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日本資本主義論争一その現代的意義とは何か

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日本資本主義論争一その現

日本資本主義論争

一その現代的意義 とは何か

山 本 義 彦

は じめに一 日本資本主義論争の意味 とは

現段 階論争 について

絶対主義論 と資本主義、地主制論争

おわ りに一 日本資本主義論争 と現代資本主義

は じめに一 日本資本主義論争の意味 とは

世界史的には大 きな構造転換期 と考 えられる今 日、1920‑30年代の 日本資本主義論争 (封建論 )が、現実過程の認識方法 にとって、いかなる意義 を持つ ものであるか を提示 したい。 この論 争 は当時の社会科学 に多大の影響 と貢献 を したこと、それ らの諸成果がその後の 日本 における社 会諸科学の発展 に も大 きな影響 を及ぼ して きたことはよく知 られている。けれ ども、今 日の世界 と日本の諸現実の もとでの有効性いかんは、ほ とん ど問い直 されることな く推移 しているように 思われる。筆者 にはそ うした動向 を考 える場合 に、あ らためてこの論争の意義 を問い直すべ きで はないか とい う思いがす る。

ここに言 う当面の段 階における「構造転換期」 とは、筆者 としては旧「社会主義」諸国 とその 経済の解体 を通 じて形成 された世界的規模 での市場原理の貫徹 と、他方での地球環境問題 をは じ め とす る一国規模 を超 えて公的規制のあ り方が見直 され ざるを得 ない段 階 (エリック・ ホブズ ボ ウム『20世紀の歴史』

)、

そ して強大 な経済権力 を有す る諸国家群 と経済体 としての壊須的 な傾 向 を見せつつある低 開発地域 、途上諸国などの世界的再編成の時代 、また一国的な経済政策が経 済

―‑1‑―

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大国で も運営不能 となっている段 階 としてお こう。では どうして一国経済体 としての運営が困難 となって きたのか。

その第一 に上げ られるべ きは1970年代初頭 に極めて鮮明な国際経済事象 として登場 した1971年 8月 のニ クソン米大統領 による金 ドルー部交換停止 を端緒 とし73年春の西 ドイツに始 まる通貨 フ ロー ト・ システムの展開を起点 とした戦後IMF通貨 システムの解体 に示 されたこと。国際的 には

「安定」価値 を表現 していた各国通貨 (固定為替相場制)が変動相場 制 を採 用す るこ とを契機 と して、公的規制力 を喪失 し、巨大 な多国籍企業、なかんず く多国籍銀行=金融機関の横行跛雇 に よつて、国際金融情勢が、従来の貿易連関 を基調 とした在 り方を一変 させたことであろう (国 的な「市場原理」の貫徹 と公的規制力の衰退

)。

今 日では、貿易取引 よ りも幾層倍 もす る巨大 な 国際的金融取引が成立 し、国際金融資本は、その上 に活躍舞台 を持 っているのである。たとえば、

1995年の主要国外国為替市場の 1日 取引高はロン ドンで4,800億 ドル、ニ ュー ヨー ク3,000億 ドル 弱、東京で約1,700億 ドルの合計9,500億 ドルであった (概

)。

この同 じ年の輸 出総額 はイギ リス 2,420億 ドル、アメリカは5,847億 ドル、日本は4,431億 ドルの合計12,698億 ドルで あ り、 同様 に3 国の輸入総額は13,704億 ドル、つ ま り3国貿易総額は26,403億ドル、これ を 1日 当た りに換 算 す ると、72.34億 ドルに過 ぎない。3国の金融取引額 は貿易総額の131倍である。い ちお う世 界貿易 全体でみると、同年の輸出総額は50,146億 ドル、 1日当た り137.4億 ドルだか ら、3国金 融取 引 9,500億 ドルは69倍である (大蔵省公表のホームページ資料 と日銀 『 日本経 済 を中心 とす る国際 比較統計

J、

UN Monthly Bulletin Statistics,June 1997等 によ り計算

)。

また今宮謙二によれば、

1980年世界の国内総生産額が約10兆ドル、95年には23兆 ドルヘ2.3倍、輸 出額 でみ る貿易量 は1.8 兆 ドルか ら約5兆 ドル と2.7倍、 しか しユ ーロ・ カ レンシー市場 は1兆ドルか ら7.3兆 ドル と約7倍 国際決済銀行推定 による国際的融資残高額 (債権発行 を含 む)は1.3兆ドルか ら94年には5.8兆 ル と約4.4倍に達 している (今宮謙二 F日本の金融破綻』学習の友社 、1998年

)。

1970年代初頭 の フロー ト体制への移行 に も関連 して、当事者であつたポール・ ボルカーPaul Volcker、 行天豊雄 の共著『富の興亡 一円 と ドルの歴史一』aんcEgjtt Fο

Os(〔江澤雄一監訳〕東洋経済新報社 、 1992年。これは周知の ように、プリンス トン大学 における二人の共同講義録 とい うべ きものであ るが、回想 を含む ドキュメン トで もある)は1940年代以来のブ レ トン・ ウッズ体制の変遷を辿 り、

さらにこの間の問題の一端 を率直かつ謙虚に述べている。

この1971年の事件 は、もはやモ ノの輸出入 によるカネの動向 よ りも、国際資金循環その もの に よつて国際経済関係が左右 されるとい う新たな段階 を刻印す るところとなった。そ して周知の よ うに1980年代後半の 日本のバ ブル化 とその壊滅形態 としての1990年代の長期 にわたる経済不安 を

‑2‑

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日本資本主義論争一その現代的意義とは何か

もた ら してい る。 これ は単 に 日本 一 国の現 象 と して重視 され るべ きこ とに止 ま らず 、ア ジアの 金 融 危機 と世界 的波及へ の傾 向性 を持 ち始 めてい る状 況 であ る。資本 主義分析 が一 国経 済分析 に止 め られ る こ とはで きず 、世 界大 の視 野 を持 つ こ ととと もに、生 産活動 を基調 と して重視 す る こ と で は なお一層不 充分 であ って (狭 義 の再生産論

)、

ま さに信用部面 、国 際 金 融 部 面 へ の視 角 を包 含 して展開 されるべ きことを提起 している。むろんこの ように述べ たか らといって も、金融活動 が経済実態 に代 わることはで きない。金融が果たす独 自の役割 を前提 として、また金融が経 済実 態 に強烈 な反作用 を与 える力能 を持つ ことは強調 される必要がある。それで もなおかつ金融が経 済活動その ものではない ことは当然であ り、近年の世界的不況の色合いは生産活動での不振、 そ してそれ を規定す る消費活動の低迷の側面 を正当に位置づ けるべ きことはい うまで もなかろう。

