ライプニッツ論(第二部) : 「理性会通論」への補 遺
著者 平野 秀秋
出版者 法政大学社会学部学会
雑誌名 社会労働研究
巻 42
号 4
ページ 69‑164
発行年 1996‑02
URL http://doi.org/10.15002/00006733
凡例引用中の〔〕と.…・・は筆者の補筆および省略である。 目次序 七六五四三二
多元主義による社会的正義論ライプニッッ自然法論の個性文化という問題 本稿の問題指示代名詞としての「抑」人為的規範と法則の客観的妥当性国家主権への懐疑歴史と真実
ライプニッッ論(第二部)l「理性会通論」への補遺
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平野秀秋
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(1)
この稿の目的は、ライプニッッの倫理学を論じることである。またこれは『理性会通論』(前々稿と呼ぶ)への柵(2)
週として執筆した『ライプニッッ論(第一部)』(前稿と呼ぶ)を受ける続編である。前稿では、ライプニッッの残した議論を主として自然学(フィジカ)に注目して論じた。その論旨をふまえた上で、それにつづいてここではかれの倫皿学(エチカ)を論じようとするものである。ただし、自然学・倫剛学とここでいうのは現代のわれわれがⅢ解しやすいという便宜上のものであり、ライプニッッのなかに両行についての分業意識がもともとあるという意味ではない。もちろん当時にもこの二つの表現は存在しており、相互に異なった対象を論じているという理解はある意味で現在以上に明確に存在していた。しかし、ギリシャ以来の伝統として両分野を共に念頭に置きつつ自己の論旨を提示することは当然のことであった。またそれ以上に、ライプーーッッに関してはとくに両者の関連が諏要であり、かれの全体系が見通せないと倫理学を誤解する可能性が高いということが、以下の論述内容から判明するであろう。上記の経過があるため、ここで前柵の内汽を岐師距離で要約する。そこでは、まず今世紀野孤のバートランド・
ラッセルによるライプーーッッ論が、二世紀をへだててかれにたいする評価を一新するきっかけとなったことを指摘し
た。ラッセル以前のライプーーッッ像は、トレルチのライプニッッ評価に見られるように、ほぼドイツ観念論哲学の始祖という位置づけから大きく逸れるものではなかった。むしろただの観念論哲学である以上に神秘主義者であるかのようにさえ見られた。これにたいしてラッセルは、ライプーーッッの遺稿の中に見られる実体にかんする考察が記号論理学の柵想にたいして持つ深甚な亜要性を指摘することによって、哲学史の片隅にかろうじて名を留めていただけであったライプニッッを一気に現代の問題状況からの関心の中心に引き出した。このライプーーッッにたいする評価は、 序本稿の問題
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ライプニッツ論(節二部) 「Dl1I'|:会j、論」へのhlijn
それ以降あらたなライプニッッ研究を大きく促すきっかけとなった。かれの提起した問題にかんする研究は主として価学を中心に続けられながら、しだいに他の分野に波及しはじめた。しかしなんといっても、それが哲学から見て遠
いと従来考えられてきた緬域におよびはじめたのは、ほんとうにごく最近のことであり、現在もまだ続いているこの波及の成果は、まだその全貌をあらわしたとはいえない。
前稿ではこうしたことを指摘しつつ、現代のフラクタル幾何学提唱者であるマンデルブロートによる評価、すなわ
ちライプーーッッが一七世紀に沸き残した数学にかんする遺稿や書耐の中に、今阯紀後半に関心の焦点となりつつある「自然と数理との関係」にかんする現代数学の肢先端の櫛想とMHのものが見られるという脂摘にHを向け、その内容を考察した。ここにいう向然は、マンデルブロートの柵想の骨子に照らすまでもなく、すでに狭義の物理的自然よ
りは週かに広いⅢ界を桁示するものである。人川の自然剛解は、物皿的自然科学の皿諭の泌求に合わせた、いわば皿論上作られた自然を自然と見なす傾向が強かった。だから、地理的自然の呈する形状とか、化物の航の呈する形状と
かがなぜそのような形状になるのか、という身辺の自然には関心が向けられなかった。人川にとって技術的利川・応
川価仙があり、その結果主流となった理論の要求する仮想の自然でなく、平常当然のこととして見逃された自然への関心が耐祝されはじめたのは妓近のことである。それと同時に、この関心は在来の自然科学が当然のように使川した
数叩モデルがもつ不完全さに大いする自覚も内蔵するものである。それは、こうした両者間の関係という未決の問題
への視野なのであった。さらにつづいて前稿では、物理学者プレーゲルの論文を紹介しつつ、ライプニッッ最晩年の作品に屈し、かつ現代においてもまだ評価が定まっていない「モナドロジー』が、生命論への今日的関心をもとにし
て理解しうることについて論じた。これもまた、すくなくともデカルトの心身二元論の難点が、現代の関心に照らし
7 てもっとも生施的に解かれうる可能性を秘めた問題点である。『モナドロジー』はラッセルが「空想」であるとして
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ライプニッツ論 (第二部) 「Ⅱ1M:会j、論」へのhlijul
ライプーーッッの倫理学を論じる際に避けて通れない股火の問題は、かれの他に噸のない「抑」という概念である。
それを論じるについても直前に提示した論点が或要なので、もうすこしこのことに立ち入ることから始める。世界という存在やそれがもつ法則は、人間を離れてアプリオリにあるものなのかどうか、またアプリオリに存在するとする
ならば人間によるその記述や加工は、それといかなる関係にあると考えられるか、といった問いが形而上学を形成した。そのような問いは、本来は知のあらゆる活助の根底に腋然のうちに内在する問いであり、また好むと好まざるとにかかわらず文明論へと足を踏み入れることなしには答えることができないものである。いかなる価域の研究であろ
