修 士 論 文
障害者芸術表現と家族の関係
平成3
0
年度指 導 教 員 楠 見 清
17893516
高 橋 梨 佳
首都大学東京大学院
システムデザイン研究科博士前期課程 インダストリアルアート学域
提出日:
2019
年3
月1日論文要旨:障害者芸術表現と家族の関係
要旨
これまで障害者の芸術表現活動は、作品の芸術的価値づけを重視する芸術的立場と、障害 当事者である作者自身に着目する福祉
・
教育的立場の2
側面から研究されてきた。それらの 創作物は「アール・
ブリュット」「アウトサイダー・
アート」といった美術用語によって名 付けられ、常に他者によって規定されてきた。しかし、障害者の周囲にいる他者ー福祉施設 の職員や芸術家、家族、学校の教員など—の変化にまで着目した研究は僅少である。そこで、本研究では、芸術表現が生まれる現場にいる人々の中で、特に「家族」に焦点を 当てた。ここでの家族は、「創作活動の援助者としての家族」ではなく、作品の受賞や福祉 施設の取り組みを通して初めて当事者の表現を認知する、現場から一歩離れた場所で創作 活動を見守る「鑑質者としての家族」を指す。本研究の目的は、作品の芸術的価値ではなく、
障害者芸術表現とその当事者と共に蕃らしてきた家族の関係性の価値を明らかにすること である。
第
1
章では、障害者芸術表現活動が抱える課題と問題意識を、先行研究を紹介しなが ら明らかにした。第
2
章では、障害当事者の美術分野における表現活動について、これまで日本国内で どのような実践があったのかその歴史を追った。その上で、本研究で「家族」の視点を取 り上げた理由を明確にした。第
3
章では、先行研究で言及されてこなかった障害者芸術表現と家族の関係について、展 覧会への出展歴や公募展の受質歴のある障害のある作家の両親やきょうだいを対象に実施した半構造化インタビューの結果について述べた。
第
4
章では、自閉症、知的障害のある筆者の姉、直橋舞を取り上げた。高橋舞が生まれて から、アートとの接点を持つことになった経緯や、アートの視点によって父母と筆者にもた らした変化について、できる限り論理的な素描を試みた。舞と芸術表現活動の関わりを追う ためには、舞と施設の関係について言及することが不可欠であり、舞が利用している認定NPO法人クリエイティブサポートレッツの活動と、舞とスタッフの関係性についても触れ
た。また、実践的な取り組みとして行った姉
・
高橋舞の個展について、その企画意固と結果、考察を示した。
第
5
章では、第3
章および第4
章で行った障害のある作家家族へのインタビュー調査の 結果を踏まえて、障害者の行為を見直し、その個性的な生き方を蒋重することの意味につい て考察を行った。さらに、本研究では議論に至らなかった、美術分野以外の芸術分野と家族 の関係について、舞台芸術の1
事例を紹介するとともに今後の展望を示した。The r e l a t i o n s h i p between a r t expression by the person with a d i s a b i l i t y and the f a m i l y
Su m m a r y
A v a r i e t y of s t r a nge a c t s a r e s e e n i n t h e d a i l y l i f e of s e v e r e l y menta l l y t h e p e r s o n w i t h a d i s a b i l i t y .
However, v i e w i n g pos i t i v e l y a s e x p r e s s i v e a c t s c h a n g e s f a m i l y ' s viewpo i n t , n o t view i ng
po s i t i v e l y a s n e g a t i v e a c t s . T h e r e f o r e , t h e s t u d y of purpo s e i s t o mak e t h e meaning a n d e f f e c t of
r e s p e c t i n g them un i que way of l i v i n g from t h e d i v e r s e pe r s p e c t i v e of t h e fam i l y l i v i n g w i t h them
c l e a r by reexamining t h e i r a c t s from a v i ewpoint of a r t t h a t c a p t u r e s t h e p e r s p e c t i v e of r i g i d ones
i n m a n y w a y s . I s t u d i e d t h e v a l u e of a r t i s t i c e x p r e s s i ons of peop l e w i t h d i s a b i l i t i e s f o c u s i n g on
t h e r e l a t i o n s h i p s w i t h t h e p e o p l e around t h em , e s p e c i a l l y t h e v i ew p o i n t of " f a m i l y " . R e s e a r c h
method i s b a s e d o n t h e r e s u l t s of a n i n t e r v i ew s u r v e y o n d i s a b l e d a r t i s t s ' f a m i l i e s i n c l u d i n g my
fam i l y t a r g e t i n g p a r en t s a n d s i b l i n g s of d i s a b l ed a r t i s t s w i t h a h i s t o r y of e x h i b i t i o n s i n ex h i b i t i ons
and awa r d‑w i n n i n g e x h i b i t i o n s .
目次
要旨 :障害者芸術表現と家族の関係...........................................
.
.2S u m m a r y . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 3
はじめt
.こ.........................
.......
..
....................................l 1 .
研究の背景と目的..........
..................................................2 1. 1
問題意識と先行研究の概要 ......................
.....................
..2
1 . 1 . 1
障害者芸術表現が抱える問題 ........................
.......
......2 1. 1. 2
関係性への視点..............3 1. 1. 3
当事者とその援助者の関わりから生まれる「共同性」 ...............4
1. 1 . 4
共犯性..............
... .
.................................
......5 1. 2
研究の範囲と目的...
...
.......
.....................
...................7
2.
日本の障害者芸術表現史と家族の状況.........................................9 2. 1 日本における障害者の表現活動、その歴史的な展開
................
.......9 2. 2
鑑賞者の視点............................... .
...1 2
2. 3
障害者芸術表現が家族に与える影幣...............
....
...1 2 2 . 3. 1
芸術表現活動を通じた親たちの変化.............1 2 2. 3. 2
障害者家族をめぐる状況..............
......
...1 4 2 . 3. 3
障害者芸術表現の社会モデル化..................................1 5 2. 3 . 4
こだわりと美意識の狭間.. ...........
...................
........1 6 2. 4 J t
ヽ括 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . ..
. . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . .1 7 3.
障害者芸術表現と家族の関係 —家族へのインタビュー調査— ..... . ......... . ... .19
3. 1
インタビュー調査の目的と内容............. . .
.........................19 3 . 2
インタビュー調査の結果 ....
...............................
...........2 2 3. 2 . 1
事例① :中村真由美 (たんぽぽの家アー トセンターH A N A ) ... 22 3. 2. 2
事例② :中村和暉(特定非営利活動法人コーナスアトリエコーナス)26 3. 2. 3
事例③ :伊藤樹里 (たんぽぽの家アートセンターHA N A ) . . . ... 33 3 . 2. 4
事例④:香川直輝(特定非営利活動法人ホッと) ...........40 3 . 3 t J
ヽ括 . .. .. ... . .. ... . ..... . .. • • •
...• .•
..•
..•
. .. .• .• •. •. • •
...•. •.
