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石 川 伍 一 日 記 を 読 む ︵ 二 ︶

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(1)

大 里 浩 秋

まえ がき ここ に載 せる 石川 伍一 日記 の解 読文 は︑ 本誌 前号

︵第 一九 一号

︶の

﹁石 川伍 一日 記を 読む

︵一

︶﹂ の続 きに 当 る︒ 石川 伍一 につ いて は︑ 前号 に簡 単に 紹介 した ので 参照 して いた だき たい

︒ 解読 文は

︑原 文中 のカ タカ ナは ひら がな にし

︑人 名を 除く 漢字 の旧 字体 は新 字体 に改 め︑ 適宜 句読 点を 付し て いる

︒ま た︑

︺に よっ て文 字の 不足 や不 明な 点を 補っ たと ころ があ り︑ 解読 でき なか った 文字 は□ で示 した

︒ 他に

︑原 文中 に一 字な いし 二字 分の 空白 があ る箇 所は

︑そ のま ま空 白に した

︒ なお

︑解 読に 際し て︑ 今回 も常 民文 化研 究所 田上 繁教 授の 援助 をい ただ いた

︒ 明治

十八 年十 一月 から 十九 年二 月の 日記

(2)

十一 月日 記 一日 日曜

九月 二十 五日 礼拝 の為 め天 主堂 に赴 く︒ 此の 日預

︹豫

︺君 林氏 の処 に搬 し︑ 林氏 同昌 に来 る︒ 豫君 は伊 予の 人誠 実の 士也

︒陸 軍中 尉渡 同大 尉大 原光 清 三日

火 晴 九月 二十 七日 此の 日は 日本 皇帝 の天 長節 に当 るを 以て 領事 館よ り当 地在 留の 日本 人を 招く

︑予 等に 及ぶ

︒馿 競争 の遊 あり

︒午 前九 時半 尽く 領事 館に 集る

︒十 時半 過馿 及び 馬に 乗し 発す

︒西 門外 の郊

墳墓 地に 至る

︑三 里余 なり

︒十 二時 を 過く

︑即 ち氈 を布 き行 厨を 開く

︒洋 食な りし

︒時 空腹 に際 し其 好味 言ふ 可か らず

︒食 事中 支那 人の 軽業 師来 り技 を演 する も︑ 時に 取て の一 興な りき

︒食 完り 場に 上る

︒德 丸君 の馿 と予 乗る 所の 馿と 相嚙 し︑ 遂に 予は 落馬 の先 がけ をせ なり

︒競 馿凡 そ四 回︑ 第一 はア レン とて 七歳 なる 小児

︑第 二は 同氏 父ウ ルレ アム

︑第 三は 豫氏

︑第 四同 氏︑ 第四 は丘 上に 国旗 を置

︹き

︺取 り回 るも のな り︒ 第二 番は アレ ン氏 なり し︒ 種々 賞品 あり たり

︒此 日の 可笑 しき こと は誰 も皆 な落 馿せ さる もの なき こと なり し︒ 第一 の競 馿に 支那 書生 五名 の前 後同 しく 落ち

︹し

︺時 とき は︑ 尤も 可笑 かり し︒ 此日 は一 同大 笑快 愉を 尽し て回 れり

︒領 事館 に於 て夕 の 盛 あり し中 口に して 領事 立て

□︑ 聖上 の万 歳を 祝せ り︒ 此日 興に 与り し者 は︑ 領事 波多 野氏

︑ 氏︑ ウル レア ム氏

︑同 子ア レン 氏︑ 曽根 氏︑ 林氏

︑豫 氏︑ 徳丸 氏︑ 武藤 氏及 ひ予 也︒ 夕 の時 は清 人某 氏も 来れ り︒

(3)

午郊 外に 於て 食せ しと き︑ 支那 人喟

︹蝟

︺集 追は ば走 り亦 集り 乃ち 予起 て之 を打 掃へ は彼 皆な 予の 支那 装せ るを 以て 蔑如 中々 聞入 れざ るも 一笑 なり き︒ てん かん にて 仆れ もが く小 童あ りて

︑為 め□ 一驚 をな した り︒ 予等 午食 せし 所は 墳墓 地に して 西人 の屢 々遊 ぶ所 なる 由︒ 前面 に大 湖あ り渺 々海 の如 し︑ 三角 淀と 呼ふ

︒ 此日 夕 の を受 け完 り将 に帰 らん とす

︹る

︺時

︑風 猛烈 誠に すさ まじ く樹 鳴り 屋震 する

︒武

︑德 二君 一宿 を勧 む︒ 湯浴 を欲 せし を以 て遂 に宿 す︒ 四日

晴 水 九月 廿八 日 早起 寓に 帰る

︒寒 冷殊 に甚 し︒ 昨夜 の風 より 大に 気候 を変 した る思 ひを 為せ り︒ 五日

木 晴 九月 廿九 日 午後 武︑ 德二 君を 訪ふ

︒此 日は 小林 君死 去の 七日 に当 るを 以て

︑墓 所に 至り 花を 供し 以て 吊ふ

︒領 事君 予等 を呼 ひ︑ 小林 君法 会の 為め とて 晩 を し先 日の 天長 節の 菓子 を す︒ 帰︹ りに

︺二 君と 豫君 を訪 ふ︒ 六日

金 陰︑ 雪下 らん とす

﹇る

﹈か 如し

︒ 九月 卅日 午前

︑四 五日 前よ り風 邪に 犯さ れ未 た全 く快 から ず︒ 今朝 満身 粟を 生し 冷甚 し︒ 乃ち 臥床

︒下 午曽 根君 に伴 はれ 叫売 所に 至る

︒君 二薬 を買 へり

︒ 二日 月 曽根 君よ り一 塊を 恵せ らる

︒即 ち砍 肩児 を買 ふ︒ 八百 文な り︒

︹こ こに 二日 の記 録が ある のは

︑先 に一 日と 三日 と書 いて 二日 の記 録が ない のを あと から 補っ たと 考え られ る︺

(4)