うと、その巾にこの洞察が見えてこないのは異常なのである。それに比べれば、それを形而上学と呼ぶか呼ばないか
は第二義的問題にすぎない。一般論はここまでにしても、前々橘はこのような問題を舗者なりに取り上げようとしたものである。それが、前稿以来ライプーーッッ論を必要と考えている理由である。この点にかんしては、前稿で取り上げたラッセルもある意味で同様の判断を示している。すなわち、かれはライブ
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ニッッ哲学の成熟をほかならぬ『形而上学叙説』の汕脚かれた一六八六年に求めるべきであるとしている。この指摘は ある分野たとえば倫理学・法学・政治学のなかで行った思考は必然的に自然学とも形而上学とも緊密に結びついているという意味で、かれ以降の理論家と一線を画している。かれは、近代科学の専門分化という常識を寄せ付けなかった妓後の思想家というべきであるかもしれない。かれにとっては、あらゆる分野の思考が緊密に結合しているのが当然なのであった。なぜなら、その総体をさしおいては人間の思考なるものは存在しえないからである。捕示代名詞としての「抑」
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ることにある。
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一二こうして神の属性に川米するから、真と善とはどちらも理性によって把掘しうるものである。四個別実体は主語となって述語とならないものである。そうであるからには、個別実体はそれ以上分割することができない。ただし、だからといって原子論者がいうように個別実体はすべて同一なのでなく、そのどれもがそれぞれに宇宙を写す間何の性面を持っている。
五精神ももちろん神の属性を宿した個別実体である。その性質はアリストテレスのいうように観念の書き込まれる「白紙」なのではなく、プラトンが想起税においていうように「本有観念」を含んでいるものとすべきである。六柿抑も事物も神の属性を宿しているという点で平等である以上、粘祁が世界を説明するにあたって、世界が動力因だけに支配されるものとするのではなく、目的因も持つことを認める必要がある。いいかえると、個別実体には たしかに額けるものであり、いわばこの師い作品の中に、ラッセルが大いに嫌った『弁神論の試み』や、さらにそのあとの遺稿「モナドロジー」などの内容もすべて予告されている。その意味では、ここでライプーーッッが獄極的に使用した「形而上学」という語彙は、かれにとって激動した一七世紀哲学の課題の帰着すべき重要なキーワードとして意図されたものであった。『形而上学叙説』の中でかれが論じようとしたことをあえて箇条課きにすると、次のよう
一すべての個別実体には完全性という神の属性が宿っている(いわば、万物は神の写しである)。属性を宿すとは、単に受動性のみをもつ被造物というのでなく、この方が亜要だが、神に川米する理性的という能勁性も所向して
いることである。 になる。
ここの神の属性の本質は、あらゆる可能性の中から最高の(あるいは最適の)真なるものと善なるものを実現す
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ライプニッツ論(第二部) 「IMI性会通論」へのMiild
「抑」という観念は、レヴィⅡストロースのいうとおり人側社会というものが存続する珈火が作り上げる「不在の(7) 項」である。だから前々橘でのべたように人間社会側の態度としては「坐へ拝」の対象としてそれに立ち入らない態度か、それをも「知性」の対象として論理的思考によって立ち入るか、の二つの態度しかつまるところあり得ない。と
はいえ前々柵以来指摘しているように、ここにいう二つの態皮は佃々の人間が目‐川に選択できる選択肢なのではない。それらは文明がどちらの態度の上に形成されたかという選択肢であって、その文明の中に生きことになってし 「エンテレヶイァ」を持つものがが征する。ここにあげた論点は、のちに雁史や政治や法や疋義にかんするライプーーッッの主版を検討する際に非常に血要な問題となる。というより、ライプニッッはこれらの其体的価域の問題を一七世紀において解こうとする見地から以上のような論点に到達した、というほうが真州に近い。前楠では、ラッセルがこの作砧の巾から、後世分析哲学の船樅となる火休にかんする述諦論剛を「火水的」で「卓越した論皿力である」と評して取り上げたことを見た。岐近ウンベルト・エーコが、ECの成立を肥念するバカ国語同時川版馴業の一環として沸かれた『光余言語の探求』の巾でラィプニッッを取り上げ、その思考の中に、つぎの肚紀の面科全謝派にも影枠した(知織探求の打力祁段としての)統帥論の光公形式性への着Hがあった、と論じている。いわばラッセルは、一世紀後のこのエーコと隔たらない位泄にいたのである。統辞論の完全性が意味論の完全性と一致しないことは、日常言語に立ち戻った現代の分析哲学の長くてまだ終わらない努力が明らかにした謎であるから、エーコの論旨にはむしろやや分かりにくいところがある。「ライプーーッッの哲学』を課いた一九○○年の時点でのラッセルは、そうした暖昧さをいっさい寄せ付けぬほどに明快、かつ徴密であった。ラッセルの論旨は、上に筒条諜きした論胃は「抑」という究極実体を含む限り論理的に自己才研におちいる、とするものである。
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まった佃々人はこれから単独に逃れる向山を持っていないのである。ラッセルもこのことに気付いていたと思われ
る。かれは、「抑」を「知性」の対象とすることはプラトンやアリストテレス以来の伝統であり、中世のアンセルムスをはじめとするスコラ神学もカルヴァンもこのことを疑わなかったし、ルソーやルター派などの中に神を掃音のみ
