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著者 高堂 俊彌

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(1)

[資料紹介] 科学的管理の生成と発展 : ナドワーニ ー『科学的管理と労働組合』について

その他のタイトル [Material] Scientific Management and the Unions

著者 高堂 俊彌

雑誌名 關西大學商學論集

巻 3

号 1

ページ 79‑100

発行年 1958‑04‑30

URL http://hdl.handle.net/10112/00021812

(2)

鼓本主義の競争から独占への発展の中で登場する︑個別資本

科 学 的 管 理 の

科学的管理の生成と発展︵姦堂︶

生 成 と 発 展

の経営労働力に対する意識的保膜ー支配の二重椙造的管理体系

を︑﹁近代的経営労務管理﹂と性格づけるならば︑十九批紀末の

アメリカ独占資本確立期を背桑に成立した︑ティラーの科学的

管理は︑こうした近代的管理制度の萌芽であったといえよう︒

当時あたかも︑管理技師グループの頭脳を集中した

A

能率増進

運動

( e f f i c i e n c y m o v e m e n t ) >

が︑ティラーの新らしい管理

制度に統合されて行く過程を遥して︑われわれは近代的管理制

度成立の必然的系譜を跡づけうるのである︒かくて︑二十世紀

前半をつらぬくアメリカ管理技術の発展過程を︑﹁科学的行理

の生成と発展﹂のうちに求めることは︑経営労務管理の本質を

七 九

歴史的に検証する︱つのアプローチであるといえよう︒同時に

また科学的管理の歴史をめぐって︑そこに経営と労働の関係を

集約的に分析することも︑経営労資脚係の発展を追跡する具体

的な足場を準備することになろう︒

あたかも小稿で︑われわれのとりあげる

M.J

・ ナ ド ワ ー ニ

ー﹃科学的管理と労鋤組合﹄

( M i l t o n

J•

N a d w o r n y ,   S c i e n t i f i c   M a n a g e m e n t n   a d   t h e   U n i o n s ,  

19

00

1

93

2.

 

H i s t o r i c a l   A n a l y s i s ,  

1

95

5.

)

は︑右に述ぺたようなアプローチを試みて︑

われわれの興味を誘うものであった︒それはティラーの科学的

管理を軸として︑アメリカ管理制度の展開を理解し︑ひいてこ

の科学的管理の歴史を介して︑アメリカ経営労汽関係の変遷を 高

ーナドワー=ーー﹃科学的管理と労働組合﹄.について││

(3)

80 

科学的管理の生成と発展︵甜堂︶

理解しようとするものであった︒もちろんそれらは全面的には われわれを納得させるものでないが︑それにもかかわらず︑著 者が豊富な衰料を基礎に︑ユニークな接近を試みている点と︑

一般的にいって︑他にこの種の俯豚的研究の比較的乏しい突箭 から︑この分野の研究を意図するものの手引として︑その価値 は高く評価されるぺきものであろう︒ちなみに︑本書の章別構

成は次のようである︒

r O

i g

i n

  o f  

t h

e  

一 ︑ テ ィ ラ ー ツ ス テ ム の 起 源

( T

h e

S y

s t

e m

. )

  二 ︑ 発 展 と 敵 対

( E

x p

a n

s i

o n

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d   O

p p o s

i t i o

n . )  

︱ ︱

‑ ︑ プ ラ ソ デ ィ ス と 東 部 鉄 道 貨 率 事 件

r a ( B

n d e i

s   a

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  t h e

  E a

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n   R

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a s e .

)  

四 ︑ 労 鋤 組 合 の 闘 争 宜 言

( L

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D e c l

a r e s

  W a

r .

)  

五 ︑ バ リ ケ ー ド の 突 破 口

( C

r a

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i n s

  t

h e

  B a r

r i c a

d e s .

)  

六 ︑ ホ ク ツ ー 調 査

( T

h e

H o

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e   I

n v e s

g a t i

t i o n

. )  

七︑精神革命

( A

M e

n t

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  R e v

o l u t

i o n .

)  

八︑協調熱

( C o o

p e r a

t i o n

F e v e

r . )  

九 ︑ 科 学 的 管 理 運 動 の 回 顕

( S c i

e n t i

f i c  

a M

n a

g e

m e

n t

  i n  

R e t r

o s p e

c t . )

 

︵ 註 ︶

以下その大要を紹介しよう︒

T a

y l

o r

 

︵ 註 ︶ こ の 杏 の 紹 介 は ︑ す で に 品 弘 氏 に よ っ て な さ れ て い る ︵ 同 志 社

商 学 第 九 巻 第 一 号

︶ ︒ 同 稿 は 適 切 な 指 摘 含 を ん で い る が ︑ 主 と し て 労

衰 対 立 の 側 面 に 焦 点 が 向 け ら れ て い る ︒ し か し 本 税 で は 著 者 の 立 場 を 捉 え る の に 重 要 な ︑ 後 半 の 問 題 点 も 煎 視 し て ︑ 全 般 的 な 跡 付 け を

拭 み た ︒

﹁科学的管理﹂の成立期

ー一九世紀末ーー'

合衆国では南北戦争

( 1 g 1 6 5 )

後︑各経営体は一般に︑そ

の規模と活動範囲を急速に拡大し︑生産方法も漸く複雑化しつ つあったが︑この間における製造工業の高度な機械化傾向ほ︑

﹁ 実 業 家

( B

u s

i n

e s

s m

a n

)

ないし﹁産菜将帥﹂

( c a p

t a i n

o f

 

i n

d u

s t

r y

)

を︑エ菜経営の技術的問題からひき離しつつあっ

た︒このような中で︑機械的工業生産の技術的必要に応えて登

場したのが﹁機械技師﹂

( m

e c

h a

n i

c a

l

e n

g i

n e

r e

)

で︑やがて

彼等が産業の中心的人物となって活躍するのである︒(Rl)︒た

またま一八八

0

年におけるアメリカ機械技師協会

( A

m e

r i

c a

n

S o

c i

e t

y   o

f   M

e c

h a

n i

c a

l   E n g i n e e r s )

の創設は︑この歴史の

上で重要な窯義をもつものであった︒この

A. s. M.

E

は専

門技術者グループの母体として︑企菜経営の技術的暗問題に熱 心な討議と研究を示したのであるが︑なかでも一八八六年の会

合で提出されたクウソ臼

H e

n r

R y

.   T

o w

n e

)

の論文﹁エコノミ

ストとしての技師﹂

( T

h e

E n

g i

n e

e r

  a s

  a n c   E

o n

o m

i s

t }

は企 八

0

(4)

科学的管理の生成と発展︵高堂︶ 業管理に関する先駆的論文と評価されるに充分なものがあった︒ この論文ほ︑協会のメムバー達に︑技術的問題と同時に管理の 問題について考慮すべきことを示唆したに留まったが︑そのこ とはまさに︑

A

ニコノミスト>としての技師の資務をクローズ

アップする効果を示したのである︵四︶︒

周知のように︑当時能率の増進を実現するための管理方策と

して日程に上っていた主要課題は賃金支払方法のそれであっ

た ︒ た と え ば ハ ル イ セ ( F r e d e r i c k

A•

H a

l s

e y

)  

: !

