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四、経営政策論の内容

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(1)

フィッシャーの経営政策論(下)

菅家正瑞

一、序

二、フィッシャー経営経済学の特質

三、経営管理論の展開………以上前号 四、経営政策論の内容………以下本号 五、フィッシャーの所論の検討

六、結

四、経営政策論の内容

さて,フィッシャーによれば,経営管理の職分をなすものは,前述した

「経営的人間指導」と並んで, 「経営政策」である。それでは,彼において は,経営政策とはいかなる概念として理解されているのであろうか。ザン

1)

ディッヒは、経営経済政策を「経営管理の目標設定と意思決定」として把握 しているが,フィッシャーにおいても,基本的には同様の捉え方である。す なわち,彼によれば,経営政策ないし経営経済政策とは,経営管理全体の

「精神的基本態度」 (die geistige Grundhaltung)と,それを実現するためのさま ざまな「方策」(die Ma息nahmen)を総括する概念をなすのである。それはまた,

「経営管理の目標設定と方策J2)でもあるのである。ところで,経営政策につ いて論ぜられる場合,実践や文献において,それが, 「計画」 (Planung)もし

くは執行の「技術」 (Technik)と同一視されたり混同されたりするが,これは 誤りである。なぜならば,計画とは,選択された経営政策の判蔵と執行の 手段であり,経営組織の一形態をなすものであるからである。それに対して, 経営政策とは,その本質において,経営組織に,それ故,計画に先行するも のである。また,執行の技術と経営政策が混同される場合がある。例えば,

3)

減価償却政策が論ぜられる時,減価償却法のさまざまな技術が経営政策とし

(2)

8 8   経 営 と 続 出

て理解される。しかし,減価償却政策とは,経営管理によって選択された評 価政策に基づいて,さまざまな減価償却技術からの意識的選択をさすのであ る。選択された技術ではなくて,選択をもたらすものが問題なのである。執 行の技術とそれに先行する経営政策的熟慮とは,明確に区別されなければ、な

らないのである

4)

さて,上述のように理解される経営政策の前提をなすのが持っている「理 念 J ( I d e e ) である。この理念は,経営管理の村 j 神的基本態度から生ずるもので あり,したがうて,経営政策は常に経営信:理にとって重要な粕神的態度の流 出として理解される。経営政策のこの理念は,指導像であり,目ざされる目 標の観念であり,それ故,それに,経営政策の「長期目標 J ( F e r n z i e l e ) が結合 されなければならない。したがって,経営政策の理念あるいは粘神的基本態 度の範囲の中において,達成の努力に値する長期目標が形成されるのぞあ る。精神的基本態度や理念は,この長期目標への途上で継続的に存在する管 理理忽,あるいは基本原則を意味するのである。経営政策には,このような 長期目標のみならず,長期目標を達成するために設定される一連の「短期目 標 J ( N a h z i e l e ) もが含まれる。これらの短期目標は,時間の経過の中で ) 1 1 t ! 次 的に達成されていき,最終的には長期目標の達成に結びつかなければならな い。長期目標に対してとは異なり,知 m J 目標に対しては達成への意思は早く から目ざめており,経営政策は蝉力性を得て,生き生きとしたものになる。

経営政策の短期目標には,さらに,別の種類の知期目標が含まれる。 これ は,経営経過の中で現われる妨害を除去するために必要な,経営政策の戦術 的方策から生ずる「処置的短期目標

J

( i m p r o v i s i e r t e   N  a h z i e l e ) である。経営政 策によって彩響される対抗者(例えば従業員,市場構成者)が,その経営政 策に対して対抗方策を構ずる場合,その対抗方策に対して処置する必要から 生ずる知期目標がそれである。しかし,いずれの場合の短期目標であれ,そ れらは,常に,最

5 ) れ' その達成が努力されなければならないことはいうまでで、もないでで、あろつ。

以上のような,経営政策に関するフィッシャーの見解を,われわれは次の図

のように示すことができるであろう。

(3)

精 神 的 基 本 態 度

長 期 目 標

. 告 ¥ [ 羽 目 標

一戸¥ど ¥ / 

処 置 的 目 標

経 営 政 策 の 概 念

さて,以上のように,フィッシャーにおいては,経営政策とは「経営管理 全体の精神的基本態度とそれを実現するためのさまさーまな方策 ) 1 として把握

されるのであるが,それでは[""経営政策論」は「経営経済学」においてどの

ように位置づけられるのであろうか。彼によれば,経営政策論は一般経営経

済学の体系の一部をなすものであり,経営経済理論と結合して一般経営経済

学を形成するものとして捉えられている。 国 民 経 済 学 で は , 国 民 経 済 理

論(一般国民経済学)と国民経済政策(特殊国民経済学)とが区分されてい

るのであるが,フィッシャーによれば,経営経済学ではそのような区分は不

可能で、あるという。なぜならば,経営経済学の目標設定は制度としての

経営」の職分領域を研究するだけではなしその職分の経済的遂行の研究で

あり,また,経営経済学には既に一般経営経済学から区分される,業問別あ

るいは機能別に分知される特殊経営経済学が存在し,そこに追加的に新しい

特殊経営経済学として「経営政策論」を加えることは不可能で、あるからで

る。むしろ,フィッシャーによれば,経営政策に関する認識を経営経済学の

(4)

