冷 戦 終 焉 期 に お け る 日 ソ 関 係
︵ 一 九 八 五 | 一 九 九 一
︶ 上
フ ョ ー ド ロフ
・ パ ー ベ ル
序 論 第 一 章 日 ソ 関係 の
〟復 活
〝: 一 九 八五 年 四月
| 一九 八 六 年 第 一節 ゴ ルバ チ ョフ 政 権登 場 以前 の 日 ソ関 係 第 二節 外 交交 渉 の再 開 へ 第 三節 外 相の 相 互訪 問 第 四節
新思 外交
﹂ と は 第 五節 ゴ ルバ チ ョフ の ウラ ジ オス ト ク 演説 第 六節 一 九八 五
|八 六 年の 日 ソ貿 易 第 七節 ゴ ルバ チ ョフ 書 記長 訪 日へ 第 二 章 交 渉 の一 時 的停 滞: 一 九 八六 年 一 二月
| 一九 八 七年 第 一節 ゴ ルバ チ ョフ 政 権の 対 日政 策 の ブレ ー ン 第 二節 書 記長 訪 日の 取 り消 し 第 三節 一 九八 七 年の 日 ソ貿 易 第 四節
東芝 事 件﹂ と そ の反 響 第 五節 北 方領 土 問題 を え る 第 三 章 積 極 的発 展: 一 九 八八
| 八九 年 第 一節 関 係の
〟 修復
〝 へ 第 二節 中 曽根 前 首相 の 訪ソ 第 三節 ゴ ルバ チ ョフ の クラ ス ノヤ ル ス ク演 説 第 四節 ゴ ルバ チ ョフ の アジ ア 政策
第 五 節 一 九八 八 年と 一 九八 九 年 の外 相 会談
︵ 以上
︑ 本号 第 六 節 ゴ ルバ チ ョフ の 昭和 天 皇 葬儀 欠 席と 外 務次 官 級会 談 第 七 節 ゴ ルバ チ ョフ
・ 宇野 会 談 第 八 節 一 九八 八
|八 九 年の 日 ソ 貿易 第 九 節 冷 戦終 焉 へ 第 四 章 ゴ ル バチ ョ フ訪 日 の準 備: 一九 九
〇年 第 一 節 ヤ コブ レ フの 訪 日と 安 倍 の訪 ソ 第 二 節 ソ 連の 経 済危 機 第 三 節 新 しい ア クタ ー の登 場 第 四 節 ヒ ュー ス トン
・ サミ ッ ト と日 ソ 外相 会 談 第 五 節 非 公式 交 渉 第 六 節 ソ 連国 内 情勢 の 流動 化 第 五 章 ゴ ル バチ ョ フ訪 日 とソ 連 崩 壊: 一 九九 一 年 第 一 節 新思 外 交﹂ の 実績 第 二 節 小 沢幹 事 長の 訪 ソ 第 三 節 日 ソ世 論 の動 向 第 四 節 ゴ ルバ チ ョフ
・ 海部 会 談 第 五 節 一 九九
〇
|九 一 年の 日 ソ 貿易 第 六 節 ソ 連崩 壊 へ 終 章 冷 戦 終焉 期 の日 ソ 関係 と 日 ロ関 係 の展 望
序 論 日
ソ 外 交は 日 本 と ソ 連の 両 国 の 外交 に と っ て 重要 な 部 分 であ る
︒ し か し︑ 東 西 冷 戦期 は も ち ろ んの こ と
︑ 今日 に お い て も 両国 は 外 交 関 係を 十 分 に 展開 し て き た とは 言 え な い︒ 本 論 は
︑ 冷戦 終 焉 の 前後 に お け る この 外 交 関 係の 展 開 を 分 析 しよ う と す る もの で あ る
︒ 一 九 八 五年 か ら 一 九 九一 年 ま で の日 ソ 両 国 の 政治 関 係 が 積極 的 に 展 開 して い た こ とは 否 定 で き ない
︒ す な わち
︑ 一 九 五 六 年か ら 一 九 八 五年 ま で の 約三
