氏 名 松村
マツムラ智史
サ ト シ所 属 人文科学研究科 社会行動学専攻 学 位 の 種 類 博士(社会福祉学)
学 位 記 番 号 人博 第
150号 学位授与の日付 令和元年
9月
30日
課程・論文の別 学位規則第4条第1項該当
学 位 論 文 題 名 子どもの貧困対策における学習支援
――理論、政策、実証分析から――
論 文 審 査 委 員 主査 教 授 阿部 彩 委員 教 授 堀江 孝司 委員 准教授 室田 信一
<論文要旨の構成>
1 本論の知見のまとめ
2 本論から導かれる政策提言のまとめ
1 本論の知見のまとめ
本論文は,日本において近年急速に取り組みが広がっている貧困世帯への無料学習支援 について、その政策上の意義・位置づけを確認し、その上で、これら
NPO法人らによる学習 支援事業が対象者である子どもにどのような影響を及ぼしているいるのか,先行研究の知 見の整理および理論考察を行った。その結果として、これまで注目されてきてこなかった学 習支援によるケアの側面を捉え直した「学習支援によるケア」という概念を提示し, 学習支 援によるケアの作用によって子どもにさまざまな効果がもたらされるという仮設(「ケア仮 説」)を導きだした(第
I部). さらに, 第Ⅱ部の実証編において,独自の調査紙調査およ びインタビュー調査を実施し,「学習支援によるケア」を実証的に検証するとともに、それ が学習支援の現場におけるどのような作用を通じてもたらされるのかを量的および質的に 的に検証した.
本論で明らかになった知見は、以下の3つ、①政策・制度面,②理論面,③実証面に大別さ れる. 以下, 順番に述べる.
(1)政策・制度面で明らかになった知見
近年,我が国において取組が広がっている自治体による貧困世帯の子どもに対する学習
支援事業について,政策上の意義,位置づけとその変化を分析した. 対象とした期間は, 学 習支援が行政の制度・政策として本格的に開始された
2000年代なかばから, 2013 年の子ど もの貧困対策法, 2014 年の大綱の成立, そして
2015年
4月に生活困窮者自立支援制度の 事業としてスタートするまでである. 分析の結果,貧困世帯の子どもの学習支援事業は,生 活保護を受給する有子世帯の生保からの自立を促す福祉政策としてスタートしたが,次第 に, 子ども自身の健全育成や学びに重きが置かれるようになり,近年においては,子どもの 教育機会の保障に資する教育政策としての意義が拡大し,福祉政策から教育政策として位 置づけが変化しつつあることが明らかになった.
次に、2015 年から, 2019 年
4月より施行された「子どもの学習・生活支援事業」成立に 至るまでの期間における学習支援事業を,問題意識や方向を示した厚生労働省設置の検討 会, 社会保障審議会の部会の議論を素材として, 政策上の意義,位置づけとその変化に焦 点を当て分析した. まず, 学習支援における「学び」が, 学力のみならず, 生活力や非認 知能力を含む多元的能力の発達と理解されるようになった過程を明らかにした. また, か かる能力養成の上で, 親の養育や家庭環境の改善の必要性が注目され, 子どもに対する学 習支援と世帯に対する支援の一体化が志されるようになった。これは言わば, 学習支援か ら世帯支援につなげるという新たな政策展開であった.
これらの展開の中で成立した事業は, 学習支援事業の変遷のなかで, 学習支援と生活支 援が結実した, 総合的支援事業の意義を帯びるものとなったといえる.
また, かかる新たな展開によって, 学習支援事業は、 生活・養育支援といった世帯支 援, 自立相談事業の活用を促し、結果として被保護世帯の「自立」に資することに加えて, 学力に留まらない, 生活力や非認知能力、学習の土台となる学習習慣の向上など多元的な アウトカムの向上を目指すものとなった.さらに, このような新たな学習支援事業は, 学 校部門や地域との連携をも強化することとなり, 「学習機会の保障」を一層進める事業に発 展する可能性を持つものといえる.
(2)理論面で明らかになった知見
本稿では、次に、「学習支援によるケア」の理論を考察し, その要素・特性, レジリエ ンスとの関係を踏まえ上で, 学習支援事業におけるケアに着目し、そのケアの作用によっ て子どもに効果がもたらされるとする「ケア仮説」を導出した.「ケア仮説」とは,学習 支援事業における「ケア」の要素が, 成長・発達途上にある子どもたちに, 貧困から生じ る逆境や不利などに対する防御機能となるレジリエンスを構成する効果をもたらし得ると いうものである.
「ケア仮説」によれば, 学習支援によるケアの作用は、子どものレジリエンス, ひいて
は, 子どものウェルビーイングを向上させ, 貧困の連鎖・再生産を断ち切る経路になり得
ることが考えられる. そこで,「ケア仮説」を検証・実証するべき研究課題として, 学習支
援事業によってレジリエンスを構成しうる効果がもたらされるのか(研究課題1)
, 学習支援事業のケアのいかなる作用が効果をもたらすのか(研究課題2)の2点が導出された.
