論 説
日本資本主義史の一研究―歴史 か ら現代ヘ
山 本 義 彦
<目
次
>
は じめに
1
日本資本主義論争の課題 と現代2
歴史分析 にとっての構造分析3
資本主義分析 と信用論・ 国際金融論視角4
寺島一夫 (佐藤一郎)の貨幣・ 金融論的アプローチ5「
型制」の帰結 としての資本構成高度化否定論6
日本資本主義の現段階 と新 しい問題状況―民主主義論の再構築7 市場経済 と社会的公正
はじめに
日本資本主義史を探求する場合、 い く通 りかの方法があるだろう。筆者は、 これを第二次大戦前 の世界大恐慌期にとくにはなばな しい論戦 となった日本資本主義論争で追求された諸課題の再検討 を通 じて、新たな課題設定を試みることも無意味ではないと考えてきた。その理由は、意外にもと も言 うべ きか、あるいは当然 と言 うべ きか、かつての論争での諸課題が、今 日で もなお生 きた現実 を解明す る上でのい くつかの問題提起 となりうることをそこに認めるか らである。むろん当時の世 界 と日本の資本主義の段階的、時代的制約によって解明され得ない課題は多いと考える。 しか し、
資本主義研究の基本的論点の多 くは当時の論争ですでに出尽 くしていると言 って も過言ではない事 実を認めねばな らない。以下、その作業の一つ として、 日本資本主義論争で展開された論点の中で 今 日もなお顧み られるべ き内容を点検 し、次いで今 日の資本主義を解明する上で考慮すべき新たな 課題を検討 して、今後の研究展望を考えてみたい*t
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1 日本資本主義論争の課題 と現代
ここでは、 日本資本主義論争が今 日にいかなる意義 と限界を持つ ものであるかを解明する。つい で、 日本資本主義論争 において、先駆的役割を果た した野呂栄太郎の猪俣津南雄 との議論を経由 し て論争の本格化において決定的役割を果た した山田盛太郎の再生産論の批判的検討に重点を与えて 解明 しよ う。第一 に、 日本資本主義論争 において、貴重な問題提起を果た したのは、『 日本資本主 義発達史講座』 グループ*2、 ぃゎゅる講座派にあることがまず もって確認 される。
すなわち、講座派 は何 よりも、 日本資本主義の特質解明にあたって、その歴史的・ 構造的分析 に 力を注 ぎ、世界資本主義 との連関における日本資本主義の位置が持つ特質を鮮明にした。構造的分 析 に当たって、山田盛太郎を中核 とした講座派 は、 まずマルクス再生産表式を根底に置 き、 さらに 非資本主義的要素であって、かつ 日本社会の人口構成で も最大多数を占めた農村人 口と農業生産実 態をこれに取 り込み、関連付けて分析を行 った山田の研究が極めて大 きな核心 となったことである。
ここでマルクス再生産表式 は、資本主義社会の生産構造を解明する上で、その後、 レオ ンティエフ の表式か ら国民経済計算論へ と展開 し、今 日の一国経済構成の解明にも影響を与えてきたことは知 られ る。そ して この零細耕作的農業基盤の上に、資本主義的低賃金諸条件 と地主制、 自作農の保守 的意識 (「ナポレオ ン観念」)の広範な展開により、支持を受 けた天皇制国家権力が鴛立するとした。
もっとも天皇制権力が農村保守的基盤 にのみ依拠 したと指摘するとすれば、現実的には財閥をはじ めとす る経済的支配機構 と無縁 としてはならないことを忘れるべきではないであろう。 この面では 講座派 はやや一面的であったことは否みがたい。
要す るに日本の支配機構を探 ることを課題 としていた講座派 は、天皇制の存在を強調する中で、
資本主義経済支配体制の根幹である財閥独 占体の分析 には十分の力点を置かなか ったのである。 そ れは山田『 日本資本主義分析』 に明瞭であるが、明治の国家体制がその絶対性を保持すべ く、官僚 を主導 としてお り、政商財閥資本の展開を、あ くまで絶対主義政府の利害の枠内で育成 したという 見地を明示 しているところに端的に現れる。そればか りではない。 さらに山田の分析では、第一次 世界大戦期以降の日本資本主義が総力戦体制への移行 にも迫 られ、重工業的発展を志向すればす る
ほど、近代的プロレタリアー トが育成 され、 これ自体が当該資本主義変革の原動力 となるがゆえに、
天皇制政府は重工業的発展に対 して消極的にならざるを得ないはず という認識の結果を招いている。
また山田の特有の日本資本主義論 には、「一般的危機」 による型制=特質的構成の「解体」を展 望すること、産業革命期の「型の分解」が重工業的発展を通 じて進行すると認識 していることであ る。 ここに言 う「型」「型制」 とは、養蚕等の零細農生計補充的副業、織物業等の問屋制度的家内 工業、製糸業等の特殊労役的マニュファクチュア、軍事機構労働力が「核心」をな し紡績業等の印 度以下的低賃金の大工業の 4つ の労役の型であ り、半封建的資本主義の型制であった*3。 野 呂の場 合、「金融寡頭制」支配 に着 目した構造論が展開されている。 しか も日本の金融寡頭制が自由民権
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運動を経過す る中で天皇制支配秩序の前近代性、半封建制的抑圧機構 に利益を感 じて併存、共存を 可能 に したこと、すなわち専制的支配勢力 自体の有産階級化、地主の二重性、そ して世界資本主義 の帝国主義化 による (「日本資本主義発達の歴史的諸条件」四「我が国のブルジョア革命 は、何ゆ え不徹底 に終わ ったか?」)との認識がある。山田の半封建的天皇制国家論理解 とは微妙 にズ レを 持 っていることは言 うまで もない。 しか し共通する認識 として、重要なことは支配構造の全面的把 握を目標 としていることである。
2
歴史分析にとっての構造分析ここで上述の論点 と関わって、あらためて構造把握の重要性について論 じておこう。
「再生産過程把握」、「全機構把握」(山田盛太郎)と称 される内容 は、その基軸 に再生産表式 と非 資本主義的要素 (資本主義的再生産表式 とケネー経済表
)が
設定 され る。その展開は二要素の接合 であり、 ここに日本の特殊を捉えるという手法が山田の特徴である。またその形態 は資本主義 (工 業)と非資本主義 (農業)要
