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短歌選評を書く―早稲田大学高等学院中学部二年生における実践報告―

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短歌選評を書く

―早稲田大学高等学院中学部二年生における実践報告―

荒    井    洋    樹

一、緒言

  作文指導をはじめとした創作活動は、アクティブラーニングを求める現状において選択されやすい指導方法ではな

かろうか。一方で、それが活動のための活動となり「活動あって学びなし」という状況に陥ってしまう危険性も指摘

されている

る。とその後の活動の糧すクるのかが課題となし、ッ。つその際、ある活動にいバていかにフィード 1

創作活動においては、教授者側の添削という形式がもっとも一般的であろう。だが、添削という方法は、教授者から

受講者へという一方通行の方法であり、受講者の自発的な活動を企図するアクティブラーニングとは異なり、旧来の

教授方法と根源的な違いがない。

  本実践では、生徒が作った短歌に対し、生徒たち自身が選評を書く形式でフィードバックを行い、受講者間で作品

の評価をする授業形式を提案する。従って、①短歌創作、②①で創作した短歌に対する選評を書く、③提出された選

*1  石塚修「想像力を育成するための古典授業とは」(『月刊国語教育研究』四九七  平成二五年九月)。

研究年誌64号(2020)

(2)

評をもとにディベートを行うという三段階の実践となる。各段階に一時間の配当を考えている。今回の実践では、①

の短歌創作は夏期課題を以て代替させたので、本時は②と③の二時間の実践である。ただし、授業形式の提案を旨と

するため、①についても計画を記した。

  平成二九年版学習指導要領

こすむ読Cと、こく書Bと、こく聞と・こ話に国おける中学校語Aの指導事項は、 2

とである。大滝一登は高校の国語教育においてABに関しては低調であると捉える

。稿者の実感では中学国語に 3

おいてもその傾向は変わらないように感じられる。本実践ではこれら三領域を可能なかぎり包含するように企図して

いる。

  本時の対象は、早稲田大学高等学院中学部二年生で、稿者が担当する二クラスである(仮にクラスA・クラスBと

称する)。中学二年生を対象とする実践であるけれども、学年によって選択可能な方法も異なるであろうが、中学一

年生から高校生まで広く行うことができると考えている。特に高校の新設置科目「言語文化」には、「書くこと」の

領域第二項アに「本歌取りや折句などを用いて、感じたことや発見したことを短歌や俳句で表したり、伝統行事や風

物詩などの文化に関する題材を選んで、随筆などを書いたりする活動」と短歌創作が示唆されている

。この点も 4

視野に入れつつ報告をする。

*2  文部科学省のホームページ掲載「中学校学習指導要領(平成

  文部科学省ホームページ掲載「高等学校学習指導要領(平成*4   平成二八年)明治書院。  取ティブ・ラーニングを授り入れたア業づくり』ク」」(『題*3大滝一登「これまでの課を踏まえた高校国語の「これから 29年告示)」のPDFを参照した。

30年告示)」のPDFを参照した。三〇頁。

(3)

二、短歌創作   第一時では短歌創作を行う。学習内容としてはB書くことに当たる。

  本実践では、創作・批評の対象として短歌を選んだ。五七五七七の短詩型式で、比較的容易に創作ができ、選評を

書いたり、ディベートを行う上でも、コンパクトな短詩型が適していると考えたからである。さらに短い俳句という

選択肢もあるが、季語を含み、ことばのイメージを連結させる俳句は、その分批評も高度になるため、文脈を構築し

やすい短歌を選択した。

  創作指導に当たっては、まず定型を理解するところからはじめる。中には、俳句と短歌の区別が明確でない生徒も

いるので、五七五七七の定型を押さえる。そして、季語は俳句に必要なものであり、短歌では必ずしも必要でないこ

とも確認しておいた方がよい。

  受講者の自発的な活動という意味では、自由に題材を選ぶよう指導するのがあるべき姿であろうが、初学者にとっ

ては漠然と創作するのは困難で、ある程度テーマを絞り、いわゆる題詠の形式にすることが望ましい。この場合の題

材は、「夏休みの思い出」など、テーマを絞りすぎないものであれば、生徒自身の実体験に基づく詠作をすることも

でき、適切だろう。本時では、夏期課題としてコンクール提出用の短歌を課した。コンクールは第

33

回東洋大学現代

学生百人一首で、テーマは「現代学生のものの見方・生活感覚」を詠み込んだ短歌である。ただ、夏期課題としたこ

ともあり、実際には夏休みを題材としたものが大多数であった(→作品集成)。題材に沿ったものを創作するように

徹底できなかった点は、教授者側の不徳の致すところである。

  なお、付言すれば、「夏休みの思い出」のように実体験を前提としがちなもの以外にも、夏期の課題であれば「夏」

「海」「花火」といった季節の風物を題材にしてもよいだろう。逆に「夢」「希望」「友達」などの題材はそれ自体が漠

(4)