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の世界に限りたいという熱望があったが、それは不可能であったと述べている。そのよ・っな西欧文川の伝統をふまえた上で、ラッセルはライプーーッッの論理的自己矛研を脂摘するのである。ラッセルがいうには、ライプニッッはこの
作品及び側述する作品の巾で「抑」のロジカルな証明を行って、アリストテレス、アンセルムス、デカルトらの論皿の伝統を完成しえた力峨を持ちながら、かれのプラトン的な思衿を強調した側而(箇条普きの流悉)においてと、独
特のモナド論による「抑」の証川において矛屑した。ラッセルは、その際にラィプニッッが依拠している「抑」の証川は、「l存在論的証明、2宇宙論的証明、3永久真理による証明4(モナドの)予定調和による証川、の川っ
であるが、岐後のものが岐怨である」、という。
ここでラッセルが一Ⅲを割いた綿栴な論証を再現するのは峨峨になるので、不服確にならないと判断できる範川で論点を要約することにつとめてみる。上記の箇条書きの中の「佃別爽休⑭:⑫訂p8旨口冒目の}]の」というものが、ま
さに述語論皿の核心をなすものである。ある対象Xを、それが「実在」であるかどうかと問うⅢ町と、それがどのような「水質」を持つかと問う側而に区別して考察することが、凹欧哲学の伝統である。対象Xが持っている性質とは
「Xはpである」のような述語によって定義されるものであり、これが述語論理の核心である。水面とは、このような述語によって衣現されるすべての性質の集合である。しかし「Xはpである」という命題は、Xが実在であるかど
うかの保証ではない。存在しないXについての命題を立てることも可能だからである。これが、対象を「実在」と
「水質」とに区分する理川である。これを逆に表現すると、存在しない対象とそれについての命題を知性の対象から76
ライプニッツ論(第二部) 「''11件会通論」へのhlijlll
除外する、ということが含意されている。これはなんでもないことのようであるが、よく券えるとじっは「神なき後
の」現代のわれわれの思考をも支配しているものであることがわかる。われわれの「科学のQの二一日」は、この異例の発展・繁栄と引き替えに、存在しない対象を包摂することを「文明の原理によって」禁じられているのである。それと同時に、あらゆる祁顛の「抑」を証明するという西欧に独特の思考そのものが、知性は存在しないものを対象と
はしないという陪黙の制約に平炎上依存している。こうした制約の巾で「抑」の存在を証明しようとする試みの一つが、存在論的証明である。たとえば「Xは岐高の皿性的なものである」という命題を貯える。〃―このXが「抑」以外であれば、「抑」以外に商い皿性的火休が存在
することになり、「抑」は岐岡のⅢ性的な存在ではありえなくなる。したがってXは〃征し、かつ「抑」以外のものではあり得ない。これが存在論的証明である。ここでの「抑」は、いわば本質が実在を含んでいるもの、と見なされ
ている。一方、宇宙論的存在証明とは早くからアリストテレスの名とともに知られている有名な「第一原因」説と同じものである。迎効状態にあるAは、力が加わったから述助している。その力を加えたものはBの述吻である。Bの
迎助はCが力を加えたからである。CはDによって……という川染関係の災い述釧の岐初には、何によっても助かされることなく他を動かしたXが存在するはずである。このXが「神」である、とするものがこの証明である。この証
明の特異な性質も明らかである。第一にそれは、あらゆる実体を因果関係の述鎖というきわめて知性的な系列の中に位置づける。そこでは、すべての実体は知性によって把握することができる。というのも、あらゆる災体はこの因果
法則によって、斤在を許されているからである。第二に、それにもかかわらずこの系列の巾で能動の選択樅を保持し
ているのは、「神」であるとされる。このような「抑」とは、じっは人間社会の作り川すものではないか、という疑問に触れることはまだ茨し控えておく。しかし、そうであれば「神」の証明が、単に形而上学の迂遠な争点にすぎな
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矛盾の証明手段でもある。
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ライプニッツ論(節二部) 、M1性会通論」へのNi道
数理の無矛盾が保証されるということと、数理が世界の完全な記述でありうるということとは、本来は別個の問題
である。航行は論皿の問題であり、後行は論皿と対象との関係という問題である。突き詰めていえば帖神と世界という異なった次元に属するものの関係という問題であった。二つの次元に迎和が樅じないのは一一一つの場へ叩しかありえな
い。第一に世界を梢杣の郁合に従って作られる受動的対象と考えるか、第二に精神を世界によって作られる受動的対象と考えるか、もしくは第三に、熱血の結果両者の間に「なんらかの」対応関係があると旧じるか、のいずれかの場合である。ライプニッッは、この岐後のもの、しかもそのきわめて周到なものに属していた。岐後の噸で論じるジョ
ン・ロックの場合は、知性の作川の両端である内宵と経験にかんして第一と第二との間を激しく動揺し、結果的に近(9) 代科学の思考様式を象徴することになった。『ライプニッッの打学』を発表したときのラッセルがそのどれであったかは判然としないが、ともかくこの二つの関係については楽観的だったようである。前稿で指摘したように、かれは「プリンキピァ・マテマティカ」を発表して述語論皿の形式化に新しい道を附き、また雌限論に内在するいわゆる集合論の背皿にたいしても形式的な回避の道
を提案することになった。そこから、カントール染合論を発端とする数論の顕著な深化が生じ、論理の無才府は論皿内では証明できないという結論が数論の中で導き出されるのは少し後のことである。前稿で取り上げたマンデルプ
ロートによるライプニッッヘの注月は、この問題に側皿していた。マンデルプロートは、数皿をいわばもう一歩だけ