二十 一日 佐々 木氏 普済 号に て早 朝着

︒領 事及 氏 夫人 与焉

︒氏 風邪 に罹 り臥 床︒ 牟田

︑宗 方︑ 大浦 諸氏 より の書 信あ り︒ 家君 の返 信達 す︒ 二十 日 林氏 海晏 号に て上 海に 赴く

︒帰 朝す るな り︒ 北京 より 来り し牧 氏同 伴た り︒ 牟田 に答 ふる の書 を托 す︒

︹こ こか ら五 日間 は︑

﹁二 十 日﹂ とし て書 き出 して いる

︒い ずれ 正確 な日 付を 書き 足そ うと して その まま にな った ので あろ うか

︺ 二十 日 城北 門外 なる 劉氏 を河 清館 に訪 ふ︑ 在ら ず︒ 氏前 に書 を曽 根君 に寄 せ予 を見 んと 欲せ り︒ 二十 日 曽根 君病 に罹 る︒ 風邪 の如 し︒ 二十 日 長崎 骨董 家佐 野氏 来る

︒芝 罘白 須君 より 風月 夢一 部を 贈ら る︒ 二十 日 笠原 氏及 山岡 氏北 京よ り来 る︒ 上海 に赴 くな り︒ 二十 九日 白須 君の 信を 領す

︒宗 方︑ 大浦 両氏 の答 信︑ 牟田 の信 を笠 原氏 に托 す︒

(5)

三十 日 曽根 氏病 悪く 熱甚 し︒ 西医 フレ ザア ー氏 を請 す︒ 十二

月 三日 曽根 氏病 少く Ãゆ

︒同 昌客 寓病 を養 うの 地に 非さ るを 以て 此日 を以 て領 事館 に移 居す

︒予 与焉

︒武 藤氏 と共 に一 隅室 に住 す︒ 氏は 甲斐 の人 にし て詩 を能 くす

︒而 るに 搬家 の為 め大 に忙 はし

︒ 四日 此日 室内 整飾 の為 め忙 はし

︒ 六日

︑七 日 仁礼 氏︑ 佐野 氏と 共に 来津

︑佐 野氏 直に 帰朝

︒曽 根氏 病大 にÃ ゆ︒ 斬髪 散歩

︒ 佐々 木氏 亦病 已Ã

︑只 た依 身体 之羸 弱未 全復 本︒ 九日 陰天 黎明 より 下痢 甚し

︒午 下騎 馬の 遊を 為す

︒ 此頃 未た 河上 凍氷 を結 はず と雖 も︑ 北路 の通 船ï 有絶 無の 状な りし

︒ 節已 に臘 月︑ 朔風 凜烈

︑厳 寒火 炉な くん ば温 袍と 雖も 之を 凌く 能は さる を以 て支 那炉 を購 ひ︑ 漸く 炉を 抱き 煖を 取る を得 たり

︒炉 硬一

︹煤

︺を 用ゐ 木炭 を以 て之 を焼 く︒ 燃え 難く して 消え 易︹ す︺ し︒ 此煤 煙を 生せ ず火 焰盛

(6)

んな る︒ 一か 月凡 そ炭 煤二 元に て足 るへ しと 云︒ 十一 日 劉嶮 峰氏 に て語 を学 ふ︑ 予の 之を 修め んと 欲す る久 し︒ 而る

︹に

︺無 資如 何と もす る能 はず

︒今 資を 得た るに 非ざ れと も︑ 自ら 思ら く此 地に あっ て語 を学 はず んば 益な し︒ 且貧 書を 買ふ て読 む能 はず

︒歳 月流 るゝ か如 く予 を待 たず

︒今 にし て学 はす んば 何を か為 せん と︒ 嘗て 曽根 君毎 月金 若干 を予 に給 し小 費に 充ら しむ

︒即 ち之 を以 て語 学の 資に 充て んと 欲し

︑且 つ足 らず んば 之を 人に 借ら んと 欲す

︒毎 月学 費一 元半 なり

︒ 領事 夫人 より 氷鞋 を賜 はる

︒即 ち跑 氷の 具な り︒ 木身 鉄歯

︑之 を試 むる に踉 に直 立す る能 はさ りし

︒両 三日 を経 て少 く其 意を 得た り︒ 毎々 二氏

︵堀 内︑ 武藤

︶と 西南 門外 壕に 遊氷

︑時 に領 事︑ 君

︑幷 両夫 人も 遊ふ

︒是 より 先き

︑西 人我 領事 館後 公園 右側 に於 て跑 氷場 を設 け︑ 男女 混遊 氷上 を走 る︒ 快く 飛ふ か如 く左 右前 後意 の如 くな らさ るな し︒ 時に 楽を 奏し 其遊 を助 たる こと あり

︒西 人の 豪遊 羨む に堪 へた り︒ 此れ 金銭 の然 らし むる 所か

︒ 十二 日 曽根 氏と 同し く北 門の 劉氏 を訪 ふ︑ 在ら ず︒ 南門 を出 て海 光寺 前を 過き 領事 館裏 門に 出つ

︒ 十四 日 此日 佐々 木氏 電報 局に 到り 朝鮮 変あ るを 聞き

︑帰 り報 す︒ 恰も 去年 昨日 即ち 朝鮮 乱起 り︑ 暴徒 公使 館を 襲ひ 兵士 闕門 に健 闘す るの 時な りき

︒人 皆な 奇異 と思 ひを 為さ ざる

︹は

︺な し︒ 前に 大院 君の 帰る や世 人皆 謂へ り︑ 朝鮮 前途 洶々 其れ 発哉

︒其 後世 論囂 々目 を注 かざ るも のな きの 時に 当て 此報 あり

︒窃 に朝 鮮国 歩艱 難を 哀み

︑我 かj 堂の 之を 如何 に処 する かを 疑へ り︒

(7)