〇 年 間 に は︑ 外 相 会 談は 五 回 し か 開か れ な か った の に 対 し て︑ ゴ ル バ チョ フ 政 権 の 約 六年 間 で 外 相 定期 会 談 は 八回 も
︵ その 他
︑ 非定 期 に 国 連な ど で 七 回
︶行 わ れ た 上
︑一 九 八 九 年 三 月 に 日 ソ 平 和 条 約 作 業グ ル ー プ の 会議 も 設 置 され
︑ 両 国 間 で北 方 領 土 問題 を は じ め とし て 諸 問 題に つ い て 活 発な 意 見 交 換が な さ れ た
︒ また
︑ 一 九 九 一年 四 月 に ソ連 首 脳 と し て初 め て 来 日し た ゴ ル バ チョ フ が 領 土問 題 の 存 在 を確 認 し た
︒さ ら に
︑ ソ 連 崩壊 の 時 点 ま でに 同 国 の 外交 決 定 者 は
︑北 方 領 土 に対 す る 日 本 の主 権 や 返 還の 必 要 性 を 認め た
︒ 日 ソ 関 係に お い て 最 も重 要 な 問 題は 北 方 領 土 問題 だ と 言 って も 過 言 で はな い
︒ し たが っ て
︑ 領 土問 題 の 解 決は 日 ソ 関 係 の 実質 的 な 進 展 をも た ら す もの で あ っ た
︒領 土 問 題 を解 決 す る た めの 現 実 的 な唯 一 の 方 法 は一 九 五 六 年の 共 同 宣 言 を 再確 認 し た う えで
︑ 共 同 宣言 に よ っ て 約束 さ れ た 順に
︑ 平 和 条 約を 結 び
︑ 二島 返 還 を 実 現し た 後 に
︑残 り の 二 島 の 問題 を 協 議 し 解決 す る と いう も の で あ る︒ 領 土 問 題を 現 実 的 に 解決 す る た めに は
︑ い く つか の 要 件 があ っ た
︒ そ れ は︑ ソ 連 の 政 策外 交 決 定 者の 対 日 認 識 の深 化
︑ ソ 連の 外 交 政 策 決定 者 の 強 い権 力 基 盤
︑ 日本 側 に よ る四 島 一 括 返 還 とい う 方 式 の 断念
︑ 対 ソ 経済 協 力 の 実 現︑ 返 還 後 の北 方 領 土 の 非軍 事 化
︑ であ る
︒ 本 論 は︑ こ の 要 件が 満 た さ れ る こと に 焦 点 を 合わ せ て
︑ 冷戦 終 焉 期 に おけ る 日 ソ 関係 の プ ロ セ スの
察 を 目的 と し た
︒ ここ で は 先 ずソ 連
側 と 日 本 側の ア ク タ ー を見 て み た い︒ ソ 連 側 のア ク タ ー と して は
︑ 外 交政 策 決 定 者 のナ ン バ ー
・ワ ン で あ る ゴル バ チ ョ フ書 記 長 以 外
︑親 ゴ ル バ チョ フ 派
︑ 党 内 の保 守 派
︑ エ リツ ィ ン ら の急 進 派
︑ 国 民が 挙 げ ら れる
︒ ソ 連 が ブレ ジ ネ フ 時代 の 停 滞 を 克服 す る た めの 戦 略 目 標 を 経済 の ペ レ ス トロ イ カ に 置く 以 上
︑ 外 交は そ れ に 有利 な 国 際 環 境の 創 出 と 維持 を 第 一 義 的任 務 と し なけ れ ば な ら な かっ た
︒ さ し あた っ て 取 り組 む べ き 課 題は
︑ 軍 事 費の 圧 力 を 軽 減す る と と もに 西 側 諸 国 から の 資 本 と高 度 技 術 の 移 転 を 促 進 す る 条 件 づ く り で あ った