世界寄りに再柵成する試みの一つを模索しているのである。ラッセルが桁神と世界との対応関係について楽観的であったことは、かれのいうライプーーッッの第四の「抑」の存在孤川である「モナドのf疋洲机」を存在証明の巾で「岐恕」であり、単なるファンタジーにすぎないと一蹴したことから樅察することができる。究極の「佃別尖体」がモナドと呼ばれるものであり、分割できないという側川だけを
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取ればアトムと似ているが、モナドはそれn体に能助的認識作川を持っているという点でアトムではない。モナドは他のモナドとコミュニケートする「窓」を持たず、川互に独立している。宇洲はモナドの充満によって作られるが、その宇柵は一つ一つのモナドの視野によって彩られる。いわば世界認識に超多次元性が存在する。それにもかかわらず、モナドの充満したⅢ界そのものは、樅然とした洲机を保って存在することができるのである。それがライプニッッのいうモナドの現川する「予定調和]・菌『BCBの円のの日昌の」である。世界がそうなってそれ以外にならない皿川を、人側は「抑」の英知とするしかない、とラィプニッッが述べたことがラッセルのいう「岐懇」の「抑」の〃在証
前稿で細介したプレーゲルの現代的解釈のように、モナドを「生命」であると見るとき、このライプーーッッのモナド論は、宇耐は能動性を持った生命が充満しているという珈炎の表明として、自然に理解することができる。とはいえ、自然学の問題としてではなく、人間の論理と世界との関係という倫理学の基本に即してみるときには、既述の三つのが征証明のようには論理的に几えにくいことはたしかである。では、ラッセルのいうようにこれはファンタジッ
ク、すなわちイロジカルなのだろうか。信仰と剛性との不可分性を論じる『弁抑論の試み』は、都合が悪くなったら「抑」に救ってもらえるというご祁合卍義の施物だろうか。それなら、この中で論争しようとしたピェール・ベールや、すこし後のプリブスタント系皿神総行たちのように、皿仙の倣域と傭仰の価域とを俄然とⅨ切って、前門は知性
の航域、後背は感附の価域と割り切った〃がよさそうに見える。この(モナド論という)部分の中には、単純な形式諭班ではないまでも、マクロな論理的喫刑すらも一切含まれていないだろうか。そのことを労えるとき、ライプニッ
ッが同時代人の巾できわだって異なっていた特徴があることを思い起こす必要がある。すなわち、第一にかれが時代
の主潮流であった原子論(アトミズム)を岐後まで容認しようとしなかったことであり、第二に「充分条件の法則」
川をで、
あ入るllllOO-L
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かかわる要請だという》」とである。多くの場〈、、われわれは充分条件と呼ばれるものを数理のような、世界とは別個 8 ライプニッツ論(第二部)諦を、かれは「可能なものの中の岐蕃」とも名付けている。冊なすべきはこの条件はラィプニッッにあってはⅢ界に き迦川が存在するはずである。これが、難解なため從々無視されるかれの「充分条件の法Ⅲ」である。この論理的要 であると考えるべきなのである。その際、多様な可能性のうちこの特定の一つが尖現するためには、そこにも然るべ 何的」なのであり「必然的」ではない。論皿的に脈矛府である多様な可能性のうちの、特定の一つが実現しているの 論及である。「神」は、論皿に矛研しないことはすべて火現することができる。世界は、ライプニッッによれば「偶 このことと深い関連を持つものが、「可能性」と「必然性」と「偶有性」の差違にかんするライプーーッッの執助な
、すぎないものとなる。
性 ある。「神」なるものは人間の別名に他ならないとすると、人間の因果的認識とは、人間が暴君であることの証明に会ある。「神」なるもの 通 衣現すると、そのような「抑」は暴君に等しいものになる。世界の在りようを「かれ」は一意に決めてしまうからで剥衣現すると、そのよ・| 勉果関係によって結合,
染関係によって結合している状態は、一見きわめて合理的である。しかし、もし「抑」がこのように世界を作ったと Lh 脂Ⅱケーションとは、川果関係による必然的ⅢⅢ依仔に他ならない。この愈味でアトムは受動的である。灸柵成喫莱が川逝ケーションとは、Nm ッ、身の表現を逆川すると、アトム同士は「窓」を持っていて机互にコミュニケートするしかない。そのコミュニ 界を柵成する法川の中に、機械的N染関係以外をうまく導入することができない。モナドロジーにおけるラィプニッ 側而からは、分子の発見のような自然学の知見がもたらされた。だがそれだけでなく第二に、原子論背はアトムが世 原子論に二つの側而がある。岐小の柵成班索としてアトムがそれ以上分別できないこと、はその第一である。この とくに後の点が砺要である。 を形式論剛すなわち数理の巾だけでなく、現尖世界そのものの巾においても必要なものと見なしていたことである。に思考しうる論理の次元にだけ要請されるものと考えがちである。しかしラィプーーッッはそうではない。世界そのも
(川)
のの「偶有性」と、その露つちの一つが実現している「充分条件」とを考えよ、と強調するのである。アトミズムが因果関係の必然の連鎖を帰結するが故に排すべき方法であるとすること、および「必然性」よりもはるかに範剛の広い「世界の偶有性」を問題とすべきだとすること、という二点は、以上に見たとおりきわめて論理的であって非論理的なものではない。もしモナドに「窓」があると仮定すると、その窓を通して佃別突休は鉄の因果側係によってコミュニケートする結果になる。そうではなく、個々の実体がそれぞれ目立的に存在しながら、それにも
かかわらず現にわれわれが観察する整然たる秩序を持った「この」世界が成立する。それがライプーーッッのいう「予
定調杣」である。この世界がこのようであって他ではないためには、そこに必然性ではない、それとは別の「充分条件」が作川していると考えるしかない。いいかえればこの条件が完全に知られて「必要。充分条件」が論じうるとき、そのときのみに「必然的」といえるのである。そこで、この世界がこの世界であるのは、それをすべての中で