是よ り先 き聞 くに

︑日 本自 由党 朝鮮 に入 り乱 を興 すと

︒ 十八 日 此日 始め て朝 鮮変 乱の 報流 説な るこ とを 知れ り︒ 十四 日 此頃 水路 の通 船全 く止 まり

︑而 して 陸路 の通 信始 めて 開く

︒東 京舎 弟に 送る 信を 曽根 氏に 托す

︒内 に家 郷へ 送る の書 あり

︒︹ 上に 十四 日の 記録 があ るが

︑さ らに 書く こと があ って 遅れ てこ こに 付け 加え たの だろ うか

︺ 二十 一日 日曜 佐々 木氏 は領 事始 め居 留書 生官 人十 二名 を招 き︑ 日本 料理 の晩 を す

︒ 二十 三日 火曜 夕暮 霏々 小雪 降る

︒地 下白 妙と なる

︑久 しか らず して 消ゆ

︒是 より 先両 三度 雪降 ある と雖 も︑ 未た 地を して 銀世 界な るに 至ら ず︒ 此頃 の好 天気 なる 誠に 近年 に珍 しき 由な り︒ 気候 の温 和な る東 京な どに 比す れば 暖に して

︑聞 きし に違 ひて 大に 愉快 なり し︒ 二十 七日 上海 牟田 より 信達 す︒ 蓋し 前二 信に 答ふ るな り︒ 白井 氏よ り 報あ り︒ 二十 九日 仁禮 氏家 を領 事館 の東 六町 斗り なる 小村 落中 に借 る︒ 三十 日

(8)

仁禮 氏を 訪ふ

︒ 三十 一日 此夕 佐々 木氏 予等 を呼

︹び

︺鶏 を煮 て酒 を飲 まし む︒ 満飲 飽食

︑投

—之 戯を 為す 時に 仁礼 氏よ り信 至る

︑来 遊す へし と︒ 乃ち 武︑ 堀二 氏と 行く

︒德 氏先 つ在 り︒ 韻を 探り 詩を 作り 盃を 挙け て酒 を飲 む︒ 佐氏 も亦 至る

︒投

—以 て此 夜を 徹せ んと す︒ 佐氏 帰る

︒予 等輸 贏を 争ふ 数十 番︑ 夜遂 に明 く︒ 即ち 帰る

︒ 二十 七日 領事 及 氏搗

£す

︒予 等に も送 らる

︒ 明治

十九 年 一月 一日 快晴 朝 天皇 陛下 及皇 后の 真影 を拝 す︒ 領事 波多 野君

︑曽 根海 軍大 尉︑ 書 記及 佐々 木氏 に至 り︑ 新年 を賀 す︒ 此夕 領事 客を 招き 新年 の賀 宴を 開く

︒来 客十 二名

︑予 等亦 与焉

︒蓋 し天 津に 在留 する 者悉 集れ り︒ 宴終 り座 を改 め更 に歌 舞吟 謡興 を催 し歓 を極 めて 散ず

︒ 此夜 殊に 一層 の興 を添 へた る者 は演 戯な り︒ 其の 可笑 しく 面白 しく 皆抱 腹大 笑せ さる もの なし

︒昨 日徹 夜を 為し たる を以 て睡 魔に 催さ りし

︒ 一月 二日 快晴

(9)

寝午 刻に 至る

︒蓋 一昨 夜を 徹し 又昨 日寝 ぬる に暇 あら さる を以 てな り︒ 豫君 を訪 ふて 新年 を賀 す︒ 此夜 武︑ 堀二 氏と 新年 を仁 禮君 の所 に祝 す︒ 投— の戯 を為 す︒ 予大 に勝 を得 たり

︒二 更に 及て 帰る

︒ 一月 三日 快晴 此日 午曽 根︑ 豫二 君新 年を 祝せ んか 為め に筵 を同 昌に 設け 客を 招く

︒予 等も 亦た 与焉

︒会 名十 名洋 之 な り︒ 一月 四日 快晴 午下 領事

︑ 及両 夫人

︑曽 根︑ 仁禮

︑徳 丸︑ 佐々 木︑ 武藤

︑堀 内氏

︑予 と十 一人 郊外 に出 て橇 を浮 へて 氷上 を走 る︒ 左に 曲り 右に 回り 周転 直走 する 能は ず︑ 落転 顚倒 腰を

ち膝 を き立 上れ ぬあ りて 面白 し︒ 競走 をも なし た り︒ 此夕 氏 新年 の宴 を為 し客 を招 く︒ 会者 十二 名雑 煮の あ り︒ 日本 風に 像れ り︒ 酒食 終り 各芸 を為 す︒ 舞あ り謡 あり

︑亦 演戯 もあ り︒ 一月 五日 此日 は昨 日の 橇に て或 は肩 痛み 又腰 み

︑身 体疲 れた るも のも 多か りし

︒ 馿に 乗し 海光 寺に 遊ぶ

︒此 日よ り念 書を 始む

︒ 一月 十一 日 日曜 此日 領事 及諸 氏行 厨を 携へ 跑氷 以て 海光 寺に 遊は んと す︒ 蓋し 西南 門内 外壕 之に 通す るあ るな り︒ 海光 寺は 名勝 の地 に非 ざる なり

︒然 れと も機 器局 あり

︑一 望渺 茫眼 界を 放つ

□□ 宜し

(10)

