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智山學報 第67 - 009鈴木 雄太「聖憲における「初発心時便成正覚」解釈――日本華厳宗諸師との比較を通して――」

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聖憲における「初発心時便成正覚」解釈(鈴木) 抄録   「 初 発 心 時 便 成 正 覚 」 は『 華 厳 経 』 に 説 か れ、 華 厳 宗 に お け る 成 仏 論 の キ ー タ ー ム で あ る。 こ の 語 に つ い て は、 古 く から様々な議論がなされてきた。本稿は、聖憲を中心として凝然門下に属する日本華厳学僧たちの解釈を考察したもの である。聖憲は、 華厳学僧としての一面とともに、 真言学僧としての一面も持ち併せている。 「初発心時便成正覚」は、 華厳宗のみならず真言宗にとっても重要なタームであり、両教学(華厳教学・真言教学)に造詣の深い聖憲の主張をみ る こ と で、 「 初 発 心 時 便 成 正 覚 」 を 捉 え る 際 に 華 厳 と 真 言 で 解 釈 に 相 違 が あ る こ と も 確 認 で き た。 ま た 最 後 に は、 聖 憲 の学僧としての立場にも言及した。

一、はじめに

  聖憲(一三〇七 〜 一三九二)は、頼瑜(一二二六 〜 一三〇四)を受け継ぎ、新義真言教学を大成した人物として有名 である。その一方で、久米田寺の盛誉(一二七三 〜 一三五一)に師事して華厳を学んでおり、華厳学僧としての一面も 持ち合わせている。   「初発心時便成正覚」は『華厳経』に説かれ、 華厳宗の成仏論を語るうえで欠かすことのできないキータームである。 またこの語は、華厳宗のみならず、天台宗や真言宗においても重要視される。初発心時便成正覚は主に行位論の観点か

聖憲における「初発心時便成正覚」解釈

︱︱ 日本華厳宗諸師との比較を通して ︱︱

 

  木

 

  雄

 

  太

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智山学報第六十七輯 ら議論され、 各宗においてこの語を聞けば、 天台では「初住成仏」 、 華厳では「信満成仏」 、 真言では「初地即極」や「発 心即到」といったタームが想起される。   初発心時便成正覚に関する議論は大きく二つの性格に分類できる。一つは、自らの教学における行位の在り方を論じ るものである。要するに、自宗の行位の在り方としてそれぞれの成仏論が語られる。もう一つは、他宗の行位との関係 が論点となる。例えば、自宗の初住位は他宗の何位に当たるのか、自宗の行位は他宗の行位と同じなのか違うのか、と いった問題である。それぞれの宗学の中でそれらの議論は盛んになされ、初発心時便成正覚は成仏までの道程や他宗と の教判を考えるうえで重要な役割を担っている 1 。   本稿はその中でも、 華厳の 4 4 4 「初発心時便成正覚」について、聖憲を中心に日本の華厳学僧の解釈を探っていく。また その際、聖憲が真言・華厳の両教学に造詣の深い学僧であることも念頭に置きながら論考したい。   華厳宗では、性起思想に基づく「旧来成仏」や所要時間をめぐる議論で用いる「三生成仏」など様々な視点から成仏 論が語られるが、 その中でも行位論や時間論など多くの側面と関わるのが 「初発心時便成正覚」 である。華厳教学では、 前後相即・一即一切の哲理によって十信の満心に一切位を具え、初発心の時に正覚を成ずることから、信満成仏の同意 としても理解されている 2 。   そもそも初発心時便成正覚はややこしく、これを捉えようとするならば、論点を整理しながら慎重に考察していかな ければならない。なぜなら、華厳の「初発心時便成正覚」には様々な問題が潜んでいるからである。例えば、初発心時 便成正覚とは実意なのか施設なのか。理成なのか事成なのか。あるいは、初発心位は信満位なのか初住位なのか。さら には円融門・行布門との関連など、古来より様々な議論がなされてきた。   そ の 中 で も 最 も 盛 ん に 論 じ ら れ る の は、 「 初 発 心 時 の 正 覚 と は、 究 竟 覚 な の か 分 覚 な の か 」 と い う 問 題 で あ る。 こ の 問題については、華厳の学僧のみならず、真言の学僧たちも盛んに議論を展開しており、筆者は以前、聖憲と他の真言 学僧の言及を比較する形で若干の考察を加えている 3 。それを踏まえて、 本稿では華厳学僧としての聖憲の系譜 (盛誉・

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聖憲における「初発心時便成正覚」解釈(鈴木) 禅爾・凝然)を遡り、聖憲に到るまでの解釈の変遷、そして、真言の教理との関わりについて論じていく。また最後に は、聖憲の 学僧としての在り方 4 4 4 4 4 4 4 4 4 にも一言附したい。

二、日本華厳における「初発心時便成正覚」解釈

  華 厳 学 僧 と し て の 聖 憲 の 系 譜 を 遡 る と、 直 近 の 師 は 久 米 田 寺 の 盛 誉 で あ る。 そ の 盛 誉 は、 禅 爾( 一 二 五 二 〜 一三二五) 、併せて禅爾の師である凝然 (一二四〇 〜 一三二一) に師事し華厳教学を学んでいる 4 。そこで、 凝然・禅爾・ 盛誉を取り上げ、聖憲に到る以前の「初発心時便成正覚」解釈を辿っていく。

