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[書評] アンリ・ワロン著、竹内良知訳『子どもの 精神的発達』

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[書評] アンリ・ワロン著、竹内良知訳『子どもの 精神的発達』

その他のタイトル [Book Review] Henri Walln, L'evolution Psychologique de L'enfant, traduit par Yoshitomo Takeuchi

著者 住 宏平

雑誌名 教育科学セミナリー

巻 14

ページ 38‑40

発行年 1982‑12‑07

URL http://hdl.handle.net/10112/00019535

(2)

亘 亘 ]

ア ン リ ・ ワ ロ ン 著 、 竹 内 良 知 訳

「 子 ど も の 精 神 的 発 達 』

人文書院

1982

年(定価

1,600

円)

住 宏 平

「子どもは児童期を生きることしか出来ない。 .  .  .  .  .  .  . 

(それゆえ)児童期を認識するのは大人のする ことである。」(竹内訳

1

頁)。 ここに子どもと 大人の精神発達における位相の相違が示されて いる。これは「児童心理」の研究は子どもと成 人との協働の作業であり、その両者の係り方は かくて発達における問題でもあることを示して いる。

人間の歴史において、子どもは常に成人を離 れては存在しなかったし、今後もそうであろう。

それ故、子どもに対する成人の認識、子どもの 精神発達に対する認識は総べての人にとって古

くて新しい問題であると言ってよい。

18

世紀のフランス啓蒙期は人間尊重の時代で あり、 「児童の世紀」への幕明けとなった。当 時のフランスの医師たちはまた児童の科学的研 究において先駆的役割を果した。イタール、セ

ガンから、ピネー、 ドクロリィヘ、更にクラパ レード、ヒ°ァヂェヘとフランスの児童研究の伝 統は作られた。

このような伝統を持つフランスの児童心理学 の研究は、我が国にも紹介され、現にヒ°ァヂェ らの研究は今日、我が国の心理学研究の主流の 一つにすらなっている。それにもかかわらず、

同時代、同じ領域における研究者であるワロン の研究が、その高い業績にもかかわらず、我が 国で十分には評価されていないことは、残念な

ことであった。

ここに長年、ワロン研究を続けて来た竹内教 授のワロン「子どもの精神的発達」の「完訳」

が上梓されるに到ったことは、われわれの喜び とするところであり、その貴重な労作に対し敬 意を表したい。

本書はフランスの大学生向けの入門書のシリ ーズとして知られている、コラン叢書の一冊と して

1941

年に刊行されて以来、版を重ねて今日 に到っている、好評の児童心理学の概説書であ って、ワロンの児童心理学における諸概念が諸 側面から述べられている。

「ワロンは現実の子どもの発達過程をその全 体性において分析し、運動、知能、認識、人格 の発達についての新しい考え方によって、心理 学のさまざまな問題を立て直すための新しい方 法をわれわれに示している。」(竹内訳

258

頁 ) 訳者は本書のあとがきで、ワロンが(わ力程

I)

の学会で位置を占めないのはワロンの邦訳に満 足なものがないためであるといっている。そし て訳者自身その訳述にあたって、ワロンの文章 の難しさについて述べているが、確かに訳者の 邦訳を見ても難しいところがうかがえる。恐ら くこれはワロンの叙述における綿密さ一例え ば実験結果の説明、生物学的あるいは病理学的 データの提示ーあるいは推論過程の慎重さと 厳密さ 一例えば方法論の決定や結論の誘導一

などその訳出に苦心のあとが見られる。

これは定評あることであるらしく、他の著者

‑38‑

(3)

もそれを述べている。

「ワロンの文章はしばしば難解であり、密度 が高く、複雑である。ワロンに「王道」

(Voie

royale)

なく、普辺的な不変量も、大把みにす るまとめの常套語(論点)もない。」

(PhiI ipi:e 

lrieuHanri Wallon,  dans J.  Chateau :  La psychologie de l'enfant en langue fran caise,  Toulouse, 1979. P. 116) 