; !

︑ ﹁ 生 産 お

よび労拗問題の^解決>の根源として︑賃金支払方法に注目し

続け﹂︑やがて彼は日給制(day

w a g e s ) 出 と 来 高 給 制 ( p i e c e

w o r k

  payment)の双方を拒否して︑いわゆる﹁割増賃金制﹂

( p r e m i u m   p l a n ) を 主 張 し た

ハ ル セ イ の 論 点 は こ う で あ る ︒ ﹁ 日 給 制 ﹂ の 下 で は ︑ 生 産 増 加 に よ

る全体としての利益も結局は屈主に帰属するから︑労働者はいきぉ い生産制限を行うことになり︑そうなれば屈主は﹁その生産物に法 外 に 支 払 う ﹂ ( p a y s e

x t

r a

v a

g a

n t

l y

o   f r   h i s   p r o d u c t ) こ と に

なるし︑﹁出来高給制﹂の下でも︑生産の増大︵したがって貨金支

払額の培加︶は必然的に︑屈主に総労務毀削減のための伎率切下げ

を行わせ︑その結果はまた︑労務者の生産制限による報復をうける ことになる︒かくて︑基本的には貨金を引上げ︑しかも単位コスト

を引下げる﹁割増牧金制﹂こそが︑賃率切下げを排除する合理的方

法となる︒これは﹁節約時間﹂分に対して一定の割増位金(pre

m i u m ) を 支 給 す る 方 法 で あ っ て ︑ こ の よ う な ︑ 時 間 貨 率 の 一 定 歩

合 を 限 度 と し た 披 金 増 加 は ︑ 常 に 生 産 址 の 絶 対 的 増 大 に 哀 . つ け ら れ

て い る か ら ︑ 全 体 と し て の 労 務 喪 の 削 減 と 矛 盾 し な い ︵ 四 ︶

こ う し た ハ ル セ イ の プ ラ ン は ﹁ 時 間 節 約 プ ラ ン ﹂ ( t i m e ' s a v i n g

plan)としての本質をもつものであったが︑ここにとり入れら

れた﹁時間﹂の要素こそ︑過去十年以上もティラーの関心をひ

いてきたものであった︒^ルセイのプランは広く普及すること

はなかったが︑この新らしい要素をめぐるティラーの考えは︑

P i

e c

e   R a t   S e y s t e m ,

  B e i n g  

S t

e p

  T o w a r d   P a r t i a l  

S o

l u

t i

o n

  o n a   L b o r   P

r o

b l

e m

.  

1895

の 中

' に

︑ ﹁ 学 缶 別 的 出 来 高 給 制

﹂ ( d i f f e r e n t i a l

p i

e c

e  

r a t e ) と な っ ま て と め ら れ た ︒ テイラーのこの賃金ブラソは報酬と罰則を基礎とした二つの異っ

た 貨 率 を も と に し て ︑ 所 定 時 問 以 内 で の 作 業 遂 行 に は 高 い 貨 率 が ︑

反対に失敗の場合には︑きわめて少額の賃金が支給されることにな っ て い る

︒ こ の た め ︑ 怠 け も の ( t h e s l o t h f u l ) は ス ピ ー ド ア ッ プ を促されるか︑仕事場から追い出され︑全体として﹁高級﹂労務者

から構成される労働力を創出することになる

( m )

テ ィ ラ ー の こ の 賃 金 プ ラ ン は ﹁ 基 礎 賃 率 決 定 部 門

﹂ ( e l e m e n t a r y

r a

t e

̀ 

  f i

x i n g   d e p a r t m e n t ) と ︑

﹁ 最 密 の 務 労 者 管 理 法

﹂ ︱ t h e

b e

s t

  m e t h o d   o f   m a n a g i n

g   men)の二つの付加的要素を含む

(5)

ai 

科学的管理の生成と発展︵寓堂︶

ものであった百︶︒これは課莱

( t a s

k ) をその構成部分に分解

し︑ストッブウオッチで計測する﹁要素時間研究﹂

( e

l e

m e

n t

a r

y

t i

m e

  s t u d y )

i9

って費率決定の正礁な基礎を進血畑しようと

する︒ティラーはこの点を合理化すれば︑労安紛争の重大な原

因は一掃され︑雇用者と労務者の友好醐係が維持されると考え

て︑こうした一連の方策を最苔の管理法であると見たのである

︵ 平

` 四

参 照

︶ ︒

こ の よ う な テ ィ ラ ー の 意 見 の 底 を つ ら ぬ く も の は

︑ 労 働 組 合 に 対 す る 強 い 反 感 で あ っ た

︒ す な わ ち ︑ 彼 は 労 働 組 合 を 本 質 的 に ︑ 破 攘

的 な

も の

( d e s

t r u c

t i v e

a n

d   s

t u l t

i f y i

n g )

と 見 な し

︑ 彼 の 賃 金 支 払 法 は

﹁ 労 働 組 合 と ス ト ラ イ キ を 無 用 た ら し め る ﹂ と 主 張 し た ︒ 彼 に よ れ ば ︑ 各 労 務 者 を 一 様 に 平 均 的 作 業 水 準 な い し 賃 金 水 準 に 固 定 さ せ る 団 体 交 渉 の 実 行 は

︑ 個 人 的 価 値 に 応 じ て 炊 金 を 支 給 し

︑ し た が っ て 各 労 務 者 の 野 心 を 剌 戟 す る 効 果 の あ る 彼 の ブ ラ ソ に は

﹁ 全 く 劣 る ﹂ も の で あ っ た

︒ ︵ 四 ︶

おもうに︑﹁ティラーシステムの主要目的は︑労務者の生産

品を培大することであったから︑ティラーが時間研究を﹃科学

的管理の基礎﹄と考えたことはまさに当然であった﹂

( E a )

トッブウオッチによる﹁精密な時間研究﹂は︑労務者の遂行す

べき﹁最短時間﹂

( t h e

q u

i c

k e

s t

t  

i m

e )