.•. •
. .50 4.
物事を多面的に捉えるアートの視点孔[橋舞の事例から—...
..............
.... . . 51
4. 1
高橋舞と作品、家族、施設の関係...
....... . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 5 1
4. 1 . 1
高橋舞のこだわり .....
....
................5 1
4. 1. 2
認 定NPO
法人クリエイティブサポートレッツ概要 ..................53
4. 1. 3
価値観を変えるアートの力.... . . ... 5 4 4. 1 . 4
家族の変ィヒ.................................... . . . .
..........
..60 4. 1 . 5
/」ヽ括. . . .
. ....
... . ..
.. ... .... . ... . ...... . . .. ...
... . .. ...
... .
.. . 6 2 4. 2
実践的な活動(闇橋舞個展企画) ......................................6 3 4. 2 . 1
障害者家族による様々な表現手法の事例........ . . . . . . .
...........6 3 4. 2 . 2
企画意因 ...........
................. . . . . . . .
..
....
...6 5 4. 2. 3
結果(当日の様子) .......... . ... 68 4. 2 . 4
展示の考察 .. .
...
................................... . . . . . . . .
...74 4. 3 ; J
ヽ括 . . . . . . . ... .....
....
... ....
. ...
....
. .. .. .. .. ... . . ..
. ... ... . . ... . .76 5.
障害者芸術表現の社会的役割.............................................
...77 5 . 1
分析・ 考察 ....................................................
......77 5. 2
今後の展望. . . . .
..... . . . . . . 79
おわり9
こ.........................................................
......8 1
謝辞.................... . . . . . .
...
..
............. . . . ... 8 2
参考文献一党..............................
.......................
.............83
図版出典一究.
. . . . . ... . . . . . . . . . . . .. .. .. .. .. .. .. .. .. .. 85
はじめに
本研究の目的は、障害のある人の芸術表現が生まれる現場にいる人々の中で、特に当事者 の「家族」に焦点を当て、障害者芸術表現と家族の関係性の価値を明らかにすることである。
本研究は、それまで問題行動と捉えていた笙者の知的障害の姉の行為が、公募展で入買し たときの傲きと発見を契機に開始された。そこで、重度知的障害者の日常には様々な奇異な 行為が見られるが、それを問題行動としてネガテイヴに捉えるのではなく 、表現行為として ポジテイヴに捉え直すことで、当事者と密接に関わる家族の視点や価値観に変化が生じて いると仮設し、障害のある作家の家族にインタビュー調査を行なった。
近年、日本における障害者の芸術文化活動は、
2 0 2 0
年の東京オリンピック ・パラ リンヒ° ックの開催に向け、障害者のスポーツと並べて、その芸術文化活動を盛り上げる動きが国策 として高まっている。そこでは、障害者の芸術表現活動や創作物が作者個人の思いとは別 に、国や自治体の政策的な観点から社会的に扱われる傾向にある。そうした近年の障害者の 芸術文化活動は、作品を価値付けることで経済的自立や社会参加を目指す 「能力主義」、「作 品至上主義j
中心であり 、重度知的障害者やその家族、また表現を持たない障害者は活動か ら周縁化されるという問題を卒む。また、これまで障害者芸術表現史の中で、障害者の芸術 表現活動は、作品の芸術的価値づけを重視する芸術的立場と、障害当事者である作者自身に 着目する福祉・
教育的立場の二側面から研究されてきた。その中で、障害者の表現活動は「アール
・
ブリュット」「アウトサイダー・
アー ト」といった美術の専門用語によって常に 他者に規定されてきた。そこには何らかの「関係性」が生じているものの、障害者の周りに いる人たちー福祉施設の職員や芸術家、家族、学校の教員などーの変化にまで着目した研究は 僅少である。そこで本研究では、自己表現を前提にした自律的作品からは捉えられない障害 者芸術表現の価値を、その周囲の人々との関係性、特に「家族」の視点に着目して進めることとした。
1 . 研究の背景と目的
1. 1
問題意識と先行研究の概要1. 1. 1
障害者芸術表現活動が抱える問題近年の日本における障害者の芸術表現活動は、急速に振興している。
2 0 1 8
年6
月には、衆議院本会講にて「障害者による文化芸術活動の推進に関する法律」が可決された。これは、
障害のある人々が文化芸術活動を創造し、享受するための環境整備や支援を促進する内容 となっている。その中には、障害のある人が文化芸術を鑑賞するための環境づくり、創作活 動支援、作品を発表する機会の確保、作品を専門的に評価し、販売する環境を整えること、
著作権を守ることといった内容がある
1
。この法律の成立により、障害のある人の文化芸術 活動の更なる推進が期待されているといえる。また、障害者の芸術表現活動の振興が進んでいる背景には、
2 0 2 0
年の東京オリンピック ・ パラリンピックがある。障害者のスポーツと並べて、その芸術文化活動を盛り上げる動きが 国策として高まっているのである。大会の3
つの基本コンセプトのうちの一つ「多様性と調 和」では、次のような目標が掲げられ、障害者の社会包摂に関する取り組みも推進されている。
人種、 肌の色、性別、性的指向、言語、宗教、政治、障がいの有無など、あらゆる面 での違いを肯定し、自然に受け入れ、互いに認め合うことで社会は進歩。東京
