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日本におけるクラシック音楽の歴史と現状 金城ふみ子 目次 Ⅰ. 研究の背景 狙い 方法 1. 研究の背景と狙い 2. 研究の方法 Ⅱ. 日本への西洋音楽の流入と変遷 3. 西洋音楽と軍楽隊 4. 東京音楽学校の創立と教育 Ⅲ. クラッシック音楽の供給の状況 5. 日本の主なコンサート ホール 6.

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日本におけるクラシック音楽の歴史と現状

金城 ふみ子 目次 Ⅰ.研究の背景・狙い・方法 1.研究の背景と狙い 2.研究の方法 Ⅱ.日本への西洋音楽の流入と変遷 3.西洋音楽と軍楽隊 4.東京音楽学校の創立と教育 Ⅲ.クラッシック音楽の供給の状況 5.日本の主なコンサート・ホール 6.管弦楽団と活動 7.コンサートの担い手 Ⅳ.クラッシック音楽の鑑賞の状況 8.学校教育でのクラッシック音楽 9.生演奏による鑑賞 10.録音録画による鑑賞 V.生活の中のクラッシック音楽 11.クラッシック音楽の利用・引用 12.人生とクラッシック音楽 Ⅵ.クラッシック音楽の定着状況についての考察 13.クラッシック音楽の鑑賞率 14.日本文化とクラッシック音楽 15. クラッシック音楽の定着状況の判定 Ⅶ.結論:クラッシック音楽の日本での定着状況

Ⅰ.研究の背景・狙い・方法

1.研究の背景と狙い 日本に西欧のあらゆる文物文明とともにクラッシック音楽が流入してきたのは,江戸末 期のいわゆる黒船来航以降のことである.明治時代, 1887 年には音楽教育専門の東京音楽

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学校ができ,ドイツ人などの音楽の専門家が「お雇い外国人」として来日して指導に当た った.義務教育での音楽の授業や,様々なルートを通じて庶民の間にも普及していき,銀 座にピアノ店ができた.1927 年には新交響楽団(NHK 交響楽団の前身)が設立された. 第二次世界大戦後には世界に影響を与える日本人作の「クラッシック音楽」が作られ,世 界で活躍する日本人の指揮者や歌手も登場した.バブル期の経済成長に伴い,コンサート・ ホールなども多数創設された. 2020 年の東京では一年を通して多数のクラッシック音楽のコンサートが行われている. しかし,クラッシック音楽のコンサートでは,若い世代の聴衆をあまり見かけない.日本 のクラッシック音楽の需給状況は,どうなっているのであろうか.地方の小都市では,ク ラッシック音楽のコンサートはどのくらい行われているのであろうか.クラッシック音楽 は,日本の文化の一部として,生活の中にどこまで入り込んでいるのであろうか.オーケ ストラ楽団は活動を持続していけるだけの聴衆を今後も確保できるのであろうか. 本研究では,様々な先行研究や文献を援用してクラシック音楽の日本への流入と受け入 れの歴史を日本の近代化(西欧化)の流れの中で捉え,その上で,文化統計研究会で行わ れてきた舞台演奏芸術についての調査結果や様々な討論から得られた知見を基に,クラッ シック音楽の現状を需給状況や日常生活への浸透状況から検討する.最終的に,クラッシ ック音楽が日本社会にどこまで,どのように根付いているかについて考察する. 2.研究の方法 2.1 章立て まず,第Ⅱ章では,日本へのクラッシック音楽の流入と変遷について概観する. 次に,第Ⅲ章では,クラッシック音楽の供給状況について,コンサート・ホール,日本 の主な管弦楽団およびアマチュア楽団の変遷と活動,コンサートの担い手である作曲家・ 指揮者・演奏家について,その状況を把握する. 続いて第Ⅳ章ではクラッシック音楽の鑑賞状況について,学校教育でのクラッシック音 楽の位置付けや教育効果について考える.次に,生演奏での鑑賞の機会について,コンサ ートや音楽祭の上演状況およびコンクールについて検討する.また,クラッシック音楽フ ァンの音楽の好みを探り,実際に行われているコンサートのプログラム内容と比較をする. さらに,様々な媒体による録音録画でのる鑑賞についても検討する.また,クラッシック 音楽がコンサート以外でどのように利用されたり,引用されたりしているかを探る. 次に,第V章では,クラッシック音楽が生活にどのように関わっているかを検討する. そのうえで,以上で判ったことから,第Ⅵ章では,クラッシック音楽の定着状況について, 文化統計研究会が 20 年間に 5 回行ってきた学生調査の結果などの統計データから鑑賞率, 日本の古典音楽と西欧のクラッシック音楽との比較,芸術文化政策に関する意見について 考察する.最後に日本におけるクラッシック音楽の定着状況について考察する.

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2.2 クラッシック音楽の定着状況の判定項目 クラッシック音楽の演奏会が成立するために最低限必要なのは,実演者(音楽家)・実演 団体(オーケストラ楽団),聴衆,会場(コンサートホール),資金(パトロン)である. さらに,安定したコンサートの供給(開催)を維持していくには,採算がとれなければな らない.また,安定した厚い聴衆者層を持続的に獲得し続ける必要がある.実演者側も聴 衆者側もどちらも後進の育成も図る必要がある. これらの最低必要条件が日本社会にあるかを判定するには,基準が必要となる.そこで 本研究では,クラッシック音楽の現状を判定するための基準として, (1)公演会場・練習 場,(2)公演主体(プロ・アマの実演家/実演団体),(3)プログラムの内容と公演頻度,(4) 安定した厚い聴衆の形成,(5)クラッシック音楽の利用,(6) 音楽家・聴衆の育成,(7) 情 報・資料の整備と利用,(8)国や地方自治体の芸術文化政策,の8つの大項目を設定し,さ らにそれらの項目の実現度を探るために,次の小項目 41 をおき,第Ⅴ章でクラッシック音 楽を取り巻く現状が,これらの項目をどこまで満たしているかを検討する. (1)公演会場(コンサート・ホールと練習場) ・都会だけでなく地方の小都市にも音響設備の整ったコンサート・ホールが公演の需要 を満たすだけある. ・利便性(使用料・立地・交通の便)が高い公演会場や練習場がある. ・アマチュアの実演団体が練習や活動ができる環境が整っている. ・稽古事として子供が習う環境がある. (2)公演主体(実演家/実演団体) ・良い指揮者がいる. ・常時,良い楽団員が確保されている. ・世界で活躍する人を含むプロの音楽家(国際コンクール入賞者・ソロ活動者)が多数 いる. ・日本の実演団体や日本人実演家による公演が多い. ・様々な形の経済的支援がある.(パトロンの存在) ・実演家の人々の待遇が良く,経済的に安心して音楽活動に専心できる. ・実演家や実演団体にはプロだけでなくアマチュアもいる. ・学校教育・学校クラブないしは地域の団体で演奏できる. ・趣味として演奏する人(アマチュア)がいる. (3)プログラムの内容と公演回数 ・日本人の作った曲や日本文化を反映した曲が多数あり,演奏されている. ・プログラムにバラエティがある.(偏りがない) ・定期演奏会制度があり,年に必ず何回かの公演が行われる.

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・日本のどの地域でも内外の演奏団体やプロの演奏を聴く機会が多数ある. ・人々がハミングで歌えるほど馴染みのある曲が多数ある. (4)厚い安定した聴衆層の形成 ・普通に働いている人に,クラッシック音楽の鑑賞をする時間的,経済的な余裕がある. ・比較的安価な価格で観られる. ・チケットの予約や購入が容易である. ・公演時間が仕事や時間や終電を気にしないで済む時間帯に設定されている公演が多い. ・リピーターを増やす努力が行われている. ・生演奏だけでなく,様々な媒体による録音でも鑑賞が可能である. ・テレビ,ラジオ,ウェブサイトでもクラッシック音楽を聴くことができる.(音楽番 組の視聴) (5)後進音楽家の育成 ・学校教育の中でクラッシック音楽に関する教育が行われている. ・プロを目指す音楽家の育成のための教育制度や専門の教育機関ある. ・プロの実演家のキャリアアップのための支援制度がある. ・国際コンクールへの出場を支援する制度がある. ・良い指導者がいる. ・青少年を対象にした体験講座やワークショップなどがある. ・市民のアマチュア芸術活動の環境が整っている. (6)情報・資料 ・クラッシック音楽に関する本や雑誌,パンフレットが多数あり入手しやすい. ・過去の公演情報や動画が見られる. ・音楽資料室やアーカイブが整っていて音楽資料やデータベース利用が容易である. (7)クラッシック音楽の他分野での利用 ・ドラマや映画の BGM や,テレビの CM など生活の様々な場面でクラッシック音楽が利用 されている. ・文学作品などにも引用されている. ・産業や商品などでも使われている. (8)国や地方自治体の芸術文化政策 ・クラッシック音楽は日本の芸術文化の一部であると位置づけられている. ・クラッシック音楽に関する実態を捉えるための統計調査が行われている. ・世論調査などで社会の意見を広く集め,フィードバックが行われている. ・芸術文化の発展のために豊かな予算が用意されている.