を決定するための

手段に他ならず︑それが高賃金の基礎したがって労務者の協力 を確保しうる有力な手段を準備するものになると考えたのであ る ︒

さて著者はティラーツステムの廿子を右のようにとらえ︑そ

れらの中に認められる贖特質

(S

苫且ぽ︶が︑﹁ティラー自身

の生活経験に密接な固係をもち︑その明白なあらわれであっ

た ﹂

( m )

ことを検証する︒これに醐遮して著者が特に注目した

のほ︑ティラーがミッドヴェール製銅会社

( M

i d

v a

l e

S t e e

l  

C o

m p

a n

y )

で十年以上にわたる実地経験を通して︑出来高賃

金支払法の欠陥に気づく一方︑そこから発生する労衰の不和を

解消し︑双方の利益を調和させる管理計画を考慮するにいたっ

た経過である︒すなわちティラーは﹁協力への蚊大の陀宙は︑

経営者が﹃適正な一日の仕事﹄

( a

p r

o p

e r

a y   d ' s   w

o r

k )

を設

定するものについて無知なことだと考えて︑この﹃事実﹄を発

見しようと試みた﹂︵竺︒この考えに沿って︑ティラーは更に

ベス>ヘム製銅会社

( B

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h l

e h

e m

S t e e

l   C 

n p

a n

y )

で︑労猫

者疲労

( w

o r

k e

r

f a t i

g u e )

︑ショペル作業

( S h o

v e l i

n g )

︑ ペ ア

リソグ検査

( b a l

l ‑ b e

a r i n

g i n

s p e c

t i o n

︑銑鉄迎搬作菜 )

( p i g

i r

o n

  h a n d l i n g )

︑金訊削り作莱

( m e t

a l ‑ c

u t t i

n g )

などについ

ての実験を進め︑同時に屈用者と労猫者間の︑

﹁ 親

密 な

友 好

(6)

協 力

( i n t

i m a t

̀ 

e  

f r i e

n d l y

  c o

o p

e r

a t

i o

n )

J

た ら

49

た め の

管理制度を作ろうと努力したのである︒

ところで﹁ティラーには﹃協力﹄ということは経営者が︑労

務 者 の 伝 統 的 な 知 識 ( t r a d i t i o n a k l n o

w   , h

o w ) を よ せ 集 め て ︑

これを﹃法則﹄と公式に組織化すること﹂︵砂︶を意味していた︒

それゆえ彼にとって︑﹁協力﹂のための労務者の役割は︑いま

︑ ︑

やこの法則ないし公式に従うことだけの消極的なものであるの

ヽ`

に︑屈用者の役割こそまさに稜極的なものであると考えられた︒

ティラーは︑一九

0

一年ペスレヘム会社退職を機に︑過去二

十年以上にもわたった実地の研究と別れ︑以後はもっばら彼の

﹁ 課 菜 管 理 ﹂ ( t a s k m a n a g e m e n t ) を

︑ 経 営 者 に 熱 心 に 説 得 す

る案内役︑指迎役︑宜伝家であろうとした︒かくして︑﹁ティ

ラーツステムは奇妙にも︑その名の示すティラーその人以外の

ものの手で産菜に迎入される﹂

( m )

こ と と な っ た ︒

産 業 へ の 都 入

・ 紹 介 期

二十泄紀初頭の数年は︑ティラーの低れた協力者たちの努力

によるティラーシステム紹介の時期であった︒ここでガソト

( H

e n

r y

L•

 

G a n t t ) や バ ー ス ( C a r G l .   B a r t h ) の 活 躍 は 勿 論 ︑ メ リ ッ ク ( D w i g h

V .

t

 

M e r r i c k ) ︑

^ サ ウ ェ イ ( H o r a c e

科学的管理の生成と発展︵石堂︶

K•

H a

t h

a w

a y

)

ク ッ ク ( M o r r i s L .   C o o k e ) ︑ ケ ン ダ ー ル

( H

e n

r y

P•

 

K e n d a l l ) ら の 功 組 を 無 視 す る こ と が で き な い

だがこのような実業界への滲透の過程で︑これら設四者(sys‑

t e m a t i z e r ) た ち の 人 気 が 斉 ま る に つ れ て ︑ そ れ に つ け こ も う と

する山師(quack)があらわれた︒彼等はもっばら﹁労務者に

のみ負担をかけて︑彼等を不当にスピードアッブしようとする

インセンティブ制度﹂にたより︑﹁作業条件を標準化する方法

を知らなかったり︑不注慈であったりした﹂︵祖︶から︑ティラ

ーのもとへ実業界からの愚痴や非難がむけられたのは当然であ

った︒しかしティラー派が唯一の管理コソサルクントではなか

っ た

︒ さ き の 山 師 た ち と は 別 に

︑ エ マ ー ソ ン ( H a r r i n g t o n E m e r s o n ) の よ う な 人 も い た か ら で あ る ︒ エ マ ー ソ ン は

︑ い わ ゆ る ﹁ ニ マ ー ソ ン 式 ボ ー ナ ス 制 ﹂ ( E m e r s o n

︐ 

n u

s   p l a n ) を 中 心 と す る 彼 の 制 度 を 考 案 し 一 n l

︑ み ず か ら テ ィ ラ ー シ ス テ ム と 区 別 し て ︹ 科 学 的 管 理 者

︺ ︵ s c i e n t i f i c

m ̲ a n

a g e r

)  

に 対

し ﹁

能 率

技 師

︺ ︵

e f

f i

c i

e n

c y

e

i n e e r ) の 呼 び 名 を 用 い ︑

﹁ 能

番進連動﹂(e 臣

i e n c

y

movement)~

先 涵 し た

( g

︒ た お こ の よ う な ﹁ テ ィ ラ ー の ︵ し た が っ て 科 学 的 管 理 の ︶ も っ と も 重 大 な ラ イ バ ル ﹂ 一 沼 ー で あ っ た ユ マ ー ソ ソ が ︑ 後 に

﹁ 東 部 鉄 辺 奴 率 事 件 ﹂ の 証 言 台 に 立 っ て

︑ 科

学 的

管 理

の 発

展 の

上 に

軍 要

な 役

割 を

果 し

た の

は 興

味 深

い ︒

(7)

8

する巣一の呼び名︵﹃科学的管理﹄ないし﹃ティラーツステム﹄ さてこの時期に︑﹁近代的管理﹂者グループに参加した最も 誼要な人としてギルプレス

( F

r a

n k

B .   G

i l b r

e t h )

も忘れるこ

とができない︒彼につふヤて特に指摘されていることは︑その労

慟組合に対する態度であった︒周知のようにティラー自身は︑

っとに労鋤組合を敵視し︑忌避し︑﹁どのような工場でも︑労

働組合が組織化されていないかぎりうまく運営される」

B~)

断言していた︒事実︑彼やその親しい同僚たちは︑彼等の制度

を組合の結成されている工場へは適用しなかった︒しかしギル

プレスはティラーとちがって︑﹁組合の影曹を根絶しようとは

考えなかったし︑組合との交渉を選んだ﹂︵四︶のである︒その

意味で彼は︑﹁ティラーの同志逹のうちで︑組合と協鋤を求め

た唯一の人であったし︑組織労鋤者に対して同情を示した︑科

学的管理運動上唯一の人であった﹂︵専

︒ ハ

ー ソ

( H

a r

l o

w S .  