2 0 2 0
大会を、世界中の人々が多様性と調和の重要性を改めて認識し、共生社会をはぐくむ 契機となるような大会とする2
しかし、こうした取り組みは、障害者の芸術表現活動や創作物を国や自治体の政策的な観点 から社会的に扱う傾向にある。そこでは、社会に受け入れられやすい「生」「無垢」「純粋」
といったイメージばかりが消毀され、「健常者にとって存在を許容された者のみが表象され、
ダイバーシティの名のもとに可視化される」
3
のである。知足美加子は、障害者を他者として疎外する状況を「障害者の他者性」と位僻づけ、「障
1衆 議 院 哉 案 本 文 情 報一党 「
1
器害者による文化芸術活動の推進に関する法律案」h t t p ://www . s h ug i i n . go . j p / i n t e r n e t / i t d b ̲ g i a n . n s f /h t ml/ g i a n / h o nb un/ ho uan/ g l 96 0 20 0 7 . h tm ( 2 0 1 9
年2
月4
日最終確認)2
東 京2 0 2 0
大 会 大 会 ビ ジ ョ ンh t t p s : / / t o k y o 2 0 20 . o r g / j p / g a m e s / v i s i o n /( 2 0 1 9
年2
月4
日最終確認)3長津結一郎「アール・ブリュッ トの先へ
:
『社会包摂』を手がかりに」、『R EAR
障害と創造 :当事者と して向きあうために』、 リ ア 制 作室、2 0 1 6
年、p . 3 1
2
害者芸術において障害者という属性を強調するほどに他者性が固定化される危険性がある」
4
と指摘した。障害者を社会に包摂せんとする活動が、結局のところ障害者の他者化が進み、社会的排除に向かっているのである。
重度知的障害者の芸術文化活動に焦点を当てた久保田瑛は、そうした近年の障害者の芸 術文化活動は、障害者の能力を社会化し、作品を価値付けることで経済的自立や社会参加を 目指す「能力主義」中心であり、重度知的障害者やその家族は活動から周縁化されるだ警 鐘を鳴らしている。また、精神障害の妹の持つ幻聴や幻党をテーマに作品を制作する作家の 飯山由嚢は、妹を通じて表現を持たない人がいることを次のように述べている。
彼女はあの有名なアーティストのように自分に見えるものを絵画にしたりはできな い。『アウトサイダー・アー ト』とよばれる芸術の展覧会が開かれていたりするけれ ど、精神に障害(この言葉はあまりつかいたくないが)を持つ人が、幻立や幻聴を「表 現
j
できること自体がもしかしたら希有なことで、表現の仕方もうまく見つからない まま、投薬し生活している人のほうが大多数なのかもしれない。 私自身は大学で絵 を描いたり造形する人に囲まれて生活していたから、感党が麻痺していたんだと思 う。だれでも何かしら作ったりできると思いこんでいたが、そうでもなくて、できる ことできないことが人それぞれあると、妹と数年ぶりに一緒に暮らしてみて気づく60
つまり 、自律的な作品を持たない重度知的障害者やその家族、表現を持たない障害者は能力 主義中心の社会から孤立してしまうのである。
1 . 1 . 2
関係性への視点文化人類学者の中谷和人は、瞬害者の表現活動のフィールドワークを通して、障害者の表 現活動がこうした芸術の市場や制度を背景とした権力性に常に晒されていることを指摘し ている。
中谷のフィールドワークによれば、
2 00 3
年に大阪で開設された「アトリエ・インカーブ」(以下、インカーブ)では、アウトサイダー・アートの市場に作品を打ち出していく際に、
作者が一人で作品制作を完結させる「作品の自律性」を重視しているという。そのため、ス
4艮沌結一郎、『舞台の上の節害者:境界から生まれる表現』、 一般社団法人九州大学出版会、
20 1 8
年、p . 5 0
5
久保田 l瑛「蹄害者の芸術活動における芸術の社会的役割と課姪〜生きるための術 ars NPO法人クリエ イティプサポートレッツの活動検証を通じた一考崇」、2 0 1 7
年、p. 2 1
6飯山由炭、「あなたの本当の家を探しにいく」テキストより
タッフによる介入や作品の評価を避ける傾向がある。そこでは、作品制作のプロセスで本来 生まれるかもしれなかった作家とスタッフの関係性が失われていることに葛藤を抱えるス タッフもいるという。また、作品の展示・販売 ・収益の確保を因ろうとする戦略により、作 家とスタッフの間で「何を作品とするか」の価値観の相違が生じている。
もし仮に彼にとって作品とそれにまつわる「コンセプト」(自宅に持ち帰る、中庭にお いて回るといった意志・行為)とが本来的に切り離せないとすれば、そこで彼が行なう 総体としての制作・表現は、あくまで既存の美術界内部でのモノの展示・販売を通じて 収益の確保を測ろうとする現在の戦略からは決定的にはみ出してしまう
7 0
メンバーが作る小さな作品群を、「自宅に持ち帰る、中庭において回る」といった行為とし ての表現は、日の目を見ることがないのである。ゆえに、中谷は、「美術界からのまなざし、 その制度的システムからこぼれ落ちていくような創作・表現は、はたして語りえぬもの・存 在しないものとして排除せざるを得ないのだろうか」という問いを投げかけている。
1 . 1. 3
当事者とその援助者の関わりから生まれる「共同性」インカープのスタ ッフが「作家とスタッフの関係性が失われること」への葛藤を抱えてい たように、芸術活動の権力性からは、 作品を見出す発見者の視点は消滅してしまう。失われ る当事者と周囲の人々の関係性に着目した精神科医の斎藤環は、戸来貴規の「日記」という 作品が、彼が通う福祉施設の職員によって見出されたプロセスに触れて、次のよ うに発言し ている。
その作品を見出した職員の方と、戸来さんとの関係性そのものがアウトサイダー・ア ートであり、アール・ブリュットであるといういい方ができると思います。アール・
ブリュットと関係することも大事なんですけれども、さらにいえば、その関係性自体 がアール・ブリュットといういい方もできるんじゃないでしょうか
8
インカープのスッタフや、斎藤は職員と利用者の関係性に着目しているが、 一般的には、美 術の側の評価の対象は「作品」 そのものであり、創作の過程や創作現場で生まれたエピソー ドは、福祉の範昭として切り捨てられてきた。そこで、施設の利用者と職員の関係性を価値
?中谷和人、「〈アール・ブリュット/アウ トサイダー・アート〉をこえて :視代日本における障害のある 人ぴとの岩術活動 から」、『文化人類学』第
74
巻第2
号、 東京:日本文化人類学会、2009年、p . 2 2 5