た とえば、アジアの生産活動は 日本が円高 を維持 していたバ ブル期 に著 しく発展 し、対 日貿易活 動の利益 を確保 していた。1986年段階では、 日本企業のアジア展開 をアメリカの場合の ような生 産基地ばか りではな く、第一線の研究開発部門を含む全面的な海外進出 とい う形態 をとらないで あろ う、む しろあ り得 るとすれば生産基地に限定 され ようとの認識が経済企画庁や通産省の認識 であつた

(『

日本企業の海外事業活動』

)。

しか しその後の現実 に展開 したの は、そ うで は な く先 端部門の海外展開をも含 む「産業空洞化」 を招いていることであろう (山本義彦「現代 日本 の国 家 と経済」関恒義編 『日本 と世界』三省堂、1988年、山本義彦編著 F近代 日本経済史』ミネルヴァ 書房、1992年

)。

しか し近年の円安が これ ら諸国の貿易不振 と金融危機 を招 いた事 実 は否定 で き ない。また急速 なアジア諸国の貿易発展 を規定 した対 日関係の進展 はその多 くを技術的に も日本 に負い、それに日本の製造業の技術移転 は もとよ りその子会社 としての展開を創出す ることで貿 易の確保 を可能 として きたために、独 自の技術発展 を充分持 ち得 ないことか ら対 日自立性 の確 保 が困難であることも、今 回の危機 をいっそ う深刻 にさせている (中川信義編 『アジア・ イン トラ 貿易の形成 と展開』1997年

)。

しか もその 日本の技術 で さえ も、欧米 の基本技術 の上 に形 成 され たブ レン ド、ハ イブ リッ ド型の性格 を色濃 く持 って きたために、新 たな技術分野への挑戦 には困 難が生 じていて、依然 として技術輸入国 としての体質 を転換で きないでいる状況である (山本義 彦「 日本の科学技術受容の問題点」関西唯物論研究協会 F唯物論 と現代』22、 1998年11月

)。

この生産実態 と金融・信用部面 との総合的把握の必要性 は現段階 としては多 くの人々によって 承認 され うる視角であろうが、 日本資本主義論争の時期ではなお不鮮明に しか理解 され得 なか っ た と考え られる。 とい うの も当時は国際的な視野で一国経済 を分析すべ きである との認識 を獲得 するにはなお充分 な状況 を把握 し得 なかった と言 うことであろ う。

しか し現実 には世界大恐慌 に至 る国際政治経済情勢の進展、第一次世界大戦後の欧米金融市場

‑3‑

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におけるホ ッ トマネー (短期資金)の動向等 を考慮 に入れるならば、その ような視角 を獲得 す る ことが不可能であったわけではない。現 に世界大恐慌の一端は ドイッにおける金融危機か らイギ リスヘ と波及 していった事実があ り(Paul Einzig,3θ

ご ιλθ ttθπθs O/LιO αι

jο ttα

J Fjπ

ポール・ アインッィヒ 〔木村鱚八郎訳〕『世界金融恐慌の真相』千倉書房、1932年

)、

他 方 でそ の 先樅 としてアメ リカの景気過熱が ドイツか らの短期資金の引 き上げを呼 び起 こ し、破綻 を招いた とい う事実 を考 えてお くこともこの論点のために有益であろう。一方、日本の場合、1927年 の銀 行破綻 による新 らしい銀行法の制定 を通 じての強力 な整理政 策 の進展 を背景 と しなが ら1929〜

1933年の大恐慌 を経験 したことが、金融部門の恐慌 における重要な意味 を見失わせたか もしれ な い。世界史的にはこの恐慌が欧米の貨幣・信用恐慌 を含む性格 を濃厚 に していたが、日本の場合 は、いずれか といえば、生産部面の恐慌現象、そ して大量失業問題が際だっていたといえよう。

では何がその ような認識上の不充分 さを作 り出 したのであろうか。筆者の理解では野呂栄太郎 の視角が充分 には継承 されず、山田盛太郎的な視角が強烈な意味 を与えられた点に認識の障害 を 作 り出す要因があったのではないか と考えている

(『

資本論』第二巻の再生 産表式論 に依拠 した 再生産論 による方法

)。

この点 を、以下、行論で述べたい と考える。

本稿 は、かの 日本資本主義論争 もまた一つの歴史的転換期の所産であった ことか ら、現段 階 の 資本主義の世界的、また 日本的あ り方 とを把握する手がか りをつかむことを目標 として、その再 検討 を行お うとしている。 とい うのは論争当時の「転換期」 とは、19世紀末葉 に定置 した重化学 工業 を蓄積基盤 とした帝国主義世界体制が世界大恐慌 に直面 して、その現代資本主義への転形 を 余儀 な くされる段 階、すなわち資本活動 に対す る公的規制の必要 と、私的資本活動では充分 に処 理 しきれない分野 に関 しての国家の介入、経営参画が開始 されてい く段階 として把握 してお く。

いわば市場原理 に対す る公的介入の本格化 した段階であった (当時の先駆的 な指摘 として清沢測 の『革命期 のアメリカ』千倉書房、1934年等 を上 げてお きたい。清沢 は レーニ ンの『差 し迫 る破 局、それ といかに闘 うかJとともにケインズの資本主義認識 をも合わせ捉 えなが ら、当時の段 階 を過渡期の経済 として資本主義 を認識 し、19世紀型の 自由主義万能論では巨大化 した資本の専 制 力 を規制で きない ことを述べていた。むろん清沢の意識は政治的 自由の確保 にとっての障害 とな る独 占的諸資本の専制が注意 されていた。この観点は大正デモクラシーの旗手吉野作造 らに も見 られた ものであるが

)。

本稿 は拙稿「 日本資本主義論争 に関す る若干の覚書」(静岡大学 『経 済研 究』3巻 1号1998 年 6月 )にさらに再検討 を加 えて展開す る。むろん論争整理の立場 は、実証分析の方向付 け を得 るためであ り、非力 なが ら自己の研究経験 を踏 まえての もので もある。

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日本資本主義論争一その現代的意義とは何か

現段階論争について

日本資本主義論争の出発点 としての位置 を持つ この論争での論点 をまず点検す る。この点検 を 通 じて、この論争の初期の基本的特徴 を見 ることがで きる。ただ しこれは、筆者 はすで に1978年 の土地制度史学会で報告 している