9 0   経 営 と 経 済

相応する部分領域に組み込むことによって,一般経営経済学が経営政策論に よって補完されるべきことが主張される。一般経営経済学では,経営の本質 と職分が明らかにされ,経営現象の基本的な原因と結果が示される。経営政 策論は

i

経営管理は個々の動機においていかに行動しなければならないか,

経営経済的関連の認識からいかなる可能性がその時々に意のままになるか ) 1

を研究することによって,それは一般経営経済学を補完するのである。とこ ろで,経営政策論もまた一般経営経済学の認識を必要とする。なぜならば,

経営管理がその経営政策を遂行する場合,経営機能とその作用に関する基本 的事実から出発しなければならず,それは一般経営経済学によって媒介され るからである。その時に,一般経営経済学の正確な基本認識に基づいて,経 営政策のさまざまな可能性と方法が発見され応用されうるのである。それ故,

経営政策論が一般経営経済学の中の相応する部分領域に組み入れられるなら ば,さまざまな基本事実とその作用可能性をまず説明しなければならないと いう説明前提が,おのずから生ずることになるのである

8)

以上のように,

フィッシャーにおいては,経営経済理論と経営政策論とは密接に関連しあっ て,共に一般経営経済学を構成することとなるのである。

経営経済理論と経営政策論との密接不可分性は,経営政策に不可欠の精神

的基本態度に関しても示すことができる。経営政策では,精神的基本態度な

いし精神的基本原則が存在しなければ,経営政策の遂行は不可能で、ある。な

ぜ な ら ば , 経 営 政 策 は さ ま ざ ま な 可 能 な 方 策 を 評 価 し 選 択 し な け れ ば な

らないのであるが,精神的基本態度こそがその評価と選択に対する指導動機

をなすからで、ある?ところで,フィッシャー ‑ t こよれば, この精神的基本態度

を認識し把握することがまさに経営経済理論の職分をなすのである。 した

がって,経営経済理論がなくては,経営政策の出発点である精神的基本態度

と最終目標の整合が失なわれてしまつのである。それと同時に,経営政策は

経営経済理論にとっても必要不可欠なものである。なぜならば,経営経済理

論の認識は経営政策によってその実践応用可能性が検査されるのであり,経

営政策がなければそれは極めて簡単に非現実的なものになってしまうからで

ある

10)

さきに,われわれは,フィッシャーの経営経済学における強い実践志

(5)

向性を指摘したのであるが,その強い実践志向性が理論と結ぴついた経営政 策論を展開せしめていることを確認することができょう。経営政策論はいわ ば,理論の実践への架橋をなすものとして捉えられているのである。そし て,経営経済理論と経営政策論とは一体となって,実践科学としての経営経 済学を形成することとなるのである。しかし,フィッシャーの実践志向性は,

実践科学としての経営経済学の展開に終わるのではなかった。その強い実践 志向性は,経営経済学を規範科学として構築するという主張にまで及ぶことは 既に指摘していた。ここで注意しなければならないことは,規範科学として の経営経済学の展開が,経営政策論の展開と結びつけて主張されていること である。すなわち,フィッシャーは次のようにのべている。「経営経済学は,

接続する経営経済政策との関連を示そうとしないならば,この状態で(実践 科学の状態で一一一引用者)十分で、あることができる。それに対して, これが 努力されるやいなや,経営経済学はさらに規範科学へと構築されなければな らない 日)フィ、ソシャーにおいては,経営経済学は実践の形成を指導するも のであらねばならず,それ故,実践の形成をみずからの課題とする経営管理

と経営政策の分析が必然的にその経営経済学の体系に組み入れられることと

なり,経営政策を論ずる時には,経営経済学は規範科学にならざるをえない

と解されているのである。それは 7 '1ッシャーにおいては,経営の経済実

践の形成に関しては,経営経済学は経験科学たる実践科学でありうるのであ

るが,経営の社会実践の形成に関しては,規範論的方法による「新しい社会的

経済倫理」を設定することによる外はないと解されているからである。経営の経

済実践のみならず,その社会実践の形成にもかかわる経営政策を問題にする場

合,経営経済学は規範科学へと拡大されざるをえないとするのがフイソシャ

ーであると解されるのである。経営政策における倫理的規範の必要性と,規

範科学としての経営経済学の必要性は,次のフイヅシャーの文章で明らかで

あろう。「あらゆる可能な経営政策的方策が,法律的限界や経済・社会倫理

的要請を考慮することなしに遂行されてしまうならば,あらゆるものに対す

るあらゆるものの闘争を意味するであろう経済的ジャングル状態に極めて急

速になってしまい,その場合には,消費者や生産者としての人間に対して営

(6)