8長津、20
1 8
年、前掲芯、p . 5 1
4
付けようとしたのが、岸中聡子によるある知的障害者施設の焼き物制作のフィールドワー ク研究である。岸中は、障害のある当事者が日常的に関わりを持つ福祉施設の職員などの支 援者と、当事者の関わりを「共同性」と名付け、共同性は「障害者アート」を構成する重要 な要素であると指摘している。
岸中が行った実際の創作の現場調査によると、焼き物制作の過程には、粘土で形を作る
「自由創作」と粘土を釜に入れて固める「焼成」の二つの段階があり、そこで利用者と職員 の力のバランスは大きく変わるという。「自由創作」の段階では、職員は「黒子」という表 現を用いて自分たちの「力」に謙虚であろうとし、創作に和極的に関わることはせず、利用 者のモチベーションの継続を促す役割を果たしている。一方「焼成」では、利用者だけでは できない大きな作業も伴うため、職員の力が発揮される。現場をリサーチした岸中によれ ば、利用者よりも職員のほうが生き生きし、職員たちには高揚感が見られたという。つまり、
「『自由創作』で粘土に込められた寮生たちの持ち味を、『焼成』によってもう一度弓
I
き出す ことで、作品は立ち上がってくる」,のだ。職員は、あくまで「主役は寮生たち」であり、自分たちは援助者として、その関わりを租
極的に語らない。しかし、作品が生まれる過程での利用者と職員の関わりの意義を岸中は次 のように提示している。
そこには「表現する」という寮生の行為に対して、彼らのモチベーションの継続を 助け、創作への促しを技術
・
メンタルの両面からサポートし、創作に関わる者に自 問自答を引き起こし、 それによって相手への関わりに変容をもたらし、さらに自らも そのプロセスを楽しむことができ、その結果いきいきとした「表現」が生まれてく るような「共同性」が見出されるのである。それは、援助者から被援助者への一方的 な指示や、作業の単純な分業ではない、相互関係性とも言えるものなのである。そし て、そこから生まれたものを私たちは「作品」と名付けているのである1 0
岸中は、焼き物創作過程の現場観察や、職員のインタビューから、作品が施設の利用者と職 員の相互関係性の上に成り立っていることを明らかにしている。
こうした相互関係から生まれる芸術表現の意義を包括的に分析したのが長津結一郎であ る。長津は、障害者のパフォーミング
・
アーツ分野のフィールドワークを通じて、障害者が,岸中聡子、「『障寄者アート』と『共同性』 :ある知的諒害者施設の捜索現場から」、現代文明学研究、
2004
年、p . 3 83
1 0
后]前同所普段密接に関係を築く人々との間に生じる「共同性」だけでなく、芸術活動を通じて非日常 的な関わりが生まれ、その出逢いによって出現する新たな関係性を「共犯性"」と名付け、
芸術家や、従来の関わりではつながってこない施設の見学者や作品の鑑賞者との関係性に ついても焦点を当てている。
1
.1
.4 共 犯 性
節害当事者とその福祉施設の職員のとの間に生まれる関係性については、岸中が 「共同 性」と名付けた概念で語られて来た。しかし、長津は、「共同性」の概念はその含意が広す ぎることが課題であると指摘する。その要因として、「共同性」として論じられて来ている ものの主体が混在していることを挙げている。岸中が主に焦点を当てている当事者と支援 者や、当事者と家族など
、
当事者が普段密接な関係を築く人々との関係性についてを指すの か、あるいは長津の研究で主に焦点を当てている芸術家やその関係者、施設の見学者や作品 の鑑賞者など、従来では当事者とつながってこない人との関係性についてを指すのか、判断 基準が存在しないのである。そのため、二人以上の人が関わっていればどのような関係性で あれポジテイヴな意味を見出すこととなり、また「共同性」によってどのような意義や価値 を生み出しているのかについての言及は未熟であると指摘する〗長津の提起する「共犯性」 の重要な点は、「障害/健常」という固定化された社会の構造
に、新しいアプローチを提示していることである。「共犯性」は、障害者を「宙吊り状態」
にすることで、障害者を一元化させずにひとつの場に持ち込むような関係性を指し
、「
主体 同土の関係性の差異に着目し、差異を差異のまま表現として表出しようとする試み」1 3
でも ある。「障害/健常」といった差異が常に反転を繰り返している。長津が事例研究で取り上げたパフォーマンス
・
グループ「マイノリマジョリテ・
トラベル」(以下、マイノリマジョリテ)は、日常生活の中で 「障害」を感じている人と、その観客に
よるパフォーマンスを行うプロジェクトを行った。このプロジェクトは、エイブル
・
アー ト・ジャパンによる助成を受けて実施されたものである。しかし、マイノリマジョリテは、エイブル
・
アート・
ジャパンの「障害を持ちながらも頑張ってパフォーマンスができる」と
いった概念を否定し、
「障害」という定義こそが曖昧であるという疑問を突きつけた。マイノリマジョリテが発行した 「旅のしおり」には次の言葉が残されている。
「エイブルアート
・
オンステージ」とは、「
障害のある人とともに創る舞台表現活動11_長津、
2018
年、前掲再、pp.173‑190
12!司前、
pp.172‑173
1 3
!司前、p . 1 74
6
に対する支援プログラムです」(公式サイト
www.ab l e a r t . o r g
より。)これは、障害の ある人とともに、健常者が、創るということですよね?でも、どこからどこまでが障 害で、どこからどこまでが健常でしょうか?その線はどこにあって、それは誰の当たり前なのか。この問いが、東京境界線紀行の始まりです円
つまり、障害者の芸術表現は、「障害」を肯定するか、否定するかという二項対立を強化す るのではなく、「障害」の認識を脱構築化し、障害と健常の境界線を揺らがせること、「障害
とは何か」という問いを突きつけることに意義があることを明らかにしたのである。
2 . 1.
研究の範囲と目的これまでの障害者芸術表現を取り巻く状況を図示すると、次のようになる(函
l )0
共犯性(長津)
I
篇 穀 の 見 学 者¥ 、
99鑑 賞 者
_ 制作支援、作品の芸術的価値、
共 同 性 (岸 ‑)
←一 、
し 経済碑直、経済的自立、l
作晶 社会参加を目指す'
学校の教員
r ‑ ‑ . . . . `
福祉 的 立場',,、
9 A . , . 、 . L
、作品よりも 、、'" ' '''"''
)
制 作 者 ・¥ ‑本人に着目
{ ̀
福祉椀設聞員芸術表現が生まれる場̀ ・ . . `
濯とじ家族、企m . 、 ^ . 、 .
