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2016年度 国際文化情報学会審査結果

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2016年度 国際文化情報学会審査結果

著者 法政大学 国際文化学部

出版者 法政大学国際文化学部

雑誌名 異文化

巻 18

ページ 1‑166

発行年 2017‑04‑01

URL http://hdl.handle.net/10114/13160

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ISSN 1346-2164 ISSN 1346-2164

2017 18

2017 18

法政大学国際文化学部第十八号 二〇一七年四月

座談会

栩木 玲子先生×輿石 哲哉先生×松本 悟先生

×佐々木 一惠先生×森村 修先生

インタビュー

川村 湊先生

対談

J our n al o f in tet

er cul t ua l com m u n ica ti on

(3)

   

  の「 ヴ( )」 —— 特別企画の趣旨について

森 村   修

  今回、二〇一七年『異文化一八』の新しい試みとして、三つの特別企画を用意しました。一つ目は、二〇一六年度をもってご退職される川

村湊教授の特別インタヴュー「「川村湊」というスタイル」です。川村先生は、新学部開設準備委員長として、一九九七(平成九)年以来二年

間「国際文化情報学部」開設に向けてご尽力されました。様々な経緯を経た後、一九九九年四月「国際文化学部」が開設され、二年間、初代

学部長をお務めになりました。このたびご退職にあたって特別にお時間を取って頂き、ご自身も卒業生(法学部政治学科卒)として川村先生

と法政大学との関係、国際文化学部開設に至る際のご苦労など、様々なお話を伺うために、特別インタヴューをお願い致しました。

  二つ目は、大学院国際文化研究科・国際文化学部連携企画として、大学院と学部の執行部四名の先生の座談会「大学院と学部、これも異文

化コミュニケーションか?」です。メンバーは、大学院から松本悟教授、佐々木一惠准教授、学部からは栩木玲子教授、輿石哲哉教授の四人

の先生にお願い致しました。特に四人の先生方の腹蔵ないご意見から、現在の学部と大学院との連携に伏在する多種多様な問題を垣間見るこ

とができます。座談会の司会者として、異文化コミュニケーションの難しさは、わざわざ海外に行く必要もなく、充分に実感できることなの

だなとあらためて実感した次第です。

  三つ目の特別企画は、「文化情報学とは何か、何であるべきか」と題して、大嶋良明教授のお話を伺っています。大嶋先生は、国際文化研究

科では「多文化情報空間」領域の科目を担当され、また国際文化学部「情報文化コース」や「表象文化コース」では情報科学の分野だけでなく、

マルチメディアに関わる科目や、メディア・アートに関わる科目をご担当されています。特に、私との対談では「文化情報学」の可能性を追

求されています。

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 これら三つの特別企画のテーマや「ナラティヴ(語り)」は、一見すると関係がないように見えます。しかし実際には、これらは相互に深く

密接に関わっています。私が特別企画を組むにあたって念頭に置いたのは、「文化情報学とは何だったのか」、そして、「国際文化学部とは、本

来ならば、「国際文化情報学部」として開設されるはずだった」という思いです。

  というのも、先にも触れたように、国際文化学部には、「文化情報学」を学び、「国際社会人」を養成するという教育目標を掲げて、一九九九

年度に開設されたという「過去」があるからです。そして、本学の「文化情報学」の提唱者こそ、川村湊先生だったのです。川村先生は、『異文化』

創刊号の「巻頭言」で、「文化情報学」について、次のように論じられています。多少長いけれど、引用してみます。

  「文ある。(中略)文化情報学を「化野の情報学」としてとらえればで分文と化情報、あるいは文化情報学は問、新しい概念であり、新しい学、

「広大な知の領域を覆う学問」である情報学の「文化的側面」を特化、集約して研究対象とする分野ということができる。(中略)文化情報学

を「文化情報の学問」と定義することも可能であり、その場合は、これまで「文化」としてとらえられてきたものを「文化情報」として読み

かえること、言いかえれば「情報化」された文化についてだけ研究することが「文化情報学」の対象・関心領域となる。「情報化」されるとい

うのは、何らかの記号化、象徴化、あるいはメディアによる複製化、伝達・広報化、記録化というプロセスをたどっているということである。

/ここで改めていっておかなければならないのは、情報は加工され、編纂、編集されてはじめて「文化情報」となりうるということである。(中略)

現在のメディアの過剰なまでの発達は、あたかもメディアそれ自身が情報の主体であり、主催者であるかのように振る舞うのである。そこで

は、情報の流通の主体が誰であるかをはっきりとさせる必要がある。もちろん、それは情報やそれに基づく表現の主体の「私」にほかならない。

情報主体、研究主体を見誤ることは、その情報や研究の価値をゼロにしてしまうことである」。

  長々と引用したのは、川村先生が「文化情報」あるいは「文化情報学」をどのように考えておられたかを、川村先生の文体とともにお伝え

したかったからです。川村先生の「文化情報」の定義を、私なりに敷衍するならば、次のようになるでしょう。

私(=森村)は、『異文化』から川村先生の文章の一部を、この企画紹介文の中に引用しました。そうすることによって、その文章は、新しい

文章の書き手である私によって編集されて、別の意味を持ち始めます。というのも、川村先生の「巻頭言」はもっと長く、複雑に入り組んでおり、

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様々なテーマを縦横無尽に横断し、学問的な領域を越境していますが、私の引用から、そうした内容を知ることができなくなるからです。私

