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田 知 子

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Academic year: 2021

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(1)

l翻刻と解題I 国文学研究資料館蔵﹁︹ねんぶつ星絵巻

要旨本稿は︑未紹介の絵巻﹁︹ねんぶつ︺﹂︵国文学研究資料館蔵︶を翻刻し︑その解題を附したものである︒

ワ派

j口、田知子

(2)

一所蔵者整理書名一ねんぶつ

︻函架番号一ョ2173W︻函架番号︼﹁

︹外題︼なし︒

一内題︺なし︒

︻書写年時︸寛文・延宝︵一六六一〜一六八一︶頃︒

一表紙一余茶地に菊牡丹唐草文様を織り出す余柵椴子︒

数 料 見 表 哉 紙 返 紙

一 上 金 金 刺 l 質 布 茶

○ 古 【 ゴ 、 1 ‑ 1 1 .

一字尚一二六・五糎︒ 一寸法一縦三二・︻紙数一二七紙︒

︹本文一漢字平仮名交じり︒ 一挿絵一極彩色︒全六図︒ 金布目紙︒上質鳥の子紙︑金泥下絵︵松樹・秋草︶︒ |︑書誌○糎︒全長一三米一四・七糎︒

‑166‑

(3)

国文学研究資料館

ここに紹介するのは︑国文学研究資料館蔵﹁︹ねんぶつ︺﹂絵巻一軸である︒本書は﹁ねんぶつ﹂と仮題されるものの︑

現存する仮名草子﹁念仏草紙﹂とは異なる内容であり︑箱書きや極めの類もなく︑おそらく冒頭に﹁念仏﹂の文字が記され︑

その描写があることから︑便血上付された仮題と判断される︒管兇の限りでは︑他に岡一内容の作品は知られず︑新

出の物語とみなされる︒その内容は︑以下のとおりである︒

下野脚絲城左衛門は︑戦で忠子を亡くしたことを契機に発心遁枇し︑一所不在の側︵﹁しんかん法師﹂︶となって高

野山を巡り︑ある庵室にたどりつく︒庵室の住持は︑かつては丹後国の﹁おほちのすゑとし﹂という宮仕えの身であ

繕ったことなどを語り︑その後二人の僧は連れだって︑かつて住持がいた葛葉の里の翁のもとへと向かう︒一方︑下野

皿国に残された左衛門の妻子は︑左衛門の行方を探し求め︑遺児﹁せん千代﹂が那須野の明神のお告げを蒙ったことか

催ら︑高野へと向かう︒父らしき僧が葛梁の里に向かったことを知った﹁せん千代﹂は︑下野の母に報告するため帰郷し︑

い従者を連れ︑再び父を尋ねる旅路につくo

轆左衛門が発心遁世する経緯については︑本文中の会話から知られるもので︑おそらく本作叩叩には戦の様子を語る前

銅半部分が存在していたものと思われる︒また︑父の居場所を知った﹁せん千代﹂が旅立つ場面で終了しており︑その後︑

幟葛葉の里での父子の再会が語られるはずであることから︑本絵巻は二一巻仕立ての絵巻の中巻にあたる端本と推察され

る︒

遁世した左衛門が訪れた商野山の庵室には︑﹃山家集﹄所収の和歌二首︵1︶が添えられた西行の絵像が掛けられてお 二︑解題

(4)

り︑これについて語る住持の台詞からは︑高野聖としての西行伝承を想起させるものがある︒高野における倣悔語り

や父子の別れと神仏祈願による再会を思わせる展州など︑本絵巻には中世の発心遁世の物語要素が色搬い︒一方︑上

質賂の子紙に施された金泥下絵および極彩色の挿絵を有す本絵巻は︑近世前期に勝んに制作された物語絵巻群のひと

つに位世づけられる︒詞替の縦は︑国文学研究盗料節蔽吋縦生門物語﹄やスペンサー・コレクション蔵﹃大朏冠﹂な

どの書写者として知られる朝倉重贋︵シこの字体によく似ており︑寛文・延宝頃の写しと判断される︒

褐放した︒ 翻刻に際して︑本文は底本に忠実を期したが︑私に句読点を打ち︑会話文には﹁﹂を施すなど︑読解の便宜をは

かった︒挿絵については︑︻絵1⁝︸のように示し︑描かれた内容を簡単に記した︒なお︑本稿末尾に一括して画像を ﹇注︸︵1︶新潮日本古典集成﹁山家集﹂一○七四番歌﹁紅葉見し高野の峯の花ざかりたのめぬ人の侍たるるやなに﹂︑