家族に近い・ , ! '
芸 術 家‑ . : ・ ・ , 4 一 し 一
・ ‑ ‑
・‑
電― . ‑ . ‑ ‑ ‑ ・・ ‑ ‑
‑‑~-:---~
‑O ‑‑• o ‑.: ヽ:>\、 本研究呻目する部分
ー 行 政
図
1
障 害 者 芸 術 表 現 と 周 囲 の 関 係 (筆者作 成)まず中心に障害のある制作者と作品がある。作品は、展示や販売などの発表の機会を経て鑑 貨者とつながる。そして、制作者のそばには、普段の生活や創作活動を支援したり、一緒に 暮らしたりする家族、福祉施設職員、学校の教員などの支援者がいる。これらは制作者の
「関係者、作品の発見者」であり、表現が生まれる現場にいる人々である。作品と制作者に 着目したとき、従来の芸術的立場
1 5
は作品の芸術的価値を重要とするのに対して、福祉的立 場は制作者本人に注目する。近年の国の政策的な取り組みでは、作品の経済的価値を重視し ているという点で、作品に矢印を向けた。また、岸中の共同性が捉える範囲を青色の点線で、M 「東京坑界線紀行『ななつの大罪』」マイノリマジョリテ ・トラベル、
2006
年 、 裏 面 上 段1 5
「 従 来 の 」 芸 術 的 立 楊 と い う の は 、 近 年 拡 張 し て い る 現 代 ア ー ト や ア ー ト プ ロ ジ ェ ク ト に 対 し 、 西 洋 芙 術 に 見 ら れ る 伝 統 的 な 「 芙 術( f i n ea r t )
」 を 指 す。長津の共犯性が捉える範囲を赤色の点線で示している。
本研究で主に対象としている知的障害者のほとんどが言説の資源を持たず、その意思を 発臨できないことから、それらの創作物は、「アール
・
ブリュット」「
アウトサイダー・
アー ト」といった美術専門用語を通し、常に他者に規定されてきたといえる。そこには、障害の ある当事者と他者との間に様々な関係性が生まれているが、長津は、「障害のある人の表現 活動については、その作品論や療法的分析、
社会包摂などの文脈での調査は行われこそして いたが、その周りにいる人たちの変化にまで着目した研究は僅少である」 と指摘している。そこで本研究では、自己表現を前提にした自律的作品からは捉えられない障害者芸術表 現の価値を、その周囲の人々との関係性、特に「家族」の視点に着目して検討していく。と はいえ家族にも様々な立場があるが、ここでの家族は、岸中の「共同性」に回収される「創 作活動の援助者としての家族」ではないことを記しておきたい。作品の受賞や福祉施設の取 り組みを通して初めて当事者の表現を認知する、現場から一歩離れた場所で創作活動を見 守る「鑑費者としての家族」を対象とする。
本研究の目的は、「鑑買者としての家族」が障害当事者の行為や創作物を「表現」「アート」
として受容するまでのプロセスや、作品の芸術的価値ではなく、
1
磁害者芸術表現と、その当 事者とともに暮らしてきた「鑑買者としての家族」の関係性の価値を明らかにすることである。
長津結一郎、『舞台の上の節害者:境界から生まれる表現』、一般社団法人九朴1大学出版会、
2 018
年、p . 1 5 4
8
2 日本の障害者芸術表現史と家族の状況
本章では、日本における障害者の芸術表現活動の歴史を追いながら、芸術表現活動が当事 者にとってどのような意義をもたらしたかについて論じる。また、「作品」がどのように見 出され、そこにはどのような人々が関わっていたのかを明らかにした上で、当事者の家族の 存在への言及が不足していたことを指摘する。
2 . 1
日本における障害者の表現活動、その歴史的な展開これまで障害者の芸術表現活動は、作品の芸術的価値づけを重視する芸術的立場と、障害 当事者である作者自身に着目する福祉・教育的立場の二側面から研究されてきた。
作品と作者をめぐる議論において、芸術的立場である学芸員の服部正は、美術と身体表現 や音楽などの他分野との決定的な違いを挙げている。美術の場合は、作品が発表される場に おいて「表現者本人がまった<介在しないことが可能
j 1 7
であり、「芸術という領域で考える なら、障害があるかどうかは関係がな」1 8
く、作者と作品を切り離し、作品のみを評価する。芸術的立場の背景には、欧米では、
1 9 2 0
年代からアーティストや精神科医などの美術界 内によって、精神障害者や囚人など美術の周縁かつ社会の周縁にいるものの表現が見出さ れてきた歴史がある。1 9 4 5
年、フランスの画家ジャン ・デュビュッフェは、従来の西洋美 術の伝統的価値を否定して、子ども、独学の人、精神障害者、謡媒師などの作品を「アール・ プリュット=生の芸術」と呼ぴ、この概念を提唱した巴一方、福祉・教育的立場においては、作品よりも障害のある作者に着目する。これは、欧 米での歴史に対して、日本の場合は精神科医や芸術家などの美術界からの関心ではなく 、障 害者福祉と近いところでつねに展開してきたからである。日本の障害者芸術表現研究者の 川井田祥子は、芸術表現を通じて「当事者のセルフエスティーム(自己肯定感)を育むこと」、
他者からの評価による「経済的自立の可能性があること」、「重要なコミュニケーションとな ること」、「主体的な『個』としての活動が芽生えること」などの価値について論じている。
つまり、福祉・教育的立場では、芸術表現活動が障害のある当事者にとって、どのような価 値や影態があるのかが謙論の中心であったといえよう。以下、歴史を顧みて国内の代表的な 活動に触れてゆく。
1 7
服部正『節がいのある人の創作活動:実践の現局から』、あいのり出版、2 0 1 6
年、p . 3
1 8
服部正、『アウトサイダー・アート:現代芙術が忘れた「芸術」』、光文社、2003
年、p . 1 3 1
アサダワタル編『アール
・
プ リ ュ ッ ト アート日本』保坂健二郎監修、平凡社、20 1 3
年、pp.56‑57
︐
1990
年代以前、日本では福祉施設を中心に、療育・教育目的や余暇活動として、障害者 の創作活動が取り入れられるようになった。そのため、日本では「アール・ブリュット」「ア ウトサイダー・
アー ト」がイコール 「障害者アート」としての認識が福祉関係者に広がって いき、従来の意味とは異なる認識が一般的になっていく。日本で最初に障害のある人の創作活動が盛んに奨励され、一般の人々の目に触れるよう になったのは、
1 9 3 5
年頃である。その中心にいたのが、「日本のゴッホ」として有名な山下 消( 1 9 22 1 9 7 1 )
が在園した千菜県の八幡学園の創立者、久保寺保久であった。久保寺は、蹄害者の福祉拡充のための「精神薄弱児保護法」の制定を国家に働きかける運動を行なって いた。また、早稲田大学心理学教室の講師を務めていた戸川行男は、山下清を初め学園の子 どもたちが描いた絵に関心を持ち
、作品を広く社会に広めるための展覧会を企画
・開催し た。いち早くアウトサイダー・