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Ⅱ.日本への西洋音楽の流入と変遷

3.西洋音楽と軍楽隊 日本に西洋音楽が入って来たのは安土桃山時代である.イエズス会やフランシスコ会の 宣教師が来日し,キリスト教の布教を始めた.織田信長もセミナリオに西洋音楽を聴きに 行っていたという.セミナリオでは,組織だった教育が行われ,ラテン語のほかに,音楽 (讃美歌の歌唱や楽器の演奏)や美術も教えていた.そうした中で描かれたと思われる絵 画「洋人奏楽図屏風」(6 曲 1 双,重要文化財,MOA 美術館蔵)では,ハープとリュート に似た楽器を演奏している. 近代の日本に西欧音楽が最初に入ったのは,軍楽隊という形であった.薩摩藩では幕末 に起きた生麦事件(1962)から生じた薩英戦争(1963)に負けた後,英国式の軍隊に変え た.同戦いでの死者を水葬にした英国の軍楽隊の音楽を聴き,薩摩の人々はその音色に魅 せられ,英国軍楽隊長のフェントン(John William Fenton, 1831-1890)の指導を仰ぎ鼓 笛隊のメンバーを中心に 32 名の若者を軍楽伝習生とした.楽譜も読めぬところから始め, 金管楽器などを輸入して,軍楽隊を創立した.当時の写真「From Far East より Satuma Brand」が横浜美術館に残っている. 西郷隆盛が「錦の御旗」を掲げて倒幕のため西から江戸を目指して行軍したときに,先 頭には鼓笛隊が並んでいたことはドラマなどを通じてよく知られている.薩摩藩では,以 前から士気を鼓舞するための曲が薩摩琵琶で弾かれ,戦いの後の気持ちを鎮めるたまには 天吹(てんぷく)という短い縦笛が奏されるという伝統があった.そうした素地に西洋の 新しい音楽が軍楽隊という形で取り入れられたのであろう.軍楽隊で演奏された曲には行 進曲が多く,「敷島館行進曲」(瀬戸口藤吉,日本の行進曲の父)などがある4 海軍には,「軍楽通学生」という制度があった.「海軍軍楽隊が 1871 年(明治4)に発足 して 7 年後に始めた後継者養成で,初めて一般から志願者を募り,6 か月の教育期間後に適 性を判断し,正式に楽生として採用するという合理的な」方法によっていた.海軍軍楽隊 の第1期生の吉本光蔵が書いた「海軍軍楽長・吉本光蔵のベルリン留学日記 5」によると, 吉本は,1878 年(明治 11)6 月,15 歳で「第1回軍楽通学生 10 名の一人として採用され, 12 月に正式入隊している.吉本は,1899 年(明治 35)から 1902 年(明治 35)にかけて, 海軍軍楽隊からベルリンに留学している. 同じく第 2 期生の瀬戸口藤吉は,「海軍軍楽隊 員の二回目の募集に合格した瀬戸口は,明治 15 年 12 月 23 日に他の 15 名とともに入隊」 している6 音楽評論家の堀内敬三(1932)は昭和前期の海軍軍楽隊について次のように述べている. 4 「吹奏楽大国の日本」題名のない音楽会(2019 年 8 月 31 日放映) 5 http://www.lib.geidai.ac.jp/MBULL/37Tsukahara_Hirataka.pdf 6 NPO チャンネル日本「吹奏楽への足跡―海軍軍楽隊から海上自衛隊の音楽隊へ(1)」 http://www.jpsn.org/report/band/235/

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「日本の軍楽隊は皆専門教育を受けた楽手ばかりであるが楽手の待遇が下士で ある為に楽長級に出世するか或いは転業するかしないと相当の家族が養へないの で,結局樂手の主力は他兵科の下士と同年輩の若い人だけになってゐる.若し准 士官の定員を増加して樂手を他兵科の下士と同じ早さで進級せしめ,樂手のまま 準士官として勤続できるやうにして置けば演奏効果は挙がるであらうが是れは 少々無理な望みかも知れない」堀内敬三(1932)「ヂンタ興亡史」pp.90-91 追記」 なお,阿川弘之の小説『山本五十六』(1968)では,海軍では,新任の長官が初めて艦に 乗り込んだ際には,マストに長官旗を掲げ,旗艦の軍楽隊が定められた長官礼式の奏楽を 行っていると書いている7.また,連合艦隊の旗艦における母港に停泊中の食事時の様子に ついて次のように書いている. 「聯合艦隊にはしかし,ヨーロッパの動乱で何か動揺の徴が見えるというような ことは,少しも無かった.・・[中略]・・聯合艦隊司令部の食事は,朝は各自かって に,・・・[中略]・・・昼が洋式のフルコースで,スープから始まってデザートに終る, 銀の食器,フィンガー・ボールの正式のディナーである.この時,十二時五分から 三十分管,司令長官の食事中軍楽隊が後甲板で音楽を演奏する.軍楽隊の日課訓練 を兼ねてではあるが,「軍艦マーチ」などという武張ったものはあまりやらない.「春 雨」とか「越後獅子」「元禄花見おどり」,外国のポピュラー・ミュジックのような ものを演じて聞かせる.山本[五十六]は,「支那の夜」がたいへんすきだったとい うことである.司令部以外の乗組員は, 早目に昼食をすませて,後甲板へこれを聞 きに行くのがたのしみでもあり,また聯合艦隊旗艦乗組の一つの余録でもあった. もっともこれは,艦が停泊中だけの話である.夜はまた和食.・・・[中略]・・・ただ し,海軍では士官は食費を自分で払うことになっていたから,テーブルの末席につ らなる若手の司令部暗号長などは,相当にふところにこたえたそうである.昼と夜 の食事の時には,長官を中心にして原則として全員[参謀以下各幕僚,副官,暗号 長,気象長,艦隊機関長,艦隊主計長,艦隊軍医長,法務長,それから「長門」の 館長が時々同席する]が揃う.」(阿川弘之(1978)『山本五十六』p.20.) この停泊時の連合艦隊司令部の艦上における昼食のフランス料理の正餐の際に軍楽隊が食 堂(長官公室,司令官公室)の上部あたりの後甲板で演奏を行っていたことは,日露戦争 の日本海海戦を扱った映画『日本海大海戦 海行かば』(1983 年,監督舛田利雄,東映)で も描かれている. 7 p.18,上段.