9 2   経 営 と 経 済

む経済の奉仕的目的が同時に完全に忘れられてしまうであろう。経営政策の そのようなジャングル的行動は,権力政策的自己目的にすぎないであろう。

したがって,経営経済学は,その理論的基礎づけにおいて,規範科学として 承認され,広く展開されることが重要で、ある 2 )

ところで,フィッシャーにおいては,経営は人聞社会の固有の「有機体」

として把握されているから,経営経済学は,経営における関連を,経済実践 の領域でも,社会実践の領域でも[""生理学的に J ( p h y s i o l o g i s c h ) かっ「形態 学的に J ( m o r p h o l o g i s c h ) 観察しなければならない。そこで,経営経済学には,

次の二つの新しい職分が現われることになる。生理学的形態学的「経営研 究 J ( B e t r i e b s e r f o r s c h u n g ) と生理学的形態学的「経営形成 J ( B e t r i e b s g e s t a l t u n g )   がそれである。生理学的形態学的経営研究は,経営の生理学的形態学的事実

を確定し,その時々の個々の経営と市場の経験事実から,一般的に妥当す る基本認識を導出しなければならない。一方,生理学的形態学的経営形成は,

確定された事実から必要な成果を取り出し,個々の関連に適応する対抗方策 を,すなわち,経営政策的方策を発見し,遂行しなければならない 1 3 )前者の課 題を果たすのが経営経済理論であり,後者の課題を果たすのが経営政策論で あることはいうまでもないであろう。こうして,フィッシャーの経営経済学 の特質である強い実践志向性は,その中に経営政策論を不可欠の要素として 組み込むことによって[""経営管理に対する処理可能出い eD i s p o s i t i o n s r 向 ・ l i c h k e i t e n  f u r  d i e   B e t r i e b s f u h r u n g ) を提示することにまで及ぶのである。

フィッシャーの規範論的経営経済学の基礎には,彼の強い実践志向性と人

間志向性が横たわっていることは既に指摘したとつりであるが,それらの基

本的態度はその経営政策論においても把握することができる。それらは,何

よりもまず,経営政策の出発点である経営管理の精神的基本態度を論ずる│努

に現われている。経営管理の精神的基本態度は,経営経済理論によって認識

されるのであるが,その理論が資本のみに志向する「物関連的 J ( s a c h b e z o g e n )  

な[""物質主義的 J ( m a t e r i a l i s t i s c h ) なものであるならば,そのような基本態度

から出発する経営政策は,収益性と利潤努力のみに志向し,効用性と合目的

々性の見地のみに立つ,単なる「物関連的経営政策 J ( e i n e   s a c h b e z o g e n e  B e t ‑

(7)

r i e b s p o l i t i k ) であるにすぎない。経営の経済実践における経営政策がこれであ ると解することができるであろう。しかしながら経営の要素を構成するもの は資本のみならず,労働も不可欠の要素をなすのであって, したがって,人 聞が理論的考察において忘れられではならないのである。人間に志向する規 範 論 的 経 営 経 済 理 論 に お い て は , 経 営 管 理 の 「 人 間 関 連 的 ( 社 会 的 ) J  ( m e n s c h e n b e z o g e n  ( s o z i a l )   )基本態度が経営政策にとって重要で、あることが指 摘されることとなる。なぜならば,経営政策は,常に「同僚」としての人間 に向かうからである。そこで 1 経営政策においても「人間関連的見地」が経 営 管 理 に よ っ て と ら れ な け れ ば な ら ず , そ の 場 合 に は

I

社会的公正」

( d i e   s o z i a l e  G e r e c h t i g k e i t ) と「社会的共同体 J ( d i e   s o z i a l e  G e m e i n s c h a f t ) という 原員I J が経営政策の領域にも現われ,精神的基本態度自体を決定し,経営政策 的方策の選択と利用の場合に注意されなければならないのである 1 5 ) これはま た,経営の社会実践における経営政策であるということができるであろう。

しかしここで注意しなければならないのは,フィッシャーにおいては,社会 実践における精神的基本態度は,規範論的方法によって導き出されてきたもの であり, それが経営の実践において内在的な基本法則であるか否かは確認 しえないということである。彼自身のもつ信念的な人間性重視の態度が,経 営政策における人間関連的見地の重視といっ形で現われているのである。