然としており、創作しづらいものとなる。実施学年との兼ね合いも含めて適切な題材を設定する必要がある。

  また、本実践では、以降の展開として選評を書くことを企図しており、冒頭にも述べたように可能な限り教授者側

の介入を避けて創作活動を行うことを目指すため、この時点での過度なアドヴァイスは避けたい。

  教場で短歌創作を行う場合は、題材を提示した後、教授者側において即興で同じ題の作品を作って提示すると、ど

のように題を詠みこなすかなど参考になる部分があり、受講者の創作のきっかけとなることもある。

  本時の対象が中学生であったこともあり、右のように実施したが、高校の「言語文化」で行うのであれば、歌題を

設定するのではなく、「折句」「物名(隠題)」「見立て」など用いる表現方法ないし修辞法を具体的に指示して創作を

行うこともできよう。物名は遊戯的な技法として始発したと考えられている* 5から、選評を書くような展開は想定し

づらいが、何が隠されているかを探すゲーム感覚で行う一時間で投げ込みで行う授業として実施することもできるだ

ろう。

三、選評を書く

  第二時の選評を書くは、提示された作品を鑑賞することでC読むことを、その選評を書くことでB書くことを学習

内容とする。

  この段階においては、各クラスの生徒が読んだ作品を一覧として提示し、そこからおのおのが作品を選択するよう

に指導した。その際、作品一覧においては作者名を省き、配列も短歌の五十音順とすることで作品の匿名性を担保し

*5 松本宙「音韻史から見た物名歌」(『宮城教育大学国語国文』一三・一四  昭和五九年五月)、三木麻子「物名を詠むこと」(『夙川学院短期大学研究紀要』四三  平成二八年三月)など。

(5)