「鮫灘の」秩序としようとする「抑」の意志がいわば「充分条件」として働いた結果だとするしかない。これがかれ論理の中の「抑」の位置なのである。
このように理解しても、この論理が二通りの意味合いを持ちうることを看取することは容易である。一方ではライプニッッの論理は、世界が因果関係の鉄の述鎖からなっているという「必然性」による決定論を明断に排除すること
を目指している。ニュートンの成功以来、このような決定論的法則観が今uにいたるまで、すくなくとも自然にかんしては常識となってきた。この畔鰯識は、これから述べるように、本来は自然の一部にすぎない人間の側にかんしては瞭然に無条件の自由を前提にするという「自然法」の解釈と表裏一体のものとして成立した。もしその通りなら、人間が人間社会について関知しうるのは「規範」のみであって「法則」ではありえないことになる。これはまさに、理
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ライプニッツ論(第二NII) 「理性会通論」への補jjIl
神論者が理性と信仰とを戟然と分離したことと軌を一にすることである。なぜなら、理神論者のいう信仰に属する対象は、世界と共通の論皿による論証という制約を離れて、現代の社会学者が使川する価値の概念と同じ趨勢をたどることになるからである。この趨勢を、ライプーーッッの論理は排除しようとする。しかし同時に他力では、この世界が「最善」のものであるというライプーーッッの言明は、あたかもスコラ学が旧体制を擁護したことと同様の反動思想であるという解釈が存在しうることになる。事実これから描写してゆこうとするかれの倫理学は、近代を進歩とする観点に立つならば、ことごとく反動に聞こえるであろう。はたしてかれは進歩と反動という軸によって判断しうる人であったのかどうかはこれから問迦としよう。しかし、ラッセルによっってファンタジーにすぎないと一蹴された「モ
ナドの予定調和」の真意が深い理山を持っていた鞭突だけは鮫小川でも無視しがたく残ることになる。「当代の自然学の中に二つの流派がある。どちらも古代に起源を持ち、一つはエピクロスの思想の焼き直しであり、もうひとつはストア派のそれである」、という明快な書き出しのライプニッッの断片がある。ここでかれは前者にホップズの名をあげる。|方後者は、デカルトおよびデカルト派を指している。前者は、万物は原子状の物質からなり、その迎動が他の物質を動かすことによって世界を櫛成すると考える。物質であると考えると、どう工夫しても万物を包括する「抑」の存在を説明できなくなる。ホップズが「抑」を耶突上否定したことは本当であるから、この指摘は事実である。その結果人間は完全な利己心を認められた。ホップズについてはのちに言及する。しかし、ライプーーッッが問題にするのは、かれが「神」を否定したかどうかよりも、「神」を否定すると人間の持つ英知のような精神的な側面を理論化できなくなるということである。そのことは、もう一方のストア派の焼き直しと呼ばれたものにも共通する。ストア派の末鬮箭であるデカルトは、物質(延長)をともなわない実体としての「神」を認める。この点で「神」は人間と別個の存在になるのである。人間の精神は物質と神の属性である糀神との結合である。その結果
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ライプニッツ論(第二部) 「1M性会通論」へのMi週
然とは、論理的に結ばれていると確信できるにもかかわらず、人間の不完全さのために、どこまで進んでもゼロにならない理論認識上の距離によって隔てられた存在である。ただ両者が調和していることを信じることだけはできるのだ。こうした思想からは、法川を知った人間がその知識によって世界を操作するという一八世紀以後の発想が生じる
ことは、決してあり得なかったであろう。
以上に関連して、もう一点重要なことを述べておく必要がある。ラッセルが称揚するように人間の論剛にかんして
深い洞察を示したライプーーッッは、同時に純粋な論理の世界がそのまま現爽の世界を写しているという主帳には、早(烟)くから側心を示したのち、明確に否定的な判断をとった。『形而止学序説」の巾でもまたとくに明一一一一口している。この問題を別の角度から見ると、ニュートンとの論争の主脳がこれまでの解駅のように微分学の主導樅争いだけではすま
されない痂要性を持つ、という問題にも苑腿する。ライプニッッが、自然の数Ⅲモデルが自然そのものの写像にはな
りえない、とした問題点にこの論争の力点があったことに注目する研究が最近いくつか発表されている。とくにドメニコ・メーリの岐新の研究はこの町で徴密である。かれは、ライプーーッッは数学的処皿が、然哲学と融合しうるとい
う兄〃を、一六八○年代以降になると、数学的処皿はⅢ然折触十の吟察の杵す枠内に冊められるべきであるという兄〃に変化させた、と脂摘しながら、単なる論理や数理が「広い艇矛屑命題の巾から適切なものを選択する可能性を狭め
る」として、自然法則は同一律や矛后律の適川のみからも、逆に実験や事象観察からの帰納のみからも導川できない
(旧)
ことを主張したことが、かれがニュートン〃学を吟味して退けた吻機であることに注Ⅲしている。このことは、かれが世界が法川に従うことに否疋的になったことを意味するものではないという点が而甥である。
まさにその正反対である。かれは論理的秩序のアプリオリな存在と、その意味での人川の論肌能力の諏要性とに、さ
らには人間にとって論理能力が「本行的」であることに、確信を持っていた。また、のちに『弁抑論の試み』の巾で
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椛力の仙張が極度に巡行していた時代であった。この時代的状況の認識にかんしてはラィプニッッは稀な洞察を示した理論家であった。そのことを見るまえに、次厳ではもうひとつの砿要な問題点にⅡを向けておく必要がある。
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ツツ論(第二部) 「1111性会通論」へのNi週