(「

野呂―猪俣現段 階論争の意義 と限度」『静岡大学法経研究』

27巻 2号1979年に集約

)。

この論争の基本的課題 は当該段 階 をいかに捉えるかということであっ た。決定的な問題 は、明治維新変革 を起点 とす る土地革命 を、私的所有権の確認 を基調 としてブ ルジ ョア的所有の公認 としてみるか、封建的土地領有の割拠性 を越 えて全国一元化 した封建的関 係の展 開 と見 るか とい うことであった。

前者が猪俣 の立場 であ り、後者が野呂の立場であった。そ して ここか ら社会変革論 として前者 は基本的に社会主義革命 、す なわち「一段 階革命」 を、後者はブルジ ョア民主主義革命 を経 て社 会主義変革へ 、すなわち「二段 階革命」 とい うコース を描 く前提 となったのである。ここで注意 を要す るのは、あ くまで社会科学の課題が、当面す る社会の変革課題が何であるか とい うこ とで あつて、直 ちにそ こか ら主張者が一定の変革 を目指す立場 、政治勢力に与みすべ きか どうかは、

基本的に求め られているわけではない と言 うことである。社会科学の実践性 と科学性の相関関係 の困難性 はここにあろ う。むろん論証 は全 く異なっている。すなわち猪俣 は当時の高額小作料形 成の論理 を過小農制 に求め、かつ多数の土地無所有の農民が狭院な地主の土地に小作農 となる潜 在的可能人口が多いために、高額小作料形成の必然性 にあるとした (猪俣「現代 日本 ブルジ ョア ジーの政治的地位」1927年『現代 日本研究』改造社 、1929年に収録

)。

したが って資本 主義 が何 れ発展 してゆ くにつれて、農村か ら労働力が都市 に吸引 されてい くのであ り、「封建遺制」 と し ての農村 の小作農支配 も後退 してい くであろう。それ故にこの「封建遺制」 を打破するため には ブルジ ョア民主主義的課題 を包含 したプロレタリア社会主義変革が当時の社会 にあっては必然で ある とした。これに対 して、そ もそ も地租改正が江戸封 建制の割拠制 を解体 し全国統一体 と して の国家権力、天皇制の もとに土地 を集中 した ことによって、封建制の再版あるいは一そ う純化 し た封建制の全国一元的統一が果た された、まさにこれによって、小作農民たちは、封建貢租 と何 ら変わることな き高額年貢の支払いを余儀 な くされた と捉 えたのである (復刻版 として野呂榮太 郎『初版 0日本資本主義発達史』上・下、岩波文庫、1983年を参照 されたい

)。

これは講座派の中心人物 たる山田盛太郎に継承 された。全剰余労働吸収型、ここに封建制的搾 取の一面 をみ ようとい うわけである (復刻版 として『 日本資本主義分析』岩波文庫 、1977年 を参 照 されたい

)。

むろん全剰余労働吸収 をもって封建的搾取の根源 とする立場 は正 しくない。搾取

‑5‑

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形態 と搾取量 (質と量)の関連の見誤 りであ り、資本主義社会の論理 もまた全剰余労働吸収 を追 求す る資本家階級 の存在 を基礎 としているか らである。現実 には、全剰余労働 を吸収すべ く封建 的搾取者たる幕藩体制の下で も、農民たちの営農努力 による生産力拡大 を通 じて一定の剰余 を農 民の側が確保 してい くのである。この点ではむ しろ近代 プロレタリアー トの方が実は深刻 な立場 にある。というのは彼 らは耕やすべ き土地 という生産手段 を持ち合わせているわけではないので、

比喩的に言えば、彼 らが生産努力を行えば行 うほど、なるほど企業体の経営条件を向上 させ、 ま わ り回って多少の還元が行われはするが、また諸個人のレベルで も一定の収入増 を実現 しうるか もしれないけれども、封建社会の農民身分のように本百姓から豪農、地主経営へというドラステイッ クな位置転換 を実現できるというものではないのである。むろんその社会的政治的位置における 自由度は無視 しての話であるけれども。

しか し周知のように野呂榮太郎はそこに反動性、ブルジョア民主主義変革の必要性 を認めたの である。む しろ野呂自身が猪俣 に反駁する際に、着 日していたように、当該の生産関係のあ り方 が封建的か否かは、その直接的関係にあるという方がより適切だったのである

(『

資本論』第3 巻の地代論を参照

)。

付言すれば、地主 と小作農民の日常的生活関係にはかつての封建制の時代 以来持ち越 されてきた伝統的支配関係が含 まれていたであろう。この面を過小に評価 してはなら ないことはいうまで もない。問題は地租改正をくぐり抜けた日本の農村社会が持続 させた地主 と 小作農民 との隷属的関係 を封建的搾取機構そのものから説明可能か否かであるだろう。筆者はこ れに関 して、さしあた り次のように考えておこう。少なくとも封建制の本質を身分制社会 と規定 すれば、地租改正後の社会の編成原理は身分制ではない し、制度的には身分制の解体を保証 して いるのであって (1871年の機多非人解放令、四民平等

)、

たんに資本制の基盤の低位性が農村 に 大量の無産農民、つまり小作化 しうる大量の人口層の存在 を前提 として搾取率の高い地主小作関 係 を創出 したと見るべ きであろう。従つてそこからは前近代社会の封建的諸関係が継承、残存 じ た として もそれ程異常 とい うべ きもので はあ る まい (RoP.ドー アEEgJjsλ Fα

οッ α屁∂

洗甲%οsa Fα

οッ『イギリスの工場

 

日本の工場』

)。

むろん山田氏 も指摘 していたように、単 に 前近代社会の継承物 としての地主制支配に基づ く反動性 とともに土地の私的所有を制度化 された 自作農民の大量の存在そのものが政治生活における保守的意識を形成 していたこともまた非民主 的社会システム存続の根拠であつたことを看過することはできないであろう (山田前掲書、なお この点を本報告に際 して大石嘉一郎教授が特に強調 されていたが、このご主張には同意する

)。

その点では、前近代社会的伝統 を農村に色濃 く止めた要因としてはこの零細性の過剰農村滞留 労働力の存続が高額現物小作料 を長期にわたつて継続 させたという猪俣、櫛田民蔵の議論が有効

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日本資本主義論争一その現代的意義 とは何か

性 を持つのではなかろ うか (前近代社会か ら近代社会への「過渡的地代」 と しての小作料

)。

呂は周知の ように、地租改正後の農村社会の封建制 を説明す るために「国家最高地主」説 を もっ て補強 しようとしたが、これでは近代天皇制が封建制的搾取者であるとい う規定 を必要 とするわ けで、そ もそ も土地所有権が保証 された時代状況 を考慮す ると、無理 な論理であった。 しか しこ うした野呂の論理 をよ り精級 に山田盛太郎が継承 した といって よかろ う。また山田説の後、 これ を平野義太郎 は「半封建地代論」 によって補充 した。す なわち山田が地租 改正後の農村社会 を

