 月 の 同 誌 巻 末 に は 、 ﹁ 此 の 新 作 八 十 頁 に 余 り 優 に 単 行 本 と し て 発 刊 し 得 る も の 、 其 の 想 の 幽 、 其 の 文 の 勤 、 読 者 は 癸 卯 文 壇 悼 尾 の 傑 作 と ( 1 ) し て 、 喜 び 迎 ふ る な ら む 。 ﹂ と 予 告 が 掲 載 さ れ て い る 。 実 際 、 発 表 さ れ た ﹁ 白 羽 箭 ﹂ は 九 十 九 頁 に 及 ん で お り 、 ほ ぼ 頁 数 が 一 致 し て い る と こ ろ か ら 、 前 月 中 、 既 に 脱 稿 あ る い は そ れ に 近 い 状 態 だ っ た こ と が 推 測 さ れ る 。 な お 、 題 名 の 読 み 方 は 予 告 で は ﹁ し ら は の や ﹂ 、 発 表 誌 で は ﹁ は く う ぜ ん ﹂ と ル ビ が 付 さ れ て お り 、 一 定 し て い な い 。 ツ マ 鏡 花 は 、 自 筆 年 譜 明 治 三 十 六 年 の 項 に 、 ﹁ 十 月 、 ﹃ 白 羽 箭 ﹄ 文 芸 倶 楽 部 に 出 づ 。 月 光 、 草 に 深 き 、 古 城 を 歌 へ る な ( 2 ) り 。 ﹂ と 、 そ の 印 象 を 記 し て い る が 、 こ れ は 明 治 三 十 二 年 八 月 の 会 津 旅 行 体 験 に 基 づ い た も の で あ っ た 。 当 時 発 表 さ ヘ へ れ た 書 簡 形 式 の 文 章 ﹁ 会 津 よ り ﹂ (明 32 . 8 ) に は 、 ﹁ 二 十 三 日 午 後 六 時 若 松 着 。 (略 ) 宙 外 君 の 許 に 至 り 、 当 夜 古 城 の 月 を 見 申 候 。 其 の 天 守 閣 に 上 り 候 時 、 月 に 鱗 形 の 雲 懸 り 狐 の 哺 く 声 聞 こ え 候 。 ﹂ の 一 節 が み え る 。 月 夜 の 廃 城 が 本 作 成 立 の 主 要 契 機 と な っ た こ と は 間 違 い な い 。 本 稿 で は 、 こ の 会 津 旅 行 を 跡 づ け る こ と に よ っ て 、 ﹁ 白 羽 箭 ﹂ の 成 立 過 程 を 些 少 な り と も 分 析 し て み た い 。

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文林 十 八号 ( 3 ) こ の 年 、 鏡 花 が 会 津 に 赴 い た の は 、 後 藤 宙 外 と の 縁 か ら で あ っ た 。 宙 外 の ﹃ 明 治 文 壇 回 顧 録 ﹄ に は 、 ﹁ 明 治 三 十 二 年 の 夏 、 友 人 の 紹 介 に 依 り 、 私 は 会 津 東 山 温 泉 に 滞 在 し て ゐ た こ と が あ る 。 こ の 際 、 東 京 か ら 泉 鏡 花 君 や 、 伊 原 青 々 園 君 が 相 前 後 し て 遊 び に 来 ら れ た の で あ つ た ﹂ と 記 さ れ 、 同 時 に 、 ﹁鏡 花 、 御 邪 魔 に 罷 出 候 、 よ ろ し く 其 地 の 山 水 御 紹 介 頼 入 候 ﹂ と い っ た 内 容 の 、 宙 外 宛 尾 崎 紅 葉 書 簡 が 紹 介 さ れ て い る 。 こ の 書 簡 の 日 付 が ﹁ 八 月 二 十 六 日 ﹂ で あ る こ と を 考 慮 す る と 、 鏡 花 は 、 ﹁ 会 津 よ り ﹂ で 記 し た 二 十 三 日 か ら 少 な く と も 五 、 六 日 間 は 宙 外 の 許 に 滞 在 し た 計 算 と な る 。 と こ ろ で 、 鏡 花 と 宙 外 の 関 係 は 、 宙 外 が 島 村 抱 月 ら と と も に 創 刊 し た ﹁ 新 著 月 刊 ﹂ 第 一 巻 に 、 鏡 花 が ﹁ 化 鳥 ﹂ を 寄 稿 し た 明 治 三 十 年 四 月 前 後 に 始 ま る と 考 え ら れ る が 、 こ の 会 津 旅 行 を 挾 ん だ 、 明 治 三 十 三 年 に は 春 陽 堂 の 文 芸 誌 ﹁ 新 ( 4 ) 小 説 ﹂ で も 深 い つ な が り が で き る 。 既 に 越 野 格 氏 が 指 摘 し て い る よ う に 、 ﹁ 新 小 説 ﹂ 第 五 年 第 三 巻 ( 明 33 . 2 ) に は ﹁ 刷 新 改 善 の 綱 領 ﹂ が 載 せ ら れ 、 新 た に 宙 外 を 編 集 主 任 者 に 、 鏡 花 と 小 栗 風 葉 を 正 社 員 に 迎 え る 旨 が 告 知 さ れ て い る 。 さ ら に 両 者 の 動 静 を 追 っ て い く と 、 宙 外 は 翌 ﹁ 明 治 三 十 四 年 五 月 ﹂ 、 ﹁ か ね て 主 張 し て 来 た 田 園 生 活 を 実 行 す る こ と に な り 、 (略 ) 猪 苗 代 湖 の 西 岸 に 隠 棲 ﹂ す る 。 と は い え 、 ﹁ ﹃ 新 小 説 ﹄ 編 輯 の 担 任 は 継 続 す る こ と に な つ て ゐ た 為 め 、 ( 5 ) 毎 月 三 日 に 上 京 し て 、 十 一 日 ま で 、 約 ︼ 週 間 春 陽 堂 に 滞 在 し 、 そ の 事 務 を 執 る こ と ﹂ は 続 け て い た 。 こ の 間 の 事 情 は 鏡 花 の 回 想 ﹁ お も て 二 階 ﹂ (明 38 . -) に も 記 さ れ て い る が 、 会 津 と 東 京 の 往 復 に は 無 理 が あ っ た の か 、 ﹁ 新 小 説 ﹂ 第 六 年 第 七 巻 ( 明 34 . 7 ) に は 、 ﹁ 小 生 毎 月 上 一 週 間 は 当 編 輯 局 に 出 勤 し て 従 来 の 如 く 事 務 を 見 る こ と を 実 行 す と 雛 も 不 一138一

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在 跡 に 責 任 者 な き は 隔 靴 掻 痒 の 感 な き に あ ら ざ る に 依 り 此 の 度 小 生 出 勤 せ ざ る 間 は 泉 鏡 花 君 に 編 輯 事 務 の 総 撹 を 委 嘱 す る こ と に 決 せ り ﹂ と の コ 票 告 ﹂ が 載 せ ら れ る こ と に な る 。 つ ま り 、 こ の 時 期 の ﹁ 新 小 説 ﹂ は 宙 外 ・ 鏡 花 の 二 本 柱 で 編 集 が 行 な わ れ て い た の で あ り 、 鏡 花 も 単 に 名 目 上 だ け で は な く 、 実 務 的 な 仕 事 に 積 極 的 に 関 わ っ て い た も の と 考 え ら れ る 。 な お 、 論 旨 か ら 少 し 逸 脱 す る か も し れ な い が 、 ﹃ 鏡 花 全 集 別 巻 ﹄ に 収 め ら れ た ﹁ 書 簡 下 書 6 ﹂ の 執 筆 推 定 時 に は 疑 問 が あ る 。 こ の ﹁ 下 書 ﹂ は 宙 外 に 宛 て た も の で 、 さ み し さ を 少 し 忘 れ 元 気 づ き 候 昨 日 よ り よ ほ ど 快 く あ ひ な り 候 ま 、 早 速 横 寺 町 へ 此 の 度 お め で た の お 祝 を 申 し に 参 り 候 と こ ろ 同 し 夜 か し こ に も お た よ り こ れ あ り 候 よ し 大 に の り 気 に て 来 月 御 出 京 を 待 ち て お う ち あ は せ 申 あ げ 御 帰 宅 の 後 か 、 ま た は 御 い つ し よ に 、 四 五 人 で え い く お う く と 風 変 り に 御 地 を か け て 東 山 へ う か れ こ み 候 計 画 こ れ あ り 、 (以 下 略 ) と 書 か れ 、 末 尾 に コ 一 十 三 日 ﹂ の 日 付 が あ る 。 ( 6 ) 村 松 定 孝 氏 は 、 文 中 の ﹁ お め で た ﹂ を ﹁ 明 治 三 十 三 年 三 月 二 十 六 日 、 紅 葉 の 三 女 出 生 を 指 す ﹂ と 断 定 し 、 執 筆 時 を ﹁ 明 治 三 十 三 年 三 月 力 ﹂ と 推 定 し て い る が 、 二 十 六 日 に 生 ま れ る 息 女 の 祝 を 三 日 以 上 も 前 に 行 な う の は 不 自 然 で あ る 。 私 に は 、 ﹁ お め で た ﹂ は 明 治 三 十 四 年 五 月 二 十 日 、 紅 葉 の 次 男 夏 彦 誕 生 時 の も の と 思 え る の で あ る 。 ﹁ 十 千 万 堂 ( 7 ) 口 録 ﹂ 明 治 三 十 四 年 五 月 の 関 係 記 事 を 抜 き 出 し て み る と 、 二 十 日 ﹁ 午 前 よ り 菊 、 産 気 付 き て 、 室 に 入 る 。 (略 ) 一 時 半 、 安 産 、 男 子 生 る 。 (略 ) 不 在 中 、 鏡 花 、 風 葉 賀 ぴ に 来 る ﹂ 、 二 十 一 日 ﹁ 後 藤 宙 外 氏 よ り 招 状 来 る ﹂ 、 二 十 二 日 ﹁ 鏡 花 来 賀 ﹂ と な る 。 こ れ を ﹁ 書 簡 下 書 ﹂ に 照 合 す る と 、 ﹁ 下 書 ﹂ の ﹁ お め で た の お 祝 を 申 し に 参 り 候 ﹂ は 、 ﹁ 日 録 ﹂ 二

