自己表現としての作文の指導
教科書作文単元にみる表現力ω
安河内
義 己
︸ ﹁シカ女﹂の手紙に学ぶ
おまイの︒しせにわ︒みなたまけました︒わたくしも
よろこんでをりまする︒なかたのかんのんさまに︒まに
ねん︒よこもりを︒いたしました︒べん京なぼでもーき
りかない︒唱いぼし︒ほわこまりをりますか︒おまいか︒
きたならば︒もしわけかてきましよ︒はるになるト︒み
なほかいドに︒いてしまいます︒わたしも︒こころほそ
くありますろ︒ドかはやく︒きてくだされ︒かねを︒も
ろた︒こトたれにもきかせません︒それをきかせろトみ
なのれて︒しまいます︒はやくきてくたされ︒はやくき
てくたされはやくきくたされ︒はやくきてくたされ︒い
しよのたのみて︒ありますろ にしさむいてわ︒おかみ︒
ひかしさむいてわおかみ︒しております︒きたさむいて
てわおかみおります︒みなみたむいてわおかんておりま
する︒ついたちにわしをたちをしております︒ゐ少さま
に︒ついたちにわおかんてもろておりますろ︒なにおわ
すれても︒これわすれません︒さしんおみるト︒いただ
い︒ておりまする︒はやくきてくたされ︒いつくろトおせ
てくたされ︒これのへんちまちてをりますろ︒ねても
むられません︒
自己表現としての作文の指導
●脚『 ●の・
お前の出世には︑皆たまげました︒私も喜んでおりま
すろ︒ 中田の観音様に︑毎年︑夜籠りを致しました︒勉強
︵は︶︑なんぼでも際がない︒
鳥帽子︵の︶ほうは困りますが︑お前が来たならば︑
申し訳ができましょう︒
春になろと︑皆北海道に行ってしまいます︒私も心細
くありますろ︒どうか早く来てくだされ︒
金を貰ったこと︑だれにも聞かせません︒それを聞か
せると︑皆飲まれてしまいます︒
早く来てくだされ︒早く来てくだされ︒早く来︵て﹀
くだされ︒早く来てくだされ︒一生の頼みでありまする︒
西さ向いては拝み︑東さ向いては拝みしておりま才︒
北さ向いては拝みおります︒南さ向いては拝んでおりま
すろ︒一日には︑塩断ちをしております︒栄昌様に︑ 一日
には︑拝んで貰っておりますろ︒何を忘れても︑これは
忘れません︒
写真を見ると︑頂いておりまする噂早く来てくだされ︒
いつ来ると教えてくだされ︒
これの返事︑待ちておりますろ︒寝ても醒られません︒
一
長崎大学教育学部教科教育学研究報告 第十九号
二
これは︑あの野口英世の母堂︑﹁シカ女﹂の手紙文である︒渡
米したまま母の手元になかなか戻らぬ吾子への﹁早く来てくださ
れ﹂という訴えの︑これほど切々と迫りくる文は古今東西そう多
くはない︒名文である︒−
さて︑﹁シカ女﹂をして︑これほど読む人の心を動かして止ま
ない表現をなさしめたものは︑いったい何だったのであろう︒
それは︑すぐれた表現技術などではない︒ ﹁早く来てくだされ﹂
という矢も楯もたまらぬ吾子﹁英世﹂への一途な思い︑ただその
一事である︒その思いがこんな力のある文章表現を産み出した︒
表記の誤記・誤用︑使用語彙の貧困さなど︑この一事の前には物
の数ではない︒
私たち作文教育に携わる者としては︑まずはこの事実を直視し
よう︒そして︑ここから作文教育を考えていこう︒
﹁国語に関するアンケート調査﹂によれば︑何よりも児童によっ
て嫌われている教科︑それが国語である︒児童が好きな教科は体
育や図画工作︑音楽であって︑国語は︑算数や社会とともに︑常
にワースト3の座を競っている︒しかし︑そうかといって︑国語
が一年生の当初から嫌われていたわけではない︒この時点では実
に九八パーセントの児童が好き︑なのだ︒ところが︑これが︑第
2学年では七一パーセント︑第3学年では五〇︑第4学年では五 パこ二︑第5学年では四七︑第6学年では四〇パーセント︑となる︒
国語学習の何がそんなに旭嫌われるのか︒
先の調査に続けて設けられた﹁好きな学習は何か﹂の調査によ
れば︑こう︵下図参照Vである︒
ご覧のように︑中学年からの作文はかくも嫌われる︒小学校の
段階で︑学習対象への嫌悪度の高さは学習を進める上では致命傷
臼鱒■恥
瞬、鴇し 1一.,
% 100
90 80 70 60 50 40 30 20 10
0 1 2 3 4 5 6年
作文□書語
眼1物語文の読み 舞 説明文の読み 1;
である︒小学校の場合︑中学校や高等学校では働く﹁したがよい﹂
﹁しなくてはならない﹂という学習への期待感や必要感が︑学習
への取り組みを左右するほどには未だ成熟していないからである︒
では︑学習者をここまで作文嫌いへと追い込んでいるものは何
なのか︒ それには︑さらに︑﹁作文が嫌いな理由﹂の調査があり︑これ
によれば︑﹁めんどう・きつい﹂が6学年とおして平均三〇パー
セント︑﹁書くことがうかばない﹂が同じく二六パーセント︑と
ある︒︑︵﹁書き方がわからない﹂﹁書き直しをさせられるから﹂等
が一︑緒になった項が十七パーセント︑この後一桁台のパーセント
で﹁文を書くのが嫌い﹂﹁考えなければならない﹂﹁長くかけない﹂
等が続く︶
最もパーセンテージの高い﹁めんどう・きつい﹂ば︑何がそう
かといえば︑﹁書くことがうかばない﹂のに書かなければならな
い﹁きつさ﹂︑﹁書き方がわからない﹂︐のに書かなければならない
﹁めんどうさ﹂であろう︒
﹁めんどうさ﹂については︑作文の場合︑読み手に誠実に対し
ようと努めるが故の﹁めんどうさ﹂が確かにある︒しかし︑それ
は︑電話には電話を掛ける面倒さ︑−話すには相手のところまで出
かける面倒さがあるのと同じことで︑面倒さの軽重はあるにして
も︑作文だけが面倒さを背負い込ん︑でいるわけではない︒実は︑
そういうことよりも︑このことに関して問題なのは︑読み手への
誠実さを求めるところにまで至らない多くの作文教室のありよう
だ︑というのが常々教室に参席すること多い筆者の実感である︒
そうだとすれば︑﹁めんどう・きつい﹂と﹁書くことがうかば
ない﹂を併せ考えれば︑教室の半分以上の子が﹁書くことがうか
ばない﹂ないのに書くことを迫られるという︑ほんとうに﹁きつ
い﹂精神的労苦に責められているこの一点にこそ︑まずは作文教
師としての思いを至らせるべきである︒
しかし︑教科書の作文単元は︑全くこのことへの配慮を欠いて
いると言われても仕方ない要求を児童に突きつける︒以下︑この パとことを教科書の事例に見る︒ 事例1 単元三﹁書くことをえらんで﹂小三上︵生活文を書く︶
友だちとしたことや学校であったできごとの中から︑心に
のこっていることをえらんで︑作文に書きましょう︒
書くことがきま︵たら︑どんなことがあったかをくわしく
思い出して︑書くざいりょうをあつめましょう︒
木原さんは︑かんのん山に行った遠足が楽しかったので︑
そのときのことを作文に書こうと思いました︒そして︑山登
りのことを中心にして︑バスの中のことと︑ちょう上に着い
てからのことを書くことにしました︒ 木原さんのかいた図 木原ざんは︑くわしく思い
出すために︑登り始めから
ちょう上までのかんたんな図
をかきました︒そして︑次の
ことを書きこんでいきました︒5
0とんなようすだったか︒
・何をしたか︒
・何を見たり聞いたりした
か︒
・どんな話をしたか︒ m
Oそのとき︑どう思ったか︒ 上 ﹃つ よ ち ︑ 登鴨如め
鰍き貌
ヤリ 紮 奔ち ︑軸瞬し進N だんだんっか義る.の ら中 mの ソみんなだまるコヰ じ 糀︑専び.しょり海が見え始める︒
しん二きゆう.