︒ 対 外 関 係 に お い て は﹁ ソ 連 脅 威 論
﹂の 解 消 が 必 要 と さ れ1
た
︒ ゴ ル バ チ ョ フ 書 記長 に よ っ て 採用 さ れ た
﹁新 思 外 交
﹂は 前 記 の こと を ま と め た対 策 と な った
︒ つ ま り
︑ゴ ル バ チ ョフ の 対 日 政 策 の基 本 方 針 は
﹁ソ 連 脅 威 論﹂ を 解 消 さ せ︑ 日 本 か らの 経 済 協 力 を獲 得 す る こと で あ っ た
︒ ソ 連 の 外交 政 策 は 党 政治 局 を 中 心に
︑ 書 記 長
︑外 務 省
︑ 党国 際 部
︑ K GB
︑ 軍
︑ 科学 ア カ デ ミ ーと い っ た 機関 が 織 り 成 す 過程 の 中 で 決 まっ て い2
た
︒ゴ ル バ チ ョ フは 対 日 関 係を 含 め た 対 外関 係 に お いて
﹁ 新 思 外交
﹂ を 実 現す る た め に
︑ エド ア ル ド
・ シェ ワ ル ナ ゼを 新 外 相 に 任命 し た
︒ 書記 長 就 任 直 後の 一 九 八 六年 六 月
︑ ゴ ルバ チ ョ フ は日 本 の 専 門 家 であ る ニ コ ラ イ・ ソ ロ ビ ヨフ を ソ 連 大 使と し て 日 本へ 送 っ た
︒ 書記 長 は ソ ロビ ヨ フ に 党 から ユ ー リ ー・ ク ズ ネ ッ ツ ォフ を 公 使 と して つ け た
︒ク ズ ネ ッ ツ ォフ は
︑ 党 国際 部 で 長 年
︑対 日 政 策 を手 が け て き た人 物 で
︑ また 在 日 大 使 館 参事 官 も 経 験 して い た
︒ ソロ ビ ヨ フ ら の収 集 し た 日本 に つ い て の情 報 は
︑ 外務 省 太 平 洋
・東 南 ア ジ ア諸 国 局 の 日 本 部 に 伝 達 さ れ た
︒ 部 長 は V
・ ア レ ク セ ー エ フ で
︑上 司 の 局 長 は 在 日 大 使 館 勤 務 経 験 者 の リ ュ ド ビ ク・ チ ジ ョ フ で ある
︒ 彼 は 後 に在 日 大 使 とな っ た が
︑ 太平 洋
・ 東 南ア ジ ア 諸 国 局長 に 任 命 され た ア レ ク サン ド ル
・ パノ フ は ゴ ル バ チョ フ 訪 日 に 向け て
﹁ 二 島返 還
﹂ の 協 定案 の 作 成 を担 当 し て い た︒ 局 長 が シェ ワ ル ナ ゼ 外相 の 下 に いる 外 務 次 官 に 日本 の 情 報 を 報告 す る の であ っ た
︒ 外 務大 臣 の 下 には 二 人 の 第 一外 務 次 官 と十 人 の 次 官 がお り
︑ 日 本関 係 を 受 け 持 つ次 官 は イ ー ゴリ
・ ロ ガ チョ フ で あ っ た︒ そ し て
︑シ ェ ワ ル ナ ゼ外 相 は ロ ガチ ョ フ 次 官 から 報 告 を 受け
︑
ゴ ル バ チ ョフ 書 記 長 へ 直接 に 伝 え た︒ し か し
︑ 共産 党 は ソ 連政 府 の 上 に 存在 す る と いう 現 状 が あ るか ら
︑ 共 産党 の 参 加 な し に外 交 政 策 決 定は あ り え なか っ た
︒ 在 日大 使 館 や 外務 省 の 担 当 局や K G B で分 析 さ れ た 情報 は 党 の 担当 部 で あ る 国 際部 に 入 る の であ っ た
︒ 日本 担 当 は ユ ーリ ー
・ ズ ーエ フ 副 部 長 であ る