「純粋封建制」か ら資本主義 に取 り巻かれた点で「半封建制」 と認識 した事態 を、平野 は地代論 で本質は封建的ではあるが資本主義 に取 り囲 まれた「封建的関係」、すなわち「半封建 地代」 と 定義 したわけである (山田の「純粋封建制」論 はマルクス『資本論』第1巻に登場す る日本 を、

鎖国体制 によ り「箱庭」的に純粋封建制が支配 しているとの比喩 に も関連 してい ようか

)。

これ らの二つの潮流 に関 して、江 口圭一は、そ もそ も社会変革 を迎えるべ き状況にはなか った 段階で「革命」を論 じたことの「愚」 を問題 としている

(『

日本帝国主義史研究』青木書店、1998

)。

一面でその冒険主義批判 はある程度当たっている。むろん野呂に も猪俣 に もこの冒険主義 的発想が見 られたか どうかは留保すべ きであろ う。二人の論議 にはむ しろリアルな資本主義認識 が よ り大 きく見 られた と思 うか らである。 しか しより重要な野呂や猪俣 のこの問題提起の背景は、

ある一定の段階の社会構成か ら他の社会段階への移行の方向性 を探 るとい うマルクス主義的社会 科学の一般的な方法 に依拠することの正当性があるか どうか とい うことである。また江日の問題 提起 は、そ もそ も資本主義か ら社会主義への移行 を正当 と認識 して きたマルクス主義に対 してそ れが東欧諸国の変革、旧ソ連の解体 を通 じてその論理その ものの有効性 に疑念 を抱いての もので あった。筆者 は しか しこの論議 には多少の混迷 を感 じないわけには行かない。 とい うのは、マル クス主義の社会展望 としての資本主義か ら社会主義への転換 、移行 とは論理的認識 を前提 として お り、歴 史具体的にロシアの変革の実相がいかなる ものであったかはさし当た り論理の枠外の こ とではないか と思われるか らである。つ まリマルクス主義の社会発展論がその正否 を問われる と い うのは基本的に論理 レベルに関 してどの程度無効であるか どうか ということであろう。むろん 周知の ように、旧 ソ連邦の解体等の一連の旧「社会主義諸国家群」の解体 を通 じてそ もそ もマル クス主義流の社会発展認識その もの を否定する立場が一定の規模 に達 していることは承知 してい る。その基底還元論主義的傾斜や生産力主義的傾斜が ともすれば社会主義化必然論であった り、

資本主義市場経済の無政府的在 り方へ の批判 を背景 とした硬直的傾向のある国家主義的計画経済 への称賛 ともな りがちであった論議 に対する江回の反発は十分に理解で きかつ顧慮 しうるもので はあろ う。

―‑7‑―

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筆者 は しか し江 日の この認識 には留保 を要す ると考 える。すなわち旧ソ連 をは じめ とす る「社 会主義」諸国のあ り方の如何 を問わず、客観的には資本主義体制 に後続する社会 システムが何 ら かの意味での社会的分業 を不可欠 としている現段 階 を前提 としての市場原理 と、これに対する社 会的規制力 を持つ システム

(「

dual ecOnomy二重経済」?、 この用語は1960年代 の テ イ ンベ ルヘ ン (J.Tinbergen)に 発す る。彼 は1960年代 に『新 しい経済』[Lθ ssοtts/rOtt ιλο pα

,1963]に おいて この論点 を述べていた)であるだろうとい う展望 を持 つている。す なわち依然 として社 会 科学の到達段 階を踏 まえるな らば、市場原理万能主義 には賛同で きない ことは、市場原理 に依拠 して きた人々の中にさえ一定の支持があることによって も、また現実社会の混迷 を見て も自明で あつて、社会科学が一定段 階の歴史性 を問 うことに根拠 をもつ とい う使命か らして、江日の言 う、

当時の段 階で「革命」 を論ず ること、そ してそれにいわば踊 らされた献身、自己犠牲 による多数 の若者 を過 またせた との認識 には賛同で きない。最近で もテ ィンベルヘ ンの言 う、こうした市場 原理 と社会的規制 とか国家の経済への関与の必要性 の問題 は都留重人『科学的 ヒューマニズム を 求めて』新 日本出版社 、1998年、佐和隆光 F漂流す る資本主義 一危機の政治経済学』 ダイヤモ ン ド社 、1999年で も大 いに指摘 されている ところである。それはまさに清沢」lj『革命期のアメリカ』

千倉書房 、1933年が世界大恐慌期 のアメ リカ・ニューデ ィール政策段階 を評 した 自由主義・市場 原理の国家規制 。国家関与 との重 な り合いを指摘 し、何 れ社会主義 ソビエ トもまた一面的国家計 画主義か ら市場原理導入の必要性が生 じるべ きもの と展望 した課題意識 とも重 なっている (山 義彦 『清沢冽の政治経済思想』御茶の水書房、1996年

)。

これ らを要す れば、マ ル クス社 会 主義 論 とケ インズ認識 との接合 ともいって よかろう。

問題は一般的論理的な変革の見通 しを与えることと、具体的実践的政治的取 り組みとの関係 を 充分に熟知できなかった不充分性の所産ではなかったか。かの1989‑91年 状況を転機に、マルク ス主義的社会発展史把握の有効性に対する疑念が見 られるか らで もある。なお宇沢弘文は『20世 紀 を超えて』(1993年)や『現代の教育を考えるJ(1998年 )において教育、環境、医療 、農業 は 資本主義が至上 目的とする経済効率主義になじまない ものと述べているが、これは上に述べた論 点 とも重なるであろう。だからこそ経済運営に当たっては、これら諸分野への「社会的共通手段」

としての位置づけが必要であ り、その基盤の上に社会論が構想 されるべ きであるという点に帰結 するであろう。

江回の論議 とは異なって、実は野呂、猪俣の両者の議論の不充分性は、民主主義変革の問題 に あったというべ きであろう。というのは野呂も猪俣 もともに、資本主義社会から後続の「社会主 義」変革を期待 していたとしても、その変革プロセスにおける「ブルジョア民主主義変革」 の重