た(末尾の作品一覧は教場で示したのと同じ形式で示している)。これは実作者のイメージにより作品を解釈したり、

実作者に表現の意図を尋ねることで、選評執筆者の読みを規制しないようにする意図があった。しかし、本時では、

短歌を詠んだクラスと選評を各クラスと同一にしたため、〈作者捜し〉がはじまってしまい、一部の作品では顕名に

近い形となってしまった。この点、クラスAの作品をクラスBに、クラスBの作品をクラスAにするなど改善の余地

がありそうである。

  選評を書くに当たって、具体例として読売歌壇掲載の俵万智の選評を使用した。これは稿者の好みもあるが、早大

出身で学校とゆかりのある歌人ということで選んだ次第である。本時では令和元年九月二日版を用いた。配付資料に

は選評の載る三首のみを掲出した。

夕焼の海のふたりの影がいま未来のようにキスをしている  福岡市  土居健悟

【評】影と影が重なりあって、キスをしているように見える。実際の二人には、まだ距離があるのだろう。「未来

のように」に込められた希望が、切なくも美しい。

齷齪という字はなんだか

asekusai

人が八人閉じこめられて  大和郡山市  四方護

【評】漢字からインスピレーションを受けた歌は数多くあるが、これは出色の一首ではないだろうか。あくせく

をローマ字に分解して、アナグラムのようにしたところが工夫だ。

百年を生きる時代にあなたとのたった三つの夏を思えり  垂水市  岩元秀人

【評】人生に百回の夏があるとして、三回の夏を過ごしたことは、長かったのか短かったのか。「たった」に込め

られた万感の思い。

  俵万智の選評は、一首目の「未来のように」や三首目の「たった」のように短歌本文に丁寧に寄り添った繊細な読

みに基づくもので、短歌の雰囲気を伝えるようなものとは異なり、実際の選評を書く上で参考にしやすいものである。

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本時ではこの点に触れつつ、選評の書き方を解説した。

  これを受け、クラスAから提出された選評を示す。

愛犬の無邪気な姿見て思うまだあるのかな同じ白さは

「白さ」とは愛犬の色の事だろうか。おそらくそうではないだろう。愛犬の無邪気な姿に見た「白い」感情と

は、はしゃぎたいという自分の欲望に従う犬の素直さではないかと思った。人間は、大人になるにつれて自分

の欲望、感情を抑えるようになる。だからこそ、はしゃぐ自分の愛犬を見て、大人になるにつれて忘れかけて

いた幼い感情を思い出し、自分はこのまま大人になるのが正しいのかと自らに問いかけたのではないか。

「まだあるのかな」という部分から心配や不安といった感情を読み取れる。おそらく、愛犬と一緒にいられる

時間のことだろう。それを理解して読むと「同じ白さ」という部分が非常に胸に刺さる。犬の無邪気さとは真

逆に心配、不安と言った負の感情を読み取れるのがよい。飼い主の愛犬に寄せる愛情が痛いほど伝わってくる。

苦しくも愛に満ちた歌だ。

  ABともに対象となる短歌の表現を押さえながら内容を押さえることができているといえよう。この短歌では、「白

さ」が愛犬と作中主体の性質を指すところが核心となるが、ともにこの点を的確に把握している。他方、作品への共

感を主軸に選評を仕上げるものも多くみられた。その中において、

休みあけボケが直らず寝忘れるまたもう一度休み来い来い

ボケが直らず寝忘れるということは、この作者は夏休み、毎日のように夜おそくまで起きていたのだろう。僕

自身、夏休み中は夜おそくまでおきていた。それがなおっていないようで、未だにねる時間はおそい。九月は

祝日が多く、この作者もまだなおっていないのかもしれない。そう思うとこの作品には共感できた。また、休

みに対して来い来いと二回も言っていることから、それだけ強く、来て欲しいと思っているのが表れていてい

(7)

いと思った。

は、自分がこの作品に共感できる理由を表現に即しながら探っており出色の作である。

  このようにはじめに具体的な選評の見本を提示し、着眼点や切り口について解説することで、本時においてはある

程度整った選評を執筆させることができた。裏返せば、提示する見本を操作することで選評の方向性を誘導できると

いうことである。この点、対象となる学年や実施するクラスの状況などを勘案してアレンジできる箇所であろう。

  なお、ここで執筆した選評は、フィードバックの一環として、第三時のディベート終了後、作品ごとに整理して実

作者に返却した。

四、ディベート

  第三時のディベートは、提示された作品と選評を読み込むことでC読むことを、それをもとにディベートを行うこ

とでA話すこと・聞くことを学習内容とする。

  ここでは第二時で書いた選評をもとに行うため、クラスごとに大きく内容が異なる。本稿ではクラスAとクラスB

の実践をそれぞれ示すこととする。

  まず、準備段階として、第二時で書いた選評の中から同じ作品を対象とするものを集め、その記述の中から作品の

読み取りが異なるものを抽出する。各人二作品に選評を書くことを求めたので、同一の作品を対象とした選評が少な

からず見受けられた。ディベートの題材を選ぶに当たって、選評執筆者の感慨を述べるものよりも、作品の表現につ

いて言及しているものから選んだ方が論題を立てやすく、ディベートの議論も整理しやすいと思われる。

  本時では、作品一首に対してABC三つの選評を選び、論題も三つ提示してディベートを行った。進行は受講者の

(8)