素の統一体 としての日本資本主義であって、 これはウクラッド論 に通 じるが、実 はいかなる資本主義国 もまた当然、非資本主義要素を含むのであり、 この点、 日本の独 自課題 とはいえないだろう。 さらに山田は「把握 は全機構的のものでなければならぬ。けだ し構造 揚棄の「必然性」 と「条件」 とが問題 となる限 り、それは全機構的な問題提起 として、提起 されね ばな らぬか らである」*4と主張する。この際、山田の「再生産論把握」の意義 と限度について検討 してお く必要があろう。そもそも再 生産表式の守備範囲 とは資本主義的再生産構造を示す。すなわち、資本一賃労働関係の生産及び再 生産、つまり資本構成、労働力編成を表現する。 しか し果た して この レベルか ら、要するに社会の 階級構成か ら社会変革 までの論理を捉え うるかという問題点が生 じる。山田はそれが可能=必須 と 認識 しているのである。「資本論」 でのその位置をあらためて考えると、その第1巻 (蓄積論)、 第 2巻 (流通論)、 第3巻 (総過程)という構成をとってお り、山田は第2巻が第1巻と第3巻の中 間に位置づけられているので、「結節環」であって、いわば、「階級対抗」をここに見るべきだとい うことを主張 している。 これは「媒介」 としての第2巻を不当なまでに高い位置にお くことを意味 する。 しか し第3巻が総括 としての意味づけを与え られると見 るならば、第1巻と第2巻はその二 側面を表現する。すなわち資本主義再生産の総過程 (第3巻
)分
析のための蓄積過程 (第 1巻)と 流通過程論 (第2巻)を意味するであろう。 さて山田の期待す る「全機構把握=分析」の目標を考 えると、およそ以下のように設定すべ きであろう。生産の構造、資本の構成、階級編成、貨幣・ 信 用制度などのいわば物質的構造 と、それ と連関す る社会・ 政治構造、そ して資本主義の本性である 世界的構成 に至 る「全機構」の把握が構成項 目と想定 されねばな らない。戦前の研究、 とくに山田「分析」では一国の構成が基軸 (むろん世界資本主義、帝国主義論の視
‑211‑
野 はあ ったが、 その当該国への内面 的分析 の面 でなお十分で はなか った)であ るが、 これ は歴史的 制 約 (資本主義 の グローバ ル的蓄積 の構造 が際 だ って はいなか った こと、1980年代以 降 の よ うな 国際的 な資本取 引、 マネーゲ ームが大 きな位置 を 占めて はいなか った こと=金本位制、戦後 は単一 為替 レー ト下 の
IMF)に
よると してよか ろ う。む ろん山田は紡績業=中国・ イ ン ド市場、製糸業=
アメ リカ市場 との連繋 を通 じて「一般的危機 にお ける型 の分解」 を解 いたので、世界性 を全 く無視 したので はない*5。 世界性 の当該段 階的課題 を認 めて いた とい って よいか も知 れ ない。 問題点 は上 記「歴史 的制約」 によ って い る。
次 に構造把握 は歴史分析 を拒否 す るか とい う点 につ いて検討 してお こう。 その場合、「 初発」 の 構造 がその生涯 を説 明す ることを可能 にす るか、 とい う点 が あ る。 す なわ ち山田によれば、産業資 本確立期 の構造・ 構成=「型制」が「一般的危機」 にお ける「 型 の分解」 を通 じて、 その生涯 を終 え ることにな る。 はた して「 人間の解剖 とサルの解剖」 を提 え るとき、 サルの本質 を捉 え るに際 し て はそのよ り高次 に展開 した「 人間」 を解剖す ることによ って こそ、解明 され るはずであろ う。資 本主義 に即 して い うな らば、 自由主義段 階の資本蓄積 と帝 国主義段階 の資本蓄積 を捉 え る際 に、 わ れわれ は後者 の分析 を も含み こんで、 は じめて資本主義蓄積 の本質 を捉 え ることが可能 にな るであ ろ う。成立期 日本資本主義 の特質 (形態)がその消滅 までの基本的矛盾 を説明す ることを可能 にす るか とい うこの問題 は このよ うに して捉 え られねばな らない。 しか し山田盛太郎→ 中村政則*6では、
成立期 の構造 が崩壊 を説 明す る、成立期 の矛盾 こそが崩壊 を説 明す る、 ここに成立=没落 の弁証法 だ とす るのである。 エ ンゲルスの軍国主義 の「 弁証法」―軍国主義 はその もののゆえに自 ら崩壊 の 運命 にあ る (?)、 資本主義 はその もののゆえ に、す なわ ち労資対抗 のゆえに崩壊 が運命づ け られ て い る (?)と い う論理 の射程 はいか ほどの ものかが問われ るのである。
この間の状況 を説 明す る上で適切 な山田の議論 を紹介 してお きたい。 いわ く「 諸 々の型 は、金融 資本確立 (日露戦争前後、 ことに明治40年頃 を起点 と し、特 に大戦 中、大正7年頃本格 的転化完 成)の段 階 には、分解進行 し、一般 的危機 は右 の分解 を基礎 とす る」*7。 この主張 に鮮明であろ う。
3
資本主義分析 と信用論・ 国際金 融論視角と同時 に第二 に、注 目すべ きなの は、野 呂栄太郎 を出発点 とす る講座派内部 で は、信用論・ 国際 金融論的視角か らの方法論 を も、事実上認識 しよ うと して いた ことである。 この視角 は、 しか しな が らその後、基本的 に この派で は継承 されなか った とい ってよいであろ う。 も しも資本主義 の構造 分析 を志す とす るな らば、 この貨 幣・ 金融的側面 の排 除 は、誤 りで あろ う。 む ろん当時の貿易取 引 に対す る金融取引の大 きさは大規模であ った とはとうてい言えないが、 しか し当時で もホ ッ トマネー 問題 は既 に登場 して いたのであ り、 まさに この資金循環 こそが世界大恐慌期 の国際金融恐慌 を招 く 要 因 であ った ことは知 られて いた。 ここに示 され るよ うに、貿易 による実需 を背景 と した国際資金
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流動だけではな く、貿易外の信用取引の大 きさを過小評価 してはな らなか ったであろう。
これを近年の実態で捉え ると、例えば、1999年の世界貿易総額 は5兆6,120億800万 ドルであ り、 それはユーロカ レンシー市場の規模6兆1,659億 ドルに匹敵す る。 また1998年のエマージン グ諸国 28カ 国の債務残高計2兆5,360億 4,600万 ドル、 これに対す る 1999年 の BIS 20カ 国与信 残高計7兆 2,061億 ドルであった*8。