アートに着目した精神科医の式場降三郎は、八幡学園の展覧 会で山下i
胄の作品に興味を持ち、山下清は式場によって「日本のゴッホ」 と名付けられ、全 国的に注目を集めた。そのほか国内の代表的な活動としては、
1 964
年に京都府の知的瞬害者更生施設「みずの き寮」において、日本画家の西垣船ーが絵画教室を開き、展党会を開催した。また、
絵本作 家のはたよしこは、1 9 87
年に大阪で開催されていた知的障害児童作品展を観て、その出展 作品に衝撃を受け、1 9 9 1
年には兵庫県西宮市にある知的障害者通所授産施設のすずかけ作 業所にて絵画教室を始めた。このように、日本における障害者の表現活動は、教育の一環として発展したことで、 「その後の日本では、福祉施設の創作的活動が美術の世界とは無縁の ものとして展開して」
20
いくこととなる。1 990
年代以降では、障害のある人の創作行為は社会参加のモデル
として急激に発展する ようになる。なぜなら、1983
年に国連が制定した「障害者の1 0
年」に関するさまざまな活 動が日本でも成果を上げ、少しずつ福祉関係者らの間に、社会参加の一つの方法として芸術 表現活動が意識され始めたからである叫また、日本において 「アール・ブリュッ ト」「アウ トサイダー・アー ト」 が広く知られる ようになったきっかけに、
1 9 9 3
年に世田谷美術館で開催された「パラレル ・ヴィジョン」展と、「日本のアウトサイダー
・
アー ト」 展がある。これらの展示は、2 000
年代以降のアー ル・
ブリュッ トの普及につながっていく。ほかにも
1 990
年代以降の日本独自の流れとして、199 5
年に財団法人たんぽぽの家理事長 の播磨靖夫により提唱された「エイプル・
アー ト( ABLE ART
=可能性の芸術)」がある。2 0
服部正「日本の福祉施設と芸術活動の現在:
アウ トサイダー・
アートと障害者アートのはざまで」藤田 治彦編『芸術と福祉:
アーティストとしての人間』、大阪大学出版会、2 0 0 9
年、p . 2 5 0
2 1
川井田祥子、『障害者の芸術表現:共生的なまちづくりにむけて』、水曜社、2 0 1 3
年、p p . 36‑37
これは、「芸術を通じて、障害のある人たちの障害にではなく、その人の可能性(=エイプ
I レ)に着目しようとする試み J 2 2 であった。たんぽぽの家とエイブル・アート・ジャパンが 協働して「エイブル・アート
・ムーブメント」(可能性の芸術運動)を巻き起こし、障害者 の芸術表現活動を中心に支援や啓発活動が行われていく。特筆すべき活動としては、豊かな 社会づくりに貢献することをめざすトヨタ自動車株式会社が、メセナ活動の重点プログラ ムの
一つとして1 996
年から開始した「トヨタ ・エイブルアート
・フォーラム」が挙げられる。「障害のある人たちの芸術表現には、自らのアイデンテイティを確立していく力がある」
「社会の既存の価値観を揺さぶる大きな可能性がある」という側面が着目され、
2 3
障害は個性であるという肯定的な考え方が広まっていく。こうした活動を通じて「エイブル
・アート」
が目指したのは、障害者を取り巻く社会環境の改革であり、「障害者のアートを通じて」で はあっても、芸術のあり方や芸術への接し方の改革を目指すものではない 2 4 と、芸術的立場 との違いを服部は明確にしている。
しかし、こうしたエイプル
・アートの活動に対する批判的な見方も少なくなかった。エイ ブ ル
・アートでは障害者の表現を「つなぐ力」「癒す力」「このアートで元気になる」といっ た肯定的な言葉が強調されることに対し、「本来の障害者による表現が持つ刃物のような鋭
さや毒性を巧みに隈蔽し、美談と化してしまう危険性も卒んでいる」 2 5 との指摘もあった。
2000
年代以降は、福祉施設をはじめとした多様な福祉の現場で表現活動が扱われていき、 国内のアール
・ブリュットを発信する美術館の開設も全国各地で進んでいる。 2 004
年の「ボーダレス
・アートミュージアム NO ‑ M A
」(洗賀県近江八幡市)開設以降、2007
年 に 「るんびにい美術館」(岩手県花巻市)、 2 0 l l年に「姦エミュージアム」(高知県高知市)、 2 0 l 2
年に「鞘の津ミュージアム」(広島県福山市)と「みずのき美術館」(京都府亀岡市)、 2 0 l 4 年 に「はじまりの美術館」(福島県耶麻郡)が開設されている。さらには、美術の文脈からの 展開も進んでいる。例えば、アートセンター「アーツ千代田 333 l
」では、「ポコラート」という全国公募展 2 6 を中心とした活動を行なっている。また、公益財団法人東京都歴史文化財
団は、2017
年l l 月に「東京都渋谷公演通りギャラリー」 をオープンさせた。「従来の枠に
2 2
艮津結一郎、『舞台の上の障害者:税界から生まれる表現』、 一般社団法人九州大学出版会、 20 1 8 年 、 p . 7 1
z 3 J I I 井田、前掲恐、 p . 7 0
24服部、
2 0 0 3 年、前掲秤、 p p . 1 29‑130
25艮津、前掲料、
p p . 71 75 参照。
26
ポコラートについて詳しくは第3
章で取り上げる。2 7
前身は、若手クリエイターの支援やアーティストによる国際文化交流を目的とした展党会を開催してき た「トーキョーワンダーサイト渋谷(TWS
渋谷)」(2005
年開館)である。2017年 2 月に小池百合子都
知事が、同施設を多様性のある社会の実現推進を固るため「アール・
ブリュット(アウトサイダー・アート
)
=生の芸術」の施設に変更することを発表し、「東京都渋谷公園通りギャラリーj
として再オープン させた。とらわれない、独自の発想や方法により生み出されるアート作品の展示」を行うことを目的 とし、国内のアール・ブリュット作品と現代美術家の作品の双方の展覧会を企画している。
2. 2
鑑賞者の視点以上、日本の障害者芸術表現史を節単に取り上げて来た。日本においては、福祉の領域で 展開してきたことから、制作者に対する療法的な効果や生活の質向上、自己肯定感を高める ことが重視されてきた。あるいは、中谷や岸中、長津のフィールドワークに見られるように、
創作活動に共に関わってきた人々にどのような意義をもたらしたのかについては言及され てきた。しかし、服部が「重要なのは創作の過程で本人の中で起こったことであり、創作物 と第三者である鑑賞者の関係にはほとんど注意が払われることがない」
28
と述べているよう に、鑑費者がどのように障害者の芸術表現を受け取って来たのかについての言及は不十分 である。そこで、服部は、 当事者にとってどのような意義があるかという意識に加えて、 当 事者とは接点のない鑑買者 が創作行為をどう受け止めるべきか、単純に芸術作品として理 解するべきか、作者の背最など別の文脈を読み取る必要があるのか自問するという。しか し、創作行為をどう受け止めるべきか、 芸術作品として理解すべきかといった問いは、 当 事者とは接点のない鑑費者 だけでなく、 当事者ともっとも身近な存在ともいえる家族に生 じている可能性もある。なぜならば、家族以外の第三者によって表現が見出された時に、初 めてその行為や創作物を表現行為として認識するから場合もあるからだ。次の節からは、障害者芸術表現活動と家族の関わりについて第