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文林 十八 号 十 二 日 の ﹁ 鏡 花 来 賀 ﹂ に 、 同 じ く 、 ﹁ か し こ (紅 葉 邸 -引 用 者 注 ) に も お た よ り こ れ あ り 候 ﹂ は 、 二 十 一 日 着 の 宙 外 の ﹁ 招 状 ﹂ に 符 合 す る 。 こ の ﹁ 招 状 ﹂ は 、 二 十 四 日 の ﹁ 読 売 新 聞 ﹂ に 掲 載 さ れ て い る 。 い よ く か た じ け な さ て 愈 御 清 康 之 段 奉 大 賀 怖 、 在 京 中 は 多 年 の 巻 顧 を 辱 う し 、 御 厚 情 忘 じ 難 く 、 奉 深 謝 咋 、 (略 ) 籾 出 発 後 若 松 市 に 数 日 逗 留 の 上 、 一 つ い で 咋 日 当 地 に 安 住 致 怖 、 (略 ) 小 生 来 月 上 旬 出 京 の 次 縷 々 面 陳 の 上 、 是 非 御 同 伴 に て 罷 下 り 、 十 分 御 案 内 可 申 上 存 念 に 御 座 佛 、 (略 ) ひ と た (8 ) 風 景 の 絶 佳 な る 事 、 一 び 御 来 遊 有 り て 御 高 評 を 賜 り た く 存 肺 、 発 信 日 は ﹁ 五 月 二 十 日 ﹂ 。 東 京 を 離 れ 、 猪 苗 代 に ﹁ 隠 棲 ﹂ し た 宙 外 が 、 無 事 到 着 し た 報 知 と と も に 、 当 時 健 康 を 害 し は じ め た 紅 葉 を 、 療 養 の 意 味 を 込 め て 招 こ う と し た 文 面 で あ る 。 宙 外 が 同 じ 趣 旨 の 手 紙 を 鏡 花 に も 送 っ た こ と が 、 鏡 花 ﹁ 書 簡 下 書 ﹂ の ﹁ か し こ に も ﹂ の 表 現 か ら 推 察 さ れ る 。 ﹁ 招 状 ﹂ を 受 け 取 っ た 紅 葉 は 、 早 速 、 二 十 一 日 夜 付 で 返 信 を し た た め て い る 。 来 月 三 日 頃 に は 御 出 京 の 由 其 節 こ そ 七 八 の 同 人 を 会 し 、 酒 間 山 水 を 論 し 候 事 、 好 箇 の 逸 興 と 相 楽 み 居 候 。 ( 9 ) 都 合 出 来 候 は ゴ 御 同 道 相 願 ひ 、 例 の 悪 旬 を 拮 り 、 猪 苗 代 湖 神 に 酷 る も 妙 な ら ん と 遊 意 動 か ざ る に も あ ら ず 候 。 こ の 文 面 と 、 鏡 花 ﹁ 書 簡 下 書 ﹂ の ﹁ 来 月 御 出 京 を 待 ち て お う ち あ は せ 申 あ げ ﹂ ﹁ 御 地 を か け て 東 山 (会 津 東 山 温 泉 -引 用 者 注 ) へ う か れ こ み 候 計 画 こ れ あ り 、 ﹂ が 一 致 し て い る こ と は 明 ら か で あ ろ う 。 つ ま り 、 こ の ﹁ 書 簡 下 書 ﹂ は 、 紅 葉 書 簡 と 同 じ く 、 五 月 ご 十 日 発 信 の 宙 外 の ﹁ 招 状 ﹂ に 対 す る 返 信 と 理 解 す べ き で あ る 。 τ た が っ て 、 執 筆 時 は 明 治 三 十 四 年 五 月 二 十 三 日 と 考 え て ほ ぼ 間 違 い な い 。 そ う 考 え る と 、 冒 頭 の ﹁ さ み し さ を 少 し 忘 れ ﹂ は 、 宙 外 と の 別 れ の 一140一

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さ み し さ が 、 手 紙 を 受 け 取 る こ と に よ っ て 薄 ら い だ 意 に 解 釈 で き 、 ﹁ お め で た ﹂ の 件 や 、 会 津 往 訪 計 画 の 件 と 併 せ 、 全 文 の 意 味 を す ん な り 理 解 す る こ と が で き る 。 な お 、 こ の 往 訪 計 画 は た び た び 企 て ら れ 、 九 月 に は 、 紅 葉 が 鏡 花 ・ 風 マ 7 ( 10 ) 葉 ・ 春 葉 ら を 引 き 連 れ て 、 猪 苗 代 の 宙 外 宅 を 訪 れ 、 宙 外 は 歓 迎 の ﹁ 紀 念 と し て 同 地 に 一 大 句 碑 を 建 設 ﹂ す る 計 画 ま で 持 っ て い た よ う だ が 、 結 局 、 紅 葉 の 健 康 上 の 理 由 か ら 実 現 さ れ ず に 終 わ っ て い る 。 こ れ ま で に の べ て き た 伝 記 的 事 実 を 整 理 す る と 次 の よ う に な る 。 ( い ず れ も 明 治 ) 三 十 年 四 月 こ ろ 鏡 花 、 宙 外 の 知 遇 を う る 。 三 十 二 年 夏 宙 外 、 会 津 東 山 温 泉 に 一 時 滞 在 。 八 月 二 十 三 日 か ら 月 末 こ ろ ま で 、 鏡 花 、 会 津 に 遊 ぶ 。 三 十 三 年 二 月 宙 外 、 ﹁ 新 小 説 ﹂ 編 集 主 任 に 。 鏡 花 は 正 社 員 と な る 。 三 十 四 年 五 月 十 八 日 宙 外 、 会 津 猪 苗 代 に 転 居 。 五 月 二 十 日 宙 外 、 猪 苗 代 よ り 、 紅 葉 と 鏡 花 に 宛 て ﹁ 招 状 ﹂ を 送 る 。 五 月 二 十 一 日 紅 葉 、 宙 外 へ の 返 書 を し た た め る 。 五 月 二 十 三 日 鏡 花 、 宙 外 へ の 返 書 を し た た め る 。 七 月 鏡 花 、 ﹁ 新 小 説 ﹂ 編 集 事 務 総 撹 に 。 宙 外 不 在 中 の 編 集 実 務 に 携 わ る 。 こ れ を み る と 、 鏡 花 が 宙 外 を と お し て 会 津 を 知 り 、 ﹁ 新 小 説 ﹂ の 編 集 に 携 わ る こ と に よ っ て 、 親 交 を 深 め て い っ た 過 程 が よ く 分 か る 。