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堀田善衛の自伝的小説『若き日の詩人たちの肖像』によると,昭和10 年代の俗語には「め しばん(飯伴)屋」という言葉があったそうだ 8.「ホテルや宮中などの高級晩餐会の―つ まり飯【メシ】の伴奏【バン】をする音学家たちのことをメシバン屋と呼ぶ」と呼ばれて いたと書かれている. 文化統計研究会では,原(1999)に拠って,第二次世界大戦中の連合艦隊の旗艦であった「大 和」には司令官室の詳細な記載はないとしていた.しかし,その後他の文献を調べたとこ ろ,いくつかの地図や詳細な記述が見つかったので,ここで明らかにする. 原(1999)では焼却を免れた米軍所蔵の設計図が写真で示されていたが,居住区につい ての詳細はよくわからなかった.しかし,原(2005)では,原図を復元した「軍艦大和艦内 詳細図」掲載している.原図が破損していたために不明の部分があるが,居住区(兵員室や生活 のための設備)は,上甲板,中甲板,下甲板に分散していたことがわかる.艦内の生活については,矢吹・ 南波(2012)写真がある9 一流ホテルのスウィート・ルームのような長官室は,長官寝室(A)・長官公室(B)・長 官室(C)の 3 室が続いており,公室兼食堂で長官と幕僚たちが食事をする際には(朝と夕 は和食,昼は豪華な洋食),軍楽隊の演奏付きだった10.洋食のフルコースが供された昼食 の際には,長官室近くの最上甲板で司令部付軍隊の演奏が行われた11.演奏時間は 40 分で, 曲目はバラエティに富んでいた12.昭和 17 年 8 月 16 日のプログラムは,「一 行進曲『海の 進軍』,二 円舞曲『舞踏会への招待』,三 接続曲『暁の夢』,四 行進曲『国民進軍』」であ った13.ちなみに,「大和」の長官室を最初に使用したのは,航空主兵論者であり,戦艦大 和について「役には立たないが床の間の置物に似て,それを中心に士気を高めるのには役 に立つだろう14」と言っていた,山本五十六連合艦隊司令長官であった. 陸軍にも軍楽隊があった.1912 年(大正元年)に陸軍歩兵学校が設けられ,陸軍戸山学 校(現新宿戸山公園近辺)では「軍楽生徒隊」を統括し,「乙種学生は各隊のラッパ長が対 象で,ラッパ譜の訓練を実施し,軍楽生徒は,軍楽部を志す者から選抜し教育した.」卒業 生には,団伊玖磨,芥川也寸志がいる. 芥川也寸志の自伝抄「自伝抄<歌の旅>」によると,陸軍では兵器は,第一種が銃と剣, 第二種が喇叭,第三種が軍楽器とされていた15.陸軍戸山学校(現新宿区戸山公園近辺)で は,歩兵戦技,歩兵部隊の戦術,体育,軍楽の教官育成と研究が行われていた.1912 年(大 正元年)に陸軍歩兵学校が設けられ,戸山学校では「軍楽生徒隊」を統括し,「乙種学生は 8 1968 年版,p.54 下段. 9 pp.158-159. 10 歴史群像編集部編(2009)pp.88-89. 11 太平洋戦争研究会編著(2009)p.184. 12 同上書,p.185. 13 同上書,同ページ. 14 同上書,p.178. 15 芥川(1977)『音楽の旅』p.27.

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各隊のラッパ長が対象で,ラッパ譜の訓練を実施し,軍楽生徒は,軍楽部を志す者から選 抜し教育した.」卒業生には,団伊玖磨,芥川也寸志がいる. ちなみに,軍楽隊が分列行進を行うときに使用した行進曲などの軍歌が1999 年にキング レコードから発売されている.曲目は.次のとおりである. 「分列行進曲/攻撃/大日本国歌行進曲/陸軍行進曲(上)/陸軍行進曲(下) /独立守備隊の歌/輝く国軍/昭和の子供/朝鮮国境守備隊の歌/観兵式行進曲 /青年マーチ/陸軍記念日を祝う歌/新日本陸軍の歌/行進曲「空の護り」/皇 軍の門出/凱旋/立派な兵隊/皇軍野歌/進軍野歌/露営の歌/愛馬進軍歌/暁 に祈る/「大東亜戦争陸軍の歌」(陸軍戸山学校軍楽隊演奏,コロンビア,1999 年) また「軍楽隊」「楽手」などという言葉が使われている小説が青空文庫掲載作品に6 例見つかった.ただし,陸海軍が音楽隊を養成していたことは解ったが,その規模がど のくらいであるのかが判らない.国勢調査(1920 から 1940)では,現役の軍人(軍楽 隊所属の歌舞音曲の演奏者を含む)の数表章からは除外されているからである16.1920 年当時には,独奏者と,山田耕筰のオーケストラと,三越少年音楽,宝塚少女歌劇団な どがあった程度の当時の洋楽関係者は,軍関係を除くと 100 人位であったと考えられる 17.だから当時の音楽は,ほとんど伝統音楽であったと推測できる. 4.東京音楽学校の創立と教育 1878 年(明治 11)に文部官僚であった伊澤修二は,目加田種太郎男爵と共に音楽教育の 必要性を文部大臣に上奏した.その結果,翌1879 年に日本に洋楽を含む音楽の専門機関と して音楽取調掛が置かれた.お雇い外国人の一人ルーサー・メイソン(1880-1882,米国人) により音楽教育指導が行われた.なお,音楽関係の公的養成機関としては,江戸時代初期 から雅楽を伝習する三方楽所(さんぽうがくそ)という組織があり,維新後も続いた. この音楽取調掛幸田露伴の妹の幸田延子(1870 年,明治 3 年生まれ)がいた.御茶ノ水 の師範付属の小学校に通い,唱歌のメーソン先生(アメリカ人)が,音楽取調掛の先生で もあり,土曜日の午後にピアノを習いに通った.メーソンの契約が切れて帰国するときに 才能を見込まれて音楽取調掛への入学を決めた.1883 年ころには,ピアノだけでなくヴァ イオリンを習うことも勧められた. しかし,「ピアノやオルガンなども音楽学校以外には殆んど御座いません.折角唱歌の先 16 故松田芳郎先生の報告「日本における洋楽の受容からオーケストラ音楽の形成」『統計文化研究会記録』2014 年 8 月 17 日) 17 松田,同上.

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生を作つても教へる方法が無いと云ふので,お琴や胡弓を伴奏楽器に使つて唱歌を教へら れる様にしよう,と云ふのでその研究が始まりました.お琴の絃を西洋音階に直したり, 胡弓をヴァイオリンの調子に合わせたりしてやつたのです.」 1885 年に音楽取調掛を卒業した後,さらに 4 年間研究科で勉強し,アメリカのニュー・ イングランド・コンサーベートリーという学校(ボストン)に 1 年留学し,ピアノとヴァ イオリンを学んだ.その後,ウィーンのウイーナー・コンセルヴアトリウムで 5 年ヴァイ オリンを専攻し,帰国して東京音楽学校の教師となった. この頃(幸田が教師だった頃)は,東京音楽学校奏楽堂で音楽会を開いてもなかかか客 が集まらなかった.それで,「上野の山下まで学校の職員が出向いて,聴衆を勧誘し,来て くれた聴衆には学校で,菓子包みを渡した 18」と,山田耕筰は「明治時代の音楽」に書い ている. その後,音楽取調掛は幾たびかの変遷を経て,1887 年 10 月に官立の唯一の音楽教育専 門学校として,上野に東京音楽学校(現東京芸術大学の前身)が創立され,そのコンサー ト・ホールとして旧奏楽堂が建設された.初代校長は伊澤修二文部官である.1889 年(明 治 20)東京音楽学校と改組改称され,第二次世界大戦後の 1949 年に新制大学として東京 芸術大学音楽部となり,2004 年(平成 16)国立大学法人東京藝術大学音楽部となった. 東京音楽学校創立の目的は,西欧音楽の移入であった.お雇い外国人によりドイツ音楽 中心の指導や演奏が行われた.指揮者のユンケルが壮年時に同校の教員であった頃の指導 は,生徒たちの指導の「態度の猛烈さ加減は実に創造にあまりあるものがあって,オーケ ストラの訓練などは,氏の最初の一撃で忽ちその日の練習を中止したこと 19」が卒業生の 間で長く語り草になっていたそうだ. 青春時代を大正初期に過ごした野村(1949)の回想では,京都育ちの野村が初めて上野 で音楽会を楽しむようになったのは,グスタフ・クローンが指揮をしていた時代であった20 クローンの第一次世界大戦後に帰国するまでの在職期間は長かった.東京音楽学校の内は もとより,外でもドイツ音楽への信奉は根強く,同学校の外国人指揮者は神のように崇拝 されていた. 「氏の統率下に於ける活躍が上野管弦楽団の最も華やかかりし頃 <中略>その絶頂は 例のベートーヴェン第九交響曲の本邦初演の時であった.氏の本職はヴァイオリン [ママ]であった.時折シュルツ氏の伴奏などで独奏をやったこともあるが,氏の音や 奏法は旧時代のドイツ丸だしの荒っぽいものだったように記憶している.クローン 氏が提琴【ヴァイオリン】科の最重要な椅子に就いていた間,上野の提琴は全部斯 ういう粗野な,重厚な奏法を用いていたし,又,バッハやベートーヴェンの楽曲も 18 未刊随想Ⅱ(毎日新聞掲載「楽人十話」の断章10 篇の一つ.1962 年 10 月 3 日.『山田耕筰著作全集2』 岩波書店,p.651 上段. 19 野村(1949)pp.49-50. 20 「上野奏楽堂の思い出」p.47.