一三八番歌﹁散る花の庵の上をふくならば瓜入るまじくめぐりかこはん﹂︒なお︑一○七四番歌は高野の西行の

もとを訪れた寂然との贈答歌であり︑本書は異なる伝承を付す︒

︵2︶朝倉敢贋書写の絵巻群については︑石川透氏﹁朝倉亜贋兼奈良絵本・絵巻類﹂二奈良絵本・絵巻の生成﹄三弥井

普店︑二○○三年︶に詳しい︒

三︑凡例

‑168‑

(5)

それよりいそかせ給ふほとに︵商野山

にもつかせ給ふ︒大たう︑かうたうの有

さま︑き︑しにきこえてありかたく︑

たに11のきんけいのをと︑二六時

中にひ国きわたりて︑いとたうとく

そおはしける︒又かたはらには念仏一

篭さんまいのたうちやうに︑らうにやくの

〃拒皿そうあつまりて︑しやうしんにこん

今︑●いきやうつとむるも﹁いとあはれにあり

目かたし︒みれのあらし木すゑをならし︑

赫烏のさえつるこゑまても︑友ものりの

絆ひ︑きなり︒さて︑おくのゐんへまいらせ

給ひて︑自他しやうりやうの御ゑかうこ

苦手文とには二郎殿︑しゆつりしやうしとんし

ようほたいと︑ふかくゑかうましI〜︑ 四︑翻刻

さて︑こ︑かしこのあんしつを見めぐりた

まふに︑あるかたはらに︑かやふきなるいほ

りの中に︑山水をかけひにてふみのまへ

へうけて︑いは舟にた︑へませ候は︑きん

くわをは︑せて︑いとあはれにしつらひたる︒ さて︑おきなのことってし

手のくそくとも︑ある

てらへまいらせて︑

ねんころにとふら

はせ給ふも︑

いとありかたくそ

みえにける︒

一絵l高野山の風景と庵室で語らう二人の僧﹈

(6)

あんしつのうちに︑ゑさうのしやかみた

そんをかけて︑かうはなをそなへ︑五十はかり

なるそうの︑御きやうよみておはしけるに︑立

よりてらいし︑ともに御きやうあそはして

のち︑ちうち申されけるは︑﹁御そうはいつちより

の御まふてにておはしけるそ﹂との給へは︑﹁さ

む候︑京かたよりしゆ行にめくり侍るそう

にて候か︑はしめてこの山にむかひ候・まこと

にをの11かやうにうき世をすて︑︑こけの

とほそをとちて︑ひとへにほたひのつとめ

をもつはらにとりをこなはせ給ふこと︑さり

とては御うらやましくこそ候へ﹂との給へは︑ちう

ち申されけるは︑﹁われもいにしへは去人にみや

つ.かへしものにて侍るか︑いさ︑か心にさはること

ことありて︑しょせんほたいをもとめんにはし

かしとそんし待て︑この山にのほりて︑かや

うにねんふつ三まいを所作として︑く

はうゐんをふる事︑すてに十三年也︒今 ははやうきよのわさをみ︑にふる︑半もさふらはねは︑おこるへきあくれんまうねんもさふらはす︒た︑ねかふこと︑ては︑わうしやうのそくわいをこそれかはしく候へ﹂とそ申されける︒しんかんはきこしめし︑﹁まことにたうとくこそおほし候へ︒これなるふったんのかたはらに︑ほうしのすみそめなるかふてをもちて︑す︑りをそはにおきたるゑさうは︑いかなる人にておはしけるそや﹂と申させ給へは︑﹁是は西行上人にて侍る︒この山にはしめてまふて給ふに︑このいほりに立より︑しはしきうそくおはしけるか︑ころはやよひのはしめつかたなるに︑このうしろなるみれの花さかりなりけるをみ給ひて︑心のうちに忠ひよれることやありけん︒かくよめる︒

もみちみしたかの︑衆の花さかり

たのめぬ人のまたる︑やなそ

‑170‑

(7)