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文林 十八号 と こ ろ で 、 鏡 花 が ﹁ 新 小 説 ﹂ 正 社 員 と な っ て 五 ケ 月 後 、 同 誌 第 五 年 第 十 巻 ( 明 33 . 7 ) ︿ 社 会 欄 ﹀ に 、 無 署 名 で ﹁ 会 津 め ぐ り ﹂ と 題 す る 紀 行 文 が 掲 載 さ れ て い る 。 ﹁ 五 月 十 七 日 午 前 七 時 幾 分 、 上 野 発 の 汽 車 に 乗 り て 、 同 行 三 人 会 津 を ( 11 ) 指 し て 出 た ﹂ と 始 ま る こ の 一 文 は 、 鏡 花 の 筆 に よ る の で は な い か と 考 え ら れ る 。 と い う の は 、 文 中 、 ﹁ 若 松 城 趾 ﹂ の 項 目 で 、 昨 年 の 秋 の 始 め 月 明 か な る 夜 、 二 三 の 友 人 と 古 城 の 月 を 賞 し や う と 云 ふ の で 、 此 へ 来 た 事 が あ る が 、 残 螢 草 葺 に 微 光 を 洩 ら し て 、 ヘ ヘ ヘ へ た ヘ へ ぬ ヘ へ も ヘ へ ぬ ヘ ヤ ぬ ヘ ヘ ヨ 鬼 火 よ り も 青 く 、 書 院 の 森 に 狐 鳴 い て 、 小 田 山 の 方 よ り 怪 風 吹 き 起 り 、 鱗 形 の 雲 忽 ち 月 を 蔽 ふ て 、 凄 愴 の 気 人 に 迫 る を 覚 え 、 彼 方 此 方 に 繁 き 虫 の 音 も 、 鬼 嬰 の 鰍 々 た る を 聞 く 感 を 惹 起 し た の で あ ッ た 。 (傍 点 引 用 者 ) と 記 さ れ て い る 表 現 が 、 前 述 ﹁ 会 津 よ り ﹂ の ﹁ 月 に 鱗 形 の 雲 懸 り 狐 の 哺 く 声 聞 こ え 候 ﹂ に 酷 似 し て い る か ら で あ る 。 ( 12 ) ﹁ 昨 年 の 秋 の 始 め ﹂ が ﹁ 会 津 よ り ﹂ の 明 治 三 十 二 年 八 月 末 に 符 合 す る こ と は い う ま で も な い 。 鏡 花 は ﹁ お も て 二 階 ﹂ で 、 ﹁ 社 会 欄 の 材 料 に 、 (略 ) 浅 草 公 園 な ど へ 行 つ て 、 彼 処 の 様 子 な ん か 書 い た こ と が あ り ま し ( 13 ) ( 14 ) た つ け ﹂ と 語 っ て お り 、 助 川 徳 是 氏 が 紹 介 し た ﹁ 名 古 屋 見 物 ﹂ (明 35 . 4 ∼ 5 ) の 例 も あ る の で 、 無 署 名 で ︿ 社 会 欄 ﹀ に 紀 行 文 を 載 せ る こ と は 充 分 に 考 え ら れ る 。 ﹁ 同 行 三 人 ﹂ の う ち ひ と り は 、 文 中 に 名 の あ が っ て い る 田 代 暁 舟 で あ る こ と は 確 実 だ が 、 後 の 二 人 は 鏡 花 と 宙 外 で は な か っ た か 、 と 推 測 さ れ る 。 こ の ﹁ 会 津 め ぐ り ﹂ と ﹁ 白 羽 箭 ﹂ は 一 致 し て い る 部 分 が 多 く 、 鏡 花 の 作 品 取 材 旅 行 の 一 端 を 明 ら か に し て く れ る 。 一一142一

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ま ず 、 作 品 の 主 要 舞 台 と な る ﹁ 若 松 城 趾 ﹂ か ら 考 察 し て み よ う 。 ﹁ 白 羽 箭 ﹂ の 松 坂 新 三 郎 は 一 気 呵 成 に 詩 を 成 す べ く 、 月 下 の 城 へ 大 手 門 跡 か ら 入 る が 、 森 を 抜 け た 広 場 で は 、 ﹁ 夏 草 も ず ツ と 短 く 、 内 証 か 知 ら ん 、 処 々 に 、 瓜 だ の 、 茄 子 だ の が 作 っ て あ る ﹂ ( 二 十 七 ) 様 子 を 目 に す る 。 ﹁ 会 津 め ぐ り ﹂ の ﹁ 我 々 ﹂ も ﹁ 追 手 門 跡 を 抜 け 、 ﹂ 城 内 に 入 っ た と こ ろ で ﹁ 麦 青 う の び て 畑 鋤 返 す 男 の 源 氏 節 ﹂ を 聞 く 。 戊 辰 戦 役 に 敗 れ た 城 跡 に は 、 農 民 が 無 断 で 入 り 込 み 、 ﹁ 廓 内 の 広 場 は (略 ) 今 は 豆 畑 に 変 じ て ﹂ い る あ り さ ま だ っ た の で あ る 。 た ま ぐ わ う ﹁ 籠 城 の 時 分 、 官 軍 か ら 打 込 ん だ 、 大 砲 の 弾 丸 が 、 (略 ) 轟 と 落 込 ん だ あ と ﹂ ( 二 十 七 ) が 点 在 す る 危 な い 道 を た ど ば つ ま つ さ を り 、 新 三 郎 は よ う や く 天 守 跡 に 立 つ 。 そ こ に は 大 き く 深 い 穴 が あ り 、 ﹁ 空 ぎ ま に 燈 と 輝 い て 、 真 蒼 に 飛 ん で 乱 る ∼ 螢 、 幾 百 と い ふ 数 を 知 ら ず 。 ﹂ ( 二 十 八 ) と い う 幻 想 的 な 光 景 が 展 開 さ れ て い た 。 そ し て 、 こ の 穴 は ﹁ 俗 に い ふ 、 猪 苗 代 の ほ と り 湖 の 畔 、 湊 村 戸 の 口 に 通 ず る 抜 穴 か 、 非 ず 。 こ れ 蓋 し 三 百 年 来 塩 を 貯 へ た 穴 蔵 で 、 籠 城 の 折 か ら 其 の 底 を 穿 つ て 取 出 し た ﹂ ( 二 十 九 ) も の と 説 明 さ れ る 。 ﹁ 会 津 め ぐ り ﹂ の ﹁ 我 々 ﹂ も ま た 、 ﹁ 三 十 四 年 前 、 籠 城 の 醐 、 敵 の 弾 丸 雨 の 如 く い し だ ん 注 ﹂ い だ 跡 を 歩 き 、 ﹁ 険 し い 石 磯 か ら 天 守 台 の 残 礎 の 上 に 登 ﹂ る 。 そ し て 、 た だ ち に ﹁ 殆 ん ど 底 の 知 れ ぬ 程 深 い 大 き ゐ ど な 井 ﹂ を 発 見 す る 。 ﹁ 俗 に 是 れ は 湯 川 に 聯 絡 し て 居 る 一 つ の 抜 穴 で あ る と も 云 へ ど 、 実 ら し く は な い 。 ﹂ と 観 察 し 、 あ な ま た 、 ﹁ 塩 倉 の 窟 に 落 石 蕩 々 と し て ﹂ い る 様 子 も の べ ら れ る 。 さ す が に 螢 の 乱 舞 は 記 さ れ な い も の の 、 ﹁ 残 螢 草 蔭 に 微 光 を 洩 ら し て ﹂ の 表 現 は 見 出 せ る 。 他 に も 、 ﹁ 白 羽 箭 ﹂ で ﹁ 天 に 神 将 、 樹 に 怪 禽 、 土 に は 阿 修 羅 、 水 に は 龍 王 、 剣 げ を 抜 き 、 矢 を 番 へ 、 牙 を 鳴 し 、 鱗 を 立 て て 、 韓 々 と 鎧 ひ 固 め た 、 実 に ー 、 令 百 由 旬 内 無 諸 哀 顛 の 霊 地 や 是 。 ﹂ ( 二 十 八 ) と 表 わ さ れ る 鬼 気 迫 る 城 跡 の 光 景 は 、 ﹁ 会 津 め ぐ り ﹂ の ﹁ 鬼 昊 の 鰍 々 た る ﹂ 光 景 に 合 致 し て い る 。