今 日なお も講座派的議論の継承者たちの中で、 この分野の分析検討が弱いのはそうした初発の研 究の方法的弱さに発 しているといっても過言ではない。その際、強調 しておいてよいのは、信用論・
国際金融論的視角をまってはじめて、世界資本主義 における日本の具体的位置関係を明確化できる ということであろう。
筆者 は次のように主張 してきた。すなわち国際的依存・ 従属性を持 った日本の資本主義が、一方 でその資本蓄積力の弱 さか らくる慢性的国際収支の赤字構造を脱却する必要性か ら、貿易至上主義 的経済運営を必要 とし(日清戦争後の時期の農商工高等会議での論議 と認識=加工貿易立国論 また は「小英国」論)、 他方で外資を長期性の国債・ 地方債・ 特殊会社債等 (満鉄・ 東洋拓殖・ 台湾電 燈 。さらには民間電力社債)の形式で取 り込むことによって、対外貿易決済の補填 と資本蓄積の不 十分性への補助を可能 としていったという事実の認識 は、否定 しがたいであろう。なお筆者たちの 認識*9を 1978年 発表以後、汗牛充棟 ただな らざる多 くの学界各氏か らの批判を頂戴 してきたが、
しか し枇判者の少な くないその後の研究の中で、実質的に筆者たちの見解を容認する傾向を見 るこ ともしば しばであったことを申 し添えておきたい。
産業革命当時、民営鉄道の国有化が実現 したが、それによって交付 された国債(4億5,600万円) が他の産業への投資に転換 されることによって (ちなみに 1900年 の紡績業払込資本金3,600万円)、
大いに新規事業が取 り組 まれていったのであり、 日露戦争期の戦費外債 (英貨公債6億 9,000万円、
軍事費総額19億 9,000万円)は、結果 として国内金融市場の余力を与えることによって、産業投資 への圧力を防過 した意義は少な くない。通例、 この戦費外債は、その後の支払負担を通 じて財政危 機を もた らしたことが指摘 されるが、他面では実 は戦費負担を国内資金に依存する度合いを弱め、
かつその支払いは長期性 に委ね られたところに、一定の経済的意義があったと見 るべきであろう。
それ故にこそ明治末期の産業革命の発展による都市公共水道、都市計画、港湾建設などで政府が東 京、横浜、大阪、神戸等に地方外債の発行を進めたのである。 これと同様の認識を持 って、政府は 1923年 関東大震災を契機 として、再発 した貿易収支の赤字を補填すべ く満鉄、東洋拓殖、電力会 社の外債発行を推進 した。
また第一次世界大戦期前後の大蔵省・ 高橋是清の「外資は生産的投資につながる輸入 として行 う べきだ」 との主張は、その意味を当局の側か ら示 して余 りあるものがある。多 くの批判家たちは、
この点を十分に理解できず、後進国一般の性格だとして、消極的姿勢に終始 してきたのではないだ
‑213‑
ろうか。確かに、当時の政策当局が外資導入 に一面では消極姿勢を持 っていたことは言 うまで もな い。 しか し他面ではいわば臨機応変、国際収支危機回避のための長期債務の導入 という政策的取捨 選択の態度 もあったことは自明だ ったのである。
とくに管理通貨体制への移行 (1931年、金再禁)や、第二次大戦後のわが国の発展初期 における 朝鮮戦争期の米軍特需が外貨で実現 したことか ら、また電源開発、道路網、国鉄新幹線建設に当たっ て国内資本蓄積不足・ 貿易収支赤字を補充することを意図 した米銀、世界銀行等への外債依存の持 っ た役割を も展望す るとき、戦前段階の外資依存性認識の重要性をあ らためて知 ることになるのでは なかろうか。戦前の場合、 こうして補強された外資は在外正貨 として機能 した点で当時の金為替本 位制の物質的基盤であり、第一次大戦前、その発行がほぼロンドン金融市場であったことが、 イギ
リス金本位制の支えとして機能する意味 もあったことである*Ю。
こうした方法論の正当性 については、最新の経済史研究の成果にもいかんな く示されている・H。
この認識において、野呂は山田流の危機=解体論を構想 してはいない。む しろ逆にいかなる資本家 政府 にとっての「危機」 も脱出する筋道が立つであろうこと、 とくに 1920年 代末以降、それは実 にファシズム的脱出路が用意 されるであろうとの認識を示 していたことであろう。要するに野呂は、
初発の「型制」=「特質」が一般的危機 を通 じて「解体」 に到 るとの山田の「危機=没落」論 とは 無縁である。危機か ら解体に到 るかどうかは、優れて政治的力学の問題であって、作用 と反作用の 力関係が ことを決するという外ないであろうとの実践的態度が野呂の認識の基礎にあると思われるg 山田は資本主義の日本型的特質それ自体が危機=解体を引 き起 こす というよりは、その「型制」 に 加え られる外的経済的要因が「型制」そのものの解体をもたらす と認識 したのである。野呂はこの 点、 日本資本主義の経済構造その ものの特質が「分解」するところに危機=解体を認めているので はない。む しろ特質に加え られる解体への力が、新たな変革を通 じて新 しい段階を画す るものとし て用意 され うるとの認識であり、危機突破の論理が生 じ、それが現実 となることをも論 じるのであ る。筆者 は経済的危機が直ちにその破綻を招 き、当該社会の解体をもたらすか もしれないが、その 可能性 は変革主体の現実的基盤が形成 されているかどうかにあるとしか言えないであろうと考えて いる。マルクスは資本論第1巻第7編蓄積過程論 において、有名な「収奪者が収奪 される。資本主 義の弔いの鐘が鳴 る。」 といった言説 を明記 しているが、 ここか ら資本主義 その ものの故 にその解 体が必然であり、社会主義勝利が必至 との理解を生む、 さらに恐慌の発生が資本主義の矛盾を表現 し、資本主義没落の根拠を生むといった認識を導 きうる。 しか しこれ らは何れ も抽象的かつ論理的 文脈で捉えての ことであって、決 して現実的道行 きの具体相を明示 しているとは言えないであろう。
山田の分析方法 にはそ うした混乱があるように思われる。 これに対 して野 呂の認識 は現実の社会の 運動 と理論的抽象 とは区別 しているように思える。
‑214‑
4
寺島一夫 (佐藤―郎)の貨幣・ 金融論的アプ ローチ寺島一夫 (佐藤一郎)はその著書で、次のように興味深い指摘を行 っている。
