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英雄の帰還 : Sir Gawain and the Green Knightに おけるreturn-motif

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英雄の帰還 : Sir Gawain and the Green Knightに おけるreturn‑motif

著者 新居 明子

雑誌名 主流

号 59

ページ 1‑17

発行年 1998‑03‑10

権利 同志社大学英文学会

URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000015137

(2)

英雄の帰還

‑SirGawαinαnd the Green Knightにおける Retum‑Motif‑

新 居 明 子

中世のロマンス,中でも特に「ブリテンもの」と呼ばれるArthur王ロマ ンスを扱う作品には,一般にreturnmotifとして知られる典型的なパター ンが見られる.ここでは,英雄は官険を求めてCamelotを出発し,官険に 成功を収めると名誉に満ちてCamelotへ帰還するのが常套であるところ が,Sir Gαwa~n αnd the Green Knight  (以下SGGKと略す)における英 雄Gawainの帰還は,名誉に代わり自らが犯した過ちに対する沈痛な悔悟 の情に満ちたものになっている.これは,従来のArthur王ロマンス群に見 られる return‑motifのパターンから,少々逸脱していると言えるであろう.

この逸脱が, GαωαinPoetの意図するものだとすれば,その意図すると ころは何であろうか.そしてまた,そこにロマンス詩人としての作者の独自 性を読み取ることはできないだろうか.本稿では, Gαωαin‑PoetがGawain

のCamelotへの帰還を従来のパタ}ンから外した原因を,彼のキリスト教 的倫理観という視点から考察する.その際,ロマンスの主人公にあるまじき Gawainの過ちゃ,作品の構成上重要な役割を担う告解の秘跡を取り上げる ことは, Gαωαin‑Poetのキリスト教的倫理観を明かにするうえで有益であ ると思われる.そこでまず, Gawainの犯した過ちとは一体何であるのかを 再検討し,次に ,SGGKにおける三つの告解の秘跡をそれぞれ具体的に検 証する.ここでは特に,これまで軽視されがちであったCamelotにおける 第三の告解の秘跡の重要性を強調したい.以上の考察を踏まえ,最後に,

Gαωαin‑Poetのキリスト教的倫理観を明らかにすると同時に, Gawainの 帰還がreturn‑motifからの逸脱によって示唆するものを探ることにする。

(3)

Gawainの過ちについての議論を進める前に,まずSGGKにおいてreturn‑ motifがどのように扱われているか,具体的に触れておく必要があるだろう.

Arthur王ロマンスの伝統に従って,やはり SGGKもCamelotで物語の幕 を開ける.そして主人公Gawainは, Green ChapelでGreenKnightと対 決した後再びCamelotに帰ってくる.彼は宮廷の人々の歓待を受け,自ら の冒険の詳細について語る.従って, Camelotに始まり Camelotに終わる という, return‑motifの基本的パターンは満たされていると言えるであろ うj しかし,それにもかかわらず, Gawainの帰還にはそのパターンから のなにがしかの逸脱が見られるのである。

Gawainが自らの冒険談を語る際の様子は,以下のように描写されてい る.

. . . te lace at te last. 

tertin te nek he naked hem schewed  tat he la)t for his vnleute at te leudes hondes 

for blame. 

He tened quen he schulde telle

, 

He groned for gref and grame; 

te blod in his face con melle, 

When he hit schulde schewe, for schame. (2497504)3

彼は,自らの過ちと不誠実の証である緑の帯の一件を語る際,その語る務め に苦しみ,恥ずかしさの余り赤面するのである.このGawainの有様は,

return‑motifにある名誉に満ちた帰還というのが一応のパターンであると すれば,そこから逸脱していると言える.

(4)

なぜGawainがこのような沈痛な様子で、帰ってくるのかと言えば,Bertilak 城において犯した過ちを恥じているからに他ならない.彼の過ちとは,

Bertilak城の城主との約束に反して,緑の帯を隠し持っていたことである.