という「文化情報」の編集者は、先生の「巻頭言」の一部の文章から「文化情報」という言葉を選び出し、それが書かれている箇所を特化す

るために、全体の文章を改変し(具体的にいえば、省略を行ない)、組み替え(/を用いて段落を結合させ)、私の文章の中に引用し、私の書

いた他の文章と接合/節合させたのです。確かに、引用された文章は、川村先生の文章でありながら、もはや川村先生「だけ」のものではな

くなります。ここで重要なのは、私が実際に「編集」という作業を通じて、川村先生の文章を「文化情報」として扱い、別の「文化情報」と

して発信しているということなのです。

  しかし注意しなければならないのは、本来の川村先生が「巻頭言」で書かれていた「原水爆」や「原子力」、さらには「放射能」の問題や、「放射能」

の恐怖から生みだされた映画の『ゴジラ』や、原子力の平和利用の格好のイメージとして流布した『鉄腕アトム』の分析はすべて割愛されてしまっ

たということです。新たな「文化情報」の編集者である私は、川村先生の文章の中から「文化情報」に関する記述のみを抽出することで、「巻

頭言」で書かれていた内容のほとんどを切り捨てたのです。つまり、これが「文化情報の編集」であり、いわゆる「文化情報の加工」なのです。

編集や加工には、新たな書き手にとって都合の悪い内容や、不必要だと判断されたコンテンツが隠蔽されたり消去されたりするということは

当たり前なのです。書き手・川村湊の文章は、読み手であり、情報の編集者でもある私によって加工・編集されるだけではありません。「文化

情報」を新しく発信する主体/情報の流通の主体としての私によって、まったく異なる「文化情報」としても発信されるのです。川村先生の「文

化情報」は、新しい「意味」を生むと同時に、本来の「巻頭言」で書かれた重要な事柄が消去され、隠蔽されて、伝達されるのです。すなわち、

「文化情報」の編集・加工とは、ある文化情報を特化するために、他の情報を切り捨て、隠蔽することを不可避的に担うともいえるのです。

  「部国際文化専攻は、国際文化学の学教育・研究を高度に発展させ院大文第化情報」という点について、二、の特別企画との関係でいえばる

ことで、グローバルに活躍できる人材を養成することを目指して、二〇〇四年度に人文科学研究科内に修士課程として設置されました。その

後、二〇〇六年度には、博士後期課程を設置するために、単独の研究科として国際文化研究科が発足しました。国際文化研究科は、表面的に

は「文化情報学」を唱ってはいませんが、異文化相関・多文化共生・多文化情報空間という三つの領域を複合的に研究するという教育目標は、

「文化情報学」の理念と多くを共有しています。しかし、私から見れば、学部や研究科の名称に「情報」という文言がないということそのものが、

ひとつの「文化情報」の加工であり、その後の国際文化学部や国際文化研究科の行く末を暗示していたといわざるをえないのです。というのも、

(6)

国際文化学部や国際文化研究科を目指す方たちや、学部成立の歴史をご存じない方たちは、「文化情報学」という概念も知ることができないか

らです。学部や研究科のカリキュラムに「文化情報学」という科目や「多文化情報空間」という領域があることを知っても、それが「文化情報学」

を学ぶひとつの場であることまで思い至ることはありません。学部名や研究科名から「情報」という言葉が消えたとき、「文化情報学」という

形も実体もなかった学問も、その名称もまた忘れられる可能性があるのです。

  三つ目の特別企画についていえば、大学院も担当されている大嶋先生が「文化情報学」について熱く語っておられます。川村先生の学部開 設の趣旨に大いに賛同された大嶋先生は、本学部にIBMから移籍されたことを幸せだったと語られ、現在の状況から「文化情報学の現在と未来」

を見据えておられます。学部や研究科の名称からは、「文化情報」という学問や研究が知られなくとも、「情報文化コース」という言葉の中に「情

報」も「文化」も書き込まれていることは重要だといわれます。

  情報学と聞けば、よくて情報科学、悪く言えば、コンピュータの上手な使い方と同義だとしか考えない浅薄な理解は別として、私たちは、

もはやネット空間を抜きに日常生活を送ることはできません。知らず知らずのうちに、私たちは、言葉や映像・動画など、様々なメディア(媒

体)を介して他者の「文化情報」を編纂し、編集し、改変し、発信しています。私たちは「多文化情報空間」の中を行き来し、リアル/バーチャ

ルという二項対立そのものがもはや「文化情報空間」の中では意味をなさない状況を生きています。

  大嶋先生は、「われわれにとって情報とは何か?」(『異文化別冊  国際文化情報学とは―その可能性と課題』、二〇一〇年)の中で、「文化情

報学のフィールドとしてのネット社会とはインターネットそのものではない」と注意を促した後、次のように言われています。

  「ュインターネットが、コンピーてタや携帯電話など複数のゲーのしネのット社会とは生活圏として現と実世界とバーチャルな文化圏ト

ウェィ装置によって接合された情報空間と考えるべきであり、このような世界を多文化情報空間と呼ぶ」。

  大嶋先生の言われることを私なりに再編集するならば、私たちが生きている世界そのものが「多文化情報空間」であり、そのなかで生きる(生

活する)こと自体が、否応なく「文化情報」の加工・編集/消去・隠蔽に関わっているということです。私たちは「文化情報」の行き交う「多

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文化情報空間」の中で一喜一憂して生活しながら、様々な「文化情報」を再編集したり、改変したりします。それと同時に、先に述べたように、

私たちは、「文化情報」の隠蔽も消去も、意図的にも無意図的にも行なってしまうのです。ちなみに大嶋先生は、先の論文の中で「ネット社会

に対する一種の危機意識をもってわれわれは文化情報という概念を必要とするのである」と述べられています。

  以上からもお分かりのように、三つの「ナラティヴ(語り)」の趣旨は、未だ実現されていない「文化情報学」という理論的実践を少しでも

顕在化させることにありました。国際文化学部も国際文化研究科も、「国際文化情報学部」という《幻》の学部の嫡出子なのです。しかし、「国

際文化情報学部」開設準備開始から二〇年近くの時間が経過しました。その間に、「国際文化情報学部」で提唱していた「文化情報学」という

言葉は、他大学で実際に実現されました。ただ、それは川村先生が創案した意味とはまったく異なる意味を持ち始めています。例えば、「文化

情報学」を学部名称として用いているのは、同志社大学と椙山女学園大学です。特に同志社大学「文化情報学部」(二〇〇五年開設)は、デー

タ処理やデータ解析を中心にした「情報(科)学」を念頭に置いているように見えます。それが端的に表れているのは、同志社大学文化情報

学部の英名“Faculty of Culture and Information Science

” で“School 。部、は名英の)設開年〇〇〇二(学ちす情化文学大園学女山椙にみな報

of Culture-Information Studies

” とは報学」という考え方あのっても、「文化情報の学情化なホっています。両校のー文ム・ページを見ると、「」

という考えは存在していないように見えます。

  いずれにせよ、時代の変化と「文化情報」の加工・編集の結果として、「文化情報学」という概念には、様々な新しい「意味」が付け加わり

つつあります。そして、「文化情報学」という学問名称もまた、ひとつの「文化情報」として、編集主体の欲望や意志に伴って、多様な文脈に

接合/節合されたり、消去・隠蔽されたりしていきます。

  『のとつの契機として、ひとつ区を切りを付けられたらと考えまひ職異う文化』編集の担当として、こし退た状況の中で、川村先生のごし

た。これまでの国際文化学部・国際文化研究科とは何であったのか、そしてこれからの国際文化学部・国際文化研究科とはどのようになるの

か、あるいはどのようになるべきなのか。一九九九年度開設メンバーのひとりとして、また二〇〇〇年『異文化』創刊号に川村先生の「巻頭言」

を頂いたとき、編集作業に司修先生、故・大石智良先生、田澤耕先生と四人で携わった私としては、川村先生のご退職にインタヴューができ

たことを喜ぶと同時に、これらのことを考える機会を設けたいと考えたのでした。そして、私の独断による三つの「ナラティヴ(語り)」を『異

文化一八』の紙面を借りて実現させて頂きました。

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  それぞれの「ナラティヴ(語り)」には、最低限の語句修正や、記憶に頼った不正確な記述、場にそぐわない発言の修正以外、ほとんど手を

加えてありません。読者の方々には、先生方の忌憚ないお考えを熟読玩味して頂き、これからの「国際文化学部」と「国際文化研究科」という「多

文化情報空間」の中で、様々な「文化情報」の編集・加工/消去・隠蔽を実践して頂けたらと思います。

(9)

特別企画   —— 大学院と学部これも異文化コミュニケーションか?