個んばって登ってよか︐た.
自己表現としての作文の指導︐
三
長崎大学教育学部教科教育学研究報告 第十九号
事例2 単元三﹁題材を選んで﹂小四上︵生活文を書く︶
細川さんは︑日曜日の朝に食事を作ったことを︑伯文に書
くことにしました︒
まず︑次のように︑メモの真ん中に︑﹁書きたいこと﹂を書
いてから︑したことや話したこと︑思ったことを書きました︒
①②③④ー思い芒姦
綱川礁畜の作墓
メ看1を決めた︐目王焼き吾ラダ トースト ミルク作.てよ公た・でも︑お母さんは.毎日大変だなあ.
① ③費︑﹄ぬい二と
日曜日の朝︑食事を作︒たこと.
② ④
お父さんお量えか.﹁おいしいねいと言︐てぐれた.ぢ雪えグ作るのを見ていて前から度作.てみたかった︒
事例3 単元八﹁すじ道を立てて﹂小五上︵意見文を書く︶
わたしたちは︑日々の生活の中で出会ったできごとについて︑自分の考
えを述べてみたいと思うときがある︒自分の考えを友達や先生などにはっ
きり伝えるためには︑すじ道を立てて書くようにすることが大切である︒
そのためには︑次のことに注意しよう︒
・いちばん言いたいことは何かをはっきりさせる︒
.自分の考えを述べるのにふさわしいことがらを選ぷ︒ ・書く順序をくふうして︑すじ道が通った文章にする︒
四
田中君は︑最近︑電車の中で︑心を動かされるできごとに出会った︒そ
こで︑その経験をもとにして︑自分の考えを述べてみようと思った︒
まず︑初めに︑いちばん言いたいことは何かをよく考えて︑それを文の
形でカードに書いた︒
毎日の生活の中で.正しいこどをや
qぬくには︑男気を将たなけれぱなら
ない.
次に︑自分の考えを述べるのにふさわしいことがらを集めることにした︒
電車の中でのことと関係のあることがらを思い出し︑それぞれ︑カードに
短く書いた︒そして︑その横に︑思ったことを書き加えた︒カードをなら
べてみて︑書く材料がじゅうぶんそろっているかどうかを確かめた︒田中
君の書いたカードは︑次の六まいだった︒
(ぼ信号が機まのちあがる・道三距る てよ の (山ド川 卍
ジボの 1役レげ夫た含ボて1 の ︵o 諭 勉つ︒重ぱあな中4予で動席だを︒ゆ︶て た
ろ : レ こ 男
{= と ぱ と の
9、︑心君︑︶ そろじ当番粟め方︵夫島君の勇気畦感fたJ 正し︑︸︸ 父のことー自転車虫混ミ場でのこと︵番η気を出︹さなければならない︐︶ 人の:とテレビを見る約そくのこと︵姉の考え℃は賛成でキ・ない︒︶
事例4 表現2﹁わたしはこう考える﹂中三︵意見文を書く︶
1 考えを深め︑意見を確かなものにしよう
これまでの学校生活や社会生活を振り返り︑部活動や班活動︑文化祭や体育祭︑地域での活動やサータル活動などで︑深く考えさせられたことや疑問を感じたことがな
ヤかを考え︑それについて意見を書いてみよう︒
U 問題に気づく
ある出来事に出会って︑また︑友達の言動から︑あ
るいは学校や社会の様子などから︑強く興味をひかれ
たり︑疑問を感じたり︑問題だと思ったりしたことが
あるたろう︒それが︑意見への出発である︒
疑間や問題に気づいたなら︑それについて︑いろい
ろな角度から検討し︑どこに問題点があるかをはっき
りさせよう︒
② 調査する
とらえた問題点に応じて︑実態はどうなのかを調べ
たり︑資料を調べたりする︒これによって︑意見に確
かな根拠ができる︒
α 意見をはっきりさせて.文章に書き表す
冒問題点がはっきりし︑実態が明らかになるにつれて︑自分の考えもだんだんはっきりしてくるだろう︒そこ
で︑もう一度︑問題のとらえ方は十分か︑根拠はしっ
かqしているか︑独断に陥っていないかなどについて
章に書き表してみよう︒ 田 m考えをめぐらし︑自分の立場・考えを明確にして︑文将 ﹇確かな意見へ﹈○問題に気づく風肇もつ
・疑問をもつ
・改善したい
・希望する
・新しい発見
○調査する
・調査することを決
める・実態調査や資料調
査をする
○意見をはっきりさせる
・考察する
・立場を明確にする
︒理解してほしい
︒賛成してほしい
︒行動を起こして
ほしい 事例5 表現3﹁想像的な表現を﹂中二︵物語を書く︶
次の①〜④の四枚の絵は︑平安時代の絵巻物の一つ︑﹁鳥獣戯画﹂の一部であ
る︒これらを眺めているうちに︑﹁何をしているところだろう﹂ ﹁どういうつな
がりなのだろう﹂という疑問をもった人︑﹁うさぎとかめ﹂﹁かちかち山﹂などの昔話を思い出した人もいるだろう︒ここでは︑それらの印象をもとに︑さらに想像の世界を広げて物語を作ってみよう︒その際︑何枚の絵を使うか︑また︑どの
ような順序で︑どのように組み合わせるかは︑各自工夫しよう︒四枚の絵以外に︑
想像した場面を加えてもよい︒
問題点1 作文教室に﹁書く素材﹂づくりへの配慮がない
今︑挙げた事例に拠れば︑作文へのスタートはこうである︒
・友だちとしたことや学校であったできごとの中から︑心に残っていることをえ
らんで︑作文に書きましょう︵事例1︶・わたしたちは︑日々の生活の中で出会ったできごとについて︑自分の考えを述べてみたいと思うときがある︵事例3︶・ある出来事に出会って︑また︑友達の言動から︑あるいは学校や社会の様子などから︑強く興味をひかれたり︑疑問を感じたり︑問題だと思った
りしたことがあるだろう︒それが意見への出発である︵事例4︶
作文のスタートとして︑これでは︑あまりに安易に過ぎないか︒
﹁心に残っていることを﹂︵事例1︶︑﹁自分の考えを述べてみたい