Bertilak城においてGawainが奥方から誘惑される三日間というのは,彼 が城主と exchangeof winning,つまりその日に得るものは何であれ交換す るという約束をする三日間でもある.城主の tridtyme trowe best" (1680)  という警告に示されるように,三日目こそGawainの誠実さが最も試され る日だ、ったのである.問題の最終日に,彼は奥方から三度のキスの他に緑の 帯を贈り物として受け取る.この帯は,

For quat gome so is gorde with tis grene lace,  While he hit hade hemely halched aboute, 

ter is no hatel vnder heuen tohewe hym tat myJt

, 

For he myJt not be slayn for slyJt vpon erte.  (1851‑54) 

という奥方の言葉から明らかなように,身につける者を守るという一種の魔 法の帯である.そしてGawainは,この帯について誰にも口外しないと奥 方に約束する.その晩,城主の獲物であるキツネの皮と交換にGawainが 城主に与えた物は,三度のキスのみ。肝心の総の帯については一言も触れて いないのである.

このGawainの振舞の理由を, J an Solomonをはじめ幾人かの評家は以 下のように主張している.

Here the dilemma centers about the green girdle. The terms of  Gawain's bargain with his host make it  a breach of loyalty for  Gawain to keep the girdle. On the other hand, the Lady has demand‑

ed secrecy; to turn the girdle over to the Lord of the Castle would be  an equally disloyal act.

(5)

しかし, Gawainが帯を受け取る際の状況を考慮すると,このジレンマ説は 少々的を逸していると言わねばなるまい.緑の帯の効力を理解したGawain の心にすぐさまある考えが浮かぶのである.

E五twere a juel for te joparde tat hym iugged were:  When he acheued to te chapel his chek for to fech

, 

MyJt he haf slypped to be vnslayn

, 

te sleJt were noble.  (1856‑58) 

誰にも口外しないという奥方との約束は,翌日のGreenKnightとの対決を 控えたGawainが,この帯は我が身を守るための juel"になり得ると思っ た後なされたものである.このことから, Gawainは奥方との約束以前に,

既に城主との約束を反古にし,緑の帯を隠匿するつもりであったと考えられ るのである.

従って, Gawainの犯した過ちは,彼の''vnleute''(2499)つまり disloyalty にあると言える.そして,この vnleut邑"と vntrawte"(2383, 2509)は, どちらも城主との約束を破棄する Gawainの「不誠実」を意味している というのは,以下のOEDの定義から明らかなように, Gαωαin‑Poetらが 活躍する時代には, truthにloya1tyの意味が含まれていたからである.

1. 1. a. The character of being

, 

or disposition to be true to a person

, 

principle, cause, etc.; faithfulness, fide1ity, loyalty, constancy, stead fast allegiance.  . . Now rare orαrch.  . . 2. a.  One's faith or loya1ty  as pledged in a promise or agreement.  . 

Gawainをこの vnlewt邑"あるいは vntrawte"に導いたのは,彼の cou

ardise" (2508, 2273, 2374, 2379)である.彼は,翌日に迫った Green Knightとの「首切り」の約束を恐れ,自らの命を惜しむあまり,身につけ

る者を守るという緑の帯を奥方から受け取るのである.従って,後述する

(6)

Gawainの告白に示されているように, Gawainの過ちは,彼が臆病風に吹 かれた結果,換言すれば,騎士としての約束よりも自らの命を重んじた結果 と言える.

Gawainが,緑の帯に施された美しい刺繍等に魅了された訳ではなく,そ の効力を欲したのだということは,彼と奥方の間で交わされる一連のやり取 りより明らかである.Gawainとの思い出のよすがとなるよう,奥方はまず 彼の手袋を求めている.これに対しGawainは,自分の手袋など奥方に贈 るに価しない品であるとして,礼儀正しくかっきっぱりと拒絶している.そ こで奥方は矛先を変え,彼女の豪華な指輪や,問題となっている美しい続の 帯を受け取るよう強要するのである.しかし,ここでもやはり Gawainは, 騎士道的礼節でもって奥方の申し出を断っている@この時点でGawainが, 贈り物を受け取る意志を全く持っていないことは, 1haf none yow to  norne, ne no)t wyl 1 take" (1823)という彼の言葉に明言されている通りで ある.Gawainが,一度拒否した緑の帯を受け取ることを承諾するのは,

奥方がこの帯の持つ魔力について語った後のことである.この一連のエピソ ードによって, Gawainが帯を受け取る動機が明らかにされ,彼の臆病さは 強調されていると言える.