「 注意すべ きは、 日露戦争後 日本 はうたがひ もな く巨額 の外債を輸入 して債務国 とな ったので あるが、同時に又満鉄を中心 とする大陸への資本輸出を本格的に開始 したことである。/殖民地 の・・・ 的独占による、金融資本未発達の部分的代位 といふ事 は、あ く迄 も部分的代位であって、
之を全般化すれば、 日本は知 らぬ間に有力帝国主義国の・・・ 手先 として殖民地収取を行ふ こと ヽとなり、殖民地の超過利潤は、そのま ヽ債務に対する利払 として有力帝国主義国の手中に帰す ることヽなる。それ故に日本は日露戦争後には、一方で益々外資に依存 じつ ヽ、他方では敢えて 強行的に各殖民地に対す る資本輸出を強行 したのである。 しか も前期に引きつ ヾく、否倍加する 所の軍備拡張計画が樹立 されなければならず、 その資材 は尚著 しい部分を外国市場 にまたねばな
らなか った」*12
と述べている (寺島は野 呂の指導の下で活動 したプロレタ リア科学研究所のメンバーで もあった)。
この見地 は、 日本帝国主義の二面性を描いている。 さらに寺島は論 じている。
①
「[1920‑27年の国家財政支出に関 して]イ ギ リスが3億 6千万 ポ ンドを、 アメ リカが12億2
千万 ドルを減少せ じめてゐる間に日本 は逆 に4億円 〔約2億ドル 〕を増 したのである。之 は何 故であ らうか。その第一 (の)ものは、 日本の経済力 との対比における巨大な軍備の維持であっ て、…第二 は、度重なる救済 による公債の増発であって、各国が、大戦中の大債務の償却に熱中 してゐる間に、 日本 は新 に18億9千万円の新公債を発行 したのであるか ら、その利払の増加だ けで も1億円である。第二 には、直接、間接の産業保護助成が廃止出来ぬことである。特 に重工 業の場合、之を離れてよ く国際的競争にたへ得 るや うなものは殆 どなか ったといってよい。/こ
こに於て再び反動的勢力 は進出 した。……のプログラムは今 日では周知の所であるが、その第一 条件 たる支那の国民革命阻止 に対 して忽ち失敗 し、第二次 ワシントン会議を決裂 に導 き、入超 は 相変わ らずで在外正貨は枯渇 し政治的、経済的に袋小路に入 り込んで退却 した。/日本資本主義 のヘゲモニーをすでに把握 した金融資本が、はじめてその純乎たる代表を政府に送 った。浜口井 上内閣の中心使命 は急速な金解禁にあった。」*B
②
「 日本が金解禁を しなければな らな くなった一つの有力な原因は、震災後の復興のため英米か ら巨額の借入をな したことにある…が、又…初期に解禁の機を得なか った有力な原因 も亦、戦後 の国際金融の王座にあったアメ リカと政治的に対立 してゐた ヽめであった。金融的支配の網は、
日本の…=フ ァシズム層 といへども断ち切 ることが出来ぬ強靭を もつ ものであって、金解禁を し な くて も、金準備が失 はれ、全経済が混乱に陥 るといふ切端つまった事態に面 した ヽめ彼等 もや むな く金解禁を黙認 したのであった。 しか し事態 は、国際協調の旗印のもとで英米の支持を頼み、
生産費切下 による輸出増進で貿易尻 を改善せん とした純粋 の金融資本の代表者達 に幸 しなか っ
一
‑215‑
た。」*
つ ま り寺 島によれば、巨大 な軍事費、救済 のための公債増発、重工業等 に対す る保護育成が 1920 年代財政膨張 の原因であ り、 この財政政策 の下 で、 中国革命 に侵攻 を阻止で きぬばか りか、 弓│き続
く入超 によ る正貨枯渇 を呼 び起 こ した こと、 また金解禁可能 の条件 はアメ リカの支援 にあ り、 おお むね大震災 まで はむ しろアメ リカとの対立関係 にあ った ことが、金解禁 を繰 り延べ させ た原因であ る ことが強調 されている。 むろん、 この時期 には外貨 を除外 して も、やや過大 な政治的側面重視 の 評価 に思 われ る。
この見解 はまた正貨枯渇問題が起動点 にな って、 これに対米関係 の状況が意味 を持つ こと、逆説 的 に言 えば、正貨枯渇 の危機 こそが 日本 の対米関係 のあ り方 を規定す る、 とい う連関構造 を快 りだ
して い る点 で、 きわめて興味深 い ものがあるといえよ う。
む ろん、 この対外金融依存性 がなん らかの事情 で停止す るとき、 日本 の再生産機構 は存続 を著 し く困難 とす るであろ う。 しか し、 その ことか ら、 日本資本主義 の 自動崩壊 を展望す ることは正 しく ない。 とい うのは、困難性 の増大 を説 明で きると して も、「 破綻」 に直面 しての危機 回避 の方策 が フ ァッシ ョ的 にせ よ、登場 す るで あろ うし、「 国家破産」 が一直線 に招来 され得 る もので はあ りえ ないか らである。 まさに、 それゆえに、 この危機=破産 を回避すべ く志 向す る国家 の政策的対応 こ そが常 に課題 とされ続 けていたのが当該期 に 日本資本主義であ ったので はなか ろ うか。
これ まで も、 こうしたま旨摘 が なか ったわ けで はないが、充分 で あ った とは言 い難 い。 もっと も、
寺島の論理展開 は、貨 幣制度史 の解 明 とい う著書 の限定 的性格 もあ って、 当該期 の 日本資本主義再 生産構造 の諸問題への関心 を充分 には示 して いない。 しか し、 当時の研究水準 か ら見て、極 めて斬 新 な視角 を提起 して い るので はなか ろ うか。 すで に1920年代末 に は、猪俣津南雄 な どの研究 が あ り、 そ こで は金融資本論的視角か ら研究動 向が提示 されて はいたが、猪俣 その人 によ って も、充分 な成果 を挙 げ得 なか ったばか りか、逆 に筆者 が しば しば援用 して きた野 呂栄太郎 との現段階論争 で は後退 さえ示 し、野 呂がむ しろ「 金解禁 と円本位制 の確立」摯馬のような、成果 に到達 していたので あ る。寺 島の議論 はその意味 において、野 呂の仕事 を継承・ 発展 させた とい って よいので はなか ろ うか。 これ に対 して猪俣 は『 日本 の独 占資本主義』南北書院、1931年は第8章「 金融 資本 の政策 と しての金解禁」 において、金解禁 に至 る分析 を行 っているが、 それ は結局 の ところ、世界恐慌 の 嵐 によ って、困難 に陥れ られた る運命 を持つ もので しか なか った とい う、一般 的 な理解 に とどま っ て い る。
5「