中から司会を選出して行った。ただ、中学二年生で実施したため、こちらである程度議題を絞って行ったが、全体の

統制などがうまく取れずに議論が散ってしまった印象がある。司会は教授者が行うべきであったかと思う。また、取

り上げた選評は短歌作品と同様に名前を削り、執筆者が分からないようにした。選評を書く時と同様に、それが先入

観とならないようにするためである。

  クラスAで用いた作品と選評(作品とABは再掲)、議題を示す。

愛犬の無邪気な姿見て思うまだあるのかな同じ白さは

「白さ」とは愛犬の色の事だろうか。おそらくそうではないだろう。愛犬の無邪気な姿に見た「白い」感情と

は、はしゃぎたいという自分の欲望に従う犬の素直さではないかと思った。人間は、大人になるにつれて自分

の欲望、感情を抑えるようになる。だからこそ、はしゃぐ自分の愛犬を見て、大人になるにつれて忘れかけて

いた幼い感情を思い出し、自分はこのまま大人になるのが正しいのかと自らに問いかけたのではないか。

「まだあるのかな」という部分から心配や不安といった感情を読み取れる。おそらく、愛犬と一緒にいられる

時間のことだろう。それを理解して読むと「同じ白さ」という部分が非常に胸に刺さる。犬の無邪気さとは真

逆に心配、不安と言った負の感情を読み取れるのがよい。飼い主の愛犬に寄せる愛情が痛いほど伝わってくる。

苦しくも愛に満ちた歌だ。

愛犬のまっ白い姿がすぐに思い浮かぶことができる。自分も白い犬を飼っているため、作者の気持ちがとても

良く分かる。「まだあるのかな」にこの世界で唯一の大切なわんちゃんであることが想像できる。「無邪気な」

というところからわんちゃんが作者と仲が良く、遊んでいる姿が思い浮かぶ。この短歌を見るだけで犬を飼っ

ていた人は懐かしさを、飼っている人は楽しみを、飼っていない人は飼いたいと思うことができる。

議題①  第四句「まだあるのかな」にどのような感情を読み取ることができるか。

(9)

議題②  第五句「同じ白さは」は何を指しているのか。

議題③  短歌①の改作案を提示する。この改作について議論する。

  議題①と議題②は関連の深い論点で、ともに作品の表現に注目するものである。議題①は選評Bの「心配や不安と

いった感情」と選評Cの「世界で唯一の大切なわんちゃんであることが想像できる」という指摘を起点にした。前者

は作中主体の内面、後者は愛犬と過ごす時間を表現していると読んだものである。クラス内では前者が3、後者が2

でやや前者が優勢となる形で分かれた。もっとも大きな論点となったのは、作品に不安の要素を読み取ることができ

るのか否かという点であった。この点は、議題②に直結するため、必然的に議題②へ緩やかに移行して議論が進んだ。

  議題②は「同じ白さ」をどう理解するかを取り上げた。選評AとBは愛犬の無邪気さを指して「白」と表現したと

理解する。それに対し、選評Dでは愛犬が白い犬であると理解する。クラス内では前者4、後者1に分かれ、前者が

かなり優勢となった。まず、少数派の愛犬の色を白いとする立場から意見が述べられた。一読で犬の白い様子が浮か

んだとする選評Dに近い理解を示すものがいた。また、「○○くん(=作品の実作者)の飼っている犬が白いから」

という意見もあった。それに対し、無邪気さを白と読む立場からは、作品の表現を丹念に追い、「同じ」とは犬と作

中主体とが同じである必要があり、犬の白さをいうのではなく、無邪気さを表現したものだとの反論が出た。その後、

しばらく両者の主張が食い違ったまま、かみ合わない議論が続いた。問題は作品外部の情報をもとに議論する前者と

作品の表現に則って議論をする後者で考察の基盤が異なることにあった。議論の中で受講者自身がそこに気がつくこ

とを期待していたが、最終的には埒があかなかったため、こちらからその点を指摘した。作品の表現に寄り添うかぎ

り、実は「愛犬」の色が白であることを確定する要素は存在しない。先に触れた「○○くん(=作品の実作者)の飼っ

ている犬が白いから」というのも、一つの先入観に過ぎないのである。

  そこで議論③として第三句「見て思う」を「胸を刺す」とする改作案を提示した。原作どおりであるとやや曖昧な

(10)

表現になる部分を「胸を刺す」と替えることで、より明瞭に自身の心理的な状況を詠んだものとすることができる。

本時ではあまり時間が残っておらず詳細な検討はできなかったが、ここから曖昧なまま表現を投げ出すことで読者の

想像力をかき立てる効果があること、明確なことばを配置することで一首全体の解釈を明瞭とすること双方の意義を

確認した。

  クラスBでは次の短歌及び選評を取り上げた。

ガタンゴトン窓を眺めば写りこむ真っ青な海点となる船

音と視角と情景をうまく組み合わせているのが良いと思った。また、句の中に遠近法が使われていて自然と夕

方あたりを思い浮かべました。けれどイメージとは違っていて真っ青な海だったので、平日だった場合矛じゅ

んが生じると思うので燃えさかる海みたいな感じにしたりするのがいいとも思った。あと、点となる船といっ

ても都会に住む私たちには点となる船しか見えないわけではないので他の表現がよいと思った。

ガタンゴトンと電車という言葉を使わずに電車に乗っていることが分かるのが良かった。また、さらに窓を眺

めばと書くことで電車で窓の外を眺めていることが分かる。また、真っ青な海点となる船というただ海の上に

船があることを書くのではなく、あえて点と書くという、面白い表現が使われている。また、ガタンゴトンや

海があることから都会ではなく田舎の古い電車に乗っていることがうかがえ、さらに想像する風景が良くなっ

ている。G

一番最初のガタンゴトンが音を表現していて実際に短歌の中で電車という表現を使っていないが電車に乗って

いる事が良く分かった。東京の近くには船が見えるような真青な海はないので、この歌を詠んだ人は帰省中か

旅行中だったのだと思う。また、一番最後の真青な海点となる船は、テンポが良くつなげている。そのため聞

きやすくなっていて耳に残る。聞き手のことをよく考えているとても良い短歌だと思った。

(11)