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文林 十八号 ス テ   シ ヨ ン 次 に ﹁ 東 山 温 泉 ﹂ の 項 に 入 る 。 時 は 前 後 す る が 、 ﹁ 会 津 め ぐ り ﹂ の ﹁ 我 々 ﹂ は 、 ﹁ 若 松 市 の 停 車 場 ﹂ か ら 車 に 乗 り 継 し お き ば な ま り ち ゆ う い で 東 山 温 泉 へ と 向 か う 。 途 中 、 ﹁ 野 郎 が 前 ﹂ を と お り 、 ﹁ 元 処 刑 場 で あ つ た か ら 、 矢 来 前 と 呼 ん だ 託 伝 と も 云 ひ 、 仲 げ ん も の マ マ 間 者 か 始 め て 味 噌 附 餅 の 店 を 此 に 開 い た の で 、 元 の 主 人 が 仲 間 を 野 郎 と い ふ 所 か ら (略 ) 地 名 に 変 じ た と も 伝 へ る 、 ﹂ と 地 名 の 由 来 に 頭 を 廻 ら せ る 。 こ の 地 は ﹁ 白 羽 箭 ﹂ で は 摩 利 支 天 堂 の 所 在 地 と し て 登 場 し 、 お 房 に 手 を 出 そ う と し た あ ま ご よ ツ 多 十 に 、 ﹁ 野 郎 が ま へ と 云 へ ば 、 野 郎 さ お か ま ひ と 云 ふ こ と ち や 、 女 ツ 児 は 寄 つ か ね え と 、 天 道 様 お つ し や り つ け だ 。﹂ (七 ) な ど と 軽 口 を た た か せ て い る 。 い っ ぷ う 変 わ っ た 地 名 に 対 す る 興 味 が 、 作 中 の 舞 台 を 生 ん だ と い っ て よ い 。 む か う た き ろ う の ぞ や が て ﹁ 我 々 ﹂ は 東 山 温 泉 に 到 着 し 、 一 軒 の 宿 に 投 宿 す る 。 ﹁ 直 ち に 車 を 向 滝 楼 ( 俗 に 狐 湯 ) に 着 け 、 渓 流 に 枕 め る 新 築 の 二 階 に 旅 装 を 解 い た 時 の 大 安 心 、 大 愉 快 は 今 も 忘 れ ぬ ﹂ 。 ﹁ 白 羽 箭 ﹂ で 、 ﹁ 清 滝 は 楼 の 名 で 、 東 山 の 温 泉 宿 、 松 坂 の 旅 館 で あ つ た ﹂ ( 二 十 ) と 記 さ れ る 清 滝 楼 の モ デ ル で あ ろ う 。 ﹁ 会 津 め ぐ り ﹂ に は 、 他 に も ﹁ 会 津 籠 城 の 談 ﹂ や ﹁ 飯 盛 山 白 虎 隊 の 墳 墓 ﹂ な ど 、 ﹁ 白 羽 箭 ﹂ に つ な が り の あ る 記 述 が 頻 出 す る 。 こ れ ま で の 比 較 で 、 ﹁ 会 津 め ぐ り ﹂ に 記 さ れ た 現 地 取 材 が ﹁ 白 羽 箭 ﹂ に 活 用 さ れ て い る こ と が 明 ら か に な っ た 。 幻 想 的 な 鏡 花 作 品 も 、 綿 密 な 現 実 把 握 が 成 さ れ た う え で 、 生 ま れ て い る の で あ る 。 一144一 ﹁ 白 羽 箭 ﹂ に 先 立 つ 明 治 三 十 三 年 一 月 に 、 鏡 花 は ﹁ 弓 取 町 人 ﹂ を 発 表 し て い る 。 こ の 作 品 は ﹁ ﹃ 白 羽 箭 ﹄ の 序 章 を

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( 15 ) 思 わ せ る 短 編 ﹂ で 、 内 容 も 重 複 し て い る 部 分 が 多 い 。 -旧 藩 主 息 女 竹 姫 の お 国 入 り を 祝 っ て 開 か れ た 弓 場 に 、 上 品 な 青 年 が 現 わ れ 、 み ご と な 腕 前 を 披 露 し た 後 、 忽 然 と 城 内 に 消 え る 。 後 を 追 っ た 土 地 者 三 人 が 城 門 ま で た ど り つ い た 時 、 い き な り 現 わ れ た 女 に ﹁ 皆 お 帰 り 、 此 処 は 来 る 処 ぢ や あ な い ﹂ (六 ) と 一 喝 さ れ 、 恐 怖 の あ ま り 逃 げ 去 る 。 1 軽 い 小 品 と い っ た 趣 で あ る 。 ﹁ 弓 取 町 人 ﹂ が 明 治 三 十 二 年 の 最 初 の 会 津 旅 行 に 触 発 さ れ て で き た こ と は 容 易 に 推 測 で き る が 、 は か り ご と 作 品 の 結 晶 度 は 低 い 。 と り わ け 、 初 出 誌 ﹁ ふ た 葉 ﹂ 第 三 巻 第 一 号 で は 、 末 尾 に 、 ﹁ あ と で 、 計 を 授 け て 予 め お び き 出 さ し た お 附 の 書 生 と ∼ も に 城 の 中 で お 笑 ひ 遊 ば し た 竹 姫 は 快 活 に 渡 ら せ ら れ る ﹂ と の 謎 と き の 一 文 が 付 さ れ て お り 、 ( 聡 ) 興 醒 め な 結 末 と い わ ざ る を え な い 。 つ ま り 、 怪 し い 女 は 竹 姫 で 、 弓 の 名 手 は お 付 き の 書 生 だ っ た と い う わ け で あ る 。 こ の 竹 姫 の い た ず ら を 描 い た 小 品 が 、 中 編 小 説 ﹁ 白 羽 箭 ﹂ に 結 実 す る ま で に 四 年 足 ら ず の 月 日 を 要 す る の だ が 、 そ の 間 に 鏡 花 は 再 度 の 会 津 旅 行 を 果 た し 、 よ り 詳 し い 取 材 を 行 な っ て い る 。 こ れ は ﹁ 会 津 め ぐ り ﹂ で み た と お り で あ る 。 そ し て 、 ﹁ 弓 取 町 人 ﹂ の お 付 き の 書 生 は 、 ﹁ 白 羽 箭 ﹂ で は 青 年 詩 人 松 坂 新 三 郎 に 変 わ っ て い る 。 こ れ は 主 人 公 と テ ー マ の 変 更 を も の が た る 。 ﹁ 白 羽 箭 ﹂ で は 竹 姫 は 背 景 に 退 き 、 か わ っ て 弓 の 名 手 に し て 詩 人 新 三 郎 が 主 人 公 と し て 登 場 し 、 ﹁ 弓 取 町 人 ﹂ に は な か っ た 、 新 三 郎 が 詩 の 腹 案 を 得 る 過 程 、 つ ま り 、 芸 術 開 眼 の も の が た り が 主 要 テ ー マ と な る の で あ る 。 こ の 構 想 の 変 化 は 重 要 で あ る 。 そ れ で は 、 鏡 花 は 新 三 郎 の 造 型 を ど の よ う に し て 考 え つ い た の で あ ろ う か 。 か つ て 、 国 田 次 郎 氏 は ﹁ ﹃ 白 羽 箭 ﹄ 論 ﹂ に お い て 、 ﹁ 弓 取 町 人 ﹂ に 登 場 す る ﹁ 弓 の 達 人 に 晩 翠 ( 土 井 -引 用 者 注 ) の イ メ ー ジ が 重 な る こ と に よ っ て ﹃ 白 羽 箭 ﹄ ( 71 ) の 新 三 郎 が で き ﹂ た と 指 摘 し た 。 氏 の 所 説 に は 異 論 も 多 い が 、 こ の 指 摘 に 関 し て は 私 も 同 様 に 考 え る 。 し か し 、 氏 は

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文林 十八号 鏡 花 と 晩 翠 の 交 流 に つ い て は 何 も 触 れ て い な い の で 、 こ こ で 少 し 推 測 を 加 え て お き た い 。 ( 18 ) 晩 翠 の ﹁ 日 誌 ﹂ 昭 和 七 年 二 月 六 日 の 項 に は 、 次 の よ う な 思 い 出 が 記 さ れ て い る 。 マ マ 春 陽 堂 主 人 和 田 ( 徳 太 郎 ? ) の 追 悼 の 会 を そ の 頃 芝 公 園 の 紅 葉 館 で 催 し た 。 (略 ) 偶 然 に も 私 の 隣 に 露 伴 、 紅 葉 の 二 文 豪 が 座 を 占 め て ゐ た 。 名 刺 を 出 し た と こ ろ 、 紅 葉 さ ん は ﹁ 星 落 秋 風 五 丈 原 ﹂ を 拝 見 い た し ま し た と 日 は れ て 恐 縮 し た 。 和 田 篤 太 郎 は 明 治 三 十 二 年 二 月 二 十 四 日 に 死 去 し て い る の で 、 そ の こ ろ 晩 翠 は 、 鏡 花 の 師 紅 葉 に 面 識 を 得 て い た こ と に な る 。 ま た 、 ﹁ 日 誌 ﹂ 昭 和 九 年 六 月 五 日 の 項 に は ﹁ 笹 川 臨 風 を 西 片 町 に 訪 ひ 、 慰 問 す ﹂ の 記 述 が あ り 、 臨 風 や 登 張 ( 19 ) 竹 風 と 共 に 撮 っ た 写 真 も 数 多 い 。 晩 翠 ・ 臨 風 ・ 竹 風 の 三 人 は い ず れ も 帝 大 に 学 び 、 明 治 三 十 年 こ ろ 、 相 前 後 し て ﹁ 帝 国 ( 20 ) 文 学 ﹂ の 編 集 に 携 わ っ て お り 、 こ の 縁 か ら 昭 和 に ま で 及 ぶ 交 友 が 始 ま っ た も の と 考 え ら れ る 。 鏡 花 が 晩 翠 と 面 識 が あ っ た と い う 確 証 は な い が 、 師 紅 葉 、 友 人 臨 風 ・ 竹 風 か ら 紹 介 さ れ た 可 能 性 は 認 め ら れ る 。 さ ら に 、 晩 翠 が ﹁ ﹃ 帝 国 文 (趾 V 学 ﹄ は 又 時 々 名 士 を 膀 し て 講 演 を 開 い た ﹂ と の べ る 、 帝 文 大 会 の ﹁ 第 一 回 を 上 野 の 精 養 軒 で 開 催 し た 際 、 尾 崎 紅 葉 ・ ( 22 ) 泉 鏡 花 ・ 小 栗 風 葉 を 招 待 し た ﹂ と い う 竹 風 の 回 想 が あ る こ と を 考 慮 す る と 、 あ な が ち 無 謀 な 推 測 と し て 退 け る こ と は で き な い だ ろ う 。 少 な く と も 、 晩 翠 の 人 と な り を 臨 風 や 竹 風 か ら 聞 い た こ と く ら い は あ っ た の で は な か ろ う か 。 ( 認 ) 晩 翠 は ﹁ 明 治 淵 一 年 頃 東 京 音 楽 学 校 の 需 に 応 じ て ﹂ 、 ﹁ 荒 城 の 月 ﹂ を 作 詩 す る 。 ﹁ こ の 題 を 与 へ ら れ て 先 づ 第 一 に ( 24 ) 思 ひ 出 し た の は 会 津 若 松 の 鶴 ケ 城 で あ っ た ﹂ こ と は 有 名 だ が 、 こ の 詩 が 滝 廉 太 郎 の 曲 を 付 け て ﹃ 中 学 唱 歌 ﹄ と し て 刊 行 さ れ 、 一 般 に 流 布 し た の は 明 治 三 十 四 年 三 月 で あ っ た 。 三 十 四 年 と い え ば 、 鏡 花 の ﹁ 弓 取 町 人 ﹂ が 発 表 さ れ た 翌 年 で あ り 、 ﹁ 白 羽 箭 ﹂ が 書 か れ る 二 年 前 に あ た る 。 当 時 、 晩 翠 は 既 に 仙 台 に 赴 任 し て い る が 、 そ れ 以 前 か ら 彼 の 名 を 知 一146一