又あらしのいたく花をふきちらしけれは︑

花のために春風はいとつらきものにや

とて︑

ちるはなのいほりのうへをふくならは

瓜いるましくめくりかこはん

かやうによみ給ひて︑れうしをこふて︑わか

かけをうつしをくへし︒なきひとのかたみに

念佛し給へとて︑かやうにかきをき給ふ

ほとに︑あさゆふゑかうをなさんかために

鐸いく年月つたへ侍るそや﹂とそかたりける︒

Ⅲしんかんほうしは︑﹁さては六十よかこくを

侭めくり給へる人にてありけるよ︒てうにつ

いかへし人のいかなるくわこのしゆくえんに蔵よりてか︑かくありかたくもかたちをやつ辞して︑部のこ︑ろを友として︑三かいをくひ

雌にかけて︑一仏しやうにいたり給ふことの有

狸寸文かたさよ﹂とて︑やたてをとりいたしてかくそ︑

飛一あはれにもあはれをそふるわかこ︑ろ にしゆく月のかけをなかめて

とかきそへ給へは︑ちうち︑﹁世にありかたく

もよみ給ふものかな﹂とて︑よもすからさま

ノー御ものかたりとも

おはしまして︑四五日

こ︑にそましノー

ける︒

このちうちも︑もとはたんこのくにた

なへの住人に︑おほちのすゑとしと巾

人にておはしけるか︑三条のひてうち

こうにその年月つかへ給ひしか︑いかなる

しゆくせのちなみにや︑世をそむきて

この山にとちこもり︑かくおこなひすま

しおはしけるか︑はしめはくつはのさとに

いほりをしつらひ給ひし︑こ︑をさりて︑い ︻絵2西行の絵像を前に語らう二人の僻一

(8)

まこのところに地をしめ給ふ︒されは︑かん

しんほつしもしかるへきところあらは︑

いほりをむすひてちうきよをしめはや

とおほしけるか︑このそう一所不住とお

ほして︑﹁しはらくこのさとにあしをやす

め給へ・さもあらは︑御身と我もろともに︑

のちの世をねかひて︑ひとつしやうとに

生れ給ひ侍らん﹂とのたまへは︑しんかんは

きこしめし︑まことに我かくほつしんしゆき

やうのこ︑ろさしふかしとはいへとも︑か︑るた

うしんのちなみある人をもたす︑かやうの

人にちかつきてこそしやうしの一大し

をもたつね侍らはやとおほしめして︑﹁とも

かくも伽はからひにおうしたてまつるへし﹂

との給ふほとに︑このちうちとうちつれて︑

かうやをくたり給ひて︑くたんのおきな

力もとへそおはしける︒あるしな︑めによる

こひて︑二人のそうをもてなしかしつき候 ける︒さてl\かうやにてのありさまくはしくかたり給へは︑かんるいをなかして︑よるこひける︒さて︑くつはにいほりをしむへきよしかたり給へは︑あるしもよるこひて︑﹁さては︑今よりはゆき︑のたよりに︑御やとをまいらせんことのうれしさよ﹂とて︑よるこひにける︒さて夜もあけ︑れは︑いとまをこうていてさせ給ふ︒それより︑ちうちはくすはのあんしつに引つれ給ひて︑よるつようI〜のこと︑も︑ねんころにいとなみてかへり給ふ︒しんかんは︑かりのやとりをもとめ給ひて︑御仏をあんちし︑をこなひすましおはしけるこそありかたけれ︒さるほと︑くにもとにおはします︑きたの御かたは︑さへもん殿ははかなくも︑いつちにいかなる御ありさまにてかおはしますらん︑さためて世をすてさせ給へは︑いつくのくに︑いかなる所におはします

とも︑住ところはさためかたかるへし︒すきやう

‑172‑

(9)