          栩木   玲子

先生   × 輿石 哲哉

先生   × 松本 悟

先生×

佐々木

一惠 先生 × 森村

  修

先生

森  村   本日はお忙しい中、ご都合をつけていただきましてありがとうございました。       このたび、「異文化」の編集の企画の中で、メールでは既にお伝えしたように、学部と大

学院の連携強化のために、学部の執行部の先生方と大学院の執行部の先生方の座談会を企

画させていただきたく、先生たちにご連絡を差し上げました。

      既に学部の企画の中で、国際文化情報学会等で院生と学部生が触れ合う瞬間はあります。

また、実際には特定のゼミ、もしくは科目の中で大学院生と学部生が交わることはあった

としても、お互いの存在を親しく感じるという形ではない。教員の中でも、大学院担当の

先生方と学部の先生方は、同じ教授会の学部の席につきいながら、当然学部教授会なもの

ですから、議論はどうしても学部の業務問題、もしくは教育問題に特化されてしまう。ま

た今度は大学院の教授会に行くと、今度は学部の先生方は当然担当ではないということか

ら一緒に議論することがない。なので、同じ仲間同士が顔を合わせていても、日常的には

お話があっても、いわゆる大学院教育に対して学部の先生方のリアリティーというのがな

かったりする部分もある。

      私が研究科長をつとめていたぐらいまでは、大学院教授会をそのまま引き続きで学部教

(10)

    授会の後にやった時代もあって、そうすると、大学院が始まると当然学部の先生方は退席される

し、大学院の教授会が始まるころには既に先生方はお疲れになっているということで適当に抜け

ていかれて、教授会が成立しないかどうかという時期もありました。十一、十二名そろえて、やっ

と教授会を成り立たせるのに七、八名委任状が出ていればいいかななどというのも苦労させられま

した。松本研究科長の時代になってからは、曜日を指定して、火曜日でなるべく早い時間帯で始

めるということが通例化して慣例化してきたというのはひとつの進歩です。そうなってくると、

今度は学部と研究科が別組織みたいな形になりかねないのかなという危惧もちょっとあったりし

ます。こうした教員間の問題も含めて学生たちにとっては大学院というのはもっと疎遠になりつ

つあるのか、もしくは大学院という組織というよりも、現実的にそこに大学院生がいるんだとい

うことがあるのに、同じ先生がもう少し専門にこだわったり、内容を少し変えたりしながら、大学院のアプローチを学部生にもちゃ

んと提供されないまま学部と大学院との関係がかわらずに来ているのかなというのが私のこの

十年、大学院にかかわってきたちょっ

とした観察です。

      そのような中で二年間研究科長をやってきましたけれども、当時も含めて研究科修士の定員割れ問題もあったので、学部生に大学

院をもう少し意識してもらいたいということで、今回こういう企画を『異文化』の中で無理やり組ませていただきました。また、執

行部の先生方にご協力をお願いできるように画策させていただきました。

      メールで四点ほど先生方にご連絡を差し上げて、ポイントとしてこのようなことが議論できたらいいな、もしくはざっくばらんに、

忌憚なきご意見をいただいて、ただ読者が学部生、院生だと意識していただいて、先生方のお言葉をナマで伝えて、メディアとして

の『異文化』をある種の広報紙として活用していただきたい。私は編集三年目になりましたけれども、『異文化』のありかたをちょっ

と変えていきたいと思っています。特に私は紙ベースのメディアが好きなものですから、ウエブもいいかもしれないけれど、雑誌はもっ

と重要だと思っています。だから、できれば、なるべく手にとって読んでもらえる、ごみ箱にぽんと捨てたり、もしくは本棚に入れて、

引っ越すときに捨てられていくのは嫌だなと思っています。だから魅力のある――松本先生や佐々木先生からも十年もつような記事

森村 先生

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にしていただければというメールもいただいておりますので――雑誌にしたい私も両先生と同じ気持ちでのぞんでいます。その上で

今回の企画に関して先生方のご意見を伺えたらと思っています。ぜひよろしくお願いいたします。

      まず第一点目は、大学院で先生方がどのようなことを経験されて、学部とは何が違った、もしくは何がおもしろかった、何がつらかっ

た、何が面倒くさかった等々、大学院をまず知らない学生たちに向けて、先生方の経験談を踏まえて自己紹介をお願いできればと思っ

ています。

      二つ目が、学部の教育からみて、大学院国際文化研究科に対してどのようなご要望があって、どのような教育や制度があったらもっ

と学生たちを勧めるのになとか、推薦できるのになという点があったら仰ってください。栩木先生は現在、大学院をご担当されてい

ないですけれども、逆に大学院外からみえるもので構わないので、大学院教育に期待するものなどがあったら、ぜひお伝えいただけ

ればと思っています。

      三つ目は、今度は逆に、大学院側から学部生に対してこういうことができるんだよとか、こういうことは、さすがにできないんだ

よとか、そもそも大学院ってこういう場所だけど、もっと新しい二十一世紀型の大学院、自分たちが受けていた時代の大学院とはま

た違った大学院のあり方ってあるかもしれないから、こんなことを考えていたり進めていきたいと思っているんだということを、大

学院を担当されている先生、研究科長、副専攻主任の先生方から、大学院からみて学部生に対してメッセージなり、こんなこと、あ

んなことをお伝えできるようなお話をお願いしたいと思っています。

      四つ目が、重要な問題として、どうしたら学内の進学者だけじゃなく、学部の進学者を大学院に押し込めていき、大学院としてそ

の出口へどうやって進めていくか、もしくは何人かの学生は学部を卒業し、就職して戻ってくる子たちもいる。代表的なのは、一期

生の月野楓子さんという個人名がとっさに出ますが、そうした人たちもいて、一回外に出たんだけど、もう少し勉強してみたいなとか、

マスターで出たが、博士号をとってみたいなとか、研究職にもう一回復帰してみたいなとか、戻ってくるような卒業生たちに対して

でもいい。とにかく大学院っていうところだということを学部生に対して、もう少し情報をお伝えできたらなと思っています。その

中で学部進学者に対しても、自分は学部を卒業していくけれども、大学院を視野に入れてもらって、大学院の魅力というものがある

んだよということをそういう学生たちに伝えていきたいと思っています。

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      もう一つは、先ほどもちょっといいましたように、外国人留学生に対してのアプローチ。今、学部でも留学生の入試が始まりまし