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「白羽箭」の成立過程 っ て い た 鏡 花 が 、 ﹁ 荒 城 の 月 ﹂ を 聞 く に 及 ん で 、 青 年 詩 人 の イ メ ー ジ と 鶴 ケ 城 を 結 び つ け 、 松 坂 新 三 郎 造 型 の ヒ ン ト を 得 た と 考 え て も よ い で あ ろ う 。 も ち ろ ん 、 新 三 郎 の す べ て が 晩 翠 を モ デ ル に し て い る と い う わ け で は な い 。 ﹁ 弓 取 町 人 ﹂ か ら ﹁ 白 羽 箭 ﹂ へ の 構 想 の 変 化 に 、 晩 翠 の イ メ ー ジ が 関 与 し て い る こ と を 指 摘 し た か っ た ま で で あ る 。 晩 翠 は 東 京 音 楽 学 校 か ら ﹁ 荒 城 の 月 ﹂ と い う 題 を 与 え ら れ て 作 詩 し た が 、 同 様 に 、 新 三 郎 は 秋 山 退 役 少 将 か ら ﹁ 鶴 ケ 城 の 歌 ﹂ ( 二 十 六 ) と い う 題 を 与 え ら れ る 。 こ れ は 竹 子 姫 婚 礼 の 際 、 ヴ ァ イ オ リ ン 演 奏 の 下 で 歌 わ れ る た め の も の で あ っ た 。 ﹁ 白 羽 箭 ﹂ は 、 初 め て お 国 入 り し た 竹 子 姫 歓 迎 に 賑 わ う 若 松 の 町 の 描 写 か ら 始 ま る が 、 作 品 の こ の 背 景 に も ま た 、 鏡 花 の 現 地 取 材 の 跡 を み る こ と が で き る 。 ﹁ 藩 侯 奥 平 伯 爵 家 ﹂ (同 ) が 、 松 平 家 を も じ っ た 命 名 で あ る こ と は い う ま で も な い 。 し か し 、 令 嬢 竹 子 姫 に 該 当 す る 人 物 は 管 見 に は 入 ら な い 。 た だ 、 私 に は 戊 辰 戦 役 に 活 躍 し た 会 津 娘 子 軍 の ひ と り 、 中 野 竹 子 の 存 在 が 気 に か か る 。 竹 子 は 勘 定 役 中 野 平 内 の 娘 で あ り 、 文 武 両 道 に 秀 で て い た 。 慶 応 四 年 八 月 、 母 ・ 妹 ら と 共 に 婦 人 部 隊 を 結 成 、 涙 橋 の 戦 ( 25 ) い で 奮 戦 す る が 戦 死 す る 。 行 動 を 共 に し て 生 き 残 っ た 水 島 菊 子 の 談 が ﹃ 会 津 白 虎 隊 十 九 士 伝 ﹄ に 収 め ら れ て い る 。 そ れ に よ る と 、 娘 子 軍 は ﹁ み ど り の 黒 髪 を 斬 り 捨 て 白 の 鉢 巻 を な し 、 裸 を か け 義 経 袴 ( 略 ) を 穿 ち 、 一 刀 を 横 た へ 薙 刀 小 脇 に 掻 込 ん ﹂ だ 出 で 立 ち で 活 躍 し 、 ﹁ 中 に も 竹 子 の 君 の 奮 闘 は 衆 目 を 駿 か し ∼ が 遂 に 弾 丸 に 中 り て 果 て 賜 ふ ﹂ と の べ そ ぽ ろ あ る ら れ て い る 。 こ の 中 野 竹 子 の 女 丈 夫 ぶ り が 、 侍 女 の 制 止 も き か ず 、 ﹁東 京 な る 御 館 の 庭 を 漫 歩 き の 、 池 を め ぐ つ て 築 山 に か 、 ら せ 給 ふ と 敢 て 違 は ぬ 気 色 ﹂ (六 ) を 見 せ て 、 廃 城 の 天 守 跡 へ ﹁ づ ん ー ﹂ (同 ) 入 っ て い く 竹 子 姫 の 、 蓮 っ 葉 で お て ん ば な イ メ ー ジ に 関 わ っ て い る と 考 え ら れ な い だ ろ う か 。 ﹁会 津 め ぐ り ﹂ に は ﹁ 白 虎 隊 生 存 者 諸 氏 の 来 訪 あ

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文林 十 八号 り 、 仔 細 に 当 年 の 事 を 聞 く こ と を 得 た ﹂ と 記 さ れ て お り 、 鏡 花 ら が 、 名 所 見 物 の み で は な く 、 戊 辰 戦 役 に つ い て の 取 材 活 動 も 行 な っ て い た こ と は 明 ら か で あ る 。 し た が っ て 、 文 中 に 中 野 竹 子 の 名 は 出 て こ な い が 、 同 様 の 話 を 耳 に し て い た こ と は 充 分 に 考 え ら れ る 。 少 な く と も 、 竹 子 姫 の 名 前 は 中 野 竹 子 か ら 採 り 入 れ た と み て よ い で あ ろ う 。 し か し 、 中 野 竹 子 は 勘 定 役 の 娘 に 過 ぎ ず 、 松 平 家 の 人 物 で は な い 。 西 軍 か ら の 総 攻 撃 を 受 け た 城 内 で 、 ﹁ 藩 主 容 保 ( 肪 ) の 義 姉 照 姫 を 中 心 に 奥 女 中 ・ 藩 士 の 妻 女 が 、 片 時 も 休 む こ と な く 負 傷 者 の 看 護 ・ 炊 事 ・ 弾 丸 の 製 造 に あ た っ た ﹂ こ と (舞 ) は 語 り つ が れ て お り 、 中 野 竹 子 が 薙 刀 の ﹁ 指 南 役 を つ と め ﹂ た と い う 、 こ れ も 女 丈 夫 の 照 姫 が あ る い は 竹 子 姫 造 型 に 関 与 し て い る の か も し れ な い 。 今 、 ﹁ 白 羽 箭 ﹂ の 竹 子 姫 が 、 中 野 竹 子 と 照 姫 両 者 の イ メ ー ジ に 触 発 さ れ て 成 立 し た も の と す る 仮 説 を 立 て た が 、 も し 、 こ れ が 認 め ら れ る な ら 、 竹 子 姫 お 国 入 り を 祝 う 町 を あ げ て の お 祭 り 騒 ぎ は 実 際 に は な か っ た こ と に な る 。 も ち ろ ん 、 実 際 に な か っ た こ と を 作 品 に 書 き 入 れ る こ と は 常 に あ り う る が 、 こ の 場 合 は ま た 鏡 花 の 取 材 に 基 づ く も の と 考 え ( 28 ) ら れ る 。 市 制 施 行 ・ 鉄 道 開 通 祝 賀 会 が そ れ で あ る 。 ﹃ 会 津 若 松 史 ﹄ に よ る と 、 明 治 三 十 二 年 四 月 一 日 、 市 制 が し か れ 、 七 月 十 五 日 に は 念 願 の 鉄 道 が 若 松 に ま で 延 び て い る 。 ﹁ 十 余 年 の 長 い 間 待 ち わ び た 鉄 道 が 開 通 し た こ と は 、 市 制 施 行 の 喜 び に つ つ ま れ て い た 市 民 に と っ て 、 こ の 上 な い 贈 り 物 で あ ﹂ り 、 町 は 祝 賀 気 分 一 色 に 塗 り つ ぶ さ れ た 。 煙 火 の 続 発 す る 中 で 、 彼 岸 獅 子 の 嘩 し を 始 め 歓 迎 余 興 が く り ひ ろ げ ら れ た 。 駅 前 に は 杉 の 大 ア ー チ を 作 り 、 数 万 の 人 々 が 集 ま っ た 。 (略 ) 夜 に な っ て は 、 各 戸 の 提 灯 を は じ め ア ー チ 。 飾 物 に も 点 火 さ れ 、 屋 台 ・ 山 車 の に ぎ や か な 雛 し の 音 が い つ ま で も 続 い た 。 一148一