鍼︻絵3尼となって息子の菩提を弔う左衛門の妻︼幟かまくら殿よりは︑﹁なにとてゆふきはとん

文せいしけるそ︑その行ゑをたつぬへし﹂とおほせられしかとも︑いかて御ゆくゑをしる

『[ねんぶつ]」絵巻

たうしんの御こ︑ろさしにてあるへけれは︑

この世にてたよりをきかんことはかたかるへし︒

二郎にはし︑てわかれ︑さゑもんとのにはい

きてはなる︑ことのかなしさよ・われもうき

世にあらんよりは︑いかにもならはやとお

ほしめせとも︑ひとりのこれるおとうとの

二郎をよくIIそたて︑︑﹁ち︑かゆいせき

を立よ﹂とくれ/︲Nの給ひし事なれは︑

さすかにはかなくなりなむ事もなり

かたしとて︑御くしをおろさせ給へは︑めのと

もともにそあまになりて︑二郎殿の御ほ

たいをそふかくとはせ給ふ︒ へきなれは︑そのとし月ふれとも︑かつてをとつれもなかりしかは︑三らうかはからひとして︑所領をめしあけられは︑らうとうしうかいもことI〜く︑はうI︑へそうせにける︒今ははや︑せんちよとの︑母うへめのとなとはかりになりて︑くりおかといへるところにふたいのものに︑竹村の左五といふもの人I〜をはこくみたてまつりてそをきにける︒さるほとに︑わか君はこ︑ろにおほしめすやうは︑そもI︑きうはの家に生をうけ︑ちやくりうとよはる︑ほとのものか︑所領けんめい

の地をうしなひ︑ち︑の行ゑをもしらす︑む

なしくくはうゐんをすこさん事︑名をくち

はたすのみならす︑それかしほそをかむに

そのえきなし︒されは︑一めいにかけて︑まつ

ち︑の行ゑをたつねて︑そのゞちいかやう

にもことをとりをこなは︑やと思ひしめせ

とも︑さらにおほしめし立へきみちもあら

(10)

ねは︑とかくしんふつにいのりたてまつり

て︑三ほうのりしやうをあふくへしとおほ

しめして︑なすのの明神うちかみ︑八まん大

ほさつへ︑一七日かそのあひた︑たんしきを

したまひて︑ち︑のゆくゑをしらさせ給へ

とせいノーをいたしていのり給ふそ︑まことに

もってあはれなり︒されは︑神もこれをあは

れとやおほしめされけん︑七日にまんする

あかつきかた︑ありかたくも八まん大ほさつ

は八しゆんあまりのらうそうとけんしさせ

給ひて︑かうそめの御ころもに︑おなし色の

けさうちかけて︑ひあふきもたせ給ひたる

か︑つえにすかりて御みすたかくかきのけて︑

いとかうはしき御こゑにておほせられけるは︑

﹁まことになんち父か行ゑをこひかなしむ

事ふひんなり︒されとも︑ち︑はゑとをいと

ひ︑しやうとをねかふ身となれは︑あふても

かひなきうき身そかし︒さりなから︑ち︑にこひ しく思ひなは︑これなる山のふもとに一のてらあり︒これへ行てたつぬへし︒ゆくゑはたしかにきかなん﹂としめし給ひて︑けすかことくにいらせ給ふと恩へは︑ゆめはさめにけり︒うちおとるきて︑こはありかたき御つけとて︑かさねてらいはいをたてまつりて︑さてそれより山もとさしていそき給ふか︑こ︑にせいらいしといふ寺あるなり︒これへいらせ給ひて︑﹁いかにや︑この寺中にたひなる人は候はぬか﹂ととはせ給へは︑そうのいて︑︑﹁それはなにゆへたつね給ふそ︒このほとみやこかたより︑あき人のくたりて︑このてらにやとし給ふか︑それを御たつね候か﹂と申されけれは︑せんちよはきこしめして︑﹁さらは︑ちとたつね申たきことの候︒あはせてたひ候へ﹂と申されけれは︑やすきこと︑て︑このあき人をそよひいたして︑あはせ侍けり︒その時︑せんちよ

の給ひけるは︑﹁なにともことのさためかたき︑

‑174‑

(11)

たつねことにて候へとも︑まつj〜をしへに︒

まかせて︑これまてまいり候︒それかしは︑

此くにの住人にゆふきのさゑもんと申

もの︑子にて峡︒一とせ京かたきやくらん

のきさみ︑たせいをうつしてまかり候ひし

か︑それよりいかなることありてや︑くにもとへ

かへらす︒すぐにとんせいせらる︑とうけ給り

候か︑その︑ちこたひともとかくのゆくゑを

うけ給はらす候より︑御とも心ならすたつね

鐸はやと恩ふとも︑その住ところさたまらね

刑はしれかたし︒あまりはかなく思ひ候て︑神仏

ぃふかくきせいをかけて候へは︑この山もとの寺

いへまいりてたつねよ︑さもあらはしるへしと職たしかに御しけんかうふりさふらふほと畔にへ御をしへにまかせて︑これまてまいり候・雌うけたまはれは︑京かたの人と聞え緋る