(3)実証面(アンケート調査及びインタビュー調査)で明らかになった知見
まず, 研究課題1として, 学習支援事業の効果を検証した. 用いたデータは,東京都下 の
4つの自治体の学習支援教室に通う中学生の子ども及びその保護者を対象として行った 調査紙アンケート調査のデータと, 同じ4自治体に住むすべての中学2年生とその保護者 を対象として行った東京都「子どもの生活実態調査(小中高校生調査)」(東京都
2017年)
のデータを統合したデータである。これを用いて、子どもの性別, 家族構造, 世帯の生活 困難度等をコントロールした上でも,学習支援教室に参加している子どもは,参加していな い子どもと比べて, 授業理解度,自己肯定感,精神的安定が統計的に有意に高いといえるの かを検証した. その結果, 授業理解度,自己肯定感については, 学習支援参加が, 有意な 差をもたらしていなかったものの, 精神的安定には,正に有意に作用していた.しかも,コ ントロール変数が増えるほど, 係数が大きい傾向にあった.対照的に, 学校の補習への参 加は有意ではなく, 効果の有無が検証できなかった.換言すると、学習支援教室は、子ども の精神的ウェルビーイングについては有効に作用している可能性が浮かび上がった.
次に,研究課題2に関して, 学習支援のどのような作用が子どもに影響を与えるのかを 明らかにするべく,学習支援参加者を対象に,生活困難度等をコントロールした上で分析を 行った. 主たる結果として,「学習支援教室でボランティアの先生と困っていること」 ・ 「悩 んでいることを話すこと」が, 子どもの精神的安定に対する頑健性ある正の作用があるこ とが看取された. また, 自己肯定感や, 学習意欲・習慣, 学校適応, コミュニケーション, 将来の希望,自信についても,ボランティアの先生が子どもと会話したり, ほめたり, 気に かけたりするなどの, 子どもに効果をもたらす可能性が示唆された. これらは、学習支援 事業における「ケア」ということができ、その効果が実証的に確認された.
続いて,東京近郊の
X市において学習支援事業に参加した
21人にインタビュー調査を行 った。その上で, 代表的なケースを引きながら, 学習支援の効果をもたらす作用について 考察した. 調査から, 彼らの多くは, 学校でいじめ, 不登校, 周辺化された人間関係など の様々な不利・困難に直面していたことが明らかとなった. また家庭においても, そうし た不利・困難を克服するどころか,経済的制約に加えて, 家族のケア, 家事負担, ロールモ デルの欠如, 将来の見通しの低さなど, 低所得世帯に特有の不利・困難に直面していた.
また, 彼らには, 学力だけでなく, コミュニケーション, 自信, 将来の希望などが低位に 留まる傾向がみられた. 一方, 彼らは,学習支援に参加したことによって, 学習意欲や, 他者とのコミュニケーション, 自信などが向上したと感じていた.
ここで重要なのは, 彼らは, こうした効果をもたらす作用として,【誰かに気にかけても らう感覚】
,【頼れる大人に会える】,【自分が成長していく実感】,【人間的なつながり】,
【もうひとつの学びの場】,【居場所感】という学習支援によるケアの作用を認識している
ということである. すなわち,これらの作用が, それぞれの子どもたちに,「学習支援によ
るケア」の効果を生み出していることが本論の分析によって明らかになった. 子どもたち は,学習支援に参加し,ケースワーカーやボランティアとの会話,相談などのコミュニケー ションなどを通じ,結果として,他者とのコミュニケーション, 自信, 学習意慾,将来の見 通しなど,不利や困難といった逆境に抗うレジリエンスを構成する効果を得ることができ たと感じている.
これまで述べてきた,「学習支援によるケア」モデル図を以下に示す(図).
図 学習支援事業によるケアのモデル図
2 本論から導かれる政策提言のまとめ
ここまで得られた知見を踏まえると,以下の政策提言が得られる.
まず, 学習支援事業の意義を, 貧困から生じる不利や困難に抗うレジリエンスを向上さ せるものとして捉え直す必要がある. すなわち, 学習支援は,学力にとどまらず, 精神的 安定やコミュニケーションなど, 健康・生活・意欲・社会性などの子どもの多様な側面に影 響を及ぼし, レジリエンスを構成する多元的な効果をもたらし得るものと, 位置づけ直す べきである. また, 学習支援事業の子どもへの効果を的確に測るためには, 健康・生活・
意欲など, 多元的な効果を反映した指標を用いるなければならないといえる.