ライプニ
はピェール・ベールや英国理神論のように、理性と信仰とが別の航域に属するという主張から出発したとするならば、後者こそが、ライプーーッッの『弁神論の試み」の骨子をなすところの、理性と信仰とは一致しなければならないという要請であった。結果的には、前打が信仰の制約をこうして振り切ったからこそ「理性」の活動が、次の世紀において啓蒙主義の自負したように、n然界のみならず人間や社会にまで脈限の可能性を主張することがⅢ来た、と通
説では見なされている。たしかにそれには川述ないであろう。さらにこれに加えて、先述したニュートンによる数理モデルと現実世界との等置という世界モデルの提起が、旺倒的な阯俗的成功をひっさげて思想界を席巻する事件も起
きた。こうして、それからたった半世紀後には、結局前者が稻々として大勢を占めることになったのである。「科学」
は行くところ可ならざるはない時代の光明となった。
しかし、この経紳には興味深いパラドックスが内蔵されている。n然界は「法則」に従うとしよう。そのかぎりにおいて、理性の論理に基づく活動が限りなく有効性を発揮しうると容認しよう。では、理性的論理の対象から一旦振り切られた対象伽域、すなわち人間が淑志を持つことの上に成立する社会や文化や雁史といった対象緬域は、いかなる意味で「法Ⅲ」に従うと並帳することがⅢ来るのだろうか。つぎのようにいいかえることもできる。「合理的」とは、その字の通り剛性に適合することである。かりに自然はこの意味で合理的であるとしよう。では、人間はいかなる意味で「合理的」でありうるのか。この問題にたいする近代における典型的な回答は、人間の歴史は「合理化」という抗いがたい傾向の中に慨かれている。こうして合皿化することによって、一元的に理解することが可能な一元的な社会が川奥するのである、と。このような社会が川現すれ
ばこそ、人側と社会にかんする問題も、まさに「一元的という限りで」川解可能なのであり、それゆえに科学はその
対象が自然の法則であろうと人間の作った規範であろうと、それにかんする命題を容観的妥当性の保証されうる法則89
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かヴェーパーのように主観主義の側面を重視するのかという相違があると考えられており、両者は決定的な相違をも
(Ⅳ)
たらすものだとくりかえし論じられた。だがどちらの側面を重視するにせよ、人間社会が一一兀的状態へと収敵することを要諦することにおいて両背は調和的である。社会が〈、皿的であるのか、行為が合理的であるのか、どちらにせよ
この要諦が尚たされねばならず、あるいは満たされるがゆえに、自然科盤と人文・社会科学は川面でありうると衿え
るのである。
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ライプニッツ論(第二部) 「]111↑|:会迦論」へのIili道
さえ」法則に背くことを行うことはできないのだ。これがライプニッッの提起した真の問題である。これがかれの巾でどのように多元世界論と結びついていたのかを見ることに、かれの倫理学を皿解する鍵がある。ともあれ、かれにあっては理性とは人間を超越して存在する法則を人間が知性によって即解しうるという信念の別名であり、その根幹にあるのは人間を超越する法則そのものであった。こう見ると、かれがジョン・ロックとそのフランスにおける崇拝者ヴォルテールによって幕を切って落とされた、たった半舟咋紀後からの啓蒙思想における人間中心主義とはおよそかけ離れた思想の持ち主であったことがおのずから明瞭になる。一方、理性と信仰とを切り離して稻々と流れをはじめた近代の韮流派にとっては、意織するとしないとにかかわら
ず構図は逆になる。自然の法則は人間のためにある、と明確に一言い切った人間こそいなかったが、意志を持たない自然に対する意志的存在としての人間の勝利は、信仰と理性との切り離しによって不釛になったのである。そのことの不可避の代償として、意志的世界にかんしては法則は意味を持つことができなくなる。西欧が野蛮と見なした異教社会はいざしらず、意志によって成立する人間自身と人間社会にかんする制約規則はことごとく「人為的規範」であって「法則」ではないはずである。法Ⅲということばを、自然より高い存在であるはずの人間にたいして便川すること
日体が本来いちじるしく不適切なはずなのである。このことはしかし、気付かれはしてもただちに深刻な問題とはならなかった。他でもない、法則に人為的規範を接ぎ木することが比較的安易に行われえたからである。
その橋渡しとなったものが、近世の自然法思想であった。世界を創造した神が、自然を法則に従うものとして作った。その同じ神が人間に理性を授けた。人間は、その理性に従って生きることができる唯一の生物なのである。その行いが理性的でないことはあり得ない。人間が盗意的に自由を行使することも、神の命じた自然の秩序の中にあらか
9 じめ垂沈み込みずみなのである。かくして、「自然」とは決定論的法則に従う自然界と向山にしたがう人間界との双方
をあわせて追認することばとなった。神なき後も、「人為的規範」は理性的であることが保証されているし、そのかざりで「法則」なのであるl杣を知っているキリスト教世界であるかぎり、という限定をも付け加えた方がよいか
もしれない。容易にわかるように、これは非西欧を蹟減する論理にも容易に転化することができるからである。前々
稿で指摘した西欧的理性の暖昧な位磁は、ヘレニズム期と巾。近世を経山し、近代の黎明期にいたってついにこのような折衷を生み川す結果につながった。もっとも、この折衷の結果として法則的客観性鷺腺扮してはばからない各種
の社会科学が誕生したことを考えれば、この折衷を折衷にすぎないと解している近代人は案外少ないのかも知れない。ともあれ、この経緯を厳密に考えれば人文・社会科学はことごとく人為的規範学と化すのであって、その目的は
(旧)