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そういう調子で弾奏されていた.序に,吾が国提琴奏法や提琴曲の演奏様式が,こ の旧時代のドイツ式を打破して,もっと澄んだ軽い音と洗練された様式のものとな ったのは,明らかにその後に於けるモギレフスキー氏の来朝と氏の吾が国への定住 に伴う教授に俟ったのである.斯様な意味でクローン氏からモギレフスキー氏への 変転は,吾が提琴演奏発達史に於ける一大転換期であったと言わねばなるまい.」 (野村光一(1949)「四,上野奏楽堂の想い出」『音楽青春物語』pp.47-48.) 東京音楽学校では管奏者が不足していた.そのため,外部の海軍軍楽隊に頼らざるを得 なかったので,結果として,同校における管楽器奏者の養成は弱くなっていた.また,養 成した奏者たちは民間の楽団に流れていった. 第二次世界大戦後のことで,時代が少し異なるが,岩城宏之の自伝的エッセイ集『森の うた』によると,打楽器奏者の養成にも苦労したそうである.岩城は東京藝術大学音楽部 の卒業生であるが,入学したときはまだ東京音楽学校であった.音楽学校は,職業訓練校 であるから,実力社会であった.高校生のときにすでに,コンクールで賞をとったり,半 プロで活躍していたものもいた21.林光はすでに作曲家であり,1951 年に亡くなった師の N 響指揮者尾高の未完の遺作を完成していた 22.岩城も近衛管弦楽団のティンパニー奏者 として活躍していた. 学生通用門には,学生の名札がずらりと並んでかかっていた.管・打楽器科は一番最後 で,岩城の番号は同学年の学籍番号の最後の127 であった23.学生の間には,「階級的とい うか,人種的というか,とにかく根強い差別が存在していた」そうで,作曲科と指揮科は 「少数民族のくせに他を睥睨」して勢いがよく,「二番目の上流階級は,ピアノ科」,その 次が弦楽器科で,残りは「被差別民族」の声楽科,楽理科,邦楽科,そして,最後に登場 するのが,管・打楽器科であった 24.当時,1 学年 120 人くらいのうち,管・打楽器科は 12 人と数も少なかった25.しかも,「ひと月で中退して米軍基地のバンドに入ってしまった ラッパ」や三学期の初めに「クビになったやつ」もいて,正式に残った 10 人のうち,「タ イコ屋」は後にジャズマンになった白木秀雄と岩城宏之のたった 2 名であった.同級の作 曲科には林光が,一年下に山本直純がいた. その指揮科についても,歴代の指揮者は外国人だったので,日本人指揮者の養成につい ては同様の状態であった.東京音楽学校の場合,邦人指揮者の養成し音楽界に送り出す機 会が与えられなかった.このような状況について,野村(1949)は「指揮者が外人であっ ても,その外人の技術がなまくらなら,そんな連中が何度入替わっても管弦楽団の指揮は 21 岩城(1987)「原宿参り」p.51. 22 同上書,p.46. 23 同上,p.49. 24 同上書,「前奏曲」pp.10-13. 25 同上書,p.13.

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向上しない26」と憤っている. 明治中期に日本に存在したオーケストラ楽団には,一般的に「市中音楽隊」と呼ばれる, 民間吹奏楽団があった.その最初は,1887 年に軍楽隊出身者を中心にした 30 名くらいで 発足した「東京市中音楽隊 27」である.民間のオーケストラのない時代に演奏された,行 進曲,ポルカ,ワルツなどは,西洋音楽の一般民衆への普及に貢献し,日清戦争で全国的 に普及流行した. しかし,この時代の楽器の数やその奏者の数は統計的には明らかのされていない.その 時代に生きた人々が書き残したエッセイや日記などから丹念に記述を探しだし,それを基 に推測するしかないのかもしれない. 上野の山の上にある東京音楽学校旧奏楽堂で開かれる演奏会は,音楽愛好家には格別の ものだった.演奏会は最初ピアノだけだったので,旧奏楽堂は,何回か改築され,最後に は舞台が客性に大きくせり出す形となり,オーケストラの人数も増えた.客席は 600 席ほ どで,毎回集まる人々は皆顔見知りであった.その中には,東京音楽学校の卒業生や,同 人雑誌『音楽と文学』(1916 年 3 月創刊-1919 年 8 月廃刊,全 39 冊)という月刊誌を出版 した太田黒元雄(24 歳)が率いる学生好楽家の同人グループがおり,当時の日本のクラッ シック音楽をリードしていた28 この同人は,太田黒が英国留学中に夏季休暇に一時帰国したが欧州大戦のために英国に 戻れなくなり,慶應大学予科2年在学中の野村光一(22 歳),当時旧制中学卒業したばかり の堀内敬三,二見孝平,菅原明朗,広田親輔,田辺主計,關重 廣などを自宅に集めて社 交やコンサートを開いた中から生まれた 29.太田黒は,当時海外の新進作曲家の紹介をし た『バッハよりシェーンベルク』を出版していた.その太田黒の「新鮮なエクゾティズム, デンディズム,ディレッタンティズム」という「音楽趣味」に「感染した」青年たちが,「上 野音楽学校[東京音楽大学]を中心とする寧ろ独逸派を主流とした保守的なアカデミズムに 対して,二十世紀の現代音楽を,しかもそれに最も貢献のあるフランス印象主義音楽やロ シア国民音楽」など当時の日本では未知の音楽運動を日本に紹介しようという洋楽運動を 起こした30.それが同人の目的で,『音楽と文学』は,翻訳文学で森鴎外が『椋鳥通信』で 行ったことなどを,楽壇で行ったものと考えられる31 大正時代は,大正デモクラシーと呼ばれる気運が日本中を覆っていた.欧州では,1914 年からの第一次世界大戦が起こり,1920 年のロシア革命が成功し,王権が倒された.この ロシア革命によって作り出された,新しい文化芸術の誕生が日本だけでなく,御欧米諸国 の人々を魅了した結果である.そこからは,新しい表現主義や,いわゆる現代音楽と呼ば 26 野村(1949)p.46. 27 世界百科事典第二版. 28 野村(1949)前掲書 pp.55-56,p.61,p66. 29 野村(1949)前掲書 pp.55-72. 30 同上書 ,pp.62-63. 31 同上書,p.62.

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れる様々な実験的な音楽が生まれた.『音楽と文学』の同人の活動もその延長線上にあった と言えよう.

Ⅲ.クラッシック音楽の供給の状況

5.日本の主なコンサート・ホール 5.1 日比谷公園と音楽堂 日本で初めてクラッシック音楽のために建てられたコンサート・ホールは,東京音楽学 校の奏楽堂(1987)であった. 次に作られたのは,1905 年に開場した日比谷公園の園内に設けられた野外音楽堂(通称 「野音や お ん」)で陸軍海軍の軍楽隊のコンサートが無料で開かれた.赤い八角形の屋根を持つ同 音楽堂は,1923 年の関東大震災で倒壊したため中断期間があったが,再建され戦後 1949 年から活動を開始し,現在は主に警視庁音楽隊や東京都消防庁などによるコンサートに使 われている. 日比谷公園は,東京市区改正設計における最も新しい構想として計画され,この事業で 唯一最大の洋風中央公園であった.公園面積は,太政官二つによる社寺境内地公園より劣 っていが,公演の質においても,日本の公園史においても最初にして最大の収穫であった. この公園の誕生によって,都会における公園の必要性が喚起された.また,東京市の新名 所となり,市内各所で公園の改修や新しい公園の増設ができる機運を起こした.さらに, 日本各都市に公園増設の機運を醸成する機縁を作った. 仮開園された日比谷公園の利用について,次のような禁止事項が掲示板に書かれていた. 「荷馬車の出入り禁止,空車の馬車・人力車の入園禁止,広告看板および諸芸人・ 行商人などの立ち入り禁止,その他入園者に妨害したり不体裁な容装で入園する ことなどを禁止した.」(前島康彦(1980)『日比谷公園』東京都公園協会監修東京 文庫1,郷学舎,p.59.) しかし一方で,珈琲店・日本茶屋・ミルクホール・腰掛茶屋・盆栽立場としての植木屋 の出店を認め,来園者の便益と観賞散策に資する方針を取った.入札で,和風喫茶店三橋 亭(パークセンターの前身)や洋風喫茶店(松本楼の前身),高柳邸,麒麟亭などができた. その中で松本楼は最も有名で,家族連れで盛装してこの楼上に洋食を食べにくることが, 大正時代の東京市民の一つの憧れであったといわれていた32 「音楽とともに大衆に新しい魅力となったのは,公園の洋風の喫茶と食事であっ 32 前島(1980)p.59.