と思うときがある﹂︵事例3︶︑﹁強く興味をひかれたり︑疑問を
感じたり︑問題だと思ったりしたことがあるだろう﹂︵事例4︶
と簡単に言う︒が︑それらがなかったらどうするのか︒作文の第
一時問目に発問してみるがよい︒何人の子がありますと挙手して
くれるか︒仮に挙手があったとして︑ではそれは﹁よし︑書いて
みよう﹂となるほどのものかどうか︑重ねて発問してみるがよい︒
挙がっている手はもうない︒これが教室の現状である︒にもかか
自己表現としての作文の指導
五
長崎大学教育学部教科教育学研究報告 第十九号
一L ノ¥
わらず︑ここにはそこへの配慮がない︒
なぜか︒それは︑指導する側に︑次のような思い込みと︑子ど
も世界への認識不足があるからではないか︒
思い込み1 子どもには︑心に残っているものが︑あれかこれか
と選択できるほどにある︒それも︑他から言われずとも自覚でき
るほどに︑また︑相当の日数が経過した後でも鮮明に思い出せる
ほどに︒思い込み2 心に残っているものは︑即︑書くに値するものであ
る︒ 私たちは︑どうしてこういう思い込みに陥ってしまったのであ
ろう︒それは︑私たちのもっている作文観のありようにあるので
はないか︑かつての生活綴り方の作文観をそのまま安易に踏襲し
ているという︒
私たちは︑かつて︑生活綴り方をこう言った︒︵西尾実・倉沢
栄吉・滑川道夫・飛田多喜雄・増淵恒吉監修﹃国語教育辞典﹄一
九五七年刊朝倉書店︑三九四頁︶
生活綴り方とは︑ωいのちをもっているこども︑生活者としてのこども︵またはおとな︶が︑@それをとりまく外界の事物から働きかけられたり︑また︑それにみずから働きかけたりする過程で︑⑭考えたことや感じたことを︑⑭その考えや感じが出てきたもとである外界の事物の具体的な姿や動きや︑それとじぶんと
の触れ合いの具体的なありさまなど
を書く︑と︒しかし︑子どもの今の時点からいえば︑ここには︑
二つの問題が露呈していると見られないか︒
その一つは︑﹁生活者としてのこども﹂というが︑ ﹁かれらに パぽはたして生活者としての生活があるか﹂︑彼らは真に生活者たり
えているかという問題︒ さよう︑かつてはそうであった︒子どもには︑﹁臼井吉見は現地を訪ね︑﹃怠けたり︑失敗しての貧乏ではなく︑働いても食え パゑない貧乏と対決している少年少女の姿に感動した﹄と書いた﹂生活があり︑子どもは︑﹁六月は田植え︒農家が一番忙しい時だ︒学校は一週間前後︑田植え休みになる︒ネコの手も借りたい季節で︑休むのではなく︑小学一年生でも子守や苗運びなど︑相応の ゑ労働力として働いた﹂生活者であった︒ しかし︑今日の彼らに︑生活と﹁対決している﹂姿勢を見ることができるだろうか︒﹁相応の労働力として﹂働く姿を見ることができるだろうか︒ その二つは︑﹁働きかけたり﹂﹁働きかけられたり﹂する﹁外界の事物﹂が︑彼らの手の届くところに︑さらには︑例えば︑ ﹁生 パ レき生きとした自然をとらえさせていくこと﹂と楽天的に言えるほどに﹁生き生き﹂としてあるかという問題︒ かつては︑﹁外界の事物﹂は確かにそういうものとしてあった︒例えば︑﹁遊びの中に子どもは一つの集団を形成する︒おとなのあらゆる束縛からのがれ︑自由に自己の考え︑感じた通りに友達を選ぶ︒ここだけは真に子どもの世界を子ども自身が自由に形成 ハヱしている集団とみなすことができる﹂と言えるような事物が︒ しかし︑その遊びさえもが︑群れることさえもがない︑という パ ロのが子どもの今日ではないのか︒ 今日︑子どもたちはかつてのような生活者ではない︒真に働きかけられも︑働きかけもする﹁外界の事物﹂にも恵まれていない︒そういう存在としての子どもが︑書くに値するもの・ことを︑そんなにたやすくもつことができようはずがないではないか︑と考えないでよいものか︒
教科書作文単元は︑書くに値するもの・ことが︑作文指導を始
める以前に子どもにはある︑という前提に立っている︒そして︑
多くの教室の指導者も︑また︑この前提に立って子どもと相対す
る︒しかし︑育てられるべき表現力の最たるものは︑書くに値す
るもの・ことを︑いかに多量に︑いかに多様にもつことができるかに関わってあることを︑私たちは改めて再認しないでよいもの
だろうか︒
問題点2 作文教室に﹁書く対象﹂の決定についての指導がない
る
o先 の
事 例
に よ れ ば
、書く対象の決定のなされようはこうであ
・書くことが決まったら︑どんなことがあったかをくわしく思い出して︑書くざ
いりょうをあつめましょう︒︵事例1︶・細川さんは︑日曜日の朝に食事を作ったことを︑作文に書くことにしました︒
︵事例2︶・田中君は︑まず︑初めに︑いちばん言いたいことは何かをよく考えて︑それを文の形でカードに書いた︒﹁毎日の生活の中で︑正しいことをやりぬくには︑
勇気を持たなければならない﹂︵事例3︶・疑問や問題に気づいたなら︑それについて︑いろいろな角度から検討し︑どこ
に問題があるかをはっきりさせよう︒ ︵事例4︶・ここではそれらの印象をもとに︑さらに想像の世界を広げて物語を作ってみよ
う︒︵事例5︶
傍線を施した部分に注意をいただきたい︒どの事例の場合も︑
いろいろある︵実は︑あるに違いないと指導する側が決め込んで
いるだけなのだが︶書く素材の中から︑いとも簡単に書く対象が
決定されている︒しかし︑この決定作業は言うように簡単なこと