P e

r s

o n

)

によれば﹁一九︱一年まで

は︑科学的管理をめぐる労沢の紛争は起らなかった﹂

( g )

といわ

れ︑一般にもそのように信じられているが︑これはむしろ︑科

学的狩理の下では決してストライキは行われていない﹂という

ティラーの執拗な声明と︑ 何 と し て も ︑ ﹁このツステムに対 科学的管理の生成と発展︵謀堂︶

さてティラーツステムを最初に採用した政府事菜は海軍であ という名称は一九一

0

年始めに涌用した︶を欠いていたことが︑

組織労鋤者の反対を追くことをきわめて困難とした﹂

( g )

わ け

で︑いわぱ皮相な認識にすぎない︒事実︑ティラーの凋係した

あらゆる工場から︑組合加盟労倣者は立退いたし︑エマーソソ式

方法︵間接的にはティラー式方法︶はそ

n e

r i

c a

n L

o c

o m

o t

i v

e  

C o

m p

a n

y

でストライキを助長し︑若千の海軍・エ該

( n

a v

y

y a

r d

)

や晦軍兵器廠

( a r s

e n a l

)

では︑ティラー式方法への反

対が表明された︒こうした組合の浪度は︑特にプレミアムお

よびボーナス制度をめぐって批判的であった︒そして一九︱︱

年以前には︑強力な組合の存する工場で︑ティラーツステム

ないしその類似制度が採用されたのは︑陸軍兵器蔽

( U

n i

t e

d

S t

a t

e s

  A r m y   a r s

e n a l

s )

を除いてほんの一例にすぎなかった

芦 ︶

0

六年以来ティラーの伯奉者エヴァソス ったが︑それらは一九 ︒

技師

( N

a v

a l

C o

n s

t r

u c

t o

r   H

o l

d e

n   A

.   E

v a

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) やグッドリッチ

大将

( A

d m

i r

a l

C a

s p

e r

.     F G o o d r i c h )

らの努力と︑ハサウエ

イやバースらによる実地指迎に負うものであった︒しかもティ

ラー自身は﹁政府施設

( G

o v

e r

m e

n t

s h o p

s )

にはストの危険ほ

八 四

(8)

科学的管理の生成と発展︵福堂︶

﹁ 科 学 的 管 理

﹂ 運 動 の 放 極 化 と

組合の活発な敵対期

何 も な い ﹂

( 3 0

マと確信しこのシステムの採用の実現に特に熱心 となって︑この分野に稜極的な関心を示したのである︒そし て管理者側から示された不安ないし疑義に対して︑ティラーは

﹁強大なアメリカのドルは︑労務者のクイムスクデイに対する

どのような敵対をも鋲圧するだろう︒というのは︑如何なる反対

も﹃クイムスクデイが自分逹に莉箕金をもたらすと気付けば﹄

止むからである﹂︵立︶と断言していた︒やがて一九

0

九年に

は︑ウォークークウン兵器散

( W

a t

e r

t o

w n

A r

s e

n a

l }

にもテ

ィラーシステム採用の機が熟した︒一九一

0

年をまたずして︑

科学的管理はかなり普及を示していたのである︒まことに︑ニ 十批紀の最初の十年はティラーとその協力者たちにとって一般

に成功的で︑きわめて満足すべき足取りを辿った︒

﹁しかしながら︑^科学的管理>はいまだに︑その正式の名 称を与えられてはいなかったし︑より多くの一般的注目も受け てはいなかった︒それらはまさに東部鉄道賃率事件

( E

a s

t e

r n

R a

t e

  C a s e )

とプラソディス

( L

o u

i s

D .  

B r

a n

d e

i s

) に よ っ

て︑一九一

0

年に与えられることとなったのである﹂︵繹︶︒

八 五

一 九

0

年は︑科学的管理蓮動の歴史の上で注目すぺき出来

事を含んでいた︒すなわち東部鉄道賃率事件

( E

a s

t e

r n

R a

t e

 

C a

s e

)

とプラソデイス弁膜士

( L

o u

i s

D .   B

r a

n d

e i

s )

の証言が

さて査問会でのきわめて劇的な証言は︑ そ れ で あ る ︒

一 九 一 〇 笠 脊 東 部 の 諸 鉄 道 会 社 は ︑ 従 業 員 に 対 す る 炊 金 引 上 の 瓦

付けとして︑州際商業委員会

( I n t

e r s t

a t e

C o

m m

e r

c e

  C o

m m

i s s i

o n )

に 対 し ︑ 運 使 値 上 の 申 繭 を 行 っ た ︒ こ れ に 対 し て ︒ 利 用 者

側 で あ る 東 部 の 運 送 業 者 た ち は プ ラ ン デ ィ ス 以 下 数 人 の 顧 問 弁 殴 士

を た て て 法 廷 闘 争 に 入 っ た ︒ プ ラ ソ デ ィ ス は 鉄 逍 公 社 は 運 牧 値 上 以

外 の 方 法 で も 利 益 を 推 持 し う る と 主 張 し て ︑ そ の 論 拠 に ︑ い わ ゆ る 科 学 的 管 理 法 の 採 用 の 効 果 を 述 ぺ た ︒

︵ 紐

︶ 従来︑ティラーの方式化した﹁近代的管理法﹂について何等の

一般的名称も付けられていなかった︒プラソディスは法廷での

証言にあたって︑そうしたものに対する澗害の必要を感じ︑ガ ソト︑ギルプレス等の寿門家と協議の結果︑﹁最も適切な呼び

名 ﹂

( t h e

l i k e

l i e s

t   e a r

  , a

n d

  , e a r

a t   c

c h e r

)

として

A 3

科学的杵

I

理 >

S c i e

n t i f

i c

m a

n a

g e

m e

n t

)

なる語を提起したのである︒

ここに初めて︑この名称が公式に承認された︵繹︶︒

﹁科学的管理﹂の採

用によって可能となるという︑いわゆる﹁一日一

00

万 ド ル ﹂

( m i l

l i o n

‑ d o l

l a r s

‑ a   ,  d a y )

節約説

05)

であったが︑これに関し

(9)