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た.家族づれで公園へ行楽し,花を眺め,洋楽を聴き,中央の喫茶店(松本楼) で白いテーブルクロスをかけ,盛花を飾った卓で,香り高いコーヒーを飲み,ナ イフ,フォークを使って洋食を味う [ママ]新しい社会生活の流行が興ったことであ る.これらの行楽の態度は誰が指導したのか,欧州風のエチケットが上層ばかり でなく,民衆化することとなったことも新公園の影響であったと思う.」(元東京 市の名公園課長井下清翁の大正初期の回想.引用は前島,前掲書,p.60) また1929 年には日比谷公園大音楽堂が建設された.これは,当時日本で唯一の本格的な コンサート・ホールであり,新交響楽団(NHK 交響楽団の前身)のコンサートが行われた. その結果,上野の東京音楽学校が旧奏楽堂で行ってきた音楽会は寂れ,クラッシック音楽 の中心は上野(東京音楽学校)から日比谷に移った観があった.ただ,上野では誰もが顔 見知りの,音楽愛好家の集いであったが,日比谷ではそのようなことはなくなり,昔を懐 かしむ野村光一のような人々もいた. 5.2 日本のコンサート・ホール建設の流れ クラッシック音楽が日本に普及し定着するためには,クラッシック音楽が演奏されるコ ンサートホールの存在が不可欠である.日本建築学会編(2010)は,日本のコンサート・ ホールの変遷100 年を 12 のキーワード(黎明期 1880~,公会堂の発展 1890~,音楽ホール の幕開け1954~,本格的な文化会館の登場 1961~,多目的ホールの建設ラッシュ 1965~, 専用ホールのあけぼの 1981~,企画力のあるホールの出現 1986~,オーケストラとコンサ ート・ホール1990~,都市再開発とコンサート・ホール 1995~,21 世紀への課題 1995~) で語っている33 日本の高度経済成長期には,質の良い劇場や多目的ホールが建設された.1964 年東京オ リンピック前後のオリンピック景気,その後のいざなぎ景気などを経て,バブル景気の期 間である1970 年代・1980 年代の劇場・音楽ホールの建設が進んだ.東京文化会館は,「首 都東京にオペラやバレエもできる本格的な音楽ホールを」という要望に応えて,1961(昭和 36)年4月に,東京都が開都 500 年事業として建設したものである34 高度経済成長時代と呼ばれる1980年代から,コンサート・ホールが次々と作られていく. 東京で初のコンサート専用ホールである「サントリー・ホール」ができたのは,1986 年 10 月である.凸版印刷会社が操業百周年を記念して2000 年に建設したクラッシック音楽専用 ホールは,騒音や振動をカットするためホール全体が浮き構造になっており,構造材には, 音響特性が優れた花梨・樺桜・檜が使用されている.凸版株式会社がこのホールを造った 理由は,グーテンベルグが発明した印刷技がクラッシック音楽には欠かせない「楽譜」と 深い関係があり,印刷された楽譜が世界中に普及することでクラッシック音楽も普及した 33 p.240. 34 https://www.t-bunka.jp/about/venue.html

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ことにある35 5.3 日本全国の主なホール 表 1 は,オーケストラ連盟の会員36 楽団が 2017 年度にメインホールとして使用してい るコンサート・ホールである.同表から複数のホールを使用している楽団があることや, 使用楽団数が多いコンサート・ホールは,東京都ではサントリーホールと池袋芸術劇場の 大ホールであり,大阪府ではザ・シンフォニーホールであることが判る.つまり,日本の 主なオーケストラ楽団定期演奏会が行われる場所はいつも都市部に限られているというこ とであり,ライブ演奏の鑑賞が,時間や経費がかかるため,行くことができない人々が多 数いるということである. 表 1 オーケストラ連盟の会員 36 楽団のメインホール 場所 コンサート・ホール メインホール利用楽団 北海道 札幌コンサートホール kitara 札幌交響楽団 宮城県 日立システムズホール仙台コンサートホール 仙台フィルハーモニー管弦楽団 山形県 山形県県民会館大ホール 山形交響楽団 山形テルサホール 山形交響楽団 山形市民会館(山形市 山形交響楽団 群馬県 群馬音楽センター(高崎市) 群馬交響楽団 千葉県 千葉県文化会館・習志野文化ホール *千葉交響楽団 埼玉県 ソニックシティホール 日本フィルハーモニー交響楽団 東京都 NHK ホール(渋谷区) NHK 交響楽団・ 大田区民ホール「アプリコ」 *東京ユニバーサル・フィルハーモニー管弦楽 団 サントリーホール(港区) NHK 交響楽団 新日本フィルハーモニー交響楽団 東京交響楽団・東京都交響楽団 東京フィルハーモニー交響楽団 日本フィルハーモニー交響楽団 読売日本交響楽団 杉並公会堂大ホール 日本フィルハーモニー交響楽団 すみだトリフォニーホール 新日本フィルハーモニー交響楽団 ティアラこうとう 東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団 東京オペラシティコンサート・ホール 東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団・ 東京フィルハーモニー交響楽団 東京藝術劇場大ホール(豊島区) 読売日本交響楽団 東京ニューシティ管弦楽団 日本フィルハーモニー交響楽団 東京ニューシティ管弦楽団 東京ユニバーサル・フィルハーモニー管弦楽 団 東京藝術大学奏楽堂 藝大フィルハーモニア管弦楽団 (東京藝術大学) 東京文化会館大ホール 東京都交響楽団 東京文化会館小ホール *テレマン室内オーケストラ 35 「トッパンホールのはじまり 印刷と音楽の深い関係」 http://www.toppanhall.com/facility/begin/index.html

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練馬文化センター 東京ニューシティ管弦楽団 Bunkamura オーチャードホール 東京フィルハーモニー交響楽団 横浜みなとみらいホール 神奈川フィルハーモニー管弦楽団 神奈川県立音楽堂 神奈川フィルハーモニー管弦楽団 神奈川県民ホール 神奈川フィルハーモニー管弦楽団 ミューザ川崎シンフォニーホール 東京交響楽団 静岡県 静岡市清水文化会館「マリナート」 *静岡交響楽団 愛知県 愛知県芸術劇場コンサートホール セントラル愛知交響楽団 日本特殊陶業市民会館フォレストホール (名古屋市民会館) 名古屋フィルハーモニー交響楽団 三井住友海上しらかわホール セントラル愛知交響楽団 小牧市市民会館ホール *中部フィルハーモニー交響楽団 石川県 石川県立音楽堂コンサートホール オーケストラ・アンサンブル金沢 京都府 京都コンサートホール 京都市交響楽団 *京都フィルハーモニー室内合奏団 大阪府 いずみホール *テレマン室内オーケストラ 日本センチュリー交響楽団 大阪倶楽部 4 階ホール *テレマン室内オーケストラ 大阪市中央公会堂 ザ・カレッジ・オペラハウス *ザ・カレッジ・オペラハウス管弦楽団 (大阪音楽大学) ザ・シンフォニーホール 大阪交響楽団 日本センチュリー交響楽団 大阪フィルハーモニー交響楽団 関西フィルハーモニー管弦楽団 フェスティバルホール 大阪フィルハーモニー交響楽団 奈良県 奈良県文化会館国際ホール *奈良フィルハーモニー管弦楽団 兵庫県 兵庫県立芸術文化センター 兵庫芸術文化センター管弦楽団 岡山県 岡山シンフォニーホール 大ホール *岡山フィルハーモニック管弦楽団 広島県 広島文化学園 HBG ホール(広島市文化交流会 館) 広島交響楽団 香川県 サンポートホール香川 *瀬戸フィルハーモニー交響楽団 福岡県 アクロス福岡シンフォニーホール 九州交響楽団 (出所)日本のプロフェッショナル・オーケストラ年鑑 2018 6.管弦楽団と活動 6.1 19 世紀の日本の管弦楽団 日本で最初に誕生した管弦楽団は,東京フィルハーモニー交響楽団(略称「東フィル」) の前身である,いとう呉服店少年音楽隊であった.1911 年のことであるが,いとう呉服店 (名古屋,現松坂屋)によって作られた.東フィルは,2001 年に新星交響楽団と合併し団 員数が日本一になった現在,は,コンサート活動だけでなく,新国立劇場でのオペラへの 参加が最も多い楽団である. 1913 年には,小林一三が当時関西で評判だった大阪三越の少年音楽隊から発想得て,東