(一)凝然における「初発心時便成正覚」解釈

  凝然は東大寺の教学復興に尽力し、戒壇院の長老として膨大な著作を残したことで知られている。十六歳のとき比叡 山で菩薩戒を受けると、翌年には戒壇院に移り、円照(一二二一 〜 一二七七)を師とし、その他様々な学僧より諸宗を 広 く 学 ん で い く 5 。 凝 然 の 教 学 は 八 宗 兼 学 と 言 わ れ る よ う に 多 岐 に 亘 る が、 と り わ け 華 厳 に 造 詣 が 深 く 6 、「 鎌 倉 期 以 降 の 華 厳 学 は 凝 然 に よ っ て 規 定 さ れ た 7 」 と 言 わ れ る ほ ど 後 の 日 本 の 華 厳 学 に 多 大 な 影 響 を 及 ぼ し た 8 。 ま た 凝 然 の 華 厳 学 に つ い て は、 伝 統 的 な 華 厳 の 正 統 に 忠 実・ 公 正 と の 評 価 が あ り、 「 独 創 的 な 見 解 を 交 え る こ と な く、 事 実 を、 あ る い は 自 分 が 承 け て き た 伝 承 を、 客 観 的 に 淡 々 と 記 し て い る の が 特 徴 9 」 と 指 摘 さ れ る。 こ の こ と は 凝 然 の 教 学 に よ っ て、 ある程度の華厳のオーソドックスが知られることを表していよう。そこで、 凝然の解釈をみると同時に、 日本華厳のオー ソドックスを抑えたい。 (A) 『五教章通路記』 (以下『通路記』 )   「初発心時の正覚は究竟覚か分覚か」について、凝然は『通路記』の中で次のように述べている。

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智山学報第六十七輯 円教の意、十住の中の初発心住に、其の無明に於いて一断一切断し如来の一身無量身を得る(中略)斯れ乃ち初発 心時に便ち正覚を成ず。生死煩悩、一時に断壊し円行成就して一生に即入す。 初発心住は是れ分証の成道なり。究 竟の正覚に非ず 。 是れ相即円融して一成一切成なり。 二位已上次第に漸増し、 断証の深広なること不可思議なり (『大 正』七二、 三七六頁中) ここからは凝然が分覚の立場にあることが窺える。さらに、 復 古 に 云 く、 「 十 に 普 賢 入 証 分 は 此 れ 即 ち 一 乗 根 性 の 定 に し て 此 の 門 に 折 成 す。 衆 生、 解 行 満 足 し 果 海 に 証 入 す。 則ち知んぬ、是れ寂滅円極自在の果に非ざるなり 。又「即見上来諸教」等と云うは当に知るべし、 此の中の果海は 即 ち 是 れ 発 心 品 の 初 発 心 時 に 得 る 所 の 果 な る の み 。 亦 た 不 思 議 等 の 所 顕 の 果 な り。 「 此 中 説 」 と は 即 ち 果 海 不 可 説 を顕すなり。 此の文に「不可説不可説」と云うは乃ち是れ具徳難思なるも教法より出るのみ。果分の玄絶不可説を 言うには非ず 。是の故に、結びて「此約一乗入証分斉処」と云う。既に此の処に就いて説くと言う。 果海に非ざる を顕すこと明らかなり 」已上。此の復古記、前第九門を普賢教分と名づく。彼に対し、此を普賢入証分と名づく。 果海に入るとは所見の相なり。 即ち此れ第十なり。 一切諸法は皆果海に入る。 唯だ証の境界のみ言説すべからず (『大 正』七二、 四三六頁下) と、師会(一一〇二 〜 一一六六)の『復古記』を引用し、初発心時に得る果とは、究竟果ではなく因分に対しての果分 であることを示している。つまり『復古記』では、初発心時の果とは、絶対的な究竟果ではなく相対的な果に過ぎない と捉えている。また『復古記』には、 この果は教法から出た果であり、 不可説なる究竟果ではないことが記されている。 そして『復古記』の引用の後、言説できない証の境界のみが究竟果であるという凝然の解釈が示されている。   一方で、別の箇所には、 初発心時便成正覚と言うは、既に始終皆斉なるが故に初発心の一位に成覚す。即ち究竟円満の極位を得る。信位の 満心に即ち究竟妙覚の極果を獲る 。終を得ざれば初を得ざるを以ての故に( 『大正』七二、 五〇一頁下)

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聖憲における「初発心時便成正覚」解釈(鈴木) と、初発心時の正覚とは究竟覚であることが述べられる。そしてその後、 章の「良由如此法界縁起」等とは、 此れ上来の頓に究竟を成じ、円融自在始終皆斉なる所以所由を明かす。五十二 位は一縁起法にして、信位の行徳は妙覚位に与して一縁起を成ず。妙覚を成ずるを以て一信位とす。妙覚の極位は 信位の法に与して一縁起を成ず。信位を得るを以て妙覚の果とす。信位の仏果、同時に円満す 。中を得るに由るが 故に即ち初後を獲る。初後を獲るが故に亦た中位を得る。五十二位は一時に現前し、一念に仏果の円満を成就す。 因果同時にして即ち十玄に通ず。一玄門の中、因果同時なるが故に十種同時に円満を成ず。総合円通して一味法万 徳の衆門を成ず。満足円通して一味仏果の証を成ずるが故に( 『大正』七二、 五〇二頁上) と説かれる。つまり、初発心時の正覚を究竟覚とみるのは円融門に即するときであり、円融門に即すれば初発心住どこ ろ か 初 信 位 に も 究 竟 覚 を 成 じ て い る と い う の で あ る。 但 し、 「 信 満 の 時 に 此 の 円 融 を 得 る。 信 位 の 初 信、 行 徳 を 未 だ 立 せ ざ る が 故 に、 信 位 の 初 に は 融 摂 を 説 か ず 10」 と も い う よ う に、 円 融 の 義 を 理 解 す る こ と が で き る の は 信 満 位 に 到 っ て からである。要するに、道理としては初信位にも究竟覚を成ずることができながら、それを解することができるのは信 満位に到ってからだということである。   以上のように、 『通路記』では初発心時便成正覚に対し、 二つの立場から説明がなされる。一つは分覚の立場であり、 このときの初発心時便成正覚は教法から出た相対的な正覚と説明される。もう一つは究竟覚の立場であり、このときの 初発心時便成正覚は円融門に即した正覚と説明される。   次に、初発心時便成正覚と円融門・行布門の関係に関して言及のある『八宗綱要』をみていく。 (B) 『八宗綱要』   『 八 宗 綱 要 』 は 仏 教 の 入 門 書 と し て 知 ら れ、 凝 然 が 仏 教 各 宗 の 教 理 を わ か り や す く 示 し た 著 作 で あ る。 そ の 中 で 華 厳 の行位について、