86 

を立証しようと衣図して︑いわゆる﹁管理の四原則﹂を明らか 科学的管理の生成と発展︵科堂︶

て︑ブラソディスがエマーソソを証人として︑この考えを進め

たことは︑彼がティラーの︵そして科学的

t

山理の︶蚊も重大な

ライバルであっただけに興味深いことであった︒しかしながら

鉄道菜者たちは終姶この提案を﹁根拠のない︑拶想家の妄想で

ある﹂と頑強に反対しつづけた︒しかも︑鉄道労鋤組合の側

も︑もし委員会が運賃値上を却下すれば当然組合員の賃上げは

取消されると考えていたことと︑つとに科学的符理に対して︑

それが反組合的でスビードアップを助長するものだと信じてい

たから︑鉄道会社と歩潤を合わせていた︵立︶︒だがその甲斐も

なく翌年二月に︑委員会は迎賃値上を却下する結果となった︒

この事件を契機に︑科学的管理をめぐる多くの記事と論文は︑

新聞・雑誌をにぎわし︑その人気は次第に甚まっていったが︑

他方ではエマーソソの後継者たちゃ鉄道業者ならびに労鋤組合

からの攻撃をも受けた︒だがこの間に︑ギルブレスはティラー

に 対

し て

A

管理の法則>に隣する彼の論稲の漿理を勧め︑こ

れが一九︱一年に﹃科学的管理の賭原理﹄

(T he P r i n c i p l e s   o f   S c i e n t i f i c   M an ag em en t)

の直題で出版された︒

ティラーはこの中で︑ ﹁最密の管理が真の科学である﹂こと にしたのは知られるところである︒この坦合︑ティラーが特に 念頭に描いていたものは︑右のような

t3

瑶の哲学が︑新らしい

管理技術の底をつらぬくものでなければならないということ

と︑それは︑﹁労謗者と管理者の問の︑彼等の相互の義務に対

する態度における﹃籾神革命﹄

(m

gg l 

r e v o

l   g 

i o n )

からも

たらされる﹃密接︑親密な人間的協力﹄である﹂ということで

あ っ

た ︵

四 ︶

なおこの年には相前後してガソト︑ニマーソツ︑ギルブレス

の業釘が発表されたことも行理の歴史上窯義深いことであっ

→ •JO

ガ ソ ト の

﹃ 作 業 ・ 賃 金 及 び 利 四

( w o r k , W ag es ,  a nd   Pr o f i t s )  

は ︑ と り わ け

︑ 労 務 者 の 産 菜 訓 練 を 強 図 す る も の で ︑ こ れ は 第 一 次 大 戦 中 ︑ 軍 困 作 業 に お け る 不 熟 練 工 訓 練 の 必 要 に と っ て ︑ 大 き な 意 裟 を 示 し た ︒ エ マ ー ソ ソ の

﹃ 能 率 の 十 二 原 則

( Tw e l ve P r i n i e p l

  g 

o f  

Efficiency)~

管 理 へ の 哲 学 的 ブ ロ ー チ を

﹁ 明 確 に 定 め ら れ た 理 想

﹂ ﹁ 狂 き 常 識

﹂ ﹁ 充 分 な 相 談 ﹂

﹁ 公 正 な 処 区

﹂ 等

︑ 十 二 の 原 間 に よ っ て 提 起 す る も の で あ っ た

︒ ま た ギ ル ブ レ ス の

r

作 研

究 ﹄

( M o t i o n s t u d y )

は ︑ 労 務 者 の 曲 作 研 究 に つ い て の 基 礎 概 念 を 明 に し た

さてこうした文害によって︑広汎な注意がひきつけられた一 匹 ︶

方では︑管理の側と労鋤組合側の繭論も活発化した︒とりわけ

八六

(10)

( T a y l o r   S o c i e t y )

と改名されたが︑現在の﹁管理振興協会﹂

( S o c i e t y o r   f   t h e   A d v a n c e m e n t   o f   M a n a g e m e n t )  

科学的管理の生成と発展︵苅堂︶

M a n a g e m e n t ) が そ れ で あ る

A.F.L 副会長ダソカソ

( J a m e s D u n c a n )  

t ! ︑科学的管理

に対して﹁それは団体交渉を否認するから︑﹃産業奴隷制﹄

( i n d u s t r i a l   s l a v e r y )

へ の 手 段 で あ る ﹂ ︵ 四 ︶ と 非 難 し た ︒ こ の

よ う な 中 で ︑

A.s.M.E

は﹁産業管理技術の現状﹂に関す

る報告を作成するための経営補助委員会

( S u b

, C o

m m i t t e e   o n   A d m i n i s t r a t i o n )

を準備したが︑この委員会の意見は︑科学

的管理に対し︑それが︑産業諸問題の処理と解決のための最上

の手段であると強い讃意を示した﹁多数派﹂と︑この方法は︑

産莱害悪の救済にとって何らの万能薬でもないとして前者の主

張を否認した﹁小数派﹂に分れていた︵四ー痒︶︒しかし何れに

しても︑東部鉄道賃率事件いらい︑科学的管理に示された一般

の関心の異常な高まりと︑更に直接的には先の﹁多数派﹂論文

に示された広い讃慈に刺戟されて︑ティラー派の人々により︑

彼等の理想や実践の報告を永続的に発表しうる公式の機関が成

立される結果となった︒.一九︱一年に創設された﹁管理科学促

進 協 会 ﹂ ( S o c i e t y f o r   t h e   P r o m o t i o n   o f   t h e   S c i e n c e   o f  

の前身

J

れは後に﹁ティラー協会﹂

八 七

をなすものであった︒

ところで一九一

0

年以来︑ティラーツステムの産業への現実

の滲透という事実は︑大衆一般︑労働組合︑企業指迎者ならび

に連邦政府にその普及についての異常な醐心を呼び起したので

あるが︑中でも労働組合の批判ないし挑戦力

( c h a l l e n g i n g f o r c e )

の高まりは︑ようやくその勢力を拡大しつつあった︒

まことにアルスクイン

( D a v V i d a n   A l s t y n e )

がのぺたように

﹁科学的管理者にとっては︑科学的管理が労鋤組合にも利益を

もたらすものであることを︑組合に納得させる以上の大きな問

題はない筈である﹂

( m )

ということが今や表面化したのであ

ほんらいティラーにとって︑組合と団体交渉は﹃干渉﹄を意 る ︒

味するということが︑組織労鋤者に対する不信の根本的理由

であった︵暉︶︒すなわちティラーは︑﹁自分の管理制度は作

業と生産を支配する自然法則をあきらかにした﹂

する方法を採ること﹂であった︒したがって﹁労務者の役割は

これに較べれば単純で︑単に実験のための問題を与え︑技師の 決定し適用するうえに必要な統計衰料を掴む技術を正しく利用 た

9

管理者のしなければならないことは︑﹁管理の

A

法則>を と信じてい

(11)