‑8‑

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日本資本主義論争一その現代的意義とは何か

要性 をどの ように展開すべ きか をめ ぐって微妙 な論点での交錯があると思われる。す なわち猪俣 は維新のブルジ ョア変革 を前提 として社会主義 を論ず るとすれば、それは簡略 にい えば、「民 主 主義的課題 を濃厚 に包含 した社会主義一挙変革」論で充分 としたのである (前掲「現代 日本 ブル ジ ョアジーの政治的地位」F現代 日本研究』

)。

これに対 して野呂は維新変革 その ものが 「絶対 主 義的改革 (変

)」

としての性格 を持 うたか ら、ブルジ ョア民主主義変革が 当面 の課題 と して求 め られる としたのである。 しか もその論拠 に日本の地主制があたか もロシア革命前農村の巨大 地 主制 とアナロジーにおいて解釈 していたのである。「 ブルジ ョア民主主義」 の到達度 いか んが 問 われたのである。この共通 した認識 は、社会主義変革の前提 としてブルジ ョア民主主義変革が あ り、それは基調 としてはブルジ ョア革命 に内包 されているべ きものであるのに、 日本ではそ もそ も「絶対主義変革」 として規定 しようと、「ブルジ ョア革命」 と規定 しようと、何 れ に して も民 主主義の課題が不充分 に しか達成 されていない とい う現実 をいかに乗 り越えるか ということであっ た。まさに「1789年問題」(フ ランス市民革命のテーマ)は未決の問題で もある。

た しかに維新変革が民主主義的課題の実現 にほ ど遠い内容 を持つ ものであることはい うまで も ない。 しか しまさにその前提 に立 って こそ 日本資本主義の強蓄積が展開 され、1920年代 には国際 帝国主義の一環 を構成 した とい う現実がある。 とすれば資本主義化、ない しは帝国主義化 に とっ てはむ しろ民主主義的変革の不充分であったことこそが「有益」であったことになる。すなわち 当該期の論争で見失われていたのは、民主主義の課題が実は、国際的抑圧 グループたる帝国主義 (対外抑圧 と対 内非民主制 とはパ ラレルの課題、 日本の場合、未成熟の民主主義 による抑圧 と 帝国主義的抑圧 との二重性)となった 日本では もとよ り重視 されるべ き必然性があったのである。

この点 について野呂 も猪俣 も論理的に充分 な理解 を持 っていたのではないために、後者は民主主 義の独 自の課題 を過少 に見積 もり、前者は絶対主義 による民主制の弱体か ら一気 に民主主義変革 を強調するとい う結果 になったのであろ う。

筆者 はその後の歴 史的経験 をも考慮すれば、資本主義であれ、社会主義であれ何れのシステム であって も、社会運営のルール としての民主主義変革 を永続 させ ることが不可欠 と考える。東欧 における「1989年問題」はその意義 を問 うものではなからたろうか。東欧諸国の場合 も、 日本近 代化の諸矛盾 とも重 なる市民革命 の不成立による前近代的非民主性 とソビエ ト的社会主義受容の 非民主性 とが重合 している。その観点か らは、野呂が充分 に自覚的であった とはいえないが、民 主主義変革 を重視 した視角は今 日に充分 に意味あることと考 える。むろん野呂の議論の前提 は周 知の ように、 レーニ ンの『民主主義革命 におけるロシア社会民主党の二つの戦術Jに大 きく規 定 されていた。すなわち レーニ ンは1890年代の Fロ シアにおける資本主義の発達』で 自ら強調 して

‑9‑

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いたロシアにも資本主義発展が現存するのであって、それ故に社会変革の必然性があるとしてナ ロー ドニキに対置 した議論 を、転換 させて、ロシアの資本主義化の力は依然 として封建的巨大地 主制によって制約 され、農奴的位置に止め られたロシア農民の解放の課題 を実現するためにはそ のブルジ ョア民主主義変革 を抜 きにす ることはで きない との立場 を表明 していたことである。 こ れ とのアナロジーにおいて 日本の地主制 とそれを基盤 とした天皇制「絶対主義」認識 を持つ こ と によって、野呂は二段階変革論 に達 したのである。従 って本稿で筆者が展開 している民主主義論 とは現象的には一致 しているが立論の基盤が異 なる。周知の ように、当時の1932年コ ミンテル ン テーゼ も、日本の地主制 をロシアの巨大地主制 とほぼ同一視 していたのである。

筆者 は世界史的な実践か ら見て、民主主義の課題 はおそ らく資本主義的市民社会を実現すれば、

解決 したか とい うとそれ程 に単純ではない と思 う。む しろ自由競争段階に裏打 ちされた資本主義 国家群 にあ って もそれは実 は未完の変革課題で しかな く、人類 史の「永続革命」 としての課題 で あると見 るべ きではなかろうか。

政治学者丸山真男は針生一郎 との対談で

(『

新 日本文学』1965年 6月)で次 の よ うに、興 味 深い発言 を行 っている。

「元来、マルクス主義の政治論が、制度論 に傾斜 してたんですね。民主主義 ってのは、制 度 と運動の統一 なんです。完全 に制度化 されちゃった ら、国体みたいになっちゃって、民 主 化の契機がでて こない、そ うい う民主主義 とい うのは言語矛盾 なんです。他方制度化の面が なければ、これは完全 なアナーキーで、これだけの ものが制度 として蓄積 された とい う契機 がな くなって、毎 日が混沌 とした状況の連続 になって しまう。 ところが、伝統的に民主主義 を制度 としてのみ考 える習慣が強いか ら、民主主義の擁護 なんてい うと、議会制度 とか、 そ れ も規制の習慣 によって動か されている制度 をまるごと守 るように思 うか ら、それはつ ま ら ん とい うことになるのは当然だ。実際 には権利の擁護で、それは運動 によつて しか擁護 で き ない ものなんですね。同時 にブルジ ョア体制 とい うもの と、いわゆるブルジ ョア民主主義 の 制度 とい うのは大変ちがい ます。た とえば官僚制 とか軍隊 とい うのはブルジ ョア体制です け ど、上下の命令体系で本来民主主義 とは縁 もゆか りもない。だか らブルジ ョア民主主義 とい う名でブルジ ョア制度一般 を呼ぶ ことは、 ミス リーデ イングだ と思 う。資本主義的企業 の内 部 をみてごらんなさい よ、企業のポ リシイはすべて経営者が きめ、 しか も組織は官僚制です。

何が民主主義ですか。形式的民主主義 とい うものは、生産過程の胎内には全然入っていない。

「思想史的にいえば、社会主義は資本主義の枠内に おける民主主義 の限界 を突破 しよ うと し た ところに生 まれた思想だか ら、民主主義 と必然的な関係 をもっているけれ ど、逆 に社 会 主