此日 陰埋 風猛 く黄 塵空 を覆 ひ寒 甚し

︒室 内塵 土の 為め に黄 なり

︒遂 に此 日の 遊を 果さ ず︒ 一月

﹇十 二日

﹈ 昨夕 常と 名る 女子 死す

︒曽 て当 地に 在て

●●

﹇﹁ à売

﹂の 二字 を墨 で消 して いる のが 読み 取れ る﹈ をな せし もの

︑ 前両 三月 より 病に 罹り

︑之 を憫 むも のあ り美 軍艦 の医 に就 き︑ 後法 病院 に入 る幾 くも なく して 病医 之を 辞す

︒人 皆な 起た ざる を知 る︑ 在留 日本 人領 事始 め又 美国 軍艦 の人 等醵 金し て之 か葬 をな さし むと 云ふ 一月 十三 日 陰 午下 三時 常の 葬式 あり

︒ 君︑ 武︑ 堀二 氏︑ 予と 之に 臨む

︒西 國和 尚来 り経 を読 み︑ 又予 等に 向て 説教 す︒ 頗る 慇懃 なり

︒式 終り 僧予 等を 聞く

︒ 國曰 く皆 我国 の書 生な り︒ 又予 を指 して 彼れ 日本 人に して 支那 装す と︒ 僧乃 ち予 に向 て支 那語 を説 く︒ 捷快 語音 殆と 支那 人の 如し

︒予 等之 を解 する 能は さり し︒ 聞く 支那 地に ある 二十 五年 と︑ 嗚呼

︒又 布教 に勉 めた りと 謂つ べし

︒帰 路 君に 僧予 等に 何を 謂ふ たる を問 ふ︒ 曰く 此の 女は 死人

︑神 之を 助く るや 否や を知 らす と雖 とも

︑基 教な らさ る足 下等 は會 て知 らさ る女 を同 国人 とて 親切 にも 之を 送り 基教 の予 を請 かる

︒神 必ず 之を 嘉に し助 くる なら ん︒ 夫れ 人の 死は 無常 にし て何 時何 処に 死せ しも 知る べか らず

︒死 して 神に 祈る も何 か益 せん

︒予 生前 に神 を信 し之 か福 を求 めさ るべ から ず云 々︒ 其の 経を 念し 予等 に向 て云 ふや

︑詞 に語 に悲 哀を 帯ひ 人を して 悚然 たら しむ

︒ 此夕 六出 紛々 地を 覆ふ

︒満 目銀 界の 如し

︒積 一寸 許︒ 十四 日 晴 十五 日

(11)

佐々 木氏 氏 の室 を借 り鶏 鴨を 煮て 客を 招く

︒歓 を尽 し十 二時 散す

︒ 十六 日 土 此夜 衆 君の 室に て骨

—の 戯あ り︑ 行て 見る

︒遂 に之 に入 り夜 を徹 す︒ 紅暾 輝々 たる に及 て止 む︒ 与に する 者︑ ︑ 仁︑ 豫︑ 徳︑ 武︑ 堀と 予な り︒ 十五 日 此日 曽根 氏に 従て 騎馿 城内 の沈 氏を 訪ふ

︒南 門よ り出 て海 光寺 路に 沿て 帰︹ る︺

︒冷 風骨 に徹 し︑ 耳鼻 斬落 する か如 し︒ 十七 日 日曜 曽根 氏の 命を 以て 又沈 氏を 訪ふ

︒ 十八 日 月曜 下雪

︑風 之に 加ふ

︒ 十九 日 火 降雪 猶已 ます

︒然 れと も積 るï に二 寸許

︑寒 威堪 へ難 炉火 為め に暖 なら ず︑ 遂に 堀内 氏に 至て 半日 の遊 をな す︒ 廿日 寒風 梢を 吹て 蕭々

︒ 二十 三日 曇 散歩 途に して 雪降 る︒ 将に 還ら んと すれ ば︑ 雪風 面を 衝き 鼻耳 落る かと 疑ふ

(12)

三︹ 二︺ 十四 日 雪 白雪 満地

︑曠 望天 地と 際し

︑又 一景 なり

︒此 夕徳 丸氏 鴨を 買ふ て予 等を す

︒ 二十 七︑ 八日 頃 此夕 骨— を為 んと する に際 し領 事予 等を 呼ひ 諭す に︑ 規律 を正 しく せざ るべ から さる を以 てす

︒夙 起散 歩読 書寝 寤︑ 宜し く時 を定 むべ しと

︒蓋 し予 等晏 起夜 寝時 なら ざる を以 て此 に及 へる なり

︒尋 て談 内閣 を改 革に 及ふ

︒又 大隈 氏職 を辞 する 所以 を聞 く︒ 二十 五︑ 六日 頃 一夕 武︑ 德︑ 堀三 氏︑ 予と 骨— を催 し芝 麻糖

︵此 の地 にて 尤も 賤に して 口に 適す

︒常 に予 等買 ふ所

︶を 7し 贏輸 を争 ふ︒ 夜深 を覚 らず

︑鶏 鳴を 聞き 皆愕 然遂 に夜 を徹 す︒ 戸を 推し て眺 むれ ば︑ 不時 枯木 皆な 花︹ 咲︺ くか 如し

︒ 而る に地 に雪 を見 ず︒ 雅景 譬へ き物 なし

︒ 清正 月に 近き しを 以て 電報 学堂 休暇 徳丸 氏来 宿︒ 二十 八︑ 九日 両日 間領 事館 書籍 取調 の事 を助 く︒ 三十 日 此夕 君 牛を 煮て 予等 を す︒ 骨— の戯 を為 し三 時に 至る

︒仁 礼氏 亦在 焉︒ 三十 一日

晴 日 十二 月二 十七 日 天好 晴暄 和風 なし

︒遂 に出 遊を 果さ ず︒

(13)