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こ の 情 景 と 、 ﹁ 白 羽 箭 ﹂ の も と や し ゆ    う しり 秋 山 の 旧 の 邸 へ 御 輿 が 据 る 。 わ ツ し よ い く と お 祭 礼 騒 ぎ 、 公 会 堂 で は 其 の 秋 山 の 娘 の 音 楽 の 会 が は じ ま る 。 花 火 が 昼 間 ツ か ら ボ ン く 研 へ 響 く ( 二 十 六 ) の 情 景 は よ く 似 て い る 。 な か ば 鏡 花 が 最 初 に 会 津 を 訪 れ た の は 同 じ 年 の 八 月 二 十 三 日 、 ﹁ 会 津 よ り ﹂ に も ﹁ 山 潟 よ り 若 松 ま で の 汽 車 は 、 先 月 半 よ り 開 通 の よ し ﹂ と 記 し て い る 。 祝 賀 気 分 い ま だ さ め や ら ぬ 時 期 で あ っ た 。 こ の 賑 や か な 町 の 雰 囲 気 を 基 底 に し 、 話 に 聞 い た 中 野 竹 子 や 照 姫 の 活 躍 に 触 発 さ れ 、 そ れ を 変 形 す る こ と に よ っ て 、 竹 子 姫 お 国 入 り を め ぐ る 本 作 の 背 景 が 生 み 出 さ れ た と 考 え る こ と も 可 能 で あ ろ う 。 こ こ で は 、 松 坂 新 三 郎 と 竹 子 姫 の 二 人 に 絞 っ て 作 申 人 物 造 型 を 追 究 し て み た が 、 本 作 執 筆 に あ た っ て 、 会 津 旅 行 が 鏡 花 に 与 え た も の は 大 き い と い わ ざ る を え な い 。 四 「白羽箭」の成立過 程 と こ ろ で 注 意 を 要 す る の は 、 鏡 花 が 会 津 を 訪 れ た 頃 は い ま だ 鶴 ケ 城 の 悲 劇 が 近 い 過 去 の 出 来 事 だ っ た こ と で あ る 。 若 松 市 民 の 象 徴 で も あ っ た 城 取 り こ わ し の 告 示 が 布 達 さ れ た の は 、 明 治 も 七 年 目 を 迎 え た 二 月 五 日 。 市 民 の 要 望 を 容 (29 ) れ て 城 内 で 博 覧 会 が 催 さ れ た 後 、 ﹁ 七 月 中 旬 ま で に は 名 城 鶴 ケ 城 も ﹃ 荒 城 ﹄ と 化 し 去 っ ﹂ た 。 宙 外 と の 縁 、 あ る い は ﹁ 新 小 説 ﹂ の 取 材 を か ね て 何 度 か 足 を 運 ん だ 鏡 花 は 、 そ の 地 で 生 々 し い 戊 辰 戦 役 の て ん ま つ を 聞 い た は ず で あ る 。 お

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文林 十八 号 そ ら く 、 会 津 民 衆 の 悲 劇 に 鏡 花 の 詩 情 は 反 応 し た の だ ろ う 。 ﹁ 白 羽 箭 ﹂ は 、 反 忠 義 を ひ と つ の テ ー マ と し て い る 。 新 三 郎 に 新 境 地 を ひ ら く 契 機 を 与 え た 清 滝 楼 の 女 房 と お 房 は 、 そ れ ぞ れ 、 城 に 怨 み を 持 ち 、 あ る い は 城 に 憎 ま れ て い る 人 物 で あ っ た 。 清 滝 楼 の 女 房 の 父 親 は 身 重 の 妻 を 連 れ て 逃 げ る 途 中 、 味 方 の 武 士 に ﹁ 卑 怯 ! ﹂ ( 二 十 三 ) と ば か り 斬 り 殺 さ れ 、 お 房 の 母 親 は 、 忠 義 を ふ り ま わ す 姉 の 姑 に い じ め ぬ か れ る 。 ふ と し た 縁 で 長 州 の 武 士 と 一 緒 に な り お 房 を 生 ん だ 母 親 は 、 親 切 に も 狂 っ た 姑 を ひ き と る が 、 取 り 乱 し て 駆 け 歩 く の を 制 し た ば か り に 、 梁 へ ぶ ら 下 が っ て 自 殺 ま は し も の む ほ ん に ん さ れ て し ま う 。 俗 衆 ど も は ﹁ や あ 、 淫 婦 の 、 毒 婦 の 、 裏 切 の 、 間 諜 の 、 非 望 人 夫 婦 し て 、 忠 義 の 精 霊 に ぶ ら ん こ 往 生 を 為 せ た わ ツ ﹂ ( 二 十 四 ) と は や し 立 て 、 こ の 一 家 を 村 八 分 に す る 。 そ の 後 両 親 に 先 立 た れ た お 房 は 、 い わ れ な い 差 別 を う け な が ら 、 ひ と り で 寂 し い 茶 屋 を ひ ら く 身 の 上 に な っ て い る の で あ る 。 鏡 花 が お 房 の 側 に 立 っ て い る こ と は 明 ら か で 、 清 滝 楼 の 女 房 に ﹁ 何 ぞ と い ふ と 忠 義 々 々 つ て 、 鼠 が 声 が は り を し や し ま す ま い し ﹂ ( 二 十 三 ) と 啖 呵 を 切 ら せ 、 さ な ぜ 新 三 郎 に は 、 ﹁ 既 に 飯 盛 山 の 少 年 隊 の 如 き も 然 う だ 。 え ら い え ら い と 誉 め 倒 し に し て 、 何 為 其 の 親 に 別 れ 、 姉 に 別 れ く ん た 、 心 の 中 を 汲 で や ら な い だ ら う ﹂ ( 二 十 五 ) と い わ せ て い る 。 殉 節 婦 人 の 事 蹟 や 白 虎 隊 顕 彰 談 が 語 り つ が れ る こ と が 多 い 中 に あ っ て 、 鏡 花 は 反 俗 的 な 姿 勢 を 打 ち 出 し 、 反 忠 義 の 言 を 徹 底 し て い る の で あ る 。 こ れ に 関 連 し て 、 作 中 の 地 名 の 問 題 に 触 れ て み た い 。 ﹁ 湯 川 の 岸 を 東 山 へ 、 涙 橋 近 う な る 、 畑 の 彼 方 に 月 の 森 あ り 。 / 伝 へ 聞 く 野 郎 構 の 摩 利 支 天 は 、 姫 神 に て お は し ま す ﹂ ( 三 十 一 ) と 記 さ れ る 、 涙 橋 . 野 郎 構 付 近 が 本 作 大 団 円 の 地 と 設 ( 30 ) 定 さ れ て い る が 、 実 際 の 涙 橋 の 位 置 は 野 郎 構 か ら 遠 く 離 れ て い る 。 野 郎 構 が 若 松 の 東 端 ﹁ 天 寧 寺 の 門 前 の 名 称 ﹂ で あ る の に 対 し 、 涙 橋 は 西 端 越 後 街 道 が 湯 川 に 交 わ る 地 点 に 架 け ら れ 、 両 者 は 鶴 ケ 城 を 挾 ん で 東 西 両 極 の 位 置 に あ る 。 鏡 一150一