フィッシャーの所論における人間志向性あるいは規範性は,経営政策とそ れを実行する人間との関連の分析においても現われている。経営政策は,そ れを実行する人間の「能力 J ( d i e   F a h i g k e i t e n ) に依存している。経営政策を成 功させるのは,将来の必要性に対する鋭敏な感覚である。したがって,経営 政策は,その基本的要素について説明したり教えたりはできるが,その熟達 は生活経験と能力から生まれるのである。このょっに,経営政策は,人間の

「人格価値 J ( P e r s δ n l i c h k e i  t w e r t )   あるいは「人格 J ( P e r s δ n l i c h k e i t )   .に密接に

結びついているのである。「経営政策は人間に帰る 1 6 ) のて。ある。しかもこの

人間は,特定の認識をもっ専門家や経済的要因とじてのみ見なされてはなら

ず,その特徴的な特性でもって経営政策に彩響を及ぽす人格としても見なさ

れなければならないのである。それ故,経営政策においても,それは,経営

(8)

94  経 営 と 経 i 斉

‑社会心理学の認識をもって行なわれなければならないのである。さらに,

このような人聞が経営政策の指導に対する責任をもっとき,経営政策は経済 的なあるいは物的な側面からのみ判断されてはならないこととなる。なぜな らば,人聞の行為に関して決定的なのは,成果のみではないからである。さ らに,共同体に対する必要な態度が重要なのである。経営政策は,個々の企 業者や経営の効用性努力によってのみ測定されるのではなく,常に,同時に,

人間的社会への全体作用によって i f l l J 定されなければならないとするのが,フ ィソシャーの基本的態度をなすのである 1 7)このような彼の主張の中に,われ われは,彼の強い人間志向性と,それから生じてくる規範性とを把握するこ とが「できるであろう。

人聞の行為にはその限界が存在するように,経営政策に対しても限界が設 定される。フィッシャーによれば,経営政策における限界とは

I

経済・.社 会倫理の原則 J ( d i e   G r u n d s a t z e n  d e r  W i r t s c h a f t s ‑ u n d  S o z i a l e t h i k ) と「国家的立 法 J ( d i e   s t a a t l i c h e  G e s e t z g e b u n g ) である。経済・社会倫理は,人聞の行為にお ける善と悪とを測定し,それは結局

I

社会的公正 J ( d i e   s o z i a l e  G e r e c h t i g k e i t )  

と「社会的愛 J ( d i e   s o z i a l e   L i e b e ) というこつの社会原則に根ざしているもの なのである。国家的立法は,人間のあらゆる行為を承認された綻に限定する ものである。経営政策の限界の問題は,その「責任 J ( V e r a n t w o r t u n g ) の問題 をなす。経営政策の実行にあたっては,社会,国家,経営あるいは人間に対 する多くの責任が確認される。しかし,経営政策の責任は,結局,人間に対 して成立するものとしてフィッシャーは捉えている。それ故,人間に対する 責任を考慮、しない,単なる物関連的にすぎない経営政策では,経営にとって は十分で、ないことになる。なぜならば,経営の存立は,社会によるその承認

1 8 )  

に結局は依存しているからである。彼においては,人間に対する配慮を無視 しては,経営は社会的にその存在が許されえないものとして捉えられている のであり,その人間志向性がこのよつな人間無視による経営の存立への危機 感に裏づけられているものであると解することができるであろう。

注(1) V  g   , . l S a n d i g ,  c . ,   B e t r i e b s w I J ぉ c h a j t s t o l i t i . , ん 2 .Au 日 . , S t u t t g a r t   1 9 6 6 ,  S .   1 .  

( 2 )   Vg   , . l F i s c h e r ,  G . ,  B e t r i e b s p o l i t i k   und B e t r i e b s f u h r u n g ,  S .   1 4 8 .  

(9)

( 3 )   V  g   , . l F i s c h e r ,  G . ,  a .   a .   0 . ,  S .   1 4 8 ,  P o l i t i k  d e r  B e t r i e b ミ ( u h r u n g , S .  7 ,  S S .  10‑11 , 

s s .   25‑29. 

( 4 )   Vg   , . l F i s c h e r ,  G . ,  B e t r i e b s p o l i t i k  und B e t r i e b s f u h r u n g ,  S .   1 5 0 ,  P o l i t i k  d e r  B e ‑ t r i e b 祈 ' i h r u n g ,S .   1 3 , S .   2 5 .  

( 5 )   Vg   , . l F i s c h e r , G . ,  B e t r i e b s p o l i t i k   und B e t r i e b s f u h r u n g ,  SS.148‑150 ,  P o l i t i k  d e r   B e t r i e b s / u h r u n g ,  S S .   11‑12 ,  S S .   1 9  ‑2 3 .  