ではない︒事例3に言うように︑まさに﹁よく考えて﹂が要求さ れる作業なのである︒にもかかわらず︑教科書作文単元はこの﹁よく考えて﹂の指導をしようとはしない︒しないというよりは端からしようとは考えていないのである︒ それは︑何のためにこの作文を書くか︑書く目的についての記述がないことにも端的にうかがえる︒ およそ何を書くか︑書く対象を決定するに当たって︑何のために書くかが明確でなくて︑どうして素材の限定作業が進められよう︒教科書は言うだろう︒単元の冒頭ないし終末に︑ ﹁くわしく思い出して﹂︵事例1︶︑﹁メモを生かして﹂︵事例2︶︑﹁自分の考えを友達や先生などにはっきり伝えるために﹂︵事例3︶︑﹁紙上討論会を開こう﹂︵事例4︶︑﹁友達どうしで交換したり︑教室内に展示したりして読み合おう︒感想も交換したい﹂︵事例5︶︑と掲げているではないかと︒ しかし︑これは︑指導者にとっては書かせる目的となりえても︑およそ子どもの書く目的にはほど遠いものである︒子どもはこんな目的のために書きはしない︒子どもが本気になって書こうとするのは︑書くことが自分の生活を文字どおり﹁生き生きと活性化﹂するという確信が得られる︑そういうことのためである︒ 例えば︑事例4︒この単元を三学期にもってくるとすれば︑筆者は次のような目的をいくつか想定し︑学級の実態に応じてそのいずれかを採る︒ 例えば︑部活動に限定するとすれば︑
・新入生が入部を決める︑その参考にしてもらうために︒
・来年リーダーとなる二年生へよりよい部活動のあり方をしっか
り申し送るために
また︑この単元を二学期の当初にもってくるとすれば︑
自己表現としての作文の指導
七
長崎大学教育学部教科教育学研究報告 第十九号
ノ〜
・三年生として二学期以降の部活動をどうするかのために
これらの目的が中学三年生の彼らに有効なのは︑部活動に関し
ては彼らが一番先輩の立場にあり︑また︑この学年を最後に部を
去らねばならない立場にあるからである︒そういう立場にあるからこそ総論として部活動全体のことを押さえさせ︑各論として自
分の所属する部について︑さらに部組織における自分の位置︵部
長とか会計とか︑各自が部内で担当しているポジション︶を押さ
えさせて書かせる︑という方法論も導かれる︒
従って︑この単元に言う﹁紙上討論会を開こう﹂は︑もともと
子どもにとっての書く目的などではなく︑よりよく書くための一
手段なのである︒
もともと書くための手段であるものを書く目的にすり替えて作
文させ︑それで以て意欲がないことを嘆いているのが多くの作文
教室である︒指導する側の目的をそのまま書く側の目的としてし
まう教室は︑ほとんどがこの類である︒ ︵ほとんどが︑と言うのは︑自分の書く能力の実態が分かり︑だからこそこの点に磨きを
かけたいと願う︑そういう子が育っている作文教室はこの限りで
はなかろうから︒︶
このことを突き詰めていえば︑子どもにとっての書く目的は︑
書くことでしか叶わぬ︑伝達をする︑自分あるいは他の行為を制
御する︑自分を形成する︑社会構成を図る︑言語の調整を図る︑ パユ文化を創造するという︑つまり言語のもつ機能を十分に発揮させ
るところに求められてこそ︑子どもの書く目的となるということ
である︒先の事例4の場合の筆者の書く目的づくりも︑この観点
に立っている︒
しかし︑今までの作文教育はこのことを重視してこなかった︒
る先oの
﹁国語教育辞典﹄によれば︑生活綴り方の目的はこうであ
ω事物の姿や動きや︑その相互関係の中から︑新しい意味を見いだし事実に基づ
いたこどもたち︵おとなたち︶の思想・感情を形づくる態度を作り上げ︑
偶事物に対する正しく豊かな物の見方・考え方・感じ方を養い︑
⑥書き手の思考力や想像力や観察力を高め︑頭脳の能動性・創造性を発達させ︑叫これによって︑書き手の自我を確立させると同時に︑その社会連帯感を獲得さ
せるものである︒
㈲一方において︑日本語に対する意識的な自覚を育てていくことを目的とする︒
︵書く側からの書く目的についての記述はない︒︶
かように︑指導する側からの目的論には精緻であっても︑書く
側からの目的論には疎いのである︒ こう見てくると︑ここにも︑作文の指導者として私たちの安易
な思い込みがあるといわざるをえない︒
思い込み3 ﹁書く素材﹂があれば︑﹁書く対象﹂を決定する作業は︑
指導者が手を入れなくとも子ども自身の手で容易に進めら︑れる︒思い込み4 ﹁書く対象﹂の決定は︑書く目的が︑なくても︑あ
るいは︑明確でなくても︑できる︒
問題点3作文教室は﹁書くこと﹂
でない
る
Q先 の 事 例 に よ れ ば 、
の決定についての指導が十分
書くことの決定のなされようはこうであ
・木原さんは︑かんのん山に言った遠足が楽しかったので︑そのときのことを作文に書こうと思いました︒そして︑山登りのことを中心にして︑バスの中のこ
とと︑ちょう上に着いてからのことを書くことにしました︒︵事例1︶
・次のように︑メモの真ん中に︑﹁書きたいこと﹂を書いてから︑したことや話
したこと︑思ったことを書きました︒︵事例2︶・次に︑自分の考えを述べるのにふさわしいことがらを集めることにした︒︵事
例3︶
既に気づかれたように︑筆者は︑問題点1で︑作文教室に﹁書
く素材﹂づくりへの配慮がないこと︑問題点2で︑作文教室に
﹁書く対象﹂の決定︵素材の選択︶についての指導がないことを
指摘し︑問題点3で︑作文教室に﹁書くこと﹂の決定︵書く対象
の限定と具体化︶についての指導が不十分なことを指摘しようと
している︒