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「白羽箭」の成立過程 花 の 単 純 な 記 憶 違 い か も し れ な い が 、 野 郎 構 ・ 涙 橋 と も に 、 以 前 、 処 刑 場 で あ っ た こ と に は 興 味 が そ そ ら れ る 。 前 に の べ た よ う に 、 野 郎 構 は 刑 場 の ﹁ 矢 来 前 ﹂ か ら 転 託 し た 地 名 で あ り 、 涙 橋 は 罪 人 が 後 悔 の 涙 を 流 す と こ ろ か ら つ け ら (31 ) れ た 名 前 で あ る と い う 。 野 郎 構 付 近 に 茶 屋 を 出 し 、 涙 橋 で 猟 師 権 太 に 殺 さ れ よ う と し た お 房 で あ る が 、 処 刑 場 が 多 く の 人 の 怨 み を 呑 ん だ 地 で あ る こ と を 考 え る と 、 ﹁ お 城 に 憎 ま れ て 居 る ﹂ ( 二 士 二 ) 女 た ち の 生 息 す る 空 間 と し て こ の 地 は ふ さ わ し い 。 涙 橋 を 地 理 的 に 無 理 に 配 置 し た の も 、 鏡 花 が 地 名 の 由 縁 に 惹 き つ け ら れ た 結 果 で あ っ た ろ う 。 今 、 ﹁ 白 羽 箭 ﹂ の ひ と つ の テ ー マ と し て 反 忠 義 を 論 じ て き た が 、 こ れ と 表 裏 一 体 の 関 係 で 、 芸 術 開 眼 の も の が た り が あ る 。 青 年 詩 人 新 三 郎 は ﹁ 鶴 ケ 城 の 歌 ﹂ を 成 す べ く 城 跡 に 登 る が 、 そ の 怪 奇 な 景 観 に 圧 倒 さ れ 敗 退 す る 。 そ し て 休 息 に 立 寄 っ た 掛 茶 屋 で 哀 れ な 娘 お 房 に 会 い 、 そ の 境 遇 に 同 情 し て 夫 婦 と な る こ と を 誓 う 。 か ね て 新 三 郎 に は 秋 山 少 将 の 娘 ひ い こ う 衣 子 と い う 婚 約 者 が あ っ た が 、 そ れ を 捨 て よ う と い う の で あ る 。 新 三 郎 は 、 歌 が で き な い の は ﹁ 姫 公 に 土 下 座 の 料 簡 も り と い は に な さ へ や き さ ご え か ら 起 る ん だ ﹂ ( 三 十 九 ) と 考 え 、 ﹁ 杜 戸 の 巌 端 に 美 人 が 弾 ず る ヴ ア イ オ リ ン を 棄 て て 、 改 め て 龍 宮 の 細 語 を 、 栄 螺 に 聞 く ﹂ ( 同 ) 決 心 を す る 。 つ ま り 、 竹 子 姫 婚 礼 の た め と い う 実 利 的 な 目 的 を 離 れ 、 芸 術 の 独 立 が 志 向 さ れ る の で あ る 。 や が て 、 も の が た り は 大 団 円 を 迎 え る 。 白 羽 の 矢 で 城 に 向 か っ て 狙 い を 定 め る 新 三 郎 、 権 太 に 責 め ら れ 危 機 に 陥 る お 房 、 新 三 郎 に 命 じ ら れ た も の の ヴ ァ イ オ リ ン を 捨 て か ね る 衣 子 、 の 三 人 が 、 そ れ ぞ れ 、 摩 利 支 天 の 森 、 涙 橋 、 湯 川 の 巌 に 位 置 し 、 三 角 形 の 構 図 が 定 着 す る 。 そ の 一 角 か ら 発 せ ら れ た 衣 子 が 弾 く ヴ ァ イ オ リ ン の 音 色 は 、 一 方 で は 権 太 の 心 を 溶 か せ る こ と に よ っ て お 房 を 救 出 し 、 他 方 で は 新 三 郎 の 第 一 矢 を 射 損 じ さ せ る 。 第 一 矢 の 失 敗 は 衣 子 へ の 未 練 か ら 起 こ っ た も の で あ ろ う 。 第 二 矢 は 、 お 房 を 助 け さ え も し た 、 そ の 衣 子 を あ え て 捨 て る こ と に よ っ て 、 お 房 の 怨 み

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文 林 十八 号 て こ た へ の 的 た る 城 を 射 通 す こ と が で き た の で あ る 。 ﹁ さ て 手 応 は 胸 に あ つ た 、 新 三 郎 は 見 る く 中 、 割 然 と し て 、 心 ひ ら け 、 鋳 然 と し て 文 字 声 あ り 、 腹 案 成 ン ぬ 、 立 処 に ﹂ ( 四 十 一 ) 。 こ こ に お い て 、 新 三 郎 は 芸 術 に 開 眼 し た 。 忠 義 を 称 揚 し 、 お 房 一 家 を 村 八 分 に し た 俗 衆 た ち が 、 旧 藩 主 令 嬢 を 喜 び 迎 え 、 町 中 が 沸 き 立 っ て い る 中 で 、 新 三 郎 は 竹 子 姫 の 親 友 衣 子 を 捨 て 、 反 忠 義 ・ 反 俗 を 体 現 す る お 房 の 側 に 身 を 投 ず る 。 こ こ に 、 こ の 時 期 の 鏡 花 の 芸 術 観 が 現 わ れ て い る と み て も よ い だ ろ う 。 ﹁ 白 羽 箭 ﹂ は 、 反 忠 義 ・ 反 俗 精 神 に 裏 付 け ら れ た 芸 術 独 立 の も の が た り で あ る 。 鏡 花 に は ﹁ 龍 胆 と 撫 子 ﹂ ( 大 11 ・ -∼ 大 12 ・ 9 ) ﹁ 燈 明 之 巻 ﹂ ( 昭 8 . -) な ど 、 福 島 県 を 舞 台 に し た 作 品 が 少 な か ら ず あ る が 、 ﹁ 弓 取 町 人 ﹂ ﹁ 白 羽 箭 ﹂ を も っ て そ の 嗜 矢 と す る 。 鏡 花 と 会 津 の 縁 は 宙 外 と の 交 友 か ら 生 ま れ 、 ﹁ 新 小 説 ﹂ ︿ 社 会 欄 V の 取 材 旅 行 に よ っ て 、 未 知 の 地 の 風 物 や 伝 承 に め ざ め た 。 そ れ は 新 し い 素 材 を 得 る 旅 で あ り 、 鏡 花 の 作 品 世 界 の 幅 を 広 げ る こ と に も な っ た 。 ﹁ 白 羽 箭 ﹂ は 必 ず し も ま と ま り の よ い 作 品 で は な い が 、 現 地 で 聞 い た 会 津 落 城 を め ぐ る 悲 劇 を も と に 、 あ く ま で も 弱 者 の 立 場 か ら 反 俗 の 姿 勢 を 貫 く こ と に よ っ て 、 芸 術 開 眼 の 主 題 が 描 か れ よ う と し た の で あ る 。 ^注 1   ( 2 ) ( 3 ) 無 署 名 ﹁ 予 告 を 見 よ ﹂ ( ﹁文 芸 倶 楽 部 ﹂ 9 1 13 、 明 36 ・ 10 ・ 1 ) 。 な お 、 同 誌 第 九 巻 第 十 四 号 定 期 増 刊 ﹁ 月 と 露 ﹂ (明 36 . 10 ・ 15 ) 巻 末 に も 、 同 趣 旨 の 予 告 が あ る 。 い ず れ も ﹁ し ら は の や ﹂ と ル ビ が 付 さ れ て い る 。 村 松 定 孝 ﹁鏡 花 小 説 ・ 戯 曲 解 題 ﹂ ( ﹃泉 鏡 花 事 典 ﹄ 所 収 、 六 五 頁 、 昭 57 ・ 3 ・ 10 、 有 精 堂 出 版 ) 後 藤 宙 外 ﹃ 明 治 文 壇 回 顧 録 ﹄ 八 " 紅 葉 山 人 逸 話 口 、 八 五 頁 、 ( 昭 11 ・ 5 ・ 20 、 岡 倉 書 房 ) 。 な お 、 こ の 紅 葉 書 簡 は 、 千 葉 三 一152一