型制」 の帰結 と しての資本構成高度化否定論第3に注 目 したいのは、 山田の『 分析』で は、資本 の有機的構成 の高度化=重工業化が 日本資本 主義 自 らの「型制」への矛盾 (=破綻
)要
因で あ ると したのに対 して、野 呂栄太郎 は『 日本資本主‑216‑―
義発達史』において、外国技術の導入が 日本資本主義発展の動因になっていることを認めていたこ とである。要するに山田は産業革命期の特質が 日本資本主義の生涯を決定付 け、その矛盾構造 に
「解体」 の危機 を主張 したのに対 して、野 呂は発展のモメン トを捉えることによって、 さらに新 た な矛盾の発生 メカニズムを捉えようとしたことであった。明治末か ら大正 にかけての産業革命期、
外国技術の導入を基礎 として「工業の機械化が主 として重工業中心 に行わるる傾向を有するに至 っ たこととようや く資本の有機的構成が高度化せ ることとを意味す る。だが、 この傾向が明確な現象 形態を採 ったのは、 もちろん、世界大戦時に入 ってか らの事であることは、後章に詳述す る」(「日 本資本主義発達史」の「二
我が国における産業革命」2「産業革命の進展 とその特質」)の表現
にもその認識の端緒を見 ることが出来よう。 ここで も両者の日本資本主義認識は根本的に大 きな相 異を持 っていたと言えよう。
ではその方法的相異 は何であったか。それが次の課題であろう。筆者はそれを方法認識の相異 と 考える。野呂の蓄積論=発展的視点 と山田の構造論=一定時点の資本主義分析視点がそれであろう。
山田の認識 は先にも述べたように、産業資本確立期の「型制」が 日本資本主義の生涯を貫徹すると いうのである。そこか ら当然の帰結 として、重工業化による資本の有機的構成の高度化は日本資本 主義の存立そのものを脅かす との認識を生み、 さらには重工業化の下で形成 される本格的プロレタ リアー トこそは「大衆左化」、変革主体の形成を通 じて当該 日本資本主義そのものを解体に追い込 むとみていたことは明 らかである。いわ く「 日本型合理化の進行 とプロレタリアー トの客観的必至。
地域的、産業部門的、作業工程的の統合=連携 によって労働力群の序列=陶冶=集成の統合が客観 化せ られ、 このことによって、プロレタ リアー トの客観的必至が与え られる。 日本型合理化の進行 は、 この必至を一層純粋の形態において呈示す る。」中
すなわち資本主義の経済発展の当然の道行 きとしての資本の有機的構成高度化を否定することか ら、歴史的発展のモメントそのものを否定するという特殊な構造認識=歴史認識を示 したのである。
ここに向坂逸郎による「型の固定化」批判を招 く要因があるⅢr。 筆者 には到底そのような山田の非 現実的認識を支持す ることは出来ない。 いかなる資本主義再生産であれ、資本主義 としての現実は 有機的構成の高度化を発展モメントとして もつはずのものである。そこにこの項の冒頭に指摘 した ように、野呂の発展的モメント重視の立場 とは大いに異なる結果をもたらしているであろう。
6
日本資本主義の現段階と新 しい問題状況一民主主義論の再構築日本資本主義 は、21世紀、 さらに大 きな国際的関連の中で、大 きな変容を余儀 な くされ るであ ろう。その際に、筆者の以上の検討の中か ら、次のような視角が求められてきているように思えて な らない。それは日本資本主義の今後の展開に当たって、たんに経済至上主義的な発展にのみ目を 向けるのではな しに、む しろその発展がいかなる性質を持つ ものであるのか、社会の基礎か らの根
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本的変革 に とっていかなる意味を有す るものであるのかが問われているであろ う。 その際、 まず もっ て民主主義論 の問題がある。戦前講座派 は、 その出発点 に当たる野 呂栄太郎 にあ って、社会主義変 革 を実現 す る上 で、 ブル ジ ョア民主主義 が必 至 で あ るとの認識 に達 したの は、「 日本資本主義 発達 の歴史的諸条件」 であることは大方 の承認 を得 られ るであろ う。 た しか にその以前 の「 日本資本主 義発達史」*郎で は一般的 に民主主義 の必要性が語 られ、 とくに日本のよ うに後発国の場合、 ブル ジョ ア革命 の課題 を明治国家体制 の担 い手 である革命実現 グループに も、 その後 の 自由民権運動期 に形 成 を始 めた ブル ジョア勢力 に とって も市民革命 の民主主義 的課題 の必要性 を感 じる立場 にはなか っ た ことを論 じていた。すなわち ブル ジョア・ グループにとって はかえ って官僚支配 の「 半封建的」
「 絶対主義 的」要素 が、逆 に彼 らの労働者支配 に とって好都合 で あ った との認識 を示 して いた こと は言 うまで もない。 しか しとは言 え、彼 の民主主義論 はプ ロ レタ リア革命 に一経過点 と しての必要 とい う認識が「 歴史的諸条件」 で も濃厚 であ った ことは否 めない。 むろん当時の段階で民主主義変 革 の必要 性 を論 じた独 自の意義 は決 して小 さ くはない。21世紀 の初頭 とい う今 日、 む しろ この民 主主義 の諸課題 こそ は先進資本主義諸国であれ、社会主義 を離脱 した諸国で あれ、 はた また 1980 年代 まで「 南」 の諸 国 とされた国 々で あれ、1970年代以 降、軍事独裁 を脱 した東 ア ジア諸 国 で あ れ、現 になお社会主義 を標榜す る中国等 にとって も依然 と して追求 されねばな らない価値であ るこ とは、 これ また大方 の人 々の認 め るところで はないであろ うか。 しか しこの「 民主主義的価値」 に つ いて は ここで詳論 を行 う余裕 はないが、単 に政治的必要 とい う限定 された意味で取 られて きた こ れ までの認識 を超 えて、何 よ りも人 々の潜在能力 の開花、開発 のための前提、基盤 であるとの認識 が、今最 も求 め られているよ うに思 われ る。経済発展至上主義 を追求 して きたわれわれの経済学認 識 もその意 味で は今、 問 い直 しが求 め られ る。本来、人 々の幸福実現 を 目標 と して きた経済学 が、
ぃっ の間 にか、 この論理 に絡 め取 られ、計数上 の「 幸福」 に限定 された認識 に陥 り、「 開発」経済 論 が いつ の間 にか後発途上諸国 の 自然資源 のみな らず人間「 資源」 まで も食 い荒 らす ことを追求 し て きたのはまさにわれわれの経済学 の徒花であろ う。