つまり︑教科書作文単元が言う﹁書くこと﹂を﹁書く素材﹂←﹁書く対象﹂←﹁書くこと﹂の三者に分割し︑この三者は矢印で
示したような順で書き手の中で確定してくると捉え︑この三者それぞれの確定のされように関わって︑作文教室はもっと意欲的に
子どもの学習活動を創意せよと︑声高に言いたいのである︒なぜ
なら︑書くことがないという子どもの悩みの解決策は︑書くこと
が生まれてくるプロセスをたんねんに辿らせる以外にはない︑と
考えるからである︒
さて︑以上のことを念頭において︑先の事例に立ち戻ってみ
る︒ 事例1は︑見たように︑いとも簡単に三つの書くことが決定さ
れる︒しかも︑ ﹁中心にして﹂書くこととそうでないこととの区
分までをも一挙にである︒事例2の場合も同様︑四枚の書くこと
のカードが︑ひとりでに︑苦もなく出てくる︒事例3は︑ ﹁ふさ
わしいことがらを集めることにした﹂のところで︑当然﹁ふさわしくないことがらも集まった﹂に違いないのだが︑これをどのよ うにふるいに掛ければ﹁ふさわしいことがら﹂だけを集めることができるかについては指導しない︒ どうしてこういう指導となるのだろう︒ それは︑一つには︑ここにもやはり私たちの次のような思い込みがあるからに違いない︒思い込み5 ﹁書く対象﹂が決まれば︑それについて何を書くか﹁書くこと﹂は書き手の中にきちんと記憶されている︒しかも︑必要に応じてすぐ取り出せる形で︒ 事例1や2のように何もしないという指導が頓着なくできるということは︑しっかりこういう思い込みに私たちが絡め取られているからだろう︒しかし︑書くことがないという子にとって︑いかに記憶を呼び戻すか︑それら記憶の中からいかに必要な記憶をふるいにかけて取り出すかは︑そのためのエネルギーをいかに燃え立たせるかということと併せ︑決して容易な作業ではないのである︒ 二つには︑そもそも文を作る営みとは何かということについて︑私たちに次のような思い込みがあるからではないか︒思い込み6 書くということは︑書く以前に決定した﹁書く対象﹂に﹁書くこと﹂を付加していく作業に過ぎない︒﹁書く対象﹂は︑付加された﹁書くこと﹂によって︑変質・変容することはない︒ 事例3の場合がそうである︒ここでは︑書く手順が次の三段階で示される︒
①いちばん言いたいことは何かはっきりさせる︒
②自分の考えを述べるのにふさわしいことがらを選ぶ︒
③書く順序をくふうして︑すじみちが通った文章にする︒
筆者の言う﹁書く対象﹂に相当するのが①で︑その具体は﹁毎
自己表現としての作文の指導
九
長崎大学教育学部教科教育学研究報告 第十九号一〇
日の生活の中で︑正しいことをやりぬくには︑勇気を持たなければならない﹂となっている︒また︑﹁書くこと﹂に相当するのが
②で︑﹁カードに六枚ある﹂という内容がその具体である︒
しかし︑これではわざわざ書く必要はないのではないか︒書く
以前に﹁いちばん言いたいこと﹂が﹁はっきりさせ﹂られた以上︑
あえてそれを書くという作業にまでもっていく意味は︑あまりな
いのではないか︒
だから︑ここは︑そうではなく︑事例4に言うように︑﹁問題
点がはっきりし︑実態が明らかになるにつれて︑自分の考えもはっ
きりしてくるだろう﹂というのが︑文を作る営みの真骨頂なので
はないか︒
学校の作文教室で︑文を作る営みを意図的・計画的に進めるこ
との意義を︑﹁書く対象﹂としたことの伝達のためだけとしてよ
いものか︒混乱錯綜していたもの・ことが整理される︑曖昧・不
明であったもの・ことが明確となる︑抽象的であったもの・こと
が具体的となる︑具体の羅列であったもの・ことが意味化・構造
化される︑特殊であったもの・ことが敷術化される︑無であった
ところから有が生じるという︑こういう恵にあずかる予感・期待
があればこそ︑子どもたちは作文するエネルギーが得られる︒
﹁書く対象﹂﹁書き手のいちばん言いたいこと﹂は︑付加され
た﹁書くこと﹂のありようによって︑書き手の意図せぬ変質・変
容を見せるものなのである︒
問題点4 作文教室の﹁書く材料﹂集めの方法は適切でない
先の事例によれば︑﹁書く材料﹂集めのありようはこうである︒ ・木原さんはくわしく思い出すために︑どんなようすだったか︵何をしたか︒何を見たり聞いたりしたか︑どんな話をしたか︶︑そのときどう思ったか︑図に書き込んでいきました︒︵事例1︶・したこと・話したこと︑思ったことをメモする︒ ︵事例2︶・電車の中でのことと関係のあることを思い出し︑それぞれ︑カードに短く書いた︒︵事例3︶・とらえた問題点に応じて︑実態はどうなのか調べたり︑資料を調べたりする︒
︵事例4︶
・物語のあらすじを作る︒ 幾つかの絵を組み合せ︑場面相互のつながりを考えて︑物語のあらすじ︵骨 組み︶を作ってみよう︒その際︑次の要素を考えておくようにする︒ ・時−時代・季節・時刻など︒ ・所ー場所・地形・周りの様子など︒ ・登場人物−性格・役割・人物相互の関係など︒
・出来事−事件・出来事相互の関係・人物の出入りなど︒︵資料5︶
ここまで見てきたように︑﹁書くこと﹂が決定された後に﹁書
く材料﹂が集められるというのであれば︑﹁書く材料﹂は︑当然
﹁書くこと﹂をしっかり見据えた上で集められなければならない︒しかし︑事例4に拠れば単に﹁ようす﹂と﹁思ったこと﹂を︑事
例2に拠れば単に﹁したこと﹂と﹁思ったこと﹂を無目的に集
めようとしているに過ぎない︒﹁遠足が楽しかったので︑そのと
きのことを作文に書こうと思いました﹂︵事例1︶と言うのなら