88 

科学的管理の生成と発展︵高堂︶

決定を堅く守ること︑いいかえれば﹃自然法則﹄に則ること﹂

につきるものであった︒それは︑﹁

A

科学的事実>について交

渉することなど全く不可能であった﹂ことを念味した︒

このようにしてティラーは︑自分の計画は組織労鋤者の反対

の増大を恐れないと確信し︑彼等の妨宵をものともしなかった

が︑一九︱一年初めに︑組織労鋤者はティラーの主張を反撃す

る運動にのり出した︒

あたかも﹁管理の科学﹂の一般的喝采のあげ潮に応えるかのよう

に、一九―一年初頭

A.F•L

執行委員会は

rブレミアム及びボー

ナス制度﹂が︑労働者の安全上︑必要な限度以上に駆使するように 計画され︑災害の増加と健康を破城する理由で︑この制度を攻撃す る 決 議 を 採 択 し た

A . F . L は︑この決瞼は︑この新らしい運動

をうちまかすことはないとしても︑その発展は阻止しうると考えて

傘 上 の 組 合 に ﹁ ス ピ ー ド シ ス テ ム の 拡 張 ﹂ に 対 す る 闘 争 を 指 令 し た ︒ A.F.L

ゴ の ソ バ ー ス ( S a m u e l G o m p e r s

) は︑労務者を^機

械化>する一連の試みを汰のようにしんらつに罵った︒﹁諸君ら炊

金労慟者一般は単に産業上考感された機械にすぎないのだ︒⁝⁝

諸君の機械としての北さや巾や厚さばかりか︑堅さや頃応性や︑柔

順さや一般的徳用性までが確かめられ︑望むままに利用されるの

だ︒だから科学は︑諸君が屑の山租みにされるまで︑諸君からしぽ

りとるのだ﹂と︵四

わけてもクラフトマンの利害を代表した

A F

L の指迎者にとっ

ての脅威は︑ティラーシステムが﹁クラフト組織とクラフト独

I n t e r n a t i o n a A s l   s o c i a t i o n   o f  

占を破壊しようと形成された武器と考えられた﹂ことである︒

ほんらいクラフトマソは彼等の技能を独占的に維持してみずか

ら特権的地位を築いてきたが︑あたかもティラーの計画室と戦

能的職長制はこの

A

クラフト>の秘密を吾かすものであった︒

事実ティラー派にとっては︑﹁彼等の蒐集した全ての知識によ

って未熟練労鋤者を訓練し︑クラフトマソと競争させることは

飾 単 で あ っ た ﹂ ︒ だ か ら ゴ ン ︒ ^ ー ス に は ︑ ﹁

A

ティラーシステム>

に対する闘争は組合主義保存のためのものであった﹂︵国︶︒

怠栗

( s o l d i e r i n g )

に つ い て の テ ィ ラ ー の 非 難 に 対 し て ︑ ゴ ン パ

ー ス は テ ィ ラ ー の 方 法 が 古 い 強 制 作 業

( f o r

,  w c e

o r k )

︑緑印面藝

督︑苦汗制度

( s w e a t i n g )

の 焼 直 し 以 外 の 何 も の で も な い と ︑ 強 力 に 労 鋤 者 を 弁 殴 し た ︒ そ し て ミ ッ ド ヴ ェ ー ル の

A

産 業 居 殺 揚 > で

訓 練 を 受 け た も の が ^ 非 人 問 的 > 管 理 制 疫 を つ く っ た の は ︑ ま さ に

当然なのだと指摘した︵四゜

だがゴソ︒^ースはその後この問題について︑更に進んだ発言も

研究も行わなかった︒しかも一部の新岡・維誌はギルプレスが

製紙工場で試みた能率制度を弁臨して︑組合のストライキを頭

く非雉する論説を掲げたのであるが︑鋳物工組合

U n i o n )

と国際機械工組合 八八

( M o l d e r s   M a c h i n i s t )

はティラーシステムに反対して敢然と立上ったの

(12)

科学的管理の生成と発展令回堂︶ である︒ちなみにロックアイラソド兵器廠の機械工組合が︑テ ィラーツステムの拡張を企画した陸軍省プランに反対したの は︑科学的管理に対する組合の態度の最初にして完全な声明で あ っ た

一 九

機 械 工 組 合 は ﹁ 過 激 な 方 策 を 具 体 化 し ︑ 非 民 主 的 原 理 を 唱 え る ﹂

こ の 制 度 の 採 用 に 組 し 得 な い ︒ す な わ ち 過 度 労 働 ︑ 奴 隷 化 ︑ 熟 練 労

働 者 の 排 除 ﹁ 最 大 限 の 能 率 を 発 揮 し 得 な い

A

普 通 の 労 働 者 > の 排 除

か ら 生 ず る 恐 る ぺ き 失 業 問 題 ﹂ ︑ 労 働 者 の 労 働 条 件 決 定 へ の 発 言 権 5  否認︑ストッブウオッチの非人間的不正的使用がそれである︒巨

5 6 )  

このように︑ティラーシステムと組織労働者が対決せられた

のは︑海軍工廠と陸軍兵器廠であったから︑当時の組合運動の

主要目標は政府施設に向けられていた︒こうした組合の動きは

ロックアイラソド事件以来深刻化して遂に議会を動かし︑聴問

会の開催にまで発展した︒ところがその後も︑ウオクークウン

では依然としてこの制度が継続され︑加うるに鋳造工場でクイ

ムスクーディが試みられるに及んで︑鋳物工組合はストライキ

に突入し︑再び議会に対する組合の圧力が加えられた︒かく

て︑政府事業における﹃ティラーシステムその他の管理制度﹄

を調査し︑その労使に及ぽす影唇及びこの制度の設匠の結果を

理解するための査料を掴むため︑議会の決議に基いて︑

こ ︒

八 九

難を防ぐ手段としてその

A

精神革命>論を強調したものであっ あったが︑それは彼の一貫した信念を徹底し︑科学的管理の非 一年十月から翌十二年二月にかけて聴問会が開かれた︒この聴 問会は︑当時までの科学的管理の歴史に関する最高の公式記述 を出したと同時に︑ティラーツステムに対する組織労働者の反 対の最も明瞭な表明を準備した︒