たけれども、今後もう少しふえていくのか、どういう形になっていくのか、先のことを見越していくことは難しいかもしれません。

留学生問題とか対策というと何か嫌っている響きがあります。やはりそれなりの受け皿、日本語教育の問題等、大学院の現場でも相

当ぶつかっています。修士論文を書かせるという段階で、そもそも日本語の問題にぶち当たってきている現実がある。それでは学部

ではどうなのか、もしくはこれからはグローバル人材という問題も含めて、今度はこちら側が海外留学していくということも踏まえて、

海外――今、海外という言い方は古いかもしれないですけれども。国際文化学部を出た後、海外の会社なりNPO、NGOなりに就

職したいという学生をある程度学部側が押し込んでいこうという動きもあって、一期生から五期生ぐらいまでの間、私が国際交流セ

ンターまで言って就職説明会に参加して、お給料の問題であるとか、募集人数などの確認をしたりして、現場の人たちからお話を聞

いてきたこともありました。当時は、担当の方から、給料は低いし、仕事はきついしという話ばかりもらっていた時代だった。

      でも、海外で活躍できる人材を育てるという他大学、他学部でもやらなかったこととして国際文化が九九年に立ち上がって、二○

○三年三月に卒業するときには、学生の就職先の一つとして考えてもらいたいという思いもあって、海外を視野に入れた学生たちを

集めていこうと思っていたのもありました。私の印象ですが、最近はだんだん内向きといっては変ですが、三・一一があったり、IS(イ

スラム国)があったりということが影響しているのかもしれないけれど、学生がなんとなくこぢんまりとしてきた感じがみえてきて、

ちょっと残念な部分もある。

      留学してくる学生たちを迎える側と、留学させるというか、外に押し出していくということ、中でも国際文化学部や研究科がそれ

らの学生にとってどういう位置づけになるかということについてご意見があったらいいなと思っています。大体こういう趣旨で二時

間弱のあいだおつき合いいただけたらと思います。よろしくお願いいたします。

      では、早速第一点目から、順番も決めていないので、誰かが口火を切っていただければ。ご自身の経験で大学院その他のことについて。

それでは、松本先生からお願いします。

松  本   我々、やや異質な二人が来ていると思うんです。つまり、学部を出て、一般企業で働いたり、その後、私はNGOにいました。私

(13)

は十年に一度大学院に戻ってきていましたので、二十三で大学を出て、三十五で修士を終え、四十七で博士を書いている。十二年周

期で大学院に戻ってきている。

      そういう意味からいくと、今の一般的な学部生の進路の話には適切ではないかもしれませんが、私は大学時代、大学が大嫌いで、

勉強は何の意味もないと思っていた人間が、なぜ大学院で勉強したのかという話になるかと思うんですけど、考えることが中心だっ

たことに尽きると思います。学部のときは、正直いって授業なんか出ないでも、教科書を読んでテストを受ければ単位はとれましたし、

成績なんて何の意味もない時代でしたから、そういう意味では、大学時代はほとんど別のことをして過ごしましたが、大学院に来て

本当にいいなと思ったのは、まず第一に、考えることが中心である。つまり、それはみんなで集まって、その場にいなきゃできない

こと、自分一人で本を読んで何か解決ができるものではなかったという意味で大学院はすごいよかったなと思いますね。

      二つ目は、集まってくる人たちです。私の学部時代を反省すれば、要するに単位のために来ているわけではないということです。

みんなそこで学びたいことがある。学んで議論して、その結果が単位であり、最終的に学位につながる。そういう意味では、学びた

い者たちが集まっているので、刺激を受けることができる、新しい発見も多いというのは大学院のすごいいいところかなと思いますね。

      三つ目は、教員との距離です。学部のときは、私は教員をほとんど知らなかった。もちろん名前は知っていますが、気軽に声をか

けられるような先生はただの一人もいませんでした。大学院に行けば、廊下ですれ違えば名前で呼び合い、もちろん留学のときは特

にそうですけれども、教員との距離が違い分、いろんな相談もできましたし、いろんな学びも

できたし、わからなかったら先生のところに行って、しつこいぐらい話を聞くことで自分の考

えなり、知力なりもつきましたから、そういう意味では、大学院というのは学部とは相当違う

んじゃないかと思います。

森  村   ありがとうございます。では、佐々木先生、お願いいたします。 佐々木   松本先生のようなまとまった話ができなくて、どうしようかと思って、ではちょっとまねっ

こをして。

      私も就職して、そして大学院に行ったんですけれども、私の場合は雇用機会均等法第一世代

松本 先生

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で、ようやく女性も男性と同じように働けるようになった、法律が通ったということで長期系の銀行に入ったのですが、そこで直面

したのは、よくいわれる話ですけれども、法律が変わったからといって、企業文化が一夜で変わるわけはないということです。男性

のお仕事、女性のお仕事と分かれたところに、男性のお仕事をする人が入ったよみたいな。なので、では両方やってねということで、

女性は二つの仕事をやるんで、大変でした。

      そんな状況で、初めてこれって何と。男女平等雇用法が通って、それで入ってきたのに、法律って何の意味があったのということで、

ちょうどそのころ、ジェンダーという言葉がちまたに飛び交うようになっていて、「ジェンダー、これ何?」というのがあって、こう

いう考え方があるんだねというものをみていくうちに、松本先生と同じですけれども、これをちゃんと勉強してみようかなというと

ころでもう一回戻っていったわけなんで、だから、この二人は余り参考にならないかと。

      それで、大学院に入って思ったのは、松本先生と同じように、先生との距離が近い、そして何もよりも学んだのは、周りとの切磋

琢磨というか、同じ釜の飯を食うというか、お互いそういう感じで今に至るというか、運命共同体のような。今でもそんな感じで、

家族ぐるみでつき合っているし、そんな状況でやっている。そういった人たちと一緒に育ってきたという本当にすごい強いきずなだし、

いまだにお互い知的刺激というか、自分が書いた論文とか、向こうが書いた論文を送ってきて、お互い色々いえる環境、あの人間関係、

裸でお互いつきあってきたので、そういったのができる場が大学院だったかなという気がします。

      あと、当時は今と大学院の位置づけが違って、大学院に行くのは、一般的なきらきら社会を一旦あきらめたというか、出家僧のような、

私が行ったところは、博士一貫なので、みんな研究者になるんだという気概、意気込みで来ていた人たちばかりだったので、世捨て

人がお互い勉強している。そこに先生が、自分たちの問いを投げかける。そうしてやっているうちに、先生ともプロレスになっちゃう。

      私の場合、海外にも留学して博士をとったんですけど、日本の大学院とは違ってました。       自分の研究というのがすごい重いんですが、私が留学したところなんかはシステマチックになっていて、歴史学者として、研究者

として、そして教育者として、その両方で立っていけるような教育だったんで、教育者の育成みたいな部分も非常にトレーニングの

中にあって、それはちょっと大きな違いです。でも、今の学生さんのためになる話は全然していないんですけど、以上です。

松  本   九○年代終わりぐらい?