つ ま り、経済発展 の基礎 に据 え置かれ るべ き、社会運営 のあ り方 に目を据 えた発想が今、求 め ら れて い るので あ る。 イ ン ドの経済学者 アマルテ ィア・ セ ンは、筆者が年来、志 向 して きた資本主義 発展 の政治 的基盤 と して、民主主義 が必要不可欠 の条件 で あ るとの確信 を明確 に示 して い る。彼 に よれば、民主主義 な き「 経済発展」 は外見的な発展 とは裏腹 に、 その反人民的、反福祉的「 発展」
に帰結す るとい うことである。講座派 日本資本主義論 の不可欠 の精髄 の一つ に、 日本 の民主的発展 へ の希望 【希求】が あ ったのであ り、 その視角 を失 った「 発展」論で は、情勢 に一喜一憂 し、20 世紀社会主義 の崩壊 に「市場原理 の勝利」、「 資本主義 の勝利」 を見 る浅薄 な議論 に堕す るのであ る。
今、 日本 と世界 の資本主義・ 市場主義 が問われて い るの は、 その野蛮 な弱肉強食 の歯牙 の餌食 と化 した社会経済 システムの展望 な き運営であろ う。 セ ンはそ もそ も経済発展が人間 にとつて 目的であ
一
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るのか どうかに関わ って、人間の潜在能力の可能性を発揮することが基本であり、そのためにこそ 人々は民主主義的に関係づけられていなければな らない。市場の原理 にのみ依拠すれば、それは必 ずや社会が市場の暴力によって破壊 され、人々の潜在的能力可能性を破壊するに到 るとみる。 これ に対抗す る人々に潜在的能力を発揮 させ る基盤 として経済的発展が保障されるシステムヘの転換が 求め られる。例えば、軍事的暴力によって支え られた国家は確かに一時的には「経済発展」が実現 す る。 しか しその「発展」 とは一部権力者 に富 と腐敗を集中させる。他方で飢餓状態を大量の民衆 に強制する結果をももた らす ことになろう。 また非民主制を前提 としたこのような「経済発展」は 女性の立場を弱 くす る。教育機会か らの排除がそれを加速 させ る、 というよりは教育機会に恵まれ
ない多数の女性の存在 こそが民主主義 と自由を社会か ら排除す る基盤 にもなる*"。
かつて 日本経済論 は、1970年 代か ら80年代後半 まで、実 に横柄 にも、 アメ リカや ヨーロッパの 経済衰退を尻 目に、 日本の経営に学べ とか、企業 システムの「優秀性」の強調、中小下請 けへの支 配の強靭性の宣伝、要するに企業間の非民主的支配力の大 きさを宣伝 し、国家官僚 と経済界、政界 の「鉄の三角形」の 秀逸性"を強調 し、東アジア諸国にもそれを学べと要請することがあたか も 正当であり、 その学問上の目的 とさえされたかの感があった。 しか しそれか らのおよそ10年余、
「失われた10年」の痛手 は大 きく人々の生活を脅か している。 日本経済論の仕事 は、肯定主義的 日 本賛美であってはなるまい。あ くまで も人民福祉の実現、世界人民の潜在的能力の開発 と向上を図 ることを目指すプログラム構築 と緊密に結び合 ったものであるべきであろう。これに関わって、ジョー ジ・ ソロスの著書*20は注 目に値す る。 そ こでは国際的金融活動の自己体験 に基づ く資本主義論の 立場が盛 り込 まれている。すなわち市場原理主義 には、そもそ も民主主義や自由、平等論の契機、
弱者への配慮が含まれていないのであり、それだけにこれか らの世界 と国家の運営 には、それ らに 配慮 した方向付けが必要なことを論 じているのである。彼 は国際的金融活動、デ リバティブに関わ り、 ロシア金融危機 に立ち会 った発言だけに貴重 に思われるのである。 まさにアマルティア・ セ ン が口を極めて強調 している、民主主義・ 表現の自由が社会の正常な発展を可能 とするとした見地は、
筆者の立場か ら、今、 日本の現実的あり方及び市場原理に横溢 された現存世界諸国に必須であると 認識する。 セ ンが主張す る「経済発展 と民主主義の不可欠」 といった問題状況を端的に示 した国際 的実験場 は日本であり、そこに学ぶ ことこそが、世界的に求め られているのであろう。
すなわち、 日本の第二次大戦後の発展 は、あたか も日米安保体制に庇護 された軽武装国家 日本で あるとされるであろうが、それは一知半解の現象論 に過 ぎない。そうではな く、筆者がかつて論 じ たように、朝鮮戦争後の発展 コースには、米軍駐留の恒久化 による特需継続 と再軍備強化の財界的 方向性 と、第5福竜丸事件を契機 とした平和志向の国民的認識の形成があり、そのいずれが、その 後の軽武装国を実現 したと見 るかどうかということではないか。 もしも第5福竜丸事件がなければ、
か くまで も政党政派を超えた平和を目指す運動や、組織化 は困難であったろう"れ。そ して奇 しくも、
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1953年 の石油国有を標榜 したイランのモサデーグ政権の崩壊 と親米パ フレビー王朝の成立を転機 としたアラブ産油諸国の帝国主義諸国による石油資源確保の安定化を背景 とした、 日本の 1955年 体制 と共に形成 されていった大量の安価な原油輸入の実現によるエネルギー転換政策 と石油化学工 業の装置化が、先 に指摘 した平和志向の国民意識 と相侯 って、 さらに加えて、若年労働力の大量形 成 による蓄積条件の確立、広範な国内市場条件の形成などの諸要因を、その後の発展基盤 としてあ げることが可能であろう*"。 この時期を転機に、国際的に石油をはじめ第一次産品と工業製品 との 交易条件 は全 く逆転 し、前者 に不利 となったのである。 この傾向は 1960年 代末まで一貫 している。
これはまさに、「城内平和」(=民主主義)と世界的帝国主義抑圧 との組み合わせ による「好条件」
だったのである。
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市場経済 と社会的公正21世紀の初頭のい くつかの 日本の事態 は、市場原理の横溢 による、社会構成員のごく一握 りに は天国を提供 し、その他の諸階層には辛酸をなめさせる状況をもた らすであろう。だか らこそ、筆 者 はアマルティア・ セ ン、そ して市場原理への一定の規制の必要を語 る立場を強調すべ きであろう