鋳物工組合のオーリアリー会長は︑労働組合の反対があるのは

﹁ 労 務 者 が 一 定 出 来 高 の 価 格 の 決 定 に 何 ら の 発 言 も 有 し な い 処 で あ

る ﹂

. と 端 的 に 述 ぺ て い る

︒ そ し て 彼 は

︑ 不 熟 練 な い し 半 熟 練 労 務 者

を、クラフトマンの仕事を行うように訓練する「技術」こそ

A•F

L

の 殆 ん ど の 組 合 に 対 す る 重 大 な 脅 威 で あ る と 見 た の で あ る

ま た ウ ォ ー ク ー ク ウ ン の 一 労 働 者 は ス ト ッ ブ ウ ォ ッ チ の 屈 局 に つ い

て ﹁ 時 間 が ど れ ほ ど か か る か を 発 見 す る こ と に は 反 対 し な い が ︑ 恰

も 自 分 達 が 競 争 馬 や 自 動 車 で あ る か の よ う に ︑ 自 分 達 の 前 に 立 ち ふ

さ が る こ と に 反 対 す る の だ ﹂ と 述 ぺ て い る ︒ 一 邸 ︶

これに対してティラーの行った証言は︑きわめて重要なもので

こ の 点 に 関 す る 彼 の 供 述 は こ う で あ る ︒ ﹁ ⁝ ⁝ 科 学 的 管 理 は そ の

本 質 上 ︑ 特 定 の 産 業 施 設 に 屈 わ れ る 労 務 者 の 側 に 完 全 な 梢 神 革 命 を

伴 う ︒ こ れ は 労 務 者 の ︑ 仕 事 や ︑ 仲 間 や ︑ 罵 主 に 対 す る 自 分 の 義 務

に つ い て の 完 全 な 革 命 で あ る ︒ 同 時 に そ れ は 管 理 側 の 職 長

︑ 監 抒 者

(13)

90 

会においてティラーツステム攻撃の決議を採択したけれども︑ 科学的管理の生成と発展︵店堂︶

事 業 所 有 者 ︑ 取 締 役 会 ︑ の 同 じ 管 理 側 の 仲 間 や ︑ 労 務 者 や ︑ 日 常 の 諸 問 題 に 対 す る 自 分 の 義 務 に つ い て の 完 全 な 鞘 神 革 命 を 伴 う も の で

あ る ︒ こ の よ う な 両 者 側 の 完 全 な 梢 神 革 命 な く し て ︑ 科 学 的 行 理 は

あ り

え な

い ︒

﹂ ︵

泣 ︶

このようにティラーは彼の管理制度を弁悪するに際して︑その

機構的要素

( m

e c

h a

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c a

l

f a c t

o r s )

か ら 社 会 的 心 理 的 要 素

( S 8  

i a

l   a

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  p s

c

y

h o l o

g i c a

factors)~

l  

切 h 4 臨 し ︑ と く に 絡 {

者を強く主張したことは︑彼の究極の拠りどころに既に組合を

納得させ得ないものが潜んでいたことを示すものであろう︒た

だ著者はこれについて︑更に度極的には触れられるところがな

かった︒しかしながら︑﹁雇用者の単なる精神的態度といった

ところであまりにも可変的かつ空想的で︑労拗者の物質的福祉

の基礎には耐ええない﹂冠︶と結論した委員会報告こそ︑かえっ

て示唆に富んだものと言うべきであろう︒もっとも一部から︑

このような委員会の立場は﹁組合の側に立つもの﹂と非難され

たけれども︑結局は何らの立法招胚も勧告されることなく見送

られる結果となった︒

A.F.L

も一九︱一年以後︑年々の大

労鋤組合機関紙では︑さしてこの問題に注意も注がれなかった︒

しかしながら︑組織労曲者は科学的管理を法律によって政府施設

から排除しようとの努力は続けたし︑こうした践会活動が︑やが て民閻企業への前例として役立つことを希湿していたのである︒

﹁ 科 学 的 管 理

﹂ の 実 限 の 究 明 と 調 査

ー批判から協力への新らしいきざしーー'

さて一九︱一年に活気を帯びた科学的管理対労磯組合の論戦

も︑その後一時的小康状態を保ったのであるが︑この数年閻の

うちに︑科学的管理の民間企栗への著しい普及が印された︒

ト ソ

ソ ブ

( C . B

. T

h o

m p

s o

n )

の 狂 出 に よ れ ば ︑ 一 九 一 五 年 初

め に

は エ

揚 ︑

自 治

体 ︑

銀 行

︑ デ

. ハ

ー ト

な ど

一 四

0

施 設

苺 に

入 さ

れ ︑

そ の

う ち

︱ 二

0

は 完 全 な 採 用 で ︑ 残 り は 原 価 計 算 ︑ 事 務 そ の 他 の 営

業 部 門 に 適 用 さ れ た ︒ そ し て ︑ 当 時 ま で ︑ こ の 制 度 の 下 に カ ヴ ァ ー さ れ た 労 務 者 は 六 三

00

0

以 上

で あ

っ た

︵ 瑛

︶ ︒

それと同時に︑この時代を通じて︑ティラーシステムに対する

弁談と批判の論争は︑より現実的なかたちで展開されたことを

注目しなければならない︒一九一四年に︑労安醐係委員会

( U

n i

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d   S

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n   o

n   I

n d u s

t r i a

l   R e

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o n s )

主催した聴問会の証言もその一っであった︒そこでの証人は個

個の組合員労鋤者ではなく︑﹁アメリカの労曲組合の有力な指

磁者連﹂であったが︑この証言は︑著者によれば組合側の隙皮

の重要な変化を示すものであった︒たとえば委瓜の一人であっ

九〇

(14)

ーソン・グループの能率技師チップマソ

( M

i n

e r

C h

i p

m a

n )

 

を雁い入れたことは︑﹁科学的管理の歴史上︑この科学の代表

者が労働組合の依頼をうけて︑労鋤者の雇傭条件を調査﹂︵暉︶

科学的管理の生成と発展︵高堂︶ 長官宛のティラーシステムに関する陳箭害作成のために︑ユマ さてこうした中で︑ウォークークウン兵器廠労鋤者が︑陸軍 た A.F.L 苔記長レノン

( J

o h

n B .  