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佐々木   そうですね。だからそんな感じですね。 森  村   ありがとうございます。では、学部の先生、お願いします。栩木先生、お願いいたします。 栩  木   今お二人の話を聞いていて、ロマンチックだなと思いました。       というのは、私はもう少し現実的かつ即物的で、佐々木先生のお話にリンクさせると、私たちは均等法以前だったんです。ですので、

学部を卒業した段階で、私は日本の企業に女性として働くことを全く考えていませんでした。既に、翻訳を始めていたので、それを

進めたかったんですが、お師匠さんに、ひとり立ちして食べていくにはまだまだだと。それであれば、どこかに所属しておいたほう

がいいと、これまた現実的なアドバイスを受けました。

      学部の延長線上に大学院がありまして、私の学部と大学院はかなり密接に結びついていました。学部のころから大学院の先輩たち

と一緒に読書会をしていたことで、比較的自然に修士へ上がり、修士に上がった段階で翻訳で自立できるかと思ったら、やっぱりで

きなくて、でも、そのころには研究におもしろみを感じていたので、博士に進むという形でした。

      教員の多くは聖職者だったので、今から思うと環境としては少し特殊でした。ではどんな知的刺激があったかというと、学部のと

きと変わらず、やはり先輩たちとの読書会がすごくおもしろかったです。学部のときから博士の後期課程の方々と一緒に本を読んで、

ああでもない、こうでもないというふうに話したりしていましたので、学部と大学院教育の断絶はそれほどなかったように思います。

     学部も自由好き勝手にやりましたが、大学院でも自由好き勝手にやりましたし、総じて四年プラ

ス二年プラス三年、計九年、学部のころも含めて楽しかったです。

松  本   最後はロマンティサイズされましたね。 栩  木   いや、全然ロマンチックじゃありません。おもしろかったというだけです。 森  村   でも、おもしろかったということはいいことじゃないですか。 栩  木   それ、ロマンティサイズってそんな極端じゃないでしょう(笑い)。

森  村   ありがとうございました。では、輿石先生。 輿  石   僕の場合は、もともとが田舎の出身で、小さいころから英語が好きで、洋楽が結構好きだっ

佐々木 先生

(16)

たんで、英語をやりたいなと思っていたんですけど、英語が好きであっても、当時、番組もないし、FENなんて山梨は入らなかっ

たんです。そんなこともあって、英語を勉強したいと思っていて、大学は英語を専門にやるところを選びました。

      ただ、僕が大学でおもしろかったなとと思うのは、今、学部長がおっしゃったような読書会というのがあって、目が開かれたとい

うことと、僕らの大学は先生がとても親身な先生で「輿石おごってやるよ」、なんてお呼びがかかったりして、とにかくよくかわいがっ

てくれたんです。一年のころから、そういった形で研究室にお邪魔していたところもあって、とても距離が近かったと思うんです。でも、

そのときは近かったんですが、だんだん遠くなるんです。大学院に行くと、今までうんと近かった先生が、こんなにすごい人なのか

というのがわかって怖くなってくるということはありました。

      大学はそんな感じだったんですけれども、大学院で本当に自分の中心であったのは、好きなことをやっていきたいと。一回しかな

い人生だとよくみんないうんですけれども、僕は本当に好きなことをやらせてもらったほうだと思うんです。だから、自分は英語が

好きだったら英語でいこうと。ところが、英語が本当にできる仲間は、本当に数多くて参りました。でもおもしろいことに、そうい

う人たちは大体英語学をやらなくなる。僕なんかはたまたま続けていただけなんですけれども、大学院に入ることができた。大学院

に入ったら、今度はおもしろいことに、他言語の先輩方とつき合うことが出てくる。そうすると、フランス語の人とか、ドイツ語の

人とかと仲間になることで目が開かれていく。

      大学院に行ったら、普通二年だけど、輿石は八年ぐらいいてもらおうなんていわれて、実際随分いたんですけれども、途中で休学

してアメリカの大学院に行きました。オハイオ州立大学というところだったんですけど、とてもおもしろくて、そこの先生がまたう

んとよくて、僕をかわいがってくれて、外国人に受けがいいたちなのか、後で残ったらといわれたこともあったんですけれども、家

庭の事情とかいろいろあって、結局帰ってきて、日本で就職しました。

      そのときに心残りに思ったのは、仲間はずっと向こうで、奨学金をもらって、その後四年、五年いて、ドクターをもらって帰って

くるのに、僕はそういうことができなかったということでした。いつか機会があったらもう一回行こうと思っていたところ、勤務し

ていた大学から、サバティカルをもらってスコットランドで一年過ごし、そこでまた素晴らしい先生方との出会いがあり、結局、僕

はそこの大学院生によわい四十でなるんです。

(17)