と考える。なお市場原理の横溢に関連 して述べておきたい。
それは、旧ソ連をはじめとす る20世紀社会主義の実験が示 したとお り、そ もそ も社会的分業を 前提 とする人間社会 において、市場の存在を無視、ないし否定す ることを基盤 としての社会経済運 営 は誤 りに陥 るとい うことであろう。1920年 代 ソ連で論議 された社会主義 にはあたか も市場 は無 用であり、労働券ない し労働貨幣を もって して使用価値を入手す るとの構想 もあったのである。そ して一般的に通貨流通を廃止せよというのである。社会的分業を一定量の価値表現された通貨で交 換することが否定 され、全ての商品生産を国家的所有ない し協同組合的所有の下で展開すべ きだと
もなるのである。 しか しこれでは、国家的所有が恐 るべきことなが ら、 ピンー本、針金1本にいた るまでの生産数量の管理を必要 とし、ついにはそれ らの公定価格設定をも余儀な くされた日本の戦 時経済化の動向とうりふたつであるt23。
こうした超管理統制経済が何を もたらしたか。第一 に、それは現場生産管理者 に「安心 して」国 家的指示を鵜呑みに しての安易な非能率の生産に埋没 させ る。第二に、それは質を顧みることのな い、生産性向上への無 自覚な経済行為による、壮大な無駄を組織化 したのであった。旧ソ連の1960 年代中葉の リーベルマ ン理論をは じめとした幾度か試みかけられた個人の生産努力に対す るイ ンセ
ンティブの確保努力が頓挫 したのは、 まさにこうした生産管理 システムの矛盾を示 している。
個人の生活 と消費に関わる生産行為 にさえ、国家管理が貫徹す るとき、人々の消費生活面での質 的関心の低下、生産部面での質的向上や、より新 しい生産への意識的取 り組みの低下を招 くのは避 けられないであろう。全ての生産行為を国家的ない し集団的所有の下におかねばな らないわけでは
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な く、基幹的分野のそうした集団的所有、一定の限界を も意識 しての個人消費部門の個人・ 私的所 有の維持を通 じた生産意欲の喚起、イ ンセ ンティヴの保持は不可避であろう。
そ して基本的人権 としての人々の生活権の維持にとっての制度の共同維持などの面で、国家・ 社 会的所有の必要性がある。 ここに市場原理 と国家介入の相互関係が求め られるのである。「制度の 共同性」 とは、具体的には社会保障要素、環境、農業、人間 として生 きる上で不可欠な教育、宇沢 弘文 の構想する「社会的共通手段」Ⅲ24がこれに当たるであろうし、基本的人権 としての交通権の保 障 もまたそれに該当す るであろう。 これ らは一面的な私的資本の経営にゆだね られることになって は、問題を生 じることになるであろう。それではいったいどの程度の量的質的内容が この分野 に設 定 され るべ きかは、 まさに民主的に組織 され、人々の関心をより正確に反映す る政治 システムの形 成をまって、その合意の上で設定 されるであろう。 これ こそ「社会的公正」認識の必要性を示 して いる。
筆者 は、人類の長い歴史的営みの産物 としての社会的分業を基盤 とした市場原理 は長期に及ぶ歴 史的である存在 と考え、その資源配分の合理性を認めつつ、その上に「社会的公正」を実現するこ とが、20世紀社会主義の実験 とその失敗の上 に、今、人類 は間われていると考えている。 マルク スの経済学では、超歴史的な労働過程が特殊資本主義的価値増殖過程 として、歴史的に把握 され、
市場原理の超歴史性 は商品交換の成立を通 じて、すなわち商品交換 は共同体 と共同体 との間に形成 されると認識 されていたと考えるべ きであり、使用価値を形成する労働が資本主義生産様式の下で は価値形成=価値増殖過程 として展開す るとしたあの視角である。 しか しそれで もマルクスの時代 は、市場原理 と社会主義の接合のあり方を論ず るにはあまりにも歴史的な未来のことに属 し、われ われがその主張の中か ら、 ヒン トを得 るに過 ぎない。 それはある意味で、20世紀社会主義の実験 と西欧社会主義の経験 とが新たな構想の手がか りを与えているのであろう。また壮大な実験 となる か、失敗 となるかその帰趨 は定かではないが、中国における「市場社会主義」の試み も参考 になる か も知れない。
筆者 は、 もはや手を供いている余裕を持たない現実の変革の課題 は、まさに講座派がその当時に 認識 しつうあったように、社会の民主変革 こそが正規的な社会の運航を保証するとの認識に立ち返 っ て、1990年 代 日本資本主義が周回遅れの市場主義の毒牙 に踏み荒 らされた経済政策を脱却 し、市 場 と国家・ 規制の適切な相関を再構築 して、21世紀の波頭に自らを立て直す (リ ス トラクチュア
=
ペ レス トロイカ、両者は奇 しくも同一の意味を持 っている
!)手
がか りを早急に発見する姿勢が問 われていよう、 と考える。この「失われた10年」、筆者がアマルティア・ セ ン教授の認識 にあやか って指摘すべ き問題点 と して、1993年 、鳴 り物入 りで始 まった政治改革論議が「小選挙区制」を本体 とす る国民統合メカ ニズムの変質を挙げるべきであろう。すなわち、その以前の中選挙区制のもとでは、国民諸階層の
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意思 が、政権政党 と して君臨 して きた自由民主党 の内部 に諸利害 の投影 たる派閥 を持 ち、 かつその 他諸党派 が、 その他 の諸利害 を吸引 して、民主制 の一定 の背景 を構成 していたのである。 しか し選 挙制度 の改革以 降、諸派閥、諸党派何れ もほぼ政治的理念 よ りも政権争奪 に こそ 目的化 され、 その ために、 ます ます福祉や教育要求 とい ったいわば「 金 の要 る」分野 を軽視 し、長期的視点 を欠如 し た、市場原理万能 を基調 とす る「 政治・ 経済改革」 に収敏 し、今 日の出口な き、混迷 を呼 び起 こ し て い る。政治的民主性 をよ り確保 し、国民諸階層 の利害 を投影 し、 それ らの調整 を通ず る「 改革」
こそが、 そ して一面 的な経済運営 に歯止 めを与 え、 そ してバ ランスある経済 の展開を構想す ること が、今、求 め られているので はなか ろ うか。