Lennon)~

、「若し経

営の側から組合との協力が示されるなら︑プラソ全体に対する

組合の反対ほ避けられよう﹂

E i )

と発首して︑組織労鋤者の科

学的管理に対する新らしい態変を示唆した︒そしてゴソ︒^ース

もまたこの発言を支持したといわれている︒︑﹁もはや科学的管

理は絶対の宙悪

( a n

a l t e

r a b l

e   e v

i l )

ではなく︑団体交渉

によって燭正可能なもの﹂一

m )

と考えられるようになった︒

一方︑管理技師達の態度の中にも︑ティラーの信条を固執す

る正統派とは別に︑アルスクイソ︑ブラソディス︑バレソクイ

ソ等は︑﹁デモクラツーを遥して︑能率を達成する﹂︵痒︶との

強い信念を抱きつつあった︒それにもかかわらずティラーは

﹁クイムスクデイなどの全ての問題は︑科学の問題であって団

体交渉の必要はない﹂一

m ) と断言し︑生産の制限や団交を要求

する故をもって依然として組合に反対し続けていたのである︒

した最初の出来事であった︒一九一四年の全部を喪して彼が試

みた仕事は︑ティラーシステムに対する労鋤者の態度の調査を

主とするものであった︒

チ ッ ブ マ ン は 兵 器 諏 従 業 員 に 対 し て 一 一

︳ 四 二 通 の 質 問 舌 を 送 っ た が ︑ 返 送 さ れ た

I I

︱ 二 五 通 の う ち

︑ ニ ー 四 人 の も の は こ の 制 度 に 反 対

し ︑ 好 意 を 示 し た の は 一 六 通 ︑ 意 見 な し が 五 通 で あ っ た ︒ し か も こ

れ ら 反 対 者 の 過 半 数 ︵ す な わ ち

︱ ︱ 一

1 1

人 ︶ は 非 組 合 員 で あ っ た ︒

四 心 ︶

チッブマソほ結論として︑ ﹁労鋤者はクイムスクデイとかプレ

ミアム・ボーナス制度それ自体に反対するものではなく︑それ

らの採用され方に反対するのだ﹂と信じ︑それは非民主的な状

態で﹁労務者に何の発言も許すことなく︑天下り式に押しつけ

る﹂ところに彼等の憤激を買ったのだと考えて︑﹁その救済は

産業民主主義の方向に存する﹂ということを示唆した︒

も ち ろ ん ︑ そ う だ か ら と 言 っ て ︑ チ ッ ブ マ ソ は 全 面 的 に 組 合 の 立 場に立っていたのではなかった。事実、彼が、後に

A•F•L

の「反

ス ト ッ プ ウ ォ ッ チ

ボ ー ナ ス ﹂ 立 法 に 反 対 し た の で ︑ 組 合 か ら 解 任

1 1

さ れ て い る ︒ 著 者 は こ の 点 に つ い て 論 及 し て い な い が ︑ そ の こ と は

二 つ の 示 唆 を 与 え る で あ ろ う ︒ す な わ ち 第 一 に ︑ 能 率 技 師 の 中 か ら こ の よ う な 批 判 が 出 た 程 ︑ テ ィ ラ ー

・ ッ ス テ ム は そ の 本 質 上 ︑ 非 民 主 的

性 格 を 有 し て い た と い う こ と ︑ 第 二 に は ︑ 彼 の 唱 え た ﹁ 産 菜 民 主 主

義 ﹂ と 現 実 の 労 働 者 の 望 ん で い た 民 主 的 措 四 と は 必 ず し も 同 一 の も

(15)

92 

こうした中で︑一九一四年春の聴問会以来陸軍法案︑海軍法

案への倍正案は相次いで可決され︑一九一五年三月には最初の

﹁反能率﹂規定の立法化を見たのである︒ところで︑この時期に ラーは更に動揺させられた︒ 員の低先的取扱の必要がある﹂ことを主張するに及んで︑ティ

の で は な か っ た と い う こ と で あ る ︒

それにもかかわらずティラーは︑これをニマーソソ派が︑ティ

ラー式管理を攻撃するために労働組合を利用したものだと考え

たが︑実際上はもっと近くの彼のグルーブの内部からも批判の

声が出ていたのである︒すなわち.^レンクイソがそれであっ

た︒﹁科学的管理の瑯論は︑経営者は労務者を個人として処理

す ぺ き で あ る と い う 教 理 の う ち に 築 か れ て い た ︒

⁝ .

. .

. ^ レ ッ ク

イツは今やまさに反対の提案をしたのである︒科学的管理は労

惹者をグルーブとして処理すべきだと﹂

( E S )

︒彼は﹁労働組合

主義は朋瞭な民主主義発展の一形態である﹂と確信し飯先的ユ

ニ オ ソ ッ

a ッブ制を提案したのである︒これに対しては一部か

ら﹁組合への無条件降伏の提案﹂だとする非難も出たが︑ティ

ラー派の中でも最も彼について詳しいケソダール

K e n d a l l )

が ︑ 彼 の 主 張 を 認 め て ︑ ﹁科学的管理はやがて組合

( H e n r y  

科学的管理の生成と発展︵高堂︶

おける他の大きな出来事は︑労喪閾係委且会が︑科学的行理に

脚する詳細かつ具体的な斑料を擦備する必要から特別委且会を

指 名 し て 倍 手 せ し め た 実 態 調 査 ︵ い わ ゆ る ﹁ * ' シ ー 調 査 ﹂

H o x i e   I n v e s t i g a t i o n ) で あ っ た

︒ 詳 し く 目 へ ば

︑ 労 安 脚 係 委 且 会 が

1

一 四 年 在 の 聴 問 会 の 後

︑ 実 俯 調 査 の 必 要 か ら ッ カ ゴ 大 学 教 援 ホ ク ツ ー ︑ 工 業 顧 問

. ^

> ソ ク イ ソ ︑ 国 際 鋳 物 工 雑 誌 紺 集 長 フ レ イ U o h n P .   F

r e

y )

の 三 氏 に そ れ を 委 任 し た ︒ こ の ホ ク ツ ー 委 員 会 は 翌 一 九 一 五 年 一 月 か ら 四 月 に か け て 一 ︱

︱ 五 の 該 当 施 設 の 調 査 を 行 い ︑ そ の 報 告 田 と し て

﹁ 科 学 的 管 理 と 労 励 者

﹂ ( S c i e n t i f i c M a n a g e m e n t n   a d  

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1915)

を 提 出 し た ︒ な お

︑ こ の 潤 査 の 時 期 に テ ィ ラ ー は 世 を 去 っ た ︒ 一 九 一 五 年 三 月 二 十 一 日 で あ っ た ︒

ホ ク ツ ー 調 査 の 報 告 田 は ︑

択︑訓練その他このブログラの細目の利用上にはきわめて多く

の相違があることを朋らかにした︒なかでも︑ティラーツステ

ムの礎石であるクイムスクデイと課菜の設定にもっともほげし

い変化と欠陥を指摘した︒すなわち報告杏はこれを︑﹁人岡の

偏見から生じがちな不同︑不正確︑不法に基いた個人的な判断と

な 見 の 磁 み も の ﹂

8

団︶と批判し︑そこには何ら正式の規則に従

った手ぽはなく︑珀に恣意的処理が行われているにすぎないこ

と を 示 し た ︒

職能式戦長制や労務者の科学的選

参照

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