これを見ると、ワロンの邦訳の理解の困難は ワロンの原文自体の表現の持つ難かしさによる ことが大きいようである。もしそうだとすると このワロンの原文の持つ文の表現の難しさはど こから来るのであろうか。もとより文章理解の 困難は統語論的側面にも意味論的側面にもある であろうが、本質的なことはテキストの内容が 読者の一般的な受容容量に比べて大きいと言う ことであろう。これがワロンの文の特質をなす のではなかろうか。これはまたワロン研究その ものの本質をなすのではなかろうか、これはど こから来るのであろうか。

これはまず始めにワロンの研究における研究 者としての態度と方法の特徴と深い関係にある

と見なしてよいであろう。

「ワロンは科学者であり、また今世紀最大の 哲学者の一人であった。ワロンは人間の行動、

意識、自我の進化のような複雑な現実を解明す るためにはこのような複雑さの水準に応ずる「

方法」を考え出さねばならぬことを、誰よりも よく理解していた。この方法をワロンは医学的、

社会的実践と哲学的、科学的、芸術的思索の出 会いにおいて見出した。」(上掲書

116

頁 ) . 彼は 生物学的なもの、社会的なもの、心理学的なも のとの間の関係を解釈するための一般的方法の 骨組を唯物弁証法に見出した。そして人間の精 神活動の枠組を現実界の普辺的進化とその影響 カの下においた。ワロンは唯物弁証法を人間の

科学に共通する方法であると見倣し、精神発達 の研究を一新させたのである。

実践家としての活動を基礎におくワロンの方 法は、幾つかの水準を経て次第に明白に弁証法 的になって行った。それは最初の幾つかの研究 では、 「比較」という形で弁証法的であった。

彼は臨床家としての実践によって、人間の行動 を決定する複雑さを立証した。かくて彼が「サ ルペトリエール」(精神遅滞児施設)で観察し た「騒々しい子ども」

(L'Enfant turbulent) 

の行動の複雑さを明らかにした。彼はこれらの 子どもの行動は種々の神経系の障害から来ると は言え、子どもの両親の生活条件を考察しなけ れば、十分には説明出来ないことを知った。症 候群として確認された子どもの行動を「正常な」

子ども一成人のそれの発達尺度に当てはめた。

こうして子どもの器質的欠陥を正常児の発達尺 度に位置付けることによって正常児と欠陥児と の間にもたらされた発達遅滞として子どもの無 能力を浮かび上らせることが出来た。つまり正 常児の行動の進化(発達)と比較することによ って正常児に観察される発達段階と欠陥児の症 候群とを、部分的ではあるが、接続させる仮説

(l'hypothese d'une correspondance)

を立てる ことが可能となったのである。彼は、病理学の 研究から出発してこうして正常児の生きた姿へ 近づくことが出来た。これはフランス心理学に おける伝統的な「病理学的方法」の適用であっ た 。

ワロンの「子どもの精神的発達」

(1941)

はこ のようにして異常児の研究(「騒々しい子ども」

0925), 

「精神病理の心理学」

(1926))

などに もとづけられて正常児の精神発達を解明してい る 。

この本では、人間の行動がつぎの種々の角度 から論ぜられている。

1)

行動形成における生

‑39‑

(4)

物学的要因と社会的要因。

2)

それらの要因を について述べている。

支配する種々のメカニズム:効用の法則、条件 本書は最近、流行するありふれた「発達心理 付け、信号と禁止による規制、意味賦与、

3)

最 学」の概説ではない。人間精神の発展という広 後に情動、運動、認識、人格など別々に呼び慣 い立場からする独創的な児童心理学の考察であ

らわされている、種々の機能の間の不断の交流 る。熟読玩味さるべきものである。

ーワロンはこれに対し相互構造化を提案する一

‑40‑

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