二十 七︑ 八日 頃 一日 の縫 補を 為せ り︒ 漢口 足立 忠八 郎氏

︑芝 罘白 須直 氏︑ 福州 大澤 欽一 氏よ り新 年祝 賀の 書到 る︒ 福州 鈴木 氏よ りも 来る

︒ 一月

初め 予の 領事 館に 移る や︑ 常に 下痢 一日 両三 度︑ 之を 治す るに 苦︹ し︺ めり

︒此 月曽 老爺 より 一元 を給 せら れし を以 て綿 褲子 を買 ひ︑ 始め て医 する を得 たり

︒而 して 常に 跑氷 又は 馬に 乗し 或は 散策 す︒ 而し て自 ら強 健と なり しを 知ら さり し︒ 一日 同昌 に至 るに

︑主 人一 目予 の肥 壮と なり しを 云ふ

︒月 末に 至り 雪屢 々降 り運 動を 妨く

︒室 内に 蟄し 怏々 不楽 さる も︑ 同窓 の友 ある を以 て遂 に遊 戯に 陷る に至 る︒ 二十 五︑ 六日 の頃 日々 新聞 を見 て始 め︹ て︺ 政府 の改 革を 知る

︒ 内大 臣三 条公

︑宮 中顧 問川 村伯

︑佐 々木 伯︑ 福岡 子︑ 佐野

︑寺 島伯

︑山 尾 内閣 大臣 兼宮 内大 臣伊 藤伯

︑外 務大 臣井 上伯

︑内 務大 臣山 縣伯

︑大 蔵大 臣松 方伯

︑司 法大 臣山 田伯

︑陸 軍大 臣大 山伯

︑文 部大 臣森

︑海 軍大 臣西 郷伯

︑農 商務 大臣 谷子

︑逓 信大 臣榎 本︑ 参謀 本部 長有 栖川 熾仁 親王

︑元 老院 議長 大木 喬任 伯︑ 議官 福羽

︑山 口尚 彦︑ 穴戸

︑土 戸︑ 隺田

︑安 場︑ 清岡 公張

︑ 高崎

︑田 中︑ 中村

︑尾 崎三 良︑ 渡︑ 林︑ 大迫

︑塩 田三 郎︑ 議官 七十 余名 あり

︒此

警視 総監 三島 通庸

︒ 勅諭 あり

(14)

朕惟 ふに

︑維 国の 要は 官其 制を 定め て機 関各 其所 を得 るに あり

︒内 閣は 万機 親裁 専ら 統一 簡捷 を要 すへ し︒ 今 其組 織を 改め 諸大 臣を

□各 其重 責に 当ら しめ

︑統 ふる に内 閣総 理大 臣を 以て し︑ 以て 従前 各省 太政 官に 隷属 し︑ 上申 下行 経由 繁復 なる の弊 を免 れし む︒ 乃ち 各部 に至 ては 官守 を明 にし 以︹ て︺ 濫弊 を除 き選 叙を 精く し︑ 以 て才 能を 得て 繁文 を省 き以 て淹 滞を 通し 冗費 を節 し︑ 以て 急要 を挙 け規 律を 厳に し以 て官 規を 粛ま し︑ 徐々 に 以て 施政 の整 理を 図ら んと す︒ 是れ 朕か 諸大 臣に 望む 所な り︒ 中興 の政 一た ひは 進み 一た ひは 退く へか らず

︒ 華を 去り 実を 窮め 綱挙 く目 張り 永遠 続く へか らし む︒ 諸大 臣其 れ各 朕か 意を 体し て奉 行す る所 あれ

︒ 明治 十八 年十 二月 二十 三日 奉勅

内閣 総理 大臣 伯爵 伊藤 博文 又大

井︑ 稲垣 諸氏 四十 余名 事を 朝鮮 に挙 んと して 発覚 捕へ らる

︒ 二月

一日

晴 月 十二 月廿 八 曽老 爺よ り二 元給 せら る︒ 豫君

︑同 昌︑ 及城 内沈 氏の 寓に 使す

︒騎 馿快 心亦 快︒ 此日 劉先 生求 銭期 末至 也︒ 予不 欲給 以½ 日在 近︑ 求尤 切乃 給一 元︒ 与先 生到 紫竹 林木 À問 木価

︒先 是托 刀三 把於 佐々 木沽 売焉

︒有 人買 一把 価七 元以 当前 月学 費而 未交 給銀

︒先 生要 銭急

︑借 武︑ 堀二 氏各 一元 ï給 之︒ 初二 晴和

火 十二 月念 九 朝使 郵便 局及 張氏 宅︒ 下午 到同 昌︒

(15)