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日本資本主義論争一その現代的意義とは何か

義 の土 台 の上 に政 治 的民 主主義 が もた らされ る とはい えな い。

(「

民 主 主 義 の 原 理 を貫 くた めに」『丸山真男座談』5、 岩波書店、1998年

)

民主主義論 はこれ程 に人々にとつて難物であ り、だか らこそ筆者 にはブルジ ョア市民革命 を経 て資本主義国家が登場すれば民主主義の課題 は終わるな どといつた状況ではない ことは確 かであ り、それだけにその永続的な探求が必要 なのであろ うと思われる。

筆者 はこの 日本資本主義論争で意外 に も共通の土俵があったことを指摘 してお きたい。それ は 経済論の立場か らの帝国主義論の視角であった。猪俣 も野呂 もともに、当該段階の 日本資本主義 を分析する視座 として レーニン帝国主義論 とその一定の発展で もあるブハー リンの帝国主義認識 を接合 しつつ (ブハニ リン『世界経済 と帝国主義』

)、

一国資本主義分析 を当該国に限局 してはな らず、世界帝国主義 、帝国主義世界体制の問題 として展開す ることの必要性 を強調 していた点 で は差異 はなかったのではなかろうか。この視角はその後の論争で意外 に も忘却 されていったので はないか、 しか も両者 ともに当該段階 を「帝国主義の 日本」 と位置づけることで、帝国主義分析 としての作業 を果た しつつあった とい うことではないか。猪俣 には『帝国主義の研究』、『極 東 に 於 ける帝国主義』 とい うレーニ ンの分析方法 に導かれた業績がある一方、野呂 もまた前掲 『 日本 資本主義発達 史』 において、帝国主義論 としての分析 を行 つていた ことは自明である。金融寡頭 制論 を援用 した野呂の議論 はそれ を示す一端である。

なぜ な らば当時、高橋亀吉が、日本 は レーニ ンの『帝国主義Jの五つの標識 を当てはめ るな ら ば、 とうてい本格的な帝国主義 とはいえず、精 々の ところ「プチ帝国主義」 ともすべ き程 度 で し かなかった と述べて、 日本帝国主義の過小評価 を行 っていた事実への野呂、猪俣の共同戦線 をはっ て論 じていたか らである。現 に 日本の当時の帝国主義 は、第一次世界大戦 を契機 として中国へ の 投資等 の経済面での帝国主義化 とともに、国際連盟 における常任理事国の一つ として政治的に も 発言権 を得 は じめていたのであ り、帝国主義世界支配体制 の一極 とな りつつ あ ったか らであ る

(ワシン トン体制 一石井寛治「国際関係」大石嘉一郎編 F日本帝国主義史』2、 東京大学出版会 、 1987年、山本義彦『戦間期 日本資本主義 と経済政策』柏書房、1989年、第1章

)。

これ に加 える ことがで きる とすれば、同時期 に形成 されつつあった国内的政治反動体制の構築に連 なる治安維 持法等の人民弾圧体制があげ られ よう。その意味では高橋亀吉の議論 は突 き詰めれば当時の 日本 の世界史的役割その ものを看過 したことになろう。

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絶対主義論 と資本主義、地主制論争

絶対主義論 は、当時の支配的認識 としてのカール・カウッキーの均衡論的認識が大 きな出発点 である

(『

フランス革命時代 における階級対立』

)。

絶対主義論 は明治維新 の基 本 的性格 に関わ つ ていて、その立場か らは次 に想定すべ き変革はブルジ ョア革命、ブルジ ョア民主主義に焦点がお かれる とい う変革論 と関連 していた。絶対主義の理論的根拠 として、地主制評価が争われた。 こ の論争 を含めて何 れの論争問題 も国家変革論争 とも関連 していた。

絶対主義論が内包 している矛盾 は、一方 における封建的搾取者 としての天皇制権力が、他方で の資本主義、独 占資本主義の搾取か らも利益 を得ていることによって、両勢力のバ ランスを とる とい う思考である。そ してこの「絶対性」が、コミンテルン1932年テーゼの指摘す る天皇 制権 力 の超然性、「相対的独 自性」の根拠 とされていたことである。 しか し、 この認識 には問題があろ う。支配権力は常 に支配勢力の 自己主張の手段 として一体 とい う視角はむ しろ非現実的であ り、

本質論 と実態論 との混同であろう。また天皇制権力の現実的機能 を歴史的に捉 えると、絶対 主義 とい うには距離がある。立憲主義的統治の構造が基本的に機能 した とする近年の研究成果に学 ぶ 必要がある (安田浩『天皇の政治史』青木書店、1998年

)。

これが21世紀 を迎 え る世界資本主義 分析 に求め られる不可欠の方法ではないか。ある意味では、日本の近代化 に登場 した権威主義 的 支配の構造 としての天皇制、そ してそれはいわば専制国家体制 と理解 されて しかるべ きことであ り、経済的な封建制 と資本制の対立の上 に立つ均衡 を図る国家体制 としての絶対主義論 とい う論 立てでは、独 占資本主義、金融寡頭制への過小評価 をもた らす結果 とさえなろう。また絶対 主義 論 はそ もそ も封建制の最後、末期段階の権力の在 り方 とい う認識 とも深 く関連 していて、まさに そのために封建論争 を生起せ しめたのである。これ らの論点 について、戒能通厚「資本主義 の諸 段階 と権威的秩序」、安田浩「近代天皇制国家試論」、山本義彦「戦間期 日本資本主義の労資 関係 と権威的秩序」[何れ も藤 田勇編 『権威的秩序 と国家J東京大学 出版会 、1987年所収]では、そ うした問題へ の手がか り的な検討 を行 っている。ここにい う「権威的秩序」国家 とは、そ もそ も ギ レルモ・ オ ドンネル仮 説 (Guillermo O'Donnell,Mο&磁滋αι

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jcs, Berkeley lnstitute Of lnternational Studies, University of California,1973)で あ り、それ は シ ンガポール、台湾 、韓 国等 の発展 の基礎 と し て説 明 していたので あ る。が 、むろん これ ら諸 国 は政府介入 で は な く、市場 メ カニズ ム重視 の結 果 、成 長 に成功 したの だ とす る反論 もあ るけれ ども (世 界銀行 報告書 『東 ア ジアの奇跡 』 東 洋 経 済新 報社 、1994年