従って Gawainは,城主との約束を破棄することで, loya1tyとprowess という二つの美徳を喪失する.この二つは, Gervase Mathewが,吋wo virtues above all were held to mark the good knight and bring him  honour. They were prowess and loya1ty."と指摘しているように 8中世ロ マンスにおいて最も重要視される騎士道的美徳である.Gawainは,騎士た る身に不可欠なこれら二つの徳の喪失を悟り, Camelotでは自分の冒険談 を恥辱にまみれて語らねばならないのである.

ロマンスの主人公は,一般に理想化される傾向にあると言えるであろう 9

そのため多くのヒーロ}は,騎士道に必要な礼節,寛大等の美徳を兼ね備え た,完壁な騎士として描かれている 10その結果,ロマンスの主人公は現代

(7)

大の視点から見ると,あまり個性を感じさせない類型化されたキャラクター になりがちとも言える.ところが,SGGKにおける Gawainはどうであろ うか.騎士として最も必要なloyaltyとprowessを喪失するという点から見 れば, Gawainは,ロマンスにおける理想的英雄像から外れてしまっている のである.

イギリス中世文学上において,元来Gawainは,完徳の騎士の代表格と して評価されてきた 11これはTheSquire's TαleでChaucerが That Gawayn, with his olde cuvteisye"と語っていることからも明らかであ る,12SGGKにおいても,緑の帯を受け取るまでのGawainは,市entangle"

の騎士として,理想化されて描かれている. pentangle"とは, Gawainの 楯に描かれている五稜角星の紋章のことであり, loyaltyを象徴する.さら に,その楯の内側にある聖母像は,常に彼にprowessを授けるとされる.

そして,この楯の持ち主Gawainの振る舞いは,その紋章に恥じることの ない gentylestknight" (639)に相応しいものとして称えられている.そも そも Gawainの冒険の発端である GreenKnightによる「首切り」の挑戦を 受けて立つことがことができたのは,名高いArthur王宮廷の円卓の騎士の 中でGawain唯一人である.また, Bertilak城にて彼が受けた,奥方によ るあからさまな誘惑に対しでも,常に彼は礼節の騎士に相応しい態度を貫い ている.

Gawainが,このような彼の美徳の象徴である pentangle"の道から外れ 始めるのは,奥方から緑の帯を受け取ってからのことである.魔法の帯を隠 匿したいがため,その晩城主と獲物を交換する際, Asis  pertly payed  techepez tat 1 a3te" (1941)と帯については一切触れず,言わずもがなの嘘 の供述をしてしまう.緑の帯を隠し持つという過ちを犯したがために,完全 な騎士道的美徳を備えているはずの英雄Gawainは,今やGreenKnightと の対決を恐れるあまり,約束を破り嘘までつくという人間的性に翻弄される 臆病者Gawainに変貌しているのである.

(8)

SGGKには,例えば先述のGawainの楯の内側に描かれているマリアの 画像をはじめ,神や諸聖人に対する Gawainの敬皮な祈り等に代表される ように,実に至るところにキリスト教的要素がちりばめられている.ただこ れはSGGKのみに限られたことではなく, Martin S.  Dayが Extensive Christian references

, 

though sometimes merely conventionally  superimposed"を,中世ロマンスの特色のーっとして挙げているように 13

ロマンスにおいては,一種の慣習として騎士道と宗教が結び付けられている。

しかし ,SGGKに見られるいわゆる三つの告解の秘跡のパターンは,単に ロマンスの特色としてのキリスト教的要素と割り切ることのできない程の重 大な役割を,物語の後半部において担っているように思われる.そこで9 こ こではGawainの行った三つの告解の秘跡が,実際どのようなものである のか,またどのような意味を包含しているのか,具体的に探りたい.

理想的騎士像の枠組みから外れてしまったGawainが,自らが犯した過 ちを悟るのは, Green ChapelにおいてGreenKnightと対決する時である.