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智山学報第六十七輯 別 教 一 乗、 ( 中 略 ) 此 れ に 二 門 あ り。 一 に 次 第 行 布 門、 因 果 次 第 し 進 修 証 入 す る が 故 に。 二 に 円 融 相 摂 門、 因 果 融 摂し無礙即入するが故に。 行布を以ての故に不可説不可説微塵数劫を経る。円融を以ての故に一念速疾に仏果を証 する なり( 『大日仏』三、 三六頁下) と説明される。すなわち、華厳には行布門と円融門があり、行布門に即せば成仏までに多劫を要すが、円融門に即せば 一念速疾に成仏するという。また、 三生の証果、還て本成を彰わし、十信の道、円にして果海に没同す。行布の施設は備さに多劫を経、円融の妙義は 現身に果を証す。 行布は円融を礙えず、円融は行布を妨げず (『大日仏』三、 三六頁上) と 説 か れ る。 こ こ で 注 目 し た い の は、 「 行 布 は 円 融 を 礙 え ず、 円 融 は 行 布 を 妨 げ ず 」 と い う 一 文 で あ り、 円 融 門 と 行 布 門 は お 互 い を 妨 げ る も の で は な い こ と が 主 張 さ れ て い る。 こ の 両 門 の 関 係 に つ い て、 『 華 厳 宗 要 義 』 に も 気 に な る 記 述 があるので確認したい。 (C) 『華厳宗要義』 (以下『要義』 )   『要義』に以下の問答がある。 問う、華厳一乗、唯だ頓入のみありて漸入なければ、事儀満ぜんや。答う、 華厳満教には漸入なしと雖も、一切の 法義、頓漸の化事具足円満して闕ける所あることなし 。海印定中に一切の法門を具足し顕現して同時に満ずるが故 に( 『大正』七二、 一九二頁中) この問答は、 「華厳宗では基本的には頓入を強調するが、 それが頓漸具足の教えであることを認識しなければならない」 ということを示唆している。つまり華厳では、円融門に即すれば初発心時に正覚を成ずることができるが、それは行布 的な次第の一切を初発心時に摂するという意味での初発心時便成正覚であるという。その意味で、一見矛盾のあるよう に思われる一念速疾の円融門と多劫経歴の行布門は、両門の二本別立てということではなく、お互いに妨げ合わず同時

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聖憲における「初発心時便成正覚」解釈(鈴木) に成り立つものでなくてはならないというのである 11。   ここまで、凝然の「初発心時便成正覚」に関する言及を概観してきた。以下に箇条にまとめておく。 ・「初発心時便成正覚」に対し、二つの立場から説明する。  一つは分証の立場で、教法より出た相対的な初発心時便成正覚。もう一つは究竟覚の立場で、円融門に即した絶対的 な初発心時便成正覚。  円融門に即せば初信位に究竟果を得ているが、そのことを体得できるのは信満位に到ってからであり、これを「初発 心時便成正覚」と称する。 ・円融門と行布門は二門別立てというわけではなく、二門が妨げ合わずに成り立っている。  すなわち、円融門に即する究竟の初発心時便成正覚も、行布的な階位を排除するのではなく、初発心時に一切の階位 を摂するという意味での究竟覚である。

(二)禅爾における「初発心時便成正覚」解釈

  禅爾は久米田寺第二代住持を務め、久米田寺教学の基盤を確立した人物として有名である。また凝然からの信頼も厚 く、東大寺戒壇院の住持も務めている。久米田寺の教学、特に華厳学は、東大寺の系統に属しながらも、高山寺からの 影響も受けており、両者の学風を受容している。   禅爾の伝歴を概略すれば、十九歳で出家し、琳海や凝然から戒律・華厳を学び、凝然の師の円照から具足戒を授かっ ている。また、 東大寺真言院の聖然より密蔵を受けるとともに、 由良興国寺法灯国師のもとで禅の修学にも励んでいる。 すなわち、禅爾は華厳と戒律に精通しながら、真言や禅にも通じた人物である。

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智山学報第六十七輯   禅爾には『初発心時』なる著作があり、 「初発心時便成正覚」を様々な視点から論じている。その冒頭で、 問う、 「初発心時便成正覚」と文り。文意、如何。答う、 初発心住に於いて究竟妙覚を唱うを云う意なり (『日蔵』 七五、 二三五頁上) と、初発心時便成正覚に対し究竟覚の立場を示している。そして、 発心住の中に五位を摂し、円融の故に 、一念の中に於いて二住已去乃至仏果まで円備せざることなしと云う事なり (『日蔵』七五、 二三五頁下) と、 初発心時便成正覚は円融門に即することが明かされている。 さらには、 「一念の上に於いて 円融行布の一門 を見る 12」 と、円融行布の両門は別立てではないことを示し、 「円融行布の一門」とまで述べている。   ここまでの解釈は凝然とほぼ等しい。しかし、禅爾は円融行布を一門とする見方には若干の違和感も感じていたよう で、次のような問答を行っている。 尋ねて云く、行布に約する時は五十二位なり。円融に約する時は即ち初発心住なり。悟り易く而も心誠に難し。若 し此の如くならば、 一人の心中に於いて智慧の明闇相並すべけんや。 所謂る初心の智は是れ未だ明了ならざるなり。 円融に約さば、 即極の智最も明了なるべきなり。此の二智一心に相並する事、 豈に難きならざらんや。如何 (『日蔵』 七五、 二三六頁上下) と問い、 分即円とは是れ円融の正義なり 。不成即已成等の所談は列祖の定判なり。若し爾らば、不成不足時に於いて即ち已 成円満の信解之に在り。信解純熟して 一分に法界に契う時、豈に円満の仏智に徹せざらんや (中略)但し、明闇相 並の難に於いては明闇已に相違せず。明は闇に即し、円は分に即す。故に分の中に於いて円見を成ず。闇の中に於 いて明智を成ず。豈に難とするや。爰に知んぬ、後位に前位を摂するは闇中に於いて分智を起し、明中に於いて円 智を具す。分を全して円にせしめ、闇を全して明にせしむ( 『日蔵』七五、 二三六頁下)