      アメリカだと、学会とかで自分がこのように思っているというと、相手は違うといって対決姿勢できちゃうんです。それがうんと

怖かった。ところが、スコットランドはおもしろくて、自分がこういうふうに思うと話すと、前から向って来るんじゃなくて、後ろ

に一緒にいて、サポートして、そうだね、でもこのようにしたらよくなるよというような、ある面、サポートしてくれながら、人文

的な興味みたいなのを盛り上げてくれる雰囲気があった。そんなことがあって、結局スコットランドに十年間通ってドクターをとし

ました。そのときの先生が、これは本にしないとだめだといわれて、自分で売り込んで、いろいろなところにブックプロポーザルを

出すなんてことをやったのですが、とてもよい経験になりました。

      僕の場合、大学院というのは非常に自然な形で学部の延長にあって、さらには好きなことをやれたと

自分では思っています。

○森村   どうもありがとうございました。聞いていてうらやましいなと思いまして、私はひどかったですよ。私は法政の学部の哲学科を出

て、その後、東北大学という国立大学の大学院に行ったけれども、入ったそばから、おまえなんか来るんじゃねえというような受け

入れ方をされた。東北大学は昔からあるけれども、私立大学の哲学科生でとったのはおまえが初めてだということで、一ヵ月たったら、

私立大学というのは勉強しないのかと。私はドイツの哲学をやったもんだから、ドイツ語がこんなに読めなくてよく大学をやってい

たなと。私の師匠に当たる先生が、語学は後からやればいいといってくれたので、それが救いだったですね。

     なので、今、先生方のお話を聞いていて一番うらやましいのは、先生との距離が近いということ。大学、大学院、もしくは海外も含

めて一度も近いと思ったことがない。学部のときも定年直前の偉い先生で。日本の帝国大学なの

でという感じので、大学院に行って東北大学に進学したときも、基本的にのし状の席で、末席か

ら学部三年生、四年生、M1、M2、D1、D2、D3、助手、非常勤講師、教授、助教授と並

んで、上座に大教授の先生と客員の先生がいて、お酌をして回る。だから先生の顔をみるのも怖

いし、授業で指されて、ドイツ語をチェックされ、フランス語を文句いわれると、もう萎縮して、

半分泣きながら予習して、ドイツ語のテキストとかフランス語のテキストを読んで、当たって、

こんなこともできないのか、どうしておまえみたいなやつがいるんだというオーラがどんどん来

る中で……

栩木 先生

(18)

松  本   これ、大学院に学生をふやそうという企画でしたよね(笑い)。

森  村   すみません、陰惨な過去を思い出した。 松  本   もう来ないほうがいいよみたいな企画かと一瞬思ったんですけど(笑い)。

森  村   だから、うらやましいなと思って……すみませんでした。話がずれちゃった。 栩  木   今は変わっているから。 輿  石   そう、今は違っていると思います。 森  村   今は違ったんですよねという話の前に、昔話がすごいうらやましいなと思って。 栩  木   私は距離がありましたよ。 森  村   世代が近いから。 松  本   博士のときなんて、自分の教員が本を出すんで、そのドラフトを学生たちに読ませてコメントをもらって、それを全部ちゃんと聞

いて、なるほどそういうことがあるかといって、先生が学生に自分のドラフトを配って、コメントさせて、それを反映させて本にし

てくれて、謝辞に学生の名前を書くんですよ。それは個別に違いがあるし、それを……

森  村   すばらしいですよね。辞典をつくるから項目を選べというと、いろんな本から項目だけ選んで、バイト代は本一冊(笑い)。

松  本   僕もまねしてやっていますよ。本の一章を書くときには、うちの学部のゼミ生に渡して、みんなでたたき合いしてもらって。 森  村   俺も三十年後に院生になればよかった(笑い)。すみません。話の趣旨がずれちゃいました。戻します。学生との距離を確保しよう

と思って私はやっているつもりだったんですけど。どうもありがとうございました。愚痴になる前にテーマを変えていきたいと思い

ます。

      今、先生方が教員との距離という話があったり、私も読書会というのはすごくいいなと思っていて、一番勉強したのは、そして一

番修行させていただいたのは、当時の助手という制度と、ドクターとか非常勤の先生たちが自分たちのために、そうやっていろんな

形で研究を手助けしてくれる、論文を書くのをある程度サポートしてくれる。どちらかというと、院生の文化みたいなものが、大学

院ですごくいいものがあるんじゃないかと私はどこかで思っていて、いっとき、国際文化ができる前にいろんなところにかかわった

輿石 先生

(19)

ので、何とか院生同士が専攻室の中で、読書会でもいいから同じテーマで何か勉強会をするとかというのを誰か企画して、動き始め

たらいいなと思って幾つか仕掛けたんですけど、やはりなかなか時間が合わないとか。国際文化のいいところと悪いところであるテー

マの広さというか、専門性という問題を二つ目のテーマの、研究の大学院というと、先ほどのお話の中にあったような、何となく研

究者養成というところから、佐々木先生のお話にも少しあった、だんだん教育者、その後に出てくるのは、博士から出てからになっちゃ

うかもしれないが、自分の専門性じゃなく、もう少し別の角度みたいなもの。いろんな人たちと出会っていく中で、いろんな専門の

先生がいらっしゃる学部、もしくは大学院へと行く中で、もう少しこうしたら学部側から――先生は皆さん学部の先生でもいらっしゃ

るので、大学院にこういう形でもっていけばおもしろくなるのになとか、学部のこういう授業をもう少しうまく使いながら、大学院

なり研究に仕向けていけたらいいなとか、ご自身の学部教育という立場から大学院に期待するものという話をお話しいただけたらと

思うんです。では、今度は学部の先生から何か。では、輿石先生から。

輿  石   学部の教育というのは、これは最小限マスターしてほしいというのをもうちょっと明確にするようなことがあってもいいのかなと

思うんです。うちも教職の資格を出しているんだけれども、それには例えば発音記号みたいなのは知っていたほうがいいと僕も思う

んです。でも、学部だと学生によっては三年次までやっていないことが結構あるんです。ですから、これだけは知っておいてほしい

とか、そういったことを明確にしていく中で、自分の興味が出てくれば、その後続けられるようにしていくということなのかなと僕

は思っています。

森  村   では、栩木先生、お願いいたします。 栩  木   この中で、唯一私だけ大学院とかかわりを直接的にはもっていないんで、その立場からいいますと、見える化をもっとしていただ

ければと思うんです。教員でさえも、大学院で何が起こっているのか全くわかりません。そうすると、学部生はなおのこと、わから

ないのではないでしょうか。ですので、もう少し見えるような形で、パンフレットや、ネットなどを活用して、もっと具体性をもっ

た形で伝えるようにしてはどうかと、ずっと思っていました。

      そのいい機会となるのが国際文化情報学会で、二年ぐらい前か、学会を開く段階から大学院と学部の学生たちが一緒になって企画

立案するようになりました。さらに学会の実施のところでももっと交わりがあっていいのですが、なかなか笛吹けどもというところ

(20)

があるのかなと。なので、まずは見えていくと、もっと興味はかき立てられるような気がします。 森  村   ちょっと変な話ですけど、教員の先生方で大学院をもちたがらない先生がいらっしゃるやに伺っている部分もあって、そのときに

みえている先生方は、大学院はちょっとというその辺の何かってあるんでしょうかね。つまり、私も研究科をやっていながら、学生

たちにどうアプローチすればいいのか、何をこちら側に求められているかわからないときがある。見せればちゃんと反応してくださ

るのか、何か欲しいものを提供すればこちら側をちゃんとみてくれるのかなという。

栩  木   見せる化、見える化というのは、まずは初めの一歩でしょうね。それがなければなかなか始まらないというところはあるかと思う

んです。では、その先どうするかというのは、一歩ずつ進めていくしかないような気がします。

森  村   ありがとうございます。では、佐々木先生。 佐々木   学生の話を聞いていると、卒論を書いた段階になって、ああ、もうちょっと勉強したかったと卒業する前にいう。もちろん大方の