ただ一つ、人間の利溢にとってどの規範が良いか、という韮口悪にかんする学問に帰着してしまう。では人間にとってとはどの人間にとってのことか、という難問が解けなくなるという間脳点は残るにしても。幸いなことに、ライプーーッッは形而上学がまだ健在であった時代に生き、このような方向へ向かって全体が流れはじめる前に生涯を終えたから、問趣の柵図が本当に深刻になった一八世紀後半から現代にかけての臓史を生きて見る
ことはなかった。しかし、かれは自然法思想にたいしては早い時代から晩年にかけて鱗歴沁態度を保瀞し、否定的な判
断を持ちつづけた。かれは自然法という概念を他とまったく異なった意味で便川しようとした。かれがプーフェンドルフやホップスやジョン・ロックなどに論争を要求しようとしたのはこの批判的見地からである。それらはこれから
順次検討してゆくことになるが、その前に今世紀のわれわれは、これとどこかに通じる問題に比較的最近に直面した
作品を思い起こす必要がある。マックス・ヴェーバーの『宗教社会学論架」である。この作品は、資本主義の精神という類概念について、ひらたくいえば歴史上の個性について、それがなぜそうであってそれ以外ではありえないかという問題を、因果巡閲をたどり尽くすことによって解明しようとすることを目的
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そのヴェーバーが、’九○八年に『社会科学・社会政策雑誌』に投稿した「限界効用説と心理学的法則」という興味深い論文がある。この論文は、直接にはブレンターノの価値学説史にたいする批判という形をとっているが、ここで問題になっているのは端的にいえば経済学的な限界効川説と、生理学的「感覚識別閥」にかんする有名なヴェー
趣パー・フェヒナー法則(Rを刺激とすると、その変化の識別剛に関して△R/Rは一定が成立する)とはいかなる側
hや係にあるか、という問題である。後者はもちろん自然にかんする法則である。前者は、これまでの議論に即していえ 詞ばその埒外におかれた(意志を持つ)人間の行動の問題である。ヴェーパーはこの問題を取り上げて、両者の間に関
通陰連があるとする見解にたいして、尋常でないと思えるほどの執勘な反論を展開し、限界効用説のいう価値は固有に
f皿「経済学的法則」の定式化であって、人間を「対象的存在」としてのみ把握しようとする生理学や心理学とは》兀全に 一脈縁のものだ、と椰身の力で井川を展開している。「明快さのために亜ねて述べておこう。八絶対的V価値とか八将
j刻湿的文化Ⅲ値Vの問題に関しては……たんなる技術的な概念柵成法にしたがってシュタムラーがいうと》」ろの、醜 伽悪なほど暖昧な八原因と目的Vの八法則Vのようなものからはまったくなにものも化じないのであり、それは商人 齢の繊記が’たしかにu前の側趣にとっては八目的合叫的vにちがいないにせよI仙郷を動かす神のⅢ的諭とな
ソニんの関係もないのと同じ一」とである。ブレンターノが自説の中で重視する八最適Vとは、心理学的、心理生理学的、ブイ生物的性質のいずれでもなく、きわめて多様な複合要因の総和であり、その結果経済学説の基盤ではありえても、限一フ界効川説がヴェーパー・フェヒナー法則その他の心理学的法則の応川事例だという}」とは断じてありえないのであ 戦苦闘が開始される。 としている。ヴェーバーを合理主義者というのは、社会科学打の口癖に近い常識である。事尖、かれは歴史学派経済
学との論争を通じて社会科学的認識の「客観性」という問題を立てざるをえなくなり、ここからかれの方法論上の悪
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(四)る」。つまり簡単にいうと、内皿然と人間とは峻別すべきだといっている。
(、)
もっともこれに似た論点nM体は、尖はフィジォクラットと国民経済学との間にさんざん繰り返された論争の一世紀遅れの繰り返しであって珍しくもない、という見方もできる。しかし後進国ドイツの工業化を、そしておそらくは市民社会化を、心から願ったドイツ知識人の一人の、力を込めた論争としてこれを見れば、ヴェーバーの心境も大いに皿解できるところがある。とはいえ、では単なる「対象的存在」ではなく、「文化的価値【巳目『諄「の日」に即して把
握されるべき人間の行為が関与した「法則」とはどんなものであるのか。論じれば論じるほど、ヴェーパーはこのディレンマに満ちた設問に答えざるをえなくなる。後世の衰弱したプロテスタント社会学宵などと異なるヴェーバーの尊敬すべき美質は、この難問に気づきこれを回避することなく身を挺してこれに符えようとしたことである。ついでながら、上記の引用の巾で「多様な複合要因の総和」というのはもちろん理由にはなりえない。感覚識別閾にかんする経験則も、他剛・物皿学的その他多様な要囚の総和という点でどちらが複雑かわからないほど複合的である。それはともかく、この回符への努力の結果がヴェーバーの理解社会学の脈水撒想であることは説川を要しないだろう。法則に固有なのものが因果関係であるように、人為的規範に固有なものは取り決め、手続き、手順などである。かれは、この理解社会学という前提に立って人間にかんする学問も、於本的には合理的行為のもたらす結果である因果連関の定式化の上に立脚できるのだと主張しようというのである。その対象になるのは人為的規範のはずである。なぜなら、行為がもっとも「合理的」なのは人為的規範であるから。理解社会学の骨子は、人間が合理的に(とりわけ価値の伽域に関しても価値合理的に)行為するのであれば、その
行為の原因と経過とを理解することによって、いわば人間行為をもととした「みなし」方式によってこれを法則と観 じることができ、その基礎の上に科学としての社会学が成立しうると主張することにある。こうして、人間行為の合
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皿性が保証しうることが、人為的規範が法則に接ぎ木されうるための究極手段となるにいたった。その際に発抑されたヴェーバーの良識は、かれがこの合皿化をもって世界史の不可避の傾向であることを、証明する必要があると考えさせた点にある。そのためにかれが行った研究こそ、先に指摘した『宗教社会学論集』であった。上記の皿論展開の巾でヴェーパーが深刻にライプーーッッを意識していたのかどうかは、判然としない。しかし、ヴェーパーの作品の中