初三

和暖 朗晴

水 十二 月三 十日 此日 以½ 日故 街上 熱閙

︑聞 至新 年初 三各 店閉 肆不 買売 故予 備之 也︑ 且盛 饌過 年云

︒此 夕与 德氏 上紫 竹林 訪豫 君到 同昌

︒各 戸点 紅燈 貼新 聯潔 飾市 店雑 遝︒ 帰途 有一 小女 直来 執德 氏弁 子戯 而不 放牽 之︑ 則与 帽共 落矣

︑遂 大笑

︒聞 德国 人某 女年 十一

︑蓋 蔑視 以為 清人 行此 無礼 者乎

︒德 氏中 匂我 日本 人彼 聞之 躊躇 而 別遂 不已

︒ 支那 此夕 食煮 餃子 例也

︒此 夜爆 竹声 四不 絶︒ 初二 此夜 与德

︑武 二氏 訪仁 礼君 骨— 及十 二時 還︒ 初三 此夕 佐々 木君 以曽 老爺 旨戒 予曰

︑將 有為 者豈 与区 々碌 々之 輩為 伍為 群可 乎︒ 近日 遊惰 太甚 夫年 月如 矢青 年再 不可 得及

︑今 不勉 励君 年老 而千 悔万 悟何 益︒ 予黙 然無 辞深 服焉

︒顧 往事 不堪 感慨

︒ 初四 小曇

木 正月 元日 午下 使朱 其詔

︑朱 湛然

︑伍 廷芳

︑劉 小亭

︑沈 瑛︑ 同昌 戴于 元︑ 張赤 山︑ 隋清

︑選 呈名 刺述 年賀

︒乗 馿而 帰疲 甚︒ 此夜 於 君室 催百 人︹ 一︺ 首︒ 五日 小雪

金 正月 二日 朝来 白雪 菲々 及午 時而 止︒ 夕暮 復降 積二 寸許

︒此 夜仁 礼君 来為 骨—

︒ 六日

晴 土 三日 朔風 凜々 寒冽 太甚

︒此 夕仁 礼氏 出銭 買牛 肉飲 於予 等室

︒此 夜天 地粛 清光 燦爛 夜景 可看

︑烈 風猛 雨之 後天 地如 自新

(16)

真哉

︒ 七日

晴 日 初四 此日 買炭

︒先 是屢 買忘 記之

︒百 斤価 銅銭 二千 文︒ 比日 本炭 質悪

︒ 八日

晴 月 初五 罹風 邪︒ 抄老 爺報 告︒ 聞李 鳳包 欽差 德国 之日 政府 造鉄 艦三 隻︒ 彼臓 二︑ 三十 万両 為曾 欽差 等所 弾劾

︑ï 得李 中堂 憫 官於 総弁

︒悪 人奔 千里 之譬 事暴 露世 上復 不可 掩︑ 遂潜 其跡 云︒ 呉大 澂耒

□為 吉林 露境 全権 使将 発去 年自 朝鮮 耒穆 氏当 再用

︒ 九日

晴 火 初六 天朗 晴誼

︹喧

︺和 小春 之候 也︒ 欲医 風邪 昨夕 洗澡 暖身 寝到 午不 医︒ 十日

晴而 風 水 初七 昨夜 領事 招瞽 者聴 弾︒ 又呼 跟班 們或 弾月 琴拉 胡弓 彼唱 此和

︒而 奈何 不知 花柳 情曲 不能 味其 滋味

︒其 音如 濁間 有奇 異声 比之 我国 之音 曲彼 閑而 雅此 濁而 俗乎

︒盖 思所 謂 声耶 別当 有律 呂之 雅楽

︒此 日亦 欲洽 風邪 寝到 午汗 流太 甚而 未治

︒先 是受 老爺 命写 字期 五日

︑此 日写 完呈 之︒ 十一 日 晴 木 初八 領事 君 曽根 君及 両夫 人招 西人 学踏 舞︒ 此夜 堀内 氏買 牛飲 予等 之室

︒ 十二 日 晴 金 初九 無事

(17)

十三 日 晴 土 初十 無事

︒此 夜武 氏等 麻糖 を買 ひ闘

—す

︒争 ひあ り中 にし て止 む︒ 十四 日 晴 日 十一 此日 小林 君遺 品不 用の 物を 売り

︑又 は与 ふ︒ 予は 武氏 の与 へら れた る者 より 上肌 衣二

︑下 肌衣 一を 得た り︒ 十五 日 晴 月 十二 此日 より トツ カゾ ラヒ カル

︑ト ロウ ヰン グを 売始 む︒ 領事 館よ り米 欧回 覧寔

︹実

︺記 を借 ふ︒ 此頃 風邪 未た 治せ さる か為 め外 出す る能 はず

︑煩 悶鬱 々心 楽ま ず︒ 十六 日 晴 火 十三 午下 夫 人招 予等 闘— 之遊 を為 す︒ 完り

︑豫

︑德 二氏 と仁 氏の 病を 訪ふ

︒晩 食を 供せ られ

︑談 二更 に及 ふ︒ 明月 白日 の如 く︑ 夜景 玩ふ べし

︒ 十七 日 晴 水 十四 無事

︑只 少し の写 字を 為す

︒ 十八 日 晴 木 十五 午下 沈氏 之処 に使 す︒ 佐氏 事あ りて 同往 武藤 氏を 誘ふ

︒此 日は

会と 云ふ て一 年中 の尤 も熱 閙な る日 なり

︒領 事館 を出 れは 張氏 に会 す︒ 氏曰 く︑ 吾将 に汝 を誘 ひ天 津之 燈を 看︑ 又演 戯を 見ん とす と︒ 乃ち 共に 行く

︑張 氏の 家に 及ふ

︒此 に氏 予等 の事 あり て行 くを 知り 帰家 す︒ 紫竹 林を 出ん とす る処 に︑ 鉦鼓 鑼の 音喧 しく 行路 雑遝 行く べか らず

︒乃 ち 法鼓 と云

︹ふ

︺も のに て鏟 を持 つ者 前列 に居

︹り

︺︑ 鉦鼓 之に 次き

︑神 輿の 如き 者︵ 金粉 燦爛

(18)

接造 にし て人 之を 舁く

︶後 に居 る︑ 衣飾 りた る世 話人 の如 きも の各 旗を 携へ 指令 す︒ 其外 種々 の者 負担 せる あり

︒ 漸く 之を 通り 城に 近き 処に 各戸 角燈 を掛 く︒ 関羽 一代 順序 に画 き︹ く︺ 者と 思は る︒ 之よ り李 氏の 前佐 々木 氏薬 支店 に息 す︒ 又出 て文 美斉 と云 ふ紙 舗に 至る

