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多文化主義とグローバル化が進む現代において、ある文化と他の文化が出会 う機会は激増している。演劇においても、異質の他者と協働し、新しい演出や 解釈を模索するという「闘い」がなされている、と著者の浜名恵美氏は述べる。
著者はこれまでも、『ジェンダーの驚き:シェイクスピアとジェンダー』や「シェ イクスピアの異文化パフォーマンス」(冬木ひろみ編著『ことばと文化のシェ イクスピア』)において、シェイクスピア演劇における女性やアウトサイダー の表象研究や異文化パフォーマンスの研究を行ってきた。本書ではさらに日本 国内外の作品を例に挙げながら、文化と文化が「つながる」瞬間の相互作用や 意義を見出そうとする。本書は二部構成になっており、第一部では日本におけ るシェイクスピアの異文化パフォーマンスを、第二部ではアジアの異文化コラ ボレーションを取り上げている。
第一部で論じられている公演作品は、蜷川幸雄の『タイタス・アンドロニカ ス』『歌舞伎十二夜』、宮城聰の『ク・ナウカで夢幻能な「オセロー」』(以下『夢 幻能オセロー』)、野村萬歳の『まちがいの狂言』、鈴木忠志による四カ国語版『リ ア王』などであり、その多くが日本の伝統芸能、歌舞伎、能、狂言を用いて演 出されたものである。そしてこれらの作品は、日本の伝統芸能の特徴を効果的 に用いることによって、最後の場面における希望やカタルシス、アイデンティ
牧 野 美 季 浜名恵美著
『文化と文化をつなぐ──シェイクスピアから現代アジア演劇まで』
(筑波大学出版会、2012 年)
〈書評〉
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ティの不確実性などを表現することに成功している。
第一部の中で異文化パフォーマンスとして最も印象に残る作品は、演劇集団 ク・ナウカが上演した宮城聰演出の『夢幻能オセロー』である。この劇は比較 文学者平川祐弘の手になる謡曲を台本としており、表題通り夢幻能の伝統に 従って進行していく。キプロスを訪れた旅人の夢の中にデズデモーナの亡霊が 登場し、罪なき罪により愛する夫に殺害される身の上を語るのだが、ここで光 が当てられているのは、イアーゴの不気味さではなく、デズデモーナの無念さ、
救われない魂である。そして原作との最も大きな相違点は、旅人や地揺の読経 を聞いたデズデモーナの亡霊が浄土へと旅立っていく最後の場面である。
読経の声を背景にゆっくりと消えていくデズデモーナを見ることで、観客は 彼女の魂が成仏したことを感じられる構成となっている。幽玄の世界を表象し ようとする夢幻能の様式により、悲劇的結末に「鎮魂の儀式」としての意味合 いがもたらされ、舞台全体がカタルシスで包まれることを著者は論じている。
この『夢幻能オセロー』はシェイクスピアの結末を大胆に変容する事により、「救 済の探究」まで昇華させていると言える。このように『オセロー』の新しい解 釈がなされている点は非常に興味深いものであり、異文化的、交差文化的な演 出により作品が変容することで新たな読みを提供したことが示唆されている。
なおこの『夢幻能オセロー』に基づいた日韓合同制作『オセロー』にも著者 は言及しているが、こちらは韓国シャーマニズムの要素が加わり、賑やかな歌 や踊りの場面が続き、祝祭の雰囲気で幕が下りる。両作品ともに、死者の魂を 鎮めるという人類に普遍的なものを演出していると著者は言う。
第一部で取り上げられている作品の中で性質を異にするものであると感じら れたのが、第 6 章で扱われている鈴木忠志演出の『リア王』である。この作品 は日本の伝統芸能を用いているわけではない。舞台は現代の精神病院であり、
現代社会の家族崩壊や高齢化問題を描くなど多くの特色があるが、その中でも 最大のものは、多言語(英語・ドイツ語・日本語・韓国語)によって演じられ ている点である。それぞれ別の言語を話す登場人物によって作品が展開される ことで、互いの対話が不成功に終わっていることを示唆し、どの言語にも翻訳 することができない「無意識」を出現させようとしている。多言語という理解 しえない部分をあえて提示することにより、異文化理解において、異なる言語 や文化に属するもの同士が単に分かりあおうとするだけではなく、そこには避 けられない衝突や、考え方や習慣についてどうしても理解し合えない部分があ るという異文化理解の側面を表わすことに成功している、と著者は論じる。一
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つの舞台上で多言語が用いられるというのは類を見ない驚くべきものであり、
現代の多言語社会を表わすだけでなく、言葉が表わしえないものを表わそうと している点は非常に興味深い。
第二部では異文化パフォーマンスの作品そのものだけではなく、異なる文化 圏のものが協働するという異文化コラボレーションにおける困難や課題につい て論考するものである。異文化コラボレーションでは、コミュニケーションの 難しさや互いの歴史的背景など避けがたい課題があるが、実例を挙げながら著 者は演出や観客の反応を通して解決策を見出そうとする。
ここでとりあげられる作品は、自分達にとっての他者を「鬼」として表わし た野田秀樹の『赤鬼』、同じく野田の、妻子を人質にとられた男の復讐や暴力 の連鎖を描いた異性装の作品『The Bee』、そして日韓併合を翌年に控えた朝 鮮を舞台にした平田オリザ作『ソウル市民 三部作』などである。戦時のみな らず日常に潜む暴力、差別、排除という世界共通の題材が扱われていることが 異文化理解を促進するために効果的であると著者は考察する。
異文化パフォーマンスの現場では衝突や収斂をくり返しながら、想像的な営 みがなされている。互いの文化的差異を認識するだけにはとどまらず、相互に 刺激し合い変容することで、それを鑑賞する観客も異文化を体験し、文化間の 繋がりを深めていくことができる。オールドメディアと言われることもある演 劇だが、著者が述べるように、この相互作用はグローバル化する現代社会の諸 問題への解決の糸口となるのかもしれない。