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京音楽学校の卒業生3 名を教師として雇い,少女ばかりの宝塚唱歌隊を発足させた36 本格的な交響楽団は,西欧で音楽を学び,1916 年留学先のドイツから帰国した作曲家 山田耕筰と,山田が西欧の作曲を教えた近衛秀麿が1924 年に設立した「日本交響楽協会」 である.両者は別れ,山田は1927 年に新交響楽団(1951 年に NHK の後援で NHK 交響 楽団となる)を起こし,第 1 回演奏会を行った.1931 年 10 月 9 日に日比谷公会堂で山田 耕筰が作曲したオペラ『あやめ』が,山田が率いる日本楽劇協会,新交響楽団によって演 奏会形式で上演されたのをNHK がラジオで中継放送したのを切っ掛けに,放送オペラ第二 期が始まった37 クラッシック音楽に関わる団体としては,1965 年に演奏家が集まって立ち上げた「日本 演奏者連盟」,1972 年に発足した「日本アマチュア・オーケストラ連盟」(JAO,公益社団 法人),1990 年にできた「日本オーケストラ連盟」(オケ連,2012 年から公益社団法人)な どがある.また,NPO 世界アマチュア・オーケストラ連盟(WFAO),世界音楽コンクー ル協議会などの世界的な組織とも関係がある. 21 世紀初頭の日本には,公益法人日本オーケストラ連盟38(以下,「オケ連」と略記)に 加盟しているプロのオーケストラは,現在37(正会員 25 および準会員 12)ある.表 2 は, 文化庁が委託事業「平成30 年度次代の文化を創造する新進芸術家育成事業」として行って いる『日本のプロフェッショナル・オーケストラ年鑑201839』掲載のデータをまとめたも のである. 表 2 日本の主なオーケストラ 36 団体 正会員 25 団体(前身・母体) 本拠地 創立年 楽員数 定年(才) 札幌交響楽団(アマチュアの札幌市民交響楽団) 北海道 札幌市 1961 72 65 仙台フィルハーモニー管弦楽団(アマチュアの宮城フィル) 宮城県 仙台市 1973 74 60 山形交響楽団 山形県 山形市 1972 48 65 群馬交響楽団(高崎市民オーケストラ) 群馬県 高崎市 1945 62 60 NHK 交響楽団(新交響楽団) 東京都 港区 1926 118 60 新日本フィルハーモニー交響楽団 東京都 墨田区 1988 72 60 東京交響楽団 東京都 新宿区 1946 84 60 東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団 東京都 江東区 1975 59 60 東京都交響楽団 東京都 台東区 1965 91 60 東京ニューシティ管弦楽団 東京都 練馬区 1990 40 60 東京フィルハーモニー交響楽団(少年音楽隊) 東京都 新宿区 1911 136 60* 36 玉岡(2004)p.25-26. 37 内山(1967)p.130. 38 http://www.orchestra.or.jp/ 39 http://www.orchestra.or.jp/library/uploads/dab6835e028b30f1f640c74fea065233065b0d3f.pdf

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日本フィルハーモニー交響楽団 東京都 杉並区 1956 83 63 読売日本交響楽団 東京都 千代田区 1962 98 60 神奈川フィルハーモニー管弦楽団 神奈川県 横浜市 1970 71 65** オーケストラ・アンサンブル金沢 石川県 金沢市 1988 33 60 セントラル愛知交響楽団 愛知県 名古屋市 1983 47 65 名古屋フィルハーモニー交響楽団 愛知県 名古屋市 1966 77 60 京都市交響楽団 京都府 京都市 1956 85 60 大阪交響楽団 大阪府 堺市 1980 53 なし 大阪フィルハーモニー交響楽団 大阪府 大阪市 1947 73 60 関西フィルハーモニー管弦楽団 大阪府 大阪市 1982 54 65 日本センチュリー交響楽団 (大阪府営の吹奏楽団・大阪府音楽団) 大阪府 豊中市 1989 49 60 兵庫芸術文化センター管弦楽団 兵庫県 西宮市 2005 43*** なし 広島交響楽団 広島県 広島市 1972 61**** 60* 九州交響楽団(福岡交響楽団) 福岡県 福岡市 1964 53 60* 準会員11 団体 本拠地 創立 楽員 定年 千葉交響楽団(ニューフィルハーモニーオーケストラ千葉) 千葉県 千葉市 1985 27 60 藝大フィルハーモニア管弦楽団(東京藝術大学) 東京都 台東区 1898 58 なし 東京ユニバーサル・フィルハーモニー管弦楽団 (日本新交響楽団) 東京都 大田区 1973 45 65 静岡交響楽団(カペレ・シズオカ) 静岡県 静岡市 1988 40 60 中部フィルハーモニー交響楽団(小牧市交響楽団) 愛知県 小牧市 2000 44 なし 京都フィルハーモニー室内合奏団 京都府 京都市 1972 13 62 ザ・カレッジ・オペラハウス管弦楽団(大阪音楽大学) 大阪府 豊中市 1988 47 60 テレマン室内オーケストラ 大阪府 大阪市 1963 25 なし 奈良フィルハーモニー管弦楽団 奈良県 大和郡山市 1985 51 65 岡山フィルハーモニック管弦楽団 岡山県 岡山市 1992 49 65 瀬戸フィルハーモニー交響楽団 香川県 高松市 2001 63 なし (出所)Association of Japanese Symphony. 『日本のプロフェッショナル・オーケストラ年鑑 2018』(2019 年 8 月 22 日閲覧)http://www.orchestra.or.jp/library/uploads/dab6835e028b30f1f640c74fea065233065b0d3f.pdf *再雇用あり,**契約を含まず,***コアメンバー,****空席 9 36 団体のうち,3 団体を除いた 33 団体は,第二次大戦後に創立したものである.NHK 交響楽団は,新交響楽団として1927 年(昭和 2 年)発足した,日本初のプロのオーケスト ラである.京都市交響楽団は,自治体直営の初めてのプロ・オーケストラである.日本フ ィルハーモニーは,民間のラジオ・テレビ局(フジテレビ)の経営の先駆的存在であった

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が,1972 年に経営を退かれ,法廷闘争をする過程で分裂解散し,新日本フィルが誕生した. 読売交響楽団は,マスメディアが直営するオーケストラである. 本拠地は,東京都11,大阪府 6,愛知 3,京都 2 と大都市に偏っている.楽団員の数は, 100 人を超えるものが 2 団体,50 人以上が 20,49 人未満が 13 である.準会員に 49 人未 満が多い.楽団員の定年は60 歳から 65 歳で,65 歳までの再雇用制度を有する団体が 3 つ あるが,定年制度を設けていない団体が6 ある.(表 2) なお,オケ連には加盟していないが,知名度の高いプロ吹奏楽団であるシエナ・ウィン ド・オーケストラ40(指揮者佐渡裕,1990 年結成)では,オーケストラ編成やアンサンブ ルユニットでの演奏活動の他にも,音楽鑑賞教室等への参加,管楽器クリニック活動も行 い,日本を代表する吹奏楽団として,「国内吹奏楽愛好家の先頭に立つフラッグシップオー ケストラ」として人気がある.また,ファンとの親密な繋がりを作るため,SNS を利用し ている41 6.2 オケ連 36 楽団の活動状況 表 3 から,オケ連加盟の各楽団が行った公演について,定期公演を含む「自主公演」と, 他から依頼された「依頼(契約)公演」の総公演数,総入場者数,放送番組としての発信, オペラやバレエへの関与状況が判る.オペラのオーケストレーションを行っている楽団は, 正会員168 回(東京フィルハーモニー交響楽団 48,東京交響楽団 20,読売交響楽団 18, 新日本フィルハーモニー交響楽団14)の他に,10 回以下で参加している楽団が 18 楽団, まったく関わっていない楽団が14 楽団であることが判る.このオペラへの関与の大きい 4 楽団は,いずれも東京に本拠地を置く楽団である.準会員では,オペラに関わっているの は,3 団体(うち 2 団体は大学の組織)と少ない. 表 3 オケ連 36 楽団の公演回数(2017 年度) 楽団名(略称) 自 主 公 演 依 頼 公 演 合 計 総 入 場 者 放 送 番 組 オ ペ ラ バ レ エ 札幌交響楽団響(札響) 41 85 126 142,546 4 0 0 仙台フィルハーモニー管弦楽団(仙台フィル) 29 85 114 81,900 1 3 0 山形交響楽団 102 43 145 82,165 1 4 0 群馬交響楽団 127 39 166 126,317 3 2 0 NHK 交響楽団(N 響) 74 37 111 217,604 68 6 0 新日本フィルハーモニー交響楽団 (新日フィ ル) 54 87 143 185,595 3 14 0 東京交響楽団(東響) 46 117 163 223,193 1 20 0 40 https://sienawind.com/profile 41 https://sienawind.com/members/sns-2