( 6 )   F i s c h e r ,  G . ,  B e t r i e b s p o l i t i k  und Unternehmungsfuhrung ,  S .   1 9 9 . フィッシャーの前 掲論文 " B e t r i e b s p o l i t i kund B e t r i e b s f u h r u n g の第2 部・第 3 部の論題は,上のように

" B e t r i e b s p o l i t i k  und U n t e r n e h m u n g s f u h r u n g ' に変更されており,更にその第 4 部の 論題 i ' " B e t r i e b s f u h r u n g  und U n t e r n e h m u n g s f u h r u n g となっている。

( 7 )   F i s c h e r ,  G . ,  a .   a .   0 . ,  S .   2 0 0 .  

( 8 )   Vg   , . l F i s c h e r ,  G . ,  a .   a .   0 . ,  SS.199‑20 1 .   ( 9 )   Vg   , . l F i s c h e r ,  G . ,  a .   a .   0 . ,  S .   2 0 2 .   (

1 0 )   V  g   , . l F i s c h e r ,  G . ,  a .   a .   0 . ,  S .   2 0 4 .   ( 1 1 )   F i s c h e r ,  G . ,  a .   a .   0 . ,  S .   2 0 5 .   (

1 2 )   F i s c h e r ,  G . ,  a .   a .   0 . ,  S .   2 0 5 .   (

1 3 )   V  g   , . l F i s c h e r ,  G . ,  a .   a .   0 . ,  S .   2 0 7 .   (

1 4 )   F i s c h e r ,  G . ,  a .   a .   0 . ,  S .   2 0 7 .   (

1   V  5 ) g   , . l F i s c h e r ,  G . ,  B e t r i e b s p o l i t i k  und B e t r i e b s f u h r u n g ,  S .   2 0 6 ,  B e t r i e b s p o l i t i k   und U  n t e r n e h m u n g s f u h r u n g ,  S S .  3 0 4  ‑3 0 5 ,  P o l i t i k  d e r  B e t r i e b ポ i h r u n g , S S .  9  ‑1 0 .   (

1   F 6 ) i s c h e r ,  G . ,  B e t r i e b s p o l i t i k  und B e t r i e b s f u h r u n g ,  S .   1 5 4 .   (

1 7 )   Vg   , . l F i s c h e r ,  G . ,  a .   a .   0 . ,  S .   1 5 4 ,  B e t r i e b s p o l i t i k  und Unternehmungsfuhrung ,  S .  3 0 6 , 

Politl~ん der

B e t r i e b s / t i h r u n g ,  S S .   15‑17. 

(

1 )   V  8 g   , . l F i s c h e r ,  G . ,  B e t r i e b s p o l i t i k  und B e t r i e b s f u h r u n g ,  S S .  151‑152 ,  P o l i t i k  d e r   B e t r i e b s f i l l z r z m g ,  S S .  13‑14. 

五、フイッシャーの所論の検討

以 上 の よ う に , わ れ わ れ は , フ ィ ッ シ 十 ー の 所 論 を , そ の 経 営 経 済 学 , 経 営 管 理 論 , そ し て 経 営 政 策 論 の 主 張 に そ っ て 見 て き た の で あ る が , そ こ に は

‑YI して,彼の経営経済学において把握することができた特質,すなわち,

(10)

96  経 営 と 経 i 舟

「実践志向性

j. I

人間志向性」そして「規範性」という特質が流れているこ とが理解されうるであろっ。しかもこれらの三つの特質は,相互に密接に関 連しあって,フィッシャーの経営経済学の体系を形成していると解することが できるのである。ここではもっぱら,彼の経営政策論に焦点をしぼりつつ,

彼の学説の特質と関連せしめながら,その所論を検討することとする。

まず第 1 に,彼の所論の特質は,その強い実践志向性に見い出すことがで きょう。その実践志向性が,彼の経営経済学をして,単なる因果論的方法に よる経営経済理論の領域を越えて, 目的論的方法をも取り入れた経営経済学 の展開の主張として現われ,更にまた,経営管理論的経営経済学の展開とし て現われていると解することができるのである。しかもそれのみではない。彼 の実践志向性は,経営政策論の展開でもってはじめて完成するということが できるであろう。なぜならば,経営の実践を形成するという,実践志向の直 接的課題を担うのが経営管理における経営政策であり,生理学的形態学的経 営形成という実践的課題をもつのが経営政策論であると解されるからである。