ば︑ ①何が楽しかったか
②どう楽しかったか
③どれがいちばん楽しかったか
④その楽しさはどこから生まれたか
と﹁書く材料﹂集めの観点を設定し︑①ー④の順に︑﹁ようす﹂
と﹁思ったこと﹂を集める︑例えばこういう作業になぜ子どもを
向かわせないか︒
﹁食事を作ったことを︑作文に書くことにしました﹂ ︵事例2︶
と言うのならば︑
①どんな食事を作ったか
②どんな手順で作ったか
③どんな方法で作ったか
④出来上がりはどうであったか
と﹁書く材料﹂集めの観点を設定し︑①〜④の順に︑﹁したこと﹂
と﹁思ったこと﹂を集める︑例えばこういう作業になぜ子どもを
向かわせないか︒
そうしなかったその結果は︑単に﹁書く材料﹂集めがうまくい パどかなかっただけではなく︑肝心の集め方をどうするか︑その方法
が分からないまま子どもは放置されることになるのではないか︒
それでは子どもは︑ ﹁書く材料﹂集めの﹁めんどう・きつい﹂地
獄からいつまでも這い上がれない︒
なぜこういうことになるかといえば︑やはりここにも次のよう
な私たちの陥り易い思い込みがあるから︑といわざるをえない︒
思い込み7 ﹁書く材料﹂・集めには︑五感を働かせて︑5WlH
の観点で︑などという方法が大抵の場合に有効に働く︒
これは︑確かに︑一面︑真理である︒真理ではあるが︑﹁書く対象﹂のどこに︑どの順にこれを適用していくかについての学び
がなければ︑そして︑その﹁どこに︑どの順に﹂の﹁どこ︑どの﹂
の設定には︑﹁書く対象﹂の論理からだけではなく︑﹁書く目的﹂
︵何のために・誰に向けて書くか︶からの検討・吟昧も必要なこ
とが学ばれなければ︑いたずらに子どもは書く意欲を消耗させる
だけである︒ 次に問題視したいのは︑どの事例についても言えることだが︑なぜ﹁書く材料﹂を﹁短く﹂︵事例3︶書かせるのか︑である︒事例4と5にはこの指示はないが︑﹁調べたり﹂︵事例4︶﹁その際︑次の要素を考えておくようにする﹂︵事例5︶その結果は︑メモ程度に書かせるのが多くの作文教室である︒ しかし︑メモ程度にしかない材料をもとにして︑ヒれを文章にするという作業は︑実は︑大変な作業なのである︒ このことを︑事例3に見てみる︒ 網川さんの作文︑初めの部分︸
わたしはコッタさん細川 京子
今日は日曜日︒お母さんは︑もう︑せんたくをしています︒
一そうた︑今日こそお料理を作ってみよう一
いつもお母さんか作っているのを見ていて・わたしもやつ④
てみたいなと︑前から思っていたのです︒
冷そう庫を開けてみると︑たまごがありました︒少し考え
てから︑目玉焼きならてきそうだと思いました︒お母さんに
きいたら.﹁あなたか作ってくれるの︒やってごらん﹂
と言いました︑それで︑わたしは︑目玉焼きとサラダ︑
ストとミルタの朝食を作ることにしました︒
ノユーーユー︑パチバチ︒初めにフライパンに油をぬりま
した︑イまくてきるか︑ちょっと心配でした︒
﹁油かはねるから︑気を付けてね︒たまごは︑一度火を止め
てから落としなさい︒後︑必ずふたをするのよ一
いつの間にか︑お母さんが台所に来ていて︑教えてくれま
した︒わたしは.たまごを一つ一つていねいにわって︑フラ
イパンに落としました︒
①
自己表現としての作文の指導
長崎大学教育学部教科教育学研究報告 第十九号一二
たまこは︑二分くらい焼きます︐その間に︑サラタの材料
をあらった弓︑おさらをならぺたりしました︑二分たったの
で︑火を止めて︑ふたを開けました︒ちょうどよく焼けてい
て︑いいにおいがしました︒わたしは︑目玉焼きを一人分ず
つおさらにのせ︑急いでトースターにパンを入れました︒
今度は.レタスをちぎって大ざらにならべました︒その上
に︑お母さんが切ってくれたトマトときゅうりをもり︑アス
パラガスをねかせました︒冷ぞう庫からミルクを出してテー
ブルに置き︑塩とこしょうをならべたとき︑ ﹁チン﹂とトー
スターが鳴りました︒
﹁さあ︑できた一
﹁お父さん︑朝ご飯よ︒わたしが作ったんだから︒早く早く一
わたしは︑お父さんをよぴに行きました︒
4頁の事例2の取材メモと見比べてみると分かるように︑メモ
をもとに文章化したと見られる箇所は︑筆者による傍線の部分
︵脚注として︑取材メモの記号と一致させて④②の記号を付した︶
の︑わずか二箇所である︒なんとこれだけのためにあの取材メモ
はあったのである︒
では︑傍線以外のこの作品の大部分を占める文章のもととなっ
た﹁書く材料﹂はどこにあったのだろう︒さよう︑取材メモ中に
ないということは︑書き手﹁細川さん﹂の頭の中にあったのだ︒
記述を進めながら﹁細川さん﹂は︑次々に頭の中から取材メモと
いう手続きを経ずに﹁書く材料﹂を紡ぎ出していったのだ︒とい
うことは︑﹁細川さん﹂にとって取材メモはもともと不要だったということである︒﹁細川さん﹂の力からいえば︑この程度の生