その際Gawainは, Green Knightから首を接ねられるかわりに,首に軽い 傷をつけられる.そしてGreenKnightの説明により,実は彼はBertilak 城の城主その人であること,さらに奥方の誘惑についても緑の帯についても 承知の上であること,斧を三度打ち下ろしたことは, Bertilak城での三日 間にわたるexchangeof winningの取引の結果に一致すること等,自らが受 けた試練についての事の真相を告げられる.つまり, Gawainが一度目と二 度目には無傷で、あったにもかかわらず,三度目に軽く傷つけられたのは,三 日日に奥方から受け取った緑の帯を隠匿し,城主との約束を破棄したからな のである.首に受けた軽い傷に示唆されているように, Green Knightは Gawain に,

(9)

Bot here yow lakked a lyttel, sir, and lewte yow woneted;  Bot tat watz for no wylyde werke

, 

ne wowyng nauter

, 

Bot for )e lufed your lyf; te lasse 1 yow blame. (236668)

と優しく言葉をかけ,彼の過ちに対し寛大な態度を示しているe 一方 Gawainは,自らの過ちを深刻なものとし,沈痛な面持ちで語りかける.

To acorde me with couetyse

, 

my kynde to forsake

, 

tat is larges and lewte tat longez to kny)tez.  N ow am 1 fawty and falce, and ferde haf ben euer  Of trecherye and vntrawte: bote bityde sor)e 

and care! 

1 biknowe yow, kny)t, here stylle,  Al fawty is my fare (2379‑86) 

悔悟の情のもと, 1biknowe yow"と罪の告白をするGawainに対する Green Knightの返答は,再び寛大なものである.

tou art confessed so clene

, 

beknowen of ty mysses

, 

And hatz te penaunce apert of te pouofm egge, 1 halde te polysed of tat ply)t

, 

and pured as clene 

As tou hadez neuer forfeted syten tou watz fyrst borne.  (2391‑94) 

Green Knightは,先刻なされたGawainの告白が彼の過ちを清め,斧によ る首の傷により罪は償われたと語る.

両者の会話に見られる biknowe",甲enaunce",pured"等の教会用語か らも伺われるように,ここでは明らかに告解の秘跡が意識されている.つま り,既にJ.A. Buowをはじめ多くの学者が指摘するところであるが,こ

(10)

こではGawainが罪を告白しその煩罪をする改俊者の役割を,そしてGreen KnightがGawainに赦免を施す司祭の役割を果たしていると言える 14

あるいは厳密な神学上の見地からすれば,これは告解の秘跡であると断言 するだけの,外的状況が満たされていないかもしれない.実際にはGreen Knightは司祭ではなく, Green ChapeIもいわゆるフォーマルな意味での 教会ではない.それどころかGreenKnightと悪魔との関係も議論されてい る15しかしながら,当時その場に司祭がいない場合,平教徒への一時的な 告白は有効と見なされていたことや 16先述のGawainとGreenKnightと の間で交わされた会話の様子を考慮すると,やはり Gαωαin‑Poetは,secular  な形での告解の秘跡のパターンを意識していると思われる。

実のところ Gawainは, Green Chapelにおける secularな告解の秘跡の 前に,既に正式な秘跡を済ませている.Bertilak城滞在の最終日, Gawain  は奥方から椋の帯を受け取った後,城の礼拝堂へ赴くのである.

Preuely aproched to a prest

, 

and prayed hym tere  Tat he wolde lyste his lyf and lern hym better 

How his sawle schulde be saued when he schuld seye haten.  Tere he schrofhym schyrly and schewed his mysdedez

, 

Of te more and te mynne

, 

and merci besechez

, 

And of absolucioun he on te segge calles; 

And he asoyled hym surely and sette hym so clene  As domezday schulde hafben di)t on te morn.  (1877‑84) 

これは, Gawainが城の礼拝堂付司祭に対して行った正式な告解の秘跡の描 写と言える.

しかしながら,形式的には正式なものと認め得るものの,ここにひとつの 問題点が挙げられる.それは,ここではその場においてGawainが司祭に

(11)

10 

彼の罪をすべて告白したとあるものの,彼が何を告白したかという具体的な 内容については一切言及されていないのである.しかし,文字面からはわか らないものの, Gawainが緑の帯について一言も触れていないことは明らか である.というのも,仮に彼が帯について何か告白しているならば,司祭は 赦免を施す前に,その帯を城主に渡すよう説得するだろうからである.告解 の秘跡の後も依然としてGawainが緑の帯を保持しているということは,彼 が帯について告白していないことを明示している.