経営政策論は,実践志向的なフィッシャーの経営経済学における不可欠の要 素をなすのである。経営経済政策論の体系的叙述をはじめて試みたザンデイツ

ヒは,経営経済政策論が同じく実践志向的な課題をもって,政策の実践に役 立つべきことを強調したが,経営経済政策を管理意思決定に関する理論とし て展開することに止まり,実践に対して行動規則や行動規範を設定すること は否定した1)フィソシャーの立場は,ザンデイソヒのこのような立場をさら に越えるものであり,経営政策論でもって,経営管理に処理可能性を与えよ うとするものである。すなわち,ザンディッヒにおいては,管理意思決定に 関する因果論的研究でもって経営経済政策論とされるのであるが,フィッシ ャーにおいては,それのみならず, 目的論的方法による最良の行動方法を示 すことにまで、経営政策論の課題が及 v~~~ のである。

ところで,フィッシャーによれば,経営政策とは

I

経 営 管 理 全 体 の 精 神

的基本態度とその実現のためのさまざまな方策

j.

あるいは

I

経営管理の目

標設定と方策

j.

あるいは

I

経営管理の自iJ意意思決定」として把握されてい

る。これは,ザンデイッヒが経営経済政策として把握する「管理意思決定」

(11)

に相当するものと理解して大過ないであろう。,いずれも, 経営管理のい わゆる「原則・創意意思決定」をもって,経営経済政策として理解している のである。両者の相違は,結局,経営(経済)政策論の課題と方法に求めら れることとなるのである。同じく実践志向性を有しながら,ザンディッヒに おいては,管理意思決定に関する因果論的認識でもって経営経済政策論の課 題とされ,フィッシャーにおいては,実践に対してその形成を指導するための方 策を示す課題をもって,目的論的方法が経営政策論において不可欠のものと

して現われてくるのである。

経営経済学を展開する際のフィッシャーの基本的立場は,それが,経営活 動の実態に即した理論でなければならないということであった。われわれは,

そこに,経営がその「経営的必要性」にもとづいて,みずからの活動を形成 していく姿に即した経営経済学が,換言すれば,経営における「内在的規範」

に指導されて展開される経営活動に即した経営経済学が意図されているもの として捉え,その基本的態度を高く評価するものである。このような彼の態 度は,その強い実践志向性に根ざすものと考えられる。すなわち,彼におい ては,経営経済学は,経営に最大の給付能力と最高の経済性を発見する方法 を示し,経営を最良に形成するという課題をもつものとして捉えられている のである。それ故,経営経済学の理論は,実践から出発し,再ぴ実践に帰る という,理論の実践への応用可能性が重視されることとなるのである。そし て,理論の実践への応用可能性という課題を担うものとして,経営政策論が その経営経済学の体系の中に位置づけられることとなるのである。経営経済 学に課せられた実践的課題は,経営政策論でもってはじめて完成するのであ る。経営経済の理論において,経営における基本原則,そこに内在する指導 原理,基本的因果関係を認識し,その得られた基本認識に基づいて,経営を 最良に形成すべき経営政策的方策を実践に示すのが経営政策論の課題をなす

ものと解することができるのである。

フィッシャーの実践志向性は,経営経済学の研究対象たる経営を具体的・

全体的に捉え,それに基づいて経営経済学を展開し,経営活動の具体的・全

体的な指導原理を実践に示そっとする態度にも現われている。すなわち,彼

(12)

9 8   経 営 と 経 済

は,経営を経済的側面からのみ捉えて一面的・抽象的にのみ把握するのでは なしさらに経営を人聞の「作業場所」をなすものとして,具体的・全体的 に捉え,経営実践を,経済的職分の達成に配慮する経営の「経済実践」と,

社会的職分の達成に配慮する経営の「社会実践」との両者から成るものとし,

その二つの経営の「実践」に対して,最良の形成の為の方策を示そうとして いるのである。そこには,従来の経営経済学において一般的で、あったように,

経営を経済的側面からのみ部分的・一面的に分析する抽象論を排して,経営 の具体的・全体的な経営実践に対して指導原理を示しうるためには,経営を 全体的・具体的に捉える具体論でもってしなければならないとフィッシャー自 身が考えてい石ものと,われわれは解しうるであろう。われわれは,このよ うなフィッシャーの態度を高く評価するものである。具体的・全体的な経営 に内在する原理こそが,真の実践的指導原理となりつるものと解されるから である。

それ故,経営の経済実践においても,社会実践においても,その最良の形 成という課題を果たすためには,まずそれらの実践に経験的に存在する基本 原則を認識し,それに基づいて最良の形成のための方策を示すという努力が なされるべきであろう。経営の経済実践に関しては,フィッシャーはまさにこ の立場に立つものである。しかし,経営の社会実践に関しては,彼はこのよ うな立場を放棄し,規範論的立場に立ってしまう。すなわち,経験的に確認 しない「新しい社会的経済倫理」という倫理的規範を設定することによって,