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東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団 21 82 103 122,800 0 1 18 東京都交響楽団 (都響) 43 84 127 179,985 6 4 3 東京ニューシティ管弦楽団 14 41 55 87,500 1 3 14 東京フィルハーモニー交響楽団(東フィル) 38 306 345 624,617 1 48 40 日本フィルハーモニー交響楽団 (日フィル) 93 53 146 200,000 2 0 0 讀売交響楽団(讀響) 64 47 111 160,956 2 18 0 神奈川フィルハーモニー管弦楽団(神奈響) 26 96 122 139,999 0 8 2 オーケストラ・アンサンブル金沢 51 53 104 109,701 5 2 1 セントラル愛知交響楽団 20 84 104 72,000 1 5 2 名古屋フィルハーモニー交響楽団 48 65 113 116,376 1 3 0 京都市交響楽団 53 46 99 124,700 1 2 0 大阪交響楽団 35 90 125 137,500 0 7 1 大阪フィルハーモニー交響楽団(大フィル) 35 65 100 154,000 2 2 0 関西フィルハーモニー交響楽団 20 73 93 83,500 2 2 3 日本センチュリー交響楽団 51 65 116 101,853 0 5 0 兵庫芸術文化センター管弦楽団 94 15 109 187,711 1 0 0 広島交響楽団 59 48 107 89,721 6 5 0 九州交響楽団 29 74 103 120,155 1 4 1 小計(正会員 25 団体) 1267 1880 3150 3,872,394 113 168 85 千葉交響楽団 3 130 133 65,000 0 0 0 藝大フィルハーモニア管弦楽団(東京藝術大学) 20 11 35 25,555 0 2 0 東京ユニバーサル・フィルハーモニー管弦楽団 4 75 79 60,768 0 0 0 静岡交響楽団 12 31 43 9,192 0 0 0 中部フィルハーモニー交響楽団 11 35 46 78,007 0 0 1 京都フィルハーモニー室内合奏団 19 85 104 50,000 0 2 0 ザ・カレッジ・オペラハウス管弦楽団(大阪音 楽大学) 3 24 27 8,685 0 7 0 テレマン室内オーケストラ 26 81 107 53,000 0 0 0 奈良フィルハーモニー管弦楽団 12 22 34 12,300 0 0 0 岡山フィルハーモニック管弦楽団 13 9 22 47,082 0 0 0 瀬戸フィルハーモニー交響楽団 2 28 30 11,501 12 0 0 小計(準会員 11 団体) 125 531 660 421,090 12 11 1 合計 1392 2411 3810 4,293,484 125 179 86 (出所)『日本のプロフェッショナル・オーケストラ年鑑2018』(2019 年 8 月 22 日閲覧) http://www.orchestra.or.jp/library/uploads/dab6835e028b30f1f640c74fea065233065b0d3f.pdf (注)日本フィルの総入場者数は推定値

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オケ連会員36 楽団が行った,アンサンブルと小編成の公演を除く総公演数 3,810 に対す る総入場者数は4,293,484 人であった.1 公演当たりの平均入場者数は約 1,127 人である. 規模の大きい楽団の都市における公演を含む正会員25 団体では総公演数 3,150 に対する総 入場者数は3,872,394 人で,1 公演当たりの平均入場者数は約 1,230 人である.いずれも多 いとは言えない.東京でサントリーホールや東京芸術劇場などの大きなコンサート・ホー ルでも行われるコンサートだけの計算ではないが,空席が目立つ公演が多いことが数値で も裏付けられていると言えよう. ただし,地方のオーケストラが躍進しているという評価が上がっている.中でも異彩を 放っていると,新聞で報道されているのが,オーケストラ・アンサンブル金沢(OEK)と, 広島交響楽団である42.独自の個性や存在意義を模索している. どの楽団も公共財団法人で公的な補助も受けてはいるが,経済的には楽でなく,賛助会 員を募っているのは,周知の事実である.特に,財政支援をしていた企業に支援を打ち切 られた場合,「日フィル争議」(1972-1984)のように,オーケストラの存続に関わる深刻な 事態にも繋がりかねない.なお,『日本のプロフェッショナル・オーケストラ年鑑2018』で は,日本の主なオーケストラの2018 年度収支状況43)について,オケ連正会員の2004 年 以降の「オーケストラ実績」(収支簿)が一覧として閲覧できる44 2017 年度の事業活動収入が事業活動支出より多少でも多い楽団は,民間支援および公的 支援を得ていても36 楽団中 15 楽団のみで,約 4 割が赤字である.正会員における割合は 25 楽団の 4 割にあたる 10 楽団が赤字で,準会員の場合は 11 楽団の 4.5 割にあたる 5 楽団 が赤字になっている45.クラッシック音楽のコンサートホールでの大規模な公演に必須の 楽団の経済状態がよくないというのは,クラッシック音楽の日本での定着に大きなマイナ スである. 6.3 オケ連に非加入のオーケストラ例:琉球交響楽団 その一つが沖縄初のプロフェッショナル・オーケストラの琉球交響楽団46である.オケ 連には加入していないが,2020 年 4 月に創立 20 周年を記念して初めての東京公演をサン トリーホールで行う. 琉球交響楽団設立準備委員会が2000 年春に発足し,国際的指揮者で,オペラにも力を入 れている大友直人氏をミュージックアドバイザーに迎えて,翌2001 年 3 月沖縄コンベンシ 42 岩崎貴行「躍進する地方オーケストラ」『日本経済新聞』2019 年 12 月 28 日文化欄. 43 日本オーケストラ連盟 http://www.orchestra.or.jp/library/uploads/dab6835e028b30f1f640c74fea065233065b0d3f.pdf p.142 44 http://www.orchestra.or.jp/results/ 45 『日本のプロフェッショナル・オーケストラ年鑑2018』(2019 年 8 月 22 日閲覧) http://www.orchestra.or.jp/library/uploads/dab6835e028b30f1f640c74fea065233065b0d3f.pdf 46 http://www.ryukyusymphony.org/about-us/

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ョンセンターにて,特定非営利活動法人琉球交響楽団(事務所浦添市,沖縄)の設立コン サートを開催した.楽団員は地元沖縄で活動している演奏家総勢34 名(Violin 8,Viola 6,Cello 1,Contrabass 1,Flute 2,Oboe 1,Clarinet 3,Fagotto 2,Horn 2, Trumpet 3,Trombone 2,Bass trombone 1,Percussion2)である.まだ十分な演奏 家数が揃っていない.特に,通奏低音部を受け持つチェロやコントラバスが1台づつしか ないが,ホームページに掲載されている演奏会の写真ではチェロ3 台,コントラバス 2 台 が確認できるので,必要に応じて助っ人を頼んでいることが推測される. 演奏活動としては,年2 回の定期演奏会の他,小・中・高等学校での音楽鑑賞会,また, 第三回,第四回世界のウチナーンチュ大会,沖縄本土復帰30 周年,40 周年,第 46 回米州 開発銀行(IDB)総会など,政府や沖縄県から委託された公演も多数行っている. また,オーケストラをより身近に楽しんでもらうために,2015 年より「0 歳児からのコ ンサート」「オーケストラで紡ぐ沖縄民話絵本の読み聞かせ」も開始した.2016 年より大友 直人氏を音楽監督とし,地元の言葉や聴衆とのふれあいを大切に,国際色豊かな沖縄県の 顔となる交響楽団を目指し活動している.2020 年には初の東京公演を行う. ホームページからは,決算状況は判らないが,サポート会員年会費(個人1,000 円,団 体10,000 円)は,オケ連のメンバー楽団より安い設定である. 6.4 宝塚交響楽団と合唱運動 宝塚交響楽団が宝塚少女歌劇団の専用オーケストラとして設立されたのは1921年である. それ以前は歌劇の音楽は,宝塚少女歌劇養成会(1919 以降宝塚音楽歌劇学校)の音楽教師 と生徒が担当していた. しかし,1921 年に「組」制度が始まり,公演数が増し,生徒によ る伴奏が困難になったため,新しく男性奏者を雇い入れ,オーケストラが開始された47 団員には,東京音楽学校や軍楽隊の出身者がいた.団員達は,歌劇の伴奏という楽団の 仕事だけでは飽きたらず,」1923 年に独自の活動を始めた48.まず,8 月 19 日に宝塚温泉 パラダイス音楽室で「宝塚音楽研究会」を始めた.毎週のように行われた研究会では,オ ーケストラだけでなく,少女歌劇の生徒夜演奏もあり,翌1924 年 2 月には「シンフォニー・ コンサート」という名称で演奏会が開かれた. 劇団誌『歌劇』に掲載された「宝塚シンフォニー・コンサート開催と愛読者招待49」に よると,この企画の中心は,ヨーゼフ・ラスカ宝塚音楽歌劇学校教授であった.数度の同 コンサートの後,1926 年 9 月 18 日に宝塚交響楽団の第一回定期演奏会が行われた.日本 で最初のプロのオーケストラと言われているのは,新交響楽団(山田耕筰と近衛秀麿によ って結成された日本交響楽協会が分裂して1926 年にできた楽団)の定期演奏会(1927 年 2 月)より約5 か月早い開催である.定期演奏会は,1942 年 3 月 14 日まで全 129 回行われ 47 山口篤子(2006)「第 8 章 宝塚交響楽団と関西の合唱運動」p.109. 48 同上,同ページ. 49 1924 年 2 月号,p.58.