3章で具体的な事例を述
べる前に、文献調査や先行研究から家族の視点に着目する意義について整理していきたい。2. 3 障害者芸術表現が家族に与える影響
2. 3. 1
芸術表現活動を通じた親たちの変化ここでは、障害者芸術表現と家族の関係において、特に「当事者の親」がどのように取り 上げられてきたかについて述べたい。福祉関係者の供述から、親は「当事者の行動を制限す
る存在」として描かれてきたことが明らかとなっている。
例えば、大阪市阿倍野区にある特定非営利活動法人コーナス代表の白岩高子は、メンバー の作品が入選するようになって「一番変わったのは親たち」
29
だという。親は、「できるはず2 8
服部、2 01 6
年、前掲朴、p . 1 7
四堀江千加子 「バリアのない社会 ヘ ア ートが開く心の扉」、『婦人乃友』、
2018
年6
月号、婦人乃友社、p . 86
ない」と制限したり、否定したりして、障害のある子どもの行動を制限してしまうことがあ る。本人が創作行為を通して自由を得て盟かな世界を表現する様子を見て、初めて抑圧して いたのは自分ら親であることに気づき、子どもの存在を受け入れられなかった親たちが、
「生んでよかった」と口にするようになったという。白岩自身も、障害のある子どもを持つ 母親であり、「障害者の親は 愛情 という名のもとに彼らの可能性や自由を蒋ってきたの ではないか」
3 0
と語っている。コーナスの設立当初は、創作活動ではなく内職作業を主に行 なっていたが、その後アート活動に転換したことで、白岩は「親たちに変化をもたらしたことが、 一番よかった」と述べている。
アー トはメンバーを自由に開放するだけでなく、家族や社会の意識を変える力を持 っていると思っています
3 1
白岩の発言にも見てとれるように、アトリエコーナスの活動から、芸術表現活動を通して家 族が「本人の存在を受け入れることができた」ように、障害のある当事者の芸術表現活動が、
その家族に何らかの影幣を与えていることがわかる。次は、当事者と家族の関係性を捉えた 具体例を述べる。
ここで取り上げるのは、滋賀県甲賀市の障害者施設「やまなみ工房」で絵を描く岡元俊雄 さんである。
岡元さんの制作スタイルは、床に寝転び、肘をつきながらのびのびと描くのが特徴的であ る。しかし、このスタイルが確立する前、母親の美保さんは、どこでも寝転んでしまう岡元 さんの癖を直すことに必死であったという。中学
2
年生ごろから、岡元さんは暴れるように なり、目が合っただけでも急に怒りだして美保さんにも襲いかかることがあった。ある日、岡元さんが集中できるように専用の一人部屋を使えるようにしたことで、それ以来寝転ん で絵を描いており、暴力的だった岡元さんも低しくなったという。絵が注目されることで、
親子の関係も変わってきた。美保さんは次のように語る。
「他の人が俊雄の絵を『すごい』と言ってくれると私も『すごいのかも』と思い、俊
雄に『とっちゃん、すごいなあ』と言うことが増えた。昔は必死に直そうとしていた 寝転ぶ癖も、今やトレードマークだしJ
3 2
3 0
川井田祥子、『障害者の芸術表現:
共生的なまちづくりにむけて』、水咄社、2013
年、p . 1 3 7
31堀江、前掲弗、
p . 87
3 2
細川暁子、「ともに
瞬害者のアート工房:衷転んで絵のぴのびと」『中日新聞』、2018
年1 0
月1 1日
美保さんの言薬からは、やめさせようとしていた「寝転がる」という行為に対して、寛容的 になっていることが伺える。
日本の障害者芸術表現研究を行う)
1 │
井田祥子によれば、福祉施設における芸術表現活動 の取り組みによって、「芸術表現活動によって精神的に落ち着く (他の利用者への暴力や破 壊行動がなくなった、というケースも含む)」 という効果が得られたことを明らかにして いる。岡元さんの事例のように、芸術表現活動によって、利用者の破壊行為が減ったという 事例は多く見られている。これは、芸術表現の取り組みが当事者にとって重要な意味を持つ ことを明らかにしている。しかし、
岡元さんの事例は、当事者にとっての価値だけでなく、問題行動としていた岡元さんがどこでも寝転がってしまう行為を、 トレードマークと語る ほど肯定的に捉えられるようになった美保さんの変化から、周囲の人にも変化をもたらす という価値が見出せた。
2. 3. 2 障害者
家族をめぐる状 況
本節では、家族の視点や変化を取り上げる理由をさらに明確にするため、障害者家族をめ ぐる現代社会の状況について取り上げたい。
次の事例は、問題行動とされる
1
旅害者の日常行為が、家族にもたらす影態の大きさを物語 っている。1 999
年当時、神奈川県平塚市の社会福祉施設「工房絵」に通っていた西尾繁さんは、女 性への関心が強く、街中で女性に声をかけ、無視をされては暴言をはいたり、怒嗚りつけた りするという行為を繰り返していた。そのため、施設や家庭へ抗鏃があり、西尾さんの母は 追い込まれて自ら命を絶ってしまう。やがて、施設の職員はそうした西尾さんの行為を禁止 するのではなく、街中でできるパフォーマンスにしようと、職員が一緒に街中に立ったり、西尾さんが女性への思いを綴った大量のメモを展示する作品展を開いたりして、西尾さん と向き合おうとした。
この事例からわかるように
、
当事者とともに蝉らす家族にとって、問題行動を違う観点か ら捉えることや、肯定的に捉え直すことが難しいのは、障害者家族を取り巻く社会状況にも ある。1 9 90
年代、地域で暮らす障害のある人がおかれていたのは、困った時に入所施設を 一時利用する「短期入所」事業程度で、藩らしのほとんどは親・兄弟姉妹など同居する家族 に寄りかかった生活であった。現在も依然として障害者のケアは家族が行うものとして社 会からの期待が高く 、家族の身体的・
精神的負担は大きいため、障害者の奇異な行為を受け33川井田祥子、前掲再、
pllO
止める余裕がないと考えられる。
家族は、当事者にとって最も身近な存在であり、当事者のこだわりや日常行為と長きにわ たり向き合い、折り合いをつけてきた。しかし、障害者は家族が面倒を見るものとして、家 族の身体的・精神的負担の大きい社会環境の中では、家族は周りに迷惑をかけないように務 めるという意識の広がり、そして新奇な行為を肯定的に受け止めることが難しいと考える。 さらに、「子供は作業所に行くべきだ」と主張する保護者の声は依然として多いと福祉施設 の職員は明らかにしている。その背景として、芸術表現活動を取り入れる福祉施設が増えて はいるものの、障害のある子どものいる過程に限らず、日本社会におけるアートの認知度は 低いことも挙げられる。