(9)

聖憲における「初発心時便成正覚」解釈(鈴木) と答えている。すなわち円融門の正意とは分即円にあり、 そのために、 信満位には法界の一分に契うのみではあるが、 そ れは究竟覚を成ずることと同じであるという。この他にも禅爾には、 「一分契合の位に無上妙果を成ずと云う意なり 13」 「 始 に 入 る は 即 ち 正 に 是 れ 終 な る が 故 な り。 一 分 の 果 用 を 証 す る 処 の 法 界 悉 証 の 意 な り 14」 と い っ た 言 及 が あ り、 円 融 門の分即円なることを強調する姿勢が窺える。さらに、 円覚上人が観行相応時の分覚を成仏と称することに対して、 「彼 ( 円 覚 上 人 ) は 観 行 相 応 時 の 少 分 の 証 得 を 成 仏 と 名 づ く る の 故 に、 其 の 義 各 別 な る 者 な り 15」 と 述 べ て お り、 分 即 円 の 4 4 4 4 成仏 4 4 と いわゆる分覚 4 4 4 4 4 4 とを区別すべきことを忠告している。   このように、禅爾の「初発心時便成正覚」解釈は凝然と同様、円融門に即した究竟覚の立場にある。しかしながら、 初発心時は法界の一分に契うのみであり、禅爾のいう究竟覚とは円融門の分即円なる道理に基づくものである点に凝然 との相違がみられる。 禅爾の「初発心時便成正覚」解釈を箇条にまとめておく。 ・初発心時便成正覚は円融門に即した究竟覚である。 ・円融門と行布門は二門別立てというわけではなく、 「円融行布の一門」とみる。 ・円融門の正意を分即円とし、初発心時には法界の一分に契うのみであるが、それは究竟覚と同意であるとする。 ・分即円なる円融門の分の成仏と、いわゆる分覚の区別を強調する。

(三)盛誉における「初発心時便成正覚」解釈

  盛誉は禅爾のもとで華厳・戒律・密教を学んだが、とりわけ華厳に造詣が深く、湛睿(一二七一 〜 一三四六)ととも に禅爾門下の二哲として知られている。禅爾の跡を継ぎ、久米田寺第三代の住持となり、後には戒壇院の第六世も務め ている。また、盛誉は久米田寺の灌頂院において禅爾より伝法灌頂を受けており、東密の相承も授かっている 16。

(10)

智山学報第六十七輯   盛 誉 は『 華 厳 手 鏡 』 に お い て、 三 〇 の 小 題 を 掲 げ 華 厳 の 宗 旨 を 論 じ て い る が、 そ の 中 の《 正 覚 因 果 》《 別 位 通 局 》 17 に初発心時便成正覚に関する言及をみることができる。   《正覚因果》では、 問う、 華厳経の文に云く、 「初発心時便成正覚」と文り。爾の意、 今此の正覚とは究竟果満の正覚と云うべしや(中 略)答う、六位の成仏は一宗の玄談なり。我宗の意、初後相即の旨を談じ、因果円融の意を述べるが故に、 初発心 住の位に即ち究竟果満の正覚を成ずと云うなり (『大日仏』一三、 四六二頁上) と問答がなされ、究竟覚の立場を示している。   《別位通局》には、円融門と行布門の関係について、 凡そ今経は会々品々皆円融の大義を述べ、文々句々悉く無礙の深旨を顕す。是を以て、 行布は是れ円融の行布、円 融は則ち行布の円融なり。行布円融の二互相摂を釈す (『大日仏』一三、 四七四頁上) とあり、凝然や禅爾と同様に二門の相摂が主張される。   ま た 華 厳 宗 に は、 三 生 成 仏 に 関 し て、 「 実 際 に 三 つ の 生 涯 を 隔 生 す る の か 否 か 」 と い う 議 論 が あ る が、 盛 誉 は、 実 際 に三つの生涯を経るわけではなく第二生上に第三生を得るという二生成仏の可能性を主張する。盛誉はそのときの根拠 と し て も 初 発 心 時 便 成 正 覚 を 用 い て お り、 「 円 融 の 実 義 に 約 さ ば、 既 に 初 発 心 時 に 証 入 し 畢 り 、 更 に 実 報 の 隔 生 あ る べ からず 18 」と述べている。 盛誉の「初発心時便成正覚」解釈を箇条にまとめておく。 ・信満位=初住位=初発心時に究竟果を得る。 ・凝然や漸爾と同様、円融行布の二門相摂を強調する。 ・三生成仏の三生不隔生説の根拠として初発心時便成正覚を用いる。

(11)

聖憲における「初発心時便成正覚」解釈(鈴木)   これまで凝然・禅爾・盛誉の「初発心時便成正覚」解釈をみてきたが、三者の主張は概ね一致している。すなわち、 初発心時の正覚は究竟覚であり、それは一即一切という円融門の概念に即して成り立っている。そして、三者は円融行 布の二門を別々に考えるのではなく、二門相摂なることを強調する。なぜなら、初発心時便成正覚の根拠となる一即一 切 の 概 念 は 一 切 位 と い う 行 布 的 な 次 第 が な け れ ば 、最 初 の 一 位 に 一 切 位 を 摂 す る と い う 理 論 が 成 立 し 得 な い か ら で あ る 。   但し、三者の言及はすべて一致しているわけではない。禅爾が初発心時の究竟覚を分即円の究竟覚と釈したり、盛誉 が三生不隔生説の根拠に初発心時便成正覚を用いたりと、各々特徴をみることができる。