それを社会実践における行動原則とし,それに基づいて社会実践を最良に形

成しようとするのである。経営の経済実践の形成に関する経営政策論は,経

験科学たる実践科学をなすのであるが,経営の社会実践の形成に関する経営

政策論は,もはや経験科学の領域を越えて,規範科学へと転化してしまうの

である。しかし,経営の実践を最良に形成することを目ざすさまざまな経営

政策的方策は,経営の実践に経験的に内在する,経営形成の原理あるいは法

則に基づいてはじめて示されうるであろう。実践から遊離した,経営にとっ

て超越的な外在的規範から形成される経営政策的方策は,決して実践的では

ありえないであろう。社会実践に関しても,その実践の最良の形成を志向す

(13)

る限りは,経済実践に関する場合と等しし社会実践において経験的に確認 されうる内在的な基本原則ないしは原理こそが,内在的規範としてその指導 原理となりうるのである。規範論的方法によって導出された,社会実践にお ける「倫理的規範」や,社会実践の志向すべきものとして設定される「経営 共同体」が,経験科学たる実践科学の領域内で,経営において経験的に内在 する規範として確認されなければならないのである。実践の形成というフイツ シャーの強い実践志向性を実現しうるためには,彼の主張とは逆に,かえっ て規範論の立場を放棄し,経験科学の領域に踏み止まらなければならないの である。その時にのみ,その経営政策論は実践の最良の形成という,実践的 課題を有効に果たしつるものになるであろう。

しかし,その場合,経営実践の内容をなす経済実践と社会実践との関連性 が,フィッシャーにおいては必ずしも明確で、はないことが注意されなければ ならない。彼によれば,経営はその給付の経済的生産という経済的職分を有 し,この経営の経済的側面が経営の経済実践をなすのである。他方,経営は この経済的職分の達成のために労働する人々が集まった作業場所をなすので あり,この作業場所といっ経営の特質から,経営には社会的職分が現われ,

それに配慮、するのが社会実践をなすのである。これらの経営の経済実践と社 会実践,ならびに経済的職分と社会的職分との関連に関して,フィッシャー の主張は必ずしも明確で、はないのである。すなわち,一方で、は,経済的職分 の領域内で,経営は社会的職分をもっとして

2)

経済実践の中に社会実践もが 含まれるかのようにのべているのであるが,他方では,経営は経消的職分と ならんで社会的職分を達成しなければならないとして

3)

経済的職分と社会的 職分とが,共に別個に経営の達成すべき目的として捉えられているのである。

しかしながら作業場所としての経営の特質は,経営的給付の経済的生産と

いう経済的職分から現われてきたことが忘れられではならないであろう。経

済的職分の達成のためには,作業場所という経営の特質に対応する社会的職

分の配慮なしには行ないえないからである。経済的職分から遊離した社会的

職分の独自の追求は,経営の社会的存在の立義の合理性を失なわせしめるで

あろう。両者の関連性が明確にされた上てコその経営政策論が展開されなけ

(14)

1 0 0   経 営 と 経 i J 守

ればならないのである。

フィッシャーの所論の第 2 の大きな特質は,その所論における強い人間志 向性に見い出すことができる。それは,具体的には,経営管理における「人 間指導」の提唱,あるいは,経営政策における「人間関連的経営政策」の必 要性,経営政策と「人格」との関連性の重視,そして最終的には,社会実践 における経営政策による「経営共同体」の形成という形で現われているので ある。その人間志向性は,なによりもまず,経営を単なる経済的単位として のみならず,労働する人々の「作業場所」として具体的に捉え,経営の具体 的な存在構造に裏づけられていることが注意されなければならない。経営に おける人間は,単に経営的給付生産における経済的要素、すなわち「労働力」

として捉えられているだけではなし「作業場所」において労働し,生活す る生き生きとしたたましいを持つ人間としても捉えられているのである。経 営における人間が,単なる「労働力」としてのみならず,生活する人間,す なわち「労働力の所有者」としても把握されるならば

i

労働力の所有者」

としての人間に対する,さまざまな経営政策的方策が構ぜられる必要性が生 ずることとなる。それが, フィッシャーにおいては

i

人間指導」や「経 営政策」において,労働する人聞の「人間性」ないしは「人格」を重視し,

最終的には「経営共同体」の形成を提唱するという形で現われているのであ

る。しかしながら,フィッシャーの人間志向性,経営における人間に人間性

を実現するという努力は,それが作業場所としての経営という具体的な経営

の存在構造から出発しているにもかかわらず,社会実践における経営政策の

精神的基本態度,あるいはそこに設定された指導原理としての「倫理的規

範 J ,あるいはまたその最終目標としての「経営共同体」が,経営の実践か

ら経験的に確認された内在的な基本法則として把握されたものではなく,規

範論的方法によって設定されたものであることが注意されなければならない

であろう

o

すなわち,それらは,経営が自ら主体的に設定した,経営的必要

性に基づくものであるとは決して確認しえないのである。人間性重視,人

間性尊重が,経営における内在的規範としてではなく,フィッシャーの個人

的な信念的な規範として,経営の達成すべきものとして設定されているのであ

(15)