子供は作業所に行くものだ。朝から晩まで下請けするのが仕事だと言い張る人もい る。これは障害のある子供の問題だけではない。仕事とはこういうものだ、という固 定概念を誰しもが持ってしまっている現代社会において、絵を描いたり、歌を歌った
りすることは、特別な才能のある人がやる仕事と思われがちだ
3 4
よって、当事者の改善すべき行為や問題行動に密接に関わる家族にとって、それらの行為を 見直させる芸術表現活動の意義について検討していくことに意義があると考える。
2. 3. 3 障害者芸術表現の社会モデル化
そこで重要になるのは、障害学の「個人モデル」に対する「社会モデル」の考え方である。
障害学とは、
l 9 70年代からイギリスやアメリカを
中心に研究が進められてきた比較的新 しい学問である。障害、障害者とは何か、社会はこれとどう向き合うのかについて、社会学 的、人文学的見地から検討されてきた汽障害学において、「障害のある人が因難に直面した 際に、『個人モデル』の場合はその要因を個人の側に求める一方、『社会モデル』では、社会 の側が作っている障壁を問題視」3 6
している。障害者の問題行動を違う観点から捉えたり見 直したりするためには、この「社会モデル」の考え方が非常に重要であると考える。例えば、 学芸員の服部正は、 「今村花子の作品」を例に取り上げている。
3 4
久保田翠「Ca c e 6
蹄がい者支援から究容性のある社会づくりへ 浜松のプロジェクト『クリエイティプ サポートレッツ』」、『地域を変えるソフトパワー アートプロジェクトがつなぐ人の知恵、まちの経験』、藤浩志
. AAF
ネットワーク、2 0 1 2
年、p . 8 5
35服部正「障がい者の創作行為を個人モデル化しないために」『芸術批評誌
REAR38
瞬害と創造:当事 者と向き合うために』、馬場駿吉ほか編、リア制作室、2016
年、p . 25
36艮料、
2018
年、前掲祁、p . i i i
重度の自閉症の花子さんは、食事の一部を畳の上に並べるというこだわりがある。食べ残 しを置の上に置く行為は、衛生的にも社会通念上も、やめてほしい種類のこだわり行動であ る。しかし、母親の知左さんは、それを問題行動とは考えず、言莱で表現することが苦手な 娘の自己表現だと捉えた。この光景を知左さんが記録した写真は現代美術家の目にとまり、
画廊や美術館で展示されるようになる。花子さんの事例を用いて、服部は次のように述べて いる。
この畳の上の食べ物を、やめさせるべき問題行動と考えるならば、それはなんとかし なければならない花子さん個人の問題である。(中略)しかし、母の知左さんがした ように、畳に並べられた食べ物を花子さんの表現行為だと考えた瞬間に、それは花子 さんと私たちの間に横たわる『何 か』になる。それを価値あるものとして受け入れる かどうかは、問われるのは社会の側である。これは、個人モデルが社会モデルに反転 する劇的な瞬間ではないか。新奇な表現を通じて、変わらなければならないのは私た ちの物事の捉え方である。(後略)
37
服部の言う「社会モデルに反転する劇的な瞬間」は、 当事者にとって最も身近な存在であり、 当事者のこだわりや日常行為と密接に関わり、向き合い、折り合いをつけてきた家族と芸術 活動の現場でめまぐるしく起きていると考えられる。
2.
3.4 こだわりと美意識の狭間
花子さんの事例にあるように、「畳の上に残飯を並べる」という行為は、福祉の領域にお いては改善すべき問題として対処されていく。しかし、滋賀県社会福祉事業団理事長の北岡 贋剛は、アール
・
ブリュットの領域で評価された人々を見て、「極端を言えば別に改善され なくていいんじゃないか」3 8
としている。アール・
ブリュットと出会ったことによって、そ れらの行為を受け止める側に余裕が生まれるという。その行動そのものがそんなに深刻に思えなくなるっていうか。改善された方がいい のかもしれないけど、それを改善するためにすべてを投入するみたいなことじゃな くて。そういうことが本人にとって生きていくための必要な要素かもしれないと考
37
服部、馬場駿吉ほか編、2016
年、前掲困、p . 26
38辻並麻由編、『ボーダレス
・
アー トミュージアムNO‑MA 10
年の軌跡 :境界から立ち上がる福祉とアー
ト』、アサダワタル監修、社会福祉法人グロー、20 1 4年、p . 1 7 1
えられるようになってきた 39
ある精神科病院で、夜中に毎日廊下を掃き掃除する人がいる。真冬に廊下を二時間拭くた め、手にひび割れができてしまうが、それでも掃き掃除を続ける。その様子を見た看護師ら は、「もう寒いからやめようね」と声をかけるものの、その行為が止まることはなく、 1
0年
以上続いている。そこで、ある医療関係者から「その行為を展示したい」という申し出があり、拭き掃除をしている場面をビデオに撮るという案が生まれたそうだ。この事例からは、
それぞれが持っているこだわりをどう捉えていくか、その解釈のありようが広がったこと がわかる。
もう
一つ事例を取り上げたい。ある音楽祭のパフォーマンスで、自分の出番が終わったにもかかわらず、
一向に舞台から下がらない人がいたという。彼は、他のチームの出番のとき も、観客が帰ってしまっても、舞台に出てきて「ありがとうございます
!! !」と何十回も 言っていた。このとき、舞台から下がるように彼を誘尊するべきなのかもしれないが、北岡 は、その行為をやめさせることよりも、行動を面白がること、楽しむことの方が良いと指摘している。それは
、「凝り固まった頭がマッサージされていくという感じ」なのだという。
しかし、学芸員の保坂健二郎は、こうした「日常性の中で繰り返される習慣としてのパフ
ォーマンス」を評価する方法は定まっておらず、アートと呼ぶかどうかは難しい問題だと述べている 40 。そこには、「アートとは何か」というアートの定義を問う根本的な問いも含まれ ている。
西尾さんや花子さん、北岡が取り上げた事例から、障害のある人々の新奇な行為を、
福 祉 の観点から問題行動、改善すべき行為としてネガテイヴに捉えるのではなく、表現行為とし てポジテイヴに捉え直すことができることが明らかとなった。しかし、ここで二つの疑問が
生じる。一つは、それらの行為を一律に「アー ト」「作品」として認めていくことはできる のかということ。もう一つは、アール
・プリュットとしての評価がなされない行為は、本人 が 生 き て い く た め に 必 要 な 価 値 の あ る 行 為 と し て 認 め ら れ る こ と は 難 し
いのだろうかという問いである。次章以降では、これらの問いについても検言寸していく。
2. 4
小 括本章では、日本における障害者芸術表現史の概要を追った結果、日本における芸術表現活
3 9
同前、pp . 1 72‑ 1 73
40同前、