)、

筆者 と して は、 しか しこれ ら諸 国の軍事専 制 的権 力 集 中 と人 民 抑 圧 の構 造

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日本資本主義論争―その現代的意義とは何か

が成長 を支 えた とい う事実は否定で きない と考 えられ よう。アジアにおけるその源流 として近代 天皇制下のいわゆる軍国主義の時期、天皇制 ファシズムの時期 に求めることもあながち誤 ってい るとは思われない。これに対 しては、世界 システム論 をも援用 しつつ、半周辺諸国家群の近代化 の類型 と捉 え、比較 史的観点 をも考慮 に入れなが ら、かつ1848年革命以降にはブルジ ョア ジー は 民衆 と対抗 して旧支配勢力 との妥協的「結合」 を通 じると見て、ロシア、イタリアの近代化 との 相関において把握す るとい う試み も、近年登場 している。その場合、近代国家成立期の専制の形 態 として把握できよう。中村氏はこれを「立憲主義 と絶対主義の二つの契機によって構成された 外見的立憲制 (絶対主義的立憲制)とよぶ」 とした (中村政則「明治維新の世界史的位置」 中村 編『日本の近代 と資本主義』東京大学出版会、1992年

)。

つまり近代化に向か う後発国家たる日 本は、現実的にはイタリアやロシアの姿 と類似する姿態を取 らざるを得ないと見ている。むろん イタリアは1830年フランス憲章により「代議制的君主制」、ロシアは1905年制定 により、一層厳 しい絶対制を保有 した点で、ロシアとイタリアの中間的性格が日本の天皇制 と評価 している。近 代国家開始期のこの認識はかつて中村氏が「国家類型」と「国家形態」という二元論によって近 代天皇制国家論を展開されていた視角、そ して何 よ りもその絶対主義的性格の強調 (中村政則

「近代天皇制国家論」中村ほか編『大系 日本国家史

 

近代I』 東京大学出版会、1975年 )とはむ ろん異なるのである。この論議に近いものとしては田中彰の近代天皇制論がある。それによると、

田中は絶対主義論を斥ける立場から、明治期の成立期近代天皇制を「19世紀の専制国家」 と概念 した。しか しこの論調では「19世紀の…・」という概念の不明確性は避け られない。 また「専制 国家」という一般規定を「19世紀」で特殊規定 したのかも知れないけれども、19世紀の ヨーロッ パ諸国の「専制国家」とどのように異なっているのか、あるいは異ならないのかが不明であろう。

ところで、最近、ノーベル経済学賞を受賞 したケンブリッジ大学教授アマーテイア・センによ る新たな論議が登場 している。

それは「開発プロセス」には二つの視角があ り、「苛烈な」開発手法 と「優 しいプロセス」

の二つであ り、後者は人間の「自由としての開発」を実現するものである。「政治参加や異議 の表明 という現実的な自由は開発を進めるようその一つである」ということが見失われがちで あるとしている。つまり「成熟 して責任を負える人々の生活内容を豊かにする上で必要な要素」

なのだという。「個々の様々な自由の拡大が開発に貢献することになると言 うだけではな く、

開発それ自体が人々の自由全般 を拡大 してい くプロセスである」と強調 している。そ して「経 済的受益権」「政治的権利」「社会的機会」「透明性の保証」「保護的安全」(セイフティー・ネッ )の「五つの異なるタイプの権利や機会はそれぞれ、一人ひとりの一般的能力の向上に役立

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つ」 と して、開発政策検討 に当たつては 自由の意義 を認識すべ きことを主張す る (世 界銀 行 シ ンポ ジウム「新 た な国際金融 シス テム と開発 戦略 の構 築 に向 けて」1998年3月 1、 2日 で の 講

演 〔『エコノミス トJ99年 3月23日号〕また「民主主義と社会正義」『世界』1999年 6月

)。

これは上に述べた視角に対 して新たなアプローチを意味するであろう。しかも

"世紀末にいたつ て、こうしたアプローチが登場 してきたのと、1960年代以降の開発経済論ないし国際政治論 と の異相をここに認めることができよう。

また特に論争後期では、権力的抑圧にも影響 されて、資本主義論 というよりも封建論争に傾斜 したために資本主義の実態論から乖離 した。本稿では何故にそうした乖離が生 じたか、そ してい かにそれを乗 り越えるべ きかを考えてみたい。すなわち基底還元主義的に、資本主義論 として狭 院な「再生産構造」論に傾斜 したために、生 じた商品生産 と交換の背面のそれを支える存在であ る貨幣・金融論的アプローチの必要性 と課題を探る。

この視角に立つ場合、野呂が先駆的に展開 したように、第一次大戦後の日本における金本位制 の再建 という課題が、実は究極的には通貨主権の確立、つまりは円を「本位」 とする東アジアに 対する日本資本主義による支配権の確立への一里塚であ り、それはわが国の金 (正)欠乏症 と も言 うべ き国際収支の恒常的な危機突破の衝動の発露 と捉えた認識の貴重な内容をその後の人々 が充分に捉えきれなかったことの問題性があるように思われる (野呂榮太郎「金解禁 と円本位制 の確立」1928年

)。

むろん通貨論 として野呂のいう「円本位」なる概念 には問題があろう。そ も そも一国の通貨 としての「円」に、本位たるの要件があるのかという論点が想定 されるか らであ る。しか しここでは一般的な意味での「円通貨圏」(いわば「円ブロック」 に も対応)と して理 解すれば足 りよう。このような貨幣・信用論的アプローチは論敵猪俣にも学んだことにあるので はないかと考える。10年先輩 としての猪俣 も野呂とともに産業労働調査所で活動する同志であり、

当時の彼等にとっての共通の論敵は高橋であったと思えるからである。猪俣には周知のように、

「金の経済学』『極東に於ける帝国主義』などの労作がある。むろん猪俣 を超える野呂の論理の優 位性 を指摘 してお くべ きことは言 うまで もない。と言 うのは、野呂のこの「円本位制」論が じつ は ドル支配からの脱却 を支配層が意図 しているということを指摘 している点であ り、また同時に 金か らの離脱を構想 している点では、ケインズ流の論理を包含 しているであろう点である。ケイ ンズが金から離脱 した「管理」通貨システム論を構想 したのはほぼ『貨幣改革論』(■ ι οπ νοποιαッ Ra/Orれ,1923)であろうし、現にまさにその当時、三菱銀行ロンドン支店に勤務 して

いた山室宗文の『日本の金融市場』正・続篇、岩波書店、1933年等にもそうした論議の反映が見 られるし、ケインズのこの著作はすでに『東洋経済新報』は1923年12月 には抄訳の形で紹介 もさ