議題①  この短歌の時間設定はいつなのか。

議題②  この短歌はどのような状況を詠んだものなのか。

議題③  短歌⑦の改作案を提示する。この改作について議論する。

  議題①は選評Eの「句の中に遠近法が使われていて自然と夕方あたりを思い浮かべました」という部分を起点に、

作品の時間設定を議題とし、昼景と夕景に分かれてディベートを行った。比率としては、昼景3に対し夕景1ほどで

あった。昼景を推すグループからは「真っ青な海」という表現を根拠とすると意見が出された。それに対し、夕景を

推すグループからは、「点となる船」は夕日の後に船の灯りが点と変わる情景を読み取るべきだとの意見が出された。

これには「真っ青な海」とあるのだから夕景ではあり得ないとの反論があったが、それは見る方角によって変わるの

であり青い海であっても昼景とは限らないと再反論があった。クラス全体の議論としては、昼景に傾いていた。

  議論②は選評E「点となる船といっても都会に住む私たちには点となる船しか見えない」という意見と選評F「都

会ではなく田舎の古い電車に乗っている」や選評G「帰省中か旅行中だったのだと思う」という意見を起点に、作品

の詠歌状況を想像する議題を設定した。グループ分けは都会と田舎・旅行とで分けたが、クラスBにおいてはほぼ全

員が田舎・旅行側につき、大きな偏りが生まれた。そこで教授者側から「ガタンゴトン」という列車の音は聞こえて

いながら海の音が聞こえていない―ないし海の音を描いていない―ことから、海までの距離がかなりある都会として

も解釈が可能であると作品の読み取りを提示して議論の展開を図ったが、実際にはここから大きく展開することはで

きなかった。ただし、それはこの議題を設定した段階である程度予想していたものであり、付随する形で議題③へ展

開することを企図している。展開としては、作品の読解として概ね田舎・旅行に偏るにもかかわらず、選評Eのよう

に都会の視点で読む選評があり得るのか、ということである。

  右を受け、議題③では改作案を提示し、議論を深めた。案自体は議論②との兼ね合いもあるので、議論がここまで

(12)

進んでから提示した。具体的には第三句「写りこむ」を「江の島と」へと変えてみた。狙いは、地名を詠み込むこと

で視点が固定でき、一首全体が具体化されることで作品の読みが安定することにある。ただ、地名を示すことで一首

の想像性は大きく狭まってしまう。一長一短のある改作である。議論の展開としては、ここから地名などの固有名詞

を作品の中に詠み込む意味を議論するように持ち込みたい。

  実際の議論では、概ね原作支持と改作支持が半々ほどとなった。原作を支持する意見では、かってに作品の表現を

改めるのはよくないといった感情的なものもあった。一方で、場所を固定することで読み手の解釈が狭まるとこちら

が意図していたとおりの意見を提示するものもいた。改作を支持する意見では、地名を詠むことで電車が江ノ電であ

ることが想像できみえるものが多くなるという作品理解からの意見と、原作の「写りこむ」のままでは「眺めば」と

内容が近く変更が望ましいという表現上の意見が提出された。これも概ね想定どおりの意見であった。本時では、あ

えて結論としてどちらを立てるということはせずに、それをまとめる形で、作品を作る場合に地名や固有名詞を有効

に使用すべきことを説いた。これは今回創作した短歌への批評であると同時に、今後の表現活動をも視野に入れた指

導となる。

  以上、二クラスにおける実践の概要を述べた。各クラスとも選評をもとに議論を始発させ最終的に表現方法として

のことば選びを意識化するところまで議論を進めることができた。作文や創作においてことば選びや表現が重要であ

ることは言を俟たないが、それを意識化することは存外困難である。特に教科書に掲載される作品は、表現に難のな

いものが多く、なおさらである。本実践では、生徒が創作した作品について批評を加えることで、その点へ意識を向

けることを企図している。それぞれの議題③で改作案を示したように、別の表現に置き換えることで、表現の問題が

明確になることもある。作文指導の上でも重要な一階梯であると考える次第である。

(13)