活文ならば取材メモなしに書けるのである︒そうだとすれば︑こ ういう子の場合︑作文教室はもっと別の作業を設けるべきなのである︒ ところで︑本稿で問題の対象にしているのは︑﹁書くことがうかばない﹂で﹁めんどう・きつい﹂というあの五六パーセントの子どもである︒﹁細川さん﹂のような子ではない︒取材メモを種に文章を書いていく︑そこができない子をどうするかなのである︒ 少していねいな作文教室は︑そういう子には取材メモの取材メモを作らせる︒﹁細川さん﹂のでいえば︑﹁メニューを決めた﹂という取材メモに︑﹁いつ決めたか﹂﹁決めたきっかけは何か﹂﹁初め決めたのは何で︑次に決めたのは何か﹂などと︑さらに細かで具体的な取材メモをくっつけさせる︒まだ不十分であればさらにくっつけさせる︒こうして十分だとなるまでこれを続けさせる︒ 先に問題視したいと言ったのはこのことである︒そういうことならば︑メモとしてでなく︑なぜ初めから文章として書かせないか︑である︒ ﹁書く材料﹂の材料とは︑事実のことである︒﹁事実とは︑べールをはぐほどに︑驚くほど豊饒は内実を伴った姿を見せてくれるものである﹂と言う︵﹃事実の考え方﹂新潮文庫一九九一年一〇月刊一五四頁︶のは柳田邦男氏だが︑これほどの事実がメモ程度の記述で押さえられると思うところが︑私たちの安易さではないか︒氏はさらに言う︒︵前掲書︑同頁︶ 作品の内容をどこまで高めることができるかは︑取材者が︑次のような条件を 備えているかどうかにかかってくることになる︒ ω現場取材で一般的な雑感を描写するだけでなく︑どんな小さなことでも︑事 件の本質につながるような端緒を︑鋭く嗅ぎ分ける眼を持つこと︵嗅覚︶ 図つかんだ端緒を糸口として︑事件の奥行きについてダイナミックに推察す
る構想力を持つこと︵構想力︶ ⑥執念深く追跡取材を続け疑問点を検証じていくねばり強さを持つこと︵追跡取
材力︶
氏の言う﹁事件﹂を︑ここでは﹁書くこと﹂に置き換えて考え
てみよう︒そうすると︑氏の言う三つの条件が︑そのまま取材者
としての子どもの条件でもあること︑理解されよう︒ してみると︑それほどまでしてとらえられるという事実が︑ど
うして一片のメモ程度に収まりえるか︑どだいメモ程度のものに事実を収めさせようということ自体が無謀であること︑これも︑
また︑理解されよう︒
したがって︑ここでも︑やはり私たちは︑次のような思い込み
に陥っていることを︑率直に認めざるをえないだろう︒
思い込み8 集めた﹁書く材料﹂は︑メモ程度の記録で十分であ
る︒二 書くことを獲得する力を表現力の中核に据える
以上指摘した︑作文教室の四つの問題点と︑指導者としての私
たちの八つの思い込みを︑書き手が書くことを獲得するプロセス
に整理すると次のようになる︒
書
き 手問題点−作文教室に﹁書く素材﹂づくりへの配慮がない
思い込み1 子どもには︑心に残っているものが︑あれかこれ
かと選択できるほどにある︒それも他から言われずとも自覚で
きるほどに︑また︑相当の日数が経過した後でも鮮明に思い出
せるほどに︒
自己表現としての作文の指導
堂 童 圭 量 圭
日 目 日 日 日
く く く く く
︾︺ 材 取材の観点の設定 こ 対象の選択作業 対 素材の選択作業 素
との獲晶 料 と 象 材
の決 の決 の決 の決
得 ︷疋 あ 思 H 思
い の い
︷疋 {疋 る 思 ら 業 思い い れ は い 定
「
思い込み2 心に残っているものは︑即︑書くに値するもので ある︒ 間題点2 作文教室に﹁書く対象﹂の決定についての指 導がない︒ 思い込み3 ﹁書く素材﹂があれば﹁書く素材﹂を決定する作 指導者が手を入れなくとも子ども自身の手で容易に進め思い込み4 ﹁書く対象﹂の決定は︑書く目的がなくても︑あ
書く目的が確かでなくても︑できる︒
問題点3 作文教室は﹁書くこと﹂の決定についての指
導が十分でない︒
思い込み5 ﹁書く対象﹂が決まれば︑それについて何を書く
﹁書くこと﹂は書き手の中にきちんと記憶されている︒しか
必要に応じてすぐ取り出せる形で
思い込み6 書くということは︑書く以前に決定した﹁書く対
象﹂に﹁書くこと﹂を付加していく作業に過ぎない︒﹁書く対象﹂
付加された﹁書くこと﹂によって変質・変容することはない︒
問題点4 作文教室の﹁書く材料﹂集めの方法は適切で
ないQ
思い込み7 ﹁書く材料﹂集めには︑五感を働かせて︑五W一
Hの観点で︑などという方法が大抵の場合有効に働く︒
思い込み8 集めた﹁書く材料﹂は︑メモ程度の記述で十分で
一三
長崎大学教育学部教科教育学研究報告 第十九号一四
﹁書くことが決まったら﹂と教科書が言うところに至るまでに︑
子どもたちはこれだけの作業過程を踏むのである︒しかも︑単に
この過程を辿るのではなく︑指導者の思い込みからくる八つもの
理不尽な要求をクリアして︑である︒
この過程を︑発想することの楽しさ︑構想することの楽しさで
いかに満たすことができるか︑それは一に懸かって私たち指導者が︑書くことの獲得力こそが作文力のもっとも中核をなすという
表現力のとらえ直しに至ったときだと思うのである︒ パど 因に︑筆者は︑表現力を次のようにとらえる︒
まず︑表現力をー・豆・皿の三つに区分する︒次に︑作文の場
合は︑表現力1には︑書くことを︑まずは多量に︑次に多様に︑
そして確かにもつことができる力を置く︒
表現力1には︑表現力1によって得られたと書くことに︑言葉
によって姿・形を与えるのに最低限度必要な﹁言語に関する事項﹂
についての理解と習熟を置く︒
表現力皿には︑表現力Hによっ
て姿・形を与えられた書くことの
真理性や真実性を一層確かに︑豊
かにするために︑また︑伝達・行
為統御・言語調整・個体形成・社会構成・文化創造など︑言語の機
能を一層高めるために︑表現形式
や方法についてのより高度な理解
と習熟を置く︒ 図示すれば︑下図のようにな
る︒
表現力皿
表現力H 表現力1
中核に置いた表現力1は︑従来の作文観に従えば︑取材・構想
力︑あるいは︑想の構築力に︑また︑その外側に置いた表現力H