︒ そ の上 に 二 人 の 第一 副 部 長
︑そ し て ワ レ ン チン
・ フ ァ ー リン 部 長 が いた
︒ 国 際 部 長を 補 佐 し
︑ゴ ル バ チ ョ フに 直 接
︑ 助言 を す る の が元 駐 米 大 使の ア ナ ト リ ー
・ド ブ ル イ ニ ンで あ っ た
︒こ の ほ か
︑ ゴル バ チ ョ フに は
︑ ソ 連 科学 ア カ デ ミー
・ 世 界 経 済国 際 関 係 研究 所 の エ ブ ゲ ーニ
・ プ リ マ コフ 所 長 や 米カ ナ ダ 研 究 所の ゲ オ ル ギ・ ア ル バ ト フ所 長
︑ 東 洋学 研 究 所 の ミハ イ ル
・ カピ ッ ツ ァ 所 長︵ 前 外 務 次官
︶ か ら の対 日 情 報 が 直 接 的 に 入 っ て い た
︒ 一 九 九
〇 年 に ソ 連 に お い て 大 統 領 制 が 導 入 さ れ て か ら
︑ プ リマ コ フ は 大 統領 会 議 議 員と な り
︑ 最 高会 議 連 邦 会議 会 議 長 を やる こ と に なり
︑ ゴ ル バ チョ フ へ の 直接 な ア ク セ ス を保 っ て い3
た
︒ま た
︑ 党 国際 部 の 次 長 を務 め て い たア ナ ト リ ー
・チ ェ ル ニ ャー エ フ は 書 記長 就 任 直 後︑ ゴ ル バ チ ョ フの 補 佐 官 と なり
︑ 日 本 情勢 に 関 す る 報告 も チ ェ ルニ ャ ー エ フ の手 を 経 て
︑ゴ ル バ チ ョ フの 元 に 届 いて い た
︒ 彼 に 対す る ゴ ル バ チョ フ の 信 頼は と て も 厚 か っ4
た
︒ ソ 連 共 産党 の 最 高 機 関は
︑ 党 大 会で あ る が
︑ 党の 定 期 大 会は 五 年 に 一 度で あ り
︑ その 間 の 党 の 意思 決 定 は 中央 委 員 会 総 会 にゆ だ ね ら れ5
た︒ し か し
︑実 際
︑ 中 央 委員 会 総 会 は年 に 四
︑ 五 回開 催 さ れ るに 過 ぎ ず
︑ 党の 政 策 や 方針 の 決 定 は
︑ 毎週 一 度 開 催 され る 政 治 局会 議 に 一 任 され た
︒ 政 治局 は そ の 意 味で 党 の 日 常的 な 意 思 決 定機 関 で あ る︒ 政 治 局 は 一 二 人 の 政 治 局 員 と 八 人 の 政 治 局 員 候 補 か ら な っ て い た
︒ し か し
︑ こ の 政 治 局 会 議 に 提 出 す る 議 案 を 用 意 し
︑ さ ら にそ こ で 決 定 され た 各 項 目を 実 施 す る 役割 を 果 た した の は 書 記 局で あ る
︒ 政治 局 の 多 く が︑ 閣 僚 や 議長
︑ 地 方 の 党 活動 な ど の 業 務を 兼 務 し てい る の に 対 し︑ 党 書 記 は党 務 に 専 念 し︑ 実 質 的 に党 そ の も の なの で あ る
︒書 記 局 は 党 中 央委 員 会 の 全 機構 を 握 り
︑そ の 各 部 を 動か し て 日 常的 な 党 務 を 遂行 し た
︒ 書記 局 に は 一
〇人 の 書 記 が入 っ て い た
︒ 党が 唯 一 で 最 高の 政 治 能 力と 規 定 さ れ てい る ソ 連 では
︑ 当 然 の こと の よ う に書 記 局 が 権 力中 枢 を 形 成し て