︒頗 る大 なる 家に して 有名 の紙 屋な り︒ 途に 復法 鼓に 会す

︒鑼 を鳴 らす 者十 余人 両列 に分 れ舞 なか ら鳴 らす

︒其 迅速 なる 雷電 かと 思は る︒ 耳為 めに 聾せ しか と疑 ふ︒ 帰路 城内 に入 る︒ 沈氏 を訪 ふ︑ 在ら す︑ 看燈 に行 きし と︒ 寓前 に営 の如 き者 あり 常に 馬を 畜ふ

︒何 れの 日に 火を 失せ しに や三

︑ 四の 馬焼 爛す るを 見る

︒無 惨な る有 様な りや

︒此 日の 人多 く雑 沓太 甚し けれ ども

︑燈 を見 すし て惜 し︹ き︺ 事し たり

︒帰 館労 乏甚 し︒ 此日 は支 那人 常に 円宵 を食 ふと 云ふ

︒ 十九 日 金 晴 十六 夕暮 ︑ 仁︑ 德三 氏と 看戯 に赴 く︒ 両三 日前 より 仁氏 住す る所 の村 及向 村に て共 合建 てし と云 ふ︒ 即ち 仁氏 宅の 下に て畝 中な り︒ 少老 男女 麇集

︑紅 衣の 美人 白粉 の少 も我 等か 目に は俗 なり

︒戯 子は 小児 なり

︑衣 服の 粗な るか 為め に更 に見 栄な し︒ 遊歩 せん とて 浙江 糧運 官桟 に至 る︒ 乃ち 広大 なる 米倉 なり

︒浙

︑江 両省 より 貢米 を此 に蔵 する なる べし

︒側 に一 座の 砲台 あり

︑泥 造毀 壊用 ゆ可 から ず︒ 直立 四︑ 五丈 もあ るべ し︒ 肉薄 して 上る

︒眺 むれ ば曠 焉渺 焉︑ 東は 白河 之結 氷︑ 屈曲 日布 を洒

︹晒

︺す か如

︹し

︺︒ 村落 所々 に隠 見︒ 西は 天津 城巍 然た るを 望み

︑ 南は 長堤 の蜿 々と して 巨蛟 の臥 する か如 し︒ 北は 茫々 遠く 天に 連り 佳景 未た 見さ る所 なり

︒ 北支 那戦 争記 に曰 く 此地 に市 中よ り凡 そ二 里許 の下 之方 へ北 河あ りて

︑左 右に 小な る砲 台を 築き 以て 敵の 攻入 を防 き︑ 且つ 其砲 台以 内の 地を 見る に長 く蜿 蜒た る堤 を築 き︑ 市街 は言 を待 たす 近傍 の郷 村に 至る 皆 其中 に囲 み︑ 北河 の水 上に 至て

(19)

其堤 始め て絶 へ︑ 且つ 其堤 の全 長を 計算 する

︹に

︺殆 と十 五里 あり しや

︒思 ふに 若し 熟練 の銃 手を 置き 以て 堅固 に防 禦す る時 は︑ 大に 我軍 の侵 入を 妨け しな るへ し︒ 然と も此 堤は 全く 昨今 新に 築き し者 にて

︑余 等か 聞く 所に は︑ 其造 営の 価平 均一 尺に 就き ïに 五ペ ンニ ーを 用ゐ 成就 した りと

︒又 此堤 は今 者戦 闘の 為め 新に 築き し者 たれ とも

︑到

︹る

︺処 一も 大砲 の備 へあ るを 見す

︒因 て大 に之 を怪 み其 故を 問ふ に︑ 蓋し 彼の 意は 我兵 は皆 海軍 隊な れは 船上 に於 て大 砲の 操転 其巧 を□ むる と雖 も︑ 陸地 に於 て之 を操 転す るは 巧な る能 はす

︒故 に此 堤を 堅固 なる を見 ると きは 必ず 驚駭 して 戦を 交ふ に及 はす

︑退 くへ きを 思惟 した りと

︒然 るに 彼等 は我 兵の 海岸 より 施条 銃ア ルム スト ロン クを 引き 揚け 至る を望 見し 大に 驚き 謂へ らく

︑此 の如 く大 砲数 十門 を並 列し 襲ひ 来る 時は 此城 壁の 敵を 之に 抗す へき に非 すと を︑ 因て 大に 其目 的を 失ひ 大に 驚愕 せし と云 ふ︒ 此城 壁を 築き しは 僧格 林沁 なり

︒ 二十 日 晴 土 十七 無事

︒此 夜闘

—の 遊を 催す

︒散 歩す

︒ 二十 一日

風 日 十八 朝来 朔風 大に 起り 黄塵 天を 掩ひ

︑白 日為 めに 光を 失ふ

︒夜 に入 り四 隣寂 寞明 月天 に皓 々た り︒ 此夜 領事 之処 に談 話す

︒ 二十 二日

晴 月 十九 二十 三日 晴和

火 二十 午下 騎馿 城内 沈氏 寓を 訪ふ

︒家 内雑 沓紅 事あ るか 如し

︒帰 路南 門を 出て 海光 寺路 より 還る

︒夜 德︑ 武︑ 堀三 氏と 仁氏 を訪

︹ひ

︺︑ 談数 刻に して 帰館

(20)