Bertilak城における告解の秘跡については,これまで実に様々な議論が なされており,それには大きく分けて二つの流れがある.一方は, Gawain  が虚偽の告白をしたとしてこの告解の秘跡を非難する立場をとり,もう一方 は, Gawainの過ちはささいなものであり告解の秘跡において告白する必要 のないものとして,彼を弁護する立場をとっている 17ただいずれの立場を とるにせよ,少なくとも GawainがBertilak城の礼拝堂で緑の帯について 何も告白していないことは明白である.従って,この告解の秘跡は,先程の Green Chapelでなされたような悔悟の情に満ちたものではなく,むしろ死 に赴かんとするキリスト教徒の騎士が行う習慣的なものに過ぎないと考える べきであろう.

ところが, Gawainが犯した過ちは,先述のように,ロマンスの主人公に あるまじきものなのである.彼は騎士道における最高の美徳であるloya1ty

とprowessを失い,その結果臆病で不誠実な振る舞いに及ぶ.Gawainは, この過ちを償わねばならないのである.そのためには,正式な形に則ってい ても日常的な習慣に過ぎないものではなく,たとえsecularな形であれ心の 底からの痛悔に満ちた告解の秘跡、が必要となる.従って, Green Chapelで の告解の秘跡のパターンと次に考察する Camelotでのパターンは, Gawain  が自らの過ちを告白し償うための場を提供していると考えられる.

ここで再び,作品のエンデイングにあたる Gawainの帰還に議論を戻し たい.Camelotに到着したGawainは, Arthur王をはじめとする宮廷人た

(12)

ちを前に,自らが経験した冒険のくさぐさについて語る.そして第一章の旨 頭近くで引用した恥辱に苦しむGawainの様子の描写の後,彼の台詞が続

く.

Tis is te bende of tis blame lbere in my nek,  Tis is te late and te losse tat 1 la)t haue  Of couardise and couetyse tat 1 haf ca)t tare;  Tis is te token ofvntrawte tat 1 am tan inne

, 

And 1 mot nedez hit were wyle 1 may last  (2506‑10) 

上記引用に見られる blame" couardise" vntrawte"等の語からも伺われる ように,この告白がGreenChapelにおける告白と同じく,告解の秘跡のパ ターンを踏襲していることは明らかである.その内容に関しでも,この第三 の舎解の秘跡と第二の秘跡,つまり GreenChapelにおけるものとはほぼ同 じであると言える.強いて違いを探れば, Green Chapelでは,過ちを告白 する相手がGreenKnightひとりという privatepenanceの形をとっている のに対し,ここではArthur王をはじめとする宮廷人たちを相手とする public penanceの形をとっているということぐらいであろうか.ほほ類似 した内容のためか,どちらかと言えば,これまでCamelotでの告解の秘跡 は, Green Chapelでの秘跡よりも軽視されがちな傾向にあると言える 18

それでは,何故ここでGawainは再度告解の秘跡を行う必要があるのだ ろうか.わたしは,この第三の秘跡が第ごの秘跡の単なる反復ではなく,む しろ二つの大きな理由により Gαωαin‑Poetが意図的に設けた告解の秘跡の 場であると考える.一つ目の理由として挙げられるのは,作品のプロット構 成におけるGaωαin‑Poetの数に対するこだわりである.特に「三」という 数字に対する彼の執着は明白で,それは三日にわたる狩猟と奥方の誘惑,三 田のキス, Green Chapelにおける斧の三度の打ち下ろしなど,作品の随所 に見られる.従って, Camelotでの告解の秘跡も三度目ということを考え

(13)

12 

れば, G,αwαin‑Poetが数のバランスを意識していたことは否めない.

もうひとつ考えられる理由は,そしてここにわたしが第三の告解の秘跡 こそ第二の秘跡に優る重要性を持つと考える理由があるのだが, Gαωαin‑ Poet はGawainに,自発的な告白をさせたかったのではないかということ である.つまり, Green ChapelではGawainは, Green Knightに真実を 告げられるまで自らの過ちを告白するつもりは毛頭なく, Camelotで彼と かわした「首切り」の約束履行のみを唯一の目的としている.従ってここ での告解の秘跡は,自ら進んで、行ったというよりも, Green Knightに自分 の弱さとその結果たる過ちを暴露されたがためにせざるを得なかったもの と考えられる.一方, Camelotで、は,彼は聴衆に恥を忍んで自分からその 過ちを告白している.ゆえに,この第三の告解の秘跡のパターンの存在意 義は,第二の秘跡にはないGawainの告白の自発性にあると言える.さら にまた,既に自分の過ちとその原因の全てを承知している GreenKnightに その過ちを告白するのと,何も知らずに自分の帰還を歓迎している人々に 告白するのとでは,どちらがより大きな精神的苦痛を伴うであろうか.こ のような過ちを告白する前のGawainの苦悩を考慮すれば,あるいはまた この第三の告解の秘跡のためにGawainの帰還が従来のreturn‑motifのパ ターンから逸脱していることを考慮すれば,これまでややもすれば軽視さ れがちであった第三の秘跡は,第二の秘跡の単なる繰り返しではなく,よ り重大な意味を持つことを見過ごすべきではないだろう.