理由は金銭的な理由です。これだけ学費を出してもらって、この先、大学院なんてとてもいえないと。

      例えばですけれども、制度としては五年制があるわけで、一回卒論を書いて、それをもう一段階高めた修論にしていくといったも

のも学生にみせていけば、あと一年授業料、しかも大学院に行くと安い。それを払えば、自分がちょっともやもやとしたものを解決して、

      修士を出て、就職活動してというルートもみせていけるんじゃないかなと思いました。       それは卒論を書いて初めてわかることなので、学部の今まで卒論が必修だった時代があったんですけれども、それが一旦停止になっ

て、卒論がどれぐらいの数書かれているかというところにもよると思うんですけれども……

栩  木   卒論必修の時代ってあったんだっけ。 森  村   あります。一年だけ。 栩  木   何年。 森  村   一期生の一年だけです。二期生、二○○三年度から一教(第一教養部:国際文化学部の前身)の先生方が入ってきて、それでカリキュ

ラム改革を起こしてしまったので。

輿  石   そのときは何か理由があって?

(21)

佐々木   改編だから。       卒論を書く学生をふやすのも一つのつなげていくところで、もちろん映像とか美術とかありますので、必修化というのは非常に難

しいと思いますけど、卒業研究を何らかの形で出していく数をふやせば、少しつながってくるかなという気はしますというのが感想

です。

森  村   ありがとうございます。今のは大きい問題なので、また時間をとりたいと思います。松本先生、お願いいたします。 松  本   ここの質問ってそれが狙いだった? 森  村   そうです。 松  本   私自身が学部のときに大学院を全く考えていなかったので、考えられなかった人間からいくと、基本的には大学院はみんな行くと

ころではないと思っているんです。つまり、私たちの国際文化研究科だって定員十五人ですから、そもそも二八○人ぐらいいる学部

生の中で、もちろん十五人を全部それで埋めるはずもなく、それを考えれば、一握りの人たちのためのものであることは確かだと思

うんです。そこは向き不向きからいけば、そんなに大学院に行く必要のない人たちが大層を占める、これはまず大前提だと思うんです。

ですから、一番重要なのは、大学院に行ったらもっと意味があったかもしれない人たちがもし行っていないとするならば、そこは考

えなきゃいけないねということだと思うんです。

      そうすると、例えば私のゼミであれば、もちろん全員必ず書きでやりますし、私は自分の授業でも、今度説明会があって、大学院

とはこういうところで、こういうことを考えている人は大学院に行くことを検討ぐらいはしてみてもいいんじゃないのというのをや

るんです。誰がこの情報を必要としているのかわかりませんから、さっき栩木先生が話してくださったように、まずはアウトリーチ

というか存在そのものを伝え、そこへ行くと何ができるのか、しかもそれも多様ですので、先ほど我々の世代で、学部から大学院に

上がった先生方が考えている大学院と現在の大学院はおおよそ違いますし、私も輿石先生と同じで四十近くになって日本の博士課程

に来ましたから、二○○四年のときからさらに七年いましたから、日本の大学院って全然違うと思います。ですから、今の大学院の

姿や役割を学部生の人たちにちゃんと伝えることがとても大事なことだと思いますし、できるところから始めるとなれば、大学院を

出ていろいろ考えられた先生方で、ゼミで卒論をなるべく課している先生方からでもいいと思うので、その先生方が大学院を語って

(22)

いただくことは一つ大きいと思いますし、重要なことかなと思います。       もちろん知らせるということはちゃんとしなきゃいけないので、研究科長という立場からいくと、学部生に、こういうところだか

ら来てみたらといえる研究科である必要があり、研究内容である必要があると思います。私は来てまだ五年しかたっていませんけど、

内容を何とかちゃんとした修士論文の作成までの過程を胸を張っていえるものにするのが我々研究科にいる側の仕事だと思います、

だから、アウトリーチしにくいのは、実はちょっと自信がないからじゃないかなと思うんです。本当に心から自分たちが所属してい

る研究科を学部生にお勧めできるかどうかという――これ、「異文化」に書けるかどうか知りませんが、その悩みがあるからこそ、きっ

とアウトリーチが難しいんですよね。ただいうだけなのにできないというのは、多分そこのところだと思うんで、本質的には研究科

の研究の質なり学びの質を高めることが、我々の口から研究科においでよということをつくると思うんで、研究科にいる側からすると、

やはり基本的なところをやらないとまずいのかなと思います。

佐々木   今回、田島さんの博士論文を審査させてもらって、こんな論文も書ける大学院なんだと思ってちょっと自信がつきました。 森  村   今、松本先生がいわれたことが大学院側からのある一つの真実かもしれないと思っていて、人数が少ないからがっちりできるかと

いうと、そうでもなくてというのが現実にあって、たまたま田島さんの名前が出たので、ここにタイムキーパーとしていてもらった

のも、彼女の場合、二○○八年にマスターに入ってきて、外部進学者だったんですけれども、休学一年挟んで七年在籍して、今回う

まく博士をとれれば卒業になりますが、旧世代の院生たちもみながら、自分の過ごしてきた時間の中で、大学院の内容も随分変わっ

てきたのを目撃したり、先生方がいろいろな形でかわられているのをみてきている中で、松本先生や佐々木先生がいわれたように、

自分も研究科長をやっていながら、内心じくじたるものとして、いっては悪いんですけれども、もうちょっと何かできるんじゃない

か、できたんじゃないか、やるべきなんじゃないか、もしくは大学院と学部とどう差異化していかなきゃいけないと同時に、でもやっ

ぱり学部の下支えがないと大学院って立っていかないよねという中で、そうすると、それこそここは録音できるかどうか際どい話を

すると、ある種、学部生のほうが質が高い。

栩  木   ただ、それは一般論として、ここの学部だけではないように思うんです。方々から聞きます。つまり、学部で優秀な学生は就職する。 松  本   それは昔からそうじゃない。

(23)

栩  木   分野によって違うかもしれないですけどね。 松  本   早稲田大学は少なくともそういわれていた。 佐々木   法律とかそういうところはそうだと。 森  村   法律はそうです。東北大学に入ったとき、法律は助手が大学院に残る人がいないので、みんな司法書士になったり、公務員になっ