恥↑0j〃一文ほとに︑もしもさやうのにたる事も侍らは︑うけ給はらんかために︑ あき人はうけ給はり︑﹁さては︑き︑およひたてまつるゆふきとの︑御子そくにておはしますか︑それかしはみやこかたとは申せ共︑京より六七里のあなたにすむくす葉と申所の住人にて候︒とうこくかたへまいねんまいりて︑さまJ1のあきないをつかまつり候・されは︑御たつね候人にはたしかにそれかと恩ふ人もさふらはす︒さりなから︑この一両年さきかとよ︑としのころ四十はかりなるほつしんしやのきたり給ひて︑あんしつをとりつくろひ︑念仏一さんまいの所地にて年月をくり給ふか︑あるときつれI〜の

さんけ物かたりあるつゐてに︑御かたりさふら ︻絵4商野山施で父の消息を知るせん千代﹈ さてこそたつね奉れ﹂と

おほせられ候︒

(12)

ふやうは︑それかしは︑とうこく下つけかたに

すみしものなるか︑こんとのひやうらんにまか

りのほり︑いぐさにあひ申候か︑それかしてう

ほうとそんする子を十七さいにてうし

なひ候・中I〜てからをつくして人めには︑

かるほとのはたらきをいたして候か︑かれか

ことをおもへは︑世にふひんにそんするに

よりて︑たちまちゆみをうちおり︑やを

かなぐりすて︑︑ひとへにのちの世をね

かひいり候﹂と御物かたりあるほとに︑人j〜

申は︑﹁それはふしきなる御とんせいあしく

さえきつくはせんに︑かへるとは御うへの事

にて侍る︒さて︑くにもとに御しそくたちは

おはし候はぬか﹂とたつね候へは﹁そのおとうと一

人候なり﹂と語られ候︒﹁これより外にめつらし

き人も候はす﹂とそかたりける︒せん千代はき

こしめし︑御なみたをはらノーとなかし給ひ

けるは︑﹁名字はなにともきかせ給はぬか﹂と の給へは︑﹁それはなにとも御名のり候はす﹂とそ申ける︒あらうれしや︑さてはち︑うへの御行ゑはこれなりとおほしめして︑﹁さて︑そのくすはと申ところは︑みやこよりいかほとみちは御いり候﹂とたつね給へは︑わつか五六里はかり御入候と申せん︒千世とのきこしめして︑﹁御めにか︑り︑ことのやうをうけ給はり︑うれしくこそは候へ・やかて又御めにか︑り候はん﹂とて︑人I〜にいとまこひねんころにし給ひて︑わかやへそかへらせ給ふ︒さて︑母うへにおほせらる︑やうは︑﹁なによりもってうれしきことをき︑しものかな︒あまりち︑うへの御ゆくゑのおほつかなさに︑うちかみをはしめて︑ふつしんにふかくきせいつかまつり候へは︑ふしきなる御しけんをかうふりて︑やまもとのてらへまいりてたつね候へは︑みやこかたのあき人の宿

をとり侍るか︑これかくす葉といふとこ

‑176‑

(13)