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日本資本主義論争―その現代的意義とは何か

れていたか らである (山本義彦『戦間期 日本資本主義 と経済政策』柏書房、1989年、第10章参照

)。

この視角 に関わつて、ご く最近、沢田幸治著『再生産論 と現状分析 一日本資本主義の戦前 と戦 後―』白桃書房、1999年が登場 したが、以下 に述べ るように私見 に対す る相当な批判 を展 開 され つつ も、研究の現段階 を十分に咀疇 された もの とは到底言い難い ものであることを表明 してお き たい。まず山田氏の資本主義分析 に際 して再生産論が適用 されていると言 うのは、本質的には再 生産表式の具体的適用 として資本主義再生産が解明 されるべ きところ、戦前 日本 は (半)封建 的 農業 を包含 している故 に、ケネー経済表 を展開の中に組み込むこと、即 ちケネーが分析 した フラ ンス革命前の経済構造では封建的農業生産が基本的に生産的で他の諸産業は不生産的 と見なされ ていて、まさにこの半封建的農業の再生産構造への織 り込み を図つた方法が山田氏の主張する再 生産論の適用 に他 な らない (山田「再生産表式 と地代範疇」1935年 本論文 は東京帝国大学経 済 学部での講演 を戦後、人文科学委員会 『人文』に収録 された ものである〕を参照 されればその こ とが委細 を尽 くして論 じられているが、なぜか沢田氏 はこれを閑却 されてい る

)。

そ のため に、

資本主義再生産の全構造 を捉 えた と言 うよ りも、貨幣信用論的視角 を著 しく欠如 した内容 となっ たのは当然過 ぎるほ ど、自明の ことだったのである。こうした制約 を殆 ど顧慮す ることな く経済 分析が展開 されているのである。これでは、資本主義分析 と言 って も実物経済 を支 える貨幣 的側 面 を捨象 した一面化が免れ得ず、日本資本主義の特質把握 に負の「継承」 を作 り出 したので はな いか と思われる。この点に関 して、本報告 に際 して大石氏が「山田氏の分析の不充分性 を指摘 す るのは容易である」 とされて、暗 に筆者の見解 を消極的=否定的に捉 えられた ようであったが 、 筆者の見地はそ うした「不充分性」の指摘 に事 たれ りとす る立場ではない。そ うではな くそ もそ も山田氏の見地の「不充分性」 とい うことで処理 されてはな らない資本主義認識方法に関わる問 題性 を論 じて きたはずである。

この20年近 く、 日本経済の歴 史研究分野では山田分析の方法 に関 して、実証的 レベルでの検討 が進め られて来た。重要 なことは論 をその まま繰 り返す ことではな く、事実分析 にとつての方法 であ り、その際、私たちは山田氏が「再生産論」 と主張 されているのは「資本論」の再生産表式 を前提 としつつ も、資本主義分析 の枠 に納 まらない「半」封建的農業 を分析の視野に入れるため にケネー経済表 をつないだことを自ら表明 されていた とい う事実である。この点、私たちは これ では本質的には資本論第2巻に凝集 しての分析手法 には問題があ り、なすべ きなのは「資本論」

の総過程分析 の視座 とい うことではないか と論 じて きたはずである。沢田氏が引用 された見田石 介論文 (マルクスの方法のヘーグル主義化」『科学 と思想』第2号1971年 『見 田石介著作 集』

1巻、大月書店、1976年)の真骨頂 もそ こにあ った と見 るべ きであろう。同書ではその指摘 が

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ないのは どの ような事情か らであろうか。沢 田氏の書物では山田氏の真意 を説明 しようとされて いるのはよ く分かる。そのご努力 を否定 しようと言 うのではない。 しか し、私たちが誤解 してい ると指摘 されているのは全 くといって よいほ ど、同意で きない。

これ らの ことは土地制度史学会での私の報告、1998年 6月 の静岡大学 『経済研究』第3巻1 号で も述べ ているが、 もっ と以前の1978年の土地制度史学会で も報告 もし、公表 もして きてい る

(「

野呂―猪俣現段階論争の意義 と限度」静岡大学 『法経研 究』 第27巻2号1979年、 また拙 稿

「再生産論 と日本資本主義分析」『経済科学通信』第41号1984年

)。

残念 なが ら沢 田氏 の今 回の 著作 は相 当以前の レベルの判断によつてお られるのではないか とさえ感 じさせ られた。また大部 (本編 とほぼ匹敵す る分量)の補論の意義 もこの著書 としての位置関係 か ら判然 と しない もの を 感 じた。それぞれの論者の見解 に関 して、基調 としてマルクスの認識では どうか とい うことが繰 り返 され確 かに誤 つた理解 をただす意義はあるか も知れないが、沢田氏 自身の積極的 ご見解 を知 りたい とい うのが読後感 として残 らざるを得 なかった。少 し礼 を失 したか も分か らないが、敢 え て研究の現局面への ご関心 を持 っていただ きたい とお もう。また研究の前進のためにこそ氏が新 たな論議 を積極的に展開 していただ きたい と考 える。特 に文献 としては上げ られなが らも、見 田 石介氏の先の四半世紀余 も以前の重要 な方法論的問いに関 して一切根本的検討がなされていない のは問題ではないか。

さて野呂の場合 、この外 に、 日本の急速 な経済成長の もう一つの根源 として欧米先進技術 の積 極 的な受容 をあげていたことに も注 目すべ きであろ う。野呂の理解では、在来の伝統的産業 と新 興工業 との対抗 を産業構造の特質の一面 に捉 えていたわけである。管見の限 りでは猪俣以外の論 者 にこの ような急成長の深部 を指摘 した論議 を見 ることはで きない ように思 う。山田の場合 は、

必ず しも急成長の謎 を技術導入 に求める とい う視角 は弱 く、いずれか といえば、半封建的零細 農 耕基盤 を背景 とす る低賃金構造 に着 日していたのである。近年、鈴木淳が興味深い論議 を展 開 さ れてい る。それによると、山田の論調 となっている軍事重工業 を基軸 とした展 開に日本資本 主義 の構造的特質 を捉 えるとい う方法では、一般的にはイギ リスで さえ も、軍事工業の展開の中か ら 近代工業技術が形成 されて きているので、山田流解釈では 日本産業革命の特質ない し独 自性 を主 張で きない とい うものである。そ して結論的には機械工業の形成 を辿 る と、 日本の場合 、む しろ

「順調 に」産業革命が展 開 した と見 るべ きだ とい うのである (鈴木淳「明治 の機械工業』 ミネル ヴァ書房、1996年

)。

た しかに鈴木の、江戸時代以来の技能者の熟練が明治期軍事重工業 をは じめ とする.産業発展 に 貢献 していった事実の検 出は大 きな功績であろう。 しか し特 にイギリスとの対比で、だからといっ

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