ちゃったりするんで。

栩  木   多分、実務的な……。文学ですと、社会で全く役に立たない――実は立つんですけどね。 森  村   哲学は立たない。そういう話じゃなくて……(笑い) 栩  木   無用の用という、それがなくなったらもう危ないですよ。ですけれども、文学系ですと、本当に優秀な人は大学院に行きました。 松  本   私、経済ですからね。 森  村   だから、ここは難しいですよ。哲学科は変人しか残らない。社会でも犯罪者かそういう水準の人間か……(笑い)。

栩  木   国際文化はどうなんでしょうね。 森  村   そこがわからないので、余り一般化できないところなんです。 松  本   要するに、純粋に人文社会と言い切れない部分もあると思うんです。両方いると思いますよ。 森  村   先ほど松本先生がいわれるように、いろんな切り込み方があっていいのねという部分も考えれば、必ずしも全員に声をかける必要

はないというのが真実だろうと思うんです。だけど、その子たちに情報が届かないのはまずいだろうというのがあって、うちのゼミ

生から大学院に行きたいんだけどと。その本人は教職を目指していたので、教員採用試験を受ければ教員になるんだけれども、ただ

教員になるのか、それとも大学院に行って、もうちょっと勉強してから教員になるのかと。彼は結局東京の教員採用試験に受かって、

いつまでに答えなきゃいけないんだけど、どうしましょう。どうするのという話をしたときに、大学院に行ってみたい。夏合宿の前

の段階で、私に大学院ってどういうところですかと聞いてきたのです。そこから、大学院に夜間通いながら私立の高校、都立とか公

立の教員になるのではなくて、その高校のもっている何かにひかれて、そこの教員になりたい。そのためにも学部卒でなるよりも院

卒でなって、少し勉強して、英語のほうで行きたいと聞きました。また夏合宿のときに、まだ迷っていますという話になって、この

(24)

間の卒論を出す直前にどうするのっていったら、教員採用をやめました。ちょっと冒険で怖いんですけど、今度大学院の説明会に行っ

て、話を聞いてきて、高校は来年度の四月から非常勤でやるということだけは確保したので、無職にはならないで済みますといって

いました。その足でそのまま大学院にさえ受かれば、大学院生になっていく、二足のわらじみたいなものをちょっとやってみるんだと。

      なるほどなと思いながら、そういった子たちに、大学院ってどういうところなんですかって最初に聞かれたときに、ずっと大学院

の授業があるんだよとか、大学院でゼミがあるんだよといっていても、本人がそこにアンテナがないと、大学院って興味ない。聞こ

えてはいても、自分が大学院を考えようかなと思ったときに、やっと効果的な電波として届いてくる。山梨でもFENが聞けるぐら

いにはなってくるみたいなレベルで、受ける側がそういうレセプターをもっていると受信するのか、こちら側が声を大きくすると聞

こえてくることが、ノイズから少しは分節化して聞こえてくるのか、ちょっとそこがわからないかなと思った部分もあって、うちの

ゼミ生のお話をさせていただきました。

      先ほどの松本先生のお話の続きで、今度は大学院でという話の、まさに大学院の授業や研究の質、修論の質を上げていくというこ

との中で、三つ目のお話につなげていきたいと思っていて、今の大学院もそうだし、先ほどの松本先生のお話からすると、これから

どうするという大学院の話があるはずだろうと思っていて、まず大学院ってどんな場所という言い方は中途半端だったんですけれど

も、先ほど佐々木先生のお話にあったように、大学院がある種の教育もそこに行って、例えば田島さんの話が先ほど出ましたが、こ

の三月までは院生だったけれども、四月から学部の非常勤になります。つまり一週間、二週間の間にがらっと立場が切りかわるわけ

ですよね。そうすると、私は彼女に徹底的に博士論文指導はしてきたけど、教育指導はしていないわけです。

      そうすると、教育者としての田島先生は、どういう形で先生になっていくのかなという部分も大学院の場でどこまでできるのか、

しなければいけなかったのかということも含めると、もちろん修士で就職されていく方もいますけれども。先ほどの私のゼミ生みた

いに高校の先生によるので、ある種、教育者になっていくとなると、修士の段階で教員免許とれますよといっても、その中には別段

授業の仕方であるとかというのは教えない。もちろん、教育実習に行くからというのもありますが、学部の実習ではなくて、大学院

の中で教育者になっていく子たちも少ないけれどもいる、もしくは研究者になる人もいれば、修士で卒業して普通に仕事される方も

いるし、博士まで行ったけど、博士号をとらずに仕事に戻られる人たちもいる中で、大学院って何ができて、何ができないのか、そ

(25)

して大学院の教員として何ができて、何ができないのか、もしくはご担当ではない栩木先生のような場合において、何をしてもらい

たい、もしくは何ができたらもっと大学院って学部生に対してもっとプロモーションできるのかみたいなお話をいただけたらと、三

つ目のほうに議論を移させていただきたいんですけれども。

      今度はランダムにいきたいと思いますが、佐々木先生から。 佐々木   うちのような研究科は、分野がばらばらなので、これもできますよ、教職もやりますよ、こういうキャリアパスの人もできますよ

とかたくさんやっちゃうと、何でもありで崩壊してしまうんじゃないかというか。何でもできますよといっちゃうと、何か特色がな

くなってしまうような気もしていて、いろいろ意見が分かれるところだとは思うんです。

      先ほど松本先生もいったように、学術としての質のある修士論文をちゃんと書いて出ていくところだよ、そこを外したらもう何も

ない――何もないといっちゃうと語弊があるんだけど、分野が情報だったり、文学だったり、国際○○だったりするわけで、ただで

さえ分野が多岐なところで、目的まで多様化しちゃうと本当に収拾がつかなくなっちゃうので、ある程度のレベルのある修士論文、

レベルのある博士論文を書くところななんだと、それは私も声をかけた学生にはいっているんです。先輩たちが卒論を書いてすごい

と思っているでしょう。あれをもう一段階、二倍の字数でしっかり学術的なものを書いて出ていくところなのよという説明をしてい

ます。

      いろいろなご意見があると思うんですけど、私自身はきちっとした研究論文を書いて出るところとは考えています。個人的な意見

として。

森  村   ありがとうございます。では、輿石先生。 輿  石   個人的には二点あります。まず一点目は、大学院というのは、徹底的に考えて、読んで、書くということをやるところではないか

ということです。二点目は、大学院は学生個人の研究をまず優先して考えていくところだということだと思います。どうしても学部

だと、ゼミでも個人の卒論になかなかつながらないことが多く、学生もクラブの乗りでグループワークをするのがみんな大好きなん

です。何かもたれ合っているようなところがあるのですが、むしろそうではなくて、個人で、自分一人で立っていくんだというよう

なところが大学院なのかなと思います。

参照

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