五、結語   以上、短歌の創作実践及びそれを用いた選評執筆とディベートの授業報告を行った。本実践は可能なかぎり教授者

側から介入を行わずに展開することで、受講者の自発的な活動を促すことを旨とした。そのもっとも端的なあらわれ

が、創作した短歌に対して教授者から添削や批評を行わず、選評を書くことを通して受講者間で批評を行うことであ

る。

  このように受講者間で表現を精査し、批評することで、表現をどう選択し仕立てるかに意識的になることができる

だろう。表現の完成度が高い教科書教材では、表現に対して意識的になり、自身の表現活動につなげることは存外難

しい。表現に対して意識的になることは、表現が荒削りであったり、意を尽くさぬところもある他の生徒の作品を読

むことによって、読解力を鍛え、よりよい表現を模索することを通してこそ達成されるのである。

  むろん、表現に意識的になっても、その技術を磨かなければ効果があったとはいえまい。本実践は、これを通して、

まずは表現の可能性に気づき、自身の言語活動を高めてゆくという次の段階へと進む一階梯となれば一応の目標は達

せられたといえよう。次の段階の表現指導としてどのようなことが可能かを考えつつ、さらに研鑽を積んでゆきたい。

付編

:短歌作品   実践を行ったうちのクラスB分の作品一覧を示す。これは選評を書く際に示したのと同じ形式・歌順である。

【作品一覧】

①ああやだな夏休み明け登校だ朝起きるのがとてもつらいな

(14)

②朝はやく起きて向かうは東西線満員電車にもまれる平日

③打ち上がり夜空に映える菊の花火花を散らし砕ける悲しさ

④教えても母はスマホが分からずに便利なはずが大変な日々

⑤おはようと起きたはいいが夏休み実は夜中でくずれるリズム

⑥お昼時突然起きて時計みる母に向かってあと五分だけ

⑦ガタンゴトン窓を眺めば写りこむ真っ青な海点となる船

⑧帰宅してまず一番の楽しみがラジオを流して休憩するとき

⑨最高だ夏の暑さにたえながら木陰の下でアイスを食す

⑩すごいなと褒め合うことば気恥ずかし素直に言えるワロタ、それな

⑪宿題を最終日までやらないと夜も寝 むれぬ地獄の幕開け

⑫将来の夢をきかれて考える思いつかない自分の未熟さ

⑬長財布中の札束親の苦労そうとも知らずラーメン特盛

⑭何もない毎日平和なことこそが実は一番大切なこと

⑮夏の昼疲れたからと一度ねる肺魚は夏眠自分は仮眠

⑯夏休み家でだらだら時間過ぎ宿題終わらずねれない9月

⑰夏休み課題と部活多すぎてひまな日がなくとても疲れる

⑱夏休み計画だけはいっちょまえ直前になり僕あせりだす

⑲夏休み宿題終わらず最終日徹夜覚悟でパソコン向かう

⑳夏休み外が暑くて引きこもる冷房効いた部屋でゴロゴロ

(15)

夏休み楽しみにして待ってたがやることがなく暇な毎日

夏休み人が行き交う街の中一歩入れば惑わされる

夏休みまだ大丈夫繰り返し最後にまとめやる宿題

ハイビスカス冬には枯れてしまっても夏になったら大輪の花

飛行機に大きな荷物お土産もそれにつまった貴重な経験

二人きり永遠に来ないあのバスを暑い日の中待ちたかったな

干しハンガー冷たい衣類着せられて乾いてきたら脱がされるかな

道端に一匹のせみ横たわるまた来年に命をつなぐ

夕焼けの赤い光が反射して海が波引きチカチカ光る

譲り合い裏目に出るとうらめしい満員電車で空いた一席

【付記】実践に協力してくださった時野谷ゆり教諭並びに中学部九回生諸君に記して感謝申し上げる。

(16)

表 現 に な る 部 分 を「 胸 を 刺 す 」 と 替 え る こ と で、 よ り 明 瞭 に 自 身 の 心 理 的 な 状 況 を 詠 ん だ も の と す る こ と が で き る。本時ではあまり時間が残っておらず詳細な検討はできなかったが、ここから曖昧なまま表現を投げ出すことで読者の想像力をかき立てる効果があること、明確なことばを配置することで一首全体の解釈を明瞭とすること双方の意義を確認した。 クラスBでは次の短歌及び選評を取り上げた。ガタンゴトン窓を眺めば写りこむ真っ青な海点となる船

参照

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