以上のように見てくると,恥辱と悔悟の情に満ちたGawainの帰還は,

GαωαmPoetの意図するところであることがわかる.つまり,主人公Gawain の帰還が,名誉に満ちた英雄の帰還という return‑motifのパターンから 少々逸脱しているのは, Gαωαin‑PoetがGawainに心の底からの自発的な

(14)

第三の告解の秘跡をさせるために,意図的にreturnmotifのパターンから 逸脱させたのではないか.そして何故Gawainが告解の秘跡を行う必要が あるのかと言えば,繰り返し述べてきたように,彼が騎士としてあるまじき 過ちを犯したからに他ならない.この過ちに関しでも,主人公が失敗を犯す か ら 彼 は 理 想 的 主 人 公 像 の 枠 組 み か ら 外 れ て い る と い う の を , 逆 に Gαwain‑Poetが主人公に失敗を犯させるために意図的に理想的主人公像の 枠組みから外したと言い換えることはできないだろうか.

例えば,Piers Plowmαnにも見られるように,中世後期では, Cato以来 の Nemosine crimine vivit" (いかなる人間も罪無くしては生きることが できない)という宗教観が一般に浸透しそれは当時の様々な文学作品にも 影響を与えている 19この観念の流布と,告解の秘跡というものが十二世紀 以降キリスト教における重要な要素の一つになったということは,無関係で はないだろう.人間の肉体は誘惑に屈し易く,その精神は罪を犯し易い.

Nemo sine crimine vivit"という宗教観のもと, GαωαiPoetはGawain を従来どうりの完穂の英雄として描くことを拒絶する.人聞は弱き脆き存在 であるが故に,たとえ円卓を代表する騎士道の華Gawainでさえ,過ちを 犯さずにはいられないのである。

このようなキリスト教的倫理観故に ,Gawain‑Poetは pentangle"に象 徴される理想的騎士であるはずのGawainに過ちを犯させる.それでは,

この罪無くしては生きることのできない不完全な人聞は,いかにその罪を償 えばよいのであろうか.わたしは,この間いに対する Gawain‑Poetの答え がGawainの帰還に示唆されていると考える.物語のエンデイングで,Gawain は心からの告解の秘跡により彼の過ちに対する赦免を受け,再び円卓の騎士 の一員として Camelotの宮廷に加わることができる.つまり, Gαwαin‑ Poetのキリスト教的倫理観である,人間は過ちを犯し易い存在であるが,

その過ちは告解の秘跡によって許されるということが示されているのであ る.ただし,この告解の秘跡は, Bertilak城でなされたような,形式的に

(15)

は正しくとも真の告白を伴わないものではなく,むしろ,たとえsecularな 形式であれ,心からの痛悔を伴う自発的なものでなければならない.こうし たGαωαin‑Poetのキリスト教的倫理観は,第二章において検証した三つの 告悔の秘跡が作品中担うそれぞれの役割から明らかになっていると言えるで あろう.

おそらく Gαωαin‑Poetは,理想的英雄が冒険に見事成功をおさめ輝かし い勝利者として帰還するという,ロマンスのオーソドックスなパターンに不 満を持っていたのであろう.なぜなら,彼のキリスト教的倫理観は,完全な 人間の存在を否定しているからである.彼と同時代のChaucerは,SirThop

という作品をロマンスのパロディとして描き,その中でロマンス作品に共通 する一連のパターンを皮肉っている 20Gαωαin‑Poetは, Chaucerのように ロマンスを皮肉る代わりに,その不満箇所であるreturn‑motifの一部に修 正を加え,自分のキリスト教的倫理観に合致するロマンス作品を創作したの である 21