三、聖憲における「初発心時便成正覚」解釈

  聖憲は、 幼少に出家し、 弥勒院の実俊に師事し、 その後増喜より中性院流を受法した。教相面では頼瑜の弟子の順継・ 頼豪に就いて頼瑜の学説を学ぶと、根来寺における膨大な論義を整理し新義真言教学を大成させた。また久米田寺に趣 き、 盛 誉 か ら『 華 厳 五 教 章 』 の 講 義 を 受 け、 『 五 教 章 聴 抄 』( 以 下『 聴 抄 』) を 撰 述 す る な ど、 華 厳 学 僧 と し て の 一 面 も 持つ 19。   聖憲は華厳・真言の両教学に即する著作を著している。 本稿では、 聖憲の著作から 『聴抄』 と『大疏百条第三重』 (以下 『大 疏第三重』 )を扱うが、 『聴抄』では法蔵を宗家と称し、 『大疏第三重』では空海を宗家と称している。このことから、 『聴 抄 』 は 華 厳 学 僧 と し て の 著 作、 『 大 疏 第 三 重 』 は 真 言 学 僧 と し て の 著 作 で あ る と 考 え ら れ る。 し か し な が ら、 単 純 に そ の よ う に 見 な し て し ま う の は 些 か 尚 早 で あ り、 両 著 作 に お け る 聖 憲 の 学 僧 と し て の 在 り 方 に つ い て は 次 項( 四、 ) で 改 めて論じることにする。但し、 現時点(三、 )では先のような理由から、 『聴抄』は華厳学僧としての著作、 『大疏第三重』 は真言学僧としての著作と一応見なしておく。

(12)

智山学報第六十七輯

(一)

『聴抄』における「初発心時便成正覚」解釈

  聖憲は『聴抄』において、 普機ならば此の経を開きて一念に悟を開く事あらば、 即ち無尽法界の悟を開くべきなり。 一念開悟の心は仏智なり。 仏智を一念に得んや。豈に所障あるか。 譬えば、大海の一滴を得る時、十徳豈に残すべけんや。海水は仏智の如く にして一滴は初発心のゴトシ。 十徳は三賢十地の功徳なり。 一滴必ず十徳を具し、 発心に豈に諸位を摂せざらんや 。 諸 位 の 外 に 仏 果 な し。 若 し 円 教 仏 果 に 就 か ば 一 々 の 地 内 に 通 在 し て 釈 す る が 故 に、 即 身 成 仏 疑 い な き 事 な り (『 大 日仏』一二、 四九二頁上) と述べ、究竟覚の立場を取る。そして、それは円融門に即してのものであるとする。このとき注目すべきは「即身成仏 疑いなき事なり」と述べ、華厳の初発心時の成仏と真言の即身成仏を同列に扱っていることである。   聖憲には、華厳と真言を会通する姿勢があり、それに伴い華厳学僧の中で聖憲のみが他の学僧と異なる解釈をする場 面 が み ら れ る 20。 例 え ば 三 生 成 仏 に 対 し て、 他 の 学 僧 が 三 生 隔 生 説 か 二 生 成 仏 説 を 主 張 す る 中 で、 聖 憲 は 一 生 成 仏 説 を 説く。言うまでもなく、真言宗にとって聖憲の一生成仏説は即身成仏を想起させる。このような聖憲における華厳と真 言の会通はしばしば目にすることができる。先の初発心時便成正覚に関する言及もそうであり、聖憲は「華厳の教理に 基づいても一生涯で成仏できること」を度々主張する。また行布門についても、 一即一切等とは、此の宗に行布円融の二門あり。行布は四十二位を立つなり。此れは三乗教に寄せて初発心住の功 徳を開きてミスルなり。 修行実入の時は実に歴る位には非ざるなり (『大日仏』一二、 四九一頁下 〜 四九二頁上) と述べ、行布門の階位の次第は初発心時の功徳を開いたに過ぎず、実際に修行をするときにはそれらの次第を経るわけ で は な い と い う。 凝 然 は、 行 布 門 を 実 際 の 修 行 階 梯 と し て 捉 え て い た こ と が 先 行 研 究 に よ っ て 指 摘 さ れ て い る が 、 聖 憲はそのような凝然の主張と立場を異にすることが窺える。そして、このような考え方は真言の初地即極説にも通じる

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聖憲における「初発心時便成正覚」解釈(鈴木) ように思われる。 《初地即極》とは、 論義の算題の一つにも数えられ、 真言行者の階位について論じたものである 22。《初 地即極》 では、 問者の 「設い自宗なりと雖も、 十地の次位を立つ。何ぞ初後の明昧なからんや」 との問いに対し、 答者は、 凡そ自宗の意、遮那の総徳を且く功徳の品数に約して、開いて十地とするなり。仏徳に隔礙なし(中略)十地は横 平等の位にして一成一切成の義決定すと云う事を。之に依りて宗家の釈の中に横竪の十地を以て顕密の差異と判ず (『大正』七九、 六七〇頁下) と答えている。つまり、密教の十地とは、十地を実際に経るわけではなく功徳の品数を開いたものであるという。要す るに、真言宗でも十地という階位を立てるが、それは華厳が円融行布の二門相摂として階位の排除を嫌うのに対して、 密教の十地は横平等に即するものとして階位の次第を否定している。   以上のように、 『聴抄』における聖憲は、 華厳の「初発心時便成正覚」に対し究竟覚の立場を取り、 その上で真言の「即 身成仏」と同列に扱う点が特徴である。また、凝然をはじめ日本華厳の学僧たちは、行布門の階位の次第を否定せず円 融行布の二門相摂を主張していたが、聖憲は行布的な階位の次第を否定し、横平等として功徳の品数を開いたものであ ると捉えている。

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『大疏第三重』における「初発心時便成正覚」解釈

  管見の限り、 『大疏第三重』において、 華厳の「初発心時便成正覚」に対する直接的な言及はない。しかし、 真言の 4 4 4 「初 発心時便成正覚」 に対する言及はいくつかみられる 23。そのうちの一つが先の 《初地即極》 であり、 それは 『大日経疏』 に 説 か れ る「 初 発 心 時 便 成 正 覚 」 が 究 竟 覚 な の か 分 覚 な の か を 問 う 論 義 で あ る。 《 初 地 即 極 》 に お け る 議 論 の 中 心 は 真 言の「初発心時便成正覚」であるため、本稿ではその内容を一々論じることはしないが、一つ確認しておくべき箇所が ある。 問う、 「初発心時便成正覚」 と文り。 爾らば、 今此の正覚は究竟大牟尼位と云うべしや。 此の題に付いて 聊か不審あり 。