に「弁抑論」というライプニッッを想起させる炎呪が川呪するのはこの作品の巾においてである。もっともそれは、
「苦雌の弁神論」(目8日脚用月の序拭の。⑪)という逆説的表現においてであり、そのことばでヴェーバーが指示しよ池うとしたものは、ユダヤ教予一言者が世界に苦難が満ちているにもかかわらず(それ故にこそ)神への信仰を要求した
h地平尖であった。そのかぎりではラィプニッッのいう、向山意志とは剛性によって「抑」を信仰する}」とにある、とい
j 論う楽犬的にⅢ》」えるに帳とは一見述っているように見える。しかし、方向は逆であっても、回川意志は「理性的にな迦会にかをなす」ことを命令するものだという点でだけは、両者は軌を一にしている。ところが、向山意志のこの性質は性伽プロテスタント倫理において特殊な高みに達し、そこから「世界の〈口理化過程」への展望が生じることになる。ラィ |プーーッッにおいて多元論の可能性を秘めていた、個別実体(モナド)の自立的世界認識と「抑」のみによって可能な
J
調それら火体の川の予定調和は、ここでヴェーバーによって一転して一元的世界史像へと鋳血されたのである。}」れか 帥ら衿察するように、飛者はかりにライプニッッがこのような紬水を知ったならば、きっと人いに異論を岨えたに迎い
へ閥『流ないと考える。ヴェーバーがかりにライプニッッの『弁神論の試み」を意識していたとするなら、ラィプニッッの瀞ツーえたことは、かれの期待していたのとはちょうど逆の方向に「活川」される》」とになったのである。とはいえ、プイヴェーバ1のいわばT一言のほうが的中し、人頗がその後西欧文明の主導のもとに強力に一元的世界像へと向かう〃に}フ押し流されている》」とは、否定しがたい躯火のようである。だからこそ逆に、多元的世界像への思いがわれわれの巾
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に絶ちがたくわき起こるのであろう。ところで、これほど大がかりな構図を必要とせずに人為的規範と法則との問題を一気に解いてしまった犬才がい
た。ラディカルな自然法論者、トーマス・ホッブズである。ホップズは自然学にかんしてはめぼしい成果をあげていないが、倫理学にかんしては後世がそれから逃れることのできない、深刻な洞察を提示した。ホップズのこの洞察を
詳細に説明することはできないが、かれの卓越していたところは、第一にこの時代にあって、きわどい分岐点にさしかかっていた人為的規範の価域と法則の領域とを明快に分けてしまったことであり、第二に向山意志の作用する前者
の領域をかれのいう「側然の状態」すなわち人間が人間にたいして自由意志の極限までを発揮して敵対する戦争状態
と見なしたことであり、第三にそこからの帰結として「信約928ぐのロ:(」によって人間がこの自然権を絶対主
権へと授権せざるをえないと見なす権力観であった。かれは、人間が主権国家の名において暴君とならざるをえないことを感じてしまった悲観論者であった。歴史の巾では、かれのように冷酷に真理を包まずに喝破してしまう思想家は概して疎まれる傾向がある。事実かれも、すこし後のジョン・ロックや後世の社会契約思想のように微温的なものが評価されるほどには、評価されない。
いわく、ホッブズは絶対王政の賛美者である。いわく、ホッブズは信仰と教会の重要性を犠牲にして国家主権を過度
に重視した。いわく、ホッブズは人間がアリストテレスのいう「社会的存在」であるという社会性を無視した、
等々。しかし、ホップズの時代のイギリスにおいては、まさにかれの論じたとおりのことが現実に進行していたので
(別)
あり、その後の近代社〈当の歴史に鑑みて、これ以降は現代を含めて政治権力が政治権力であることを自己主張する際には、自己を主権者たる国民の授権によって成立した絶対者であると主張せざるをえなくなるのである。そして、政治権力が絶対者であると自己主張せざるをえなくなるのは、市民間に利害対立が露呈するときであり、その対立が法96
ライプニッツ論じi11-2部) 「11M性会通論」へのMijui
近代の分水繊に立った一七世紀のライプーーッッが国家主権の拡大強化を人いなる憂いとしていたことは、かれから
三面邨後に生きているものがある感銘を持って接しないわけにいかない卿翻突ではある。ところが、ライプニッッの川
家論をそれ以降の西欧の歴史において現に起きたことを前提にして判断すると、すなわち近代国家論の常識に依存して判断すると、その典愈がわかりにくいだけでなく、さまざまの誤解のもとになる。よく知られているように、かれ を究極の調停背として必要とする境界に達したときである。これはいまでも日常的に起きていることであり、その点でホッブズに過誤はなかったのである。もしホップズに過誤があったとすれば、かれは暖昧でいい加減なことをいえなかったという点に尽きるだろう。このホップズが主張、というよりも服しくは柵写していることは、班するに人為的規範は近代において法Ⅲと同じような一元的決定論をもたらす、という陰鯵な珊突である。
もっとも、ライプーーッッはすぐ後にみるように、このホップズを妓人の論敵と見なしていた。ライプニッッの反論の根拠は、ホッブズがもうすこし含みのあることをいってほしいなどということとはまったく縁がなかった。いわん
や、宗教的理Ⅲなどではなかった。ライプニッッは、そもそものはじめから主権国家、すなわちヨーロッパがいわゆ
る図凪国家のM立状態に発展することに大きな危仙を持ち、反対だったのである。その道を人間が選べば悲惨な結果になると考えていたのである。なんとしてもそうなることを避けるべきだったのである。その意味で、ライプーーッッ
はホッブズが論じた問題が時代の一方への趨勢としてきわめて重人であることを知りつくしていた。そのことに反対
するためなら、かれは、己の世界観が許す限りありとあらゆる手段に訴えようとした。
三国家主樅への懐疑
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