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村上淳一先生追悼

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Academic year: 2021

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【追想】

村上淳一先生追悼

鈴木 直志

村上淳一先生の謦咳に初めて接することができたのは、1997 年に私が桐 蔭横浜大学に赴任した直後である。桐蔭法学部はこの時、設置年度を終えて 五年目を迎えており、村上先生はちょうどこの年に新学部長に就任されてい た。したがって、先生と私は学部長と新任教員という立場で面識を持ったの だが、その時の緊張は今でも忘れることができない。

先生の『近代法の形成』(岩波全書、1979 年)や「国家の概念史における 帝国と領邦」(吉岡・成瀬編『近代国家形成の諸問題』木鐸社、1979 年)と いったご著書や論文は、私が携わるドイツ近世史研究において必読の先行研 究であった。赴任前は大学院生だった私にとって、村上先生はこれらのご著 書を通してのみ知る法制史の大家であり、まことに雲の上のような存在なの であった。その先生が突然、桐蔭法学部でともに仕事をする研究者・教員と して身近な存在になられたのである。これが驚かずにいられようか。緊張せ ずにいられようか。

もとより、先生と私の間に事前の接触点がまったくなかったわけではない。

それは、O・ブルンナー『ヨーロッパーその歴史と精神』(岩波書店、1974 年)と F・ハルトゥング他『伝統社会と近代国家』(岩波書店、1982 年)と いう二つの研究書を通じてのご縁である。これらはドイツ中近世史の錚々た る専門家たちによる共訳書で、村上先生も無論その中に加わっておられたの だが、ここに名を連ねる訳者の平城照介先生、ならびに阪口修平先生が、中 央大学文学部での私の直接の恩師なのである。私はこの二人の先生方から、

村上先生のことについて(そして、翻訳検討会の緊張感ある厳しい雰囲気に

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桐蔭法学 25 巻 2 号(2019 年)

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ついても)時々お話を伺ったことがあった。また村上先生からは、初対面時 に「平城先生の息のかかったあなたをお迎えできて嬉しい」とのお言葉をい ただき、身が引き締まった記憶もある。

桐蔭時代、村上先生は鵜川学長の信厚く、長く学部長の任にあたられた。

こうした事情もあり、残念ながら先生から研究上のご指導を賜る機会はほと んどなかった。ただ、先生がわれわれの依頼をお聞き届けくださり、2009 年に一度だけメモリアルライブラリで講演いただいたことはよく覚えている。

それは、ライブラリの一面にびっしりと配架された村上寄贈文庫と同様、迫 力ある内容であった。

もう先生にお目にかかれないと思うと悲しみに耐えない。今はただ心から 先生のご冥福をお祈りするのみである。

(すずき・ただし 中央大学文学部教授

元桐蔭横浜大学法学部教授)

参照

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