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智山学報第六十七輯 住 心 論 に 云 く、 「 是 の 因 是 の 心、 前 の 顕 教 に 望 む れ ば 極 果 な り。 後 の 秘 心 に 於 い て は 初 心 な り。 初 発 心 時 に 便 ち 正 覚を成ずること、宜しく其れ然るなり」と文り。此の釈意、密の初発心位は顕の仏果なるが故に初発心時便成正覚 と云うと見えたり。若し爾らば、今の分証究竟の尋は密の中に於いて論ずる所なり。今の便成正覚は顕の正覚なる が故に、分証究竟を云うべからず。若し論義を違うと思わば、究竟成仏なりと答え、初地なるが故に分証なるべし と難ずるは、密に約せば爾るなり。而れども今の成仏、顕の円満正覚位を指すが故に、究竟成仏と答うと云わば論 義違うべきなり。且く此の事を置して、自宗の意の初地位の分証か究竟かと云うの義に付く( 『大正』七九、 六七〇 頁下 〜 六七一頁上) 聖 憲 に よ れ ば、 《 初 地 即 極 》 の 論 義 は「 聊 か 不 審 」 で あ る と い う。 そ こ で 聖 憲 は、 初 発 心 時 便 成 正 覚 に 関 す る 注 意 点 を 示 し て い る。 例 え ば、 『 十 住 心 論 』 に 説 か れ る「 初 発 心 時 便 成 正 覚 」 は 密 教 の「 初 発 心 時 便 成 正 覚 」 で あ り、 こ れ に つ い て 論 じ る 際 に は「 密 教 に お け る 究 竟 覚 か 分 覚 か 」 の 議 論 に な る と い う。 し か し、 《 初 地 即 極 》 で 問 題 に し て い る『 大 日経疏』 の 「初発心時便成正覚」 は 顕教の 4 4 4 「初発心時便成正覚 (すなわち、 『華厳経』 から引用した 「初発心時便成正覚」 )」 であり、この「初発心時便成正覚」に対し、密教にとっての究竟覚か分覚かを議論するのはいかがなものかと警告して いる。つまり、聖憲は真言の「初発心時便成正覚」と華厳の「初発心時便成正覚」を同じ土俵で論じるべきではないと 忠告している。しかしながら、先述したように、華厳に即する『聴抄』では華厳と真言を同列に扱う姿勢が見られ、華 厳の教理に基づいて真言の教理を説明できる旨が主張されていた。   従って、聖憲の両著作における著述態度は異なり、華厳に即する『聴抄』では華厳と真言の会通を試み、真言に即す る『大疏第三重』では真言と華厳の区別を強調していることが窺える。   聖 憲 に お け る「 初 発 心 時 便 成 正 覚 」 解 釈 を ま と め て み る。 『 聴 抄 』 に お い て、 聖 憲 は 先 の 三 師( 凝 然・ 禅 爾・ 盛 誉 ) と同様に究竟覚の立場を示している。但し、行布門を実際の修行階梯とみる凝然に対し、聖憲は実際には行布的な階位

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聖憲における「初発心時便成正覚」解釈(鈴木) を経るわけではないことを主張する。これは、聖憲が『聴抄』の中で真言との会通を意識したものだと思われ、華厳の 「初発心時便成正覚」を真言の「即身成仏」と同列に扱う箇所も確認できた。しかしながら、 『大疏第三重』では真言の 「初発心時便成正覚」と華厳の「初発心時便成正覚」を混同することに注意を促しており、 『聴抄』と『大疏第三重』の 主張には立場の相違が見受けられる。

四、学僧としての聖憲の在り方

  真言宗学において、聖憲は頼瑜の陰に隠れ、あまり研究が進んでいない。おそらく、真言宗内においては頼瑜の教学 を受け継ぎ新義教学を整備した真言学僧という認識にとどまっている。他方、華厳宗学においても、聖憲を中心に据え た 研 究 は 少 な く、 凝 然 の 一 門 下 と し て 少 し く 取 り 上 げ ら れ る の み で あ る 24。 い ず れ に し て も、 真 言 宗 学 で は 真 言 学 僧 と して、華厳宗学では華厳学僧として認識されているに過ぎない。   そこで最後に、聖憲の学僧としての立ち位置を考えてみたい。凝然や禅爾、盛誉もそうであったように、当時諸宗兼 学は一般的であり、多くの学僧が各地に趣き、諸宗を学んでいた。従って、当然ながら、聖憲自身、自らが真言学僧で あるか華厳学僧であるか、その枠組みを意識していたわけではないとも考えられる。しかし、前述したように、聖憲は 『聴抄』では法蔵を宗家と称し、 『大疏第三重』では空海を宗家と称している。このことから、 『聴抄』は華厳の立場、 『大 疏第三重』は真言の立場にあることを意識していたことが窺える。   し か し な が ら、 結 論 を 先 に 述 べ れ ば、 聖 憲 の 立 場 は 真 言 学 僧 に あ る と 思 わ れ る。 な ぜ な ら、 『 聴 抄 』 で は 華 厳 と 真 言 を 同 列 に 扱 い、 『 大 疏 第 三 重 』 で は 同 列 に 扱 う こ と に 注 意 を 促 し て い る。 も し、 『 聴 抄 』 は 華 厳 学 僧、 『 大 疏 第 三 重 』 は 真 言 学 僧 と し て の 著 作 と 考 え る な ら ば、 『 聴 抄 』 で は 華 厳 が 真 言 よ り も 上 位 で あ る こ と が 説 か れ な け れ ば な ら な い。 し かしそうではなく、華厳と真言の同列を主張するのは、華厳を真言の教理に引き上げていることの表れであり、あくま で上位は真言なのである。一方の『大疏第三重』は、真言と華厳の区別を強調し、当然ながら真言の優位を主張してい