二十 四日

晴 水 二十 一 曽根 氏と 馬に 騎り 近郊 に遊 ふ︒ 数多 の村 落を 経︑ 到処 平原 茫々 枯草 地に 布き

︑黄 色看 あり

︒此 日中 や暖 かに 風起 らず

︑真 に難 得良 日な り︒ 二十 五日

晴︑ 風 木 念二 朝来 朔風 大に 起り 土を Öき 砂を 飛は し︑ 天地

½朦 咫尺 弁す 可か らず

︒樹 木折 れ屋 震は んと する か如 く︑ 暗澹 凄愴 限り なし

︒ 二十 六日

晴 金 念三 前日 より 風邪 に犯 され

︑此 日汗 を取 らん か為 寝午 時に 至る

︒治 せず

︒ 二十 七日

晴 和暖

土 念四 天晴 朗日 和暄

︑真 に春 陽の 候な り︒ 想ふ に︑ 梅桜 笑を 呈し 蕾を 破り 墨隄 東台 臥龍 の勝 も盛 んに

︑人 山を 為す の時 なる べし

︒漫 に故 郷の 花も 懐か し︒ 此地 や此 良日 に際 し︑ 爛漫 たる 花の 吾遊 を促 かす なく

︑復 た佳 山好 水の 吾杖 を曳 く者 あら ず︒ ïか に吾 か鬱 悶を 慰む るも のは 渺茫 たる 曠原 に我 眼を 放つ へき のみ

︒天 の蒼 々極 りな きと 地の 渺々 際り なき と以 て︑ 我心 を曠 開す るに 足ら んか

︒乃 ち武

︑堀 二氏 と館 を出 つ︑ 河を 越え 東岸 旧砲 台上 に登 る︒ 眺望 対岸 米倉 房の 台に 同し

︒而 して 日の 良な るか 為め に眺 望亦 自ら 新な るか 如し

︒東 方二

︑三 里の 所に 河東 機器 局を 望む

︒弾 薬砲 鎗を 製す

︒規 模宏 大一 日役 する 所五

︑六 百人 に下 らず と云 ふ︒ 西人 二︑ 三名 あり

︒水 師学 堂其 中に 設く

︒総 弁を 潘世 栄と 云ふ

︒年 々日 本の 銅及 硫磺 を買 ふ太 た多 しと

︒下 り長 堤に 上る

︒此 堤は 向岸 の堤 に同 しく 一千 八百 六十 年英 仏聯 合清 を攻 むる 時に 築き し者 なり

︒東 岸よ り起 て北

︑運 河に 至て 尽く

︒長 さ十 三清 里余

(21)

彎月 砲台 十三 座︑ 乃ち 此堤 は外 方に 小湾 をな し︑ 内方 に大 湾を なせ し者 にて

︑小 湾の 角隅 に砲 を運 転す へき 地を 設く

︒蓋 し此 砲台 に於 て防 く時 は︑ 其の 湾に 入る 能は さる か如 し︒ 外濠 あり

︑諸 方に 通ふ る閘 六︑ 七あ り︒ 皆磚 瓦を 以て 之を 造る

︒宜 訪門 西東 北 門山 海門 を過 く︒ 蓋し 其地 に通 する の門 なる へし

︒堤 上を 走る

︒河 に従 て上 る︒ 諸所 村落 一部 を為 し︑ 行く に従 て天 津に 近く

︑一 里余 にし て一 小河 あり 堤を 横断 す︒ 渡る へか らず

︑乃 ち下 り︑ 村落 に入 り又 出て ゝ河 を尋 ね氷 橇に 乗し 帰ら んと す︒ 途に 牛馬 人糞 累々 積て 山の 如し

︒蓋 し夏 時支 那人 曠原 に出 て三

︑四

︑伍 をな し空 を望 て放 尿す る者 を拾 ひ︑ 之を 乾し 西方 に送 り肥 料と なす と︒ 之を 過れ は小 丘波 の如 し︒ 乃ち 墳墓 なり

︒河 に出 てん とす る所 に手 を挙 け予 等を 招く 者あ り︒ 至れ

︹り

︺見 れば 施床 子な り︒ 乃ち 之に 乗し 此処 蓋し 河に 非す

︒行 少許 村落 に至 る︑ 行く へか らず

︒橇 子乃 ち橇 を背 ひ村 落を 過き

︑河 に出 て法 米英 の軍 艦前 を過 き家 に帰 る︒ 夕武 氏牛 を煮 て德

︑堀 二氏

︑予 と酒 を飲 む︒ 領事 予等 を呼 て談 話す

︒予 法律 の事 を問 ふ︒ 領事 曰く

︑此 れ書 の蠧 のみ

︑書 に拠 り判 する のみ にて

︑乃 ち能 く書 を暗 んす る者 は能 者な り︑ 自ら の才 や智 能を 用ゐ るを 要せ すと

︒且 つ法 律者 の同 権と 云ふ を大 に攻 撃せ り︒ 人に 智愚 貧富 強弱 の差 あり

︒決 して 同権 と云 ふべ から ず︒ 且つ 大に 譬 をは き論 せり

︒又 獄刑 のこ とに 付て

︑人 をし て苦 まし め悔 悟せ しむ るに あり

︒而 るに 体の 強弱 を論 せす

︑其 罪に より 同刑 苦役 せし むる とき は︑ 体の 強な る者

︵乃 ち常 に苦 役す る者

︶苦 を覚 えず

︒体 の弱 なる 者︵ 常に 紙筆 を配 る者

︶其 労に 堪へ す︑ 或は 病み 或は 死す るに 至ら ん︒ 甚た 不公 平な りと

︒蓋 し此 スペ ンセ ルの 哲学 に出 つる もの なり と︒ 二月 二十 八日

晴︑ 和暖 日 念五

(22)

此日 午下 曽根 氏と 馬に 騎し 河東 の地 に遊 ふ︒ 馬を 走ら しむ るの 好地 なし

︒東 局前 に二 砲台 を望 む︒ 泥土 を築 きた る者 の如 し︒ 蓋し 特に 機器 局を 守る 為に 造り し者 か︒ 晴暖 昨日 に譲 らす

︒ 前月

或は 今月 に於 て厳 寒凜 凜肌 を裂 くの 日あ りき

︒聞 く天 津の 施粥 所に 於て 八十 人余 凍死 せり と︒ 年々 凍死 する 者多 しと 云ふ

︒ 二月

中記 事︹ この タイ トル のみ で内 容の 記載 はな い︺

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