日本社会が よ り社会諸階層 の利害 を投影 しつつ運営 されていた中選挙区制度時代 の戦後政治経済 システムは、 同時 に平和主義 をよ り志 向す る力 も強 く、人 々の消費欲求 を実現す るに役立つ産業 を 発展 させて いた。政権政党であ った 自由民主党 は当時の段階で は諸利害 の投影す る派閥連合 と して 機能 して いた ことを軽視 すべ きで はなか ろ う。 む ろん今 日のよ うな グローバ ル化 は進行 していない とい う条件 の下 での ことで はあ った。1980年代「 先進資本主義 国」 と旧 ソ連 を思 い返 す な らば、
経済 の停滞 が漂 い、共通 して小選挙区制 を本体 と していたので あ った。
日本 の1990年代以 降 の局面 はまさに非民主 的政治 システム と しての小選挙区制 を採用 した こと に見事 に対応 して、政権政党 とその派閥集団 は もとよ り野党勢力 も権力志 向に陥 り、政治的争点 を 曖昧 に した結果、人 々の間 に脱政治現象 を明瞭 に した。 あ る意 味で1990年代 の小選挙 区制設計者 の 目的 は的中 した*25。 す なわ ち政見 の相異 の幅を狭 め、与野党 の意味を政権交代 のゲームに位置づ けるべ きだ と構想 されていたか らであ る。 それが今 日の与野党勢力 の主張 の相異 の狭 さを もた らし て いるとい ってよい。 その ことか ら、人 々の多様 な利害関心 を投影 で きな くな って しまった ことと、
グローバ ル化 とが合成 し、 しか もタイ ミングを誤 った金融 ビッグバ ンの採用 など政治 の相次 ぐ誤謬 が、経済発展 を阻害 し、人 々の潜在 的可能性 の発揮 の機会 を狭 めて きたので はないか。
*1本
稿 は拙著『 近代 日本資本主義史研究一歴史か ら現代へ』 ミネル ヴ ァ書房、2002年を追補 し、かつ土地制度史学会2002年秋季学術大会共通論題第4セ ッシ ョン「 歴史研究 と現状分析 の方法」
での筆者 の報告 の一部 を加 えた ものである。
*2野
呂栄太郎 が組織 した岩波講座『 日本資本主義発達史講座』全7回配本 は1923年か ら刊行 さ れた。 まさに世界大恐慌期 の ことであ り、通例、 コ ミンテル ン32年テーゼの主張を忠実 に リピー トしたかのよ うに繰 り返 し論 じられて きたが、現実 には野 呂の幅広 い価値観 の多様性 を容認す る 姿勢 が あ り、今 日も学 問的 に十分 に価値 あ る内容 を提起 して きて い る。*3
山田盛太郎『 日本資本主義分析』岩波文庫版、1977年、72〜88頁。*4
山田『 日本資本主義分析』岩波文庫、214頁。―
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*5
山田『 日本資本主義分析』岩波文庫、77〜88頁。*6
中村政則「 日本帝 国主義成立史論」『 思想』1972年 4月号。*7
山田『 日本資本主義分析』岩波文庫、90頁。*8
日本銀行『 日本経済 を中心 とす る国際比較統計』2000年版 によ る。*9
山崎隆三編著『 両大戦 間期 の 日本資本主義』上・ 下、大月書店、1978年*10こ の間 の事情等 につ いて は、拙著『 近代 日本資本主義史研究』 ミネル ヴァ書房、2002年、 第
5、 6章を参照 されたい。
*11例えば、最新 の成果 た る村上勝彦「 貿易 の拡大 と資本 の輸 出入」、神 山恒雄「 財政政策 と金融 構造」『 日本経済史2産業革命期』東京大学 出版会、2000年。
*12寺島一夫『 日本貨幣制度論』 白楊社、1937年、80‑81頁、「・・・ 」 は原著 の伏 せ字 によ る)
*13寺島、 同上書、108‑09頁。
*14寺島、同上書、119‑120頁。
*15野呂栄太郎、「 金解禁 と円本位制 の確立」『 財政金融時報』1928年 11月 。
*16山田、岩波文庫、215‑216頁
*17向坂逸郎『 日本資本主義 の諸問題』至誠堂、1960年。
*18野呂栄太郎『 初版 日本資本主義発達史』上・ 下、岩波文庫、1983年
*19アマル テ ィア・ セ ンの一連 の『 貧困 と飢餓』岩波書店、200年、『 自由 と経 済発展』 日本経済 新 聞社、2000年『 ア ジアの貧困克服』集英社新書、2001年、 なお西川潤『 人間のための経済学』
岩波書店、2000年 を参照。
*20 George Soros,のθん
SOCjοリーRe/orれjηg Gιοbαι Cttjιαιjsれ,Little Brown,Little Brown and Company, 2000
*21山本義彦「「 経済 自立」 と日米経済関係 の形成」歴史学研究会編『 日本
同時代史』第3巻、 青木書店、1900年。
*22山本義彦「戦後 日本 の対外経済関係 と政策対応」 山本義彦編『 近代 日本経済史』 ミネル ヴ ァ書 炉子、 1992生F。
*23宇佐美誠次郎「 満州事変以降の財政金融史」『 日本金融史資料』昭和編第27巻、大蔵省 印刷局、
1972年 を参照。
*24宇沢弘文『 社会的共通手段』岩波書店、1999年。
*25小澤一郎『 日本改造計画』、細川護熙『 権不一』、 いずれ も1993年の政治論。 ともに小選挙 区 制 を導入 した原敬首相 に傾倒 した内容であるが、私 の認識で は原 こそは近代 日本型政党政治=利
権誘導型政治 (政治腐敗 の温床)の草分 けと して小選挙区制 を「 活用」 した と評すべ きだ と考 え る。 また小澤、細川 はともに権力集 中型への志 向を強烈 に持 っていた。
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当時、筆者 は1993年 8月 の細川政権登場 の当 日の朝 日新 聞紙上 で、 これ らの問題性 を論 じて おいた。全文 は前掲拙著末尾 に収録 した。 いわゆ る「永 田町の論理 と市民感覚 のズ レ」 とよばれ る事態 は中選挙 区制 の時代 よ りも一層深刻化 して いる。 まず投票総数 の35%程度 で議席 の過半 数 を 占め、政府与党 とな る状況、第二 に市民 の様 々な意識が投影 し難 くな った投票結果へのアパ シーによる投票率 の低下が これ に拍車 を掛 けて いること、すなわち民主制 の 自己崩壊がそれであ る。
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