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智山学報第六十七輯 る。要するに、どちらの著作においても、真言が上位であることに変わりなく、聖憲の軸は真言にあることが窺える。 つまり、聖憲は真言学僧・華厳学僧の両面を持ち合わせているわけではなく、そうかと言ってどちらの学僧とも意識し ていなかったわけでもない。聖憲の土台は真言学僧にあり、 『大疏第三重』はもちろん、 『聴抄』も真言学僧としての著 作であると考えることができる。その上で『聴抄』では自ら学んだ華厳の教理が真言の教理にも通じることを主張し、 両者の会通を表したのではないか 。

五、おわりに

  以上、初発心時便成正覚に対する解釈を中心に、華厳学僧としての聖憲の系譜を遡り、その変遷を辿ってきた。凝然 をはじめ、聖憲の系統にある日本華厳の学僧はみな初発心時便成正覚に対し、究竟覚の立場を取っている。しかし、そ の中にも各々相違がみられ、それぞれの学僧において特徴をあげることができた。   また、 これまで聖憲は、 華厳宗学では華厳学僧として、 真言宗学では真言学僧としての認識のみにとどまっていたが、 華厳・真言の両面から捉えることで、 単に凝然門下としての聖憲、 あるいは頼瑜の教学を受け継ぐだけの聖憲ではなく、 両教学を学び、それを自らの中に巧みに摂する聖憲の姿をみることができる。それによって、師説を受け継ぐだけでは ない「聖憲の教学」が垣間みえた。    参考文献 ・大久保良峻【二〇〇四】 『台密教学の研究』 (法蔵館) ・大久保良峻【二〇一五】 『最澄の思想と天台密教』 (法蔵館) ・大鹿眞央【二〇一〇】 「覚鑁の教学に見る行位論 ︱ 除蓋障三昧についての理解を中心に ︱ 」( 『現代密教』二一) ・大鹿眞央【二〇一二】 「東密における初地即極説の展開」 (『東洋の思想と宗教』二九)

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聖憲における「初発心時便成正覚」解釈(鈴木) ・大鹿眞央【二〇一二】 「中世東密教学における初法明道の変遷 ︱ 第八住心との関係を中心に ︱ 」( 『印仏研』六一(一) ) ・大鹿眞央 【二〇一四】 「中世東密教学における 『瑜祇経』 解釈の展開 ︱ 実運撰 『瑜祇経秘決』 の果たした役割を中心に ︱ 」( 『印 仏研』六三(一) ) ・勝又俊教【一九八一】 『真言の教学』 、国書刊行会 ・木村清孝【一九七七】 『中国初期華厳思想の研究』 (春秋社) ・木村清孝【二〇〇八】 「『華厳経』と華厳教学 〜 現代的視点からの再検討 〜 」( 『東洋の思想と宗教』二五) ・金天鶴【二〇〇二】 「日本華厳における三乗廻心説」 (『印仏研』五一(一) ) ・島地大等【一九三三】 『日本仏教教学史』 、中山書房 ・ 鈴 木 雄 太【 二 〇 一 六 】「 聖 憲 に お け る 華 厳 教 学 の 受 容 〜 『 二 教 論 』 に 引 用 さ れ る『 五 教 章 』 の 解 釈 を 中 心 に 〜 」( 『 智 山 学 報 』 六五) ・鈴木雄太【二〇一七】 「聖憲における華厳の成仏論 ︱ 三生成仏に関する解釈を中心に ︱ 」( 『智山学報』六六) ・鈴木雄太【二〇一七】 「初発心時便成正覚の一考察 ︱ 中世真言学僧の華厳解釈を中心に ︱ 」( 『印仏研』六六 (一) ) ・高田悠【二〇一五】 「日本華厳における「非情成仏」の展開」 (『龍谷大学大学院文学研究科紀要』三七) ・田戸大智【二〇〇五】 「濟暹における密教行位説」 (『東洋の思想と宗教』二二) ・張愛順(戒環) 【二〇〇三】 「法蔵の成仏論について」 (『印仏研』五二(一) ) ・中村薫【一九七六】 「華厳経に於ける信満成仏について」 (『印仏研』二四(二) ) ・野呂靖【二〇〇六】 「日本華厳における三生成仏説に関する諸師の見解」 (『龍谷大学大学院文学研究科紀要』二八) ・野呂靖【二〇一七】 「志玉の『五教章』講説と中世根来寺の華厳学」 (第六八回印仏学会パネル発表資料) ・納富常天【一九七〇】 「泉州久米多寺について」 『金沢文庫研究紀要』七) ・納富常天【一九九七】 「久米多寺盛誉について」 (『華厳学論集』 ) ・藤丸要【二〇〇二】 「凝然教学の根本的立場」 (『仏教学研究』五六)

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智山学報第六十七輯 ・藤丸要【二〇〇六】 「凝然と東大寺」 (『龍谷紀要』二八) ・馬淵昌也【二〇〇五】 「唐代華厳教学における三生成仏論の展開について」 (『駒沢大学仏教学部論集』三六)   等 注 1   行位論に関しては、 大久保良峻氏をはじめ詳細な研究がなされている。 台密の行位論については大久保 【二〇〇四】 に詳しく、 東 密 に つ い て は 大 鹿 眞 央 氏 の 一 連 の 研 究 や 田 戸【 二 〇 〇 五 】 等 で 論 じ ら れ て い る。 ま た、 そ れ ら の 論 稿 で は 東 台 両 密 の 行 位 論の交渉についても言及されている。   2   『 織 田 仏 教 大 辞 典 』( 八 五 四 頁 )。 ま た 信 満 成 仏 に つ い て は、 木 村【 一 九 七 七 】( 「 成 仏 道 の 実 践 」) 、 島 地【 一 九 三 三 】、 中 村 【一九七六】等に詳しい。 3   鈴木【二〇一七】 4   凝然門下の系譜や思想については、島地【一九三三】に詳しい。 5   凝然の学修や著述状況については、藤丸【二〇〇六】に詳しい。 6   島 地【 一 九 三 三 】 に よ れ ば、 「 戒 壇 院 中 心 の 教 学 と し て は 本 来 律 を 主 と し て 華 厳 を 従 と す 可 き で は あ る け れ ど も、 凝 然 の 教 学は華厳を中心として律を附属するものであった(四一九頁) 」という。 7   野呂【二〇〇六】 、五一頁 8   一 方 で、 近 年 の 研 究 に よ っ て、 凝 然 門 下 の 学 僧 が 必 ず し も 凝 然 説 を 継 承 し て い る わ け で は な い こ と が 報 告 さ れ て い る。 金 【 二 〇 〇 二 】 に は、 凝 然 と そ の 門 下 に お い て 三 乗 廻 心 説 に 対 す る 統 一 見 解 の な い こ と が 指 摘 さ れ、 野 呂【 二 〇 〇 六 】 で は、 三生成仏説に対する同様の指摘がなされている。 9   藤丸【二〇〇二】 、一七〇頁 10   『大正』七二、 五二九頁下 11   木 村 清 孝 氏 は 早 稲 田 大 学 東 洋 哲 学 会( 第 二 四 回 ) の 講 演 の 中 で、 『 華 厳 経 』 と 華 厳 教 学 を 一 緒 く た に 考 え て は い け な い と 忠