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「白羽箭」の成立過程 ( 4 ) ( 5 ) ( 6 ) ( 7 ) ( 8 ) ( 9 ) ( 10 ) ( 11 ) ( 12 ) ( 13 )   16       1514 ㌧一ノ   hA 1817 り 星 郎 編 ﹃後 藤 宙 外 -目 で 見 る そ の 生 涯 ﹄ (昭 55 ・ 10 ・ 31 、 後 藤 宙 外 翁 顕 彰 会 ) に 写 真 版 で 掲 載 さ れ て い る 。 越 野 格 ﹁泉 鏡 花 文 学 批 評 史 考 ω 1 鏡 花 文 学 に お け る 読 者 の 問 題 ﹂ ( ﹁ 北 海 道 大 学 文 学 部 紀 要 ﹂ 29 1 2 、 昭 56 . 3 . 28 ) 後 藤 宙 外 前 掲 書 、 八 六 頁 。 村 松 定 孝 ﹁ 後 記 ﹂ ( ﹃ 鏡 花 全 集 別 巻 ﹄ 所 収 、 八 八 七 頁 、 昭 51 ・ 3 . 26 、 岩 波 書 店 ) 尾 崎 紅 葉 ﹁ 十 千 万 堂 日 録 其 一 ﹂ ( ﹃ 尾 崎 紅 葉 全 集 第 九 巻 ﹄ 所 収 、 六 九 ∼ 七 〇 頁 、 昭 17 . 9 . 15 、 中 央 公 論 社 ) 宙 外 生 ﹁ 猪 苗 代 湖 畔 よ り ﹂ ( ﹁読 売 新 聞 ﹂ 明 34 ・ 5 ・ 24 ) 。 な お 、 前 掲 ﹃ 尾 崎 紅 葉 全 集 第 九 巻 ﹄ に 、 紅 葉 宛 宙 外 書 簡 、 新 聞 掲 載 に つ い て 注 記 が あ る 。 後 藤 宙 外 前 掲 書 、 八 六 頁 に 引 用 さ れ た 紅 葉 書 簡 。 無 署 名 ﹁︿ 時 報 V 個 人 の 消 息 ﹂ ( ﹁新 小 説 ﹂ 6 1 9 、 明 34 . 9 . 1 ) な お 、 ﹁ 会 津 め ぐ り ﹂ は 、 ひ き つ づ き ﹁ 新 小 説 ﹂ 第 五 年 第 十 一 巻 ∼ 第 十 二 巻 (明 33 ・ 8 ・ 25 ∼ 9 . 25 ) に も 連 載 さ れ て い る 。 ﹁ 本 郷 陶 器 製 造 所 ﹂ ﹁漆 器 製 造 所 巡 覧 記 ﹂ と い っ た 産 業 紹 介 が 中 心 で あ り 、 文 章 表 現 も 第 一 回 と は 異 な る の で 、 本 稿 で は 除 外 し て 取 扱 う 。 こ れ ら は 鏡 花 筆 で は な く 、 他 の 同 行 者 が 分 担 執 筆 し た と 考 え ら れ る が 、 今 は 保 留 し て お き た い 。 あ る い は 、 八 月 末 を ﹁秋 の 始 め ﹂ と す る こ と に 不 審 を 抱 く む き が あ る か も し れ な い が 、 ﹁ 会 津 よ り ﹂ に ﹁ 野 は 一 面 の 秋 草 に て ﹂ と 記 さ れ て い る の で 、 問 題 は な い だ ろ う 。 ﹁ 新 小 説 ﹂ 第 五 年 第 三 巻 (明 33 ・ 2 ・ 25 ) 、 同 年 第 五 巻 (同 ・ 4 ・ 25 ) に は 、 無 署 名 ﹁ 浅 草 廻 覧 記 ﹂ が 掲 載 さ れ て い る 。 文 中 、 ﹁ 歌 舞 伎 汁 粉 ﹂ の 項 の ﹁ 坂 東 し ほ あ ん 、 市 川 あ づ き 、 尾 上 金 時 ﹂ 等 の 名 前 が 、 ﹁ 陽 炎 座 ﹂ ( 大 2 . 5 ・ 1 ) に お け る 子 供 芝 居 の 役 者 名 を 連 想 さ せ る が 、 鏡 花 筆 と 確 定 す る に は 例 証 に 乏 し い 。 後 考 に 待 ち た い 。 助 川 徳 是 ﹁ ﹁ 紅 雪 録 ﹄ ﹃続 紅 雪 録 ﹄ 考 ﹂ ( ﹁ 文 学 ﹂ 51 1 6 、 昭 58 ・ 6 ・ 10 ) 村 松 定 孝 前 掲 ﹁解 題 ﹂ 。 末 尾 の 一 文 は 、 ﹃ 銀 鈴 集 ﹄ (明 44 ・ 10 ・ 1 、 隆 文 館 ) 収 録 の 際 に 削 ら れ て い る 。 同 書 に は つ づ い て ﹁ 白 羽 箭 ﹂ も 収 め ら れ て お り 、 内 容 の 不 統 一 を 避 け る た め の 処 置 で あ っ た と 考 え ら れ る 。 国 田 次 郎 ﹁ ﹃ 白 羽 箭 ﹄ 論 ﹂ ( ﹁ 鏡 花 研 究 ﹂ 1 、 昭 49 ・ 8 ・ 10 ) 土 井 晩 翠 ﹁ 日 誌 (抄 録 ) ﹂ ( ﹃ 晩 翠 先 生 と 夫 人 -資 料 と 思 出 ﹄ 所 収 、 一 二 頁 、 二 八 頁 、 昭 46 ・ 12 ・ 5 、 晩 翠 先 生 記 念 出 版 会 )

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文林 十八号 ( 19 ) ( 20 )   ノへ 2625 口 \ノ   ノヘ ノヘ ノへ 24232221   口   \一ノ ( 27 ) ( 28 )   31 口 ノヘ ノへ 3029 ㌔一!㌧rノ 前 掲 ﹃ 晩 翠 先 生 と 夫 人 ﹄ 所 収 、 一 二 頁 、 三 二 頁 、 他 。 三 人 は ﹁帝 国 文 学 ﹂ 創 刊 時 か ら の 会 員 で あ り ︹ ﹁帝 国 文 学 会 広 告 ﹂ ( ﹁ 帝 国 文 学 ﹂ 1 、 明 認 ・ 1 ・ 10 ) ︺ 、 晩 翠 は 明 治 二 十 九 年 度 編 集 委 員 に ︹ ﹁ 同 ﹂ ( ﹁ 同 ﹂ 2 1 4 、 明 29 ・ 4 ・ 10 ) ︺ 、 明 治 三 十 二 年 度 に は 笹 川 臨 風 と と も に 顧 問 委 員 に な っ て い る ︹ ﹁ 同 ﹂ ( ﹁ 同 ﹂ 5 1 5 、 明 32 ・ 5 ・ 10 ) ︺ 。 土 井 晩 翠 ﹁新 詩 発 生 時 代 の 思 ひ 出 ﹂ ( ﹁ 中 央 公 論 ﹂ 50 1 7 、 昭 10 ・ 7 ・ 1 ) 登 張 竹 風 ﹁ 帝 国 文 学 の 思 ひ 出 ﹂ ( ﹃ 人 間 修 行 ﹄ 所 収 、 一 九 七 頁 、 昭 9 ・ 7 ・ 23 、 中 央 公 論 社 ) 土 井 晩 翠 ﹁ 荒 城 の 月 ﹂ 付 記 ( ﹃ 晩 翠 詩 抄 ﹄ 所 収 、 一 五 頁 、 昭 5 ・ 6 ・ 10 初 版 未 見 、 昭 11 ・ 4 ・ 25 第 十 刷 、 岩 波 書 店 ) 土 井 晩 翠 ﹁ ﹃ 荒 城 の 月 ﹄ の こ ろ ﹂ (前 掲 ﹃ 晩 翠 先 生 と 夫 人 ﹄ 所 収 、 六 三 頁 ) 荘 田 三 平 編 ﹁ 殉 節 婦 人 の 事 蹟 ﹂ ( ﹃ 会 津 白 虎 隊 十 九 士 伝 ﹄ 所 収 、 五 八 ∼ 六 三 頁 、 大 15 ・ 5 ・ 25 、 会 津 弔 霊 義 会 ) 会 津 若 松 史 出 版 委 員 会 編 ﹃ 会 津 若 松 史 第 五 巻 激 動 す る 会 津 ﹄ 第 三 章 " 戊 辰 戦 争 と 会 津 藩 、 一 八 六 頁 、 ( 昭 41 ・ 12 ・ 18 、 会 津 若 松 市 ) 高 野 澄 ﹁ 中 野 竹 子 ﹂ ( ﹃ 幕 末 維 新 人 名 事 典 ﹄ 所 収 、 四 八 二 頁 、 昭 53 ・ 4 ・ 10 、 学 芸 書 林 ) 会 津 若 松 史 出 版 委 員 会 編 ﹃会 津 若 松 史 第 六 巻 明 治 の 会 津 ﹄ 第 三 章 " 若 松 町 政 の 実 施 と 交 通 の 発 展 、 二 二 七 頁 、 ( 昭 41 ・ 6 。 8 、 会 津 若 松 市 ) 前 掲 ﹃ 会 津 若 松 史 第 六 巻 ﹂ 第 一 章 " 若 松 県 時 代 、 三 四 ∼ 三 五 頁 。 鈴 木 浩 一 ﹁ 奴 郎 ケ 前 ﹂ ( ﹃福 島 大 百 科 事 典 ﹄ 所 収 、 九 九 七 頁 、 昭 55 ・ 11 ・ 22 、 福 島 民 報 社 ) 涙 橋 は 柳 橋 と も 称 さ れ る 。 加 藤 長 四 郎 編 ﹃ 戊 辰 若 松 城 下 明 細 全 図 ﹄ ( 明 28 ・ 12 初 版 未 見 、 昭 49 ・ 2 ・ 3 復 刻 、 私 家 版 ) に よ る と 、 柳 橋 付 近 に ﹁ 河 原 刑 場 ﹂ の 記 載 が あ る 。 一154一 ︹付 記 ︺ 本 稿 で の 鏡 花 作 品 の 引 用 は 、 岩 波 新 版 ﹁ 鏡 花 全 集 ﹄ ル ビ を 簡 略 化 し 、 漢 字 は 原 則 と し て 新 字 体 に 改 め た 。 氏 の 御 教 示 を 得 た 。 記 し て 謝 意 を 表 し た い 。 全 二 十 八 巻 ・ 別 巻 一 ( 昭 48 ・ 11 ・ 2 ∼ 昭 51 ・ 3 ・ 26 ) を 底 本 と す る 。 な お 、 本 稿 第 三 章 第 四 章 に お け る 郷 土 史 の 調 査 に 関 し て は 、 大 塚 正 人

参照

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