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た.昭和前期にかくも長期に活動を行っており,宝塚交響楽団は,関西の音楽の中心的存 在だったと言えよう. 折からの関西での合唱ブームから,宝塚交響楽団が「ミュージック・オリンピック・ゲ ーム」(合唱コンクール)を企画し,実施されたのは,定期演奏会を始めた1年後の1927 年11 月 26 日のことである50.この「関西での最初の合唱競技51」が行われた2 日後には, 東京で国民音楽協会(理事長・小松耕輔)による「合唱音楽祭」(「合唱競演会」の前身) が開催された52 このように昭和の初期に関東と関西で同時に合唱コンクールが行われたことは興味深い. 細川修平(1993)によると,合唱コンクールが成立する主な条件は,次の 3 点である.(1) 競うに足るアマチュア参加者が見込まれること,(2)公平に審査できる人がいること,(3)関 係者一般を含めた聴衆が見込めることなどである53.合唱コンクールが関東と関西で実施 されたということは,両地域にそれを支えるだけの合唱愛好家や音楽好きの層が形成され ていたという言えるのではないか.NHK 全国学校合唱コンクールは,こうした盛り上がり を受けて,1932 年に始まったと考えられる. 6.5 アマチア管弦楽団 (1)日本アマチュア・オーケストラ(JAO) 日本には,アマチュアのオーケストラも存在する.その中には,地方オーケストラの先 駆けとして映画『ここに泉あり』(1955)になった高崎市民オーケストラ(現群馬交響楽団) がある54(参照「11.2 映画」)公益社団法人日本アマチュア・オーケストラ連盟JAO に よると,登録団体(2019 年 8 月 1 日)は 135 団体である55(表 4) 数が多いのは,千葉県と愛知県の15,東京都と静岡県 8,大阪府 7,神奈川県 6 で,残り は1-4 である.地域別では関東地方 36,東海地方 29 が他の地方より格段に多い.(北海道 地方4,東北地方 15,関東地方 36,甲信越地方 4,東海地方 29,北陸地方 3,近畿地方 14, 中国地方10,四国地方 6,九州地方 13,沖縄地方 3)地域による格差が大きい. JAO は,1972 年に 23 団体で結成され,翌年 1973 年に「第 1 回アマチュアオーケスト ラフェスティバル豊橋大会」を開催した.その後,全国のアマチュアのオーケストラの活 動が活発化し,加盟団体の増加に伴い,1995 年 7 月に社団法人に,2013 年 4 月に公益社 団法人に移行した.同連盟の主な活動は,毎年開催され「全国アマチュアオーケストラフ ェスティバル」を日本各地で開催し,「地域の市民オーケストラ活性化と音楽文化の振興に 50 「オリンピック式に音楽の競演を/めずらしい楽団の企て」『大阪朝日新聞』1927 年 10 月 18 日朝刊. 引用は,山口(2006)p.108 より. 51 『大阪毎日新聞』1927 年 11 月 27 日朝刊. 52 山口篤子,前掲,p.113. 53 同上,p.114. 54 近藤(1997)「オーケストラが主人公の映画」pp.117‐120. 55 http://www.jao.or.jp/,http://www.jao.or.jp/members01.html

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寄与」している.また,1998 年の世界アマチュア・オーケストラ連盟(WFAO)結成にお いても中心的役割を果たし,アマチュア・オーケストラ活動を通じた国際交流にも力を注 いでいる. 表 4 日本アマチュア・オーケストラ連盟加盟 135 団体 都道府県 楽団数 都道府県 楽団数 都道府県 楽団数 北海道 4 長野県 1 鳥取県 2 青森県 1 静岡県 8 山口県 1 岩手県 2 愛知県 15 鳥取県 2 宮城県 4 三重県 4 島根県 2 秋田県 1 岐阜県 2 香川県 2 山形県 3 富山県 1 徳島県 1 福島県 4 石川県 1 愛媛県 1 茨城県 1 福井県 1 高知県 2 栃木県 2 滋賀県 2 福岡県 2 群馬県 2 京都府 1 佐賀県 1 埼玉県 2 奈良県 1 長崎県 2 千葉県 15 和歌山県 1 熊本県 2 東京都 8 大阪府 7 大分県 1 神奈川県 6 兵庫県 2 宮崎県 2 山梨県 2 岡山県 2 鹿児島県 3 新潟県 1 広島県 1 沖縄県 3 (出所)「JAO 加盟団体」JAO ホームページ. JAO は,「トヨタ青少年オーケストラキャンプ」(1985 年-),「日本マスターズオーケス トラキャンプ」(2000 年-)など,「青少年から中高年にいたる幅広い年代を対象に<音の泉 の広がり>を合言葉に,演奏する喜びを分かち合い,地域に根差した音楽活動を推進する 組織」である56.主な事業には,「全国アマチュアオーケストラフェスティバル」,「高円宮 殿下メモリアル・日本マスターズオーケストラキャンプ」,「トヨタ青少年オーケストラキ ャンプ」,「トヨタコミュニティコンサート」(TCC,1981 年-),トヨタミュージックライブ ラリーなどがある.つまり,主の事業の半分は,日本全国にあるトヨタ販売会社とトヨタ 自動車(株)の支援によってなりたっているといくことだ. そのうち,TCC には,アマチュア・オーケストラにとってチャレンジングな企画内容の 「チャレンジ公演型コンサート」,生演奏を聴く機会の少ない方々のもとへの「移動・訪問 56 http://www.jao.or.jp/about.html

表 5  欧米の主要オーケストラの日本公演での滞在期間の短縮例  オーケストラ 1960 年代 2017 年 日本公演後の公演地 ベルリン・フィルハー モニー管弦楽団 1966 年 カラヤンと 18 公演 東京・名古屋・京都計3公演 香港・広州・武漢・上海・ソウル ニューヨーク・フィル ハーモニー管弦楽団  1961 年    バーンスタインと 10 公演  東京・名古屋・京都 計5回  北京・台北  (出所)山田治生「 2 017  年度 来日オーケストラの概要」『日本のプロフェッショナルオーケストラ年鑑
表 11  オケ連 36 楽団の定期公演と来日 57 楽団の公演総数  都道府県  都市  オケ連 36 楽団定期公演回数  来日 57 楽団公演回数  公演合計  北海道  札幌  20  7  27  青森県      青森市  0  1  1  六ヶ所村  0  1  1  岩手県  盛岡市  0  3  3  宮城県  仙台市  18  3  21  秋田県  秋田市  0  1  1  山形県  山形市  16  1  17  福島県          福島市  0  3  3 郡山市 0 2 2
表 13  日本開催の国際音楽コンクール一覧 (国際音楽コンクール世界連盟認可) コンクールの名称 開催地 仙台国際音楽コンクール(ピアノ,ヴァイオリン ) 仙台 ジュラ・キシュ国際ピアノコンクール 東京・沖縄 武蔵野市国際オルガンコ ンクール 東京 世界オペラ歌唱コンクール   in YOKOSUKA  横須賀 浜松国際ピアノコンクール 静岡 静岡国際オペラコンクール 静岡 国際オーボエコンクール・軽井沢 長野 びわ湖国際フルート・コンクール 滋賀 大阪国際音楽コンクール   各種ソロ,室内楽等    大
表 22  内閣府「文化に関する世論調査」(1996 年 11 月)(複数回答計 139.3%) 該当者数  人  鑑賞有  %  映画  %  音楽  %  演劇・芸能  %  舞踊  %  3,668  54.7  23.3  24.8  16.2  5.8  うち 20 歳以上  3,417  54.4  22.8  24.8  16.3  6.1  今回調査  2,094  50.9  24.7  23.4  12.9  4.6  〔都市規模〕  大都市  470  57.2  32.8  28.9

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