と皿は構成・記述力︑あるいは︑想の展開力に相当すると見倣されるかもしれない︒が︑表現力1・H・皿の区分は︑従来のそれ
らを単に表現力1・1・皿と言い換えたのではない︒本論考で問
題点1〜4と思い込みー〜8を指摘したということは︑表現力1には︑実は︑取材力も構想力も叙述力も包括されるということで
ある︒この具体については稿を改めて詳述する︒
注
見によれば︑どの学校でなされてもおよそ同様の結果を示す︒一学
校の特異な実態ではない︒
も平成三年度使用教科書に拠る︒
る︒ ○年一一月一日掲載に拠る︒
子どもの遊びの実態は︑次のようである︒︵調査人数三七人︶
一人で遊ぶ⁝⁝⁝⁝ 六人 運動場で遊ぶ⁝⁝⁝一九人 二人で⁝⁝⁝⁝⁝⊥四人 自然学習園で⁝⁝⁝二一人
三︑四人で⁝⁝⁝⁝ 七人 図書室⁝⁝:⁝⁝⁝・ 四人
五人以上で⁝⁝⁝⁝一〇人 教室⁝⁝⁝:⁝⁝・⁝ 二人 − 福岡県大城小学校︑一九八五年の調査に拠る︒この類の調査は管2 事例1・2・4・5は光村図書出版︑事例5は東京書籍︒いずれ3 太田昭臣著﹃生活綴方の探究﹄一九七八年刊民衆社 八一頁に拠4 ﹃﹁山びこ﹂﹁山芋﹂1人間教育の軌跡1ー﹄朝日新聞一九九5 同じく一一月二八日掲載に拠る︒6 注3に同じ︒七四頁に拠る︒7 注3に同じ︒七五頁に拠る︒8 福岡県須恵第一小学校の調査によれば︑二年一組九月期における
・ドッジボールで遊ぶ⁝⁝⁝一〇人
遊具で⁝⁝⁝⁝⁝⁝・・⁝⁝・一二人
本読み⁝⁝⁝⁝⁝⁝9⁝⁝ 六人
その他⁝⁝⁝⁝⁝⁝・⁝⁝ ○人
学級担任は︑まとまった人数で遊ぶのはドッジボールくらいで︑
しかも︑遊ぶメンバーがいつも決まっている︑残りの子たちは︑一
人あるいは二︑三人で図書室で本を読んだり︑自然学習園で遊んだ
りしている︒本題材︵﹁遊びオリンピックー遊び方せつめいしょ
を書こう1作文︶への取り組みをとおして︑遊びを広げ︑学級︑集団の輪を作っていきたい︑と言う︒
9 国語教室が育てる学力を次図のようにとらえ︑図のいちばん外側
に︑言語の機能として﹁伝達﹂﹁行為統御﹂﹁個体形成﹂﹁言語調整﹂
﹁社会構成﹂﹁文化創造﹂の六つを置いた︒
個体形成 文化創造
行為統,御
一
r冒一■一一
く
一・ 釈的言語活動噂一一
f甲噌,需,一一一冒 一囎一甲 。甲卿1
: :
一
『iむ :
伝 導 言 語 活 動文字言語活動言語による往復活動
・こと→i一冒葉 言葉ー言葉
送り手→ーφ受け手
r崩−:: ・:﹂
音声言語活動
言語機能力 話す
囲動i 5』。曹甲甲一甲響・,r甲囎, ・辱,g」
、iく 1
8
し……… 現的言語活動 一 一 r 一 一 曹
社会構成
言語調整
過程像志向教育の国語教室が培う学力構造図
図1
拙稿﹃教材から媒材へ ︵方法1︶ー説明文教材の選択の場合1﹄
︵﹃国語の教育﹄第十六号長崎大学国語国文学会誌一九九一年刊︶に
拠る︒10
事例1には︑次の児童作品が掲載される︒ ﹁遠足が楽しかったの
で︑そのときのことを作文に書こう﹂としたにもかかわらず︑いか
に﹁楽しかった﹂ことが書かれていないか︑確かめてみられたい︒
筆者は︑﹁楽しかった﹂ことを表現している文は五文に過ぎないと
見る︒
木原さんの作文︵山登りのところ︶
登り始めは木のかげだったので︑少しすずしいくらいでし
た︒でも︑かんのん山の道は思ったよりもけわしくて︑登る
のがたいへんでした︒石の階だんは︑みどり色のこけがはり
ついて︑つるつるとすべりやすいのです︒それに︑石の角が
かけている所もあるので︑つまずきそうになってしまいます︒
﹁わあ︑がけからおちそうになっちゃっき
﹁階だんを一だんふみ外すところだったよ一
などと︑わたしたちは︑大さわぎをしながら登りました︒
階だんは︑ジグザグになってつづいています︒四十だんぐ
らい登っても︑また次々に階だんが見えてきました︒
みんな︑はしめはとてもはり切って︑
﹁かるく登つてやる一
とか︑
﹁ローブウエーより︑歩くほうがいいよ一
などと言っていました︒でも︑とちゅうまで登ると︑つかれ
てきて︑あまり話をしなくなってしまいました︒
百五+だんもある階だんを登りきると.こんどは︑草の中
の曲がりくねった細い坂道です︒みんなは︑もうだまりこ
くって︑ひたいからながれるあせをふきふき登りました︒ぼ
うしの中もせなかも︑あせでぴっしょりです︒
やっと︑ちょう上の少し下まで来ました︒青い海が︑少し
自己表現としての作文の指導一五
長崎大学教育学部教科教育学研究報告 第十九号一六
ずつ見え始めました︒みんなの足は︑きゅうにはやくなっ
てきました︒
﹁ヤッホー一
﹁ワーオー一
などとさけぷ声が︑にぎやかになりました︒
わたしは.苦しかったけれど︑ちょう上まで少いてきてよ
かったなと思いました︒みどりのしぜんの中を歩くのは気も
ちがいいし︑自分の足でこんな高い所まで来られたからです︒
見晴らしがよくて︑海岸線がきれいに見えました︒わたし
は︐大きく空気をすいこみました︒山の空気はさわやかです︒
あせが.すうっと引っこんでしまいました︒
事例2では︑﹁食事を作ったことを︑作文に書く﹂と言いながら︑
﹁作文メモ﹂とした四枚のカードのうち︑①を除いた②③④は﹁作
る以前または作った結果﹂のことをメモしてしまった︒﹁作った﹂
こと自体のカードが必要なのにである︒
H 筆者の表現力の構想については︑﹃最新中学校国語科指導法講座
3作文・書写の指導﹄︵共著・明治図書一九八三年刊︶ 一〇七〜一
一五頁参照されたい︒