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聖憲における「初発心時便成正覚」解釈(鈴木) 告 し、 「( 初 発 心 時 便 成 正 覚 の ) 思 想 は、 い わ ば 実 践 の 本 質 を 端 的 に 示 し た も の で、 『 華 厳 経 』 は 他 方 で( 中 略 ) 地 道 な 一 歩 一歩の修行を力説するのです。ところが、 華厳教学は、 前者の本質論だけを重視する傾向を生み出し( 『東洋の思想と宗教』 二 五、 一 八 九 頁 )」 と 語 っ て い る。 す な わ ち、 『 華 厳 経 』( イ ン ド 華 厳 ) に お い て は 二 本 柱 と し て 複 合 的 に 捉 え ら れ て い た 円 融 門と行布門が、 華厳教学(中国華厳)においては円融門に重きが置かれ、 そこに行布門が摂せられたと考えることができる。 そしてこのような教学は、法蔵・澄観を通して、凝然(日本華厳)へと受け継がれていった。 12   『日蔵』七五、 二三六頁上 13   『日蔵』七五、 二三九頁上 14   『日蔵』七五、 二四〇頁上 15   『日蔵』七五、 二四〇頁上   ※(    )は筆者加筆 16   納 富【 一 九 九 七 】、 九 五 七 頁 参 照。 そ こ で は、 「 禅 爾 の 東 密 は 東 大 寺 真 言 院 聖 守・ 道 月 房 聖 然・ 室 生 寺 空 智 房 忍 空 か ら 相 承 し たものであるが、盛誉に授けた法流は明らかでない」とも指摘される。 17   論義の算題には《    》を付す。 18   《八、 三生隔不》 『大日仏』 一三、 四五九頁下。日本の華厳学僧における 「三生成仏」 解釈については、 野呂 【二〇〇六】 に詳しい。 19   納 富【 一 九 九 七 】 に も 指 摘 さ れ る よ う に、 聖 憲 は『 大 疏 第 三 重 』 の 中 で「 明 恵 上 人 弟 子 心 源 上 人。 観 壱 上 人 弟 子 明 智 上 人 也 (『大正』 七九、 六八八頁下) 」 と、 盛誉は凝然 ︱ 禅爾 ︱ 盛誉と次第する東大寺華厳のみならず、 明恵 ︱ 心源 ︱ 観壱 ︱ 明智 (盛誉) と 系 譜 す る 高 山 寺 の 厳 密 も 相 承 し て い る こ と を 述 べ る。 ま た 野 呂【 二 〇 一 七 】 で は、 聖 憲 が『 聴 抄 』 の 中 で 明 恵 や 順 高 な ど 高 山 寺 の『 五 教 章 』 注 釈 書 を 参 照 し て い る こ と を 指 摘 し て い る。 聖 憲 の 華 厳 学 に お け る 高 山 寺 教 学 の 影 響、 あ る い は 東 大 寺 教学の影響については更なる研究が要され、今後の課題としたい。 20   拙稿【二〇一六】 ・【二〇一七】 、野呂【二〇〇六】参照。 21   野 呂【 二 〇 〇 六 】( 五 四 頁 ) に「 凝 然 に お い て 三 生 成 仏 説 は、 具 体 的 に 実 践 可 能 な「 修 行 成 仏 」 の 立 場 と し て 極 め て 重 要 視 されていた(中略)凝然においては、 「円融門」では「一成一切成」といった「時節」に寄らない成仏説が配され、 「行布門」

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智山学報第六十七輯 すなわち具体的、 段階的な「修行成仏」では、 「三生」の生涯を経る必要があると理解していたといえよう」と指摘される。 22   初地即極説に関する研究は大鹿【二〇一二】等がある。 23   真言宗学において、 「初発心時便成正覚」 を論じる際に、 一つ注意しなければならないのは、 それが 華厳の 4 4 4 「初発心時便成正覚」 を 指 す の か、 真 言 の 4 4 4 「 初 発 心 時 便 成 正 覚 」 を 指 す の か と い う こ と で あ る。 そ れ は、 空 海 が 自 ら の 著 作 に お い て、 華 厳 の も の と し て「 初 発 心 時 便 成 正 覚 」 を 用 い る こ と も あ れ ば、 真 言 の も の と し て 用 い る こ と も あ る か ら で あ る。 例 え ば、 『 吽 字 義 』 に説かれる 「初発心時便成正覚」 は真言のそれであり、 『三昧耶戒序』 に説かれる 「初発心時便成正覚」 は華厳のそれである。 また末釈によれば、空海がどちらの「初発心時便成正覚」を意図しているのか定かではない箇所もある。 24   野呂【二〇〇六】 ・高田【二〇一五】等において、日本華厳学僧の一人として取り上げられている。 25   今 後、 華 厳 宗 を 兼 学 す る 真 言 学 僧 と し て の 聖 憲 の 華 厳 解 釈 を 考 え る 上 で は、 聖 憲 の 十 住 心 教 判 に お け る 第 九 住 心( 華 厳 ) の 位置づけや理解についても整理する必要があり、課題としたい。

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