ただ,いかに作者のキリスト教的倫理観がSGGKに色濃く反映されてい ようと,この作品があくまで娯楽を目的として書かれたロマンスであること に変わりはない.作品には至る所陽気な笑いがちりばめられ,また派手な宴 会や荒々しい狩猟の場面の描写が,読者あるいは聴衆を楽しませる娯楽の要 素として盛り込まれている.Gαωαin‑Poetはあくまでロマンスという文学 ジャンルの範囲内で,自分の倫理観に適さない一部のパターンを,自らが首 肯し得るものに修正している.ここにロマンス詩人としての作者の独自性が 存在すると言えるであろう .SGGKが傑作と称えられる所以は,もちろん その確固たる構成力やalliterationの力強き等数多く挙げられる.しかしわ たしにとってこの作品の持つ最大の魅力は,この独自性に,つまり理想化,

類型化された英雄ではなく,不完全な人間Gawainが描かれている点にこ そ存在するのである.

(16)

※本稿は, 1997614日に開催された日本中世英語英文学会第13回西支部例会 での口頭発表の原稿に加筆修正を施したものである.

Dieter Mehl, The Middle English Romαnces of the Thirteenth αnd Fourteenth  Centuries (London: Routeledge and Kegan Paul, 1967) 195. 

2 Return‑motifについては,こうしたパターンの常として,当然いくつかの例外 の存在を免れ得ない.例えば, Chretien de TroyesのErecαndEnideのエンデイ

ングでは, ErecとEnideは一旦Camelotに立ち寄った後,最終的にはErecの国 へ帰ることになっている.つまり厳密に言えば,主人公の帰還の地は必ずしも Camelotであると限定できないと言える.

3本稿におけるSGGKからの引用は全てSirGαwα~n αnd the Green Knight, ed  J.  R. R. Tolkien and E. V. Gordon, 2nd ed., rev. Norman Davis (Oxford:  Clarendon P, 1967)に従うものとし括弧内に行番号を示す.

4 Jan SolomonTheLesonof Sir Gawain," pα,pers of the MichigαnAcαdemy 48 

(1963); rpt. in Criticαl Studies of Sir Gawain and the Green Knight, ed. Donald  R. Howard and Christian Zacher (Notre Dame: Notre Dame UP, 1968) 270.その DonaldR. Howard, The Three Temptαtions: Medieval Mαn in Seαrch ofthe  World (Princeton: Princeton UP, 1966) 224にもGawainがジレンマに陥ったとす る言及が見られる.

5 鈴木栄一『サー・jj'ウェイン頒H東京:開文社, 1990) 91では, (lewte=trawte) (vnlewte=vntrawte)の対照という倫理的な相魁は,さらにpentangleと緑の 帯との対照という形に具象化されているとしている.

OEDが採用した14世紀における用例は, 1. 1aに関しては 1390CHAUCER  Compl. Dαmours On hir, • . Which hath on me no mercy ne no rewthe That  love hir best, but sleeth me for my trewthe."また, 1.2. aは 1330Otuel 311  Selpe me gode. . , Eiter oter his trewte pliJ, Vppon morwen for to fiJte. 

7 Howard Gardner TheQuest for Mind (New York: Al企edA.胎lOpf1973) 36  の中で,当時の贈り物の交換に関する認識について,へ. . [giftgiving ,]which  expresses in a fundamental way his concept of him自己lfand his relationship to  others."と述べている.Gawainはおそらくこのような relationship"を結ぶこと を避けようと,奥方の申し出を拒絶しているのであろう.

8 Gervase MathewIdeals of Knighthood in LateFourteenth‑Century England," Studies in Medieval History Presented to Frederick Maurice Powicke,  ed. R. W. Hunt, W. A. Pantin, and R. W. Southern (Oxford: Clarendon P, 1948):  358. 

(17)

9 Martin S. DayHistoηofEnglish Literature to 1660 (N ew York: Doubleday, 

1963) 4546の中で,中世のロマンスの特徴として「騎士の理想化Jゃ「登場人物 の類型化J等を挙げている.