る。経営における人聞の人間性を実現するという必要性は,フィッシャー自 身の必要性としてではなし経営自身の主体的な必要性として把握されなけ ればならないのである。それは,経営における統一的な指導原理に指導され たものであり,決してそれ独自の道を歩む人間性志向ではありえないであろ う。個人的・信念的な外在的規範としての人間性の重視が,経営の実践に経 験的に確認しうる,実践的・内在的規範として把握されるならば,それは,

経営の実践を真に形成しうる指導原理となりうるであろう。

フィッシャーの所論における最大の問題点は,結局,彼自身が積極的に展 開している規範論的特質に求めざるをえないであろっ。その規範論的展開は,

彼のもつ強力な実践志向性に由来するものであり,また同時に,その強い人 間志向性と結合して現われてきていると解されるのである。すなわち r 作 業場所」としての経営の特質を見い出し,そこに経営の「経済実践」とは別 個の,経営における生活する人間に配慮する「社会実践」の存在を指摘し,

その「社会実践」の形成という人間志向的な実践的課題を果たしうるために は,経営経済学は,経営において労働する人聞の「人間的品位」を保証する

「倫理的規範」を設定する規範科学たらざるをえないとするのがフィッシャ ーなのである。しかしながら,既に指摘してきたように.経営の最良の形成 という課題をもっ経営政策は,その経営に内在する基本原則ないしは原理に 基づいてのみ,真にその意義をもっとするならば,規範論によって,経営に とって外在的に超越的に設定された「倫理的規範」は,決して経営政策の真 の指導原理とはなりえないであろう。それはかえって,経営的必要性を無視 し経営における統一的・全体的な原理から遊離して主張されるが故に,経 営そのものの存続を危険に落とし入れるものであるといわざるをえないであ

ろう。フィッシャーのもつ,強い実践志向性と人間志向性は,彼の所論が規 範科学として展開されているが故に,逆にその意義を失なわせしめていると いわざるをえないので、ある。

注(1) Vg   , . l Sandig ,  c . ,   a .   a .   0 . ,   S .   3 0 ,  S S .  20‑21 ,拙稿. i i 切り論文. 89‑90U 参 J ! ( ¥ 。

( 2 )   Vg   , . l F i s c h e r ,  G . ,  A l l g e m e i n e  B e t r i e b s w i r t s c h a f t s ! e h r e , 

~.

4 3 .  

( 3 )   V  g   , . l F i s c h e r ,  G . ,  a .   a .   0 . ,   S .   3 0 .  

(16)

1 0 2  

ノ 、 、

不口全土

経 営 と 経 消

フィッシャーの所論におけるその実践志向性と人間志向性は,高く評価さ れなければならないであろう。特に,従来の経営経済学ではあまり顧みら れることのなかった,経営における労働する人聞の問題を積極的に取り上げ,

経営における人間の問題に今日の経営の危機を見い出し,人間問題の克服を 経営経済学の課題として取り上げるその姿勢は高く評価されるべきであろう。

しかし,フィッシャーの社会実践の形成に関する主張は,規範科学としてで

はなく,経験科学としての実践科学として再構築されなければならないであ

ろう。その場合作業場所」としての経営は,それ自体が個別的なものと

してではなく,経営の全体的・具体的な存在構造の中に位置づけられて考察

されなければならないであろう。すなわち,経営を社会的・歴史的存在とし

て捉え,そのような生活体としての経営の中に経営の自己形成的基本原則な

いしは原理を解明し,その原則!ないし原理に指導されて形成される構造とし

て「作業場所」を位置づけなければならないであろう。つまり,社会実践の

形成は,統一的・全体的な経営の指導原理に指導されてなされるものである

から,人間に志向する経営政策の「経営的必要性」が究明されなければなら

ないのである。実践志向的な経営経済学たるためには,それは,人間志向的

な経営政策を経営の内面的要請として確認しなければならないのである。そ

のためには,社会的・歴史的存在としての経営の存在構造のより具体的でっ

き進んだ分析が必要で、あろっ。すなわち,経営の内部構造や経営の環境に関

する歴史的・全体的考察を推し進め,それらに基礎づけられた経営経済学な

いしは経営政策論が展開されなければならないのである。

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