母うへはきこしめして︑御なみたはらノーと

なかし給ひて︑﹁あらいとをしのせんちよ

鐸かな︑ち︑うへのかくなり行給ふより︑御身か

皿こ︑ろさしこそあはれにやさしく恩はるれ︒・

催家もわする︑ひまもなく︑ち︑うへや二郎

Hをとかくとおもひくらせとも︑恩ふにかひ

癖なき女の身なれは︑いつちをたよりに

顎たつぬへき︑みちもわきまへす︑かくあさまし

砿きうき世になりはつるまて︑むなしくな

文けきくらせしなり︒御身か女子にて有ならは︑

|預一いかてかち︑の御うへをとかくともさたす ろのものにて候か︒ち︑うへはたうしんふかくおこし給ひて︑あんしつをむすひて︑をこなひすましおはしけるとうけ給はる﹂とかたり給へは︑︻絵5下野に戻り︑母に報告するせん千代︼ へき・かひI〜しくも御ゆくゑを州て︑母にしらする事こそうれしけれ﹂とて︑たもとをかほにをしあて︑なき給ふ︒せんちよとのは御らんして︑﹁いかにやは︑うへ︑かくてむなしく川日を︑くるへきにあらねば︑ち︑の行ゑをたつね候へし︒洲主のほとよくノーまかせ給へ﹂との給へは︑母うへはきこしめし︑﹁こはなさけなや︑二人の人I〜にはなれても︑御身ひとりになくさみて︑此とし月ををくりしに︑御身にかたときもはなれなは︑われは何となるへきそや﹂とて︑又さめ/〜となき給へは︑せん千世とのはきこしめし︑﹁あらはかなや︑おやにてましませとも︑いくとしつもりても︑やくにた︑ぬは女なり︒それけんめいの地にはなれ︑君にをかせるつみもなくして︑か︑るうき世となりはつるは︑いかはかりくちおしきことならすや︒とかくは

ち︑うへをたつねて︑ことのやうをうけ給は

(14)

り︑二たひ家を引おこすか︑さらすは︑しかい

をとけてしなんとこそは候んつれ﹂とて

いからせ給ふ︒母うへはきこしめして︑﹁われも

それは川にうれしくは恩へとも︑はる︐r〜

のたひのそら︑又は行さきいかはかりおはす

らんとこ︑ろつくすもかなしけれは︑さて

こそとかくとなけかるれ﹂と語られけれは︑

せんちよとのはきこしめし︑﹁そのきならは︑ち

かきほとに思ひ立へし﹂との給へは︑は︑うへは

きこしめし︑﹁御ともの人jlをようゐせすは

かなふましきか︑いか︑﹂とおほせられけれは︑

左五のせうはうけ給はり︑﹁それかしかちや

くしの藤三郎をしたて︑御ともをさせ

申へし︒かれはすいふんみちにおゐてはた

つしやものにて︑くたひる︑といふ事なし︒脚

こへこそはいまたのほり候はね︑するかと

をたうみのうちまては︑たひj︑まいり候そ

や︒かれを心やすくめしつれられ候へ﹂と申 けれは︑せんちよとのはきこしめし︑﹁それこそはしかるへけれ︒た︑しゆきやうしやのかたちに身をやつし︑人めをしのふみちなれは︑いつとなくこ︑ろしたいにのほるへし﹂とそおほせける︒かくて吉Ⅱえらひて︑すぐに御かといてありけるか︑藤三郎はあき人のふせいして︑せんたひつをそおひにける︒せんちよとのは︑めしもならはぬたひは︑き︑わらくつをしめはかせ給ひて︑すけのをかさをめし︑すぐにいてさせ給ふとき︑は︑うへ御なみたにむせひ給ひて︑はか〜しく御いとまこひをもし給はねは︑めのとのあまをよひ給ひて︑﹁母をよくI〜なくさめたてまつれ︑やかてめてたくくたるへし︒よきたよりもあらは申こすへきそや﹂とおとなしくの給ひて︑いてさせ給ふ御すかたは︑ち︑うへにいさ︑かもたかはせ給はいことのいみしさよ・﹁あれI〜御は︑うへ御らん候へ﹂と

‑178‑

(15)

1通l文学lijI究涜料館職「[ねんぶつ]」絵巻

てふししつみ給へるを︑引おとしてみせた

てまつりけれは︑御あとのかはる︑ほとみを

くらせ給ひて︑とてもかくにも御なみたは

つきさせさりけり︒

︻絵6父の行方を求め︑下野を旅立つせん千代﹈

(16)

参考挿絵一覧

1

﹇絵且 一絵旦

,

瞭蝋;

‑ 1 8 0 ‑

(17)

国文学研究盗料館蔵『[ねんぶつ]j絵巻

︷絵5− ︻絵4︸

一﹄ ﹇絵6﹈

参照

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 このうち、信仰義認は、次のようにまとめられよう。「キリスト教における

実施率に影響したと予測された。特に NPO との連

は不存候誰しもぬす人はきらるゝ段には人さへ聞はしやうそんなどが様にそらき

間の他の人間からの分離﹂に転化していることが認められる︒かくて第二に︑いまや﹁評註﹂は︑市民社会におけ

彼女は私の顔を見ると、安堵したかのように手をとって喜びます。そして私

    かくしつし         とし月           をそ         をくりける. 〈第四図〉