10過ちを犯す英雄の例としては, ChrtienのLαncelotやYvαin等にも見だすこと ができる.しかし,ここでのLancelotYvainの過ちは,その後の彼らの卓越し た振る舞いや美徳、を際立たせるためのエピソードとして描かれており,その帰還も,

パターンどうりの名誉に満ちたものであって,自らが犯した過ちに苦悩する Gawainの帰還とは大きく異なると言える.

11  一方フランスにおいては, Lancelotの人気に押されてか, Gawainには色好みで 粗 暴 な 男 と い う イ メ } ジ が 定 着 し て い る .B. J.  WhitingGawain: His  Reputation, His Courtesy and His Appearance in Chaucer's Squire's Tαle," 

Medievα1 Studies (1947): 189234; Keith Busby, Gαuvain in Old French  Literature (Amsterdαm: Rodopi, 1980)参照.

12  Geoffrey Chaucer, The Riverside Chαucer, ed. Larry D. Benson, based on The  Works ofoffreyChαucer, 3rd ed. (Boston: Houghton, 1987) 170 (v. 95).  13  Day45. 

14  J. A. Burrow, Ricαrdian Poetry: Chαucer, Gower, Lαnglα,ndαnd the Gawain‑

Poet (London: Routledge and Kagan Paul, 1971) 106.その他JohnBurrow,The  TwConfession Scenes in Sir Gawαin and the Green Knight," MPh 57 (1959):  75必;Mary Flowers Braswell, The Medieval Sinner: Chαrαcterizαtionαnd  Confession in the Literαture ofthe English Middle Ages (London: Associated UP. 

1983) 989等がある.

15  D. S.  Brewer,The Gαωαin‑Poet: A General Appreciation of Four Poems," 

Essα:ys in Criticism 17 (1967): 137参照.

16例えば, P. J. FieldAReading of Sir Gαwαinαnd the Green Knight," SPh  68 (1971)の中で,平教徒への告白について . . . provisional confsionωalay man might be valid when a priest could not be had." (258)と述べている.その他 Gerald Morgan,The Validity of Gawain's confession in Sir Gαωαinαnd the  Green Knight," RES, New Series 36 (1985): 2Braswe1l29にも同様の記述が見

られる.

17  Sir Gawαin and the Green Knight, ed. Israel Gollanz with intro. Mabel Day  (London: Oxford UP, 1940) 123に見られる 1880行目に関するGollanzの注には,

Berak城におけるGawainの告解の秘跡を非難する立場が示されている.彼の主 張を支持するものとしては, Braswell 97;  George J.  EngelhardtThe  Predicament of Gawain," MEQ 16 (1955): 222等が挙げられる.一方,この

(18)

Gawainの告解の秘跡は, Tolkien and Gordon, rev. Davis 123における1882行自 に関するDavisの注や, Michael M. FoleyGawain's Two Confessions  Reconsidered," The Chαucer Revieω 9  (1974): 73; Field: 259において弁護されて いる.

18例えば,様々な問題点が指摘される一方で,依然としてSGGK研究に多大な影 響力を持つJ.A. BurrowのAReαdingof Sir Gawain and the Green Knight  (London: Routledge and Kagan Paul, 1965) 12259においても,この第三の告解 の秘跡の解釈に割かれる頁数は,第二の秘跡の三分の一程度である.

19  William LanglandのTheVision ofPiers Plowman:A Critical Edition ofthe B‑ Text Bαsed on Trinity College Cαmbridge MS B. 15.  17, ed. A. V. C. Schmidt  (London: Dent, 1978) xi. 402に見られるこのフレ」ズは,田中秀夫,落合太郎編

『ギリシャ・ラテン引用語字典(増補版).1(東京:岩波書応, 1952)  439にも採用 されている当時ポピュラーであったCatoDistich (1.5)からのものである.

2

o

A. K. Mo

ore, SirThopαsasCriticism of Fourteenth‑Century Mintrelsあ " y JEGP 53 (1954): 53245; E. R. EddySir Thopas and Sir Thomas orny:  Romance Parody in Chaucer and Dunbar," RES 22 (1971): 4019;Kenichi  Akishino, WhIs Sir Thopαs Interrupted?," DoshishαLiterature 31 (1983): 118  等参照.

21  Gαωain‑Poetの作品と目されている他の三作品Peαrl,Cleαnness (Purity),  Pαtienceにおける同質のキリスト教的倫理観についても当然考慮すべきであるが,

これは今後の研究に譲りたい.

参照

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