次に, 学習支援事業の内容についても再検討すべきである. 「ケア」が学習支援の重要
な要素であることを踏まえると, 子どもへの日々の接し方・指導において, 単なる学習指
導のみならず, 子どもの声に耳を傾け, 困っていることや悩んでいることの相談に乗った
り, ほめたり, 気にかけるといった,「学習支援によるケア」を実現するものでなければな
らない. 換言すれば, 学習支援教室において, 子どもの困っていること・悩んでいること
の相談に乗ったり, ほめたり, 気にかけてくれるという「学習支援によるケア」の作用を
実践する取組が強く期待される. 子どもに効果をもたらす上で重要なのは,「学習支援によ
るケア」であった.今回の調査では,「学習支援によるケア」の作用として,【誰かに気にか
けてもらう感覚】,【頼れる大人に会える】,【自分が成長していく実感】,【人間的なつな がり】
,【もうひとつの学びの場】,【居場所感】という作用が確認された. そのため, 学習支援教室における日々の接し方・指導のみならず, 学習支援のボランティアやスタッフな どの研修やフィードバックでも, かかる点に重きを置いた接し方・指導の共有や, 学習支 援によるケアを担う多様な人材の養成がなされるべきである.
さらに, 2019 年
4月から「子どもの学習・生活支援事業」がスタートし, 学習面・生活 面・養育面という生活困窮世帯の課題に広く対応するべく, 生活習慣・育成環境改善に関す る支援(学校・家庭以外の居場所づくり, 生活習慣の形成・改善支援, 家庭の養育支援等)
,子どもの進路選択その他の教育や就労に関する支援(相談, 情報提供, 助言, 関係機関と の連絡調整等)が事業内容として盛り込まれるようになった. かかる新たな展開は, 学習 支援が子どもの健康や生活等をも視野に含めた総合的事業として,「学習支援によるケア」
と共鳴し, 「学習支援によるケア」を実現する政策・制度, 実践に発展する大きな可能性を 有する.
まず, 政策・制度レベルとして, 学習支援を, 勉強を教えるだけではなく,「学習支援に よるケア」の場として捉え直した上で, 従来の行政における縦割りや, 官民の垣根を越え て, 生活支援や進路選択等の支援と密接に結び付けながら 展開するべきである. 例えば, 学校や子ども食堂や地域の取組を学習支援事業の入口としたり, 学習支援教室の隣で保護 者向けに自立相談支援事業を行ったりと, 学習支援と生活支援を結びつけながら行うこと も, 「学習支援によるケア」の実践に資するものであろう.
さらに,より実践レベルでいえば, 「学習支援によるケア」を行う「場」は教室での指導 にとどまらず, 教室外のイベントや様々な経験, 進路説明会, 卒業生による体験談・交流 会などにも拡充するべきである. さらに, 自立相談支援等を行うワーカーと, 学校, 子ど も食堂のような地域の取組, 多様な機関をつなげる連携が期待される. 地域住民や大学生 などの若い世代をはじめ, 多様な人材による様々な取組は, 量・質ともに, 「学習支援に よるケア」に基づく支援の内容, 支援のあり方を拡大・深化させるものである.
子どもたちは,学習支援に参加し, 「学習支援によるケア」を通じて, 今回実証された精神 的安定を含む,不利や困難といった逆境に抗うレジリエンスを構成する効果を得ることが できていることが本論で示唆された.これらは,子どもの貧困の連鎖・再生産を断ちきる大 きな可能性を有し, 子どもの貧困対策の核心として極めて重要な意義をもつものであろう.
今後は, 今回明らかになった知見を踏まえて, さらに実証的なデータに基づいて, 引き
続き, 子どもの貧困対策を検証し, より一層の理論の精緻化と政策・制度, 実践への示唆
を進めていきたい.
【訂正 新旧対応表】
博士学位論文要旨の訂正箇所
訂正前 訂正後
2
頁 35~39 行
その結果、 授業理解度、自己肯定感については、
学習支援参加が、 有意な差をもたらしていなか ったものの、 精神的安定には、正に有意に作用 していた。しかも、コントロール変数が増える ほど、 係数が大きい傾向にあった。対照的に、
学校の補習への参加は有意ではなく、 効果の有 無が検証できなかった。換言すると、学習支援 教室は、子どもの精神的ウェルビーイングにつ いては有効に作用している可能性が浮かび上が った
その結果、 授業理解度、自己肯定感、精神 的安定について、 学習支援参加が、 有意な差 をもたらしているという結果は得られなかっ た。また、 学校の補習への参加は有意ではな く、 効果の有無が検証できなかった。
3
頁 3~6 行
子どもの精神的安定に対する頑健性ある正の作 用があることが看取された。 また、 自己肯定 感や、 学習意欲・習慣、 学校適応、 コミュニ ケーション、将来の希望、自信についても、ボラ ンティアの先生が子どもと会話したり、 ほめた り、 気にかけたりするなどの、 子どもに効果 をもたらす可能性が示唆された。
子どもの自己肯定感に対する正の作用がある ことが看取された。また、学校適応、自信につ いても、ボランティアの先生が子どもと会話し たり、 ほめたり、 気にかけたりするなどの、
子どもに効果をもたらす可能性が示唆された。